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ブラジル カステロ・ブランコ大学「名誉博士号」授与式への謝辞

ブラジル カステロ・ブランコ大学「名誉博士号」授与式への謝辞 
      (2015.6.17 ブラジル池田文化会館)

 ブラジル・リオデジャネイロ市の「カステロ・ブランコ大学」が池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長に「名誉博士号」を授与した。世界平和の建設への傑出した貢献を讃えたものである。
 授与式は17日午後5時(日本時間18日午前5時)から、サンパウロ市のブラジル池田文化会館で行われ、同大学のマウリシオ・フェヘイラ・マガリャンエス総長から池田SGI副会長に学位記が託された。
 同国の大学・学術機関から贈られた名誉学術称号は21となった。

 壇上でそっと涙をぬぐう女性がいた。
 アナ・パウラ・ジソーニ氏。カステロ・ブランコ大学創立者の故ヴェラ・コスタ・ジソーニ前総長の長女で、同大学のオーナーである。
 「池田博士がこれほどまでに母のことを知ってくださっていたとは、思いもしませんでした。感動で胸がいっぱいです。
 博士の謝辞には、美しい言葉がいっぱい詰まっていました。母も喜んでいるに違いありません」
 「わが大学と創価大学は同じ年に誕生し、同じ精神で結ばれています。博士に『名誉博士号』を授与することは母の悲願でした。その夢は、きょう実現しました」
 大学の設立に、どれほど、筆舌に尽くせぬ労苦があったことか。
 どれほどの苦難を乗り越えなければならなかったか。
 その真情は、同じ創立者でなければ分からない。
 ゆえに池田SGI会長は、ジソーニ前総長の功績を最大に賞讃しつつ、謝辞の中で参加者に、こう呼び掛けた。
 「このあまりにも気高い『教育の母』と、その継承の劇に、私たちは、感謝と尊敬の大拍手をお送りしたいのであります」
 ジソーニ前総長を宣揚する池田SGI会長の言葉に、温かな喝采が広がる。その音は、しばし鳴りやむことはなかった。


マガリャンエス総長の授与の辞

教育こそ変革の力!
今こそ池田博士の行動に学べ


 現代世界において、善良な市民を最も悩ませているのは、地球全体を感う無秩序です。
 宗教への不寛容や、テロ行為、人権侵害、飢餓、さらには、資源の枯渇など、地球規模の課題は枚挙に暇がありません。
 世界の指導者たちは、少なくとも半世紀以上にわたって、解決への方途を探る議論を重ねてきました。
 世界ではいまだ、安全な水を飲めない人がいます。地球上には約70億人が存在しますが、8人に1人が十分な食糧を得ることができません。その一方で、豊かな国では、多くの食べ物が無駄にされているのが現実です。
 2012年6月、ブラジルで「国連持続可能な開発会議」(リオ+20 )が行われ、各国首脳らが環境保全と経済成長の両立などについて議論しました。私も生物学者の立場で、私たちの大学の学者、学生と共に、会議に参加し、環境問題について議論しました。
 今でこそ、こうした持続可能な社会の実現に向けた議論は広がっていますが、池田大作博士は、ローマクラブの創始者アウレリオ・ペッチェイ博士との対談の中で、30年以上も前から、このテーマを議論されています。
 池田博士はまた、恩師の教え通りに半世紀以上にわたり民衆運動の指揮を執り続けた無二の人物です。人々を啓発する数々の作品た執筆するとともに、軍縮、環境保護、教育、人権などの問題と向き合い、国際協力に、戦争や紛争の
終焉のために献身された、尊敬と顕彰にふさわしい平和主義者であり、世界平和の模範の指導者であります。私たちは、常に他者の幸福のために尽力されてきた池田博士の思想と行動に学ぶべきです。
 社会を変えるために重要なのはい一にも二にも三にも教育です。より良き人を育てるためには、教育以外に方法が見つかりません。
 それは、大学の使命でもあります。わが大学は、もともと田園地帯にある小さな学校でしたが、今や、リオデジャネイロに四つのキャンパスを有し、30学科を擁する総合大学に発展しました。この大学に、30年にわたり勤めることができたのは、私の誇りです。
 こうした大学の発展は、ヴェラ・コスタ・ジソーニ前総長の夢でした。残念ながら昨年12月に亡くなられましたが、大学のために全生命を捧げた素晴らしい教育者でした。
 「教育で社会を変革できる」──それは、前早朝の口癖でした。
 本日、敬愛する前総長の思いの通りに、わが大学をあげて、池田博士に名誉博士号を授与させていただきます(大拍手)。

池田SGI会長の謝辞(代読)

若人に希望 勇気 知恵の言葉を
民衆に尽くす人材を未来へ


励ましが最善を引き出す
牧口先生
母性は本来の教育者、社会の建設者

 一、今、世界の青少年が憧れてやまない「希望都市」こそ、明年オリンピッシ開催に向けて、いよいよ躍動しゆくリオデジャネイロ市であります。
 私も大好きなリオの天地を、人道の作家ツヴァイクは、「日々何かを発見する楽しみに満ちている」「全てが鮮やかなまばゆい色に輝いている」と謳いあげ「世界で最高に美しい都」と絶讃しました(宮岡成次訳『未来の国プラジル」河出書房新社)
 ただいま私は、世界に開かれた「平和の港」リオに輝く「教育の大船」たるカステロ・プランコ大学より何よりも栄えある名誉博士の称号を賜りました。
 貴国への忘れ得ぬ初訪問より55年──。
 この栄誉を、私は、共に苦楽を分かち合って、平和と文化と教育の連帯を築いてきたブラジルSGI(創価学会インタナショナル)の友人たちと、謹んで拝受いたします。
 誠に誠にありがとうございました(大拍手)。

創立精神の継承
 一、誇り高き貴大学の創立は、1971年3月。それは、わが創価大学が開学する前月のことであり、奇しき縁を感じてなりません。本日は、44星霜という同じ歳月を教育に注がれて
きた貴大学の情熱と伝統に学びながら、私たちは、三点にわたって決意し合いたいと思うのであります。
 第一に、「人材を育む母なる心を未来へ!」という点であります。
 貴大学の源流は、一人の準大なる母の奮闘によって創られました。
 その方こそ、誰もが平等な機会を得られる社会の建設に貢献することを大学の使命とされ、豊かな教養を備えた人材の育成に尽くし抜いてこられた、創立者のブェラ・コスタ・ジソーニ先生であります。
 先生は、全生命を賭して、大学を守り、学生を愛し、最高の教育環境をつくり上げられました。ユネスコ(国連教育科学文化機関)のブラジル代表としても、不滅の功績を残されております。この創立者の精神を、後継のマガリャンエス総長は、厳然と受け継がれております。
 さらに、創立者のご息女のアナ・パウラ・ジソーニ先生は、大学のオーナーとして、決然と不二の道を歩まれております。
 このあまりにも気高い「教育の母」と、その継承の劇に、私たちは、感謝と尊敬の大拍手をお送りしたいのであります(大拍手)。
 今年は、私たち「創価教育」の出発から85年であります。
 原点となった『創価教育学体系』において、平和の信念に殉じた牧口常三郎先生は、「母性は本来の教育者であり、未来に於ける理想社会の建設者」(『牧口常三郎全集第6巻』第三文明社)と力強く断言しておりました。
 青年を温かく慈しむ母性の大地ありてこそ、若き人材の大樹は天高く伸びます。
 私の知るブラジルの母たち、女性たちは、いずこにもまして、青年への慈愛が満ちています。この豊かな母性の大地から、いやまして力ある人材群が林立してゆくことを、私は確信してやまないのであります。

失敗を恐れるな
 一、第二は、「最善を引き出す励ましを若人ヘ!」ということであります。
 マガリャンエス総長が敬愛される“非暴力の父”マハトマ・ガンジーは、訴えております。「教育とは、あらゆる面において、子どもや大人から最善を引き出すこと」(M・K・ガンジー著、片山佳代子編訳『ガンジーの教育論』星雲社)である、と。
 ここにこそ教育の真髄の力があるといっても、決して過言ではないでありましょう。
 貴大学におかれましては、先生方が積極果敢に学生の輪の中に飛び込み、一対一の触れ合いを心掛けておられると伺っております。その先頭に立つ総長ご自身が、青年たちに「諦めずにとことん挑戦を」「失敗を恐れるな」とのエールを送られ、一人一人を徹して激励してこられました。
 まさに、励ましこそ、生命の最善を引き出す鍵ではないでしょうか。
 東洋の至言には、「言《ことば》と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり」と説かれます。
 人間の絆の衰弱が憂慮される時代だからこそ、若人の命に届く、希望の言葉を、勇気の言葉を、知恵の言葉を、いっそう強く明るく響かせていきたいと思うのであります。

天文学者モウラン博士
苦しい時ほど生命を輝かせよ

青年の力は無窮
 一、第三に「価値創造の光を放つ無窮の青年力を世界へ!」と申し上げたい。
 私は、リオデジャネイロ生まれの天文学者モウラン博士と、ブラジルの国旗にも描かれる、南十字星の意義をめぐって語り合ったことがあります。
 モウラン博士は、煌々と輝く南十字星の背景の空が一段と暗いことに触れて、強調されました。
 「私たちも、置かれた状況が暗ければ暗いほど、また、辛ければ辛いほど、より輝かなければなりません。暗い時、苦しい時ほど、私たちの生命の輝きを際立たせるように努めなければなりません」(『天文学と仏法を語る』第三文明社)と。 
 逆境にあってこそ、生命の輝きを増し、新たな創造の光を放つ青年力が、今ほど求められている時代はないでありましょう。
 マガリャンエス総長は、学識の錬磨とともに、青年の心に不屈の炎を灯しながら、逸材の星雲を生み出してこられました。 長年、環境教育に力を注いでこられた総長は、いわゆる自然環境の専門家にとどまらず、環境そのものを変えていける力を持った人材、つまり、現状を変革していけることを自覚した指導者の育成を目標に掲げてこられたのであります。
 わが創価大学では本年、工学部が「理工学部」へと発展し、自然環境の保護を含む地球的諸問題群の解決へ、新たに「共生創造理工学科」を開設しました。
 世界は「地球共生」の理念を体し、創造力に富めるリーダーの登場を待ち望んでおります。無窮の力を秘めた宝の青年たちと共に、私たちは「共生と創造の21世紀」を、断固として光輝あらしめていこうではありませんか!
 一、貴大学は、地域と社会に開かれた学舎として、診療所や法律相談、動物病院のサービスを提供し、さらに、識字教育や疾病予防、高齢者へのIT教育といった講座を開かれるなど、民衆への奉仕を積極的に行っておられます。
 仏法において、菩薩が起こす誓願の第一は、全ての人々を救わんとする壮大な誓いであります。
 民衆の幸福、人類の平和という誓願に生きる人材を未来へ薫陶する宝城こそ、真の大学でありましょう。
 本日、私は、その模範を体現されている貴大学の名誉ある一員とさせていただきました。これからも一生涯、愛するリオの繁栄を祈りつつ、貴大学の皆さま方と連帯して、青年の道を開いてまいる決心です。
 結びに、貴大学に無限の栄光あれ! 永遠の発展あれ! と念願し、私の謝辞とさせていただきます。 ムイト・オブリガード(ポルトガル語で「大変にありがとうございました!」) (大拍手)
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2015-06-29 : スピーチ・メッセージ等 :
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「世界広布新時代第12回本部幹部会」「関西総会」へのメッセージ

「世界広布新時代第12回本部幹部会」「関西総会」へのメッセージ
        (2015.6.28 関西戸田記念講堂)

  「世界広布新時代第12回本部幹部会」が28日午後、「関西総会」の意義を込め、大阪・豊中市の関西戸田記念講堂で晴れやかに開催された。これには原田会長、正木理事長、杉本婦人部長、山内関西長、山下同婦人部長をはじめ各部の代表が、海外9カ国91人のSGI(創価学会インタナショナル)の友と出席。関西2府5県40会場を中継で結び、3万人の友が参加した。池田名誉会長は記念の和歌とメッセージを贈り、心から祝福。平和の未来を開くため、自他共に幸福の種を蒔きながら、いやまして常勝不敗の行進を広げてゆこうと呼び掛けた。

