随筆 永遠なれ創価の大城 19 我らの凱歌の五月三日

随筆 永遠なれ創価の大城 19   (2017年5月3日付 聖教新聞)

我らの凱歌の五月三日

王者堂々と広布の峰へ前進!
「師弟共戦」「異体同心」の信心は無敵なり


 日蓮大聖人の仏法は、全人類を永遠に照らす「太陽の仏法」である。
 御聖訓には、「一閻浮提うちみだすならば閻浮提内広令流布はよも疑い候はじ」(御書1467㌻)と仰せである。
 ゆえに時代の闇が深いほど、いよいよ鮮烈に、智慧と希望の陽光を放って、我らは進むのだ。
 久遠よりの誓願である広宣流布を断行するために! 民衆の幸福を勝ち取り、平和の未来を創り開きゆくために!
 誇り高き使命の大行進の中で迎える栄光の五月三日、誠におめでとう! 皆、本当にありがとう!

師匠を偲びつつ
 一段と勢いを増しゆく学会の大発展の様子を、創立の師父に御報告したい――その思いを込め、私は、豊島区巣鴨の東京戸田記念講堂を訪れた(4月26日)。
 同じ区内には、かつて牧口先生と戸田先生が、暴走する軍国主義と国家神道に抵抗して投獄された東京拘置所があった。師弟して「立正安国」のために戦い抜かれた魂の決戦場である。
 この師弟の殿堂を守り荘厳されている豊島区・北区をはじめ地元の方々に感謝は尽きない。
 遠来の友を「当起遠迎、当如敬仏」の精神で迎えてくれる創価班、牙城会、白蓮グループにも、また音楽隊、鼓笛隊、ドクター部、白樺の皆様、栄光会など役員の方々にも、さらに王城会、香城会、会館守る会、サテライトグループなどの方々にも、心から御礼申し上げたい。
 御書には、「日蓮が難にあう所ごとに仏土なるべきか」(1113㌻)と記されている。
 学会の会館は、御本仏の不惜の精神に直結して殉難した、創価の師弟の崇高な魂魄を留める広布の法城である。ゆえに、集い来る地涌の闘士たちが皆、「心の財」を無量に積みゆけることも、また絶対に間違いないのだ。
 師弟共戦の歴史を綴ってきた講堂を訪問した意義を刻み、ここでは不滅の学会精神を3点にわたり確認し合いたい。

勝利は祈りから
 1つ目は、一切の勝利は「祈り」から始まる、ということだ。
 牧口、戸田両先生の肖像が見守る講堂で、私は妻と厳粛に勤行・唱題し、死身弘法の御徳に報恩感謝の祈りを捧げた。とともに、慈折広宣流布の大願成就を、そして大東京をはじめ、全国、全世界の宝友の幸福勝利を真剣に祈念した。
 大聖人は、「多くの月日を送り読誦し奉る所の法華経の功徳は虚空にも余りぬべし」(御書1194㌻)と仰せである。
 大聖人の仏勅である広宣流布、立正安国を誓願し、我ら創価の師弟が唱えてきた自行化他の題目が、どれほど莫大であることか。その功徳は、今や壮大に青き地球を包んでいるのだ。
 女性門下に送られた御文には、「教主釈尊をうごかし奉れば・ゆるがぬ草木やあるべき・さわがぬ水やあるべき」(同1187㌻)と説かれる。
 まさしく、仏天をも揺り動かす絶対勝利の祈りで、一切を勝ち開いてくれているのが、世界一の太陽の婦人部である。
 5月3日は「創価学会母の日」――私たちは、尊き広布の母に、最大の賞讃と深謝を捧げたい。
 母たちを中心に、我ら創価家族の祈りは「異体同心」の祈りである。
 いずこでも、悪戦苦闘の友がいれば、励まさずにはおかない。共に祈り、同志のために動かずにはいられない。
 「自他彼此の心なく」結ばれた、この最高に麗しい絆が日本中、世界中に張り巡らされている。だから、御本仏の大生命が脈々と流れ通うのだ。

自ら人間革命を
 2つ目は、広宣流布の全ての戦いは、自分自身の「人間革命」のためにあるということだ。
 戸田講堂の恩師記念室では、貴重な広布史の展示を拝見した。
 丹精込めて復元された豊島公会堂の模型も、誠に懐かしかった。
 戸田先生は、先師が獄死された拘置所の間近にある、この公会堂を正義の言論戦の舞台として、御書や法華経を講義していかれたのだ。
 60年前の8月、私が荒川区で広布拡大の指揮を執った直後にも、先生は、この豊島の会場での本部幹部会で全国の飛躍を讃えられた。そして、新入会の友らを温かく励まし、皆に「信心してよかった」という喜びを味わわせてほしいと念願されたのである。
 「各人が幸福をつかむ信心」の確立にこそ、先生の鋭き焦点があった。
 そのためには、労苦をいとわず「地涌の菩薩」の行動を、と教えられた。
 我らの地球が正確に自転しつつ太陽の周りを公転するが如く、「人間革命」と「広宣流布」は絶妙に連動して、無限の価値を創造していくのだ。
 「唯我が信ずるのみに非ず又他の誤りをも誡めんのみ」(御書33㌻)とは、「立正安国論」の結論である。
 日々、「行学の二道」に励みながら、大法弘通のため、立正安国のため、勇んで戦っていく。このダイナミックな学会活動こそ、皆が宿命を転換し、絶対的な幸福境涯を開きゆく、最も確かにして速やかな「一生成仏」の軌道であることを、先生は明かされたのだ。
 展示の中に、1973年の5月5日、豊島の友3400人との記念撮影や子ども運動会の写真もあった。この折、皆で「勝利」の意義を語り合ったことも思い出深い。
 ――新しき前進への活力は、勝つことである。勝利は、新しき希望を生み、新しき勇気を育む。ゆえに、一つ一つの課題に断固として勝ち続けていくことが、広宣流布の原動力である、と。
 当時の可愛らしい未来部の友も、皆、立派に成長して、「人間革命」即「広宣流布」の勝利のために、団結し、奮闘してくれていることが、何より嬉しく、頼もしい。

