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第38回「SGIの日」記念提言 「2030年へ 平和と共生の大潮流」

第38回「SGIの日」記念提言 「2030年へ 平和と共生の大潮流」

 きょう26日の第38回「SGI(創価学会インタナショナル)の日」に寄せて、池田SGI会長は「2030年へ 平和と共生の大潮流」と題する提言を発表した。
 提言ではまず、国連で新たな取り組みとして「持続可能な開発目標」の制定が目指されていることに触れ、その精神的基軸に「生命の尊厳」を据えることを提唱。貧困や格差、人権侵害、差異に基づく紛争や対立の問題に言及し、解決への方途を仏法思想を通して探りつつ、社会で育むべき精神性として、「他者と苦楽を共にしようとする意志」「生命の無限の可能性に対する信頼」「多様性を喜び合い、守り抜く誓い」の3点を挙げている。
 続いて、平和と共生の地球社会の建設に向けた挑戦として、核兵器を含めた軍縮の推進を提起。広島と長崎への原爆投下から70年となる2015年にG8サミットを開催する際に「『核兵器のない世界』のための拡大首脳会合」を行うことや、2030年までに「世界全体の軍事費の半減」を目指すことを訴えている。また人権の観点から、極度の貧困に苦しむ人々が尊厳を取り戻すための「社会的保護の床」を全ての国で整備することや、国連の枠組みとして「人権教育と研修のための地域拠点」を設けることを提案。
 最後に、緊張が高まる日中関係について、事態の悪化を防ぐための対話を早急に行った上で、「首脳会談の定期開催」による関係の緊密化や「東アジア環境協力機構」の設立を通し、日中の青年たちが力を合わせて人類の未来のために貢献する時代を築くことを呼びかけている。


 「SGIの日」を記念して、平和と共生の地球社会の建設に向けた2030年へのビジョンを展望したいと思います。

ミレニアム開発目標の一部が達成
 国連では創設以来、今年で採択65周年を迎える「世界人権宣言」をはじめ、国連総会や世界会議での決議を通して、環境と開発に対する「持続可能な開発」、紛争や構造的暴力に対する「平和の文化」など、人類が共同して追求すべき理念や指標を明示することで、国際協力を推進するための旗印にしてきました。
 昨年9月にも「人間の安全保障」に関する決議が採択されましたが、こうした理念の設定が重要なのは、“現代の世界で何が蔑ろにされているのか”を浮き彫りにすると同時に、どのような取り組みが急務なのかを明らかにして注意を喚起するためです。
 実際、国連で重点課題とされてきたミレニアム開発目標=注1=について、「世界で極度の貧困に苦しむ人々の割合を半減する」との項目が2015年の期限を待たずに達成されました。「安全な飲料水を継続的に得られない人々の割合を半減する」などの目標も実現しており、「初等教育における男女格差の解消」は、あと一歩というところまで前進しています。
 もちろん、このままのペースでは達成が危ぶまれる項目も少なくなく、また、仮に全ての目標が達成できたとしても、多くの人々が劣悪な環境で生命や尊厳を脅かされる状況は依然として残るだけに、さらなる取り組みが急務であることは論をまちません。
 しかし部分的ではあるにしても、これらの成果が意味するものは、“問題意識を共有し、克服すべき課題と期限を明確にした上で、一致した努力を傾注する流れをつくり出すことができれば、世界は着実に変えることができる”という点ではないでしょうか。
 折しも昨年6月の「リオ+20」(国連持続可能な開発会議)で、新たに「持続可能な開発目標」の制定を進めることが決まり、先月には検討のための作業部会が設立されました。
 新目標の期限として予定されている2030年までに何を成し遂げ、どんな世界を築いていくのか──今こそ衆知を結集して、地球社会のグランドデザイン(青写真)を描き出すべきであると訴えたい。

悲劇の流転を断つ挑戦を!

文豪ゲーテが剔抉した文明の病理
 「今はすべてが悪魔的速度で、思考においても行動においても一瞬たりとも休むことなく走り過ぎていく」
 「若者たちは非常に幼いうちから急き立てられ、時の渦に飲み込まれていく。豊かさと速さこそ世間が称賛し、誰もが求めてやまないものとなった」(マンフレート・オステン『ファウストとホムンクルス』石原あえか訳、慶應義塾大学出版会)
 この鋭い文明批評は、現代の思想家によるものではありません。18世紀後半から19世紀にかけて活躍した文豪ゲーテの言葉です。
 私は現在、ワイマール・ゲーテ協会顧問のマンフレット・オステン博士と、ゲーテの思想と人生をめぐる連載対談を行っています。
 オステン博士は、ゲーテが『ファウスト』でこの文明の病理を真正面から取り上げ、「すばやいマント」(移動手段)や「すばやい剣」(兵器)、「すばやい金」(マネー)を駆使して欲望を次々とかなえながらも、ついには破滅する人間の姿を描いたことに、注目していました(「加速する時間あるいは人間の自己破壊」山崎達也訳、『東洋学術研究』第44巻第1号)
 そして、ファウストのためにメフィストが提供したこれらのものを、「形態と呼称は二一世紀初頭と異なるものの、内容的にはまったく同一のものをさす件の悪魔的速度の道具」と位置付け、「現代人にはファウスト博士を同時代人と認める能力が備わっているのだろうか?」と訴えましたが(前掲『ファウストとホムンクルス』)、一体どれだけの人が自分たちの社会と無縁な話と受け流せるでしょうか。
 自国を守るために人類を絶滅させかねない核兵器しかり、格差の拡大や弱者の切り捨てを招いてきた競争至上主義的な社会しかり、経済成長の最優先で歯止めのかからない環境破壊しかり、投機マネーによる価格高騰が引き起こす食糧危機しかり、であります。
 その結果、蔑ろにされてはならないものが、いとも簡単に踏みにじられる悲劇が何度も生じている。それもメフィストの助力を借りずして──。ゲーテが剔抉した病理は、現代においてまさに極まれりと言うほかありません。
 ミレニアム開発目標の趣旨は“世界から、できうる限りの悲惨をなくす”ことにありましたが、この文明の病理に本腰を入れて対処することなくして、事態の改善が一時的に図られたとしても、次々と問題が惹起し、状況が再び悪化してしまう恐れが残ります。
 では、その荊棘を前にして、2030年に向けた新たな挑戦にどう取りかかっていけばよいのか。
 「いつかは終局に達するというような歩き方では駄目だ。その一歩々々が終局であり、一歩が一歩としての価値を持たなくてはならない」(エッケルマン『ゲェテとの対話』上、亀尾英四郎訳、岩波書店。現代表記に改めた)との、ゲーテの言葉が示唆を与えてくれると、私は考えます。
 つまり、事態改善に向けての努力を弥縫策に終わらせず、さまざまな脅威に苦しむ人々が「生きる希望」や「尊厳ある生」を取り戻すための糧として、一つまた一つと結実させながら、時代の潮流を破壊から建設へ、対立から共存へ、分断から連帯へと向け直す挑戦を進めていくことです。
 ゆえに新目標の制定においても、“社会で蔑ろにしてはならないものは何か”を問い直しつつ、平和と共生の地球社会に向けての確かな一歩一歩を導くような精神的基軸を据えることが求められます。私は、その基軸として「生命の尊厳」を提示したい。
 平和と共生の地球社会を一つの建物に譬えるならば、「人権」や「人間の安全保障」などの理念は建物を形づくる柱であり、「生命の尊厳」はそれらの柱を支える一切の土台と位置付けることができます。
 その土台が抽象的な概念にとどまっている限り、危機や試練に直面した時、柱は不安定になり、建物の瓦解も防げない。建物の強度を担保する礎として十分な重みを伴い、一人一人の人間の生き方という大地に根を張ったものでなくては意味を持ち得ません。
 そこで私は、「生命の尊厳」を基軸にした文明のビジョンを浮かび上がらせるために、社会で常に顧みられるべき精神性として、3つのメルクマール(指標)を提起してみたい。

アフリカの世紀へ力強い連帯の輪を
 第1の指標は、「他者と苦楽を共にしようとする意志」です。
 思い返せば「生命の尊厳」は、40年ほど前、歴史家のアーノルド・J・トインビー博士と21世紀の世界を展望する対談をした際、締めくくりに論じたテーマでした(『二十一世紀への対話』、『池田大作全集第3巻』所収)
 そこでトインビー博士が「尊厳は、何ものによっても代替できません」と強調していたように、端的にいうならば「生命の尊厳」は“かけがえのなさ”という代替不可能性に由来するものといえましょう。
 加えて博士は「他の人々の尊厳を重んじなければ、自己の尊厳をも失う」と指摘していましたが、人間同士のつながりという関係性において「生命の尊厳」を捉える視座は、実に大切なものだと思います。
 世界で多くの人々に尊厳の危機をもたらし、国際的な協力が強く求められているのが貧困の問題です。
 冒頭で触れた通り、ミレニアム開発目標のいくつかの項目が既に達成をみたわけですが、悲惨な状況に苦しむ人々の“割合の半減”が焦点だっただけに、取り組みをさらに加速させない限り、2015年の時点で約20億人が極度の貧困に苦しみ、6億人以上の人々が安全な飲料水を得られない状態に置かれたままになると予測されています。
 なかでも貧困削減のペースには地域差があり、特にサハラ砂漠以南のアフリカ地域では思うように改善が進んでおらず、同じく極度の貧困に苦しむ人々の半減が達成されていない南アジアや中南米にくらべても、厳しい状況が続いていることが懸念されます。
 6月には、横浜で第5回アフリカ開発会議が開催されます。主要テーマの一つに「包摂的で強靱な社会」が掲げられていますが、全ての人々が尊厳を輝かせ、アフリカから世界へ平和と共生の価値創造の潮流が幾重にも広がっていく「アフリカの世紀」の建設に向けて、国際的な連帯がより強固なものになるよう、実りある成果が得られることを願ってやみません。
 一方で、多くの人々の尊厳を脅かす貧困の問題は、経済的に豊かな国々の間でも深刻化しています。
 いわゆる「格差社会」の問題です。
 この問題を研究するリチャード・ウィルキンソン氏とケイト・ピケット氏は、経済的な困窮と相まって、格差がもたらす人間関係の劣化が人々の苦しみをさらに強め、その悪影響が巡り巡って社会全体を蝕んでいるとして、次のような警告を発しています。
 いわく、格差が大きくなればなるほど人々の健康や社会的な問題は深刻さを増すにもかかわらず、「格差社会ほど人々は互いを構わなくなり、人間関係も希薄になって、自力で世渡りしていかなければならなくなる。だから、どうしても信頼関係は弱くなる」。
 「格差は、社会をさまざまな側面で全体的に機能不全に陥れる」のであり、「貧困層だけでなくすべての所得層の人がうまくいっていない」状態を招いてしまうことになる、と(『平等社会』酒井泰介訳、東洋経済新報社)
 経済的な困窮は、それだけでも、毎日の一つ一つの出来事に生きづらさを感じさせるものです。そこに追い打ちをかけ、不条理性を増すのは、自分が軽視されたり、疎んじられたりして、居場所や生きがいを失い、社会とのつながりを断たれてしまうことではないでしょうか。
 「なぜ自分がこのような目に遭わなければならないのか」と煩悶しながらも、何とか少しでも前に進みたいと願う人々にとって、そうした周囲の視線や冷たい反応が、どれだけ尊厳を傷つけ、孤立感を深めさせてしまうことか。
 近年、経済的な側面からの貧困問題への取り組みに加えて、他者とのつながりや生きがいの回復を通じた「社会的包摂」のアプローチの重視が叫ばれているのは、そうした観点を踏まえてのものと思われます。

