5・3記念代表者会議 ⑤
5・3記念代表者会議 ⑤
(2009.5.3 東京牧口記念会館)
民衆に力を! 民衆を強く賢く!
キング博士
今、必要なのは団結
不屈のユゴー
「歓喜は苦悩の大木の果実だ」
一、正義の人には、嵐が起こる。しかし、心は晴れやかだ。
フランスの文豪ユゴーは、権力者を糾弾し、亡命を余儀なくされた。信念の論陣を張った息子たちも、相次いで投獄された。
追放された年の暮れ、ユゴーは妻への手紙に、こう記した。
「私達にとって苦難の年であった今年も、今日で終わりだ。二人の息子は牢獄にいるし、私は流刑の身だ。
辛かったけど、しかし、よかったよ。
少し霜が降ったほうが収穫もよくなるものだ。なぜなら歓喜は、苦悩の大木に実る果実だよ」
この気概!
この確信!
この不屈の心で、ユゴーは生き抜いた。
亡命は19年にも及んだ。49歳から68歳までの間、一度も祖国に帰ることはなかった。
振り返れば、創価の師弟も、権力の悪と戦い、正義を貫いた。私自身、無実の罪で牢に人れられ、法廷でも闘い抜いた。
「勝負は裁判だ。裁判長は、必ずわかるはずだ」──戸田先生が遺言された通り、私は無罪を勝ち取った。
歴史上、多くの正義の闘士が迫害されてきた。それを思えば、今は恵まれている。環境に甘えて、いい気になったら、とんでもないことだ。革命児の気概を、絶対に失ってはならない。
亡命先でなお、創造の炎を燃え上がらせたユゴーのごとく、不屈の師弟の勝利の劇を、晴れ晴れと綴ってまいりたい(大拍手)。
真の人間になれ
一、現在、私は、キング博士の盟友としてアメリカの公民権運動をともに闘った、著名な歴史学者のビンセント・ハーディング博士と対談を進めている。
キング博士の思い出や秘話をはじめ、幅広いテーマで語り合っていく予定である。
博士は、語らいのなかで、社会に貢献する人間のあり方について述べておられた。
「私たちは、人間に生まれたというだけで、真の人間になれるわけではありません。人間となることを目指し続けてこそ、真の人間となれるのです。
そのために大切なのは、人のために貢献し続けることなのです」と。まさに、その通りである。
世界の中で生きる自分を見つめ、行動しながら思索し、思索しながら行動するのだ。
スペインの哲学者オルテガは、「人間の運命は、まずもって行動である」と述べている(佐々木孝、A・マタイス訳『オルテガ著作集5』白水社)。
人々の幸福を願い、貢献しゆく創価の人生は、最も崇高な実像がある。人間として最高に満足で、充実した人生の正道なのである。
仏法の真髄は「人の振舞」
原点に立ち返れ
一、ハーディング博士は、とりわけ、宗教の重要性を強調しておられた。
宗教のあり方について、次のようにも述べられている。
「私たちが、宗教を正しく実践するためには、常に、その原点に立ち返ることが不可欠です」と。そして、その原点とは、「始祖の振る舞い」にあるとおっしゃっていた。
私たちにとって、根源の始祖とは、日蓮大聖人であり、師子王のその御姿こそ、永遠の原点である。
また大聖人は「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(御書1174㌻)と仰せである。宗教の真の価値──それは、人間の行動によって輝きわたるのである。
さらに博士は、こうも語っておられた。
「信仰は、人と人の間、社会の中にこそ、伝えられていくものです。そして、その信仰が、果たして、人間の中で、また社会の中で、力を発揮しているかどうかを、私たちは常に問いかけていく勇気を持たなければなりません」
全くその通りだ。
宗教は、人間の幸福のためにある。
ゆえに、その宗教をもつことが、人間を強くするのか、弱くするのか、善くするのか悪くするのか、さらには、賢くするのか愚かにするのかを、検証していかねばならないであろう。
