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全国白蓮グループ大会へのメッセージ

全国白蓮グループ大会へのメッセージ
        (2015.7.12 東京牧口記念会館)

 世界広布新時代「全国白蓮グループ大会」が12日、八王子市の東京牧口記念会館で盛大に開かれた。7・8「グループの日」を慶祝する同大会には、原田会長、杉本婦人部長、清水女子部長らが出席。池田名誉会長夫妻は万感のメッセージを贈り、白蓮姉妹の全員が「幸福勝利の『一番星』」にと念願した。また席上、女子部の友に贈られた記念の言葉「負けない人が勝利の人 信心は永遠の幸福の土台なり」が紹介された。

仲良く朗らかに希望の青春の道を

 晴れやかな白蓮グループの大会、誠におめでとう!
 白蓮の皆さんこそ、創価の花であり、広布の光です。皆さんがたゆまず健気に頑張ってくれているゆえに、学会は明るく希望に燃えて前進できるのです。
 いつもいつも、ありがとう! 本当にありがとう!
 さかのぼれば、私の手づくりで白蓮のスクラムが誕生して58年。今、この尊い人材の流れは世界中に広がっています。
 皆さんの日々の地道な努力こそが、世界の友に清々しい模範を示していることを、胸を張って誇りとしてください。
 近代教育学の創始者と謳われるスペイン出身の知性ルイス・ビーベスは語りました。
 「真の美しさとは精神に宿る」と。
 白蓮の皆さんこそ、この精神、そして生命に宿る真の美しさを最高最大に輝かせていける哲学の天使なのです。
 有名な「一生成仏抄」には、「深く信心を発《おこ》して日夜朝暮に又懈《おこた》らず磨くべし何様《いかよう》にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是《これ》をみがくとは云《い》うなり」(御書384㌻)と仰せであります。
 この泥沼のような濁った社会にあって、思うように真心が通じず、悔しい現実に涙することもあるでしょう。しかし、どんな時も、「自行化他」の題目を唱え弘めゆく青春は、断じて行き詰まりません。
 わが仏性の「明鏡」を限りなく磨き光らせて、友を包みながら、どんな悩みも必ず勝利の糧に変えていけます。
 「白蓮の祈り」こそ、自他共に幸福を開く自在の力です。
 「白蓮の振る舞い」こそ、皆に希望と喜びを広げる薫風です。
 「白蓮の団結」こそ、新たな創価の未来を照らす勝利の大光であります。
 どうか、「わが身が妙法蓮華の当体なり!」との大確信で、何があっても仲良く朗らかに励まし合って、白蓮姉妹は全員が、幸福勝利の「一番星」と輝いていってください。
 皆さんの前進を信じ、喜びとする以外に、私と妻の人生はありません。
 これからも、私と妻は一生懸命、題目を送ってまいります
 皆さんの健康と、ご一家のご繁栄を祈り続けてまいります。
 どうか、体を大切に! 親孝行を忘れずに、若き生命の大地に、「信心の根」「福徳の根」を揺るぎなく張っていってください。
 大好きな「星は光りて」の歌を妻と口ずさみつつ。
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2015-07-16 : スピーチ・メッセージ等 :
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新時代第3回全国男子部幹部会へのメッセージ

新時代第3回全国男子部幹部会へのメッセージ
        (2015.7.12 創価大学記念講堂)

 7・11「男子部結成記念日」、7・12「総東京青年部の日」を祝賀する「新時代第3回全国男子部幹部会が12日午後、東京・八王子市の創価大学記念講堂で盛大に開催された。これには、原田会長、橋元青年部長、竹岡男子部長をはじめ、全国各方面の男子部長らが、総東京のリーダーと共に、出席。池田名誉会長はメッセージを寄せ、自身のため、社会のため、広布のために師子王のごとく前進をと念願した。

我らは歌う!人間革命の凱歌を
共に歩む感激の同志ここにあり


 晴れわたる大勝利の丈夫《ますらお》の集い、誠におめでとう!
 わが本陣・総東京の堂々たる日本一の大折伏を、牧口先生も戸田先生も、どれほど喜ばれていることか。私は、この創価大学の講堂に集った、誉れ高き一人一人と、固い心の握手を交わしたい。
 愛する君たちと共に戦い、共に歌い、共に舞い、共に出陣の太鼓を打ち鳴らす思いで、すべてを見守っています。皆の奮闘の様子もよく伺っています。鍛錬を重ねてきた出演者の諸君、陰で一切を支えてくれている役員の諸君、ありがとう! 本当にありがとう!
 そして、温かく応援し、送り出してくれた創価家族の父母《ちちはは》たち、同志たちに、心からの感謝の大拍手を送ろうではないか!
 現在、東京富士美術館で展示(レオナルド・ダ・ヴィンチと「アンギアーリの戦い」展)が行われているレオナルド・ダ・ビンチは、「獅子は恐怖を知らない」(黒田正利訳 『ダ・ヴィンチ随想録』 甲鳥書林)と言い切りました。獅子は、最も困難な戦いに、大胆に激しく挑んでいくというのです。
 日蓮大聖人は、「此《こ》の経文(=法華経)は一切経に勝れたり地走る者の王たり師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり鷲のごとし」(御書1310㌻)と仰せになられた。
 若くして、この大仏法を探究し、実践しゆく君たちは、一人ももれなく、必ず師子王の人生を走り進むことができるのだ。
 現実は、職場や生活の困難との格闘もあるだろう。言い知れぬ宿命の試練が襲いかかる時もあるに違いない。しかし、君たちは師子である。人を羨む必要も、自分を卑下する必要もない。師子吼の題目を轟かせながら、自身のため、社会のため、広布のために断じて前進していくのだ。最後は自らの戦場で、断じて勝利の旗を打ち立てていくのだ。
 そして、「我ら創価の師弟は、永遠に師子として戦う。師子として叫ぶ。師子として勝つ」と宣言したいけれども、皆さん、どうだろうか。
 ともあれ、本陣男子部の諸君は、全員が、世界広布新時代の山本伸一です。
 どうか、この世界第一の青春勝利の仏法を、一人また一人と勇敢に語り、師子吼しながら、本陣・総東京を、世界第一の正義と栄光の都としてくれ給え!
 親孝行を忘れずに、また水の流れるような不退の持続を頼みます。
 総東京の誉れの愛弟子と「ああ感激の同志あり」を歌いつつ。
2015-07-16 : スピーチ・メッセージ等 :
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青年不戦サミットへのメッセージ

青年不戦サミットへのメッセージ
          (2015.6.23 沖縄研修道場)

 きょう23日は「沖縄慰霊の日」。70年前のこの日、住民の4人に1人が犠牲となった沖縄戦で、日本軍の組織的な戦闘が終わった日とされる。「沖縄戦70年 世界平和祈念 戦没者追善勤行法要」が、きょう、恩納村の沖縄研修道場で厳粛に営まれる。また、沖縄・広島・長崎の青年部の代表による「3県平和サミット(第24回青年平和連絡協議会)」が20、21の両日、沖縄県で行われた。池田名誉会長はメッセージを贈り、伝統のサミットを「青年不戦サミット」として新たなスタートを切るよう提案。全員の賛同をもって決議した。「沖縄慰霊の日」に寄せて、沖縄国際大学名誉教授の石原昌家氏が、沖縄青年部の平和運動の意義などを語った。


戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない

「命どぅ宝」の沖縄の心を21世紀の時代精神に!

 一、混迷深まる時代にあって、「真にあるべき変化」をもたらすことができる希望は何か──。それは「青年」であります。
 このことは、私が、沖縄でお会いした核時代平和財団のクリーガー会長との対談集の結びで深く一致した点でした。
 今、わが後継の青年部の諸君が、「SOKAグローバルアクション」の活動に若き情熱と英知を注ぎ、信頼と共感の輪を社会に大きく広げている姿こそ、何よりも頼もしい希望であります。
 そのスクラムの中核を担い立ってきた、沖縄、広島、長崎の青年部の皆さんの活躍を、「誉れの青春、ここにあり」と、最大に讃えたい思いでいっぱいです。
 一、私は、戦後20年を期して、ライフワークである小説 『人間革命』 の連載を開始しました。その冒頭を、ここ沖縄の天地で綴りました。
 「戦争ほど、残酷なものはない。
 戦争ほど、悲惨なものはない」
 約20万人の尊い命が失われた沖縄戦の悲劇、そして広島と長崎への原爆投下から70年となる本年、私はこの言葉を、師弟の精神の “印綬” として青年部の皆さんに託したい。その上で、一つの提案をしたいと思います。
 戦後70年という節目を機に、「戦争と核兵器のない世界」への時代変革の波を、さらに力強く巻き起こす決意を込めて、今回の沖縄での集いから、この3県平和サミットを「青年不戦サミット」との名称で、新たにスタートしてはどうだろうか。
 平和の世紀も、人道の世紀の建設も、「不戦の誓い」こそが一切の基盤となります。その誓いが社会の中軸にあってこそ、人類はエゴと憎悪を乗り越え、戦乱と紛争の悲劇の歴史を、平和と共生の時代へと転換していけるでありましょう。

