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生命の光 母の歌 第1章/第2章/第3章

生命の光 母の歌

 池田SGI(創価学会インタナショナル)会長とオーストリアの元文部次官で声楽家のユッタ・ウンカルト=サイフェルト博士との連載対談「生命の光 母の歌」が本紙でスタート。
 ユッタ・ウンカルト=サイフェルト ウィーン大学で哲学博士号を取得。オーストリア政府の元文部次官。声楽家(ソプラノ歌手)。ヨーロッパ青年文化協会の会長として、青少年教育に尽力。これまでSGI会長が創立した民音の招へいで5回来日し、コンサートを行うなど、両国の友好を大きく推進してきた。ウィーン在住。

第1章 出会いの曲、ウィーンの調べ(上・中・下)  (2013.10.8/10/11付 聖教新聞)

人生は「今」を生き切る戦い

SGI会長
「音楽の使者」と奏でる対話のハーモニー

池田SGI会長 グーテンターク!(こんにちは!)
 文化は国境を越え、人と人との間に「心の橋」を架けていきます。
 音楽は、言語の違いを超えて、人々に「歓喜の共鳴」を広げます。
 激動の時代にあって、偉大な「文化の大使」「音楽の使者」として世界で活躍してこられたサイフェルト博士と、文化と人生、平和をめぐる新たな対談の機会を得、これほどの喜びはありません。

サイフェルト博士 池田会長、私も本当にうれしいです!
 この時を心待ちにしていました。
 自由闊達な意見交換ができればと思っております。私たちの考え方には、共通項がたくさんあるのですから!

池田 サイフェルト博士は、オーストリアや日本をはじめSGIの同志に、何度も美しい歌声を披露してくださいました。
 また、忘れ得ぬ夫君のラルフ・ウンカルト博士とご一緒に、私たち夫婦も度々お目にかかり、友誼を結んでくることができました。
 1992年6月、ウィーンを訪問した折には、わざわざ空港で迎えていただき、その真心は永遠に忘れられません。
 この対談も、陽光に緑が映える芸術の都ウィーンの公園で、コーヒーとザッハトルテ(オーストリアのチョコレートケーキ)を味わいながら、ゆったりと語らうように進めていきましょう。
 博士が語られる全てが、特に多くの母たち、女性たちへの大いなる励ましとなることは間違いありません。

サイフェルト ありがとうございます。
 でも、私からすれば、激励するという立場には当たらないと思います。
 もちろん、少しでも多くの女性たちの力になればと願っていますが、今回の対談はむしろ私自身にとっての励ましです。
 当たり前の日常にあって、まだまだやり残していることがあるのではないか──自問自答を続ける中で迎えた待望の機会だからです。
        ♪
池田 以前にお会いした折も、言われていましたね。
 「人生はあまりにも短い。“何か”を残さねばならない」と。
 今も変わらず若々しい心で、謙虚にそして真剣に人生の価値を探求し、創造される姿勢に感動します。
 私はローマの哲人セネカが友人(ルキリウス)に贈った言葉を思い出しました。
 「物事を先送りしていれば、人生はそのあいたに過ぎてしまう。この世に何一つとして、ルキリウス、自分の所有物だと言えるものはないんだ。時間だけなのだよ、これぞ自分のものと言えるのは」「これこそ、どんなに感謝してもし足りないほど値打ちのある唯一つのものなのに」(中野孝次著『セネカ 現代人への手紙』岩波書店)
 何のために、どのように、時間を使うか。そこに、その人の生き方が表れます。

サイフェルト ええ。そして、一定の年齢に達した時、つまり私にとっての最近の数年間における関心事は、いわゆる「死への準備」を整えることです。
 わが人生に、あと、どれほどの時間が残っているか、誰にも分かりません。
 だからこそ、時間は大切であり、かけがえのないものとなるのです。

池田 仏法では、「臨終只今にあり」(御書1337㌻)との覚悟で、今の一瞬一瞬を大切にし、一日一日を真剣に生き切り、最高の価値を創造していく道を教えています。
 いかに財産があっても、立場があっても、それが人生の確かな充実になるとは限らない。むしろ、虚像となってしまう場合が、あまりにも多い。
 ですから、いかなる目的を持ち、いかなる哲学を持って、人のため、社会のために尽くしていくかが大事になるのではないでしょうか。

サイフェルト 私自身がそうした深い人生を生きているかどうかは分かりません。ただ、「他者のために自分を使いたい」という強い気持ちがあるのは確かです。

池田 尊いお心です。仏法で説く「菩薩」の精神に通じます。
 さて、私はこれまで3度、貴国を訪問しました。芸術の香気あふれるウィーンの街が大好きです。世界の人々の憧れでもあります。
 貴国の作家ツヴァイクは、多くの民族と文化が融合するウィーンを、“素晴らしく交響曲化された都市”“自然と溶け合っている町”と讃え、市民が愛したブルク劇場を“大宇宙を映し出す小宇宙”と形容しました。
 また「真のウィーン人」とは“文化に対する愛、芸術への感覚を持ち合わせている人”とも綴っています。〈原田義人訳『昨日の世界I』みすず書房〉
 この先哲の洞察は、今もそのまま当てはまるのではないでしょうか。
 アメリカのニューヨーク、スイスのジュネーブとともに国連機関が置かれるウィーンは、国際的な平和交流の舞台でもあり、音楽を愛好する世界市民の都と光っています。

サイフェルト そうかもしれません。ウィーンは文化的にも揺るぎない地位を築いています。
 ウィーン・オペラは芸術的水準が非常に高いといえます。コンサートも、“どこに行ったらいいか分からない”と言っても過言ではないほど、たくさん催されています(笑い)。外国の方々が気に入りやすいと思います。
        ♪
池田 サイフェルトさんにとって、生まれ育ったウィーンはどのような街なのでしょうか。

サイフェルト 私は生粋の“ウィーンっ子”です。母はドイツ人ですが、父はウィーンの出身です。
 観光事業という点から見れば、今日のウィーンは世界有数の都市であるといえます。単に私の意見を申し上げているのではなく、何かで読んだことを記憶しています。

池田 行事の合間に地元の方に、有名なウィーンの森の一角、ヘレン渓谷を案内していただいたことも懐かしいです。
 しんとした静けさに包まれ、わきを流れる小川には“歌”があり、そよ風には“詩”がありました。1981年の5月のことです。濃淡ある美しい緑に、心が洗われるようでした。
 滞在中には、ハイリゲンシュタットにあるベートーベンゆかりの家も訪れ、近くの丘から、ドナウ川とウィーン市街を一望しました。

サイフェルト そうでしたか!
 日本の桜の季節は素晴らしいですが、ウィーンは、会長が散策された春も、そして秋も、素晴らしいです。特にクリスマスの時期は、とても素敵なのです!
 私は各国の大臣の公式訪問の準備をずっと手掛けてきましたから、ウィーンのことは熟知しています。皆さん、ぜひウィーンへお越しになってください!

池田 そう言っていただくと、読者の心も弾むことでしょう。今、日本からウィーンへは直行便も飛んでいます。
 四季折々に美しいウィーンの森のそばに、私どもSGIのオーストリア文化センターはあります。ハプスブルク家の最後の皇女エリザベートが住んだ由緒ある歴史的建造物であり、サイフェルト博士にも幾度となく訪問いただいております。
 その国の独自の文化や歴史を最大に尊重していくのがSGIの基本精神です。
 多様性を大切にしてこそ人間性が豊かに開花し、人間が真に人間らしく生きられる社会が築かれていくと信じるからです。

友のために! 希望の火をともそう

池田SGI会長
私たち《SGI》は、平和と友情と幸福の連帯《スクラム》。「自他不二」の心が未来を豊かにしたい
サイフェルト博士
学会は“わが精神の故郷”。世界中の人々が創価の確かな哲学を求めている

池田 昨年(2012年)6月に行われたオーストリアSGIの集いにも、わざわざ足を運んでくださり、あらためて御礼を申し上げます。
 ウィーンの市立公園でサイフェルト博士がSGIの友と一緒にカメラに納まった写真を、私たちは夫婦で喜びをもって聖教新聞紙上で拝見しました。
 あの公園は、私にとっても思い出深き場所なのです。
 1992年、光栄にも「オーストリア科学・芸術名誉十字章勲一等」を拝受しました。博士からは、真心あふれるスピーチもいただきました。その式典の直後、メンバーと記念撮影したのが、この市立公園なのです。
        ♪
サイフェルト よく存じ上げております。ウィーンには素晴らしい“創価の人々”がいらっしゃいます。私はこれまで、婦人部の皆さんをはじめ、多くの方々と友情を結んできました。
 実は、イギリスのタブロー・コート総合文化センターにも一度お邪魔したことがあります。自分で調べて連絡をとり、電車に乗って一人で行ったのです。
 本当に素敵な建物でした。急な訪問にもかかわらず、スタッフの皆さんが温かく迎え入れてくださいました。まるで自分の家に戻ったような感覚にさえ包まれました。
 私にとってSGIは、どこの国や地域であろうと、自宅に帰ったような居心地の良さを感じるのです。なぜなら、SGIは私の“精神の故郷”だからです。

池田 うれしいお言葉です。“精神の故郷”とは、言うなれば「家族」でありましょう。
 心通う家族と共に過ごすひとときや、故郷に帰る喜びは、何よりも大きいものです。
 私どもが今、進めている運動も、互いの生命に尊極の仏性を見いたし、対話によって心と心の絆を強め、広げていくものです。

