周恩来 穎超記念館の「名誉館員」称号授与式

中国・「周恩来 穎超記念館」の「名誉館員」称号授与式
         (2009.12.1 聖教新聞本社)

 中国・天津市にある「周恩来穎超記念館」から池田名誉会長に、日本人初の「名誉館員」称号が贈られた。これは、周恩来総理と名誉会長の会見35周年を記念するとともに、名誉会長の周総理夫妻に対する厚情、日中友好への比類なき尽力を讃えたもの。授与式は1日、東京・信濃町の聖教新聞本社で挙行され、同記念館の康金鳳館長、天津社会科学院の易明副院長、平力群副研究員が出席。名誉会長の代理である池田博正副理事長に証書が託された。また、名誉会長の友誼の漢詩が康館長に手渡された。

康《こう》館長の授与の辞

周総理の夫妻の中日友好事業を発展
平和の提唱者として広範な尊敬


 池田大作先生に「周恩来 穎超記念館」の「名誉館員」称号を授与するにあたり、私は謹んで当館を代表して、中国人民の古き良き友人であり、心から尊敬申し上げる池田先生と香峯子夫人に、衷心よりお祝いを申し上げます(大拍手)。
 また、ご列席の皆様、友人の皆様に、心から感謝を申し上げます。
 今年は、周恩来総理が池田先生と歴史的な会見をされてから35年になります。
 当館は、うれしいことに、中日友好のために長年にわたり力を尽くし、重要な貢献をしてこられた池田先生に「名誉館員」称号を授与することができました(大拍手)。
 今回の授与は、私たち双方が、より一層、協力と交流を強化し、中日両国人民の友好往来の促進をしていく契機であります。また、中日両国人民が、中日友好の大事業に対して卓越した貢献を成し遂げてこられた周恩来・穎超夫妻を心に刻むことに対し、重要な意義と深き影響を持っていることを確信するものであります。
 池田先生は、かねてから世界平和の提唱者、思想家、教育家として名高く、中国人民に対し深い友情の心を抱かれ、中国人民から広範な尊敬を受けておられます。
 中国と日本がまだ国交を結んでいなかった時、先生は、中国と日本は友好関係を樹立して、アジアと世界の平和的な発展と安定を促進していくことを提唱されました。
 先生は、東京において、かの有名な「日中国交正常化提言」を発表し、大変な反響を呼び起こしたのであります(大拍手)。
 それから40年余り過ぎた今日まで、先生は中日友好事業のために努力に努力を重ね、心血を注いでこられました。中国の国家指導者と何度も親しく会見し、深い友情を結んでこられ、小平、胡耀邦、江沢民、胡錦濤、温家宝などの国家指導者は、先生が長年にわたり、中日友好に力を尽くしてこられたことに対し、高く評価しております。
 胡国家主席が訪日された2008年5月、池田先生と親しく会見された際、主席は「1968年に、先生は率先して、中日国交正常化を一日も早く実現しようと、提唱されました。そして数年前、中日関係が困難な状況にある中で、先生は歴史的な高みに立って、友好関係の政治的な難局を打開するために、素晴らしい、重要な役割を果たしてくださいました。私は、先生の政治的な遠見、そして博識と勇気に対して、心からの敬意を表します」と発言されました。
 2007年4月、温総理が日本を訪問した際にも、池田先生と親しく会見し、先生に「慈航創新路 和諧結良縁」(慈悲の航海で新たな道を創造し、調和は良縁を結ぶ)という漢詩を贈られました。
 この漢詩は、中国政府と人民が抱いている先生への尊敬と期待を象徴するものであり、中日友好の歴史において新たな1ページを開くものとなりました。これはまた、私どもにとって心からの喜びであります。
 「周恩来 穎超記念館」は、中国共産党天津市委員会、天津市人民政府が決定し、中国共産党中央に許可を受けたうえで、1998年2月28日、周総理の生誕100周年の記念日を前に開館しました。オープンして約12年、すでに国内外からの来館者数は、のべ580万人以上を数え、社会の各界の人々から広範な賞讃を受け、好評を博しております。
 周総理と女史は生前、中日関係の発展を非常に重視され、中日関係の歩みの一歩一歩は、すべて周総理が心をこめて指導し、育成してこられました。
 池田先生は、中日国交正常化、中日友好に重要な貢献をされました。周総理は生前、中国の関係部門に創価学会を重視することを指示し、病床の身を顧みず、先生と歴史的な会見を行われました。
 また、女史は生前に8回、先生と会見されました。周総理と先生は、共に中日の世々代々にわたる友好に着目され、世界平和と発展を願ってこられましたが、これは歴史発展の必然的な趨勢でもあったのです。
 池田先生は長年にわたり中日友好に力を注がれ、遠くを見通す先見性、勇気、そして比類なき中日友好に対する貢献のみならず、周総理夫妻に対して深い感情を抱いておられることに鑑み、当館は、池田先生に対し「名誉館員」称号を授与いたします(大拍手)。
 この決定は、当館において討議を経た後、上級の関連部門に許可を得て授与するものであり、当館が日本の方に初めて授与する栄誉称号であります。
 私たちが池田先生の歴史的な功績に対する賞讃と尊敬を表しているものであります。
 それはまた、中日両国人民が世々代々にわたって友好を貫いていく決心と意志を表すものでもあります。
 来年は、創価学会の創立80周年、池田先生の会長ご就任50周年の佳節にあたります。
 私どもは、創価学会のますますのご発展ををお祈りするとともに、先生と香峯子夫人がご健康で、ご長寿で、幸多からんことを、お祈り申し上げます。
 ご来賓の皆様と、友人の皆様のご健勝、そして、中日両国人民の世々代々の友好と協力と発展をお祈り申し上げ、私の授与の辞といたします。
 本日は、誠にありがとうございました(大拍手)。

