勝利の人間学 1~30

池田名誉会長が贈る 勝利の人間学

第1回 声仏事を為す      (2012.2.1付 創価新報)

妙法の音律が力に
 信心の根本は題目である。
 白馬が大草原を颯爽と駆けていくような、清々しい唱題を心がけたい。
 その題目の声が、行動となる。力となり、エネルギーとなる。そこから勢いも生まれる。
 たとえ一遍の題目であっても、全宇宙に響き渡る。妙法の音律は、諸天を揺り動かさずにはおかない。

心が声に表れる
 ある時、皆で題目三唱したが声が揃わない。戦いに臨む皆の呼吸が、合っていなかった。心がバラバラでは、皆の力も、結果も出ない。
 私は、何度もやり直した。声が揃うまで題目を唱えた。そして「前進」という合言葉を皆で何回も繰り返して叫んだ。最初は弱々しい声が、だんだん勇気凛々と力強くなっていった。皆の心に「前進する決意と自信」が漲っていった。
 心が声に表れる。声が壁を破る。声が出るようになった時、勝利へ怒濤の前進が始まったのである。

会合は声で決まる

 会合も声で決まる。張りのある声、確信に満ちあふれた声が響く会合をお願いしたい。
 役員の皆さんは、「仏を敬うが如く」、参加者を温かく迎え、送り出していただきたい。爽やかなあいさつの声が、時間をやりくりして会合に駆けつけた友の心を明るく満たす。
 体調のつらそうな人がいたら声をかける。帰宅の際に無事故を呼びかける──こまやかな心配りの一声が命を守る。同志を守り抜かんとする一念の音声《おんじょう》が、魔を退散させる。
 「声仏事を為す」である。声で仏の仕事をするのだ。

第2回 朗らかに仏法を語れ  (2012.2.14付 創価新報)

心の大地に幸福の種を
 折伏は、勇気である。仏法の偉大さと信心の素晴らしさを、自信満々と語り抜いていくことだ。
 日蓮大聖人は、「法華経を耳にふれぬれば是を種として必ず仏になるなり」(御書552ページ)と仰せであられる。
 自分の確信と体験を、伸び伸びと語ればいい。相手が聞いても聞かなくても、生命に幸福と希望の種を植えることになる。その種は、いつか必ず根を張り、芽を出し、花を咲かせる時が来るのだ。

できなくても朗らかに
 一人の人を折伏することが、どれほど大変なことか。妙法は「難信難解」とある通りです。だからこそ、これ以上に尊い、偉大な行動はない。
 私も、なかなか、できなくて苦労した。でも、同志と「今、一人の人が入会せずとも、幾百千万の人々が、我らを待っている」と励まし合いながら、悠々と対話を進めてきた。
 折伏は、できても、できなくても朗らかにやりなさい。皆に最高の希望と勇気を贈る対話なのだから。
 そもそも、人を救おうとして悩むなんて、すごいことではないか。
 それ自体、地涌の菩薩の悩みであり、仏の悩みである。
 御本尊を持《たも》たせることは、その人の家に大聖人を御案内することにも等しい。

折伏は信用が残る
 戸田先生は「折伏に方法などない。ただひたぶるに、御本尊を拝む以外にない」と言われていた。
 折伏は「相手を幸せにしたい」との祈りから始めることだ。その真心が伝わらないわけがない。心を打つのは心だ。心を動かすのも心だ。
 真実を真心込めて語るからこそ、「信用」が残る。青年の一番の宝は「信用」だ。
 折伏すればするほど、自他共に仏性が強くなり、永遠に崩れない生命の宝が積み上がるのだ。

第3回 法華経の兵法──祈って勝つ!(2012.3.5付 創価新報)

祈りから始めよ
 まず祈ることだ。真剣に祈ることから始めるのだ。なぜ祈るのか。自分を最も強くし、自身の力を最大に出すためである。
 日蓮大聖人は「法華経の剣は信心のけなげ(勇)なる人こそ用る事なれ鬼に・かなぼう(鉄棒)たるべし」(御書1124ページ)と仰せである。
 手を抜いて楽をしようという油断や、自分の小手先で何とかなると思う慢心を排し、自らの壁を破って、一心不乱に戦う。「広宣流布のために必ず勝つ」という誓願の祈りほど、強いものはないのだ。
 祈る青年には、後退はない。祈れば、勝利への前進が始まる。
 最後は、祈って戦った者が勝つ!

一番いい方向にいく
 祈りの力用について、「顕祈顕応《けんきけんのう》」「顕祈冥応《けんきみょうおう》」「冥祈冥応《みょうきみょうおう》」「冥祈顕応《みょうきけんのう》」と説かれる(同1242ページ)。直ちに祈りが叶う場合もあれば、はっきり見えない場合もあるだろう。どうであれ、疑うことなく題目を唱え抜いていくことだ。真剣に祈り抜き、祈り切ることだ。
 たとえ叶わないように見えても、最後には、自身にとって、一番いい方向にいく。「頑張り抜いてよかった!」と、自らが叫べる大歓喜の人生を築くことができる。これが妙法の偉大なる力である。

祈りは具体的に

 弓矢だって、的を定めなければ当たらない。祈りも同じである。目標を明確にして、懸命に努力する──その延長上に祈りは叶う。
 ただ拝んで、目先の幸運を欲するという浅い次元の信仰ではない。祈って努力し、努力して祈る──その時に、諸天善神は動くのだ。
 戸田先生は言われた。
 「一丈の堀を越えられないものが、二丈、三丈の堀を越えられるわけがない。一つ一つ、やりきっていくんだよ」と。
 目標を忘れた時に空転は始まる。
 今日の目標を具体的に祈るのだ。
 そして、青年らしく、思う存分、ベストを尽くして行動するのだ!

第4回 学会は永遠に御書根本 (2012.3.19付 創価新報)

青年時代に教学を学べ
 「行学の二道をはげみ候べし」(御書1361ページ)である。大切なのは、学び続けることだ。学んだ通りに実践することだ。
 たとえ、学んだことを忘れてしまっても、必ず何かが残る。命が忘れない。それが、いざという時、信心の底力になるんだ。
 根本の一書を持つ人間は強い。一切の勝利の源泉は御書にある。だから青年部は、今のうちに、しっかり御書を学んでもらいたい。
 それが一生の幸福の土台となり、常勝の力となる。

「その通りだ」と拝そう
 一行でも一節でもいい。日々の生活と広布の戦いの中で、御書を拝していくことだ。御書を「わかろう、わかりたい」と一生懸命、努力することだ。真剣であれば、毛穴からでも入っていく。
 戸田先生は「一行一行、御書を拝しながら、『その通りです。まったく、その通りです』と深く拝読していくんだ」と言われていた。
 頭でわかるのと、信心でわかるのとは違う。
 自らの身に当ててみて、「ああ、このことだったのか」と、わかる時が必ず来るのだ。

講義担当者は師匠の代わり
 御書を講義する際は、師匠の名代として、誠実に、堂々と臨んでもらいたい。私も、常に、戸田先生の名代という決意でやってきた。
 御書には、何ものも恐れぬ師子王の心と、人々を救わずにはおかないという仏の大慈悲が脈打っている。
 御本仏が直接、私たちを励ましてくださっているのだ。御書は励ましに満ちている。その励ましに、生命が感応しないはずがない。
 御書から頂いた感動、勇気を、率直に語ることだ。話のうまい下手は関係ない。「断じて、この御書で友を励ますのだ」という一念で決まる。
 学会がここまで発展したのは、なぜか。
 それは、深い哲理に基づいた、力強い「励まし」があったからだ。これからも皆で、学んでは語り、語っては、また学ぶのだ。

第5回 広布前進の大目標  (2012.4.4付 創価新報)

すべては広宣流布のため
 創価学会が目指す根本の目的は何か。
 それは、人類の幸福と平和である。自他共に生きていること自体が愉快で、楽しいという境涯を開いていくことだ。
 これが広宣流布であり、我らの大目的だ。
 戸田先生は「この世から悲惨の二字をなくしたい」と叫ばれた。
 「広宣流布のため」という最も偉大な目標に向かって進めば、その人自身が偉大になる。
 大きな目標が、大きな希望となる。
 生き生きと大願に生きよう! 仕事で、地域で、学会活動で、張り切って戦おう!
 広布のために、友のために、自分自身のために!

