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魂の人間讃歌  ジャズと人生と仏法を語る

魂の人間讃歌  ジャズと人生と仏法を語る

第10回 永遠なる前進の曲(2011.6.3/4付 聖教新聞)

心は絶対に壊れない‼

ハンコック氏
大震災での励ましの行動を賞讃!
ショーター氏
愛する日本の皆様と新たな出発を

池田 このたびの東日本大震災に際して、ショーターさん、ハンコックさんから、万感こもるお見舞いのメッセージ(本紙4月11日付)を送っていただきました。
 被災地の皆様方からも、深い感謝の声が寄せられております。本当にありがとうございました。
ショーター あらためで、被災された方々に心からお見舞いを申し上げます。
 私たちは、今回の大災害に対して、たんなる傍観者でいることなど、決してできません。もちろん、部外者の立場で、今、日本の皆さんが経験している苦しみが分かるなどとは言えません。
 しかし、日本の皆さんが、直面する苦難を乗り越えようとして取られている勇気ある行動と勝利の姿は、よく知っています。心から賞讃したいと思います。愛する日本の皆さんと苦難を乗り越えるため、私自身、共に新たな出発をしようと決意しています。
ハンコック 私も、ウェインと全く同じ思いです。被災地の同志の方々が、自らも被害に遭いながら、地域の友を励まし、献身されていることに胸を打たれております。
 学会員が常日ごろから行っている励ましの行動、また信仰活動の中で語り合い、育んでいる慈悲の行動は、大震災の日本において、即座に、そして力の限り実行されたのです。
池田 自身は九死に一生を得るも、最愛のご家族を亡くされた方がおられる。大津波で家も職場も根こそぎ奪われた方も少なくありません。それでも、自分より大変な方々のためにと救援活動に奔走している青年たちに、私はこう伝えました。
 ──よく戦ってくださった。よく生き抜いてくださった。よく耐え抜いてくださった。
 そして、創価の精神を発揮して、人々の大救済に命を懸けて戦い続けてくださっている。感謝しても感謝しても感謝しきれない。
 君たちの体験こそが、学会精神の真髄であり、誉れである。
 君たちの献身こそが、師弟の魂の脈動であり、誇りである──と。
ショーター 池田先生のご指導のもと、私たちは、いつも人間の生命や尊厳と関わっています。非常時だけでなく、ふだんから、お互いに支え合い、より人間らしく進歩し、成長できるよう助け合っています。
 人類の歴史は一面、「分断の歴史」といえるかもしれません。しかし、私たち創価の連帯には、慈悲の行動を通して、「全人類を結びつける」使命があるのだと思います。
池田 その通りです。今回、世界中から、お見舞いのメッセージをいただきました。一つ一つが、尊き真心の宝の言葉です。
 エマソン協会のサーラ・ワイダー元会長も語ってくださいました。
 「体験を共有することで、人と人との、より深い結びつきも生まれます」「その体験は、必ずしも成功にあふれたものではなくともよいのです。人々が直面する困難や、それを乗り越えようとする挑戦の物語に、心から耳を傾け合うところに、癒やしの力が生まれるからです」
 厳しい試練の中だからこそ、互いに人間の善なる心を胸に深く光らせ、絆を強めることができます。世界の心ある識者も、被災地の方々の人間味あふれる励まし合いの姿に、人類の明日への希望を見出すことができたと、共感のエールを送ってくださっています。
ハンコック 本当に想像を絶する大災害でした。皆、「なぜ、こんなことが起こったのか」と問わずにはいられない心境と察します。しかし、何にもまして重要なことは、「私たちは、これから何をすべきか」と共に考えていくことではないでしょうか。
池田 そうですね。日蓮大聖人の「立正安国論」は、ご存じのように。鎌倉地方を襲った前代未聞といわれる“正嘉の大地震”(1257年)を機縁として執筆されました。
 冒頭は「旅客来りて嘆いて曰く近年より近日に至るまで天変地夭・飢饉疫癘・遍く天下に満ち広く地上に迸る」(御書17㌻)という客人の悲嘆から書き起こされています。それは、まさしく、当時の人々が抱いていた“なぜ、こんなことが”との思いであったことでしょう。
 その痛切な憤悱《ふんぴ》(言い表せぬ憤り)を分かち合いながら、大聖人は対話を進められていきます。そして経文に照らして邪見を正され、遂には客人が共に「速《すみやか》に対治を回《めぐらし》して早く泰平を致し」(同33㌻)との行動の決意に立ち上がるまで導いていかれるのです。
 とくに大聖人は、仏法の明鏡の上から、大地震などの天災、飢饉や疫病に続いて、さらに「他国侵逼の難」「自界叛逆の難」という戦争や内乱を起こすことがあっては断じてならぬと、為政者に厳しく警鐘を鳴らされました。
 とともに、苦難の時代を生きる健気な庶民には、「大悪をこれは大善きたる」「各各なにをかなげかせ給うべき」(同1300㌻)と絶対の希望と勇気を贈られたのです。
 大切なのは、対話を手放さないことです。正しき哲学を打ち立てるために、一歩、前へ踏み出すことです。自分につながる、すべての人々と共に! 今から広がる、明るい未来のために!
