未来の翼 第6回 不屈の都 モスクワ

第6回 不屈の都 モスクワ      (2014.9.1付 未来ジャーナル)

君よ、貴女《あなた》よ、負けじ魂の名優たれ!
春の来ない冬はない。苦しくとも粘り強く、自分を鍛え上げよ


 モスクワ大学のキャンパスがある「雀《すずめ》が丘」の展望台からは、壮大なスケールの首都の街並みが一望できます。
 ロシアの大文豪トルストイの名作『戦争と平和』にも、この「雀が丘」の近くからモスクワの街を眺めた様子が描かれています。
 「すべてが薄い澄んだ大気のなかで、目の痛むほどかがやき、胸は秋の香りの高い空気を吸い込んでたくましくなり……」と。
 そう、秋は、トルストイがいうように、「香りの高い空気」を大きく深呼吸しながら「たくましく」伸びていく季節だね。皆さんも、この秋、心も広々と、一回りも二回りも「たくましく」成長していってください。
 私には、世界都市モスクワで育った、多くの素晴らしい友人たちがいます。その一人、宇宙飛行士のセレブロフ博士は、病弱だった少年時代に、スポーツに挑戦して心身を鍛え、さらに勉学にも励んで、数学や物理のオリンピックに出場しました。
 博士は、「一人ひとりの素質は粘土のようなもの」で、「それを次第に形につくり上げていくのが『努力』です」と語られています。
 皆、それぞれの課題に挑み、自分自身をじっくりとつくり上げていく「努力の秋」そして「充実の秋」にしていこうよ!

 私がモスクワを初めて訪れたのは、ちょうど40年前──1974年の秋9月のことでした。今のロシアがまだ、ソビエト連邦(ソ連)だった時です。
 第2次世界大戦後、世界は、アメリカを中心とした資本主義の西側諸国と、ソ連を中心とした社会主義の東側諸国に、大きく二分され、激しく対立していました。いわゆる東西の「冷戦」(冷たい戦争)と呼ばれる時代です。両陣営の“壁”を象徴する「鉄のカーテン」という言葉もありました。
 西側陣営である日本にとって、ソ連はいわば「敵国」。ソ連に関する正確な情報はほとんどなく、多くの日本人が“冷たい”“怖い”というイメージを抱いていました。
 こうした状況は、日本にとっても、ソ連にとっても不幸なことだと、私は考えていました。“ソ連が怖い”のではなく、本当は、“知らないことが怖い”のだと。
 だからこそ私は、ソ連の人々の素顔を、自らの目で確かめ、多くの人に伝えたいと思ったのです。
 ソ連に行く前には、「宗教者が、宗教否定の国へ何をしに行くのか」などの批判の声が巻き起こりました。当時、ソ連と中国も対立を深めていたので、私が中国に続いてソ連を訪問することも、なかなか理解されませんでした。私は迷わず、「そこに人間がいるから、行くのです」と答えました。

 平和を願う、同じ人間に会いに行く──これが私の決心でした。
 その初訪ソの折、とある街中で結婚式を終えたばかりの若い二人に出会いました。後に「雀が丘」でも同じ光景を見掛けたことがありますが、ロシアでは新婚の二人で名所を回る習慣があるのです。
 すると突然、同行してくれていたモスクワ大学の方々が、「にがいぞ、にがいぞ!」と“声援”を送りました。初々しい夫婦に、わざと「にがい」と言って、ますます「あまく」仲よくさせる──ロシアの人々の愉快な慣習と温かな心に触れ、私も妻と一緒に、心から祝福の拍手を送りました。
 こうした人間味あふれる情景を、日本の人たちに伝えたい。それが私の偽らざる真情でした。
 「人間」こそ、一切の根本です。
 平和も、文化も、教育も、人間から始まり、人間に帰るのです。この「人間主義」のバトンを、後継の皆さんに受け継いでもらいたい。私は、そう強く願っています。

