新 あの日あの時 1

新 あの日あの時 1     (2009.7.3付 聖教新聞)

池田先生とオーストリアのウィーン

信念の人に栄光は輝く

ベートーヴェンの家
 マリアは先ほどから、一人の来館者が気になっていた。東洋の男性がベートーヴェンの楽譜の前で、じっと動こうとしない。
 ウィーン郊外の「ハイリゲンシュタットの遺書の家」。
 ベートーヴェンの遺稿やピアノなどが展示されている。質素な一軒家が記念館になっていて、マリアは、その管理者である。
 世界から音楽ファンを自認する来館者があるが、『田園』の曲が聞こえそうな散歩道を楽しんで、次の目的地に去っていく。
 だが、この男性は──。
 かれこれ40分にもなろうか。板張りの床を踏みしめ、一室一室を丹念に回る。マリアは記念館を30年以上も守ってきたが、ここまで真剣な人は珍しい。
 鑑賞を終え、東洋人が近づいてきた。
 その感想を通訳が訳す。
 「死を間近に感じるほどの苦悩があったからこそ、世界一級の作品が残せたんですね」
 そう、その通り! この記念館は、それを感じてもらいたいの。
 難聴で自死までも考えた楽聖の苦悩が宿った館である。
 マリアは急に、うれしくなった。
 奥からアルバムを取り出す。記念に、あなたの言葉をぜひ。
 さっとペンが走った。
 「正義 青年時代に憧れの 大作曲家の家に来たる べートーベンと 常に生き語りし想い出を 思い出しながら しばし、この地にたたずむ ダイサク・イケダ」
 マリアは、通訳してもらい、うんうんと、うなずいている。
 ふと迷った顔になったが、遠慮ぎみに申し出た。
 「ここで一緒に写真を撮っていただいても、よろしいでしょうか?」
 1981年(昭和56年)5月27日の水曜日である。
 以来、日本からの来館者に写真を見せる。「あなたは、プレジデント・イケダを知っていますか」
 なかには、「なぜ、学会を宣伝するんだい」と聞く人もいた。
 マリアは笑みをたたえ、決まって、こう切り返す。
 「そう言うあなたは直接、お会いしたことがありますか? ベートーヴェンの心を深く知っていらっしゃる方だからですよ」

精鋭17人で出発
 オーストリアのウィーン。今日も、どこかでオペラの幕が開き、舞踏会のステップが聞こえる。
 石畳の道や、運河に吹く風の中に、いつも音符が踊っているような街である。
 ベートーヴェン。モーツァルト。ヨハン・シュトラウス。ハイドン。シューベルト。ブラームス。
 そうそうたる顔ぶれがウィーンから世に出て行った。
 世界から音楽家の卵がやってくるが、現実は甘くない。
 ベートーヴェンの記念館に行く前日のことである。新緑の森に、ひっそりと立つホテル・クライネーヒュッテでウィーン本部が結成された。
 祝賀の演奏。
 一組の夫婦がフルートを手に立ち上がった。音楽学校で講師をしているキヨシ・ツクイと、その妻でオーストリア人のエリカである。
 1966年(昭和41年)1月。静岡で「五年会」の淵源となる大会に参加したツクイ。池田大作SGI会長が演壇に立った。
 「学会は師子の団体である。まことの師子の後継者に育っていただきたい」「男ならば広く世界を見よ、世界に羽ばたけと申し上げたい」
 世界ヘ──。音楽好きな少年の針路が、大きく変わっていく。
 日本の音楽学校を出て、船で横浜港からソ連のナホトカまで渡った。
 えんえんとシベリア鉄道に乗って、ウィーンまで1週間以上かかった。
 ビザなしでの新生活。言葉が通じない。本場にいながら、音楽を学べない。日本に帰りたくても、もう旅費もない。皿洗いをしながら屋根裏部屋でふんばった。
 77年、ドイツのオーケストラに才能を見いだされ、音楽教育者の国家試験にも最優秀で合格した。
 そんな折にSGI会長をウィーンに迎えたのである。
 演奏を終えたツクイが、思い切って胸の内を明かした。
 「私は、オーストリア国籍を取りたいと思っています」
 SGI会長は、その覚悟を見て取った。「オーストリアの土になる。男らしい決意じゃないか」
 この日、小さな会議室に集まったメンバーを見渡し、このように指導している。
 「きょうはオーストリアに世界一、小さな本部を結成します」
 ウィーン大学に学ぶ女子学生。中南米出身の外交官。音楽を求めて苦学する青年……。
 集ったのは、わずか17人。
 「少数精鋭でいい。とにかく、いい人で。あせらずに、長い将来の基盤をつくっていこう」
 いかなる組織でも、まず中軸をかためる。なによりも、その国土世間に応じた人材を育てる。「真の信仰者ならば、文化を徹底的に愛しなさい!」
 ツクイの胸にずしりと響いた。
 徹底的──仏法にも芸術の道にも、中途半端はない。信念の人に栄光は輝く。
 ツクイは著名なフルート奏者に成長していく。現在は、オーストリアSGIの書記長である。国立放送局などでも活躍。市立ブラームス音楽学院に勤続30年。現在は副校長をしている。