巌窟王の精神で
 3点目に、「巌窟王の折伏精神を忘るるな」と訴えたい。
 学会が「広宣流布」という言葉を公の場で使った最初の記録は、75年前(1942年)の5月、創価教育学会の総会での牧口先生の発言であった。既に太平洋戦争の渦中である。
 牧口先生は、軍部政府からの弾圧も覚悟されていたのであろう。この総会で、嵐に立ち向かうが如く、我らは国家社会を大善の方向に導くのだと師子吼されている。
 そして一対一の折伏によってこそ、「家庭を救い社会を救い、そうして広宣流布に到るまでの御奉公の一端も出来ると信ずる」と断言された。
 ここに「広宣流布」という学会永遠の使命と責任が定められたのだ。
 正義の師を獄死せしめた権力の魔性に憤怒した戸田先生は、妙法の巌窟王となって、1945年の7月3日に出獄した。
 必ず広宣流布することこそが、師の仇討ちなりと覚悟された戸田先生は烈々と叫ばれている。
 「私が生きている間に、75万世帯の折伏は、私の手でいたします」
 「私の手で」と、先生は言われた。誰かではない、自ら人生を懸けた誓願として言い切られている。
 そして戸田先生は、牧口先生と寸分違わず、「一対一の膝詰めの対話」によって、広宣流布の道を切り開いていかれたのである。
 一対一で、勇気をもって正義を語る、真心込めて友を励ます――この折伏精神に、人間一人ひとりの無限の可能性を開きゆく広宣の直道がある。
 日本も世界も、激動と不安の中にある。誰もが心から信頼できる何かを求めている。だからこそ、私たちは、目の前の一人を大切にし、相手の仏性を信じ、確信を持って語るのだ。
 粘り強い大誠実の対話は、悪意や偏見も打ち破る。確かな友情を結び、仏縁を広げていくのだ。
 恩師・戸田先生は水滸会や華陽会の折々に、「巌窟王の心」とは、何があっても巌の如く信念を貫き通す折伏精神であると教えてくださった。
 この心で、私は恩師の出獄から12年後の7月3日に入獄した。全く無実の罪であった。本年夏で60年となる。「師弟共戦」と「異体同心」の信心は無敵なりと、満天下に示し切ってきた。
 そして今、わが愛弟子たちが一切を受け継ぎ、師弟の正義を、巌窟王の如く威風堂々と勝ち示してくれることを、私は大確信してやまない。

凱旋の鐘を打て
 戸田講堂の平和ロビーには、2001年の「五月三日」を記念する第1回東京総会に際し、私が鳴らした「七つの鐘」のオブジェがあった。
 今回、湧き上がる思いのまま、「わが全同志に勝利の鐘よ響け! 大東京に凱歌よ轟け!」と、再び強く、また強く鐘を打ち鳴らした。
 鐘の響きには、深く共鳴しつつ、はるか彼方まで届いて、魂を呼び覚ます力がある。
 我らも大歓喜の生命の躍動を、一人また一人と伝え、社会へ、世界へ、未来へ、大いなる希望の波動を広げていくのだ。
 さあ、広宣流布の峰を目指し、共に、共々に、勇気凜々と、晴れやかな凱旋の暁鐘を、打ち鳴らそうではないか!
2017-08-14 : 随筆 永遠なれ 創価の大城 :
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随筆 永遠なれ創価の大城 18 師弟の大桜は爛漫と

随筆 永遠なれ創価の大城 18   (2017年4月13日付 聖教新聞)

師弟の大桜は爛漫と

試練を越えて 凱歌の花は咲く
君よ 対話の春を舞いに舞いゆけ


  父母と
  試練の坂を
    勝ち越えて
  咲き誇りゆく
     若桜かな
     
 熊本地震から1年――愛する郷土の復興へ奮闘しゆく不撓不屈の若人の連帯を、諸天も寿いでくれたのであろう。
 熊本での全国男子部幹部会は、異体同心の九州家族の祈りに照らされ、暖かい陽光に包まれた。
 会場は、1年前、被災された方々の一時避難所となった熊本平和会館だ。
 今年は3月の寒さの影響か、桜の開花が平年より遅く、折しも当日は満開の桜に包まれ、日本一の弘教を飾った九州の丈夫たちを祝賀した。
 引き続き、桜花舞う熊本では、けなげな九州女子部の総会も行われる。
 「さくら(桜)はをもしろき物・木の中よりさきいづ」(御書1492㌻)と、日蓮大聖人は桜を愛でられた。
 固く、ごつごつとした樹皮に覆われた桜の木。その中から清らかな花が咲き出る。それは、凡夫の生命に清浄にして偉大な仏の生命が具わることの象徴でもあろう。
 また、桜の大樹は風雪の苦難に耐えるかのように、太い幹を曲げられながらも、毅然と枝を伸ばし、花を咲かせる。
 その凜たる姿は、「負けんばい!」と胸を張る熊本の宝友たちと二重写しに思えてならない。

