池田名誉会長の人物紀行 第5/6回

池田名誉会長の人物紀行 「歴史の巨人」と語る
             (2009.7.10/11付 聖教新聞)

第5/6回 民主主義の父 リンカーン㊤㊦

「正義は力なり!」と 
勝負はこれからだ


 さあ、今日という一日を、思う存分に戦い切ることだ。一切は、そこから開ける。
 「今日の苦闘は、今日だけのものではない。
 それは、壮大な未来のためのものでもある」
 こう語りかけ、青年を励ましてくれる先哲がいる。誰にも増して、悪戦苦闘の人生を生き抜き、人類の未来を切り開いた、筋金入りの苦労人だ。
 その人こそ、アメリカ合衆国の第16代大統領エイブラハム・リンカーンである。
        ◇
 1960年の10月、私は、世界への平和旅を、アメリカから開始した。
 首都ワシントンDCでは、ギリシャ神殿を思わせる白亜の殿堂を訪れた。リンカーン大統領の記念堂である。
 大理石で造られたリンカーンの大座像が迎えてくれた。広い額、高い鼻、鋭くも温かい眼光からは、聡明な頭脳と強靭な意志が伝わってくる。
 その顔《かんばせ》こそ、「ひとかたならぬ苦労によって崇高な人間性という秘宝が姿をあらわした」と讃えられた尊容である(マリオ・M・クオモ/ハロルド・ホルザー編著、高橋早苗訳『リンカン民主主義論集』角川選書)
 壁に刻印されているのは、かの有名な「ゲティスバーグ演説」の一節である──。
 「人民の、人民による、人民のための政治をこの世から消滅させてはならないのです」(前掲書)
 万人の生命の尊厳と平等を説き明かした仏法哲学を掲げ、平和のため、人類の幸福のため、この「人民根本」の理念を実現していくことが、広宣流布の展開であると、私は同行の青年たちと強く語り合った。
 昨年、このリンカーン記念堂から程近い「大使館通り」の一角に、創価のワシントンDC文化会館が誕生した。
 学識者を招いての平和講演会なども、活発だ。ロビーに飾られたリンカーン大統領の肖像が、わが愛するアメリカの友を見守っている。

民衆詩人の讃歌
 リンカーン大統領と同時代を生きた、民衆詩人ホイットマンは語っている。
 「私の親愛なる愛しき母親の次に、他の誰よりもリンカーン大統領を、私は最も親しく、そして身近に感じるのだ」
 彼らが共に生きた19世紀半ば、アメリカは奴隷制度の是非をめぐり南北が分裂し、激しい憎悪をもって自国民が争う状態が続いていた。
 だがリンカーンは、厳然と民主主義の精神を貫きながら、自由と平等の国の建設へ舵取りをしていった。
 「穏やかで、率直で、義に篤く、意志強く、周到な指揮ぶりで、/どんな国どんな時代にも例を見ぬ史上最悪の罪を敵にまわし、/諸州寄りつどう連邦を救ってくれた」(酒本雅之訳『草の葉㊥』岩波文庫)
 リンカーンを讃嘆したホイットマンの詩の一節である。
 ホイットマンはリンカーンによって素晴らしい詩想を得、リンカーンはホイットマンによって輝きを増した。二人の詩心と信念は、米国を希望の方向へ前進させたのだ。
        ◇
 今年は、リンカーンの生誕200周年である。この佳節に、米国史上初のアフリカ系の元首として、バラク・オバマ大統領が誕生した。
 母国再生の指揮を執り、理想を追い求めつつ、徹して現実主義者であり続けるオバマ大統領に、リンカーンを重ね合わせる人は少なくない。
 オバマ大統領も、リンカーンを深く敬愛し、「比類なき偉人が大統領を務めたおかけで、私の物語は可能になった」と感謝を捧げている。
 私が交友を結んだ世界的な経済学者のサロー博士は、「最も評価される歴史上の指導者は」との問いに、リンカーンを挙げられた。
 先般、お迎えした、英国の名門クイーンズ大学ベルファストのグレッグソン学長も、リンカーンの深き精神性と明確なビジョンを高く評価されている。
 私も、実業家の松下幸之助氏から「今までの世界の歴史において、偉大な政治家と思う方は誰か」と問われ、明快にリンカーンと答えた。

