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栄光の日々 5 旭日の千葉

栄光の日々 名誉会長と我らの人生 5
                (2010.2.14付 聖教新聞)
大聖人御聖誕の天地 旭日の千葉

創価ルネサンスの太陽が昇った!


 「会う友は、一人残らず励まし、思い出をつくってさしあげたい」──昭和49年(1974年)2月15日、池田名誉会長は学会本部から千葉へ向かった。
 午後8時半、外房線の大原駅着。列車降りるや、真っ先に駅構内にいた100人ほどの同志のもとへ。
 「あ、先生!」
 21年ぶりに名誉会長を迎えたその日に、登山会に出発する勝浦の友たった。
 名誉会長は一人一人に声をかけ、花束やお菓子を贈った。「皆さんの留守は引き受けました。安心して行ってきてください」
 その日深夜の東京駅。乗換列車を待つ勝浦の友に、名誉会長から重ねての激励が届いた。「ここまで先生は私たちのことを!」。再びの歓声があがった。
 「真心の激励というものに“省略”はない」──これが名誉会長の心。
 翌16日は、日蓮大聖人御聖誕の佳き日。晴れ渡り、春を思わせる陽気だった。
 その朝、名誉会長は立宗宣言の地・清澄山の嵩が森を望んだ。「すばらしい朝明けの森だね」
 次いで、勝浦市での千葉県大会や、最高会議などの諸行事に出席。この日が「千葉の日」となった。
 車での移動中も、名誉会長の心は、サーチライトのように、一人一人の同志に注がれた。例えば──
 本紙の販売店を目に留めれば、日ごろの労をねぎらう。整理にあたる役員には「ご苦労さま。無事故で、よろしく頼みます」と。国道沿いに家がある婦人は、“先生は必ずこの道を通られる”と確信。地域の同志と県大会の大成功を祈っていた。すると、一度通り過ぎた車が戻り、家の前で止まった。名誉会長は婦人の手を取り、「お元気で。長生さしてください」と。
 17日、名誉会長の激励行に同行した高沢千葉長(現・参議)は述懐する。
 「『あれは学会員だね』『あの人もそうだ』。こう聞かれるたびに、私は冷や汗をかきました。渾身の励ましを贈られる池田先生の姿を見ながら、“私も一人一人の顔までは分からないのに、先生はなぜ分かるのだろう?”と思いました」
 名誉会長は語った。「精いっぱい、千葉の皆さんの真心に応えるのだ」
 9日後の26日、再びの訪問。千葉市での本部幹部会に臨んだ。開会前、240人にも及ぶ青年と懇談し、終了後は千葉会館に寄り、居合わせた友を励ました。
 名誉会長は明言した。
 「2月は千葉の月だ!」
        ◇
 縁深き千葉。宗祖ゆかりの天地であり、世界広布の玄関。水滸会の野外研修を行った犬吠埼、華陽会の友と研修した富津、終戦の翌月に買い出しに訪れた幕張がある。本家のルーツ(池田郷)もあると言われる。
 平成3年(91年)11月16日の千葉文化友好祭。6500人の青年が、永遠に崩れない「万里の創価人材山脈」の凱歌を謳い上げた。
 第2次宗門事件の最中の開催。9日前の7日、学会の大発展に嫉妬した日顕宗が衣の権威を振りかざし、一方的に解散勧告書を送りつけたばかり。世間は「学会は、どうなるのか」と騒いでいた。もちろん、学会は微動だにしなかった。
 友好祭には国内外の来賓が出席。テレビ・新聞など多くの報道機関が取材に。
 名誉会長は師子吼した。
 「魂の世界は、いかなる権力も侵すことができない」
 “魂の独立宣言”──創価ルネサンスの太陽が「旭日の千葉」から昇った!
2010-02-17 : 栄光の日々 :
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