第37回「SGIの日」記念提言

第37回「SGIの日」記念提言 「生命尊厳の絆 輝く世紀を」(下)


時代変革のビジョンを共有し地球的課題への挑戦を‼

 続いて、人々の生存・生活・尊厳に深刻な影響を及ぼすさまざまな脅威を克服するための具体策について言及したいと思います。
 その前に提起しておきたいのが、「平和の文化」の母と呼ばれたエリース・ボールディング博士が強調していた二つの観点です(以下、『「平和の文化」の輝く世紀へ!』、『池田大作全集第114巻』所収)
 一つは、人々が未来へのビジョンを共有した上で行動することの大切さであり、もう一つは、“200年の現在”という時間軸に立って生きていくことの大切さです。
 最初の点について、博士は次のようなエピソードを紹介してくれました。
 ──1960年代、軍縮の経済的側面について研究している学者の会議で、もし完全な軍縮が達成できたら世界はどうなるのかと、博士が尋ねた。すると返ってきたのは、「私たちにはわからない。私たちの仕事は、軍縮が可能であることを説くことにあると思う」といった、思いもよらない答えであった、と。
 その時の経験を踏まえて博士は、「ある運動が、具体的に、どのような結果をもたらすかを思い描くことができずして、どうしてその運動に心から献身できるでしょうか」と、疑問を呈していました。
 大事な問題提起だと思います。いくら平和や軍縮が必要であったとしても、運動の底流に具体的なビジョンが脈打っていなければ、厳しい現実の壁を打ち破る力を生み出すことは難しい。事態打開のために「心から献身」したいと願う人々を結集する紐帯になるものこそ、皆が心から納得して胸に抱くことのできる明確なビジョンであると博士は考えておられたのです。

“200年の現在”の時間軸と責任感
 もう一つの観点である“200年の現在”とは、今日を起点として過去100年と、未来への100年の範囲を、自分の人生の足場として捉えるものです。
 博士は、こう強調されていました。
 「人間は、現在のこの時点だけに生きる存在ではありません。もし自分をそういう存在だと考えるならば、今、起こっている事柄にたちまち打ちのめされてしまいます」
 しかし、“200年の現在”という、より大きな時間の中に存在すると考えれば、今年生まれた乳児から今年で100歳の誕生日を迎える高齢者にいたるまで、多くの人々の生きる時間に関わる可能性が大きく広がっていく。自分は、その「より大きな共同体」の一部を成す存在であるとの世界観をもって生きていくことが大切である、と。
 それは、脅威に苦しんできた人々に思いをはせると同時に、新しい世代が同じ悲劇に見舞われないよう、未来への道を切り開く責任感を促すものなのです。
 このボールディング博士の観点を踏まえつつ、私は「人道」「人権」「持続可能性」の三つの観点から、人類が共有すべきビジョンを提起したい。
 「どの場所で起こった悲劇も決して看過せず、連帯して脅威を乗り越えていく世界」
 「民衆のエンパワーメントを基盤に、地球上の全ての人々の尊厳と平和的に生きる権利の確保を第一とする世界」
 「過去の教訓を忘れず、人類史の負の遺産の克服に全力を注ぎ、これから生まれてくる世代にそのまま受け継がせない世界」
 私はこれまで30回にわたる提言を通じて、これらのビジョンを常に想起しながら具体的な提案を重ねてきました。どんなに複雑で困難な課題に取り組む上でも、ビジョンから逆算して考えるアプローチが、混迷深まる現実社会の袋小路から抜け出すための“アリアドネの糸”(道しるべ)となり、変革の波を巻き起こすための代替案の源となると信じるからです。
 そこで今回は、対応が遅れれば遅れるほど未来世代への負荷が大きくなる、「災害」「環境と開発」「核兵器の脅威」の三つの課題に焦点を当てて解決の方途を探ってみたい

災害に苦しむ人々を支え人権守る国際協力を強化

UNHCRの任務拡大し被災者支援

 まず災害に関して提案したいのは、被災者を支援する国際枠組みの整備です。
 現在、国連国際防災戦略を通じて、予防的な側面から災害による被害の拡大を防ぐためのさまざまな協力が進められています。
 しかし災害は、人智を超えたところで予期せぬ被害をもたらすもので、被災の苦しみにさいなまれている人々を実際にどう支えるかという点が同時に重要になります。この点を考慮して私が強く呼びかけたいのは、被災者への支援において緊急性に基づく人道的な対応に加えて、「被災者には“尊厳ある生活を営む権利”がある」との人権ベースに立ったアプローチを確立することです。
 そこで、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が、これまでケース・バイ・ケースで対応してきた「災害避難民への救援活動」を、正式な任務に盛り込むことを提案したい。
 これまでの歴史を通じてUNHCRは、本来の任務である難民保護に加えて、国内避難民や戦争被災民の救援、庇護希望者や無国籍者の保護といったように、援助の対象や活動の範囲を広げてきました。
 UNHCR規程では「国連総会の決定するその他の活動にも従事しなければならない」(第9条)とあり、数々の国連総会決議を経ることで法的根拠が与えられてきたのです。
 世界では毎年、約1億6000万人が被災し、10万人もの命が奪われる状況が生じており、災害の発生件数や被災者の数も、1970年代と比べて約3倍も増加しています。
 特に犠牲者の大半が途上国に集中しており、“災害と貧困との悪循環”が問題になっているのです。
 こうした中、UNHCRのアントニオ・グテーレス高等弁務官も、次のような認識を示しています。
 「2004年のインド洋津波や他の近年の災害から、被災者の人権への新たな脅威が発生していることが確認されたように、いかなる新しいアプローチも人権ベースでなければならないことは明らかである」
 この指摘通り、災害救援から復興の過程において、被災者の尊厳をいかに守るかが大きな焦点となってきています。
 ともすれば、被災者の健康状態や生活状況の悪化は、災害時にはある程度避けられないものと見なされがちですが、むしろ緊急時であればこそ、そうした一つ一つの権利の欠落が被災者にとっては命取りにもなりかねないのです。
 その改善のために、UNHCRが常に支援に関われる仕組みを確保した上で、他の国際組織と共に「人道主義」と「人権文化」に立脚した救援活動を展開し、人々の生命と尊厳を徹底して守る態勢を整えるべきだと思うのです。