どれだけの人を幸福にできたか
 自分たちの時代に、広宣流布をどれだけ前進させていけるか。そのことを真剣に祈り、挑戦していくのだ。
 戸田先生は、こう指導してくださった。
 「創価学会は、地球上で最も尊厳な生命を守り、どれだけの人に妙法を受持せしめ、幸せにしたかということを数えるのである」
 「数」は単なる数字ではない。かけがえのない「一人の生命」なのだ。そこに「一人の人生の幸福」が凝縮されているのである。
 だからこそ、目標を掲げ、どこまでも「一人」を大切にして、一人また一人と仏縁を結んでいく。その「一人」から平和と幸福の大連帯を広げゆくのだ。

一番を目指そう
 仏法は勝負である。人生も勝負である。ゆえに、戦うことである。そして勝つことである。
 何かで一番を目指すのだ。
 初めから二番でも三番でもいいと思えば、本当の力は出ない。
 たとえ今は振るわなくても、断じて、一番になろう!──そう決めて努力する心に無量の功徳が具わっていく。崇高な人生になる。
 「自分は一番を目指して、一生懸命に戦い切った」という不滅の歴史を残しなさい。
 その人が真の勝利者であるからだ。

第6回 団結は勝利の力  (2012.4.18付 創価新報)

一人立つ真の勇者たれ
 団結は力である。勝つために団結するのだ。
 どうすれば、皆が団結できるのか。まず、リーダー自らが「一人立つ」ことだ。誰かではない。自分が毅然と立ち上がることである。
 戸田先生は、「青年よ、一人立て! 二人は必ず立たん、三人はまた続くであろう」と叫ばれた。これが、勝利の方程式である。
 口先で「団結、団結」と言うだけで、心が一つになるわけではない。リーダーが真剣に祈り、同志を心から讃えることだ。
 同志を尊敬し、自分は何と素晴らしい友と一緒に戦えるのかと感謝できるようになってこそ、勝利への歓喜の団結が生まれる。

異体同心で前進
 団結といっても、決して、一つの型に窮屈にはめるものではない。
 「異体同心なれば万事を成《じょう》し同体異心なれば諸事叶う事なし」(御書1463ページ)
 「同体」ではなくして「異体」と仰せのように、一人一人の個性を尊重し合いながら、皆で仲良く助け合い、支え合って、それぞれの持ち味を最大限に生かしていくことだ。
 「同心」の「心」とは、「信心」である。
 戸田先生は、「この心が強ければ強いほど青年は敗れることはない」と言われた。青年学会は、永遠に「異体同心」で勝ち進もう!

心を合わせる祈り

 心を合わせた祈りから出発だ。私は、どんな戦いも、広宣流布のため、師匠のために断じて勝つと決めて、祈った。共に戦う同志に題目を送り続けた。皆で題目三唱する時も、呼吸を合わせ真剣に臨んだ。
 「1+《プラス》1=《イコール》2」という “足し算” ではなく、合わせた力が「10」にも「100」にもなる。この希望の “掛け算” が、信心の団結の妙である。信頼と励ましのチームワークから、勢いがグングンと増していくのだ。
 組織にはいろんな人がいる。皆、尊い使命の人だ。皆、大切な仏である。自分の感情で決めつけるのではなく、まず御本尊に祈り、大きな心で包容しながら、前進するのだ。

第7回 人材を育てたところが勝つ
                (2012.5.2付 創価新報)

まず自らが人材に
 「学会は、人材をもって城となすのだ」とは、恩師の師子吼である。
 「人」で決まる。本物の「人材」がいれば、そこから勝利は広げられる。
 「人がいない」と嘆く必要はない。
 まず、自分が人材になればいい。
 一人立てば、二人、三人と続く。これが「地涌の義」である。
 「わが地域に必ず人材はいる」と決めて祈り、自ら成長していけば、人が見えてくる。人材を見つけ、会って語り、真心から成長を祈り、広宣流布の大舞台で、どんどん育ててぃこう。人を育てる人が、真の人材である。

後輩を自分以上に
 後輩を大事にするんだ。同志を大切にしていくんだよ。私は青年部の友を、「水魚の思を成して」(御書1337ページ)との御聖訓のままに大事にしてきた。皆、学会を担う方々だもの、成長する姿が嬉しくて仕方がなかった。
 良いところを誉めて伸ばしていく。注意すべき時は、上手に指導する。威張って叱ってはいけない。真心の励ましが一番強い。
 「後輩を自分以上の人材にしていこう!」という祈りと責任感が、学会の伝統だ。
 広宣流布のために、この一人を人材に──その一念は必ず通ずる。

一緒に動き、一緒に戦う

 「一緒に!」──これが、人材育成の合言葉である。
 一緒に祈る。一緒に学ぶ。一緒に語る。一緒に歩く。時には食事をしたり、お茶を飲んだり、そうやって楽しく前進していくことも大切であろう。
 日蓮大聖人は「喜とは自他共に喜ぶ事なり」(同761ページ)と仰せだ。友の成長を喜び、讃え合うなかにこそ、最高の歓喜と充実がある。
 後輩を育てる心が団結を生む。
 さあ、同志と一緒に勝利の一歩を!

第8回 座談会は拡大の推進軸
               (2012.5.14付 創価新報)

座談会から出発
 座談会は、創価の前進の生命線である。
 私が戸田先生にお会いできたのも、座談会のおかげである。
 広布発展の原動力は、一にも二にも、互いの顔が見える小単位の集いである。心と心を通わせる対話である。この一対一の絆を強固にしたから、学会は勝利してきた。
 戸田先生は座談会を大切にされた。参加者が少なくても、逆に「じっくりと話ができる」と真剣であられた。嬉しそうでもあった。
 地道な活動ほど強いものはない。
 座談会から出発し、次の座談会を目指して挑戦する。その粘り強い繰り返しが、学会伝統の「勝利のリズム」である。
 戸田先生は「座談会で広宣流布はできる」と断言なされた。

青年が主体者
 青年が一人いるだけで、座談会は変わる。
 駆けつけてくるだけで、空気が一変する。
 いわんや、青年が主体となった、にぎやかな座談会ほど、明るく楽しいものはない。
 私も青年部時代から、皆が「本当に来てよかった」と思える会合にするために、参加者の顔を思い浮かべて祈り、準備して臨んだ。
 青年部の振る舞いから、会合革命は起こる。
 学会の新しい前進も、そこから始まるのだ。

