牧口初代会長生誕141周年記念提言  「持続可能な地球社会への大道」

牧口初代会長生誕141周年記念提言
「持続可能な地球社会への大道」
          (2012.6.5/6付 聖教新聞)

 きょう6月5日は「世界環境デー」。池田SGI(創価学会インタナショナル)会長は、ブラジルのリオデジャネイロで20日から本会合が始まる国連持続可能な開発会議(リオ+20)に寄せて、「持続可能な地球社会への大道」と題する提言を発表した。あす6日の牧口初代会長生誕141周年の意義も込められた提言では、“できること”の追求から“なすべきこと”の追求への転換を訴えたローマクラブの創始者ペッチェイ博士の警鐘に触れながら、牧口初代会長が提唱した「他のためにし、他を益しつつ自己も益する」人道的競争の現代的意義に言及。環境破壊や災害など、“かけがえのない尊厳”を脅かす危機を乗り越えるためには、一人一人が変革の主体者となって行動することが欠かせないとし、その足場となる「地域」の重要性を、ケニアのマータイ博士が取り組んできた植樹運動を通して浮き彫りにしている。その上で、リオ+20で合意を目指すべき課題を3つの角度から提示。第1に、ミレニアム開発目標に続く新たな共通目標の制定を通し、人道的競争の積極的な推進を呼びかけている。第2に、国連の環境部門と開発部門の統合で「持続可能な地球機構」(仮称)を設立し、市民社会の声を意思決定に反映させる制度の導入を提唱。第3に、「持続可能な開発のための教育の10年」を発展的に継承した枠組みを2015年から開始することを提案。教育の力で人間の可能性を開花させ、希望の未来を民衆の手でつくりあげることを訴えている。

一人一人が「変革」の主体者
希望と勇気の波動の拡大を‼


 ブラジルのリオデジャネイロで行われる国連持続可能な開発会議(リオ+20)に寄せて、世界192カ国・地域のSGIを代表し、所感と提案を述べたいと思います。

「リオ+20」の焦点
 世界では今、5万3000平方㌔(日本の面積の約7分の1に相当)の森林が毎年減っているほか、多くの国で帯水層の枯渇による水不足が生じ、砂漠化の影響も地球の陸地の25%に及んでいます。
 リオでの会議では、こうした目下の課題への対応を念頭に置くだけでなく、テーマに「私たちが望む未来」と掲げられているように、人類と地球のあるべき姿を展望した討議を行うことが大きな焦点となっています。
 同じ地球で暮らす“隣人意識”に根ざした確かなビジョンを打ち立てることが急務ですが、同時に重要になると思われるのが、ビジョンの実現に向けて行動する人々の裾野を着実に広げ、連帯を強めるための挑戦です。
 どれだけ優れたビジョンであっても、市民社会の強力な後押しが不可欠であり、より多くの人々が自分に関わる課題として“共有”し、日々の生き方に“反映”させ、行動の輪が社会に“定着”していってこそ、実効性は高まると思われるからです。
 会議での主要議題は、「持続可能な開発及び貧困根絶の文脈におけるグリーン経済」と「持続可能な開発のための制度的枠組み」となっていますが、どのような新しい経済を模索し、国際的な制度を検討するにせよ、その点を十分に踏まえておかなければ、画竜点睛を欠く恐れがあるのではないでしょうか。
 ゆえに、会議においては、“変革の担い手”となる一人一人をどのようにして育み、その行動を持続的なものにしていくかという点を視野に入れて、議論を深め合うことを呼びかけたい。
 「私たちが望む未来」は、「私たちがつくりあげる未来」との自覚が伴ってこそ、手に届くものにすることができるからです。
 そこで私は、一人一人に備わる無限の可能性を引き出すエンパワーメントの重要性に光を当てながら、「生命の尊厳」を第一とする持続可能な地球社会の建設を目指し、皆が主役となって地域へ社会へと変革の波動を広げていく「万人のリーダーシップ」を確立するための方途について論じたいと思います。

何のための成長か
 この課題を展望した時、私の胸に強く響いてきたのが、国連開発計画のヘレン・クラーク総裁が昨年、リオ+20の意義を踏まえつつ行っていた次の呼びかけです。
 「持続可能性とは、環境だけの問題ではなく、環境が主たる問題でもない。持続可能性とは要するに、私たちが取る行動のすべてが今日の地球上で生きる7億の人々、さらには今後何世紀にもわたって生きる多くの世代に影響を及ぼすという前提のもとに、どのような生き方を私たちが選択するのかという問題である」(横田洋三/秋月弘子/二宮正人監修『人間開発報告書 2011』阪急コミュニケーションズ)
 その意味で、今日叫ばれる「物質的拡大」から「持続可能性」へのパラダイム(思想の枠組み)転換は、経済や環境政策の見直しはもとより、社会や人間のあり方までも根底から問い直す文明論的課題としての性格を帯びています。
 いまだ多くの国で経済成長が優先目標であり続けていることは、考慮しなければならない点ではあります。ただしどの国においても、「何のための成長か」「他に配慮すべきことは何か」を、今回の会議を機に吟味する必要があると思えてなりません。
 その問いかけを、日本のみならず、世界の多くの人々に投げかけたのが、昨年3月の東日本大震災だったのではないでしょうか。
 そこで浮き彫りになったのは、どれだけ目覚ましい経済成長を遂げ、最先端の科学技術が浸透した国でも、被害の拡大を食い止めるのは容易ではないという現実でした。
 また、巨大化した科学技術は目的の如何にかかわらず、時として未曽有の被害──福島での原発事故の場合には、大勢の人々が避難を強いられたことをはじめ、放射能汚染の度合いが強かった地域の環境をどう回復していくかという課題とともに、人々の健康への晩発性の影響が懸念されるなど、取り返しのつかない事態を招くことがあらためて痛感されました。
 大切な人々の命が奪われ、尊厳が傷つけられ、住み慣れた地域の自然や生態系が損なわれる事態は、災害のみならず、環境破壊や紛争などによっても容赦なく引き起こされるものです。特に環境破壊は、温暖化がもたらす気候変動が象徴するように、長い目でみればリスクから無縁であり続けることができる場所は地球上のどこにもなく、将来の世代にまで危険の及ぶ恐れがあります。
 “かけがえのない尊厳”の重みに思いをはせ、社会にとって最も大切なものは何か、皆で力を合わせて守るべきものは何かを見つめ直す──。そうした営為を通じてこそ、「持続可能性」への転換という文明論的課題も、一人一人が生活実感に根ざした等身大のテーマに置き換えて考えることができるようになるのではないでしょうか。
 ゆえに「持続可能性」の追求も、可能な範囲で経済と環境のバランスをとることを模索するといった、政策的な調整にとどまるものであってはならないと強調したい。
 あくまでその核心は、現在から未来の世代にいたるまでのあらゆる人々の尊厳と、地球の生態系のかけがえのなさ──つまり、「生命の尊厳」を何よりも大切にしていく社会を築くために、皆で共に行動する挑戦にあらねばならないと訴えたいのです。