メッセージ

励ましの「太陽のスクラム」輝け

正義の人生を恐れなく
生命の底力を引き出せ
創価家族は幸福の安全地帯


一、きょうは、懐かしい豊中の戸田講堂での関西総会、そして、海外各国のリーダーの皆さん方をお迎えしての本部幹部会、誠におめでとう!
 私も妻と「常勝の空」を口ずさみながら、関西家族、SGI家族と一つの心で、すべてを見守っております。
 わが創価学会の再建は、昭和20年(1945年)の7月3日、戸田先生の出獄から始まりました。
 戦時中、軍部政府の大弾圧は、牧口先生を獄死させ、学会の組織を壊滅させました。戸田先生は空襲の焼け野原に一人立って、広宣流布の第一歩を踏み出されたのです。
 この原点から70年──。私たち創価の師弟は、時代を創り、社会を変えてきました。さらに力強く平和の未来を開きゆくために、歴史を転換してきた我らの誉れ高き「常勝の魂」を、ここで三点にわたって宣言したいのであります。
 一、戸田先生が、その最晩年、牧口先生にお見せしたかったと言われた二つの金字塔があります。
 一つは、昭和3年(56年)、関西が成し遂げた未曽有の大折伏であり、「“まさか”が実現」の大勝利です。
 そして、もう一つは翌年の大阪事件の折、全関西の同志が私と一緒に、恐れなく難に立ち向かってくれた団結であります。
 私と関西の友には、いつも熱く燃え上がる共戦の闘魂があった。
 それは──大地に根を張った、ありのままの庶民が一番強く、その一人一人の生命の底力を引き出すのが、日蓮仏法である。絶対に信じ合える庶民と庶民が力を合わせ、社会の変革に挑戦するのが、創価学会である。どんな迫害にも、どんな試練にも、関西は決して負けず、断じて勝ち越えてみせるのだ──と。         
 ゆえに私は、「常勝の魂」の第一として、「民衆の大地の力に恐れるものなし」と申し上げたい。
 創価学会は、この関西魂と共に、永遠に民衆の大地に立って、民衆の力を解き放ちながら、世界の民衆と平和・文化・教育の大連帯を築き上げていくのです。
 一、この6月、全国各地で、白ゆりの香りも高き「婦人部総会」の大成功、誠にご苦労さまでした。
 そして、華陽姉妹の輝きを増しゆく女子部の新出発、本当におめでとう!
 日蓮大聖人は、妙法の声の力を譬えられて、女性門下へ仰せになられました。
 「太陽が東の空に昇れば、数多くの星の光は跡形もなく消え去ってしまう」(御書1393㌻、趣意)と。
 まさしく題目の音声《おんじょう》を朗々と響かせて、幻の虚栄などに惑わされず、いかなる不幸の闇も打ち破っていくのが、創価の女性の「太陽のスクラム」です。
 なかんずく、世界一、明るく温かな関西婦人部の励ましには、孤独と不安に凍える友をも蘇生させずにはおかない、希望の光があり、慈愛の熱があります。
 私は「常勝の魂」の第二として、「太陽の女性のスクラムほど温かなものはなし」と申し上げたい。皆が常楽我浄の人生を歩みゆける幸福の安全地帯たる、この創価家族の絆に、ますます多くの友を招き迎えていこうではありませんか!
 一、幾たびとなく関西同志と拝してきた「諸法実相抄」には、「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや」(同1360㌻) とあります。
 一人の友に妙法を唱え伝えようと、真剣に祈り、語りゆく創価の同志の心にこそ、御本仏の大生命は脈々と流れ通うのです。
 ゆえに、広布の大願に生きゆく我らの折伏行は、永久に行き詰まることはありません。
 現に今、関西はじめ日本全国、全世界の男女青年部が、壮年部・婦人部の真心あふれる応援を受けながら、「地涌の義」を威風堂々と証明してくれているではないか。
 「地涌の人材の大河は尽きることなし」──これこそ、「常勝の魂」の第三なのであります。
 一、この7月3日、おかげさまで、私の全集も完結の運びとなりました。
 「出獄と入獄の日」に、師弟不二の勝利の証しとして、恩師に捧げるとともに、これからも、『新・人間革命』をはじめとする執筆を、日々、重ねていく決心であります。
 あの大阪事件の時、獄中の私を、わが事のように案じてくださつたご家族に、出獄後、感謝を込めて揮豪を贈りました。「正義の戦いは一生続く。助けて勝ち、助けられて進むなり」と。
 私たちは、いよいよ久遠よりの誓いの友と仲良く助け合い、勝ち進もう!
 そして自他共に幸福の種を思う存分、蒔きながら、世界へ、未来へ、いやまして常勝不敗の行進を広げてゆこうではありませんか!
 終わりに、全同志の無事安穏の日々と福徳爛漫の人生を祈りに祈って、

 最極《さいごく》の
  正義の勝ちを
   万代《ばんだい》ヘ
  飾り示さん
    君と我とで

と贈り、私のメッセージといたします。
 皆、朗らかに! お元気で!(大拍手)
2015-06-29 : スピーチ・メッセージ等 :
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ボリビア・ベニ自治大学「名誉博士号」授与式への謝辞

ボリビア・ベニ自治大学「名誉博士号」授与式への謝辞     (2015.6.15 ボリビア文化会館) 

 南米・ボリビア多民族国の名門学府「“ホセ・バジビアン”ベニ自治大学」から、池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長に「名誉博士号」が贈られた。世界的な平和・文化・教育への貢献をたたえたものである。授与式は15日午後9時(日本時間16日午前10時)から、サンタクルス市のボリビア文化会館で挙行され、ルイス・サンブラノ総長をはじめ同大学の教職員、学生の代表らが出席。多くの来賓が見守る中、代理である池田博正SGI副会長に証書が託された。これで、SGI会長に世界の大学・学術機関から授与された名誉学術称号は「360」となった。

サンブラノ総長の祝辞

池田博士の崇高な理想を共に実現したい

 “ホセ・バジビアン”ベニ自治大学の名誉博士号は、教育、芸術、文学、科学技術の発展に寄与した国内外の優れた人物に授与される最高位の顕彰です。
 国民の生活の改善、人類の幸福、そして、われわれの大学のために多大なる貢献をされた人物に授与されます。社会的に申し分のない人物だと認められた方をたたえるための栄えある顕彰といえます。
 本日、ベニ自治大学は、総長決議および、最も権威ある大学審議会の決議を経て、人類に多大なる貢献をされたSGI会長・池田大作博士に対して、名誉博士号を授与いたしました。
 これまで、世界の強国が無情にも戦争や殺戮を選択し、第2次世界大戦や、多くの国々で骨肉の争いともいえる内線や分断抗争が起こり、恐ろしい死と不幸の負の歴史が繰り返されてきました。
 そんな中、人類に対する使命感のもと、池田博士は、人間主義や平和主義思想に壁づく数々の作品を著してこられました。
 注目すべきは、池田博士の平和理念であり、池田博士が世界の人々と友好対話を促進し、たゆまぬ努力で生命賛歌の手段である文化・教育・芸術を宣揚し、われらの住む地球で、最も大切な宝である人材育成を重要視しておられることです。
 池田博士の地球的規模の活動は、国連機関をはじめ、さまざまな機関に認識されており、「国連平和賞」を受賞されたほか、20を超える国家から勲章を授与されています。
 詩、小説、児童文学、論説などの執筆活動のかたわら、講演を行うなど、多くの業績が認められ数々の輝かしい顕彰を受けておられます。さらに、池田博士は、わが大学の友人となってくださいました。
 無数の貢献の恩恵を受けてきた世界の学術界の感謝の証しとして、科学の発展に寄与される池田博士に名誉博士号を授与できましたことは、私たちにとって、最高の栄誉です。
 本日は、SGIの副会長であり、池田博士の長男である池田博正氏を団長とする公式代表団をお迎えし、代理授与をさせていただくことができました。
 この場をお借りし、私もは学術界の立場から、池田博士が掲げる崇高な理想の実現のため、、ボリビアの政育紛銑展のために、皆さまと共々に前進していく決意であることを申し上げたいと思います。
 どうか池田博士に。われわれの決意をお伝えください。今後ともわれわれの親交が、より強固なものになることを望んでいます。
 本当にありがとうございました(大拍手)。

池田SGI会長の謝辞(代読)

平和と共生の地球社会の創造へ

教育は未来照らす太陽
トインビー博士
一人一人の内なる変革が重要

 一、貴・ベニ県をはじめ、ここオリエンテ(ボリビア東部) の天地を、19世紀の貴国の偉大な歴史家コルテスは、高らかに讃えました。
 「見よ、オリエンテには、赫々と燃える太陽が昇る」
 そして、「美しく明るい光の中心」であるかのように、煌めく光彩が天空を支配する、と。
 この“光の中心”オリエンテから昇りゆく「教育の旭日」こそ、貴・国立ベニ自治大学であられます。
  本日、貴・大学より賜りました輝く名誉学位を、私は何よりもまず、愛する郷土のため、社会のため、国家のため、大誠実を重ねてきた、わが敬愛するボリビアSGI (創価学会インタナショナル)の友と一緒に、分かち合わせていただきたいのであります。
 誠に誠にありがとうございました。(大拍手)。

「学は光」の連帯
 一、ベニ県の紋章には、天然資源を表す豊潤の角、自然の恵みを表す牛や牧草、ゴムの木などとともに、希望あふれる貴国の発展の未来を象徴する「太陽」が描かれております。
 太陽の輝きには、混迷の闇を打ち破る「光」があり、生きとし生ける生命を温める「熱」があり、地球の未来を創造しゆく「エネルギー」があります。
 本日、「教育の旭日」たる貴大学の誉れある一員とさせていただいた私は、ここに集われた友人たちと、さらなる「光」と「熱」と「エネルギー」を漲らせていきたいと決意しております。
 その第一の「光」とは、「民衆の苦悩の闇を打ち破る光」であります。
 ベニ県が設置されたのは、1842年の11月18日。そして、125年後の1967年の11月18日、ベニ自治大学は、地域の教育者や住民、さらに高校生たちの力の結集によって創立されたと伺いました。
 じつは、「11月18日」は、私たち創価学会にとっても、かけがえのない創立記念日であります。
 すなわち、1930年のこの日、先師・牧口常三郎、初代会長と戸田城聖第2代会長によって『創価教育学体系』が発刊され、今年で85周年となります。
 そして、第2次世界大戦中、牧口初代会長が、日本の軍部政府の弾圧にも屈することなく、平和と正義の信念を員き通して獄死したのも、1944年のこの日でありました。
 先師は、「学は光」を信条とし、その光を限りなく民衆に贈りゆかんとされた人間教育者であります。
 貴大学は、開学以来、各分野の多彩な人材を育成し、民衆貢献の「英知の光」を放ってこられた。
 したがって、私は本日の栄誉を先師に捧げさせていただく思いであるとともに、貴大学の一員として、先師の信条を継承する決意であります。
 本年4月には、医学学科が新設されるなど、貴大学は、人々の健康を守り、生活の向上に寄与する知性のセンターとしても、ますます大きな役割を担われております。
 また貴大学は、市民を対象とした環境教育や文化講座の充実、さらにベニ県の各地に、教育・研究施設を設け、経済的に恵まれない多くの青年たちに学問の門戸を開くなど、地域社会への貢献に力を注いでこられました。
 昨年の1月、「ベニ史上最大の自然災害」と言われた洪水の際にも、地域の人々と力を合わせ、未曾有の水害を乗り越えてこられたことを、私は胸を熱くして伺いました。
 貴国の文豪ディエス・デ・メディナは語りました。
 「道を開くために必要なことはなにか。それは、歩み続けることである」
 どこまでも民衆と共に、民衆のために── 。
 私たちは、貴大学をはじめ、貴国の崇高な先生方と手を携えて、民衆の幸福の大道を開くために、どこまでも歩み続けていきたいのであります。

慈愛という武器
 一、私が心に期する第二点の「熱」とは、「人間の尊厳の文化を築く熱」であります。
 いにしえ、高度なラス・ロマス大河文明が栄えたベニには、19世紀の初め、植民地支配からの自由を求めて立ち上がった、先住民の指導者・ムイバの熱血の魂が今も脈打っております。
 貴国は、「ボリビア多民族国」との国名に象徴される通り、先住民の権利の拡大と、多様な民族の調和に取り組んでこられました。
 「77カ国グループ」の議長国として、貧困や飢餓の撲滅など、世界の人権の向上にリーダーシップを発揮されていることも、よく存じ上げております。
 まさしく貴国には、人間の尊厳の文化を築く熱がたぎっているのであります。
 貴国の著名な作家メディナチェリの略びを、私は思い起こします。
 「文化のための戦いには、平和・創造・調和がなければならない。それは、慈愛という武器を用いた戦いでなければならない」と。
 なかんずく、大切なのは、青年を勝ます慈愛ではないでしょうか。
 慈愛の励ましを受けた青年は、必ずや、その熱をもって社会を温め、その熱を何倍にもして未来へ伝えてくれるからであります。
 私たちは、教育という普遍の広場で、一人一人の青年を信じ、慈しみ、惜しみなく希望と勇気のエールを送ってまいりたい。
 そして、若き知性と情熱の世界市民を育みながら、新たな人間の尊厳の文化、生命の尊厳の文化を築き上げていきたいと思うのであります。

忍耐と粘りで道を開け

誠実で美しき心
 一、第三の「エネルギ―」とは、「平和と共生の地球社会を創造するエネルギー」であります。
 豊かな自然が広がるベニ県は、地球最大の生命の源である大アマゾンの上流に位置し、支流のマモレ川はボリビア有数の河川として、広大な土地を潤している。
 ベニ県の美しい歌には詠われています。     
 「大草原や連山を照らしながら
 東天から昇る太陽のように
 わが故郷はボリビアにとって
 将来性あふれる平和と団結の幸せの地」と。
 仏法では「依正不二」といって、「環境(依報)」と「人間(正報)」は、相互に影響を与え合う、一体不二の関係にあると説きます。その仏法の眼《まなこ》から見るならば、壮麗なボリビアの天地は、貴国の民衆の誠実で美しき心を映し出した地といってよいでありましょう。
 私が対談した歴史学者のトインビー博士も、貴国ボリビアの雄大な自然に着目していました。
 博士が力を込めて語っていた言葉を、私は忘れることができません。
 「人類の生存に対する現代の脅威は、人間一人一人の心の中の革命的な変革によってのみ、取り除くことができるものです」と。
 環境問題をはじめ、地球的問題群の克服は、まさに人間の内なる変革にかかっております。
 この変革の先頭に立ち、人間教育のさらなる充実と発展へ、果敢に挑戦されているのが、尊敬するルイス・サンブラノ総長はじめ、貴大学の先生方であります。
 ボリビア文学の巨匠フランツ・タマヨは、毅然と宣言しました。
 「ボリビア人の二つの大きな特徴は、『忍耐』と『粘り強さ』である」
 この不屈の「忍耐」と「粘り強さ」という、最強にして不滅のエネルギーを、いやまして発揮しながら、私たちはお平和と共生の地球社会を断固として創造していこうではありませんか。
 最後に、貴大学のますますの栄光と発展、そして、本日ご臨席の皆様方のご健康を心よりお祈り申し上げ、御礼とさせていただきます。ムーチャス・グラシアス! (スペイン語で「大変にありがとうございました!」)(大拍手)
2015-06-29 : スピーチ・メッセージ等 :
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ブラジル創価学園新校舎起工式へのメッセージ

