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未来の翼 世界が君を待っている 第5回 ハワイの浜辺

第5回 ハワイの浜辺         (2014.8.1付 未来ジャーナル)

一人を大切に! ここから平和が生まれる

生きて生き抜け! 若い皆さんが輝けば世界は変えられる

 夏は、若き皆さんの生命が白馬のように躍動する季節です。
 白馬といえば、ハワイで不思議な白馬に出あいました。
 1985年の7月、諸行事の合間に、ホノルル市内の宿舎から、波音や歓声でにぎやかなビーチに目をやった時のことです。
 さっきまで何もなかったはずの砂浜に、美しく、たくましい白馬が生まれていました。無名の芸術家が彫ったレリーフ(浮き彫り)です。今にも立ち上がって、駆け出しそうな英姿がありました。
 御書には、「白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり」(1065㌻)と仰せです。
 白馬のいななくような朗々たる勤行・唱題から、新しい挑戦の生命が弾みます。
 さあ、今日も、白馬のように、題目を唱えながら、「勝利の夏」を元気いっぱい前進していこう!

 ハワイは、州都ホノルルのあるオアフ島や、最も大きいハワイ島など、六つの島を中心に成り立つ、世界有数の観光地です。
 日本との関係も深く、古くは1868年(明治元年)からハワイに移住する人たちがいました。
 だから、「ベントー(弁当)」「シバイ(芝居)」「ジャンケンポー(じゃんけん)」「ボン・ダンス(盆踊り)」など、日本人になじみのある言葉が今も使われています。
 あいさつの言葉は「アロハ!」です。出会った時も、別れる時も、こうあいさつします。「ようこそ」「こんにちは」「さようなら」……すべて「アロハ」と声をかけます。「お互いに愛情と敬意をもつ」という意味が込められています。
 ハワイでは、さまざまな民族が仲良く生きています。アジア系、ヨーロッパ系、アフリカ系、そして、ハワイアン(先住ハワイ人)。
 そんな人たちが、「アロハ」とあいさつを交わし、アロハの心」で結ばれた世界平和の縮図の島こそ、ハワイです。自然を愛し、家族を愛し、友を愛し、平和を愛する、友情と共生の島なのです。
 しかし、その島を舞台に非道な戦争が始まりました。1941年(昭和16年)12月7日の朝(日本時間8日未明)、ハワイにある真珠湾(パール・ハーバー)への日本軍の攻撃から、太平洋戦争が開戦したのです。
 当時、13歳の私は、兄たちを兵隊にとられて苦しい家計を助けるために新聞配達をしていました。開戦を告げる紙面を、今も忘れられません。
 ハワイでは、日系人の方たちが苦労して懸命に築き上げてきた「信頼」が、一気に崩れていきました。その不信をはね返し、アメリカヘの忠誠を証明するために、日系2世の志願兵の部隊が結成されました。勇猛果敢な攻撃で最も多くの勲章を受けましたが、最も多くの犠牲者を出しました。
 戦争ほど、残酷なものはない。
 戦争ほど、悲惨なものはない。
 -これは、私が小説『人間革命』の冒頭に書き記した一節です。
 戦争は、あの地この地に、あの家この家に、暗闇のような悲劇をもたらしました。
 太平洋戦争での日本人の死者・行方不明者は250万人、日本の侵略を受けたアジア諸国での死者は1800万人ともいわれる。日本でもアジア諸国でも、おおよそ30人に1人が戦争で亡くなったことになります。
 戦争には、勝者も、敗者もありません。
 悲惨な戦争が終わったのは、1945年(同20年)8月15日です。私は17歳になっていました。
 わが家も、私の大好きだった長兄が、ビルマ(現在のミャンマー)戦線で亡くなりました。終戦から2年もたって、その知らせを聞いた時、母が悲しみをこらえて小さな肩を震わせていた姿は、私の瞼から消えません。これが私の平和闘争の原点です。

 私は、1960年(同35年)10月2日、世界平和の道を開く第一歩を、ハワイから始めました。
 「この地球上から『悲惨』の二字をなくしたい」と願われた、わが恩師・戸田城聖先生の写真を胸のポケットにしのばせて──。
 ホテルに着いた翌日の早朝、日の光が夜の闇を打ち破るころ、私は一人、海岸を散策しました。
 そして、かつて(1954年夏)戸田先生の青春の故郷・北海道の厚田の浜辺に二人して立ち、私に言われた言葉を思い起こしていました。
 「この海の向こうには、大陸が広がっている。世界は広い。そこには苦悩にあえぐ民衆がいる。
 君は、世界の広宣流布の道を開くんだ。この私に代わって」
 恩師の遺志を継ぎ、会長となった32歳の私は、ハワイの旭日を仰ぎながら、世界平和への絶え間なき闘争を、強く心に誓ったのです。