「生命の尊厳」守る生き方が未来の礎に


ペッチェイ博士が鳴らしていた警鐘
 そこで思い起こすのが、ローマクラブの創設を通じて、リオ+20の淵源である国連人間環境会議=注1=にも影響を与えたアウレリオ・ペッチェイ博士が、私との対談集で述べていた言葉です。
 「われわれは自らの力に魅惑され、“なすべきこと”ではなく“できること”をやっており、実際に“なすべきこと”や“なすべきでないこと”に対しても、あるいは人類の新しい状況に潜んでいると考えなければならない道徳的・倫理的規制に対してすらも、なんら配慮することなく、どんどん前進しています」(『二十一世紀への警鐘』、『池田大作全集第4巻』所収)
 このペッチェイ博士の警鐘は、私ども創価学会の牧口常三郎初代会長が『人生地理学』で提起していた問題意識とも通底したものだっただけに、深く共感したことを覚えています。
 牧口初代会長は、弱肉強食の論理のままに他の犠牲を顧みず、“できること”の追求が強行されていた20世紀初頭の世界の姿を、こう描写していました。
 「各々いやしくも利益のある所、すなわち経済的侵略の余地ある所、政治的権力の乗ずべき罅隙《かげき》(=すきま)ある所に向かって虎視眈々たり。さればあたかも気界における現象の低気圧の部分に向かって高気圧部より、空気の流動するが如き現象を国際勢力の上に生ぜり」(以下、『牧口常三郎全集第2巻』第三文明社、現代表記に改めた)
 それから110年近くの歳月を経た現在、どれだけ状況は変わったのか──。
 他国に脅威を与えることで威信を誇示し合う軍拡競争や、貧困や格差の拡大に目を背けた形でのグローバルな経済競争はやむことなく、現代文明の軸足は今なお、倫理的なブレーキが十分に働かないまま、“できること”をどこまでも追い求める思考の磁場から、容易に抜け出せない状態にあるといえましょう。
 最初は十分コントロールできると思い込んでいた欲望が、次々と現実となる中で肥大化し、気がついたら手に負えない状態に陥ってしまう──そんな欲望のスパイラル(連鎖)がもたらしたものこそ、非人道的兵器の最たる存在である核兵器であり、経済成長を最優先させるあまりに各地で急速に広がった環境破壊であり、投機の過熱によるマネーゲームが引き起こした昨今の経済金融危機ではなかったでしょうか。
 昨年3月の福島での原発事故も、災害が引き金になったものとはいえ、核分裂反応の制御による発電にエネルギーの一部を依存することが抱える重大な危険性が、安全神話が叫ばれる中で半ば見過ごされてきたことに問題があったのではないかと思われます。

「グリーン経済」の確立へ国際協力を
人道的競争で文明の基軸を転換


自他共の幸福を目指すビジョン
 もちろんその一方で、“できること”の追求が、人々の健康と福祉面における向上や、衣食住に関する状況の改善をもたらしたり、交通・通信技術の発達によって人やモノの交流が飛躍的な広がりをみせるなど、さまざまな恵みを社会にもたらし、発展の大きな原動力になってきたことも事実です。
 牧口初代会長も、そうした追求自体を否定してはおらず、むしろ競争を通じて人々が切磋琢磨し、活力を引き出し合う点に着目し、「競争の強大なる所これ進歩発達のある所、いやしくも天然、人為の事情によりて自由競争の阻礙せらるる所。これ沈滞、不動、退化の生ずる所なる」との認識を示していました。
 ただしその主眼は、利己主義に基づいて他の犠牲を顧みない軍事的、政治的、経済的競争から脱却し、「自己と共に他の生活をも保護し、増進せしめん」と願い、「他のためにし、他を益しつつ自己も益する」人道的競争へのシフトを促す点にありました。
 これは、欲望の源にある“自分の置かれた状況を何とかしたい”という思いが持つエネルギーを生かしつつ、それをより価値的な目的へと向け直すことで「自他共の幸福」につなげようとするビジョンであり、競争の質的転換を志向したものに他なりません。
 仏法では、その人間精神の内なる変革のダイナミズムについて、「煩悩の薪を焼いて菩提の慧火現前するなり」(御書710ページ)と説いています。いわば、自分を取り巻く状況に対する怒りや悲しみを、他者を傷つけ、貶めるような破壊的な行動に向けるのではなく、自分を含めて多くの人々を苦しめている社会の悪弊や脅威に立ち向かう建設的な行動へと昇華させる中で、社会を「希望」と「勇気」の光明で照らしていく生き方を促しているのです。
 仏法の思想とも響き合う牧口初代会長のビジョンを現代に当てはめてみると、軍事的競争の転換については、「国家の安全保障」だけではなく「人間の安全保障」の理念に基づいて、防災や感染症対策のような分野でどう貢献していくか、切磋琢磨することが一つの例に挙げられましょう。
 “共通の脅威”の克服のために努力し合うことが、どの国にとっても望ましい“共通の利益”となっていくからです。 
 政治的競争についても、これを「ハードパワーによる覇権争い」ではなく、いかに創造的な政策を打ち出し、どれだけ共感を広げるかを競っていく「ソフトパワーの発揮競争」という次元に置き換えていけば、同じような構図が浮かび上がってきます。
 有志国とNGO(非政府組織)が触発し合い、力強い連帯を形づくる中で成立した「対人地雷禁止条約」や「クラスター爆弾禁止条約」などは、その象徴的な例といえましょう。
 これは、軍事目的を理由にした“できること”の追求よりも、人道的に“なすべきこと”を優先させるよう、各国に迫った運動に他ならず、その共感が国際社会に広がったからこそ実現をみたものなのです。
 では、経済的競争において、「他のためにし、他を益しつつ自己も益する」方式へと踏み出す契機となる挑戦は一体何か──。
 私は、リオ+20の主要議題となっている「持続可能な開発及び貧困根絶の文脈におけるグリーン経済」の確立が、まさにその鍵を握っていると訴えたい。
 温室効果ガスの発生を抑える低炭素で資源効率の高い「グリーン経済」への移行を、地球的規模で進めるための方法として、各国の成功体験や技術を蓄積し、他の国々がそれを応用するための支援を行う国際的な制度づくりを求める声が高まっています。
 私は、この制度を会議での合意を経て成立に導き、先駆的な実績を重ねてきた国々が「他のためにし、他を益しつつ自己も益する」行動、そしてさらには、人道的競争の理念を時間軸に開いた「未来のためにし、未来を益しつつ現在も益する」行動に、意欲的に踏み出すことを切に願ってやみません。
 「持続可能性」の追求というと、何かを制限されたり、抑制的な姿勢が求められるといったイメージで受け止められてしまうかもしれませんが、その段階にとどまっていては変革の波動は広がりません。
 資源は有限であっても、人間の可能性は無限であり、人間が創造することのできる価値にも限りがない。その価値の発揮を良い意味で競い合い、世界へ未来へと共に還元していくダイナミックな概念として位置付けてこそ、「持続可能性」の真価は輝くのではないでしょうか。
 「他の国々(人々)のために行動する中で、自国の姿(自分の人生)をより良いものに変えていく」、また、「より良い未来を目指す中で、現在の状況をさらに良いものに変えていく」──その往還作業の中で、「持続可能性」の追求は、互いの“かけがえのない尊厳”を大切にしながら、皆が平和で幸福に生きられる世界の構築へと着実につながっていくと、私は確信するのです。