ブラジル創価学園新校舎起工式へのメッセージ
    (2015.6.17 ブラジル サンパウロ市内)

 ブラジル創価学園の新校舎の起工式が17日午前10時(現地時間)から、サンパウロ市内の建設地で晴れやかに行われた。これには、南米を訪問中の池田SGI(創価学会インタナショナル)副会長らが来賓として出席。創立者の池田SGI会長はメッセージを贈り、この学舎から、愛する学園生が、ブラジルのため、人類のために飛翔しゆくことを心から期待した。
 式典には、卒業生の代表も駆け付けた。
 彼らは言う。
 「ブラジル創価学園で学んだ日々は私の誇りです。なぜなら、学力だけでなく、人間性が磨かれたからです」
 「新しい校舎が完成し、より多くの人が創価の人間教育を受けられるようになれば、本当にうれしい」と。
 創立者が掲げる「人間を育み育てる教育」という理想は、ここブラジルの地にも力強く脈動していた。
 同学園は、牧口初代会長の生誕130周年の佳節である2001年6月6日、「ブラジル創価幼稚園」として出発。翌年には「小学校の部」が新設され、「ブラジル創価学園」として新たなスタートを切った。
 その後、「中学校の部」が誕生。牧口初代会長の創価教育学説に基づく「牧口教育プロジェクト」を実践し、「子どもの幸福」を第一とする教育を推進している。
 2017年に完成予定の新校舎は、サンパウロ市の中心から近い交通至便の地に建設される。27の教室をはじめ実験室や図書室などが充実し、運動場も2面設置される。
 あわせて待望の「高校の部」が新設され、ブラジル創価学園は幼稚園から高校までの一貫教育となる。
 高校1期生となる同学園の中学2年生に話を聞くと、「期待で胸がいっぱいです。今まで以上に勉強を頑張りたい」「高校も学園で学べるなんて夢のようです!」と口々に。
 ロペス学園長は「一人一人の心を鍛え、教育の質を一段と高めながら、これからは国際的な視野を養っていきたい」と語る。
 起工式では、東京・関西の創価学園、アメリカ創価大学、創価大学からの祝電が紹介された。
 来賓であるブラジルSGIのコウサカ理事長が創立者のメッセージを代読。鍬入れ式、施工業者あいさつに続き、池田SGI副会長は「新校舎と共に、ここブラジルに『創価教育の理想郷』の建設を」と念願した。



 待ちに待った、ブラジル創価学園の新校舎の起工式、誠におめでとうございます!
 本日は、ご多忙のところ、来賓の皆様方にご臨席いただき、心より深く御礼申し上げます。かくも多くの方々が温かく祝福くださり、創立者としてこれほどの喜びはございません。
 教育機関の建物の建設に際し、あのフランスの大文豪ビクトル・ユゴーは、それは「希望」であり、「未来」であると語りました。
 まさしく、ここに建設されゆく、ブラジル創価学園の新校舎は、21世紀の「希望の光」そのものであります。
 この希望の学舎から、更なる偉大な輝く「未来」が限りなく創造されゆくことを、私は信じてやみません。
 教育は、人間が人間として“最も人間らしく生きていく”ために、真っ先に取り組まねばならない最重要の事業であります。
 私自身、牧口常三郎先生、戸田城聖先生という、平和の信念の教育者の精神を受け継ぎ、これからも、このブラジル創価学園とともに、全力で人材の育成に尽くしてまいる決心であります。
 わが愛する学園生が、この英知の学園で、日々、喜びにあふれ、誇りに燃えて、学び、鍛えながら、世界の大空へ飛翔していく晴れ姿を思うと、私の心は躍ります。     あらゆる困難に負けない勇気をもって、ブラジルのために、人類のために、立派に活躍されゆくことを心から期待しております。
 すばらしい新校舎の完成を祈念するとともに、関係者のご尽力に、厚く感謝申し上げます。
 ブラジル創価学園、万歳!
 ブラジルの希望の未来、万歳!
2015-06-21 : スピーチ・メッセージ等 :
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日中青年平和友好フォーラムへのメッセージ

日中青年平和友好フォーラムへのメッセージ
         (2015.6.11 中国 南開大学)

「革心」の光で未来を照らせ

 青年の対話こそ、明日ヘの希望の音律です。
 青年の友情こそ、平和の連帯の要です。
 ゆえに、青年の熱情あふるる交流がある限り、一切の障壁を超えて、永遠の友好の本流が流れ通っていきます。
 青年をこよなく愛された周恩来総理と鄧頴超先生も、本日のフォーラムを、どれほどお喜びでありましょうか。
 中日友好の未来は明るいと安心して、見つめてくださっていることと、私は確信してやみません。
 今、私は、小説『新・人間革命』で、1978年(昭和53年)9月、第4次訪中の歴史を「革心」(心を革める) の章と題して、書き綴っております。「革心」とは、ご承知の通り、貴大学に学ぶ周総理が、鄧先生たちと共に掲げた偉大な信念であります。
 本年は、日本軍が貴国を蹂躙した残酷な戦争の終戦より70年。また、日本が理不尽な「対華二十一カ条要求」を突きつけてより、100年を刻む年でもあります。
 1919年(大正8年)5月4日、貴国の勇敢なる学生たちは悠然と立ち上がりました。「中国革命」の淵源となる不滅の「五《ご》・四《し》運動」であります。
 当時、21歳の周総理も、留学先の桜花薫る日本から急遽、天津に舞い戻り、革命に身を投じられました。
 やがて周総理ら天津の男女各十人の代表が、学生組織「覚悟社」を結成。その中に、15歳の乙女の鄧先生もおられたのです。
 若き革命児・周青年や、女性リーダー鄧先生たちの目指したものは、何であつたか。
 その一つは、「革新」――あらゆる悪を打ち破り、社会を一新していくことでありました。
 そして、そのために、もう一つの「革新」――自らの思想と精神の革命を強調されたのであります。
 周青年たちは、討論会や学習会で新しい思想を貪欲なまでに吸収し、小冊子「覚悟」を発刊し、正義の言論戦を勇敢に繰り広げていきました。
 この「覚悟社」の俊英の大情熱が伝播し、中国全土の若人たちが澎湃と立ち上がっていったのです。
 人類史に轟きわたる偉大な青春讃歌であります。
 そして、この先人たちの熱と力を受け継がれて、周池会の皆様は、平和友誼の精神を生き生きと広げてくださっております。
 皆様が刊行されている「金橋(金の橋) 」を、私も毎号、楽しみに読ませていただいております。
 光栄にも、「金橋」の最新刊では、周総理と私との会見40周年を特集してくださいました。
 忘れ得ぬ一期一会の会見の折、周総理が私に、“今後、私たちは世々代々でいきましょう”と呼び掛けてくださったことが、鮮やかに蘇ってまいります。
 永遠の世々代々の友好と平和へ、「革心」という周総理、鄧先生の希望の哲学を胸に刻み、新たな金の橋を築いていきたいと思うのであります。
 貴・南開大学は、日本軍の侵略の中、災禍を逃れるために昆明に拠点を移し、北京大学、清華大学ととも西南連合大学して、学究を全うして、「学府北辰」と言われたことは有名な歴史です。
 いかなる苦難の状況にあっても、不動の北辰(北極星) のごとく、世を照らす英知の光を放ち、綺羅星のごとき人材を送り出していかれたのであります。
 周総理は、力強く叫ばれました。「共通の積極的な発展目標があれば、消極的な気持ちや不満の対立感情をのりこえることができる」(中共中央文献編集委員会『周恩来選集』外文出版社)と。
 青年が大情熱に燃えて、平和友好の対話を貫いてくれる限り、何も恐れるものはありません。
 若人らしく胸襟を開き、闊達に「未来に向かう友誼の心」を語り合いながら、21世紀の世界を照らす北辰(北極星)を輝かせてくださることを心から念願し、私のメッセージといたします(大拍手)。
2015-06-14 : スピーチ・メッセージ等 :
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随筆 民衆凱歌の大行進 No.23 幸の教養博士 万歳!

随筆 民衆凱歌の大行進 No.23 (2015.6.8付)

幸の教養博士 万歳!

「創価の母」は希望の太陽!
苦難に負けない!その体験が平和を創る


 太陽は
  創価の母の
    異名なり
 幸《さち》と平和の
  光いやまし

 本当に教養ある人とはどのような人だろうか。
 スイスの哲学者ヒルティの答えは明快だった。
 それは「常にあらゆる善に対して感激と熱意とを持っている」人なりと。
 私には、創価の女性たちの姿と重なり合う。
 来る日も来る日も、友の幸福と社会の平和という「大善」に向かい、感激と熱意を持って行動を貫いているからだ。
 生命尊厳の仏法を源泉として、皆が仲良く希望に生きるための智慧を発揮し、価値を創造しゆく女性たちこそ「幸の教養博士」とはいえまいか。
 今月の10日、結成64周年の記念日を迎える婦人部の皆様に、私たちは、感謝を込めて、万歳を轟かせたいのだ。

素晴らしい笑顔
 “新たな地球文明のリーダーを育成する大学”として高い評価を得ている、わがアメリカ創価大学(SUA) では、先月、第11回の卒業式が晴れやかに行われた。
 平和を願う世界中の母たちの期待に応え、皆、眩しいばかりに成長し、羽ばたいてくれている。
 このSUAのキャンパスには、“アフリカの環境の母”マータイ博士の名を冠したイチジクの木が、みずみずしい緑の葉を茂らせる。
 10年前、来日中のマータイ博士とお会いした折、私が植樹を提案させていただいた木である。
 マータイ博士は、ケニアで活躍する創価同窓の女性リーダーに、「世界中のどこに行っても、創価の人たちが一番、幸せそうですね」と語られていた。また生き生きとしたメンバーの表情に、「どうしたら、こんなに素晴らしい笑顔になるのですか」とも質問しておられたそうだ。
 世界中を魅了した「マータイ・スマイル」の持ち主がこよなく愛されたのは、「創価の女性の笑顔」だったのである。
 わが婦人部の「実践の五指針」には、「わが家は和楽の前進」「後継の人材を伸ばす」とある。
 皆様の輝く笑顔ありてこそ、家庭にも、地域にも和楽が広がり、人材が育っていくのだ。

意思あれば道が
 「実践の五指針」には、「祈りからすべては始まる」ともある。
 日蓮大聖人は「ただ心こそ大切なれ」(御書1192㌻)と仰せである。
 心は、目に見えない。だが、その心一つで、目に見える現実も大きく動かしていける。妙法という生命の大法則に合致した、一人の心の革命によって、自分の人生も、社会も、国土も必ず変ていくことができる。
 そう説き明かしたのが、日蓮仏法の「一念三千」の法理である。
 自他共の幸福を祈る信心の発露のすべてが、「我が一念に納めたる功徳善根」(同383㌻)となる。全部「心」で決まる。
 このことを証明する気高き劇を、それぞれが希望のヒロインとなって演じてくれているのが、婦人部の皆様方である。
 「意志あるところ、必ず道あり」とは、オーストリアの声楽家サイフェルト博士のモットーである。
 博士は、最愛のご主人を亡くされるなど、つらく悲しい経験をご自身の成長の糧とされながら、人びとに勇気と歓喜の歌声を届けてこられた。
 大聖人は、一人の母に「軍《いくさ》には大将軍を魂とす」(同1219㌻)と、強盛な信心の志に立つよう励まされた。
 祈りとは、“断じて為す”という意志であり、誓願である。それが母の胸にある限り、栄光の未来への大道は、必ず開けゆくことを忘れまい。

三代の師弟の夢
 サイフェルト博士が、私との対談の折、感動をもって語ってくださったことがある。
 それは、ご自身の音楽の師と共演したいという長年の“夢”が叶った喜びであった。師と弟子が同じ舞部に立つ。その感激はいかばかりか。いかなるが分野でも、師弟の道は限りない向上の道となる。
 戸田先生の薫陶なくして、今の私はない。ゆえに私は、“恩師の夢を実現すること”を、わが生涯の夢としてきた。師ヘの報恩とは、師の夢を叶え、師に喜んでいただくことだ──そう心に固く決めてきた。
 戸田先生が先師・牧口先生の心を心として、強く願われていたことは、「すべての女性が幸福をつかむこと」であった。
 戦争で最も犠牲になり、最も苦しめられた女性が、最も幸福になれる平和な社会を!
 その悲願を懸けて、戸田先生は、第2代会長就任の直後に婦人部を結成されたのである。
 さらに女子部を結成された戸田先生は、常々、「女子部は教学で立て」と励まされていた。
 今月4日、記念の佳節を刻んだ日本中、世界中の華陽姉妹は、「華陽会御書30編」読了運動を推進しながら、明るく、伸び伸びと、ロマン薫る対話に挑戦している。
 “婦女一体”の麗し前進に、恩師も、そして6日に生誕144周年を迎えた先師も、会心の笑顔で拍手を送っておられるに違いない。

