随筆 民衆凱歌の大行進 27 御書根本の勝利道を

随筆 民衆凱歌の大行進 27               (2015年9月6日付 聖教新聞)

御書根本の勝利道を

生命尊厳の大哲学を学び抜け!
尊極なる「心の財」を わが胸中に


 この度の記録的な豪雨で被災された茨城、栃木、宮城、また埼玉、福島など各地の皆様方に、心からお見舞い申し上げます。
 皆様のご健康と、一日も早い復興を祈ります。
 日蓮大聖人は「わざは(禍)ひも転じて幸《さいわい》となるべし」(御書1124㌻)と仰せになられました。
 甚大なる被害にご苦労は絶えないでしょうが、妙法の「変毒為薬」の功力は絶対です。どうか、断固と乗り越えてくださるよう、私も題目を送り続けてまいります。

師と法を求めて
 御書には「妙とは蘇生の義なり」(947㌻)と説かれる。
 戦後の大混乱の中で、昭和22年(1947年)の8月に仏法に巡り合った19歳の私も、初信の功徳として、この蘇生の力を深く実感した。
 当時、私は肺病ゆえ、しばらく前から、仕事を辞めて休まざるを得なかった。しかし、入信した翌9月から、地元の蒲田工業会に採用され、再び働き始めることができたのである。まだ血痰が出たが、東洋商業(現・東洋高校)の夜間部へも通い、学んだ。
 そんな折、私は、戸田先生が法華経の講義をされていることを知った。先生が戦時中、軍国主義と戦って投獄されたことを入信前に聞いて敬慕の念を強くしていた私は、もっと先生のことを知りたい、仏法を教えていただきたいと熱願した。
 先輩に相談すると、入信したばかりで、まだ正式の受講者にはなれないが、聴講はさせていただけるという。
 私は、一人決意して、西神田の学会本部に馳せ参じたのである。戸田先生の法華経講義は、第5期に入っていたようだ。
 会場の一隅で、全身を耳にして聴いた法華経講義が終わり、感動の余韻さめやらぬ時であった。
 戦前、幹部であったという夫妻が、戸田先生の前に正座したのである。居残っていた10人ほどの人は、粛然と、水を打ったように静かになった。
 夫は、戦時中の学会弾圧で投獄され、耐えきれずに退転してしまった。妻は、夫が信念に殉ずるより、ただ早く帰ってきてほしいと哀願した。
 二人は、戸田先生に、懺悔の思いを吐露するとともに、新しい決心で広宣流布のために働く覚悟を語ったのである。
 だが、戸田先生の言葉は誠に峻厳であった。
 「信仰は自由である。しかし、今後も学会には、さらに激しい弾圧の嵐がある。その時にまた、臆病に退転するようなら、学会の邪魔になる」と。
 その厳父の声は、若き私の命に突き刺さった。
 信仰とは、かくも強く深いものなのか! 
 師弟とは、かくも正しく厳しいものなのか!
 この夫妻も、師の叱咤を抱きしめ、学会と共に信心を貫いていった。
 戸田先生は、「難を乗り越える信心」を、学会永遠の魂として私たちに残してくださった。
 いかなる大難にも障魔の嵐にも揺るがぬ勇気こそ、信仰の真髄である。
 そして、そのために、先生は、〝剣豪の修行〟にも譬えられる、厳格な「行学の二道」の鍛錬を、学会精神の根幹とされたのである。

境涯を開く戦い
 その後、戸田先生の事業が窮地に陥る中、師を支え、私は必死に戦い抜いた。それは御書を心肝に染めての闘争だった。
 特に「観心本尊抄」は同志と共に取り組んだ。
 日蓮大聖人が佐渡流罪の真っ直中で、万人成仏の原理を「受持即観心」として明かし、法本尊を開顕された重書中の重書である。
 この折の日記には、「夜、『観心本尊抄』 の読み合わせ。いかに、事業難とはいえ、信心と教学だけは、忘れてはならぬ」との真情を記した。
 一日、戦い切って、深夜、体を引きずるように帰宅し、御書を開いた。声に出して拝読し、感銘した御文を日記に書き写すと、確信が湧き、一段と祈りに力がこもった。不屈の闘志があふれた。
 今でも、恩師の厳愛の声が耳朶に響いてくる。
 「疲れた時にこそ、御書を拝読していけ!
 たとえ一行でも、二行でもよい。御書を拝して、自らの境涯を、もう一歩、開くのだ」
 広布の戦いの中で御本仏の大境涯に触れれば、わが境涯も開かれる。大空のように広く、大海のように深い、師子王の心を取り出していくことができるのである。
 今月27日には「青年部教学試験1級」が、11月には「教学部任用試験」が実施される。
 受験者の方々全員が「求道即勝利たれ」「人生凱歌の博士たれ」と、私は真剣に祈っている。
 共に学び教える先輩方をはじめ、陰で支えてくださる皆様方に、心から感謝を申し上げたい。「冥の照覧」「陰徳陽報」は絶対である。