「誓い」を新たに
 今年の桜(ソメイヨシノ)は、開花宣言も満開も東京が最も早かった。
 総本部を訪れるSGIの友も、万朶と咲き誇る「青年桜」や「華陽桜」に、世界広宣流布への誓いを新たにされている。
 春季研修で来日された世界の同志と共々に、清新な心で、新出発を切っていきたい。
 先日、私は、桜花爛漫の中を、創価学園から久方ぶりに立川文化会館へ走った(5日)。
 道すがら、目に入った聖教新聞の販売店にも、題目を送りつつ、シャッターを切った。「無冠の友」の皆様と一丸となり、たゆまず地域広布を推進する大事な城である。
 この立川文化会館では、昭和53年(1978年)、女子部の歌「青春桜」を友と一緒に作り、3・16「広宣流布記念の日」に発表したことも懐かしい。
 私は歌詞に詠んだ。
 「あなたと語りし
      あの誓い
  いかに忘れじ
  この道を この道を
  手に手をとりたる
      青春桜」
 立川文化会館の「元初の間」で、私は妻と、全世界の創価の女性に、幸と勝利の〝青春桜〟が、永久に、馥郁と薫りゆくことを真剣に祈念した。
多摩川に沿って
 「桜」で蘇るのが、25年前(1992年)の4月、八王子から大田に向かう途次、調布文化会館に立ち寄った時のことである。
 多摩川に沿って、美しい桜が咲いていたが、それにも増して見事だったのは、館内のロビーいっぱいに花を広げた手作りの大桜であった。
 聞けば、花びら一枚一枚に、誓いの祈りが込められていたという。
 真心の労作業に胸中で合掌しつつ、仰ぎ見た。
 会館の窓から多摩川を望むと、河川敷にいた家族連れが目に留まった。
 わが創価家族ではないかと思い、声を掛けてもらうと、やはりそうだった。男の子は河川敷で遊んでいたままの姿で、お母さんは恐縮されていたが、館内に入ってもらい一緒に勤行を行った。
 今、その少年は大学院の博士課程で学びつつ、創価学園で教壇に立ち、男子部のリーダーとしても奮戦してくれている。
 この折、私は調布と狛江の友に熱願した。
 「仏法は勝負。勝つか負けるかだ」「功徳と正義を示せ! ここから火の手を上げよ」――と。
 私の心には、愛弟子たちが〝常勝の錦州城〟を築き、功徳満開の無数の花を咲かせる姿が、今もありありと映っている。
 調布を出て、車で狛江、世田谷と抜けると、わが故郷城・大田である。
 大田にも、桜の思い出は数多い。戦災の焼け野原に一本残った桜が、皆に希望と勇気を送ってくれたことを、童話『少年とさくら』に綴りもした。
 地域貢献として私が提案し、大田区に1000本の桜の若木を寄贈させていただいたこともある。大切に守り支えてくださる地元の方々に感謝は尽きない。
 私の心を心として、大田の青年部が〝千本桜〟のごとく、誠実と信頼光る人材の若木を地域に植えてくれていることも、嬉しい限りだ。

「人華」を広げよ
 桜は世界に友情の花を広げてきた。
 中でもアメリカの首都ワシントンのポトマック河畔の桜は有名だ。淵源は100年以上前、〝憲政の神様〟尾崎行雄が東京市長の時に苗木約3000本が寄贈されたことにある。
 わがアメリカSGIの友も、ロッキー山脈を仰ぐデンバーなどで桜の植樹を重ね、多くの市民に喜ばれている。
 世界には、〝紫の桜〟ジャカランダなど、桜を彷彿させる花樹がある。
 たとえば、この時節、インドでは、桜によく似たアーモンドの白い花が満開になる。
 インドの創価の友は、今や15万人を超える〝人華の園〟となった。
 その原動力こそ、あくまでも「一人」を大切にする振る舞いだ。
 そして、「一人立つ」リーダーの行動である。
 それは、あのマハトマ・ガンジーが身をもって残した拡大の方程式でもあるといってよい。
 ガンジーは、どのようにして、広大なインドの民衆を糾合したのか。
 共に戦い抜いた盟友ネルーの結論は、誠に明快である。
 「ただやさしいまなざしと、おだやかな言葉と、それに何よりも身をもって自ら模範を示すことによって成しとげたのである」と。
 特別な何かで、人心をまとめたのではない。誠実一路の人間性と、率先垂範の勇気によって、民衆を結合したのである。

「一は万が母」と
 ともあれ、誰かではない、自分である。まず自分が戦いを起こす。自分が壁を破るのだ。
 「一は万が母」(御書498㌻)である。自身の祈りと智慧、闘魂、行動からこそ、広布の万波が生まれる。
 「一人立つ」勇気と挑戦の先に、必ず突破口は開かれていくのだ。
 日蓮仏法は「下種仏法」である。
 一言一句でも仏縁を結ぶなら、友の胸には、何があろうと消えない成仏の種子が植えられる。
 だからこそ、臆してはならない。信念をもって語り切ることだ。
 そのために悩むことは、菩薩の悩みである。全ての苦労が、仏の境涯を開いていくのである。

歴史創る新風を
 法華経化城喩品には美しい一節がある。
 「香風は萎める華を吹いて 更に新しき好き者を雨らす」(創価学会版法華経313㌻)――香り高い風がしぼんだ花を吹いて、さらに新しく好ましい花を降らせる――。
 新しき歴史は、新しき風とともに創られる。私たちの広布への活動においても、新しき価値創造には、常に、新鮮な風を送りゆかねばならない。
 ゆえに、青年部が大事なのだ。各地域の壮婦の励ましで、一人の男子部が、女子部、学生部が立ち上がることは、必ず、新しい花を咲かすことに通じる。目の前の一人を大事に育めば、新時代の扉は必ず開かれる。
 一人ひとりの若人が〝桜梅桃李の人華〟を命いっぱいに咲かせ、人間革命の輝きで社会を照らし、立正安国の花園を、わが地域・わが国土に広げていくのである。

