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随筆 我らの勝利の大道 No.83/84

随筆 我らの勝利の大道 No.83/84   
              (2012.9.8/9付)
不滅の原水禁宣言55周年

「核なき世界」へ対話の拡大を!
後継の君たちよ進め! 恩師の遺訓を胸に


平和と幸福を願う民衆の叫びは強し

 響きゆけ
  おお 民衆の
     金の声

 私たちは叫ぶ。
 断じて平和を!
 不戦の誓いを万代へ!
 いかなる権力人《けんりょくびと》の恫喝よりも、平和を願う草の根の庶民の勇敢な叫びは強い。
 私が対談した信念の言論人であり、広島の被爆した乙女たちへの支援でも知られる、アメリカのカズンズ博士が語っておられた。
 「庶民を励まして、自分の感じること、言いたいことが世界の前進を助け得ると信じさせなければならない」と。

勇気と希望の選択
 私たちは忘れない。
 人類史上、初めて戦争で残酷な原子爆弾が投下された広島。次いで2発目が落とされた長崎──。二つの街は破壊され、幾多の尊い命が奪われた。生存者も原爆症などの耐え難い苦しみが長く続いている。
 あれから67年となる8月、わがSGI(創価学会インタナショナル)は、広島市の平和記念公園内にある国際会議場で24、25の両日、「核兵器なき世界への連帯──勇気と希望の選択」展を行った。
 これは、恩師・戸田城聖先生の「原水爆禁止宣言」の55周年に当たり、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)と共同で、新たに制作したものである。
 世界45カ国の医師らが集った核戦争防止国際医師会議(IPPNW)の第20回世界大会に合わせ、開催され、会場には多くの観賞者が訪れた。
 来場されたある識者は、こう語られている。
 「願わくは、我々が生きているうちに、この展示のように、人びとが一つになって、核兵器のない世界をつくりたいと思います」
 20世紀、人類は、核兵器という魔性の産物をもたらしてしまった。
 21世紀を生きる私たちは、このあまりにも残酷な歴史を風化させることなく、断じて「核兵器なき世界」を築いていかなければならない。たった一つの地球を守るために、人類は一つになって進んでいかなければならないのだ。
 今後、この新展示が多くの人びとの目に触れ、「平和の心」「希望の心」「勇気の心」を育む一助になることを念願してやまない。
 頼もしくも、わが広島青年部が不戦の誓いを継承するために行ってきた「広島学講座」は、今夏、150回の金字塔を打ち立てた。
 7月末には、国連軍縮担当上級代表を務めたセルジオ・ドゥアルテ氏が講演してくださった。
 「平和への第一歩は市民の声を聞くこと」
 この信条で行動される氏は、可能な限り、質疑応答の時間を設けるのが常であるという。世界の一流の識者は皆、どこまでも対話の力を重んじている。
 この日も多くの参加者が質問を希望した。しかし、時間の都合上、途中で切り上げざるを得なかった。
 会場は大拍手に包まれ、そのまま終了と思われた。ところが、ドゥアルテ氏は最前列の青年の方へと歩みを進めた。挙手をしていたが、最後まで質問の機会のなかった一人であった。
 氏は青年に語りかけた。
 「ずっと手を挙げていましたね。何を聞きたかったのですか」
 予期せぬ問いかけに驚きながらも、青年は尋ねた。
 「核兵器廃絶のために、日本の青年ができることは何でしょうか」
 その場で氏は応じた。
 「皆さんが、よい指導者を選ぶことです」
 そこには、“平和の未来を築くのは若い世代”との熱い期待がこもっていた。

