随筆 人間世紀の光 No.206

随筆 人間世紀の光 No.206(2009.10.3付 聖教新聞)

人類の平和の大道

一人立て! 世界広布へ誉れの前進
太陽は大空に燦然! 仏法の人間主義に国境なし


「地球上から悲惨の二字をなくしたい」
師弟の誓願を胸に 青年よ 弟子よ 走れ


 怯まずに
   今日も生きぬく
    その人に
  勝利の栄光
      開く法理は

 この10月の2日に生誕140周年を迎えた、インド独立の父マハトマ・ガンジーは淡々と語った。
 「24時間、四六時中わたしは民衆とともにいる。わたしがつねづね、いちばん心にかけているのは彼らのことである」
 真の指導者は常に真剣勝負だ。慢心も油断もない。いかにして、民衆を励まし護り抜くか。いかにして、民衆に活力を贈り、勝利へ前進するか。この名誉ある責任に徹していくのだ。
 法華経寿量品の自我偈に「毎自作是念(毎に自ら是の念を作す)」と記される。
 心に、いつも何を抱《いだ》いているか。人間の本当の偉さは、その一念で決まる。
 御聖訓には「いまに一日片時も・こころやすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり」(御書1558㌻)と仰せである。
 この大精神に直結して、創価の三代は、それこそ四六時中、大法弘通への「毎自作是念」を貫いてきた。だからこそ、創立80年にして、これほどの世界的広がりとなったのだ。
 わが創価の友は、全世界で今この時も戦っている。それを思えば、じっとしてなどいられない。祈り、心を砕き、手を打つことだ。
 この師弟の透徹した誓願の一念と行動を、わが青年部が受け継いでくれれば、創価の未来は盤石である。
      ◇
 全世界
  幸福家族
   広がりて
  喜べ 叫ばむ
    慈折広布を

 日本中、世界中を駆け巡る平和旅で、私は、わずかな時間を見つけては写真を撮ってきた。
 素人の作品だが、各地の同志からの要望もあって、高価な絵画の代わりに会館に飾られている。
 これも、わが愛する友に少しでも喜んでいただけるならば、と始めた戦いだ。
 南フランスでは、名峰サント・ビクトワール山に向けてシャッターを切った。
 私たちSGI(創価学会インタナショナル)の欧州研修道場の眼前にそびえる「聖なる勝利山」である。
 この「勝利山」は、近代絵画の父・セザンヌ(1839~1906年)が繰り返し描いたことでも知られる。
 新たな画法を追求したセザンヌは長年、「救いようのない落伍者」等と苛烈な非難中傷にさらされた。だが、彼は微動だにしなかった。まさに、自らが悠然と揺るがぬ「勝利山」の如く、信念の道を貫いたのだ。
 「私は毎日進歩しつつある、私の本領はこれだけだ」
 「目的に到達するためには勇気が必要なのです」
 一人黙々と、カンバスに向かうことが多かった晩年のセザンヌが、心を和ませたひと時。それは、青年たちと対話することだったという。なぜか。
 「若い目にはいつわりがない」からだ──と。
 青年の目は澄んでいる。時流や権威に曇らされず、真実を見抜く光がある。正義を叫ぶ勇気がある。
 若き弟子が描いた「セザンヌ礼賛」という一枚の絵がある。これは、多くの青年がセザンヌの名画を囲んだ光景を描いた作品だ。
 弟子は師に書き綴った。
 「(ここには)あなたへの称賛があります。あなたに啓発された一群の若い者たちの情熱があります」「私たちは絵画について知っていることのすべてをあなたから学んだのですから、当然、あなたの弟子と呼ばせていただけるでしょう」
 セザンヌは、愛する青年に語りかけた。
 「太陽が輝いて、希望が心で笑う」
 我ら創価の師弟も、永遠に「戦う青年」として、太陽の如き大生命を涌現して生き抜くのだ。
        ◇
 壮大な
  使命と知性と
   輝かせ
  世界の指導者
   指揮とり舞いゆけ