池田名誉会長の謝辞(代読)

強き「太陽の心」で我らは人民と共に勝利の春へ
若き俊英たちよ 正義の大道に続け
人類を結ぶ智慧の対話を
周総理
大切なのは心が通じあうことだ


 一、大中国は本年、晴れ晴れと建国60周年を飾られました。
 それはまた、私たちが敬愛してやまぬ人民の大指導者・周恩来総理の就任60周年にも当たっております。
 この大いなる佳節に、周総理と穎超先生の偉大な精神を生き生きと受け継がれゆく先生方を、お迎えすることができました。
 これ以上の喜びはございません。私たちは最大の祝賀と敬意をもって、熱烈に歓迎申し上げます(大拍手)。
 私はよく、海外の報道機関からのインタビューなどで、「これまでお会いしてきた世界の多くの指導者の中で、格別に心に残る方は、どなたですか」と尋ねられます。
 その折、私が筆頭に挙げさせていただくのは、周恩来総理と穎超先生のご夫妻であります。お二人の崇高な信念と人格を、日本はもとより、全世界の21世紀を生きゆく青年リーダーの心に刻み残したいと願い、スピーチや執筆も重ねてまいりました。
 その意味におきまして、本日、人類の宝の殿堂たる「周恩来 穎超記念館」から賜りました「名誉館員」の称号ほど、私の魂が鼓舞される栄誉はございません(大拍手)。
 渤海の「真珠の都」天津に輝きわたる貴・記念館は、中日友好を啓発し、促進する殿堂でもあられます。
 今年は、創価学園の若き訪中団の一行も、先生方に、それはそれは温かく歓待していただきました。
 きょうは、日中友好青年交流団として、記念館を訪問させていただいた青年部の代表も、勇んで出席しております。
 私は、世界192力国・地域の青年たちと共に、貴国との永遠の平和友好の断固たる決意を込めて、名誉ある記念館の一員とさせていただきます。誠に誠に、ありがとうございました(大拍手)。

覚悟の光る青春は朗らか
 一、貴・記念館が万代の未来へ発信されゆく、周総理ご夫妻の尽きせぬ精神遺産の中から、私は3点のメッセージを確認させていただきたいと思います。
 第1は、正義に燃え立つ「青春の勇気」です。
 それは、今から90年前の1919年のことでした。
 列強諸国や日本の侵略の嵐が吹き荒れるなか、若き日のお二人は愛する祖国と民衆を断じて守り抜くため、天津の大地に決然と立ち上がられました。
 時に、周青年は21歳。女史は15歳の乙女でありました。お二人は、青年の陣列たる「覚悟社」の先頭に立って、生涯にわたる大闘争を、天津から開始されたのです。
 投獄など、いかなる試練が立ちはだかっても、正義の旗を掲げた青春は朗らかでした。
 周青年は、常に自信満々と断言した。
 「大丈夫、勝利はわれわれのものだ」(胡華著『周恩来の青少年時代』外文出版社)
 若き聡明な女史もまた、「実践の灯を掲げ、自らの前途を照らし、一歩一歩前進するのだ!」(高橋強・水上弘子・周恩来穎超研究会編著『人民の母──穎超』白帝社)と同志を明るく励ましながら、率先して奔走されました。
 「天津の小さき明星」とも讃えられた、この少人数の青年の連帯には、大きな大きな「勇気の炎」が燃えたぎっておりました。その炎が、やがて大中国そして世界の民衆勝利の新時代を明々と照らしていったのです。
 私も19歳で恩師にお会いしてより、使命の青春を悔いなく生き抜いてまいりました。妻も同じであります。
 私と妻が穎超先生にお目にかかると、先生はいつも家族のように、周総理と戦ってこられた真情を語ってくださいました。まるで、お二人の「革命精神」を、息子と娘に託してくださっているようでありました。
 周恩来総理が天津の南開大学の講演で、母校の英才に語られた激励を、私はわが後継の青年たちに伝えさせていただきたい。
 それは、「青年は、建設を重んじよ! 積み重ねを重んじよ! そして貢献を重んじよ!」との叫びであります。