無力感を乗り越え現実と向き合う
 ここで問われてくるのは、「同じ地球に生きる責任感」であり、「未来への責任感」に他なりません。
 しかし実際には、世界各地で起きている悲惨な出来事や、地球生態系への深刻な脅威をニュースなどで見聞きし、心を痛め、何とかしたいと思っても、次々と起こるそうした出来事を前に、むしろ無力感を募らせてしまう場合が少なくないという現実があります。
 ハーバード大学で文化人類学を共同研究してきたアーサー・クラインマン、ジョーン・クラインマン夫妻は、こう述べています。
 「われわれの時代に蔓延している意識──われわれは複雑な問題を理解することも解決することもできないという意識──は、苦しみの映像の大規模なグローバル化とともに、精神的疲労、共感の枯渇、政治的絶望を生みだしているのである」(坂川雅子訳『他者の苦しみへの責任』みすず書房)
 現代の高度情報社会の陥穽ともいうべき点を突いた鋭い指摘だと思います。
 そのような無力感に自分を埋没させないためには、自らの行動の一つ一つが「確かな手応え」をもって現実変革に向けての前進として感じられる「足場」を持つ以外にありません。
 私は、その足場となるものこそ、「地域」ではないかと考えるものです。
 「同じ地球に生きる責任感」や「未来への責任感」が大切といっても、日常の生活実感を離れて一足飛びに身につけられるものではありません。顔の見える関係や身近な場所で築くことのできないものが、世界や未来といった次元で築けるはずがないのです。
 責任感を意味する英語の「レスポンシビリティ」は、字義的な成り立ちを踏まえると「応答する力」という意味になります。
 今、自分が人生の錨を下ろしている地域での出来事に対し、「応答する力」を粘り強く鍛え上げていく先に、「同じ地球に生きる責任感」や「未来への責任感」を培う道も開けてくるのではないでしょうか。
 かつて私どもSGIが制作を支援し、10年前の南アフリカ共和国での国連環境開発サミットを機に発表された映画「静かなる革命」は、そのモデルともなる各地での民衆による活動に光を当てたものでした。
 地球評議会が制作し、国連環境計画と国連開発計画が協力したこの映画は、インドのニーミ村の水資源改革、スロバキアのゼンプリンスカ湖の汚染防止、ケニアの砂漠化を防ぐ植樹運動を取り上げ、愛する地域や子どもたちの未来を守るために立ち上がった人々の挑戦のドラマを紹介する内容となっています。
 SGIではこれまで55カ国・地域以上で上映を推進する中で、“一人の人間には、世界を変えていく無限の力がある”とのメッセージを発信してきました。


「地域」こそ課題に臨む意志と責任感育む足場

マータイ博士とイチジクの木
 そこで私は、映画でも取り上げられていた、ケニアの環境運動家ワンガリ・マータイ博士によるグリーンベルト運動を手がかりに、地域に根差した民衆の運動が、どのように「未来への責任感」を一人一人の心の中に育んでいったかを浮き彫りにしてみたい。
 昨年惜しくも逝去されたマータイ博士とお会いしたのは、2005年2月のことでした。
 長年の功績をたたえる意義を込め、アメリカ創価大学に博士の名を冠する「イチジクの木」の記念植樹を提案すると、太陽のような周りを包み込む笑顔で喜んでくださったことが、懐かしく思い起こされます。
 マータイ博士にとって「イチジクの木」は、故郷における“かけがえのない尊厳”を象徴するもので、植樹運動に身を投じる大きなきっかけとなったものでした。
 アメリカ留学から帰国した後、家族に会うために故郷に立ち寄った博士は、わずか数年で実家の周りの自然が大きく変貌してしまったことに胸を痛めました。経済優先の風潮が強まり、商業用の耕作地を広げるために森の木々が伐採される中で、幼い頃、母親から神聖な存在として大切にするよう教えられた「イチジクの木」までもが切り倒されていたのです。
 以来、周辺で地滑りが頻繁に起こるようになっただけでなく、きれいな飲み水の水源まで乏しくなった事実にも気づきました。
 その後、環境悪化が引き起こす問題にケニアの多くの女性が日々苦しんでいることを知った博士が、「私たちの課題の解決策は、私たち自身のなかにある」(アンゲリーカ・U・ロイッター/アンネ・リュッファー『ピース・ウーマン』松野泰子・上浦倫人訳、英治出版)との信念で、自分の暮らす地域から始めたのがグリーンベルト運動だったのです。

納得と手応えが参加の輪を広げる

 マータイ博士が「一人ひとりに環境史の流れを変える力があることを証明するもの」(福岡伸一訳『モッタイナイで地球は緑になる』木楽舎)と、誇りをもって語っていたこの運動を通し、特に重要だと思われる点を3つ挙げたいと思います。
 第1は、参加する人々の「納得」と「手応え」をどこまでも大切にしながら、活動の輪を着実に広げてきた点です。
 博士は運動を進めるにあたって行ったセミナーで、直面している問題を皆に次々と挙げてもらい、「こういった問題の原因はどこにあると思いますか?」と聞くと、ほとんどの人が「政府の責任」と答えたといいます(以下、小池百合子訳『UNBOWED へこたれない』小学館)
 それは正しいとしても、政府だけが悪いと考えているうちは、いつまでも状況は改善しない。ゆえに博士は呼びかけました。
 「これはあなたがたの土地なんですよ」
 「あなたがたのものなのに、あなたがたは大事にしていません。土壌の浸食が起こるままにしていますが、あなたがたにも何かできるはずです。木を植えられるじゃないですか」
 また、植樹をしていると、成長の遅さを理由に木を植えたくないと話しかけてくる人が少なからずいる。そんな時、博士は、こう諭してきたといいます。
 「今あなたが切っている木は、あなた自身が植えたのではなく、先人たちが植えたものでしょう」
 「だから、将来この地域に役立つように、私たちは木を植えなければならない。木の苗のように、太陽と良い土壌と豊富な雨があれば、私たちの未来の根っこは地中深くに根づき、希望の大樹は空高く伸びるでしょう」
 どれだけ目的が立派であろうと、納得が伴わなければ、人は動くものではありません。疑問を丁寧に受け止めながら、その一つ一つが氷解するまで心を配り、誠実に言葉をかけ続けてこそ、納得は芽生える。
 こうした粘り強い対話の末に得られた「納得」とともに、運動の成果が目に見える形ではっきりと表れ、参加した一人一人が確かな「手応え」を感じられたからこそ、多くの人々を次々と巻き込むことができたのではないでしょうか。
 博士は語っています。
 「植樹はシンプルで、十分実現でき、そう長くない期間内に確実な成果が得られる活動でもあります。これにより、人々の関心と貢献を維持しつづけることができるのです」
 「ですから私たちは、みんなで3000万本以上の木を植えることで、燃料、食料、集会所、そして子どもの教育費や家計を補う収入を提供してきました。同時にこの活動は、雇用を生み出し、土壌と河川流域を改善してきました」(以下、前掲『ピース・ウーマン』)
 私はここに、人々が無力感や悲愴感にとらわれることなく、むしろ自分の行動が現実の変革につながっている「喜び」と「誇り」をもって活動に連なることができた最大の要因があったと思えてなりません。

