魂の人間讃歌  ジャズと人生と仏法を語る 第12回

魂の人間讃歌  ジャズと人生と仏法を語る

第12回 家庭から平和のハーモニーを(2011.8.19/20付 聖教新聞)

親子は一体! 共に理想へ 共に幸福に

父母から学んだこと──
ショーター氏
「皆と仲良く」「広い心を持て」
ハンコック氏
子供の決断を尊重して応援

ハンコック 早いもので、この「芸術」と「人生」と「信仰」をめぐる鼎談の連載が始まって、1年となります。この語らいは、音楽家として、人間として、信仰者としての自分の人生を、より深く掘り下げて考える契機となりました。
ショーター 同感です。私にとっても、この鼎談は、人生を変えるような、自分自身との真剣な討議です。実際、この語らいをさせていただくまで、10代のころの自分を振り返り、現在、成長している自分と比較する機会もありませんでした(笑い)。
 わが家には、若き池田先生の肖像画を飾らせていただいています。ハービーは見たかな? 19歳の池田先生が、戸田先生のもとで誓願を立てられた当時の英姿です。若き先生の顔には、決意と献身、そして慈愛が漲っています。
 一方で、同じ年代の自分の顔は、どのように見えていたでしょうか(笑い)。それは、ちょうど、私がニューヨーク大学に進学したころです。
 その時の私は、仰ぎ見る深遠な智慧を持ち合わせた師など、いないと思っていました。池田先生の存在を知りませんでしたからね。
池田 若きショーターさんが苦闘と思索を重ね、どれだけ真剣に新たな創造の道を開いてこられたか、よく存じ上げています。
 私自身、8月の夏の盛りに、19歳で戸田先生に初めてお会いした日の感動は、今も忘れません。
 昭和22年(1947年)の8月14日──あの日の先生のまなざしは、いつも、私を見守ってくださっています。一人の農しい無名の青年を信じ、最も崇高な使命の旗を託してくださった師恩にお応えし抜いていくことが、私の人生です。
ショーター 当時、池田先生は、哲学を学ばれ、世界を平和的、人道的に、よりよく変えていくために何ができるかについて探究されていました。
 その池田先生と戸田先生との出会いがあって、今のSGIがあり、私たちもあるのです。
ハンコック 本当にそうですね。私たちは、人生の師匠・池田先生と出会い、妙法を受持したことで、人間としての正しき道を歩み始めることができました。感謝は尽きません。
池田 あの日の出会いから、私は誓願の人生を進むことになりました。今、同じように、新しい時代を担う青年たちが、日本中、世界中で陸続と立ち上がってくれています。それが何より嬉しく、頼もしいのです。
ショーター 池田先生が戸田先生と出会ったころ、私はといえば、どう学校から抜け出すかと考えていました(笑い)。チャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーの音楽を聴いたのは、そんな時でした。
 バード(チャーリー・パーカーの愛称)には「音楽は、自分自身の体験、思想、そして英知だ」(ウォイデック著『チャーリー・パーカー──モダン・ジャズを創った男』岸本礼美訳、水声社)との言葉があります。今、青年時代を振り返り、あの時に聴いた音楽の魅力と価値創造とが密接に結びついていたことが分かります。今になって、明確に、あの音楽の中に価値があったことが分かるのです。
池田 自分は青春の理想を貫いてきた──来し方を振り返って、そう言い切れる人生は素晴らしい。
 また、妙法は「活《かつ》の法門」です。どんな経験でも、自他共の幸福の価値創造のために活かしていけます。
 たとえ、失敗続きの辛く苦しかった逆境も、あの日があって今の自分があると思えるようになるのです。
 お2人の人生の起点には、その才能を温かく育まれたご両親の愛情がありました。
 日本では、この夏、未来部のメンバーが主役となって、家族が一緒に集い合う創価ファミリー大会が活発に行われています。今回は、お2人のご両親の思い出を、あらためて語っていただければと思います。
ショーター ありがとうございます。私は両親から、多くのことを学びました。特に、「皆と仲良く生きること」「広い心を持つこと」を教わりました。
 私の記憶では、母は、人の出自などを気にかけたことがありません。社会的立場や人種、宗教で、人をえこひいきすることは決してなかったのです。私たち子どもにも、偏狭な考えや先入観を持たせるような躾はしませんでした。ですから、私は母が、誰かのことを悪く言うのを聞いたことがありません。誰かが人を傷つけるような言動をすれば、母は、ただちに断固として反対しました。そして常々、私たちに、「他人の悪口には耳を作さないことよ」と教えていました。