サイフェルト 創価学会の皆さまとの出会いは、常にとても心温まる、真心のこもった深い触れ合いでした。本当に私の人生が変わったので、非常にありがたいと思っています。
 もっとSGIが発展すること──これが私の願いです。なぜなら、今ほど人々が確かな哲学を求めている時代はないからです。

池田 温かなご理解、ありがとうございます。
 私どもの信奉する日蓮大聖人は、「人のために火をともせば・我がまへあき(明)らかなるがごとし」(御書1598㌻)と言われております。
 こうした共生の心、共生の哲学が、ますます大事になってきています。“自分さえよければいい”という利己主義がはびこれば、地球は痩せ細るばかりです。
 自分が幸せになろうと思えば、まず自らの地域を安穏にしなければならない──この「自他不二」の心が未来を豊かにします。
 何より、私たちSGIは、平和と友情と幸福の縮図であると確信しています。だからこそ、この創価の希望のスクラムをさらに広げられるよう、努力していきたいと思っております。

サイフェルト そう念願します!
 私たちにとって大事なのは、“人間とは、どうあるべきか”について、明確な答えを持つことです。これは、私がいつも周囲の人々に語っていることでもあります。
 ですから私は、SGIに期待を寄せているのです。

池田SGI会長
「教育」こそ創価の原点。子どものための社会を!そこに世界平和への道が
サイフェルト博士
全盲の父に音楽を学んだ幼少期。青少年の幸福の実現が私の一番の使命

池田 サイフェルト博士は「女性の世紀」の颯爽たる旗手です。
 高名なソプラノ歌手であると同時に、オーストリアの文部次官を務められ、長きにわたって文化行政のスペシャリストとして活躍してこられました。
 お父さまが音楽家であられた影響はもちろんのこと、社会の安穏と人々の幸福に尽くす生き方は、多分にご家庭で身につけ、ご両親から受け継がれた部分が大きいと拝察します。
 「人に尽くす」ことを、ある時は言葉で、またある時は無言のうちに、その姿で伝えゆくようなご家庭であったのではないでしょうか。

サイフェルト 私にとって芸術は、人生そのものです。父はクラシックの音楽家で、私たちは実際に、家ではクラシック作品ばかりを演奏していました。父が声楽の教授だったので、本当にたくさんの楽曲を一緒に楽しみました。
 守られた少女時代でしたが、普通とは違うものでした。私は両親が全盲という状況の中で生まれました。二人は本当に一生懸命、私を育ててくれました。
 私たちは一心同体でした。それはまるで馬車を引く馬のようであり、目の見える先頭の馬に、2頭の盲目の馬が引っ張られながら、お互いのためにできることをしたのです。家族が一体となって、あらゆる出来事に当たっていたわけです。
        ♪
池田 ご苦労は察するに余りあります。幼い頃からご両親の“目”となり“杖”ともなられ、お二人の手を引いて街を歩かれたサイフェルト博士に、お父さまとお母さまは深く感謝しておられたに違いありません。

サイフェルト ありがとうございます。
 でも当時は、そんなことを考えもしなかったのです。
 私は孤独な子どもだったといえます。というのも、同年代の子どもたちとはあまり接点がなく、あったとしても私のことを理解できなかったと思います。
 それでも、父から音楽を学ぶことができ、非常に恵まれた幼少期であったといえますし、それが当時の私の人生の全てであったわけです。
 もちろん、音楽に生涯を捧げた父の人生も困難なものでした。父はオルガニスト(オルガンの演奏家)として、墓地で葬送の演奏をしていました。
 そこで私が亡くなった人を最初に見たのは、5歳の時でした。それ以来、「なぜ人は死ぬのか」「死後は何があるのか」などと、死について考えをめぐらすようになったのです。
 池田会長の幼少期には、何かそうしたことがありましたか。

池田 そうですね。小学生の頃、学校の帰り道、トラックに積んだ鉄材が崩れ、職人さんが挟まれてしまった大きな事故を目の当たりにしたことがあります。その痛ましい場面は、脳裏に刻みつけられています。
 また、私自身、幼少より体が弱かったことから、小学校時代、寝汗をびっしょりかいてうなされながら、「人間は死んだらどうなるんだろう」と考えていたことを覚えています。この病気との闘い、生死の問題への探究は青春時代も続いていきました。
 ところで、博士は、大学では音楽ではなく哲学を専攻されていますね。

サイフェルト 実は、父は私が音楽の道に進むことには反対でした。それは、母もそうでしたが、生活の安定という面から、子どもが自分たちと同じ音楽の道を歩むことを望んでいなかったのです。
 ですから大学では、哲学と古代言語を専攻することになり、その後は行政という社会貢献の道を選択しました。
 1976年に父が他界し、“ついに私自身の音楽を始めるべき時がきた”と感じたのです。
 それでも、まだ母の反対はありましたが、歌の師ともいうべき教授にめぐり合い、その方のおかげで舞台に立って声楽を披露できるまでに育てていただいたのです。

池田 よく分かりました。博士のご活躍は、ご両親の願いを幾重にも実現するものです。ご両親もきっと喜んでおられるでしょう。
 そして今もなお、サイフェルト博士は、青少年教育をはじめ、ますますお元気に社会貢献の活動に取り組まれています。

サイフェルト 私が創立したヨーロッパ青年文化協会では、多彩な活動を行っています。
 例えば、才能ある青少年のためにコンサートを企画したり、海外の団体と協力して、若い音楽家や高校のオーケストラ、合唱団を、オーストリアやヨーロッパ諸国に招へいし、国内の学校などで演奏会を催すこともあります。
 また10年前には、ルーマニアで路上孤児のための施設を開設しました。私にとって非常に大きな課題です。貧困等で子育てができなくなった親が、わが子を置き去りにするという状況が、特にルーマニアで憂慮すべき問題として浮上してきたのです。
 路上孤児のまま成長すると、犯罪に手を染めるようになり、もはや社会の一員となることは難しく、彼らを救い出すことは困難になります。
 友人からその実態を聞きつけた私は、ルーマニアの福祉関係者と連携を取り、子どもたちに必要なもの全てを用意し、心ある人たちによって寄付されたバスで現地まで運びました。
        ♪
池田 崇高な行動です。心から敬意を表します。
 ルーマニアは、私も30年前(1983年)に訪れた、忘れ得ぬ天地です。社会主義体制の崩壊後も、困難な時代が続いてきたことは伺っています。近年、SGIの支部も誕生し、希望と励ましの絆を広げながら、社会に貢献しております。
 時代の混迷は、青少年に大きな影を落とします。
 その青少年に手を差し伸べることは、何よりも大切なことです。

サイフェルト ええ。施設にはまだまだ援助が必要な状況ですが、10年たった今、少しずつ成果が出ています。
 まず年長の子どもたちは全員、学校に通っています。その中の一人の少女は、大学入学資格試験で優秀な成績を収め、国の奨学金を得て医学部に入りました。なんと素晴らしいことでしょうか!
 子どもたちの幸福の実現こそ、私の一番の生きがいであり、使命であると思っています。

池田 胸に迫るエピソードです。わが創価の原点もまた「教育」です。
 牧口常三郎初代会長は、軍国主義の時代に「教育は子どもの幸福のためにある」と主張し、独創的な『創価教育学体系』を著しました。
 第2代の戸田城聖会長もまた教育者でした。
 お二人は軍部政府の弾圧で投獄され、牧口会長は獄死しています。
 第3代の私は、平和と民衆の幸福を願った両先生の構想を実現するために、世界に創価教育のネットワークを築いてきました。
 先日も、この5月にSUA(アメリカ創価大学)を卒業した若き英才から、うれしい報告がありました。
 彼はメキシコ系移民の出身です。経済的に大変な状況の中、SUAの奨学金制度を活用して学びに学び抜き、全米屈指の教育NPO(民間非営利団体)への就職を勝ち取ったのです。「教育を受けられない子どもたちの力になりたい」と今、大いなる理想に燃えて新しい挑戦を開始しています。
 子どもたちの人権が守られ、幸福になる権利が保障される社会になってこそ、世界の平和の道は開かれます。
 この対談ではそうした点にも触れつつ、これからの青少年教育のあり方についても意見交換していきたい。そう決意しています。

池田SGI会長
人間と人間の「顔」が見える交流を。苦難に勝つ姿は多くの友を奮い立たせる
サイフェルト博士
互いを認め合う安心感や信頼感──対話において最も大切なのは「魂の共鳴」

池田 サイフェルト博士との初めての出会いは、東京でお迎えした時(1989年7月10日)でしたね。

サイフェルト そうです。当時、私はオーストリア文部省で海外担当の文部次官として働いていました。
 ある日、私はウィーン在住の日本人ピアニストと一緒に仕事をする機会がありました。彼女の友人である創価学会の方々を通じて、初めて池田会長と仏法のことを知ったのです。
 そしてSGIの方々との交流が始まりました。その中のメンバーの一人がヨシオ・ナカムラさん(現・オーストリアSGI参与)です。彼らと話すうちに、会長と私の人生観が似ていることに気がつきました。
 すると、それを察したのか、次の日には文部省の私の机の上に大きな紙袋があり、中にはドイツ語で出版された会長の全ての書籍が入っていたのです(笑い)。
 私は会長の書籍を一気に読破しました。そして、“自分はもう一人ではない! 同じような思考を持つ人がいたのだ”ということを感じ取ったのです。
 私が描いていた人生の実像が非常に明快になった瞬間でした。
 それは、輪廻やカルマ(業)といった概念で、自分の中に当たり前のようにあったものだったのです。
 実は東京で私たち夫婦が会見場に到着した時、玄関に立っておられた方が池田会長とは気づきませんでした。それまで、お目にかかったことがなかったものですから。
 一人の紳士の前を車で通り過ぎたのですが、誰かに”レントゲン″のような達眼で見透かされている気がしたのです。それが会長でした(笑い)。

