忘れ得ぬあの瞬間 第4回

忘れ得ぬあの瞬間
名誉会長と共に80周年へ
 (2009.7.5付 聖教新聞)

第4回 第3代会長 就任式

生死を超えて師弟の法戦

 「日本晴れだ。創価学会の前途は万々歳だ!」
 5月の青空を、池田名誉会長が見上げた。
 1960年(昭和35年)5月3日午前10時半すぎ。
 東京・墨田区の日大講堂にタクシーで降り立った。黒のモーニングは、戸田第2代会長の形見である。
 受付で、香峯子夫人が胸章を整える。左胸に菊花の大輪、そして「會長」の大きな2文字があった。
 学会の第22回本部総会。
 全同志が待ちに待った、32歳の青年会長が、いよいよ躍り出る時が来た。
 会場は早、2万余の人で立錐の余地もない。
 とっておきの背広を纏った壮年や青年。制服姿の学生。和装の婦人。白いブラウスに、黒や紺のスーツも凛々しい女子部員。音楽隊、鼓笛隊が繰り返す学会歌に、唱和の声が高鳴る。
 外は日本晴れ。友の心も晴れわたっていた。
        ◇
 名誉会長をおいて、「第3代」はあり得ない。それは、事実の上から、誰の目にも明らかだった。
 恩師の事業の苦境を、病弱の体で一人支え、第2代会長就任の道を開いた。
 蒲田、文京、札幌、山口で、壁を破る拡大の金字塔。
 “まさかが実現”と世間を驚かせた関西の栄光。
 夕張で、大阪で、戸田会長に指一本触れさせず、権力の弾圧と戦い抜いた。
 「学会は空中分解する」との風評をはねのけ、東京と全国の決戦を大勝利に導いた、総務としての指揮。
 何より、命を削っての励ましに、どれほど多くの同志が生きる勇気をもらったことか!
 その人が、遂に広布の大将軍として立つのである。
 ──正午。本部旗、男女青年部の部隊旗と共に池田新会長が入場した。眼は、正面の戸田第2代会長の遺影をじっと見つめている。
 午後1時30分。就任の第一声。
 「若輩ではございますが、本日より、戸田門下生を代表して化儀の広宣流布をめざし、一歩前進への指揮をとらせていただきます!」
 大鉄傘を、歓声と拍手の嵐が揺るがした。感激の涙が、友の頬を伝った。
        ◇
 その夜、大田区小林町の名誉会長夫妻の家を、祝福に訪ねた同志がいる。大阪の白本義一郎夫妻である。
 質素な家は、留守かと思うほど静かだったという。
 「先生、会長ご就任、おめでとうございます」
 お祝いを述べる白木夫妻に、名誉会長はこう語り出した。
 「きょうは、家ではお赤飯も炊いてくれないのだよ。この人がね(と香峯子夫人を指して)、きょうは池田家のお葬式の日だと言って……」
 どんな時も笑顔の香峯子夫人が、この日だけは違っていた。その姿に、白木夫妻は胸を衝かれた。
 「きょう来てくれた記念に、私の大切にしている写真をあげよう」
 名誉会長はそう言って、いくつかの写真を取り出し、義一郎さんに渡した。
 義一郎さんが選んだのは、晩年の戸田会長が名誉会長の肩によりかかり、談笑する写真だった。
 「やっぱり、これを取ったね。私もこれが一番好きなのだよ。戸田先生と二人の写真だから……」
 この夜、名誉会長は日記に記した。
 「恩師の喜び、目に浮かぶ。粛然たり。
 生死を超え、今世の一生の法戦始む。
 わが友、わが学会員、心から喜んでくれる。
 将らしく、人間らしく、青年らしく、断じて広布の指揮を」
 夜空には、蛍のように星が瞬いていた。
 間断なき「師弟不二」の闘争は、明年で50年を迎えようとしている。
2009-07-05 : 忘れ得ぬあの瞬間 :
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