東日本大震災への励まし-26

3月11日、国内観測史上最大のマグニチュード9.0を記録した三陸沖を震源とする東日本大震災が発生しました。
この震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様、そのご家族の方々に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。一刻も早い、一日も早い救出・救済・復旧・復興をお祈り申し上げます。

当サイトにおきましては、被災された方々、ならびに関係の方々への励ましになればとの思いから池田名誉会長の励ましの言葉・聖教新聞からの励ましをUPしてまいります。


御書とともに 19 名誉会長が指針を贈る

弟子の勝利を 断じて待つ

 何《いか》なる世の乱れにも各各《おのおの》をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し 乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり(呵責謗法滅罪抄,1132㌻)

通解
 どのように世の中が乱れていても、あなた方のことを「法華経や十羅刹女よ、助け給え」と、湿った木から火を出し、乾いた土から水を得ようとする思いで強盛に祈っている。

同志への指針
 “私が断固、わが門下を守る”と御本仏が宣言された。
 “門下よ、思う存分、戦い、すべてに勝ち抜くのだ!”
 ──この師匠の叫びに、勇猛精進して応えるのが、日蓮仏法の弟子の道である。

御書とともに 20 名誉会長が指針を贈る

創価学会は日本の柱

 我日本の柱とならむ 我日本の眼目《がんもく》とならむ 我日本の大船《たいせん》とならむ等《とう》とちかいし願《ねがい》やぶるべからず(開目抄、232㌻)

通解
 「私は日本の柱となろう。私は日本の眼目となろう。私は日本の大船となろう」と誓った願いは断じて破る事はない。

同志への指針
 立正安国の仏法が、いかに大切か。日蓮大聖人に直結する創価学会こそ、日本の柱であり、眼目であり、大船である。何ものにも揺るがない。激動の時代に、社会を平和と安定と繁栄へリードしていく力なのである。

勇気の泉 15 小説「人間革命」「新・人間革命」から

誠実に、粘り強い対話を!

〘1974年(昭和49年)1月、香港を訪問した山本伸一は、メンバーの質問に答え、外交、渉外の在り方を語る。〙

 「外交を行ううえで重要なことは、まず、第一に『勇気』です。
 難しそうだと思う相手であっても、勇気をもって会い、胸襟を開いて、率直に対話する。それが外交の第一歩です。
 臆病な人間は、直接、人と会って、対話することを避けようとするものです。そこからは、何も開けません。
 次に大事なことは、どこまでも『誠実』であるということです。
 外交といっても、相手に“この人なら人間として信じられる”と思わせることができるかどうかです。それは、社交上の小手先の技術などではなく、誠実さ、真剣さによって決まる。
 また、『根気』『粘り強さ』が大切です。
 こちらが対話を求めても、時には、拒絶されたり、たとえ会えても、誤解が解けずに終わることもあるでしょう。そうした場合には、根気強く挑戦を重ねていくことです。
 本来、外交というのは、一度や二度で思い通りの結果が出るほど、甘いものではない。
 壁が厚ければ、厚いほど、闘志を燃え上がらせて、粘り強く立ち向かっていくんです。心ある相手は、それを、じっと見ているものなんです」(『新・人間革命』第18巻「飛躍」の章)

勇気の泉 16 小説「人間革命」 「新・人間革命」から

一瞬一瞬を全力投球で奮闘!


〘1973年(昭和48年)5月5日、東京・豊島区のメンバーと山本伸一との記念撮影会が開かれた。同区の学生部員たちは、自発的に御書の索引集を作り、伸一に贈る。それを手にした伸一は、感嘆して言う。〙

 「これは新しい試みだね。
 青年の力はすごいな。青年が本気になれば、必ず新しい道が開かれる。若い世代が、どれだけ力を発揮していくかで、広宣流布は決まってしまう。
 青年ならば、自身の勝利のドラマをつくることだ。それが人生の軌道を決定づけるし、生涯の誇らかな財産となる」

〘学生部員たちは、不眠不休で索引集の編纂に当たってきた。作業が大詰めを迎えた時、彼らは語り合う。〙

 「これからが本当の戦いなんだ。不可能を可能にするんだよ。それが、学会の精神じやないか!
 あきらめの心をもつことこそが敗因なんだ。最後の最後まで、加速度をつけて頑張り抜けば、きっと完成する。
 疲れていようが、自分を燃やし尽くす思いで、大奮戦するんだ。最後の奮闘が、勝敗の分かれ目だと思う」
 もう一人のメンバーが頷きながら言った。
 「そうだな。最後の粘りを見せよう。
 これからは、最終の点検作業も大事になる。油断して、いい加減なチェックになってしまえば、ミスだらけの索引集になってしまうからね。それでは『九仞《きゅうじん》の功を一簣《いっき》に虧《か》く』ことになる。
 一瞬一瞬、全力投球、全力疾走だ。もし、間に合わないなんてことになれば、一生涯、後悔するぞ。
 限界を打ち破ってこそ本当の挑戦だ!」(『新・人間革命』 第17巻「民衆城」の章)

わが友に贈る

(2011. 4.22付 聖教新聞)
「仏法と申すは 勝負をさきとし」 執念で語れ! 師子吼で勝て! 異体同心で進め!

