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池田SGI会長指導選集 「幸福と平和を創る智慧」 第2部 第7章 7-1〜7-8

池田SGI会長指導選集 「幸福と平和を創る智慧」

第2部 人間革命の実践

第7章 人間革命とは何か

この章を読むに当たって

 それは、うららかな春の日のことです。
 会館の庭園を散策していた池田SGI会長は、足元にひっそりと咲いていた小さな花に目を留《と》め、傍らにいた友に、こう語りました。
 「きれいだね。本当にきれいだ。健気《けなげ》に咲いている。力強く咲いている。庶民の強さ、美しさだ。この花は、桜になりたいとか、梅が羨ましいとか、そんなつまらないことは考えていない。自分は自分らしく、自分自身の花を精一杯に咲かせていく。それが、一番美しく、一番強い。
 自分らしく生きよ。自分自身に生きよ。これが人間革命の真髄であると、戸田先生は教えられた。自分自身に生きるとは、常に明日を目指して成長していくこと。昨日とはこれだけ違うという自分をつくっていくことだ。そして、『誇りを持てる人生』を生きること。私には戸田先生の弟子であるという最高の誇りがある。だから、何も恐れない。
 自分自身に生きる人は、他者を尊重していくことができる。そこに、幸福と平和の人間革命の花園が広がっていく」
 「人間革命」――この端的な表現の中に、池田SGI会長の思想と哲学が凝縮されているといえます。
 第2部「人間革命の実践」の冒頭に当たるこの章では、人間革命とは何かをさまざまに示した内容を紹介します。そして、次章からは、人間革命の人生を生きるための具体的な指針等を収録します。

 7-1 小説「人間革命」「新・人間革命」の主題

 小説『新・人間革命』の執筆一周年に当たり、小説を貫くテーマについて語っています。

【池田SGI会長の指針】
◎長野県総会でのスピーチから
          (1994年8月6日、長野)

 きょう8月6日は、広島の「原爆の日」である。昨年(1993年)のこの日、私は、ここ長野研修道場で、小説『新・人間革命』の執筆を開始した。
 「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」――これが、この小説の主題である。
 これは、仏法の「一念三千」の法理を、現代的に表現したものであるともいえる。
 わが一念の変革が、五陰世間の五陰を変え、衆生世間の衆生を、ひいては国土世間の国土をも変革していくのである。
 つまり、一念の変革が、まず、わが生命を変えていく。健康で、力強く、無限の知恵を発揮していく。
 その、変革された生命は、周囲の人々をも幸福の方向へと導いていく。さらには、社会、自然をも変えていく。豊かで平和な楽土へと転換していくのである。
 これが「一念三千」の法理である。仏法の究極の大哲学である。(「一念三千」については第1部第2章を参照)

 7-2 人間革命とは仏の境涯を確立すること

 ここでは、人間革命の目的や、その具体的な実践が示されています。

【池田SGI会長の指針】
◎小説『新・人間革命』第14巻「智勇」から
         (2005年10月刊)

 仏法は、人間の内面を変えることによって、世界を変えていくという哲理である。日蓮大聖人は、こう述べられている。
 「衆生の心けがるれば土《ど》もけがれ心清ければ土も清しとて浄土と云ひ穢土と云うも土に二つの隔《へだて》なし」(御書384㌻)
 土とは、自身が住む社会・自然環境である。それが清らかか、汚《けが》れるかの根本原因は人間の心が清浄か、汚《けが》れているかによるのであり、環境そのものには、もともと「浄土」や「穢土」などという隔てはないとの仰せである。つまり、社会変革の要諦は、人間自身の一念の革命にあるとの御指南といってよい。
 仏法は説く。
 ――自身の内なる、貪《とん》(むさぼり)、瞋《じん》(いかり)、痴《ち》(おろか)の三毒という煩悩が、人間の不幸の根本原因である。そして、それを打ち破る、大宇宙の根源の力であり、尊極無上の生命が「仏」なのである。仏法は、その「仏」の生命を、万人が具えていると教えている。
 「仏」の生命とは、要約していえば、最高の慈悲、最高の智慧の働きであり、いっさいの生命活動の源泉である。この「仏」の生命の湧現こそ、苦悩や欲望などに支配、翻弄されている自身を乗り越え、本来の自己を確立する原動力となるのである。
 わが胸中の「仏」を湧現して、「仏の境涯」を確立することが、一生成仏、すなわち絶対的幸福境涯への道であり、「人間革命」の究極の目的なのである。
 では、いかなる方法によって、それが可能となるのか。
 日蓮大聖人は、末法の一切衆生のために、大宇宙の根源の法たる「仏」の大生命を、御本尊として御図顕になられた。この御本尊を信受し、一切衆生の救済を、わが使命として生き抜ぬくなかにこそ、自身の「仏」の生命を開く唯一の道があるのだ――。

