御書とともに Ⅱ 43〜74(完)

御書とともに Ⅱ 43 名誉会長が指針を贈る   (2015・1・6付 聖教新聞)

今を、悔いなく生き切れ!


 命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也(富木入道殿御返事、955㌻)

通解 命は限りあるものである。これを惜しんではならない。ついに願うべきは仏国土である。

同志への指針
 同じ一生ならば、断じて悔いなく、価値ある幸福勝利の劇を飾りゆくことだ。
 広宣流布こそ、わが使命なり。この一点に立った人生ほど、強く尊く深いものはない。
 限りある命だからこそ、今この時を真剣勝負で生き切ることだ。目の前の一人を大切に、仏国土を目指し、声も惜しまず語ろう! ここに、永遠に崩れざる所願満足の大境涯が築かれることを忘れまい。

御書とともに Ⅱ 44 名誉会長が指針を贈る   (2015・1・16付 聖教新聞)

妙法流布の人は世界の宝

 妙法の五字を弘め給はん智者をばいかに賤《いやし》くとも上行菩薩の化身か又釈迦如来の御使かと思うべし(法華初心成仏抄、550㌻)

通解 妙法蓮華経の五字を弘められる智者に対しては、いかに賎しくても、上行菩薩の化身か、または釈迦如来の御使いかと思うべきである。

同志への指針
 どんなに財宝を贈っても、その人の宿命を転換し、永遠に幸福にすることはできない。妙法を持《たも》たせることは、その人の生命を永遠なる幸福の軌道へとリードすることだ。これほどの善はない。
 大聖人に直結し、広布に生き抜く弘教の人こそ、最も尊貴な「世界の宝」の存在だ。
 今この時に躍り出た「地涌の誇り」を胸に、大仏法を生き生きと語り、弘めゆこう!

御書とともに Ⅱ 45 名誉会長が指針を贈る   (2015・1・23付 聖教新聞)

まず強き祈りから始めよ

 祈禱に於ては顕祈顕応《けんきけんのう》・顕祈冥応《けんきみょうおう》・冥祈冥応《みょうきみょうおう》・冥祈顕応《みょうきけんのう》の祈禱有りと雖も只肝要は此の経の信心を致し給い候はば現当の所願満足有る可く候(道妙禅門御書、1242㌻)

通解 祈りとその結果には、顕祈顕応、顕祈冥応、冥祈冥応、冥祈顕応の四種があるが、ただ肝心なことは、この法華経の信心をされるならば、現在および未来の所願は満たされるであろうということである。

同志への指針
 「祈りとして叶わざるなし」の妙法である。
 信心の功徳には、はっきりと顕れる「顕益《けんやく》」と、目に見えない大利益《りやく》が生命に積まれる「冥益《みょうやく》」がある。根本の冥益は絶対であり、大事な時の顕益もまた厳然である。
 現在、そして未来の「所願満足」を確信して、まず祈りから始めよう! 祈り抜く、祈り切る──ここにこそ、常勝の方程式があるからだ。

御書とともに Ⅱ 46 名誉会長が指針を贈る   (2015・2・4付 聖教新聞)

社会で勝利の実証を

 強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾・四条金吾と鎌倉中の上下万人乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ(四条金吾殿御返事、1118㌻)

通解 強盛な大信力を出して、法華宗の四条金吾、四条金吾と、鎌倉中の上下万人をはじめとして日本国の全ての人の口に褒めたたえられていきなさい。

同志への指針
 職場や地域で信頼されてこそ、真の「信心即生活」「仏法即社会」である。信心を根本に真心と智慧を尽くし、どこまでも誠実な「人の振る舞い」に徹していくことだ。
 激動の社会、変化の時代である。だからこそ「強盛の大信力」を奮い起こし、わが使命の舞台で、断じて勝利の実証を打ち立てよう!
 「うたはれ給へ」──これが、広宣流布の希望の劇だ。

御書とともに Ⅱ 47 名誉会長が指針を贈る   (2015・2・12付 聖教新聞)

同志の絆こそ勝利の源泉

 心ざしあらん諸人は一処にあつまりて御聴聞あるべし(寺泊御書、951㌻)

通解 志のある人々は、同じ場所に集まって、この文(=本抄)を聴聞しなさい。

同志への指針

 文永8年(1271年)、大難の渦中、越後の寺泊(現・新潟県長岡市)で認《したた》められた御聖訓である。佐渡流罪から満600年後、新潟に誕生された牧口常三郎先生はこの仰せ通り、乱世に忍難弘通の座談の波を起こしていかれた。
 同志が集まって共に祈り、御書を拝して励まし合う。この会座から、我ら創価家族は尽きることのない勇気と活力を発揮して勝ち進むのだ!