 雄々しき勝利山を仰ぐトレッツの欧州研修道場には、今夏も、求道の友が楽しく朗らかに集い合った。
 同所を含め、欧州各地で開かれた夏季研修会に参加した友は実に28力国、1万1千人以上となる。
 この淵源は1975年、8力国から約40人が集った第1回研修会である。以来30数年、大きな人材山脈の伝統が出来上がった。
 「統合」の時代の先頭に立つ欧州SGIの友の前進と拡大は、誠に目覚ましい。その原動力こそ、夏の研修会、とりわけ希望の太陽の如き教学の錬磨である。
 成功のポイントの一つは、充実した御書講義は当然として、それ以上に質問会に力を注ぐことだと、スタッフの方が語っていた。
 一方通行ではない。対話による触発があってこそ、一人ひとりの納得と決意が生まれる。これが、先師・牧口先生、恩師・戸田先生以来の創価の伝統だ。
 現実の「一人」と向き合い、その「一人」を大事にできるかどうか。
 ここにこそ「普遍性」を標榜する、思想・宗教の試金石があるといってよい。「一切衆生」といっても、焦点は「一人」である。
 仏法の人間主義に国境はない。いずこであれ、一人と心を通わせ、誠実に対話することから出発する。
 あらゆる次元で、グローバル化(地球一体化)が進む現代だ。だからこそ、「文明間の対話」「宗教間の対話」、その根本である「人間間の対話」が、今ほど待望される時代はない。
        ◇
 広宣と
  創価の世界の
     平和の日

 今年も、「10月2日」が巡り来た。我らの「世界平和の日」である。
 1960年(昭和35年)のこの日、私は羽田の空港からハワイを目指して飛び立った。私に「世界へ征け!」と遺言された恩師の逝去から、2年半(30カ月)後の命日であった。
 ハワイは、太平洋の中央に光る共生の天地である。この金の島を、傲り狂った日本車は攻撃したのだ。
 戦後の世界にも、幾多の戦乱があり、冷戦があり、紛争があった。
 貧困があり、差別があった。母たちの慟哭があり、幼き生命の嘆きがあった。
 この苦悩に満ちた人類の宿命を転換しゆく戦いを開始されたのが、わが恩師・戸田城聖先生である。
 「地球上から悲惨の二字をなくしたい」と願われた先生。そして、民衆の生存権を脅かす核兵器の廃絶を叫ばれた先生──その遺訓を実現するために、弟子は一人立った。
 戦争を永遠に葬り、断じて平和の世紀を創るのだ!
 それには、生命の尊厳の大法を叫び抜き、世界広布を遂行していくしかない。
 私の胸ポケットには恩師の写真があった。
 世界広布の長征を、師弟一体で開始したのだ。

島は広布の先進地!

 あの国も
  また あの国も
   同志あり
  平和の英雄
    南無し讃えむ

 大著『人生地理学』で、人類の進路に「人道的競争」の時代を予見した先師・牧口先生は、「島嶼」の役割を重視されていた。
 なかでも「世界における重要なる島」として、ハワイ、香港、シンガポール等を順に挙げられた。
 私も、この三地域を幾度となく訪問してきた。
 いずこも大発展を遂げ、わがSGIが社会貢献の模範として賞讃される存在と光っている。牧口先生も、どんなにお喜びか。
 今年も、シンガポール創価学会(SSA)の友は、政府の要請を受け、国家独立の記念式典(8月9日)で華麗な舞を披露した。
 私が会見したナザン大統領も「毎年、SSAの演技が楽しみです。皆様のご活躍に注目しております」と讃嘆してくださっていた。
 これほどの麗しき「よき世界市民」の大連帯が、いずこにあろうか。
 仏法の人間主義を根本に進む創価の大行進が、世界から仰ぎ見られる時代に入ったのだ。
 日本においても、鹿児島の奄美諸島、沖縄の慶良間諸島、宮古諸島、八重山諸島、南大東島、北大東島など、10月7日に「部の日」を迎える離島部の友が、深い信頼を地域に勝ち広げておられる。
 蓮祖は、離島の佐渡で、「我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為《た》るべし」(御書1343㌻)と宣言なされた。
 離島部の皆様方が、それぞれの使命の天地で「幸福勝利」の姿を示されていくことこそ、「本有常住・常寂光土」の法理の偉大なる実証なのである。
 本年11月18日の学会創立の日を記念して、アルゼンチンの人権の闘士エスキベル博士との対談集が発刊される運びである。
 博士は言われた。
 「小さな村のなかに、そして、小さな町のなかに、無名でも、個人や社会の手本となる人がいる。日々の暮らしのなかで建設的に生きている人たちがいる。そこにこそ、目を向けるべきです」
 まさに、わが創価の宝の友を宣揚してくださっていると、私は嬉しかった。
 ともあれ、広宣流布は、一人立つことから始まる。勇気をもって、一歩を踏み出すところから、世界は変わり始める。
 これが、一念三千の妙法の極理である。
 これからも、勇気また勇気の一歩を重ね、偉大なる民衆の大勝利の波動を起こしゆくのだ。
        ◇
 釈尊も
  大聖人も
   誉めゆかむ
  世界広布の
    尊き君らを