 7-3 「人間革命」は21世紀のキーワード

 高校生からの質問に対して、人間革命とは何かを、わかりやすく答えています。

【池田SGI会長の指針】
◎『青春対話』から
                    (1999年3月刊)

 「人間革命」といっても、特別なことではない。たとえば、少年が、まったく勉強しないで遊んでばかりいたのに、「よし、勉強しよう」「将来のために努力しよう」と決意し、取り組んだ時、その少年の人間革命です。
 お母さんが、今の一家の幸せだけにとらわれて、これでよし、と思っていたのが、「このまま一生涯、幸せが続くかどうかわからない。もっと壊れない幸福を求めよう」と、信仰をもって一家を支えていくようになるのも、お母さんの人間革命です。
 お父さんが、自分だけ、家族だけ、友人だけという世界から、もう一歩脱却して、病《や》める人、苦しむ人に慈愛の手を差し伸べ、どのように幸福の人間道を歩ませてあげられるか、という運動をするようになるのも、お父さんの人間革命です。
 つまり、平凡から大きく目を開き、より高い、より深い、より広いものへ努力し、献身していく行動を人間革命というのです。
 初めは、どうしようもないように見えた人が、信仰によって、大きく変わってこそ、多くの人に希望を与えることもできるのです。
 また、苦しくて苦しくてならない時こそ、行き詰まった時こそ、大きく人間革命できるチャンスなのです。
 すぐに、くじけるのならば、くじけるたびに、また決意すればいい。「今度こそは」「今度こそは」と、もがきながら前進する人が、必ず人間革命できるのです。
 もう一つの次元から言うと、人間の世界は、個性・癖・宿命・血縁等、いろいろなことが複雑にからみあっている。それらで、がんじがらめになって、なかなか抜け出せない。目先の小さな悩みにとらわれ、日々をあくせくしているうちに、人生は、あっという間に終わってしまう。
 六道輪廻で生涯を終わるのが、ふつうなのです。
 しかし、それを突き破って菩薩界・仏界に達する行動、つまり、慈悲の行動と振る舞いをしていこうというのが、行動革命であり、人間革命です。
 これが一家、一国、世界へと広がった時、偉大なる平和ヘの無血革命となる。
 革命にも、いろいろある。政治革命、経済革命、産業革命、科学革命、芸術の革命、流通や通信の革命、その他、さまざまです。それらはそれらなりに、意義があり、必要な場合もある。しかし、何を変えても、一切を動かしている「人間」そのものが無慈悲で、利己主義のままでは、世の中がよくなるわけがない。だから人間革命というのは、いちばん根本の革命であり、人類にとって、いちばん必要な革命なのです。
 これからの世界のいちばんの焦点です。人生観・社会観・平和観等々、すべて新しい善の方向にもっていける精神そのものが人間革命なのです。「人間革命」は、21世紀のキーワードであると私は信じている。
 「革命」は英語で「レボリューション」。「ひっくり返す」という意味です。急激な変化を意味している。
 人間が少しずつ、年とともに成長するのは自然の流れです。それを一歩、越えて、急速に善の方向に変わっていくのが「人間革命」です。どんどん、よくなる。また一生涯、永遠に、成長していける。「ここまで」という行き詰まりがない。そのためのエンジンとなり、原動力となるのが信仰です。
 道徳の本なら何千年も昔から無数にある。自己啓発の本などもあるが、言葉だけで人間革命でき、宿命を変えられるならば、苦労はない。
 創価学会は抽象論ではなく、一貫して現実の人間革命を追求している。心を変革し、最高善の方向へもっていく。生きていく。行動していく。
 その人間革命は、根本的には、仏の生命と一体のなかで、できる。仏と境智冥合することによって、「自分を変える」力が、自分の中からわいてくるのです。
 人間だけが「向上しよう」「成長しよう」と思うことができる。ただ流されて生きているだけではなく、もう一歩深い、人間としての方向転換をしようと思うことができる。
 いわゆる「偉くなる」というのは、社会の機構上の話です。人間革命するとは、もっと深い、自分の内面のことです。永遠性のものです。社会的な偉さよりも、はるかに偉いことなのです。
 人間は人間です。人間以上のものになれるわけではない。だから「人間として」の自分を変えていくことが、いちばん大事なのです。名声で自分を飾り、地位で自分を飾り、学歴で飾り、知識で飾り、お金で飾っても、本体の自分自身が貧しければ、貧しく、空虚な人生です。
 すべてをはぎ取った、いわば「裸一貫」の自分自身がどうなのか。生命それ自体を変えていくのが人間革命です。釈尊も王子であったが、一切を捨てて、裸一貫の自分になって修行した。人間革命です。日蓮大聖人も、その当時、社会的には最低の存在とされた「施陀羅が子」(御書891㌻)であると堂々と宣言されている。
 20世紀は2回も世界大戦を起こしてしまった。何億という人たちが地獄の苦しみを味わった。その原因は何なのか――それを考えた結論が、「人間自身が慈悲の存在に変わらなければいけない」ということなのです。
 今、ふたたび国家主義、権力主義が強まっていると多くの人が警告している。半世紀前の大悲劇を皆が忘れかけている。だから平和を叫びきっている創価学会が大事なのです。
 私が入信したのも、戸田先生が戦争中、2年間も牢に入り、軍国主義と戦いぬいた。「それなら、この人は信じられる」と思ったからです。仏法の内容なんか、わからなかった。戸田先生という「人間」を信じたのです。そして戸田先生との「師弟不二の道」そが、私の「人間革命の道」だったのです。

