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随筆 我らの勝利の大道 No.73

随筆 我らの勝利の大道 No.73   
              (2012.5.4付)
誓願の5月3日

爛漫と対話の花を 勝利の旗を!
尊き同志に「仏を敬うが如く」感謝


前進! 広宣流布の大願に燃えて
異体同心の城から轟け 正義の師子吼


 偉大なる
  同志がありて
     創価の日

 「園林《おんりん》諸《もろもろ》の堂閣は
 種種の宝もて荘厳《しょうごん》し
 宝樹は花菓《けか》多くして
 衆生の遊楽する所なり」
 私たちが、朝な夕な読誦している、親しみ深い法華経の自我偈の一節である。
 広宣流布の「園林」であり「堂閣」である創価の会館や研修道場は、この経文の如く、「守る会」の方々をはじめ、同志の深き真心で荘厳されている。
 とくに薫風さわやかな5月は、大事な皆様方をお迎えする学会本部の接遇センターや周辺会館の宝樹も、ひときわ鮮やかである。
 霧島ツツジやパンジー、藤、牡丹など、色とりどりの花が、誇らしげに笑顔を見せてくれている。
 同志が丹精込めて届けてくださった藤の花は、別名を「二季草《ふたきぐさ》」という。春と夏とが出あい、行き交う季節を象徴するかのようだ。花言葉は「歓迎」である。
 日蓮大聖人は、若き南条時光に仰せになられた。
 「友達《ともだち》の一日に十度《ど》・二十度来《きた》れる人なりとも千里・二千里・来れる人の如く思ふて礼儀いささ(聊)か・をろ(疎)かに思うべからず」(御書1527ページ)
 友を迎える時も、訪ねる時も、礼儀を重んじ、誠心誠意、交流していくのが、我らの生き方である。
 「当起遠迎《おんごう》、当如敬仏《きょうぶつ》(当《まさ》に起《た》って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし)」
 ──この法華経の経文を通し、「御義口伝」では、「最上第一の相伝」(同781ページ)と教えられた。
 対話の花を爛漫と咲かせ、「5・3」を祝ってくださる創価家族の皆様を、まさに「仏を敬う」心で讃嘆申し上げたい。
 さらに、この5月3日を、日本、また海外の各界の友人の皆様方も、温かく慶祝してくださっている。この場をお借りして、満腔の感謝を捧げたい。本当に有り難い限りである。
 私自身も、師匠・戸田城聖先生に、謹んでご報告させていただきたい。
 「先生、今年もまた。『5・3』を大勝利で飾ることができました! そして、来年も必ず、大勝利で飾ってまいります」と。
 5月3日には、「誓い」があり「実践」がある。
 「団結」があり「報恩」がある。「希望」があり「勝利」がある。「出発」があり「前進」がある。
 年年歳歳、広宣流布への決意を強め深めゆく日こそ「5・3」なのだ。
 さらに、自我偈には──
 「諸天は天鼓を撃《う》って 常に衆《もろもろ》の妓楽を作《な》し」とも説かれる。
 この経文さながらに、音楽隊と鼓笛隊の尊き錬磨の友が、各地域の要請に応え、祝賀のバレード等でも大活躍してくれている。黄金の青春の舞に、皆で大喝采を送りたい。