地域社会の光と
 婦人部の五指針には、「地域と社会を大切に」とも掲げられている。
 婦人部の地域社会への貢献こそ、時代を照らす光である。今月、「部の日」を迎える団地部、また地域部、農漁光部、離島部にあっても、女性の活躍が目覚ましい。
 地域の身近な隣人たちと「立正安国」の対話をたゆまず繰り広げる主役も、婦人部の友である。
 グループ単位での婦人部総会がいよいよ始まっている。この少人数の集いこそ、地域社会の共生と共栄の直道であり、世界平和の縮図である。
 文豪ゲーテも、互いの行動と体験を共有する、楽しい談話によって「ことばはそれだけひときわ実りゆたかなものとなり、精神を高めるものとなる」と訴えていた。
 苦難を越えた母たち、女性たちの体験から紡ぎ出される言葉には、勇気を呼び覚ます力がある。
        ◇
 五指針の最後には「生き生きと体験を語る」と示されている。
 聖教新聞や大白蓮華に対して、読者から特に大きれ反響が寄せられるのも、体験談である。
 東北の岩手県久慈市に、90歳になる婦人がおられる。
 貧乏、家族の死……沢山、辛苦を味わった。だが断じて負けなかつた。
 “宿命に泣き流されてはいけねんだ。朗らかに挑戦していけば、どんな宿命も転換されていくものでねすか”──
 幾十星霜、試練を一つ一つ乗り越え、生命の財《たから》と輝かせてきた“多宝の哲人”の至言である。母の姿は友の安心と希望の灯火《ともしび》となっている。
 何があっても、たじろがない。嘆かない。たとえ、今が悔し涙の連続であろうと、無敵の祈りは、一切のを栄光を歴史に昇華してゆくのだ。

幸福を広げる人
 重い障がいのある娘を育てつつ、『母の肖像』『大地』等の名作を世に問い、平和運動に邁進したアメリカの女性作家パール・バックは叫んだ。
 「最も悲しみに満ちた行路を歩んでいる間に、人の精神はすべて尊敬に値することを知りました」
 最も深い悲しみから立ち上がった人は、最も深い哲学を学んだ、最も深い慈悲の人だ。
 最も大きな苦しみを乗り越えた人は、最も大きな境涯を開き、最も大きな幸福を広げゆく人だ。
 この人間革命の体験を友に語り、分かち合う、母たちの行動が「幸福と平和と勝利の道」を創り開くのである。
 「広宣流布は、女性の力で成し遂げられる!」
 恩師のこの確信は、私の胸にも、絶対の確信として輝き渡っている。
 母の祈りは、皆の心を動かさずにはおかない。母の言葉は、友の胸を揺さぶらずにはおかない。
 世界の女性リーダーの方々も、私たち宝の友として連帯されている。
 サイフェルト博士からは、つい先日も、「創価の婦人部との交流を通して学び合っていけることは、大きな喜びです」との伝言が届けられた。
 インドネシアの故ワヒド元大統領夫人のシンタ・ヌリヤさんも、今回の婦人部総会に真心の祝福を寄せてくださった。
 夫人は“女性は国の柱である”等の英知の言葉を紹介されるとともに、「すべての人は母から生まれてきます。その人たちが人類を救っていくのです。母がいるからこそ平和になれるのです」と語られている。
 さあ、強く朗らかに、また堂々と、自身の体験を、創価の正義を、語り抜こうではないか!
 偉大なる幸の教養博士よ、万歳! 人間世紀の母たちよ、万歳!

 幸福の
  博士と生き抜け
   恐れなく
 希望の智慧で
   友を照らして

 ヒルティの言葉は『幸福論(第二部)』草間平作・大和邦太郎訳(岩波書店)、ゲーテは『ゲーテ全集8』所収「ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代」登張正實訳(潮出版社)、バックは『母よ嘆くなかれ』伊藤隆二訳(法政大学出版局)。
2015-06-12 : 随筆 民衆凱歌の大行進 :
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池田SGI会長指導選集 「幸福と平和を創る智慧」 第2部 第11章 11-1〜11-7

池田SGI会長指導選集 「幸福と平和を創る智慧」

第2部 人間革命の実践

第11章 「病によりて道心はをこり候」


この章を読むに当たって

 生老病死は戦いです。なかんずく、病とどう向き合い、どう乗り越えていくかは、万人が直面する課題といえます。仏法の叡智は、病気を、忌《い》むべきものではなく、仏の境涯を開きゆく人間革命の契機と捉えます。
 かつて、池田SGI会長は、夫が病に倒れた婦人部の友を、力強く励ましました。
 「断じて健康にしてみせるという強い祈りに立つことです。その一念通りに開かれていきます。それが一念三千の仏法です。
 病魔に紛動されてはいけない。『私たちの人生は楽しい人生だ。何があっても幸福な人生だ』と決めていくのです。『どんな状況であろうと、最高に幸福な我が家を築いてみせる』―― この一念でいくんです。
 『南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはり《障》をなすべきや』です。たとえ病気であったとしても、それが幸福への妨げにはならない。むしろ『病ある人仏になる』と捉えるのが仏法です。
 仏法の眼から見れば、三世から見れば、全て、幸福になるための、成仏していくための姿なのだから、何も心配ありません。ご主人と一緒に、朗らかに、堂々と、勝利の人生を生ききってください」
 仏法に生き抜く人は、何があっても楽しく、何があっても朗らかに、病をも人生勝利の原動力に変えていくことができます。本章では、この仏法の智慧に基づいた池田SGI会長の哲学と洞察を収めています。

 11-1 病気と闘いが生命を健康にする

 御書に「このやまひは仏の御はからひか・そのゆへは浄名経・涅槃経には病ある人仏になるべきよしとかれて候、病によりて道心はをこりて候なり」(1480㌻)と仰せです。病気によって、信心を深め、仏の境涯を開くことができるのです。ここでは、そうした病気の捉え方を明確に示しています。

【池田SGI会長の指針】
◎『健康の智慧』から 
                  (1997年2月刊)

 「生」「老」「病」「死」を四苦といって、仏法は「病苦」を人間の根本的苦悩の一つとしています。その解決をめざすという点では、医学も目的は同じだと思います。心身ともに、はつらつと、充実した日々を生きるには、何が必要なのか――。
 「病気がない」だけが「健康」なのではない。一生涯、何かに挑戦する。何かを創造する。前へ前へと自分の世界を広げていく――この〝創造的人生〟こそ真の〝健康人生〟ではないだろうか。
 戸田先生は、現代人に二つの誤りがあると言われていた。一つは「知識と智慧」の混同。もう一つは「病気と死」の混同です。
 「知識と智慧」はイコールではない。その関係については、いろいろ論じられます。
 今、医学と仏法について、大ざっぱに言えば、医学は「知識」を使って病気と闘う。一方、仏法は、人間の「智慧」を開発して、自身の生命のリズムを調整する。また生命力を高める。そうすることによって、医学知識の助けを得ながら、みずから病気を克服する、という関係になるのではないだろうか。
 要するに、「医学」を無視したり、否定するのは愚かです。それでは〝狂信〟になりかねない。病気を克服するためには、「医学」を賢明に活用することです。その「智慧」を引き出すのが仏法です。
 「健康」も「智慧」です。「長生き」も「智慧」です。「幸福」には「智慧」が必要なのです。「健康の世紀」とは、「智慧の世紀」と言えるでしょう。
 「病気」と「死」について、「病気」は必ずしも「死」にはつながらない。御書に「病によりて道心はをこり候なり」(1480㌻)と仰せのように、病気が自分自身を見つめ、生命と人生を見つめる大きなきっかけになる場合がある。
 病気と闘うからこそ、人生の裏表もわかるし、不屈の精神力も鍛えられるのです。私自身も幼いころから病弱だった。結核のせいもあって、医師から、30歳まで生きられるかどうか、と言われた体です。しかし、だからこそ病弱な人の心もわかるようになった。だからこそ、一瞬一瞬を大切に生きよう、片時もむだにせず、生あるうちになすべきことをなそう、と完全燃焼で生きてこられたのです。
 体が健康でも生命が病んでいる人は、たくさんいる。体が病気でも、生命それ自体は健康である人もいます。また、生きているかぎり、何らかの病気はあるでしょう。だから、どう病気と上手につきあうか、という智慧が大事なのです。

 11-2 「少老病死」を「常楽我浄」に

 SGI会長は折々に、病気と闘う友に、病に負けずに常楽我浄の人生をと、温かな励ましを送っています。


【池田SGI会長の指針】
◎『若き君へ――新時代の主役に語る』から
  
             (2012年7月25日、26日、27日、「聖教新聞」掲載)

 「生老病死」は誰も逃れられない。その意味で、一生が病との闘いです。ゆえに、病気を恐れることはない。しかし、侮ってもいけません。迅速に具体的な治療に励むことが大切です。
 御聖訓には「この病は仏のお計らいだろうか。そのわけは、浄名経、涅槃経には病がある人は仏になると説かれている。病によって仏道を求める心は起こるものである」(御書1480㌻、通解)と御断言です。
 病気という苦難を糧にして、自分の信心を強め、境涯を深め広げていくことができるのです。
 病気との闘いは、妙法に照らして、永遠の次元から見れば、すべてが幸福になり、勝利するための試練です。
 健康は、何があっても負けない自分自身の前向きな生き方の中にこそあるのです。「生老病死」の苦しみを転じて、最高の「常楽我浄」の人生を勝ち抜いていくのです。これが「創価」の生命です。
 病気になることは、決して敗北などではない。信心が弱いからでもない。広宣流布に生き抜く中で起きた病気という苦難は、成仏を阻もうとする魔の働きである。ゆえに、怯んではならない。
 勇敢に立ち向かって、一生成仏を勝ち開いていく勇気を教えられているのです。
 大事なことは、病気になった時にこそ、いよいよ強盛の大信力を奮い起こしていくことです。今こそ、信心の偉大な力を発揮するのだ! 人間として大きく飛躍するのだ! と腹を決めて、題目を唱えていくのです。
 「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはり《障》をなすべきや」(同1124㌻)です。あらゆる病苦を打開する根源の力が、妙法にはある。妙法は最強の「生命の大良薬」です。戸田先生もよく「人間の体は一大製薬工場だ」と言われていました。
 今、受けている治療が最高の効果を発揮していくよう、全身に仏の大生命力を現して病魔を打ち破っていくよう、祈り抜き、祈り切ることです。信心を根本に戦っていくならば、必ず一切を変毒為薬できます。
 「妙とは蘇生の義」(同947㌻)です。
 大聖人は、病気の家族を抱えた門下に、こう仰せです。
 「それは、決して鬼神の仕業ではないでしょう。十羅刹女が、信心の強さをお試しなのでしょう」(同1544㌻、趣意)
 諸天善神が守らないわけがない。絶対に一家で乗り越えられると励ましてくださっています。
 御書には、「大闇《おおやみ》をば日輪(=太陽)やぶる」「法華経は日輪のごとし」(1114㌻)とも仰せです。妙法を唱え、実践する私たちの胸中には、赫々たる希望の太陽が昇る。あらゆる闇を打ち晴らし、どんな宿命の鉄鎖をも断ち切っていけるのです。
 自他共の病気との闘いの中で、人間として本当に輝く健康体を勝ち取っていくことができる。ゆえに、一切を御本尊に任せて祈るのです。臆さず、粘り強く、戦うのです。断じて負けてはいけない。一歩も退いてはいけない。最後は必ず勝利するのだから!
        ◇
(うつ病など心の病について)
 長い人生だし、決して焦る必要はありません。専門家に相談して、じっくりと適切な治療を行っていただきたい。
 皆、いろいろな状況がある。一律に「こうすればいい」という処方箋はありません。
 でも、一点。妙法を持《たも》った皆さんが不幸になることは絶対にないと、私は断言できます。
 周りの人は、病気で苦しむ本人を温かく、また長い目で見守りながら、ご家族に真心からの励ましを送っていただきたい。
 側《そば》で支えてくださっている方々は大変です。時には工夫して、休息をとっていただきたい。
 心の病を抱えた人を大切にすることは、本当に深い慈悲の境涯を開いていくことです。豊かな人間性の社会を築いていくことです。
 ともあれ、悩んだ人ほど偉大になれる。つらい思いをした人ほど、多くの人を救っていける。偉大な使命があるんです。これが仏法です。菩薩道の人生です。
 戸田先生は「時には、〝貧乏菩薩〟や〝病気菩薩〟のように見えるかもしれない。しかし、それは人生の劇を演じているんだよ。正真正銘の地涌の菩薩なんだ」と、よく言われていた。
 また「大病を患った人は人生の深さを知っている」と語っておられた。全部、意味があるのです。
 日蓮大聖人は「三千大千世界(大宇宙)に満ちる珍宝をもってしても、命に替えることはできない」(同1975㌻、通解)と仰せです。病気の姿を現していても、その生命の偉大さ、尊さ、素晴らしさには何の変わりもありません。皆さん全員が、一人も残らず、最高に尊貴な宝の存在なのです。

 11-3 題目は生命力の源泉

 病気と向き合い、病気を人間革命の契機としていく原動力こそ、題目であると訴えています。

【池田SGI会長の指針】
◎代表幹部会でのスピーチから 
         (2005年8月15日、長野)