「一人」に尽くす
 一、「命《ぬち》どぅ宝」(命こそ宝)という沖縄の心、そして「生命尊厳」の仏法哲理を体した皆さん方が、この不戦の誓いの先頭に立つ旗手であります。
 戦争の悲惨を、誰にも味わわせてはならない──この沖縄と広島と長崎で受け継がれてきた平和への痛切なる決意、そして、牧口先生、戸田先生の大精神を、青年部の皆さんが “希望の当体” となって、21世紀の世界で大きく実らせゆくことを、私はどこまでも信じてやみません。
 世界の平和も、「一人」が勇気を奮い起こし、目の前の「一人」のために心を尽くすことから始まる。そして、その行動の連鎖が、やがて人々の心を「一つ」につなげていく──。
 3月に沖縄で行われた世界青年平和大会のテーマ曲、「ONE(ワン)」の題名に込められた思いは、まさに小説 『人間革命』 に流れる主旋律と響き合うものにほかなりません。
 一、沖縄青年部が、この「ONE」をキーワードにした新しい平和運動を進めるなか、来月に、私の大切な友人である平和学者のスベレ・ルードガルド博士を沖縄に招いて、講演会を行うことを伺いました。
 ルードガルド博士が誕生されたのは、母国ノルウェーを占領していたナチスが降伏する直前の1945年4月6日。沖縄青年部の皆さんが「戦争体験の継承」を固く誓う沖縄戦が始まって間もない頃です。
 初めてお会いした時、博士は、ナチスの圧政に抵抗し、民衆の心に勇気を灯し続けた詩人エーヴェルランのことを、ノルウェーの誇りであると強調されていました。投獄されてもなお、「わたくしの心の中には春の泉がある!」(林穰二訳 『世界名詩集大成15 北欧・東欧編』 平凡社)と叫んだエーヴェルランの詩を、私が牧口先生、戸田先生の獄中闘争に思いを馳せながら読み上げた時、ルードガルド博士が真剣な眼差しで耳を傾けておられた姿が忘れられません。
 この偉大な先人の精神に連なり、平和探究の道を歩まれた博士が、尊敬する人物の一人として挙げていたのが、隣国のスウェーデンで世界初の軍縮大臣となったアルバ・ミュルダールさんでした。
 冷戦対立が深まる時代にあって、国連の軍縮会議の68人のメンバー中、唯一の女性として11年間にわたり交渉に臨んだミュルダールさんは、状況が悪化した時も絶望することなく提言を続けました。「諦めるのは人間にはふさわしくない行為」(アンゲリーカ・U・ロイッター/アンネ・リュッファー 『ピース・ウーマン』 松野泰子/上浦倫人訳、英治出版)というのが、その信条だったからです。

「勇気の声」を
 一、 “軍縮運動の良心” と呼ばれた彼女が生涯を閉じた時、ある新聞は、次のような言葉を記事に綴ったといいます。
 「語れ、まだ唇を持つ者ども
 言葉は太陽になれる
 言葉は河になれる
 言葉は扉を開き、橋を架けることができる」(同)
 わが後継の青年部の皆さんも、御聖訓に「言《ことば》と云《い》うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり」(御書563㌻)とある通り、「正義の声」「信念の声」「勇気の声」を、自分の今いる場所でいやまして力強く響かせながら、尊き使命の大道を賢く朗らかに歩み抜いていただきたい。
 いよいよ、青年部がすべてを担い立つ時代に入りました。
 8月の広島での「核兵器廃絶のための世界青年サミット」、そして9月の長崎での「SGI世界青年平和会議」の大勝利を、万事よろしく頼みます。
 沖縄、広島、長崎の青年部の「誓いの連帯」、万歳!
2015-07-16 : スピーチ・メッセージ等 :
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随筆 民衆凱歌の大行進 No.24 青年の心 燃える七月

随筆 民衆凱歌の大行進 No.24 (2015.7.8付)

青年の心 燃える七月

鍛えの青春を「勇気」で勝て
朗らかに語り広げよ 歓喜のスクラムで


 イタリア・ルネサンスの巨匠、レオナルド・ダ・ビンチは叫んだ。
 「純金かどうかは試練によってわかる」
 精錬を重ねてこそ、真金は生まれる。苦難は常に、本物と偽物を峻別する試金石だ。
 7月6日、私は八王子市の東京富士美術館を視察し、「レオナルド・ダ・ヴィンチと『アンギアーリの戦い』展」の会場に足を運んだ。
 巨匠の“未完の壁画”を今に伝えるイタリアの国宝「ダヴォラ・ドーリア」──人馬が渾然一体となった激戦の画面からは、新しき創造に挑む、壮絶な精神の闘争を感じてならなかった。

「嵐は誉れ」なり
 この日は、生命尊厳の大仏法を行じられた牧口先生、戸田先生が、軍部政府の弾圧で逮捕された「法難」から満72年の日であった。
 死身弘法の先師、恩師を偲び、東京牧口記念会館の「初代牧口常三郎会長先生顕彰室」で勤行・唱題し、報恩感謝の祈りを捧げた。
 「嵐は誉れ」の師弟の歴史が刻まれた七月 若獅子の男子部も、華陽の女子部も、また男女学生部も、それぞれ目覚ましい前進と成長を遂げている。
 私は妻と共に、愛する青年たちのスクラムの大勝利を真剣に祈念した。

 艱難を
  一つ一つと
   乗り越えて
 黄金《きん》と輝く
  不敗の生命に

随喜の“伝播”が
 日本中、世界中の青年たちが、続々と、人間革命と対話拡大の歓びの体験を報告してくれている。
 南米ブラジルの若人の活躍も素晴らしい。
 なぜブラジルで弘教が大きく進んでいるのか。ある青年リーダーが笑顔で答えていた。
 「喜びが“伝播”しているからです」と。
 仏法対話が楽しくて仕方がない。友の幸福に尽くせることが嬉しくて仕方がない──その喜びが同志から同志へ、友人から友人へと“伝播”するゆえに、次々と弘教が実るというのだ。
 まさに「随喜する声を聞いて随喜し」(御書1199㌻)と仰せの通りの実践である。
 思い起こせば、戸田先生は迫害の獄中にあって「われ地涌の菩薩なり」と久遠の使命を覚知し、随喜の涙を流されながら、広宣流布に生き抜くと誓願された。
 いうなれば、師が獄中で体験された「一人の大歓喜」が二人・三人・百人と伝播し、ついに日本中、世界中に広がってきたのが、今日の大法弘通の実相である。
 今や192カ国・地域に拡大した、世界広布という「大河」の源流の「一滴」を尋ね見れば、「一人の大歓喜」から全ては始まったのである。
 法華経の随喜功徳品に「五十展転の功徳」が説かれる。法華経の法理を聞いて歓喜した人が、別の人にその話を伝え、聞いたその人がまた次の人に自身の歓喜を語る。そうして五十人目の人が聞いた功徳も甚大であるという法理だ。
 「信心はすごいよ!」とありのままに歓喜を語れば、既に立派な折伏である。その体験を語る側も聞く側も、共に福徳の花を爛漫と咲かせる因を積んでいけるのだ。
 ゆえに、すぐに対話が実らずとも、落ち込むことも、焦ることもない。
 「いよいよ悦びをますべし」(同203㌻)との御聖訓のままに、自身満々と、喜び勇んで次の友へ、また次の友へと、語り広げていけばよい。
 その弛まぬ実践に、新たな「五十展転」のドラマが生まれるのである。

常勝後継の劇を
 7月は「関西の月」。関西家族の幸福と人材の拡大の行進は、いよいよ勢いを増している。
 関西総会の意義を込こめた、大阪・豊中市の関西戸田記念講堂での本部幹部会には、海外のリーダーたちも出席した。
 前日の各地の交流交歓会とともに、関西の同志の熱烈な歓迎に大感動していた。
 今や世界の友の共通語となった「JOSHO KANSAI(常勝関西)」の魂を、それぞれの国や地域に持ち帰り、新たな波動を起こしてくれるに違いない。
 この戸田記念講堂は、昭和53年(1978年) の7月17日、関西の歌「常勝の空」を、師弟して初めて大合唱した場所でもある。
 今回の関西総会でも、若人が中心になり、「常勝の空」を美事に演奏し、歌い上げた。さらに全関西を結んで、壮年も婦人も、懐かしき錦宝会(多宝会)の皆様方も加わり、力強い歌声を響かせてくれたのである。
 男女青年部も、新たな拡大の金字塔を打ち立てて、晴れの日を迎えた。未来部の友も凜々しく成長している。
 あの雷雨の大阪大会をはじめ、私と幾多の共戦の歴史を刻んでくれた、尊き父母《ちちはは》たちの関西魂は、新世代の友に厳然と受け継がれている。その「常勝後継」の劇に、私の胸は熱く高鳴る。
 法華経に説かれる「衆生所遊楽」の意義を、私は関西の同志と幾たびとなく語り合つてきた。
 真の遊楽とは、生きていること自体が楽しいという、生命の奥底からあふれる充実と歓喜である。いかなる事態に遭遇しても崩れない絶対的幸福境涯にほかならない。
 その大生命力の源泉が自行化他の題目である。
 「唱題第一」の人は、何があっても負けない。必ず勝ち越え、全てを悠々と楽しんでいける。
 「菩薩とは仏果を得る下地なり」(御書738㌻) とあるが如く、この地道な唱題と、広布への勇気の対話を土台としてこそ、自他共に最も幸福で痛快なる常勝の人生が開かれていくのだ。