創価の師弟の底力
 弘安2年(1279年)の5月、大聖人は仰せになられた。
 「総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ、さだにも候はば釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守り候べし」(同989ページ)
 「大聖人の如く、広宣流布の大願に生き抜く」──これが、5月3日を貫く我らの誓いである。この蓮祖直結の「信力」「行力」という生命の底力を奮い起こしてきたゆえに、創価の師弟は、全宇宙の仏天をも揺り動かす偉大な「仏力」「法力」を満々と涌現できるのだ。
 昭和32年(1957年)の5月3日。師の会長就任から6年を迎え、75万世帯の願業の完遂へ、怒濤の勢いで前進するなか、総会が行われた。
 両国の国際スタジアム(後の日大講堂)を埋め尽くした弟子一同に、先生は叫ばれた。
 「ただ自分だけが題目を唱えているのでは、時にかなう信心とはいえないのです。時にかなう信心というのは、折伏以外にない」
 信心の根本は、どこまでいっても「自行化他」の行動である。
 慈悲の心をもって、折伏精神に燃え、友のもとへと足を運び、仏縁を結ぶことが、最も時に適った仏道修行なのである。
 尊き同志が、生き生きと広宣流布のため、立正安国のため、東奔西走しゆくなかで、5月3日を祝賀してくださる。この姿こそ、戸田先生が何より喜んでおられるに違いない。
        ◇
 戸田先生の大闘争の総仕上げへ向かう、昭和32年の5月3日の集いでは、最前線の「組」中心の活動が再び確認された。今で言えば「地区」「ブロック」に当たるであろう。
 広宣流布の伸展においては、地区そしてブロックの勝利こそ、そのすべてであると言ってよい。全リーダーが地区に根差し、ブロックを全力で支え守りゆく布陣で前進してこそ、新しい人材が育ち、新しい活力が漲っていくのだ。
 命にも及ぶ法難の佐渡にあって、大聖人は、わが子の病と闘う鎌倉の門下の夫妻に御手紙を送られた。
 「当国の大難ゆり候はば・いそぎ・いそぎ鎌倉へ上《のぼ》り見参いたすべし、法華経の功力を思ひやり候へば不老不死・目前にあり」(同1124ページ)
 ──この大難を勝ち越えたならば、直ちにあなた方に会いに駆けつけますよ。間近で厳然と見守っていますから、断じて病魔を打ち破りなさいとの、大慈大悲が拝されてならない。
 足を運ぶ。会って話す。
 共に祈る。一緒に動く。
 この御本仏の御心が、「地区」にも「ブロック」にも流れ通っているのだ。
 ゆえに、わが地区から、
 「大歓喜の題目を!」
 「地涌の人材を!」
 「勝利の旗を!」──。
 ドイツの哲人ニーチェは「堅固な岩のまわりに、堅固な根を」と叫んだ。
 総本部完成の明年へ、日本、いな全世界の地区、ブロックからの大勝利の報告を、私は祈り待っている。
        ◇
 今月21日の朝には、珍しい「金環日食」が各地で見られる。
 今回は、東京・神奈川などの首都圏から九州にかけての太平洋側で観測できるという。これほど広い範囲で見られるのは、平安時代以来、実に932年ぶりと言われている。
 太陽、月、そして地球が一直線に並ぶ時に、日食は起こる。地球から見た太陽と月の大きさが、ほぼ等しいために「ゴールドリング」(金環)が見られる。
 日本で見られた前回の金環日食は、昭和62年(1987年)の9月23日であった。
 この折は、沖縄だけが、金環日食の見える範囲だった。「平和の要塞」である。私たちの沖縄研修道場でも観測できたという。
 この時、私は、愛する兵庫の青年平和文化祭などに出席するため、“常勝関西”の地で指揮を執っていた。
 日食の当日は、大阪の関西創価学園の「健康祭」に赴き、未来を担う学園生の潑剌たる雄姿を嬉しく見つめた。あれから25年、皆、どれほど逞しく成長していることか。地上の金星たる、わが学園生の鮮烈な命の輝きに思いを馳せる時、私の心は躍る。
       ◇
 豊かな詩心の沖縄では、日食を「太陽と月の結婚」とする美しい民話も伝えられる。それは、何とロマンあふれる“天体の結婚式”であろうか。
 私には、まるで太陽と月が一体になったような、明るく仲睦まじい沖縄の父母《ちちはは》たちの笑顔が目に浮かぶ。
 いずこにもまして苦労を乗り越えられてきた沖縄の同志は、苦しむ友の心を、力強い陽光の如く励まし、優しい月光の如く癒やす不思議な力を持っている。
 「世界最初の広宣流布のモデル地帯」を目指して、「イチャリバチョーデー」(行き会えば、皆、兄弟)という大海原のように開かれた心で、愛する沖縄家族は、今日も友情と信頼を広げておられる。
 私は大好きな「沖縄健児の歌」を聴かぬ日はない。この5月15日には、返還40周年を迎える美しき「うるま島」(珊瑚の島)に、永遠の平和と繁栄と和楽あれと、いやまして祈りに祈り抜いている。