池田 あの日のことは、私もよく覚えています。オーストリアと日本の修好120周年の佳節でした。
 サイフェルト博士は、両国の交流推進を強く希望され、「大事なことは、交流を通して、多くの人々が互いに『人間として理解し合う』ことです」と強調しておられましたね。全く同感です。
 あれから20数年が経ちましたが、文化交流、教育交流が、ますます大事になっています。
 これだけグローバル化され、情報化社会になっても、肝心の人間と人間の「顔」の見える交流が追いつかない。ゆえに摩擦が生まれ、衝突が起きやすくなってしまった。心の絆の大切さが、多くの人々から指摘されるゆえんです。
        ♪
サイフェルト 忘れてはならないのは、2011年に日本を襲った大地震(東日本大震災)です。本当に恐ろしい出来事でした。東北の被災地で起こっていること、特に福島のことに対して、心を痛めていない人は誰もいません。
 私たちは、日本の皆さまがいまだに生死に関わるような試練と戦っておられることに、祈る思いでエールをお送りしたいのです。

池田 あの震災の直後、サイフェルト博士のインタビュー記事が掲載されました。
 ご主人を亡くされた体験を通し、「人生には、とても多くの苦しみがつきもの」であり、「人はその苦しみに打ち勝つことができる、打ち勝たなくてはいけない」と語られたお言葉は、多くの友の心を奮い立たせるものでありました。
 この「生と死」をめぐっては、また回をあらためて取り上げたいと思いますが、博士との最初の出会いからの、私たちの語らいの主要テーマでしたね。

サイフェルト 本当にそうでした。最初の会見は、当初の予定では20分ほどの懇談で終了するはずでしたが、気がつけば2時間に及んでいました。
 しかしその時、私にとってはある意味、“再会”のように感じられました。過去世からの縁で結ばれていたと言っても、過言ではありません。そして池田会長ご夫妻にお会いするたびに、温かな真心が伝わってきました。
 私は思うのです。対話において最も大切なのは、「魂の共鳴」であると。つまり、お互いの精神の中に互いを認め合ったり、受け入れたりできる安心感や信頼感です。
        ♪
池田 おっしゃる通りですね。さまざまな差異を超えて、同じ人間として、各界・国内外の人々と交流を重ねてこられたサイフェルト博士ならではの含蓄のある言葉です。
 それはまた、私の強い実感でもあります。東西の対立が続いていた1974年9月、私はモスクワ大学の招へいをいただき、初めてソ連(当時)を訪れました。民間人の立場から、日ソ友好の道を少しでも拡大するためです。
 訪問の前に日本国内で巻き起こった、「宗教否定の国に何しに行くのか」などの批判の声に、私は迷わず答えました。「そこに人間がいるから行くのです」と。
 その信念から、教育関係者はもとより、市井の人々とも交流を重ねました。10日間の訪問の最終日に、コスイギン首相との会見がありました。
 「あなたの根本的なイデオロギーは何ですか」と問う首相に、私は間髪をいれず答えました。
 「平和主義であり、文化主義であり、教育主義です。その根底は人間主義です」
 首相は、「この思想を私たちソ連も実現すべきです」と真剣な表情で語っていました。
 会見では、当時、冷え切った関係にあった中ソ間の融和、核軍縮も話題になりました。日ソの相互理解へ、幅広い民間・文化交流を展望したのです。
 コスイギン首相とは、その翌年にもお会いしました。
 首相が亡くなられた後にはご家族を弔問し、令嬢のリュドミラー・グビシャーニさんから、首相の思い出を伺いました。
 ともあれ、他者への尊敬を根底にした語らいを! 生命尊厳の道を見つめる対話を! そこに魂の共鳴もあります。
 真の友情は、国境を越えて、世代を超えて、輝きわたります。
 私たちの対談も、まだ始まったばかりです。存分に語り合いましょう!
 平和のために!
 文化のために!

サイフェルト ええ、喜んで!

第2章 声の力、文化の力 (上・中・下)  (2013.11.4/5/6付 聖教新聞)

サイフェルト博士
何一つとっても自分一人で達成できることなどない。だからこそ感謝が大切です
池田SGI会長
あらゆる人の支えがあって今の人生がある──「知恩」「報恩」が仏法の根本の道

池田 この連載を、日本全国の友が喜んでくれています。北海道の同志からは「1991年の8月、札幌での本部幹部会でサイフェルト博士に『母』の歌を披露していただいた思い出がよみがえりました」との声が寄せられています。
 あの時、博士の独唱には、婦人部の皆さんの歌声も加わり、やがて会場が一体となっての壮大なハーモニーとなりました。総立ちとなった参加者からは、万雷の拍手と“ブラボー”の歓声がいつまでも鳴りやみませんでしたね。

サイフェルト ええ! 覚えていますとも。まるでサッカースタジアムにいるような、熱気あふれるひとときでした。
 この曲は、今や私の「十八番《おはこ》」です(笑い)。日本以外でもよく歌ってきました。オーストリアやアメリカ、アルゼンヂン等々……。お気に入りのアンコール曲です。
 そして歌い終わると、常に会場は満場の喝采に包まれます。それは、この曲が持つ音楽性も影響しているかもしれません。というのも、日本語が分からない聴衆にとっては、この歌詞の内容がすぐには理解できないわけですから。
 この曲は、どのようにして作られたのでしょうか。

池田 もともと、この「母」の歌の原詩を私が発表したのは、1971年の秋でした。残酷な戦争に苦しめられ、人生の風雪と悲しみに耐え続け、最も生命の尊厳を知っている庶民の母たちに思いを馳せて綴ったものです。それから5年後、音楽大学出身の2人の乙女が、この詩に曲をつけてくれたのです。
 実は当時、私の母は健康が優れず、病床に伏しており、奇しくも、この歌は母が亡くなるひと月ほど前に完成しました。母もテープを聴いて、喜んでくれたようです。
 母よ、あなたの願いが翼となって天空に舞いくる日まで、いついつまでも達者に──この祈りを基調にして紡ぎ出してくれたメロディーなのです。
 ところで、博士はコンサートが終わると、毎回、客席に花束を持って下《お》りていき、聴衆に花を配られると伺いました。

サイフェルト それは、私が初めてコンサートの舞台に立って以来、ずっと習慣にしていることです。最初に歌った時、「これから先、コンサートでいただくお花は、せっかく足を運んでくださった方に差し上げていこう」と誓いました。ステージで歌わせていただいたことへの「感謝のしるし」なのです。
 私にとって、舞台に立って演奏することは、聖なるもの──カトリック的に言えば聖霊でしょうか──からの贈り物を受け取り、他の人に継承
することです。
 私がこれまで達成したことは、どれ一つとっても、自分一人で成し得たことではありません。全て私に与えられたものなのです。だからこそ、非常に大切なのが感謝の気持ちだと思っています。

池田 深い美しい心に胸を打たれます。今、自分がこうして生きているのは、決して一人の力ではない。父母をはじめ、あらゆる人の支えがある。さまざまな恩恵のおかげで、自分の存在がある。ゆえに仏法でも「知恩」「報恩」を最大に重んじます。恩を知り、恩に報いる生き方を教えているのです。
 サイフェルト博士の真心が共鳴を奏でた日本各地での公演では、「浜辺の歌」「荒城の月」なども見事な日本語で披露され、大きな感動を広げたそうですね。

サイフェルト 来場された方にとって馴染みの深い歌を通し、それぞれの思い出に語りかけ、懐かしい時を共有したかったのです。日本の歌曲には舌がもつれそうな時もありますが(笑い)。
 残念なのは、私がいまだに日本語を話せないことです。とても好きで、興味のある言語なのですが、日本語を読み出して5分もたつと頭痛が始まり、目で追えなくなってしまうのです(笑い)。
 ただ、日本語の響きと構造は大変に興味深く、美しいと思います。音楽的でさえあります。ですので、よく耳を澄まして聴いていると、その響
きから、何を話しているのかは大体分かります。
池田 日本語の難しさといえば、アメリカの大科学者ポーリング博士との語らいを思い起こします。私のように姓が「I」から始まる場合、英米では「アイ」と読んでしまうことなどを挙げられながら、「日本語の発音、アクセントは私たちには分かりづらい」と嘆かれていました(笑い)。
 それはそれとして、優れた音楽家は、他国の言語であっても、独特の直感力で言葉の実の真情をくみ取ることができるのではないでしょうか。
 そこにも私は、音楽の力、芸術の力を感じます。それは立場や民族、国境を超えて、人々の心と心を結ぶ大いなる力です。
        ♪
サイフェルト よく分かります。
 日本公演といえば、もう一つ大きく心に残っているのが、2001年9月のコンサートです。
 9・11「アメリカ同時多発テロ」事件の直後のことでした。日本行きのトランクの荷造りをしていた私のところに息子が来て言ったのです。
 「だめだよ! 今、日本に行くなんて。そんなことはできないよ!」と。
 私の身を案じてのことでしたが、私は反射的に答えていました。「こんな時だからこそ、行くのよ」。その2日後(9月14日)、日本公演がスタートしたのです。
 ステージに立ち、来場した皆さんに訴えました。「ここにいる私たち全員の祈りを音楽に合わせ、テロの犠牲者の方々に捧げましょう!」
 そこには、「一体となった力」が漲っていきました。それは、私も含め、私たち全員にとって、感慨深い素晴らしい体験となったのです。