哲学を学べ 体験を語れ
 座談会には人生勝利の哲学がある。他者の人生に学ぶ触発がある。最も民衆に根ざした人間学の学校だ。勇んで求めてもらいたい。
 御聖訓にも「心ざしあらん諸人は一処にあつまりて御聴聞あるべし」(御書951ページ)と仰せではないか。
 皆で体験を語り合い、教学を学び合う。
 これが一番正しい仏道修行の実践である。
 座談会では「声を惜しまず」語ろう。
 青年の声ほど、偉大な力はない。
 青年が話せば、周りを元気にすることができる。声を出せば、自分も元気になる。皆に希望と勇気と活力を贈る集いを、一回一回、青年の力で勝ち取っていただきたい。

第9回 女子部は全員が幸福に
               (2012.6.6付 創価新報)

正しい人生の軌道を
 女子部は、全員が幸福になってもらいたい。
 これは、戸田先生と私の、師弟一体の祈りであり、願いである。
 日蓮大聖人は「法華経を信ずる人は・さいわいを万里の外よりあつむべし」(御書1492ページ)と仰せである。若くして妙法を受持した乙女が、絶対に幸せにならないわけがない。
 現実は厳しい。人生は長い。だからこそ、哲学が大事だ。信心が大事だ。
 青春時代の今この時に、教学という確固たる生命の羅針盤を持つならば、正しい人生の軌道を歩み、真の幸福を必ずつかんで、勝利の花を咲かせることができるのである。

仏天が見守っている
 信頼できる人、頼れる人、何でも相談できる人──そういう人を持とう。そして、自分もそういう人になると決意するのだ。
 戸田先生は「一人でもよい、心から話せる友、また、いざという時に信心を教えてもらえる人をつくりなさい」と言われた。
 青春は、悩みとの戦いだ。しかし、悩みがあるから成長できる。偉大な人間になれる。
 貴女《あなた》の生命の中に、妙法という最高の宝がある。だから、何も恐れることはない。誰が見ていなくとも御本尊が分かってくださっている。そして、仏天がいつも見守っている。
 大丈夫です。安心して頑張りなさい。

にぎやかに朗らかに
 学会の未来は女子部で決まる。
 1人の立派な女子部の存在は、10人、100人に匹敵する力を発揮していく。女子部が明るく伸びれば、学会も勝ち栄えていくのだ。
 同世代の女性のスクラムを広げよう!
 にぎやかで、朗らかで、楽しい雰囲気のところに、人は集まってくる。
 自分らしく、華陽の生命を光らせながら、「これだけはやりきった」「信心の体験を積んだ」との歴史を創ってもらいたい。

第10回 男女学生部よ 使命の青春を舞え
               (2012.6.18付 創価新報)

世界広宣流布の先頭に
 戸田先生と私の師弟でつくった学生部である。恩師は、その誕生を、それは喜ばれた。庶民の嘆きをわが嘆きとし、権力の魔性と真っ向から闘った恩師だからこそ、真の知勇兼備の指導者を待ち望んでおられたのである。
 御聖訓には、世界広宣流布は「普賢菩薩の威神の力に依る」(御書780ページ)と仰せである。
 普く賢い英知の青年が先頭に躍り出て、人材の流れを広げてこそ、広宣流布はできる。
 苦労知らずでは、民衆を護れない。誇り高い使命の労苦の中で、知性と人格を磨き抜いて、新時代を開くリーダーに成長してほしい。

学び抜く人は勝ちゆく人

 人を幸福にするための学問である。
 民衆に貢献するための学問である。
 父母に親孝行するための学問である。
 未来を勝ち開きゆくための学問である。
 学びゆく人は、断じて負けない。
 私も、恩師にお仕えする激闘の中で、学ぶことを絶対にやめなかった。世界の指導者と語り、文明を結んできた対談集も、「戸田大学」で学び抜いた勝利の証しである。
 妙法は、一切を生かし切っていける智慧の源泉である。若くして「信心即勉学」「仏法即社会」の正道を進む君たちは、最高に充実した向学と錬磨の青春を送ってもらいたい。

使命を忘るな 偉くなれ
 太陽の如き情熱。月光の如き知性。
 師子王の如き勇気。竹林の如き連帯──。
 わが男女学生部こそ、輝く希望である。
 平和と正義と勝利の道を開く人である。
 「信用できるのは、青年である。
 期待できるのは、青年しかない」
 これが戸田先生の信念であった。学生部には、自分が思っている以上の使命がある。皆、必ず偉くなると信じ、励ましてくださった。
 私も君たちを信ずるゆえに申し上げたい。
 大胆たれ! 勇敢たれ! 不屈たれ!
 愛する君たちに、創価と広布の未来を託す。万事、頼むと。

第11回 破邪顕正こそ学会精神
               (2012.7.2付 創価新報)

正義によって立て
 日蓮仏法の魂は、「立正安国」である。
 大聖人は、人間を不幸にし、民衆を苦しめる魔性と真っ向から戦い抜かれた。
 邪義を破ってこそ、正義を打ち立てることができる。この御本仏に直結する「破邪顕正」の大精神を、青年は燃え上がらせることだ。
 「正しさ」は「強さ」である。その「強さ」を、勇気凛々と響かせていかねばならない。
 戸田先生は「強気でいけ」とよく言われた。
 悩める友には優しく、邪悪な人間には強く、どこまでも折伏精神で戦うのだ。その正義の前進に、功徳は必ずついてくる。

青年が師子吼せよ
 破邪顕正とは「声」の戦いである。
 声が真剣であればこそ、魔を断ち切れる。声が清新であればこそ、心を一新していける。
 わが信念を率直に勇敢に訴えきるのだ。真実の声こそが、皆の心の起爆剤だ。それが青年の特権じゃないか。「彼等は野干(狐の類)のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり」(御書1190㌻)である。
 師と同じ心で叫ぶ。この師弟不二の叫びが「師子吼」なのである。

言論の力を磨け
 戸田先生は、青年に言われた。「ひとたび戸田の弟子となったならば、いかなる邪論、暴論にも屈してはならぬ。断じて破折し、打ち破っていくのだ」と。この仰せの通りに、戦い勝ったことが、私の青春の誉れである。
 末法は「闘諍言訟」──すなわち言論の暴力が渦巻く時代であり、正と邪が転倒する世界である。ゆえに、正義の陣列が弱くなれば、民衆は嘆き、社会が乱れてしまうだけだ。
 青年は、正邪を鋭く見破る力をつけるのだ。正しい人を陥れ、善なる民衆の和合を撹乱せんとする卑劣な中傷には、痛烈に反論するのだ。臆病ではいけない。
 青年が先頭に立って、正義の対話、信頼の絆を大いに広げていこうではないか!

