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忘れ得ぬあの瞬間 第9回

忘れ得ぬあの瞬間
名誉会長と共に80周年へ
    (2009.9.7付 聖教新聞)

第9回 神奈川の幹部会

苦難こそ大成長のチャンス

 新会長を初めて神奈川に迎える喜びが、川崎市民会館(当時)を埋め尽くしていた。
 その数、1万5千人。
 昭和35年(1960年)5月17曰、鶴見・京浜・横浜支部合同の幹部会である。
 場内を揺るがす拍手。真剣な眼差しを浴びて、池田会長が語り始めた。
 「戦後の学会の最初の難は、戸田先生の事業が窮地に陥ったことです。先生は最も苦しまれていた……」。最高の晴れ舞台で、最大の苦難の歳月に触れたのである。
        ◇
 神奈川と名誉会長の縁は幾重にも深かった。
 今からちょうど60年前の昭和24年秋、10月。
 「蒲田の青年部の池田です!」
 詰め襟の学生服で、池田青年は横浜・鶴見の折伏座談会に現れた。
 入信2年余の21歳。誠心誠意、仏法と師匠の偉大さを語り、5人の友が入会を決意している。
 この第一歩に始まり、座談会に、御書講義に、家庭指導に、何度も足を運んだ。そして、昭和25年から26年にかけて、仕事で毎日のように通ったのも鶴見方面であった。
 当時、戸田会長は事業で莫大な負債を抱え、学会の理事長職も退いた。
 池田青年は、その恩師を一人支え、苦闘していた。給料は遅配。続けたかった夜学も断念。胸を病み、倒れ込むように家にたどり着く日々。
 「その時、かつて戸田先生にお世話になった3人の幹部が言ったことが、私は忘れられません」
 壇上の池田会長はそう述べて、3人の言葉を紹介した。
 一人目。「戸田なんかに使われるのはやめたまえ。体まで壊して、ばからしいじゃないか」
 二人目。「戸田につかないで、俺の方の商売をやっていけ」
 しかし、最後の一人はこう励ましてくれた。
 「今こそ信心で立つ時だ。決して御本尊を疑ってはいけないよ」
 師弟が苦境を乗り越えた時、現証は厳然であった。前の二人は学会を去り、人生に敗れた無残な姿をさらした。
 一方、最後の一人は、学会の幹部として皆の信頼を集め、悠々たる境涯を開いている──。
 池田会長は続けた。
 「学会が難を受け、窮地に追い込まれた時、師子王のように敢然と一人立ってこそ本当の信心です。現在の私があるのは、戸田先生が最大の苦難に遭われた時に、一心に仕え抜いた福運であると確信しています」
 「難こそ自身の成長のチャンスです。ひとたび難があったならば、それを喜びとし、敢然と戦う師子王の如き皆さんになってください!」
 広布の長征には、山も谷も、順風も嵐もある。わが友よ、いついつも、不屈の信心で立ち上がれ!──その魂を、この時、打ち込んだのだ。
        ◇
 あいさつを終え、同志の中を“中央突破”で退場する池田会長。
 一人一人と、目であいさつを交わした。
 恩師を護りに護った青春の激戦地・神奈川。
 海を見つめつつ、会長辞任から世界広布へ反転攻勢を開始した神奈川。
 そこには、「正義」と「共戦」の同志がいる。広宣流布の聖火は、今も赤々と燃え続けている。
2009-09-08 : 忘れ得ぬあの瞬間 :
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