カレルギーの友人
 ウィーン国際空港。
 オーストリア大使の小野寺龍二が到着ロビーでSGI会長を待ちうけていたのは、92年(平成4年)6月9日の火曜日である。
 特に出迎えの予定はなかったはずだが……。
 「日程をうかがい、やってまいりました。ぜひ私も、明日の叙勲式に出席させてください」
 オーストリア共和国から「学術・芸術最高勲位栄誉章」が贈られることになっていた。
 小野寺は知っている。
 SGI会長は60年代から、3人のオーストリア駐日大使と会見。世界への対話も、ウィーン大学出身のクーデンホーフ・カレルギー伯爵から始まっている。
 「本当にご縁が深い。両国の交流の恩人を、大使が、お祝いしないで、どうするのですか」
 小野寺が、胸を張ってみせた。
        ◇
 たしかにウィーンでは、こんな光景が見られる。
 赤レンガのアパートで開かれた座談会。オーストリア人の男が初めて仏法の話を聞くが、正直、東洋的な思想についていけない。
 しかし、、話題がSGI会長の世界的な対話になると、ぴくんと顔を上げた。
 「クーデンホーフ・カレルギー伯爵と会っているのかい?」
 伯爵は、第2次世界大戦前に、欧州統合の構想を提唱した。ナチスにも、ひるまなかった闘士。オーストリアの誇りである。
 男は一冊の写真集を手に取った。あつらえたばかりの老眼鏡をかけ、目を凝らす。
 SGI会長との対談の場面。後日の伯爵の感想も。
 「この会談は私にとっては、東京滞在中のもっとも楽しい時間の一つであった」
 男が初めて表情を崩した。
 「伯爵の本当のご友人ですね。それならば信頼できる」

叙勲式を終えて
 翌6月10日。
 叙勲式は、伝統ある文部省の建物で行われ、ホルンの音色が式典に花を添えた。引き続き「賓客の間」で祝賀会になった。
 ひときわ目を引いたのは、女優オーガスチン・エリザベートである。
 SGIメンバー。王宮劇場の専属で舞台に立つ。大河ドラマのヒロイン役でも絶賛され、国民的な女優になった。
 SGI会長が声をかけた。
 「ご活躍は、よくうかがっています。大女優にお会いできて光栄です」
 長身のエリザペートが、華やかな笑みを浮かべる。その心中を包みこむように、言葉を続けた。
 「でも女優である前に、立派な人間として幸福になってください。それが何よりも大事です」
 エリザペートは、はっとした。有名イコール幸せか。裕福イコール幸せか。つねに煩悶してきた。
 誰もが、ちやほやしてくれるが、心の奥の葛藤まで知ろうとしない。SGI会長のような人は初めてだった。
 式典を終えた夕刻。市立公園のヨハン・シュトラウス像の前で記念撮影会が開かれた。数人の少年少女と肩を組み、ゆっくり像の周りを歩くSGI会長。
 輪の中の一人が、エリザベートの長女バレリーだった。
        ◇
 バレリーは、後にアメリカ創価大学に進む。イギリスの大学を経て母国に帰り、作家をめざしている。
 母のエリザベートは、オーストリアSGIの広報部長になった。かつて古城だったオーストリア文化センターで開くコンサートに、音楽の都のスターと友情出演する。
 いま、ウィーンつ子たちは口々に言う。
 「夢の競演が見たければ、あの森の近くのお城に行くといい」
2009-07-03 : 新 あの日あの時 :
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