人間の可能性を開花させる鍵は自ら決めた「使命」を貫く中に

救われる側から救う側への転換
 続く第2の点は、一人一人の「エンパワーメント」に重点を置き、内在する無限の可能性を引き出す中で、より大きな使命に目覚めて生きることを人々に促してきたことです。
 グリーンベルト運動の成果は、これまで達成された植樹の本数もさることながら、本当の意義は、次の博士の言葉が物語っているように、人々のエンパワーメントにありました。
 「私はいつも、自分たちの活動はただ木を植えるだけのことじゃない、と思ってきました。これは、人々が自分たちの環境や政府、生活、そして未来について責任を持つように啓蒙する活動なんです。私は自分のためだけでなく、もっと大きなもののために働いているんだとわかりました。それを知ってから、私は強くなれたのです」
 つまり、運動に参加した人々、特に農村部の女性たちが、自らの手で植樹や育樹を進める中で、「環境を維持・再生させるか、それとも破壊するのか」という選択権を本当の意味で得ることができた。
 その上で、運動に参加するたびに行われてきた意識啓発の機会を通じて、植樹への取り組みや、森を伐採から守るために行動することが、「『民主主義や社会的良識を尊重し、法律と人権、女性の権利を遵守する社会を作る』という、もっと大きな使命の一部だということを自覚していった」というのです。
 こうして、最初は「薪と衛生的な飲み水がほしい」と博士のもとを訪れていた女性たちが経験を重ねて自信を深める中で、次々と地域のリーダーになり、苗床を管理し、雨水の貯蔵や食糧の確保といった共同体ぐるみのプロジェクトを担うまでになっていった。
 彼女たちの変化にみられる「エンパワーメント」から「リーダーシップの発揮」というプロセスを見るにつけ、仏法の真髄である「法華経」で説かれた、“救いを求める側”から“人々を苦しみから救うために行動する側”への目覚めのドラマが二重写しになって浮かんできます。
 苦しみを根本的に解決する力は、自分の外にあるのではない。内なる無限の可能性に目覚め、それを開花させる中で自身が変わり、周囲の人々をも「幸福」と「安心」の方向へ導いていく──その一人の偉大な蘇生のドラマの中に、自己の苦しみさえも“社会をより良くするための糧”にする道が開けてくると仏法では説くのです。
 仏典には、そうした誓いを固めた一人の女性の言葉が、こう記されています。
 「今後わたくしは、身よりのない者、牢につながれた者、捕縛された者、病気で苦しむ者、思い悩む者、貧しき者、困窮者、大厄にあった人々を見たならば、かれらを救恤(=救援)せずには一歩たりとも退きません」(『勝鬘経』、中村元『現代語訳 大乗仏典3』東京書籍)
 そして、彼女は自ら立てた誓願のままに、生涯、苦悩に沈む人々のための行動を貫き通したのです。
 マータイ博士も、この誓願的生き方と響き合う信念を語っていました。「私たちは、傷ついた地球が回復するのを助けるためにこの世に生を受けたのです」(以下、前掲『ピース・ウーマン』)と。
 つまり、法律のような形で外在的に決められているから行動するのでも、何かの便宜や報酬だけを求めて行動するのでもない。
 また、何かが起これば吹き飛んでしまうような決意でも、誰かの力を頼んで状況の変化を期待して待つような願望でもない。
 誓願的生き方とは、博士が「今後やらなければいけない仕事の膨大さを認識することで、力というより、エネルギーが湧いてくる」と述べているように、どんなに困難な課題でも、それが自分の使命である限り、勇んで前に進もうとする生き方に他なりません。
 地域を舞台にしたエンパワーメントで人々の勇気と智慧を涌現させていく中で、状況の改善のために自ら立ち上がること(リーダーシップの発揮)を促す。そして、皆で力を合わせて“小さな前進”を一つ一つ積み重ねながら、その生き方を自分たちの「誓い」や「使命」として踏み固めていくことが、持続可能性を追求する裾野を地球大に広げていく基盤になると、私は考えるのです。


次代を担う青年たちへ 精神の着実な継承を!

ロートブラット博士が託した思い
 最後に第3の点は、若い世代への励ましと教育を大切にしながら、運動を永続的なものにするために心を砕いてきたことです。
 あるインタビューで、マータイ博士が何かをやろうという時、「私は」ではなく「私たちは」との言い方を常にしてきたことを指摘された時、その理由について博士が語った言葉は、深く胸に残っています。
 「私は、一人では何事も成し遂げられないことを肝に銘じています。とにかくチームワークなんです。一人でやってたら、自分が抜けた後は誰も引き継いでくれない、ということになりかねないのですから」(前掲『モッタイナイで地球は緑になる』)
 確かに、運動を始めることは、一人でも可能かもしれない。しかし目標が大きければ大きいほど、それを成し遂げるためには、長い年月と多くの人々の協力が欠かせません。
 私がこれまで地球的問題群の解決に取り組む世界のリーダーと語り合う中で、避けて通れない課題として浮かび上がってきたのも、いかに運動の精神を世代から世代へと継承させていくかという点でした。
 核兵器と戦争の廃絶のために半生をささげた、パグウォッシュ会議のジョセフ・ロートブラット博士も、その一人です。
 東西冷戦対立の厳しい時代から、国境を超えた科学者グループの精神的連帯を築き上げるために奔走されてきた博士は、70歳になった頃(1979年)、未来を見据えて、若い世代の科学者を対象に、スチューデント・ヤング・パグウォッシュという組織を結成しました。
 かつて、「ラッセル=アインシュタイン宣言」=注2=が発表された時、最も若い署名者が博士でした。晩年、若い科学者たちが「私は、自分が受けた教育を、人類や環境を害すべく意図された、いかなる目的にも用いない」との宣誓の下に、運動の陣列に次々と加わっていく姿を目にした時、博士の胸に去来したものは何だったのか──。
 同じく、師である戸田城聖第2代会長が発表した「原水爆禁止宣言」を胸に、若き日から核兵器廃絶を求める民衆の連帯を広げる努力を重ねてきた私にとって、近年、青年たちが「核兵器禁止条約」の制定を求める227万人もの署名を集めて国連に提出するなど、意欲的な活動に取り組んでいる姿ほど、心強く感じるものはありません。


7本から始まった植樹は今125億本に
 マータイ博士も、各地の学校に育苗園をつくり、子どもたちが植樹に参加できるように働きかけたほか、グリーンベルト運動を通して若い世代が環境保護に取り組むことを支援していました。博士はそうした若い世代への期待を、未来への確信と重ね合わせるように、こう綴っています。
 「どんなに暗雲が垂れこめていようとも、必ずうっすらと差し込む希望の光があるもので、これこそ私たちが探し求めなければならないものだ。そう、私はずっと信じてきた。私たちの代でかなわなくとも、次世代、あるいはさらに次の世代に、希望の光が差してくることを。そしておそらくその世代になれば、もはや光はうっすらとしたものではなくなっているだろう」(前掲『UNBOWED へこたれない』)
 歴史を振り返れば、マータイ博士がグリーンベルト運動の淵源となる7本の木を、仲間たちと共にナイロビ郊外のカムクンジ公園に植えたのは、35年前のきょう6月5日でした。
 以来、植樹運動の輪がケニアの各地で広がり、アフリカ各国にも大きな波動を及ぼす中で、4000万本もの植樹へとつながった。そして2006年からは、国連環境計画などに協力する形で博士らが植樹キャンペーン=注3=を呼びかけた結果、現在まで世界全体で125億本を超える植樹が成し遂げられるまでにいたったのです。
 そして博士が逝去した後も、その数は増加の一途をたどっている……。
 これは、決して奇跡などではありません。“身の回りで起きている危機を何とかしたい”と立ち上がった博士たちの強い思いが、幅広い共感を得る中で、世界の大勢の人々の心を動かし、積み上げられてきた成果に他ならないのです。
 私たちは、こうしたマータイ博士の実践から学びつつ、あらゆる分野において持続可能な地球社会への大道を開く挑戦を、力を合わせて本格的に進めていこうではありませんか。