人権教育に関する国連宣言が採択

 災害をはじめとする脅威や社会的弊害に苦しむ人々の尊厳を守る上でも「人権文化」の建設は喫緊の課題であり、先月の国連総会で「人権文化」を教育や研修を通じて育むための原則や達成目標を示した歴史的な宣言が採択されました。
 この「人権教育および研修に関する国連宣言」は、2007年の国連人権理事会で草案起草が決定して以来、検討作業が進められ、「人権教育学習NGO作業部会」をはじめ、さまざまなNGOが市民社会の声を反映させようとサポートを行ってきたものです。
 このNGO作業部会の議長を務めるSGIでは、現在、宣言の精神を踏まえて、人権教育アソシエイツ(HREA)や国連人権高等弁務官事務所と協力し、人権教育のためのDVDを制作しております。
 宣言に基づく取り組みが世界的に広がれば、災害が発生した国の政府や自治体が行う救援においても、人権ベースの活動の重要性に対する認識が深まっていくことが期待されます。
 「人権文化」の建設は21世紀の国際社会の中心課題であり、SGIとしても今後、市民社会の側からの取り組みをさらに強力に進めていきたいと思います。

防災から復興まで女性の役割を重視
 二つ目の提案は、防災から救援、復興にいたるまで災害に関する全てのプロセスで、女性の役割の重視を国際社会の取り組みとして徹底させることです。
 災害のような「突然襲いくる困窮の危険」に対処するには、一人一人の置かれた状況に向き合うのと同時に、人々が自らの力で事態を打開しようとする動きを支えることが重要です。
 その意識を社会に根づかせる上で欠かせないのは、女性の役割に光を当てることではないでしょうか。
 災害によって命を失うのは女性が男性より多く、大規模な災害ほど格差は大きくなるといいます。また、ひとたび災害が起こると、女性が生活上の不自由や過度な負担を強いられる状況が生じるだけでなく、人権や尊厳が脅かされる危険性が増すといわれます。
 しかしその一方で、女性が本来持っている「防災に貢献する力」や「復興に貢献する力」に、もっと着目して対策に反映させる必要があるとの認識も高まりをみせています。2005年の国連防災世界会議で採択された「兵庫行動枠組」では、「あらゆる災害リスク管理政策、計画、意思決定過程にジェンダーに基づいた考え方を取り入れることが必要」との項目が盛り込まれました。
 ただし残念なことに、実施状況を点検した昨年の報告書では進展が芳しくないことが指摘されています。この状況を変えるためにも、法的効力を持つ明確な原則として打ち出すことが重要ではないでしょうか。
 そこで私が想起するのが、平和と安全の維持および促進のあらゆる取り組みにおける女性の平等な参加と完全な関与の重要性を謳った、国連安全保障理事会による1325号決議=注4=です。
 2000年10月に採択されたこの決議は、国際社会に強力なメッセージを発信しました。10年余りを経てその履行には課題も残り、さらなる後押しが求められますが、さまざまな取り組みを各地で進めるにあたって常に念頭に置くべき指針として、決議の存在が顧みられるようになった意義は大きいと思います。
 当時、採択に尽力したアンワルル・チョウドリ元国連事務次長は、私との対談集でこう訴えていました。
 「女性が関わることによって、『平和の文化』はより強靱な根を張ることができる」
 「女性が取り残されるところに、本当の意味での“世界の平和”はないことを忘れてはいけない」(『新しき地球社会の創造へ』潮出版社)
 防災や復興という面においても、女性が担い、果たすことのできる役割は、同様の重みを持っているのではないでしょうか。
 こうした中、各地で平和維持活動に取り組んできた国連でも、2010年1月の大地震で深刻な被害が出た中米ハイチでの状況を踏まえて、1325号決議の対象範囲を自然災害にまで拡大させる必要があるとの見解を示しています。
 ゆえに私は、1325号決議が対象とする平和構築の概念を拡大させて防災や復興を含めた運用を図ること、もしくは、防災や復興における女性の役割に焦点を当てた新たな決議の採択の検討を呼びかけたい。
 そして、「兵庫行動枠組」を採択した時のホスト国であり、阪神・淡路大震災や東日本大震災を経験した日本が、その旗振り役を担うとともに、国内での環境整備を早急に進め、各国のモデルケースとなることを強く望むものです。
 2年前に創設された国連女性機関(UN Women)のミチェル・バチェレ事務局長は、こう語っています。
 「私は、女性たちは機会さえ与えられれば、過酷な状況にあっても自分たちの家族や社会のために多くのことを達成できることをこの目で見てきました。女性の強さ、勤勉さ、知恵はまさに人類最大の未開発資源といえます。この可能性を拓くのに、この先100年も待つわけには絶対いかないのです」(UN Women日本国内委員会事務局のホームページ)
 この言葉の通り、女性をいつまでも災害の最大の被害者のまま終わらせてはならない。紛争防止や平和構築の場合と同じく、女性が防災や復興においても事態を好転させる“最大の変革の主体者”として役割を発揮できる時代を今こそ築こうではありませんか。
 「平和の文化」に果たす女性の役割について意識啓発に取り組んできたSGIとしても、今後、災害に関する分野における女性の役割に焦点を当てた意識啓発を草の根レベルで広げていきたいと思います。