学会精神に燃え
 昭和54年(1979年)の4月2日――、桜をこよなく愛された、わが師・戸田城聖先生の祥月命日に、私はこう書き留めた。
 「死身弘法 不惜身命
 此の心は
 学会精神のみにある」
 永遠の妙法と共にある我らは、永遠に師弟の道を進み、学会精神を燃え上がらせ、広宣流布の大誓願に生き抜くのだ。
 恩師を偲ぶ北海道・厚田にも、5月3日ごろ、桜前線が到達する。
 我らの前には「師弟の大桜」が咲き誇り、晴れやかな「創価桜」の大道が広がっている。
 さあ、正義と勇気の前進だ! 君たち、貴女たちよ、対話の春を舞いに舞いゆけ! 朗らかに、自身の凱歌の花、民衆の勝利の花を咲かせよう!

 ネルーの言葉は『マハトマ・ガンジー』ガンジー平和連盟訳(朝日新聞社)=現代表記に改めた。
2017-08-14 : 随筆 永遠なれ 創価の大城 :
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随筆 永遠なれ創価の大城 17 東北は世界の希望

随筆 永遠なれ創価の大城 17   (2017年3月11日付 聖教新聞)

東北は世界の希望


不屈の魂の「人材城」は厳たり
新しき民衆の連帯に「福光の春」


 今、私は、妙法で結ばれた創価家族の縁の深さを嚙み締めております。
 それは、生死を超えて「常楽我浄」の生命の旅を共々に続ける絆です。
 御本仏・日蓮大聖人は遠く離れた門下へ、「我等は穢土に候へども心は霊山に住べし」(御書1316㌻)と仰せになられました。
 いかなる試練にあろうとも、私たちの心は、常に大聖人とご一緒です。亡くなられたご家族も友も、広宣流布に懸命に進みゆく私たちの心の霊山に一緒なのであります。
 あの東日本大震災から6年――。未曽有の災害の犠牲になられた全ての方々に、さらに震災後の苦難の中で逝去された方々に、あらためて、心からの追善回向の題目を送らせていただきます。
 そして、縁深き東北の皆様の幸福勝利と郷土の繁栄を、ひたぶるに祈念し続けてまいります。
 「生死一大事血脈抄」には、「過去の生死・現在の生死・未来の生死・三世の生死に法華経を離れ切れざるを法華の血脈相承とは云うなり」(同1337㌻)と明かされています。
 法華経に結縁した生命には、成仏の血脈が滔々と流れ通い、「三世の生死」にわたって、決して離れることも、切れることもありません。
 ゆえに妙法に包まれた「仏界の生死」であり、「生死ともに仏」(同1504㌻)です。これ以上、大安心の生死は、断じてないのです。

「仏をば能忍と」
 仙台の新・東北文化会館を中心に6県を結んで行われた、凱歌の「新生・東北総会」を、私も嬉しく見守った。
 「負げでたまっか!」――わが東北の同志は、この負けじ魂を命がけで発揮してきた。皆が勇敢なる信心で「心の財」を無量に積み、東北中に「功徳の山々」を築き上げてきたのだ。
 御聖訓に、「此の世界をば娑婆と名く娑婆と申すは忍と申す事なり・故に仏をば能忍と名けたてまつる」(同935㌻)と仰せである。
 すなわち苦悩多き娑婆世界にあって、あらゆる苦難を「能く忍ぶ」勇者を「仏」というのだ。
 御本仏はその永遠の鑑を、打ち続く大難に「いまだこりず候」(同1056㌻)と立ち向かう御自身のお姿を通して示してくださった。
 不撓不屈なる東北家族が、この「師子王の心」に直結していることは、絶対に間違いないのだ。
 復興は道半ば。今も、多くの方々が仮設住宅や避難先で暮らされている現実がある。帰還にも、期待と不安は交錯する。
 まして、悲しさや寂しさ、苦しさは皆違う。一人ひとりの心の復興への歩みは、時間で測れない。
 それでもなお、東北の皆様方は、今いる場所、今いる地域で、生きる勇気を奮い起こし、凍てつく大地から再び草木が芽吹くように、雄渾に立ち上がってこられた。
 御書に「妙とは蘇生の義」(947㌻)とある。妙法とは最極の希望の力といってよい。
 ゆえに私は、宮城、岩手、福島の3県をはじめ、青森、秋田、山形の「歓喜の友々」こそ、「世界の希望なり!」と声を大にして叫びたいのだ。
 この東北の希望の足音に歩調を合わせてこそ、真の「人間主義の世紀」が生まれていくのだと、私は確信してやまない。