〈博士は、こうも述べている。
「池田SGI会長は、私たちに、一切の差異を乗り越え、平和と共感は築けるのだ、ということを身をもって示してくださっております。そのSGI会長の指導力によって、創価学会は堅固な砦を築かれました。しかしその砦は、他を寄せつけない“孤塁”ではなく、世界へと平和を広げていく“跳躍台”なのだ、との感銘を深くしております」「SGIのような正義と真実のために戦う、世界の人々の善意を今こそ結集すべきです」〉
ここで、キング博士の不滅の言葉を、わが友に贈りたい。
「われわれはすべての行動において団結しなければならない」
「いま最も必要なことは団結です。もしわれわれが団結するならば、われわれは単に望んでいるものだけでなく、正当に受けるべきものをも多く獲得することができます」(ともにクレイボーン・カーソン編、梶原寿訳『マーティン・ルーサー・キング自伝』日本基督教団出版局)
日興上人は師子吼 虚栄の五老僧は転落
「勇者は、必ず敵に打ち勝つ」
一、「師弟不二」の道は、あまりにも峻厳である。
日蓮大聖人が御入滅された弘安5年(1282年)のその時、日興上人は数えで37歳。
それから、実に50年以上にわたって、日興上人は、後継の広宣流布の指揮を執り続けていかれた。
ただ一人、師匠の正義を、護って護って護り抜かれた生涯であられた。
本来であれば、大聖人が「本弟子」として定められた「六老僧」の仲間が、日興上人を支え、お護りしなければならなかった。
しかし、彼らは「本弟子」の座から転落していった。人間の心はわからない。
彼らは、権力に屈して「天台沙門(天台の一門)」と名乗って、天台宗の祈祷を行ってしまったのである。
そこには、「日蓮が如く」との魂は、全く感じられなかった。
その重大な違背は、一つには、弘安8年(1285年)──大聖人の滅後、わずか4年目のことであった。
日興上人は、そうした実態を、後にこう記されている。
「日蓮大聖人の御弟子六人の中で、五人は一同に、大聖人の御名前を改めて天台の弟子と号し、自らの住坊を破却されようとする時、天台宗を行じて祈祷をするという申状を捧げることによって、破却の難を免れたのである」
難を逃れるために、「日蓮大聖人の弟子」との誇りある名乗りを捨て去ったのである。
その濁流に抗して、日興上人は、決然と、一人立たれた。
ただただ、師匠の戦われた如くに戦う。それが日興上人の心情であられた。
日興上人の諫暁の書である「申状」を開いても、大聖人の御諫暁と全く変わらない。
例えば、大聖人滅後8年目にあたる正応2年(1289年)には、武家への申状を認められている。
大聖人の滅後の世相は、3度目の蒙古襲来におびえ、国内は乱れ、世情も不安定であった。
日興上人は、“今の状況は、全く師匠である日蓮大聖人が予言れた「立正安国論」の通りではないか。本来であれば、国を挙げて、わが師匠である日蓮大聖人を賞すべきではないか”と叫ばれたのである。〈「今国体を見るに併せて彼の勘文に符合す争か之を賞せられざらんや」〉
この堂々たる師子吼こそが、弟子の実践の真髄である。
どこまでも、どこまでも、命を賭して、師匠を宣揚せんとの魂が脈打っておられる。
「日蓮聖人の弟子日興重ねて申す」──日興上人は、威風も堂々と、「私は日蓮大聖人の弟子である」との一点から諫暁を重ねておられた。
“伝教大師が弘めた法華経は迹門であり、先師・大聖人の弘めた法華経は本門である”と、師匠の正法正義を、一点の曇りもなく、訴え抜いていかれたのである。
「天台沙門」などと名乗る五老僧との相違は、あまりにも明らかであった。
たとえ師が偉大であっても、その精神を継ぐ真正の弟子がいなけれは、結局、何も残らない。