持続可能な未来に向けて人類共通の目標を設定

6月にブラジルで「リオ+20」の会議
 災害に続き、第2の柱として取り上げたいのが環境と開発をめぐる問題です。
 6月にブラジルで、国連持続可能な開発会議(リオ+20)が開催されます。
 1992年の地球サミットから20周年を迎える現在までの成果を再検討するもので、主要テーマは「持続可能な開発及び貧困根絶の文脈におけるグリーン経済」と、「持続可能な開発のための制度的枠組み」となっています。
 このうち前者のグリーン経済については、まだ定義が固まっていませんが、経済成長と環境保全の案分をめぐる調整的な概念として限定することはもとより、経済成長の新しいモデルづくりや雇用創出を図るための手段的な概念に狭めてはならないと訴えたい。
 国連環境計画が昨秋行った国際青年会議では、グリーン経済を「人々の幸福、社会的公正、環境保護を同等の重みをもってとらえる、真に持続可能な、唯一の一体的枠組」と位置付ける宣言を採択しました。
 世界の青年の代表たちによる未来への責任感に満ちた意欲的なビジョンとして私も強く共鳴します。
 そこで私は、国連のミレニアム開発目標=注5=に続く新たな取り組みとして、持続可能な未来を築くための共通目標の制定を強く呼びかけたい。
 先日、リオ+20に向けた最初の意見取りまとめの文書が発表され、そこでも「持続可能な開発目標」の必要性を提起する内容がありました。この機を逃さず、人類と地球が直面する課題を総合的に見据えた議論を深めていくことが求められます。
 これまで国際社会では、国連のミレニアム開発目標に基づいて、貧困や飢餓で苦しむ人々の削減などが目指されてきました。
 いわば、生まれた国や育った環境によって命の格差や尊厳の格差が生じている状態を、さまざまな角度から改善することを目指したもので、一定の成果を得てきましたが、目標期間が終了する2015年以降の新しい目標設定が必要との声が高まっています。
 ゆえに私は、貧困や格差がもたらす地球社会の歪みの改善を求めたミレニアム開発目標の精神を継承しつつ、どの国の人々も避けて通ることのできない「人間の安全保障」に関する諸問題への対応を視野に入れた、“21世紀の人類の共同作業”としての目標を掲げるべきだと訴えたい。そしてリオ+20で、新たな共通目標を検討する作業グループを設置し、対話プロセスを開始することを会議の合意事項に盛り込むべきだと考えるものです。
 その柱となる理念として、これまで論じてきた「人間の安全保障」に加えて、私が挙げたいのは「持続可能性」の理念です。
 では「持続可能性」の意味するところは何か──。私がこれまで論じてきた文脈に沿って表現するならば、それは「誰かの不幸の上に幸福を求めない」生き方であり、「故郷(地域)や地球が傷つけられたままで、次の世代に受け渡すことを良しとしない」精神であり、「現在の繁栄のために未来を踏み台にせず、子どもや孫たちのために最善の選択を重ねる」社会のあり方といえましょう。
 それは、何か義務感のような形で外から縛り付けるルールでもなく、重苦しさを伴った責任感のようなものでもない。むしろ、経済学者のジョン・ガルブレイス博士が私との対談集(『人間主義の大世紀を』潮出版社)で、21世紀の目指すべき姿として提起していた「人々が『この世界で生きていくのが楽しい』と言える時代」を築くために、皆で持ち寄り、分かち合う心ともいうべきものです。
 私がかつて、国連のミレニアム開発目標について、「目標の達成はもとより、悲劇に苦しむ一人一人が笑顔を取り戻すことを最優先の課題とすることを忘れてはなりません」と注意を促したのも、博士と同じような思いからでした。
 そのために必要となる倫理は、何もゼロから新しくつくりあげる必要はないでしょう。なぜなら、北米の先住民であるイロコイの人々が「すべての物事は、現代の世代だけでなく、地面の下からまだ顔を見せていないこれから生まれてくる世代にまで思いをはせて考えなければならない」との教えを伝承してきたように、さまざまな伝統文化や宗教に息づいていた生活実感──現代人の多くが見失ってきた精神の中に素地があるからです。
 仏典にも、「目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ」(中村元訳『ブッダのことば』岩波書店)との教えがあります。
 新たな目標の基盤となる倫理を規定する上では、外在的なルールとしてではなく、こうした生命観に根ざした“誓い”としての性格を、教育や意識啓発を通じて帯びさせることを目指す必要があるでしょう。
 具体的には、貧困や格差の問題をはじめ、災害のような突然襲いかかる脅威を真摯に考慮すると同時に、生態系の破壊を食い止め、生物の多様性を保護するための課題を掘り下げ、考察していく。そして議論を重ねる中で、地球上の人々の生存・生活・尊厳を未来にわたって守り抜くためには、どんな生き方が求められ、いかなる社会を築いていくべきなのかを、世界の英知を結集して探求すべきだと思うのです。