支え合って強く
 今回、東北を訪れ交流したSGIの友も、どこまでも温かく、明るく、強靱な、みちのくの同志の姿に感動していた。
 目の前に、苦しむ人、悲しむ人がいれば、そっと手を差し伸べ、寄り添ってきた。ありのままに悩みを語り合い、分かち合い、励まし合って生き抜いてきた。
 信心で戦えば元気になる。だから一緒に戦いたいと声を掛ける――ある被災地の婦人部の友が、深い決意を語っていた。
 「目的は『壁を破る』こと。誰かと比べて勝つことじゃなくて、今の自分より進歩すること」
 そうやって、一歩また一歩と歩みを重ねる一人ひとりが、互いに支え、支えられて、地域社会は強く豊かになる。
 今、私には、「一切衆生は互に相助くる恩重し」(御書435㌻)との御金言が、不滅の輝きをもって拝されてならない。
 我らは、いやまして強盛な「立正安国」の祈りで進み、同苦と励ましの連帯を広げ、地域に根ざした人のつながり、友情で結ばれた心の結合を強めていきたい。そこに、生命尊厳と共生の社会の創造があるからだ。
        ◇
 尊きブラジルの来日メンバーは「タイヨウ音楽隊」の代表であった。音楽の持つ偉大な励ましの力を、生き生きと体現する若人たちだ。
 福島でも、浜通りの北部、4市町村(相馬市、南相馬市、新地町、飯舘村)からなる「福島旭日県」の皆さん方は、各部それぞれに合唱団をつくられている。
 壮年部は「福光銀河合唱団」、婦人部と女子部は合同で「福光春風合唱団」、男子部は20代のメンバーを中心に「福光若獅子合唱団」を結成した。苦闘の日々、歌が元気の力になってきたという。
 昨年の「うつくしまフェニックスグループ」(原発事故等の影響で福島県内外に避難した友の集い)の総福島での大会でも、〝福光の春〟を声高らかに歌った。
 しなの合唱団、創価グロリア吹奏楽団、関西吹奏楽団、創価ルネサンスバンガード、そして東北の音楽隊が被災各地で行ってきた演奏は、100回を数える。
 法華経に登場する妙音菩薩は、「能く娑婆世界の諸の衆生を救護する者なり」(創価学会版法華経616㌻)と説かれる。
 私の心を心とし、希望と勇気の妙音を響かせてくれている創価の楽雄たちに感謝は尽きない。

尊き3つの椅子
 東北国際女性会館に、この度、設置された「東北福光みらい館」を観賞した海外の友の反響も、大きかった。
 展示品の中に、石巻の木工作家の方が制作してくださった、尊い3つの椅子がある。大津波で亡くされた3人のお子さん方への尽きせぬ愛情と祈りが込められている。
 椅子の写真を拝見し、まるで3人のお子さん方が仲良く笑って腰掛けているような、平和と幸福の光を感じ取り、私は深く合掌した。

私には宝がある
 思えば、1970年(昭和45年)の1月、私は未来部への詩「大いなる希望」に詠んだ。
 「昭和54年に 第七の鐘は ひとたび鳴り終わる」「次に新しい 七つの鐘を鳴らすのは 君たちしかない」
 当時、岩手県雫石町の6人の少年少女部員が、私の詩を読み合い、決意の手紙を送ってくれた。
 嬉しかった。「すみれグループ」と名付けられた少年少女たちは、冬を越えて咲く花のように、けなげだった。
 「岩手に行ったら、必ず会いましょう」と、すぐに伝言を託した。
 その約束は2年後(1972年)の7月に実現した。将来の夢やご両親のことなどを語り合い、次のような言葉を書籍に認め贈った。
 「辛くとも 私は 決して くじけない 私には 私には 希望という 宝があるからだ」
 「希望という やさしい そして 強い心をもって 私は いつまでも 幸をつくっていくのだ」
 使命が大きいゆえに、試練もあろう。残酷な現実に直面する時もあるかもしれぬ。だが、それでも希望を忘れてはならない――そう願って綴った。
 今も私の心は、未来部の友と直結だ。生命と生命はつながっている。
 今回の東北総会では、最後に宮城の青葉少年少女合唱団が凜々しく壇上に立ち、東北の歌「青葉の誓い」を全参加者と歌い上げてくれた。
 この4月には、震災直後に小学校に上がった友が中学生になり、中学に上がった友は大学生や社会人になる。6年という歳月に、東北の若人たちは何と逞しく成長してくれたことか。未来を限りなく照らす希望の宝だ。

〝流れ〟を未来へ
 40年前(1977年)の3月、私は福島の地で、3・16「広宣流布記念の日」の意義を語った。
 広宣流布は〝流れ〟それ自体である。青年が先駆となり、人材の流れを強く、深く、大きくするという儀式こそ「3・16」の意義なのだ、と。
 「広布の総仕上げ」を託した東北から、負けじ魂に燃える後継の地涌の陣列が躍り出ることを、私は祈り、信じた。
 今その通りになった。世界が東北を希望とし、東北の底力に励まされているではないか。
 岩手出身の詩人・宮沢賢治はうたった。
 「はがねを鍛へるやうに新らしい時代は新らしい人間を鍛へる」と。
 いつも私の心の真ん中には、鍛え上げられた、新生の東北家族がいる。
 「学会精神は、東北に学べ!」と、誰もが仰ぎ見る「凱歌の人々」だ。
 「冬は必ず春となる」――見よ! この不滅の大法則のままに、「福光の春」は輝き始めた。
 わが東北の不屈の魂の人材城よ、師弟の誓いの大城よ、永遠なれ!

 宮沢賢治の言葉は『宮沢賢治全集2』(筑摩書房)。
2017-08-14 : 随筆 永遠なれ 創価の大城 :
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随筆 永遠なれ創価の大城 16 青年の息吹で春へ

随筆 永遠なれ創価の大城 16   (2017年2月22日付 聖教新聞)