苦悩を分かち合い、心を尽くす中に自他共の幸福を開く大道が

他の人々の老いや病気を忌み嫌う心
 時代状況は異なりますが、仏法の成立にあたって、その出発点に横たわっていたのも、“さまざまな苦しみに直面する人々に、どう向き合えばよいのか”とのテーマでした。
 何不自由のない生活が約束された王族に生まれた釈尊が、若き日に出家を決意するまでの心境の変化は、四門出遊=注2=の伝承に凝縮した形で描かれています。しかし釈尊の本意は、生老病死を人生に伴う根本苦として、無常をはかなむことにはなかった。
 釈尊は後に当時の心境について、「愚かな凡夫は、自分が老いゆくものであって、また、老いるのを免れないのに、他人が老衰したのを見ると、考えこんで、悩み、恥じ、嫌悪している──自分のことを看過して」との思いがよぎり、病や死に対しても人々が同じ受け止め方をしていることを感じざるを得なかったと回想しています(中村元『ゴータマ・ブッダI』、『中村元選集[決定版]第11巻』所収、春秋社)
 あくまで釈尊の眼差しは、老いや病に直面した人々を──それがやがて自分にも訪れることを看過して──忌むべきものと差別してしまう“心の驕り”に向けられていたのです。
 であればこそ釈尊は、周囲から見放された高齢の人や、独りで病気に苦しんでいる人を見ると、放っておくことができなかった。
 それを物語る逸話が残っています。
 ──一人の修行僧が病を患い、伏せっていた。
 その姿を目にした釈尊が「汝はどうして苦しんでいるのか。汝はどうして一人で居るのか」と尋ねると、彼は答えた。「私は生まれつき怠けもので、[他人を]看病するに耐えられませんでした。それで今、病気にかかっても看病してくれる人がありません」
 それで釈尊は「善男子よ。私が今、汝を看よう」と述べ、汚れていた敷物を取り換えただけでなく、彼の体を自ら洗い、新しい衣にも着替えさせた。
 その上で釈尊は、「自ら勤め励みなさい」との言葉をかけ、修行僧は心も身も喜びにあふれた、と(玄奘『大唐西域記』水谷真成訳、『中国古典文学大系22』所収、平凡社)
 思いもよらない献身的な介護もさることながら、釈尊が他の健康な弟子たちにかけるのと何ら変わらない言葉を自分にもかけてくれたことが、尽きかけようとしていた彼の生命に“尊厳の灯火”を再び燃え立たせたに違いないと、私には思えてなりません。

生老病死の苦しみも人生を荘厳する糧に

自己責任論の驕りを打ち破った釈尊
 その上で、この逸話を、他の経典における伝承と照らし合わせると、もう一つの釈尊の思いが浮かび上がってきます。
 ──釈尊は、修行僧の介護をした後、弟子たちを集めて、次々と尋ね聞いた。その結果、修行僧が重病に苦しんできたことも、どんな病気を患っていたかも、弟子たちが以前から承知していたことを知った。
 にもかかわらず、誰一人として手を差し伸べようとしなかったのはなぜか。
 弟子たちから返ってきた答えは、修行僧が病床で語っていた言葉の鏡写しともいうべき、「彼が他の修行僧のために何もしてこなかったので、自分たちも看護しなかった」との言葉だった(「律蔵大品」から趣意)
 この答えは、現代的に表現すれば、「日頃の行いが悪いから」「本人の努力が足りないから」といった自己責任論に通じる論理といえましょう。それが、修行僧にとっては運命論を甘受する“あきらめ”となって心を萎えさせ、他の弟子たちにとっては傍観視を正当化する“驕り”となって心を曇らせていた。
 そこで釈尊が、弟子たちの心の曇りを晴らすべく、気づきを促すように説いたのが、「われに仕えようと思う者は、病者を看護せよ」(前掲『ゴータマ・ブッダI』)との言葉でした。
 つまり、仏道を行じるとはほかでもない。目の前で苦しんでいる人、困っている人たちに寄り添い、わが事のように心を震わせ、苦楽を共にしようとする生き方にこそある、と。
 ここで留意すべきは、そうした過程で尊厳の輝きを取り戻すのは、苦しみに直面してきた人だけでなく、その苦しみを共にしようとする人も同時に含まれているという点です。
 生命は尊厳であるといっても、ひとりでに輝くものではない。こうした関わり合いの中で、他者の生命は真に“かけがえのないもの”として立ち現れ、それをどこまでも守り支えたいと願う心が自分自身の生命をも荘厳するのです。
 また釈尊が、先の言葉で「われ(仏)」と「病者」を等値関係に置くことで諭そうとしたのは、病気の身であろうと、老いた身であろうと、人間の生命の尊さという点において全く変わりはなく、差別はないという点でした。
 その意味から言えば、他人が病気や老いに苦しむ姿を見て、人生における敗北であるかのようにみなすことは誤りであるばかりか、互いの尊厳を貶めることにつながってしまう。
 釈尊の思想の中で「法華経」を最重視した日蓮大聖人は、「法華経」において生命尊厳の象徴として登場する宝塔の姿を通し、「四面とは生老病死なり四相を以て我等が一身の塔を荘厳するなり」(御書740ページ)と説きました。
 つまり、宝塔を形づくる4つの面は、生老病死に伴う苦しみを乗り越えていく姿(4つの相)をもって輝きを増すのであり、一見、マイナスでしかないように思われる老いや病、そして死さえも、人生を荘厳する糧に昇華できる、と。
 生命の尊厳といっても、現実のさまざまな苦悩を離れて本来の輝きを放つことはできず、苦悩を分かち合い、どこまでも心を尽くす中で、「自他共の幸福」への道を開く生き方を、仏法は促しているのです。
 ゆえに私ども創価学会は、草創の頃から、「貧乏人と病人の集まり」と時に揶揄されながらも、さまざまな苦しみを抱える人々の真っただ中で“共に支え合って生きる”ことを最大の誇りとして前進を続けてきました。
 まして昨今は、災害や経済危機に象徴される「突然襲いくる困窮の危険」が、多くの人々から大切なものを一瞬にして奪い、背負い切れない苦しみをもたらす事態が各地で相次いでいるだけに、孤立化を防ぐ要請はますます高まってきているといえましょう。
 3年前のハイチ大地震や2年前の東日本大震災のように、甚大な災害に見舞われた地域では、復興がいまだ本格的に進んでいない場所が少なくありません。
 何より、被災した方々の「心の復興」や「人生の復興」という大きな課題があります。そこで大切なのは、被災した方々の苦しみを忘れず、社会をあげて被災地の再建を全力で支えることであり、「生きる希望」を共に育む絆を、十重二十重に結んでいくことではないでしょうか。
 苦しんでいる人がいれば、その人に笑顔が戻るまで徹して励まし続け、苦楽を分かち合い、どこまでも一緒に寄り添っていく──こうした“共に生きようと願う人々の絆”がある限り、一つの苦難を乗り越えた先で、再び別の試練が訪れたとしても、不条理の闇を打ち払う陽光が必ず差し込んでいくはずです。
 その確信を手放すことなく、「かけがえのないものを守り、自他共の尊厳を輝かせていく」行動を粘り強く起こしていく中に、格差社会の克服をはじめ、一人一人を大切にする「社会的包摂」の基盤を揺るぎないものにする要諦があると、私は考えるのです。