わが友に贈る
(2011. 4.23付 聖教新聞)
「今日」の勝利が 広布の未来を開く。 全員が師子となれ! 「法華経の兵法」で 断じて勝ちまくれ!

わが友に贈る
(2011. 4.24付 聖教新聞)
「いよいよ強盛に 大信力をいだし給へ」 不撓不屈の心で 愛する地域に 断じて栄光の旗を!

わが友に贈る
(2011. 4.25付 聖教新聞)
偉大な全同志の 不屈の闘争に感謝! 我ら青年学会は 勝ちに勝った! 新たな常勝劇を共々に!

今週のことば
(20011.4.25付 聖教新聞)
大勝利おめでとう! 諸仏も諸天も讃嘆。 百周年へ凱歌の開幕だ。 わが偉大なる友に 福徳と栄光あれ!

名字の言
(2011.4.22付 聖教新聞)
 この春、6年間の不登校を乗り越えて、大学合格を勝ち取った沖縄の女子学生部員が語ってくれた▼小学4年生の時、友人をいじめていた先輩を注意したことがきっかけで、矛先は彼女に向けられた。当時、周囲は、この状況を真剣に受け止めてくれず、次第に不登校に。中学進学後も、学校に行ったのは、わずか数回だけ▼しかし、人を信じられなくなった彼女のもとを、何度も訪ねた中学の教師がいた。何気ない会話の中で、“この先生は私の味方なんだ“と感じた。徐々に心を開いていった彼女は、中学卒業後、定時制高校に進学する。生徒会活動にも取り組み、人との関わりを大切にするように変わっていった。昼間は塾にも通い、大学受験を目指すようにもなった▼子どもは「愛されること」によって、初めて「愛すること」を知るという。刻まれた愛情は、心の中に生き続け、人生の支えとなっていく。彼女は「あの教師がいなかったら、今の私はありません」と、感謝の気持ちを忘れない▼「『思いやり』とは『思い遣る』、つまり思いを他の人まで差し向けることである」と池田名誉会長。口下手でもいい。悩み苦しむ友に、“思い“を届け続けたい。それはいつか、立ち上がり、前を向く力になるはずだ。

名字の言
(2011.4.23付 聖教新聞)
 ホテルに到着し、チェックインを済ませ、スタッフが部屋まで荷物を運ぶ。そのわずか数分間が、「そのホテルのすべての印象を決定する」。大手商社の創業者を祖父に持つ洋画家の益田義信氏が、自著『さよなら巴里』(三修社)に記していた▼ならば、ホテルに着いた客が最初に出会うドアマンは、ことのほか、その印象を左右することになろう▼創業120年余のある東京のホテルでは、ドアマンが30分ごとに白手袋を交換するという。客の荷物を汚さないため、などが理由のようだが、人は見ていないようで見ている。指先に宿った信念を。今日の伝統と信頼を築いたのは、この「30分への執念」の積み重ねでもあろう▼次々と訪れる客への対応に忙しい、などと、手袋交換の「マニュアル」をなし崩しにする理由はいくらでもある。だが、時々の判断で安易に変わるものを信念とは言わない。状況の変化を理由にしない「変わらないことへの誇り」こそが、偉大なものを作り上げる。これは、万般に共通する方程式であろう▼「今はできなくてもしかたない」と、ひるめば、そこで成長は止まってしまう。「ひとたび立ち上がったからには断じて勝つ」。この鋼鉄の信念が、広布と人生の勝利を切り開いていく。

名字の言
(2011.4.24付 聖教新聞)
 内村鑑三が『代表的日本人』の一人に挙げた江戸時代の米沢藩主・上杉鷹山。「民は国の宝」を信念とした彼は、藩政改革の方針を「三助」として示した▼(1)自ら助ける「自助」(2)(互いに近隣が助け合う「互助」(3)藩政府が手を伸ばす「扶助」である。この三位一体の改革を次々と断行し、窮乏に沈む藩を見事に再建した▼災害対応でも、「自助」「互助」「扶助」のいずれもが欠かせない。住居や生活手段など、すべてを奪われた中で、東日本大震災の被災者は、「自助」「互助」の力を見事に発揮し、奮闘している。問われるのは「扶助」──社会全体で、これからどう支えるか▼内村鑑三は、鷹山らとともに日蓮大聖人を『代表的日本人』に挙げた。そこには「所謂『佛敵』には極めて假借なかった彼は、貧しきもの悩めるものに接する時、人として最も柔和なる人であった」と▼時の権力者に、正しい思想を根本とした為政を求めた「立正安国論」。その「国」には、「国構え(囗)」に「民」の字を多く使われた。民衆一人一人の幸福を離れて、社会の繁栄はないという国家観、民への大慈大悲の表れである。「人間のために」「民衆のために」。この根本精神を訴える我らの運動が、今ほど必要な時はない。