池田 「人間を高貴にするのは心情です」(柴田治三郎編訳『モーツァルトの手紙』岩波書店)とモーツァルトは記しました。まさに、やむにやまれぬ心情からの訴えだったのですね。
 「9・11」はあまりに衝撃的な事件でした。こうした時にこそ、傷ついた人に寄り添い、共々に勇気を呼び覚ます芸術家の渾身の表現は本当にかけがえのない力ですね。

サイフェルト そうです。ともかく自分が芸術に込めた魂を伝えていくことです。そうでなければ何も伝わりません。芸術家であれば、誰もが同じことを考え始めるでしょう。そしてそれこそが、私たちを人間たらしめるものだと思うのです。

池田 音楽の力は大きい。人々に勇気と希望を贈ります。東日本大震災の被災地でも、心の復興を願い、多くの芸術家がボランティアで演奏会を開いています。
 創価学会の音楽隊もコンサートを開催してきました。東北学生部の復興祈念音楽祭は「ロック・ザ・ハート(心を揺り動かせ)」をテーマに、励ましの響きを広げました。
 また、民音では昨年より、地元放送局等と共同主催で、福島や宮城、岩手の小・中学校で「東北希望コンサート」を行ってきました。
 毎回、アーティストの方々が「少しでも寄り添っていきたい」との思いで学校を訪問し、取り組んでくださっています。
 よく返礼の意味も込めて、子どもたちが校歌などの合唱をしてくれるといいます。逆境にあっても未来へ向かって生きている子どもたちの歌声に、逆にアーティストが涙しながら励まされる。そうした感動の交流が広がっていると伺っております。

サイフェルト 皆さまの行動に心から共感いたします。一番大切なことは、助けを必要としている人がどこにいるのか、ということを常に考え、行動することではないでしょうか。

サイフェルト博士
自らが体験して初めて歌に命が宿る。人生も、芸術も、経験した分だけ深みが出る

池田SGI会長
「声仏事を為す」。皆に勇気と希望を贈ろう! 自分にしか幸せにできない友が必ずいる

池田 歌は心──一流の歌手の方々が言われる言葉です。私も折に触れて、合唱に取り組む青年たちに、「心で歌い、心で聴かなければ歌の精神は分からない」と語ってきました。サイフェルト博士は歌われる際には、一曲一曲、どのような思いを込めて歌われますか。

サイフェルト
 そうですね。まずは歌詞に書いてある情景を思い浮かべます。そして、作曲家がどんなイメージを持っていたか、あるいは、作曲している時に何か特別な出来事があったのではないか、などと考えますね。

池田 作曲した音楽家の心情や背景にまで思いを寄せるには、人知れぬ研究と努力の積み重ねが必要でしょう。それは、作詞家、作曲家の深い人生観や生き方に肉薄し、共鳴してこそ成し得るのではないでしょうか。

サイフェルト
 ええ。私は歌曲を好んで歌いますが、そこには作曲家によって昇華された詩情があります。
 2、3分のとても短い時間で、表現すべき思いを歌に込めなければなりません。自分自身の内面で咀嚼し、私自身の心の奥に潜む感情を取り出して、歌曲を自分なりに消化し、理解し尽くす。そうしてすっかり自らのものとした精神状態で表現しなければなりません。
 曲の中には、若い人にとって、歌うのが難しいものもあります。もちろん若い人も歌うことはできますが、人生経験を積めば積むほど、歌い方も変わってきます。それはちょうど、20歳で読んだ本を50歳の時に読むと、また違う感想を抱くのと一緒です。

池田 含蓄ある言葉です。一つの歌曲からも、人生の年輪と共に、尽きることのない価値を創り出していけるのですね。音楽も文学も美術も、自分の生命を映し出す「鏡」であり、多彩な心を引き出す「縁」であるともいえるでしょう。同じ作者、同じ作品であっても、こちらの境涯の深まりによって、新たな発見があるものです。
 今のお話から、論点が異なるかもしれませんが、恩師、戸田城聖先生の薫陶を思い起こしました。師は折に触れ、私たち青年に歌を歌わせました。その歌に合わせて、舞われることもありました。さめざめと涙されながら聴いてくださることもありました。そして、「歌の心を知れ」と教えてくださったのです。
 歌い方一つをとっても、思いがこもっていなかったりすると、「そんな歌い方で、この歌の心が分かるか」と厳愛の指導をいただくこともありました。厳しい師でしたが、そうした一つ一つの訓練が私の人生の宝になっています。
 今、人生経験というお話もありましたが、博士の人生の中で、歌曲にまつわる忘れられない思い出は、何かありますか。

サイフェルト そうですね……。1987年、主人と結婚する以前のことですが、10年間お付き合いをしていた方が亡くなりました。本当につらいことでした。その時に、ある方が私に、「シューマンの『女の愛と生涯』を歌うのは今よ」と助言してくれたのです。というのも、この歌の中には、死んだ男性を弔いながら女性が語り出すフレーズがあります。

 ♪今、あなたは初めて私を悲しませ、それは私を突き刺した。
 冷たい、無慈悲な人、あなたは死の眠りについている。
 この残された女は前をぼんやりと見つめ、世界が虚しく思える。
 私は愛し、生きた。もう私は生きてはいないよう。

 ──彼の死は、まさに私を突き刺しました。だからこそ精神的に成熟し、それを歌えるようになっていたことも事実でしょう。しかし、本当に、つらく悲しかったのです。
 災難は、自分が体験して初めて痛みとして感じることができます。それはまるで、わが子をおなかに宿したかのように、この歌曲を命に宿すことなのです。

池田 胸に迫るお話です。かつてお会いした、「20世紀最高のバイオリニスト」と讃えられたメニューイン氏も語っています。
 「年齢を重ねて人生に身をさらすにつれて、音楽はこれまでに経験したすべてがしみこんだものとなります」(ロビン・ダニエルズ編、和田旦訳『出会いへの旅 メニューインは語る』みすず書房)と。
 そして、それこそが表現に深みを与え、聴く人の胸中に強く響くのでしょう。
 若き日、私が繰り返し聴いた歌曲の一つに、シューマンの「流浪の民」があります。その流麗な旋律を聴くたびに、たまっていた疲れがスーツと洗い流されていくようでした。ブナの森を仮の宿として、歌い踊りながら、誇り高く旅に生きる人々は、何を思い、その胸には何が燃えているのか──。思いをめぐらせたものです。
 芸術とは、自分や時間、空間を超えた、ある「大いなるもの」や「永遠性」への発信だと思います。それはまさに「祈り」に通じる営みです。
 「悩みを通じての歓喜」(ロマン・ロラン著、高田博厚訳『ベートーヴェン』第三文明社)と友への手紙に綴り、その通りの人生を生きた楽聖・ベートーベンの楽曲が、多くの人の胸を打つのも、このゆえではないでしょうか。
 サイフェルト博士は、「声というものは、聖なるものと人間を繋ぐ橋」だと言われています。本物の芸術には、どこかに必ず「聖なるもの」「大いなるもの」「永遠」が表れているはずです。

サイフェルト 全くその通りです。それが分からない人は、真の芸術家ではありません。

池田 先ほどのメニューイン氏は、こうも記されました。「人間は本来、宗教的存在であり、また、本来、芸術家的存在でもあって、たえず理想を現実に、神秘を常識に移しかえようと努力しつづけている」(イェフディ・メニューヒン、カーティス・W・デイヴィス著、別宮貞徳監訳『メニューヒンが語る 人間と音楽』日本放送出版協会)と。
 「聖なるもの」を感じる時、そこには芸術性があります。それを、宗教性と呼んでも差しつかえないでしょう。一幅の絵や書の中に、ある瞬間の楽器の音色や歌声の響きに、または舞台上でのある台詞《せりふ》に、所作の中に──。その時、人々の心の中に、深い芸術の感動が刻印され、芸術家の「祈り」が届くといえるのではないでしょうか。
 芸術・文化とは、いうなれば力強い生命の価値創造への「触媒」であると思います。
 社会がどのような状況であろうとも、この「触媒」の周りは、澄んで明るくなり、これに触れる人は、魂の解放や活力、安らぎ、潤いを得る。
 そういった生を輝かせるパワーの源であるのです。私は、音楽とは常に「人生の前進へのメッセージ」であってもらいたいと思います。

サイフェルト
 まさにそうですね。他の人に力を与えるということでもありますね。
 人間は、それぞれ独特の、その人特有の声を持っています。一人一人の顔が全く違うように、誰一人として同じ声を持っている人はおりません。そして、それぞれの声の響きを通し、その人の喜怒哀楽を伝えることができるのです。
        ♪
池田 仏典にはこうあります。「声仏事を為す」(御書708㌻)と。他の言葉に言い換えるなら、「仏事」とは、誰人にも胸中に尊極な生命があることを教え、人々に「生きゆく力」と「希望」そして「勇気」を贈るという意義になりましょうか。

