中国・佛山科学技術学院「名誉教授」称号授与式への謝辞

中国・佛山科学技術学院「名誉教授」称号授与式への謝辞      (2015.5.28 創価大学本部棟)

 中国・広東《カントン》省の佛山《ぶつざん》市に立つ佛山科学技術学院(熊志翔《ゆうししょう》学長)から、創価大学創立者の池田名誉会長に「名誉教授」称号が贈られた。日中友好と恒久平和への傑出した貢献を讃えたもの。授与式は28日午後、東京・八王子市の創価大学本部棟で行われ、佛山科学技術学院の曾崢《そうそう》理事会主席らが出席。馬場創大学長に「名誉教授」の証書が託された。

曾理事会主席の授章の辞(要旨)

人間主義と生命調和の教育を追求する“池田思想”を継承

 池田大作先生は、創価学会名誉会長、公明党の創立者、世界的に著名な哲学者、教育者、宗教家、文学者、芸術家、社会活動家であり、文化人であり、国際的な人道主義者であられます。
 池田先生は、「国連平和賞」「アインシュタイン平和賞」、中国文化部の「中国芸術貢献賞」、ならびに「文化交流貢献賞」など多くの賞を受けられ、さらには中日友好協会の「平和の使者」称号、中国人民対外友好協会の「人民友好の使者」称号も受章しておられます。
 池田先生は、長きにわたり世界平和を推進し、中日両国人民の友好交流、中日国交正常化に多大な貢献をされました。
 また、池田先生は、創価大学、創価学園、東洋哲学研究所など教育・文化機関を創立され、強力に人間主義教育を進め、生命調和の教育を追求するように提唱し、徳と博識を備えた人材を育成してこられました。
 現在、世界の300を超える大学・学術機関から名誉学術称号を受け、中国国内では、北京大学、南開大学など100を超える大学・学術機関から名誉学術称号を受けておられます。
 このような栄誉は、教育界からの池田先生への尊敬の表れであり、先生がリーダーシップをとられている創価学会の「平和・文化・教育」の理念に対する多くの方の称賛の証です。
 池田先生の教育、哲学、宗教、文学、芸術などの領域での卓越した業績にかんがみ、本学の学術委員会は、全会一致をもって、池田先生に本学の「名誉教授」称号の授与を決定しました。
 池田先生の文化・教育事業への卓越した貢献を称揚する意義を込めて、池田先生を佛山科学技術学院「名誉教授」に招聘します。
 本日は、真心と敬意を込めて、本学の陶磁器宝石芸術設計学部で設計・制作した、佛山の民間伝統文化である陶器の証書を持参しました。
 本学の教育理念と池田先生の提唱する教育理念は一致しています。
 それゆえに、先生は本学の「名誉教授」とれて、私たちの「博愛、平和、理解、友好、貢献」などの精神教育に、重要な役割を担ってくださることになると思います。
 2003年12月24日に池田先生と奥さまにお会いする機会をいただいてより、先生の人格と平和思想、人間主義思想、生命尊厳の思想、文化主義思想に感化され、そして励まされ、さらには、先生の教育、哲学、宗教、文学、芸術などの分野での卓越した功績に心から尊敬の念を抱いています。
 先生が創立された創価大学は、国交正常化後、いち早く中国の留学生を受け入れてくださった大学です。
 本日、私たち訪日団も、創価学会、創価大学と交流することができました。今後も双方の長期にわたる友好関係を発展させていきたいと考えています。
 今日は5月28日ですが、中国・広東の民俗文化では、「28」は縁起の良い数字で、「隆盛・発展」の意味があります。
 このような良き日に、本学と創価学会、ならびに創価大学との友好の門が開かれたことに、双方の事業の成功と発展を確信しています。
 最後に、池田先生、香峯子夫人のこ健康とご多幸、そして池田思想が永遠に栄え、発揚されますことを、また創価学会、ならびに創価大学の美しい未来と、中日両国人民の変わらぬ友誼を念願して、授章の辞とさせていただきます。大変にありがとうございました(大拍手)。

池田SGI会長の謝辞(代読)

平和への革心と連帯の道を
価値創造の「開道者」を育てよ


報恩の志が人間を偉大にする
“精神は死なず”と信念を貫け


 一、今、私の胸に蘇る、壮麗な光景があります。
 それは41年前の5月、私が初めて中国にお招きいただき、広東《カントン》省から第一歩を踏み出した折のことです。
 豊かな緑の大地を走り、広州・白雲空港へ向かう頃、西の空には深紅の夕日が鮮やかな光を放っていました。
 明日《あす》の晴天を約束する、美しい夕焼け空のもとに広がっていた街こそ、貴・佛山市だったのです。
 ここ八王子も、童謡に歌われた “夕焼けの里” として知られています。
 本日は、忘れ得ぬ友好の原点の天地より、曾崢《そうそう》理事会主席をはじめ、人間教育の偉大な太陽の先生方をお迎えでき、私は感慨無量であります。
 私たちは、万雷の拍手をもって、熱烈に歓迎申し上げようではありませんか!

教育は建設の柱
 一、1400年近い歴史が光る佛山市は、諸《もろもろ》の宝の往来の中枢とされ、「中国四大名鎮」の一つと仰がれてきた、文化の都であります。
 そして改革開放以来、省都・広州市とともに、大中国の昇龍の大発展をけん引してこられました。市民の幸福指数においても、広東省随一を誇っておられます。
 この新時代をリードする大拠点にあって、「教育は建設の柱、科学研究は強校(学校強化)の道、人材は発展の鍵」との建学の理念を高らかに掲げて、珠江《しゅこう》の流れのごとく、滔々たる教育の大河、科学の大河、人材の大河を創り起こしてこられたのが、貴・佛山科学技術学院であられます。
 私は、尽きせぬ感謝を込めて、貴・学院の名誉ある一員とさせていただきます。誠に誠に、ありがとうございます。
 一、間もなく、私たち「創価教育」の創始者であり、平和の信念に殉じた牧口常三郎先生の生誕の日・6月6日を迎えます。
 私は、本日の栄誉を、この誉れの先師に捧げつつ、希望みなぎる英知の大城たる貴・学院から、3点の教育力を学び合いたいのであります。
 その第一は、「新たな創造の道を開く教育力」であります。
 「名は必ず体《たい》にいたる徳あり」と言われます。
 「佛山(仏の山)」とは、何と素晴らしい意義とロマンを湛えた地名でありましょうか。
 大乗仏典の精髄である「法華経」には、仏の異名として「開道者(道を開く者)」とあります。
 民衆の幸福のため、社会の繁栄のため、世界の平和のため、立ちはだかる試練に怯まず、新たな価値創造の道を開き続けていく──これが、仏の実像です。その力を、万人の生命から解き放っていくのが、仏法の本義であります。
 この仏法の精神は、貴・学院の校歌に──
 「明徳博学《めいとくはくがく》にして、人格磨き、修養を積む」
 「知行合一《ちこうごういつ》にして、鍛えに鍛えて鋼《はがね》となる」──と謳い上げられた人間教育の真髄とも、深く響き合っております。
 なかんずく、独創性に富む貴・学院におかれましては、「新しいものを作り出す力を持った人材の育成モデル」を果敢に探究され、「創業精神」と「実践能力」を併せ持ったリーダーの養成を進めておられます。
 私の胸には、曾崢主席が学生たちに呼びかけておられる言葉が迫ってくるのであります。
 「確固たる理想を持ち、祖国のために尽力し、発奮して学び、新しい道を切り開こうとする勇気を持ち、積極かつ進取に、困難に立ち向かってくれ給え」と。
 今、私は小説 『新・人間革命』 で、第4次訪中の歴史を「革心」の章と題して、書きつづっております。
 「革心(心を革《あらた》める)」とは、私たちが敬愛してやまない周恩来総理が、若き日に掲げられた精神であります。
 わが創大生、短大生、留学生の皆さんも、この「革心」の息吹に燃えて、人類史の前人未到の山に挑み、新たな創造の道を開いていっていただきたいのであります。