 私と妻は、全ての同志の「健康勝利の前進」を毎日、真剣に祈っている。
 なかには、病と懸命に闘っておられる方もいらっしゃるだろう。しかし、病気だから不幸なのではない。病気だから立ち上がれないということはない。妙法を持《たも》った人間が、不幸になるわけがない。
 スイスの哲学者ヒルティは言う。
 「病気は、より高い人生の階段を登ってゆく通路にすぎない」(『病める魂』斎藤栄治訳、『ヒルティ著作集』8所収、白水社)
 病気をした人は、その分、人のことを思いやれる。慈愛が深まる。病気は、いろいろなことを教えてくれる。死を見つめたり、生きる意味を考えたり、人生のかけがえのなさが見えてくるものだ。すべて、より高い人生の頂へと登っていくための通路なのだ。教科書なのである。いわんや、妙法を根本にすれば、 一切が「幸福のエネルギー」となり、「向上の糧」となっていくのである。
 戸田先生は、大確信をもって言われた。
 「(御本尊の利益は)生命力が絶対的に旺盛になるということである。生命力が旺盛であれば、悩みだ、苦しみだ、貧乏だなどと、いろいろな愚癡をいう世界が、明るい楽しい世界に変わる」
 「題目の力は偉大である。苦しい業を感ずる生命が、あたかも美しい花園に遊ぶがごとき、安らかな夢のごとき状態に変化するのである」
 苦しい時こそ題目。行き詰まったら題目だ。題目をあげれば、生命力がわく。勇気きがわく。状況も変えていける。信心は、 一切の勝利のエンジンなのである。

 11-4 病も価値創造の原動力に

 仏法の智慧は、病気をも価値創造の力にしていくことができます。病魔と闘い、断じて生き抜こうとする強い一念に立ってこそ、偉大な人間革命を成し遂げることができるのです。


【池田SGI会長の指針】
◎『御書の世界』から
               (第3巻、2005年3月刊)

 よく戸田先生が語られていた。
 「病気になるのも自然の道理です。同時に、病気になった体から、病気を治す力
ちからも人間には備わっている」
 御書に「三界《さんがい》之相《しそう》とは生老病死なり」(753㌻)と仰せです。病気そのものも人生の一つの相である。
 病気になるから人生の敗北があるのでは断じてない。
 まして、「病気になったから信心がない」などと、周囲の人が決めつけるのは、あまりにも無慈悲です。病気と闘う友には、心から励ましてこそ同志愛です。
 門下が病気になった時は、大聖人御自身が、全力で励まされている。
 病気と闘う力の究極が、南無妙法蓮華経の師子吼です。
 「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはり《障》をなすべきや」(御書1124㌻)との仰せを絶対に忘わすれてはならない。
 病気との対決を通して、新たな生命の充実をもたらしてこそ価値創造の人生です。だからこそ、あらゆる障魔と戦い抜く師子王の心が大切になってくる。
 「負けない魂」「負けじ魂」です。だからこそ日々、「信」「行」にわたり、また自行化他にわたって南無妙法蓮華経と唱え、いかなる病魔にも狂わされない強き信心の一念を鍛えていくことが大切なのです。
 大聖人は、富木尼が重い病気になった時に、何度も何度も激励を繰り返されていました。勇気を吹き込まれていた。
 〈大聖人は「尼ごぜん又法華経の行者なり御信心月のまさるがごとく・しを《潮》のみつがごとし、いかでか病も失せ寿《いのち》ものびざるべきと強盛にをぼしめし身を持《じ》し心に物をなげかざれ」(975㌻)と激励されています〉
 「なげかざれ」です。戦う心が大切です。法華経の行者としての気迫です。また「身を持し」とも仰せです。病気を治すための、しっかりとした行動が大事です。
 最初から〝病気に負けよう〟なんて思っている人はいない。しかし、病気のために、生活や仕事に支障をきたし、弱気になり、絶望感が募るような場合もある。
 おそらく、富木尼の場合も、なかなか良くならないことから、あきらめの気持ちが芽生えてしまったのかもしれない。大聖人は、〝生きて生きて生き抜きなさい〟と指導されている。
 〈富木尼に与えられた「可延定業書」に、「命というものは、この身の中で一番貴重な宝です。一日であっても命を延ばすならば、千万両もの莫大な金にもまさるものです。(中略)早く志の財を積み重ねて急いで急いで病を治しなさい」(同986㌻、趣意)とある〉
 もちろん、信心していて短命の場合もある。しかし、必ず深い意味がある。人生の価値は寿命の長さで決まるものではない。
 「百二十まで持《も》ちて名を・くた《腐》して死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ」(同1173㌻)と仰せです。
 ただ、ここで大聖人が富木尼に強調されているのは、「志の財」と仰せのように、「生きぬこうとする意志」です。意欲と言ってもいいかもしれない。
 私たちの一日の生命は、広宣流布に直結した生命です。一日の活動が、そのまま広宣流布の大願成就につながっていく。
 だから絶対に病魔、障魔に負けてはならない。
 大聖人は、病は仏の御《おん》はからいであると仰せられている。病によって求道心が起こるからです
 私たちが、現実社会の万人に向かって、慈悲の振る舞いをするための長寿であり、健康です。
 もちろん、自分自身のために健康・長寿を祈っていくことは当然です。まして不節制や油断から、自分の健康を損ねてしまっては反価値的行為です。
 生活は賢くなければいけない。その日のうちに疲れを取るとか、疲れたら休むとか、賢明な行動で健康は勝ち取るものです。健康は賢者の勲章です。
 そのうえで、何のための健康なのか、何のための長寿なのか。法のため、家族のため、同志のため、民衆のため、わが使命の実現のため、広宣流布の大願成就のための健康・長寿です。
 大事なことは、広宣流布のなかで戦う生老病死です。その姿そのものが、三世永遠の常楽我浄の実証です。
 生老病死は忌むべき苦悩ではなく、常楽我浄の凱歌をとどろかす生命の舞台です。私たちは、生老病死のドラマを通して、人間勝利の歓喜の劇を演じているのです。

 11-5 題いかなる病も幸福への障害にはならない

 小説『新・人間革命』では、関西を訪問した山本伸一会長が、体調が優れない壮年部の友を励ます場面が描かれています。

【池田SGI会長の指針】
◎小説『新・人間革命』第10巻「桂冠」から 
        (2001年10月刊)

 「寿量品に『更賜寿命』(更に寿命を賜う)とありますが、死ななければならない寿命さえも延ばしていけるのが仏法です。強盛に信心に励んでいくならば、ほかの病が克服できないわけがありません。どうか、たくさんお題目を唱え、うんと長生きをしてください」
 「大聖人は、病の原因について、天台大師の『摩訶止観』を引かれて、こう述べられています。『一には四大《しだい》順《じゅん》ならざる故に病む・二には飲食《おんじき》節ならざる故に病む・三には坐禅調わざる故に病む・四には鬼《き》便りを得《う》る・五には魔の所為・六には業の起るが故に病む』(御書1009㌻)」
 ──この意味を詳述すると、次のようになる。
 最初にある「四大順ならざる」の四大は、地・水・火・風をいう。東洋思想では、大自然も、また人間の身体を含めた宇宙の万物も、四大から構成されていると教えている。「四大順ならざる故に病む」とは、気候の不順等で大自然の調和が乱れると、人間の身体に重大な影響をもたらし、各種の病気が発生することをいう。
 第二の「飲食節ならざる故に」と、第三の「坐禅調わざる故に」は、飲食と生活の不節制のことである。
 生活のリズムが乱れ、その結果、食生活が不節制になったり、また、運動不足や睡眠不足になると、内臓や神経、筋肉の病気につながっていくことをいわれたものである。
 さらに、第四の「鬼便りを得る」の鬼は、身体の外側から襲いかかる病因であり、細菌、ウイルス等々の病原性微生物もあれば、外界からのさまざまなストレスも、ここに含まれるといえる。
 第五の「魔の所為」とは、生命に内在する各種の衝動や欲求などが、心身の正常な働きを混乱させることである。この「魔の所為」によって、仏道修行を妨げるための病が起きる。
 第六の「業の起るが故に」は、生命の内奥から起こる病気の原因である。生命自体がもつ歪み、傾向性、宿業が、病気の原因になっている場合をいう。仏法では、この生命の歪みを「業」ととらえているのである。
 病気の原因は、このように六種に分けて考えることができるが、具体的な病気について分析してみると、これらのうちの、幾つかの原因が重なり合っている場合が多い。
 インフルエンザの流行を例にとれば、ウイルスが原因であり、それは「鬼便りを得る」にあたると考えることができる。しかし、この「鬼便りを得る」には、気候の不順等、つまり「四大順ならざる」ことが引き金になったり、「飲食節ならざる」生活から体力を弱め、それが機縁になったとみることもできよう。
 さらに、その奥には、仏道修行を妨げようとする魔の働きがあったという場合もあるし、人によっては、「業」まで考慮しなければならない場合もある。
 伸一は、この病の起こる六つの原因を、御書の御文に即して、詳細に説明していった。
 「つまり、病気を防ぐには、まず、環境の変化に適応できるように、衣服などにも十分に気をつけることが大事です。また、規則正しい生活をし、暴飲暴食を慎み、運動不足、睡眠不足にならないようにすることです。
 これで、三番目までの病の原因は除けます。この予防のための知恵を働かせていくことが信心です。また、医学の力を借りることによって、第四の細菌などによる病の原因も、除くことはできます。ただし、どんな病気でも、それを、どれだけ早く治せるかどうかは、生命力によります。その生命力の源泉こそ、信心なんです。
 また、同じ病気であっても、その根本原因が『魔』と『業』によるものである場合には、いかに医学の力を尽くしても、それだけでは治りません。
 御本尊への強い信心によって、『魔』を打ち破り、『業』を転換していく以外にないんです」
        ◇
 (〝糖尿病で、インシュリンの注射を続けているが、医師から、一生、治らないと言われ、人生の希望を断たれたように感じている〟との壮年の声に)
 「強盛に信心に励んでいくならば、持病があっても、必ず希望に満ちあふれた、最高に幸福で、充実した人生が歩めます。御書には、『南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さは《障》りをなすべきや』(1124㌻)と仰せです。南無妙法蓮華経は師子吼です。その声を聞けば、どんなに獰猛な動物も逃げ出すように、いかなる病も、幸福への、また、広宣流布への障害にはなりません。
 現代人は、みんな〝半健康〟であるといわれるぐらい、なんらかの病気をかかえているし、年齢とともに、体も弱っていきます。
 では、病気だから不幸なのか。決して、そうではない。病に負けて、希望を失ってしまうから不幸なんです。広布の使命を忘れてしまうから不幸なんです。
 体は健康でも、精神が不健康で、不幸な人は、たくさんいます。反対に、病気をかかえたり、体が不自由であっても、自らも幸福を満喫し、人をも幸福にしている同志もいる。
 生命の根源においては、健康と病気は、本来、一体であり、〝健病不二〟なんです。ある時は、健康な状態として現れることもあれば、ある時は病気の状態となって現れることもある。この両者は、互いに関連し合っているがゆえに、信心に励み、病気と闘うことによって、心身ともに、真実の健康を確立していくことができるんです」
 インシュリンの注射を続けることは、大変かもしれない。でも、考えてみれば、人間は、毎日、食事をし、睡眠をとらなければ、生きていけないではないですか。そこに、もう一つ、やることが加わっただけだと思えばいいではないですか。打ちひしがれていても、何も開けません。
 あなたの場合は、病気をかかえていても、『あそこまで、元気に生きられるんだ』『あれほど、長生きができるんだ』『あんなに幸福になれるんだ』と、同じ病をもった方が、感嘆するような、人生を歩んでいってください。そうすれば、仏法の力の見事な証明になります。それが、あなたの使命です。絶対に、自分に負けてはいけない。頑張るんです。挑戦し抜くんですよ
 広宣流布に生き抜く人を、大聖人がお守りくださらないはずがありません。
 大聖人は、南条時光が病にかかった時、お手紙に、こう記されています。
 『鬼神め《奴》らめ此の人をなやますは剣《つるぎ》をさか《逆》さまに・のむか又大火をいだくか、三世十方の仏の大怨敵となるか』(御書1687㌻)
 日蓮門下を病で苦しめる鬼神は、『剣《つるぎ》を逆さまにして飲むことになるぞ。大きな火を抱き、身を焼かれることになるぞ。全宇宙の仏の大怨敵になるぞ』と、鬼神をも激しく叱咤し、門下を守ってくださっている。
 私たちは、この大聖人の大確信、御一念に包まれているんです。
 ですから、皆さんも、『鬼神めらめ! 絶対にお前たちなどに負けるか!』という大信念と不屈の心をもつことです。勇気を奮い起こすことです。
 かつては、私も病弱で、医者からは、『三十まで生きられないだろう』と言われていた体です。しかし、今は、元気になり、どんな激務にも耐えられるようになりました。
 皆さんも、必ず健康になれます!」

 11-6 信心とは律じ抜くこと

 病病気の苦しみや死の恐怖を乗り越えて、荘厳な生のドラマを綴り残した一人の少女の話を紹介しながら、たとえ病気を抱えたままであっても、強盛な信心を貫いていけば、必ずや勝利の人生を飾っていけると語っています。


【池田SGI会長の指針】
◎『青春対話2』から 
                  (2000年9月刊)