半世紀にわたって、大聖人と同じ心で戦い抜かれた日興上人の大闘争のゆえに、「師弟不二の大道」が万年の未来へ厳然と開かれたのである。
この大聖人と日興上人に連なる、創価の三代の師弟もまた、師の偉大さ、師の正義を、叫んで叫んで叫び抜いてきた。
ここに、創価の永遠の栄光があることを知らねばならない。
中央アジア・カザフ民族の英知の格言に、こうあった。
「勇者は、必ず敵に打ち勝つ」
大聖人の烈々たる御確信にも通じる言葉だ。
臆病は悪である。
恐れなく、勇気をもって戦おう!〈「ハイ!」と返事が〉
勝利へ心を合わせよ
時を逃さず打って出よ 自分が太陽と輝け
人材の城を築け
一、「関八州がしっかりしてあれば、日本国は安泰であろう」とは、山岡荘八氏の小説『徳川家康』(講談社)の一節である。
氏は、私が戸田先生のもとで編集長を務めた少年誌『少年日本』にも原稿を執筆してくださった。世田谷区若林の自宅へうかがったことを思い出す。
当時、同じ世田谷の詩人・西條八十氏の成城のお宅にも足を運んだことが懐かしい。
ともあれ、本陣である東京、関東、東海道、信越──拡大首都圏が一体となって盤石であることこそ、広宣流布の前進の要だ。
そしてまた、山岡荘八氏の小説には、「新しい時代は若者で創《はじ》めるがよい」とあった(『柳生宗矩』講談社)。
私も青年に、新しい創価の勝利の時代を託したい。
さらに氏は、「隙を作るな、隙こそ破れの基《もとい》と知れ」「人と人との砦をしっかり固めてねかねばならぬ」(同)とも綴っている。
人材こそ城である。同志の絆こそ大城である。わが地域をがっちりと固め、全国の同志のスクラムを一段と強めていくことだ。
一、城といえば、江戸城は、「近世築城法の始祖」と仰がれた武将・太田道灌(資長《すけなが》)が中心となって築かれたとされる。
地勢を生かした江戸城は、攻守ともに優れていたという。
たとえ敵に攻められても、二重、三重の守りで防ぎ、反撃に転じられる備えがあったと推定されている。
ただし道灌は、守城の戦いはしなかった。むしろ、打って出た。
攻撃精神、反撃精神ありてこそ、城は難攻不落となる。
戦野を駆ける道灌の騎馬像が、懐かしき東京・荒川区の日暮里駅前に立っている。
関八州を舞台として走りに走り、戦って戦って戦い抜いた。30回以上の合戦に、勝って勝って勝ちまくった。
その常勝の強さは、どこからきたのか。
さまざまな点から研究されている。
自らが先頭に立ち、各地の戦乱を治めた道灌は、名将中の名将と讃えられた。
多くの場合、要の江戸城は信頼する者に託し、将たる自分は、最も困難な最前線に飛び込んで戦った。
広宣流布の方程式も同じである。
その通りに、三代の師弟が先頭に立って戦い抜いたからこそ、今日の勝利があることを、確信をもって申し上げておきたい。
戸田先生は常々、中心者が大事であると言明されていた。
そして、「三代で決まる。三代が大事だ」「第三代会長を守れば、広宣流布は必ずできる」と語られた。戸田先生の遺言である。
その言葉のままに、私は、同志とともに、完璧なる世界広布の基盤を築き上げたのである(大拍手)。
一、道灌の強さの秘訣は、電光石火のスピードにもあった。
時を待ち、機が熟したと見るや、たたみかけるように攻めて攻め抜いた。鍛えに鍛えた精鋭の勢いある機動力が、戦を決した。
そして道灌は「最前線の心を知る」名将でもあった。絶妙な言葉をもって、最前線の味方を激励し、勇気と力を引き出すことができたと伝えられている。
いずれも、勝利に不可欠の要件といってよい。〈太田道灌については編集部でまとめる際、前島康彦著『太田道灌』太田道灌公事績顕彰会、勝守すみ著『太田道灌』人物往来社、小泉功著『太田道真と道灌』幹書房等を参照した〉
わが激戦の心に勝利の青空を!