「異体同心」は力
 一、第二に確認したいことは、「未来へ 『平和の連帯』 を広げる教育力」であります。
 佛山市ゆかりの科学者に、中国の “鉄道の父” として名高い詹天佑《せんてんゆう》先生がいます。
 ある鉄道路線の建設に際し、計画の不一致から、若き技術者たちが別々に作業を行っていたことがありました。
 その折、詹先生は、一人一人が貴重な人材であることを訴えながら、明快に教えられたといいます。
 「団結こそが成功の秘訣なのだ」と。
 あらゆる差異を乗り越え、互いに尊重し合い、大目的へ一致団結して、力と知恵を合わせていくところに、一切の成功があり、躍進があります。
 この点、貴・学院は、国際交流と国際協力を重視され、世界の諸大学と学術交流、共同研究も活発に力強く行っておられます。
 とともに、佛山市は兵庫県伊丹市と、佛山市の三水《さんすい》区は兵庫県の多可《たか》町と、友好都市として、平和交流、文化交流を推進されています。
 私は、今年の年頭の平和提言において、中国と韓国と日本の3カ国における、青年交流の拡大、自治体同士での姉妹交流の倍増を呼びかけました。
 本日の喜びを、縁《えにし》深き兵庫の同志とも、分かち合わせていただきたいのであります。
 今年は、創価大学が、両国の国交正常化後、新中国から初の正式な留学生を受け入れて40年となります。先日の周桜観桜《かんおう》会の折にも、最初の留学生の方々が、母校に帰って来てくださいました。
 今後、貴国と創価大学の教育の往来は、いよいよ勢いを増していくことでありましょう。
 「異体同心」とは、中国の方々と私たちが、深く共有する勝利の方程式であります。
 いかなる時代の風波にも左右されず、未来の平和を揺るぎなく築き上げるために、「異体同心」なる教育の連帯を、私たちは一段と深め、広げていきたいと思うのであります。

廖先生を偲んで
 一、第三に「父母《ちちはは》と民衆への報恩を果たす教育力」であります。
 本日の式典に当たり、私と妻は、中国と日本の友好の扉を開いてくださった廖承志《りょうしょうし》先生ご一家のことをあらためて偲び、追善させていただきました。
 と申しますのも、廖承志先生を育み、「世界の母性の手本」と讃えられた母君の何香凝《かこうぎょう》先生の故郷が、佛山だったからであります。
 何先生は、夫である廖仲愷《りょうちゅうがい》先生と一緒に、中国革命の夜明けの時代に、孫文博士と行動を共にされました。廖仲愷先生が暗殺された際も、何先生は自宅の門に「精神不死(精神は死なない)」との横幕を掲げて抗議されております。
 廖承志先生の「承志」とは、両親が「革命の志の承継を」と願ってつけられた名前です。廖承志先生は、この父母の心に応え、投獄などの迫害にも屈せず、信念の大闘争を貫き通されました。
 曾主席は、常々、学生たちに「報恩感謝」の心と振る舞いの重要性を示されています。
 貴・学院が、学問の成果を還元しようと、企業駐在、農村駐在の特派員を派遣し、地域発展のために貢献しておられることも、特色ある実績です。
 自らを育んでくれた父母、そして民衆という大地への感謝を忘れず、報恩を果たしゆかんとする時、青年は最も気高く、最も強く、最も大きくなれます。
 ここにこそ、今一度、立ち返るべき人間教育の原点があるとは、いえないでしょうか。
 一、佛山育ちの康有為《こうゆうい》先生は、広東に「万木草堂《そうどう》」と呼ばれる学舎《まなびや》を開設して、詠じられました。
 「万木は森々《しんしん》として万玉鳴り
 隻鱗《せきりん》片羽《へんう》にも万人驚く
 更に将《もっ》て人間世に散布し
 身を万億に化して光明を発せん」(坂出祥伸著 『中国の人と思想11 康有為』 集英社)と。
 私たちは、貴・学院の先生方と手を携えて、世界のあらゆる舞台で「英知の光明」「希望の光明」「平和の光明」を、より鮮烈に発しゆくことを、ここに決意し合いたいと思うのであります。
 終わりに、源遠流長なる貴・学院の無窮のご隆盛を心よりお祈り申し上げ、私の謝辞とさせていただきます。謝謝《シェシェ》! (中国語で「ありがとうございました!」)

名誉会長が漢詩を贈る

曾歴風波命自強
崢崢明徳立南方
満園笑語博学士
有為和平富棟樑

〈大意〉
風波を乗り越えた生命は
 自ずと強靭なるものであり
優れた徳を具えて
 南方に聳え立っております。
博学の学徒たちの談笑が
 キャンパスに満ち溢れ
有為な彼らは
 平和の指導者になります。

※文中に理事会主席の名前「曾崢」と佛山科学技術学院の校訓「明徳博学 自強有為」が織り込まれている。
2015-05-29 : スピーチ・メッセージ等 :
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未来の翼 No.10〜14

第14回 イタリアの「花の都(フィレンツェ)」 (2015.5.1付 未来ジャーナル)

「負けじ魂」光る 努力の天才たれ!
君の 貴女の胸中には無限の可能性がある。信じ抜く勇気を持て!


 「人類の宝」と光る皆さんと、今回は、地球に輝く文化の「花の都」へ、心の旅に出掛けよう!
 その街は、時の流れに色あせることがありません。いな、時とともに、いよいよ光彩を増していくように思えます。
 それは、イタリアのフィレンツェです。アルノ川のほとり、小高い丘にあるミケランジェロ広場に立つと、「屋根のない博物館」と呼ばれる世界遺産の街並みが一望できます。
 私は、ここからの眺めが大好きです。3回(1981年、92年、94年)のフィレンツェ訪問の折、行事の合間を縫って、青年たちと幾度となく立ち寄りました。この地で活躍した、きら星の如きルネサンス人と対話する思いで、カメラにも収めてきました。
 フィレンツェは、14世紀から16世紀にかけて、イタリアに始まり、ヨーロッパに広まった文化運動「ルネサンス」の電源地です。「ルネサンス」とは、フランス語の「再生」「復興」という意味で、文芸の復興、人間の復興が叫ばれました。
 ルネサンスでは、中世までの「教会中心」の社会、「聖職者中心」の身分制度が、経済力をつけて自立した市民たちによって、変革されていきます。
 市民が模範としたのが、古代ギリシャ・ローマの「人間性の春」でした。人々は呼び掛けました。「古代へ帰れ! 人間に帰れ!」──と。
 そうした人々を象徴する姿が、ルネサンス美術の巨匠ミケランジェロによって作られた、堂々たる「ダビデ像」です。ミケランジェロ広場には、そのレプリカ(複製)が立っています。
 ダビデは、古代イスラエルで宿敵の巨人を倒し、祖国を救った「無名の青年」です。それまでの美術作品では、もっぱら “勝利したダビデの姿” が描かれてきましたが、ミケランジェロは “これから戦いに挑む姿” として表現しました。ダビデ像には「よし、戦おう!」「断じて負けない!」という気迫と活力がみなぎっています。
 ルネサンスとは、人間性を抑圧する邪悪な力に対する「精神の戦い」です。その生き生きとした戦いの中で、人々は自分たちの生命の尊さに目覚めていったといってもよいでしょう。
 「我に無限の可能性あり!」
 「人間はかくも偉大なり!」と。

 この5月末に、イタリア共和国と文化交流協定を結ぶ東京富士美術館(八王子市)では、ルネサンスの偉大な魂を学ぶ「レオナルド・ダ・ヴィンチと 『アンギアーリの戦い』 展」が始まります。そこでは、二人の天才、レオナルド・ダ・ヴィンチと、ミケランジェロに光が当てられます。
 実は、私もお招きをいただいたフィレンツェ市庁舎・ヴェッキオ宮殿には、かつて、この二人がそれぞれにフィレンツェの戦いの歴史を描いた壁画で、大広間を飾るという構想がありました。当時は完結しなかった “夢の競演” が、今回、500年の歳月を超えて、美術展として結実するのです。
 ダ・ヴィンチは、生涯で1万ページともいわれるノートを書き残し、「モナ・リザ」で知られる絵画や彫刻、さらに建築、数学、生物学、物理学など、万般にわたって貢献しました。
 わが創価大学の本部棟には、この “創造的人間” のブロンズ像が、厳然とそびえ立っています。
 ダ・ヴィンチは言います。
 「障害が私を屈服させることはない。あらゆる障害も奮励努力によって打破される」
 万能の天才も、“負けじ魂” で必死に努力を貫いていたのです。
 “負けじ魂” 光る、真のルネサンス人たる未来部の皆さんから、「21世紀のレオナルド・ダ・ヴィンチ」「21世紀のミケランジェロ」が陸続と登場することを、私は楽しみにしています。