 「生と死」の法則 は、全宇宙に通じる普遍的なものです。しかし、その表れ方は、どこまでも個別的であり、人によって千差万別です。あまりにも複雑に、いろいろなものがからみ合っている。
 たとえば、「定業《じょうごう》」と言って、その人の過去世の行いによって、寿命とか根本的な軌道が決まっている面がある。
 また「不定業《ふじょうごう》」と言って、報いを受けるかどうか決まっていないものもある。病気に譬えれば、定業は「重病」であり、不定業は風邪みたいな「軽病」です。
 だれが悪いのでもない。「自分は、どうして、こんな家に生まれたんだろう」「自分は、どうして、もっと美人に生まれなかったんだろう」とか悩む人もいるだろうが、全部、自分の過去の「行い」が招いた結果です。
 業《ごう》とは「行い」のことです。心に思ったこと、口で言ったこと、実際にやったこと、そういう「行い」が、すべて自分の生命に刻まれる。善の行いをすれば、幸福な善い結果が、悪の行いをすれば、不幸な悪い結果が、いつか出てくる。
 生命に刻まれた善悪のエネルギーは、死によっても消えない。次の生へも続いて、持ち越していく。「エネルギー不滅の法則」に似ているかもしれない。
 そういう「宿業」も、しかし日蓮大聖人の仏法では全部、転換できるのです。
 定業も転換できる。いな、転換しなければならない。
 どんな苦しいことがあろうと、最後の最後まで生きぬき、戦いぬき、勝たねばならない。最後に勝てば、その人が「人生の勝者」です。途中で決まるのではない。最後に勝てば、それまでのすべてが「意味があった」と言える。
 最後に負ければ、それまで、どんなに順調でも、すべて無意味になってしまう。
 (たとえ病気が治らなくとも)本当に強盛な信心を貫いて死んだ場合は、その人は「勝った」のです。
 自分が病気で苦しみながら、最後まで広布のために祈り、友のために祈り、周囲の人を励ましながら亡くなった人も、いっぱいいます。
 そういう生き方、死に方が、どれほど多くの人に「勇気」を与えたかわからない。すぐに健康な体で生まれてきます。
 ある少女は、11歳のときに脳腫瘍になり、14歳で亡くなった。
 しかし、病院の大人の人たちにも「明るさを分けてあげる」くらい快活に振る舞っていた。病気が、どんなに苦しかったか、わからない。しかし彼女は題目をあげぬいて、皆を励ましていった。
 そして最後には、お見舞いにきた人に、こう言っていた。
 「私ね、病気なんて、どうなってもいいんだ。自分のこと祈るのなんか、もうやめたの。私より不幸な人がいるんだもの。その人が、この信心をやって、一日も早く御本尊のすばらしさをわかるように、一生懸命、祈るんだ」
 そして家族にも、にこやかに、こう語ったそうだ。
 「もし、この病気、お父さんがなったらどうする? 困るでしょ! お母さんがなっても困るし、弟がなったら乗り越えられない。だから、私がなってよかったんだよ」
 「私は、きっと生まれる前に、こうなることを約束してきたんだと思うの。だから私を知っている人たちが、私の姿を通して何かを感じてくれたら、それで幸せ」
 私も、少女の闘病を聞いて、「バラの花」を贈った。
 「福光」としたためて扇を贈ったり、あやめが群れ咲く風景を撮った写真も贈った。
 本当に喜んでくれたようです。
 少女が、周囲の人に残した言葉は「信心とは、信じて信じぬくものよ」の一言だった。
 彼女は、その一言を、自分の生き方で示しきったのです。
 葬儀には、長い長い弔問の列が続いた。14年半の生涯に、1000人を超えるであろう人々に、妙法の偉大さを少女は語り続けたのです。
 彼女は「勝った」のです。私はそう思う。全部、意味があった。いな、自分の戦いで、自分の苦悩に意味を与えた。
 〝前世で約束してきた〟という言葉があったが、「願兼於業《がんけんおごう》(願《ねがい》、業《ごう》を兼《か》ぬ)」と言って、「あえて願って、苦しみの姿で生まれ、その苦しみと戦い、打ち勝つ姿を見せて、人々に仏法の力を教える」生き方がある。菩薩の生き方です。
 信仰者が、初めからすべてに恵まれていたならば、人々は仏法のすごさを知ることができない。
 だから、あえて悩みの姿で生まれて、「人間革命」してみせるのです。劇です。ドラマみたいなものです。

 11-7 病魔を笑い飛ばして


 病魔に負けずに晴れやかに勝ち越えた婦人部の友の姿を通して、何があろうと希望を失わず、冬を春に変えていく強盛な信心を貫くことの大切さを語っています。


【池田SGI会長の指針】
◎『母の詩』から 
                    (1997年8月刊)

 ある日、婦人部の会合の終了後であった。私のよく知る婦人が入院するという報告を受けた。学生時代からずっと見てきたし、ご両親もよく存じ上げている。
 あごの下にしこりができ、気になったので診てもらったところ、まだ病名は定かではなかったが、どうも軽い病ではないらしい。日ごろ、まったく健康で、元気いっぱいに活動してきた彼女である。まさかと思った。本人自身、どれほど不安なことだろう。
 そう思った私は、すぐに歌をよみ、伝言として託した。

 堂々と 生き抜ぬけ 勝ち行け
    病魔をも 笑い飛ばして
     長寿の 王女と

 その翌日、あらためて色紙にしたためて、贈らせていただいた。
 いよいよ入院するという前日、重ねて伝言した。
 「心配することはありません。毅然としていきなさい。妻も祈っています。安心して、何と言われようとも、病気に対して臆病ではいけない。負けるようではいけない。心配することはないよ。お元気で」と。
 そして、翌日(入院日)も、またその翌日も、私は、伝言を託した。連日、検査が続いているはずだったから、少しでも励ましたかった。
 「ともかく朗らかにいきなさい。三世の生命観に立てば〝生も仏、死も仏〟ではないか。生きていて苦しんだのでは損をする。何があっても朗らかにいくことが大事です」と。
 私の代わりに、婦人部の方にお見舞いに行ってもらった。彼女はとても元気で、私の伝言を本当に喜んでくれ、しっかり病魔と戦う決意で祈っている、と報告してくれた。
 半月後、検査結果が出るという前日、私はまた伝言を、電話で伝えてもらった。
 「元気にしていますか。私がしっかり祈っているから大丈夫だよ。必ず良くなる。病気をしたことで、祈りが深くなるし、体験となって力になる」と。
 検査の部果は、悪性のリンパ腫。お腹の奥に、握りこぶし台の腫瘍も認められた。手術はできないので、化学療法で抗ガン剤を点滴で投与。月1回ずつ10回続ける。2、3カ月入院し、あとは通院で行うとのこと。
 医師からは、髪の毛が抜けること、食べられなくなったり、気分が悪くなるなどの強烈な副作用があることが伝えられたという。
 それまで、痛いとか、苦しいとか、自覚症状はまったくなかっただけに、彼女は初めて″命にかかわる〟という実感をもった。お年をとられたご両親はじめ家族の衝撃は大きかった。どれほど心痛され悩まれたか、察するにあまりある。
 彼女からは、決意の手紙が届いた。
 「先生の重ねての激励のおかげで、冷静に受け止めることができました。『病魔を笑い飛ばして』との言葉どおり、朗らかに戦いきって、必ず乗り越えてみせます」
 心が決まった人は強くなる。腹を決めた祈りは、生命力をますます強めていく。  病棟は、皆同じような病の患者ばかり。いかにも辛そうな姿、苦しさのあまり死んだほうがましと言う人。側《そば》で見ていれば、その厳しさは十分わかる。不安も恐怖もあって当然であろう。しかし彼女は毅然として挑んだ。
 第1回の抗ガン剤投与は、不思議と何の苦しみも痛みもなく、無事終わった。喜びにあふれた報告を聞いて、私はうれしかった。
 まもなく髪が抜け始めた。しかし、2回目も無事終了。そして退院が許された。食欲も減退することなく、かえって太るほどだったという。しかも、腹部のしこりは、3分の1に縮小していた。
 その報告が訪問先のロシアに届いた。私はさっそく「おめでとう、無理をしないように」と伝言。妻も絵葉書に「まずは第一段階の勝利です。これからは、焦らずに、完全勝利の日まで、ご養生なさってください。病魔を笑い飛ばしてください」と書いて送った。なんとか、このまま全快してほしいと祈りながら――。
 その後、通院しながら毎月の抗ガン剤投与も順調に進み、終了した。腹部のしこりはほとんど消えていた。約一年間、免疫機能の低下するなか、決して油断はできなかったが、髪が抜けた以外、何の苦しい症状もなく、出勤もし、病気と言わなければわからないほど、明るく元気で過ごせた闘病生活であった。医師も、本当にびっくりされたようだ。
 喜びと感謝にあふれた手紙が、彼女から届いた。逐一、経過は聞いていたが、本当に良かったと思う。私の「病魔を笑い飛ばして」との一言を、いつも自分に言い聞かせ、心の支えにしたとあった。
 今、以前にもまして活躍する彼女のもとに、病気の人からの相談がとみに増えたという。彼女が大病を乗り越えたことを知ってのうえである。
 彼女は、その一人一人に真心こめて、自分の体験を語り、激励している。体験にもとづく確信からの励ましほど、安心と希望を与えるものはない。
 自分自身だけでなく、多くの同じ悩みをもつ人たちに希望を与え、救うことができる。それが、病気を克服した、もう一つの意味であろう。
 いろいろなことが人生には起きる。常に変化、変化である。
 結局、大事なことは、何があっても負けないこと。戦うこと。希望を失わないことである。
 人生も、「これ以上無理だ」とあきらめる自分、「もうこれくらいでいいだろう」と妥協しそうになる自分との戦いである。「断じてあきらめない」「断じて負けない」と、自己との闘争に勝ちゆくことだ。
 苦労を避けてはならない。断じて悩みに勝たなければならない。自分の宝は自分でつくる以外ない。自分自身が自分自身で「良かった」「勝った」と言える人生の価値を創ること、その人が栄光の人、人格の人である。
2015-06-12 : 池田SGI会長指導選集 :
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池田SGI会長指導選集 「幸福と平和を創る智慧」 第2部 第10章 10-1〜10-8

池田SGI会長指導選集 「幸福と平和を創る智慧」

第2部 人間革命の実践

第10章 宿命を使命に

この章を読むに当たって

 「宿命を使命に変える」――この大いなる人間革命の生き方を、池田SGI会長は常々、呼び掛けてきました。
 あるとき、夫人を若くして病気で亡くした友を、こう力強く励ましました。
 「強く生きるんだよ。決して負けてはいけない。
 戸田先生も若いときに奥様と娘さんを亡くされた。先生は、『人は、伴侶や子どもを亡くしたり、大病を患ったり、借金で苦しんだり、大変な宿命に直面してこそ、深い次元の人生を、使命の人生を生きていくことができる』と言われていました。
 誰しも愛別離苦は避けられません。今は順調そうに見える人も、いつか辛いことに直面する。そのときに、あなたは、大きな境涯で皆を励ましていく存在になっていける。宿命を使命に変えていくんです。
 奥さんは、あなたを仏にしようとしてくれている。今こそ、仏になるときなんだよ」
 いつしか壮年の目には、深い使命の光が輝いていました。
 人生は、ある面、思い通りにいかないことの連続といえます。しかし、宿命を使命に変える強い一念の転換があれば、冬は必ず春となります。いな、冬をそのまま春としていけるのです。
 自分の大切な「命」を、何のために「使う」のか。使命を深く自覚した瞬間から、宿命転換と人間革命のドラマは大きく展開していきます。

 10-1 願兼於業の法理

 法華経では、菩薩は人々を救うため自ら願って悪世に生まれてくると説きます。この「願兼於業」の法理を通して、信心に生き抜く人は、いかなる苦悩に直面しても、宿命を使命に変えていけると語っています。

【池田SGI会長の指針】
◎山梨最高協議会でのスピーチから 
        (2006年9月3日、山梨)

 戸田先生は、教えてくだっさた。
 「人生に、苦しみというものはある。
 苦しみがなければ、遊楽という楽しみを、しみじみと味わえないのである。そこが、よくわかると、生きていること自体が楽しくなる。
 それが、信心の極意である」
 さらに先生は、こう指導しておられた。
 「いかなる組織や団体でも、大きくなれば、さまざまな問題や事故はあるものだ。これは必然である。
 しかし、それらの問題を解決しながら、さらに大きく発展させていくのが、妙法の力であり、価値創造なのである」
 苦しみを楽しみに。
 困難を飛躍の力に。
 その原動力が、信心である。学会活動である。
 大変な戦いを乗り越こえた分、宿命を転換できる。より大きな自分になれるのである。
 「信心をしてきたおかげで、こんなにも健康になりました」――。
 私のもとには日々、こういう声が、大勢の方から寄せられる。何よりもうれしい。
 戸田先生は、病気を抱えた同志に対して、こう励まされた。
 「石につまずき、大地に倒れたら、大地に手をついて立ち上がるだろう。
 同じように、病気という宿命を使命にかえ、信心で乗り越えていきなさい」
 「人生に病気がなければおもしろくありません。法華経には、仏も病気になることが説かれています。天台大師が釈していうには、衆生は皆、病気をもっている。そこで、その衆生を救うには、仏自身も、病気をもっていないとつきあいにくいからです」
 法華経には、「願兼於業」(願《ねがい》、業《ごう》を兼《か》ぬ)の法理が説かれている。
 菩薩は、人々を救うことを誓い、その誓いを果たすために、自ら願って悪世に生まれてくるというのである。
 信心に生き抜く時、いかなる苦悩に直面しようと、「宿命」を「使命」に変えていける。
 そして我らには、ともに戦う同志がいる。励ましがあり、希望がある。
 生き生きとした生命と生命の触れ合い――それが、どれほど、健康長寿の活力の源泉となっていることか。
 学会こそ、最極の、「常楽我浄」の安全地帯なのである。

 10-2 地涌の菩薩の誓願に生きる

 末法における広宣流布を誓願し、立ち上がった「地涌の菩薩」としての生き方こそ、何よりも尊い使命であると、青年に語っています。

【池田SGI会長の指針】
◎『御書と青年』から
                   (2012年9月刊)

