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随筆 我らの勝利の大道 No.47/48

随筆 我らの勝利の大道 No.47/48
             (2011.5.25/26付)

青年の新たな陣列

賑やかに 若き命よ 踊り出よ
新生の息吹で「友情」と「仏縁」を拡大


 賑やかに
  若き大軍
    立ち上がれ
  広宣流布の
   時は 今かと

 フランスの文豪ロマン・ロランの戯曲に、天空を仰いで放たれる叫びがある。
 「あらゆるものは前進する。地球、事物、人と同じく空もまた進む」
 ──今、まばゆい青葉の彼方に広がる、無限の青年の大空よ! 白き雲も舞い飛ぶ、颯爽たる青嵐よ!
 さあ、我らも新たな前進だ! 若き地涌の菩薩たちが勇んで躍り出た。
 新青年部長、新男子部長、新女子部長が誕生して、清々しい“青年学会”の新出発、本当におめでとう!
 結成60周年という新生の時に、新しい勝利の大道を新しい力の結合で、思う存分に開いてくれ給え!

前進勝利のために
 半世紀前、カナダ・ケベック州に広がった民衆意識と社会の非暴力改革「静かな革命」の礎を、文学を通して築いた女性、ガブリエル・ロワは綴った。
 「若さとは常に、命のきらめきを分かち与えてくれる」
 誠にその通りだ。
 いわんや妙法は、永遠なる若さの源泉である。
 ゆえに、学会の組織は、常に青年を先頭に、若々しく生き生きとした生命体であらねばならない。それが「広宣流布」という民衆救済と平和創造の行動体としてのきらめきである。
 だからこそ常に──
 新しい息吹を入れる。
 新しい刺激を与える。
 新しい決意で奮起する。
 人事もすべて、広宣流布のさらなる前進のためだ。全員が勝利し、全員が仏の生命を開きゆくためだ。
        ◇
 中国の文化界のリーダーである高占祥《こうせんしょう》先生(中華文化促進会主席)は、私との対談「地球を結ぶ文化力」で論じておられた。
 「新たな時代の指導者として、最も重要なのは──
 ①人材を求める心
 ②人材を愛する徳
 ③人材を用いる大胆さ
 ④人材を育てる道理
 ⑤人材を受け入れる度量である」と。
 どれだけの人材を育て、伸び伸びと力を発揮できる舞台を開いたか。そこに、進歩と発展への鍵があり、指導者の真価も現れる。
 牧口常三郎先生が展望されていた「人道的競争」も、どれだけ平和と正義の人材を育成したか、その競争といってもよいのだ。
 組織の人事の交代にあっても、これまで戦ってきた先輩は、登用された後輩たちの活躍を、わが喜びとし、誇りとしながら、共に向上と躍進へ、一段と加速していただきたい。