 7-4 人間革命の証とは

 1974年4月2日、戸田城聖第2代会長の17回忌法要が、アメリカの地で厳粛に営まれました。小説『新・人間革命』では、戸田会長の生命論に触れながら、山本伸一が、法要に参加したアメリカの友に、人間革命の意義や、その具体的な指標について、わかりやすく語りかける場面が描かれています。

【池田SGI会長の指針】
◎小説『新・人間革命』第19巻「陽光」から
         (2008年11月刊)

 戸田城聖の大きな偉業の一つは、難解な仏法の法理を、わかりやすく現代的に解釈し、展開したことにある。
 イギリスの哲学者ホワイトヘッドは、こう訴えている。
 「宗教の諸原理は永遠的なものではあろうが、これらの原理の表わし方は絶えず発展しなければならない」(『科学と近代世界 ホワイトヘッド著作集』6 上田泰治・村上至孝訳、松籟社)
 たとえば戸田は、あの獄中にあって、「仏」とは「生命」であると悟達し、やがて仏法を生命論として展開していつた。これによって、仏法は現代を照らす、生きた人間哲学としてよみがえったのだ。
 また彼は、信仰の目的である「仏の境涯」に至ることを、「人間革命」と表現した。
 この「人間革命」という、新しい概念を導入したことによって、仏教界で死後の世界の問題であるかのように言われてきた「成仏」が、今世の人間完成の目標として明確化され、深化されたのである。
 私たちが信心に励む目的は、この人間革命にこそあるのだ。
 伸一は、青年たちに、日蓮仏法は人間革命の宗教であることを知ってほしかった。
 そして、その人間革命のための指標を、具体的に示しておこうと思っていたのだ。
 彼は、参加者に視線を注ぎながら話を続けた。
 「われわれの生命、肉体は即、南無妙法蓮華経の当体であります。この南無妙法蓮華経の生命を顕していくことが人間革命なのであります。
 では、人間革命とは、どのような姿、在り方となるのか。本日は、その指標を明らかにしておきたいと思います。
 その第1は『健康』ということです。私たちは『健康即信心』をめざして、確たる信心の証拠を示していきたい。
 宿命等の問題もありますが、健康を損ねてしまっては、思う存分動くことができなくなる。もちろん、生身《なまみ》の体である以上、体をこわすこともあるでしょう。しかし“常に健康であろう”という強盛が祈りをもって、わが生命を大宇宙の本源のリズムに深く合致させていくことです。
 この祈りと、規則正しい生活なくしては、真の信仰とはいえません」
 皆、食い入るような視線を伸一に向けていた。
 彼が第2に示した指標は、「青春」であった。
 生涯、青春の気概をもち続けているかどうかが人間革命の証明である。生き生きと信心に励み、わが生命を磨き抜いていくならば、“精神の若々しさ〟が失われることはない。
 彼は、第3に「福運」をあげた。唱題に励み、広宣流布に尽くし、仏法者として日々の生活に勝利してきた帰結は、福運となってわが身を、一家を、荘厳する。荒れ狂う怒濤のごとき社会にあって、福運こそが自身を守り、旭日の隆盛をもたらす力となるのである。
 第4には「知性」を強調した。
 人間完成をめざし、社会の常識あるリーダーに育っていくならば、知性の輝きも増していかなくてはならない。知性を磨くことを忘れれば、社会の敗北者となってしまう。
 第5に伸一が掲げたのは「情熱」であった。
 広宣流布への大情熱に燃え、生命が躍動していてこそ、真実の仏法者である。いかなる知性をもっていようが、情熱を失ってしまえば“生ける屍”といっても過言ではない。また、情熱は幸福の要件である。人生の大部分の幸・不幸というものは、物事に対する情熱をもっているか否かによって、決まるからだ。
 第6に、彼は「信念」をあげた。
 人間革命とは、確たる信念の輝きといえる。生き方の哲学をもたず、信念なき人生は、羅針盤なき船に等しい。進むベき方向を見失い、ひとたび嵐が吹ふき荒れると、難破船のような運命をたどってしまう。
 そして、最後に、第7として「勝利」をあげたのである。
 仏法は勝負である。常に勝利を打ち立てていくなかにこそ、人間革命がある。勝利の人生こそが人間革命の人生なのだ。人生も、広宣流布も、すべて戦いである。勝ってこそ、正義も、真実も実証されるのだ。
 伸一は、この「健康」「青春」「福運」「知性」「情熱」「信念」「勝利」の7項目を人間革命の指標として示したあと、さらに、これらを包括し、仏法者の規範として確立されなければならないものこそ、「慈悲」であると訴えた。
 伸一は、慈悲について戸田城聖の指導を通して論じ、「私たち凡夫の場合は、勇気をもって行動することが慈悲に変わるのである」と力説。そして、慈悲と勇気の実践である広宣流布に生き抜くことの大切さ、尊さを訴えたのである。
 「人間革命といっても、一言すれば、地涌の菩薩の使命を自覚することが肝要であり、喜び勇んで広宣流布に生きる姿こそが人間革命であります。
 たとえ、名誉や財産があろうとなかろうと、真実の法をもって、人のため、社会のために尽くす人こそ、真実の“尊貴の人”であり、その人の生命は菩薩であります。
 最も苦しんでいる人に救済の手を差し伸べ、蘇生させてきた団体が創価学会です。また、そのために命をなげうってきたのが、三代の会長なのであります」

 7-5 信心の真の功徳は人間革命に

 ここでは、創価学会の信仰にこそ人間革命の前進があり、人間革命こそが信心の真の功徳であることが示されています。

【池田SGI会長の指針】
◎小説『新・人間革命』第19巻「虹の舞」から 
       (2008年11月刊)