 「諸法実相抄」では、「皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱えがたき題目なり」(御書1360㌻)といわれています。題目を唱えられるということ、それ自体が、いかに深い宿縁であるか。
 大聖人は「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(同㌻)とも仰せです。広宣流布に生き、題目を唱えゆく青年は、皆、最も尊極な地涌の菩薩なのです。
 友の幸福を願い、広宣流布を願って題目をあげていく。学会活動をし、折伏に挑戦していく。
 それ自体が、立派な「誓願の祈り」であり、「誓願の実践」なのです。
 地涌の菩薩は、法華経の涌出品で大地の底から現れ、末法における広宣流布を誓願した。私たちは、その誓願のままに創価学会員として生まれ、戦っているのです。
 私たちは、誓願の祈りで、深く強く結ばれている。
 創価学会は「我、地涌の菩薩なり」との自覚で立ち上がった仏勅の団体です。
 どれほど尊いか。この地涌の菩薩の覚悟がなければ、三類の強敵をはね返して、悪世末法に広宣流布を進めることはできません。
 地涌の菩薩は、最も大変な時に、最も大変な場所に勇み立って出現する。
 今、直面している困難は、信心の眼《まなこ》で見れば、自ら願った使命です。そう確信して前進することが、「誓願の祈り」の証です。
 仕事のこと、経済苦、人間関係の悩み、病気の克服など、目下の課題に打ち勝つために、猛然と祈ることです。自分自身が、断固として勝利の実証を示していくことが、同じような苦しみに直面する友を励ます光となる。
 「宿命」を「使命」に変える。これが「願兼於業」の祈りです。
 勇気を奮い起こして、自他共の幸福を祈ることだ。そこに深い慈悲がある。
 自分だけでない。人の幸福を祈る中で、自分の悩みを悠々と見下ろせる境涯が開かれていくのです。
 自らの悩みを抱えながら、それに押しつぶされない。「難来るを以て安楽」(同750㌻)と広宣流布のため真剣に祈り、勇敢に学会活動に打って出る。広布の祈りは、仏・菩薩の祈りです。
 大きな悩みを引き受け、大きく祈った分だけ、大きな境涯を開くことができる。気がついたら、小さな悩みは全部、包まれ、乗り越こえられている。ここに「煩悩即菩提」の原理があります。
 自分の人生の課題を祈ることと、人々の幸福を願う広宣流布への祈りとは、一体です。共に前進の力です。
 自分の勝利が、広宣流布の実証になる。広宣流布を進める創価学会の大発展を強盛に祈っている人は、どんなことにも負けない自分自身になる。王者のような境涯を必ず開《ひら》けるのです。
 地涌の菩薩は、いかなる時も「其の心に畏るる所無なし」(法華経466㌻)である。常に「随喜の心」を発《おこ》し、舞を舞うが如く戦う。
 地涌の使命に目覚めることは、汝自身の生命の本源を知ることだ。なぜ生まれてきたのか。なぜ生きゆくのか。その究極の意義を知ることです。自分の永遠の使命に目覚める以上の歓喜はない。これほどの充実はない。これに勝る誇りはありません。
 大聖人は、流罪の佐渡の地で、愛弟子と共に「喜悦はかりなし」(御書1360㌻)と宣言されました。地涌の生命を現すことは、人間の無窮の内発性を開花させることです。これは人類の意識を根底から変革し、至上の高みへ飛翔させ、結合させゆく平和の大偉業なのです。

 10-3 偉大な人間革命のドラマを

 小説『新・人間革命』では、山本伸一会長が日本からブラジルに渡ったメンバーらと交わした質問会の中で、夫の死によって自身の宿命を悲観し、希望を失った婦人部の友を励ます場面が描かれています。

【池田SGI会長の指針】
◎小説『新・人間革命』第1巻「開拓者」から 
       (1998年1月刊)

 質問会も終わりに近づいたころ、会場の最後列で、何度か途中まで手をあげかけていた婦人がいることに、伸一は気づいた。
 彼は声をかけた。30代半ばと思われる、やつれ切った顔の婦人であった。
 「何か質問があるんですね。どうぞ、おっしゃってください」
 彼女は力なく立ち上がって言った。
 「あのー、私の夫は病気で他界してしまいました。これからどうやって生きていけばよいのか……」
 婦人の一家は、契約労働者として入植し、農業に従事していた。しかし、働き手の夫を失ってしまった以上、もう農業を続けることはできない。彼女には、まだ小さな何人かの子どもがいた。いっそ死のうかと思っていたところ、同じ入植地の学会員から仏法の話を聞き、一週間前から信心を始めた。すると、サンパウロ市内の工場に仕事が決まり、住まいも提供してくれることになったという。
 「でも、子どもを抱えて、何もわからない異国の地で生きていくことを思うと、不安で仕方ないのです。私は、つくづく業が深い女なんだと思います。でも、そんなことを考えると、これから先、まだ何が起こるかわからなくなり、やり切れない気がするんです……」
 伸一は、微笑を浮かべて言った。
 「大丈夫、信心をしていく限り、必ず幸せになれます。そのための仏法です。それに、あなたが今、不幸な目にあい、辛い思いをしているのは、あなたにしかない尊い使命を果たすためです。宿業なんかに囚われて、惨めな気持ちになっては、いっさいが負けです」
 婦人は不可解な顔で伸一を見た。彼女は、紹介者の学会員から、夫と死に別れなくてはならないのは、過去世で罪を犯し、悪い宿業を積んだからだと教えられてきたのである。
 確かに仏教では、人に悪をなしたことによって、悪の報いを得、不幸な人生を歩まねばならないと説いている。しかし、それだけでは、人間は過去世の罪などわからないだけに、茫漠とした不安をいだきながら、罪悪感をもって生きねばならないことになる。また、運命は、既に定められたものとなり、人間を無気力にしてしまうことにもなりかねない。
 日蓮大聖人の仏法は、こうした表面的な因果応報の枠を突き抜けて、根本の因果を明かし、久遠元初の、本来の清浄な生命に立ち返る方途を示している。その方途が、地涌の菩薩の使命を自覚し、広宣流布に生きるということである。
 伸一は言った。
 「仏法には、願兼於業ということが説かれています。これは、仏道修行の功徳によって、幸福な環境に生まれてくるところを、自ら願って、不幸な人びとの真っただ中に生まれ、妙法を弘通するということです。
 たとえば、もともと女王のような何不自由ない生活をしていた人が、信心して幸せになりましたといっても、誰も驚きません。しかし、病気で、家も貧しく、周囲からも蔑まれていた人が、信心をすることによって幸福になり、社会のリーダーになれば、仏法の偉大さの見事な証明になります。みんなが、信心したいと思うようになるでしょう。貧乏で苦しみ抜いた人が、それを乗り越えることができれば、生活苦に悩むすべての人に、希望を与えることができます。また、病気に悩んできた人が元気になり、健康になれば、病苦の友の胸に、勇気の灯をともすことができる。更に、家庭の不和に泣いた人が和楽の家庭を築き上げれば、家族の問題で悩んでいる人たちの模範となります。
 同じように、ご主人を亡くされ、しかも、言葉も通じない外国の地で、あなたが幸せになり、立派に子どもさんを育て上げれば、夫を亡くしたすべての婦人の鑑となります。信心をしていない人も、あなたを慕い、あなたに指導を求めに来るようになるでしょう。つまり、苦悩が深く、大きいほど、見事に仏法の功力を証明することができる。宿業とは、使命の異名ともいえるんです。
 私も、貧しい海苔屋の息子です。病弱で胸を病みながら、戸田先生とともに事業の倒産の苦しさも味わってきました。人生の辛酸をなめてきたからこそ、民衆のリーダーとして、こうして広宣流布の指揮がとれるんです」
 伸一は、一段と力を込めて言った。
 「皆さんは、それぞれの事情から、たまたまこのブラジルにやって来たと思っているかもしれない。しかし、そうではありません。地涌の菩薩として、ブラジルの広宣流布のために、この国の人びとを幸せにし、ここに永遠の楽土を築くために生まれてきたんです。いや、日蓮大聖人に召し出された方々なんです。この偉大なる地涌の菩薩の使命を自覚し、広宣流布に生きる時、胸中の久遠の太陽が輝き、過去の罪障は露のように消え失せ、大歓喜と幸福の悠々たる人生が開かれていくんです。
 あなたの苦しみも、仏法の深い眼から見れば、本来は富裕な大女優が、舞台で悲劇のヒロインを演じているようなものです。家に帰れば、何不自由ない生活が待っているのと同じです。しかも、人生劇場の舞台の上でも、ハッピーエンドになるストーリーなんです。心配はいりません。必ず幸せになります。私が断言しておきます。大女優が、悲劇のヒロインを楽しんで演じるように、あなたも、堂々と、その悲しみの淵から立ち上がる人間革命の大ドラマを演じてください。
 人は皆、人生という原野をゆく開拓者です。自分の人生は、自分で開き、耕していく以外にありません。信心というクワを振るい、幸福の種を蒔き、粘り強く頑張ることです。広宣流布のために流した汗は、珠玉の福運となり、永遠にあなたを荘厳していきます。どうか、ブラジル一、幸せになってください」

 10-4 どんな宿命にも必ず意味がある

 SGI会長は、『開目抄講義』の中で、「宿命を使命に変える」という仏法者の境涯に立てば、いかなる難も人間革命の原動力にしていくことができると語っています。

【池田SGI会長の指針】
◎『開目抄講義』から 
       (2006年6月〈上巻〉 8月〈下巻〉刊)

 大聖人は、(「開目抄」において)御自身が受けられている大難は、実は衆生を救う願いのために、あえて苦しみを受けていく菩薩の願兼於業と同じであるとされています。そして、菩薩が衆生の苦しみを代わりに受けていくことを喜びとしているように、大聖人も今、大難という苦しみを受けているが、悪道を脱する未来を思えば悦びである、と言われている。
 願兼於業こそ悦びであるとの仰せは、本抄の一番最後の結論部分と一致します。
 「日蓮が流罪は今生の小苦なれば・なげかしからず、後生には大楽《だいらく》を・うくべければ大に悦ばし」(御書237㌻)
 願兼於業とは、仏法における宿命転換論の結論です。端的に言えば、「宿命を使命に変える」生き方です。
 人生に起きたことには必ず意味がある。また、意味を見いだし、見つけていく。それが仏法者の生き方です。意味のないことはありません。どんな宿命も、必ず、深い意味があります。
 それは、単なる心の在り方という次元ではない。一念の変革から世界の変革が始まる。これは仏法の方程式です。宿命をも使命と変えていく強き一念は、現実の世界を大きく転換していくのです。その一念の変革によって、いかなる苦難も自身の生命を鍛え、作り上げていく悦びの源泉と変わっていく。悲哀をも創造の源泉としゆくところに、仏法者の生き方があるのです。
 その真髄の生き方を身をもって教えられているのが、日蓮大聖人の「法華経の行者」としての振る舞いにほかならない。
 「戦う心」が即「幸福」への直道です。
 戦うなかで、初めて生命は鍛えられ、真の創造的生命が築かれていきます。また、いかなる難があっても微動だにせぬ正法への信を貫いてこそ、三世永遠に幸福の軌道に乗ることができる。一生成仏とは、まさに、その軌道を今世の自分自身の人生の中で確立することにほかなりません。
 「戦い続ける正法の実践者」こそが、大聖人が法華経を通して教えられている究極の人間像と拝したい。
 その境地に立てば、難こそが人間形成の真の基盤となる。「魔競はずは正法と知るべからず」(御書1078㌻)と覚悟して忍難を貫く正法の実践者は、必ず妙法の体現者と現れる。そして「難来るを以て安楽と意得可きなり」(同750㌻)、「大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし」(同1448㌻)という大境涯に生きていくことができるのです。
        ◇
 大聖人は本抄で、「鉄《くろがね》を熱《やく》にいた《甚》う・きたわざればきず隠れてみえず、度度《たびたび》せむれば・きずあらはる、麻子《あさのみ》を・しぼるに・つよくせめざれば油少きがごとし」(同233㌻)と仰せです。
 また、他の御書においても、「宿業はかりがたし鉄《くろがね》は炎《きたい》打てば剣となる賢聖《けんしょう》は罵詈して試みるなるべし」(同958㌻)――宿業ははかりしれない。鉄は鍛え打てば剣となる。賢人・聖人は罵られて試されるものである――、「各各・随分に法華経を信ぜられつる・ゆへに過去の重罪をせめいだし給いて候、たとへばくろがね《鉄》をよくよくきた《鍛》へばきず《疵》のあらわるるがごとし」(同1083㌻)――あなたがたは、法華経を懸命に信じてきたので、過去世の重罪を責め出しているのである。たとえば、鉄を十分に鍛え打てば内部の疵が表面に現れてくるようなものである――と仰せです。
 護法の実践で鍛え上げられた生命は、謗法の悪業という不純物をたたき出し、三世永遠に不滅となります。無始以来の生死の繰り返しのなか、この一生で日蓮大聖人の仏法に巡り合い、謗法を責め、自身の生命を鍛えあげることで宿命転換が実現し、永遠に崩れない仏界の境涯を胸中に確立することができる。それが「一生成仏」です。
 この日蓮仏法の透徹した実践は、私たちの人生における苦難の意味を一変させます。
 もはや、苦難は避けて通るべきマイナス要因ではなく、それに打ち勝つことで自分自身の成仏へと向かっていく積極的な要素となるのです。もちろん、苦難の渦中にいる人にとってみれば、苦難と戦うことは楽なことではありません。辛いこと、苦しいことを待ち望んでいる人などはいません。なければないほうがいいと考えるのが人情です。
 しかし、たとえ現実に苦難に直面したとしても、大転換の秘法を知って、「悪と戦ったからこそ、今、自分は苦難にあっている」と理解し、「この苦難を乗り越えた先には、大いなる成仏の境涯が開かれている」と確信していく人は、根本的に強い人生を生き抜くことができる。
 この究極の仏法の真実を、生命の奥底で体得しているのが、わが創価学会の同志であると確信します。
 その証《あかし》に、わが同志は、苦難に直面した時に「強い」。そして何より「明るい」。それは、宿命転換という生命の根源の善のリズムを、すでに体験的に知っているからです。また、自分は経験していなくても、会得した他の同志の姿に日常的に接しているからです。
 宿命と戦いながら広宣流布の信心に立つ人の姿には、すでに願兼於業という仏法の究極の真実が映し出されています。
 どんな苦難も恐れない。どんな困難も嘆かない。雄々しく立ち向かっていく。この師子王の心を取り出して、「宿命」を「使命」に変え、偉大なる人間革命の勝利の劇を演じているのが、わが久遠の同志の大境涯といえます。
 したがって、仏法者にとっての敗北とは、苦難が起こることではなく、その苦難と戦わないことです。戦わないで逃げたとき、苦難は本当に宿命になってしまう。
 生ある限り戦い続ける。生きて生きて生き抜いて、戦って戦って戦い抜いていく。この人生の真髄を教える大聖人の宿命転換の哲学は、従来の宗教の苦難に対する捉え方を一変する、偉大なる宗教革命でもあるのです。
 〝大変な時ほど宿命転換ができる〟〝苦しい時こそ人間革命ができる〟〝いかなる苦難があろうと必ず最後は転換できる〟――この大確信に生き抜いていくのが、日蓮仏法の信心であります。そして、日蓮大聖人に直結して、この宿命転換の道を現実に歩み、宗教革命の大道を世界に開いているのが、わが創価学会であります。この誇りと喜びをもって、さらに前進していきましょう。