 広宣の
  先駆と模範の
       沖縄勢

60星霜の旅路
 昭和27年(1952年)の5月3日、私と妻のささやかな結婚式で、実質の仲人をしていただいた戸田先生は短い祝辞をくださった。
 「私の願うことはただ一つ、これからの長い人生を広宣流布のために、二人で力を合わせて戦い切ってもらいたい」
 このご指導通りに、ただひたすらに、2人で歩んできた60星霜である。
 結婚60年を、「ダイヤモンド婚」というそうだ。思えば結婚の時、私は、ダイヤの指輪を買ってあげることができず、「ダイヤだよ」とユーモア交じりに言って、ジルコン(ダイヤモンドのようにつやのある鉱石)の指輪を贈った。
 そのジルコンの指輪は、年々、輝きが色褪せてしまい、妻と大笑いしたものだ。
 だが、戸田先生の弟子として、ただただ広宣流布のために、一つまた一つと試練を乗り越えるたびに、戦友の絆が、ダイヤモンドの如く堅固の度を増してきたことは確かである。
 「日月・両眼・さう(雙)のつばさ(翼)と調ひ給へ」(同1118ページ)との御聖訓通りに、二人して人生を切り開き、苦難の数だけ強くなった。
 「男は力を持て」
 「妻はどんな時も笑顔で」
 これから、新たな家庭を築きゆく若き夫婦に、私は恩師からいただいた、この指針を贈りたい。

「不変」の母の祈り
 朗らかな
  微笑み絶やさぬ
    母なれば
  無量の人に
    慕われ光りぬ

  「5・3」は「創価学会母の日」でもある。
 日本中、そして世界中で奮闘してくださる「太陽の婦人部」の皆様方に、あらためて深厚なる感謝の思いを捧げたい。
 昭和35年(1960年)の5月3日、第3代会長就任の夜、大田区小林町の小さな小さな自宅に、お祝いに訪ねてきてくれた、草創の関西の母がいる。
 お祝いというよりも、「お葬式」との覚悟で、この日を迎えた、わが家の雰囲気に驚かれていた。その母へ、私は、色紙に「不変」と書き贈った。
 師弟の誓いだけは何があっても変えない、と決めたこの母は、常勝の人材城を築き上げてくれた一人である。晩年、若い人材の活躍に喜び語っておられた。
 「“何かあれば題目。苦しい時こそ折伏精神で。そして今度も勝ってみせる”と、ヤングの婦人部たちまで自然に口にしています。
 草創期に戦ってきた私たち以上に、大きく、たくましく成長している姿が、関西のどこでも見られます」
 苦楽を分かち合い、戦い抜いてきた、功労の同志たちのことが、私の胸奥から離れることはない。
 「日蓮に共する時は宝処に至る可し」(同734ページ)と「御義口伝」に仰せの通り、我らは共々に、永遠に「常楽我浄」の生命の軌道を愉快に進みゆくのだ。
 「5月3日」は、母たちへの感謝を捧げつつ、来る年来る年、賑やかに「地涌の菩薩」のスクラムを広げゆく、創価家族の晴れの祝日なのである。
      ◇
 今月の金環日食を経て、次に日本で見られるのは、2030年、北海道である。
 恩師が逝去された翌年の昭和34年(1959年)1月17日、私と同じ心で立ち上がってくれた北海道の同志に深謝しながら、私は忘れ得ぬ夕張の地で日記に記した。
 「これらの強き同志あれば──これからの闘争に、断じて敗れまい」
 そして、私は心の奥にある思いを綴り残した。
 「この人びとのために──私は起たねばならぬ。時は……刻一刻と近づいて来た。どうしようもない。時の流れか、要求か、宿命か」
 私は、いじらしい庶民の正義の心が脈打つ夕張で、一切の魔を断ち切らんと、今世の新たな大闘争への覚悟を深めていた。
 私がよく知る北海道広布の開拓の父は、悪口罵詈の渦巻くなか、胸を張り広大な舞台を走り抜いてきた。
 この父が宝としてきた、戸田先生の師子吼がある。
 「貧乏人と病人の集まり」という学会への中傷を打ち破る恩師の叫びである。
 「結構ではないか! 本当に苦しんでいる人びとを、創価学会以外に、一体、誰が、生命の根底から救うことができるのか!」
 齢90歳となられた、この多宝の父は、今も矍鑠《かくしゃく》と、「信心で勝負する人生が一番、強い」と、友を励まし続けておられる。
 北海道で金環日食が観測される2030年は、創価学会創立100周年の佳節でもある。師弟有縁の3代城・北海道は、100周年の勝利を開く使命深き新天地だ。
 ともあれ、日本のみならず世界の大舞台を、自由自在に舞いゆく若鷲こそ、今の未来部の友である。明日、5月5日は「創価学会後継者の日」──わが生命の宝の子どもだちよ、大いなる希望の大空へ羽ばたけと、祈らずにいられない。
        ◇
 栄光の
  世界の地涌の
    ともどちが
  誓願 胸に
   なんと晴れやか