青年の息吹で春へ

咲かせよう! 対話と友情の花
負けない力は北風に踏み出す勇気から


 2月は、日蓮大聖人の御聖誕の月であり、わが師・戸田城聖先生の誕生の月である。
 東京・大田の蒲田支部での二月闘争をはじめ、師弟で綴った広宣流布の拡大の歴史は「今生人界の思出」と輝いている。
 1956年(昭和31年)の2月は、関西の目を見張る大前進で、恩師の誕生日を飾った。
 この折、私は、先生へ「関西に 今築きゆく 錦州城 永遠に崩すな 魔軍抑えて」と誓いの一首を献じた。
 先生からは一気呵成に「我が弟子が 折伏行で 築きたる 錦州城を 仰ぐうれしさ」との万感の返歌を賜った。忘れ得ぬ師弟の劇である。
 なお、私が捧げた和歌には、後年、〝常勝関西の大城は永久不滅なり〟との意義を込めて、「永遠に崩れぬ」と手を入れ、あらためて同志に贈った。
 今再び、関西をはじめ全国、全世界で、新たな青年錦州城が築かれゆくことを、大聖人が、そして恩師も、さぞかし喜んでおられるに違いない。
        ◇
 厳寒の佐渡で認められた「開目抄」の一節に、「一華を見て春を推せよ」(御書222㌻)と仰せである。
 寒風に咲き誇る花は、ただ一輪でも「春遠からじ」と告げてくれる。
 わが愛する創価家族が対話の花、友情の花、信頼の花を、一輪また一輪と咲かせるため、どれほどの祈りと苦労を尽くされていることか。その積み重ねによって、功徳満開の春は開かれるのだ。尊き健闘に、私は妻と題目を送っている。

「凱歌の人生」を
 今月の座談会で全同志が生命に刻んだ御書に、こう仰せである。
 「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる」(同1253㌻)
 誰人たりとも、「生老病死」の苦悩を避けることはできない。誰もが厳しい冬を耐え、戦わねばならぬ運命にあるともいえよう。だが、冬があればこそ、本当の春を知ることができる。御本尊を持った人は、人生の闘争の誉れの勇者なのだ。
 たとえ今、試練の冬にあろうとも、心は閉じこもりはしない。一歩、北風に踏み出す勇気に、戦う力、負けない力が湧き上がる。その心には、もう勝利の春が始まっているのだ。「冬の中に春を生む」梅花のように。
 梅の花で、懐かしく思い出すのは、1982年(昭和57年)2月の茨城訪問である。
 同志を苦しめた悪逆な迫害を断固とはね返す、いわゆる反転攻勢の一つの総仕上げでもあった。
 前年の秋から、四国、関西、中部、九州の大分・熊本・福岡、神奈川、年明けには東北の秋田と走り、念願叶って茨城へ向かったのである。
 この時、戸田先生の生誕82周年(2月11日)に寄せ、茨城の友は82個の鉢植えの梅を飾ってくださった。
 法難の嵐を勝ち越えた同志と歌った、茨城の歌「凱歌の人生」の響きは耳朶から離れない。
 私は長年、多くの人生を見てきた結論として申し上げた。
 「信心、また人間としての勝利は、愚直のごとき求道の人、また、着実にして地道なる信心、生活を築き上げた人が、凱歌をあげている」と。
 以来35星霜――。当時、共に記念撮影した男女青年部により結成された「茨城2000年会」(現・茨城新世紀大城会)の友からも、故郷や全国各地で広布に乱舞する様子を伺っている。
 この間、東日本大震災や豪雨災害など打ち続いた苦難にも、わが茨城の同志は懸命に耐え抜き、不退の負けじ魂で乗り越えてこられた。
 心の絆を結んだ宝友たちが、後継の眷属と共に「凱歌の人生」を歩む晴れ姿こそ、創価の正義の勝利劇なりと、私は誇り高く宣揚したいのだ。

心は若くあれ!
 「新時代の二月闘争」に勇んで先駆する、わが男女青年部も、何と凜々しく頼もしいことか。
 男子部では、先月から今月にかけて、創価班大学校、牙城会新世紀大学校の気鋭の友らが、全国各地で意気軒昂に入卒式を行っている。
 「ロマン総会」を大成功に終えた女子部においても、白蓮グループの入卒式がたけなわだ。
 結成60周年に胸を張る男女学生部の俊英も、才媛も、はつらつと使命の言論戦に挑んでいる。
 君たちの努力と開拓こそが、広布の勝利だ。
 貴女方の成長と幸福こそが、創価の希望だ。
 文豪ゲーテは言った。
 「偉大なことをなしとげるには、若くなくてはいけない」と。
 若さは、いかなる苦難も悩みも失敗も、前進の力に変えていける。
 若さには、人生の至宝の勇気と情熱がある。誠実と真剣さがある。
 ゆえに、勇敢なる信心で偉大な誓願に立つ人は皆、青年といってよい。
 「春に遇って栄え華さく」(御書494㌻)である。忍耐強く春を待ち力を蓄え、その開花の時に、自分らしい「挑戦の花」を咲かせることだ。
 我らには「生老病死」の四苦を、「常楽我浄」の四徳へ転ずる生命の哲理がある。年代を超えて支え合い、励まし合う「異体同心」のスクラムがある。

我らは実践第一
 思えば、先師・牧口常三郎先生は、晩年まで「われわれ青年は!」と叫び、「暦の年じゃない。つねに伸びていくのだ」と言われていた。
 牧口先生が、青年の青年たる所以とされていたのは「実践」であり、なかんずく「大善」を行うことであった。
 すなわち、法華経の肝心たる南無妙法蓮華経を持ち、日蓮大聖人の立正安国の教えを実践し、弘めゆく「大善」である。広宣流布という菩薩の行に生き抜く中に、自他共の幸福が、そして社会の平和と繁栄があると、先師は訴えられたのだ。
 牧口先生が創立以来の伝統の座談会を、「大善生活法実証座談会」と銘打たれたのは、75年前の1942年(昭和17年)の2月であった。
 当時の創価教育学会の機関紙「価値創造」には、東京の大塚支部、池袋支部、中野支部、北多摩支部など各地で、活発に実証座談会が行われていたことがうかがえる。
 牧口先生自ら蒲田支部等の座談会に足を運び、同志の悩みに耳を傾けながら励ましを送られたという記録も残っている。
 この年の2月11日、つまり戸田先生の誕生日に、牧口先生は青年部の会合に出席し、明治維新の立役者が20代の若者だったことを通して激励された。〝広宣流布は、青年のリーダーシップによらねばならない〟と。それは、戸田先生が常に語られた言葉でもある。
 聖教新聞掲載の「東京凱歌の青年城」をはじめ、日本中、世界中で躍動する若人の英姿を、牧口、戸田両先生と同じ気持ちで、私も見守っている。