 永遠の
  平和の原点
   広島に
  若き健児の
    指揮ぞ光らむ

歴史的な大師子吼

 それは、1957年(昭32年)の9月8日の日曜日。「若人の祭典」(第4回東日本体育大会)が行われた横浜・三ツ沢の陸上競技場は、台風一過の透き通るような秋空に包まれていた。
 この祭典の掉尾を飾ったのが、戸田先生の師子吼であった。青年を中心にした約5万人を前に「宣言」が放たれ、こだました。
 「われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」
 当時、水爆や大陸間弾道弾(ICBM)の実験が行われ、米ソの核兵器開発競争が激化していた。核戦争などによって、人類が滅亡に至るまでの残り時間を象徴的に示す「世界終末時計」も、2分前という滅亡寸前まで進んでいたのだ。
 そうした渦中に、わが師は、人類の生存さえ断絶しかねない原水爆の本質を、国家や政治体制、人種や民族といった次元を超え、「人間生命」という深層から告発したのである。
 ある参加者は広島で被爆した友人を思い出し、平和な世界を築くために、師と共に、心固く歩んでいこうと決意を新たにした。
 学会が“貧乏人と病人の集まり”と悪口された時代である。だが、困難な境遇など一切突き抜け、恩師の叫びは、皆を「広宣流布」即「世界平和」への使命に目覚めさせる、偉大な光源となった。

断じて許さない!
 実は、この大宣言に至るまで、戸田先生は入念に思索を重ねられていた。
 1年以上も前(1956年6月)、福岡の八幡市民広場(当時)での質問会に出席した時には、核戦争が危惧される世界情勢に触れるや、「原爆などを使う人間は最大の悪人だ!」と憤りを露わにされた。
 また、宣言の2カ月前の7月12日には、雑誌での対談で断言されている。
 「原子爆弾だけは許せん。アメリカでも、ロシアでも、どっちであっても、そういうことは断じて許さん」と。
 その発言には、仏法の生命尊厳の哲理を根底とした、核廃絶への揺るぎない思想的基盤があった。
 御聖訓には、「いのちと申す物は一切の財《たから》の中に第一の財なり」(御書1596ページ)と仰せである。この尊き生命を脅かし奪い去る魔性の暴力は、絶対に容認することはできない。
 東西冷戦下、世界の危機的な分断と対立が深まっていた1952年(昭和27年)、恩師は決然と「地球民族主義」を提唱された。国境やイデオロギーの壁を超えて人類を結ぶという先駆的な思想である。人類の生存を脅かす核兵器が、すべての人びとの共通の敵であるという叫びも、ここから帰結されるのだ。
 1955年(昭和30年)には、世界的な科学者が署名し、核兵器による人類の危機に際し、戦争の廃絶を訴えた「ラッセル・アインシュタイン宣言」が発表された。どの民族、どの国の人びとも、絶対に犠牲にされない世界の構築という恩師の理想に呼応するかのように、核廃絶への国際世論は高まっていった。
 さらに「ラッセル・アインシュタイン宣言」の署名者で、発表に尽力したロートブラット博士が中心となり、2年後(1957年)の7月、その精神を受け継ぐ科学者の連帯「パグウォッシュ会議」が発足したのである。
 恩師の「原水爆禁止宣言」の発表は、その2カ月後の9月。厳たる歴史の刻印を確認するにつけ、戸田先生の先見に感銘を深くする。
 ロートブラット博士は、志を同じくする「平和の英雄」と、先生を讃えてくださっている。
 私は、師の宣言の重大な意義を直感していた。ゆえに記録にも心を砕き、モノクロ(白黒)映像が主流だった時代に、カラーで撮影するなど手を尽くした。この大宣言を、後世永遠に残し伝えたい一心であった。

