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御書と師弟 源遠流長

池田名誉会長講義 御書と師弟 
              (2009.9.10付 聖教新聞)

第26回 源遠流長《げんおんりゅうちょう》

威風堂々と世界広布へ
我らは末法万年の先覚者!


御聖訓
 「日蓮が慈悲曠大ならば
 南無妙法蓮華経は万年の外
 未来までもなが《流布》るべし」    (報恩抄、御書329㌻)

 永遠に
  広布と創価の
    人生は
  勝利と功徳の
     仏の人びと

 新しき舞台の開幕だ!
 新しき時代の号砲だ!
 創立80周年へ、世界192力国・地域の同志と共に、新たな大行進が始まりました。
 「願くは我が弟子等・大願ををこせ」(御書1561㌻)
 「大願とは法華弘通なり」(同736㌻)
 創価学会は、広宣流布の団体です。日蓮大聖人の妙法を世界に弘め、民衆を幸福にしゆくことこそ、我らの「大願」です。
 この大願に生き抜く偉大な使命のリーダーは、いついかなる時も、元気いっぱい堂々と、勇猛精進していくのです。
 末法万年の人類を照らす大法を弘通し、恒久平和へ根本的な寄与を果たしているのが、創価の師弟です。この誇り高き大遠征は、燃え上がる「勇気」と「確信」、そして「智慧」と「不屈の精神」がなければ、成し遂げることはできない。
 今回拝読する「報恩抄」の一節は、広宣流布の根本の大精神を示された御聖訓であります。
 「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもなが(流布)るべし、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ」(同329㌻)
 大聖人の広大無辺の大慈大悲によって、南無妙法蓮華経は、万年、そして未来までも流布しゆくのだ、との御断言です。
 私たちの広宣流布の大運動は、「全世界」が舞台であり、「一万年」の彼方をも視野に入れています。この壮大なスケールに立って、一切を悠然と見晴らして戦い進んでいくことだ。
 汝自身の生命の旅も、三世永遠であります。目先のことで、一喜一憂することはありません。妙法を唱え弘めて生きる人生は、「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき」ながら、自他ともに、どこまでも「常楽我浄」の軌道を悠々と上昇していけるからです。
 報恩抄は、建治2年(1276年)の7月、大聖人が身延の地から、安房国(現在の千葉県南部)の浄顕房と義浄房の二人に与えられた御書です。師であった道善房の死去に際して送られました。
 この御文は、本抄の結論です。法華経の肝心である南無妙法蓮華経こそ、末法万年尽未来際の一切衆生を救う大法であることを宣言されています。
 そして、妙法を弘通なされた大聖人の功徳が、故・道善房に集まることを明かされ、報恩の証しとされているのです。
 一切衆生の苦を、わが苦となされる大聖人の慈悲の大きさ、深さは、計り知れません。その不惜身命・死身弘法の大闘争には、人間の苦悩の元凶である無明を、完璧に打ち破る力が漲っております。だからこそ、末法万年にわたり、無間地獄への道をふさぐことができるのです。

「源」ありて清流が
 「根ふかければ枝しげし源遠ければ流ながし」(御書329㌻)──大聖人は、報恩抄でこう述べられています。
 どのような時代の転変、社会の振幅があろうとも、大聖人の仏法が一閻浮提へ広宣流布していくことは断じて間違いない。「一定《いちじょう》なるべし」です。
 それはなぜか。絶対に尽きることのない「源」があるからです。この「源」から滾々と湧き出ずる妙法流布の清流は、永劫に止まることはありません。
 日蓮仏法は、その深遠《じんのん》なる哲学性のゆえに、国家や民族など、諸々の差異を超えて、全人類の心を潤すことができる。
 金剛の信念の先師・牧口常三郎先生は、「行き詰まったら原点に戻れ」と教えられました。
 大聖人が唱え出《いだ》された南無妙法蓮華経には、無量無辺の大功力があります。どんな試練が行く手を阻もうとも、この題目を唱えれば、久遠元初の大生命に立ち返ることができる。その瞬間から、新しい勝利勝利の旭日が燦然と輝き始めるのです。
 ブラジルの天文学者モウラン博士も語られました。
 「『南無妙法蓮華経』という音律には、宇宙が創り上げられていくような根源のエネルギーを感じます」と。
 題目の力用は、宇宙大です。
 恩師・戸田城聖先生は、厳然と言われています。
 「この大宗教を信ずることによって、生命のリズムは宇宙のリズムに調和し、生きている幸福をしみじみと感ずるのである。生命の歓喜こそ、幸福の源泉力である」
 幸福になるための信心です。そして絶対に幸福になれる仏法です。何があっても、安心して朗らかに、異体同心で、題目を唱え抜いていってください。

