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魂の人間讃歌 第7回 真剣勝負が最高峰の証し

魂の人間讃歌  ジャズと人生と仏法を語る

第7回 真剣勝負が最高峰の証し(2010.12.18/20付)

わが道を歩み通した人が勝利者

ショーター氏
偉大な演奏は挑戦と忍耐から

池田 「完全なるものへ、あるが上にも完全へ」──創価の父・牧口常三郎先生の励ましです。
 牧口先生ご自身が、弾圧の獄中にあっても、カントの哲学を精読され、最後の最後まで探究を続けておられた。
 「創価」とは無限の向上です。いついかなる状況にあっても、そこから偉大な価値の創造へ、たゆまず前進し抜いていく生命の息吹です。
ハンコック はい。私たち音楽家も、皆、すべての演奏が自己の最高の演奏であることを望みます。それは、決して終わりのない追求です。
池田 芸術の道は、果てなき挑戦と創造の連続です。
 有名であろうがなかろうが、人気が出ようが出まいが、真剣に鍛錬し抜いて、その道を歩み通した人は、魂の勝利者です。世の毀誉褒貶を超えて、天の喝采に包まれゆく人生です。
 日本でも、世界各国でも、多くの若き芸術家たちが、苦難に挑みながら、精進を続けています。そこで、真摯に芸術を志す青年に代わって伺いたい。
 「良い演奏」「偉大な演奏」とは、どういうものか。そうした演奏を生み出す条件とは、いったい何でしょうか。
ショーター たくさんの要素がつまったご質問です。先生の問いは、私が今までしたこともない方法で、自問や内省──それは、どのようにして今の自分があり、なぜそのように考える自分がいるのかについての思索──を促してくださいます。
 時に、ステージでアーティストが偉大な演奏をすることがあります。それは、たくさんのレッスンや練習、経験の賜物であると思われています。
 ただ、私が今、強く感じているのは、以前にも増して、音楽を奏でていない日常生活においてさえ、独自に解釈すべき何か特別な素材が与えられているということです。
 ですから毎日の日常生活において、貴重な一瞬一瞬をどう挑戦しているか──これに尽きると思います。池田先生が常々、語られているように、「長く持続的な忍耐」の結果として、偉大な演奏は成し遂げられるのです。
池田 見事な答えをいただきました。芸術と人生の真髄を突いてくださった。
 「一瞬一瞬の挑戦」そして「長く持続的な忍耐」──あらゆる偉業を成し遂げる要諦が、ここにあります。安逸の生命からは、偉大な光は生まれません。
 仏法の極理では、「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり」(御書790㌻)と説かれます。
 仏といっても、現実からかけ離れた存在ではありません。法のため、人々のため、まさに一瞬一瞬、わが一念に億劫の辛労を尽くして精進していく。その生命にこそ、仏の力も、仏の智慧も、仏の振る舞いも脈動するのです。
ショーター 深く納得できます。
 私にとって、作曲は大きな闘争です。今、私自身、単に音楽や芸術としての楽曲ではなく、人生そのものに匹敵する作曲に挑んでいます。
 作曲の戦いは、人生におけるさまざまな障害を克服する私の戦いと同時進行です。私にとっての音楽は、感傷や美しさを求めるだけのものではありません──それは、私の葛藤と勝利、難関への抵抗と克服の物語です。芸術家としての私の使命は、音楽だけでなく、あらゆるところで“創造しゆく存在”になることです。
 それは、すなわち、「妙法」つまり「生命の不可思議」を探究することに等しいものです。
池田 歴史を振り返っても、偉大な創造は、恵まれた環境より、苦難との激闘から生まれる場合が多い。
 楽聖ベートーベンは、聴覚を失うという、あまりに厳しい苦悩を突き抜けて、人類に歓喜を贈りゆく数多の名曲を生み出しました。
 ショーターさん、ハンコックさんの音楽も、幾多の試練を勇敢に勝ち越えてこられた生命の勝利の響きです。
 「最高度の芸術は人間性の全体を要求する」(芦津丈夫訳「芸術論」、『ゲーテ全集13』所収、潮出版社)とのゲーテの卓見が思い起こされます。
 ここで、2人の心に残るご自身の演奏について、お聞かせください。
ハンコック そうですね。演奏旅行に出ると、何夜にもわたって公演するのですが、その中でも特に傑出した演奏が幾つか生まれます。特に忘れられないのは、ウェインと2人で出した「ワン・プラス・ワン」というアルバムの楽曲を演奏した時のことです。