御書とともに Ⅱ 48 名誉会長が指針を贈る   (2015・2・20付 聖教新聞)

一切の労苦が功徳と輝く

 功徳とは即身成仏なり又六根清浄なり、法華経の説文の如く修行するを六根清浄と得意可《こころうべ》きなり(御義口伝、762㌻)

通解 功徳とは即身成仏であり、また六根清浄である。 法華経の経文に説かれているように修行することが六根清浄であると、心得ていきなさい。

同志への指針
 仏道修行の苦労に無駄はない。全てが、わが生命を根源から清らかに輝かせる光明とのなる。どんな苦難も悠々と乗り越える力が湧いてくる。大宇宙を闊歩できるような自在の大境涯が開かれてくる。
 これが「六根清浄」の功徳であり、「人間革命」の実証である。泥沼に薫る清浄無比の蓮華の如く、我らは現実社会の只中で、幸福と勝利の大輪を咲かせ切っていくのだ。

御書とともに Ⅱ 49 名誉会長が指針を贈る   (2015・2・24付 聖教新聞)

理想の寂光土を今ここに

 法華涅槃を信ずる行者は余処《よそ》に求む可《べ》きに非《あら》ず此《こ》の経を信ずる人の所在の処は即ち浄土なり(守護国家論、72㌻)

通解 法華経・涅槃経を信じる行者は、他の所に浄土(清浄な国土)を求めるべきではない。この経を信じる人のいる所がそのまま浄土なのである。

同志への指針
 理想と幸福の寂光土はどこか遠くにあるのではない。「今ここ」に築くものである。
 環境を嘆いても変わらない。妙法を実践する人は、家庭も地域も職場も、必ず希望と幸福の方向へ輝かせていくことができる。
 我らは「立正安国」の旗高く、誓いの天地に「友情の花」「福徳の花」を爛漫と咲かせていきたい。そこに浄土があり、仏国土があるからだ。

御書とともに Ⅱ 50 名誉会長が指針を贈る   (2015・3・5付 聖教新聞)

不動の自分を築きゆけ

 法華経の行者として・かかる大難にあひ候《そうろう》は・くやしくおもひ候《そうら》はず、いかほど生《しょう》をうけ死にあひ候とも是ほどの果報の生死《しょうじ》は候はじ(四条金吾殿御返事、1116㌻)

通解 法華経の行者として、このような大難にあったことを、悔しいとは思わない。どれほど多く、この世に生を受け、死に出あったとしても、これほどの幸せな生死はないであろう。

同志への指針
 日蓮大聖人は、いかなる迫害にも「喜悦はかりなし」の大境涯であられた。
 仏法の眼《まなこ》で見れば、苦難には全部、意味がある。全てが永遠に崩れざる幸福境涯を築くための試練なのだ。
 苦しみがないから幸福なのではない。何ものにも負けない自分を毅然と築く中に、真の幸福と安穏がある。戦う心に、三世を貫く大満足の果報が約束されるのだ。

御書とともに Ⅱ 51 名誉会長が指針を贈る   (2015・3・13付 聖教新聞)

喜び勇んで前へ! 前へ!

 各各《おのおの》なにをかなげ《歎》かせ給うべき、迦葉尊者にあらずとも・まい《舞》をも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立ってをど《踊》りぬべし、上行菩薩の大地よりいで給いしには・をど《踊》りてこそい《出》で給いしか(大悪大善御書、1300㌻)

通解 あなた方は何を嘆《なげ》くことがあろうか。(必ず大善がくるとの喜びに)迦葉尊者でなくても、舞を舞うべきところである。舎利弗でなくても、立って踊るべきところである。上行菩薩が大地から現れた時には、まさに踊り出られたのである。

同志への指針
 あの「大阪の戦い」で関西の不二の同志と心に刻んだ御聖訓である。どんな大悪も大善に変えてみせると、勇気と団結の舞を舞いながら、未曽有の拡大と勝利を飾った。
 我らは広宣流布を誓願して躍り出た地涌の菩薩である。一人一人が、かけがえのない主役だ。この歓喜の躍動の生命は誰人《たれびと》にも止められない。地涌の底力を使命の大地に漲らせて、いざや前進だ!