師弟勝利の物語
 お陰様で、小説『新・人間革命』の連載が6000回を重ねた。小説『人間革命』の執筆開始から数えると、足かけ54年、連載回数の合計は7500回を超える。
 同志の皆様方の題目と応援に励まされ、〝師弟の凱歌の物語〟を元気に綴りゆくことができる。誠にありがたい限りだ。
 「私は書くのを止めることは出来ません。私が汽車で旅をしようが、何をしていようが、私の脳は間断なく働くのです」――こう言ったのは、スウェーデンの作家ストリンドベリである。
 私も、さらに書き続けていく決心である。ただ未来のため、未来を生きる青年たちのために!
 信仰とは何か、正義とは何か、そして師弟とは何か――。その真髄を、日本はもちろん全世界の後継の友と、小説の執筆を通して対話できる日々は、何と幸せか。
 世界に発信する翻訳に取り組んでくださる方々にも、感謝は尽きない。

いよいよ励めや
 先日、九州の同志が、先駆の心意気で総本部へ熊本産の早咲きの「てんすい桜」を届けてくれた。熊本・大分の地震から1年となる4月には、全国男子部幹部会と九州女子部総会が熊本で行われる予定である。
 春を告げる真心の桜に合掌しつつ、全同志の健康と無事安穏を、そして不撓不屈の大行進を、私は真剣に祈った。
 ともあれ、私の心は、いつも青年と共にある。君たち、貴女たちが、勝利また勝利へ創価桜を咲かせゆく未来を信じ、ただただ道を開いていく。弥生三月も、日に日に近づく。さあ生き生きと進もう。伸びゆく青年の心で、青年と共に!

 寒風も
  はじきて芳し
   師弟花
  いよいよ励めや
    冬を勝ち越え
2017-08-14 : 随筆 民衆凱歌の大行進 :
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随筆 永遠なれ創価の大城 15 師弟共戦の勝利道

随筆 永遠なれ創価の大城 15   (2017・1・25付 聖教新聞)

師弟共戦の勝利道                   

広宣流布の大願へ心勇みて
快活な対話を 新たな自分の二月闘争を!


 朝夕に
  宝友の健勝
    祈る日日
  諸天よ護れや
   地涌の舞をば
  
 日蓮大聖人は、佐渡や身延で厳しい冬を堪え忍ばれた。
 「北国の習なれば冬は殊に風はげしく雪ふかし」(御書1052㌻)、「雪つもりて山里路たえぬ」(同1554㌻)等と仰せの通りだ。その中でも、訪ねてきた門下を最大に励まされるなど、麗しい師弟の交流は絶えなかった。御書に厳と記されている。
 我ら創価家族も、風雪に負けず、励まし合って前進していきたい。
 特に聖教新聞の配達でご苦労をおかけする尊き「無冠」の皆様の絶対無事故とご健康を、更に強盛に祈ってまいります。
     ◇
 今、「世界広布新時代」の朝を迎えた。その先頭を、「午前八時の太陽」の勢いで、地涌の青年たちが走り、広布拡大をリードしてくれている。
 「若い世代のあいだに、責任感と率先して物事を行なう気構えとが、今や働きつつある」――戦後まもなく、こう語って青年に信頼を寄せたのが、大科学者アインシュタイン博士であった。
 博士は95年前(1922年)に日本を訪れ、来日最初の講演会を慶応大学で行った。この記念すべき講演を、22歳の戸田先生は牧口先生と一緒に聴講され、生涯の誇りとされていた。
 博士が旅の最後に訪れ、美しい風光を喜び讃えたのは、福岡の門司(現・北九州市)である。
 その九州で今、皆が青年の心で「先駆」の使命を担い、拡大に挑んでいる。頼もしい限りだ。
 アインシュタイン博士は、こんな言葉も残している。「高貴な思想と行為に導きうるのは、偉大でかつ純粋な個性の実例のみである」と。
 率先垂範の「実例」がありてこそ、新たな価値創造の波動も広がる。
 我らの掲げる「青年の拡大」も、先駆の「一人」から始まるのだ。

報恩の心で立つ
 「いざ往かん 
   月氏の果まで  
    妙法を 
   拡むる旅に 
     心勇みて」
 日蓮大聖人の立宗700年の大佳節に当たる1952年(昭和27年)の1月、戸田先生が詠まれた和歌である。
 当時の学会は、およそ6000世帯。しかし、恩師の眼は、日本を遙かに超え、東洋広布、さらに世界広布の壮大なる未来を見つめておられた。
 妙法流布の使命に生きる人生が、どれほど尊貴であるか。全同志にその福徳と歓喜を知ってもらいたいと、先生は念願されていたのだ。
 だが、残念ながら、1月の弘教も、どの支部とも伸び悩んでいた。
 先生は〝このままでは広宣流布はできない〟と嘆かれ、24歳の私を蒲田支部の支部幹事に抜擢された。希望の突破口を開く使命を青年に託してくださったのだ。
 1月29日、大田区・鵜の木の集会所で、蒲田支部の緊急の会合を行った。私には、新出発に際し、同志と共有したい誓いがあった。それは――
 我々はなぜ、この信心に巡り合えたのか。
 末法の御本仏・日蓮大聖人が不惜身命で妙法を弘め遺してくださったゆえである。今日では、恩師が戦時下の獄中闘争を勝ち越え、広布の大願に一人立たれたゆえである。
 その奇しき縁に思いを致せば、報恩感謝の念が込み上げる。時あたかも大聖人の御聖誕の月、恩師の誕生の月を迎える。
 であれば、この2月、我らは広布拡大の勝利をもって、お祝いしようではないか!――と。
 会場に戸田先生の姿はなかった。それでも集った弟子たちは、師がここにおられるが如く、前進を誓い合ったのである。