第12回 君よ一人立て! 人材城の柱となれ!
               (2012.7.16付 創価新報)

全ての戦いの先頭に
 「学会は人材をもって城となすのだ」とは、恩師・戸田城聖先生の不滅の叫びである。
 我らの城は、人材が学び鍛えて、育ち伸びゆく城である。人材が人材をつくり、平和と文化と教育の陣列を広げゆく城である。
 そして、人材が打って出て、「立正安国」の使命の闘争を勝ち戦で飾りゆく城である。
 それは、師匠と弟子が「同じ目的」に向かって、「同じ責任」をもち、「同じ心」で戦い勝って、栄えさせゆく城なのである。
 創価班、牙城会、白蓮グループをはじめ、学会の人材育成グループは、広布の人材城の柱である。音楽隊や鼓笛隊などで訓練を受けた人も、皆、立派に成長し、活躍している。全員が私の直系である。
 誇りも高く胸を張って、誠実に、真剣に、大胆に、戦いの先頭に立っていただきたい。

自らを鍛え抜け
 青年は一人立つ時、真に光る。他人任せでなく、自らが広布の責任を担って戦うのだ。学会は、その鍛錬の場だ。今は、うんと苦労してもらいたい。苦労した分、生命が鍛えられ、磨かれる。最後は必ず勝利する。
 私も、全てを一手に引き受けて、悩み、考え、祈った。愚痴を言っている暇もなかった。広宣流布の組織の責任を担えることは、最も偉大な青春ではないか。永遠の歴史を残せる。

徹して会員を大切に

 戸田先生が「命よりも大事」と言われた学会の組織である。麗しい異体同心の組織に、清らかな信心の血脈は流れ通うのである。
 ゆえに、どこまでも学会は「会員第一」で進む。それしかない。同志は互いに仏の如く尊敬し合い、励まし合っていくのだ。
 徹して「一人」を大切にする。
 断じて「一人」を勇者にする。
 そこから、広布の「万波」を広げる──ここに、学会の誉れ高き使命と栄光がある。

第13回 大確信のリーダーたれ (2012.7.30付 創価新報)

強盛なる祈りから出発
 リーダーは、妙法への大確信に立つのだ。「祈りとして叶わざるなし」の御本尊である。長として、まず自らが祈り切っていこう! 戦い切っていこう! そして、同志のため、広宣流布のため、断じて勝ち切っていこう!
 御聖訓に「此の御本尊も只信心の二字にをさまれり」(御書1244㌻)と仰せである。
 一切は「信心」の二字で決まる。
 自身の燃え立つような「信力」「行力」によって、御本尊の広大無辺の「仏力」「法力」を、限りなく引き出していくのだ。
 ゆえに、いかなる魔も打ち破り、多くの同志を厳然と守っていくことができる。

リーダーとは「勇敢に戦う人」

 リーダーとは、「勇敢に戦う人」の異名である。その人には、強力な“精神の電流”が走り、光っている。磁石のような一念の力で人々を引きつけ、奮い立たせることができる。心を一つに結び合わせることができる。
 策や方法ではない。真剣に責任を担い立っていく信心に、無限の智慧が湧くのだ。
 広宣流布の役職をいただき、多くの人の中に飛び込んで苦労していくことは、三世永遠に大指導者として活躍できるということである。これが、仏法の因果の理法である。

学会は指導主義
 創価学会は、永遠に「指導主義」である。
 指導とは、“御本尊を拝もうではないか”と、御本尊を指し示していくことである。
 悩みの相談を受けたら、親身になって話を聞く。わからないことがあれば、わかる人の所ヘ一緒に行くことも、大事な指導である。
 戸田先生は言われた。
 「指導である以上、相手に納得のいくように、リードしていかなくてはならぬ」と。
 人は納得すれば、自ら進んで行動する。
 命令主義や組織主義では、行き詰まる。
 一人が心から納得し、立ち上がれば、新しい波動を広げられる。青年部のリーダーには、それぞれの使命の天地で、勇気と誠実と勝利の名指揮をお願いしたい。

第14回 平和とは勝ち取るものだ (2012.8.15付 創価新報)

「生命尊厳」の哲理を語れ
 平和は、遠くにあるのではない。それは、わが足元から生まれる。一人の友と友情を結ぶところから始まる。
 戦争の犠牲になってきたのは、常に青年である。ゆえに、青年が断固と平和への戦いを起こすのだ。若き平和の連帯を広げるのだ。残酷な戦争がない、そして誰もが、この世に生まれて良かったと思える社会、幸福を満喫できる世界を、青年の力で作ってもらいたい。
 平和とは、戦い、勝ち取るものだ。平和の究極は広宣流布である。
 御書には「一切衆生には皆、仏性がある」(1382ページ、趣旨)と説かれる。
 皆が尊極の仏の生命をもっている。互いが互いを尊重していくことが、最も正しい平和への道なのである。だからこそ、この「生命尊厳」の大仏法を、青年が青年に語るのだ。

創価の師弟の魂に続け
 戦時中、軍部政府と戦った初代会長の牧口先生は、獄死なされた。生きて獄を出られた戸田先生は師の仇を討つと決めて、戦後の廃墟に一人立ち、平和への大闘争を開始された。
 私は、この師の心を継ぎ、権力の魔性と戦い抜いた。世界に友情の橋を架け、人類を結ぶ平和と文化と教育の連帯を広げてきた。
 徹して一人を大切にし、人間を不幸に陥れる魔性とは断固として戦い抜く──これが、平和を誓った創価の師弟の魂である。

「民衆の力」を強めよ
 日蓮大聖人は、戦乱や人々の苦悩が打ち続く乱世の本質を「民衆の力が弱まっている」(御書1595ページ、趣旨)と喝破なされた。
 戦争をなくすためには、民衆が強く、賢くなる以外にない。そして世界の民衆が、心と心をがっちりと結び合わせていくことだ。
 ゆえに青年よ、良き友と仲良く強くあれ!
 正しき哲学と共に鋭く賢くあれ!
 目の前の課題に勇敢に取り組みながら、自身の「人間革命」に粘り強く挑戦しよう!
 自分と友の幸福のため、社会と国土の繁栄のため、地球全体の平和のため、祈り、学び、語り、動き、戦い、勝ち進んでいくのだ。

第15回 新たな拡大の歴史を築け
 (2012.9.5付 創価新報)

戦いは「先手」を打て
 青春も人生も戦いである。いかなる戦いに臨んでも、大事なことは先手を打つことだ。「先んずれば人を制す」である。
 手を打つべき時に打たないことを、後手という。後手は敗北だ。先手必勝である。
 たとえ小さなことでも、決して手を抜かない。何かあれば、すぐに的確な手を打つ。
 友のため、勝利のため、鋭敏に、真剣に、一つ一つ手を打つことが、喜びを広げていく。
 リーダーの「情熱」「励まし」「スピード」から、広宣流布の前進の勢いが生まれる。

「必ず勝つ!」との一念で
 戸田先生に私は、いかなる戦いも「心配ありません。必ずやります! 必ず勝ちます!」と申し上げ、その通り、全てに勝ってきた。
 戦いは、「必ず勝つ」と決めた方が勝つ。
 「断じて勝つ」と、わが一念を定めることだ。そう決めて祈れば、勇気と智慧が湧いてくる。明るく生き生きと、生命が光ってくる。
 日蓮大聖人は、「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」(御書1192ページ)と仰せである。
 何があっても、題目を朗々と唱え、勇敢に、粘り強く、へこたれずに前進していくことだ。
 いい気になって、油断すれば、失敗する。
 最後は、まじめに執念をもって戦い切った方が勝つのだ。これが鉄則である。

青年らしく「未踏の原野」に挑め
 人は、誰でも「未踏の原野」をもっている。
 青年らしく、勇んで行動に打って出れば、その分だけ新たな開拓ができる。
 何も歴史を残さず、過ぎ去ってしまう青春ほど、はかないものはない。
 広宣流布のために、一歩、踏み出すのだ。
 今、戦うことが、君たちの新時代を開く。誇り高く「この勝利を私は切り開いた!」と言える歴史を、断固として創るのだ。
 創価の青年に破れぬ壁はない。朗らかに、勝って、勝って、勝ちまくろう!