御書とともに Ⅱ 52 名誉会長が指針を贈る   (2015・3・26付 聖教新聞)

病に負けない妙法の力

 設《たと》い業病なりとも法華経の御力《おんちから》たのもし、阿闍世王は法華経を持《たも》ちて四十年の命をのべ陳臣《ちんしん》は十五年の命をのべたり(富木尼御前御返事、975㌻)

通解 たとえ業病であっても、法華経の御力は頼もしい。阿闍世王は法華経を受持して40年も寿命を延ばし、天台大師の兄の陳臣も15年も寿命を延ばした。

同志への指針
 牧口先生が大切にし、病の友を励まされた一節である。病気は誰人《たれびと》も避けられない。しかし、「法華経の御力たのもし」である。嘆いてはならない。負けてはならない。師子吼の題目で病魔を打ち破っていくのだ。
 仏の大境涯を勝ち開くための病である。毅然と「更賜寿命」の功力を顕していくのだ。
 私も妻と、全同志の健康長寿を祈りに祈り抜いている。

御書とともに Ⅱ 53 名誉会長が指針を贈る   (2015・3・30付 聖教新聞)

創価とは勇者の集いなり

 御いのりの叶い候《そうら》はざらんは弓のつよ《強》くしてつる《弦》よはく・太刀《たち》つるぎ《剣》にて・つかう人の臆病なるやうにて候べし、あへて法華経の御とがにては候べからず(王舎城事、1138㌻)

通解 祈りが叶わないのは、弓が強いのに弦《つる》が弱く、太刀や剣《つるぎ》があっても使う人が臆病なようなものである。決して法華経の失《とが》によるものではない。

同志への指針
 勇気ある信心に勝る力はない。弓を引き絞って的を射るように、強盛に祈るのだ。宝剣を堂々と掲げて魔を断ち切り、勇敢に動くのだ。
 創価とは勇者の集いなり。わが誉れの同志が「勇気」の二字で妙法の絶対の功徳力を湧現してきたゆえに、今日の世界広布の大発展がある。
 臆さず、惑わず、祈りきり、語り抜こう! 不屈の実践に諸天の守護は厳然である。

御書とともに Ⅱ 54 名誉会長が指針を贈る   (2015・4・14付 聖教新聞)

威風堂々と正義の道を

 敢えて日蓮が私曲《しきょく》に非ず只偏《ひとえ》に大忠《だいちゅう》を懐《いだ》く故に身の為に之を申さず神の為・君の為・国の為・一切衆生の為に言上《ごんじょう》せしむる所なり(北条時宗への御状、170㌻)

通解 これは日蓮の身勝手な邪見ではない。ただひとえに大忠を懐くゆえであって、自身のために申すのではない。神のため、君のため、国のため、一切衆生のために申し上げるのである。

同志への指針
 日蓮大聖人は、ただただ、世界の平和と一切衆生の幸福を願われ、「立正安国」の大闘争を貫かれた。
 私たちの社会への貢献は、この大聖哲の御精神をそのまま受け継ぐものだ。ゆえに、仏の力が出ないわけがない。諸天が守らないわけがない。
 万人が求めてやまない、人間共和の世界を築く挑戦だ。威風も堂々と、誇り高く正義を語り抜こう!

