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随筆 我らの勝利の大道 No.116 広布の模範・離島部

随筆 我らの勝利の大道 No.116     (2013.10.19付)

広布の模範・離島部

一人立つ勇者こそ希望の灯台なり
不屈の前進! 支え合い励まし合って


わが島 わが郷土に 幸あれ 栄えあれ

 台風26号による深刻な豪雨災害に、胸を痛めております。被災された皆様、ご関係の皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
 伊豆大島では甚大な土砂災害が起こり、多くの方々が亡くなられました。行方不明者の捜索活動も懸命に続けられています。
 茨城県等、八丈島、青ケ島等でも被害がありました。
 各地の農業にも影響が出ています。被災地の復旧を深く祈念しております。
 私たちには、金剛不壊の「心の財」があります。不撓不屈の強き信心で、必ず変毒為薬していけるのです。
 私は、亡くなられた方々のご冥福を衷心より祈るとともに、いやまして真剣に題目を送り続けます。

島を起点に世界へ
 明年の学会のテーマは、
 「世界広布新時代 開幕の年」と発表された。
 ここでは、あらためて「顕仏未来記」を拝したい。
 日蓮大聖人が示された「未来記」とは何か。
 それは「仏法西還」すなわち妙法の「世界広宣流布」の成就に他ならない。
 本抄の冒頭に引かれた法華経に云く、「後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」(御書505㌻)と。
 そして大聖人は、「仏法必ず東土の日本より出づべきなり」(同508㌻)と仰せになられた。
 太陽が東から昇って地上を照らす如く、大仏法が世界を照らす時が必ず来る。
 大聖人は、この大宣言を佐渡の島で、「今年・今月万が一も脱がれ難き身命なり」(同509㌻)という流難の境遇の中、一閻浮提へ、末法万年の人類のために放たれたのである。
 この大願に直結して死身弘法の戦いを起こしたのが創価の師弟である。
 1960年(昭和35年)の10月、世界広布の第一歩を踏み出した私の最初の訪問地は、アメリカ・ハワイのオアフ島であった。
 それに先立つ7月、パスポートを携えて初めて訪れたのは、復帰前の沖縄本島である。またアジア最初の座談会を行ったのは、翌年の1月、香港島であった。
 さらに、1975年(同50年)1月、SGI(創価学会インタナショナル)が発足した天地は、グアム島である。世界広布への大航海は、不思議にも「島」から始まったのである。
 そして今、世界の島国、また島々でも、地涌の同志が、希望のスクラムを組んで、力強く活動に励んでおられる。島の広布も、“世界同時進行”である。

「宝友《とも》」と生き抜く
 宝友《とも》ありて
   我らの島は
       宝島

 本年の7月、聖教新聞の「地域紀行」では、北海道・奥尻島が掲載された。
 20年前に襲った、北海道南西沖地震。津波で壊滅状態となったあの日から、苦難を越え、復興を遂げた様子が報じられ、紙面を飾った友の誉れ高き笑顔が、島の勝利を物語っていた。
 また、島根県・隠岐諸島の友からは、先月、「世界ジオパーク」に認定されたとの大きなニュースが届いた。
 ジオパークとは、地質や地形が地球科学的価値を持つ自然公園のことを指す。
 隠岐諸島の場合は、ユーラシア大陸と一体の時代、湖や深海の底の時代、火山活動で隆起した時代など、「七変化」ともいわれる多様な変遷を重ね、現在の島の形になったそうだ。
 島の自然が、幾多の変化や試練を経てきたように、人びとの暮らしも様々である。離島ならではの悩みや苦労も多いに違いない。
 海洋島嶼国・日本の有人島の数は418島。その中で、わが離島部の友は、地涌の誇りを胸に、「我らの島に幸あれ」「わが郷土に繁栄あれ」と、誠実に地域に貢献してこられた。
 ただ一人、あるいは数人で、旗を掲げて奮闘されている同志もおられる。
 どんなに小さな地域も、“広宣流布の起点”となる偉大な使命と力をもつ。
 私は固く確信していた。
 「離島こそ広宣流布の先駆の天地なり」と。
 その出発点は、何よりも「一人立つ」ことだ。
 広布の誓願に燃えた一人がいれば、そこから新たな前進が始まる。正しき法を持《たも》った「一人立つ」勇者が、地域社会を明々と照らす希望の灯台となるのだ。
 これが、「立正安国」の信心の方程式である。
 まさしく、離島部の友は“創価の全権大使”との決意で、「執念の祈り」と「誠実の行動」に徹し、着実に、堅実に、理解の輪を広げてくれている。
        ◇
 今年の10月7日は、「離島部の日」35周年──。
 東日本大震災からの復興を進めている東北でも深き意義を込めた「離島代表者会議」が、宮城県の野々島で意気軒昂に行われた。
 記念の会合は既に北海道や和歌山県(大島・串本友好の集い)で開かれ、今後、兵庫の家島で行われる。
 さらに中部・岡山・広島・長崎では、離島サミットが開催されると伺っている。