青年の連帯《スクラム》を!
 ともあれ、戸田先生が、全人類の平和と幸福の実現を願い訴えた「原水爆禁止宣言」を、遺言として託されたのは、他でもない後継の青年たちであった。
 55年の歳月を経て、今、恩師の「遺訓の第一」の魂は、脈々と男女青年部へと継承されている。
 歴史的な宣言発表の地を擁する神奈川では、恩師の師子吼を直接聞いた方々の子や孫の世代が最前線のリーダーとして指揮を執り、横浜・戸田平和記念館での展示の企画・運営にも携わってくれている。
 思えば、戸田先生が英知の学生部を結成されたのは、「原水爆禁止宣言」の70日前であった。
 この学生部の友たちも、世界広布の普賢菩薩たる使命を担い立って、堂々と奮闘してくれている。
 平和原点の広島をはじめ中国方面の学生部は、本年も伝統の平和意識調査を実施した。今回は、約7割が、核廃絶または軍縮が「可能」と回答している。講評された大学教授は、「『核兵器のない世界』の実現に向けて勇気づけられる」と語り、創価の青年の平和運動を高く評価してくださった。
 さらに、沖縄学生部も、沖縄戦に関する意識調査を行い、青年世代への戦争体験の継承がいかに大切かを浮き彫りにした。
 私が対談を重ねている、ドイツの世界的な環境学者エルンスト・フォン・ヴァイツゼッカー博士の父君も、わが師と同時代に、核武装への反対を宣言された戦う知性であられる。
 この父君カール・フォン・ヴァイツゼッカー博士の言葉が、思い起こされる。
 「自分の回りに平和をつくり出すことのできる者は、平和を愛する者です。それは力であり、しかも人間の最も大きな力の中の一つです」と。
 その意味でも、192カ国・地域のSGIの青年と青年が手を携え、平和のスクラムを、地域から世界へ、現在から未来へ、聡明に粘り強く広げてくれていることは、希望の光明だ。
 この青年の勇気と連帯からこそ、恩師が喝破された“民衆の生存の権利を脅かす魔性”に打ち勝つ無限の力が生まれゆくことを、私は確信してやまない。

 青年の
  平和の旗は
   ここにあり

 カズンズの言葉は『人間の選択』松田銑(角川書店)。C.F.フォン・ヴァイツゼッカーは『核時代の生存条件』遠山義孝(講談社)。

勇気で語れ! 平和と希望の大哲学
「自分から」「地域から」世界は変えられる


「一度もしりぞく心なし」の誇りで前進!


 幸の城
  平和の城こそ
    創価山

 恩師・戸田城聖先生が「遺訓の第一」と言われた平和思想を、全青年へ、そして全世界の民衆へ伝えゆくために、弟子は祈り、語り、綴り、動き、走った。
 1957年(昭和32年)9月8日の「原水爆禁止宣言」から1周年の際には、私は聖教新聞に「火宅を出ずる道──原水爆禁止宣言に思う」を寄稿した。
 その中では、法華経譬喩品の「三界は安きこと無し 猶《な》お火宅の如し 衆苦《しゅく》は充満して 甚だ怖畏《ふい》す可し」(創価学会版法華経191ページ)を通し、絶対平和の法理たる仏法を世界に弘めゆくことを呼びかけた。
 同じ譬喩品には、「衆生を安穏ならしめんが 故に世に現ず」(同196ページ)と説かれる。
 衆生の苦悩の炎、悲惨な戦火の絶えない、「火宅」の如き現実社会に出現して、人びとを救済していくのが仏であり、この師と同じ心で立ち上がる愛弟子が地涌の菩薩なのである。
 ゆえに私は、真剣に祈り抜き、一人、また一人と、励まし続けた。
 恒久平和に尽くす地涌の友よ、陸続と躍り出よ!
 私と共に、恩師の「宣言」を、断固として実現しようではないか!──と。