ハンコック氏
真の芸術家の探究に終わりはない

ショーター あの時の演奏旅行では、シカゴやブエノスアイレスなどを訪れました。私たちは毎晩、違う聴衆を前に演奏の「対話」をしたね。
 こうしてステージで楽器を通しての対話をするように、私は演奏者と現実の生活上の事柄でも対話を重ねています。より個性的、より人間らしくなること──これが、ジャズというものが、実際に目指すものです。
ハンコック あるステージで、私は完全な自由を感じました。無限のエネルギーが湧き出て、それが、ウェインと彼の演奏に私をしっかり結びつけているかのようでした。まるで2台のロケットのように飛び立ち(笑い)、どんどん音楽が作り上げられました。それが、まさにその時の実感であり、「完璧な対話」のようでした。私が何を演奏し、その後にウェインが何を奏でても、すべての音の間で、すべてが完璧に合致していました。
 私が「完璧」というのは、すべての音が明確かつ正確に奏でられるという意味ではありません。ジャズの醍醐味は、ミュージシャンが提供し得る最高の高みへと至る過程にあり、それを聴衆も感じるのです。
 音楽を演奏していく中で、あるエネルギーのレベルに達し、そこで、瞬間をとらえ、人々と結びつき、そして音楽家同士の結合の深さが生まれるように思える時があります。これは、音楽家が持つことのできる最も充足感のある体験です。
 私は、それを、池田先生のご執筆やピアノ演奏、写真作品に深く感じます。このような創造の喜びは、仏法では、どう説明できるのでしょうか?
        ♫
池田 難しい質問ですね(笑い)。私自身は素人で、同志に喜んでもらえればという一心で、ピアノにも取り組んできただけです。写真も、執務の合間や移動の折々など、限られた時間の中で、一瞬の自然との出あいをカメラに収めてきたものです。
 ですから、答えになるか、わかりませんが、若き日、恩師の事業の苦境を打開するために奔走する中で、命に刻みつけた御金言があります。
 「我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(同788㌻)と。
 たとえ絶体絶命の窮地に立たされようとも、わが心には、尊極なる仏の生命が厳然と具わっています。この生命の太陽を輝かせていく大歓喜は、何ものにも奪われません。
 それは、ハンコックさんが言われるように、大宇宙の最高のエネルギーの次元と合致して、自他共に智慧と慈悲を力強く広げていける境涯です。
 ショーターさんは、偉大な演奏の源に「長く持続的な忍耐」を見出されました。尊き使命を果たしゆくために、あえて苦難に立ち向かい、生きて生きて生き抜いて、戦って戦って戦い抜く。その中で、湧き起こってくる智慧があります。宇宙の本源的なリズムに則って、尽きることのない価値創造の喜びが込み上げてくるのです。
ショーター それこそ、池田先生が教えてくださった「法華経の智慧」ですね。一人の人間が、自らの生命力の強さを自覚した時、そこから出てくる智慧です。毎日の生活の困難から逃げないで戦う智慧であり、一時的な出来事によって惑わされない智慧です。きらびやかさや、誘惑、高飛車な態度、大小さまざまな、いじめの世界にも、ぐらつかない智慧です。
 さらにまた、ある対立があった時に、暴力を行使するのではなく、対話で解決するべきだと、互いの生命を目覚めさせていく智慧です。