清き白蓮の如く
 わが女子部が清々しく「行学の翼」を広げ、「歓喜の華陽スクラム」を合言葉に新出発したことも、嬉しい限りだ。
 今日、7月8日は、女子部の「白蓮グループの日」である。
 八王子市の牧口記念庭園に立つ「白蓮之歌碑」には、グループ歌「星は光りて」の歌詞とともに、こう刻印している。
 「君が歓喜の微笑《ほほえ》みは
 友に希望を与えゆく」
 「君が正義の歌声は
 友に勇気を呼び起こす」
 さらに「人のため世界のために 祈り動く心美しき姿は 『蓮華の水に在るが如し』」とも。
 その通りの気高き青春を、白蓮の乙女たちは歩んでくれている。
 日蓮大聖人は「明かなる事・日月にすぎんや浄き事・蓮華にまさるべきや」(同1109㌻)と教えられた。
 現実の社会は、泥沼のように悩みや葛藤が絶たないものだ。だが、その中で、最も明るく、最も清らかな、華陽の生命を咲き開いていけるのが、仏法なのである。
 フランスの女性作家スタール夫人は、「人生の逆境のさなかで、みずからの思想によって精神を強固にすること」こそが「真の勇気」であると綴った。
 私たちでいえば、この勇気を湧き立たせてくれるのが、信心である。志を同じくする友の温かな励ましも、尽きることのない勇気の源泉である。
 「女子部は一人も残らず幸福に!」──これが恩師の心であり、私と妻の願いだ。どうか、皆で賢く励まし合って、仲良く、麗しき友情と団結の世界を築いていっていただきたい。
        ◇
 青年部の「創価体験談大会」もスタートした。
 今月12日には、頼もしき男子部の友が、東京で全国幹部会を行う。
 この日は、私が無実の罪で投獄された「大阪事件」の渦中、不法逮捕に抗議する「炎の東京大会」が、蔵前の国技館で開かれた歴史の日でもある。
 席上、戸田先生は師子吼された。「会長になった時から、この体は捨てるつもりでいるんだから何も怖くない」と。
 正義のため、我が身を惜しまず戦い抜く覚悟があれば、いかなる困難にも動じない。戦う勇気の炎はいやまして燃え上がる。これこそ、創価の革命児の永遠の闘魂だ。

頑固ノ度ヲ増ス
 「波浪ハ、障害二、遇フゴトニ ソノ頑固ノ度ヲ増ス」──私が、この言葉を日記に書き留めたのは、昭和25年(1950年) の7月9日。師匠をお護りして、一心不乱に戦う22歳の夏のことである。
 今、同じ大道を、わが直系の若人が歩んでくれている。「因果倶時」の理法に照らし、その未来には、限りない栄光と勝利が約束されている。
 創価の青年の前進こそが、世界の希望だ。ゆえに、頑固なまでに、強くまた強く、明るくまた明るく進みゆくのだ!

 常勝の
  炎の心で
   朗らかに
 正義の青春
  友と勝ちゆけ

レオナルドの言葉は『パリ手稿〔H手稿〕』三神弘彦訳(岩波書店)、スタールは『世界人生論全集10』所収、海老坂武訳(筑摩書房)。
2015-07-09 : 随筆 民衆凱歌の大行進 :
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創価大学 モスクワ大学 学術交流協定締結40周年記念学術シンポジウムへのメッセージ

創価大学 モスクワ大学 学術交流協定締結40周年記念学術シンポジウムへのメッセージ
(2015.6.24 モスクワ大学中央図書館)

 創価大学とモスクワ大学の学術交流協定締結40周年を記念する学術シンポジウムが6月24日、モスクワ大学中央図書館棟の会議場で開催された。テーマは「グローバル化する現代社会における大学の使命と戦略」。創大創立者の池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長は祝賀のメッセージを贈り、教育交流を通して、多彩な価値創造の人材が陸続と誕生していることを喜びつつ、21世紀を担い立つ大学の使命について論じた。シンポジウムには、モスクワ大学のヴィクトル・サドーヴニチィ総長、ニコライ・ショーミン副総長、ミハイル・ソコロフ教授、同大学付属アジア・アフリカ諸国大学のイーゴリ・アブィルガジーエフ学長をはじめ、来賓のルースキー・ミール基金のゲオルギー・トロラヤ国際地域プロジェクト局長らが列席。ロシア連邦議会のジナイーダ・ドラグンキナ上院議員、原田親仁駐ロシア日本大使が慶祝のメッセージを寄せた。創大の池田博正最高顧問、馬場善久学長、寺西宏友副学長らロシア訪問団が出席した。
 「本日は、モスクワ大学と創価大学の交流と友好の40周年を記念する、重要な佳節となりました!」
 シンポジウムは、サドーヴニチィ総長自らの進行でスタート。
 会場には、モスクワ大学の教職員、創大に留学した学生・出身者の姿が。現在、ロシアで学ぶ創大生や同国への留学経験をもつ創価教育同窓生らも笑顔で見つめる。
 総長は、両大学の交流史と、その意義について語った。
 学術交流協定が結ばれたのは1975年5月27日、SGI会長の2度目のソ連(当時)訪問の時であった。
 総長は「今とは時代も国も違いました。モスクワ大学にとって特別な来訪であり、池田先生は私たち全員に大変に強い印象を与えてくださいました」と述懐。この時に築かれた協力関係によって学生・教員が両国を往来し、多くの成果を挙げてきたと強調した。


SGI会長のメッセージ

地球一体化が加速する「挑戦の世紀」
大学は文化と人間性の最後の砦


 一、モスクワ大学と創価大学の交流40周年記念シンポジウムの開催にあたり、心からのお祝いを申し上げます。諸準備にあたってくださったモスクワ大学をはじめとする関係者の皆様に、深く感謝申し上げます。
 一、今、私の胸には、40年前、1975年の5月に、再びモスクワにお招きいただいた折の光景が、まざまざと思い返されております。
 わざわざ空港まで、ホフロフ総長をはじめモスクワ大学の教職員方、また日本語を学ぶ最優秀の学生の皆さん方が出迎えてくださいました。
 前年の9月の初訪問の際に、大変にお世話になった方々であり、その後、日本にもお迎えすることができ、すでに旧知の友情が深まっておりました。
 モスクワの中心部に立つ、大学の旧館にも案内していただきました。
 荘厳な建物と創立者ミハイル・ロモノーソフの像を前に、貴大学の200年以上の歴史と伝統とともに、偉大な創立者の崇高な生涯に思いを馳せたことが、懐かしく蘇ります。
 そして、この後、レーニン丘(雀が丘)の大学本館に場所を移して、両大学の交流協定が結ばれました。
 創立200年を超える貴大学に対して、わが創価大学は、開学したばかりの、まるで孫のような存在でした。
 しかし、ホフロフ総長は「大学の意義は、決して大きさで決まるのではありません。創価大学には、全人類的価値を掲げる、すばらしい『建学の精神』があります」と寛仁大度《かんじんたいど》な心で、わが大学との交流を始めてくださったのです。
 この貴モスクワ大学の励ましの心があればこそ、創価大学は世界との教育交流へ勇躍、前進することができました。
 以来40年。ログノフ総長、そしてサドーヴニチィ総長も、同じ温かな心で両大学の交流を発展させてくださいました。
 特にサドーヴニチィ総長におかれましては、23年の長きにわたって、両校の友情を育み、支えてくださっております。
 一、本日のシンポジウムは、「グローバル化する現代社会における大学の使命と戦略」と掲げられております。
 まさしくサドーヴニチィ総長とご一緒に、長年にわたって語り合ってきたテーマであります。
 1990年代、ソ連崩壊に始まる大変動により、貴国の教育界もまた、急激なグローバリゼーションの席巻に直面されるなか、サドーヴニチィ総長は、この命題について、深く鋭く心を砕かれていました。
 東京での語らいでは、地球一体化と情報化が加速する「挑戦の世紀」にあって、大学は「文化」と「人間性」の最後の砦(フォートレス)であらねばならないと、私たちは確認し合いました。
 総長と私の対談では、一貫して、“伝統と近代化の調和する社会の創造のための「対話」と「人材育成」”を訴え続けてきたのであります。

「建学の精神」こそ発展の礎
教育による民衆奉仕を共に


 一、2011年より、新たに開始した私たちの対談において、総長は、グローバル化する世界をけん引す
るモスクワ大学にとって、創立者ロモノーソフこそが、常に立ち返るべき原点であることを明言されました。そして、モスクワ大学は──“民衆の心の豊かな水源であり続けるロシアの魂の体現者”であり、“世代(人間)と石(建造物)と書物(思想)を、歴史を通じて結びとめている、比類なきロシアの象徴”である──と位置づけられたことを、私は感銘深く受け止めたのであります。
 「グローバル・プロセス学部」の設置に代表されるように、最先端の取り組みを推進し、世界の教育界をリードするモスクフ大学にあって、大学の原点をかくも誇り高く、かくも明確に宣言されたことに、私は、あらためて最大の賛意を表するものであります。
 創価大学も今や、嬉しいことに、一期生である馬場学長をはじめ、卒業生たちが母校を担い立ってくれる時代に入りました。
 これから創立100周年、200周年という未来を目指し、いかなる変化にあっても、「建学の精神」に常に立ち返り、最高の模範である貴大学に学びながら、民衆への奉仕と人類ヘの寄与を積み重ねていくことを、私は深く念願するものであります。
 一、ロモノーソフは「鍛えられし大地は実りをもたらす」との言葉を残されました。モスクワ大学と創価大学の40年にわたる教育交流の大地で学び抜き、英知と人格を磨き上げた青年の中から、一流の外交官、通訳者、研究者をはじめ、世界市民の心を結ぶ多彩な価値創造の人材が育ち、さまざまな分野で活躍しております。これほどの喜びはありません。
 “大学は、21世紀の先端技術と高度な精神文明をリードしゆく、教育と学術の一大拠点となり、世界の諸文明の調和の使命を担い立つべき存在である”──これも、サドーヴニチィ総長との語らいの中で深く一致したビジョンであります。
 そのモデルとなりゆく、モスクワ大学と創価大学の交流が、今後一段と深まり、広がっていくなかで、日露友好、そして世界平和に貢献する大いなる使命に生きゆく若き友が、いよいよ陸続と躍り出ることを心より祈って、私のメッセージとさせていただきます(大拍手)。
2015-07-05 : スピーチ・メッセージ等 :
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池田SGI会長指導選集 「幸福と平和を創る智慧」 第2部 人間革命の実践 第12章 桜梅桃李 12-1〜12-9