人類の新たな共通目標を制定

 ここで私は、今回のリオ+20の会議に寄せて、3つの角度から具体的な提案を行いたい。
 1、人類が今後目指すべきビジョンとなり、同じ地球に生きる人間としての行動規範の礎となる、持続可能な未来のための共通目標の制定に着手する。
 1、国連の環境部門と開発部門を統合した新たな国際機関を設立し、「市民社会との協働」を柱に、持続可能な地球社会に向けた取り組みを力強く進める体制の確立を目指す。
 1、一人一人が地域を足場に持続可能性を追求する担い手となれるよう、「エンパワーメント」から「リーダーシップの発揮」までの一貫した意識啓発を進めるための教育枠組みの制定を国連総会に勧告する。

未来のための行動で現在も変える


ミレニアム開発目標に続く挑戦

 第1の提案として、劣悪な環境下での生活を余儀なくされている人々の窮状の改善を求めた国連のミレニアム開発目標の精神を継承しつつ、持続可能な地球社会の建設のために互いにプラスの変化を起こし合うことを志向した、新しい目標の制定を目指すべきであると考えます。
 ミレニアム開発目標は、マクロ的な経済指標の改善に重点を置く旧来の国際的な取り組みと違って、人々の窮状の改善に焦点を当てながら、“2015年までに1日1㌦未満で生活する人々の割合を半減させる”といった形で、明確な期限と数値目標を掲げた点で画期的なものでした。
 現在のところ、極度の貧困に苦しむ人々の割合は2015年までに15%未満に低下し、目標達成が十分見込まれているほか、初等教育の普及が最貧国の間で前進してきたのをはじめ、より安全な水を18億人もの人々が新たに利用できるようになっています。
 ただしそれらの改善も、経済的に最も厳しい生活を送る人々や、性別、年齢、障がい、民族などを理由に社会的に不利な立場に置かれた人々には十分に行き届かない傾向がみられます。今まで以上にきめ細かく、緊急性をもって対処していくことが欠かせません。
 こうした中、2015年以降についても何らかの対応を求める声が高まっており、国連の潘基文事務総長の主導で設置された「地球の持続可能性に関するハイレベル・パネル」の報告書でも、新たに「持続可能な開発目標」を設ける必要性が強調されていました。
 そこでは、目標の方向性を検討する上で、「途上国にとどまらず、全ての国にとっての挑戦を網羅する」「気候変動、生物多様性の保全、災害に伴うリスク削減や復旧をはじめ、ミレニアム開発目標の対象外だった重要課題を組み込む」「各国政府とともに、地域共同体、市民社会、民間セクターを含む、持続可能な開発に関わる全ての人々を活動に取り込む」などの留意点を列挙しています。
 私は今年1月に発表した「SGIの日」記念提言で、リオ+20での合意に、新目標を検討する作業グループを立ち上げて討議を開始することを盛り込むよう提案しました。「持続可能な開発目標」の内容を検討するにあたっては、先ほどの留意点に加える形で、次の2つの理念を反映させていくことを呼びかけたい。
 1つは、より多くの国々や人々が、人道的な方式に基づく競争への質的転換に踏み出せるような、地球益や人類益に根差したビジョンを、目標の柱として位置付けていくことです。
 先に触れた「人間の安全保障」や「ソフトパワー」、また「グリーン経済」などは、その最有力の候補となるものと考えます。
 例えば、国連憲章には「世界の人的及び経済的資源を軍備のために転用することを最も少くして国際の平和及び安全の確立及び維持を促進する」(第26条)との目的が掲げられています。これは全ての国にとっての課題であると同時に、その取り組みが前進すれば、全ての国はおろか、地球上の全ての人々、そして未来の世代にとっても“最上の贈り物”になることは間違いありません。
 また、今年は国連の定めた「すべての人のための持続可能エネルギーの国際年」ですが、この分野で実績のある国々が良い意味で貢献を競い合っていけば、貧困に苦しむ国々も環境負荷を増すことなく、人々の生存・尊厳・生活を支える社会基盤の整備を進めることができる。
 それはそのまま、未来においての環境負荷の大きな軽減にも、必ずつながっていくはずです。
 同じような構造は、リデュース(廃棄物の発生抑制)、リユース(再使用)、リサイクル(再資源化)の「3R」を通じて、循環型社会への転換を目指す活動にも当てはまります。
 新目標の制定を機に、「他のためにし、他を益しつつ自己も益する」行動や「未来のためにし、未来を益しつつ現在も益する」行動のうねりが巻き起こるような項目を内容に反映すべきだと思うのです。

誰もが身近な場で実践できる項目を

 もう1つ、この「人道的競争」の要素と並んで呼びかけたいのは、「地域」を足場に、より多くの人々が自らの行動を通じてプラスの変化を生み出し、その貢献が持続可能な未来につながっていることが実感できる、身近な目を織り込んでいくことです。
 ある意味でミレニアム開発目標は、貧困などの苦しみをどう減らし、生命や尊厳を危険にさらす脅威をいかに取り除くかといった「社会や人々に及ぼすマイナスの影響を可能な限りなくすこと」に重きを置くと同時に、初等教育の普及や教育面での男女格差の解消のように「主として国家の役割が問われる分野」が中心であったといえます。
 こうした努力をさらに強力に進める一方で、「誰もが身近な場所で取り組むことができ、プラスの連鎖を社会に広げることのできる目標」を組み入れていくべきではないでしょうか。
 例えば、緑化や自然保護を地域ぐるみの活動として定着させたり、住民主導で防災や減災のための街づくりを軌道に乗せる取り組みや、周辺地域と連携して地産地消=注4=の割合を高めたり、ゴミの削減や廃棄物のリサイクルを皆で協力して習慣化していく。また、それぞれの風土に適した再生可能エネルギーの導入に積極的に取り組み、環境負荷を低減させていくような、“地域発”の主体的な取り組みです。
 そこで重要となるのは、地方自治体と地域社会の役割であり、とりわけ都市の果たす役割は大きな鍵を握っています。
 世界の都市の面積を合わせても地球の表面の2%にすぎませんが、その都市が地球の資源消費の75%を占め、大気や水の汚染物質と廃棄物の75%を排出しているだけに、世界の都市がどう行動するかが地球の命運を決めるとまで言われているのです。
 ゆえに私は、新目標において特に「都市」に関する項目を設け、いくつかの指標を掲げた上で、自分たちの都市が前年比でどれだけ状況を改善させたのかを確認し合う流れを定着させるとともに、成功事例のノウハウを蓄積し、共有する制度を設けてはどうかと提案したいと思います。
 こうした人々の生き方に則した目標を生み出すには、従来の政府間討議を中心としたアプローチだけでは困難が予想されます。
 ゆえにリオ+20では、市民社会の代表が討議のプロセスに加わることも十分に保障した上で、より多くの人々が「これこそが私たちが果たすべき共通目標である」と納得し、そのために協力したいと思えるような新目標が、会議を契機に打ち立てられることを、強く願うものです。