「一人」に全力で
 私は懸命だった。私と同じ心で、壮年も婦人も立ち上がってくれた。自らの折伏の挑戦が、師匠の生涯の願業である75万世帯の拡大に直結することを、皆が自覚し始めたのだ。
 具体的には、師が示された通り、当時の組織の最小単位の「組」を軸に、「組」を盛り立て、折伏を推進していった。
 つまり、一切の焦点を少人数の語らい、一対一の対話、心通う座談会に定めたのだ。ゆえに――
 まず、真剣に祈ろう!
 近隣を大切に、身近なつながりから勇気と真心の対話を広げていこう!
 自信満々、生き生きと信心の体験を語ろう!
 この対話の最前線こそ広布の主戦場だ。ゆえに全精魂を注ぎ、全力を尽くすのである。
 勇気を出して、一人の友に会う。相手の幸福を祈り、誠実に、情熱込めて語っていく。その一人立つ挑戦が、己心の壁を破り、友の心を動かす。ここに、大聖人が「声も惜まず」と言われた“随力弘通”の実践がある。
 大聖人は、四条金吾を讃え語られた。
 「貴辺又日蓮にしたがひて法華経の行者として諸人にかたり給ふ是れ豈流通にあらずや」(御書1117㌻)と。
 師と心を合わせ、自分が縁を結んだ人びとに正義を語っていくことが、流通すなわち世の中に妙法を流れ通わせるのだ。

善き「縁」を宝に
 蒲田支部には、当時、約百の「組」があった。私は、中心者の組長など最前線に立つ方々を、一軒一軒訪問し、親しく語り合い、励ますことを重要な日課としていた。
 その中に戦前に入会されていた一家があった。組長の壮年は、牧口先生の折伏である。
 牧口先生は、家族の信心に猛反対だった壮年を訪ね、諄々と対話された。「学会は人間の幸福と社会を善くするためにあるのです」と。その「立正安国」の大確信に触れて、壮年は発心した。
 先師が縁し、種を蒔かれた方を、孫弟子の私が励ますという不思議なご縁である。ご一家は目標を遙かに上回る弘教を推進してくださった。
 一つ一つの縁を「仏縁」としゆく対話と弘教の喜びは勇気の波動となり、誰も彼もが「やらんかな!」の意気を爆発させた。どんどん功徳爛漫の体験が生まれ、新たな対話の勇者たちが陸続と誕生したのだ。
 そして、遂に壁を破る弘教201世帯――大田区内はもちろん、神奈川の川崎、東京の目黒、品川など各区に、更に首都圏、全国まで広布の陣列は広がっていった。
 人と人の縁は、自分が考えるよりも深く広い。家族・親戚の縁、近隣・地域の縁、仕事や学校の縁……大切に結んだ善き縁が、また新たな宝の縁をつないでくれる。
 師弟共戦と異体同心で「広宣流布の大願」を成就しゆく勝利道が、晴れ晴れと開かれたのである。
     ◇
 この1952年の2月1日、大阪支部長心得として関西入りしたのが、蒲田支部出身の我が友・白木義一郎君であった。
 戸田先生が、「大阪にも一日も早く支部を作るべきです」との私の進言に応えて、手を打ってくださったのである。
 我らが“常勝関西”の起点も、「二月闘争」と軌を一にしているのだ。
 関西との宿縁は深厚である。この1月25日で、横暴な権力の弾圧による「大阪事件」の無罪判決から五十五年となる。共に祈り戦ってくださった同志、とりわけ婦人部の関西魂は変わらない。
 今再び、威風堂々たる「折伏の関西」の大行進を嬉しく見守っている。

火ぶたは青年が
 広宣流布のため、立正安国のため、「師弟共戦」の心で走った天地には、宝友との「今生人界の思出」が輝いている。
 男子部の第一部隊長として奔走した、墨田・江東・江戸川など城東方面。支部長代理として前進を指揮した、文京・豊島など有縁の各地。夏季指導の荒川、総ブロック長を務めた葛飾もそうだ。
 本陣・大東京の勝利が日本全国の勝利を開くゆえに、私は東京中を何度も何度も駆け巡ってきた。愛する同志の幸福と安穏を祈り、国土世間の変革を念じながら!
 「二月闘争」から65星霜――今や東京中、日本中、そして世界中で、後継の青年たちが「新時代の二月闘争」の火ぶたを切ろうとしている。
 日蓮大聖人は、東京の同志の大先輩たる池上兄弟に、三障四魔に打ち勝つ闘魂を注がれた。
 「此れより後も・いかなる事ありとも・すこしもたゆ(弛)む事なかれ、いよいよ・はりあげてせむべし」(同1090㌻)
 さあ、感激の同志よ! いよいよ勇気を奮い起こし、いよいよ声を励ましながら、朗らかに前進しようではないか!
   
 青年の
  生命で開く
   新時代
  平和の柱ぞ
   我ら創価は


 アインシュタインの最初の言葉は「世界政府を目指して」(『晩年に想う』所収)市井三郎訳(講談社)、二つ目は『アインシュタイン選集3』井上健・中村誠太郎編訳(共立出版)から。
2017-08-14 : 随筆 永遠なれ 創価の大城 :
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