3県平和サミット(青年平和連絡協議会)へのメッセージ

3県平和サミット(青年平和連絡協議会)へのメッセージ    (2013.8.3 広島池田平和記念会館)

 青年の手で戦争と核兵器のない時代を!──広島・長崎・沖縄の青年部の代表らによる「3県平和サミット(青年平和連絡協議会)」が3日、広島池田平和記念会館で開催された。これには、池田大作名誉会長が記念のメッセージを贈り、平和の万波を起こすために、大情熱を燃え上がらせて尊い青春を進む友に心から期待を寄せた。また、長崎と広島で、未来部員と共に原爆の歴史、平和の尊さを学ぶ催しが行われた。
 戦争ほど残酷で悲惨なものはない!──戦争で最も苦しんだ広島と長崎、そして沖縄。平和を希求する3県の青年部の代表が広島に集った。
 サミットに先立って行われた被爆体験を聞く会。「呉原爆被爆者友の会」の山中恵美子さんが講演した。
 山中さんは、語り部活動を始めた当初、忌まわしい記憶を思い起こしたくないと思ったこともあった。
 証言を続けることが精神的な苦痛との闘いだった。
 しかし、池田名誉会長の長編詩「平和のドーム 凱旋の歌声」に出あって変わった。
 「惨苦を越えながらも/懊悩の幾山河は果てず/死の灰 身をむしばみ/体は思うにまかせず」──名誉会長の被爆者への同苦の思いを感じた山中さん。
 ”体験した私にしか語れないものがある。二度と悲劇を繰り返さないようにするのが私の使命”と、その日から、証言活動は海外にまで広がっていった。
 時折、言葉を詰まらせながら体験を語る山中さん。「きょう感じたことを一人でも多くの方に語り広げてほしい」と呼び掛けた。
 青年部の友は、「体験を伝えるまでの葛藤や苦しみ、そして勇気を感じました」「生の体験を初めて聞きました。もっと多くの人が知るべきです」と、決意とともに感想を語り合った。
 今年で22回を数えるサミットでは、3県の代表が活動報告した。
 長崎(前田青年平和委員会委員長、津田女性平和文化会議議長)と、沖縄(砂川青年平和委員会委員長、屋嘉部女性平和文化会議議長)の代表があいさつ。広島(淀屋青年平和委員会委員長、平井女性平和文化会議議長)からは、「広島学講座」などを通じて、全国・全世界に平和交流を広げる模様が紹介された。
 続いて、被爆70年となる2015年に広島・長崎での「『核兵器のない世界』のための拡大首脳会合」開催を目標に、世界平和の大潮流を築く取り組みについて、活発に意見交換が行われた。
 浅井青年平和会議議長、木下女性平和文化会議議長は「世界はいよいよ創価の青年に期待を寄せている。これからも挑戦を続けたい」と語った。橋元男子部長が激励した。
 同日、世界平和祈念勤行会が行われ、3県青年部の代表が参加。戦争と核兵器のない世界実現を祈念し、篠原中国長、三浦同青年部長らがあいさつした。



創価の師弟の熱願を世界へ世紀へ

「原水爆禁止宣言」は永遠の原点
核廃絶へ不屈の挑戦を


平和学者のクレメンツ博士
変革へのの道は必ずある

 一、地球上から「悲惨」の二字をなくしたい──この創価の師弟の熱願を果たそうと、英知と信念のスクラムを広げゆく、広島、長崎、沖縄の青年部の皆さん、22回目となる「平和サミット」の開催、誠におめでとう!
 暑いなか、本当に本当に、ご苦労様です。
 世界へ、世紀ヘ、平和の万波を起こすために、若き大情熱を燃え上がらせることほど、尊い青春はありません。主催の広島の皆さんをはじめ、私の誇りの英才たちの、たゆまぬ奮闘を心から讃嘆したい思いでいっぱいです。いつもいつも、ありがとう!
 一、私は現在、世界を代表する平和学者のケビン・クレメンツ博士との新たな連載対談の開始に向けて、準備を進めております。
 国際平和研究学会の事務局長をはじめ、各国の著名な平和研究所の所長を歴任され、不朽の功績を留めてきた、クレメンツ博士の“原点”とは何か。
 それは、博士のお父様の、人生を賭した平和行動にありました。
 第2次世界大戦中、博士の祖国であるニュージーランドにまで戦争の暗雲が及んだ時、お父様は“悪を悪で倒すことはできない”との信念に基づいて「良心的兵役拒否」を貫き、それゆえに4年間に及ぶ投獄生活を強いられました。戦争が終わってからも、お父様のみならず家族全員が、周囲の冷たい視線にさらされ、心ない中傷や仕打ちを受け続けたといいます。
 しかし、お父様は屈することなく、平和の信念をいやまして高く掲げていかれた。キリスト教平和主義協会の機関誌の編集長として、広島と長崎に投下された原子爆弾の悪魔的な破壊力を何よりも問題視し、核兵器反対の論陣を張り続けた。
 そして、米ソの核開発競争が激化し、水爆実験がもたらす被害が深刻化する中で、核実験の反対運動にも勇敢に身を投じられたのであります。