ショーター 本当にそう思います。被災地へのメッセージでも触れましたが、私が妻のアナ・マリアを飛行機事故で失ったのは、1996年の7月17日のことでした。すぐに、池田先生から励ましの言葉をいただきました。
 「奥様は、あなたの心に永遠に生き続けています。2人は永遠に一緒です」「ときには、深い孤独と悲しみを覚えるかも知れない。しかし、苦難が深いほど、人生の真価は輝くのです」と。
 この先生の激励を受けて、私は、ただひたすら題目を唱えました。
 悲しみのあまり自暴自棄になり、自分を破滅させることもあり得たでしょう。恐らく車を暴走させて崖から転落したり、酒に溺れてしまったりしていたかもしれません。
 しかし私は、もし自分が、「人間にとって音楽が意味するもの」を追求し続けなければ、妻は悲しむだろうと考えました。そして、作曲の仕事を続けることが、自分の使命なのだと思えるようになりました。
 先生が断言してくださった通り、妻は私の心の中に生き続けていました。
 「そうだ! 妻を失望させてはいけない。彼女は私かどう生きていくのかを、陰から見守っているはずだ」──そう思ったのです。
 こうして4、5週間後には仕事に復帰し、日本への巡業へと旅立ちました。
池田 家族を亡くされた方々に励ましを贈るため、あえてご自身の辛い体験を語ってくださいました。胸が強く揺さぶられます。心から感謝します。
 日蓮大聖人は、夫を失った南条時光のお母さんに、“ご主人はきっと霊山浄土でこの世界のご家族の様子も昼夜に見守っておられるでしょう”と励まされました。そして「いきてをはしき時は生の仏・今は死の仏・生死ともに仏なり、即身成仏と申す大事の法門これなり」(同1504㌻)と仰せになられています。
 後継の家族が毅然と立ち上がり、勝ち栄えていかれることが、亡くなられた方の成仏の何よりの証明です。
        ♫
ハンコック よく分かります。
 あの時、ウェインが、ほとんどの時間を周囲への励ましに費やしていたことを覚えています。
 アナ・マリアさんは多くの人々にとって、大切な友人でした。ウェインは、その人々を慰めることに時間を使っていたのです。ウェインが慰められていたのではないのです。
 ウェインは、強さと勇気を兼ね備えていました。それらの特性は、仏法の実践を通して生命から発するものでした。じっと動かないのではなく、むしろ、この悲劇によって苦しんでいる友を積極的に助けようとしました。私は、その行動に脱帽します。
 ウェインは、自身の振る舞いを通して日蓮仏法の信仰者としての真髄を示してくれたのです。
ショーター ありがとう! ハービーが妹のジーンさんを飛行機事故で亡くした時も、立派な信仰者の振る舞いで、周りを勇気づけていたことを、私は忘れておりません。
池田 ジーンさんは、現金を自動で引き出せるATMのシステムを開発するなど、天才的な女性だったと伺っています。音楽にも造詣が深く、ハンコックさんと共に作曲された曲で、グラミー賞も受賞されていますね。兄妹で美しい生命の讃歌を綴り残してこられました。
ハンコック ありがとうございます。妹は、まさに驚異的な人間でした。学問にしろ、スポーツ、音楽にしろ、手を付けたことは何でも、極めてよくできました。旅行雑誌へ手記を寄稿したこともありました。しかし、1985年、飛行機事故で亡くなったのです。
 事故の知らせを聞いた瞬間、私は、何よりも、母のことが心配になりました。母親にとって、わが子に先立たれること以上に悲惨なことはありませんから……。
 しかし、駆けつけてみると、30人近くの人が集つていましたが、惨事で亡くなったにもかかわらず、明るい雰囲気で、皆が妹を偲び、その人生を讃えていました。母も一緒になって、妹のために題目をあげ、妹の生涯を讃嘆していたのです。妹が特別な存在だったことを、全員が確信していました。私には、これこそ彼女が望んでいたものだったと感じました。