池田SGI会長指導選集 「幸福と平和を創る智慧」

第2部 人間革命の実践

第12章 桜梅桃李

この章を読むに当たって

 「信仰するというのは、何か型にはまってしまうような気がします」――未入会の青年の率直な声に、かつて池田SGI会長は、こう答えました。
 「日蓮仏法は桜梅桃李と説きます。梅は梅、桃は桃――皆が桜になろうというのではなく、自分が最も自分らしく生き抜いていくための信心です。日蓮大聖人の御書には、『はたらかさず・つくろわず・もとの儘』とあります。ありのままでいいんです。ありのままの自分が尊いんです。取り繕った分、気取った分、自分が弱くなってしまう。
 『ありのまま』と『そのまま』は違います。そのままでいい、というのでは成長はない。自分とは何か、何のために生きるのか――それを追求しながら、努力して、努力して、努力し抜いていくなかでこそ、自分自身の使命の花を咲かせることができる。それが、桜梅桃李の実践なのです。
 人間革命なくして、真に自分自身に生きることはできません。この人間革命を目指していくという『型にはまる』のであれば、悔いのない青春ではないですか」
 この確信あふれる激励に、青年はほどなく入会しました。
 誰もが、かけがえのない使命の種を持っています。それを芽吹かせ、思う存分に咲かせていくための人生です。
 「信心とは」――SGI会長は語っています。「人を羨んだり、自分を卑下したりしないこと。自分自身に生き切り、自分にしかできない使命を、自分らしく果たしていくこと。そして、自分が尊敬できる自分をつくっていくことだ」と。

 12-1 されど我は咲くなり

 東北の山形を訪問したSGI会長は、仏法の桜梅桃李の原理をわかりやすく示しながら、自分自身の使命に生き抜く尊き人生を、と呼び掛けました。


【池田SGI会長の指針】
◎山形県総会でのスピーチから 
        (1983年4月18日、山形)

 山形へは9年ぶりの訪間となった。一日も早く山形の友のもとへとの思いをいだきながら、新潟から列車の旅をした。車窓には、山々の残雪のなかにも、青い水の流れ、木々の緑が広がっていた。黄色いレンギョウの花も、雪柳も、水仙も、桜も、自然を彩って、生きいきと咲き薫っていた。
 それらを眺めながら「桜梅桃李の己己の当体を改めずして……」(御書784㌻)との御聖訓を思い起こしていた。
 この御文は、われわれの生き方の根本的姿を御教示くださっている。
 桜は桜のままに咲き、みずからの使命に生きている。梅も、桃も、李もそうだ。
 われわれ一人ひとりの人間も同じでなくてはならない。一人ひとりが個性をもっている。また人格をもち、尊い生命をもった存在である。ゆえに、あくまでも自分らしく、主体性をもって生きていけばよいのである。
 自分にしかない使命、生き方があるものだ。あの人のようでなければならないということはないのである。
 桜には桜としての生命と因縁がある。梅も桃も李も同じくそれぞれその生命となった因縁があるだろう。と同じく、信心の眼《まなこ》より見れば、自分自身のこの世に生まれた使命と、それぞれの因縁があるといってよい。それを、それぞれ心から楽しく自覚できるのが、この妙法である。
 妙法の信心の力によって自分のなかにある仏界を涌現させていくことが、人生にとって根本の幸せなのである。
 皆さんのなかには、東京などの大都会にいる人々をうらやましく思っている人もあるかもしれない。また、はなばなしい職場で働き、大きい家に住みたいと思っている人もいるかもしれない。
 しかし、澄んだ空気、月の輝き、星辰のまたたき、朝空にうかぶ蔵王をはじめ、かすかに白い鎧を着た美しい山々の自然は、とうてい東京では見られない。とともに人生の幸福境涯というものは、その国土世間、その職場、その家々の大小で決まるものではない。
 他のものはよく見えるのが、人間の常である。山形におられる方々は、大都会に生きることが幸せそうに見えるかもしれないが、大都市の人々は、山形のこの美しき自然環境にあこがれる。
 ゆえに、その地域にあって、日先の次元に惑わされることなく、要は己の力を存分に発揮し、使命を果たしていくことである。
 ある文人が「見るもよし、見ざるもよし、されど我は咲くなり」とうたったが、私どもの行動はすべて御本尊がお見通しである。
 ともあれ、桜梅桃李の原理のごとく、だれ人が見ていようが見ていまいが、あくまでも妙法につつまれて自分らしく生きていくことが大事なのである。

 12-2 性格をより良く輝かせるために

 小説『新・人間革命』では、学生部の会合に出席した山本伸一会長が、〝気が弱い〟という自分の性格に悩むメンバーを励ます様子が綴られています。

【池田SGI会長の指針】
◎小説『新・人間革命』第16巻「入魂」から
       (2006年10月刊)

 〝優しさ〟と〝気の弱さ〟は、一つの性分のあらわれ方の違いといえるだろうね。性分が〝優しさ〟として生かされれば長所となるし、〝気の弱さ〟となってあらわれれば短所となってしまう。そして、性分が常に短所となって作用すれば、それが不幸の原因にもなる。
 たとえば、カッとなる性格の人は、職場でもすぐに喧嘩をしがちだ。すると、周囲から疎んじられ、人間関係もうまくいかなくなる。場合によっては、会社を辞めることにもなりかねない。
 その要因は自分の性分にあるから、どこに行っても同じようなことを繰り返してしまう」
 「人間の性分自体は変わらないが、信心によって、自分の性分を良い方向に生かしていくことができる。御書には『桜梅桃李の己己《ここ》の当体を改めずして無作三身と開見《かいけん》すれば……』(784㌻)と仰せです。
 桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李と、それぞれがありのままの姿で、自分を最大限に生かしながら、幸福になる道を説いているのが仏法なんです。
 すぐにカッとなる人というのは、情熱的で、正義感が強いということです。信心に励めば、つまらぬことでカッとなるのではなく、悪や不正を許さぬ正義の人になる。また、誰かの言いなりになってしまう人というのは、優しさや人と調和する力がある。その長所の部分が引き出されていくんです。そうなっていくことが人間革命なんです。
 それには、具体的にどうしていけばよいのか──これが大事です」
 「根本的には、唱題に励み、生命を磨き抜いていくことです。自身を見つめ、自分の問題点や生命の傾向性を自覚していくことが大切です。
 たとえば、誰にでも、〝不幸は人のせいだと考えてしまう〟〝堪え性がない〟〝人の意見を聞かない〟等々、それぞれ欠点がある。それは自身の成長や幸福を妨げる一凶となる。
 ところが、人間は、言われなければ、なかなかこの一凶に気づかない。だから、それを厳しく指摘し、切磋琢磨してくれる、先輩や友人をもつことが必要になる。
 この自分の一凶と戦い、転換していく、真剣な祈りがなくてはならない。
 さらに、学会活動のなかで、自分を鍛え抜いていくことです。御書には『くろがね《鉄》をよくよくきた《鍛》へばきず《疵》のあらわるるがごとし』(1083㌻)と仰せです。
 自分に負けず、一つ一つの活動に勝利していくなかに、鍛えがあり、自身の一凶に打ち勝つ人間革命の道がある。学会活動の場は、自分の生命を鍛え上げる道場です。広宣流布の使命に生きようと心を定め、自身を鍛え抜くなかに、宿命の転換もあるんです」

 12-3 自己自身に生きよ

 SGI会長は、戸田第2代会長の祥月命日を記念して行ったスピーチで、戸田会長の指導を紹介し、「自分自身に生きる」ことの大切さを強調しています。

【池田SGI会長の指針】
◎「4・2」記念各部代表懇談会でのスピーチから
(1993年4月3日、東京)

 「自己」を知り、「人間」を知り、「生命の尊さ」を知る──ここに宗教の重要な意義がある。
 戸田先生は、こう語られている。(巻頭言「自らの命に生きよ」、『戸田城聖全集』第1巻。以下同じ)
 「貧乏して悩むのも、事業に失敗して苦しむのも、夫婦げんかをして悲哀を味わうのも、あるいは火ばちにつまずいて、けがをするのも、結局、それは皆自己自身の生活である。
 すなわち、自己自身の生命現象の発露である。かく考えるならば、一切の人生生活は、自己の生命の変化である。ゆえに、よりよく変化して、絶えず幸福をつかんでいくということが大事ではないか。
 されば、自己自身に生きよ……いや、自己自身に生きる以外にはないのだ、ということを知らなければならない。あの人が、こうしてくれればよいのだとか、この世の中がこうであれば幸せなのだといって他人に生き、対境(=そとにある対象)に生きるということは間違いではないか。
 しかし、人間の力というものは弱いものである。自己自身に生きていると、いかに力んでみても、他人に支配され、対境に支配されやすいものなのである」
 「そこで、自己自身の生命が、もっとも強く、もっとも輝かしく、もっとも幸福であるためには、十界互具、一念三千の仏法に生きる以外にはないと、吾人(=私)は信ずるものである」と。
 生命力が強い人は幸せである。確信が強い人は幸福である。人生を切り開ていける。
 「弱い人」は不幸である。また、不幸を自らつくりだしてしまう。仏法の信仰は、自分自身が最も強くなるためにある。ゆえに、すべてを「信心」で受けとめ、「信心」で乗り越えていこうという生き方に、永遠の「幸せの道」がある。いちばん尊いのは「自分自身」である。皆さま方である。そのことを、大迫害を受けながら教えてくださったのが大聖人であられる。そして、この〝仏法の真髄〟を、そのまま信受し、民衆に教えたのが牧口先生、戸田先生なのである。
 われらは大確信をもって、大聖人直結の「この道」をまっしぐらに進んでまいりたい。
 戸田先生は、青年部に、こう指導された〈昭和32年(1957年)6月、男子部幹部会『戸田城聖全集』第4巻。以下同じ〉。
 「若い時代にとくに大切なものは、自分の心を信ずるということである。自分の心というものは信じがたい。中心が動揺し、迷っている若い時代は、ことにありがちである」
 「私はアメリカのポパイという漫画を見た。ポパイは、あれは弱くて負けてばかりいるが、ホウレン草を食べるとすぐ強くなる。たちまち敵を投げとばしてしまう。あれはホウレン草というものを信仰しているのである」
 「自分の心にひとつの確信なくしては、生きていけません。自分は御本尊様を信じている。だからどんなに困ってもかならず助かっていく、だいじようぶだ。この確信があれば、なにをしてもよろしい。
 人生に生きる道であるなら、正しいと思ったなら、御本尊様を信じて、御本尊様を確信の芯にするのです。病気、貧乏であろうと、絶対、克服できる。それには、信というものが、かならずなくてはならない」
 「その心が強ければ強いほど、いかなることがあっても、青年は敗れることはない。青年はみずから信ずるものをもたねばならない。みずからの心を信じなけれならない。この心はあぶないものであるから、御本尊様によってこの信をたてるのです。そうすれば、一生涯、ゆうゆうと生きていけると信じます。この立場にみずからも生き、他人をも指導していってほしい」と。
 青年をこよなく愛し、先生は何よりも喜ばれたのである。だれよりも青年に期待を寄せる先生であられた。信心の確信に満ち満ちた青年の活躍を、先生は何よりも喜ばれたのである。