池田 いいお話です。それは、人間教育の真髄ですね。
 御聖訓には、「わざわい(禍)は口より出でて身をやぶる・さいわい(福)は心よりいでて我をかざる」(御書1492㌻)とあります。
 お母様は、人間として最も大切な心の宝を教えてくれました。お母様の「分け隔てしない心」「人を尊敬し大切にする心」は、皆の心を大きく温かく包みゆくショーターさんの音楽の中にも生き続けていますね。
 母は偉大です。日々の暮らしのなかで、母が発する励ましの声は、ジャズの即興演奏のように自在であり、明るく心豊かに、家族を勝利させずにはおかないという知恵と力に満ちあふれています。
 時に耳が痛くなるような厳しい叱咤にも、根底には子どもへの愛情が貫かれています(笑い)。あたかも、ジャズで、ドラムやベースの音律が、一貫して強く深く、正確なリズムを刻み、乱れずに曲を支えていくようにです。
        ♫
ハンコック 絶妙な例えです。私が大学生のころを思い出します。工学を専攻していましたが、2年の終わりに、専攻を音楽・作曲に変えるという、重要な決断をしました。
 両親が学費を捻出してくれていたこともあり、私は決意を電話で伝えました。すると、両親は理解してくれたのです。
 しかし、そう言いながらも、母は、あまり喜んでいませんでした。電話で話すたびに、母はいつも、「本当に、家に帰ってくる気はないの? あなたの部屋は、まだここにありますよ」と言うのです(笑い)。
 私は、いつも「いいえ、家には帰りません。ここでうまくやっています」と答えました。ポケットに、だったの12セントしかなかった時でも。前日から何も食べていなくても。
池田 お母さんは、ハービー青年の声の響きから、すべてを察しておられたことでしょう。子どもが何歳になろうが、親は心配してくれるものです。
 「親思う こころにまさる 親心」とは、日本の幕末、松下村塾という私塾から多くの逸材を輩出した教育者・吉田松陰の辞世の歌の一節です。
 私もアパートで一人暮らしをしていたころ、恩師の事業が大変で給料も遅配が続く時がありました。親には一切話していませんでしたが、母が心配し、家族に託して外食券などを届けてくれたことを思い起こします。
 日蓮大聖人は、「父母の成仏即ち子の成仏なり、子の成仏・即ち父母の成仏なり」(同813㌻)と仰せです。たとえ離れていても、親子の命は、いつもつながっています。生死を超えて、永遠に一体に、生命の幸福と勝利の曲を奏でていけるのです。
ハンコック 本当に今思えば、ありがたい父母の愛情でした。私たちがまだ幼い時から、父も母も、子どもたちが人生の方向性を決める時期が来たら、子どもたちの決断を尊重し、応援することで、同意していました。「あなたたちが、なりたいものが何であっても、私たちは応援しますよ」と言ってくれていたのです。
池田 それは、わが子に対する絶対の信頼であり、最大の愛情ですね。
 仏典には、「父母は、『生』『養』『成』『栄』という四つの働きで、子を護り育てる」と説かれています。一人の生命を生み出し、養い育むとともに、幸福境涯を成就せしめ、使命の人生を勝ち栄えさせてくれる。ここに、父母の人間教育の奥行きの深さがあるといってよいでしょう。
        ♫
ショーター 私の父母も、私が幼いころから、どんなことでも試すのを許してくれました。
 両親は、決して高い学歴ではありません。母は、リウマチ熱のために高校を1年でやめています。陸上競技のランナーで、いくつものレースで優勝メダルを取るような選手でしたが、走るのをあきらめざるを得ませんでした。また、祖母の面倒を見るために働かなければならなかったのです。
 しかし、兄に代数を教えることができるほど、しっかり数学を勉強していましたし、大変な読書家でした。
 小学4年生までの教育しか受けられなかった父も、読み書きはとても上手でした。両親は、家族のために力を合わせて働いてくれたのです。
池田 最も気高いご両親の姿です。
 自らは学校に十分に行けなかったからこそ、子どもたちには、できる限り、よい教育を受けさせ、思う存分に学ばせてあげたい。この父母の心ほど、尊く、ありがたいものはありません。
 創価教育は、そうした父母から託された「向学の心」を、生き生きと燃え上がらせていく挑戦です。