池田 気高き妹さんの人生の大勝利の象徴ですね。
 多くの方々から惜しまれ、偲ばれることは、それ自体が「成仏」の目に見える証拠といえます。そのことは、自ずとご家族に感得されていくものでしょう。これは、学会の友人葬で感銘を広げる清々しい光景でもあります。
 ともあれ、人生の途上にはさまざまな試練があります。仏法で「八苦」の一つとして「愛別離苦」があげられているように、最愛の家族との死別は、ことのほか深い悲しみです。
 日蓮大聖人は、その悲嘆に寄り添っていかれました。武士のわが子を争いで亡くした母へのお手紙の中では、「たとえ火の中に入ろうとも、また自らの頭を割ってでも、わが子の姿を見ることができるならば、惜しくはないと思われることであろうと、心中が察せられて涙がとまりません」(同930㌻、通解)とも仰せになっています。
 さらに、南条時光の弟が16歳の若さで急死したとの訃報に対しては、「人は皆、生まれては必ず死ぬ定めであることは、万人が一同に承知していることですから、その時になって、はじめて嘆いたり、驚いたりするべきではないと自分も心得て、人にも教えてきました。しかし、実際にその時に巡りあってみると、夢か幻か、いまだに分からないのです」(同1567㌻、通解)とまで綴られています。
        ♫
ハンコック 胸に染み入る言葉です。妹が亡くなった後、私自身は、なぜか、しばらく涙が出ませんでした。
 私はそのことに不安を覚えていました。“なぜ、泣けないのだろう”と。
 妹ジーンの死からしばらくたって、彼女が好きだったハワイの海に、遺灰をまくことにしました。両親と私、そして私の娘でハワイに行き、遺灰の入っていた骨壷を抱えた時、私は、ついに初めて泣き崩れて、涙を流しました。
 まだ小さかった娘が、嗚咽している私を見て、「お父さん、お父さん、大丈夫?」と声をかけてくれました。私は「ああ、大丈夫だよ、いや、それ以上になったんだよ」と応えたことを思い出します。その時、やっと自分の思いを外に出すことができたのです。
池田 よく分かります。
 御聖訓にも、「故聖霊《しょうりょう》(亡きご家族)は法華経の行者でしたから、即身成仏は疑いありません。だから、嘆いてばかりいることはないのです。しかしまた嘆かれるのが、凡夫の道理でありましょう。ただし聖人の身の上にも、この嘆きはあるのです」(同1506㌻、通解)とあります。
 仏法は「本有無作」です。ありのままの人間性の発露でいいんです。悲しみが癒えるまで、時間がかかる場合もあるでしょう。しかし必ず、前を向いて、故人の分までも生命力を強くして進んでいくことができます。
 ともあれ仏法では、「悪象等は唯能く身を壊《やぶ》りて心を壊る能わず」(同65㌻)と明快に宣言されています。「悪象等」とは、現代的に言えば、飛行機事故や交通事故、また不慮の災害などに当たるでしょう。それらによって、心が壊られることは絶対にありません。
 妙法に照らされた生命は永遠に福徳に輝き、崩されることはないのです。

共に励まし 共々に征かなむ
創価家族の旅路は三世に常楽我浄


ハンコック 学会の清々しい「友人葬」のお話を、私は感銘深く伺いました。ジャズ発祥の地・ニューオーリンズに伝わる「セカンドライン」という風習が思い出されます。 それは、誰かが亡くなって葬儀が終わった後、主要な第一の行列「メーンライン」の後ろに友人や知人が行列を組んで、賑やかにジャズ演奏のパレードをして、死後の幸せを祝福するものです。こういう死者を喜んで送る風習は、西洋にはあまりありません。