主師親の三徳の光
 今回の報恩抄の御文を、日寛上人は「主師親の三徳」に配されました。
 「日蓮が慈悲曠大ならば……ながるべし」=「親の徳」。すなわち民衆を慈しむ働きです。
 「日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり」=「師の徳」。すなわち民衆を導く働きです。
 「無間地獄の道をふさぎぬ」=「主の徳」。すなわち民衆を護る働きです。
 この御聖訓には、日蓮大聖人こそ、「主師親の三徳」を具えた末法の御本仏であられるとの元意が込められているのです。
 この御文の前には仰せです。
 「一閻浮提の内に仏滅後・二千二百二十五年が間一人《いちにん》も唱えず日蓮一人・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と声もをしまず唱うるなり」(御書328㌻)
 大聖人がただ御一人から開始された、この末法広宣流布の大闘争を、現代に正しく受け継いでいるのは誰か。
 我ら創価の友以外には、絶対におりません。
 戸田先生は、関西の天地で師子吼なされました。
 「百年の大計、いな何千年の平和の大計を立て、もって日蓮大聖人の御恩に報ずるとともに、民衆万年の幸福を確立することが、創価学会の使命である」
 この師の心を、わが心に炎の如く燃えたぎらせて、人間の中へ飛び込んでいく。そして一人また一人と、信念の対話を繰り広げる。これが学会精神です。
 この創価の師弟の源流に立ち戻っていく限り、広宣流布の前進の力は満々と漲ります。そこには、弱々しい臆病な命などない。そしてまた、傲り高ぶった増上慢の命もありません。
 君が愁いに我は泣き
 我が喜びに君は舞う──
 移ろいゆく人の世にあって、私たちは、変わらざる人間の心の深く強き結合をもって、威風も堂々と前進していくのです。
 仏教発祥の天地インドの大哲人であるロケッシュ・チャンドラ博士も、日蓮大聖人が提起された「主師親の三徳」を、現代に力強く展開しているのが、創価の師弟であると讃えてくださっております。
 敷衍していえば、「勇気」(主の徳)、「智慧」(師の徳)、「慈愛」(親の徳)──。この三徳を具える世界市民の登場こそ、荒れ狂う迷いの海に漂う人類の精神を目覚めさせる。その菩薩の大連帯を、博士はSGIに見出されているのです。
 創価の平和・文化・教育の運動も、この「主師親の三徳」を、社会における「価値創造」の原理として具現化したものです。
 生命の尊厳を護る「主の徳」を目指すのは、平和の貢献です。
 青年を正しく導く「師の徳」を体現するのが、人間教育です。
 人類の心を耕し、結び合う「親の徳」は、文化の交流です。
 この平和・文化・教育の大城は、いよいよ21世紀の希望とそびえ立っております。
 報恩抄には、こう仰せです。
 「極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず、正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか」(同329㌻)
 万年の未来を思えば、我らはまだまだ草創期です。万代に崩れざる盤石な土台を築いているのだから、苦労も多い。悪口罵詈も猶多怨嫉の難も必然です。
 だからこそ、現在の仏道修行が、いかに時に適い、その功徳がいかに大きいか。子孫末代にわたる大福運を積む信心は、今の一日一日にあります。不思議な“時”が来ているのです。
 御書には、この世の栄耀栄華など「夢の中の栄え」「幻の楽しみ」に過ぎない、はかなく消え去ると喝破されております。
 60年前の昭和24年の9月、私は日記に綴りました。
 「正義の剣を持《じ》し、戦う者は、必ず、歴史が証明することだろう。大聖人の照覧なれば、断じて恐れてはならぬ。卑屈になってはならぬ。雄々しく進め。大胆に進め」
 「今日の日に、最上を尽くすとき、未来は、必ず光明に輝く。歓喜の焔は燃えたってくる」
 広宣流布に生き抜く栄光と福徳は、不滅であります。歴史を残せるのが、人間です。そして、最も尊き歴史を永遠に残していけるのが、仏法なのです。
 我らの舞台は、世界です。
 我らの友人は、人類です。
 我らの栄光は、永遠です。
 さあ、「慈折広宣流布」の壮大なるスクラムを、愉快に勇敢に広げようではありませんか!

 君ありて
  広布の流れは
    幾重にも
  万年までも
    輝き渡らむ
2009-09-10 : 御書と師弟 :
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