第16回 継続は力 わが信念を貫け (2012.9.5付 創価新報)

「誠実」は強し
 友情は、人生の宝である。
 友情ほど、美しいものはない。
 友情の心は、仏法の人間主義と一致する。
 自分から心を開いて明るく挨拶をし、誠実に接していくことだ。自らの聡明な振る舞いで、友情を深め、信頼を広げることができる。
 真に人の心をつかみ、人の心を打つものは、「誠実」の二字しかない。礼儀正しく、言葉は明快に、そして約束は必ず守る。ささいなことが勝利につながる。
 善友との絆を大切に! 戸田先生は「相手が苦難の時こそ、友情の手を差し伸べよ」と言われた。誇り高く信義を貫いていくのだ。

陰の努力が成長の糧に
 一日、一人でもよい。誰かと会う。3年続けたら、1000人を超える。一日一日、持続する。一つ一つ、努力を積み重ねる。まことに「継続は力なり」だ。
 努力は必ず、成長の糧になる。ましてや、広宣流布のため、陰で尽くした労苦は、全部、自分のためになる。無駄がない。「陰徳」は必ず「陽報」と光り輝いていくのだ。
 日蓮大聖人は「水のごとくと申すは・いつも・たいせず信ずるなり」(御書1544ページ)と仰せである。
 自ら決めた使命の道を、着実に、粘り強く進む。その人が、最後は必ず勝利する。

人材を励まし 育てよ
 人材育成の要諦は「励まし」である。
 人は、励ましがなければ、なかなか前に踏み出せない。一人一人を真心から励まし、皆の心を軽くして、明るく楽しく前進するのだ。
 「人材とは、特別な人間ではない。要は、その磨き方にある」とは、恩師の指導である。
 辛い時、苦しい時こそ、支えていくのだ。
 「ここまで自分を知ってくれているのか」との思いが力となる。麗しい連帯を築く。
 御聖訓には、「一は万が母」(同498ページ)と仰せである。
 目の前の一人を、全魂込めて激励することは、万人の力を引き出すことに通ずるのだ。

第17回 仏法は振る舞いの中に (2012.10.3付 創価新報)

リーダーは率先垂範
 新しい風を起こそう! まず自分が勢いよく動くのだ。自分は「こう動いた」「こう挑戦した」という姿を示す。青年の率先垂範が、皆の心を軽くし、勇気の息吹を贈る。
 とともに、リーダーは、サーチライトで照らすように、尊い学会員を、ねざらい、讃えていくのだ。一番戦ってくださっている人を、一番大切にする。励ましの手を打つ。そこに、何十倍もの喜びがわく。
 会場を提供してくださっている御家族に対しても、心から感謝し、礼儀正しく、常識豊かに使わせていただくことだ。
 御聖訓には「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(御書1174ページ)と仰せである。誠実にして聡明な行動の中に、仏法者の真価は光ることを忘れまい。

信頼は爽やかな挨拶から
 「おはようございます!」「ありがとうございます!」──青年の元気で気持ちのよい挨拶ほど、清々しいものはない。
 戸田先生は、“青年に大切なものは、名誉でも地位でも財産でもない。信用である”と教えられた。その信用を勝ち取る第一歩も、爽やかな挨拶である。
 私も若き日、職場で明るく挨拶することを心がけた。その声から仕事に勢いが生まれる。同じアパートに住んでいる方や近隣の方にも、積極的に挨拶していった。
 生き生きと、はつらつとした挨拶の響きこそ、地域に、社会に、信頼と友情の輪を広げゆく力なのである。

新しい力に光を
 あの「大阪の戦い」も「山口開拓指導」も私と共に戦って、勝利の金字塔を打ち立ててくれたのは、入会間もないメンバーであった。
 今、各地で新入会の友や躍動する新たな人材が陸続と誕生している。本当に嬉しい。
 時代は混迷を深めている。「新しい人材」を育て、「新しい力」すなわち「ニューパワー」を糾合したところが勝つ。青年は一人ももれなく、尊い使命の大舞台で、新たな黄金の勝利塔を堂々と打ち立ててもらいたい。

第18回 創価と共に栄光の人生を (2012.10.17付 創価新報)

何があっても勝てる力
 人間の生命には、いかなる苦難にも断じて屈しない力、断固と乗り越える底力がある。
 日蓮大聖人は、そのことを御自身のお姿を通して教えてくださった。この仰せの通りに一切を勝ち越えてきたのが、創価学会である。
 御義口伝には、「日蓮に共《ぐ》する時は宝処に至る可し」(御書734ページ)と仰せである。
 大聖人直結の学会と共に進めば、何があっても勝っていける。どんな宿命も転換しながら、広宣流布の大願を成就していくのだ。

善き集いに信心の血脈が
 善友に近づけば仏になる。よき同志を持つことは、なにものにも代え難い喜びである。“あの人は誠実だ”“あの人といると元気になる”──そういう先輩、同志とつながっていく。そして自らも、周囲の人に勇気と希望を贈る“善き友”に成長していくのだ。
 同志とは「志」を「同じくする」人である。学会は、互いに地涌の菩薩として「志」を「同じくする」究極の同志の集まりである。
 妙法流布のため、立正安国のため、苦楽を分かち合い、仲良く励まし合いながら、生き抜いていく──この正しき生命の軌道を前進しゆく異体同心の組織にこそ、信心の血脈は流れることを忘れまい。

責任感は祈りとなる
 学会の役職は尊い「責任職」である。一人一人の同志を大切にし、一つ一つの広布の活動を勝ち取るために心を砕いていくことだ。
 深き責任感は、深き祈りとなる。責任者は、題目の師子吼で魔を打ち破リ、わが友を護り抜くことだ。
 広布の前進が勢いを増していく時こそ、強盛な祈りと細心の注意で、絶対無事故の指揮を執るのだ。「祈り」と「行動」が合致するところに、勝利の突破口は開かれる。
 「戸田の命よりも大切」と叫ばれた学会の組織を、後継の諸君が厳護し、さらに勝ち栄えさせていただきたい。
 さあ、妙法と共に、学会と共に、同志と共に、栄光勝利の青春を勝ち飾っていこう!

第19回 皆が元気に! 一歩前進の会合を (2012.11.7付 創価新報)

中心者は満々たる生命力で
 創価学会の会合は、広宣流布を推進する仏の会座であり、地涌の菩薩の集いである。
 恩師・戸田先生は、どんな小さな会合も、いいかげんにしなかった。常に真剣だった。
 「この会合に集った人から、すべて始まるのである。この会合から勝っていくのである」と、全身全霊を注がれた。
 「来てよかった!」と参加者が喜べるように、中心者は真剣に祈り、万全の準備で臨むのだ。「さあ、戦おう!」と、皆が奮い立つように、満々たる生命力で励ますのだ。
 それが、一歩前進の力になる。
 新しい時代を開く勢いとなる。

ありのまま誠実に語ろう
 人前で話すのが苦手という人もいるだろう。でも、無理をして、言葉巧みに、うまく話そうとする必要はない。
 御書には「言《ことば》と云うは心の思いを響かして声を顕す」(563ページ)と仰せである。
 大事なことは、相手に伝えたい「心の思い」を、誠心誠意、響かせていくことだ。
 気取りなどいらない。ありのままでいい。自分らしく誠実に、広布への大情熱を語る。飾らず率直に、自らの体験を語るのだ。
 そして皆の心を軽くし、勇気を贈るのだ。
 「それなら、自分にもできる」と思えれば、一人一人が自信を持って力を発揮できる。