激戦の中で磨け
 なぜ、リンカーンが偉大か。
 何よりも、常に庶民を愛し、人々の苦しみを、わが苦しみと感ずる深き慈愛の心にあふれていた。
 あの南北戦争の際、女性たちから寄せられた夫や息子の除隊願いの大部分を受け入れたことも、よく知られる。
 青春時代、私が編集長を務めていた雑誌「少年日本」でも、リンカーンと少年との麗しい逸話を紹介したことがある(1949年12月号)。
 南北戦争のさなか、大統領のもとで働く少年給仕は、必死に働いて得たお金を、病気に苦しむ父と母に仕送りして支えていた。
 その状況を知ったリンカーンは、健気な少年に真心の金貨を贈り、こう語ったという。
 「明日、早速、お母さんに送ってあげるがいい。
 どんなに貧乏していても、君のような孝行者を子に持った母親が羨ましいと、大統領が申しましたと手紙に書いてあげなさい」
 リンカーンの振る舞いは、民主主義を体現していた。
 地位や立場に関係なく、誰とでも友人となり、親切で、思いやりのある言葉をかけていったとの証言が多々ある。
 それは、リンカーンが若くして、人生の茨の道を歩んできたからにちがいない。
 1809年の2月12日、ケンタッキー州の開拓農民の子として丸太小屋で生まれた。
 正規の学校教育を受けたのは、1年にも満たなかった。9歳の時に、愛母と死別する。青年時代には、営んでいた雑貨店が破産し、多大な借金を抱えたこともあった。
 しかし、彼は屈しない。努力を惜しまなかった。働きながら読書に励み、思索を重ね、文章を綴り、自らの見識を養った。そうして得た知識を、庶民との交流で智慧に変えた。実社会という総合大学の中で自身を磨いたのである。
 世界の一流の人物に共通する足跡であり、わが創価の多くの同志が歩んでいる道だ。
 リンカーンは苦難を前に一歩も退くことなく、借金も、十数年かけて完済した。
 誠実、勇気、忍耐──艱難は、その人間力を鋼の如く鍛え上げていった。
 大統領に就任した際、閣僚に7人の大学出身者がいた。
 もしシーソーの一方に7人が乗っても、片方にリンカーンが乗れば、彼の重みで相手の7人は空高く跳ね飛ばされてしまうだろう。そう評されたくらいである。
 この話を通して、戸田先生も、よく語ってくださった。
 ──庶民の中にこそ、英知がある。労苦の中でこそ、実力は磨かれる。わが青年部は、激戦の中で、どんなに威張り腐った連中にも、断じて負けない力をつけよ、と。

虚偽には抗議を
 州議員の時代のことである。リンカーンの人気と名声を嫉んだ対立候補が、公衆の面前で卑怯な人身攻撃を始めた。その男は、立身出世を企んで自らの信念を曲げ、かつての盟友も裏切る変節漢であった。
 リンカーンは正義の弁舌で戦った。当意即妙のユーモアを交え、虚偽を毅然と正した。
 獅子の雄弁の前に、相手は一目散に退散したという。
 「抗議すべき時に沈黙する者は、卑劣な人間となってしまう」とは、彼の信条である。
 そしてまた、「真実は中傷に対する最上の弁明である」と確信していたのだ(石井満著『リンカン』旺文社文庫)
 「言論の自由」は民主主義の誇り高き柱の一つである。
 それは、根拠のない虚偽を流す自由ではない。人々を騙す欺瞞を語る権利でもない。真実と公正な社会を築くためにあるのだ。
 ゆえに、リンカーンは、言論の暴力を許さなかった。
 「正しい証拠と公正な議論を虚偽と欺瞞にすりかえる権利は誰にもないのです」とは、リンカーンの獅子吼である(『リンカン民主主義論集』)。

起死回生の作戦
 リンカーンは、逆境を撥ね返す勝負強さを持っていた。
 土壇場に追い込まれても、底知れない粘りがあった。
 大統領再選の選挙の際も、そうであった。
 長期化する南北戦争への不安から、勝利は遠のいていた。「リンカーンはもう駄目だ」「勝つのは不可能だ」と、味方からも見放された。
 絶体絶命のリンカーン陣営が取った起死回生の作戦──それは、出征している北軍の兵士たちも、確実に投票の権利を行使できるように万全の態勢を整えることであった。
 最後まで、気を緩めることなど決してなかった。
 結果は逆転勝利! 作戦は見事、難局の突破口を開いた。
 断じて諦めない追撃の布石に勝因があった、と分析する歴史家もいる。
 「断固として立つなら、敗れることはありません」
 「遅かれ早かれ、勝利はかならずめぐってくるのです」(前掲書)
 これが、百戦錬磨のリンカーンの勝負哲学であった。