環境部門と開発部門を統合し21世紀型の国連へ体制を強化


人々の苦しみの解消を最優先に
 続く第2の提案は、リオ+20の中心議題の一つとなっている「持続可能な開発のための制度的枠組み」に関するものです。
 この議題が取り上げられた背景には、多くの国が「持続可能な開発」に関する国連の取り組みの遅れを懸念し、関係諸機関の活動の重複や断片化、資金不足や調整不足などの問題を何らかの形で克服しなければならないとの認識の高まりがあります。
 現状の課題を解消することは急務であるとしても、私は、改革の眼目がその点だけに置かれてはならないと考えます。むしろ今回の改革論議を通し、21世紀の世界の状況に即応した、新しい国連の運営のあり方を確立するために、その先駆的なモデルとなる国際機関の樹立を目指すべきではないかと訴えたいのです。
 具体的には、①国連環境計画や国連開発計画などの関連部門の統合②希望する全ての国の討議への参加③市民社会との協働④青年層の積極的参画、を柱とした大胆な質的転換を伴う改革を果たし、「持続可能な地球機構」(仮称)を設立することを提案したい。
 1つ目のポイントに関しては、国連が昨年、優先課題の筆頭に「インクルーシブで持続可能な開発」を掲げていたように、この問題を考える上で最も重視すべきことはインクルーシブ──全ての人々が参画し、その恩恵を受けることの追求にあります。
 特に恩恵の確保という面から言えば、地球的な課題を“脅威の様相”で区分けし、国連の組織がそれぞれ対策を講じるアプローチでは、個々の改善は図られたとしても、問題が複雑化し相互が関連して危機の連鎖を起こしている現代にあって、人々の苦しみを根本的に解消することは容易ではない。そうではなく、“苦しんでいる人々が何を求めているのか”を出発点にして、尊厳ある生活と人生を送るための基盤づくりを総合的に進める体制を整えることが大切になっていると思われるのです。
 次の2つ目のポイントは、希望する全ての国が意思決定のプロセスに参加できる枠組みづくりです。
 国連環境計画や国連開発計画では、理事会のメンバー国でなければ最終的な意思決定の場に加わることができないという状況があります。しかし、持続可能な開発というテーマの重要性と対象範囲の広さを考える時、希望する全ての国の討議への参加を最優先に考えることが、何よりも欠かせない要件になってくるのではないでしょうか。
 今、国際社会に求められている「行動の共有」は、そうした制度的基盤が保障されていてこそ、より堅固なものとなり、大きな力を発揮するものとなると思うのです。

市民社会との協働を制度に組み込む
 この2つのポイントに加えて、私が最も強調したい改革は、「市民社会との協働」を制度的に組み込み、地球の未来のために行動する「万人のリーダーシップ」の結集軸となる国連機関をつくりだすことです。
 これは、40年前にストックホルムで行われた国連人間環境会議を起点とし、一歩一歩重ねられてきた挑戦の延長線上に、明確な像として姿を結んでくる制度改革に他なりません。
 同会議では政府間会議に並行し、市民社会の代表らによる「NGO(非政府組織)フォーラム」が開催されたほか、政府代表団にNGOのメンバーを加える呼びかけが行われました。
 まさにそれは、主権国家の集合体としての性格が根強い国連の活動に、国連憲章前文の主語となっている“われら民衆”──すなわち、市民社会の声を反映させていく上で重要な一歩といえるものでした。そしてこの会議が、1970年代から80年代にかけて国連が人口や食糧といった地球的問題群をテーマに行った一連の国際会議の方向性を決定づけ、「市民社会の参画」という路線を敷く原点となったのです。
 その伝統の上に画期的な前進を果たしたのが、92年の地球サミットでした。
 国連の会議で初めてサミット(首脳会議)方式を採用したのと同時に、国連との協議資格を得ていないNGOにも一定の条件で参加の道が開かれたほか、科学界や産業界をはじめ、さまざまな人々が参加できる枠組みがつくられました。
 その結果、ストックホルム会議ではわずか2カ国だった首脳の参加が94カ国にまで拡大する一方で、参加するNGOの数も4倍以上に増え、途上国で草の根の活動に取り組むNGOがその半数以上にのぼるなど、「市民社会の参画」は量的にも質的にも大きな前進をみたのです。
 また、地球サミットを契機に、多くの国で政府代表団にNGOのメンバーを加える流れができました。
 私が現在、対談を進めているドイツの環境学者、エルンスト・フォン・ヴァイツゼッカー博士は、地球サミットが開催までのプロセスも含めて、世界の大勢の人々が関わる“巨大なプロジェクト”となったことで得られた成果について、こう評価していました。
 「もしこのようなNGOの推進力と一般市民の圧力がなかったら、すべては何カ国かの政府によって、おきまりの外交として安易にかたづけられ、その結果重要問題に関する『北』と『南』の深い溝は埋まることなく、会議は失敗に終わってしまっていたであろう」(宮本憲一・楠田貢典・佐々木建監訳『地球環境政策』有斐閣)
 このようにして営々と積み上げられてきた成果を基盤に、今回のリオ+20を、「国連と市民社会との協働」を新機構の制度的な柱に組み込む機会とすべきではないでしょうか。
 具体的には、国際労働機関で採用されてきた「三者構成」(各国代表を政府、労働者、使用者の三者で構成)の原則にならう形で、多様な行動主体からなる市民社会の広範な関与を保障する「四者構成」(各国代表を政府、NGO、企業、学術研究機関の四者で構成)の原則の導入を検討することを呼びかけたい。
 国連には現在、企業などビジネス界に関するグローバル・コンパクト=注5=の枠組みと、大学などの高等教育機関に関するアカデミック・インパクト=注6=の枠組みがあり、国連のパートナーとして活動を支援するプロジェクトが立ち上げられています。
 いずれも、それぞれの立場で“なすべきこと”の追求を目指した活動であり、私が先ほど新目標の制定に関して提起したような、地域や社会でプラスの価値を生み出し、世界にプラスの変化を広げることを志向した自発的な取り組みであるといえましょう。
 リオ+20に向けての最初の意見取りまとめの文書でも、「意思決定に広範な人々が参加することは、持続可能な開発の達成のための基本的な前提条件である」と強調されていましたが、まずはこの分野で「国連と市民社会との協働」を具体的な制度として確立させた上で、その実績をもとに他の地球的問題群についても同様の制度の導入を進める流れをつくりだすべきであると提唱したいのです。


世界の青年の力を結集した「未来世代委員会」を創設

将来の世代にまで課題を放置しない
 その上で4つ目のポイントとして提起したいのは、次代を担う若者たちが積極的に関与できる仕組みを設けることです。
 昨秋、国連環境計画が行った国際青年会議に118カ国の1400人の青年が集い、バンドン宣言が採択されました。そこには、「地球の将来──わたしたちの将来──は危機的状況にある。わたしたちは次の世代まで、すなわちリオ+40まで、何も行動せずに待つことはできない」と、自分たちの手で時代変革のための行動に立ち上がる決意が綴られています。
 この宣言に象徴されるような青年の情熱と力を注ぐことで、人類の未来を「希望」の方向へと大きく向けていく“アルキメデスの支点”(物事を動かす急所)となる場を、早急に設けなければなりません。
 そこで私は、世界の青年たちの代表が持続可能な未来のためのオルタナティブ(代替案)を検討し、新機構の毎年の活動方針への諮問などを行う「未来世代委員会」の発足を提案したい。そして、この委員会を軸に、世界各地での若い世代による活動のネットワークの強化を図るべきではないでしょうか。
 青年たちは、変革を求める意識が高いだけでなく、自らの行動で社会に力強い変革の波動を起こすことのできる潜在力を持っています。この青年たちの力を、国連の活動の大きな源泉にできるか──。その成否に人類の未来の一切はかかっていると、私は声を大にして訴えたいのです。
 以上、4つのポイントに基づく改革案を提示しましたが、未来への責任感を果たすためには抜本的改革も厭わないとの覚悟で各国の代表が討議に臨み、後世に輝く合意を実らせることを強く念願するものです。