原発に依存しない社会へ 日本は早急に政策検討を

放射能汚染による現在進行形の脅威
 今年は、国連の定める「すべての人のための持続可能エネルギーの国際年」にあたりますが、世界のエネルギー問題を考える上でも「持続可能性」を重視することが欠かせません。
 これに関して触れておきたいのは、原子力発電の今後のあり方についてです。
 福島での原発事故は、アメリカのスリーマイル島での事故(1979年)や、旧ソ連のチェルノブイリでの事故(86年)に続いて、深刻な被害をもたらす事故となりました。
 今なお完全な収束への見通しは遠く、放射能によって汚染された土壌や廃棄物をどう除去し貯蔵するかという課題も不透明なままとなっており、“現在進行形の脅威”として多くの人々を苦しめています。
 事故のあった原発から核燃料や放射性物質を取り除き、施設を解体するまで最長で40年かかると試算されているほか、周辺地域や汚染の度合いが強かった地域の環境をどう回復させていくのかといった課題や、放射能が人体に及ぼす晩発性の影響を含めて、将来世代にまで取り返しのつかない負荷を及ぼすことが懸念されています。
 私は30年ほど前から、原発で深刻な事故が起こればどれだけ甚大な被害を及ぼすか計り知れないだけでなく、仮に事故が生じなくても放射性廃棄物の最終処分という一点において、何百年や何千年以上にもわたる負の遺産を積み残していくことの問題性について警鐘を鳴らしてきました。
 この最終処分問題については、いまだ根本的な解決方法がないことを決して忘れてはなりません。
 また、国連の潘基文事務総長が、原子力事故には国境はなく、「人の健康と環境に直接の脅威」となると述べた上で、「国境を越えた影響が及ぶことから、グローバルな議論も必要」(国連広報センターのホームページ)と指摘しているように、もはや自国のエネルギー政策の範疇だけにとどめて議論を進めて済むものではなくなってきています。
 日本は、地球全体の地震の約1割が発生する地帯にあり、津波による被害に何度も見舞われてきた歴史を顧みた上でなお、深刻な原発事故が再び起こらないと楽観視することは果たしてできるでしょうか。
 日本のとるべき道として、原子力発電に依存しないエネルギー政策への転換を早急に検討していくべきです。
 そして、再生可能エネルギーの導入に先駆的に取り組んでいる国々と協力し、コストを大幅に下げるための共同開発などを積極的に進め、エネルギー問題に苦しむ途上国でも導入しやすくなるような技術革新を果たすことを、日本の使命とすべきではないか。
 また、その転換を進めるにあたっては、社会や経済に与える影響を考慮し、これまで原発による電力供給を支えてきた地域に、他の産業基盤の育成を含めたさまざまな手立てを講じていくことなども必要になると思います。

IAEAを中心に取り組むべき課題
 国際社会の課題としても原発にはさまざまな課題があり、各国が協力して対応を図ることが急務となっています。
 国連の潘事務総長は、チェルノブイリの原発事故から25年を迎えた昨年4月に現地を訪れた直後の寄稿で、「今後、原子力の安全問題には、核兵器に対するのと同じ真剣さをもって取り組まねばならない」(「インターナショナル・ヘラルド・トリビューン」フランス版、昨年4月26日付)と、国際社会に注意を促しました。
 核兵器の使用はもとより、その開発や実験に伴う放射能汚染も、原発事故が引き起こす汚染も、被害を受ける人間の身においては変わるものではなく、もうこれ以上、事故が繰り返されてはならないのです。
 1954年にソ連で世界初の原発が稼働してから半世紀以上が経ち、寿命を迎える原子炉が多くなってくる一方で、世界の原発の稼働数に比例するように、放射性廃棄物の量も増加の一途をたどっています。
 これまで、国際原子力機関(IAEA)を通して、原子力の平和利用について研究開発や実用化、科学・技術情報の交換をはじめ、軍事的利用への転用防止などの面を中心に整備が進められてきました。
 しかし、原発の稼働から半世紀以上を経た現在の世界を取り巻く状況、そして福島での事故の教訓を踏まえて、従来の任務に加え、原子力の平和利用の“出口”を見据えた国際協力の整備を進めることが必要となってきているのではないでしょうか。
 私は、国際原子力機関を中心に早急に取り組むべき課題として、設立以来進められてきた「放射性廃棄物の管理における国際協力」のさらなる強化とともに、「事故発生に伴う緊急時対応の制度拡充」や「原子炉を廃炉する際の国際協力」について検討を進め、十分な対策を講じることを呼びかけたいと思います。