 アロハの精神は、人種、言語等、一切の差別を超えて、人間がお互いに人間として手を結び合うところに、意義があります」
 私が親しく語り合ったハワイ州のジョージ・アリヨシ州知事が、アメリカSGI(創価学会インタナショナル)の総会で紹介してくださった言葉です。その理想の姿を、SGIに見いだされたのです。
 初めての出会いは、1975年1月22日。SGIが結成される、4日前のことでした。すらりとした長身で、九州出身のご両親の血を継いだ、凜々しく、若々しい顔立ち。前年に、日系人として初めて州知事に就任したばかりで、まさに“ハワイ新時代”の大海原へ出発された時でした。
 若き日の知事には、「弁護士になる」という夢がありました。しかし、話すことが大の苦手。“話し方を直さなければ、弁護士にはなれない”と思っていた中学生の時、学校の先生が、付きっきりで特訓してくれました。そのおかげで、悩みを克服し、弁護士になる夢をかなえることができたのです。
 そんな知事が、大切にしている言葉がありました。それは、お父さまの口ぐせでもあった「おかげさまで」という日本語です。「あなたがいて、私がいる」という人間への信頼が脈打つ言葉です。
 現実社会に目を向ければ、他人を不幸にしてでも、自分さえよければいいという、わびしい姿が多いかもしれない。その中にあって、「おかげさまで」という感謝の気持ちこそ、心の砂漠に潤いを贈ります。平和の原動力ともいえましょう。
 感謝の人は、恩を知り、その恩に報いようとする。だから、人のために自分が動きます。
 反対に、感謝を忘れた人は、自分のために人を動かしてしまう。その「自己中心性」「エゴイズム」が、他者への想像力を失わせ、戦争を生み出してしまう。
 未来部の皆さんは、身近な人に感謝し、「ありがとう」の心と言葉を伝えていける「ピース・メーカー(平和をつくる人)」であっていただきたい。
 特に、お父さん、お母さんには、計り知れないほどの恩があります。皆さんは、ぜひとも親孝行を、お願いします。

 アリヨシ州知事は、「違うから争うのではなく、違うからお互いを理解し合う、これがハワイの生き方です」と訴えられました。
 そのハワイから、断じて平和の世紀をと、私は誓い、行動してきました。
 初めてハワイを訪れた際、私はホノルルの町を一望するパンチボウルの丘にある「国立太平洋記念墓地」を訪問しました。そこには、真珠湾をはじめとする第2次世界大戦、朝鮮戦争やベトナム戦争などの戦没者が眠っています。
 私は墓地を一巡して、それぞれの墓に刻まれた名前を胸にとどめ、仏法者として深い祈りを捧げました。その後も、ハワイを訪問した折、ここを訪れました。
 81年に真珠湾攻撃で沈没した戦艦アリゾナの記念館を訪れた際にも、私は戦没者の氏名が刻まれた場所に献花し、犠牲になられた一人一人の名前を見つめて、題目を唱えました。
 「祈り」とは「誓願」です。断じて平和な世界を築くことを、私はその方々に固く誓いました。
 2000万人を超える太平洋戦争の犠牲者には、その一人一人に名前がありました。その誕生を喜んだ家族がいました。愛する友がいました。そうした人々と共に、「いのち」という最高の宝をもって生きていました。
 アメリカ人である前に、日本人である前に、皆、同じ「人間」だったのです。

 95年1月17日、阪神・淡路大震災が起きました。私は当初、予定されていたハワイヘの出発をぎりぎりまで遅らせて、被災地への救援の手を打ちました。ハワイでの予定を最短に凝縮し、終了後、関西に直行するようにしました。
 ハワイ到着の翌日、私は英知の殿堂・東西センターでの講演に臨みました。私は、まさに武器を手に戦いを始めようとする二つの部族の間に平和をもたらした釈尊の勇気の対話に触れ、語りました。
 ──人間を分断するのではなくして、人間としての共通の地平を見いだそうとする智慧が、今こそ要請されている、と。
 たとえすぐに分かり合えなくとも、「人間」という次元で話し合えば、分かり合える。必ず戦争はなくせる──これが私の信念です。この「信念の松明」を、私の命である皆さんに託したいのです。

 ハワイの英知の言葉は、こう教えます。
 「いのちはいつでも新しい可能性を見せてくれる」
 なかんずく、若き「いのち」である皆さんは、いつでも新しい「無限の可能性」に満ちています。ゆえに、自らを決して卑下してはならない。
 若い皆さんが、生きて生きて、生き抜くこと、それ自体が「平和の光」です。
 皆さんが生き生きと躍動していくならば、世界は、いくらでも変えていけるのです。
 日蓮大聖人は、「命というものは一切の財の中で第一の財である」「宇宙全体に満ちた財も、命には替えられないのである」(御書1596㌻、通解)と仰せです。
 「いのち」の中に、すべてが入っています。その宇宙一の宝物である「いのち」を、君も、貴女《あなた》も輝かせることができるのです。
 「人生」は、「人が生きる」と書きますが、「人と生きる」とも読めます。
 自分は誰と生きているのか──ご両親、兄弟姉妹、クラスメート、クラブの仲間、地域の創価家族、未来部の同志……具体的な名前をあげて、その人を思い浮かべてみましょう。
 その一人一人を大切にすることが「平和」そのものです。
 父母《ちちはは》の笑顔、笑い声。
 あの子の優しさ、強さ。
 この友の輝く瞳、頑張る背中。
 わが同志の真心の励まし。
 その一つ一つを当たり前と思わず、「おかげさまで」と感謝し、応えていくこと。それが最も正しく、最も確かな「平和の一歩」です。
 ハワイのことわざには、こうあります。
 「その花は小さいけれど、周囲の草によい香りを運ぶ」
 どんなに小さくとも花は花です。周りをよき香りで包むことができる。皆さんが、親孝行で、友情で、笑顔の花を咲かせれば、そこを必ず、「平和の楽園」「幸福の花園」にしていけるのです。
 さあ、勇気のエンジンを始動させ、世界の友と「平和の地球」をつくる大航海に出発しよう!

ハワイのことわざは、デブラ・F・サンダース著『日々是布哇』北山耕平訳(太田出版刊)と‘ULU project.著『アロハの贈りもの』(阪急コミュニケーションズ刊)から。太平洋戦争の犠牲者数は『日本大百科全書』(小学館刊)による。
2014-07-30 : 未来の翼 世界が君を待っている :
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