法華経のドラマと譬喩で描かれた──万人の平等性と無限の可能性


人権教育映画に込めたメッセージ

 次に第2の指標として挙げたいのは、「生命の無限の可能性に対する信頼」です。
 昨年9月、私どもSGIが、人権教育アソシエイツや国連人権高等弁務官事務所と共同して制作を進めてきた映画「尊厳への道──人権教育の力」が完成しました。
 この人権教育映画は、2011年12月に採択された「人権教育および研修に関する国連宣言」=注3=を受けて、その内容と理念を広く一般市民に普及させることを目指したもので、インターネット上でも視聴可能になっています。
 映画では3つの地域における人権教育の実践を紹介しており、それぞれのケースが直面する課題は異なりますが、そこに込められたメッセージの核心は、「社会は必ず変革できる。そしてそれは、一人一人の人間の内なる変革から始まる」との点にあります。
 SGIでは、国連NGO(非政府組織)としての活動の柱の一つとして、人権教育の推進に力を入れてきました。その根底に流れるのが、仏法思想に基づく信念に他なりません。
 釈尊は「生れを問うことなかれ。行いを問え」と、過去世の罪業によって現世での境遇が決まるといった運命論的な世界観を批判する一方で、「火は実にあらゆる薪から生ずる」(『ブッダのことば』中村元訳、岩波書店)との譬えを通し、どんな人にも尊極な生命が内在しているがゆえに、人間は根源的に平等であると同時に、無限の可能性を発揮していく道が開かれていることを強調しました。
 運命論的な世界観は、差別をする側に良心の痛みどころか、疑問に思う契機すら与えないために、人権軽視による悲劇の横行を許す温床となります。
 また差別される側にとっても、“自分が本来、かけがえのない存在である”との自覚が生まれる芽を摘んでしまい、“どれだけ努力しても無駄で意味がない”とのあきらめをもたらす原因となるものです。
 こうした“過去による現在の呪縛”は、あらゆる人々に対して──差別される側はもとより、差別をする側に対しても、「生命の尊厳」の土台を蝕むだけに、釈尊にとって到底放置できるものではなかった。
 ゆえに釈尊は、「生れを問うことなかれ。行いを問え」と呼びかけ、「因」と「果」の関係は必ずしも固定的ではなく、“今この瞬間の行為(または一念)”が新たな「因」となり、それによって全く別の「果」が生じる可能性が開かれるのであり、人間の尊貴はあくまで現在の行為で問うべきと説いたのです。
 それに加えて仏法では、縁起の法理が説かれ、全てのものが互いに影響を与え合う中で存在するという相依性の連関を踏まえるべきことを強調しています。
 つまり、瞬間瞬間で変化しゆく「因」と「果」が、相依性の連関を通じて、他の存在にもさまざまな影響を及ぼしていくのであり、“今この瞬間の行為”が自分だけでなく、周囲や社会にプラスの価値をもたらす変革の連鎖を起こすことができる。その生命の偉大な力用は、釈尊が「火は実にあらゆる薪から生ずる」との道理によって示そうとしたように、どんな人にも内在しているのです。

長者窮子の譬えと衣裏珠の譬え
 全ての人々に尊極なる生命が宿っていることに目覚めることで、自身の生命に具わる無限の可能性を発揮していく道が開かれる──この仏法の生命観は「法華経」において卓越した譬喩として結晶していますが、注目すべきは、それが釈尊の言葉としてだけでなく、弟子たちの言葉としても綴られていることです。
 例えば、「長者窮子の譬え」(幼い頃に失踪した息子と資産家の父親の物語)は、須菩提ら声聞を代表する弟子たちが語り、「衣裏珠の譬え」(貧しい男と裕福な友人が二度めぐり合う物語)は、憍陳如をはじめとする阿羅漢たちが披歴したものです。
 前者の譬えは、不遇の身をかこってきた人が放浪の先に働き始めた家にあった多くの宝(父親の財産)を見ながらも自分とは無縁の存在と思い込む話であり、後者は、常に身にまとう衣服に宝(友人が以前に縫い込んだ宝石)が付いていることを知らず、苦しい生活を送っていた男が、友人と再会し、尊極な宝がもともと自分の手中にあったことを知るという話です。
 これらの譬喩は、全ての人々に仏性があり(万人の平等性)、仏と同じ甚深無量の智慧が発揮できる(万人の無限の可能性)との釈尊の教えの核心に触れて、自らの尊厳と使命に目覚めた弟子たちが、あふれる歓喜と決意を仮託したものだったのです。
 この弟子たちの身に起こった変革の姿と、彼らが思いを託した譬喩を通して、「法華経」で二重に描かれた、目覚めから歓喜、そして決意(行動)へと昇華しゆく生命のドラマ──。
 私どもSGIが人権教育を推進する上で、「エンパワーメント(内発的な力の開花)」から「リーダーシップの発揮」に至るプロセスを重視してきたのは、釈尊の目覚めが弟子たちの目覚めへと連鎖していったように、一人に可能なことは万人に可能であり、その道は人間同士の生命と生命の触発を通して一歩また一歩と開かれるという、仏法の思想を踏まえてのものに他ならないのです。

一人の人間の内なる変革が現在と未来を希望で照らす

自己信頼の力と希望のぬくもり
 人権教育映画では、望まない結婚を若くして強いられた上に、夫の暴力に苦しめられたトルコの女性の話が紹介されています。
 ──夫の暴力に苦しみ続けた彼女は離婚を決意するが、そのために自分の家族からも脅されることになった。しかし、女性団体の保護を受けて人権について学び、意識を薫発される中で、新しい人生を踏み出す決意を固めた。
 そして、「私はとても強くなりました。他の女性も助けられたら、もっと嬉しいです。皆の模範になりたいです」と、同じ苦しみを抱える女性たちの力になりたいとの強い思いを抱くまでになった、と。
 まさに人権教育の尊い実例をみる思いですが、私は何よりも、この過程を通じて生きる力を取り戻した女性の笑顔に、尊厳への目覚めがもたらす“自己信頼の力”と“希望のぬくもり”を感じてなりません。
 この“希望のぬくもり”のイメージをより的確に伝えるために、哲学者のミルトン・メイヤロフ氏の言葉を紹介したいと思います。
 メイヤロフ氏は、「エンパワーメント」と志向性を同じくする、他者との専心的な関わり合いを基盤としたケアリング論を先駆的に研究した人物です。
 「私のケアをとおして相手が成長していくという希望(Hope)がある」「ある意味では、春の到来のときに感じられる希望に似ている」「この希望の持つ意味は、待ち望んだ未来には充足性があるが、現在には充足性がないというものではない。それどころか希望は、現在の豊かさの表現であり、可能性の期待でいかにも生き生きした現在そのものなのである」(『ケアの本質』田村真・向野宣之訳、ゆみる出版)
 ここで重要なのは、希望が未来への約束手形として棚上げされてしまうのではなく、今この瞬間を“生の充足感”で満たす形で、目の前に希望そのものが現出していることです。
 「貧窮下賤の者と生れ」(御書958ページ)と庶民の出自であることを誇りとし、社会の悪弊に苦しむ人々の側に終生立ち続けた日蓮大聖人は、“希望のぬくもり”をもたらす生命の力用のダイナミズムについて、「水の底なる石に火のあるが如く百千万年くら(闇)き所にも燈を入れぬればあか(明)くなる」(同1403ページ)と説きました。
 それまでの境遇がどうであろうと関係ない。自分の本来の尊さに目覚め、今ある状況を変えたいと立ち上がった瞬間に、周囲を照らす希望の光はわが身から力強く発している、と。
 どれだけ大きな希望であっても、はるか遠くの未来でしか実現するものでなかったとすれば、可能性の種子が芽吹いたとしても、それが花を咲かせ、実を結ぶまで、自分の気力を奮い立たせ続けることは容易ではない。まして、自分自身が変化した姿をもって、周囲に変革の波動を広げることは難しいでしょう。
 そうではなく、先ほどの「春の到来」のような希望であってこそ、日々、喜びと誇りをもって、自身の可能性の種子を大切に育み続けることができる。そして、その姿を通して、変革の波動は自ずと周囲にも広がり、社会の土壌を持続的に耕すことができる。
 このビジョンは「人権文化」に限らず、「持続可能な社会」の建設にあたっても、有益な視座を提供するものだと思います。
 私は昨年6月の環境提言で、持続可能性を追求するにあたっては、「より良い未来を目指す中で、現在の状況をさらに良いものに変えていく」という往還作業を軸にする必要があることを呼びかけました。
 思うに、未来の生だけでなく現在の生も“希望のぬくもり”で満たす取り組みであってこそ、冒頭で私がゲーテの言葉に託して展望した、一歩一歩が「終局」の重みを持ち、「一歩としての価値」を放つ、時代変革の挑戦の地平が開けていくのではないか。
 2030年に向けた壮大な挑戦の成否も、こうした「エンパワーメント」から「リーダーシップの発揮」への波を起こす取り組みをどれだけ各地で根づかせていけるかにかかっていると、私は思うのです。

憎悪と暴力の連鎖から脱却し多様性を喜び合う世界を

グローバル化がもたらした光と影

 最後の第3の指標は、「多様性を喜び合い、守り抜く誓い」です。
 私が長年、さまざまな民族や宗教を背景とする人々と対話をする中で強めてきたのは、多様性は単に尊重すべき対象にとどまらず、自己を見つめ直し、互いの生の意味を豊かにする源泉であるとの実感です。
 現代の世界を貫くグローバル化と情報化社会という2つの潮流は、文化的な背景が異なる人々と交流する機会を飛躍的に増大させるとともに、意思の疎通を瞬時に図ることのできる手段を発達させました。
 しかし一方で、この2つの潮流は、経済を軸としたフラット化(均質化)が各地の文化的土壌を浸食する現象や、越境して移住する人々の増加に伴う文化的な摩擦をめぐって憎悪や排他的な感情が声高に煽られる現象を招いています。
 そのために、本来は多様性の源である差異が、攻撃の的や社会を分かつ壁と化して、暴力や紛争に発展するケースは後を絶たず、人々の生命や尊厳が脅かされる事態が相次いでいることが強く懸念されます。
 かつてユネスコ(国連教育科学文化機関)で採択された「暴力についてのセビリア声明」で、戦争や暴力が“人間の本性に遺伝的にプログラムされている”との考えや“本能によって引き起こされる”との考えは、科学的に正しくないとの見解が示されました。
 私も全面的に同意しますが、現実に今なお続く紛争と暴力を前にして、その連鎖を断つためには、いまだ多くの困難な壁を乗り越えていかねばならないことも否めない事実です。
 では、一体何が、戦争や暴力へと人々を駆り立てる引き金となるのか──。
 釈尊は、他者の生命も、自分の生命と同じくかけがえのない尊いものであることを受け止められない「無明」(根源的な迷い)から抜け出せないことが根本にあると考えました。
 釈尊の生きた古代インドでも、水の確保をめぐる部族抗争や国家間の勢力争いなど、暴力的な衝突がしばしば起きていました。
 その姿を目の当たりにした釈尊は、人々の「心の中に見がたき煩悩の矢が潜んでいるのを見た」(前掲『ブッダのことば』)との言葉を通して、問題の所在を浮き彫りにしたのです。
 つまり、根源的な迷いが、目に見えない一本の矢となって心を射貫いているため、エゴイズム(自己中心主義)の執着から離れられないでいる、と。
 釈尊は、対峙する集団が「水の少いところにいる魚」(同前)のように、同じ焦燥に駆られているにもかかわらず、心が曇らされているために、他の集団が自分たちと同じ苦しみに直面していること──例えば、水不足に困っているとか、他国に滅ぼされるのではないかと不安が消えないこと──が目に映らなくなっていると誡めました。