サイフェルト その一節、とても素晴らしいと思います。伺って、忘れられない思い出が心に浮かびました。
 池田香峯子夫人についてです。私が個人的な悩みを抱え、本当につらかった時にお会いしたことがありました。
 内容はお伝えしなかったのですが、お別れの折、思わず涙が出てしまいました。その時、香峯子夫人は一言、とても優しく寄り添うような言葉で慰めてくださいました。そして南無妙法蓮華経との題目を唱えてくださったのです。
 それまではとても不安で、できれば家に戻りたくないというのが本心でしたが、それから帰宅し、全て解決できました。
 あの時、香峯子夫人の声に救われました。思い返すと、今でも涙が出てきます。本当に感謝しています。私に日本語ができれば、自由にお話がしたいのですが。

池田 そのお心だけでも、妻は最大に恐縮し喜ぶことでしょう。
 ともあれ、心のこもった声は命を軽やかにし、生きる力を与えます。日蓮大聖人は、「梵音声と申すは仏の第一の相なり」(同1122㌻)と綴られています。仏が持つ、人々を救いゆく数々の勝れた特徴の中で「声」が最も大切な性質であると説かれているのです。
 それは、何か特別な「声」ではありません。自分の身近な人、縁する人を、心から励ましていく。言葉巧みな言い回しなど必要ありません。真心を伝えていくことです。たとえ病気等で声が出せなくても、振る舞いで、自らの姿で人を励ますことはできます。誰にでも、その人にしか幸せにできない人が必ずいるのです。
 私たちは心広々と、「平和の声」「歓喜の歌」を高らかに響かせながら、幸福・勝利の大道を共に歩んでいきたいものです。

サイフェルト博士
私の使命は、芸術の推進とともに、人間の中へ、民衆の中へ、光をもたらすこと

池田SGI会長
文化を愛する心に国境はない。精神を豊かに耕す創造的な社会を築きたい

池田 歌には、人の心を鼓舞し、勇気を湧き上がらせる力があります。
 「あの歌があったから、今の自分がある」という方も多い。歌の持つ力は計り知れません。
 この対談を読まれている、ある声楽家からは、サイフェルト博士の最もお好きな曲、お好きな音楽家を教えてくださいとの質問がありました。

サイフェルト それは本当に難しいですね。グスタフ・マーラー、リヒャルト・シュトラウス、そしてワーグナーなどでしょうか。でも、しぼりきれません。私に10人子どもがいたとして、貴方《あなた》の一番のお気に入りの子どもは誰ですか、と聞かれているようなものです(笑い)。

池田 それは見事な答えです(笑い)。音楽が好きで好きで仕方ないという真情が、よく分かります。

サイフェルト ただ私にとって、いわゆる「座右の歌曲」といえるものは、シューベルトの「音楽に寄す」です。

 ♪やさしい芸術よ、何と数多くの灰色の時……

 で始まるあの曲です。
 この歌曲は、私にとって、まさに「芸術への讃歌」そのものです。

池田 私も大好きな曲です。

 ……人生に容赦なくわずらわされた時に/私の心に火をつけて暖かい愛情を感じさせ/よりよい別世界に運んでくれたことでしょう!(石井不二雄直訳『新編 世界大音楽全集 声楽編23 シューベルト歌曲集Ⅳ』所収、音楽之友社)

 と続くのですね。素朴ながら、味わい深い調べが織りなす名曲で、民音公演でも歌っていただき、大好評だったと伺っています。
 今、日本は「芸術の秋」を迎えています。至高の芸術といえば、懐かしく思い出すのが「ウィーン国立歌劇場」の来日公演です。
 1980年9月、民音の招聘による、世界的なソリスト、指揮者、ウィーン国立歌劇場管弦楽団、合唱団など、総勢350人の「引っ越し公演」でした。上演された「フィガロの結婚」「サロメ」などは、多くのファンをうならせ、大反響でした。
 この秋、民音は創立50周年、東京富士美術館は開館30周年を迎えました。
 貴国ともこれまで、「ウィーン・モーツァルト少年合唱団」(73年)の民音公演をはじめとして、東京富士美術館の「クリムトとウィーン印象派展」(96年)や「華麗なるオーストリア大宮殿展」(2009年)、またオーストリアにおいても「日本美術の名宝展」(1992年)などを開催し、大変な盛況を博しました。

サイフェルト 両国間で、数え切れないほどたくさんの文化行事を開くことができました。それは、これからも続いていくでしょう。この文化
交流がお役に立てたのでしたら、これ以上の喜びはありません。何よりの誇りです。
 中でも、常に感動をもって思い出されるのが、92年に私たちが手掛けた、キュンストラーハウスでの「自然との対話-池田大作写真展」です。私は、会長の撮影した写真が、とても好きなのです。

池田 あの時は本当にお世話になりました。その前年には、オーストリア芸術家協会の「在外会員」の称号をいただきました。光栄の極みです。
 写真については、私は技術的にも全くの素人です。もともと40年以上前、体調を崩しがちだった時期に、ある知人が気分転換になればと贈ってくださったカメラがあり、その真心にお応えしたいと、「自然」を対象に写真を撮り始めたのです。
 過分な評価を賜り、各地の展示会にも出品の要請をいただきました。汗顔の至りですが、少しでも庶民文化の発展につながり、国際交流の一助となれば、との思いでお受けしております。

サイフェルト 会長の写真は、魂の情景を映し出しています。被写体の中に美しいものを見いだし、真の意味で瞬間をとらえることに成功しています。
 私個人の希望を申し上げれば、池田会長は素晴らしい詩をたくさん書いておられますが、ぜひドイツ語でも多く紹介していただきたい。そこに、会長が撮影した写真が添えられていれば、なおありがたいと思っています。

池田 恐縮です。ところで、先月22日は「20世紀最大の報道写真家」と呼ばれる、ロバート・キャパの生誕100周年でもありました。実弟で、ニューヨークの国際写真センターの創立者であるコーネル・キャパ氏と懇談を重ねましたが、その時にこう申し上げました。
 「ある『瞬間』の生命に『永遠』が凝結しています。肖像写真なら、撮られた人の人間性、過去と未来、宿命、人生のドラマなどの実相が映し出されている。写真とは、その『永遠なる瞬間』をとらえ、表現する芸術ではないでしょうか」と。

サイフェルト 私もカメラを手にとった時には、池田会長の「眼」で被写体をとらえようと努力をしています。
 優れた写真は「詩」のようなものです。道徳的に縛ることなく、観る人をほっとさせる何かがあるのです。自然な形で人間を豊かにさせてくれ
るのです。

池田 ウィーン生まれで、「カラー写真の父」と呼ばれたエルンスト・ハースは、「作家がことばに対して感じるのと同じように、わたしはイメージに対して責任を感じる」(ラッセル・ミラー著、木下哲夫訳『マグナム 報道写真 半世紀の証言』白水社)と語っています。
 写真は「精神闘争」です。写真には、撮影した人の人間性が反映されます。長年の体験から、それは恐ろしいほど厳密に表れると実感します。

サイフェルト 時に、人をとりまく空気は、日常生活の煩雑さや心配事で汚されているようにも感じます。
 それを浄化して、人間の美しい本質を見えるようにしていくことこそ、人生の意義だと思います。そのために、常に努力を怠らず、自省し、自分がよって立つべきものを内面に見つけていく作業が、とても大切でしょう。
 私は、自分の使命として、「芸術の推進」とともに、「人間の中へ、民衆の中へ、光をもたらす」ことを心掛けてきました。

池田 文化とは、人間性を破壊する野蛮との闘争です。芸術を愛する心に、国境も民族の違いもありません。
 「文化を愛する心」が「人間性の真髄の心」です。人類は、その共通の原点に立ち返らねばならない。

サイフェルト ええ。その通りです。音楽や美術も、それを用いる人の思想によっては、危険な武器となりかねません。ほんの70年前には、人々は、アドルフ・ヒトラーの曲を歌いながら闊歩していたのですから。
 おそらく、私がナチズムやホロコーストの糾明に深く関かってきたからだと思うのですが、「どうして、あのようなことが起こり得かのか」「どのようにして人々は惑わされていったのか」といった疑問が頭から離れません。いつの時代も、正しい道筋を見つけることは難しいことです。
        ♪
池田 痛恨の悲劇です。「戦争と平和」については、またあらためて、じっくりと語り合いましょう。
 ともあれ、魂が空虚であれば、文化も飾りに過ぎません。本来、文化とは生き方です。心より湧き出ずるものであり、また、内面に肉化すべきものです。
 断じて文化を権力の「道具」にさせてはならない。民衆の手に取り戻さねばなりません。人間を高め、平和を推進する力にしなくてはなりません。だからこそ私は、民音を、そして東京富士美術館を創立しました。
 東京富士美術館の開館記念展示となった「近世フランス絵画展」の開催に尽力してくださった、アカデミー・フランセーズ会員のルネ・ユイグ氏は語られました。
 「『精神の闘争』なき文明は、やがて衰退していきます。ともに精神のための闘いを開始しましょう」と。
 偉大な精神こそ、文化の源泉です。そしてまた文化には、精神を高めゆく力があります。争いや破壊を押しとどめ、人々の心を平和へと昇華させゆく潮流を生み出すことができます。だからこそ、生命を深く豊かに耕す、創造性あふれる文化的社会を築いていきたいのです。

第3章 青年は世界の希望  (2013.12.4/5/6付 聖教新聞)

時代を創るのは若き熱と力

サイフェルト博士
子どもの人間形成に役立つ早期教育を。才能と可能性を伸ばす機会《チャンス》を大切に

池田SGI会長
大切なのは自分と向き合う勇気。「自体顕照」──仏法は偉大な使命への自覚を促す

池田 青年は希望です。青年は宝です。青年と会い、青年と悟り、青年と学び、青年を励ますことに勝る喜びはありません。青年は未来そのものです。青年を大切にしない団体や社会に未来はない、といっても過言ではないでしょう。