民主主義の父 リンカーン

今日を勝て!
勝って証明を


 ロシアの文豪トルストイはリンカーンを讃えて言った。
 「全世界を包みこむ人道主義者だった」と(マリオ・M・クオモ/ハロルド・ホルザー編著、高橋早苗訳『リンカン民主主義論集』角川選書)
 世界に開かれ、世界のために貢献する。人類とつながり、人類から信頼される。
 この世界市民の先駆の道を、リンカーン大統領は歩んだ。それは、日本の民主主義の夜明けにも連動している。
 わが関西の出身で、幕末期、日本最初の新聞を横浜で創刊した浜田彦蔵は、リンカーンとの出会いを宝としていた。
 「大統領は大きな手をさしのべて、日本のような遠いところからよく来てくれましたね、といい、まごころのこもった握手をかわした」(近盛晴嘉著『ジョセフ彦』日本ブリタニカ)
 いささかも権威ぶらない。対等に親切に迎えてくれた。人間指導者の握手の温もりは、青年の行動の熱となった。
 彦蔵は、合衆国憲法をモデルに「信教の自由」などを備えた憲法の草案を提出したことでも、知られている。
 リンカーンも彦蔵も追求した「人道」を、人類の指標として高らかに掲げたのが先師・牧口常三郎先生である。
 先生は「ちっぽけな島国根性で『蝸牛(カタツムリ)の角の争い』をしている時代ではない」と戒められた。
 その心を心とする、創価の平和と正義と人道の連帯は、世界192力国に広がった。
 今や、「民主主義の殿堂」たるアメリカ連邦議会からも、意義深さ顕彰を拝受する時代に入っている。
 世界が、我ら創価の前進そして勝利を祈り、待ってくれていることを忘れまい。

人民のために!
 1861年の3月、リンカーンは、大統領就任式に臨んで語っている。
 「人民が選挙によって私を選び、演説の中で述べられた希望を実現するための道具としてくれたわけです」(『リンカン民主主義論集』)
 自分を選んでくれた人民に、いかに応えてゆくか──。出発点が明快であった。
 さらにまた、リンカーンは、大統領の就任式で宣言した。
 「なぜ、国民の究極の正義をあくまでも信頼しようとする姿勢がないのでしょうか?
 それ以上の、あるいはそれに匹敵する希望がこの世に存在するでしょうか?」(前掲書)
 すべての為政者が耳を傾け、心すべき警鐘であろう。
 リンカーンには、この確固たる哲学があった。理念があった。ゆえに、現実処理のみに追われ、自己保身に汲々とするのではない。現実に深く根差しつつ、常に人民を信じ、人民のためにと、リーダーシップを発揮していった。
 国家の命運を担う大統領として、奴隷制度は悪であるとの断固たる信念に立ちつつ、冷静に事態を分析し、最大限に智慧を働かせて、でき得る限り、穏健な路線を進んだ。
 政治の目的は、「個人の幸福」と「社会の繁栄」との一致にあるとは、恩師・戸田城聖先生の慧眼であった。
 その理想を実現するためには、どんなに時間がかかろうとも、どんなに苦労があろうとも、人民の大地から、人民の手づくりで、リンカーンの如き哲人指導者を育て上げていく以外にない。これが、戸田先生の結論であった。
        ◇
 数多《あまた》の犠牲を払って、なお続いた南北戦争──。
 火薬の臭いが漂う緊張した空気のなか、彼は第2期の大統領就任演説で、こう訴えた。
 「なんぴとにも悪意をいだかず、すべての人に思いやりを示し」と(同)
 それは、道徳を基盤とした政治こそ真の民主政治であるとの信条に裏打ちされていた。リンカーンは、一党一派の利益や一部勢力の便宜のために働くのでなく、国家百年の大計、さらには全世界的視野に立っていたといってよい。
 彼は北部の出身であった。しかし、常に連邦全体の発展に焦点を当てていた。
 また当時、世界に民主国家と呼べる国は皆無に等しかった。彼は、アメリカの民主主義を確立することによって、世界の民主主義を擁護するチャンスと責任が生まれると考えていたのだ。
 そのためには、「自由を愛する世界中の人びとが」心を一つにすることだ。
 そうすれば、「われわれは連邦を救うだけにとどまらない」「あとにつづく数百万人の幸福な自由人と世界中の人びとは立ち上がり、末代までもわれわれを賞賛するだろう」と、リンカーンは確信してやまなかった(同)
 この信念の通り、1863年1月に「奴隷は即時、無償解放される」と宣言した。
 世界史に、そびえ立つ自由と平等の燦然たる金字塔を打ち立てたのである。