 12-4 かけがいのない自分を大切に


 アメリカSGIの友との質問会において、「自分に自信が持てない」という率直な悩みに、温かな励ましのエールを贈っています。

【池田SGI会長の指針】
◎アメリカSGI文化本部代表との質問会から
  (1992年8月7日、長野)

 みんな、自信なんかありません。むしろ、ないのが普通です。
 かえって「自信がある」などという人は、傲慢な場合が多く、まわりとケンカばかりして、みんなに嫌われたりする。
 人間は自信がありすぎても不幸であるし、自信がなくても不幸である。
 要するに、大事なことは、〝自分らしく〟輝き、〝自分らしく〟一日一日を勝ち取
り、〝自分らしく〟人生を向上させていくことではないでしょうか。目的に向かって、自分で自分を錬磨していくような前進であればいいのです。
 所詮、自分は自分であり、人は人です。人と比べてどうかではない。自分の人生です。自分が心の底で現実に何を感じているかです。
 仏法では「桜梅桃李」(御書784㌻)「自体顕照」と説きます。桜は桜。桃は桃です。桜は絶対に桃なれない。なる必要もないし、なっても不幸でしょう。
 〈自体顕照=万法の本体(自体)を照らし、真理を顕すこと。 「曾谷殿御返事」(御書1055㌻)に「仏になる道は豈境智の二法にあらずや、されば境と云うは万法の体を云い智と云うは自体顕照の姿を云うなり」とある。ここでは、妙法への信仰によって、自身の生命の本来の働き、使命を発揮していく意味で使われている〉
 自分も、どこまでも自分である。なりたくても、絶対に他人にはなれない──その、かけがえのない自分を、大事にし、励まし、満足できる自身になることです。
 その根本は唱題です。妙法を唱えることによって、ありのままの姿で無作の「仏」と輝いていくことになる。ここに根本的な、最高の自信があり、この「自体顕照」の光が我が身を飾り、荘厳にしていくのです。
 堂々たる自信を持っていただきたい。〝最高の人生〟を〝美しい心〟で生きておられるのだから──。

 12-5 個性は鍛えの中に輝く

 中学生の後継の友に向けた『希望対話』では、個性とは何か、自分らしく生きるとはどういうことかについて、わかりやすく語っています。

【池田SGI会長の指針】
◎『希望対話』から 
                 (2003年6月刊)

 「個性的」になろうと思って、流行の格好をしてみる。ところが、その結果、個性的どころか、反対に、「みんな同じ」に近づいてしまう。それでは、つまらない。
 意地悪く見れば、「個性的」というひとつの「型《かた》」があって、それに合わせているようにさえ見える。しかも、その「型」は、じつは多くの場合、マスコミや商売の人たちが「つくった」ものだったり、わざと「はやらせた」ものだったりすることも非常に多い。
 だから、本当は「個性的に生きる」というのは、結構、大変なんです。個性的に生きるためには、自分というものを、しっかりもっていないといけない。「自分の目」を開いて、ものごとを見、「自分の耳」を澄ませて人の話を聞き、「自分の頭」をフル回転させて考え、「自分の信念」を貫く勇気が必要だ。
 それよりはむしろ、「みんなと同じ」という「型」に入っていたほうが「楽」なんです。
 だから、いろんな束縛から自由になろうとするときでさえ、何か人の決めた「型」に入ろうとする。日本人は、「右むけ右」の「ファッショ(全体主義)」になりやすいのです。
 本当の個性は「見た目の個性」なんかではない。内から外へと、にじみ出てくる「中身の個性」です。
 こんな言葉もある。
 「個性とは、この世界で、その人しかもっていない宝の一品である」
 その「宝」が何かは、なかなかわからないかもしれない。しかし必ず、自分だけの「宝」をもっている。もっていない人は、ただの一人もいない。絶対にいない!
 いるとしたら、「自分なんか、ダメなんだ」と、自分で決めつけてしまった人だけです。その決めつけが、自分で自分の「宝」を壊してしまうのです。
 もちろん「自分らしさ」といっても、それが、何《なん》なのかわからない――そういう人も多いでしょう。わからなくて当然なのです。
 むしろ「これが自分らしさだ」「これが自分の個性だ」と思っているものが、人の借りものにすぎない場合も多い。だから「今の自分」が自分のすべてだと思ったら、大きな間違いを犯してしまう。「人間は変わる」ものだからです。
 「今の自分」は、もっと素晴らしい「未来の自分」への出発点でしかない。
 たとえば「私は口べただから、人前に出ないよ出ないようにしよう」――こういうの「自分らしい生き方」ではない。
 口べただけれども、いじめている人を見たときには、堂々と注意していける自分になっていこう。いざというときには、勇気を出して「正しいことは正しい」と言える自分になろう――こう一生懸命に努力していくなかに、〝はじめから口達者な人〟とは違った、あなたならではの持ち味が光ってくる。これが「自分らしさ」です。
 「自分らしさ」とは――自分のもっている力を、ぎりぎりまで、しぼり出して努力したときに、初めて輝き始めるものなのです。
 自分を鍛えないと、できない。「鍛え」の中からしか、「個性」は輝かない。ちょうど「剣《つるぎ》」を炎の中で鍛えるみたいに。
 「個性」というのは、人生を切り開いていくための「自分だけの武器」なんです。「宝剣」なんです。
 そして、見事に自分の個性を鍛え上げた人は、美しい。だれが見ても、ほれぼれ
するほど美しい。すぐ消えてしまう「一時の美」ではなく、ずっと続く「一生涯の美」です。
 何より、その人自身の心が、夏の高原の青空のように、晴れ晴れとしている。その人は、人をうらやまない。人を妬まない。
 人の個性の「足を引っ張る」人が多い日本です。「出る杭は打とう」とする狭い心の日本です。それは、自分自身が、あっちを見たり、こっちを見たり、ふらふらと、ぐらついていて、個性がなく、自信がないから、他の人を妬むのです。
 その反対に、努力、努力で個性をぞんぶんに鍛え上げた人は、他の人の個性の開花を喜ぶものです。応援するものです。人の成功が、うれしいものです。人のために、尽くせるものです。
 そういう大きな心の、本当に「美しい人」に、みなさん、なってください!「あの人の生き方に憧れてしまう!」と言われる人になってください!

 12-6 自分が太陽になる

 SGI会長は、『青春対話』の中で、高校生をはじめとする青年に向けて、自分にしか果たせない使命を見つけ、輝かせていくために大切なことについて語っています。

【池田SGI会長の指針】
◎『青春対話』から 
                 (1993年3月刊)

 自分は自分らしく生き抜くところに、自分としての価値が光る。
 仏法では「自体顕照」と説く。自らの体《たい》を、本来の自分を顕現させる。顕し、輝かせていく。そして周囲を照らしていく。これが最高の「個性」であり、「独創性」です。
 大事なのは「じっとこらえて今に見ろ」の精神です。青春は、あせってはならない。君たちの人間としての真価が問われるのは十年後、二十年後、三十年後です。その時にどうかです。その時に使命を果たしたかどうかです。
 すべての人に、自分でなければできない、自分の使命がある。使命がなければ生まれてきません。
 世界には、たくさんの山がある。高い山、低い山。世界には、たくさんの川がある。長い川、短い川。しかし、みな山であり、みな川であることに違いはない。
 穏やかな万葉の奈良の山もあれば、勇壮な阿蘇がある。壮大な白雪のヒマラヤもあります。それぞれに美しいし、味がある。川も、 鮭の故郷となる石狩川もあれば、詩情の千曲川もある。対岸が見えないだ大黄河があり、アマゾン川がある。その川にしかない魅力がある。
 人間も、それぞれの使命があって存在するのです。いわんや若くして、妙法に縁した君たちです。君には君でなければできない、君の使命がある。必ずある。そう確信し、誇りをもってもらいたい。
 (自分の使命を見つけるにはためには)じっとしていたのではわからない。何でもいい、何かに挑戦することです。その努力の積み重ねのなかから、自然に方向性が決まつてくるものです。だから、今、自分がやるべきことは何なのか、それを避けてはいけない。
 「目の前の山を登れ」ということです。山に登れば、ともかく足は鍛えられる。鍛えられた分、次のもっと大きい山に挑戦できる。この繰り返しです。そのための生命力を自分の中から、わきたたせていくのが唱題です。
 題目をあげて、「目の前の山に登れ」。登った山頂から、もっと広い人生が見えてくる。自分だけの使命も、だんだんと、わかってくるのです。
 「使命があるんだ」ということを忘れない人は、強い。どんな悩みがあっても、負けない。悩みを全部、希望へのエネルギーに変えていけるのです。
 「自分が太陽になる」ことです。そうすれば、すべての闇は消える。
 何があっても、「私は太陽なんだ」と、悠然と生きるのです。もちろん、太陽といっても、曇の日もある。しかし曇っていても、太陽は太陽だ。人間も、苦しんでいても、心は輝きを失ってはならない。
        *
 だれにでも、自分にしかできない自分の使命がある。しかし、その使命は、努力もしないで、いつかだれかが教えてくれるわけではない。自分で見つけるのが根本です。
 宝石だって、初めは鉱山の中に埋まっている。掘り出す努力をしなければ埋まったままです。掘り出してからも磨かなければ原石のままです。
 諸君は、皆、絶対に宝石をもっている。全員が「宝石を秘めた山」です。それを埋めたまま一生を終わってはつまらない。
 「だれでも、何かの天才である」という言葉がある。音楽や文学やスポーツの天才だけが天才ではない。人と話す天才、友達をつくる天才、人を和やかにする天才、看護の天才、ジョークの天才、物を売る天才、節約の天才、時間を守る天才、忍耐の天才、地道の天才、優しさの天才、チャレンジの天才、楽観主義の天才、平和の天才、人を幸福にする天才……。
 「桜梅桃李」です。桜は桜、梅は梅です。自分らしく咲けばよいのです。自分の宝石、自分の天分が必ずある。それがわかるためには、どうすればいいか。
 限界まで努力するしかない。勉強でもスポーツでも何でも、限界まで全力疾走して初めて、自分の力が引き出される。
 いちばん大切なことは、そうやって「限界まで努力する」習慣を身につけることなのです。ある意味で、結果は大した問題ではない。高校時代の成績等は、それ自体が人生を決めるのではない。ただ、「限界まで努力する」習慣が身についた人は、その後、何をやっても、その習慣を発揮して、必ず頭角を現すものです。自分の天分も光らせることができる。
 「人間は自分の夢以上にはなれない」とも言われる。夢は大きくていい。そのうえで、夢は夢、現実は現実です。大きな夢を実現するためには、現実を冷静に見つめて「死にもの狂いの努力」が必要なのは当然です。戸田先生は「青年は、何かで第一人者になろうというだけの執念をもつことだ」と言われた。執念です。自分の宝石を光らせることは、なまやさしい努力ではできない。