サイフェルト その点は、私も意見を一にするところです。例えば、音楽の分野などでも、天賦の才能を持っている青年が埋もれている場合が多くあります。そのままでいてはなりません。再び青年に希望を与えていくことが一番重要であると思います。
 “才能ある者で、これを使わないでいる者は、その才能は取り返される”というキリストの言葉があるのですが、私は最初これを聞いた時、「なぜ? そんな理不尽な!」と思いました。
 しかし後から、この「才能」とは「責任」を意味することでもあると捉え直しました。私が友人の皆さん、特に若い皆さんに伝えたいのは、「天与の才能は埋もれさせてはならない」ということです。その才能と向き合う勇気を持ってほしい。勇気が必要なのです。

池田 大事なお話です。これは音楽に限らず万人に通じるテーマです。博士の言われる才能とは、責任や使命に言い換えることができるということですね。
 日蓮大聖人は弟子に対し、「生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ」(御書1173㌻)と仰せになられました。
 誰人も生まれてきたからには、その人にしか果たせない尊い使命が必ずある。そこから目を背け、自暴自棄になったり、安逸に流されて無為な人生を送っては、自分も家族も社会も大きな損失です。
 万人の生命の尊厳を説く日蓮仏法は、だからこそ全ての人に、自らの偉大な使命への自覚を促し、自分らしく輝くことを教えるのです。それを「自体顕照」ともいいます。
 博士のおっしゃる通り、大切なのは自分と向き合う勇気です。自他共に、この勇気を持って、生命の力を存分に発揮し、使命の人生を歩むことを目指すのが、私たちの励まし運動でもあります。
 今、日本中、世界中で、創価の青年たちが、平和のため、新しき社会の建設へ、友との真剣な語らいを重ねながら、希望の青春を歩んでいることは、何よりの喜びです。

サイフェルト それは本当にうれしいことです。
 かつて私は、日本で大規模な創価学会の集いに同席する機会が何度かありましたが、そこで池田会長が青年と交流する姿を拝見したことを覚えています。
 皆、緊張してか、最初はおとなしくしていましたが、会長がユーモアを交えたスピーチで笑顔を引き出し、生き生きと躍動していきました。まさに希望を贈られていく光景を目の当たりにしました。

池田 サイフェルト博士には幾度となく学会の会合に出席をいただき、創価の青年たちに温かなエールを賜りました。多くの人たちがそれを大切な宝の思い出としています。
 ともかく、未来は青年に託す以外ありません。わが恩師・戸田城聖先生も「新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である」と、絶大なる期待を寄せておられました。
 1997年の9月、神奈川で51カ国・地域の友が参加した「世界青年平和音楽祭」にも、博士は友情出演してくださいましたね。

サイフェルト 懐かしいですね。あの時は大観衆を前に「ウィーン わが夢のまち」と「献身」の2曲を歌いました。
 SGIの皆さんと協力し、同じ目的を共有できるのは本当に幸せなことです。それこそが私の最優先したい価値あることなのですから!

池田 ありがたいお言葉です。博士は偉大な「平和の文化の大使」です。サイフェルト博士に出席いただいた北海道での本部幹部会(1991年8月)では、青年の大いなる指標になればと、私から、博士の崇高なる人生を紹介させていただきました。

サイフェルト 恐縮です。よく覚えていますとも!
 池田会長が、私の生き方を青年たちに話してくださった際の光景は、とても感動的でした。今までに遭遇した、最もすてきな出来事の一つとして、忘れがたい思い出となっています。

池田 盲目のご両親を支えつつ、声楽家のお父さまから音楽を学んだ少女時代を振り返られた博士の言葉には、青年への深い励ましの響きがあります。
 「当時、私はたくさんの歌曲やアリアに囲まれて育ちました。歌曲やアリアは、素晴らしい『精神の宮殿』でした。それが私の、心の糧となりました」
 博士が、歌曲やアリアに精神の宮殿を見いだしたように、青少年が自身の生命にある可能性や創造性に目覚めゆく「精神の宮殿」が必要です。そうした豊かな“心の糧”こそ、次の世代へのかけがえのない遺産となるでありましょう。
 博士は何歳から、どのような環境で歌や楽器の練習をされたのでしょうか。

サイフェルト 3歳の時からです。第2次世界大戦が終結した直後の混乱期でした。父のお弟子さんには、国立歌劇場の多くの学生や、国内外からの受講者がいました。ピアノがあった音楽ルームは当時、わが家で唯一、暖房設備がある部屋でしたので、外履きから乳母車まで、私の子ども時代の全てが置かれていました。そこが私の中心だったのです。
 ですから、あまりよく覚えていないのですが、両親が言うには、3歳の時には、すでにブラームスの歌曲を歌っていたそうです(笑い)。まさに芸術家としての訓練の始まりであり、それが父の指導のもとで継続されていきました。

池田 音楽がまるで“ゆりかご”のような環境だったのですね。ブラームスは、日本人にも多くのファンがいる音楽家です。民音にも、フラームスの直筆書簡が重宝として大事に保管されています。
 貴国を初めて訪れた1961年の10月、ベートーベンやシューベルトらと共にブラームスが眠る中央墓地を訪れ、追悼の祈りを捧げました。
 木々の豊かな緑に包まれた、美しい公園のようなたたずまいで、音楽の都の歴史の重みを感じたことを記憶しています。
 ブラームスは生前、思うような作品が作れず悩み苦しんでいた作曲家に、こう語ったといいます。
 「全部手に入れてしまったら、今日はうぬぼれ、明日は溺れだよ」(リヒャルト・ホイベルガー/リヒャルト・フェリンガー著、天崎浩二・関根裕子訳『ブラームス回想録集第2巻 ブラームスは語る』音楽之友社)と。
 若い音楽家を大切にし、自己には厳格だった巨匠ならではの、深みのある言葉です。
 このブラームスも幼少期に父親から音楽の手ほどきを受け、10歳にしてピアニストとしてデビューしていますね。
 やはり優れた音楽家になるには、英才教育が必要なのでしょうか。

サイフェルト それに関しては、24時間、語ることができます!(笑い)
 英才教育という言葉が適切かどうかは分かりませんが、早期の音楽教育がより良い人間を作るのに役立つことは周知の事実です。
 “より善良な人間に育つ”というのは言い過ぎかもしれませんが、少なくとも情操教育の面において、人間形成の助けになることは確かであると思います。
 ここに、私がヨーロッパ青年文化協会を設立した理由もあります。
        ♪
池田 確かに、教育は「知(知性)」「情(感情)」「意(意志)」の調和が重要であり、育む順番は「情」「意」「知」であるともいわれます。子どもたちにはできるだけ一流の音楽に触れる機会を多く作ってあげたいものです。
 ただ、昨今は早期教育が大事ということで、親が張り切り過ぎて「早く覚えさせよう」「あれもこれも身につけさせよう」として、「情」よりも「知」を重視する傾向が見受けられます。
 また親の子どもに対する、そうした大きな期待が、商業面で利用されてしまっていることに、警鐘を鳴らす専門家もいます。どうしたら真に豊かな情操を育む教育環境を作れるか。さまざまな論議がある点でもあります。

サイフェルト 早期音楽教育のポジティブな影響については、私も、数人の専門家が寄稿した『機会(チャンス)としての音楽』という本を出版しました。そこには、早期音楽教育が、子どもの感情知能の発達において決定的な促進力を持っていることが明快に強調されています。
 早期教育を施された子どもたちの人生において、他への気遣いや相互責任は、より大きな重点を占めることになります。
 早期音楽教育に重点を置く学校では、例えば、そうではない学校に比べると、校内の備品や消耗品の手入れが、10年たった後も行き届いているといいます。そこでは、子どもたちが物を大切に扱うことを学んでいきます。
 もう一つは、演奏することにより、互いに配慮し合う心が育まれていきます。つまり、オーケストラで演奏を行う場合、各自が責任を担い、自然と他者を敬う心が生まれてくるのです。
 また、その一方で、経済的な問題等で教育の機会に恵まれない立場にある子どもでも、芸術的な面で触発を受ける経験を得ることは、その人間形成において非常に重要です。
 ですから、できればお子さんに何か楽器を習わせてあげてほしい。それが難しければ、少なくとも一緒に歌を歌ってあげてほしいのです。

池田 『機会としての音楽』との本のタイトルには、今おっしゃったことが端的に示されていますね。子どもたちが人格を培う情操教育の「機会」あるいは「きっかけ」としての音楽の大いなる可能性を探究しておられるのだと拝察します。

サイフェルト おっしゃる通りです。そして、非常に大切な点は、子どもの音楽教育はすでに胎内から始まっているということです。とりわけ、「モーツァルト効果」を検証している著作が数多くありますが、クラシック音楽を聴いて育った子どもは、他の子どもたちに比べ、より穏やかで情緒豊かな子になると思います。現代は、争いや攻撃に終始する内容で、暴力的な影響を与えるコンピューターゲームがはやっています。それは非常によくないことであると憂慮しています。