 創価学会は、民衆の心に「利他」という生き方の柱を打ち立ててきた。
 メンバーの多くは、病苦や経済苦、家庭不和など、苦悩の解決を願って信心を始めた。いわば、自らの救済を求めての入会といえる。
 しかし、御書に「琳もいたし人をも教化候へ」(1361㌻)と仰せのように、日蓮仏法は「自分も信心に励み、人にも仏法を教えよ」と説く。つまり、人びとの幸福を願い、広宣流布に生きてこそ、わが幸福が築かれるというのである。
 そこには、「自行」と「化他」の融合がある。自分自身の煩悩が、広宣流布という最極の菩薩行を推進する活力源となるのだ。
 そして、その「利他」の実践によって、「利己」に凝り固まり、汲々としていた、小さな生命の殻が破られ、自らの境涯が大きく開かれていくのである。まさに、この一念こそ、「境涯革命」「人間革命」を成し遂げる、生命の回転軸なのである。
 友の幸せを祈り、懸命に弘教に走る同志の胸中には、歓喜が込み上げ、勇気がうねり、希望が広がっている。病苦や経済苦などの、さまざまな悩みを抱えながらも、あたかも波乗りを楽しむかのように、悠々と乗り越えていくことができる。
 信心の本当の大功徳とは、この「境涯革命」「人間革命」である。自分の境涯が変わるから、依正不二の原理で、環境も変化し、 一切の問題が解決できるのである。

7-6 人間革命とは現実変革への限りなき挑戦

 ここでは、仏法の「諸法実相」の法理に基づき、正報である人間自身の変革は、依報である環境や社会の変革をもたらすことを語っています。さらに、人間革命の実践を通して、人々を慈愛で包み、世界の平和を実現しようという使命に生きる人の心には、豊かな歓喜が広がっていくと教えています。

【池田SGI会長の指針】
◎『法華経の智慧』から
              (第1巻、1996年3月刊)

 私は「戸田先生の弟子」です。そこに私の根本の誇りがある。
 戸田先生は、獄中で法華経を身読された。「法華経が分かった」と主張するだけの宗教者なら、他にもいたでしょう。教祖にまでなった者もいた。
 しかし戸田先生は違っていた。あなたは仏様か、と新聞記者たちから聞かれて、「立派な凡夫だよ」と語っておられた。挫折と蘇生のドラマを演ずる民衆群を抱きかかえながら、嵐のまっただなかに厳然と立っておられた。
 人間革命――先生の人生そのものです。
 人間革命――先生はこの一言に、宗教がおちいりやすい独善の罠を打ちくだいて、仏法の最高の智慧と、人間の最高の生き方と、社会の最善の道とを、見事に合致させたのです。
 人間革命は即、社会革命・環境革命になる。
 「諸法実相抄」で大聖人は、妙楽の『法華文句記』の「依報正報・常に妙経を宣《の》ぶ」(御書1358㌻)との釈をあげられています。依報(環境世界)も、正報(主体となる生命)も、常に妙法蓮華経を顕している、と。
 天台も言っている。“国土にも十如是がある”と。
 依報も正報も、別々のものではない。不二です。ここから、人間の変革が国土・社会の変革に通じるという原理が生まれる。