「原水爆禁止宣言」発表から55周年
核兵器禁止条約の締結を

軍事的必要性の論理を打ち破る

 次に最後の柱として、核兵器の禁止と廃絶に向けての提案を行いたい。
 昨年3月に起きた福島での原発事故は、ある面で、1950年代以降に核保有国が各地で繰り返し行った核実験による放射能汚染を想起させるものでした。
 今年で発表55周年を迎える戸田第2代会長の「原水爆禁止宣言」は、まさしくそうした核開発競争が激化した当時の時代情勢を踏まえて打ち出された宣言だったのです。
 戸田会長はその中で、「核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今、世界に起こっているが、私はその奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う」(『戸田城聖全集第4巻』)と述べ、核実験の禁止はもとより、多くの民衆の犠牲の上で成り立つ安全保障から完全に脱却しない限り、問題の本質的な解決はありえないと訴えました。
 以前から戸田会長は、どの国もどの民族も戦争の犠牲となることがあってはならないと「地球民族主義」を提唱し、民衆の連帯で戦争の根絶を目指すことを呼びかけていました。
 そして逝去の前年(57年9月)に、その前途に立ちはだかる“一凶”として核兵器に焦点を定め、「原水爆禁止宣言」を通じて、核兵器の禁止と廃絶を目指す運動を若い世代が受け継ぎ、行動の先頭に立つことを念願したのです。
 宣言が発表される3年前に起こった、アメリカの水爆実験によるビキニ環礁事件=注6=に象徴されるように、核兵器は攻撃に用いられなくても、開発の段階で人々や生態系に深刻な被害を及ぼすものでした。
 また実験をとりやめても、抑止の手段として核兵器を保有すること自体が、“多数の民衆や地球の生態系を犠牲にすることも厭わない”との非道な思想に安全保障を立脚させていることの表明に他なりません。
 つまり、そこには「軍事的必要性」の一点で全てを正当化しようとする思考がある。その究極の現れが、核兵器といってよい。
 仏法では、戦争などを引き起こす貪・瞋・癡の煩悩の根にあるものを「元品の無明」といい、他者への蔑視や憎悪、生命への軽視もそこから生じると洞察します。この生命軽視の根本的な衝動を打破することなくして、たとえ核兵器が使用されなくても、民衆の犠牲を厭わぬ悲惨な戦争が繰り返される土壌がいつまでも残るに違いありません。
 ここに、核兵器を“必要悪”として容認するのではなく、“絶対悪”として禁止し、廃絶する以外にないと訴えた「原水爆禁止宣言」を貫く最大の問題提起があったのです。
 実際、「軍事的必要性」の観点は、核兵器の使用と威嚇の違法性について問われた96年の国際司法裁判所の勧告的意見でも、突き崩されることのなかった大きな壁でした。
 つまり、国際人道法に一般的に違反するとしながらも、「国家の存立そのものが危険にさらされている自衛の極端な状況」においては違法にあたるかどうか確定的な決定を下すことができない、との見解が示されていたのです。

政策転換を求めるさまざまな動き
 しかし、この法的な隙間をふさぎ、核兵器の非合法化の地平を開く合意を含んだ文書が、2010年の核拡散防止条約(NPT)の再検討会議において全会一致で採択されました。
 「核兵器のいかなる使用も壊滅的な人道的結果をもたらすことに深い懸念を表明し、すべての加盟国がいかなる時も、国際人道法を含め、適用可能な国際法を遵守する必要性を再確認する」(梅林宏道監修『イアブック「核軍縮・平和2011」』ピースデポ)として、“どの国”でも、“どのような場合”でも、国際法を遵守しなければならないとの合意がなされたのです。
 私は3年前に発表した核廃絶提言で、2015年までに達成すべき目標の一つとして、核兵器の非合法化を求める世界の民衆の意思を結集し、「核兵器禁止条約(NWC)」の基礎となる国際規範を確立することを呼びかけました。
 NPT再検討会議での合意はその突破口となるもので、明確な条約の形へと昇華させる挑戦を今こそ開始しなければなりません。
 一般に、新しい国際規範は、次の3段階を経て確立するといわれます。
 ①既存の規範の限界が浮き彫りになり、新しい規範の必要性が主張される。
 ②その受容をはたらきかける中で同調の動きがみられ、勢いが加速するとカスケード現象(賛同国の雪崩的な拡大)が起こる。
 ③国際社会で広範に受容され、条約などの形で正式に制度化される。
 この図式に照らせば、現在の段階は②の前半にあたり、カスケード現象が起こる手前に位置しているといえましょう。
 私がなぜ、そう捉えるのか。それは、次のような世界の動きに基づきます。
 一、市民社会のイニシアチブ(主導)で1997年にNWCのモデル案が作成され、2007年に改訂版が出されるなど、核兵器の禁止から廃絶にいたるまでに必要となる法的措置の検討が進んでいること。
 一、96年以降、マレーシアなどを中心にNWCの交渉開始を求める決議が国連総会に毎年提出される中、昨年には、中国、インド、パキスタン、北朝鮮、イランを含む130カ国が賛成するまで支持が広がっていること。
 一、国連の潘基文事務総長が、“NWCあるいは相互に補強し合う別々の条約の枠組みによる核軍縮の推進”を提唱する中、2010年のNPT再検討会議において全会一致で同提唱への留意が示されたこと。
 一、159カ国が加盟する「列国議会同盟」が、潘事務総長の提案に、ロシア、イギリス、フランス、中国を含む全会一致で支持を表明し、5100以上の都市が加盟する「平和市長会議」がNWCの交渉開始を求めているほか、各国の首相・大統領経験者による「インターアクション・カウンシル(OBサミット)」もNWCの締結を呼びかけたこと。
 一、2009年の国連安全保障理事会の首脳会合で「核兵器のない世界」に向けた条件を構築することを誓約する1887号決議が採択されたこと。そして、昨今の経済危機に伴う財政悪化で核保有国の間でも軍事支出の見直しが叫ばれ、核兵器に関する予算にも、その議論が及ぶようになってきていること。