池田 極めて重要な視点です。大歴史学者のトインビー博士が、“人は7歳までに、その後の全人生よりも多く、大事なことを学ぶ”と言われていたことを思い起こします。それだけに、できるだけ良い縁に触れられるようにしてあげたいものです。
 以前対談した、ロシア・国際児童基金協会のリハーノフ総裁は、別の観点から語られていました。
 「臨月の胎児は、お母さんの周りの音がよく聞こえていることが研究で明らかになっています。赤ん坊は、穏やかな話し方と優しい音楽が好きで、反対に騒々しいリズムは嫌います」。こうした時期の“子どもの思い”を大人は理解しないといけない。心理学や教育学、医学の基礎に裏付けされた愛情を持たなければならない──と。

サイフェルト だからこそ、いかに子どもたちにクラシック音楽を慣れ親しませるかというのが私の目標でもあるのです。

池田 ちょうど年末となり、日本では伝統的に各地でベートーペンの「第九」公演が行われます。文豪ロマン・ロランが、この「歓喜の歌」について、ベートーベンが「自分の不幸を用いて歓喜を鍛え出す」ことによって「世界に贈りもの」をしたと讃えたのは有名です。〈片山敏彦訳『ベートーヴェンの生涯』岩波書店〉
 EU(欧州連合)の歌ともなり、自由と民主の象徴ともなったこの曲を、私たちも愛唱してきました。特に、徳島では「歓喜の歌」合唱運動(94年)に約3万5000人が参加し、その掉尾を飾って、合唱祭が盛大に開かれました。また、九州の青年部は誇りも高く「5万人の第九」(同年)、「10万人の第九」(2001年、05年)の大合唱の歴史を残しています。沖縄や韓国の青年も共に歌い上げてくれました。
 美しく力強い名曲が津々浦々に響くこの時、たまには親子で耳を傾け、口ずさみ、「第九」などの音楽談議でもしながら、新たな未来への一歩を踏み出していきたいものです。

文化は人間愛の心を育む

サイフェルト博士
未来のためにできることはたくさんある。私が学んだ全てを次の世代に伝えたい

池田SGI会長
さあ今日も挑戦の一歩を! 行動の人、後輩を育てる人の心は生き生きとして若い

池田 アメリカの民衆詩人ホイットマンは綴りました。
 「われわれが優美とか『上品』とか呼ぶほとんどすべてのものは心から生まれる」
 「若者の間に音楽をあまねく普及させるのは、心と礼儀に磨きをかける上で計り知れないほど役に立つであろう」(溝口健二著『「草の葉」以前のホイットマン』開文社出版)と。
 日本の小・中学校では、音楽が必修の教科として学ばれていますが、音楽の専門教育については、主に音楽学校で実施されます。
 芸術の国オーストリアでは、いかがですか。幼少期から学校の必修科目として、何か特別な音楽教育が行われているのでしょうか。

サイフェルト 初等教育(小学校・6~10歳)では、子どもたちは、音楽教師の個人的な音楽性に従属し、特別な音楽教育というものは、いわゆる数少ない音楽専門小学校においてのみ、実施されることになります。
 中等教育(11~14歳)になって初めて、音楽の授業が必須教科となりますが、それも現時点では一週間に数時間に留まっており、音楽に興味を持っている子どもたちは、校外の課外活動として、いわゆる音楽学校(音楽院)へ入学する努力をしなければなりません。
 それは、往々にして非常に費用がかかることなのです。しかも、そのような学校は数が限られているためにしばしば定員超過となっており、さらに予算削減の影響が色濃くなっているために音楽教師の雇用が減少しているのです。
 これら全てのことが、私がヨーロッパ青年文化協会を設立した理由です。
 わが国の音楽大学においても、高い教育レベルを有しているという理由から、オーストリア人よりも、日本人や韓国人などの学生の姿が多く見られます。
 40年後、50年後には、私たち自身の文化を逆輸入しなければならないのではと思ってしまうほどです。ですから、“シューベルトの人生を無為にしてはならない”ということを念頭に置いて活動しているのです。

池田 そうでしたか。文化を守ることは、人類の宝を守ることです。また、文化を育むことは、人間愛の心を育み、平和の心を育むことにほかなりません。
 かつて、アカデミー・フランセーズ会員の美術史家ルネ・ユイグ氏が憂慮されていました。
 それは、フランスのリセやコレージュ(中等教育学校)で音楽教育を担うポストが削減されていることを指して、「現代の誤り」の「特徴的な例」と嘆いておられたのです。こうした傾向は世界的に見られるようです。
 そうした中でも世界各地の若い人々が、貴国に芸術や音楽を学びに集っています。ウィーン少年合唱団の希望の歌声や、共に生きる喜びを謳うニューイヤーコンサートなど、「音楽の国」の文化は世界中で愛されています。生命の躍動するウインナ・ワルツも、なじみ深い。
 調べてみると、貴国と日本の音楽を通じた結びつきにも、長い歴史があります。
 例えば、明治の文豪・幸田露伴の妹として知られる音楽教育家の幸田延《のぶ》は、1890年にいち早くウィーンへ留学し、バイオリンとピアノ、作曲を学びました。バイオリンでは、バッハの「シャコンヌ」を演奏するほどの名手となった彼女が深い感銘を受けたのは、ウィーンの家庭における音楽の浸透ぶりだったといいます。
 そして、日本に帰国した後は、専門家教育と並び、一般子女への音楽教育にも力を尽くしていったのです。〈大西健夫・酒井晨史編『オーストリア』早稲田大学出版部など参照〉
 この逸話にもうかがえますが、貴国なかんずくウィーンの人々の生活そして人生に根ざした「芸術への尊敬」「音楽への愛」は、どのようにして育まれてきたのでしょうか。

サイフェルト それはとても難しい質問です。先ほど申し上げたこととも少々関連しているのですが、文化的には非常に差異があります。
 例えば、「ベートーベンは誰でしょう」という質問をすると、(近年の映画を想起して)「犬」と答える子もいます(大笑い)。
 とはいえ、ウィーンが「音楽の街」と呼ばれるのにふさわしいのは確かでしょう。ここでは、多くの文化的なイベントが提供されています。多過ぎるといっても過言ではないかもしれません。毎日、あちこちで催し物が行われているので、5カ所ぐらい、平気ではしごすることも可能なほどです。素晴らしい国立歌劇場もあります。
 ポジティブ(肯定的)な面もたくさんあります。子どもの音楽教育に特化した観点においてのみ、まず、そのための環境を整えることが急務であると思います。
 その次に、子どもたちへ、もっとより多くの音楽教育を提供することが必要であり、そのためには、オーストリアの社会そのものを根本的に改革する必要があるのです。

池田 芸術の振興を真に願われているがゆえの率直なご意見と思います。そうした社会全体の音楽教育の環境整備は、大なり小なり各国が抱えている課題でもありましょう。音楽の都の発展を願う博士をはじめ皆さまの尊く粘り強い行動に、あらためて敬意を表します。
 “社会の芸術環境”という点で、少し角度は異なるかもしれませんが、1963年秋に私が民主音楽協会(民音)を創立したのは、「庶民の手に一流の芸術を届けたい」との思いからでした。芸術が特定の人たちだけのものであったり、経済的利潤に左右されたりするものであってはいけない──と。
 創立に際し、私は「庶民が“下駄履き”で行けるコンサートをつくろうよ!」と語りました。多くの音楽家の方々がこの心に共鳴して協力してくださいました。
 さまざまな試行錯誤を重ねる中、去る10月に創立50周年を迎え、これまでに、のべ1億1000万人の方が公演を鑑賞されています。
 出演された、日本の著名なオペラ歌手である佐藤しのぶさんは「『遠い町の人たちにも、人生で一度は本物のプッチーニ、ヴェルディというオペラの真髄を聴いていただきたい』──そんな長年の夢が民音のおかけで叶いました」と語ってくださいました。

サイフェルト その思いには、とても共感できます。
 私は、ヨーロッパ青年文化協会を作った時、私たちのプロジェクトを実施することで、目的は直ちに達成されると考えておりました。
 15年の経験を経た今、蒔いてきた種が、全て芽吹いているとはいえないということもありますが、いずれにしても、もし、クラシック音楽のラジオ番組を聴いているタクシーの運転手さんに出会えたら、私はそれだけでとてもうれしくなります。チップを弾みたいくらいです(笑い)。

池田 懐かしい世界的バイオリニストのメニューイン氏の言葉を思い起こします。
 「昼間、町を掃除する人々が、夜には四重奏を演奏する──そんな社会が実現することを望んでいます」
 「それが私たちの目指す世界です」と。

サイフェルト 本当にそう思います。メニューイン氏には、1998年、わが文化協会の創立の際、個人的にいろいろとアドバイスをいただきました。池田会長と同様に、わが団体の名誉会員になっていただきました。
 実際には、クラシック音楽の普及・拡大という点では、いばらの道です。ヨーロッパでは、かつてと違って経済状況が厳しくなり、どの国でも最初に文化や芸術分野の予算が削減されていきます。それにより、多くの芸術家がコンサート会場を借りられなくなったりしています。
 ですから、私の住居(パイプ椅子席で最大70人の収容が可能)をコンサート会場に提供することもしばしばで、時には私自ら、彼らのために手料理を振る舞ったりもします。大勢の人たちのために料理を作るのは、とても楽しいことです。

