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生命の光 母の歌 第4章 慈愛が輝く社会へ

第4章 慈愛が輝く社会へ  (2014.1.7/8/9付 聖教新聞)

大いなる理想に生きよ!

サイフェルト博士
人には等しく尊厳がある。自他共の価値を認める時、思いやりの心が生まれる

池田SGI会長
介護とは“命で命を支える”聖業。“共に生きる”ことでこちらの真心は必ず伝わる

池田 新春を迎え、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートが世界各国で放映され、多くのファンを魅了しました。今年はダニエル・バレンボイム氏の指揮で、平和を謳う、素晴らしい音楽と芸術の祝典となりました。
 同楽団の指揮者としても活躍した大作曲家マーラーは、力強く語りました。
 「いざ仕事に取りかかろうではありませんか──今我々に与えられた仕事をいたしましょう! かくしてこそ我々の果たすべき仕事もめでたく成就するというものであります!」(ヘルタ・ブラウコップフ編、須永恒雄訳『マーラー書簡集』法政大学出版局)と。
 私たちも、心に希望の曲を奏でながら、この一年、わが使命の道を清新な息吹で進んでいきたいものです。

サイフェルト 本当にそうですね。ウィーン・フィルは私たちがさまざまな音楽団体と連携している中で、一番密接につながって活動をしている楽団でもあるのです。
 今年も、創価の皆さんと共に、精神的な交流、哲学的な語らいを広げ、深めていきたいと思います。

池田 サイフェルト博士の人生の讃歌は、多くの人々に勇気を広げています。
 創価学園に、全盲の両親のもとで成長してきた乙女がいます。彼女は、父母に新聞を読んで聞かせることを日課としています。困難に屈することなく、自立して朗らかに生きる大切さを訴えた作文は、市のコンクールで最優秀賞に選ばれました。サイフェルト博士のように、負けない心で立派に社会貢献できる人を目指そうと、日々、懸命に勉学に励んでいます。

サイフェルト そうですか。私の父は生まれた時から、母は後年になって視力を失いました。第1次、第2次と二度の世界大戦を生き抜きました。二人にとって、とても厳しい時代でした。
 私は1945年、戦後間もないウィーンに生まれました。住む家は爆撃によって壊れており、経済的にも、他のあらゆる点でも、生活していくだけで大変な時代でした。2、3歳の頃には、すでに両親の手を引いていたと記憶します。もちろん、何の助けもありませんでした。両親に対して責任を負っているという自覚がありました。
 二人は私の面倒をよく見てくれましたが、ひとたび道路に出れば、私はいわば彼らの目でありました。それは、両親が亡くなる日まで私か引き受けてきたことです。

池田 当時の厳しい環境が胸に迫ります。1938年よりナチス・ドイツに「合邦」されていた貴国オーストリアは第2次大戦後、イギリス、アメリカ、フランス、ソ連による占領下におかれました。有名な映画「第三の男」に活写された時代です。
 永世中立国として主権を回復するのは、ようやく1955年になってからです。まさに激動の時代でしたね。

サイフェルト 戦後は全ての面において倹約が励行されていたため、非常に厳しい労働条件のもと、食糧難にも見舞われていました。今、言われた通り、オーストリアにある程度復興の兆しが見えたのは、連合軍が撤退した1955年だといえましょう。
 今、少なくとも大半のオーストリア国民は中立の立場を保持する大変な努力をしているように思います。それはもちろん、東西諸国を分断していた「鉄のカーテン」と密接に関係しています。冷戦終結後、かなり改善していると思われるのです。つまり、ウィーンが以前にもまして中心に押し出されてきたのです。それ以前は東方向も北方向も鉄のカーテンから1時間足らずの位置にありました。
 現在では、たくさんの交流が行われ、国境も自由に行き来することができるようになりました。
 鉄のカーテンの崩壊と東側への国境が開いたことで、隣国との協力関係を強化するチャンスが生まれました。
 もちろん、それに伴い、新しい問題も浮上してきたことは事実ですが、それは隣国との密接な協力関係を築くというプラス面を制約するものではありません。

池田 冷戦時代も、今の自由の時代も、一貫して文化の交流に取り組み、人と人の心を結んでこられたサイフェルト博士だからこそ、ひとしお真の平和の尊さを実感されていることでしょう。
 ともあれ、幼い博士は、一番、親に甘えたい時期にご両親を支えなければならず、さぞ大変な思いをされたことでしょう。同時に、ご両親も、言葉に尽くせぬ試練を越えてこられたに違いありません。