池田 「美しい音楽といえば、一度ニューオリンズの葬式を見てほしい」(『聖地ニューオリンズ 聖者ルイ・アームストロング』外山喜雄・外山恵子著、冬青社)と、偉大なジャズ音楽家のルイ・アームストロングも語っていました。ジャズ発祥の天地ならではの伝統ですね。
 この芸術と文化の街に、私もかつて訪れました〈1974年〉。6年前のハリケーン「カトリーナ」で市の8割が水没し、今も困難に立ち向かっておられると伺っています。復興を深く祈り続けております。
ハンコック このニューオーリンズでも、SGIの青年部をはじめ多くの同志が、わが地域を希望の楽土に変革しようと、日々、戦っています。あのハリケーン発生直後にも、先生は心からの励ましを送ってくださいました。
 ジャズ音楽それ自体が、人間の精神にとって最も屈辱的な場所で生まれました。しかし、こうした苦悩と悲哀の状況下においても、音楽は、人々に安らぎを与え、苦悩を和らげ、心を和ませてきたのです。
ショーター 私は音楽には大きな役割があると思います。それは、問題を先送りしようとする傾向性を克服し、「いざ」という時に、声を発する勇気を与えることです。私たちの人間的成長を助けることです。
池田 大事な大事な使命です。「今」「ここで」「直ちに」人間の生命を励ますことができる。これが音楽の妙なる力です。
ハンコック 「ジャズ」という言葉には「活気づける」「賑やかにする」といった意味合いもあります。人類普遍の苦悩に対して、芸術や文化は今、何ができるか──この問いに対しては、ジャズこそは人間の苦悩と悲哀に一条の光を投げかける芸術である、といえると思います。
池田 誇り高い言葉です。人類普遍の苦悩──「生」「老」「病」「死」という四苦への対峙こそ、まさに仏法の出発点です。どんな権力や名声、財力があっても、この四苦という問題から逃れることはできません。だからこそ、正しい哲学に則って、自己の生命に「心の財」を積み、常楽我浄という幸福境涯を開いていくことを教えたのが仏法です。
 その臨終の境涯について、「天《そら》より四種の花ふり虚空に音楽聞え、諸仏・菩薩は皆常楽我浄の風にそよめき給へば・我れ等も必ず其の数に列《つら》ならん」(御書1383㌻)とも説かれております。
 これが広宣流布に戦い、信心をし抜いた悠々たる境涯です。
 私たちは生々流転する現実を見極めながら、与えられた生命を大切に、断じて悔いのない、価値ある一日一日を生き切っていくことです。
 ショーターさんも、ハンコックさんも、言語に絶する苦難を、雄々しく勝ち越えてこられましたね。
ショーター ありがとうございます。私は大惨事を見聞きする時も、それは永遠に続くものではなく、一瞬のまばたきのようなものと思うようにしています。不運な出来事も、また幸運なことも、短い、一過性のものに過ぎません。そしてまた、億万長者になって欲しいものをすべて手にしたとしても、所詮、はかなく過ぎ去るものです。富や財産も、同じく「一瞬のまばたき」のうちに、いつしか消えてしまうものとして捉えるべきです。
 一方、現実と真正面から向き合う「勇気」は、「一瞬のまばたき」のうちに消えてしまうものではなく、もっと本質的なものです。予期せぬ出来事に対しても応戦し、人と社会に価値を提供しながら、今この瞬間を生き切り、前進し、即興の行動をとる──それには勇気が必要です。
池田 その通りですね。
 悲劇の闇に屈しなかった人格こそが、永遠に輝く偉大な創造の太陽を昇らせることができる。お二人の奏でる魂の曲は、それ自体が生命の凱歌です。その妙なる歓喜の響きは、生死を超えて亡きご家族の生命をも包んでおられることと確信してやみません。
 苦しみや悲しみを超えてこそ、悩んでいる人の真の味方になれる。人の何倍も苦労した体験があるからこそ、より多くの人々を救う使命がある。それが「地涌の菩薩」の誓願でもあります。人の痛みが分かるからこそ、どんな苦悩の淵からも、共に手を携えて立ち上がることができるのです。