池田 若いこれからの芸術家にとって、何よりの力になりますね。どんなに大変でも、そうした後進を守り支えようという先輩たちがいてくれることが、どれほど心強いか。
 料理は心を伝えます。客を手料理でもてなしたことで知られる文豪デュマは、料理を「芸術」と語っていますね。〈辻静雄・林田遼右・板東三郎編訳『デュマの大料理事典』岩波書店〉
 博士の手料理の味も、若き芸術家たちにとって一生忘れられないことでしょう。
 民音でも、音楽振興に貢献できればとの思いで、1967年より3年ごとに、「東京国際音楽コンクール〈指揮〉」を主催してきました。
 今やアジア最大規模の「若手指揮者の登竜門」として定着し、16回目であった昨年は29カ国・地域から180人の方が応募されたと聞いています。審査を担当してくださるのも一流の音楽家の方々です。こうした取り組みに、さらに力を入れていきたいと考えています。

サイフェルト 素晴らしい取り組みです。
 若い芸術家のイベントを催すことに加えて、将来的に彼らを継続して支援してくれる可能性のある方々を招くことも、非常に大切なことです。そこで私は、歌のレッスンを行っています。
 未来のために自分ができることは、まだまだたくさんあります。私が習った全てを、バトンのように次の世代に伝え託していくことで、“ウィーン楽派”が継承されていくわけですから。

池田 感銘しました。未来のために責任を持って行動する人、青年を育てる人は、その人の心もまた若い。生き生きとしています。
 貴国と縁《えにし》のある幸田露伴は綴っています。
 「現状に満足するという事は進歩の杜絶という事を意味する。現状に不満で未来に懸望《けんぼう》して、そして自ら新《あらた》にせんとするの意志が強烈であれば、即ちそれがその人の生命の存する所以《ゆえん》なのである」(『努力論』岩波書店)
 サイフェルト博士の人生も、常に新しい挑戦の連続でしたね。かつてはイデオロギーの壁で分断された共産圏の人々と文化交流を進めようとされ、今も音楽の都の未来のために、多大な努力を払って尽くされている。その尊い歩みを、私は心から讃えたいのです。

池田SGI会長
良き「師匠」の存在こそが人生の宝。かけがえのない出会いが成長と飛躍の因に

サイフェルト博士
恩師への感謝は数千年先も色あせない。いつも胸中で対話しながら生きています

池田 私たち創価学会は、いついかなる時も歌と共に、音楽と共に前進してきました。音楽隊や鼓笛隊も、私が恩師・戸田先生に提案し、結成しました。地域のパレードやコンサートなどでも大活躍し、人々に希望と勇気を送ってくれています。
 皆、忙しい仕事や学業などの合間を縫って、常に向上心を燃やしながら、練習に励んでいます。

サイフェルト 私も学会の歌が大好きです! これまでも喉が張り裂けんばかりの大音声で、情熱を込めて歌ってきましたから(笑い)。
 学会歌は人々を魅了します。皆さまの充実の信仰実践の中で生まれた歌ですから、悪かろうはずがありません。そして、子どもたちをはじめ、若い世代を音楽に慣れ親しませ、グループを作ったりすることは本当に大切です。

池田 音楽隊も鼓笛隊も、当初は私が個人的に支援してスタートしました。最初は人数が少なく、楽器も足りませんでした。反対する先輩たちもいたんです。
 しかし宗教は、民衆の文化運動を開花させていく大地です。優れた文化は人間性を高めます。そして、争いや憎しみを超えて、一人一人が尊厳性に目覚め、皆が共に生きる平和な世界を築くためには、文化の交流が絶対に必要である。心と心を結ぶのは、芸術である。なかんずく音楽である──。私は断固たる信念を持って、自ら楽器を贈り、友の成長を見守ってきました。そして今や、名実ともに日本一の実績を誇るまでになりました。世界にも約30カ国に広がっています。

サイフェルト 素晴らしいですね! 音楽と関連していることは、大いに推進されるべきです。
 今、世界の人々は、新たな使命を探し、新たな心のよりどころを求めています。学会こそ、まさにそうした存在になるべきものだと私は思います。

池田 ありがとうございます。「青年こそ平和の担い手」とは、サイフェルト博士と私の深く一致した信条です。その青年の薫陶に音楽や文化活動の果たす役割は、あまりにも大きい。博士の協会の活動を、日本の読者のために、もう少し紹介していただけますでしょうか。

サイフェルト 分かりました。わがヨーロッパ青年文化協会では、さまざまなプロジェクトを立案し、それを教育現場で実行しています。海外の青年オーケストラをオーストリアの学校に招へいし、そこで生徒たちと一緒に演奏することで、お互いが仲良くなり、中には「ペンフレンド」という形で交流が続くこともあります。公共の施設でコンサートを実施し、学校コンサートなども設けます。その後、わが家に招き、ウィーンに彼らの音楽をもたらした証しとして、認定証を渡すのです。
 同じような形で、数人のソリストたちにも、私の自宅などでソロコンサートを開いてもらっています。この若い芸術家たちを宣伝し、彼らのキャリアの応援を試みているのです。例年、コンサートを、毎日開催しなければならないほど、たくさんの申し込みがあります。

池田 素晴らしいことですね。若い生命には、そうした交流や挑戦の新しい体験が、思いもよらぬ成長や飛躍の因となるに違いありません。
 わが創価教育の各校も、各国の学校と活発に交流を行っています。この夏も、関西創価学園にオーストラリアの名門校の教員・生徒が滞在し、有意義な交歓のひとときを過ごしました。もちろん、学園生が真心の演奏や合唱で熱烈に歓迎したことは、いうまでもありません。2001年から始まった教育交流は、今年で7回目となりましたが、互いに大きな啓発になっているようです。

サイフェルト 全ては青年に注ぎ込まれるべきなのです。それこそが、未来への最高の投資だからです。そこに疑念を挟む余地はありません。
 しかし、公共の助成金は、だんだん少なくなっていくため、私たちは新しい道を探っていかなければならない時を迎えています。

池田 「意志あるところ、必ず道あり」とは、博士が大切にされてきたモットーですね。これからも博士が、さまざまな困難をはねのけながら、「音楽の道」「青年の道」「平和の道」を広々と開きゆかれることを私は信じます。
 これほどまでに音楽を愛し、青年を大切にされてきた博士には、お父さまは当然として、手本とされる「師匠」の存在があったのではないでしょうか。
 仏法では「師弟」を重んじます。師匠と弟子は「針」と「糸」の関係に当たるともいえましょう。師匠は針で、弟子は糸です。例えば、裁縫を行う時、針は先頭を進み、後に続く糸が残って使命を果たしていく──。私はかつて、この思いを後継の高校生たちに語りました。

サイフェルト よく分かります。私には、インゲボルク・ヴァムザー先生という、強じんな内面性を持った、とても意志の強い音楽の師がいました。常に写真を飾ってありますが、彼女は私の人生において、最も大切な存在の一人です。まさに理想の教師でした。
 声楽家として、今の私があるのは、先生のおかけです。先生の写真を見るたびに“あなただったら、どう思いますか”と心の中で話し掛けて、行動するようにしているのです。先生と出会ったことによって、私は自分自身を見いだすことができたといえます。先生への感謝と愛は、数千年先も色あせることがないと思っています。
 父が亡くなり、再び一から音楽の道を出発した直後、私は声楽特有の難しさから、声帯を潰してしまいました。
 実は先生も、かつて同じ経験をされていたのです。ですから、彼女から声帯に支障をきたさない歌唱方法を伝授してもらい、それを現在は私自身の授業で活用しています。
        ♪
池田 ヴァムザー先生は師匠であり、大恩人でもあるのですね。音楽に限らず万般にわたり、模範となる鑑を持って自分自身と正しく向き合うことが大切です。勇気を持って才能を発揮し、使命を果たすためには、良き師の存在こそが、かけがえのない宝となります。

サイフェルト
 その通りですね。また、音楽と舞台芸術を専攻した大学では、エリック・ヴェルバ先生のもと、リート(ドイツ歌曲)を学びました。すでに当時から、素晴らしい歌手たちの歌曲伴奏者でもあり、彼とコンサートで共演したいというのが、私の子どものころからの夢でした。
 それが本当に実現した次の日の朝、「先生、私はもう死んでもいいです」と申し上げると、先生はクスッと笑いながら、「なんでそんなこと言うんだい」とお尋ねになりました。「先生と共演するという夢がかなったからです!」と伝えたところ、なんと「これから何百回も一緒にコンサートをしようよ!」と言ってくださったのです。

池田 名曲のように胸に響くエピソードです。世界的な音楽家であられたヴェルバ先生は生前、来日公演もされていますね。著作も邦訳されています。先生が大音楽家(フーゴー・ヴォルフ)の生涯を活写された評伝の中で引用されている言葉があります。「(音楽家は)いかなる困難にもひるまず、善を推進するとなったら最後の一人になるまで頑張ってもらいたい』(佐藤牧夫・朝妻令子訳『フーゴー・ヴォルフ評伝 怒れるロマン主義者』音楽之友社)と。
 ともあれ、良き人との出会いは、かけがえのない財産です。ましてや師弟の出会いは、人生勝利の出発点となり、原点となります。
 仏法では、さまざまな恩がある中で、とりわけ大切な恩を「師恩」と教えています。
 私は、19歳で初めて戸田先生に出会いました。最高の哲学、最高の人生の道を教えていただきました。ただただ、この師恩に報いるために、きょうまで生き抜き、戦い抜いてきたのです。
 53年前(1960年)、戸田先生の遺志を継いで、世界への平和旅の第一歩として北米に旅立った時、私は上着の内ポケットに師の写真を納めました。今日の創価学会の文化と教育の運動は、全て戦時中、軍部政府と対峙し、投獄された恩師の平和闘争を原点として広げてきたものです。
2013-12-05 : 生命の光 母の歌 :
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