生き方を180度転換した鬼子母神

 であればこそ釈尊は、不殺生を説く際にも、「すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」(『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳、岩波書店)との諭しをしました。
 ここには2つの重要な視座があります。
 1つ目は、外在的に与えられたルールに従う形ではなく、「己が身にひきくらべて」とあるように、内省を通じて他者の苦しみや置かれた境遇に思いをはせることを、自己を律する基盤としていることです。
 2つ目は、「殺してはならぬ」との後に「殺さしめてはならぬ」と続いているように、単に自分が殺生を行わないだけでなく、自己の全存在をかけた対話を通して、他者の生命に内在する善性を薫発し、共に不殺生を誓い合う生き方を促している点です。
 仏典には、釈尊がこの内省と対話の2つの回路を通じて、多くの子どもたちの命を奪う悪行を続けてきた鬼子母神の生き方を転換させた話があります。
 ──鬼子母神の悪行に苦しめられてきた人々が、釈尊に窮状を訴えたところ、釈尊は一計を案じて、鬼子母神に気づきを与えるために、彼女が最も大切にしている末子を隠した。
 7日間、血相を変えて探し回ったものの、末子は見つからず、憔悴しきった鬼子母神は、“釈尊には全てを知る力が具わっている”と聞き、すがる思いで釈尊のもとを訪れた。
 末子の居所を知りたいと願う鬼子母神に、釈尊はこう述べた。
 「あなたには、数え切れない程のたくさんの子どもがいるというではないか。それなのに、たった一人を失い、なぜそれほど苦悩するのか。普通の家は子ども一人、あるいは三人か五人といったところである。その子どもたちの命をあなたは奪ってきたのだ」と。
 その言葉を聞き、自分が今直面している苦しみを、どれだけ他の親たちに与え続けてきたのかを思い知った鬼子母神は、二度と悪行をしないと釈尊の前で約束し、末子との再会をようやく果たすことができた、と(「雑宝蔵経」から趣意)
 以来、鬼子母神はあらゆる子どもたちを守ることを自分の使命とするようになり、「法華経」では他の鬼神らと一緒に、皆の幸福を願い行動する人々を守ることを誓ったのです。
 重要なのは、日蓮大聖人が「流転門の時は悪鬼なり還滅門の時は善鬼なり」(御書778ページ)と説いたように、姿はそのままで鬼子母神が生き方を180度転換させたことです。つまり、心の重心が「鬼神」から「母親」のアイデンティティ(自己規定)へと移り、「己が身にひきくらべて」という内省の回路が開かれたことで、他の母親たちの苦しみが初めて胸に迫り、鬼子母神は“自分が感じた苦しみを二度と誰にも味わわせてはならない”と決意するにいたったのです。

集団心理や扇動に押し流されない
 一人の人間には民族や宗教だけでなく、さまざまに自己を規定する要素が複層的に折り重なっています。この「アイデンティティの複数性」が、現代において人々が集団心理や暴力的な扇動に押し流されないためのカギになると訴えたのは、経済学者のアマルティア・セン博士でした。
 幼い頃、紛争で多くの人が“宗教の違い”だけを理由に命を奪われる姿を目にして、深く胸を痛め、その悲劇を防ぐための研究と思索を続けてきたセン博士は、「たとえ暗黙のうちにであっても、人間のアイデンティティは選択の余地のない単一基準のものだと主張することは、人間を矮小化するだけでなく、世界を一触即発の状態にしやすくなる」と警告した上で、こう述べています。
 「問題の多い世界で調和を望めるとすれば、それは人間のアイデンティティの複数性によるものだろう。多様なアイデンティティはお互いを縦横に結び、硬直した線で分断された逆らえないとされる鋭い対立にも抵抗する」(大門毅監訳/東郷えりか訳『アイデンティティと暴力』勁草書房)と。
 同じ民族に属していようと、同じ宗教を信じていようと、育った環境も違えば、職業や趣味も違い、信条や生き方も異なる。人それぞれ千差万別なのが、世界の実相です。民族や宗教の違いとは位相を異にしつつ、人間と人間の一対一の関係において、さまざまなアイデンティティが時に交錯し、共鳴し合う可能性が常に開かれている。
 そこに、セン博士が洞察したような、逆らいがたい分断の壁を超えて、友情や共感の絆が結ばれる契機が生じるといってよい。
 私が世界の識者と「文明間対話」や「宗教間対話」を進めるにあたって、家族の話や生い立ち、青春時代の思い出、現在の道に進むまでの経緯などを伺うとともに、地球的問題群の解決策や人類の未来の展望について幅広く語り合ってきたのは理由があります。
 民族や宗教のラベルで埋もれてしまいがちな「その人ならではの人生の豊饒さ」と「その人を突き動かしてきた信念」を浮き彫りにしつつ、その相手との間でしかできない生命と生命との交響楽を「対話」を通して奏で合い、世界を真に人間的なものにするための道筋を照らし出すことを願ってきたからでした。
 その交響楽の中で、民族や宗教といった自己と他者の違いを際立たせる差異さえも、「最良の自己」を互いに顕現していくための、かけがえのない旋律として立ち現れるのです。

対話で結ぶ友情こそ平和の文化を築く礎

民族や宗教による社会の分断を防ぐ
 この点に関し、セン博士の問題意識とも通じる「人間の複数性」──私が「その人ならではの人生の豊饒さ」との表現を用いて示そうとした人間の無限の多様性──を自らの哲学の要石としていた、哲学者のハンナ・アレントが印象深い言葉を残しています。
 「われわれが世界の物事にどれほど影響されようと、それがどれほど強くわれわれを感動させかつ刺激しようと、仲間とそれについて討論することができる場合にのみ、そうしたことはわれわれにとって人間的なものとなる」(『暗い時代の人々』阿部齊訳、筑摩書房)
 ここに出てくる「仲間」の意味を、アレントが同胞愛ではなく友情、それも、真理に対する見解が異なる人間同士の友情の文脈で論じているように、差異があるからこそ、対話によって世界は人間性を帯びるのであり、友情があるからこそ、一人一人の生命も多様性が織り成す妙なる輝きを増していくのです。
 心と心が通い合っていなければ成り立たない、この友情こそ、多様性の源である差異が“排他の記号”と化して社会を分断することを食い止める防波堤となるものであり、憎悪や暴力が渦巻く「戦争の文化」の激流に他者への共感や同苦の心を押し流されないために、人間がどこまでも守り抜いていくべき魂の紋章ではないでしょうか。
 先のユネスコの声明が一つの淵源となり、国連が推進してきた「平和の文化」の構築は、こうした「戦争の文化」からの脱却を目指すものでした。
 SGIでは、「世界の子どもたちのための平和の文化と非暴力の国際10年」(2001年~2010年)の期間中はもとより、現在も展示活動をはじめ、民衆レベルでの意識啓発や対話に取り組んでいます。
 「平和の文化」を地球の全ての場所に定着させるには、憎悪や対立の根を一つ一つ辛抱強く取り除いていかねばなりません。
 しかし私たちには、同じ人間である以上、「己が身にひきくらべて」他者の苦しみに思いをはせることができる「内省」という名の心の音叉があり、誰に対してもどこにでも架けることのできる「対話」という名の橋がある。そして、どんな荒れ地も耕すことのできる「友情」という名の鍬があり、鋤がある。
 仏典に「喜とは自他共に喜ぶ事なり」(御書761ページ)とありますが、「平和の文化」の沃野を広げゆく友情とは、同じ世界に生きる人間として互いの存在を喜び合い、どんな差異があろうとも互いの尊厳ある生を守り抜く誓いの異名であると言えないでしょうか。

21世紀の宗教が果たすべき役割
 以上3点にわたり、「生命の尊厳」に基づく文明を築くための指標と考えるものを論じてきました。
 この3つの指標を、私がコロンビア大学ティーチャーズ・カレッジでの講演(「『地球市民』教育への一考察」、1996年6月)で提示した地球市民の要件と照らし合わせると、①他者の苦しみに寄り添う「慈悲」、②生命の平等性と可能性を深く認識する「智慧」、③どんな差異も互いの人間性を薫発する糧としていく「勇気」、という生命の力用に集約することができます。
 この生命の力用が全ての人々に内在していることに目を向けることから、平和と共生の地球社会を建設するための挑戦は始まるのではないでしょうか。
 そして、21世紀の宗教に求められる社会的使命も、こうした生命の力用を豊かに開花させる後押しとしての役割を果たし、「生命の尊厳」の息吹を社会に脈動させる民衆の連帯を育むことにあると、私は考えるのです。