 81年に「花の都」を訪れた時、私は尊敬する友人との再会を果たしました。イタリア出身のアウレリオ・ペッチェイ博士です。
 博士は、地球環境の汚染に、いち早く警鐘を鳴らした「ローマクラブ」の創設者です。
 20世紀最大の歴史家であるトインビー博士が、「ぜひともお会いするように」と、私に推薦してくださったお一人でした。
 初めての出会いは、75年のフランス・パリ。人類の未来をめぐって、真剣に語り合いました。
 81年は3度目の語らいでした。72歳のご高齢にもかかわらず、博士は自ら車を運転し、ローマから4時間もかけて来てくださったのです。しかも博士は前日、ロンドンからローマの自宅に戻られたばかりでした。
 人類のために東奔西走される “戦う知性” を、私は仰ぎ見る思いで迎えました。
 会談は2時間余に及びました。
 博士は、私との対談集 『21世紀への警鐘』 の中で、人間に内在する「未開発で未使用の能力という、莫大な富」に注目され、それを開発する「人間革命」の重要性について語られました。
 「現代という苦難の時代におけるこの人間精神のルネサンスこそ、私が 『人間革命』と呼んでいるものなのです」
 「われわれは人間革命を推進すべく、力の及ぶ限りあらゆる手を尽くさなければなりません──手遅れにならないうちに」
 博士の不屈の人生を貫くもの。それは「人間の内なる無限の力」への信頼でした。
 「人間革命」とは、わが生命の力を信じ抜く勇気なのです。
 君の胸中には、広大なる天空の如き、未知の可能性がある。
 貴女《あなた》の胸中には、美しい花の都の如き、清らかな生命がある。
 目には見えないかもしれない。それでも君の可能性を信じ抜くことだ。貴女自身を信じ切ることだ。自分の努力を疑わないことだ。
 その「信じる」行為の究極が、信仰です。祈りです。
 博士は、私との対談集が発刊された84年に逝去されました。亡くなる12時間前まで、病床で口述され、貴重な未来への警句を残し続けておられたのです。
 私は、博士のご子息とも友誼の交流を続けました。ご子息が教えてくださった博士の晩年の魂の叫びが、私の胸から離れません。
 「世界を変革できるのは、青年だよ。青年の人間革命によって、世界が変わるんだよ」
 この人間革命の大道を、世界に広め、継承していく正統の中の正統の後継者は、まちがいなく、未来部の皆さんです。

 人類の新たなルネサンスを託すのは青年しかいない──私はこの思いで、イタリアの若き友とも出会いを重ね、語り合ってきました。
 92年にフィレンツェのイタリア文化会館で開かれた芸術音楽祭の時、本館前で未来部のメンバーと記念撮影会を行いました。
 94年の訪問でも芸術フェスティバルが開催され、演目の合間に未来部の友と交流のひとときを持ちました。お菓子をプレゼントし、帽子をかぶせて差し上げた時の、光の王子、王女たちの笑顔は忘れられません。
 うれしいことに、こうした出会いを結んだ友が今、広布のリーダーとして立ち上がっています。
 ある時、日差しの強いミケランジェロ広場で、私が麦わら帽子を贈って励ました青年は、その後、アメリカの名門大学での研究職を勝ち取ったと伺っています。
 もともと勉強が苦手で、5年制の高校を7年がかりで卒業した彼でしたが、執念の祈りと努力で、見事、夢を叶えたのです。
 イタリアの友に贈った長編詩に、私は万感を込めて綴りました。

 「ああ 若き 若き翼よ
 君たちの
 その双肩に
 不滅の未来が実在する
 故に その胸中に使命がある
 尊き地涌の君たちこそ
 翔べよ また翔びゆけよ
 栄光燦たる
 無窮の天座の彼方へ」

             (「新たなるルネサンスの鐘」)

 私のフィレンツェ初訪問から現在まで、イタリアSGI(創価学会インタナショナル)は、若き友が躍進の中心となり、平和の連帯を大きく広げてきました。
 創価の師弟に生きる青年には、自身の無限の可能性を開き、無窮の大空へと飛翔する「未来の翼」があります。一人の青年が立ち上がれば、世界は変わるのです。

 日蓮大聖人は、「天晴れぬれば地明《あきら》かなり法華を識《し》る者は世法を得可《うべ》きか」(御書254㌻、「観心本尊抄」)と仰せになられました。
 天空に太陽がひとたび昇れば、大地も明るく照らされます。
 若くして太陽の仏法を持《たも》った皆さんは、勉学であれ、生活であれ、友情であれ、すべてにおいて、希望の光、勇気の光、勝利の光を放っていくことができます。
 さあ、さわかやに晴れわたる、5月が到来しました。
 5月3日は、恩師・戸田城聖先生が第2代会長に、そして不二の弟子である32歳の青年の私が一人立ち上がり、第3代の会長に就任した「創価学会の日」です。
 そして、学会にとって最も大事なこの日を、後年、私は、「創価学会母の日」にと提案しました。
 さらに、5月5日の「創価学会後継者の日」は、私の直弟子である未来部に一切を託す日です。
 私にとって5月は、戸田先生への報恩の誓いを新たにする時であり、未来に続く君たちの未知を開くために、「やらんかな!」と再び立ち上がる月です。
 どこまでも私と一緒に、清新な決意で進もう!
 五月晴れの青空のように!
 無限大の可能性を秘めた君たち、貴女たちの躍動を、全世界が待っているのだから。


ダ・ヴィンチの言葉は 『レオナルド・ダ・ヴィンチ 天才の素描と手稿』 H・アンナ・スー編・森田義之監訳・小林もり子訳(西村書店刊)。

第13回 中国・桂林の山河     (2015.4.1付 未来ジャーナル)

古い友人を大切に 新しい友をつくろう
平和の地球は友情から! 自ら声をかけよう。自ら善き友になろう


 新入生の皆さん、入学おめでとう! 進級した皆さんも、「いよいよ」の心で新出発だね!
 皆さんは、一年ごとに、友情のスクラムを快活に聡明に広げゆく青春であり、人生であってください。その一つの秘訣があります。
 それは、「古い友人を大切に、新しい友人をつくる」ことです。この世で最も尊く、最も美しいものは友情です。友情こそ人生の勝利と栄光の縮図でありましょう。
 友情を大切にする人こそ、真の世界市民です。平和の創造者なのです。
 一口に友情といっても、国と国の友情もある。政治や経済の次元での交流もある。それはそれで大事だが、それだけでは弱い。時に、力や利害が幅をきかせて、ぶつかってしまうことがあるからです。
 だから、人と人を結ぶことです。文化や教育の交流で、人間と人間、民衆と民衆、青年と青年が友情で結ばれていれば、平和は揺るがない。私が、お隣の国・中国との友好を訴え、10回にわたり訪問してきたのも、この信念からです。

 35年前の1980年の4月、私はお招きを受けて、5度目の訪中の旅に出ました。
 連日、諸行事や会見が続く中、中国側のご配慮で景勝の地「桂林」を案内していただきました。
 「桂林の山水は天下に甲《かん》たり」──その山水は天下第一なりと、讃えられた桂林です。地面から突き出たように天に伸びる山々が、漓江《りこう》の静かな流れを帯のようにまとっていました。
 川下りの船着き場に下りていくと、岸辺で子どもたちが遊んでいました。一緒に記念のカメラに納まり、「一生懸命に勉強して、立派な人になってくださいね」と、一人一人に声を掛け、ささやかな日本のおみやげを渡しました。
 船を待っていると、今度は、2人のかわいらしい薬売りの乙女に出会いました。
 利発な彼女たちが、「薬は何でもそろっています。お好きなものをどうぞ」と言うので、私は自分の頭を指さしながら、ユーモアを込めて、「それでは、頭の良くなる薬はありませんか」と尋ねました。すると、にっこり笑って、こう言うではありませんか。
 「その薬なら、たった今、売り切れてしまいました!」と。
 明るい笑顔が広がりました。
 あたりは春の雨で、煙っています。案内してくださった方が、「煙雨《えんう》の桂林が、一番、美しいのです」と教えてくれました。
 船に乗ると、中国の山水画そのものの世界が広がっていました。いつしか雨は上がり、霞がかった奇峰《きほう》の数々が水面《みなも》に影を落としていました。両岸には人々の生き生きとした生活がありました。
 終点の陽朔《ようさく》に着くころには、時折、陽も差してきました。漓江の川面が青磁色に光り始めました。晴れてもまた美しい桂林でした。
 船着き場を下りて、名残を惜しんで漓江を振り返ると、戻る船が一艘、進んで行きます。
 ──旅人を楽しませる知恵、温かくもてなす心に満ちた中国の人と大地に感謝しつつ、私はシャッターを切りました。