名字の言
(2011.4.25付 聖教新聞)
 信心の大先輩を訪ねた。長年、浪曲の曲師(三味線奏者)として活躍された錦宝会(多宝会)の友である▼著名な浪曲師だった父の気風を受け継いだのか、自分にも他人にも厳しく、「鬼」と評された。知人の紹介で入会はしたものの、反発ばかり。寒い日にわざと薄着をした。風邪をひいて「信心しても病気になったやないか!」と、紹介者に食ってかかろうとした。が、「風邪をひくどころか、日に日に元気になり、10年と生きられないと診断された持病が治っていたんや」▼「命を守ってもらった。御本尊さま、すいまへん」。以来、「恩返しの人生」を歩む。唱題と折伏、そして三味線しかない毎日だったという。妙法の功力を命で感じたら、後は不平も理屈も言わず、「信心即生活」一直線。潔い信心の人と話すと、こちらの背筋もしゃんとする▼信心して一番の変化は、困った人を見ると、居ても立ってもいられなくなったこと。周囲からは「他人にそんなに親切せんでもいいのに、アホやなぁ」と言われるが、「『鬼』が『アホ』に変わった」と笑う▼御書に「無二に信ずる故によって・此の御本尊の宝塔の中へ入るべきなり」(1244㌻)と。ひたむきに「心の財」を積んだ人生には、あせない輝きがある。

『平和の朝へ 教育の大光』(第三文明社刊)へのあとがき

 本年の3月11日、午後2時46分──。
 日本の東北・関東地域を、マグニチュード9.0という世界最大級の大地震が襲った。それに伴う大津波による被害も甚大で、多くの方々が犠牲となられた。
 さらに、福島県の第一原子力発電所において重大な事故が発生した。世界中の人々が心を痛め、励ましのエールを送ってくださった。
 この大震災で亡くなられた方々のご冥福をあらためてお祈り申し上げますとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
 そして、皆様方が筆舌に尽くし難い困難を乗り越えられ、一日も早い復興を成し遂げられますよう、切にお祈り申し上げます。
          ◇
 ウクライナで、チェルノブイリ原子力発電所の大爆発事故が起こり、世界中に衝撃を与えたのは、この東日本大震災の四半世紀前──。
 1986年4月26日のことであった。
 この悲劇を乗り越えながら、ウクライナの人々は、今日まで平和への道を歩み続けてこられた。独立後の1994年、国内の核兵器全廃の道を選び、かつての「核ミサイル基地」には今、陽光に輝く「ひまわり畑」が広がる。
 どんな闇夜にも、必ず希望の朝は来る。
 日本は、第2次世界大戦で、世界最初の被爆国となった。広島、長崎の人々は、言葉に尽くせぬ苦しみの中、奇跡と言われた復興を成し遂げた。
 ウクライナと日本は遠く離れた国であるが、20世紀、同じような未曾有の苦難を経験してきた。
 両国の人々が厳然と示してきた人間の不屈の心、希望の心、同苦の心、連帯の心──。
 この心を幾重にも広げ、強固なものとしゆくかぎり、たとえ時間はかかったとしても、克服できない困難は断じてない、と私たち2人は確信してやまない。
 (中略)
 対談の中で、私たちが一際、強い関心をもって論じ合ったのは、やはり核兵器の廃絶の問題であった。
 本書の中で「自ら原子力の脅威を経験した日本とウクライナは、それを地球上のすべての人々が平和の大切さを理解するために役立てていく、という使命を与えられた国といえます」とズグロフスキーが表明したように、「核兵器のない世界」の建設は、ウクライナと日本の民衆の悲願だからである。
 それはまた、核兵器を“絶対悪”とし、廃絶を訴えた創価学会第2代会長・戸田城聖の「原水爆禁止宣言」を原点とする、世界192カ国・地域に広がるSGIの運動が共有するものである。
 新しい時代の主役は、いうまでもなく青年である。対談集でも、私たち2人は、青年を信頼し、青年を尊敬し、青年の育成を社会全体の最優先の目的としていくべきであると語り合った。
 青年の成長こそ、不滅の希望の太陽である。
 青年の連帯こそ、新しい平和の黎明である。
 こうした私たち2人の願いを込めて、対談集のタイトルを『平和の朝へ 教育の大光』とさせていただいた。


      2011年3月     ミハイル・Z・ズグロフスキー
                池田大作
2011-04-25 : 震災への励まし :
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