 1960年の10月3日にハワイを発った私は、アメリカ西海岸のサンフランシスコに入った。
 “戦争花嫁”として渡米した日本人女性たちが、異国の地で必死の格闘を続けていた。一緒に高台にあるコロンブスの像の前で、幸福と平和の不屈の大航海を誓い合ったことも、懐かしい。
 海外のいずこでも、私は座談会を行った。私の胸からは、戸田先生のご指導が常に響いて離れなかった。
 「なんといっでも、座談会が中心である。私も、そこから広宣流布に立ち上がったのだ。少人数のなかに入って、話し合って、今日の創価学会が出来上がったのだ。座談会こそ、真の指導の根本なのである」
 サンフランシスコでの座談会には、隣のネバダ州から友が駆けつけてくれた。ジョセフ・オライエさん、ヤエコさん夫妻である。
 ジョセフさんは、日本に滞在していた1954年、横浜で入会した。
 ある日、アメリカに戻るべきか否か、夫妻は戸田先生に指導を受けた。すると恩師は温かく、そして厳然と指導されたのだ。
 「広宣流布は、日本だけの時代じゃなくなるよ。先頭切って行きなさい!」
 師の先見の布石である。
 私は、このオライエさんを、ネバダの地区部長に抜擢した。まだ20代の青年である。また日系人以外としては、初の地区部長の任命となる。

若く新しい力を!
 私は大胆に、若く新しい人材を登用した。そこから、新たな広宣流布の前進の息吹が生まれるからだ。
 「法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し」(856㌻)と御書に仰せである。
 人で決まる。一番大事なのは「人事」だ。
 「地区」といっても、ネバダにいる同志は、夫妻を含めても4、5人であった。しかし、オライエさんは、私の心を心として、広布開拓の情熱に燃え、学会活動を続けた。一人の友に会うにも、車で片道12時間かかることもある広大な天地を、勇んで駆け巡った。
 再会は5年後。40人の使命のスクラムに拡大した感動を報告する、誇らかな笑顔は忘れられない。
 その後、香港などでも活勤し、太平洋に輝くサイパンでは、ジョセフさんは初代の支部長として和楽の団結を広げてくれた。
 晩年、彼が過ごしたネバダ州ラスベガスには、この夏、待望の新会館が誕生した。その喜びの拍手は、世界広布の開拓者であるご夫妻への喝采でもあった。
 御聖訓には、「心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他《た》をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき」(御書467㌻)と説かれる。
 妙法を唱え、広宣流布に生き抜いた人生は、人間として尊極無上にして永遠不滅の栄光に包まれるのだ。
 通訳や翻訳の労をとってくださっている方々など、国際本部の健闘も尊い。
 私と妻は、世界広布の功労の友へ、深き感謝の祈り日々絶やすことはない。
        ◇
 世界まで
  功徳は残らむ
   薫るらむ
  あなたの歴史は
    万花と咲きつつ

 初の海外訪問の折、私は南米ブラジルにも向かった。戦後、日本から開拓移住した友らが待っていてくださった。
 私は、厳しい現実のなかでの、皆の悪戦苦闘を伺いながら、「勇気と智慧を振り絞り、信心で勝で!」と全身全霊で励ましていった。
 広布とは、究極すれば、地球上のどこでも、妙法を持つ一人が決然と立ち上がることである。そして自分のいる場所で勝つことだ。
 ゆえに真心の激励を重ね、一人ひとりの己心の「地涌の菩薩」を呼び覚まし、一人ひとりを徹して強くするのだ。
 「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし」(同1360㌻)
 創価の師弟は、この方程式通りに進んできた。だから世界へ「地涌の大連帯」が広がったのだ。
 その前進の礎には、婦人部の方々の強く深い祈りがあったことを、私は誰よりもよく存じ上げている。
 「真実の聖者は、大抵は台座の上に置かれているよりも、群集の中に隠れているものだ」──これは行動する女性作家ジョルジュ・サンドの卓見である。
 人材の王国として躍進するブラジルSGIは、未来部育成の模範でもある。
 この9月には、新たな陣列となった未来部が朗らかに大会を行った。
 ブラジル未来部のシンボルマークはライオンだ。
 「師子王の子は師子王となる」(御書1216㌻)──世界各国でも、御聖訓に仰せの通りの信心の継承が進んでいる。
 「世界へ」というヨコの広がりと、「青年へ」というタテの広がり。そのたゆみなき展開こそ、世界広布の生命線である。