「非人道性」の観点に基づき核兵器禁止条約を制定

 続いて、2030年に向け、平和と共生の地球社会の建設を進めるにあたり、「生命の尊厳」の視座に基づいて特に明確な軌道を確立する必要があると思われる「核兵器の禁止と廃絶」と「人権文化の建設」の2つの課題について具体策を論じておきたい。
 第1の課題は、核兵器の禁止と廃絶です。
 核兵器は、冒頭で触れた『ファウスト』の話に照らせば、「すばやい剣」を現代において体現したものといえます。この「すばやい剣」を求める人間の心理についてゲーテが掘り下げた洞察にも通じる形で、現代文明が抱える諸問題を「速度」の観点から考察してきた思想家に、ポール・ヴィリリオ氏がいます。
 そのヴィリリオ氏が『速度と政治』(市田良彦訳、平凡社)と題する著書で、「核兵器とそれが想定する兵器体系の危険性は、爆発の危険性であるよりはよほど、それが存在し、精神の中で内破する危険性なのだ」と警告していたことがあります。
 もとよりこれは警句的な表現で、核兵器の爆発による被害が甚大で取り返しのつかないものであることは言うまでもありません。あくまで氏が強調しようとしたのは、核使用の有無にかかわらず、世界が核兵器の脅威で覆われている状態が意味する異常性、また、その状態が続くことが社会に及ぼす精神的な影響に目を向ける必要性です。
 私も、こうした問題意識に強く共感します。
 そうでなければ、核兵器の保有の是非が専ら安全保障の観点から論議される中で、ともすれば見過ごされてきた点──例えば、氏が『自殺へ向かう世界』(青山勝・多賀健太郎訳、NTT出版)で、「核による抑止とは、総力戦を別のやり方で継続することにほかならず、これによって戦時と平時とのあいだの微妙な区別が失われ」たと指摘していたような、世界の実相が浮かび上がってこないからです。

戸田第2代会長の「原水爆禁止宣言」
 半世紀以上も前(1957年9月)、東西冷戦下で核開発競争が激化する中、「原水爆禁止宣言」を発表し、核兵器の保有にひそむ「生命の尊厳」への重大な冒とくを許さず、その徹底的な打破を訴えたのが、私の師である創価学会の戸田城聖第2代会長でした。
 戸田会長は宣言の中で、「核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今、世界に起こっているが、私はその奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う」(『戸田城聖全集第4巻』)と述べ、核実験を禁止する重要性を踏まえつつ、問題の本質的な解決のためには、核兵器の保有を容認する思想の根を絶つ以外にないことを強調しました。
 都市をまるごと壊滅させ、戦闘員と非戦闘員の区別なく多数の人々の命を一瞬にして奪い、生態系にも深刻な影響を及ぼす一方で、爆発後も後遺症などで人々を長期にわたって苦しめるのが、核兵器です。
 広島と長崎への原爆投下で、言葉には言い尽くせない非人道性が明らかになったにもかかわらず、今なお核兵器の保有を是認し続けようとする思想の根底にあるものは何か。
 思うにそれは「総力戦」の行き着く果ての心的態度──前半での考察に沿った形で表現すれば、敵側に属する以上、誰であろうと関係性そのものに変わり得る余地はなく、つながりごと絶つしかないという、「生命の尊厳」の究極的な否定ではないでしょうか。
 そこには、哲学者のアレントが『暗い時代の人々』(阿部齊訳、筑摩書房)で論じていたような「他の人々と世界を共有する心づもり」など介在せず、あるのは、他の人々を「ともに喜びにひたるに値すると思わない」とみなす冷酷さしかない。いわば、仏法で説く「元品の無明」から生じる、人々の生命を根本的に軽視し、破壊しようとする衝動が、底流に渦巻いている。
 ゆえに戸田会長は、核保有の「奥に隠されているところの爪」をもぎ取り、世界の民衆の生存権を守るために、「もし原水爆を、いずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきである」と訴えました。
 仏法者として死刑反対を主張していた戸田会長が、あえて極刑を求めるかのような表現を用いたのはなぜか。それは、“どの国であろうと、どんな理由があろうと、核兵器の使用を絶対に許してはならない”との思想を鮮明にするためであり、さらには、民衆の生存権を人質にしてまで国家の安全を図ろうとする核保有の論理に明確な楔を打つためだったのです。
 当時、東西の陣営に分かれて、相手側の核保有ばかりを問題視する主張の応酬が続く中で、イデオロギーや国家の利害にとらわれることなく、戸田会長は「世界の民衆」の名において核兵器を現代文明の“一凶”として断罪し、その廃絶を呼びかけたのです。
 時を経て現在、核拡散が進む中で、その防止策に焦点が向きがちですが、もちろんその対応は急務であるとしても、核兵器をめぐる問題の本質は戸田会長が「原水爆禁止宣言」で剔抉していた点にあることを断じて忘れてはならない。
 この点に関して、国連の潘基文事務総長も、「ある者が核兵器を保有することは他の者が獲得することを奨励します。それは、核拡散と、伝染的な核抑止ドクトリンの蔓延を招きます」(2010年8月の早稲田大学での講演、国連広報センターのホームページ)との警告を発しています。
 なぜそのような伝染が生じるのかという根源の問題に向き合わずして、いくら防止策を講じても実効性の確保は難しく、今後も新たな拡散を招きかねないのではないでしょうか。

核依存の安全保障を脱却し日本は核廃絶への行動を‼

NPT再検討会議を機に生じた動き
 こうした中、2010年のNPT(核拡散防止条約)再検討会議を契機に、核兵器を非人道性に基づいて禁止しようとする動きが芽生えつつあります。
 NPT再検討会議では、「核兵器のいかなる使用も壊滅的な人道的結果をもたらすことに深い懸念を表明し、すべての加盟国がいかなる時も、国際人道法を含め、適用可能な国際法を遵守する必要性を再確認する」(梅林宏道監修『イアブック「核軍縮・平和2012」』ピースデポ)との一文が最終文書に盛り込まれました。
 以来、2011年11月に国際赤十字・赤新月運動の代表者会議で、核兵器の使用禁止と完全廃棄を目指す条約の交渉を求める決議が採択されたほか、昨年5月には、次回のNPT再検討会議に向けて行われた準備委員会の場で、ノルウェーやスイスを中心とした16カ国による「核軍縮の人道的側面に関する共同声明」が発表されました。
 共同声明では、「冷戦の終結後においてすら、核による絶滅の脅威が、21世紀における国際的な安全保障の状況の一部であり続けていることは、深刻な懸念」との認識を示した上で、次のような呼びかけを行っています。
 「もっとも重要なことは、このような兵器が、いかなる状況の下においても二度と使用されないことです」
 「すべての国家は、核兵器を非合法化し、核兵器のない世界を実現するための努力を強めなければなりません」(前掲『イアブック「核軍縮・平和2012」』)と。
 昨年10月には、この共同声明に若干の調整を加えたものが国連総会第1委員会で発表され、賛同の輪はオブザーバー国を含めて35カ国にまで拡大しました。
 そして今年3月には、共同声明を踏まえる形で、ノルウェーのオスロで「核兵器使用の人道的影響」をテーマにした政府レベルの国際会議が開かれます。
 この国際会議は、科学的な見地から、核兵器の使用による即時的影響や長期的影響、人道救援の困難性について検証することを目的としたものです。
 また、9月には国連で、核兵器の完全廃棄をテーマにした「核軍縮に関する総会ハイレベル会合」の開催も予定されています。
 私は昨年の提言で、有志国とNGO(非政府組織)を中心とした「核兵器禁止条約のための行動グループ」の発足を提案しましたが、これらの会議を通じて機運を高め、共同声明への賛同の輪を大きく広げながら、可能であれば年内に、非人道性の観点から核兵器を禁止する条約づくりのプロセスを開始することを、強く呼びかけたい。

北東アジアの平和を切り開くために
 そこで今後、重要なカギを握るのが、核保有国による“核の傘”に自国の安全保障を依存してきた国々の動向です。
 共同声明には、非核兵器地帯に属する国々や、非保有国で核廃絶を求める国々などと並んで、NATO(北大西洋条約機構)の加盟国として“核の傘”の下にあるノルウェーとデンマークも加わっています。しかも両国は、声明づくりにも関わってきました。
 アメリカの同盟国として同じく“核の傘”の下にある日本も、非人道性の観点から核兵器の禁止を求めるグループに一日も早く加わり、他の国々と力を合わせて「核兵器のない世界」を現実のものとするための行動に踏み出すべきである、と訴えたい。
 核兵器の脅威がある限り、核兵器で対峙し続ける以外にないと考えるのではなく、被爆国として、“保有する国の違いによって、良い核兵器があるとか、悪い核兵器があるかのような区別は一切ない”との思想を高め、核兵器禁止条約の旗振り役の一翼を担うべきではないでしょうか。
 私は前半で、釈尊の「己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」(『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳、岩波書店)との言葉に言及しました。
 核兵器についても、広島や長崎の人々が自らの被爆体験を踏まえ、「どの国も核攻撃の対象にしてはならない」「どの国も核攻撃に踏み切らせてはならない」との二重の誓いをメッセージとして発信してきたように、核兵器による惨劇をなくす挑戦の最前線に日本が立つことを望みたい。
 具体的には、日本が「核兵器に依存しない安全保障」に舵を切る意思を明確にし、「地域の緊張緩和」と「核兵器の役割縮小」の流れを自ら先んじてつくり出していく。そして、北東アジアに「非核兵器地帯」を設置するための信頼醸成に努める中で、グローバルな核廃絶の実現に向けての環境づくりに貢献すべきであると思うのです。