 今、私が知らない間にも、仏法を実践している192カ国・地域の人々から、こうした智慧が生き生きと現れ出ているに違いありません。
池田 その通りですね。
 智慧は、戦う勇気から生まれる。
 智慧は、友を思う慈悲から生まれる。
 智慧は、不屈の忍耐から生まれる。
 それは、現実の大地を踏みしめて、一日また一日、真剣勝負で生き切る中で、磨かれ、鍛えられていくものでしょう。
ハンコック マイルス・デイビスも、いつも一瞬一瞬に、自分が提供し得る最高の演奏をしようとしていました。彼は身をもって「一瞬に生きること」を示しました。そして彼は私たちに、聴衆を前に舞台の上で「練習すること」を教えました。その上で、何でもやらせてくれました。他の誰かがやっていることを真似たり、自分の部屋で練習しておいたことをそのまま機械的に演奏することを除けば、何事も「こうしてはいけない」ということはありませんでした。
 マイルスは言いました。
 「何かに真剣に取り組んでいる限りは、それこそ、私が君に求めるものなのだ。そのほかのことは一切、心配はいらない。聴衆に好かれるかどうかなんか、気にするな。ただ何かに真剣に取り組むのだ」と。
 これは、私にとっての、大きな教訓となりました。私は、聞こえを良くするために、外側を甘い砂糖でくるんだり、リボンをつけたりして、完璧な演奏に見せようと苦心する必要はありませんでした。
 たとえ、出てくる音が不器用なものだったとしても、マイルスは、わかってくれたのです。私たちが何かを求める努力をしているのかどうか、を。
        ♫
池田 含蓄のある言葉です。体裁がどうかではない。いかなる時も努力と苦労を惜しまぬ自分になれ!──人生の万般に通ずる励ましです。
 創価大学の硬式野球部に、私は指針を贈ったことがあります。
 「心で勝て 次に技で勝て 故に 練習は実戦 実戦は練習」と。
 その通りに、野球を通して、一人一人が、人生と社会で勝つ「心」を鍛えてくれていることが、嬉しい。
ハンコック 「心で勝て」という指針は、胸に迫ります。
 マイルス・デイビスの「カインド・オブ・ブルー」という名盤があります。ジャズ史上、記録的な売り上げを残したレコードであり、彼の代表作の一枚に挙げられるでしょう。
 なぜ、そのレコードが素晴らしいのかといえば、最も重要な要素は、「聴く人の命に響いた」ことだと思います。その人と人とを結ぶつながりの深さというものが、演奏の質を決定するのではないでしょうか。
ショーター 私も、今、自分が取り組んでいる音楽が、聴衆一人一人の目覚めを呼び起こせるものとなるよう願っています。
 偉大な演奏は時代を超えたものであり、その演奏の過程には人類の物語があることでしょう。ともかく私は、「演奏は上手だが、中身のない、見せかけのアーティストである」と言われるような人には、決してなりたくありません。
池田 真剣勝負の人生は美しい。その精魂が込められたものには、心が揺さぶられます。お二人と一緒に見つめた、日本の最高峰たる富士山も、頂上は常に烈風に曝されています。最高峰の創造を目指す人生も同じです。
 戸田先生は言われました。
 「瞬時も戦いを止めないから、神々しいまでに荘厳なのだ」
ハンコック 時折、芸術家があるレベルに達したら、それが彼らの発展の終着点であるような見方があります。
 しかし真の芸術家には、まさに永遠の生命や、人間の無限の可能性のように、学習し、探究し、成長し、人生のあらゆる側面と結びつく限りない能力があり、そこに終着点はないのです。