師子吼に呼応して
 御聖訓には仰せである。
 「かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり」(御書903㌻)
 広宣流布は、師匠と心を同じくする弟子の総決起によって成し遂げられる。
 60年前の5月、第2代会長に就任した、わが師・戸田城聖先生は、大折伏の誓願を叫ばれた。その師子吼に応えて立ち上がった陣列こそ、青年部である。
 師が命を賭して掲げられた「大法弘通」「慈折広宣流布」のために、私も力の限りを尽くして、戦いの火ぶたを切ったのだ。
 まさに、この5月にも、新来の友を招いて、地区の座談会を活発に行った。
 しかし、なかなか入信には至らない。当時の私の日記には、悪戦苦闘の心情が折々に綴られている。
 「どうして、こんなに、正法を、信仰を、求めぬのだろうか?」
 「妙法の力により、いつかは、必ず、信心させて貰いたいと、乞うて来る日が来ることだろう。それまで、頑張ろう。……頑張っていれば良いのだ」
 「正法を、深く、汝自身が理解することだ。
 正法を、広く、汝自身が広めゆくことだ。
 正法を、強く、汝自身が生活に生かすことだ」──
 正法を一人ひとりが受持しゆくことが、行き詰まらざる人生を歩む道である。また、正法を時代の原動力としていくことが、光輝ある幸福と平和な社会の建設につながる。私は、そう確信して、仏法対話を一波また一波と起こしていった。
 そして60年──。今、世界192カ国・地域に正法は千波万波と広がり、仏法を基調とした「平和」「文化」「教育」の三色旗は高々と翻った。恩師の切望された「旗持つ若人」も澎湃と続いてくれている。
        ◇
 間もなく、ナポレオン家の子孫であるシャルル・ナポレオン公と私との対談集が発刊される予定である。
 その中で「指導者論」が大きな焦点となった。
 私は師から学び、心がけてきた三点を申し上げた。
 一、自分自身は偉くなることを求めない。皆を偉くしよう。
 二、家柄や学歴、社会的地位などで差別することは絶対にしない。皆、人間として平等に大切にしていこう。
 三、第一線で、一生懸命に健闘してくれている人を最大に大事にしよう。慢心や要領のある幹部には、あえて厳しくしよう。賞罰を明確にし、公平にして、皆がやる気を奮い起こして団結していけるようにしよう。
 ──これには、ナポレオン公も、深く共鳴してくださった。
 ナポレオン公は、こう言われている。
 「ナポレオンは、『強い意志』と『聡明なビジョン』、そして『自由な思考』をもって、力ある青年を結集していくならば、錯綜した苦難の渦中にあっても、必ずや、それを突破して、時代を転換する偉業を成し遂げることができることを示しました」
 実際、ナポレオンが世界に躍り出る勢いとともに、新進気鋭の人材が次々に台頭していった。
 1799年、フランス共和国の第一執政に就任した時、ナポレオンは何歳であったか。30歳である。
 若き指導者を中心に、意気盛んな同世代の青年たちが固まり、さらにその核の周りに、広く社会から進取の英知と力が結集していったのである。若さから迸るスピードにこそ、他を圧倒する強さがあったとも分析されている。
 ともあれ、今日ほど青年の熱と力の糾合が待望されている時代はあるまい。
 わが青年部が、満を持して、今再びの「拡大」に挑む時が来たのだ。
 それは、人間革命による自らの境涯の拡大である。
 また、勇気の対話による友情と仏縁の拡大である。
 そして、信念の行動による社会貢献の連帯の拡大なのである。

娘の祈りと真心で

 正しき信仰は、自分だけではなく、家族も、友人も、縁する眷族も、皆を幸福へとリードしていける究極の力である。
 釈尊の時代に、純真に信仰に励むローヒニーという女性がいた。彼女の父は、仏法に無理解であった。
 ある時、世間の悪口《あっこう》を挙げ、なぜ仏教徒になったのかと、娘を問い詰めた。
 「おとうさん」と、聡明な娘ローヒニーは答えた。
 「あなたは〈道の人〉たちのことを、わたしに尋ねてくださいました。わたしはあなたに、かれらの智慧と戒行と努力とをほめたたえましょう」
 娘は、父の誤解を解きほぐすように〈道の人〉──釈尊と弟子たちの真実を、明快に語っていった。
 「かれらは、働くことを欲し、怠けず、すぐれた活動をなし」「清らかな行いをなし、三種の悪の根本を除き、あらゆる悪を捨てています」
 「種々なる家から来て、また種々の国々から来ていますが、相互に親しんでいます……」
 真剣な娘の話に、父は心を動かされていった。
 「ああ、そなたは、われらのために、〔この〕家に生まれたのだ。そなたは、ブッダと真理の教えとにたいして信仰あり、修行者の集いにたいして熱烈な尊敬心をもっている……」
 娘が“おとうさん、信心しましょう!”と語りかけると、父は頷いた。
 「わたしは、そのようにみごとなブッダと、真理の教えと、修行者のつどいとに帰依します」
 ──理解してもらうまで時間のかかる場合もある。しかし、娘の祈りと真心は必ず父に通ずる。父の心を変える時が必ず来る。
 信仰のことで家族が争う必要はない。日頃の親孝行を心がけ、自分が成長する姿を見てもらって安心していただければよいのだ。
 御聖訓には、「法華経を持つ人は父と母との恩を報ずるなり」(同1528㌻)と仰せである。
 わが華陽の乙女たちは、幸福の太陽である。
 一家にあって、地域にあって、社会にあって、朗らかに女子部が立てば、そこから明るい希望の光が、燦々と輝き出るのだ。

 華やかに
  心光りし
   青春の
  高貴な城をば
   日々に築けや

 ロランは『獅子座の流星群』片山敏彦訳(岩波書店)。ロワは『わが心の子らよ』真田桂子訳(彩流社)。ローヒニーの話は『中村元選集[決定版]13 仏弟子の生涯』(春秋社)。