現実変革に向けた行動を生み出す教育枠組みを2015年から開始

リーダーシップの発揮促す意識啓発
 リオ+20に向けて第3に提案したいのは、一人一人が地域を足場に“かけがえのない尊厳”を大切にする担い手として行動できるよう、「エンパワーメント」から「リーダーシップの発揮」までの一貫した意識啓発を進めるための教育的枠組みの制定です。
 具体的には、現在の「持続可能な開発のための教育の10年」(ESDの10年)を発展的に継承する形で、2015年からの「持続可能な地球社会のための教育プログラム」の開始を求める勧告を、国連総会に行うことを呼びかけたい。
 振り返れば10年前、私は南アフリカ共和国のヨハネスブルクで行われた国連環境開発サミットに寄せて、ESDの10年の制定を提唱する中で、「現状を知り、学ぶ」「生き方を見直す」「行動に踏み出すためのエンパワーメント」の3段階を念頭に置いた、総合的な意識啓発を進めることの重要性を強調しました。
 ESDの10年が2005年にスタートして以来、学校教育の場でも、NGOなどが進めてきた社会教育の場でも、「現状を知り、学ぶ」と「生き方を見直す」という面では、さまざまな工夫がなされ、意識啓発の方法の改善で歓迎すべき前進がみられました。
 しかし、そこから「エンパワーメント」へ、さらにその先の「リーダーシップの発揮」へとつなぐ流れをつくりださずして、現実を変革する力を大きく生み出すことはできません。
 ゆえにESDの10年の後継枠組みでは、特にこの部分のプロセスを重視し、生涯を通じて“変革の主体者”となり、“周囲に希望の波動を広げる存在”であり続けられる人々をどれだけ育てていくかに主眼を置くべきであると訴えたい。
 SGIが地球憲章委員会と共同制作し、2002年の国連環境開発サミットでの展示以来、27カ国・地域で開催してきた「変革の種子──地球憲章と人間の可能性」展や、その内容を改定して2010年から行ってきた「希望の種子──持続可能性のビジョンと変革へのステップ」展が、何より心がけてきたのも、意識の啓発だけに終わらせず、「エンパワーメント」の触媒となり、「リーダーシップの発揮」を促す一つの契機になることでした。

郷土で日々培う「共生の生命感覚」が世界市民意識を大きく育む源泉に

100年前に郷土科を提唱した牧口会長
 確かにそれは容易ならざる挑戦でしょう。しかし、挑戦を前に進ませる鍵は、先に触れたマータイ博士の実践が示す通り、「地域」を足場にした教育にあると、私は確信しています。
 博士は、こんな含蓄に富む言葉を残しています。
 「教育というものに意味があるとしたら、人を土地から引き離すのではなく、土地に対してより多くの敬意をもつように教え込むものであるべきだ。なぜならば、教育を受けた人は、失われつつあるものがわかる立場にあるのだから」(小池百合子訳『UNBOWED へこたれない』小学館)
 こうした自分たちが暮らす土地に根差した教育の大切さを、100年前に訴えていたのが、人間教育の実践と探究に生涯をささげた牧口初代会長でした。
 「地を離れて人無く人を離れて事無し」との思想を背景としながら、あらゆる学科の中心軸──いわゆるコア・カリキュラムに、子どもたちが実際に生活している地域の風土や営みを“生きた教材”として学ぶ「郷土科」を据えることを提唱したのであります。
 それは、山や川がもたらす地理的な影響や、森や海の生きものとの生態的なつながりを概論的に学び、自然一般についての知識を広げるような「博物科等の材料の如き、自由に一つ一つ持ち運びのできる孤立的のもの」(以下、『牧口常三郎全集第3巻』第三文明社、現代表記に改めた)を習得することを念頭に置いてはいません。
 「郷土における自然界、人事界の複雑多方面なる勢力、関係に影響せられて吾らが生長発育せしものなることを明瞭に自覚するように、四周の天然人為の森羅万象を観察せしめ、その各事物、相互間における美妙なる関係を認識」することで、土地と人間の切っても切れない絆を日々の生活に基づいて実感として学び、自己の存在基盤をなす“かけがえのないもの”として郷土を大切に思う心を育む中で、有形無形の恩に対する思いを自身の行動に還元していく生き方を促すことを目指したものです。
 牧口初代会長はすでに『人生地理学』の段階で、「慈愛、好意、友誼、親切、真摯、質朴等の高尚なる心情の涵養は郷里を外にして容易に得べからざることや」と指摘する一方で、「人間が他日大社会に出でて、開かるべき智徳の大要は実にこの小世界に網羅しつくせり。もし能く精細に周囲の事物を観察せんか、他日世界を了解すべき原理はここに確定せらるべし」(以下、『牧口常三郎全集第1巻』第三文明社、現代表記に改めた)と強調し、広く社会や世界を動かしているさまざまな原理が身近な姿を通して展開される集約的な場として、郷土を位置付けていました。
 この認識に基づいて提唱された郷土科は、郷土と自分との交わりを通じて培った「共生の生命感覚」を基礎に、良き郷土民として生きるだけでなく、その延長線上において、広く社会のため、国家のため、さらには人類のために貢献する生き方の萌芽を育むことまで射程に入れた教育に他ならなかったのです。
 牧口初代会長は郷土を、生まれ故郷としての概念に狭めることなく、自分が暮らし、歩き、さまざまな出来事を直接見聞きし、その一つ一つに胸が動かされる場所──いわば、今現在の生活の立脚点となっている「地域」の意味として幅広く捉えていました。
 この郷土民としての自覚が、「生命を世界に懸け、世界をわが家となし、万国を吾人の活動区域となしつつあることを知る」という世界市民意識の礎になると考えていたのです。


目覚めた民衆の力強い連帯こそ地球的課題を乗り越える原動力


「地域」を舞台に生涯学習を推進
 こうした牧口初代会長の洞察を踏まえ、私は、ESDの10年から新たな枠組みへと続く活動の中で、「地域」を足場にした教育を進めるために、今後ますます重要になると思われる3つの観点を提起したい。
 1、地域の風土や歴史を知識として学ぶだけでなく、そこで育まれてきた郷土を愛し大切に思う心を受け継ぐための教育。
 1、地域の人々の生産や経済活動を含め、自分を取り巻く環境がもたらす恩恵を胸に刻み、その感謝の思いを日々の行動に還元することを促す教育。
 1、これから生まれてくる世代のために何を守り、どんな社会を築けばよいのか、地域の課題として共に考え、自身の生き方の柱に据えていくための教育。
 この取り組みを学校教育の場で進めるだけでなく、あらゆる世代や立場の人たちを含める形で「地域を舞台に共に学び合う機会」を社会で積極的に設けることが必要でしょう。
 それがそのまま、地域全体を巻き込む形で、さまざまな人々の思いを共有し合う場となり、世代から世代へと思いを受け継がせていく「生涯学習」の場になっていくと思うのです。
 また、子どもたちが主役となって地域の自然環境を守り、持続可能な地域づくりを進める活動を定期的に行う中で、大人の目線では見過ごされがちな課題や問題点を洗い出し、率直な指摘や改善のための提案を行う場を設けることも有益ではないでしょうか。
 マータイ博士が、幼い頃から故郷のシンボルとして大事にしてきたイチジクの木が失われてしまったことを契機に、地域が直面している危機を鋭く感じ取ったように、さまざまな脅威が最悪の状況にいたる前の“わずかな変化の兆し”に気付くことができ、その進行を押しとどめるために人々が協力して立ち上がることのできる最前線が「地域」に他なりません。
 グローバルな危機も元をたどっていけば、各地で起こった問題が負の連鎖を起こし、深刻さを増す中で、いつのまにか手に負えない猛威と化してきた側面があります。その一方で、グローバルな危機を放置しておけば、新たな問題や脅威が地域にふりかかってくる恐れも十分にあるのです。
 であるならば、わずかな変化や問題の兆候が表れやすい地域で、一人一人がその意味を敏感に感じ取り、心の痛みを決意に変えて、できることから行動を始めていく。そして、共々に地域の“防風林”としての役割を担い、また、地域同士で横の連帯を広げてグローバルな脅威の拡大に歯止めをかけつつ、持続可能な地球社会の大道を開く地域づくりを、一つまた一つと堅実に推し進めていこうではありませんか。


