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第16回 「平和の種」を蒔く人に(上)

第16回 「平和の種」を蒔く人に(上)
                         (2013.8.1付 未来ジャーナル)
生命ほど大切なものはない

近代科学の父 ライナス・ポーリング博士
世界には軍事力や核爆弾という悪の力よりも更に偉人な力がある。
善の力、道徳や、ヒューマニズムの力である。私は人間の精神の力を信じる


 ──この夏、全国で「創価ファミリー大会」が開催されます。未来部メンバーが中心となって、企画も運営も担っていきます。

名誉会長 頼もしいね。
 私も心を躍らせて見守っています。暑い中、本当にご苦労さま!
 熱中症や交通事故などに気をつけて、楽しく有意義に行ってください。担当者、また役員の皆様も、大変にお世話になります。
      □■□
 ──ファミリー大会では、「平和」について学ぶコーナーを設けるところもあります。

名誉会長 大事だね。「平和のバトン」が、しっかりと未来へ受け継がれていく。これ以上の希望はありません。
 戦争を推し進めた軍部政府と戦って獄死された牧口先生、共に獄に入られた戸田先生も、どれほど喜ばれることか。

 ──池田先生は小説『人間革命』を、こう書き始められました。

 戦争ほど、残酷なものはない。
 戦争ほど、悲惨なものはない。

 この一節を学んだメンバーから、「池田先生の戦争体験を教えてください」というお願いがありました。

名誉会長 若い読者からの一番大事な質問です。著者として真剣に答えないといけません。
 1945年(昭和20年)の8月15日、日本が終戦を迎えた日、私は17歳でした。まさに高等部の皆さんの年代です。
 戦争は、私たちの青春をめちゃくちゃにしました。
 わが家は、今の東京・大田区で海苔の養殖・製造をしていましたが、働き盛りの4人の兄が次々に軍隊にとられ、一家の柱である父はリウマチを患い、家業は傾いてしまいました。母はグチ一つこぼしませんでしたが、その苦労は並大抵ではなかったと思います。
 幼い弟や妹もいるので、私は家計を助けるため、海苔作りの手伝いをし、新聞配達もしました。
 当時の国民学校を卒業すると、近くの鉄工所で働き始めました。14歳だから、今の中等部の皆さんの年代だね。進学したかったのですが、かないませんでした。戦争の悪は、若い人から学ぶ機会を奪うことにもあります。
 その上、私は結核にかかり、戦時中なので、十分な治療が受けられず、ずいぶんと苦しみました。
 父母が苦労してつくった立派な家は、戦争が近づくと人手に渡り、やがて軍需工場になりました。引っ越した家も、空襲が激しくなると、強制疎開といって、また明け渡さなければなりませんでした。
 ようやく、おばの家の敷地に建て増しをして、いよいよ明日から、そこで暮らせるという夜、突然の空襲で焼夷弾が直撃して全焼してしまったのです。すべてを失いました。辛うじて運び出した荷物箱から出てきたのは、妹のひな人形でした。
 家族が意気消沈したその時、母が明るい声で言いました。「このおひなさまが飾れるような家に、きっと住めるようになるよ!」
 母は偉大です。その一言で、皆の心に希望の光がともりました。
      □■□
 ──戦争が終わった時は、どういう実感があったのでしょうか。

名誉会長 平和とは「こんなに静かなものなのか」と思いました。突然の空襲警報のサイレンも、爆撃機の爆音も、気に病む必要がなくなったからです。
 そして、「こんなに明るいものか」と思いました。戦争中は夜でも灯火管制といって、家も街も暗かった。母は「明るいねえ。電気がついたよ。明るいね」と声をはずませて夕食の支度をしてくれました。
 父も母も、軍隊に行った兄たちを待ちわびていました。三男、四男、次男と、命からがらの姿で帰ってきたのは、その翌年です。
 しかし、終戦から2年がたとうとしていた5月、ただ一人、消息不明だった一番上の兄の戦死の報せが届きました。私の大好きな兄でした。背中を震わせて悲しみをこらえていた母の姿を、私は忘れることができません。
 戦争は、始まってしまえば、悲劇しかありません。「平和を築くための戦争」なんて、私は信じない。戦争が終わっても、地獄の苦しみは、ずっと続きます。わが家だけでなく日本中の多くの家族が、その苦しみを味わいました。それは、アジアでも、世界でも。
 ゆえに、戦争は絶対悪なのです。私は戦争を心から憎みます。 戦争を引き起こす魔性を断じて許さない──私はこう誓ったのです。
      □■□
 ──そんな折、人生の師となる戸田先生と会われたのですね。

名誉会長 そうです。兄の戦死の報が届いてから3カ月後の8月14日、暑い夏の夜でした。
 社会は混乱を極めていよした。正しく生きゆく「青春の道」を必死で求めていた19歳の時です。
 友人と共に参加した学会の座談会の会場に入ると、度の強いメガネをかけた壮年が、20人ほどの人に囲まれて話をしていました。
 「私はこの世から一切の不幸と悲惨をなくしたい」──情熱に満ちた戸田先生の声が、会場に響いていました。
 先生が、その時、講義されていたのは、日蓮大聖人の「立正安国論」でした。世の中を平和にするには、一人一人の心に、正しい哲学を打ち立てねばならない、という内容の御書です。
 講義が一段落した時、私は先生に、「正しい人生とは、いったい、どういう人生を言うのでしょうか」と質問しました。
 戸田先生は、まるで昔から私のことをご存じのように、温かく包みながら、答えてくださった。
 そして、「大聖人の仏法を実践してごらんなさい。青年じゃありませんか。必ずいつか、自然に、自分が正しい人生を歩んでいることを、いやでも発見するでしょう」と語られたのです。
 難しい宗教のことは分かりませんでしたが、“この人なら信じられる”と思い、10日後の8月24日に入信して、師弟の道を歩み始めました。暑い暑い日曜日でした。
 以来、66年──。戸田先生の教えのままに、私は対話を武器に、世界中に「平和の種」を蒔き続けてきました。