 12-7 伸び伸びと着実な前進を


 かつてインドを訪問したSGI会長は、メンバーと闊達な質問会を行いました。そのなかで、壮年メンバーの真剣ゆえの悩みを、大きく包み込むように激励しています。

【池田SGI会長の指針】
◎記念勤行会での質問会から
         (1992年2月16日、インド)

 (SGIの指導として、「雄弁」や「知性」「慈愛」などが目標に挙げられていますが、自分はなかなか実行できません」との壮年の声に)
 ありのままの自分でよいのです。題目をあげきりながら、自分らしく、伸び伸びとと進んでいけばよいのです。自体顕照です。本来の自分自身を輝かせていくのが大聖人の仏法です。そうでなければ、偽善者になってしまう。
 人間革命への努力は、当然、必要ですが、つくられた「雄弁」や、つくられた「慈愛」、見せかけの「知性」など必要ありません。
 日々、題目をあげて、皆の幸せを祈っていく。また、できる限り人に親切にし、優しくし、自分の人格を磨ていく。そうした努力を重ねることは大切でしょう。
 しかし、なかなか奥さんも大事にできないのに、他人を大事にできるわけがない(笑い)。「慈悲」なんか、なかなか出るものではありません。このことは戸田先生も、よく言われていた。
 ありのままの「凡夫」そのもので進んでいく。題目根本に、少ししずでも向上していく。これが正しい姿であり、人間らしい生き方ではないでしょうか。仏法は無理のない、万人に開かれた大法なのです。

 12-8 皆、尊い使命がある

 誰も皆、かけがえのない使命があり、かけがえのない個性がある。この仏法の洞察に立てば、互いの個性を認め合い、違いを尊重する百花繚乱の世界が広がっていくと語っています。


【池田SGI会長の指針】
◎『青春対話』から 
                 (1993年3月刊)

 春が近づいてきた。梅が咲き、桃が開き、もうすぐ桜の季節になる。
 「冬来たりなば、春遠からじ」(「西風に寄す」から)と詩人のシェリーは歌ったが、どんなに苦しく寒い冬が続いても、冬は必ず春となるのです。
 これが宇宙の法則であり、生命の法則です。だから人間も、どんなにつらい冬が続いても、希望を捨ててはいけない。希望をなくさない限り、必ず春が来る。春とは「開花」の季節です。
 何度も言うように、仏法では「桜梅桃李」と説いている。桜には桜の美しさがある。梅には梅の香りがある。桃には桃の彩りがある。李には李の味わいがある。
 人それぞれに使命があり、個性があり、生き方がある。それを認め、尊重することです。それが自然です。
 現に、花たちの世界はそうなっている。百花繚乱です。
 ところが人間の世界は、違いを尊重できないで、「差別」をしたり、「いじめ」をしたりする。人権の破壊です。ここに根本的な不幸が生まれる。
 だれもが、人間として、人間らしく開花し、人間としての使命をまっとうしていく権利がある。自分にもある。人にもある。それが人権です。
 人権を尊重しないだけでなく人権を侵害するのは、すべての秩序を破壊しているようなものです。人権を大切にし、人を尊敬できる――そういう「自分自身の確立」が必要です。

 12-9 多様性輝く調和の世界を


 SGI会長は、ハワイの東西センターで行った記念講演の中で、桜梅桃李の法理に触れながら、仏法に脈打つ多様性の尊重、縁起観に根ざした自他共の尊厳について論じました。他者の多様性を敬うことが、自らの本然の輝きを増していくのです。

【池田SGI会長の指針】
◎東西センター記念講演「平和と人間ための安全保障」から
 (1995年1月26日、アメリカ) 

 仏典に「 桜梅桃李の己己の当体を改めずして」(御書748㌻)とあります。すべてが桜に、あるいはすべてが梅になる必要はない。なれるはずもない。桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李として、それぞれが個性豊かに輝いていけばよい。それが一番正しいというのであります。
 もとより「 桜梅桃李」とは一つの譬喩であって、それが人間であれ、社会であれ、草木国土であれ、多様性の重視という点では原理は同じであります。
 「自体顕照」というごとく、自らの本然《ほんねん》の個性を、内から最高に開花させていく。しかも、その個性は、いたずらに他の個性とぶつかったり、他の犠牲のうえに成り立つものではない。相互の差異を慈しみながら、花園のような調和を織り成していく。そこに、仏教の本領があるのであります。
 仏典には、「鏡に向って礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり」(同769㌻)――鏡に向かって礼拝すれば、映る姿もまた、私自身を礼拝するのである――という美しい譬えがあります。
 仏教の精髄ともいうべき、万有を貫く「 因果律」のうえから、他者の生命への尊敬が、そのまま鏡のごとく、自身の生命を荘厳していくという道理が示されているのであります。
 このように、人間や自然の万象は、縁りて生起する相互関係性のなかで、互いの特質を尊重し、生かし合いながら存在していくべきことを促しているのが、仏教の縁起観なのであります。

 12-10 自他共に向上する智慧

 SGI会長は、1998年の「SGIの日」記念提言において、調和と共生の世界を構築しゆく視座として、桜梅桃李の思想を提示しています。この哲理に立脚するとき、自他共に向上する智慧が薫発され、いかなる差異も新たな価値創造の源泉となる。そのためにも、 一人一人の可能性を引き出す人間教育が大切であると論じています。

【池田SGI会長の指針】
◎第23回「SGIの日」記念提言「万年の遠征――カオスからコスモスへ」から
                          (1998年1月26日)

 真の教育とは(イデオロギー教育などのように)人間を一様性の鋳型にはめこもうとするのではなく、人間と人間、師匠と弟子という、精神と精神との撃ち合いのなか、人間の内なる善性を薫発し、自己抑制や他者への共感を通じて、多様な個性を開花させゆく直道であります。
 仏法の知見には、「桜梅桃李」といって、桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李というように、それぞれの差異を認め合ったうえで、皆が平等に、自分自身を光輝あらしめ、麗しい人間共和の世界を築いていく、人間や文化の多様性を最大に尊重し、生かし、また調和させゆく哲理があります。
 この点、牧口初代会長の教育哲学にも造詣が深く、アメリカ哲学界の権威の一人であった、今は亡きデイビッド・ノートン博士は、この「桜梅桃李」という仏法思想の意義を、教育という観点から次のように語っております。
 「来るべき再編された世界のために、教育者が果たすべき責務は、生徒たちの中に自分たちのものとは違った文化、信条、実践に対する理解と尊敬の念を育むことです。これはちょうど、桜、梅、桃、李のそれぞれが、独自の美の側面を表しているように、他の文化や信条、実践が、真実と善の側面を具現しているとの認識の上に立ったとき、初めて可能になると思います。このことは、生徒たちが、一番慣れ親しんでいる信条、実践が真実と善を独占しているという考え方――つまり、パロキアリズム(偏狭性)、狭量な心――を捨て去ることを意味します」(「世界市民と人間教育」、「聖教新聞」1991年10月27日付)と。
 思えば、戸田第2代会長は、東西冷戦のイデオロギー対立が鮮しさを増ますなかで、戦後いち早く「地球民族主義」を主張しましたが、これは今日的にいえば、狭隘なナショナリズムや自己中心主義からの脱却を目指す「地球市民主義」と同根であり、その先見的な思想であったといえるでしょう。
 「文明の衝突」論に見受けられるように、文明間の対立は不可避であるとの見方が一部でありますが、私は、仮に衝突するとしても、それは文明と文明ではなく、それぞれの文明に〝宿痾〟のようにひそむ野蛮(蛮性)同士であろうと思うのです。短兵急な押し付け合いではなく、忍耐強く、長い時間をかけて接触を続けていくならば、本来、文化とは人間性を豊かにするものであり、文化間の差異はむしろ新しい価値創造の源泉と捉えるべきものなのです。
 そこで宗教が薫発すべきは、〝自他ともに向上するための智慧〟であらねばならない。仏典に、「妙と申す事は開《かい》と云う事なり」(御書943㌻)とあるように、人間の生命には、どこまでも可能性を開き、向上しようという特性があり、その特性を最大限に発揮させていくための宗教こそが、今まさに要請されているのであります。これまでの人類の歴史には、宗教が原因となって血で血を洗う悲劇が幾度となく引き起こされました。その流転を止めるためにも、「まことの・みち《道》は世間の事法」(御書1597㌻)と仰せのごとく、宗教は「民衆に応える」「社会的課題に応える」という点を第一義とし、また平和的競争の精神基盤となるものでなければならないと思われます。
 ともあれ、戸田第2代会長が難じていた狭隘な自己中心主義を乗り越え、同じ地球社会に生きる隣人として、牧口初代会長の提唱した人道的競争=「共創《きょうそう》」を通し、希望の未来を開いていく――私どもSGIが目指す「人間革命」運動の眼目はこの一点にあります。
2015-07-03 : 池田SGI会長指導選集 :
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ブラジル作家連盟「在外会員」称号授与式への謝辞