 この夏も、わが創価大学では、生涯教育の先頭に立って、通信教育部のスクーリングが真剣に有意義に行われています。そこには、父や母が子や孫と一緒に学ぶ麗しい光景も見られます。
ショーター 素晴らしい学びのセッション(共演)ですね。
 わが家は貧乏でしたが、母は、楽しいサプライズ(驚き)を思い描きながら、人生を生きました。私たち子どもは、母が食料やプレゼントを買うのに、家計をどうやりくりするのか不思議に思っていました。母は、いつも私たちに「明日はどんな楽しいサプライズがあるのだろうか」と期待をもたせてくれました。ですから、母の周りでは、いつも笑顔が絶えませんでした。母は“即興演奏家”のような人生を送っていたのだと思います。
池田 よく分かります。お母さんは、日々、嘆きの哀音も、生きる喜びの歌に変え、不安や争いの不協和音も、希望と和楽の交響楽へと高めてしまう大音楽家ですね。
 「誰もかれもが、女性のなかの最もすばらしい人を個人的に知り、また愛し、尊敬している──自分の母親を持っている」(『マーク・トゥエインスピーチ集』金谷良夫訳、彩流社)とは、アメリカの作家マーク・トウェインの慧眼でした。
 わが家も、父が病気で倒れ、家業が傾いて、生活が苦しくなりました。母は「うちは貧乏の横綱」つまり“スモウのグランド・チャンピオン”(笑い)と、朗らかでした。その母の明るい笑い声が、私たち家族を、どれほど勇気づけてくれたことか。
 夏のヒマワリ畑では、どの花も太陽の方向を向いて伸びていきます。それと同じように、親子が共に大いなる理想や夢の方向を向いて、互いに成長していく。そうした希望のファミリーが、若き生命の無限の可能性を育む大地となるのではないでしょうか。

親を愛し、友を愛し、人間を愛せ


ショーター氏
両親の“負けない人生”を手本に
ハンコック氏
“母の信頼に応えよう”と成長

ハンコック 池田先生! 先月、パリのユネスコ(国連教育科学文化機関)本部にて、「ユネスコ親善大使」に任命していただきました。
 文化という分野でユネスコの理念を啓発するプロジェクトの一翼を担って、取り組んでまいります。就任式には、池田先生から真心あふれるメッセージをいただき、本当にありがとうございました。
池田 おめでとうございます。わが同志の活躍ほど嬉しいことはありません。
 ユネスコのイリナ・ボコバ事務局長から、私にも丁重な招へい状をいただき、恐縮しております。式典には多くの来賓が出席されたと伺っています。盟友であるショーターさんも駆けつけられたのですね。
 文化を通じて国際協調を築きゆく、ユネスコの取り組みは、ますます重要です。SGI(創価学会インタナショナル)も公式にユネスコに登録されたNGO(非政府組織)として活動してきました。
 20年前、当時のマヨール事務局長と大阪でお会いした折、ユネスコ憲章の理念を踏まえて、恒久平和への多くの課題を克服するために、まず人間の「心の変革」から始めなければならないと語り合いました。
 マヨール事務局長が、“正義の中の平和”“自由の中の平和”を目指すSGIの運動は、まさに、ユネスコの設立目的と一致していると期待されていたことも深く心に残っています。その意味において、私どもはユネスコと協力して、今後とも、さらに平和・文化・教育の運動を進めてまいります。
 ともあれ、ショーターさんも、ハンコックさんも、多忙を極める音楽活動のなか、尊き人類貢献の使命のために若々しく東奔西走されていることに、深い敬意を表さずにはいられません。
        ♫
ショーター ありがとうございます。
 たとえ年齢が20歳前でも、すでに自分のやり方が固定してしまっている若い人たちが数多くいます。私がこの信仰を始めたのは、すでに壮年部の世代である40歳でしたが、大胆で明るくいこうと思っていました。その時、はっと閃いて、私はこう言いました。
 「私は、40歳であっても、人生のすべてに心が開かれていることを、多くの人々に示していきます!」と。
池田 その通りです。それこそ創価の精神です。初代会長の牧口常三郎先生は入信された時、57歳でした。先生は、「言語に絶する歓喜を以て殆ど60年の生活法を一新」したと綴られています。
 ちょうど、この8月24日は「壮年部の日」に当たります。そこで、お2人に伺いたい。「お父様」には、どんな思い出がありますか。
ハンコック そうですね、私の父は、笑うことと冗談が大好きで、いつも人々をハッピーにしました。とっても面白い人だったので、皆、父の周りにいることを好みました。父は、いつも上機嫌でした。絶えず冗談を言い、楽しいことをして、周囲を良い気分にさせたいと考えていました。