青年の情熱と信念を柱にグローバルな意思を結集

生命に対する権利への重大な侵害
 以上、それぞれの動きは単独で局面を打開するほどの力には達しないかもしれませんが、「核兵器のない世界」を求める声は、一歩また一歩と、押し戻せないところまで着実に前進してきたのであります。
 これまで市民社会の主導で条約のモデル案がつくられ、交渉を求める活動や署名がさまざまな形で行われてきたように、まさにNWCの規範の源泉となる精神は、民衆の中で脈打ってきたものに他なりません。
 ゆえに、「核兵器による悲劇は二度と繰り返されてはならない」「人類と核兵器は共存できない」といった、すでに民衆の間に存在し息づいている規範意識をベースに、条約という形をもって具体的な輪郭を帯びさせ、人類の共通規範として明確に打ち立てる作業こそが、今まさに求められているのです。
 大切なのは、NWCの実現に向けてカスケード現象を巻き起こすための、あともう一押しの力を結集していくことです。
 私はそのために、従来の国際人道法の精神に加えて、「人権」と「持続可能性」を、グローバルな民衆の意思を結集するための旗印に掲げ、青年たちを先頭に「核兵器のない世界」を求める声を力強く糾合することを呼びかけたい。
 なぜなら、「人権」と「持続可能性」の観点に立てば、核兵器使用の事態が生じるか否かにかかわらず、核兵器が存在し続け、核兵器に基づく安全保障政策が維持されることで、同じ地球で暮らす多くの人々や将来世代にもたらされる被害と負荷の問題が浮き彫りになり、関心を高めることができるからです。
 世界における人権保障の柱となっている条約の一つに「市民的及び政治的権利に関する国際規約」があります。1984年に、その実施を監視する規約人権委員会で、次のような一般的意見が表明されたことがありました。
 「核兵器の設計、実験、製造、保有および配備が、生命に対する権利にとって、こんにちの人類の直面する最大の脅威の中に入ることは明白である」
 「その存在自体と脅威の重大さにより、国家間に猜疑心と恐怖の雰囲気が醸成されるのであり、このこと自体が、国連憲章および国際人権規約に基づく人権と基本的自由に対する普遍的な尊重と遵守の促進に対して敵対するものなのである」(浦田賢治編著『核不拡散から核廃絶へ』憲法学舎/日本評論社)
 つまり、核兵器が存在する限り、相手を強大な軍事力で威嚇しようとする衝動が生き続け、それが多くの国々に不安や恐怖をもたらすということです。
 事実、その威嚇の悪循環が、どれだけの核兵器の拡散を招き、どれだけの軍備拡張をもたらし、世界をどれだけ不安定にさせてきたか計り知れません。
 脅威が不安を呼び、その不安が軍拡を招き、脅威がさらに増す──まさに負のスパイラル(連鎖)しか生まない核兵器や軍備拡張のために使われてきた膨大な予算や資源が、人々の生存・生活・尊厳を守るために使われるようになれば、どれほど世界で貧困の克服や教育の拡充が進んだかわからないのです。
 戦争と核兵器の廃絶を訴えた「ラッセル=アインシュタイン宣言」の起草者である哲学者のラッセルが、「私たちの世界は異様な安全保障の概念と歪んだモラルを生み出してしまった。兵器を財宝のように保護する一方で、子どもたちを戦火の危険にさらしている」と指弾した転倒が、いまだ世界で横行しています。
 こうした非道で冷酷というほかない状況を打破することの必要性は、私が2年前の提言で、国連憲章第26条の精神を具現化していく「人道的活動としての軍縮」を呼びかけた際に強調した点でもありました。
 加えて赤十字国際委員会のヤコブ・ケレンベルガー総裁が「破壊力、それがもたらす筆舌に尽くしがたい被害、その効果が時間的、空間的に制御不可能であり拡大してゆくこと、環境、将来の世代、そして人類の生存そのものへの脅威となること。それが核兵器の特質」(前掲『イアブック「核軍縮・平和2011」』)と述べ、非人道性と並んで持続可能性の面からも警告し、国際赤十字・赤新月運動の昨年の代表者会議でも核兵器の廃絶を求める決議を行ったことを、核保有国は真剣に受け止めるべきでしょう。
 世界には今なお2万発以上もの核兵器が存在していますが、地球上の全ての人々とその子孫に危害を及ぼし、地球上の生態系を破壊してなお何十倍、何百倍も余りある兵器を保有し続けてまで守ろうとするものは一体何なのか──。仮に自国民の一部が生き残ったとして、そこに“未来”という文字がないことは明らかではないでしょうか。