サイフェルト
 母の人生はとても過酷でした。目の不自由な母は、当時のナチス政権下で差別を受けていたのです。ナチス時代の医師たちは、母に、“盲目は遺伝するので生まれてくる子どもは皆、盲人である”と言ったのです。まさに、私は“生まれてきてはいけない子ども”たったわけです。
 その後、母はある医師に出会います。彼は、そのような遺伝はないと言い、母の人生を支援してくれました。そのおかけで縁あって結婚することができ、私は生まれてくることができたのです。ただ、私の母は非常に厳格でした。とても干渉する人でもあったのです。もちろん、私は母に幸せになってもらいたいと思っていましたし、畏敬の念も抱いておりました。
 また、私にとって困難だったのは、両親が全盲であったという状況そのものというよりも、両親が、“私が本来誰なのかを知らない(娘の姿を実際に目で見たことがない)”ということでした。

池田 ナチスの非道さは、いたる所に恐るべき爪痕を残していったことを、あらためて思い知らされます。尊厳なる人権を踏みにじった残虐な侵略が20世紀にあった事実を、私たちは絶対に忘れてはならないし、二度と悲劇を起こさせてはなりません。
 戦後の混乱期、ご両親には計り知れない苦衷の日々がおありだったと拝察します。
 障がいに負けず、強く立派に人生を生きた方々を、私は心より尊敬します。
 難聴になったベートーベンは「おまえの芸術にのみ生きよ! 今はおまえは〔耳の〕感覚のために大きい制約を受けているが、これがおまえにとって、唯一つの生きかたなのだ」(小松雄一郎訳編『ベートーヴェン 音楽ノート』岩波書店)と自らに叫び、「歓喜の歌」など不朽の音楽を残しました。
 たとえ目が不自由であっても、戦い生き抜く中で、物事の本質を鋭く見抜く心眼が開かれていく。耳が聞こえない苦悩を突き抜けて、大歓喜の曲が生命に轟くのです。
 仏法は、全ての生命の等しくかけがえのない尊厳性を説きます。それは本来、平等で無上の宝である生命を差別するものとの戦いです。そうした「一人を大切にすること」「他者を尊敬すること」から人権を尊重する社会も築かれていくのではないでしょうか。

池田 障がいのある方や高齢の方々を支えるのに、公的な支援の強化や福祉の充実は、いやまして重要です。
 博士は、現在の高齢社会における介護などの問題を、どのようにお考えですか。
 すでに欧州連合(EU)では欧州資格枠組みの導入が進んでいて、国を越え、医療や介護の人材も行き来しているそうですが、貴国ではいかがでしょうか。

サイフェルト 日本でもそうでしょうが、私にとっても常に心から離れないのが、高齢社会の行方です。つまり老人介護です。これはわが国でも非常に大きな問題です。医療の発達によって平均寿命が10年ほど延びた一方で、それに伴う疾病も生じてきます。
 ウィーンの老人福祉施設は満員で、在宅介護でも費用がかさみます。要介護度にもよりますが、1カ月、介護士を頼んだ場合に掛かる費用は、昼間だけでも月に約1500ユーロ(約20万円)だそうです。これは誰もが払える金額ではないでしょう。理想はもちろん在宅による四六時中の完全介護でしょうが、そんなことは、誰が可能ですか?
 私も介護が必要な親族がいて、その子どもたちと今後のことを相談し合っているところです。でも、本当に人道的な施設は、高すぎて普通の人には手が届かない。実際、共働きどころか、子どもも働かなければ生計が立たない家庭も多いでしょう。こんな状況だったら、それ相応の施設に預けるほかに可能性がないことがしばしばです。私たちの現在の家庭状況も似たようなケースなのです。
 オーストリアの家庭では、ほとんどが夫婦共働きです。でも、介護の手段によっては、支出が収入をはるかに上回り、家計を逼迫させることになる。何とかやりくりできる場合もありますが、経済的に困窮していくのは明らかです。日本にも同じ問題があると思いますし、他の西洋文明諸国も同様な問題を抱えているのです。