平和の道を築く正しき想像力を
 一、博士がお父様と一緒に反対運動に参加したのは、10歳の頃でした。〈1946年生まれ〉
 その記憶が鮮烈で、お父様に続くべく、10代半ばから「青年核軍縮キャンペーン」の活動に取り組むようになつたと、語っておられました。
 当時、核政策に疑問を呈すると、それだけで愛国心に欠けていると見なされる風潮が根強く、核兵器反対の運動に立ち上がる人たちは、いまだ少数派で、熱心な活動家は保安当局の監視下に置かれることを余儀なくされたといいます。
 しかし、博士の心が揺らぐことはなかった。「社会が当然だと思っていることを、そのまま安易に受け止めてはならない。想像力をふくらませたとき、変革するための道は必ずある──そのことを、父が身をもって教えてくれた」と、博士は感謝の思いと誇りを込めて述懐されていました。
 一、広島、長崎、沖縄の青年部の皆さんの中にも、クレメンツ博士と同じく、お父様やお母様の平和を求める深い思いを胸に、また祖父や祖母の世代の方々が味わわれた悲惨な戦争体験に根差した教訓を受け継いで、「戦争と核兵器のない世界」を築くために立ち上がった後継の旗手が、大勢いると思います。
 そして何より、私たちには、戸田先生が遺訓の第一として発表された「原水爆禁止宣言」という、永遠に継承していくべき原点があります。
 戸田先生は「核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今、世界に起こっている」と、クレメンツ博士のお父様をはじめ、世界の心ある人々が参加した禁止運動への連帯の思いを示しつつ、核兵器の問題の「その奥に隠されているところの爪をもぎ取りたい」と師子吼されました。
 “生命尊厳の思想を根幹とする我ら仏法者は、どんな理由があろうとも、核兵器の使用は断じて許してはならない”と強調し、その廃絶を訴えたのであります。

友情の連帯で新時代へ出発!
 一、時を経て今、核兵器の非人道性に基づき、いかなる状況下においても核兵器は二度と使用されてはならず、そのためには全面廃棄を進めるしかないとの共通認識が、国際社会で高まりをみせています。
 昨年5月にスイスやノルウェーなど16カ国が共同声明を発表して以来、昨年10月には賛同の輪が35カ国となり、今年4月には80カ国にまで広がりました。「原水爆禁止宣言」を貫く精神が、時代変革を促す潮流となって、いよいよ大きく水嵩を増しているのです。
 クレメンツ博士は以前、「21世紀に生きる我々が直面する課題は、核問題に対し宗教的また人道的見地から反対を訴え続けてきた歴史的な運動に再び連なり、核廃絶に向けて“最後の一押し”をすることである」と呼びかけられました。
 私は、まさに今こそ正念場であると、声を大にして訴えたい。
 そして、この“最後の一押し”を行ううえで、かけがえのない使命を担ってくれているのが、私が心の底から信頼する青年部の皆さん方である。
 皆さんが同じ世代の友人たちと共に育んできた「平和を求め抜く友情の連帯」にこそ、新しい時代の扉を開くための不屈のパワーが宿っている、と申し上げたいのです。
 一、クレメンツ博士も、連載対談の開始にあたって、創価学会青年部による平和運動の意義を最大に讃えつつ、次のような言葉を寄せてくださいました。「私には、核兵器は必ず廃絶される、それは現在の青年部の世代によって実現されるという確信があります」と。
 広島、長崎、沖縄の青年部の皆さんは、どうか、この世界の良識からの絶対の信望を何よりの励みとし、無上の誉れとしながら、共に誓い合った2015年に向けて対話の波動を、さらに大きく広げてください。
 不戦と非核の精神を、21世紀の柱に据えゆくための不屈の挑戦を、強く賢く朗らかに、一日また一日、重ねていっていただきたいと、心より念願するものです。
 広島、長崎、沖縄の青年部、万歳!
 師の遺命を、私と共に果たしゆこう!
2013-08-05 : スピーチ・メッセージ等 :
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