 実は、桂林の一帯は、3億年前は海底だったそうです。やがて石灰岩の巨大な大地が地殻変動で隆起し、水の浸食によって長い時間をかけて、不思議な形の山々が生み出されたといいます。
 長遠な大自然の営みによってつくられた偉観を眺めつつ語り合った中国の友人が、お国の故事成句を教えてくれました。
 「兼聴則明、偏聴則暗(あわせ聴けばすなわち明るく、偏《かたよ》り聴けばすなわち暗し)」──多くの人と出会い、広い心で意見を聞けば理解が深まる。一方の話だけ聞いているだけでは、物事は明らかにならない、という意味です。
 悠久の中国の歴史が育んだ「平和の知恵」が光っていました。
 思えば、1974年の5月から6月にかけて、私が初めて中国を訪れた時、首都・北京で私は一人の少女に、こう尋ねられました。
 「おじさんは、中国に何をしに来たのですか?」
 私は即座に答えました。
 「あなたに会いに来たのです」
 私の偽らざる真情でした。その通りに私は、中国の首脳や各界の指導者とお会いする一方、庶民の方々とも、青年や児童たちとも可能な限り語り合いました。
 ある時は、大学で学ぶ学生たちと、またある時は、工場で汗をにじませて働く労働者とも。
 全長約430キロの大河・漓江は、遠くから眺めると、流れているのかどうかわからないほどです。しかし、確かな大きな力で、岩を削り、大地を潤し、絶えず上流から下流へと進んでいます。
 私が対談した大歴史家のトインビー博士は、真に歴史を創るものは、目立たない「水底《みなそこ》のゆるやかな動き」であると言われていました。世間をにぎわすニュースや出来事は、むしろ流れの表面にすぎないと達観されていたのです。
 そして博士から私は、たとえ地味であっても、心と心を深く結びゆく対話と友情を、さらに世界へ広げることを託されました。
 日蓮大聖人は、「他人であっても心から語り合えば、かけがえのない命にも替わりうるのである」(御書1132㌻、通解)と仰せです。一対一の友情と信頼が集まれば、友好の大河となります。そこに、押しとどめようのない平和の流れが生まれます。新たな友情が、新たな歴史を創るのです。

 中国の「人民の父」周恩来総理、「人民の母」鄧穎超先生ご夫妻と私は、黄金の友情を築くことができました。
 中国は、日本と2000年以上のお付き合いがあり、漢字や仏教など、私たちがさまざまなことを学んできた「文化大恩の国」であり、「兄の国」です。
 その国を第2次世界大戦で、日本の軍部政府は蹂躙しました。戦火は美しき桂林にも及び、5回の渡海の失敗を乗り越えて日本に仏教を伝えた鑑真ゆかりの寺も、大半を消失しました。この残酷な歴史を、私たちは決して忘れてはいけません。
 1968年9月8日。私は信頼する後継の青年たちの前で、「日中国交正常化提言」を発表しました。当時の日本政府は中国を敵視しており、私は、世間から嵐のような非難中傷を受けました。
 そんな中、私の提言に注目し、高く評価してくださった方が、周総理でした。後にそれが、両国の国交正常化(72年9月)のきっかけの一つとなりました。
 総理は、中国とアジア、ひいては世界の行方を決定づけた「20世紀の諸葛孔明(『三国志』の名宰相)」ともいうべき方でした。
 新中国が誕生した49年に、総理兼外務大臣に就任されました。「生命不息 戦闘不止(命ある限り、戦いを止めず)」との信念のまま、民衆に尽くし抜き、76年1月に逝去されるまで総理を務められたのです。

 74年12月、周総理と私は、「一期一会」の出会いを果たしました。その時、総理は重い病で入院中でした。それでも私との会見を望んでくださったのです。医師からも “命の保証ができません” と忠告されました。私も総理のお体が心配で、いったんは会見を辞退しました。しかし、総理は、「どんなことがあっても会わねばならない」と言われ、私に直接、両国友好の後事を託してくださったのです。
 その席上、総理は日本に留学された時のことを、懐かしそうに振り返られました。私は「桜の咲くころに、ぜひ、もう一度、日本に来てください」と申し上げました。総理は「願望はあります。が、実現は無理でしょう」と答えられました。
 桂林を訪れた5回目の訪中の際、北京のご自宅を訪問し、鄧穎超先生と、亡き周総理の思い出を語り合いました。その日に行われた歓迎の集いで、鄧先生は総理との大切な思い出を教えてくださいました。「若き日、恩来同志と二人で約束したことがあります。それは、人民のために奉仕するということです。死んでもこのことは同じです」と。
 総理との約束の通り生き抜かれた鄧先生もまた、民衆奉仕の信念の方でした。何度も出会いを重ね、私たちを家族のように大切にしてくださいました。
 最後にお会いしたのは90年5月のこと。会見が終わり、ご自宅を後にしようとした時でした。立つことも歩くことも困難だった鄧先生が、両脇を支えられて玄関の外まで出てこられたのです。一度乗った車を降りて、再び、ご挨拶しましたが、それこそ私たちが見えなくなるまで、じっと見送ってくださったのです。そのお姿は、今も瞼に焼き付いて離れません。
 わが創価大学には、周総理との永遠の友情を誓い、中国からの留学生と共に植樹した「周桜」があります。また、鄧穎超先生の来日を記念した「周夫婦《めおと》桜」も植えられています。「周桜」「周夫婦桜」のもとには、ご夫妻を偲んで多くの人が訪れます。
 私は、尊敬してやまない鄧先生に、詩「縁《えにし》の桜」を捧げました。

 時は去り時は巡り
 現《うつ》し世に移ろいあれど
 縁の桜は輝き増して
 友好の万代なるを語り継げり
 ……

 うれしいことに、詩をもとにして「桜花縁《おうかのえにし》」という曲が生まれました。中国大使館の関係者にもご参加いただく創大の観桜《かんおう》会で披露されるなど、日中両国の青年に歌い継がれています。
 国交正常化後、新中国から初の正式な留学生を受け入れたのは、創価大学です。その創大から中国への留学生は、1000人を超えています。創大生が日中友好の先頭に立っていることほど、創立者としての喜びはありません。
 中国は、老朋友《ラオポンヨウ》(古い友人)を大切にします。長く友情を育んでいくことを重んずる「友誼の国」「信義の国」です。
 いやまして両国の間に永遠に万朶と友好の花が咲き続けることを、私は願ってやみません。未来部の皆さんが、私が築いた日中友好の「金の橋」を渡り、平和と友情の道をさらに大きく開いてくれることを楽しみにしています。

 周総理も、鄧先生も、「友情の偉人」でした。名もなき民衆を、わが家族のように大切にし、たった一度の出会いですら忘れない、慈悲と真心の英雄でした。
 「自分と縁《えん》あるものを、一つ一つ大切にし、決して断絶してはならない」――これは、周総理の若き日の決意です。
 大変な時に、友情の真価がわかります。皆さんも、友人と意見がぶつかったり、ちょっとしたことで誤解してしまったりすることもあるでしょう。しかし、そうしたことを乗り越えるたびに、友情は鍛えられるのです。本物の友情は築けるのです。
 ゆえに、焦らずに新たな出会いを重ね、自ら声をかけて友情を結び、育んでいってください。
 自らが「善き友」になっていけば、「善き友」の連帯は、さらに広がります。そのなかで、自分では気がつかない自分の善い点も発見できます。友情こそ、人生を力強く生きる勇気の源泉なのです。
 ゆえに、私は申し上げたいのです。君よ、貴女《あなた》よ、平和な地球を築きゆく「友情博士」たれ! と。

参考文献は、アーノルド・J・トインビー著 『試練に立つ文明』 深瀬基寛訳(社会思想社刊)、陳舜臣著 『九点煙記―中国史十八景―』 (毎日新聞社刊)。

第12回 デンバーの湖     (2015.3.1付 未来ジャーナル)

青春詩人よ、詩心で希望の明日を開け


 この春、卒業を迎える皆さん!
 晴れの門出、誠におめでとう!
 皆、本当によく頑張りました。
 私は、一人一人の健闘を讃えて、皆さんのご家族や、未来部の担当者の方々と一緒に、大拍手を送り、祝福の万歳を叫んでおります。
 卒業は、ここまで自分を育んでくれた方々に感謝を表し、その恩返しに、より立派に成長していくことを誓う出発でもあります。
 わが卒業生が、一人ももれなく、偉大な勝利の青春を飾りゆかれることを、私は祈ります。

