スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
-------- : スポンサー広告 :
Pagetop

栄光の日々 1 四国

栄光の日々 名誉会長と我らの人生 1
               (2010.1.15付 聖教新聞)
正義と求道の大航海 四国

創価の21世紀は見えた!

 水平線に光る白亜の船。太平洋の荒波を蹴立てて、遂に横浜港にやってきた。
 香川、高知、愛媛、徳島の友1000人を乗せた客船「さんふらわあ7」号。
 桟橋に近づくと、神奈川文化会館がはっきりと見えた。天を衝く楽隊の演奏も聞こえる。
 接岸間近。デッキに出ていた友が叫んだ。
 「池田先生だ! 先生が桟橋に来ておられます!」
 黒いコートを纏った池田名誉会長が待っていた。代表に花束を贈り、がっちりと握手を交わして言った。
 「よく来たね。これで勝った!21世紀が見えた!まさか海から来るとは!」
 第3代会長辞任から8カ月余の昭和55年(1980年)1月14日。第1次宗門事件のさなかだった。
 事件の根は、名誉会長と会員の絆を分断しようとした謀略にある。この嵐が、全国でもいち早く吹き荒れたのが四国だった。
 閉塞感を打ち破るために「そうだ! 私たちが先生のもとへ行こう!」。
 こう決めた時、友は心の闇を突き破っていた。“さんふらわあ”の船体に描かれている真っ赤な太陽は、友の胸中に昇っていた。
 待ちに待った人生の師との出会い──。
 師は何も変わっていなかった。富士の如く堂々としていた。にもかかわらず、弟子が周りの変化に紛動されて、どうするのか。
 四国男子部は宣言した。
 「池田先生! 私たちの師匠は池田先生です! いつまでも、どこまでも、共に戦つてまいります!」
 皆の真情だった。
 名誉会長は、決戦に臨む父子の決意の曲“大楠公”をピアノで力強く奏でた。
        ◇
 四国の友1000人を乗せた“さんふらわあ”は、この年、名誉会長のいる神奈川へ、3度訪れている。
 その黄金のドラマの一端を紹介すると──
 【1回目】午後7時。船上の人となった友は、全館消灯した神奈川文化会館に小さな光を見た。名誉会長夫妻が懐中電灯を振り、見送っていたのである。その光は“希望の光”となって今も友の胸の中に輝く。
 【2回目】5月17曰、徳島の友が駆けつけた。名誉会長を囲んでの懇談的な語らい。「本当に温かい、家族的な雰囲気でした。池田先生をあんなに身近に感じたことはありません」 (参加者)。そのぬくもりを、友は今も忘れない。
 【3回目】5月20日には愛媛の友がやってきた。午後5時。見送りの桟橋には名誉会長がいた。両手には船出を祝う五色の紙テープが巻かれていた。名誉会長とつなかった紙テープ──心と心は、今も一段と強くつながっている。
 名誉会長は、当時を述懐し、青年に強く語った。
 「一番大変な時に、まっ先に私のもとに来てくださったのが四国の方だった」
 「あの光景を一生涯、忘れることはない」
 仏法の根幹は「師弟」である。師と弟子の心のギアが完璧に噛みあった時、新しい時代の扉は開かれる。
 “さんふらわあ”は、名誉会長と会員を切り離そうとした画策を打ち破った、「師弟共戦」の“魂の大宣言”であった。この潮流は四国から全国へ、全世界へと大きく広がった。
 正義と求道の大航海から30年──。名誉会長のもとに集った3000人も、留守を守り、成功を祈った同志も、四国広布の中核を担うリーダーに大成長した。
 ある母は、子と孫に語り遺した。「あの師弟旅に参加させていただいたことが、人生の最高の誇り。一生という限られた時間を、師のために使っていきなさい」
 名誉会長と我らの「共戦の旅路」は続く。今日も。明日も。これからも。
2010-01-25 : 栄光の日々 :
Pagetop
« next  ホーム  prev »

プロフィール

fmiokun

Author:fmiokun
FC2ブログへようこそ!

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ブログ内検索

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。