一、結びに、童話王アンデルセンの言葉を重ねて贈りたい。
「自分の値打ちがわかっていれば、どんな嵐にもめげずに胸を張っていられるんだよ」(デンマーク王立国語国文学会編集・鈴木徹郎訳『アンデルセン小説・紀行文学全集1』東京書籍)
わが同志は、偉大なる妙法のために行動する、世界第一の尊き方々である。その最高の誇りをもって、強気で戦い抜くことだ。
さらに──
「精神の富には祝福が宿っており、人に分かち与えることができればできるほど豊かなものに膨らんでゆく」(『同全集9』)
喜びや感動を友に語れば語るほど、わが精神も豊かになる。生命が不滅の福運に包まれることは間違いない。
そして──
「信仰の清らかな光は太陽のようなものだ。暗黒の日々を経て、ついには暗闇を突き破って輝き、そのとき暗雲は消え去ってしまうんだ!」(同)
太陽の仏法は、無敵の兵法である。
苦難の闇、邪悪の暗黒を打ち破れないわけがない。
敬愛する同志の皆様に、和歌を贈りたい。
天も晴れ
心も躍る
創価の日
元初の誓いは
いやまし光りぬ
わが友が
嵐を越えて
むかえたる
五月三日の
晴れの姿よ
勝ちにけり
断固と我らは
勝ちにけり
万歳 叫ばむ
仏の生命で
わが激戦の心に「5月の勝利の青空」を晴れ晴れと広げ、一段と全同志が健康の生命を輝かせてまいりたい。
そして明年、創立80周年の「5月3日」へ向かって、朗らかに、勇気凛々と、異体同心の大前進を決意し合って、記念のスピーチとしたい。
また、元気にお会いしよう!(大拍手)
(2009.5.3 東京牧口記念会館)
民衆に力を! 民衆を強く賢く!
キング博士
今、必要なのは団結
不屈のユゴー
「歓喜は苦悩の大木の果実だ」
一、正義の人には、嵐が起こる。しかし、心は晴れやかだ。
フランスの文豪ユゴーは、権力者を糾弾し、亡命を余儀なくされた。信念の論陣を張った息子たちも、相次いで投獄された。
追放された年の暮れ、ユゴーは妻への手紙に、こう記した。
「私達にとって苦難の年であった今年も、今日で終わりだ。二人の息子は牢獄にいるし、私は流刑の身だ。
辛かったけど、しかし、よかったよ。
少し霜が降ったほうが収穫もよくなるものだ。なぜなら歓喜は、苦悩の大木に実る果実だよ」
この気概!
この確信!