青年労働者の手作りの外套
 一、ご夫妻に学ぶ第2は、人民と苦楽を共にする「奉仕の行動」です。
 「全身全意、人民のために」──この一点に徹し抜く人生には、無限の力と智慧が湧いてきます。
  「人民の総理は
    人民を愛し
  人民の総理を
    人民は愛す
  総理は人民と
    甘苦を共に
  人民は総理と
    心ひとつに」(林芳訳『寥天──周総理若き日の詩十四首』サントク・エンタープライス出版部)
 民衆から生まれ、愛唱されてきた、この周総理の讃歌には、リーダーが模範と仰ぐべき永遠の人間指導者像が謳い上げられているのではないでしょうか。
 貴・記念館に展示されている一着の綿入れの外套(=コート)の物語を、私と妻は深い感動をもってうかがいました。
 それは、周総理が逝去されて間もない1976年の冬、穎超先生に天津の青年労働者たちから贈られた手作りの外套です。
 そこには、「全中国の青年たちはみんなあなたのそばにおります。あなたとともに、敬愛する周総理の事業を受け継ぎ、戦い抜いて参ります」との決意の手紙が添えられていました。
 当時は、四人組が総理の追悼会を邪魔するなど、陰謀が渦巻いていました。
 穎超先生は真心に深謝され、丁重に返礼されました。
 「みなさんが、一針一針縫い上げたこの外套は、本当に温かさが心にまで伝わります」と。
 その後、穎超先生は、重要な会議に出る時も、外国からの賓客を出迎える時も、いつも、この外套を身につけて臨まれたのであります。
 「人民と共に試練の冬を乗り越え、そして、人民と共に勝利の春を迎える」──これが、ご夫妻の一念でした。
 日本に留学されていた周総理の心を携えて、穎超先生が来日されたのは、30年前の春4月でした。
 東京の迎賓館でお会いした際、先生から悲母のごとく、「人民の支持があるかぎり、一歩も引いてはいけません」と語っていただいたことが、今でも、懐かしく思い起こされます。

生涯、忘れ得ぬ慈父のごとき姿

 一、そして第3は、人類を結び合う「智慧の対話」です。
 「もっとも大切なのは心が通じあうことだ」「共通の目的がありさえすれば、心はひとつに結ばれて、どんなことでも討議のすえに話がまとまる」(『周恩来総理の思い出』外文出版社)
 これは、世界を舞台に、智慧光る人間外交を繰り広げられた周総理の信念であります。
 1974年の12月5日、病身をおして30歳も若い私を、慈父のごとく迎えてくださった、あの大誠実のお姿は、私の生命に焼き付いて決して離れることはありません。
 周総理は、私との語らいでも中国と日本の揺るぎなき平和友好を願われ、そして、すべての国が平等に助け合う時代を展望されておりました。
 一人の民間人として、文明を結び、人類を結ぶ対話の波を起こしてきた私の胸奥には、常にこの周総理の心が光っていたのであります。
 この12月5日、光栄にも総理との会見35周年を記念し、天津の南関大学では「周恩来・池田大作思想青年学術シンポジウム」が開催されるとうかがっております。
 総理と共に開かせていただいた青年友好の大道に、両国の俊英が続いてくれている。本当にうれしいことです(大拍手)。
 一、30年前の春、穎超先生が関西の地を訪れた時のことでありました。
 降り続いていた小雨もやみ、総理にゆかりの京都の嵐山で、先生があいさつを進められると、雲間から陽光が差し込みました。
 先生は当意即妙に、こう語られました。
 「いましがた太陽が出てきて、私たちを照らしています。これは、中日両国人民の友好が限りなく光り輝くことを象徴しています」
 このご夫妻の太陽の心を継承されゆく貴・記念館こそ、かけがえのない平和友好、そして教育・文化の光の宮殿であります。
 その希望の大光が、いやまして赫々と千秋万歳の輝きを放ちゆかれることを、私たちは心からお祈り申し上げます(大拍手)。