 ──あるメンバーから、「平和というとスケールが大きくて、何をすればいいのか分かりません」という質問が寄せられています。

名誉会長 「平和」とは、何なのか──そうやって考えていく、若き誠実なら心こそ、平和の源泉です。今は、はっきりと分からなくとも、粘り強く求め続けていくことが、平和の波を起こすんです。
 戦争の本質は「暴力」です。国や民族の間の大きな争いから、 「いじめ」にいたるまで、現実には有形無形の暴力がある。ゆえに、「いじめ」をなくそうと祈り、努力する君は、すでに平和の創造者です。平和は、自分の勇気から始められるのです。
 政治や外交、経済の次元などで平和を考えるのも、もちろん大事でしょう。しかし、それを動かしているのは、人間です。「平和」をつくるのは「人間」です。
 結局は、一人一人の「平和の心」を育む以外に、平和への確かな道はありません。
      □■□
 ──「なぜ戦争は起きるのか」という率直な疑問がありました。

名誉会長 日蓮大聖人は、「瞋恚《しんに》(怒り)が激しくなれば、その国土に戦争が起きる」(御書718㌻、通解)と仰せです。
 自己中心的な「怒りの心」が戦争を引き起こす元凶であると、見抜いておられるのです。
 怒りは、「貪・瞋・癡」(むさぼり・いかり・おろか)という生命の「三毒」の一つです。そうした“毒”がはびこってしまえば、社会は乱れ、争いが絶えなくなります。
 それに振り回されず、幸福と平和の方向ヘリードしていく、強く正しく賢い生命が「仏界」です。
 人間の尊い心を信じ、全てから希望を創造していこうとする仏の生命です。それは「絶対にあきらめない生命」ともいえましょう。
 この生命が、一切の人に具わっていると説くのが、私たちが実践する仏法です。
 自分には、何より尊い生命がある。目の前の人にも、自分と同じ尊極の生命がある。だから、自分の生命も、他者の生命も絶対に大切にしよう──これこそ、戦争を食い止める思想です。どこの国の人であれ、どの民族の命であれ。
 この「生命尊厳の思想」を、世界精神に高めていくことが、現代の「立正安国」です。
 仏界は、題目を唱えていくことで、わが生命からこんこんと湧いてきます。
 そうして湧き出《いだ》した勇気と希望と智慧を武器に、皆の心に励ましの光を送っていく。尊極の生命があることに共に目覚めていく。友のため、地域のため、社会のため、平和のために、わが学会員は、最も尊い地涌の菩薩として、立正安国の対話をしているのです。
 「平和」とは──
 絶望を希望に変える、間断なき闘争です。
 人間への信頼を断じて手放さない、不屈の根性です。
 自他共の生命を最大に尊重する、人間の讃歌です。
 今回は、私の友人である現代化学の父ライナス・ボーリング博士の、信念の言葉を贈りたい。
 「世界には軍車力や核爆弾という悪の力よりも更に偉大な力がある。善の力、道徳や、ヒューマニズムの力である。私は人間の精神の力を信じる」
      □■□
 ──博士は、ニュートンやダーウィン、アインシュタインと並び、最も偉大な科学者の一人として讃えられています。平和運動家としても活躍され、池田先生と対談集を発刊されました。
 先生の講演に参加された際には、なみいる一流の識者を前に「私たちには、創価学会があります! そして宗教の本来の使命である平和の建設に献身される池田SGI会長がおります!」と宣言されていました。

名誉会長 博士は、私たちを信頼し、平和の闘争を託してくださった。4回にわたってお会いし、人類の未来について語り合ったことは、忘れ得ぬ歴史です。
 博士は一貫して核兵器に反対し、核実験を推進する政府から迫害を受けた。それでも、“人間を苦しめるものは、断じて許さない!”と、多くの論文を書き、講演を重ね、平和への方途を示し続けました。
 なぜ博士が、苦難に負けず、行勤し続けることができたのか。
 幼少期は病気がちで、家計も苦しかった。9歳の時には父が亡くなりました。博士は、学校に通いながらアルバイトに励み、一家を支えていきます。大学進学後も、仕送りを続けながら、執念で勉学の日々を重ねていったのです。
 「人間はやればできる」──若き日の奮闘の中で、博士はこの確信をつかみとったんだね。
 博士は、弾圧にも屈しないで、勇敢に堂々と、平和の信念を叫び抜きました。その博士を陰に陽に支えたのは、奥さまの存在です。奥さまは“平和の同志”でありました。
 心から信頼し、共に行動する同志がいる。仲間がいる──これもまた、平和の源泉なのです。
 私には、平和のために戦う同志が世界中にいる。
 そして何より、「平和のバトン」を託す未来部の君たち、あなたたちがいる──これが、何よりの誇りであり、喜びなのです。

ポーリング著『ノー モア ウォー』(丹羽弥太訳、講談社刊)
2013-08-05 : 未来対話 :
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