池田 今のお話は、世界一の超高齢社会である日本でも、大きな課題です。
 このテーマについて、すでに40年以上前に、日本の著名な作家の有吉佐和子氏が認知症介護を題材とした小説『恍惚の人』を書き、問題提起をしました(1972年)。
 彼女はこの作品で、認知症の老父を介護する夫妻の苦労と葛藤をまざまざと描写しています。献身的に介護を行う妻と、老父に自分の将来を重ね合わせてしまい、なかなか介護に取り組めない夫の心境が克明に描かれていました。
 日中友好の先駆者でもあった有吉氏とは幾度も語り合いました。飾らない真っすぐな性格で、執筆対象は徹底的に取材し、本質を鋭く描き出す作家でした。
 創価学会に対しても、“若い人たちが生き生きとして集まっている”という事実を正視眼で評価してくださっていました。若くして亡くなられたことが、残念でなりません。
 「生老病死」は人生の避け得ぬ現実であり、介護もますます切実な課題です。今、聖教新聞にも、高齢社会をめぐる専門家の知見とともに、介護に直面した際のとまどいやつまずき、苦労、またそれを乗り越えた時の充足感など、赤裸々な体験談が寄せられ、胸を打ちます。
 認知症のゆえに妻を罵倒するようになってしまった夫。それでもケアマネジャーが共に泣いて解決策を考えてくれ、克服したこと等々──。
 さらに「介護したことで“本当の親子”になれた」「介護を経験したからこそ、介護する人の気持ちを理解して励ませる自分でありたい」など、ご苦労されている方々の深い真情とともに、人生の体験と智慧が光っていると感じます。
 介護の現場には、さまざまに厳しい課題があります。ご家族だけでなく、地域や福祉のサポートがますます大切になっています。何より政治が真剣に取り組んでいかねばなりません。
 創価学会では、介護に従事する青年たちも「妙護クループ」という集いを発足して、互いに励まし合いながら貢献の連帯を広げています。

サイフェルト 大切な取り組みですね。子どもを育て上げ、社会に送り出すのに加えての介護となると、大抵の人にとって、二重の負担を意味します。「一人の母親は十人の子の面倒は見られるが、十人の子どもは一人の母親すら面倒を見ることができない」ということわざもあります。
 さらに、年金制度の問題もあります。これは万人に関わってきます。高齢者が増え、人口ピラミッドの上部が、どんどん大きくなっていくからです。年金の支給年齢も、いずれ引き上げなければ立ちゆかなくなるのではないか、という論議もあるようです。

池田 社会のありようが変貌を遂げています。
 日本では、1947年から49年のベビーブームで生まれた800万人以上の「団塊の世代」が60代半ばに入り、10年後には国民の3割以上が高齢者となります。ライフスタイルも、生きる上での価値観も、見直す時期を迎えているといえましょう。特に相互扶助の生き方、社会のあり方が求められます。
 高齢社会をどう生きるか。どう新たな社会を創造していくか。これは英知を結集すべき命題の一つです。
 フランスの哲学者ボーヴォワールは「人間たちがその生涯の最後の時期において人間でありつづけるように要求することは、徹底的な変革を意味するであろう」(朝吹三吉訳『老い』人文書院)と断言していました。
 変化する社会の中で人間の尊厳を守り、輝かせていくために、社会制度の改革とともに、人間自身の意識変革と、それに伴う行動がより深く、また広く求められましょう。

サイフェルト 私が問題に感じているのは、年長者への敬意の念です。おそらく日本とヨーロッパとでは著しい違いがあると思います。こちらでは50歳を超えたら“その先一体何があるのだ”という考えが(若者に)浸透していて、“年を取ることは格好よくないし、考えられない”のです。
 これは日本では違うように感じます。年長者は“先生”と尊敬され、尊重されますね。これは仏教との関連でしょうか。隣人に対する尊敬の念が、ヨーロッパとは違う形で順守されているということなのでしょう。
 ともあれ、世間はますます冷淡になり、生存競争は残酷さを増し、他者に対する敬意などはもはや持ち合わせていないという、この尊厳が失われゆく時代にあって、私は、人間に尊厳を与えることが最も重要なことだと思っています。そのために、断固として闘わなければなりません! 私たちは、自分自身に本来備わる価値と他者の価値をあらためて自覚するように、自分自身を仕向けなければならないのです。
 どのような人にも尊厳があります。人は生まれながらに神聖な心を持っており、私の中の神が貴方の中の神にあいさつを交わすのです。そうした時、人は相手を思いやる心の温かさを感じ、互いに対する気持ちを感じ、もう一人きりではなくなるのです。