御書とともに Ⅱ 55 名誉会長が指針を贈る   (2015・4・21付 聖教新聞)

満々たる仏の力で凱歌を

 釈迦・多宝・十方《じっぽう》の仏・来集《らいしゅう》して我が身に入《い》りかはり我を助け給へと観念せさせ給うべし(弥三郎殿御返事、1451㌻)

通解 〝釈迦仏・多宝仏・十方の仏よ、集い来《きた》って、わが身に入りかわり、我を助けたまえ〟と祈念しなさい。

同志への指針
 広宣流布の言論戦に臨む門下への御聖訓である。              
 〝わが身に、諸仏よ入り給え〟と決然たる一念で祈り切ることを教えておられる。
 広布の誓願を貫く生命にはありとあらゆる仏が入其身《にゅうごしん》する。それほど、尊貴な我らである。ゆえに、諸天善神が守りに護らないわけがない。
 大宇宙の善の働きを、全て味方にしながら、満々たる仏の力で堂々と進みゆくのだ。

御書とともに Ⅱ 56 名誉会長が指針を贈る   (2015・4・23付 聖教新聞)

強き一念で不可能を可能に

 李広将軍と申せし・つはものは虎に母を食われて虎に似たる石を射しかば其の矢羽《は》ぶくらまでせめぬ、後に石と見ては立つ事なし(四条金吾殿御返事、1186㌻)

通解 昔、中国の李広将軍という武将は、虎に母を食い殺されて、虎に似た石を射たところ、矢は羽ぶくら(矢の先と反対側についている羽根形の部分)まで石に突き刺さった。しかし、あとで、それが石と知ってからは、射ても矢は石に立つことがなかったという。

同志への指針
 強き一念の力は、岩をも貫く。人間生命の持つ底力を引き出すための妙法であり、信仰である。
 不可能を可能にするのは、「断じて成し遂げるのだ」との決定《けつじょう》した祈りである。勝利への執念である。
 断じて諦めない! 最後に必ず勝ってみせる!──この強き心が諸天善神を動かす。
 一切を味方に変える。信心こそ、壁を破る最極の力だ。

御書とともに Ⅱ 57 名誉会長が指針を贈る   (2015・4・29付 聖教新聞)

広布の信心に偉大な功力が

 曼陀羅と云うは天竺の名なり此には輪円具足とも功徳聚とも名《なづ》くるなり、此《こ》の御本尊も只信心の二字にをさまれり以信得入とは是なり(日女御前御返事、1244㌻)

通解 曼陀羅というのはインドの言葉であり、訳すと輪円具足とも功徳聚ともいうのである。この御本尊も、ただ信心の二字に納まっている。「信によってこそ入ることができる(以信得入)」とはこのことである。

同志への指針
 我らの御本尊には汲めども尽きぬ功徳が具わっている。「祈りとして叶わざるなし」の偉大な御本尊であられる。
 大事なのは、私たちの「信心」である。「智慧第一」の舎利弗も、ただ「信」によって初めて成仏の道に入ることができた。広宣流布を誓い、祈り、行動する——その自行化他の信力・行力によってこそ、無量の仏力・法力が自在に顕れ出るのである。

御書とともに Ⅱ 58 名誉会長が指針を贈る   (2015・5・12付 聖教新聞)

心一つに広布へ!

 修利槃特《すりはんどく》と申すは兄弟二人なり、一人もありしかば・すりはんどくと申すなり、各各《おのおの》三人は又かくのごとし一人も来《きた》らせ給へば三人と存じ候なり(転乗軽受法門、1000㌻)

通解 (釈尊の弟子の)修利槃特《すりはんどく》というのは、兄弟二人の名前である。(兄弟のうち)1人だけいても、『すりはんどく』と呼ばれたのである。あなた方3人(大田左衛門尉、曾谷入道、金原法橋《かなはらほっきょう》)もまた、これと同じである。1人でも来られたならば、3人(一緒に)来られたと思うのである。

同志への指針
 日蓮大聖人は、3人の門下が心一つに進む姿を、こよなく称賛された。兄弟姉妹の如く、皆で支え合い、励まし合う。これが、我ら創価家族の和楽の世界である。仲良く、どこまでも仲良く! ここに無量無辺の功徳は輝き渡る。
 広宣流布の前進は、異体を同心とする「団結」から生まれるのだ。共々に力を合わせ、新たな凱歌の歴史を綴りゆこうではないか!