「使命」に奮い立つ
 長崎に
  わが友ありて
    永遠に
   平和の鐘は
    高く鳴るらむ

 長崎で被爆したある壮年は半世紀近くの間、思い出すことも口にすることさえも耐えられず、自らの体験を心にしまい込んできた。
 その凍てついた心を解かしたものは、当時、長崎文化会館で目にした「原水爆禁止宣言」の全文であった。
 「全世界に広めることこそ、全日本青年男女の使命である」──「使命」の二文字が眼に焼き付いた。
 「自分にできることから始めよう」。一徹な壮年は決めた。それは、勇気を出して「語る」ことであった。
 多くの命を奪い去った原爆の跡地に、勇気と希望の対話の花を咲かせよう。それが、生かされた者の使命だ──この思いで、真剣に語りに語った。
 「恒久の平和は脅迫によってではなく、相互の信頼を招く真摯な努力によってのみ、もたらされるものです」とは、大科学者アインシュタインの言葉である。
 平和への直道である対話を実らせるには、信頼を築いていくことだ。友情を結び、育んでいくことだ。
 そのためには──
 相手の話を「聞く」。
 相手を「敬う」。
 相手から「学ぶ」。
 これが、価値ある対話の鉄則である。
 御聖訓には、「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(御書1174ページ)と仰せである。私たちの誠実と真剣な行動によってこそ、平和の思潮の水かさも増していくのだ。
 「私の弟子であるならば、私のきょうの声明を継いで、全世界にこの意味を浸透させてもらいたい」
 恩師が「原水爆禁止宣言」で指し示されたのも、粘り強く信頼を勝ち取り、社会に平和の哲学を浸透させていくことであった。
 その思いで、私も世界を駆け巡り、各国の指導者たちと友情を結び、共生の世界を築くために対話を重ねてきた。
 長崎のその壮年は、先月9日、「原爆の日」に長崎を訪れていたトルーマン元米大統領の孫と握手を交わしたと伺った。トルーマン大統領といえば、原爆投下を指示した人物である。
 世の注目を集めることもない、ささやかな握手かもしれない。しかし私は、悲惨な過去を乗り越えて平和な未来の扉を開こうとする、それぞれの勇気に最大の敬意をもって、“歴史的な握手”と賞讃を送らせていただきたい。
        ◇
 今こそ、「核兵器のない世界」への潮流を、力強く生み出す時である。
 2年前のNPT(核拡散防止条約)再検討会議では、核兵器の非人道性に照らして国際法を遵守する必要性が、合意の中で明確に打ち出された。
 この合意を突破口として、「核兵器禁止条約」を実現させる上で、最大の原動力となるものこそ、目覚めた民衆の連帯なのだ。
 核兵器の使用に関して、どの国であれ、いかなる場合であれ、一切の例外を認めないという立場は、まさに恩師が「宣言」で先駆的に示した方向と重なり合う。
 2015年は、広島と長崎に原爆が投下されて70年となる。私たちは、この年に向けて、志を同じくする世界の人びとと手を取り合い、“核兵器は絶対悪”との精神を、人類の共通規範として確立する道を、断じて開いていくのだ。

支えになったもの
 「平和運動といっても、難しく考えることはありません。それは、周りの人たちへの優しさの表現です」
 私と妻の忘れ得ぬ友である広島の婦人は、こう言われた。爆心地から約1・3キロメートル南の明治橋で被爆された方である。
 「ヒロシマを語る会」の一員として、修学旅行生などに体験を伝えられていた。関西創価学園の生徒たちもお世話になった。
 彼女は原爆症の苦しみに加え、在日韓国人というだけで、いわれなき差別を受けた。しかし負けなかった。小学校時代の体験が支えになったからである。
 それは、いじめに遭った時、かばってくれた一人の友人がいたことであった。肩に置かれた、その手の温もりを忘れず、「たった一つの、その出来事のお陰で私の中の悲しみの記憶がどれほど消されたことか」と振り返られていた。
 誰もが、平和を望んでいる。どんな人にも、他者を慈しみ、大切にする心が具わっている。
 ほんの少しの勇気が、友を守る力となる。何気ない言葉でも、人生を変える時がある。
 大事なことは、誰の心にもある良心と勇気を一人、また一人と呼び覚まし、地域を、社会を、そして人類全休を包み込んでいくことではないだろうか。
 「ラッセル・アインシュタイン宣言」の署名者の一人としても有名な、湯川秀樹博士は語られた。
 「人類の中の選ばれた少数者によってではなく、ほとんどすべての人の心の中にあるはずの人類の良心。あるいは良識が推進力となって、核時代の次のよりよき時代が実現されることが、より一層望ましい」
 私たちの日々の学会活動は、時には地味に思えるかもしれない。しかし、友のため、地域のために励ましを送る献身の行動が、現代社会にあって、どれほど希望と輝き、どれほど歓喜となって舞い光っていくか計り知れない。