君たちを創価の大樹と仰ぎ見ん
「一対一の対話」から広宣流布は前進


 限りある
  尊き生命《いのち》を
   妙法に
  捧げ 飾れや
   社会の王者と

 世界中の創価の青年が、それぞれの使命の舞台で、日々、奮闘している。その報告を聞くことが、私の何よりの喜びである。
 先日、一人の男子部の地区リーダーからいただいた手紙には、勤務先で営業成績の日本一を獲得し、最年少でプロダクトマネジャーに抜擢されるなど、大いに信頼を広げている様子が綴られていた。
 多忙の中で、仕事と学会活動の両立に懸命に挑み、時間をやりくりしながら創価班の任務にも着き、週末には、地区の友と勇んで活動に励んでいるという。
 私は伝言を託した。
 「一生懸命、仕事をすること、それも仏法だから、悔いなく仕事をしていきなさい。学会活動をしようという思いは忘れず、焦らずに前進を! 大勝利の人生を待っているよ」と。
 生活は即、信心であり、仏法は即、社会である。
 一人の青年として、持てる力を最大に出し切って、職場で、なくてはならぬ存在として光っていくのだ。そこに信仰の本領がある。
        ◇
 同志の中には、今は仕事が忙し過ぎて、なかなか活動には参加できないメンバーもいるであろう。リーダーは、大きく包容しながらの励ましをお願いしたい。
 日蓮大聖人は、ある地域の広布の中心者(高橋入道殿)に仰せになられた。
 「一日も我がかた(方)とて心よせなる人人はいかでか をろ(疎)かなるべき」(御書1460㌻)
 ──たとえ一日であろうと、わが味方として心を寄せてくれる人びとを、どうして粗略にできようか。
 御本仏の御心は限りなく深く、大きい。
 広宣流布の陣列に、たとえわずかでも連なり、味方をしてくれる人、心を向けてくれる人は、大聖人との仏縁を結ぶことになる。
 だからこそ、勇気を出して対話を重ね、友情のスクラムを大きくしていくことだ。そのうねりのなかで、地涌の菩薩を、一人また一人と呼び出していくのだ。

一人と向き合って
 「一対一の対話」がいかに大事か──。
 法華経には、その深き意義が明らかにされている。
 「若し是の善男子・善女人は、我が滅度の後、能く竊かに一人の為めにも、法華経の乃至一句を説かば、当に知るべし、是の人は則ち如来の使にして、如来に遣わされて、如来の事を行ず」(創価学会版法華経357㌻)
 法師品の有名な一節だ。
 師匠の後を受け継ぐ、弟子の「実践論」が凝縮された仰せである。
 人生は千差万別である。
 悩みを抱えている友がいる。夢に向かって一生懸命な友もいる。道に迷っている友もいよう。その目の前の「一人」と向き合い、誠実に、対話を重ねていく。すべては、ここから始まる。
 勇気を奮って、たった一言「この仏法はすごいよ」と語るのが、精一杯の時もあろう。それも、立派な折伏である。
 相手がまともに聞いてくれない時もあるかもしれない。それでも、友の胸中に具わる仏性には必ず届き、響いている。深き生命の次元から見れば、仏の種子は蒔かれ、やがて必ず芽吹く春がやってくるのだ。
 これが聞法下種である。
 誰が見ていようがいまいが、粘り強く、対話を貫くことだ。その人こそが、一切衆生を救済するという「仏の仕事」を、現実の上で行っている最高に尊い「仏の使い」なのである。
        ◇
 青春は、思うようにいかない現実との戦いでもある。地道な努力が実らず、もどかしさや悔しさにかられる時もあるに違いない。
 しかし、人生の勝負は、目先ではなく、長い目で見なければわからない。
 御聖訓には──
 「釈尊の弟子の須梨槃特は、3年間に14文字の経文すら暗唱できなかったけれども、仏になれた。
 しかし、提婆達多は六万蔵の経典を暗唱したけれども、無間《むけん》地獄に落ちた。
 このことは、ひとえに末代の今の世のことを表しているのである。決して他人のことと思ってはならない」(御書1472㌻、趣意)と厳しく仰せである。
 名聞名利に流され、増上慢に狂った恩知らずの末路は、あまりにも無残だ。
 あのトインビー博士も、傲慢こそ「他のいっさいの罪がはいりこんでくる門戸」と鋭く喝破していた。
 真面目に仏道修行に励み、師弟の道に生き抜いた人は、最後に必ず勝つ。多宝の先輩方の勝利の人生が、何よりの証明である。
 くよくよすることはない。惑うこともない。悩みがあるからこそ、わが生命は強く大きく鍛えられる。
 「勇敢に、誠実に耐え抜くものにのみ、幸運は微笑みかける」とは、大文豪ゲーテの知恵の言葉である。
 苦難に遭っても、嘆かず屈しない。頭を上げて、使命の道をまっしぐらに進み抜いていくのだ。その人にこそ、「変毒為薬」の時は必ず来る。栄光の朝が晴れわたるのだ。
         ◇
 南米アルゼンチンの青年たちも、この5月3日を、堂々たる前進と拡大で飾ってくれた。
 記念の幹部会には、私が対談集を発刊したエスキベル博士ご夫妻はじめ多くの来賓も出席くださった。
 エスキベル博士は、東日本大震災へのお見舞いとともに、「創価の青年たちがいる限り、未来は明るい。さらに素晴らしい日本を、希望に満ちた世界を、必ずや築き上げてくれると確信してやみません」と呼びかけてくださったのである。

