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随筆 我らの勝利の大道 No.87/88

随筆 我らの勝利の大道 No.87/88   
             (2012.11.1/2付)
地域広布の勇者

今いる場所を「寂光の都」に!
誇り高く愛する郷土に貢献


使命の天地に 功徳の花よ咲け

 「地を離れて人なく、人を離れて事なし」
 明治維新の先覚者・吉田松陰は叫んだ。今から160年ほど前、東北へ遊学の旅に出た若き松陰は、地域研究にも関心が深かった。
 ──創価の父・牧口常三郎先生が大著『人生地理学』の結びに置かれたのが、この松陰の言葉である。
 足元の地域から、すべては始まる。地域を学び、地域に根を張り、地域の人びととつながる。その地道な草の根の行動から、時代を変える大事業が生まれる。
 日蓮大聖人は、流罪地の佐渡で綴られた。
 「我らが住んで法華経を修行する場所は、どこであれ常寂光の都となる」(御書1343ページ、通解)
 我らの仏法勝負の舞台は「どこか」遠くにあるのではない。今いる「ここ」が、師弟勝利の歴史を打ち立てる「寂光の都」となり、「仏国土」となるのだ。

離島部の宝の同志
 10月7日は「離島部の日」であった。この日を記念して、過日の本部幹部会には、わが島、わが地域の発展に尽くす離島部の代表が意気高く集われた。
 また今回は、ニュージーランド、ニューカレドニア、ミクロネシア、パラオ、フィジー、タヒチ、パプアニューギニアという南太平洋の島々からオセアニアの代表メンバーも、はるばる海を越えて来日。皆、「我らも離島部!」との気概で、喜び勇んでおられた。
 今や、世界大のスケールとなった「離島部の日」の淵源は、昭和53年(1978年)の離島本部の総会にある。
 この時、私は、約120の島の広布の開拓者たちとお会いした。北海道の礼文島や利尻島、東京の伊豆大島、八丈島、兵庫の家島、広島の因島、愛媛の伯方島、香川の小豆島や直島、長崎の壱岐・対馬、鹿児島の沖永良部島、沖縄の久米島や石垣島、宮古島などで奮闘する宝の同志である。
 島は一つの国のようなものだ。それぞれに風習や文化も違う。人知れぬ苦労も多い。どれほどの思いで戦ってこられたか──島々から届く勝利の朗報に接すると、私の心は高鳴る。合掌せずにはいられない。
 東日本大震災で津波被害を受けた宮城県気仙沼市の大島でも、わが同志が懸命に復興に走り、広布の先駆を切っておられる。
 結婚を機に大島に渡ったある婦人は、「島外《とうがい》」の人とされて、とけ込めなかった。しかし、屈しなかった。
 「自らの姿で創価学会を知ってもらおう」と、近隣に進んで声を掛け、着実に信頼を結んでいかれた。婦人会やボランティアクラブ、行政委員、小学校での読み聞かせと、地域活動にも献身的に取り組まれた。
 今回の震災でも、苦しみや悲しみの淵にある友に寄り添い、心の復興へ励ましの光を送り続けている。
 そんな健気な母が、誇り高く語っておられた。
 「自分が住んでいる地域で、長生きできてよかったと、みんなが言えるようになってほしい。それが、私が大島にできる恩返しですから」──。
 母が輝けば、周囲の暗闇も明るくなる。笑顔の花が一輪また一輪と咲き薫る。広布の道を進む母の祈りと行動は、必ず地域再生の大きな力になっていくのだ。
 アメリカの人権の母と讃えられるエレノア・ルーズベルトは明言している。
 「恐れるよりは希望をもつ方が、やらないよりはやる方が、より賢明なことは明らかである。それに、『そんなことできるわけがない』という人間からは何一つ生まれたためしがないということも、動かすことのできない事実なのである」
 崇高な使命に燃え、わが愛する島に幸福の理想郷を築きゆく大切な同志を、私は心を込めて讃えたい。