池田
 「年長者への敬意」という点で、日蓮大聖人は“年配者たちを大切にした国が800年の繁栄を築いた”という中国の故事を引かれています。
 また、例えば人類学では、次世代の養育を助ける“おばあさん”の存在が、他の動物にはほとんどない人類の特徴として、子孫繁栄に寄与してきたとする仮説も論じられています。年長者を大切にし、敬意を表することは「人類の智慧」というべきものでありましょう。
 そして年長者への敬意の“薄れ”は、残念ながら日本も含めて世界的な傾向ではないでしょうか。物質的な富や刹那的な享楽を追う社会の中に生きる現代人は、“老いを忌み嫌い、死を忘却する”傾向を一段と強めてしまっているかもしれません。
 聖教新聞に、こんな体験もありました。
 ──祖母は90歳を過ぎて認知症に。3世代同居の家族はストレスがたまる一方。孫の嫁である自分が、祖母をますます好きになろうと決めた矢先のこと。「みんな、私が早く死ぬことを願っているんだろう」と語る祖母に、とっさに「みんな年を取るんだよ。おばあちゃんに尽くすのは当たり前だから、気にしないで」と言った。すると祖母は涙を流し、亡くなるまで何事にも「ありがとう」と喜んでくれるようになった──
 この介護の経験をご家族の皆が心から感謝しているそうです。介護を通して、家族の絆も、それぞれの心の境涯も深まっていった尊い実証です。
 その上で、やはり介護には言うに言われぬ苦労も大きい。どうか自分自身の体を大切にし、周りの力を味方にするなどして、聡明に快活に工夫していっていただきたい。
 たとえ、相手のために特別なことはできなくとも、真心は伝わります。人を支えることによって、自らの生きる力も増していくのです。どこまでも“共に生きる”ことです。介護とは“命で命を支える”究極の人間性の振る舞いではないでしょうか。
 ともあれ、日蓮大聖人は「一日の命は三千界(=大宇宙)の財にもすぎて候なり」(御書986㌻)とも仰せです。限られたこの一生をともどもに生き生きと、価値ある日々として重ねていきたい。
 大切な家族のため、友のため、人々のために尽くし、大いなる理想のために皆で手を携えて生きる一日一日は、たとえ労苦の連続であっても、必ず確かな充実と生命の福徳を積んでいることは、絶対に間違いありません。

サイフェルト博士
SGIの婦人部・女子部の皆さんは尽きることのない善なる光で闇を照らす灯台
池田SGI会長
仏法に男女の差別はない。女性こそ平和の未来を開く鍵。混迷の現代を変える力

池田
 貴国出身の「ヨーロッパ統合の父」クーデンホーフ=カレルギー伯と語り合った際、「世界中で女性が議会と政府の半分を占めるようになれば、世界平和は盤石になるだろう」と確信を述べておられたことを懐かしく思い起こします。
 あれから40年以上を経て、世界各国での女性指導者の活躍は、一段と顕著な傾向となりました。ドイツのメルケル首相、ブラジルのルセフ大統領、マラウイのバンダ大統領、韓国の朴槿恵大統領など、女性の現職リーダーも注目されています。
 2010年7月には、ジェンダー(社会的性差)の平等と女性のエンパワーメント(内発的な力の開花)を目指す国連の機関として、「UN・Women」が設立されました。先月、2度目のチリ大統領に選ばれたバチェレ氏は、その初代事務局長でした。
 ともあれ、世界が女性のニーズに応える。そういう動きが強まっています。いな、もっと強めていかなければなりません。

サイフェルト おっしゃる通りです。だからこそ、女児にも優れた教育を得る権利を与えることが大切だと申し上げたいのです。
 オーストリアでは女性教育に力を注いだ結果、20年前、30年前に比べ、非常にたくさんの女性がリーダー的地位を占めるようになってきています。それは、欧州連合(EU)や各社会のトップを見ても言えることです。30年前にドイツのメルケル首相の誕生は考えられなかったことでしょう。女の子も大学教育を受けさせるべきなのです。

池田
 教育こそ社会建設の光源です。
 世界的に、まだまだ女性の教育が普及していない地域があります。
 日本について言えば、近年になって、男女の教育機会は平等として定着しており、創価大学でも優秀な女子学生の活躍がひときわ光っています。しかし、女性が社会でより仕事をしやすくするためには、まだまだ改善すべきことは多い。働く女性をしっかり守る仕組み作りは、さらに求められています。
 女性の先駆的活躍の模範を示してこられたのが、サイフェルト博士です。男性中心の色合いの強かった時代に、貴国の全省庁で最年少の部長就任を果たされましたね。
 若い読者からも質問がありましたので、ここで博士の青春時代、職場での奮闘の歴史などをお聞かせ願えればと思います。そもそも、ウィーン大学ではショーペンハウアーに関する学位論文を書き上げ、哲学博士号を取得されましたが、どうして官庁に入られたのでしょうか。