 ところが、家の中では、私たちが何かしようとする時は、父は、いつも「お母さんに聞きなさい」と言いました。父は、とにかく目立たないように、とても静かにしていました。
ショーター 私の父は無口なほうで、人の話をさえぎったり、反対意見を述べたりすることは、まずありませんでした。母の決めたことには、決して異論を唱えませんでした(笑い)。
池田 どちらも、「賢者」の振る舞いの父上でしたね。
 日蓮大聖人は、壮年門下に、たとえ苦境の日々にあっても、揺れ動く感情に流されず、悠然と笑みを湛えていくことを教えておられます。
 池上兄弟が、周囲の讒言によって、大事な仕事から外されてしまった時にも、こまやかに激励を送られました。
 「穏便にして・あだみうらむる気色なくて」「つねにえ(咲)めるすがたてにておわすべし」(御書1107㌻)と。
 また、短気な四条金吾には、特に女性との関わりにおいて、「いさか(争)うことなかれ」(同1176㌻)と厳しく戒め、聡明に包容していくことをアドバイスされていました。
ハンコック 私には、父との忘れられない思い出があります。
 私が16歳の時、ある食料品店のレジ係の仕事に就きました。仕事を始めて2日目、店長が、私を奥のほうに連れていき、お客の支払う代金をごまかしてレジに打ち込む方法を教え、お客から少しずつお金を多くとれと言ったのです。私は悩みました。
 その夜、家に帰って、父に相談しました。不正をしないと、私は解雇されてしまうが、やりたくない──。
 父は語りました。
 「息子よ。これは、お前が自分自身で出すべき決断だよ」
 父は私を信頼し、私が正しい判断をすると信じていたのです。
 私は言いました。「分かった。この仕事は辞めることにする」
 すると、父と母は、「ハービー、お前を本当に誇りに思うよ」と、私を抱きしめてくれました。
        ♫
池田 美事な人間教育ですね。ハンコックさんのお父様は、息子を信じ、あえて自分で考えて決断するように促されました。
 若く清き魂は、信じられた時、その期待を敏感に感じ取るものです。ハンコックさんは、お父さんから、不正に対して勇気を持って立ち向かうことを教わったのですね。
ハンコック その通りです。
 もし父が、即座に「お前は、明日、その仕事を辞めなさい」と言っていたら、私は何も学ぶことはできなかったでしょう。
 自分で学ばせる教え方は、私が音楽の師と仰いだ名ジャズ・トランペッターのマイルス・デイビスがしていたことでもあります。マイルスは、決して答えを教えませんでした。彼は、私たち自身で答えを見出すための道を示すようにしたのです。
池田 信じ、見守る慈愛が、青年の力を引き出します。鍵は「信頼」です。平和研究の母ボールディング博士との対談では、家族の歌声で平和に貢献したトラップ一家が話題になりました。映画「サウンド・オブ・ミュージック」のモデルです。博士の友人であるトラップ家の母親マリアさんも、「信頼は、新しいエネルギーを生みだす」(トラップ著『サウンド・オブ・ミュージック』谷口由美子訳、文溪堂)と語っています。
 牧口先生は、「すべての子どもに『幸福になる力』を身につけさせる」ことを教育の目的としていました。それは、子どもを一個の人格として尊重し、その可能性を信じ抜く戦いを伴います。先生は、「自らがなすことによって学ぶことのできる」ように指導することを、強調されたのです。
 ハンコックさんのご両親やマイルス・デイビスさんの振る舞いは、まさに巧まずして人間教育の理想を体現されていたといえましょう。
 ともあれ、子どもにとって、父母は最初にして最大の教師です。
 だからこそ、子どもの前での夫婦喧嘩などは、できるだけ避けたいと、教育者の先生方と語り合ったことがあります。
ショーター 私は父から「忍耐」を学びました。私は父が取り乱すのを見たことがありません。怒ったり、不満を漏らしたりする姿も、見たことがありません。最近、家庭内暴力が問題になっていますが、幸い、わが家では一切ありませんでした。
 私は成人するまで、両親が人生の試練に立ち向かい、打ち勝ち、困難な時にも、決して負けることなく生き抜く姿を見ながら育ちました。二人とも、愚痴を言ったり、泣き言を言ったりはしませんでした。
        ♫
池田 立派なご両親でしたね。
 「忍耐」──トインビー博士が私との対談の中で、若い世代に伝えたい助言として一言、「忍耐強くあれ」と言っておられたことを思い起こします。