有志国とNGOで行動グループを!

 このように国際人道法の精神に加えて、「人権」や「持続可能性」という、同じ地球で暮らす以上は無関係では済まされない観点から問題提起することは、「核兵器のない世界」を目指す運動の裾野を大きく広げることになる。特に保有国や、その“核の傘”に依存してきた国の人々に対し、従来の政策を今後も続けることは「人権」と「持続可能性」に対する重大な侵害であるとの意識転換を促すことにつながることが期待されましょう。
 そのことを踏まえ、私がNWCを実現するための一つの方途として提案したいのは、基本条約と議定書をセットにする形で核兵器の禁止と廃絶を追求するアプローチです。
 つまり、「『核兵器のない世界』の建設は人類共同の事業であり、国際人道法と人権と持続可能性の精神に照らして、その建設に逆行する行為や、理念を損なう行為をしない」との合意を基本条約の柱とし、製造と開発の禁止や、使用と威嚇の禁止などの徹底、廃棄と検証に関する取り決めについては、それぞれの議定書の締結を通して段階的に進めていく方式です。
 その眼目は、全ての国が安心と安全を確保できるような“人類共同の事業”としての枠組みを打ち立てることにあります。
 こうした位置付けをすることで、条約を、各国が現在の立場の違いを超えて、「核兵器のない世界」という共通目標に向かって共に前進するための足場としていくことができるのではないか。また、条約に加盟した国々が共通目標に鑑みて、脅威を角突き合わせるのではなく、互いに脅威をなくしていこうとする道が開けましょう。
 そうした“脅威から安心への構造転換”を基本設計とする条約が成立すれば、次の段階となる議定書の発効が多少遅れたとしても、現在のような先行き不透明で脅威が野放図に拡散していく世界ではなく、明確な全体像に基づいた国際法によるモラトリアム(自発的停止)の状態が形成されていくのではないか。
 そのための準備を早急に開始することが必要であり、今年か来年のうちに、有志国とNGOが中心となって「核兵器禁止条約のための行動グループ」(仮称)を発足させることを呼びかけたい。SGIとしても、積極的に関わっていきたいと思います。
 そして、基本条約の原案や議定書の構造設計の検討を進める一方、青年たちの情熱と信念の力をエネルギーの源としながら国際世論を喚起し、グローバルな民衆の連帯を強め、賛同国の拡大の後押しをする中で、2015年までに核兵器の禁止と廃絶に向けた基本条約の調印、もしくは最終草案の発表を広島・長崎で行うことを提案したい。