サイフェルト もともと私は働くことがとても好きで、早い時期から働き始めました。自分で収入を得ることに誇りを持っていましたし、働くことが楽しかったのです。私はかなり長期にわたって、ラテン語、古代ギリシャ語などの古典語を家庭教師として教えていました。そして大学でも、その科目を専攻したのです。
 当時、私は学生自治会に所属しており、その代表を務めておりました。私は情熱に燃えた学生でした。そのうち、これらの言語にまつわる2500年前に起こった事例より、現在の社会のために何か貢献をしたいとの思いが強くなっていったのです。最初に入省したのが連邦保健省。そして、連邦学術研究省に異動した後、文部省管轄である国際部の部長に就任しました。

池田 学生時代から、何事にも真剣に取り組む中で、自身の進むべき道を決めていかれたのですね。
 人のため、社会のためにという心が尊い。母校のため、友のために献身する創価の学生たちにも、大きな励ましとなることでしょう。
 仕事に大きな意義を感じる時、人は働く意欲を増す。そして崇高な目的観に立つ時、大きな生きがいを感じます。さらに困難をはねのけていく力が湧いてくる。自身の仕事に価値を見いだし、誇りをもって取り組める人は幸せです。
 日蓮仏法では、“現実社会のあらゆる営みは全部妙法と合致するものである”“自分の仕事を法華経の修行であると思っていきなさい”と説かれ、仕事で立派に実証を示して、人間的にも成長しつつ、社会に貢献していくことを促しています。博士は、「東西冷戦」の困難な時代に文化の橋を懸けゆく自身の仕事に“特別な心情”をもって取り組まれたと伺っています。

サイフェルト そうです。その通りです。特に文部省では、旧東欧諸国の芸術家や文化人をウィーンに呼び寄せる機会を得ました。こうしたことがなければチャンスもなく、ビザも取得できない人たちです。私は、ドイツや当時のチェコスロバキア、ハンガリーを結ぶ文化的な軸を自らの身に置き、再びここで文化的な共同作業が実現するよう努力しました。そして素晴らしい成果を得ることができました。多くの感謝の心と幸せに満ちた人々の姿は本当に忘れられません。
 私は常に「闘士」でした。時には予算を取るため、時には管轄や権能のために闘いました。休日前は仕事を家に持ち帰って続けました。後に歌手活動を始め、また結婚して家事をこなすようになってからは“三つの職”をかけもちしていました。何十年も休暇なしの生活でした。ここに、古いことわざがあります。“天才の90パーセントは努力である”と。これは私自身、身をもって経験いたしました。

池田 博士がどれほど誇りをもって真剣に仕事に打ち込んでこられたかが、よく分かります。以前行われたインタビューでは、日々、獅子(ライオン)のように仕事を勝ち取られたとも語っておられましたね。

サイフェルト その通りです。私はライオンというより、むしろ、タイガー(虎)だったかもしれません(笑い)。
 でも、それが当たり前な時代だったのです。当時は、女性が男性より150%優秀であることが求められていたわけですから。
 ところで、私個人について、私自身が気付いていなかった点を気付かせてくれたことがあります。それは勤めて何年もたち、仏教に興味を持ち始めたそんな時に、日本で池田会長とお会いし、仏法的思想において私自身の人生を構築し直す機会に恵まれたのでした。
 当時、私は本当に素晴らしい同僚に囲まれて仕事をしていたのですが、突然、同僚たちから「ユッタ、ここ数年間の貴女《あなた》の変化には、とても目覚ましいものがあるわね」と言われたのです。
 「一体、どんな風に変わったの?」と私か聞くと、「穏やかで丸くなって、とても思いやりがあるようになった!」との答えが返ってきました。
 自分自身のことは、自分でも、よく分からないものです。「闘うこと自体」に重きを置いたり、外面的なことにとらわれたりしなくなったということでしょうか。つまり、些細な日常の雑事に煩わされることがなくなったのでした。
 ただこれは、私の生来の性格でもあり、だからこそ人生を乗り切ってこられたと思っています。ともかく、若い頃は必死に窮地を乗り越えてきました。それは、とても難しいことだったのです。
        ♪
池田 そうした博士の人生の来し方に励まされてきたからこそ、良き同僚たちも、博士に最大に信頼を寄せ、頼りとしてきたのではないでしょうか。
 仏法では、求道を共にする人を「善知識」(善友)と呼んで最重視しています。高き理想へと進むには、良き同志が必要であり、その絆は最良の宝といえます。
 長い歴史にあって、どれほど多くの尊き女性たちの献身が積み重ねられてきたことでしょう。戦争や圧政、あるいは疫病や飢饉などに社会が見舞われ、混迷と不安に包まれる中で、一番苦しめられてきたのが女性たちでした。その中で、社会を希望へ、善へ、幸福へ、平和へと粘り強く導いてきたのも、まさに女性の力です。
 混迷深き現代にあって、未来を開く鍵は女性が担っています。21世紀が「女性の世紀」となってこそ、真に平和な生命尊厳の社会が築かれていくはずです。