御書とともに Ⅱ 59 名誉会長が指針を贈る   (2015・6・4付 聖教新聞)

友の幸福を祈り抜く

 人是を用ひず機に叶はずと云へども強いて法華経の五字の題名を聞かすべきなり、是ならでは仏になる道はなきが故なり(法華初心成仏抄、552㌻)

通解 人が用いず、機根に合わないといっても、強いて法華経の五字の題名を聞かせるべきである。これでなくては、仏になる道はないからである。

同志への指針
 ただ一筋に、友の幸福を祈り、仏法の素晴らしさを語る。「誰もが皆、仏なり」とは、我らの揺るぎなき哲学であり、信念である。一人一人の生命の可能性を信じ、開いていく、その心こそが「仏の心」なのである。
 その時は反発したとしても必ず友の仏性を薫発する「縁」となる。この最も地道で、最も忍耐強い実践の中にこそ、仏への大直道があるのだ。

御書とともに Ⅱ 60 名誉会長が指針を贈る   (2015・7・8付 聖教新聞)

人間革命のドラマを語り抜け
 法華経の即身成仏の法門は竜女を証拠とすべし、提婆品に云く「須臾の頃《あいだ》に於て便ち正覚を成ず」等云云(妙一女御返事、1261㌻)

通解 法華経の即身成仏の法門は、竜女の現証を証拠とすべきである。法華経提婆品には 「瞬間のうちに、正覚を成ずる(成仏する)」 とある。

同志への指針
 即身成仏という素晴らしい法理も、 一人の竜女の姿が証明となった。
 体験に勝る力はない。苦難に負けず、 広宣流布のため、学会活動に励んでいること自体が、偉大な勝利の体験だ。一生成仏の実像である。
 ありのまま、自信満々と、誠実に、わが人間革命の挑戦のドラマを伝える。それこそが、友の心に幸福と希望をか輝かせゆく種となるのだ。

御書とともに Ⅱ 61 名誉会長が指針を贈る   (2015・7・11付 聖教新聞)

決然と一人立て!
 日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一渧《たい》・一微塵のごとし、法華経を二人・三人・十人・百千万億人・唱え伝うるほどならば妙覚の須弥山ともなり大涅槃の大海ともなるべし(撰時抄、288㌻)

通解 日蓮が法華経を信じ始めたのは、日本国にとっては、一滴の水、一粒の塵のようなものである。やがて、二人、三人、十人、百千万億人と、人々が法華経の題目を唱え伝えていくようになると、妙覚の須弥山ともなり、大涅槃の大海ともなるに違いない。

同志への指針
 いかなる大事業も、決然と立つ一人から始まる。大海原が一滴の水から始まり、最高峰も一つ一つの微麈で構成されるように、一人から一人への対話によって人間主義の大連帯も築かれる。
 「誰か」ではない。「自分」である。地涌の若人が師子王の心で立ち上がる時、拡大の突破口は必ず開かれる。
 広宣流布の未来を、君よ、君たちよ、断じて頼む。

御書とともに Ⅱ 62 名誉会長が指針を贈る   (2015・7・30付 聖教新聞)

一遍の題目に無量の福徳が
 無一不成仏《むいちふじょうぶつ》と申して南無妙法蓮華経を只一度申せる人・一人《いちにん》として仏にならざるはなしと・と《説》かせ給いて候(南条殿御返事、1573㌻)

通解 (無量劫の間、一度もうそをつかなかった功徳で仏になった釈尊が)「一人として成仏しない者はない」といわれ、南無妙法蓮華経をただ一度でも唱える人は、一人として仏にならないものはない、と説かれているのである。

同志への指針
 一人ももれなく幸福に──ここに諸仏の願いがある。この大慈悲の結晶が題目にほかならない。一遍の題目にも無量無辺の功徳力《くどくりき》がある。題目三唱でも、心を込めて行えば、無限の力が湧く。
 広宣流布の誓願を掲げ、御本仏直伝の題目を唱える我らだ。病魔にも、不幸にも負けるわけがない。大確信の唱題行に挑み、自行化他の実践に励みゆこう!