 私がお招きいただいた、世界の大学の卒業式も、それぞれに清々《すがすが》しい決意が漲っていました。
 特に、野外で行われたアメリカの名門デンバー大学の卒業式は、実に晴れ晴れとした、伸びやかな式典でした。
 コロラド州の州都デンバーは、全長4500キロに及ぶロッキー山脈の大自然に抱《いだ》かれています。
 「平原の女王都市」とも呼ばれ、1年のうち約300日が晴天という気候です。交通の要衝として栄え、全米最大規模の空港もあります。多様性あふれる国際都市であり、教育都市でもある。“アメリカ人が移り住みたい街” の第1位に選ばれたことがあります。
 この憧れの地に立つのが、1864年創立のデンバー大学です。
 卒業式は、抜けるような青空の下、卒業生とそのご家族、さらに留学生とも麗しい交流を重ねてきた市民の方々など、5千人が列席して行われました。1996年の6月のことです。
 この席上、私は光栄にも「名誉教育学博士号」をお受けしました。壇上で紹介され、リッチー総長から名誉学位記を授与していただき、握手を交わしました。すると、そのあと、突然、卒業生に祝辞をと、求められました。事前にお話はなかったので、原稿などは、もちろん準備していませんでした。
 さあ、どうするか……。マイクの前に立った私は、とっさに、心強い味方を見つけたのです。
 それは、天空の太陽でした。また、彼方にそびえるロッキー山脈でした。そして、その上に浮かぶ月でした。この三つの “わが友” を指しながら、私は若き英才たちに語りかけました。
 「太陽は燦々と輝いています。月もまた、皆さま方に輝いています。太陽は情熱。月は知性です。ロッキー山脈は厳然たる信念の姿で皆さま方を見守っています」と。
 そして簡潔に、感謝とお祝いを述べて、「皆さま方の前途に、栄光あれ! 勝利あれ! そして皆さま方が全世界に羽ばたいていかれることを念願して、私のあいさつを終わります。サンキュー!」と結びました。
 皆、明るい拍手と歓声で応えてくれました。
 いつ、どんな時にも、空を見上げ、世界を見渡せば、そこには、共に生きる仲間がいます。
 人間だけではありません。太陽も、月も、星々も、山も、川も、海も、木々も、花々も、鳥も、魚も、虫も……。その仲間たちと楽しく朗らかに、生きる喜びをうたいあげていく──それが「詩心」といってもよいでしょう。

 ああ、美しきかな、
 ひろびろとした空、
 琥珀《こはく》色に波打つ穀物の穂、
 実り豊かな平原にそびえる
 厳《おごそ》かな紫の山々……

 これは、アメリカの第2の国歌といわれる「アメリカ・ザ・ビューティフル(美しきアメリカ)」の一節です。作詞者のキャサリン・リー・ベイツという女性は、ロッキー山脈の山の頂から望むコロラド州の絶景に胸をふるわせ、この詞を生み出したといいます。
 豊かな大自然に恵まれたコロラド、そしてデンバーの天地は、多くの詩人から愛されてきました。
 私が若き日から愛読してきた民衆詩人のホイットマンも、デンバーにほれ込んでいた一人です。
 デンバーの名所であるフェリル湖は、「コロラドの桂冠詩人」と呼ばれたトマス・フェリルの名を冠した湖です。
 諸行事の合間に、デンバーの友人が案内してくれました。
 創価学会の初代会長である牧口常三郎先生は、大著『人生地理学』で、“山と結合して絶景を表し、人の心を感動させるのが、湖の最も顕著な特徴” と論じられました。
 雪を冠したロッキー山脈の雄姿と、天の鏡のようなフェリル湖――私は眼前に広がる絵巻に胸を高鳴らせ、カメラを向けました。
 写真もまた、「目で詠む生命の詩」です。

 この96年に、デンバーでうれしい再会を果たした友人がいます。
 デンバー大学の副学長で、世界的な国際法学者のベッド・ナンダ博士です。博士とは、94年に創価大学でお会いして以来、交流を重ね、対談集も発刊しました。
 デンバーのご自宅にもお招きいただき、キャサリーン夫人、愛娘アンジェリーさんと、真心あふれる歓迎をしてくださいました。
 ナンダ博士は、1934年、インド北西部のグジランワラ(現在はパキスタン領)に住むヒンズー教徒の家庭に生まれました。
 しかし、12歳の時、インドとパキスタンが別々の国として独立した直後に、 “宗教の違い” によって迫害を受け、故郷を捨ててインドへ移住しなければならなくなりました。
 それでも、ナンダ青年は、負けじ魂を燃え上がらせ、決然と勉学に励みました。インドを代表するデリー大学やアメリカ屈指の名門エール大学で学び、やがて、国際法の大家となり、世界法律家協会の会長を務められました。
 博士が語ってくださった幼き日のエピソードがあります。
 「あの人は悪い人だ」と誰かがいうと、お母さんから、「いいえ、その人にも必ずよいところがあるはずです。私たちに今、それが見えないだけですよ」と、さとされたというのです。
 人間への信頼と目覚めを促されたお母さんの教えを胸に、博士は「自分と異なるものを尊敬する」生き方を貫いてこられたのです。
 その「開かれた共生の哲学」を、ナンダ博士は、東西の創価学園でも、また、アメリカ創価大学でも、詩心豊かに示してくださいました。

さあ、今日も名詩のような一日を勤行から出発!

 「あらゆる知性の宝石を、あらゆる感情の花を民衆の手にあたえることが、詩人たるもののすばらしいつとめ」とは、アメリカの思想家で詩人のエマソンの言葉です。
 私は常々、「指導者は詩を学べ」「詩心を持て」と語ってきました。
 詩心のない人、詩心のない指導者は “機械” のようになってしまうからです。詩こそ、人間性の証しといえるからです。
 実は、未来部の皆さんは毎日、気付かないうちに、詩を読んでいるのです。
 皆さんは朝晩の勤行で、「爾時世尊……」から始まる方便品に続いて、「自我得仏来……」から始まる寿量品の自我偈を読誦していますね。
 自我偈の「偈」とは、「詩」のことです。釈尊の一番大切な教えが、詩として、リズミカルに心に響くように伝えられているのです。
 日蓮大聖人は、この自我偈を、法華経二十八品の「魂」であると仰せです(御書1049㌻)。
 それほど、すばらしい最上の生命の讃歌をうたいあげる儀式が、毎日の勤行なのです。
 私の恩師・戸田城聖先生は、自我偈を「仏自身の経文であり、われわれ自身の経文なのです」ともいわれていました。
 「仏」とは遠い存在ではない。自分自身が永遠の「仏」の生命なのだ──これが自我偈の心です。
 勤行を通して、私たちは、最も強く、正しく、深く、何ものにも負けない、自らの大いなる生命に目覚めていくことができるのです。

 私と妻が友情を重ねてきた、アメリカ・エマソン協会の元会長であるワイダー博士は「詩人は、真実を叫ぶ存在です。詩人は、社会に正義がもたらされるよう声を上げるのです」と述べておられます。
 私は思います。自身の使命に目覚め、何ものも恐れずに真実を叫び、正義の行動と友情の対話を社会に広げゆく創価の友こそ、真の「詩人」にほかならない、と。
 「詩人は自然とおなじように、いつだって陽気でほがらかである」──アメリカの思想家ソローの箴言です。
 私はこの言葉に触れるたび、皆さんのお父さん、お母さん、そして世界で活躍する仲良き創価家族の姿を思い浮かべます。
 若くして妙法を持《たも》った皆さんもまた、朗らかな詩人です。
 「学び」に目覚め、民衆のために学びぬく人は「勉学詩人」です。
 「平和の尊さ」に目覚め、連帯を広げゆく人は「友情詩人」です。
 「父母の愛情」に目覚め、成長する人は「親孝行詩人」です。
 そして「自身の内にある無限の可能性」に目覚め、挑戦の日々を送りゆく人は「青春詩人」です。
 毎朝、最高の生命の詩を読んで出発し、一編の詩のような充実した一日を舞う。毎夜、再び最高の生命の詩を読んで、明日への成長を誓う。
 皆、自分だけの、自分にしかできない詩を綴る偉大な詩人です。偉大な指導者になる人なのです。
 その君に、貴女《あなた》に、絶望や諦めはありません。あるのは希望! 希望あるのみです。

