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忘れ得ぬあの瞬間 第5回

忘れ得ぬあの瞬間
名誉会長と共に80周年へ
 (2009.7.15付 聖教新聞)

第5回 最初の地方指導

関西に 常勝の旗 永遠なれ

 真新しい濃紺の支部旗を手渡す瞬間、その眼光は、鋭さを増した。
 新たに誕生した阪神支部など10支部の新支部長たちの目を、真っすぐに見つめ、一人一人を鼓舞する池田新会長。
 「この旗は、折伏の旗印です」
 「しっかり戦ってください!」
 緊張し切った新リーダーたちの表情が、みるみる上気していく。
 “折伏の旗印”を両手に握り締め、支部長が壇上で横一列に並んだ。
 どよめく拍手。勢いに押され、旗も、翩翻と、はためいて見える。
 それは、新会長が示した「300万世帯」の達成へ、堂々たる出陣の劇であった。
 昭和35年(1960年)5月8日。池田新会長を迎えて挙行された、関西総支部幹部会の光景である。
 参加した草創の友が振り返る。
 「意気 天を衝くとは、まさに、あのことです。あれほどの歓喜の会合は、ほかにありませんでした」
 この日、会場となった大阪府立体育会館には、開始が夕刻にもかかわらず、朝から続々と同志が集まり始めていた。
 「会場の都合で早く来ないように」と徹底されていたが、午後2時には、参加者で溢れ返った。
 人場整理券のない人たちも押し寄せ、特設の第2会場まで、立錐の余地もなかった。
 「一目、私たちの先生に会いたい」
 参加した1万3000人の、否、全関西の思いは、ただそれだけだった。
        ◇
 第3代会長として、初めての地方指導を、どこにするか。
 昭和35年5月6日の日記には、こう記されている。
 「明日より、地方指導の第一歩を。まず、苦楽を共にした関西に決定。同志の嬉しそうな顔が目に見える」
 ほかのどこでもなかった。昭和27年の初訪問以来、一番苦しい、一番楽しい戦いを共にした関西を最初に選ぶことは、必然だったと言える。
 小説『人間革命』第10巻に、「生涯を決定する一戦」と綴られた昭和31年の「大阪の戦い」。
 この“まさか”の勝利を可能ならしめた力とは、何であったか。
 それは、恩師の分身となって、命懸けで同志を励ました、青年部の池田室長と、それに応えた関西の同志の「信心」と「団結」の力にほかならなかった。
 5月7日、池田会長が大阪に到着。「地方指導の第一歩」が刻まれた。
 翌8日、会場の体育会館に着くや、池田会長は真っ先に、別室で待つ友のもとを訪れた。
 「大阪事件」の取り調べで理不尽な圧迫に苦しめられた同志たちであった。
 会長自ら、事実無根の冤罪で投獄された。戸田先生亡き後の学会を一人で支えつつ、過酷な法廷闘争を戦い続ける身であった。
 池田会長は、友に語りかけた。
 「私と共に苦労した同志を決して忘れません。
 戸田先生に代わって、私が皆さんを何としても護っていきます」
 同志は、涙で誓った。
 「正義は負けたらあかん。絶対に勝だなあかん。関西は、すべてに勝って、第3代会長を護り抜く!」
 常勝不敗の原点7・17「大阪大会」から間もなく52星霜を迎える。
        ◇
 会場の体育会館は、熱気でむせ返るような暑さ。
 しかし池田新会長が壇に立つと、流れる汗、溢れる涙を拭うことも忘れ、手も砕かんばかりに、拍手が打ち鳴らされた。
  「関西の皆さんには、お世話になりました!」
 池田会長にとって、家族にも等しい関西。関西にとって、何があっても、変わらぬ、私たちの先生。
 新会長は訴えた。
 「関西に人材の城を!」
 「わが正義を叫び抜け!」
 先生、関西は、やりまっせ!──常勝魂が、真っ赤に燃え上がった。
2009-07-16 : 忘れ得ぬあの瞬間 :
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