サイフェルト 素晴らしいことです。そして、それには男性側への教育も必要となってきます。もしくは、母親が息子たちに対して教育をしていかなければならないでしょう。
 現代の女性は、経済的な理由から、本腰を入れて仕事をしなければならない状況に置かれています。人並みの生活をするためには共働きせざるを得ない。それに加えて、昔から女性に課せられていたイメージである3K──すなわち、台所(Kuche)、子ども(Kinder)、教会(Kirche)が挙げられます。今でこそ、これらの概念は時代遅れとなりましたが、それに伴い、新しい社会構造が求められています。
 男女同権は絶対に不可欠です。私は、人は過去世をたどれば、すでに何回も生死を繰り返してきていると信じています。
 ですから私自身が“男性”として生きていたこともあったと思います。そうすると、人は女性としても、また男性としても、この世に生を受けているわけです。そうした立場から見ても、“男女”の権利を差別することは本質的に間違っています。
 結論からいえば、社会における女性の名誉は、ひとえに男性にかかっていると思います。この部分は、しっかり日本の男性にもお伝えしたいのです!(笑い)
 総括的に言えることは“男性諸君”(笑い)にとって、女性の社会における令聞(よい評価)という観点を大切にして、意識を変えていかなければならない時に至っているということなのです。これは、特に日本の男性の皆さまに強調したい点でもあります。

池田 今のお話は、男性読者に深く突き刺さっていると思います(笑い)。
 また今、語られた博士の生死観は、生命は永遠と説く仏法と軌を一にしています。
 以前、ウィーンのオーストリア国立図書館で「法華経とシルクロード」展が行われましたが、そこで展示された大乗仏教の精髄である法華経には、他の経典と異なり、“久遠実成の釈尊”を通して「永遠の生命観」が説かれています。そしてさらに「女人成仏」が説かれています。
 日蓮大聖人は「この経(法華経)を受持する女性は、他の一切の女性にすぐれるだけでなく、一切の男性にも超えている」(御書1134㌻、通解)と仰せです。仏法に男女の差別はありません。それどころか、女性は最高に尊き使命の人であると示されているのです。

サイフェルト そうした思想の反映か、SGIにおいて女性は、世間と比較してかなり高い地位にあるように見受けます。SGIの女性の皆さまは、ソフト・パワーを最大に生かし、社会を善の方向に導き、あらゆる分野で数え切れない成果を収めてきました。命を育み、尽きることのない光で闇を照らし、社会に希望を贈り続ける灯台の存在であると思います。

池田 博士から最大のエールをいただき、日本の婦人部・女子部にも、大きな喜びの輪が広がることでしょう。
 うれしいことに、女性たちが生命尊厳の哲理を互いに学び合う潮流も一段と高まってきました。
 たゆまぬ勉学、目標を持った学びには、必ず充実の花が咲く。学び続ける意欲、向上し続ける心があれば、どんなに忙しい生活の中でも、勉学のチャンスは必ず生まれます。
 「人間の幸福を根本目的とする教育」を訴えられた牧口初代会長は、いち早く女性教育の道を開かれ、通信教育の学校である大日本高等女学会の主幹を務めました。自ら編集・発行人となって教材『高等女学講義』を刊行し、教育の機会を広く提供したのです。
 こうした先師の悲願を結実したのが、創価教育の学舎です。創価大学では、働きながら学べ、また生涯学習の道を開く通信教育部も開設40周年へ力強く前進しています。
 ともあれ、女性の可能性を開くことは、男性中心社会の行き詰まりを解消し、男性の可能性を開くことでもあります。女性が輝く社会であってこそ、男性も真に輝いていくでしょう。