この不屈の心で、ユゴーは生き抜いた。
亡命は19年にも及んだ。49歳から68歳までの間、一度も祖国に帰ることはなかった。
振り返れば、創価の師弟も、権力の悪と戦い、正義を貫いた。私自身、無実の罪で牢に人れられ、法廷でも闘い抜いた。
「勝負は裁判だ。裁判長は、必ずわかるはずだ」──戸田先生が遺言された通り、私は無罪を勝ち取った。
歴史上、多くの正義の闘士が迫害されてきた。それを思えば、今は恵まれている。環境に甘えて、いい気になったら、とんでもないことだ。革命児の気概を、絶対に失ってはならない。
亡命先でなお、創造の炎を燃え上がらせたユゴーのごとく、不屈の師弟の勝利の劇を、晴れ晴れと綴ってまいりたい(大拍手)。
真の人間になれ
一、現在、私は、キング博士の盟友としてアメリカの公民権運動をともに闘った、著名な歴史学者のビンセント・ハーディング博士と対談を進めている。
キング博士の思い出や秘話をはじめ、幅広いテーマで語り合っていく予定である。
博士は、語らいのなかで、社会に貢献する人間のあり方について述べておられた。
「私たちは、人間に生まれたというだけで、真の人間になれるわけではありません。人間となることを目指し続けてこそ、真の人間となれるのです。
そのために大切なのは、人のために貢献し続けることなのです」と。まさに、その通りである。
世界の中で生きる自分を見つめ、行動しながら思索し、思索しながら行動するのだ。
スペインの哲学者オルテガは、「人間の運命は、まずもって行動である」と述べている(佐々木孝、A・マタイス訳『オルテガ著作集5』白水社)。
人々の幸福を願い、貢献しゆく創価の人生は、最も崇高な実像がある。人間として最高に満足で、充実した人生の正道なのである。
仏法の真髄は「人の振舞」
原点に立ち返れ
一、ハーディング博士は、とりわけ、宗教の重要性を強調しておられた。
宗教のあり方について、次のようにも述べられている。
「私たちが、宗教を正しく実践するためには、常に、その原点に立ち返ることが不可欠です」と。そして、その原点とは、「始祖の振る舞い」にあるとおっしゃっていた。
私たちにとって、根源の始祖とは、日蓮大聖人であり、師子王のその御姿こそ、永遠の原点である。
また大聖人は「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(御書1174㌻)と仰せである。宗教の真の価値──それは、人間の行動によって輝きわたるのである。
さらに博士は、こうも語っておられた。
「信仰は、人と人の間、社会の中にこそ、伝えられていくものです。そして、その信仰が、果たして、人間の中で、また社会の中で、力を発揮しているかどうかを、私たちは常に問いかけていく勇気を持たなければなりません」
全くその通りだ。
宗教は、人間の幸福のためにある。
ゆえに、その宗教をもつことが、人間を強くするのか、弱くするのか、善くするのか悪くするのか、さらには、賢くするのか愚かにするのかを、検証していかねばならないであろう。
〈博士は、こうも述べている。
「池田SGI会長は、私たちに、一切の差異を乗り越え、平和と共感は築けるのだ、ということを身をもって示してくださっております。そのSGI会長の指導力によって、創価学会は堅固な砦を築かれました。しかしその砦は、他を寄せつけない“孤塁”ではなく、世界へと平和を広げていく“跳躍台”なのだ、との感銘を深くしております」「SGIのような正義と真実のために戦う、世界の人々の善意を今こそ結集すべきです」〉
ここで、キング博士の不滅の言葉を、わが友に贈りたい。
「われわれはすべての行動において団結しなければならない」
「いま最も必要なことは団結です。もしわれわれが団結するならば、われわれは単に望んでいるものだけでなく、正当に受けるべきものをも多く獲得することができます」(ともにクレイボーン・カーソン編、梶原寿訳『マーティン・ルーサー・キング自伝』日本基督教団出版局)
日興上人は師子吼 虚栄の五老僧は転落