核保有国の間でも広がる認識の変化
 実際、今や保有国の間でも、核兵器の有用性に対する認識の変化がみられるようになってきています。
 昨年3月、アメリカのバラク・オバマ大統領は韓国で行った講演で「我が政権の核態勢は、冷戦時代から受け継いだ重厚長大な核兵器体系では、核テロを含め今日の脅威に対応できないとの認識にたつ」(「核兵器・核実験モニター」第398号、ピースデポ)と述べました。
 また昨年5月のNATOサミットで採択された文書でも、「核兵器の使用が考慮されねばならないような状況は極めて考えにくい」(同、第401―2号)との見解が示されています。
 いずれも、「核兵器が存在する限り」との前提に立って抑止政策を堅持する姿勢は崩していないものの、核兵器を安全保障の中心に据え続けねばならない必然性が現実的には低下していることを示唆したものとして注目されます。
 このほか、核兵器に対する問題提起は、他の観点からも相次いでいます。
 例えば、世界的な経済危機が続く中、トライデント(潜水艦発射弾道ミサイル)による核兵器システムの更新がイギリスで財政問題に関連して争点化したように、核保有に伴う甚大な負担の是非を問う声が各国で挙がり始めています。
 世界全体で核兵器の関連予算は、年間で1050億ドルにのぼるといいます。
 その莫大な資金が各国の福祉・教育・保健予算に使われ、他国の開発を支援するODA(政府開発援助)に充当されれば、どれだけ多くの人々の生命と尊厳が守られるか計り知れません。核兵器は保有と維持だけでも重大な負荷を世界に与え続けているのです。
 加えて昨年4月には、核戦争が及ぼす生態系への影響についての研究結果をまとめた報告書「核の飢餓」が発表されました。
 IPPNW(核戦争防止国際医師会議)とPSR(社会的責任を求める医師の会)が作成したもので、比較的に小規模な核戦力が対峙する地域で核戦争が起きた場合でも、重大な気候上の変動を引き起こす可能性があり、遠く離れた場所にも影響を与える結果、大規模な飢餓が発生して10億人もの人々が苦しむことになると予測しています。

SGIの新展示が目指しているもの
 戸田第2代会長の「原水爆禁止宣言」を原点に、核兵器の禁止と廃絶を求める運動に長年取り組んできたSGI(創価学会インタナショナル)では、こうしたさまざまな観点を踏まえつつ、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)と共同して、「核兵器なき世界への連帯──勇気と希望の選択」と題する展示を新たに制作しました。
 昨年8月に広島で初開催したこの展示は、政治的・軍事的観点からのみ論じられ、袋小路に陥ってしまっている核兵器の問題について、非人道性に加え、人間の安全保障、環境、経済、人権、ジェンダー(社会的性差)、科学など、多様な角度から問い直しを迫る内容となっています。
 今回の展示の主眼は、それぞれの人が関心を持ち、懸念を抱いているテーマを入り口としながら、核兵器の問題を今一度、自身に深く関わる課題として考え直す機会を提供することで、「核兵器のない世界」を求める連帯の裾野を大きく広げることにあります。
 私どもが半世紀以上にわたって核兵器の問題に取り組んできたのは、核兵器の存在自体が「生命の尊厳」に対する究極の否定であり、その禁止と廃絶を実現させる中で、“国家として必要ならば、大多数の人命や地球の生態系を犠牲にすることも厭わない”との非道な思想の根を断つことにありますが、理由はそれだけにとどまりません。
 もう一つの大きな目的は、核兵器の問題というプリズムに、展示項目として先に列挙したような環境や人権といった、さまざまな観点から光を当てることで、“現代の世界で何が蔑ろにされているのか”を浮き彫りにし、世界の構造をリデザイン(再設計)すること──そして、将来の世代を含め、全ての人々が尊厳ある生を送ることができる「持続可能な地球社会」の創出にあります。

持続可能な未来のために世界の軍事費の半減達成を!
2015年のサミットで核問題の首脳会合を開催


核時代に終止符を打つ道徳的な責任
 そこで私は、3つの提案を行いたい。
 1つ目は、「持続可能な開発目標」の主要テーマの1つに軍縮を当て、2030年までに達成すべき目標として「世界全体の軍事費の半減(2010年の軍事費を基準とした比較)」と「核兵器の廃絶と、非人道性などに基づき国際法で禁じられた兵器の全廃」の項目を盛り込むことです。
 私は昨年6月の環境提言で、「持続可能な開発目標」の対象分野にグリーン経済や再生可能エネルギー、防災・減災などを含めることを提案しましたが、これに軍縮も加えるべきではないでしょうか。
 このうち軍事費の削減は、現在、国際平和ビューローと政策研究所の2つのNGOが中心となって呼びかけており、SGIとしても「人道的活動としての軍縮」を重視する立場から、その運動に参加していきたいと思います。
 2つ目は、核兵器の非人道性を柱としつつ、核兵器にまつわる多様な角度からの議論を活発化させながら、国際世論を幅広く喚起していくことで、核兵器禁止条約の交渉プロセスをスタートさせ、2015年を目標に条約案のとりまとめを進めることです。
 3つ目は、広島と長崎への原爆投下から70年となる2015年にG8サミット(主要国首脳会議)を開催する際に、国連や他の核保有国、非核兵器地帯の代表などが一堂に会する「『核兵器のない世界』のための拡大首脳会合」を行うことです。
 例えば、2015年のホスト国であるドイツと交代する形で、2016年の担当国である日本がホスト役を務め、広島や長崎での開催を目指す案もあるのではないかと思います。
 これまで私は、こうした首脳会合の方式として、2015年のNPT再検討会議の広島や長崎での開催を提唱してきました。
 その実現を切望するものですが、190近くの国が参加する大規模な会議であることなどの理由から、慣例通り、国連本部での開催が決まった場合には、再検討会議の数カ月後に行われるG8サミットの場で議論を引き継ぐ形で、「拡大首脳会合」を広島や長崎で行うことを検討してみてはどうかと思うのです。
 その意味で、先ほど触れた韓国での講演でオバマ大統領が述べていた次の言葉は、私の心情と深く響き合うものがあります。
 オバマ大統領は、「米国には、行動する特別な責務がある。それは道徳的な責務であると私は確信する。私は、かつて核兵器を使用した唯一の国家の大統領としてこのことを言っている」と、2009年のプラハ演説=注4=で述べた信念をあらためて表明した上で、こう続けました。
 「何にもまして、二人の娘が、自分たちが知り、愛するすべてのものが瞬時に奪い去られることがない世界で成長してゆくことを願う一人の父親として言っているのだ」(前掲「核兵器・核実験モニター」第398号)と。
 この後者の言葉、すなわち、国や立場の違いを超えて一人の人間として発した言葉に、あらゆる政治的要素や安全保障上の要請を十二分に踏まえてもなお、かき消すことのできない“本来あるべき世界の姿”への切実な思いが脈打っている気がしてなりません。
 私はここに、「国家の安全保障」と「核兵器保有」という長年にわたって固く結びつき、がんじがらめの状態が続いてきた“ゴルディオスの結び目”=注5=を解く契機があるのではないかと考えるのです。
 核時代に生きる一人の人間として思いをはせる上で、広島や長崎ほどふさわしい場所はありません。
 2008年に広島で行われたG8下院議長サミットに続いて、各国首脳による「拡大首脳会合」を実現させ、「核兵器のない世界」への潮流を決定づけるとともに、2030年に向けて世界的な軍縮の流れを巻き起こす出発点にしようではありませんか。

世界人権宣言の採択から65周年
 続く第2の課題は、人権文化の建設です。
 先ほどの「核兵器の禁止と廃絶」が国連総会で初めて採択された決議のテーマであったように、「人権」もまた国連の創設当初から目的の柱に据えられてきたテーマでした。
 国連憲章の草案における人権規定が極めて限定的だった中、1945年のサンフランシスコでの制定会議で「平和の礎石を据えるつもりならば、誠実かつ正しくその基礎をおかなければならない」(ポール・ゴードン・ローレン『国家と人種偏見』大蔵雄之助訳、TBSブリタニカ)といった意見が相次ぎ、NGOからも明確な規定を求める声があがった結果、国連憲章の第1条で国連の主要目的として人権が位置付けられただけでなく、憲章で唯一、専門の委員会の設置が明記されたのです。
 そして翌46年に人権委員会が設置されたのに続き、48年には「世界人権宣言」が採択されました。
 人権委員会の初代委員長として制定作業に携わったエレノア・ルーズベルトが「あらゆる場所のすべての人にとって国際的マグナ・カルタとなりうる」(同前)と予見した通り、「世界人権宣言」は多くの国の人権規定に影響を与え、人権に関する諸条約を成立させる理念的基盤としての役割を果たしたほか、人権のために行動する人々を鼓舞し続けてきました。
 その採択から65周年を迎える現在、「人権基準の設定」や「権利保障と救済のための制度整備」に続き、国際社会で重視されるようになってきたのが「人権文化の建設」です。
 これは、人間の尊厳を共に守る気風を社会全体で育む取り組みを通し、規範の設定や制度の整備だけでは完結しえない人権保障の強度を、一人一人が意識をもって鍛え上げていくことを目指したものです。
 まさしくそれは、私が、「生命の尊厳」に基づく文明を築くには、一人一人のかけがえのなさに目覚め、それを大切に守り抜こうとする心が社会全体に脈動しなければならないと訴えた方向性と、軌を一にする挑戦に他なりません。

貧困に苦しむ人々の尊厳 社会的に保護する制度を!