サイフェルト博士
互いに尊重し合うことが夫婦円満の秘訣。「やってもらって当然」は愛の終息
池田SGI会長
感謝の気持ちを「行動」に表す。その分、自分も成長し確かな幸福が広がっていく

池田 今年は、女性の平和運動の先駆けとして活躍した、オーストリアのベルタ・フォン・ズットナーの没後100年に当たっていますね。
 彼女の無私の叫びは、化学者のアルフレッド・ノーベルやアメリカの鉄鋼王アンドリュー・カーネギーをはじめ、多くの識者や実業家らの心に響き、平和の尊き連帯となって広がっていきました。

サイフェルト ええ! そうです! ズットナーのことは、以前からお話ししたいと思っておりました。

池田 かつてオーストリアの友人が、ズットナーの著書と直筆の書簡を届けてくれました。大事な宝の一書です。
 この平和を訴える著作『武器を捨てよ!』は、その内容が女性、特に家庭の主婦に向けられているものです。当時は、こうした女性の運動に対して、男性から多くの反発があった時代でしたね。

サイフェルト おっしゃる通りです。彼女に限らず、当時は科学者のマリー・キュリーやリーゼ・マイトナーのように、そして医者などの高等教育を受けた女性全てに対し、風当たりが強かったのです。とは言っても、現在になって、その状況が改善されたわけではありません。男性優位の社会において、女性が受け入れられるまでには、まだまだ時間がかかりそうです。
 私はといえば、関わってきた男性全てを、いつも一段上に置いて、自分自身はへりくだっておりました。つまり、相手を尊重することが一番大切だと申し上げたいのですが、これは今の時代の“解放された女性”には、お手本とは程遠いかもしれませんね(笑い)。しかし私は、他の人に対しても、常に相応に尊敬の念を持って接してきました。
 夫婦にしても、お互いが尊重し合い、尊敬し合うところに、円満の秘訣があるのだと思います。

池田
 亡くなられたご主人のラルフ・ウンカルト博士は、私にとっても忘れ得ぬ宝友です。平和探究の偉大な知性であられました。創価大学で人間尊厳の重要性を訴える講演も行っていただき、多くの学生が感銘の声を寄せました。青年への深い励ましを、皆、大切に心に刻んでいます。
 サイフェルト博士は、文部次官とソプラノ歌手、さらに家事という「三立」の多忙な日々にあって、ご主人と仲睦まじい歴史を創ってこられました。その体験から発せられる博士の言葉は、共働きなどで多忙な若い夫婦の読者にとっても、貴重なアドバイスとなるでしょう。

サイフェルト ともかく一番大切なのはお互いを尊重することです。尊重する気持ちがなくなってしまえば、やがて、うまくいかなくなってしまいます。例えば毎年の誕生日は必ず、互いに祝ってきました。それがなければ、即、サヨナラです!(笑い)
 冗談はさておき、主人の誕生日は、亡くなった今でも彼と一緒にお祝いしています。
 男性は、たまに自分の奥さんに花を贈ることも、いいアイデアだと思います。
 尊重し合う自立した二人の関係が大切です。彼女が彼を尊重するだけでなく、彼も彼女を尊重すべきなのです。そして、してもらっている家事など、一つ一つへの感謝を忘れないことです。いつの間にか、「やってもらうのが当たり前」とか、「どうせやってくれるだろう」となりがちですので。そのような考え方は、愛の終息を意味します。

池田 “感謝の心”は夫婦間のみならず、心しなければならない点ですね。そしてお話のあったように、時に自分の感謝の気持ちを“形”にしていくことも大事でしょう。
 ともあれ、パートナーのそれぞれに特質があり、またお互いに培ってきた知識や知恵もある。それぞれが持っていない良い「違い」があるはずです。それをお互いが尊重し、吸収し、補い合うことが、互いの成長への糧となり、自分の心も広げていく。その分、自身の幸福感も確かなものになっていくのではないでしょうか。