「勇者は、必ず敵に打ち勝つ」
一、「師弟不二」の道は、あまりにも峻厳である。
日蓮大聖人が御入滅された弘安5年(1282年)のその時、日興上人は数えで37歳。
それから、実に50年以上にわたって、日興上人は、後継の広宣流布の指揮を執り続けていかれた。
ただ一人、師匠の正義を、護って護って護り抜かれた生涯であられた。
本来であれば、大聖人が「本弟子」として定められた「六老僧」の仲間が、日興上人を支え、お護りしなければならなかった。
しかし、彼らは「本弟子」の座から転落していった。人間の心はわからない。
彼らは、権力に屈して「天台沙門(天台の一門)」と名乗って、天台宗の祈祷を行ってしまったのである。
そこには、「日蓮が如く」との魂は、全く感じられなかった。
その重大な違背は、一つには、弘安8年(1285年)──大聖人の滅後、わずか4年目のことであった。
日興上人は、そうした実態を、後にこう記されている。
「日蓮大聖人の御弟子六人の中で、五人は一同に、大聖人の御名前を改めて天台の弟子と号し、自らの住坊を破却されようとする時、天台宗を行じて祈祷をするという申状を捧げることによって、破却の難を免れたのである」
難を逃れるために、「日蓮大聖人の弟子」との誇りある名乗りを捨て去ったのである。
その濁流に抗して、日興上人は、決然と、一人立たれた。
ただただ、師匠の戦われた如くに戦う。それが日興上人の心情であられた。
日興上人の諫暁の書である「申状」を開いても、大聖人の御諫暁と全く変わらない。
例えば、大聖人滅後8年目にあたる正応2年(1289年)には、武家への申状を認められている。
大聖人の滅後の世相は、3度目の蒙古襲来におびえ、国内は乱れ、世情も不安定であった。
日興上人は、“今の状況は、全く師匠である日蓮大聖人が予言れた「立正安国論」の通りではないか。本来であれば、国を挙げて、わが師匠である日蓮大聖人を賞すべきではないか”と叫ばれたのである。〈「今国体を見るに併せて彼の勘文に符合す争か之を賞せられざらんや」〉
この堂々たる師子吼こそが、弟子の実践の真髄である。
どこまでも、どこまでも、命を賭して、師匠を宣揚せんとの魂が脈打っておられる。
「日蓮聖人の弟子日興重ねて申す」──日興上人は、威風も堂々と、「私は日蓮大聖人の弟子である」との一点から諫暁を重ねておられた。
“伝教大師が弘めた法華経は迹門であり、先師・大聖人の弘めた法華経は本門である”と、師匠の正法正義を、一点の曇りもなく、訴え抜いていかれたのである。
「天台沙門」などと名乗る五老僧との相違は、あまりにも明らかであった。
たとえ師が偉大であっても、その精神を継ぐ真正の弟子がいなけれは、結局、何も残らない。
半世紀にわたって、大聖人と同じ心で戦い抜かれた日興上人の大闘争のゆえに、「師弟不二の大道」が万年の未来へ厳然と開かれたのである。
この大聖人と日興上人に連なる、創価の三代の師弟もまた、師の偉大さ、師の正義を、叫んで叫んで叫び抜いてきた。
ここに、創価の永遠の栄光があることを知らねばならない。
中央アジア・カザフ民族の英知の格言に、こうあった。
「勇者は、必ず敵に打ち勝つ」
大聖人の烈々たる御確信にも通じる言葉だ。
臆病は悪である。
恐れなく、勇気をもって戦おう!〈「ハイ!」と返事が〉
勝利へ心を合わせよ
時を逃さず打って出よ 自分が太陽と輝け
人材の城を築け
一、「関八州がしっかりしてあれば、日本国は安泰であろう」とは、山岡荘八氏の小説『徳川家康』(講談社)の一節である。
氏は、私が戸田先生のもとで編集長を務めた少年誌『少年日本』にも原稿を執筆してくださった。世田谷区若林の自宅へうかがったことを思い出す。
当時、同じ世田谷の詩人・西條八十氏の成城のお宅にも足を運んだことが懐かしい。
ともあれ、本陣である東京、関東、東海道、信越──拡大首都圏が一体となって盤石であることこそ、広宣流布の前進の要だ。
そしてまた、山岡荘八氏の小説には、「新しい時代は若者で創《はじ》めるがよい」とあった(『柳生宗矩』講談社)。