人権文化の建設へ取り組むべき課題
 国連では2005年にスタートした「人権教育のための世界プログラム」を通し、「人権文化の建設」を推進してきました。
 私は、この取り組みを今後も強化することと併せて、2030年に向けての「持続可能な開発目標」の柱に、先ほどの軍縮と並んで人権の分野を加えることを呼びかけたい。
 この点、国連のナバネセム・ピレイ人権高等弁務官が昨年6月、リオ+20の成果を踏まえつつ、“我々は「持続可能な開発目標」が人権に関する枠組みであることを確実にしなければならない”と訴えていたことに、深く共感します。
 そこで私は、「人権文化の建設」の観点から、2030年までの目標として具体的に2つの項目を盛り込むことを提案したい。
 1つ目は、極度の貧困に苦しむ人々が尊厳ある生を取り戻すための「社会的保護の床」を全ての国で整備することです。
 「世界人権宣言」で生活水準についての権利が謳われているにもかかわらず、人間らしい生活をするための最低限の水準を保障する社会的保護を受けることができず、苦しい毎日を送らざるを得ない人々が世界で大勢います。
 特に近年、世界経済危機のために、雇用や保健、教育などの面で人々が被る影響が厳しさを増しており、国連は2009年に「社会的保護の床イニシアチブ」を立ち上げました。
 従来、こうした問題の対策としてセーフティーネット(安全網)の整備が考えられてきましたが、“網”では抜け落ちてしまう人も出てくる恐れがあり、全ての人を受け止め、尊厳ある生が送られるように支える“床”の概念が提起されるようになったのです。
 世界中の人々に「社会的保護の床」を確保することは、かなりの難題のように思われますが、国連機関の試算では、最低限の所得や生計の保障に関する基礎部分の整備に限っていえば、どのような経済発展の段階にある国でも負担は可能であることが示されており、すでに約30カ国の途上国で導入が進んでいます。
 こうした中、国連人権理事会でも「極度の貧困と人権」の問題が焦点となり、昨年9月には、その問題に取り組むための指針原則が採択されました。
 そこでは、極度の貧困にある人が自分自身について決定を下す権利や、参加とエンパワーメントなどを原則に掲げる一方で、貧困の削減と社会的排除を解消する包括的な計画や、極度の貧困にある人に重点を置いた政策の策定が各国に呼びかけられています。
 グラミン銀行の創設者であるムハマド・ユヌス氏が「貧困は運命をコントロールしようとするあらゆるものを人々から奪うため、人権の究極の否定になる」(『貧困のない世界を創る』猪熊弘子訳、早川書房)と訴えたように、貧困は尊厳の土台を蝕むものとして緊急性をもって取り組むべき課題です。
 特に懸念されるのは、若者を取り巻く状況です。
 世界の若者の12%が失業中で、仕事があっても2億人以上が1日2ドルに満たない賃金労働を余儀なくされており、ILO(国際労働機関)の総会が昨年6月に採択した決議では、「『活発な行動を即時に取らない限り、地球社会は失われた世代という悲惨な遺産』に直面することになる」(ILO駐日事務所のホームページ)との警告がなされています。
 若者たちが希望を持てない社会に、持続可能な未来など描けるはずもなく、人権文化を育む気風が根づくこともありません。
 ゆえに、「社会的保護の床」の確保こそ、持続可能性と人権文化の大前提であるとの意識で取り組むべきだと訴えたいのです。

キング博士の人権闘争の主眼
 2つ目の項目は、全ての国で人権教育と人権研修を普及させることです。
 前半で私は、どんな状況に直面している人であっても、人々との触れ合いや社会の支えが、絆や縁となって、生きる希望と尊厳を取り戻すための道が開かれることを強調しました。
 人権の文脈でいえば、人権保障や救済措置といった法制度とともに、人権教育や研修を通じた意識啓発が、その縁になり得ると思います。前半で触れた人権教育映画では、人権侵害の被害者や、場合によって加害者になる可能性のある人々が、その縁に触れたことで、どんな変化が生じたかが紹介されています。
 ──差別に苦しんできた一人の少年は学校で人権教育を受けたことをきっかけに、おかしいと感じたことは思い切って言えるようになった。近所で少女が強制的に婚約させられた話を聞いた時には、家庭が貧しいからと理由を語る両親に、少年が「それは間違ってます。女の子も教育を受けないと」と懸命に訴えた結果、結婚はとりやめになり、少女は学校にとどまり続けることができた。
 また、オーストラリアのビクトリア州の警察では、全職員が人権教育を受け、捜査や逮捕、勾留における対応の見直しが進められた結果、人権侵害への苦情が減り、市民との信頼関係も高まった──と。
 この映画が浮き彫りにしているのは、自己の尊厳や他者の尊厳への目覚めを通して、人権に対する意識が実感をもって一人一人の心に宿ることで、人権文化の礎石が社会で着実に敷かれていくという事実です。
 歴史学者のビンセント・ハーディング博士は、私との対談集で、盟友であったマーチン・ルーサー・キング博士の人権闘争の目的は「単に『不正や抑圧に終止符を打つ』だけではなく、『新しい現実を創造すること』にあった」(『希望の教育 平和の行進』第三文明社)と指摘しましたが、人権文化を建設する生命線も、この「新しい現実」の創造にあるのではないでしょうか。
 そこで私は、「持続可能な開発のための教育の10年」=注6=に基づき、国連大学が進めてきた活動にならう形で、「人権教育と研修のための地域拠点」制度を国連の枠組みとして設けることを提案したい。
 現在、同10年を推進するために世界で101の地域拠点が設けられ、大学やNGOなどが協力する形で、地域をあげて「持続可能な開発のための教育」を効果的に実践するための活動が行われています。
 人権教育においても同様の制度を導入し、模範的な活動が進んでいる地域だけでなく、深刻な問題に直面した歴史を持ちながらも改善への努力を懸命に続けてきた地域を、積極的に対象に組み入れ、“多くの痛みを実際に経験した地域”ならではのメッセージを発信する体制を整えていくことを呼びかけたい。
 それが、同様の問題を抱える他の地域にとっての何よりの希望や励みになるだけでなく、より多くの人々が実感をもって人権文化を世界中で育んでいく力になると信じるからです。

子どもの権利を守る国内法を各国で整備

子ども第一の原則を確立するために
 続いて、「人権文化の建設」を進める上で重要な担い手となる、子どもたちを取り巻く状況を改善するために、全ての国が「子どもの権利条約」とその選択議定書を批准し、条約に関わる国内法の整備を進めることを呼びかけたい。
 1989年に採択された「子どもの権利条約」は、今や締約国が193に及ぶ、国連でも最大の人権条約となっています。
 しかし、関連する国内法の整備が各国で十分に進んでおらず、また社会における意識の浸透にも課題が残っているため、いとも簡単に権利が無視されたり、重大な侵害が続く場合が少なくないのが現実です。
 こうした中、特に重大な侵害を防ぐために制定されたのが選択議定書で、18歳未満の子ども兵士の禁止や、子どもの売買等に関する2つの議定書に加えて、2011年12月には権利侵害の通報手続に関する議定書が採択されました。
 このうち、子ども兵士の禁止は、私も提言などで繰り返し訴えてきたものですが、シエラレオネでの内戦で子ども兵士として従軍した経験を持ち、現在は子どもの権利の実現を訴える活動に取り組んでいるイシュマエル・ベア氏が述べた言葉が忘れられません。
 ベア氏は16歳の時、会議出席のために国連を訪れ、「子どもの権利条約」を初めて知った時の衝撃を、「この知識が──とりわけ紛争で荒廃した国々から来た子どもたちにとって──いかに私たちの生命の価値と人間性を改めて呼び覚ますものであったかを覚えている」と述懐した上で、こう強調しています。
 「私の人生は、第12条及び13条によっても豊かなものとなった。そこでは、子どもや若者たちに、自分たちに影響を及ぼす事柄について自由に考えを表明する権利と、あらゆるメディアを通じてあらゆる種類の重要な『情報及び考えを求め、受け及び伝える』権利が保障されている。これらの条項のおかげで、大勢の子どもたちが、自分たちに影響を及ぼす問題に対する解決策を見つけるため、積極的に参加できるようになった」(『世界子供白書 特別版 2010』日本ユニセフ協会)と。
 私は、ベア氏の経験に象徴されるように、「子どもの権利条約」が自らの尊厳性に目覚める源泉となり、若い世代の生きる希望の拠り所となるように、各国で条約を守る気風を確立し、社会全体に“子ども第一”の原則を根づかせていくべきであると訴えたい。
 この気風の中で育った若い世代が社会の担い手となり、彼らがまた同じ心で次の世代を大切に育てていく──同条約の淵源となった1924年の「児童の権利に関するジュネーブ宣言」の前文に「人類が児童に対して最善のものを与えるべき義務を負う」と記されていますが、この崇高な誓いを世代から世代へ受け継ぐ流れを確立する中で、人権文化は社会を支える中軸に結実していくに違いないと思うのです。

緊張緩和と関係緊密化へ「日中首脳会談」を定期開催

国交正常化40周年に高まった緊張
 最後に、平和と共生の地球社会の建設というテーマに関連して、緊張が続く日本と中国の関係改善と未来の展望について、私の考えを述べておきたい。
 昨年は、日中国交正常化40周年という節目の年であったにもかかわらず、かつてないほどの緊張と摩擦が高まり、日中関係は戦後最悪の状態に陥ったとさえ言われます。
 実際、40周年の意義をとどめる行事や交流計画の中止と延期が相次いだほか、経済の面でも関係は大きく冷え込みました。
 しかし私は、日中関係の未来を決して悲観しておりません。
 なぜなら日中の友好は、国交正常化の前から、「涓滴《けんてき》岩を穿《うが》つ」の譬えの如く、心ある先人たちが一滴また一滴と、両国の間に立ちはだかる頑強な岩盤を穿ちながら切り開いてきたものであり、今日まで長い歳月を通じて堅実に積み重ねられてきた友好交流の絆の重みがあるからです。
 私が国交正常化の提言を行った当時(1968年9月)は、中国との友好を口にすることさえ憚られる空気があり、ある意味で、現在以上に厳しい状況にあったともいえます。しかし、隣国との友好なくして日本の未来はなく、日中関係の安定なくしてアジアと世界の平和も開けないというのが私の信念でした。
 提言発表から6年後(1974年12月)、北京を訪問し周恩来総理と鄧小平副総理にお会いした時、お2人が“中国の人民だけでなく日本の民衆も、日本の軍国主義の犠牲者である”との思いを抱いていることを痛感した私は、「戦争の悲劇を2度と起こさないために、民衆と民衆との崩れざる友誼の橋を何としても築き上げるのだ!」との決意をさらに深くしました。