徹した人は強い
「観心本尊抄」といえば、東北は宮城の青年と学び合った思い出がある(昭和47年7月)。
 「観心」とは、結論すれば「信心」である。
 強盛な信心によって、鏡に映すように自分の生命を知り、胸中の宮殿を開くことができる。
 そして御本尊を「法華弘通のはたじるし」(御書1243㌻)として、我らは、自他共の幸福と平和を、どこまでも広げゆくのだ。これが広宣流布である。
 私は「広宣流布の総仕上げを!」と託した東北の若人たちに、「最後の総仕上げができるのは、地道に一つのことを繰り返した人です」とも訴えた。
 青年時代に、「行学」に徹した人は強い。負けない。揺るがない。
 御本尊を信受した若人は、必ず社会で地域で、朗らかに勝利の太陽を昇らせていけるのだ。

地涌の宝塔林立
 今回、教学部任用試験の教材の一つになっている「阿仏房御書」には、こう仰せである。
 「末法に入《い》って法華経を持《たも》つ男女《なんにょ》の・すがたより外《ほか》には宝塔なきなり」(御書1304㌻)
 仏界の生命は、あらゆる人に平等に具わっている。妙法を持った誰もが尊極の宝塔なのだ。
 宝塔の生命を輝かせることに、人種も、出自も、民族も、性別も、貧富も、何一つ妨げにはならない。そして一人ひとりが生命の輝きを放つことで、いわば 〝宝塔の林立〟によって、社会も、世界も、人間主義の大光で包んでいくことができるのである。
 今、SGI(創価学会インタナショナル)では、世界の各地で教学研修会が開催されている。
 ある一人のリーダーは、研修に臨んで、自らの父の体験を語った。
 ――十分な教育機会を得られず、字を書くのが苦手だった父が、教学試験を機に発心し、猛勉強を開始した。実践の教学を重ね、遂に「教授」になった。字も達筆と讃えられるまでになった。
 地位や肩書など問わず、万人に「学びの場」を開き、正義と平和の「教授」を育て上げるのが、SGIの教学運動である、と――。
 今夏も、アジア、南北アメリカなど各地で研修会が行われた。イタリア・ミラノ郊外での欧州教学研修会には、31カ国500人が勇んで参加。その6割が青年部である。
 さらに今月、世界60カ国・地域から、SGI青年研修会のために、代表の若人たちが熱き求道の魂で集ってくれた。
 今回は、世界の〝華陽姉妹〟 が、「行学の二道」に励んでつかんだ実証を語り合う体験談大会も、明るく意義深く行われた。
 私は、世界広布のバトンを託すべき、宝の青年たちにお会いし、励まさずにはいられなかった。
 本門の新時代を開き、人類の未来に「勇気」と「人材」と「団結」の光を送るのは、生命尊厳の大哲学を掲げる、若き創価の世界市民である。

行学二道を励め
 この世における「最上の富」とは何か。
 釈尊の答えは明快だ。
 「信仰が人間の最上の富である」「智慧によって生きるのが最高の生活である」と。
 内なる「最上の富」を、自他共に輝かせゆくために仏法がある。
 大聖人が教えられた通り、「蔵の財《たから》」も「身の財」も大事ではあるが、それが即、幸福を約束してくれるものではない。しかし、「心の財」――心に積んだ福徳は、何ものにも崩されない。断じて壊されない。
 生老病死の苦悩を打開する智慧も、常楽我浄の人生を開く勇気も、わが生命に具わっている。その内なる宝蔵を開け放つ修行が「行学の二道」であることを、あらためて確認しておきたい。
 「自行化他の実践」と「御書根本」――この両輪で広布と人生の勝利の正道を進むのである。
 さあ御書を繙き、世界最高峰の大思想を学び抜け! その確信と喜びを語れ! 人類が希求してやまない「平和の地球《ほぢ》」を、誇りも高く、共に創りゆこうではないか!


 師弟して
   御書のまま生き
    黄金《きん》の道


釈尊の言葉は中村元訳 『ブッダのことば』 岩波書店。
2015-09-23 : 随筆 民衆凱歌の大行進 :
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