私も青年に、新しい創価の勝利の時代を託したい。
さらに氏は、「隙を作るな、隙こそ破れの基《もとい》と知れ」「人と人との砦をしっかり固めてねかねばならぬ」(同)とも綴っている。
人材こそ城である。同志の絆こそ大城である。わが地域をがっちりと固め、全国の同志のスクラムを一段と強めていくことだ。
一、城といえば、江戸城は、「近世築城法の始祖」と仰がれた武将・太田道灌(資長《すけなが》)が中心となって築かれたとされる。
地勢を生かした江戸城は、攻守ともに優れていたという。
たとえ敵に攻められても、二重、三重の守りで防ぎ、反撃に転じられる備えがあったと推定されている。
ただし道灌は、守城の戦いはしなかった。むしろ、打って出た。
攻撃精神、反撃精神ありてこそ、城は難攻不落となる。
戦野を駆ける道灌の騎馬像が、懐かしき東京・荒川区の日暮里駅前に立っている。
関八州を舞台として走りに走り、戦って戦って戦い抜いた。30回以上の合戦に、勝って勝って勝ちまくった。
その常勝の強さは、どこからきたのか。
さまざまな点から研究されている。
自らが先頭に立ち、各地の戦乱を治めた道灌は、名将中の名将と讃えられた。
多くの場合、要の江戸城は信頼する者に託し、将たる自分は、最も困難な最前線に飛び込んで戦った。
広宣流布の方程式も同じである。
その通りに、三代の師弟が先頭に立って戦い抜いたからこそ、今日の勝利があることを、確信をもって申し上げておきたい。
戸田先生は常々、中心者が大事であると言明されていた。
そして、「三代で決まる。三代が大事だ」「第三代会長を守れば、広宣流布は必ずできる」と語られた。戸田先生の遺言である。
その言葉のままに、私は、同志とともに、完璧なる世界広布の基盤を築き上げたのである(大拍手)。
一、道灌の強さの秘訣は、電光石火のスピードにもあった。
時を待ち、機が熟したと見るや、たたみかけるように攻めて攻め抜いた。鍛えに鍛えた精鋭の勢いある機動力が、戦を決した。
そして道灌は「最前線の心を知る」名将でもあった。絶妙な言葉をもって、最前線の味方を激励し、勇気と力を引き出すことができたと伝えられている。
いずれも、勝利に不可欠の要件といってよい。〈太田道灌については編集部でまとめる際、前島康彦著『太田道灌』太田道灌公事績顕彰会、勝守すみ著『太田道灌』人物往来社、小泉功著『太田道真と道灌』幹書房等を参照した〉
わが激戦の心に勝利の青空を!
一、結びに、童話王アンデルセンの言葉を重ねて贈りたい。
「自分の値打ちがわかっていれば、どんな嵐にもめげずに胸を張っていられるんだよ」(デンマーク王立国語国文学会編集・鈴木徹郎訳『アンデルセン小説・紀行文学全集1』東京書籍)
わが同志は、偉大なる妙法のために行動する、世界第一の尊き方々である。その最高の誇りをもって、強気で戦い抜くことだ。
さらに──
「精神の富には祝福が宿っており、人に分かち与えることができればできるほど豊かなものに膨らんでゆく」(『同全集9』)
喜びや感動を友に語れば語るほど、わが精神も豊かになる。生命が不滅の福運に包まれることは間違いない。
そして──
「信仰の清らかな光は太陽のようなものだ。暗黒の日々を経て、ついには暗闇を突き破って輝き、そのとき暗雲は消え去ってしまうんだ!」(同)
太陽の仏法は、無敵の兵法である。
苦難の闇、邪悪の暗黒を打ち破れないわけがない。
敬愛する同志の皆様に、和歌を贈りたい。
天も晴れ
心も躍る
創価の日
元初の誓いは
いやまし光りぬ
わが友が
嵐を越えて
むかえたる
五月三日の
晴れの姿よ
勝ちにけり
断固と我らは
勝ちにけり
万歳 叫ばむ
仏の生命で
わが激戦の心に「5月の勝利の青空」を晴れ晴れと広げ、一段と全同志が健康の生命を輝かせてまいりたい。
そして明年、創立80周年の「5月3日」へ向かって、朗らかに、勇気凛々と、異体同心の大前進を決意し合って、記念のスピーチとしたい。
また、元気にお会いしよう!(大拍手)
2009-05-13 :
スピーチ・メッセージ等 :