 妙法の
  音律 響かせ
   朗らかに
  宝の島に
   三世の歴史を
        ◇
 思えば、新潟の佐渡島を私が初訪問したのは、昭和33年(1958年)の7月であった。逝去された戸田先生のお写真を携えての旅であった。
 佐渡は、大聖人が命を賭して、正義の師子吼を放ち続けられた天地だ。
 恩師亡き学会に“空中分解”等と悪口が渦巻く中、佐渡は新たな前進への「広布大遠征の起点」なりとの確信が、私にはあった。
 この折、蓮祖ゆかりの塚原や一谷《いちのさわ》を案内してくださったご夫婦のことが、今でも忘れられない。
 帰京してすぐ、私は葉書を認《したた》めてお送りした。
 「阿仏房夫婦の如く、又四条金吾夫妻の如く、人の模範になる信心たれ」と。
 その期待に応えてくださるように、ご夫妻は佐渡広布に歩み抜かれた。
 有名な「佐渡御書」には、「鉄《くろがね》は炎《きたい》打てば剣《つるぎ》となる賢聖《けんしょう》は罵詈《めり》して試みるなるべし」(御書958ページ)と仰せである。
 この精神のままに、旧習の厚い壁に直面するたびに、一歩も退《ひ》かず、島の安穏と発展を願って誠実に語り抜かれた。友に励ましを送る中で、自らの病苦や経済苦も克服し、地域から信頼され、慕われる模範のご夫妻となられたのである。
 愛する離島部、さらに、誉れの農漁光部、地域部、団地部の皆様には、「阿仏房夫婦」「四条金吾夫妻」さながらの信心の王者が数多くおられる。
 それは、私の最大の喜びであり、誇りである。

「思いやり」の光を
 この9月、100年を超す伝統を誇る、カナダの名門ゲルフ大学のサマーリー学長ご一行が創価大学、創価学園に来学してくださった。
 「人びとの人生を変革し、生活の質を豊かに向上させる」とは、ゲルフ大学のモットーである。社会貢献の人材を育み、「世界で最も思いやりの深い大学」と表彰されてもいる。
 サマーリー学長は、こう述べておられた。
 「人類の偉大なる進歩と向上を考える時、それは決して戦争からもたらされるものではありません。他者に対する思いやりをもつ人びとの行動と相互作用によって、実現するのです」
 学長にとって、教育者として最も嬉しかったことは何か──。
 それは、以前は自己中心的で内向的だった学生が、学長と共に参加した社会貢献の活動をきっかけに、やがて、カナダを代表する大指導者へと成長していったことであるという。
 学長は、その経験からあらためて学んだこととして、「輝こうとする人の力を決して過小評価しないこと」、さらに「人びとが自ら情熱の火を点すための手助けをする方法を見つけるため、努力をすること」を強調されていた。
 誰人《たれびと》も、自分自身の人生を足元から照らし、わが生命をもっともっと輝かせていく光を秘めている。
 その光を解き放っていくのが、身近な生活の中での励ましの対話である。
 ゲルフ大学が聳え立つオンタリオ州の天地は、あの「大王者の滝」ナイアガラを擁する。
 まさしく、滝の如く──「撓《たゆ》まず」「恐れず」「朗らかに」そして「堂々と」、カナダをはじめ世界192カ国・地域の同志は、希望と勇気の対話を貫かれている。その方々の代表として、私は、ゲルフ大学の名誉博士号を拝受させていただいた。
 師弟は不二である。ゆえに、すべて光輝ある皆様方の子孫末代まで流れ伝わる英知の宝冠なのである。

自信を持って進め
 わが郷土に誇りを持てる人は逞しく、朗らかだ。
 私は各地で広布に尽くす同志たちに、自信を持ち、胸を張って地域の広宣流布を進めてほしいと、かねてから念願していた。45年前(昭和42年)、各方面に指針を示したのも、その思いからであった。
 この年に発表された指針は次の通りである。
 「新しき時代の開拓者たれ」(北海道)
 「人材の牙城・東北たれ」
 「全国の模範・東京たれ」
 「広布の堅塁・中部たれ」
 「常勝関西たれ」
 「広布の新しき潮流たれ」(中国)
 「楽土建設の革命児たれ」(四国)
 「つねに先駆の九州たれ」
 東京への指針には、「正義」の東海道、そして「完勝の電源地」関東も一体になった異体同心の大首都圏への期待が込められていた。
 さらに後年、「人間革命の天地」信越、「誓願」の北陸の各県をはじめ、全国各地へ、さまざまな機会を通し、共戦の合言葉を贈らせていただいた。
 沖縄には「世界で最初の広宣流布の地帯」との真情を抱き続けている。
        ◇
 御聖訓に曰く、「一切の草木は地より出生《しゅっしょう》せり」「一切の仏法も又人によりて弘まるべし」(御書465ページ)と。
 この大聖人のお心を身にあてて、自分の使命として「一人立つ」ところに、地域広布の出発点がある。
 ゆえに、私は、わが同志と一人ひとり握手する思いで申し上げたい。
 君よ、貴女《あなた》よ、地域広布の勇者たれ!
 今日も生き生きと「希望の種」「友情の種」「平和の種」を蒔き、爛漫と花を咲かせていくのだ!