師弟は不可能を可能に!

池田 偉大な文化には、必ずといってよいほど師弟の系譜があります。日本の古典芸能である能や邦楽、落語なども、師匠のもとで厳しい訓練を受け切って、芸を磨き上げていく──そうした伝統が脈打っています。
 あの大音楽家のメニューイン氏も、師への深い感謝と畏敬を込めて、行動や存在そのものも含めたすべてにわたって「並みはずれたスタイルがありました」と語っておられました。(ダニエルズ編、和田旦訳『出会いへの旅』みすず書房)
 師弟にこそ、人間と芸術の最も美しい結合が光ります。
ハンコック 音楽の師といえば、私は、希有のトランペット奏者であるマイルス・デイビスを挙げなければなりません。
 マイルスと過ごした日々は、特別な機会の連続でした。
ショーター 私も15歳の時、ラジオでマイルス・デイビスがチャーリー・パーカーと演奏をしているのを聴き、いつか、このマイルスと一緒に演奏できるようにと準備をし始めました。そして29歳になる時、彼と共演し、バンドに加わったのです。その時、ハービーはすでに、マイルスのバンドの一員でした。
        ♫
池田 ハンコックさんが、マイルス・デイビスさんのバンドへと加わったのは、いつ、何歳の時でしたか? その時の思い出を聞かせてください。
ハンコック 1962年、22歳の時で、大学を卒業したばかりでした。楽団に入るためのオーディションは、マイルスの自宅で行われました。それは、いささか不思議な経験だったのです。
 実際にマイルスが一緒にいたのは、ほんの5分か10分程度でした。トランペットでいくつかのメロディーを吹いた後、彼はすぐ階上の別室へ上がって行きました。代わりの人が私たちの面倒を見てくれて、これを演奏せよ、あれを演奏せよ、と指示したのです。
 そして3日目、ようやくマイルスが下りてきて、少し演奏するや、「オーケー、あすスタジオで会おう」と言うのです。「あなたの楽団に入れるのですか?」と尋ねると、彼は「君はレコーディングをするのだよ!」と答え、ちょっと微笑んだのです。私は間違いなく、彼のバンドの一員になりました。というのは、私たちは、レコーディングが終わるとすぐ、一緒に演奏旅行に出かけたからです。
 ずっと後年になって、彼が3日間、姿を現さなかった理由を知りました。実は彼は、別室のインターホンで演奏を聴いていました。もし自分がその場にいたら、私たちが硬くなって、思い通りに力量を発揮できないだろう──そう思って陰から見守り、伸び伸びと演奏させたのです。
 このことがわかったのは、マイルスが亡くなる少し前、パリで一緒に演奏していた時のことでした。
        ♫
池田 美しいエピソードですね。
 師匠の心の深さは、弟子が一生をかけて迫っていくものかもしれません。私は19歳で戸田先生にお会いしました。初対面でしたが、じつは先生は、事前に地域の方から私のことをよく聞いて、知ってくださっていたのです。今、その師の心が深くわかります。
 先生が逝去された後、日本の首相と挨拶を交わした時には、「あなたのことは、戸田会長からよく伺っております」と丁重に迎えていただきました。弟子のため、人知れず要所要所に、的確な手を打ってくださっていました。ありがたい先生でした。
ショーター それは、私たちが池田先生に対して抱いている思いです。
 私が、所属したバンドのリーダーだった、マイルス・デイビスとアート・ブレイキーの2人から受け取った最も素晴らしいことは、不可能だと思われていたことでも、現実に達成することが可能であることを学んだことでした。
 マイルスと一緒に仕事をするようになって、演奏スタイルは「爆発的な瞬間」へと移っていきました。まさに、演奏中に、私たちが存在すると思わなかったものが「本当に存在するのだ」と、単なる感情の次元ではなく生命の次元で悟るような瞬間でした。それは、つかみどころがないもので、全身全霊でとらえなければなりませんでした。マイルスと演奏することは、何か極めてユニークな新しいものの始まりのようでした。