 10-5 題目こそ変毒為薬の力

 題目こそ宿命をを使命に変える力です。粘り強く題目を唱え抜いていけば、いかなる悩みや悲しみも幸福に変えていくことができると語っています。

【池田SGI会長の指針】
◎ブラジル記念講堂でのスピーチから
      (1993年3月3日、ブラジル)

 この娑婆世界は「堪忍《かんにん》」の世界とされる。耐え忍ばねばならない。さまざまなことが、つねにある。どんな悲しみも、どんな苦しみも、どんな宿命も、全部、悠々と乗り越えて、最も幸福な境涯を得ていけるのが、日蓮大聖人の「仏法」であり、創価学会の「信心」である。
 自分や家族の病気、また死、経済苦、人間関係の悩み、欲しいものが得られないつらさ、その他、生きているかぎり、ありとあらゆる戦いがあり、苦しみがある。これは避けようがない。どうしようもない人生の現実である。
 「信心」とは、「唱題」とは、それらをことごとく変毒為薬する力である。苦しみの毒が、幸せという薬に変わる。
 煩悩即菩提で、悩みが悟りに変わり、幸福に変わる。悩み、悲しみが大きければ大きいほど、より大きな幸福に変えていける。これが題目の力である。ゆえに妙法を唱える人は、何ものも恐れない。恐れる必要がない。
 木も、小さいうちは、少しの風にも揺れる。大木になれば、どんな嵐にも揺るがない。人間も、生命力が弱ければ、少しの悩みの風にも紛動されてしまう。
 娑婆世界である以上、風を止めることはできない。自分が強くなる以外にない。自分が大本になれば、どんな大風も平気である。むしろ楽しんでいける。そういう人生、生命へと、人間革命していくための信仰なのである。
 目には見えないが、木は毎日、生長している。私たちの唱題も、目には見えないが毎日、自分自身を福運の大木へと育てている。
 10年、20年、学会のなかで信心が貫いていけば、やがて必ず、大樹となった福運が、はっきり目にも見えるようになる。
 妙法は宇宙の最高の宝である。唱題することは、毎日、わが生命に宝を積み重ねていることになる。一方、生命のなかの過去の罪業は、清浄な水に濁った水が押し出されるように、洗い流されていく。
 だから、完全に清浄になるには、ある程度、時間がかかる。初めのうちは、少し濁った水、すなわち自分の宿命との戦いがある。それも唱題の力で軽く受けているのである。ゆえに「持続」することである。やがて、すっかり生命が清浄になれば、どんどん、すべてがよくなってくる。
 福徳に満ち満ちた、何ものにも壊されない「絶対的な幸福」の境涯に、必ずなっていく。何があっても、楽しい。名声やばずがなくても(笑い)満足である。一瞬一瞬が、最高に充実している。喜びに満ち、すべてが美しく見える。何を見ても、ぱっと正邪がわかり、本質がわかる。何があっても、人のことを考えてあげられる。そういう自分になっていく。
 だから、幸福への道は決してむずかしいことではない。広布の世界のなかで、ともかく題目をあげぬいた人が、最後には勝つ。必ず「絶対の幸福境涯」、すなわち「仏」の境涯をを得ていけるのである。根本は、これひとつ覚えておけば、人生は永遠に盤石である。

 10-6 わが宿命転換のドラマが友の希望に


 ここでは、釈尊の受難の意味に触れながら、私たちがさまざまな難を乗り越えることが、後継の同志にとって希望になり、励ましになると語っています。

【池田SGI会長の指針】
◎中部総会でのスピーチから 
          (1989年1月29日、愛知)

 なぜ釈尊のような仏が、いわれなき誹謗を受けなければならなかったのか。
 この点について、釈尊は、仏典の中で「それはすべて、未来の仏道修行者のためである」と明かしている。
 すなわち、仏道修行を行っていると、いろいろな人から謗《そし》られたり、迫害を受けたりする。それでイヤになって、信心をやめようとする人も出てくるだろう。そうしたとき〝仏でさえ、あのような、いわれない誹謗を受けているではないか〟と思い起こして、みずからを励まし、ふたたび前進していくことができるように、あえて方便として、今、このような難を引き起こしている、というのである。
 信心に励んでいる人が、未来永劫にわたって退転しないように、その歯止めとなるように、仏みずからが難を受けていく――これが仏の慈悲である。
 私どもの現在のさまざまな難や労苦も、一面からいえば、すべて末法万年にわたる広宣流布のためにあるといってよい。長い長い未来のために、一つの「原点」となるものを示し、広布の「図式」と「模範」を残しゆくためである。
 そして〝なるほど、あのときはこうだった。これがいつの時代も変わらない難の構図なのだ。だから負けてはいけない。すべて、信心で乗り越えていける。だから戦おう〟というように、後世の友が、そこから、限りない勇気と、希望と、励ましをくみとっていく源泉ともなるにちがいない。
 その意味で、私どもの信心のうえでの数々の苦難との戦いは、この短い一生という劇場で、壮大なる広布と人生の永遠の勝利にも通じゆくためのドラマと一大叙事詩を、演じ詠っているといえるかもしれない。
 また広げていえば、幹部であっても当然、病気になったり、家族に不幸があったりする場合がある。しかし、それは病気で苦しんでいる人や、家族に事故があって悩んでいる人にとっては、〝私も負けないで頑張ろう〟との大いなる励ましともなるにちがいない。
 ともあれ、御聖訓に照らし、難と戦い、妙法広宣に懸命に進む勇者には、仏の加護は厳然とある。広布に励む仏子を、必ず守っていく――これが釈尊の御心であり、そして大聖人の大慈大悲であられる。
 その強盛な祈りは、全宇宙の仏界の力用を揺り動かし、さらに一切の菩薩、二乗、諸天の働きとも共鳴しあいながら、所願満足の大勝利の人生を開いていくことを、皆さま方は確信していただきたい。

 10-7 人生勝利の逆転劇を!

 SGI会長は、随筆の中で、宿命を使命に転換して偉大な人間革命の人生を開いていったアメリカSGIの婦人部の友に光を当て、最大に讃えています。その人でなければ果たせない尊い使命を担った菩薩の集いが、SGIなのです。

【池田SGI会長の指針】
◎「随筆 人間世紀の光」〈〝母の勝利〟を讃う おお幸福博士に万歳!〉から

                   (2004年1月19日「聖教新聞」掲載)

 日本中の街々で、世界中の国々で、わが尊き広布の母たちは、強く、また強く、断固として生き抜いている。
 そうした一人に、アメリカSGIの婦人部の方がおられる。
 日本で国際結婚した彼女が、幼い長男を連れて渡米したのは、1966年(昭和41年)のことであった。
 軍人の夫がベトナムヘ従軍すると、彼女は、英語も不自由ななか、力仕事などで生計を立てた。夫の帰還後も経済苦は続いた。
 やがて次男を授かったが、自分で体を動かせない、重いハンディキャップを背負っていた。医師からは施設に預けるように告げられたが、彼女は自らの手で育ててみせると決めた。洋服、着物、鍋……売れる物は全部売った。それでも食事代にも事欠いた。
 なぜ、こんなに苦しまねばならないのか。宿命の波浪はあまりにも厳しかった。
 しかし、日本で地区の幹部として戦ってきた彼女は、絶対に逃げなかった。昼は働き、夜は広布の最前線を必死に走り抜いた。
 ある晩、彼女は、いつもの如く仏前に端座した。朗々たる祈りが深夜に及んだころ、豁然と光が差し込む思いがした。
 〝私は誉れある学会員だ。私には御本尊がある。何も怖いものはない。絶対に幸福になれないわけがない〟
 「歓喜の中の大歓喜」(御書788㌻)の涙があふれた。
 今、ここで、生活に戦い、人生に戦い、広宣流布に戦う──その生命に幸福の旭日は赫々と昇りゆくのだ。
 「我れ等は仏に疑いなしとをぼせば・なに《何》のなげ《歎》きか有るべき」(同978㌻)とは、大聖人が女性の門下に贈られた一節である。
 法華経には、「願兼於業」という透徹した法理が説かれる。菩薩は、苦悩の人びとと同苦するが故に、人びとを救うことを誓い、自ら願って悪世に生まれてくるというのだ。いかなる苦悩をもち、いかなる境遇にあろうが、その人でなければ果たせぬ尊き使命がある。それを深く自覚した時、すべては変わる。
 久遠の「大願」を果たすために、私たちは、今ここに生まれてきた。宿命は即、使命となり、わが勝利の逆転劇を荘厳する舞台となるのだ。
 いかに現実が多事多難であろうとも、ここから離れて、幸福の大地はどこにもない。
 そうした強き母の後ろ姿を見て育った長男は、名門のエール大学の卒業を、見事に首席で勝ち取った。
 若き英邁な経済学者の彼は、やがてアメリカ創価大学(SUA)の初代学生部長に就任。新しき世界市民の育成に尽力を開始した。
 2001年8月、SUAのオレンジ郡キャンパスの第1回入学式に、彼女と、ご主人の晴れやかな笑顔があった。体を動かせないといわれた次男も、今や走ることさえできるようになり、会合にも参加されている。
 この1月、79歳になった彼女は毅然と語る。
 「全然、年をとった気はしません。広布のために、一生涯、創価の正義と真実を叫び続けます!」
 母は勝ったのだ!
 いずこの地でも、「この母ありての広布かな」と、どんなに讃えても讃えきれない、偉大なる母たちの大行進曲が、来る日も来る日も奏でられている。
 私と妻は、広布に戦い、生きゆく女性たちの無限の幸福の人生を、真剣に懸命に祈りゆく毎日だ。
 創価の太陽の母たちよ! 「勇気」と「正義」と「勝利」の歓声を、さらに響かせゆくのだ。そして強く愉快な賢き声を、一段と朗らかに共鳴させながら、前進されんことを、私は、一生涯、祈りゆくものである。

 10-8 最も苦しんでいる人が仏になる

 仏法は、宿業を自らが「地涌の菩薩」として立てた誓願ゆえの憐みと捉え、宿命を使命に変える「一念の転換」の重要性を教えています。

【池田SGI会長の指針】
◎『法華経の智慧』から
              (第2巻、1996年11月刊)

 戸田先生も。「初めから立派過ぎたのでは人びとの中に入っていけないからわれわれは仏法を弘めるためにわざわざ貧乏や病気の姿をとって生まれてきたんだよ」「人生は芝居に出ているようなものだよ」と、しばしば言われていた。
 また、「戸田は妻を失い、娘まで亡くした。事業も失敗した。そういう苦悩を知っているからこそ、創価学会の会長となったのだ」とも言われていた。
 苦労もない、悩みもないというのでは民衆の心が分かるわけがない。人生の辛酸をなめた人であってこそ、人々を救うことができるのです。
 自分の苦しみを「業」ととらえるだけでは、後ろ向きになる。それを、あえて「使命のために引き受けた悩みなのだ」「これを信心で克服することを自分が誓願したのだ」と、とらえるのです。
 願兼於業は、この「一念の転換」を教えている。宿命を使命に変えるのです。自分の立てた誓願ゆえの悩みであるならば、絶対に乗り越えられないはずがない。
 インドの国父、マハトマ・ガンジーは言っています。
 「私がもし生まれてくるとしたら、不可触民として生まれてきたい。悲しみや苦悩や彼らに与えられた侮辱を分かちあい、みずからと不可触民をその悩める境遇から救い出すよう努めるために」
 この心は「願兼於業」に通じると思う。慈悲です。「ともに生きる」ということです。
 いちばん苦しんでいる人の中に、生まれてくるのです。
 いちばん苦しんでいる人の中に、仏はいるのです。
 いちばん苦しんでいる人を、いちばん幸福にするために仏法はあるのです。
2015-06-11 : 池田SGI会長指導選集 :
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