屈しない「意志」を
 今なお地球上に保有される核弾頭の総数は、推定約1万9千発といわれる。
 核戦争は人道への犯罪であり、人類を絶滅させ、地球に破滅をもたらす。
 心ある人は皆、原水爆の使用や核実験を禁止し、核を廃絶すべきことは当然だと考えている。その一方、「いくら正義を叫んだところで、現実など変えられるはずがない」とあきらめ、無関心や無気力に陥ってしまう場合も少なくない。
 しかし、「ラッセル・アインシュタイン宣言」の起草者であるイギリスの哲学者ラッセルは訴えていた。
 「私たちは、惨事にむかう競争に固執するように運命づけられてはいません。そういう惨事をひきおこしたのも人間の意志ですし、それを阻止することができるのも人間の意志です」
 さらに、彼は強調した。
 「絶望するのは賢いことではありません。恐怖や憎悪だけでなく、希望や仁愛も人間にはそれをする力があるのです」
 「創価」とは、永遠に崩れぬ、一人ひとりの精神の価値を創造しゆくことだ。
 それは「絶望」を打ち破る「希望」だ。「恐怖」にも「憎悪」にも、断じて屈しない「勇気」だ。
        ◇
 文永8年(1271年)の9月12日は、日蓮大聖人が発迹顕本された竜の口の法難の日である。
 それから2年後の9月。大聖人は流罪の佐渡の地より、大難に怯まず信仰を貫く鎌倉の女性門下らに送られた。
 「第六天の魔王が、十の大軍勢をもって戦《いくさ》を起こし、法華経の行者と苦悩渦巻く海の中にあって、聖人と凡夫が共にいる娑婆世界を、取られまい、奪おうとして争っているのである。
 日蓮は、その第六天の魔王と対決し、大兵を起こして二十数年になる。その間、日蓮は『一度もしりぞく心なし』である」(御書1224ページ、通解)
 この蓮祖の御心に直結するゆえに、我ら創価の師弟も、平和と正義の大闘争において、「一度もしりぞく心なし」と戦い抜くのだ。
 創価の母たちこそ、その偉大な模範ではないか!
 「平和研究の母」エリース・ボールディング博士は言われた。
 「現在、多くの人たちが、地域共同体の再興を叫んでいます。それは、人々は本来、もっとお互いを知り、心を配り合い、助け合うことができるからなのです。
 そうした観点から見ても、SGI(創価学会インタナショナル)の皆さまの活動は、一人一人が社会に重要な貢献をされています。素晴らしいことです」
 世界の知性は、創価の前進に限りない期待を寄せている。
 さあ、我らは威風も堂々と前進しよう! 「対話の秋」「友好の秋」を!
 生命尊厳、人間共和の麗しき平和の世紀へ! 人間主義の輝きわたる希望の新時代を目指して──。

 恐れなく
  この人生を
   共々に
  断じて勝ちゆけ
   平和の旗 持ち

 アインシュタインの言葉はネーサン&ノーデン編『アインシュタイン平和書簡2』金子敏男訳(みすず書房)。湯川秀樹は『平和の思想』所収「核時代の平和思想」(雄渾社)。ラッセルは『常識と核戦争』飯島宗享訳(理想社)。
2012-09-29 : 随筆 我らの勝利の大道 :
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