ブラジル作家連盟「在外会員」称号授与式への謝辞     (2015.6.18 ブラジル池田文化会館) 

 ペンの偉業に栄冠!──池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長が「ブラジル作家連盟」の「在外会員」に就任した。人間主義の価値を高める偉大な言論闘争を讃えたもので、同連盟初の栄誉である。
 称号授与式は18日午後5時(現地時間)から、サンパウロ市のブラジル池田文化会館で盛大に執り行われ、同連盟のドゥルヴァウ・デ・ノローニャ・ゴヨス・ジュニオル会長、ジョアキン・マリア・ボテリョ前会長らが出席。
 代理の池田SGI副会長に証書が手渡された。
 「素晴らしい授与式でした。特に池田博士の謝辞に感銘を受けました。一つ一つの言葉が心に染み込んできました。博士が語られた『寛容の精神』は今、世界に最も必要なものです」
 厳粛な式典を終えたノローニャ会長は、ほおを紅潮させてこう語った。
 その感動は、ノローニャ会長自身が人間の価値を信じ、「寛容の精神」で、より良い未来を築きたいと願い続ける一人だからこそ、生まれたのであろう。
 「池田博士は知性が高いだけでなく、心が広い。言葉に魂があります。ゆえに、人々の胸を打つメッセージを発信することができるのでしょう。『在外会員』の称号を贈ることができ、格別の思いです」


ノローニャ会長の授与の辞

偉大な人間主義者を迎えたい

 ご列席の皆さま。
 本日、ブラジルのサンパウロ市に集まっていただいたのは、偉大な人間主義者であり、仏法の師匠かつ代表者である池田大作博士に、ブラジル作家連盟からの“受けるに値する表彰”を授与するためです。
 池田博士は、1947年に創価学会に入信し、75年に世界の恒久平和を推進する団体である創価学会インタナショナル(SGI)を発足されました 。
 池田博士はSGIについて、次のように示されています。
 ──現在、全世界が直面している問題を解決する唯一の方途ととして、民族・宗教・思想的な差異を乗り越えた幅広い連帯をつくること。差異へのこだわりを超え、ともに社会の平和と幸福を目指していくことを目的とする2014年の「SGIの日」記念提言で 、池田博士は一人一人の無限の可能性を引き出すエンパワーメント(内発的な力の開花)を基礎に置く「人間革命」が、個人の内面の変化だけでなく、厳しい現実を突き破るための価値の創造に結実してこそ、“社会的な変化”を起すことができると呼び掛けられました。
 さらに、博士は「他者に尽くす行為が放つ光がそのまま、自身の尊厳を照らし返す光となっていく」とつづられています 。
 作家として、池田博士は「悲哀に沈む友の心に、希望の火をともし、勇気を燃え上がらせる」働きかけをされています。
 博士は、「あの胸に、この胸に、人間讃歌の音律を響かせ、共に正義の大道を歩み抜くために」筆を執ります。
 ブラジル作家連盟は、ブラジルで最も歴史が古い作家協会であると同時に、人間主義に直結した価値の促進に向けた、長い伝統を有しています。
 歴史的にみますと、本連盟は法の支配、民主的な自由、人権、経済と社会的発展、そして、ブラジル文化遺産の保護のために行動してきました。
 ガプリエル・ガルシア・マルケス(コロンビア出身のノーベル賞作家)は指摘しています。“ラテンアメリカとカリブには、世界を動かす決定的なエネルギーがある。それは、全ての原料が存在する以前の巨大な文化遺産である”と。
 実は、私たちが今いる場所に暮らしていたブラジルの原住民のトゥピ・グアラニー族の神話に、文字の神である女性のアスチーが存在していました。
 アスチーに限らず、ポエムの神ピセーや物語の神グァイピラ、雄弁の神グラサイー、そして、名誉、善意と正義の神パラジャスがいました。これら全てが女性です。
 このような気高い価値観に加え、ブラジルで使われているポルトガル語には、トゥピ・グアラニーの言葉から約2万2000語が加わったことで豊かになりました。それらの多くの言葉は、国土の自然環境に対する敬意を表し、本連盟も、この考えを貫きたいと思っております。
 しかし、この文化遺産、それに伴う多様な影響は、国際的に、そして多くの場合、地元でも評価されていません。われわれの多くの人間主義者たちはノーベル賞を受賞できず、われわれの大いなる志も評価されないこともあります。
 今の世の中は、いわゆるグローバル化の運動による文化的差異の撲滅の脅威にさらされています。これは卑劣な自己中心主義に影響され、商業的な利益を目指す、文化的に優位である誤った認識をもつ少数派が推進していることです。
 その中で、 池田博士の人間主義的な価値を推進される声は、善意ある人間の願いを代弁しています。
 このような理由から、本連盟は本日、池田大作博士に謹んで「在外会員」称号を授与させていただきます(大拍手)。

池田大作SGI会長の謝辞
(代読)

「慈悲の声」響かせ 不屈の言論を
民衆と共に希望の讃歌 高らかに


多様な文化が融合するブラジルの大地
文学は寛容の心育む力


 一、本日、私は、偉大な歴史と伝統を誇り、文化と言論の大光を、世界へ、未来へ送りゆかれる、貴・ブラジル作家連盟より、最高に栄えある「在外会員」の称号を賜りました。
 ブラジルを愛してやまぬ言論人の一人として、これに勝る光栄はございません。誠に誠にありがとうございました(大拍手)。
 私には、この栄誉を謹んでご報告申し上げたい敬愛する方々がおります。その方々をご紹介しつつ、貴・作家連盟に連ならせていただく意義を、3点にわたり、述べさせていただきたいと思います。

宇宙的広がりと偉大な創造力

 一、その第一の方は、わが恩師・戸田城聖先生であります。
 師は、「信なき言論は煙のごとし」と喝破した言論の闘士であり、戦時中は、日本の軍部政府による2年間の投獄にも断じて屈しませんでした。
 70年前、終戦の年に出獄した師は、平和への新たな民衆運動を起こし、「人間革命」の哲理とともに、「地球民族主義」という人類の共生のビジョンを、私たち青年に示されていたのであります。
 実は恩師は、ブラジルを深く敬愛し、青年時代、貴国への移住を希望されたこともあるほどです。
 地球民族主義の一つの原型を、恩師は、多様な民族が融合する貴国の人間共和に見いだしていたといっても、決して過言ではありません。
 ノローニャ・ゴヨス会長は、ブラジル文学の特徴を、「壮大にして、民族、文化の多様性の上からも豊かな表現に富む」と洞察されています。
 まさしく、宇宙的なスケールの広がりを持ち、多様性から偉大な創造力を発揮してきたブラジル文学は、人類の宝であります。
 私が貴国を初めて訪問したのは1960年10月。
 その3カ月前、世界各地の文学者がブラジルに集い合いました。
 その折、ブラジル文学界の代表は、日本の作家を大事に迎えてくださり、“東洋的なものも持っているブラジルは、西洋と東洋の文化を融合させる地となって、新たな文化を創造したい”との大志を熱く語られたという交流の秘話もあります。〈『作家の自伝15 川端康成』日本図書センターを参照〉
 一、こうした開かれたブラジル文化の核心の一つは、「寛容」の精神であるといえないでしょうか。
 世界との対話を広げてこられたノローニャ・ゴヨス会長は、「寛容は、人類と環境にとってよりよき未来を志向する上で、さまざまな差異を尊重し合うために必要不可欠であります」と強調されております。私もまったく同感であります。
 この点、文学には、あらゆる違いを超え、同じく「生老病死」の苦悩に立ち向かう人間として、理解と共感を深め、寛容の心を育む力があります。
 私の恩師も、青年たちと、世界文学を教材として、心広々と人類の精神遺産から学び合いながら、地球文明の未来を展望してくださいました。
 会長が尊敬される哲学者ボルテールは、「寛容の精神は兄弟をつくり、不寛容の精神は怪物をつくるかもしれません」(高橋安光編訳 『ヴォルテール書簡集』法政大学出版局)と喝破しておりました。
 “不寛容の怪物” に、断じて世界を蹂躙させてはなりません。
 私たちは、貴・作家連盟に脈打つ寛容の精神を掲げて、地球民族の兄弟姉妹の連帯を、さらに創り、広げていきたいと思うのであります。