「納得」が行動を生む
 創立の父・牧口先生以来、学会は「皆が納得できる」対話で、団結を築いてきた。
 押しつけや無理強いでは、人は動かない。
 「そうだ! その通りだ!」という心の共鳴から、自発の行動が生まれる。
 リーダーは、皆がすっきりと戦えるよう、「分かりやすく」「明確に」、かつ「具体的に」対話を進めていただきたい。
 そのためには、題目を唱えて「以信代慧(信を以って慧に代う)」の智慧を出すことだ。皆の英知を引き出し、結集していくことだ。
 自発能動の連帯を、どれだけつくれるか──ここで決まる。広布の勝利の要諦がある。

第20回 今こそ人材の流れを (2012.11.21付 創価新報)

人の長所を見つける
 人材とは、見つけて、育てるものである。励まして、伸ばすものである。
 皆、尊い地涌の菩薩である。その人の長所を見つけ、褒めていくのだ。その人の持ち味を、広宣流布のために生かしてもらうのだ。
 リーダーは、自分の小さな尺度で人を評価してはならない。まして、好き嫌いなどの感情に左右されてはならない。自分と気の合う人間だけを大事にしていたら、本当に力ある人材は育たないからだ。
 牧口先生は、人材を育てることは「砂の中から金を探すようなもの」と言われていた。
 学会は、戦いの中で黄金の人材の流れを創ってきた。実戦こそ、最高の人材の育成だ。

副役職の友に光を
 副役職の友は、「異体同心」の要である。
 大事なのは、「何をなすべきか」との使命を明確にすることだ。副役職の友が具体的に責任を果たし、元気いっぱいに活躍してくれれば、組織はいくらでも伸びていく。
 後輩が正役職に就く場合もあろう。その時は、後輩である中心者を、大きな深い「信心」の心でしっかりと支えていただきたい。
 正と副が心を合わせて、「広宣流布の力を与えてください」と御本尊に祈っていくのだ。尊敬し合い、協力し合えば、勝利の歯車は力強く回転する。喜びも功徳も広がる。

指導は相手の側に立って
 日蓮大聖人は、青年・南条時光に「人がものを教えるというのは、車が重かったとしても油を塗ることによって回り、船を水に浮かべて行きやすくするように教えるのである」(御書1574ページ、通解)と語られた。
 リーダーは、この人には今、どう励まし、何をしてあげれば希望と勇気をもって前進できるのかと考え、手を打っていくのだ。
 一方的に指導しても、価値を生まない。耳を傾け、一緒に祈り、心を開き、心をつかむ。
 皆が最大に力を出し切っていけるように、誇りと大確信をもって朗らかに進めるように、心を砕いていくのが仏法の指導者である。

第21回 執念で勝ちまくれ
 (2012.12.5付 創価新報)

朝の祈りで勝つ
 朝が勝負である。昇りゆく旭日の勢いで、きょうをスタートするのだ。勤行・唱題は、生命を蘇らせる暁鐘である。忙しくなるほど、戦いが厳しくなるほど、朝に勝つのだ。朝の勝利から、青春の勝利の歴史を創ろう!
 あの大阪の戦いも、朝の祈りから出発した。だから不可能を可能にできた。永遠に輝く「勝利の金字塔」を打ち立てることができた。
 戦えば、三障四魔も競い起こる。毎日が真剣勝負である。だから、強盛に祈るのだ。
 「法華経の兵法」で、敵をも味方に変えていくのだ。

勢いを加速せよ
 いかなる戦いも「勢い」で決まる。その勢いを加速していく力が、リーダーの一念だ。
 第1に「勝利への執念の勢い」があるか。
 「断じて勝つ」という不屈の執念を漲らせるのだ。
 第2に「破邪顕正の正義の勢い」があるか。
 邪悪を許さぬ正義の炎を、わが生命に赤々と燃やすのだ。
 第3に「師子奮迅の師弟の勢い」があるか。
 師弟が心を合わせ、師子吼を轟かせて前進するのだ。
 第4に「常勝破竹の団結の勢い」があるか。
 異体同心の団結で、創価の底力を満天下に示しゆくのだ。

三変土田の大闘争を
 あらゆるものが変化、変化の連続である。
 その変化を、善の方向へ、幸福の方向へと変えていくのが私たちの信心である。
 ゆえに、人は必ず善く変わることができる。
 環境もまた、必ず善く変えることができる。
 法華経には“仏が国土を三度変じて浄土とした”と説かれる。広宣流布とは、この裟婆世界を仏国土に変えていく「三変土田の大闘争」である。ゆえに、今おかれた環境を嘆いてはならない。いよいよ闘志を燃やすのだ。
 仏国土を開く儀式は、二度、三度と繰り返されて成就した。
 祈りに祈り、粘り強く挑戦を重ねてこそ、わが地域の「三変土田」は成し遂げられることを忘れまい。

第22回 はずむ心で打って出よう! (2013.1.16付 創価新報)

一人また一人と善の連帯を
 さあ、「青年学会勝利の年」が開幕した。新たな自分自身の人間革命へ、はずむ心で打って出よう! 若人の熱と力で新時代を築くのだ。広宣流布のために共に戦おう!
 民衆の中へ。人と人との出会いの中へ──このたゆまぬ行動が仏法である。心と心を結んでこそ、社会は平和と幸福の方向に向かう。
 そのために、日頃から新しい出会いを心掛けていくことだ。どんどん人と会っていく。
 「会う」ことが自分の殻を破る、人間革命の挑戦だ。人間は人間の中で磨かれ鍛えられる。
 一人の真の友人ができれば、すごいことだ。その向こうには、何人もの友がいる。誠実に一人また一人と、「善の連帯」を広げるのだ。そこに実質的な広宣流布の拡大がある。

胸襟を開いて語り合う
 日蓮大聖人は、どんな人とも分け隔てなく胸襟を開かれ語られた。これが御本仏の御振る舞いである。究極の人間主義である。
 御聖訓には、「他人なれどもかたらひぬれば命にも替るぞかし」(御書1132ページ)とある。
 たとえ他人であっても、心を通わせて語り合えば、お互いが命にもかわる、かけがえのない存在になっていくのである。
 私も若き日に住んでいた青葉荘の皆さんとあいさつを交わし、交流を結んだ。仏法を語り、入会された方もいる。宝の同志である。
 ともあれ、青年らしく、人間らしく、垣根をつくらず、縁する人を大切にしていくのだ。

地域こそ広布の本舞台
 わが地域を大事にしていこう!
 地域こそ広宣流布の本舞台である。
 自分らしく、地域に尽くしていくことだ。地域貢献といっても、あいさつから始まる。焦らず着実に信頼を積み上げていくことだ。
 「ああ、この地域には、いい青年がいる」。そう思われるようになれば、勝ちである。
 自分自身を「人間革命」する。そして自分の地域を「広宣流布」する。これほど充実した青春はない。ここにこそ、何ものにも揺るがない幸福と勝利の基盤が築かれるのだ。

第23回 私の懐刀 創価班・牙城会 (2013.2.6付 創価新報)