 デンバーの広宣流布の出発は、わずか数人でした。しかし、それから30年。私が訪れた96年には、数千の地涌の連帯に広がっていました。
 「開拓の心」に燃える英雄たちに、私は呼び掛けました。
 「ロッキー・マウンテンの無限の天空が、皆さまの無限の希望を象徴しています」
 「希望をもち、希望を、ひとつひとつ実現しながら、毎日を『忍耐』と『勇気』で生き抜いていただきたい」と。
 皆さんの目の前にもまた、「未来」という果てなき大空が広がっています。
 大山脈の如き信念に生きる君と私には、貴女と私には、その天空を自由に駆け巡る「勇気の翼」がある。そして「師弟の翼」がある。
 新たな旅立ちの日を迎える、愛する皆さんに、私が22歳の時に詠んだ詩「若人」の一節を贈ります。

 若人よ
 今日の戦いに 勇敢であれ
 明日の理想を 祝福せよ
 過去の夢を 忘れ去れ
 未来の夢に 起《た》ち上がれ

 若人よ
 進め 進め
 永遠に 前へ──

 「アメリカ・ザ・ビューティフル」の歌詞はハロラン芙美子著『アメリカ精神の源』(中央公論社刊)から。エマソンの言葉は『エマソン選集6 代表的人間像』 酒本雅之訳(日本教文社刊)。ソローは『市民の反抗』飯田実訳(岩波書店)。

第11回 ドミニカの庭園      (2015.2.1付 未来ジャーナル)

一番苦しんだ人が一番幸福に

 はじめに、自由自在に地球を一周する思いで、思い浮かぶ国の名前をあげてみよう。みんな、幾つくらいあげられるかな。
 実に、たくさんの国があるね。
 私が世界への旅を開始して、今年で55周年。今、私たちSGI(創価学会インタナショナル)の平和と文化と教育の連帯は、192カ国・地域にまで広がりました。
 いずこにも、大変なところ、目立たないところで、民衆のため、社会のために奮闘している友がいます。そうした “真の英雄” に、一人でも多くお会いし、労苦をねぎらいたい、讃えたい。そして、一緒に未来への平和と繁栄の道を開いていきたい。この思いで、私は世界中を走ってきました。
 その一つが、「カリブの宝石」と呼ばれる中米のドミニカ共和国です。尊き友の心がダイヤモンドの如く光る国です。28年前の1987年2月に訪問しました。

 カリブ海で2番目に大きな島・イスパニョーラ島の3分の2を占めるドミニカ共和国は、九州と高知県を合わせたほどの広さで、約1000万の人々が暮らします。
 晴れ渡る青空、太陽に輝く白い砂浜、澄みきった大海原、人情豊かで陽気な人々──。まるで、おとぎの国のような天地です。世界王者となった、野球の強豪国でもあります。
 1492年、新大陸に到達したクリストファー・コロンブス(クリストバル・コロン)がヨーロッパ人として初めて、この島に上陸しました。翌年、移住者たちによって建設された最初の町が、今日の首都サントドミンゴでした。
 スペインの植民地として栄えたサントドミンゴには、今でもいたるところに、中世からの街並みが残っています。新大陸で最初の病院や大学も、ここで誕生しました。旧市街は、ユネスコの世界遺産に登録されています。
 大変、日本に親しみを持つ国です。それは、日本から移住した方々が、汗と涙と努力によって信頼を勝ち広げてきたからです。
 第2次世界大戦後、荒廃した日本では、国の政策として中南米への移住が奨励され、ドミニカ共和国にも大勢の日本人が渡っていきました。
 しかし、豊かな耕地と聞かされていた土地は、石だらけで灌漑の設備もなく、実際には耕作は不可能でした。ジャングルに分け入り、バナナやオレンジで空腹をしのがねばならない人もいるほどでした。移民ではなく「棄民《きみん》(国から棄てられた人々)」といわれ、最終的には8割以上の方々が、この国を去らねばならなかったのです。

 ドミニカの広宣流布は、移住の苦労を重ね、踏みとどまった草創の数少ない同志から始まりました。1966年に支部を結成し、来年で広布50周年の佳節を迎えます。
 日本から送られてくる聖教新聞や大白蓮華を、皆でボロボロになるまで回し読みして、この地に生きる使命を何度も確認し合いました。そして、「良き市民」として、誠実に粘り強く信頼の根を張り、社会に尽くしていったのです。
 支部ができた翌年、桜の咲くころに、日本に一時帰国した友と、懇談する機会がありました。日焼けした頬を涙でぬらしながら、苦労を語ってくれました。
 私は、心で涙しながら、この尊き開拓の丈夫《ますらお》に語りました。
 「ドミニカの大地に信心の根っこを張り、あなたが大樹として育ってください」
 「今は苦しいかもしれないが、必ずいっぺんに花咲く時が来ます。仲良く、団結して、包容力をもって進んでください」
 この友は、ドミニカSGIの中心者となり、良き同志と力を合わせて、社会で実証を示していきます。やがて日系人協会の会長も務めるようになりました。
 87年2月、夜のサントドミンゴ近郊の空港で、出迎えてくれた彼の肩を抱き、私は「もう大丈夫だよ。長い間、本当によくがんばったね」とねぎらいました。多くの友が、小旗を振って歓迎してくださいました。鼓笛隊が歓迎の演奏をしてくれ、未来部員も目を輝かせていました。
 異体同心の団結で、人材と幸福の花を爛漫と咲き薫らせていたのです。雨が上がった空には、ふくよかな月と、またたく星座が見守ってくれていました。
 「冬は必ず春となる」(御書1253㌻)です。信心を貫いた人が、最後には必ず勝ちます。
 4日間の滞在中、行事の合間のひととき、宿舎の窓から外に目を向けると、彼方に、陽光に照らされた海がエメラルド色に輝いていました。眼下には、美しく整備された緑の庭園が広がっていました。そして、そこには黙々と庭の整備を続ける方がいました。
 自分がなすべきことに、黙々と取り組む陰の人がいて、皆の心が輝く。その人こそ “真の英雄” だ──ドミニカの同志の姿と重ね合わせ、私は合掌する思いで、静かにシャッターを押しました。

 この訪問で、私はバラゲール大統領とお会いしました。
 質素で「預金口座をもたない大統領」としても有名です。週末にはヘリコプターで何百キロも移動し、地方の村を訪ね、人々の要望に真剣に耳を傾けてきた奉仕のリーダーです。だから、全土の地名が、すべて頭に入っていました。
 大統領は少年時代から、天才詩人として名を馳せました。貪るように本を読み、詩の才能を培い、胸中に人間愛を育みました。
 14歳で詩集を発表し、17歳で文学賞を受賞。大学に進学しましたが、ほとんど独学でした。遠距離通学と仕事のため、大学に通うことすら難しかったからです。それでも、時間をこじあけて、猛勉強。優秀な成績を収め、フランスへの留学も勝ち取りました。やがて、弁護士、ジャーナリスト、政治家として大活躍していきます。
 内戦後の混乱から安定へ、大統領として、「奇蹟」と呼ばれる繁栄へ導きました。私がお会いしたのは、ひとたび政権から離れた後、86年の選挙で、もう一度、大統領に選ばれた半年後のことでした。
 バラゲール大統領は環境保護にも力を入れ、国土には今、豊かな森と農地が広がり、その先見は世界の指導者が称賛しています。
 私は大統領との会見の席上、大統領が青春時代につくった詩「自立」を朗読しました。
 「僕はいつも毅然さと誇りを保ち続けてきた。それを失うようなことを微塵も考えたことはない。
 僕は決して自分に鎖をはめることを望まなかった」
 「それはただ、自立、自由意志を求めつつ完璧な自分自身を宿した人間になりたいからだ」
 自分は自分らしく、自分自身に生き切る。ありのままで誇り高く進むのだ!──青春の魂の叫びが響いてきます。
 大統領は、長年の激務と白内障で、両目の視力を失っておられました。私が日本語で詩を朗読し、通訳がスペイン語で読み上げている時、大統領が穏やかな表情で、うれしそうに聞いてくださった光景は、今も忘れられません。目には、光るものがあったようにも見えました。
 大統領は謳っています。
 「何ものもわが旗を切り裂くことはできない 柏の木は折り曲げられても 決して軋《きし》まず その枝にとまった鳥の囀《さえず》りに耳を傾ける」
 青春の誓いに生き抜く──その信念の旗を高く掲げ続ける人は、どんな苦難も嘆かない。いかなる逆境にあってさえも、自分を頼りにする者を抱擁し、断じて見捨てることはない、と。
 青春の信念の道を、一生涯、一歩また一歩と歩み抜いた人こそが栄光をつかむことができます。
 労苦を教師に! 努力を友に!
 苦しみの中でも、生命の讃歌を朗らかに謳い上げながら!