未来を開くための比類なき世襲財産

 以上、リオ+20に向けて提案を行いましたが、「共通目標の制定」や「制度改革」に加えて、「教育枠組みの推進」をセットにしたのは、生涯を通じて“変革の主体者”となり、“周囲に希望の波動を広げる存在”となる人々の育成こそが、持続可能な地球社会を築く挑戦の生命線であると考えるからです。
 まさに人類と地球の未来がかかっている重要な会議を目前に控え、私の胸に再びよみがえってくるのは、ローマクラブのペッチェイ博士の言葉であります。
 「一人一人の人間には、これまで眠ったままに放置されてきた、しかし、この悪化しつつある人類の状態を是正するために発揮し、活用することのできる資質や能力が、本然的に備わっている」「この人類の潜在能力は、いざというときの切り札として、局面の逆転を助けてくれるはずです。われわれはまだこの能力を甚だしく浪費し、誤用していますが、最も有能で幸運な人々から最も貧しい底辺の人々にいたるあらゆる人間に本来備わっている、この生得の、活気に満ちた、豊かな資質と知性こそは、人類の比類なき世襲財産なのです」(『二十一世紀への警鐘』、『池田大作全集第4巻』所収)
 博士が着目していた、全ての人々の持つ無限の可能性という「人類の比類なき世襲財産」を、持続可能な地球社会の建設という未曽有の挑戦のために生かす最大の原動力となるのが、教育に他なりません。
 教育は、どんな場所でも、どんな集まりでも実践でき、あらゆる人々が主体的に関わることのできるものです。そして、すぐには目に見えた結果が表れなくても、じっくり社会に根を張り、世代から世代へと受け継がれるたびに輝きを増していく──。
 私どもSGIが、どのような地球的問題群の解決を目指す上でも、「民衆の民衆による民衆のためのエンパワーメント」を運動の根幹に据えてきた理由は、その点にあります。
 持続可能な未来を共に考えるための対話のフォーラムとして開催してきた展示会のタイトルを、「希望の種子」や「変革の種子」と名付けたのも、仏典に「物たね(種)と申すもの一なれども植えぬれば多くとなり」(御書971ページ)とあるように、一人一人の胸に種を植えていくことが時代変革の直道であると固く信じてきたからでした。
 また、多くの国々で環境を保全するための活動に取り組む際も教育的な観点を重視してきました。今年で開設20周年を迎えるブラジルSGIの「アマゾン自然環境保護センター」でも、熱帯雨林再生プロジェクトに取り組む一方、持続可能な社会づくりを住民主導で進めることを、教育の力で後押ししてきました。
 こうした活動などを通じて、私が友情を深めてきた一人に、ブラジルを代表する詩人のチアゴ・デ・メロ氏がいます。
 リオ+20に向けての提言を締めくくるにあたり、“地球の肺”と呼ばれるアマゾンの大切な自然を守るために戦い続けてこられたメロ氏の言葉をもって結びとしたい。その言葉とは、97年4月に再会した折に、メロ氏が私に贈ってくださった即興詩です。
 「私は、愛を武器として、謳いながら働く。あすの建設のために。
 愛は全てを与える。私は希望を分かち合い、新たな生命の光を植えていく。
 時には、炎が立ちのぼるアンデスの峰で、わが友愛の心の叫びが封じ込められようとした。だが私は、その炎を乗り越えて、今も謳い続ける。
 新しい道などないのだ。あるのは、ただ、新しい歩み方だけだ。
 不遇な人々の痛みをわが痛みとし、空腹で眠る子どもたちの悪夢に同苦しながら、私は学んだ。この地球は、自分だけのものではないということを。
 そして、私が学んだ最も大切なこと。それは、わが命が尽きる前に、変えるべきことを変えるために行動することである。
 一人一人が自分らしく、自分の立場で──」


語句の解説
注1 国連人間環境会議
 1972年6月にストックホルムで開催された国連の会議。「かけがえのない地球」を合言葉に、環境問題が初めて世界的規模で総合的に議論される場となり、人間環境宣言や国際環境協力に関する行動計画などが採択された。同年、これらの合意を実施に移すために「国連環境計画」が設立されたほか、会議が行われた6月5日が「世界環境デー」に定められた。

注2 ラッセル=アインシュタイン宣言
 哲学者のラッセルと物理学者のアインシュタインを中心に湯川秀樹など11人が1955年7月に署名した宣言。核兵器による人類の危機を克服するため、人間性に基づく新たな思考への転換を呼びかけている。その精神を踏まえて57年に結成されたのがパグウォッシュ会議で、科学者の良心の訴えを通じて核兵器と戦争のない世界を求めてきた運動は高く評価されている。

注3 植樹キャンペーン
 2006年11月、国連気候変動枠組条約の第12回締約国会議を契機に、国連環境計画などが始めた運動。当初の目標だった10億本の植樹は、5歳から80歳まで幅広い年齢層が参加する中、開始から1年を待たずに達成された。その後も運動は継続され、参加の輪が193カ国に拡大する中、125億本もの植樹が実現している。

注4 地産地消
 地元で生産されたものを地元で消費することを目指す取り組み。食料品の産地と消費地をつなぐ輸送距離が短縮されれば、その分、環境負荷の軽減も進むことから、地産地消の割合を高める重要性が叫ばれてきた。食に対する安全・安心志向の高まりを背景に、消費者と生産者の相互理解を深める活動としても期待されている。

注5 グローバル・コンパクト
 国連のアナン事務総長(当時)の提唱で、2000年7月に発足した国際的なイニシアチブ。人権、労働基準、環境、腐敗防止の4分野における10原則が定められ、賛同した企業や団体は自発的な取り組みを進める一方で、説明責任が求められるようになっている。これまで140カ国、1万以上に及ぶ企業や団体が参加している。

注6 アカデミック・インパクト
 国連と教育機関を結びつけることを目的に、国連の潘基文事務総長が提唱し、2009年から本格化したグローバルな取り組み。賛同した世界の高等教育機関(主に大学)には、人権、識字能力、持続可能性、紛争解決の4分野における10原則のうち、毎年少なくとも一つの原則を積極的に支持した活動を進めることが求められる。「知的分野の社会的責任」を確立するための試みとして注目されている。
2012-06-06 : 提言/寄稿/インタビュー等 :
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