世界の若人の先陣を切れ
 民衆の幸福のため、人類の未来のため、わが身をなげうって戦うリーダーを、どれだけ育成できるか。ここに、時代の焦点はある。
 どこまでも一人一人を大切にする。誰が見ていなくとも、陰の労苦を惜しまない。そうした人間主義の真髄の実践者こそ、私が最も信頼する創価班・牙城会の勇将たちである。
 尊き同志を守り、広布の宝城を厳護する、その一挙手一投足が、地域に社会に、安心と信頼と友情を広げる。冥の照覧は間違いない。
 君たちの成長こそが、学会の希望である。世界の若人の先陣を切る君たちの勝利こそ、私の人生の総仕上げの勝利である。

学会は実践の中で人間を錬磨
 わが生命の無限の仏の力を開き、自分自身を強くしていくための仏道修行である。
 信心しているからこそ、よりよい仕事を成し遂げていくことだ。そして、職場で信頼される“なくてはならない人”になるのだ。
 私は、青年の「行動」こそを信ずる。行動こそ、青年の証しであり、誉れといってよい。
 大切なのは、実践の中で訓練していくことだ。岩盤に爪を立てる思いで、壁を乗り越え、一つ一つ結果を出していく。その積み重ねの中で、人間が磨かれ、信心が鍛えられるのだ。

信心の確信は弘教にあり
 私は、若き日の蒲田の「二月闘争」を忘れない。戸田先生から願業達成への“懐刀”として命ぜられた、私の実質の初陣である。
 師匠への報恩の一念で、私は、一人でも多くの地涌の菩薩を呼び起こすのだと折伏に邁進した。祈っては語り、語っては祈った。その戦いが、金剛の自分自身をつくった。
 折伏は難事中の難事だ。折伏行に、勇気も智慧も、慈愛も根性も、一切が含まれている。相手がどうあれ、究極の正義を愉快に堂々と語っていくのだ。その功徳は無量無辺である。
 日蓮大聖人は、「力あらば一文一句なりともかた《談》らせ給うべし」(御書1361ページ)と厳命された。
 私の懐刀たる創価班・牙城会の君たちよ!
 「新時代の二月闘争」を勝ち開け!

第24回 「後継の道」を真っすぐに (2013.2.20付 創価新報)

誓いと戦いを受け継げ
 「後継」とは、単なる継承ではない。
 それは、「誓い」を受け継ぎ、「戦い」を受け継ぐことである。
 私は、恩師・戸田城聖先生の誓いと戦いを、すべて受け継ぎ、一人立ち上がった。
 どんな広宣流布の闘争でも、常に先陣を切った。大変なところや、皆が避けるところに、勇んで飛び込んで、勝利の実証を示してきた。ゆえに、何も恐れるものはない。後悔もない。
 青年部の諸君は、この誇り高き後継の道を、胸を張って晴れ晴れと進んでいただきたい。そして、「私は勝った! 我らは勝った!」と満天下に言い切れる青春を、勇敢に走り切っていただきたいのだ。

徹して一剣を磨き抜け
 眼前の課題に挑み、一剣を磨き抜くことだ。
 それぞれの道で、最高峰を目指すことだ。
 創価の君たちは、使命が大きいゆえに、苦労もまた大きいに違いない。しかし、「鉄《くろがね》は炎打てば剣《つるぎ》となる」(御書958ページ)と仰せである。今の持てる力を、思い切り出し切るのだ。
 その労苦の中でこそ、人間が磨かれ、信心の確信もつかんでいける。自分自身を宝剣の如く鍛え上げることができる。
 昨日の自分を超えよ。一歩前進するのだ。今日突破できなければ、明日また戦えばよい。
 波瀾万丈の激戦の中で、歯を食いしばって、勝利と栄光の土台を築き上げるのだ。

今こそ歴史を残せ
 師匠の一番の喜びは、弟子が勝利の証しを打ち立ててくれることだ。
 「従藍而青(青は藍より出でて、而も藍より青し)」である。弟子が自分以上に立派に育つことが、師の願いであり、祈りである。
 戸田先生は「大作は、私が言ったことは、すべて実現してきたな。冗談さえも本気になって実現してしまった」と喜んでくださった。
 青春の「今」が、勝負の時である。
 私は、愛する君たちの前進を見守っている。わが後継の友よ、悩みの嵐さえも、雄々しき喜びに変え、不滅の歴史を残してくれ給え!

第26回 人間革命の劇を綴れ (2013.3.20付 創価新報)

仏法は「幸福になる源泉」
 青春は、悩みとの連続闘争だ。
 前進しているからこそ、悩みがある。
 悩みがあるからこそ、成長できる。
 御義口伝には、「煩悩の薪を焼いて菩提の慧火《えか》現前するなり」(御書710ページ)と説かれる。
 すなわち、悩みを消し去るのではない。むしろ、悩みをエネルギーとして、「人間革命」の智慧の炎を明々と燃え上がらせていくのだ。その一切の原動力が、題目なのである。
 妙法は「生き抜く力」であり、「幸福になる源泉」である。「何があっても勝っていける力」である。ゆえに、御本尊に祈り切り、希望をもって勇敢に立ち向かっていくのだ。

青年は光り輝く存在に
 若き日、私は恩師の事業の苦境を打開するため、朝から夜中まで阿修羅の如く働いた。疲れ果ててアパートに戻り、靴も脱げずに、そのまま倒れ込んでしまったこともあった。
 しかし、戦い続けたからこそ、道が開けた。今の自分がある。健康にもなった。
 日蓮大聖人は、「賢者はよろこび愚者は退く」(同1091ページ)と仰せである。
 大目的に向かって喜び勇んで戦う青年の命は、光っている。忙しいかもしれない。苦労も絶えないだろう。だが、どんな悪戦苦闘の姿であろうとも、その魂は誇り高く輝いていくのだ。そこに、真の青春の勝利がある。

「社会で人々に尽くす使命」に生きよ
 我らは広宣流布のため、この世に出現した尊い地涌の菩薩である。現実の悪世の中で、生命尊厳の仏法を弘め、人々の幸福と平和に尽くすという、最も偉大な使命をもっている。
 使命とは「命」を「使う」と書く。大切な若き命を何に使うか。妙法を唱え、人のため、地域のため、社会のため、わが命を使う一日一日は、大宇宙のリズムと合致して、究極の正しい生命の軌道に入っていくのである。
 いかなる試練が襲いかかってきても、必ず変毒為薬して、自分自身が人間革命できる。そして「宿命」をも「使命」に転じて、多くの人々を励まし、リードしていけるのだ。

第27回 自分らしく輝け (2013.4.3付 創価新報)

今いる場所が使命の舞台
 春4月──就職や進学、転居など、新たな環境で出発する人も多いだろう。どうか希望に燃えて、健康第一で前進していただきたい。
 変化にとまどったり、期待と異なって落胆したり、人が羨ましく思えたりすることがあるかもしれない。しかし、若いのだから、どんな変化も、逆境も、成長の好機《チャンス》にできる。
 人は人だ。自分自身が光っていけばよい。ダイヤは、どこにあってもダイヤである。
 御義口伝には、「此を去って彼《かしこ》に行くには非ざるなり」(御書781ページ)仰せである。
 「今いる場所」こそ「使命の舞台」である。眼前の課題に、一つ一つ粘り強く取り組んでいけば、そこから必ず開けるのだ。

桜梅桃李で人生を勝ち飾れ
 時には、自信をなくしたり、自分が欠点だらけに思えてしまうこともあるだろう。
 しかし、戸田先生は、よく言われていた。
 「自分の性格を卑下する必要はない。また、無理に直そうとする必要もない。信心を貫いていけば、それはやがて美点に変わっていく。自信をもって、自分らしく生き抜いていきなさい」と。
 自分らしく! これが仏法の「桜梅桃李」の法理である。桜は桜、梅は梅……自らの命の限りに燃えて咲く花は、何と美しいことか。
 早く咲く人もいれば、ゆっくり咲く人もいる。君は君らしく咲け! 遠慮などいらない。