 諸法実相という仏眼《ぶつげん》から見れば、森羅万象は一つの生命体です。正報だけの幸福はありえない。依報だけの平和もありえない。自分だけの幸福もなければ、他人だけの不幸もない。人を幸福にした分、自分も幸福になるし、だれか一人でも不幸な人がいるかぎり、自分の幸福も完全ではない。こう見るのが諸法実相でありゆえに、「現実変革への限りなき挑戦」が、諸法実相の心なのです。
 大聖人は、「立正安国論」を著されたご心境を「但偏《ひとえ》に国の為法の為人の為にして身の為に之を申さず」(御書35㌻)と述べられています。どんな大難の嵐も、この民衆救済への炎を消せなかった。
 このご精神を受け継いで、「立正安国」の旗を高く高く掲げ、牧口先生は獄中に殉教なされた。戸田先生は、敗戦の荒野に一人立たれた。
 「法華の心は煩悩即菩提生死即涅槃なり」(御書773㌻)、
 「一念三千は抜苦与楽なり」(同㌻)
 民衆を苦悩から救うために仏法はある。創価学会はある。人類を幸福にするために創価学会は戦う。それ以外に存在意義はありません。
 その学会とともに進む人生は、どれほど偉大か。どれほど尊いか。
 諸法実相の眼《まなこ》で見れば、「いま」「ここ」が、本有《ほんぬ》の舞台です。本舞台なのです。「此《ここ》を去って彼《かしこ》に行くには非ざるなり」(御書781㌻)です。
 「宿命」とも思えるような困難な舞台も、すべて、本来の自己の「使命」を果たしていくべき、またとなき場所なのです。
 その意味で、どんな宿命をも、輝かしい使命へと転換するのが、諸法実相の智慧を知った人の人生です。
 そう確信すれば希望がわく。出会う人々、出合う経験のすべてが、かけがえのない「宝」となる。
 タゴールは謳った。
 「この世は味わい深く、大地の塵《ちり》までが美しい」(『タゴール著作集 第2巻 詩集Ⅱ』所収「恢復期」森本達雄訳〈第三文明社〉)と。
 彼は子を思う母の心を、こうつづっています。
 「坊や、おまえに きれいな色のおもちゃをもってくるとき、母さんにはわかります――どうして雲や水に あんなに美しい色彩《いろ》の戯れがあるのかが、どうして花々が 色とりどりに染められているのかが。坊や、おまえに きれいな色のおもちゃをあげるとき。
 おまえを踊らせようと 歌うとき、母さんには ほんとうにわかります――どうして木の葉のなかに 音楽があるのかが、どうして浪《なみ》たちが 耳を澄ませて聴いている大地の心臓《むね》に さまざまな声の合唱を送るのかが。おまえを踊らせようと 歌うとき」(『タゴール著作集 第1巻 詩集I』所収「ギタンジャリ」森本達雄訳〈第三文明社〉)
 子を慈しむ母の心には、色鮮やかな世界が輝いている。生き生きとした生命の音律が響いている。愛は、生命の個別性を超えて、「不二」という生命の実相へと心を開くからです。
 ならば全人類を慈愛でつつみゆかんとする私どもの人生には、どんなにすばらしい生命の光彩《こうさい》が、音楽が、満ちあふれていくことか。
 「諸法実相」と確信すれば、今いるこの場所が「常寂光土」です。
 「生きてること自体が、絶対に楽しい」
 戸田先生が言われた、この大歓喜の世界を、現実の大地に創り拡げていく。その晴れやかな「挑戦の人生」を、法華経は教えているのです。