 ロシアは、ユーラシア大陸を横断する、世界で一番面積の大きい国です。それは日本の約45倍、海面を除いた地球の面積の8分の1に当たります。
 また、この大地は、人類の宝ともいうべき芸術・文化を生み出してきました。特に19世紀には、音楽ではチャイコフスキー、文学ではプーシキン、トルストイ、ドストエフスキーなど、世界的巨匠が次々と活躍しました。
 私も若き日から、こうした巨匠たちの傑作に親しんだ一人です。ロシアの芸術作品に表現された、人間への限りない愛情と信頼、生命の讃歌と深い精神性に、私は胸を熱くしたものです。
 これまで6度、ソ連・ロシアを訪れてきましたが、母なる大地に育まれた、おおらかで情に厚く、辛抱強いロシアの人々の素顔に、何度も心温まる思いがしました。
 ロシアの人々にとって、20世紀は激動の時代でした。ロシア革命、2度の世界大戦、そして独裁政権による粛清(方針に反する者を排除すること)──それでも明日への希望を失わず、民衆は断固として前進してきました。
 トルストイは、皆さんと同年代の時、日記にこう綴っています。
 「忍耐と勤勉。そうすればぼくの欲するすべてのものを得るであろうと確言」
 忍耐ほど、自分を鍛え上げてくれるものはありません。「粘り強さ」こそ勝利を開く秘訣なのです。
 たとえ今、どんなに苦しくとも、春の来ない冬がないように、それが永遠に続くことはありません。だから断じて負けてはいけない。戦い続ける人が、必ず勝利します。
 日蓮大聖人は「仏を能忍《のうにん》(難をよく忍ぶ人)と名づけるのである」 (御書935㌻、通解)と仰せになられました。
 世界が渇望する人間主義の未来を担いゆく皆さんです。一人も残らず、かけがえのない使命を持った君たち、貴女たちです。それだけに、試練も苦難も多い。
 ゆえに、この「能忍(よく忍ぶ)」という一点を、心に留めておいていただきたいのです。
 40年前、ロシアには、SGI(創価学会インタナショナル)のメンバーは一人もいませんでした。今、モスクワをはじめロシアの大地には、地涌の菩薩が躍り出て、社会に貢献しています。
 世界最高峰の学府・モスクワ大学と創価大学の間では毎年、交換留学生の往来を重ねています。

 ナターリヤ・サーツさんも、私と妻の大切な友人です。
 サーツさんは、世界初の「子どものためのオペラ劇場」である「国立モスクワ児童音楽劇場」を創設し、総裁を務めた方です。
 最初の出会いは1981年5月。「雀が丘」から、ほど近い児童音楽劇場で、「ナターシャおばさん」と慕われるサーツさんが、笑顔で迎えてくれました。
 大きな身振り手振りで、あふれ出る感情を表現される姿は“天真爛漫な少女”のようでした。私と妻の間に入って手を取り、自ら素敵な劇場を案内し、ご自慢の子どもたちを紹介してくださいました。
 サーツさんは、9歳でお父さまを亡くされました。さらに最愛のご主人も独裁政権によって粛清され、自身も「人民の敵の妻」として5年間、強制収容所に入れられました。美しい栗色の髪は、瞬く間に白くなってしまいました。
 最大の心の支えだったお母さまも、空爆で亡くなりました。お母さまは被弾した後も、サーツさんの舞台衣装を抱えて友人の家までたどり着き、絶命されたのです。
 収容所から出た後、その友人宅を訪れたサーツさん。夜、お母さまが息を引き取ったというソファに横になり、静かに目をつぶっていると、お母さまの夢を見たそうです。夢の中で、お母さまは語り掛けました。
 「歌うのよ、ナターシャ、何があっても歌うのよ。人生って、それは楽しいものなんですから」
 サーツさんは、絶望の淵から顔を上げました。いかなる困難にも、度重なる悲しみにも、負けることなく、前へ進みました。そして、子どものための芸術活動に献身する人生を歩み抜いたのです。
 サーツさんは語っています。
 「何でも簡単にできたことは一度だってなかった。常に困難があって、むしろそれをのり越えるのが好きだ」と。