“大楠公”の詩の心
 会合では、「青年よ広布の山を登れ」の大合唱や、アルゼンチン音楽隊・鼓笛隊の友による “大楠公” などの演奏も披露された。
 ♪青葉茂れる桜井の……
 この曲に託された父から子への後継の誓い、そして師弟の魂を、全世界の青年が受け継いでくれている。
 戸田先生は、どれほど喜ばれるであろうか。
         ◇
 先生が大好きであられた “大楠公” の詩は、明治時代の著名な国文学者・落合《おちあい》直文《なおぶみ》の傑作である。
 現在の宮城県気仙沼市の出身であり、今年は生誕150周年に当たっている。生家は、仙台藩伊達家の筆頭家老の名門であった。
 “大楠公” の詩には、後継ぎの若武者が生きて生き抜き、一日も早く成長して大業を果たしゆくことを願ってやまぬ、厳父の心があふれている。
 次のような場面もある。
 ──父・正成《まさしげ》は子・正行《まさつら》に一振りの刀を、今世の形見として授ける。そして粛然と言い渡す。
 「行けよ正行 故郷《ふるさと》へ 老いたる母の待ちまさん」
 父から子へ、使命の太刀は渡る。その子は、郷里の母を護り、時を待ち、力をつける。そして、偉大な母のもとから、必ず立ち上がるのだ!
 父子《ふし》の誓いの劇は、また母子《ははこ》の正義の劇でもある。
 “大楠公” の詩の底流には、「父の恩、母の愛」への思いが流れ通っていたに違いない。
 ──心に故郷を抱き、父母を思えば、いかなる労苦にも耐えられる。生き抜く勇気が湧いてくる。
 この名詩を詠んだ落合直文の故郷──東北の天地でも、今、多くの青年が、父の心を受け継ぎ、母の心を護り抜いて、勇敢に忍耐強く奮闘してくれている。
 救援・復興に尊き金の汗を流す青年たちと、私の心も一体である。

大地から伸びよ!

 私は恩師に見出され、「嵐に負けずに伸びよ」と、師弟の大地に植えられた一本の若木であった。
 わが心に原点の大地を持つゆえに、私はいかなる苦難も耐えられる。絶対に負けない。恐れない。
 一日一日、青年の心をもって、胸中で師匠・戸田先生と対話しながら、新たな決意を燃やして生き抜き、戦い抜いてきた。
 だから勝った。だから、全民衆を護りゆく「大樹」の創価学会を築くことができた。一点の後悔もない。
 そして、わが愛する青年諸君こそ、私が生命を注いで鍛え磨いた、正義の宝剣である。私が未来の世界に贈る、希望の大樹なのだ!
 共に歌ってきた「紅の歌」に私は詠んだ。
 「子《きみ》よ大樹と 仰ぎ見む」
 私は君たちを信ずる!
 君たちの成長と勝利を、悔いなき人生を、私はひたすらに祈り待っている!
 さあ、広布を担い、世界を担い立つ青年の大樹を、いよいよ壮大に晴れ晴れと、この地球上に林立させていこうではないか!

 偉大なる
  広宣流布の
    仕上げをば
  君らに頼まむ
    君よ 指揮執れ


 トインビーの言葉は『トインビー著作集4』所収「現代宗教の課題」山口光朔訳(社会思想社)。ゲーテはビーダーマン編『ゲーテ対話録3』国松孝二訳(白水社)。落合直文は堀内敬三・井上武士編『日本唱歌集』(岩波書店)。
2011-05-29 : 随筆 我らの勝利の大道 :
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