青春は強気でいけ! 真の勝利者とは最後まであきらめない人
 大統領とお会いした後、私は最高位勲章「クリストバル・コロン大十字勲章」を拝受しました。授章式を終えた後、宿舎に戻った私は、待っていたドミニカの友に、直ちにメダルをお見せしました。この栄誉は、ただただドミニカの同志たちの功労への勲章である。ゆえに、一人一人の胸につけて差し上げたいとの思いからでした。
 一番苦しんだ人が、一番幸福になる権利があります。
 一番苦労した人が、一番の栄光と勝利の人です。
 一番努力した人が、一番大きな花を咲かせていけるのです。
 これが妙法の世界です。宇宙と生命と人生を貫く、厳粛なる因果の理法です。
 苦労した人は、友の痛みに誰よりも同苦できます。
 ドミニカの同志は、2010年に起こった隣国のハイチ大地震の際にも、いち早く救援に当たってくれました。
 さらに、同じカリブ海に浮かぶ、キューバの同志とも励まし合いながら、平和のスクラムを仲良く広げてくれています。
 「陰徳あれば陽報あり」(御書1178㌻)とは、日蓮大聖人の仰せです。人知れぬ労苦は、必ず大きな果報となって現れます。
 花は、咲く時期も、咲き方も、それぞれ異なる。人間もそうです。努力は、いつか必ず花を咲かせます。だから、決してあせることはありません。
 栄光と勝利と幸福の花を!
 自分にしかない使命の花を!
 その花がまた、周囲に笑顔を広げていく。社会に、世界に、春を告げる大輪となるのです。
 2月は、「立春」を迎えます。まだまだ厳しい寒さのなか、 “勝利の春” を目指し、勉強やクラブ活動に懸命に励む皆さんの雄姿が浮かんできます。特に、奮闘する受験生の健康と栄光を、私は祈らずにはいられません。
 ドミニカの思想家ペドロ・エンリケス・ウレニャは、「行動をしないよりは、未熟であっても試みることが大切である」と、挑戦の大切さを教えています。
 誰が見ていようがいまいが、地道に積み重ねた努力は、間違いなく自身の力となります。
 労苦こそ、青春の “根っこ” です。ほかの人には分からなくても、少しずつ、しかし着実に、心身を育む養分を蓄え、人格をつくっているのです。
 最後まであきらめない人が、真の勝利者です。最後まで努力し抜いた人が、偉大な幸福博士です。
 今月11日は、戸田城聖先生が誕生して満115年の佳節です。先生は、私たち青年に、「人生は強気でいけ!」と励まされました。
 私も、皆さんに、「一度しかない青春を強気でいけ!」「『絶対に勝つ』と決めて頑張り抜こう!」との言葉を贈りたい。
 私がこれまで世界で訪問できたのは、54カ国・地域です。訪れたい国は、まだまだたくさんあります。でも、行けなかった国々とも、後継の皆さん方が、私に代わって友情を深め、平和の連帯を強めてくれると確信しています。
 だから、私は幸福です。

第10回 ネパールの頂      (2015.1.1付 未来ジャーナル)

君よ、粘り強く最高峰の青春を

 新しい一年の始まりに当たり、皆さんに、一つ質問をします。
 「王」という文字は、「三」という字を書いて、「一」の字を縦に書き表すね。これは何を意味していると思いますか?
 日蓮大聖人の御書には、「三」は天と地と人を表し、それを貫いて少しも動かない存在を「王」というと説かれています
 そして、その王の象徴こそ、世界一の大山脈・ヒマラヤなのです。

 王者の山・ヒマラヤは──
 何ものにも揺るがない父の如く、堂々とそびえています。
 全てを優しく包み込む母の如く、人々を見守っています。
 肩を組んで試練に挑む皆さんの如く、天空を目指しています。
 20年前の1995年11月。私は、美しき精神の大国・ネパールを訪れました。
 名門・国立トリブバン大学での式典などを終えた後、首都カトマンズから車で1時間ほど走り、郊外へ向かいました。“ヒマラヤを仰げる丘へ”と、地元の方々が真心こめて案内してくれたのです。
 ただ、天候によって、必ずしも見られるとは限りません。この曰の夕刻も、到着するまでは、あいにく雲が出ていました。
 カメラを手に少し歩くと、それまで頂をおおっていた雲が、カーテンのようにサッと開《あ》きました。そして白雪を身にまとった王者の峰が、夕日の“スポットライト”に浮かび上がったのです。
 チャンスは一瞬でした。
 シャッターを切ることびできた、ほんの数秒間だけです。あたりは天の照明をゆっくりと落とすように、夕闇に包まれていきました。夕ごはんのしたくをする煙も上がっています。
 一瞬の出あい。しかし、天を衝くヒマラヤは、無言にして無限の励ましを贈つてくれました。

 「世界広布新時代 躍進の年」、私は皆さんに呼びかけたいことがあります。
 それは、この一年、自分自身の最高峰を目指そうということです。
 私の恩師・戸田城聖先生は、「青年は、望みが大きすぎるくらいで、ちょうどよいのだ」とよく、言われました。
 大きな希望を抱いて最高峰に挑むことは、青年の特権です。そこに青春の「躍進」が生まれます。
 「躍進」の「躍」には、「足」があります。また右側の「翟《てき》」は、鳥が羽ばたいて飛び立とうとする姿に由来するといいます。
 大地にどっしりと足をつけ、他人と比べて焦るのではなく、自分らしく粘り強く努力を重ねていく。そして、希望の大空を見つめ、無限の可能性の翼を広げて、飛翔していくのです。
 常に、高みへ向かって、少しずつでも前進していく人が、青春の勝利者です。
 ネパールにも、そうした皆さんの仲間が、いっぱい光っています。

 ネパールは、インドと中国の間に位置します。大きさは、北海道の2倍ほどです。
 世界最高峰のエべレスト(標高8848㍍)を頂点としたヒマラヤ山脈をはじめ、亜熱帯のジャングルなど、壮大な自然に抱かれた国土に、30以上もの民族が調和しながら暮らしています。
 仏教の創始者・釈尊が誕生したのも、ここネパールです。
 ネパールは、“微笑んでいる人たちの国”といわれます。また、多くの偉大な詩人を生んだ「詩心の大国」です。
 ネパールを代表する人道主義詩人サマは謳っています。
 「エべレストのごとく、常に毅然として揺るがず、心に真実と美と永遠を抱こう」と。
 ヒマラヤ山脈を撮影した日、私は、あの丘で、地元の村の子どもたちと忘れ得ぬ友情を結びました。20人ほどいたでしょうか、珍しそうに、異国から来た私たちを遠巻きに見ていました。
 私が「おいで、おいで」と招くと、ニコニコと人懐こく寄ってきてくれました。皆の澄んだ瞳が、宝石のようでした。あどけない笑顔は、蓮華の花のようでした。美しい心が、ひときわ輝いていました。
 私は、国の宝、世界の宝である“未来の使者”たちに、心を込めて語りかけました。
 「ここは仏陀(釈尊)が生まれた国です。仏陀は、偉大なヒマラヤを見て育ったんです。あの山々のような人間になろうと頑張ったのです。堂々とそびえる勝利の人へと自分をつくり上げたんです。みなさんも同じです。すごい所に住んでいるのです。必ず、偉い人になれるんです」
 皆、真剣な眼差しを向けてくれました。通訳の方を通しての語らいでした。それでも、心と心は通い合っていました。私には、それがはっきりと分かりました。
 私は、涼やかな目を見つめて言いました。
 「皆、勉強して、偉くなってください」
 最高峰の人格の人・釈尊の生まれた国の若人たちよ、徹して学び続ける求道の青春を! そして、最高峰の価値ある人生を! 私はそう願って、やみませんでした。
 皆、ニッコリと白い歯をこぼして応えてくれました。その場を去る時、一生懸命に手を振り、走って追いかけてまで、私たちの車を見送ってくれた姿が、命に焼きついて離れません。
 車中、私の胸には、2日前にお会いしたネパールのビレンドラ国王の言葉がよみがえっていました。国王は穏やかな笑みをたたえつつ、こう語られました。
 「教育がいかに大切か、私たちは知っています。教育は若き世代に対し、将来、彼らが直面するであろう困難と諸問題に打ち勝つ力を与えます」
 「学は光」です。私は子どもたちの未来に光あらんことを、心から祈らずにはいられませんでした。
 うれしいことに、私が出会った子どもたちは、立派に成長し、理学療法士や公務員、ドライバーなどとして、ネパールの天地で活躍していると聞いています。