7-7 生命の変革は人間の中で、苦難の中で


 SGI会長が友情を結んだ、ロシアの“児童芸術の母”ナターリア・サーツ女史(国立モスクワ児童音楽劇場総裁)は、若き日、独裁権力によって投獄されるなか、同じように冤罪で囚われた女性たちを励ましながら、牢獄を“学校”“劇場”へと変えていきました。ここでは、その生き方を通して、日々、自らの人間革命の劇をつづる意義を語っています。そして、仏法を持《たも》ち、難を乗り越える中でこそ、真の人間革命が成し遂げられることを示しています。

【池田SGI会長の指針】
◎本部幹部会・第2東京総会でのスピーチから
    (1996年12月16日、東京)

 「心」を変えれば、「環境」も変わる。仏法でも「依正不二」「一念三千」と説く。
 周りを見渡せば、獄中にも多彩な人材が集まっていた。いつまでも嘆いていてもしかたがない。サーツ女史は思った。
 “それぞれの持ち味を生かして、学びあう機会をつくろう。学校をつくろう”
 “あの人は化学の講義ができるだろう。あの人には医学の講義をしてもらおう”
 女史自身は、見事な歌声を披露した。あるときは、よく響く澄んだ声で、プーシキンの詩を朗読した。皆、感動した。勇気がわいてきた。
 暗く閉ざされた牢獄。だからこそ、静かに勉強できる学校となった。芸術を存分に味わう劇場ともなった。心一つで何でも変えられる。
 “さあ、今いるこの場所で、楽しく有意義な一日一日を送ろう”と。
 本当に賢明な人は、どんな状況でも価値を創造する。
 いわんや仏法ではで「心は工《たくみ》なる画師《えし》の如し」と説く。「心」は名画家のごとく、 一切を自在に描き出していく。したがって、人生そのものが、「心」の描く「名画」である。創り上げる芸術である。
 サーツ女史は、皆と決めていた。「人間は一人きりで悲しんではいけない」と。
 一人では悲しみがよけいに深まる。救いがなくなる。
 “人《ひと》の間《あいだ》”と書いて、人間と読む。人間と人間の切磋琢磨のなかでこそ、「人間」ができていく。「自分」が豊かになっていく。
 時には、組織がわずらわしく、「一人きり」になりたいと思う場合もあるかもしれない。しかし実際に一人きりになり、退転してしまえば、どれほど寂しいか。どれほど、わびしいか。同志とともに、喜怒哀楽を繰り返しながら、にぎやかな“人間の世界”で生きぬいてこそ、成長できるのである。
 このように、サーツ女史は優れた哲学者であり、人間主義者であった。
 人間主義とは、何も高尚な理論である必要はない。どこまでも人間を信ずること、人間と人間を結ぼうとすること。ここに人間主義がある。つまり「友情」をつくっていくことである。
 友情は強い。学会も、根底は友情である。同志愛である。異体同心の信心の団結である。それがあって、組織の機構がある。それを反対にしてはいけない。
 組織は、友情を、同志愛を、そして信心を深めるための手段である。それをあべこべにしたらたいへんである。組織を目的にした場合には、権威主義の組織悪になってしまう。
 ともあれ、友情を地域に社会に広げゆく学会活動は、毎日毎日、「人生の宝」を積んでいるのである。
 私どもは信仰者である。「あの人はすばらしい!」「ああいう人間に、なりたいな!」――人々から、そう思われる人生を生きていただきたい。人生の「人間革命の劇」を自分らしく、つくっていただきたい。