 不思議なる
  この世の使命の
   わが天地
  無量の功徳を
    心と国土に

 吉田松陰の言葉は『講孟餘話』(山口県教育会編『吉田松陰全集3』所収、岩波書店)。ルーズベルトは『生きる姿勢について』佐藤佐智子・伊藤ゆり子訳(大和書房)。

民衆の連帯こそ幸福の大地
勇気と励ましの対話を広げよう


あの地 この地で 勝利の乱舞を

 断固して
  いずこの地にあれ
   勝ち抜けや
  同志の絆と
    広布を忘れず

 40年前の昭和47年(1972年)、学会は、「地域の年」と高く掲げて大前進した。
 最前線に勇気を与え、広布の波動を起こそう!
 訪れた地域が、希望の天地と輝くように!
 この一念で、私は、年頭から友の中へ飛び込んだ。
 足立、新宿、荒川、千代田など本陣・東京の同志。全国では、本土復帰を控えた沖縄、また静岡、千葉、岐阜、福井、大阪、兵庫へ。さらに5月に行ったトインビー博士との対談を挟み、香川、高知、北海道、山形、秋田、岩手、福岡、鹿児島、宮崎、広島、島根、鳥取、滋賀、奈良へ……。
 そこに生きる人と会い、徹して励ますことが、地域広布の大道を開くのだ。
 鹿児島の霧島では、聖教新聞の地方版を担当する記者らと、ローカル紙の使命を語り合った。
 「ローカル紙が強いのは、地元に密着しているからだ。これからは、永久に『地域の年』です。地域の独自性を汲み取り、ぴかっと光るものでいこう」
 そして、「隣の人が、地方版だけは読みたいというものを作ってください」と労いの言葉を掛けた。
 その紙面を支えてくださっている、わが聖教の誉れの通信員の方々にも、感謝は尽きない。
 そもそも「ローカル」という言葉には、「特有の」という意味がある。いずこにも、その地にしかない特有の歴史があり、文化があり、誇りがある。哲学があり、希望がある。
 「地方」とは、その土地の無数の宝がちりばめられて輝く、「地宝《ちほう》」ともいえようか。わが郷土が宝土であり、そこで共に生きる隣人が宝の人となるのだ。
 先般は、私も寄稿させていただいた東北6県の県紙のトップの方々を迎えて、“21世紀は東北の時代”とのテーマのもと、感動のフォーラムが行われた。
 大震災から1年半──。日々、復興の現場に飛び込み、被災者に寄り添って、不撓不屈の魂の発信を貫いてこられた信念の言論城に、私たちは満腔の敬意と感謝を捧げたい。
 仏法では、「心の一法より国土世間も出来《しゅったい》する事なり」(御書563ページ)と説かれている。
 いかなる絶望の淵にも断じて友を沈ませない。あまりにも強く優しく、温かく豊かな「東北の心」から、必ずや人類の未来を照らす理想郷が築かれゆくことを、私は祈り信じている。

庶民を強く賢明に
 「いったい誰が、庶民を護るのか? それは、創価学会である!」
 「庶民が強くなるとは、どういうことか? 学会が強くなることである!」
 恩師がよく吐露されていた真情である。
 いつの時代も、災害や世の乱れに最も苦しむのは庶民だ。庶民が強く賢くなり、連帯するために学会はある。
 ゆえに、戸田先生は晩年、地域における学会の組織、すなわちブロック組織の充実に力を注がれた。
 同じ地域で戦う「ブロック」という組織が力を持てば、同志間の連絡も早い。励まし合いも深まる。一人ひとりも強くなっていく。
 地域に根を張ってこそ、「信心即生活」「仏法即社会」の勝利があり、「立正安国」の確かな実現もある。
 55年前(昭和32年)、私は葛飾の総ブロック長に任命された。全国に地域広布の確固たるレールが敷かれたのも、師匠の先見からであった。
 その直前、私は夏季ブロック指導で、荒川を担当した。短期間であったが、徹底して家庭指導に歩き、世帯の1割増を達成した。
 先生に報告すると、我が意を得たりと、ブロック組織にさらに力を入れるため、私を葛飾の総ブロック長に任命されたのである。