サイフェルト その通りだと思います。最近の、特に仕事を持っている女性は、昔に比べると社会的にも経済的にも自立していて男性に依存していませんので、「もうたくさん!」「私は私の道を行きます!」ということが、ある意味で言いやすくなっているのは事実だと思います。
 また、これといった理由がないまま、伴侶と別れる女性もたくさんおります。
 私には、娘のように慕ってくれる友人がいるのですが、彼女はあっさりと夫と別れました。いい陽気のある日、彼女から電話があり、離婚届を提出したと言ったのです。特に争うことなくです。彼女は素晴らしい研究者でしたが、子どものためにウィーンでの仕事をあきらめ、すでに引っ越しをした後でした。6歳の娘、2歳の息子という2人の子を抱え、養育していかなければならなくなったのです。
 子どもを持つ母親は年中無休です。彼女は途方に暮れていました。教育や養育に、別れた相手の協力は得られませんでした。今は、こうした問題にも対応する社会の構造を整備する必要があります。
 私が、女性が優れた教育を受けるべきというのは、こうした結婚観の変化も背景にあります。今や「どうせ、結婚するのだから」などと言ってはいけません。ただでさえ結婚は“宝くじ”のようなものです。うまくいくかどうか、誰にも分からないわけですから(笑い)。
 100年前、結婚は生涯で一度きりのものでした。今では、一生というより、人生の節目ごとに伴侶が変わる人も珍しくないのです。こうしたとらわれない価値観から言えば、女性が教育を受け、就業度が高ければ高いほど、より女性の立場は安定したものとなるのです。

池田
 おっしゃる意味はよく分かります。それが現代社会の大きい変化なのかもしれません。
 いずれにせよ、互いに高い「目的観」と深い「人生観」を持って生きる努力が、ますます大切ではないでしょうか。共に確かな「幸福観」をつかむことです。何があっても揺るがぬ自分自身を築き上げることです。真の意味で自立していくことです。
 マリー・キュリーや音楽家のクララ・シューマンなど、最愛の夫に先立たれながら、悲しみを乗り越えて偉業を残した女性も多い。要は、幸福を決めるのは環境ではない。結局は自分自身であるということでしょう。
 かつて戸田第2代会長を囲んでの勉強会で、劇作家イプセンの代表作『人形の家』が題材となりました。女性の自立について先駆的に問い掛けた作品です。若い女性たちの勉強会で教材にされました。さらに恩師は「男は強いばかりが能じゃない。横暴になるのでなく、たまには、こういう本も読みなさい」(笑い)と、私たち男性にも読ませたのです。
 物語の最後、主人公のノラは、自分が夫に従属し、かわいがられるだけの「人形」だったことに気付き、「人間」であることを求めて新たな一歩を踏み出します。この劇的な幕切れを通し、恩師が、それぞれの人生において「この続きをどう書いていくか」と励まされたことが印象深く心に刻まれています。
 人間には、誰しも限りない可能性があり、幸福になる権利がある。幸福の“宮殿”を、わが胸中に輝かせていくための仏法であり、私どもの信仰です。
 戸田会長は、自立した女性一人一人が幸福な人生を歩みながら、新しき連帯を築くことによって、新しい時代変革の波が起きていくことに大いなる期待を抱いていました。私も、女性こそが平和の使者であり、女性の力がより社会に反映されていくことが、必然的に生命尊重の社会建設につながっていくと確信してやみません。

サイフェルト 私も全く同意見です。戦争などによって、自分のおなかを痛めて産んだ子どもを失うのは女性だからです。命を守ろうとするのは、本来女性にそなわっている本能なのですから、女性が常により高い地位に就けば就くほど、喜ばしいことだと思うのです。

池田 冒頭に語り合ったズットナーの思想と行動を受けて、ノーベル平和賞が創設されたともいわれていますね。彼女自身、ノーベル平和賞を受賞した最初の女性です。
 ズットナーは苦しい家計をやりくりし、夫と共に自らも働いて生活を支えつつ、寸暇を惜しんで本を読み、知識を蓄えました。そして19世紀末から20世紀にかけて帝国主義が席巻する時代に、オーストリア平和協会を設立し、一人また一人と対話を重ねながら、平和の輪を拡大していったのです。
 創価の女性たちも、多忙な日々の合間を縫って一対一の語らいを根本に、勇気と希望のスクラムを粘り強く広げています。自身の悩みの克服だけでなく、自他共の幸福の建設へ、祈り、行動を続けています。それは、まことに地道ですが、何ものにも止められない、世界平和への堅実にして確固たる歩みであると讃えたいのです。
2014-01-10 : 生命の光 母の歌 :
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