アタイデ総裁
一緒に人類の歴史を変えましょう

自由のために
 一、第二に、私がご報告申し上げたい方は、ブラジル文学アカデミーの故・アタイデ総裁であります。
 アタイデ総裁は、ジャーナリストとして、迫害にも怯まず、一生涯、信念のペンを振るい、「世界人権宣言」の起草にも携わられた、人道の巨人であられました。
 94歳の総裁が、獅子のごとき気迫と情熱で、私に「一緒に戦いましょう。力を合わせて、人類の歴史を変えましょう!」と呼び掛けてくださったことを、昨日のように思い起こします。
 総裁と私が対談の中で語り合った、二つの “人権の武器” があります。
 その一つは、万人に最高の尊厳なる生命を見いだし、一人一人が自身の特性を最高に輝かせていけるように励ましていく「慈悲の声」であります。
 そして、もう一つは、生命を差別し、抑圧する悪に挑み、自由と平等を擁護していく「正義の言論」であります。
 仏法においては「声仏事(仏の仕事)を為《な》す」(御書708㌻)とも、「仏は文字に依《よ》って衆生を度し給うなり」(同153㌻)とも説かれます。
 アタイデ総裁の不撓不屈の言論闘争を偲びつつ、「慈悲の声」と「正義の言論」を、私もまた、命の限り響かせていきたいと、決意を新たにしております。

明日は新しい日
 一、そして第三に、私が本日の栄誉を一緒に分かち合いたい方々とは、わがブラジルSGI(創価学会インタナショナル)の同志たちであります。
 貴・作家連盟の一員であられた文豪ジョルジェ・アマード先生も、「民衆とともに」という信条を持たれ、SGIの人間主義の民衆運動に、深い共鳴を寄せてくださっておりました。アマード先生は宣言されました。
 「民衆の歌には、はてしない希望がある。その叫び声のなかには希望がある」(神代修訳 『希望の騎士 革命児プレステス』弘文堂新社)と。
 私が大好きなブラジルの友には、「明日は新しい日になる」という陽気で前向きな希望が漲っています。ブラジルの民衆精神こそ、大いなる希望(エスペランサ)の太陽そのものでありましょう。
 今、世界で、どれほど多くの人々が、また、どれほど多くの青年たちが、「希望の灯火《ともしび》」となる精神の滋養を必要としていることでしょうか。栄光輝く貴・作家連盟の先生方と共々に、私たちは、民衆のはてしない希望の讃歌を、いよいよ轟かせていこうではありませんか!
 結びに、貴・作家連盟のますますのご発展と、ブラジル文学の更なる興隆を強く祈って、私の謝辞とさせていただきます。
 ムイト・オブリガード!(ポルトガル語で「大変にありがとうございました!」)(大拍手)
2015-07-03 : スピーチ・メッセージ等 :
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日中青年友好フォーラムへのメッセージ

日中青年友好フォーラムへのメッセージ
        (2015.6.16 大連工業大学)

 日中友好青年交流団(橋元太郎団長)は16日午前、遼寧省の大連工業大学で開催された「日中青年友好フォーラム」に出席した。
 これは、青年部の平和運動「SOKAグローバルアクション」の一環として、大連中日教育文化交流協会、大連市青年連合会が主催したもの。「北東アジアにおける日中交流と青年の役割」とのテーマが掲げられた。
 訪中団一行が会場の大教室に入場すると、大連市内の7大学から参加した約400人の学生、教員が、万雷の拍手で迎えた。
 冒頭、大連工業大学の任文東副学長が「交流を重ねる中で信頼と友好は深まります。本日のような相互交流こそ、輝かしい未来を開くものです」と強調。
 続いて主催者を代表し、大連中日教育文化交流協会の賈聚林副会長は「一人でも多くの中国の青年が、池田思想に触れ、深く学び、実践してほしい」と念願した。
 その後、橋元青年部長が池田大作名誉会長のメッセージを読み上げると、大きな感動が場内を包んだ。
 フォーラムでは日中双方から発表が。
 初めに、井上光城副青年部長は、教育を基盤とした青年の交流が、あらゆる差異を超える原動力であるとし、名誉会長が提唱する「世界市民教育」を北東アジアから発信したいと語った。
 中国側からは、大連工業大学・池田大作思想研究所の劉愛君所長が「池田思想と青年の育成」について言及。学生が主体的に名誉会長の著作を学ぶ「読書会」など、具体的な実践事例を紹介した。
 また、遼寧師範大学・池田大作平和文化研究所の崔学森副所長は、名誉会長のアジア認識を考察。近代の日本が掲げた“脱亜入欧”との風潮と異なり、中国や韓国を“文化大恩の国”と尊重する名誉会長の行動こそ、アジアに真の平和と友好をもたらすものと訴えた。


メッセージ

人類史の大転換を!
友誼の桜を咲かせよ


 本日は、北東アジアに希望あふれる友情の連帯を広げゆく、意義深きフォーラムの開催、誠におめでとうごさいます。
 素晴らしい会場を提供し、諸準備にあたってくだっさった、大連工業大学の葛継平《かつけいへい》党委書記、また任文東《にんぶんとう》副学長をはじめ、諸先生方のご厚情に心より感謝申し上けます。
 私は、これまで10度にわたって、貴国にお招きいただき、各地で幾多の忘れ得ぬ出会いを結ぶことができました。今再び、貴国を訪問の折には、何としてもお伺いしたいと、心に抱いてきたのが、貴・大連の天地であります。
 仏法者として、この地で戦禍の犠牲になられた方々の追善をさせていただきたい。そして、新時代の中国を牽引されゆく、この地の若人たちと平和への対話を深めたいと願ってまいりました。
 今日は、この私の心を携えた青年交流団が、大連の皆様方に熱烈歓迎をいただき、感無量であります。
 70年前、貴国をはじめアジアの民衆を蹂躙し、日本各地も焦土と化した戦争が、ようやく終結した年、私は17歳でした。
 戦争の非道と悲惨を若き命に刻みつけた私には、続く未来の世代に、この苦しみだけは絶対に味わわせたくないという痛切な思いがありました。
 やがて、日本の軍国主義の2年間の投獄に屈せず、正義の信念を貫き通した戸田城聖先生を師匠と仰ぎ、私は平和の民衆運動に身を投じたのです。
 当時、師のもとで、貴国の大晢人・天台大師が展開した、「変毒為薬(毒を変じて薬と為す)」という法理を学びました。
 どんなマイナスもプラスに転じていける力が、私たちの生命の一念に厳然と具わっていることを示した晢学であります。この大いなる希望を、分断から友情へ、不信から信頼へ、戦争から平和へ、人類史の大転換を願って、私たちは一貫して、対話と交流を積み重ねてきました。
 貴国との間にも、もはや絶対に崩れさる民衆の友好を築くことができたと、私は確信いたします。その一つの証しが“桜花の縁”ではないでしようか。
 1974年12月、敬愛してやまない周恩来総理とお会いした折、総理は日本留学から帰国する際に仰いだ桜の思い出を語ってくださいました。 
 その周総理のお心を偲び、私は創価大学のキャンパスに「周桜」の植樹を提案し、貴国からお迎えした1期生の国費留学生と創価大学の学生が一緒になって植えたのです。
 見事な大樹と育った周桜の観桜会は、毎春、学生たちの手で、30年以上にわたって催されてきました。折あるごとに、周総理の令姪《れいめい》であられる周秉徳《しゅうへいとく》先生など 、貴国の縁《えにし》の方々も出席してくださっております。
 光栄にも、こうした桜に寄せる心を深く汲んでくださり、大連芸術学院では、素晴らしきオペラ「桜の魂」を創作してくださいました。
 その卓越した芸術性と、平和を謳い上げる友誼の心に、大きな感動が広がっていると伺っております。
 尊敬申し上ける王賢俊《おうけんしゅん》理事長をはじめ、大連芸術学院の皆様方に、この席をお借りして、あらためて御礼を申し上げたいのであります。
 かつて、戦争中の日本では、桜さえも、青年を戦争へ駆り立てる道具に使われました。散り際が美しい「桜」が、戦場での「潔い死」の象徴に仕立て上げられたのです。
 しかし、今、その桜は、「死」の象徴ではなく、「生」の象徴に変わりました。そして、「戦争美化」の象徴ではなく、「平和讃歌」の象徴として、国を越えて友誼の花を咲き薫らせているのであります。
 日本留学中の周恩来総理は、若き日の日記に、こう綴られました。  
 「われわれは勇気を奮い起こし、小さな困難に立ち向かわなければならない。さもなければ、これらの小さな困難が拡大して大きな困難になる」(矢吹晋編、鈴木博訳『周恩来「十九歳の東京日記」』小学館)
 一衣帯水の中国と日本の両国の間に、いかなる困難な課題が立ちはだかろうとも、勇気を奮い起こし、「推己及人《すいこきゅうじん》 (人の身にな って推し量る)の心で協力し合い、学び合いながら、立ち向かっていくならば、断じて乗り越えることができます。
 なかんずく、青年と青年が手を取り合い、教育・文化の次元で交流を持続くしていくならば、何があろうとも一切を必ず「変毒為薬」できると、私は申し上けたいのであります。
 大連中日教育文化交流協会の趙亜平《ちょうあへい》会長は、「健全かつ安定した中日関係は、既に、アジアと世界の平和と安定の鍵をにぎっている」と明言されています。
 そして、「人間性に基づく晢学的思考」と「教育面における努力」を両輪として友誼の橋を強くしていこうと呼びかけておられます。
 私は、趙会長の慧眼に全面的に賛同いたします。
 人民こそが、青年こそが歴史創造の主役です。
 だからこそ、人間主義の教育をもって、中国と日本、北東アジアを心の絆で結びゆく人材群をさらに成していきたいと思うのであります。
 本日、ここに集どわれた青年の皆様方! そして、教育を担われる先生方!
 共々に、今ここに描かれた麗しき「友好の縮図」を各界各地に広げ、未来へと継承して、爛漫たる平和と繁栄の桜花を咲かせゆこうではありませんか!(大拍手)
2015-07-01 : スピーチ・メッセージ等 :
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