 サーツさんが心掛けていた「困難を勝ち越える知恵」があります。
 それは──つらくて仕方がない時は、もう一人の自分が舞台に立っている姿を想像すること。そして、あたかも自分が演出家のようになって、舞台上の自分にウインクしながら、「ちょっぴりやっかいになってきちゃったね。さあ、ナターシャ、あなたがどうやってここを切りぬけるか、みものだわ」と語り掛けるという方法です。
 人生、そして青春は「劇」です。
 楽しい出来事もあれば、思わぬハプニングもある。苦闘の時期や胸躍る大逆転の瞬間、時にはほっと一息つく幕間もあるでしょう。いろいろあるから、おもしろい。
 だから、君がつらい時、貴女が苦しい時こそ、それは、「さあ、ここからだ!」「いよいよ勝負の時が来た!」という“青春勝利の舞台の見せ場”なのです。
 大聖人は、苦難にも負けずに前進する弟子の戦いを、「未来までの・ものがたり」(御書1086㌻)と讃えておられます。
 最高の妙法を持《たも》つ皆さんの奮闘は、必ずや未来の後輩が、世界の人類が、「あの人の負けじ魂の劇を見よ!」と仰ぎ見る物語となっていくのです。

 冷戦を終結させた元ソ連大統領のゴルバチョフ氏と初めてお会いしたのは、1990年7月27日のことです。
 この時、大統領の日本初訪問の実現が危ぶまれていました。モスクワのクレムリン宮殿で、私は開口一番、「きょうは、大統領と“けんか”をしに来ました! 火花を散らしながら、何でも率直に語り合いましょう。人類のため、日ソのために!」と切り出しました。
 するとゴルバチョフ氏は、一気に表情を崩し、はずむ語らいの中で、その次の年の“桜の咲くころ”に日本を訪問したいと希望を語られました。トップニュースとして、世界に発信されました。
 翌年の4月、氏はその約束を守り、ソ連の最高指導者として初の訪日が実現し、両国にとって歴史的な友好の春が花開きました。
 後年、その氏を、わが関西創価学園にライサ夫人と共にお迎えできたことも、金の思い出です。(97年11月)。氏と共に茨の道を歩んだ夫人が語られた言葉を、学園生たちも大切にしています。
 人生には、さまざまな痛手を受けることがあります。心の傷が癒えないこともあります。必ずしも夢のすべてを実現できるわけでもありません。しかし『達成できる何か』はあります! 何か『実現できる夢』は必ずあるのです!
 だから、最後に勝利する人とは、たとえ転んでも、立ち上がり、再び前に進む人です」
 わが人生という舞台で、自分が誇れる「何か」を残せば、たとえ途中がどうであろうと、それは勝利劇です。へこたれないで朗らかに、わが使命を信じ抜き、戦いのドラマを最後まで演じ切った人が真の勝利者です。君たち、貴女たちの「名演」が、どれだけ多くの世界の友を鼓舞し、勇気づけていくことでしょう!
 さあ、君たち、貴女たちにしか綴れない、「自分自身の物語」の幕が上がりました。
 名俳優の君、名女優の貴女の負けじ魂の舞を、父母も、創価家族も、私も、そして、未来の地球の若人たちも、大喝采を送りながら、見つめています。

トルストイの言葉は、トルストイ著『戦争と平和』藤沼貴訳(岩波文庫)、『トルストイ全集18 日記・書簡』中村融訳(河出書房新社刊)。セレブロフは、、アレクサンドル・セレブロフ/池田大作著『宇宙と地球と人間』(潮出版社刊)。サーツは、『私か見つけた「青い鳥」 ナターリヤ・サーツ自伝』斎藤えく子訳(潮出版社刊)から。
2014-08-26 : 未来の翼 世界が君を待っている :
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