報恩を行動に
 一、今、私どもの民音の招聘で、周総理が愛し育まれた中国国家京劇院の新作「水滸伝」の日本公演が大きな感動を広げております。
 そのテーマは、「報恩」の心を現実の「行動」に移すことであります。
 私も、誉れある貴・記念館の一員として、「報恩」の心をさらなる「行動」に移していくことを、固くお約束申し上げ、御礼のごあいさつとさせていただきます。
 周恩来総理・穎超先生が魂魄を留められた天津に、永遠の繁栄あれ! そして人民の栄光あれ!
 謝謝!(中国語で「ありがとうございました!」)(大拍手)

友誼の詩を贈る

天津周紀念館
創大連理夫婦櫻
三十五年守信義
遥望最憶西花廳


天津には周恩来 穎超記念館が有り、
創価大学には連理の周夫婦桜が有る。
三十五年にわたって信義を守り、
遥か中国を望むに、
  最も偲ばれるのが西花庁である。

※ 北京市内の周総理・女史の住まい「西花庁」と同形の建物が、現在、天津の当記念館に立っている。(池田名誉会長夫妻は、北京の「西花庁」を2度訪問している)

「周恩来 穎超記念館」康館長へのインタビュー
           (2009.12.5付 聖教新聞)

池田先生は周総理との「一期一会の出会い」を刻み、
総理の信頼に応え、中日友好のために挺身されました


 ──「周恩来 穎超記念館」から池田名誉会長に「名誉館員」称号が贈られました。
 康館長 はい。ほかの顕彰も含め、当館が日本人に初めて授与する名誉称号です。
 周恩来総理が交友を結んだ日本人は百数十人に及ぶでしょう。そのなかで、池田先生が特別なのは、周総理夫妻を宣揚し、広く民衆間に、そして若い世代に継承してこられたことです。
 これは、ほかの方が成し得ていない、傑出した偉業といえるのではないでしょうか。
 当館の目的は、周総理夫妻の業績と精神を広く、末長く伝えることですので、池田先生は「名誉館員」に最もふさわしい方です。
 ──周総理と名誉会長が会見されて、35周年という佳節での授章となりました。
 康館長 お二人の歴史的な会見の場は、北京の305病院。重い病を顧みず、周総理が池田先生と会われたことは極めて重要です。
 今回、当館に池田先生より漢詩を賜りましたが、その一節に「三十五年守信義」とありました。まさに先生は「一期一会の出会い」を胸に刻み、周総理の信頼と期待に応え、中日友好のために挺身されました。
 中日間が良好な時には誰もが握手し、乾杯をする。先生は両国の関係が厳しく、嵐の日にも、信義を貫かれました。そこに敬意を表したいのです。
 ──名誉会長はスピーチ等で周総理の言葉を引用し、さらには実際の行動をもって、中日友好がいかに大切かを、後継の青年たちに教えられています。
 康館長 創価学園、創価大学での交流で、多くの生徒や学生と触れ合いましたが、キャンパスには、中日友好の思いがあふれていました。皆、心から周総理夫妻を尊敬していました。彼らが周総理を偲んで歌う「桜花縁」を聴き、熱いものが込み上げてきました。
 創価学園生から「周総理の偉大な点を教えてください」との質問がありました。私は総理が少年時代に書いた「為了中華之崛起(中華の復興のために)」を紹介しました。小さいころの夢や志を生涯堅持し、艱難辛苦を乗り越えた生き方に学んでもらいたいからです。
 創価の学舎では、池田先生の人間教育の理念のもと、友誼に厚い、知勇兼備の人材が育まれています。世々代々にわたる中日友好を思う時、彼らこそ、次代の「友好使者」といえましょう。
 ──周総理と女史は、互いに「戦友」「同志」として、美しく強い絆で結ばれていました。お二人の名前を冠した殿堂の女性館長として、最後に、女史に関するエピソードをご紹介ください。
 康館長 私は周総理夫妻には直接、お会いしておりません。だからこそ、お二人の精神が形骸化しないよう、私自身が「全身全意」で人民に尽くす生き方を常に学び、実践するよう努力しています。
 池田先生も紹介されましたが、周総理が逝去して間もなく、青年労働者たちが総理の事業を継ぐ決意を込めて「外套」を縫い上げ、女史に贈りました。これは1級文物として当館に保管されていますが、本当に擦り切れるまで身につけたもので、展示に当たっては布をあてなくてはならないほどでした。「人民とともに」とのお心に胸が打たれます。
 その意味でも、「人民のために奉仕する」心こそ最第一と決め、責務を全うしていきたいと思います。
2009-12-06 : 最近の指導・スピーチ・随筆 :
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