周囲に希望送る「太陽」に
 日蓮大聖人は、「太陽が東の空に昇ったならば、すべての星の光は跡形もなく消え去る」(同1393ページ、通解)と仰せである。
 妙法を持《たも》つ青年は、一人ももれなく「幸福の太陽」だ。朗々と題目を唱え、若々しい生命の光で、周囲を明るく照らしていくのだ。
 希望も喜びも、与えられるものではない。自分が創り出し、皆に広げていくものである。
 苦労している父母に、自分から親孝行する。悩んでいる友に、自分から励ましを送る──その率先の行動に、青春の価値創造があり、広宣流布の前進があることを忘れまい。

第28回 社会を変えゆく正義の大潮流を (2013.4.17付 創価新報)

立正安国の大精神で
 日蓮大聖人は、「立正安国論」をお認めになられた、やむにやまれぬ御心境を、「但偏に国の為 法の為 人の為にして身の為に之を申さず」(御書35㌻)と記されている。
 自分だけの幸福などない。ゆえに社会の安穏を願い、正しい哲学を広め、民衆一人一人の幸福を確立していくのだ。ここに立正安国の大精神があり、我らの活動の目的がある。
 わが恩師・戸田先生は、師子吼なされた。
 「民衆は、悩みに悩んでいる。学会は当然、立たなければならない」と。
 苦しんでいる人を放っておかない。励ましの声をかけ、手を差し伸べる──この勇気の祈りと行動が、無慈悲な社会を変えるのだ。

対話こそ平和への大道
 「立正安国論」には「屢《しばしば》談話を致さん」(同17㌻)と仰せである。じっくり語り合いましょうと呼びかけられ、対話が始まっている。
 一対一の対話こそ、地道なようで最も確かな平和への大道である。究極の正義である。
 だからこそ、臆さずに対話していくのだ。
 朗らかに自信満々と言い切っていくのだ。
 たとえ上手に話せなくとも、かまわない。
 自分の確信を真心こめて話していけば、相手の心に“友情の種”“信頼の種”が残る。その種は、必ず芽を出し、いっか花開く。
 大事なことは、勇気であり、誠実である。そして、あきらめず語り抜いていく忍耐だ。

共に悩み、共に行動を
 友から相談されて、どう答えたらよいのか分からないこともあるだろう。そんな時は、共に悩み、共に祈っていくのだ。話を聞くことで、友の心が軽くなる場合だってある。
 「自分としては、今はこう思う」と言うだけでもいい。理詰めでなくても、励ましの心は通ずる。また、信頼できる先輩のところに一緒に行ってもいい。その人を思う慈悲があれば、智慧はいくらでも出てくる。
 ともあれ、一人を大切に励ますことだ。そこから二人、三人、百人と、希望のスクラムは必ず広がる。これが、地涌の義である。

第29回 青年は信用が宝 誠実が力
               (2013.5.1付 創価新報)

約束を守り果たす
 信用のある人間が、勝ちである。青年は、何も持たなくとも、信用が財産である。
 戸田先生は言われた。「信用を得る根本は、約束を守ることである。できないことは断る。そのかわり、いったん引き受けた約束は、何を犠牲にしても絶対に守ることだ」と。
 私も恩師の教え通り、たとえ小さなことであっても、そこに約束があれば、一つ一つ、決して、おろそかにしなかった。
 ゆえに、信頼が芽生え、友情が世界中に花開き、平和の連帯が実を結んできたのだ。
 「世界広布」といっても、人間対人間の心の結合によって進んでいくことを、忘れまい。

相談する勇気を持とう
 「相談する勇気」を持とう。一人で悩みを抱えず、相談することが大事な場合がある。
 相談することは恥ずかしいことではない。むしろ、その「開かれた心」が強みになる。
 仕事も、信心も、自分一人の判断では、往々にして我見になり、縁に紛動されるからだ。
 恩師は「本当のことを話せる人、相談できる人、教えてもらう人を、一人でもいいからつくっておくことだ」と語られていた。それが何よりの支えになり、人間としての力になる。
 聞きたいことは何でも聞ける、率直に悩みや疑問を相談できる──この麗しく温かい家族の絆が、学会の誉れであり、伝統である。

最後は誠実な人が勝つ
 勇気と忍耐と誠実に勝る人間外交はない。
 勇気を持って人と会い、どこまでも誠実に粘り強く語る言葉が、相手の胸に響いていく。
 法華経は、「地涌の菩薩」の姿を「難問答に巧みにして 其の心に畏るる所無く 忍辱《にんにく》の心は決定《けつじょう》し 端正《たんしょう》にして威徳有り」と説く。
 地涌の君たちよ! 貴女《あなた》たちよ!
 わが生命には、この偉大なる「対話の力」が具わっている。うまく話せなくても、心配ない。全部、対話の名手になるための訓練だ。
 大胆に伸び伸びと人間外交の道を行こう!
 最後には、誠実な人が必ず勝つ。それを、自ら実証することが、広宣流布なのだ。

第30回 友を励まし 共々に前進!
               (2013.5.15付 創価新報)

相手の話を聞くことから
 対話で大切なのは、「よく聞く」ことだ。
 「聞くこと」は「学ぶこと」であり、それだけ世界が広がる。尊敬の心をもって、誠実に接していけば、対話は自然に弾む。
 心を通わしていくために対話はあるのだ。
 いにしえの哲人が言ったように、耳が二つあることは、話す二倍、聞くためである。
 聞いてもらうだけで、悩みが晴れる場合もある。話しているうちに答えが見えてくることもある。お互いに、新たな高みへと向上していけるのが、対話の不思議な力である。
 ゆえに、「熱心に聞くこと」それ自体が、大きな「励まし」になっていくのだ。

良い点を見つけてほめる
 広宣流布に尽くす人を、仏のごとく敬う。これが法華経の「最上第一の相伝」である。
 広布へ戦う人をほめれば、功徳が広がる。
 御書には「あまりに人が自分をほめる時は、『どんなふうにでもなろう』という心が出てくるものである。これは、『ほめる言葉』から起こるのである」(1359㌻通解)と説かれる。
 リーダーは、陰で地道に努力する人を見逃さない。たとえ小さな前進でも、鋭敏にとらえて賞讃する。希望と張り合いを贈るのだ。
 一人一人の持ち味を引き出し、生かし合う──このチームワークが、確かな波動を生む。

共に祈り、共に勝つ!
 悩める友がいれば、共に御書を拝し、共に御本尊に祈って、共に前ヘー歩踏み出すのだ。
 友の悩みに同苦し祈る行動は、自分の悩みをも乗り越える力になっていく。
 「励まし合う人生」は、共に栄え、共に勝利の道を開くことができる。
 日蓮大聖人は、植物の共生の姿を通して、「友の喜び友の歎き一つなり」(御書934㌻)とも教えてくださっている。
 大変であればあるほど、明るく朗らかに励まし合っていこう! 試練の時こそ、一緒に勇んで立ち向かっていく。そして、力を合わせて、一つ一つ勝ち越えていくのだ。そのための同志である。そのための信心である。
2013-05-15 : 勝利の人間学 :
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