“自分が変わる”ことである。
 日々、自分らしく、自分の人間革命の劇をつづっていくのが最高の人生である。その成長の姿それ自体が、偉大な折伏なのである。
 ここで御書を拝したい。これまで繰り返し拝してきた「開目抄」の一節である。
 「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然《じねん》に仏界にいたるべし、天の加なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕《ちょうせき》教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつた《拙》なき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」(234㌻)
 ――われ、ならびにわが弟子は、諸難があろうとも、疑う心がなければ、必ず自然に仏界にいたるのである。諸天の加護がないからといって、(法華経の大利益《だいりやく》を)疑ってはならない。現世が安穏でないことを嘆いてはならない。わが弟子に朝夕、このことを教えてきたけれども、(大難が起こってみると)疑いを起こして、皆、信心を捨ててしまったのであろう。愚かな者の常として、約束した事を、(まさに、その約束を守るべき)本当のときには忘れるのである――
 「自然《じねん》に仏界にいたる」――この一生を戦い通せば、必ず、仏になると仰せである。だからこそ、どんなにつらいことがあっても、「一生成仏」をとげなさい、と。
 「一生はゆめ《夢》の上・明日《あす》をご《期》せず」(御書1163㌻)である。 
 一生は夢のようなものである。明日《あす》さえ、どうなるかわからない。自分でどうすることもできない。そのなかで、永遠に自由自在に生きぬける自分をつくるのが「一生成仏」である。そのための信心である。そういう境涯を、つくれるかどうかが「今世の勝負」である。
 生命の境涯を変える――これは、科学でも経済でも政治の次元でも、どうしようもない。仏法しかない。その仏法に、私どもは今世でめぐりあったのである。
 「法華経の大利益を疑ってはならない」――長い日で見れば「大利益」は必ずある。一時は悪く見えても、絶対に「変毒為薬(毒を変じて薬となす)」できる。
 「現世が安穏でないと嘆いてはならない」――安穏であれば、生命は鍛えられない。食べたいときに食べ、寝たいときに寝ていれば堕落しかない。
 難と戦ってこそ、生命の金剛の大境涯はできる。ゆえに大聖人は「難来《きた》るを以て安楽と意《こころ》得可《うべ》きなり」(御書750㌻)と仰せである。
 仏道修行に苦労は多いけれども、安穏なだけの人生では、とうてい得られない「人間革命」という大歓喜がある。だから大聖人は「まことのときにこそ、信心の約束を忘れてはなりませんよ」と、厳しく仰せになっているのである。

7-8 人間革命とは変革と向上への歩み


 SGI会長とローマクラブの創立者ペッチェイ博士との対談において、大きなテーマとなったのが人間革命です。そのなかでSGI会長が語った、人間革命の重要な観点を紹介します。

【池田SGI会長の指針】
◎『二十一世紀への警鐘』から 
              (1984年10月刊)