大福運の根っこを
 この「離島部の日」は1978年(昭和53年)の10月7日、離島の友が学会本部に集い、第一回総会を行ったことが淵源である。
 求道の友が全国約120の島々から、遠路を厭わず海を越えて参集された。
 北海道の礼文島や利尻島、東京の伊豆大島、八丈島、関西の淡路島、中国・四国の因島、周防大島、伯方島、小豆島、直島、九州の壱岐・対馬、五島列島、奄美大島、沖永良部島、トカラ列島、沖縄の久米島や石垣島、宮古島などで奮闘する、尊き同志の方々であられた。
 まさに「道のとを(遠)きに心ざしのあらわるるにや」(同1223㌻)と、大聖人が讃えられた通りの方々であった。潮《うしお》に磨かれた精悍な顔、太陽のように明るい顔を、にっこり、ほころばせていた。
 私は総会の最後に御金言を拝した。
 「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然《じねん》に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ」(同234㌻)
 大聖人が厳寒の佐渡で認められ、創価の師弟が生命に刻んできた「開目抄」の一節である。いかなる苦難があろうが、我らは不動の信念で進むのだ。不退の正義を共に貫くのだ。
 「子孫末代までの大福運の根っこを!」──私の呼び掛けに呼応し、参加者はそれぞれの島で、美事な根っこを築いてくださった。今、広布の大樹が、あの島この島に、大きく揺るぎなく成長している。
        ◇
 総会の最前列に、伊豆諸島の三宅島から参加した壮年がいた。三宅島初の支部長であった。
 1955年(昭和30年)に夫婦揃って入会。郷里の三宅島で地域広布に尽力してこられた。
 草創期、学会への偏見は根強かった。弘教に歩けば、水を掛けられ、塩をまかれた。「何を企んでいるんだ」と罵声を浴びせられたこともあったという。
 しかし夫妻は朗らかに答えた。「私たちは、島の宿命転換と人びとの幸福のために戦っているんです」
 御聖訓には、「心の一法より国土世間も出来《しゅったい》する事なり」(同563㌻)と仰せである。
 大事なのは「心」だ。
 広布に戦う「魂」だ。
 自分が変われば周囲が変わる。周囲が変われば世界が変わる。「心の一法」の在り方で、全てを変えていくことができるのだ。
 混迷の闇が深いほど、仏法の智慧は光り、誠実と勇気の振る舞いが光る。
 ご主人は支部長として奮闘する傍ら、島の教育委員長や消防団長等も務めた。誠心誠意の行動の積み重ねから、学会への信頼も広がっていったのである。
 2000年(平成12年)8月の三宅島の大噴火で、島の人びとの生活は一変した。4年半にわたる全島避難を余儀なくされた。
 この間、首都圏をはじめ全国に避難された友は励まし合い、支え合ってきた。いずこでも、同志の温かさが大きな力になった。
 困難に断じて屈しない負けじ魂で、三宅島の友は「広宣流布のモデルケース」を築いてくださった。
 夫妻は共に80歳を迎える今も、学会精神に燃えておられる。ご自宅を個人会館としても提供してくださり、感謝に堪えない。

使命の大地の柱に
 文永8年(1271年)、大聖人は佐渡に御到着された直後に仰せである。
 「命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也」(同955㌻)
 大難の真っ只中で掲げられた御本仏の「世界広宣流布」の大誓願に、有り難くも連なる我らである。その宿縁はあまりにも深く、福徳はあまりにも大きい。
 わが島を──
 自他共の「和楽島」に!
 幸福輝く「希望島」に!
 「世界広布新時代」の前進を、わが使命の天地で新しい地涌の人材を呼び出しながら、仲良く力を合わせて開始しようではないか!

  誉れある
   使命の島の
    柱たれ
   その名は三世に
     諸仏も讃えむ
2013-10-20 : 随筆 我らの勝利の大道 :
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