雄弁家=戦う人
 リンカーンは言った。
 「私の哲学に、偶然はない。すべての結果には、原因があるものだ。過去は現在の因であり、未来の因は現在にある。
 すべては、有限から無限へと続く終わりなき鎖のようにつながっているのだ」
 要するに、坐して黙しているだけでは、何も開けない。
 リンカーンは、一貫して言論で民衆を力強く鼓舞していった。
 直接、語りかけただけではない。南北戦争の渦中には、当時、全米にネットワークを広げていた電報を価値的に活用した。軍事電報局を拠点として、遠く離れた最前線の指揮官に直接、打電し、指令や激励を、時には夜を徹して送り続けたのである。
 リーダーが安住していては、人の心を動かすことなどできない。まして油断は大敵である。
 即座に報告を入れよ!
 即座に手を打つのだ!
 これは、かのアショカ大王が貫いた鉄則でもあった。
 今、この時に、できることは何か。勝利のため、なすべきことは何か。頭を絞り、智慧を出し、声の限りを尽くして、皆に勇気を贈ることである。真の雄弁家とは「戦う人」の異名である。
 言論闘争とは、いつ、いかなる場所にあっても直ちに起こせる戦いである。
 私も、どこに身を置いても常在戦場の決意で、日本はもちろん、世界の友に激励の手を打ってきた。夜行列車の車中で原稿を書いたことも、移動の車から和歌を発信したことも、数を知れない。
 雄弁の本質について、リンカーンは論じている。
 それは、「言葉や文章のうまい並べ方」ではない。「真摯で情熱的な口調と態度」にある。そして、「目的および正義の重要性にたいする強い確信と偉大な誠実さにのみ由来する」というのである(同)
 大事なのは、格好ではない。
 真剣であり、真心である。
 誠実であり、勇気である。
 情熱であり、確信である。
 友の心を歓喜と感動で揺さぶり、敵には舌鋒鋭い破邪顕正の矢を放っていくのだ。
 御聖訓には、「一《ひとつ》の師子王吼れば百子力を得て諸の禽獣皆頭七分にわる」(御書1316㌻)と説かれる。

宗教こそ不可欠
 リンカーンは「信教の自由」を尊重してやまなかった。
 「宗教の公然たる敵、またはその嘲笑者であるのがわかっている人を公職に推す気にはとうていなれない」とは、あまりにも有名な言葉である(B・P・トーマス著、坂西志保訳『リンカーン伝㊤』時事通信社)
 宗教をあざ笑うような無知にして驕慢な人間こそ、民主主義の破壊者である。
 ホイットマンも洞察した。
 「崇高で真摯な宗教的民主主義が厳然として指揮し、古臭いものを分解させ、表面を脱皮させて、それ自らの内面的な生命の原理から、社会を再建し民主化してゆく」(鍋島能弘訳「民主主義の予想」、河出書房新社『世界大思想全集、哲学・文芸思想篇25』所収)
 真正なる宗教性こそ、民主主義の建設に不可欠なことを展望していたのである。
 こうした世界の民主主義の趨勢を踏まえつつ、恩師は、政治を鋭く監視していくことを青年に託されたのだ。

女性から始まる
 ある日ある時、リンカーンは涙を浮かべながら語った。
 「今の私があるすべては、そして将来、私がなすことのできるすべては、天使のような母のおかげである」
 母への尽きせぬ感謝、そして報恩──そこにこそ民衆へ奉仕する力の源泉がある。
 ホイットマンは謳った。
 「女性の正義のなかから、あらゆる正義が開かれ現れる。
 女性の共感のなかから、あらゆる共感が開かれ現れる」
 リンカーン、そしてホイットマンが、わが創価の母たち、女性たちの「正義」と「共感」の連帯を見つめたならば、何と賞讃し、何と詠嘆したことだろうか。
 この尊極の母たち、女性たちの笑顔が明るく満開に咲き薫る人間社会にこそ、民衆の勝利の実像があるのだ。
        ◇
 歴史を変える戦いは、最も苦しい試練の時にこそ、最後まで頑張り抜く「執念」で決まることを、リンカーンは、繰り返し訴えていた。
 2007年9月8日──。恩師の「原水爆禁止宣言」50周年を記念して、ニューヨークのクーパー・ユニオン大学で、核兵器の廃絶を世界に呼びかける「市民平和フォーラム」が盛大に開催された。
 会場となったキャンパスは、リンカーンが、奴隷制度の是非を問う歴史的な演説を行った、ゆかりの場所である。
 「市民平和フォーラム」へのメッセージを、私は、そのリンカーンの演説で結んだ。
 「正義は力であるとの信念をもち、この信念に立って、自身の義務であると信じることを最後まではたそうではありませんか」(『リンカン民主主義論集』)


 本文中に明記した以外の主な参考文献=高木八尺・斎藤光訳『リンカーン演説集』岩波文庫、本間長世著『リンカーン』中公新書、井出義光著『リンカーン 南北分裂の危機に生きて』清水新書、本間長世著『正義のリーダーシップ リンカンと南北戦争の時代』NTT出版、巽孝之著『リンカーンの世紀』青土社
2009-07-11 : 人物紀行「歴史の巨人」と語る :
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