 「人間革命」ということを創価学会の立場で初めて言ったのは、戸田城聖第2代会長です。戸田会長は第2次世界大戦中に日蓮大聖人の仏法の実践を貫いたために、軍国主義的権力によって獄中生活を送りましたが、この獄中で一つの体験を得て、生涯を日蓮大聖人の仏法を弘めることにかけようと決意したのです。この自身の変革を戸田前会長は「人間革命」と名づけました。
 これに関して、戦後、戸田会長が説明したことは、A ・デュマの『モンテ・クリスト伯』を例に挙げ、これも一つの人間革命ではあるが、それは純粋な青年から復讐心に燃えた男への人間革命であった。自分の経験したものは、仏法を弘めることによってあらゆる人々を幸福へと導こうという心に燃えた男への人間革命であるということでした。そこには、ただ自分のために生きるという生き方から、一つの信念のために生きるという生き方への転換があります。私たちの場合、その信念とは、日蓮大聖人の仏法を弘めていくということが根本なのですが、それはあくまで人々の幸せのために自らを捧げるということと結びついています。
 また、仏法は、自分の利己的な欲望や本能的な衝動に支配されない主体性の確立、それを根幹としてのあらゆる他者との協調・調和、さらにはすべてを慈愛し、その幸福を実現していくべきことを教えています。この仏法の教える人間のあり方をめざして自分を変え、向上させていくことが、仏法を信仰する者にとっての根本課題であるわけです。こうした理想を完全に達成することが、言い換えれば“成仏”ですが、成仏を究極目標としての仏道修行の過程が、そのまま人間革命の歩みであるといってよいでしょう。
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 全般的にいえば、とくに近世以降の人類の歴史は、自然界や社会制度といった、外なる世界の変革に人類の幸福を左右する根本の鍵があると考え、それのみに眼を奪われてきたといえるでしょう。そして、そのために、人間としての自らの生き方を考えず、自分の内にあるさまざまな心の働きを正しく律していく努力を軽視し、あるいは忘却してきたといっても過言ではないように思います。現代においてとくに重要になってきているのは、この、人間生命あるいは精神の世界の変革と向上への努力です。これを、私たちは「人間革命」と呼んでいます。
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 人間存在は、貪欲《とんよく》・瞋恚《しんに》・愚癡《ぐち》といった本然的な生命のもつ衝動に動かされやすく、また、各人がもっている運命・宿業の大波に翻弄される小舟のような、はかないそんな存在であるといっても過言ではないでしょう。ちょうど嵐にあった小舟が、自らは考えもしない方向へ押し流されていくように、人間も、理性では、たとえば自然を大切にしなければならないとわかっていても、生きていくため、目前の利益のために、自然を破壊したり汚染してしまう場合が多いのではないでしょうか。あるいは、理性的には平和を望んでいても、不安や恐怖にかられて軍備を強化し、わずかな事件がきっかけになって大戦争を起こしてしまったことも、すでに数多く経験してきている事実ではないでしょうか。
 そうした衝動的な力や、さらに奥深いところで、ちょうど目に見えない海流が小舟を押し流し、運んでいくように、個人の人生や社会を動かしている運命的な力に対抗するためには、人間主義は、よほど強力でなければなりません。
 仏教では、万人の生命の奥底に、宇宙的大我ともいうべき、広大にして力強い実体があると説き、これを仏性と呼びます。そして、この仏性を開き顕して、そのもっている力を現実の人生と行動に発揮していくことを教えたのです。
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 言うまでもないことですが、人間は、現実に生きているかぎり、完璧ではありえません。
 “人間革命”した人も、完璧になったわけではないのです。すなわち“人間革命”とは、自らの人生の目的を明確に自覚し、その目的をめざして、自身を少しでも完成の状態に近づけようと努力するようになること、言うなれば、コースの変更であって、ゴールインではないということができます。
 ですから、ある時点の、現実に現れている姿だけを見れば欠点は当然あり、他の人と変わりありませんが、その人の内面は、以前とまるで違っていますし、長期的にみれば、他の人との相違も認識できるでしょう。私は“人間革命”とはそういうものであると考えています。
2014-12-31 : 池田SGI会長指導選集 :
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