 「5・3」を祝賀する本部幹部会では、アメリカ創価大学出身のハワイの女子部のリーダーが、清新な決意を立派に述べてくれた。
 私が、アメリカ初訪問の計画を発表したのは、会長に就任した翌月の本部幹部会であった。
 「大願とは法華弘通なり」(同736ページ)、「誓願と云うは題目弘通の誓願なり」(同846ページ)との仰せのままに、世界広宣流布の大誓願に向かって行動を開始したのである。
 早くも7月には、海外に在住するメンバーと連携をとるための「海外係」が発足。そして10月、ハワイに海外指導の第一歩を印したのである。以来、54カ国・地域を訪れた。
 「誓願」は即「行動」である。「誓願」は即「真剣勝負」なのである。
 御聖訓には「物たね(種)と申すもの一なれども植えぬれば多くとなり」(同971ページ)と示されている。
 いずこにおいても、開拓の歴史は、一握りの友から始まった。自分が花を咲かせるのではなく、妙法の種を蒔き続けていく決心のリーダーたちから広がった。
 そして今、創価の平和主義・文化主義・教育主義、さらに人間主義の運動は、192カ国・地域で美しい大輪の花を咲かせている。
 地域広布も、世界広布も、その大河となりゆく流れは、誓いの一念を定めた「一人」のたゆまぬ挑戦と前進から始まるのだ。

徹し抜く大情熱で

 この夏、ロンドン・オリンピックが開催される英国でも、地涌の同志は、希望に輝く「良き市民」として、社会に貢献を続けている。
 我らのタプロー・コート総合文化センターは、英国五輪協会創設者のデズボロー卿ゆかりの建物である。
 本年は、英国の作家ディケンズの生誕200周年にもあたる。戸田先生の元に集った女子部の人材グループ「華陽会」で学んだ小説『二都物語』の作者である。
 ディケンズは少年時代、靴墨工場で朝から晩まで働いた。その苦労を魂の滋養にして、やがて虐げられた人びとに寄り添う名作を残していったのである。
 彼は自伝的作品の主人公にこう語らせている。
 「徹底的で、熱心で、心底一途であることの代わりになるものなんか何もありはしない。全身を抛《なげう》つべきものに、ほんの片手だけを置くような真似は絶対にしないし、また何であれ、自分の仕事を見くびるような真似は絶対にしない」
 一事に徹し抜く情熱なくして大偉業は成し得ない。我らには、その燃える魂がある。希望がある。だから強い。恐れない。
 人類史にあって、「一人も残らず幸福に!」という究極の生命の希望が文字に凝結したもの、それが法華経といえようか。大聖人の御書は、その精髄の“希望と勝利の経典”である。
 御書発刊から60周年、この不滅の希望の輝きは、いよいよ人類の未来を赫々と照らし出している。
 さあ、元初の5月3日から、大いなる希望に燃えて、正義の師子吼を轟かせゆくのだ。今再び、異体同心の団結で、新たな一歩前進を開始しよう!
 「声仏事を為す」(同708ページ)──私たちの誠実な対話、勇気の行動は、人間の勝利へ、最極の希望を創り広げゆく戦いなのだ。

 広宣の
  我らの元初は
    この日かと
  希望の彼方は
     勝利の山々

 ニーチェの言葉は『ツァラトゥストラはこう言った』氷上英廣訳(岩波書店)。ディケンズは『デイヴィッド・コパフィールド』石塚裕子訳(同)
2012-05-04 : 随筆 我らの勝利の大道 :
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