        ♫
ハンコック 私は、この仏法を実践して初めて、自分の使命が何なのかを知りました。仏法に巡りあって、人生とは何なのかを根底から見ることができるようになりました。これは素晴らしいことです。
 人間は、自覚するとしないとにかかわらず、自分を犠牲者と感じる場合が多いものです。とくに黒人社会では、まさに、そう言えます。
 この点、日蓮仏法では、私たちの主な関心事は、外的な要因からもたらされる好ましくないネガティブな影響をどう変換していくかにありますね。
 そのネガティブな影響をもたらした原因を捉え直して、わが人生を向上させる新たな原因につくりかえていくことが大切である──そう教えてくださったのが池田先生です。
池田 現代は「死を忘れた文明」とも言われます。私が対談したハーバード大学のヌール・ヤーマン博士など心ある識者も、“限りある生”すなわち、人は必ず死ぬという峻厳な現実を忘れ、享楽に流れゆく現代社会のあり方に警鐘を鳴らされていました。生命軽視の風潮の温床となっていくからです。
 仏法では、生命は生死不二であり、三世永遠であると説きます。
 御聖訓には、「自身法性の大地を生死生死と転《め》ぐり行くなり」(同724㌻)と仰せです。
 戸田先生は、人間にとっての「死」を、わかりやすく、よく「睡眠」に譬えておられました。
 ──法華経に「方便現涅槃」とある。朝起きて、一日価値ある仕事をして、夜は睡眠によって疲れを取り、また翌日、はつらつと働いていくように、人は死によって、生命のエネルギーを充満させ、若さを取り戻して、再び蘇生してくるのだと達観されていました。
 大宇宙のなかに溶け込んだ死後の生命は、再び現実世界へ、苦悩する人々を救うために、願って師匠と共に、同志と共に、家族と共に生まれてくることができるのです。私たちは、生死を超えて「共に」生き続けるのです。
ショーター 大聖人の仏法が贈る温かな励ましに、大いなる勇気と情熱が湧いてきます。私たちは、友に希望の音楽を届けていく決意です。
 私は、最愛の娘も病気で失いました。しかし、そのことから、本当に多くの貴重な、何物にも替え難い功徳を得たと確信しています。
 娘の死と妻の死──この二重の悲劇の後も、笑みを絶やさない私を見た人たちが、訝しがって尋ねました。「娘さんも奥さんも亡くなったのに、あなたの人生は幸せなのか」と。
 そこで私は折伏をするのです。「私はこれから、もっともっと生き抜いて、世界一の幸せ者になりますよ」と。
 私は、ますます元気です。それもみな、この仏法を実践しているおかげです。偉大な師匠に出会えたおかけです。
池田 学会には、肩を叩き、支え合っていける同志がいる。何があっても、励まし合って変毒為薬できる希望の哲学がある。心新たに、一緒にスクラムを組んで目指しゆくことのできる広宣流布の誓願があります。
 かつて私は、草創から広宣流布に戦い抜かれたご一家に、こう言葉を贈りました。
 「君が憂いに われは泣く
  君が喜びに われは舞う
  共に悲しみ 共に勇敢に
  生涯を 戦い進もう」──と。
 創価家族の人生の旅路は、三世永遠に共に進む「常楽我浄」の旅路です。
 広宣流布の大遠征を期して詠まれた戸田先生の和歌を心に刻みながら、いよいよ私たちは決然と行進していきたい。永遠なる前進の曲を奏でながら!

  妙法の
   広布の旅は
      遠けれど
    共に励まし
      共々に征かなむ
2011-06-05 : 音楽を語る :
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