音楽の師マイルス・デイビス氏の薫陶
ショーター氏
毎日が生命の新しい始まり
ハンコック氏
共演する全員が高められる

池田 「不可能を可能にする」──これが師弟の力です。自分一人では越えられない壁も、師匠と弟子が一体になることで打ち破れる。その巨大な力が生まれるのです。
 アメリカ・ルネサンスの哲人エマソンも語りました。
 「人生で最も必要なものは、自らの可能性を引き出してくれる存在です」と。
ハンコック マイルスと一緒にいると、音楽家としての私たち一人一人の演奏力のレベルがグーンと上がるのです。演奏しているのが、ウェインだろうが、私だろうが、何もかもが高められていきました。
 全体が、それを構成している部分の合計以上のものになる──マイルスと共に演奏することの素晴らしさを、私は時にそう表現しています。
池田 それこそ「団結の妙」です。「和の力」です。
 御書にも「異体同心なれば万事を成し」(1463㌻)と仰せです。
 お2人は、アメリカ芸術部の友と一緒に、これまでも幾度となく素晴らしい演奏を聴かせてくださいました。あらためて、心から感謝申し上げます。
 とくに、お2人をはじめ演奏者同士の“呼吸の妙”は息をのむほど見事です。個々は自由自在に奏でていながら、それでいて絶妙な調和があり、秩序がある。
 自己への強い自信とともに、互いへの固い信頼が伝わってきます。
 音楽は、人間を最大に輝かせ、人間と人間を最強に結びつける──この偉大な力を実感します。
        ♫
ショーター 池田先生が、私たちの演奏をそこまで深く聴いてくださっているとは、本当に驚きです。先生は、まさに青年の精神で、ジャズを理解してくださっています。
 先生は、こうした対談を、さまざまな異なる立場の方々と続けてこられました。先生は、開かれた対話を通して、人間は皆、本質的に平等であるということを世界に宣言されています。
 人々の生活の中で、いまだに存在する多くの人為的な境界線を、先生の勇気は貫通してこられたのです。
池田 仏法は「一閻浮提」であり、「末法万年尽未来際」です。いよいよ大きく広く、青年たちの道を開いていきたいと思っています。お2人と共に! 同志と共に!
ハンコック ありがとうございます。
 人間のもつ精神の強さを信じ、誰もがこの仏法の信仰を始めた時に起こる、生命の覚醒や変革を深く信じて疑わない人生を、私たちは生きていきたいと思います。
 仏法は、人類が、将来に直面する最も困難な課題をも乗り切れるということを、確実なものにしてくれる──そう強く確信します。
池田 そうです。歴史学者のトインビー博士とも語り合った展望です。
 ところで、ハンコックさんにとって、マイルス・デイビスさんに出会う前に学んだジャズの先生は、どなたでしたか。
ハンコック 聞いてくださって、嬉しいです。私を見出してくれたのは、トランペット奏者のドナルド・バードです。本当に重要なたくさんのことを教えてくれ、面倒を見てくれました。
 彼と一緒にいた時に、私たちが演奏した曲目の一つに「チェロキー」という曲がありました。大変に速いテンポで演奏され、私は、速い弾き方を知らなかったので、それを演奏できませんでした。
 最初のステージが終わった後、ドナルドは、彼自身が他のピアニストから教えてもらった、速く弾く学習法について、私に話してくれました。
 「君が速く弾けない理由は、そんなに速く自分が弾いたことを一度も聴いたことがないので、自分はできないと思っているからだ」「一度、速く弾いている自分を聴けば、速く弾くことができるようになるよ」と。
 それは、速さについて「学ぶ」というより、自分が速く弾くのを「聴く」やり方でした。その通りに練習しました。次の夜、その「チェロキー」を、バンドは速く演奏しました。私も、速く弾くことができたのです。
池田 巧みな指導法ですね。
 戸田先生も、青年を信じて、まず、やらせてみました。
 御書には、「人がものを教えるというのは、車が重かったとしても油を塗ることによって回り、船を水に浮かべて行きやすくするように教えるのである」(同1574㌻、通解)と示されています。
 師弟の魂の交流には、困難を乗り越える勇気と智慧が漲ります。そこに偉大な創造の源泉があります。
ショーター 師を広い意味でとらえれば、私には、ピアニストのアート・テイタムや、ショパン、ドビュッシー、ストラビンスキーなど、尊敬する音楽家がたくさんおります。そして、彼らからの影響を実現化する過程は、今も進行中です。例えばモーツァルトを聴く時、「彼は、その時、どんな人生を生きていたのだろうか」と考えるのです。
池田 なるほど。ジャズのみならず、クラシックを含めた幅広い音楽家を師と仰ぎ、学ばれてきたのですね。心に師を持つ人は謙虚です。偉大な師という目標を持つ人に、限界はない。
 私は今でも、毎日、胸中の戸田先生と対話しながら生きています。
 「戸田先生なら、どうされるか」と常に思いを致しながら決断し、行動してきました。ゆえに迷いません。
        ♫
ハンコック 私は、師匠と弟子が目指すものは同じでなければならないと理解しています。師匠の夢は、弟子の夢でなければならず、両者が目指すものが違ってはならない。これは、とても重要なことです。師匠と弟子が別の夢を持ってしまえば、それは、もはや正しい師弟関係ではありません。
 ジャズにおけるマイルスとの師弟の関係は、今も続いています。私は、彼の生命を背負って生きていると感じるのです。
 私は、池田先生が戸田先生のことを語られる時、同じ思いでおられると感じます。つまり戸田先生の命は、池田先生の中では、決して断絶することはないでしょう。それは継続的な永遠のつながりです。
池田 マイルス・デイビスさんの自叙伝には、お互いに影響を与え合う関係から、素晴らしい音楽が生まれるとの一節がありますね。「教え、教えられながら、もっとずっと先に進んでいくんだ」(マイルス・デイビス、クインシー・トループ著、中山康樹訳『マイルス・デイビス自叙伝II』宝島社文庫)と。師弟や同志の間に麗しい心が流れ通う時、前途は限りなく洋々と開かれるのです。
 仏法では、「よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり」(御書900㌻)と明かされています。
 師弟とは、弟子を自分以上の人材にと願う師匠と、何としても応えようとする弟子という相互の真剣の一念から生まれる生命の紐帯です。
 法華経には「在在諸仏土常与師倶生」と、仏法の師弟の永遠性が説かれています。
 師弟の旅は永遠です。師弟の誓願を果たしゆく挑戦も、永遠に続きます。いよいよ若々しく、魂を燃え上がらせながら!
2010-12-27 : 音楽を語る :
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