各国首脳は広島・長崎を訪問し脅威が対峙する世界から脱却へ

被爆地に立って胸に刻まれるもの
 私は以前から、原爆投下から70年にあたる2015年に、各国の首脳や市民社会の代表が参加して、核時代に終止符を打つ意義を込めた「核廃絶サミット」を広島と長崎で行うことを提案してきました。
 また、その一つの方式として、NPT再検討会議の広島・長崎での開催も呼びかけてきました。
 NPT再検討会議は通常、ニューヨークやジュネーブで開催されてきただけに他の場所での開催は困難が伴うと思いますが、「核廃絶サミット」にせよ、NPT再検討会議にせよ、私が被爆地での開催を念願してきたのは、各国首脳をはじめとする会議の参加者が訪問を通じて「核兵器のない世界」への誓いを新たにすることが、核問題解決の取り組みを“不可逆で揺るぎないもの”にしていくと信じるからです。
 ここ数年、「核兵器のない世界」に向けた提言を、ヘンリー・キッシンジャー博士らとともに続けてきたウィリアム・ペリー元米国防長官は、広島の原爆ドームや平和記念資料館をつぶさに見て回った感想を、こう綴っております。
 「目の前に広がる被爆地の地獄絵図を見て、私の心は締めつけられた。もちろん、それまでにも核兵器の恐ろしさは十分理解していたつもりではいた。だが、それが実際にもたらした悲惨な現実を眼前に突きつけられ、私は改めて核爆弾が持つ強大なパワーを実感し、かつそれがとんでもない悲劇を引き起こすのだということを強く感じた。同時にこうした兵器が二度と地球上で使われるべきではないという思いを強く胸に焼きつけた」(春原剛訳『核なき世界を求めて』日本経済新聞出版社)
 もちろん、人それぞれに感想は違ってくると思います。しかし、それが何であろうと心に刻まれるものは必ずあるはずです。
 いずれにしても核兵器の拡散が進み、脅威が現実のものになりかねない状況を一刻も早く打開するには、同じ地球に暮らすより多くの人々が、自分たちの生命や尊厳、そして子どもや孫たちといった未来の世代に深く関わる問題として受け止め、声を強めていく以外に道はありません。
 SGIは、戸田第2代会長の「原水爆禁止宣言」の発表50周年にあたる2007年から「核兵器廃絶への民衆行動の10年」の運動を立ち上げ、民衆の声の結集に努めてきました。
 これまで世界220都市以上で開催してきた「核兵器廃絶への挑戦」展はその一環で、多くの市民の来場を得てきました。
 そのほか、核戦争防止国際医師会議が進める「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」に協力し、NWCの実現を求める民衆の輪を広げるとともに、国際通信社IPSと共同で核兵器に関する記事や論考を発信するプロジェクトを通じて「核兵器のない世界」に向けた課題や現実変革のための代替案を探る取り組みを続けてきました。
 「いやしくも私の弟子であるならば、私のきょうの声明を継いで、全世界にこの意味を浸透させてもらいたい」(前掲『戸田城聖全集第4巻』)との、55年前の師の遺訓は、今も耳朶を離れることがありません。
 SGIの青年たちとともに、師との誓いを果たし、「核兵器のない世界」への道を民衆自身の手で切り開くべく、志を同じくする団体や人々と手を取り合いながら、人類未到の挑戦を何としても成し遂げたいと決意するものです。
 また、私が創立した戸田記念国際平和研究所でも、「核兵器のない世界」を地域的な面から確保しようとする国際的な動きを支援するために、「非核兵器地帯の拡大」に焦点を当てた研究プロジェクトを今年から開始していきたいと考えております。

平和と人道の滔々たる流れを
世代から世代へ更に力強く‼


具体的提案と行動が人類守る屋根に
 以上、災害や環境と開発の問題に加えて、核兵器の問題について、それぞれ具体的提案を行いました。
 いずれの問題も容易ならざる困難を伴うものですが、無限の可能性を秘めている民衆一人一人の力を結集することで、解決への道は必ず開くことができると確信しています。
 今から60年前に「地球民族主義」を提唱し、55年前に「原水爆禁止宣言」を発表した師の戸田第2代会長の信念は、“常に100年先、200年先を見据えて行動せよ”でした。
 そして戸田会長が、不二の弟子である私に未来を託して師子吼された言葉は、生涯の誓いとなり、行動の原点となりました。
 「人類の平和のためには、“具体的”な提案をし、その実現に向けて自ら先頭に立って“行動”することが大切である」「たとえ、すぐには実現できなくとも、やがてそれが“火種”となり、平和の炎が広がっていく。空理空論はどこまでも虚しいが、具体的な提案は、実現への“柱”となり、人類を守る“屋根”ともなっていく」と。
 これまで30年間にわたって続けてきたこの提言は、師との誓いを果たす実践に他なりません。
 こうして地球的問題群の解決のための提案を重ねる一方、問題解決の最大の原動力となるグローバルな民衆の連帯を広げるために、192カ国・地域のSGIの同志とともに、来る日も来る日も、勇気と希望を人々の心にともす対話に取り組んできたのです。
 平和への戦いも、人権や人道のための戦いも、何か一つの山を乗り越えれば、終わりが見えてくるようなものでは決してない。
 一つの世代から新しい次の世代へ、誰にも断ち切ることのできない滔々たる流れをつくり、その流れを強く、また太くしていく挑戦の中で、地球の未来は盤石なものになると、私どもは確信し、ともに行動を積み重ねてきました。
 今後もその信念を燃やして、「民衆の民衆による民衆のためのエンパワーメント」を力強く推し進め、平和と共生の地球社会に向けた土壌を耕していきたいと決意するものです。

語句の解説
注4 1325号決議
 国連安全保障理事会が2000年10月に採択した画期的な決議。紛争の防止や解決、平和構築における女性の重要な役割を再確認した上で、武力紛争下のあらゆる形態の暴力から女性を保護する特別な方策をとることや、女性や少女への暴力を含む戦争犯罪の責任者を訴追することなどを求める内容となっている。

注5 ミレニアム開発目標
 2000年9月に採択された国連ミレニアム宣言等をもとにまとめられた国際目標。2015年を目標期限とし、極度の貧困や飢餓に苦しむ人々の半減をはじめ、初等教育の完全普及、乳幼児死亡率の削減、妊産婦の健康改善など、8分野21項目にわたる目標の達成が目指されている。

注6 ビキニ環礁事件
 1954年3月、太平洋中西部にあるビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験によって、近海で操業中だった日本の漁船「第五福竜丸」の乗組員が被ばくした事件。ビキニ環礁では46年から58年まで、アメリカによる核実験が繰り返し行われ、マーシャル諸島の周辺住民たちは長年にわたって放射能汚染による被害に苦しんできた。
2012-01-28 : 提言 :
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