友好の纜《ともづな》を断じて離してはならない
 以来、今日まで私は、若い世代を中心とした友好交流の推進に情熱を注ぎ続けてきたのです。
 国交正常化後、中国から初の国費留学生6人を、私が身元保証人となり、創価大学にお迎えしたのが1975年でしたが、歳月を経て、今や中国から年間10万人の留学生が日本で学び、中国では1万5000人の日本人が学ぶ時代が到来しています。
 その他にも、文化や教育などさまざまな分野での交流をはじめ、両国の地方自治体が結んできた349に及ぶ姉妹交流の広がりや、四川大地震や東日本大震災で互いの国が苦難に陥った時に助け合ってきた歴史があり、何度か緊張が生じても友好の水脈は着実に水嵩を増してきたのです。
 この水脈に注がれてきた一滴一滴は、顔と顔が向き合う“一対一の心の交流”を通じて育まれてきた友情の結晶に他ならず、どんな試練や難局に直面しても容易に枯渇してしまうものではないし、断じてそうさせてはならないとの思いを強めています。
 私は以前、北京大学での講演(「教育の道 文化の橋──私の一考察」、1990年5月)で、「両国の間にいかなる紆余曲折が生じようと、私たちは断じて友好の纜から手を離してはならない」と呼びかけました。まさに今が、その一つの正念場であると思えてなりません。
 政治と経済の分野では、大なり小なり波が起こるのは歴史の常です。穏やかで凪のような時は例外的であるかもしれません。
 ゆえに大切なのは、日中平和友好条約で誓約した「武力または武力による威嚇に訴えない」「覇権を求めない」との2点を、どんな局面でも守り抜くことではないでしょうか。
 その原則さえ堅持していけば、たとえ時間はかかっても乗り越えるための道は必ず見えてくるはずです。むしろ順調な時よりも逆境の時のほうが、両国の絆をより本格的に深める契機となる可能性がある。

東アジア環境協力機構を設立し青年が力合わせ行動する時代を

胸襟を開いた対話を粘り強く
 そこで、現在の状況を乗り越えるために、平和友好条約の2つの誓約の堅持を再確認した上で、“これ以上の事態の悪化を招かないこと”を目的にしたハイレベル対話の場を早急に設けることを求めたい。
 その場でまず、「緊張を高める行為の凍結」についての合意を図り、その後、対話を継続していく中で、今回の対立に至った経緯を再検証し、互いの行動が相手側にどう映り、どんな反応を起こしたのかを冷静に分析しながら、今後の危機回避のためのルールづくりに取り組んでいくべきではないでしょうか。
 もちろん、対話の過程で激しい意見の応酬は避けられないと思います。しかし、それを覚悟の上で向き合わなければ、両国の関係回復はおろか、アジアの安定、そして世界の平和は遠ざかるばかりです。
 思い返せば、冷戦終結まもない頃、ソ連のミハイル・ゴルバチョフ大統領にお会いした時(1990年7月)、私は開口一番、「きょうは、大統領と“けんか”をしにきました。火花を散らしながら、何でも率直に語り合いましょう。人類のため、日ソのために!」と切り出しました。
 このような言葉の表現をあえて行ったのは、日ソ関係が不透明な中、“儀礼的な会見に終わらせず、本音で語り合いたい”との思いを伝えたかったからに他なりません。
 状況が厳しければ厳しいほど、胸襟を開いて話し合うことが大切ではないでしょうか。平和共存を目指すという大前提に立った、真摯な意見の火花散る対話は、互いの主張の奧にある「相手がどのようなことを懸念し、何を最も重視しているのか」という心情を浮き彫りにする上で欠かせないプロセスです。
 私はそのことを踏まえて日中首脳会談の定期開催の制度化を呼びかけたい。
 今月、フランスとドイツが「エリゼ条約」を調印して50周年を迎えました。
 両国の間には、何度も戦火を交えた歴史がありましたが、首脳会談を年2回、外務・国防・教育の閣僚の会合を年4回行うことなどを定めた同条約によって、関係の緊密化が大きく前進しました。
 日本と中国も、かつてない難局に直面した今だからこそ同様の制度を設けて、どんな状況下でも両国の首脳が顔を合わせて話し合える環境づくりをしておくべきだと思うのです。
 そして、まずは2015年に向けて、「平和共存」と「人類益のための行動の連帯」を基軸にした新しいパートナーシップ関係を構築することを望みたい。
 具体的な構想の一つとして、例えば、日中両国が共同で主導する形で「東アジア環境協力機構」の設立を目指していってはどうでしょうか。
 環境の改善は双方にとって「共通のプラス」となるものであり、私はその機構の活動を通して、日中の青年たちが一緒に行動できる機会を積極的に設けながら、東アジア地域の平和と安定はもとより、「持続可能な地球社会」の創出のために、両国が共に貢献する流れをつくり出すべきだと訴えたいのです。
 私は45年前(1968年9月)に行った国交正常化提言で、「日本の青年も、中国の青年もともに手を取り合い、明るい世界の建設に笑みを交わしながら働いていけるようでなくてはならない」と呼びかけましたが、その礎となるものは、これまでの交流を通し、さまざまな形で育まれてきたのではないでしょうか。
 今後の焦点は、青年交流をさらに活発に進めつつ、これまで育まれてきた友好の礎を、いかに具体的な協力へと発展させていくかにあると思います。
 そのためにも、中長期的な観点に立って、両国が互いに協力できる分野を一つまた一つと開拓し、整備していくことが重要であり、こうした挑戦の積み重ねの中で、日中友好の絆は世々代々と受け継がれ、崩れないものとなっていくと、私は確信するのです。

牧口初代会長が洞察した社会観
 以上、2030年に向けたビジョンと行動目標について論じてきましたが、平和と共生の地球社会の建設を進める上で欠かせないのが民衆の連帯です。
 創価学会の牧口常三郎初代会長は大著『創価教育学体系』で、なぜ一部の例外を除いて、より良い社会を目指して立ち上がった人々の多くが挫折を余儀なくされてしまうのか、その背景について、次のように考察していました。
 「善人は古往今来必ず強大なる迫害を受けるが、之れを他の善人共は内心には同情を寄するものの何等の実力がないとして傍観するが故に善人は負けることになる」と。
 つまり、善人たちが迫害を受けていることに同情はしても、自分には何も力がなく彼らを支えることはできないと考え、最終的に傍観してしまう人々は、生き方の底流に「単なる自己生存」の意識しかないため、「社会の原素とはなるが結合力とはなれず、分解の防禦力ともなり得ぬ」と、問題の所在を明らかにしたのです(『牧口常三郎全集第6巻』第三文明社、現代表記に改めた)
 この悲劇の流転を断つために、牧口初代会長は戸田第2代会長と創価学会を創立し、「単なる自己生存」ではなく「自他共の生命の尊厳」を求めて行動する民衆の力強い連帯の構築に立ち上がりました。
 現在、その民衆の連帯は192カ国・地域に広がっています。
 「持続可能な開発目標」の推進という国際社会の協力において大きな節目となる2030年は、創価学会の創立100周年にもあたります。
 私どもSGIは、この2030年に向けて、平和と共生の地球社会の建設というビジョンを共有する人々や団体と力を合わせながら、グローバルな民衆の連帯を幾重にも広げていきたいと思います。


語句の解説
注1 ミレニアム開発目標
 2000年9月に採択された国連ミレニアム宣言等をもとにまとめられた8分野21項目にわたる国際目標。昨年までの段階で、極度の貧困、飲料水、スラム居住者の生活に関しては達成をみたが、乳幼児死亡率の削減や妊産婦の健康改善など、他の全ての項目を2015年までに達成するにはさらなる努力が必要となっている。

注2 四門出遊
 釈尊が王子の頃、遊園に赴くために外出した時、人々の姿を見て人間に生老病死の四苦があることを知った出来事のこと。「修行本起経巻下」には、釈尊が王宮の東門、南門、西門から出た時に、老いや病気に苦しむ人々や死者の姿を見て、最後に北門から出た時に出家者の姿を見る中で、自らも出家を願うようになった、との話が記されている。

注3 人権教育および研修に関する国連宣言
 人権教育の国際基準を国連として初めて定めたもので、2011年12月に国連総会で全会一致で採択された。国家があらゆる適切な手段を通して、人権教育・研修の権利の十分な実現を図る義務があることや、NGOを含む市民社会の役割の重要性などが謳われている。

注4 プラハ演説
 2009年4月、チェコ共和国の首都プラハでアメリカのオバマ大統領が行った演説。「核兵器を持つ国として、そして唯一核兵器を使用した核保有国として、アメリカには行動する道徳的責任がある」と表明し、「核兵器のない世界」に向けての共同行動を各国に呼びかけた。核保有国のリーダーが道徳的責任に言及した発言として注目を集めた。

注5 ゴルディオスの結び目
 紀元前333年、東方遠征の途中で古代フリギアの都を占領したアレクサンドロス大王は、「ゴルディオス王が結んだ複雑な縄を解いた者は、アジアの支配者となる」との予言を耳にし、その縄を剣で両断した。この故事に由来し、転じて「至難の問題」を意味する。

注6 持続可能な開発のための教育の10年
 一人一人の人間が、世界の人々や将来世代、また環境との関係性の中で生きていることを認識し、行動を変革するための教育を推進する国連の枠組み。2002年の国連総会で決議され、2005年からスタートした。最終年となる来年には、10年間の取り組みを総括する世界会議が日本で行われる予定となっている。
2013-01-27 : 提言 :
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