御書とともに Ⅱ 63 名誉会長が指針を贈る   (2015・8・19付 聖教新聞)

満月が輝きわたるように
 三つのつな《綱》は今生に切れぬ五つのさわ《障》りはすで《既》にはれぬらむ、心の月くもりなく身のあか《垢》きへはてぬ、即身の仏なり・たうとし・たうとし(光日尼御返事、934㌻)

通解 三つの綱は今生《こんじょう》において切れた。五つの障《さわ》りもすでに晴れたであろう。心の仏性の月は曇りがなく、身に付いた罪障の垢は消え果てた。あなたは即身の仏である。まことに尊いことである。

同志への指針
 日蓮大聖人は、理不尽な差別や束縛に苦しむ女性たちに平等と自在の「生命尊厳」の法理を明かされた。わが子を失いながらも毅然と信心を貫く光日尼を「即身の仏なり」と最大に讃嘆なされている。
 いかに深い悲しみがあろうと、妙法とともに生き抜く女性は、満月が輝きわたるように、晴れ晴れと幸福境涯を勝ち開くことができる。これこそ平等大慧の仏法なのだ。

御書とともに Ⅱ 64 名誉会長が指針を贈る   (2015・8・27付 聖教新聞)

大歓喜の生老病死の人生を
 四面とは生老病死なり四相《しそう》を以て我等が一身の塔を荘厳するなり、我等が生老病死に南無妙法蓮華経と唱え奉るは併《しかしなが》ら四徳の香《か》を吹くなり(御義口伝、740㌻)

通解 (宝塔の)四つの面とは生老病死のことである。この四つの相をもって、我らの一身の生命の宝塔を荘厳するのである。我らが生老病死に当たって、南無妙法蓮華経と唱え奉ることは、そのまま常楽我浄の四つの徳の香りを吹き薫らせているのである。

同志への指針
 「生老病死」は誰人《たれびと》も避けられない人生の実相である。その打開のために仏法は説かれた。万人が「常楽我浄」の境涯を開きゆける道である。
 妙法と共に生きる人生に恐れるものはない。題目を唱える我らには、老いも病も死も生命の宝塔を荘厳する尊い宝となり、歓喜の劇となる。
 この人類を包む究極の希望の香風《こうふう》を、いやまして広げゆこうではないか!

御書とともに Ⅱ 65 名誉会長が指針を贈る   (2015・9・11付 聖教新聞)

尊極の生命を引き出す
 末代の凡夫出生《しゅっしょう》して法華経を信ずるは人界に仏界を具足する故なり(観心本尊抄、241㌻)

通解 末代の凡夫が人間と生まれてきて、法華経を信ずるのは、人界に、もともと仏界を具足しているからである。

同志への指針

 誰人《たれびと》も仏界を具えているからこそ、妙法を信じられる。無上の生命の輝きを求めゆく万人の奥底《おうてい》の願いに応えるのが、我らの仏法対話だ。
 ゆえに身構えたり、気負ったりする必要などない。ありのままの人間性で、相手の幸福を祈り、生命の無限の可能性を「信ずる」心を呼び覚ましていく。この語らいが、自他共の仏界を引き出す尊極な行為である。

御書とともに Ⅱ 66 名誉会長が指針を贈る   (2015・10・15付 聖教新聞)

確信の体験を語りゆけ
 法華経の行者は信心に退転無く身に詐親《さしん》無く・一切法華経に其《そ》の身を任せて金言の如く修行せば、慥《たしか》に後生《ごしょう》は申すに及ばず今生《こんじょう》も息災延命にして勝妙《しょうみょう》の大果報を得《え》・広宣流布大願をも成就す可きなり(祈禱経送状、1357㌻)

通解 法華経の行者は信心において退転なく、身において詐《いつわ》り親しむことなく、一切、法華経に身を任せて金言の通り修行するならば、確かに後生《ごしょう》はいうまでもなく、今生《こんじょう》においても息災延命ですぐれた大果報を得、広宣流布の大願をも成就することができよう。

同志への指針

 妙法は究極の正義の法則である。この大法に則って仏道修行に励むならば、絶対に勝利の果報をつかむことができる。これが御本仏の大確信であられる。
 一人の信仰体験が友の心に勇気と希望の火を灯《とも》す。そこから新たな体験が生まれ、幸と平和の花が咲き広がる。
 一人一人が幸福を勝ち取っていく希望の連鎖こそ、「慈折広宣流布」の実証なのだ。

御書とともに Ⅱ 67 名誉会長が指針を贈る   (2015・10・22付 聖教新聞)