祈って友の中へ!
 では、地域に根差した組織の構築には、何が必要か──私が葛飾で実践したのは、「強盛なる祈り」「温かな人間の交流」「師弟共戦」「勇気の信心」の4点であった。
 第1の「強盛なる祈り」とは、白馬が天空を駆け、大宇宙をも動かしゆくような勤行・唱題である。それが勝利の源泉となる。
 言うまでもなく、基本が大事である。どんなに頑張っても、基本が疎かでは、努力も空回りしてしまう。
 訪問したお宅でも、私は「さあ、まず勤行をしましょう!『勤行に勝る指導なし』です」と、共に呼吸を合わせ、皆の生命の威光勢力を強めていった。
 有名な御聖訓には、「強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾・四条金吾と鎌倉中の上下万人乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ」(同1118ページ)と仰せである。
 “断じて、わが地域の広布を成し遂げてみせる”との誓願に立って、強盛なる祈りから出発するのだ。
 第2は「温かな人間の交流」である。私が葛飾で最も心を砕いたこと。それは一人ひとりと心を通わすことであった。
 まず自分が立ち上がる。その一人がエンジンとなって、変革が始まる。これが広布拡大の永遠不変の方程式である。次に、そのエンジンの回転を組織の隅々に伝えていくことだ。それは団結の強化ともいえよう。
 皆の心のギアをかみ合わせるのは、どこまでも一対一の個人指導であった。
 学会は麗しい同志愛の世界である。私は、あらゆる機会を通し、同志と語り合った。会合の前後に1軒でも2軒でもと、家庭指導に回らせていただいたことも懐かしい。
 部員が悩みを抱えているとの報告に、すぐに自転車に乗って駆けつけたこともあった。また、拠点に向かう途中に「そこまで来たので寄りました。何かありませんか」と、気さくに声を掛けたこともあっだ。
 ある時には、こう語った。
 「相手に思いやりのありったけをぶつけていくのです。精一杯、真心から励ましていくのです。それが、仏の振る舞いだよ」と。
 人を育てようと思うなら、励ましの声を惜しんではならない。真心こそが友の心を動かすからだ。

共戦そして勇気
 第3は「師弟共戦」。
 皆がそれぞれ、桜梅桃李の使命の分野で、師匠の構想の実現のために立ち上がっていくことである。
 さらに、師と同じ決意に立ち、師の指導のままに戦いを起こし、師に応える最高の勝利の旗を打ち立てていくことだ。
 師匠ならば、どう祈り、考え、行動するか──その一点を心の中心に置いて、師の指導をわが血肉《けつにく》とし、実践に移す戦いである。
 私は、常にそうしてきた。
 師と同じ心で戦えば、打つ手は必ず見えてくる。手を抜かず、妥協せず、ベストを尽くしていくことだ。
 そして、第4に「勇気の信心」である。
 動かなければ何も変わらない。信心とは「勇気」の異名である。一歩を踏み出す行動こそが、新しき広布の歴史を開くのだ。
 私は葛飾の地で、最前線の一人ひとりが具体的な目標を掲げ、挑戦していけるように心掛けた。同じ思いに立ってくれた友は、大きく成長していった。
 そして3年後の12月、葛飾は3つの総ブロックへと発展し、堂々たる地域広布の基盤が固まったのだ。
        ◇
 ドイツの文豪ゲーテは、「全体の幸福」を築きゆく方途について、「自分自身の足元」から始めよと語っていた。汝自身の勝利を、全体の大きな幸福に結びつけていくのだ。そこに地に足の着いた軌道もある。
 ともあれ、自分の足元から自他共の幸福の波を──そう深く誓願しての創価の陣列は、今や世界192カ国・地域へと拡大した。
 1日、24時間。
 1カ月、約720時間。
 今この瞬間も、地球のどこかで、地域の安穏を願い、我らの同志が勇気と励ましの対話を広げている。なんと麗しき民衆の平和の大連帯であろうか。ここに、「立正安国」という崩れざる幸福の大地がある。
 なかんずく、どの地域にあっても、熟練の“多宝”の先輩方が後輩たちを慈しみながら、友好と信頼の輪を広げてくださっている。
 心深き副役職の方々は、リーダーを支え、誠心誠意で広布の道を開かれている。町会やボランティアをはじめ地域活動で貢献している方々もおられる。
 皆、我ら創価家族の尊き柱であり、要である。
 オーストリアの元文部次官で声楽家のサイフェルトさんが、SGI(創価学会インタナショナル)の前進に、深く期待されていた。
 「今、時代は人のつながりが希薄になり、自己中心的な思想が蔓延しています。こうした社会にあって、SGIの皆様は温かな心を持っておられる。水面に落とされた一滴の薬が、やがて表面を覆っていくように、必ずや創価の慈悲の哲学が世界に広がっていくでしょう」と。
 今こそ、私たちが近隣との絆、地域の絆を再び結び直す時ではないだろうか。
 さあ、わが同志よ、勇んで地域の中、友の中へ!
 幸福勝利の大旗《たいき》を、使命の天地に晴れ晴れと打ち立てよう!

 偉大なる
  創価の友の
   陣列は
  あの地この地で
    勝利の乱舞を

 ゲーテの言葉は、エッカーマン著『ゲーテとの対話』山下肇訳(岩波書店)。
2012-11-04 : 随筆 我らの勝利の大道 :
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