夫婦同道の平和旅
 「世界広布」即「世界平和」への第一陣となる旅から4年後(1964年)の10月2日、私は、7度目の海外訪問に出発した。
 この前日、私の妻も先発隊の一員として日本を発っていた。そして2日午後、香港経由でタイのバンコクに到着した私と合流したのである。これが妻の最初の世界旅となった。
 私の体調を案じた執行部の勧めで、妻が同行するようになったのである。私たち夫婦しての平和旅も、10月2日が出発点だ。
 強行軍の旅行中、妻は、ある時は栄養士のように、またある時は看護師のように、私の食事や健康管理に気を配ってくれた。
 かつて、戸田先生が地方指導に行かれる時、妻は毎回、人知れず駅や空港まで馳せ参じていた。東奔西走される先生のご健勝を祈り、お見送りをした。
 恩師は、そうした妻を、ただ一人の“送迎部長”に任命され、「いずれ全世界に行けるようになるよ!」と労ってくださったことが、思い起こされる。
 その通り、北中南米にも、欧州にも、ロシアにも、中国や韓国にも、東南アジアやインドにも、中東やアフリカにも、世界中に、友情の種、平和の種を、共に蒔いてきた。
 海外での会見や行事には、夫婦同伴の出席が多い。妻の微笑みの人間外交には、大いに助けられた。
 ただ妻は、華やかな場よりも、時間が許す限り、けなげに戦っている現地の婦人部や女子部の方々との懇談を強く望んだ。一人でも多くの同志を励ましたいと、一心不乱であった。
        ◇
 タゴール、トルストイ、ゴーリキーをはじめ東西の文人と交友を結んだロマン・ロランは断言した。
 「われわれは すでにもう、地球の一つの面から他の面へわたって、精神の一家族をつくりだしているのです」
 私たちは、仏法の人間主義で結ばれた地球家族だ。久遠の使命に目覚めた世界広布のパイオニアだ。
 「かくて あたらしき力もて われらが務をはたさん!」とゲーテは歌った。
 新たな時代は、新たな人材と共に開くのだ。
 太陽の仏法は燦然たり。晴れ渡る大空のもと、妙法の正義の旗を掲げ、勇敢に朗らかに前進だ!
 明年は「世界平和の日」50周年、そして栄光燦たる創立80周年である。
 さあ、希望の明日へ、世界192力国・地域の創価家族と肩組み、歓喜の歌を響かせよう!
 次なる勝利と幸福の大叙事詩を、私と君たちとで、地球を舞台に、堂々と綴り始めようではないか!

 万年の
  修行はこの時
    含まれむ
  広宣流布の
     山を登れや


 ガンジーの言葉は『ガンディー「知足」の精神』森本達雄編訳(人間と歴史社)。セザンヌは順にベルナール著「回想のセザンヌ」(『世界教養全集12』所収)有島生馬訳(平凡社)、リウォルド編『セザンヌの手紙』池上忠治訳(美術公論社)、ガスケ著『セザンヌ』與謝野文子訳(岩波書店)、ギャスケ著『セザンヌとの対話』成田重郎訳(東出版)。セザンヌの弟子の言葉はトンプキンズ・ルイス著『岩波 世界の美術 セザンヌ』宮崎克己訳(岩波書店)。セザンヌヘの批判はオーグ著『〔知の再発見〕双書92セザンヌ』村上尚子訳(創元社)。ジョルジュ・サンドは『我が生涯の記』加藤節子訳(水声社)。ロランは『ロマン・ロラン全集35 書簡・日記』宮本正清訳(みすず書房)。ゲーテは『ゲーテ詩集2』竹山道雄訳(岩波書店)。
2009-10-04 : 随筆 人間世紀の光 :
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