青年の宝は「信頼」
 いかにわろくとも・わろきよし人にも又上《かみ》へも申しさせ給うべからず候、よきところ・よきところと申し給はば又かさねて給はらせ給うべし(四条金吾殿御返事、1183㌻)

通解 たとえどんなに悪い土地であっても、悪いということを、他人やまた主君に言ってはならない。良い所、良い所と言っていれば、また重ねてたまわることもあろう。

同志への指針
 青春は、思うようにいかない境遇との戦いだ。嘆かず、怯まず、その境遇を勝ち開いていく力が創価である。
 戸田先生は「青年の一番の宝は信頼である」と言われた。それには、愚痴を排し、一つ一つ約束と責任を誠実に果たすことだ。「よきところ・よきところ」と信心の眼《まなこ》で捉え、祈り切り、戦い抜くことが、必ず人間革命の光となることを忘れまい。

御書とともに Ⅱ 68 名誉会長が指針を贈る   (2015・10・29付 聖教新聞)

勇気こそ仏法の真髄
 日蓮が法華経の智解《ちげ》は天台・伝教には千万が一分《いちぶん》も及ぶ事なけれども難を忍び慈悲のすぐれたる事は・をそれをも・いだきぬべし(開目抄、202㌻)

通解 日蓮が法華経の法理を理解する智慧は天台大師や伝教大師には千万分の一にも及ばないけれども、難を耐え忍び、慈悲が優れていることについては、実に恐縮するほどである。

同志への指針
 日蓮大聖人は、幾多《いくた》の大難を乗り越えられ、末法の全民衆のために大慈悲の闘争を貫かれた。「忍難《にんなん》」と「慈悲」が、日蓮仏法の真髄である。
 私たちにとっては「勇気」が「慈悲」に通ずる。苦難を恐れず広布に邁進することも、宿命と戦う友に妙法を下種していくことも、全て「勇気」の二字から始まる。
 大聖人に直結する学会精神は勇気、そして忍耐にあり!

御書とともに Ⅱ 69 名誉会長が指針を贈る   (2015・11・6付 聖教新聞)

根本は幸福を願う真心
 過去の不軽菩薩は一切衆生に仏性あり法華経を持《たも》たば必ず成仏すべし、彼れを軽んじては仏を軽んずるになるべしとて礼拝の行をば立てさ給いしなり(松野殿御返事、1382㌻)

通解 過去の不軽菩薩は〝一切衆生に仏性がある。法華経を持《たも》ったならば、必ず成仏する。その一切衆生を軽蔑することは、仏を軽んずることになる〟といって、一切衆生に向かって礼拝の行を立てたのである。

同志への指針
 不軽菩薩は〝いかなる衆生にも仏性がある〟と信じて、出会う人を礼拝し続けた。
 この無上の菩薩行を現代に展開しているのが、私たちの対話だ。究極の人間尊敬の実践である。万人の幸福を願い、一人一人の仏の生命を呼び覚ましていくのだ。
 ゆえに、不軽の如く、勇敢であれ! 聡明であれ! 不屈であれ!

御書とともに Ⅱ 70 名誉会長が指針を贈る   (2015・11・12付 聖教新聞)

庶民に尽くすリーダーたれ
 孔子は九思一言《きゅうしいちげん》・周公旦《しゅうこうたん》は浴《ゆあみ》する時は三度《みたび》にぎり食する時はかせ給う、古《いにしえ》の賢人なり今の人のかがみなり(四条金吾御書、1175㌻)

通解 孔子は九つの思いを重ねた上で一言をいだした。周公旦は客人が来れば沐浴して髪を洗っている時でも三度、水を絞り落とした。また食事中でも三度、吐いて食事を中断した(客人を待たせなかった)。それが古の賢人であり、今の人の鑑である。

同志への指針

 リーダーは、礼儀正しく、思慮深く、どこまでも温かくあれ! 御書には、最高の人間学が示されている。
 この世で最も尊く、偉いのは誰か。それは、民衆の幸福のために尽くす人である。創価の友である。
 ゆえに、一人一人を最大に敬い、讃え、大切にしながら、現実社会に最極の賢人のスクラムを広げていくのだ。