 ともあれ、「人の振舞」を説く大聖人の仏法では、一貫して「親孝行」の大切さを強調しています。「孝養の人を世尊となづけ給へり」(御書1065㌻)ともあります。さらに、「自身仏にならずしては父母をだにもすく(救)いがた(難)し」(同1429㌻)とも教えられました。
 ショーターさん、ハンコックさんが奏でる人生勝利の曲は、まぎれもなく、ご両親を包む生命の讃歌であり、栄光の凱歌であるに違いありません。
ハンコック ありがとうございます。人間は、肉体的にはヒトとして生まれても、それは真に「人間」として生まれたことにはなりません。成熟した人間へと成長していかねばならない──これは池田先生から教わった仏法の哲学です。それが「人間革命」です。そして、人間主義の宗教の実践では、私たちの振る舞いこそが重要になると思います。
ショーター 私がこの仏法の実践を始めた時、父は既に亡くなっていましたが、一緒に暮らしていた母は、私の信心に対して態度を保留していました。母と、この信仰をめぐって“綱引き”が始まりました。私は母を尊敬していたからこそ、この信仰をして大丈夫であることを分からせる必要がありました。
 わが家で会合があると、母はいつも台所から耳を澄ませ、“オブザーバー”として観察していました。
 そして遂に「あなたにとってその信仰が良いのなら、もう反対はしないわ」と言ってくれ、批判も反発もしないようになったのです。
池田 まさしく「道理証文よりも現証にはすぎず」(同1468㌻)です。お母様は、じっとショーターさんの真剣な姿と成長の様子を見守られていたのでしょう。
 また、親孝行なショーターさんの真心を痛いほど感じられていたに違いありません。ショーターさんの体験は、新入会の友にとって大きな励ましです。
 家族が未入会であっても、信仰のことで争う必要は、まったくありません。焦らなくてもいいんです。自分も家族も共に、永遠の幸福を勝ち開いていくための信仰だからです。
ショーター 「親孝行」ひとつとっても、仏法の原理は、いずれも杓子定規的ではありませんね。
 本来、どんな原理も、人間が活用するためにあるはずです。その原理は、私が音楽を作曲する際にもあてはまります。音楽には、完全無欠の作品はありません。一つの音階でも、無限の表現の可能性を持っています。ですから私は、ずっと学び続けていくつもりです。仏法に対しても、音楽に対しても、私は謙虚にならざるを得ません。
ハンコック そうです。音楽では、無制限に何か新しいものをつけ加えることが可能です。音楽創造の源としての限りない水源を掘り続けていくことができます。すべては自分次第なのです。
 仏法を通じての新たな自分像の発見は、私の創造性を開いてくれました。私の演奏および人生のあらゆる側面において、以前には考えもしなかった新たな眺望が広がり続けています。
池田 まことに大事な視点です。
 戸田先生は、私たち青年に、こう呼びかけられました。
 「衆生を愛さなくてはならぬ戦いである。しかるに、青年は、親をも愛さぬような者も多いのに、どうして他人を愛せようか。その無慈悲の自分を乗り越えて、仏の慈悲の境地を会得する、人間革命の戦いである」と。
 ですから、親不孝の青年に対しては、厳しく叱られました。
 親を愛し、友を愛し、人を愛していく──その「人間革命の戦い」のなかで、人々のため、社会のため、未来のため、わが生命に秘められた創造力を必ず自分らしく開いていくことができるのです。
ショーター この仏法の実践が深まるにつれ、私は、自分自身を見出すことができ、自分らしい生き方を貫かなければならないことが分かってきました。私は音楽を通じて多くの人に語りかけたいのです。しかし、そのために自分の音楽をありふれた簡単なものにする必要はありません。
 まだ踏み固められていない道こそ、私の進むべき道です。その道は、たやすく進むことのできない道であり、仏法の使命にも通じる道であると思っております。
池田 法華経には、「知道者(道を知る者)」「開道者(道を開く者)」「説道者(道を説く者)」と記されております(薬草喩品)。
 最高無上の生命の価値を創造しゆく「この道」を学び、開き、広げていくために、私たちは共に、にぎやかに歓喜の音楽を奏でながら行進していきましょう! 不二の同志として! 永遠の家族として!
2011-08-21 : 音楽を語る :
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