御書とともに Ⅱ 71 名誉会長が指針を贈る   (2015・12・11付 聖教新聞)

学会を守る功徳は無量

 釈迦仏は・我を無量の珍宝を以て億劫の間・供養せんよりは・末代の法華経の行者を一日なりとも供養せん功徳は百千万億倍・過ぐべしとこそ説かせ給いて候(南条殿御返事、1578㌻)

通解 釈尊は「私を、無量の珍宝をもって、億劫という果てしなく長い間、供養するよりも、末法の法華経の行者を、たとえ一日でも供養する功徳のほうが、百千万億倍も勝れている」と説いておられる。

同志への指針
 妙法は、あらゆる仏を仏たらしめる根源の法である。妙法を悪世末法に弘める「法華経の行者」ほど崇高な存在はない。創価学会は「法華経の行者」が結集《けつじゅう》した仏勅の教団である。ゆえに、学会を守り、学会のために行動しゆく功徳は、無量無辺である。
 全世界の尊きわが同志に、汲めども尽きぬ福徳あれ! 所願満足の人生であれ! と、私は真剣に祈り抜いている。

御書とともに Ⅱ 72 名誉会長が指針を贈る
   (2015・12・17付 聖教新聞)

常に励ましあって前へ
 常にかた《語》りあわ《合》せて出離生死《しゅつりしょうじ》して同心に霊山浄土にてうな《頷》づきかたり給へ(華果成就御書、900㌻)

通解 常に語り合って生死の苦しみを離れ、同心に霊山浄土においてうなずき合って語らいなさい。

同志への指針

 我らは、三世永遠の使命の絆で結ばれた同志である。
 学会は、御聖訓通りの麗しい和楽の世界だ。皆が支え合い、希望と幸福を築く。創価家族は「常に」語り合い、励まし合っていくのだ。
 共に祈り、学び、行動していく中で、団結は一層深まっていく。苦楽を分かち合い、広宣流布に挑む連帯こそ、生死の苦悩を乗り越え、勝ち越えゆく原動力なのだ。

御書とともに Ⅱ 73 名誉会長が指針を贈る   (2015・12・23付 聖教新聞)

「自分」が立ち上がれ
 日蓮をば日本国の上一人より下万民に至るまで一人もなくあや《失》またんと・せしかども・今までかう《斯》て候事は一人なれども心のつよき故なるべしと・おぼすべし(乙御前御消息、1220㌻)

通解 日蓮のことを、日本国の上一人より下万民に至るまで、一人ももれなく亡き者にしようとしたが、今までこうして無事に生きてこられたことは、日蓮は一人であっても法華経を信じる心が強いから、諸天が守護されたと思いなさい。

同志への指針

 いずこの地、いつの時代にも、大聖人直結の「一人」が立ち上がれば、必ず妙法は広まる。世界192カ国・地域への慈折広宣流布も、師弟を根本にした一人立つ勇者たちの不屈の大闘争で築かれた。
 「誰か」ではない。「自分」である。「いつか」ではない。「今」である。
 「強き心」「燃え上がる信心」で、わが地域の広布新時代を大きく勝ち開こう!

御書とともに Ⅱ 74 名誉会長が指針を贈る   (2015・12・28付 聖教新聞)

「冥の照覧」は厳然
 人の身には同生同名と申す二《ふたり》のつかひを天《てん》生《うま》る時よりつけさせ給いて影の身に・したがふがごとく須臾《しゅゆ》も・はなれず(同生同名御書、1115㌻)

通解 人の身には同生同名《どうしょうどうみょう》という二人の使いを天はその人が生まれた時からつけられており、この二人の使いは影が身に従うように、寸時も離れない。

同志への指針
 大聖人がおられる佐渡まで夫(四条金吾)を送り出した日眼女《にちげんにょ》への御賞讃である。
 婦人部の皆様をはじめ全同志の奮闘ありて、この一年、世界広宣流布は大いなる躍進を遂げた。人知れず重ねる尊き友の労苦を、諸天も大喝采しているに違いない。
 「冥の照覧」は絶対である。学会活動に無駄はない。必ずや福徳と薫り、感謝と讃嘆の声に包まれるのだ。
2015-12-29 : 御書とともに :
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