 ネパールの大詩人デウコタは詠みました。
 「我々は、この世界を理解しなくてはならない。臆病であってはならない。世界を直視し、勇気を奮い起こすのだ。
 この世に生きている間に、大空へと翼を広げるのだ」
 この詩を私が一緒に味わった、かけがえのない友人が、ネパールのマテマ元駐日大使です。
 大使こ自身も、この詩の如く生き抜いてこられました。
 私が大使と初めてお会いしたのは94年。大使が、トリブバン大学の副総長を務めておられた時に、東京にお迎えしました。
 大使はネパールではなく、インドで生まれ育ちました。当時の独裁政権にご家族が立ち向かい、数十年にわたる亡命生活を余儀なくされていたからです。
 大使が若き日、最も影響を受けたたのは、「貧しい人々のために行動しなければ」と、勇敢に戦った、親せきのおじさんの存在でした。
 おじさんは、政府の要職に就いていました。しかし、そうした地位を投げ捨てて、民衆の真の幸福のために立ち上がったのです。独裁政権によって、おじさんは処刑されましたが、その不屈の精神は、大使の命に深く刻まれました。
 おじさんは常に自身を導く「人生の灯台」であると、大使は私にこう語つてくれました。
 大使は勉学に励んで、イギリスに留学し、やがてトリブバン大学の教壇に立つことになります。
 70年代、学生たちが民主化を求めて運動を開始した時、大使も共に断固と立ち上がりました。権力から圧迫を加えられ、辞職しても、負けじ魂を燃え上がらせ、一貫して民衆のために働きました。そして、明年、ネパールは民主化を果たすことができたのです。
 徹して学び、行動する「勇気」。これこそ、一流の人物に共通する、人生で最も大切な美徳です。
 2l世紀の世界は、紛争やテロ、貧困や人権、環境問題をはじめ、重大な課題が山積しています。若き皆さんの活躍を待ち望んでいる人々が、たくさんいます。
 私はこの「勇気」の二字を、人類の宝である、君たち、貴女《あなた》たちに贈りたい。そして、その勇気の翼、未来の翼で、世界を駆け巡ってもらいたいのです。

悩んだときこそ決意の題目! 一歩また一歩と挑め
 私はトリブバン大学で、「人間主義の最高峰を仰ぎて──現代に生きる釈尊」と題する講演を行いました。その中で、“ヒマラヤの如き悠然たる境涯を確立することが、世界平和の原点”ということを訴えました。
 心の大きな人は、他人に嫉妬しません。心の豊かな人は、つまらぬ縁に紛動されません。
 皆さんには、何があっても悠然と乗り越えていく自身を築き上げるための、信心があります。題目があります。
 日蓮大聖人は仰せです。
 「須弥山(世界の中心の最高峰の山)の始めは一つの塵である。一を重ねれば二となり、二を重ねれば三となり、このように十、百、千、万、億……となっても、その生みの母はただ『一』なのである」(御書1237㌻、趣意)
 今の一歩の努力、一人の友情、一つの親孝行が、ヒマラヤの如き自身を創ります。
 その活力は題目です。なかなか一歩を踏み出せないなと思う時でも、決意の題目を唱えて、一歩また一歩と挑んでいけば、必ず一日一日と持続していけるのです。

 ヒマラヤ山脈は現在もなお、1年間に数㌢ずつ高くなっているといいます。 人間も同じく、最高峰の人は、常に成長し続けます。
 戸田先生も、一生涯、勉強し続けた偉人でした。亡くなる直前まで、私に「今日は何の本を読んだか」と尋ねられ、「私は『十八史略』(中国の歴史の物語)を読んだよ」と言われながら、将軍学を教授してくだざいました。
 ネパール滞在中のある夜、妻が「あら! 流れ星!」と空を見上げました。
 私は感慨を込めて答えました。
 「戸田先生が喜んでくださっていつるね」と。
 いつでも、どこでも、私の胸には、悠然たるエべレストの如き、世界最高の師匠がいます。ゆえに、弟子である私も、永遠に挑戦をやめません。日々勉強であり、日々努力です。
 そして、私の心には、未来部という成長し続ける人材山脈がそびえ立っています。これほど心躍る絶景はありません。
 最高峰を仰いで人生を登はんする人に、停滞はありません。後退も、敗北も、絶対にありません。最後は必ず、勝利の眺望を楽しむことができる。
 ここに「師弟」の道があります。愛する君たちよ、世界の友とスクラムを組んで、いよいよ高く、いよいよ朗らかに、いよいよ堂々と、人間の王者へ、育ちゆけ!
 これが、私の祈りであり、願いなのです。

 冒頭の質問の出典は、御書1422㌻(内房女房御返事)から。「王」の字の成り立ちについては“点・地・人を統合する者”との考え方が、古くから東洋思想に見られる。
2015-05-23 : 未来の翼 世界が君を待っている :
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韓国・青年平和フェスティバルへのメッセージ

韓国・青年平和フェスティバルへのメッセージ      (2015.5.3 オリンピック公園体操競技場)

平和の世紀を 若き熱と力で! 太陽の青年部よ 世界を照らせ

青春の労苦は一生涯の幸福の土台
今いる場所で自己を鍛えよ


 わが敬愛してやまぬ韓国青年部の皆さん!
 「創価」すなわち「価値創造」のエネルギーに漲る青年平和フェスティバルの開催、誠におめでとうございます。
 ご多忙のところ、未来を担う青年たちのためにご臨席賜りました、ご来賓の先生方、誠にありがとうございます。心より御礼を申し上げます。
 平和の世紀建設の誓いも固く集われた若き皆さん方の凜々しき英姿が、私の生命にも、鏡のごとく映し出されています。
 皆さん一人一人に大拍手を送り、心の握手をする思いで見守らせていただいております。
 希望の歌を高らかに詠いゆく青春は、明るい。
 勇気の妙音を共々に奏でゆくスクラムは、強い。
 誓いの舞を誇らかに貫きゆく人生は、尊い。
 未来に伸びゆく青年こそ、社会の光であり、世界の宝です。
 16世紀、貴国の芸術の母・申師任堂《シンサイムダン》先生は語られました。
 「すべてのことは、大いなる志を抱くことから始まるのです。大いなる志を抱いた人に成し遂げられないことはありません」と。
 生命尊厳の哲理に目覚めた若き地涌の友が、一人また一人と立ち上がり、「大いなる志」の連帯を広げていく時、「大いなる希望」の力が湧き起こることは間違いありません。
 日蓮大聖人の大願は、人類の幸福であり、全世界の平和であります。
 御聖訓には「あなたよ、もし自らの一身の幸福を願うならば、まず社会や他の人の安穏と平和を祈るべきであろう」(御書31㌻、通解)と仰せであります。
 この大聖人の御心《おこころ》のままに、第2次世界大戦中、軍部権力と対峙し、牧口常三郎初代会長は獄死され、戸田城聖第2代会長も2年間、投獄されました。この両先生の平和闘争が、文化大恩の国・貴国をはじめ、世界192カ国・地域に広がった私たち創価の平和と文化と教育の運動の原点であります。
 若くして妙法を持《たも》った皆さんは、「世界広布」即「世界平和」という究極の理想に生き、それぞれの誓願の天地で、「人間革命」と「社会貢献」の行動をさらに拡大していってください。
 時代は、若き熱と力で新しき平和の波を起こしていくことを求めています。
 青春時代は、誰もが悩みや試練との葛藤の連続です。いわんや、使命が大きければ、それだけ苦難も大きい。
 しかし、だからこそ大きく成長できる。
 人々の苦しみや悲しみに、同苦できる境涯が開かれる。
 青春時代の労苦は、一生涯の幸福の土台となり、勝利の力となるのであります。
 貴国の大教育者・安《アン》昌浩《チャンホ》先生は叫ばれました。
 「堅固な基礎の上によき建設があり、丈夫な根の上に美しい花が咲き、実を結ぶ」と。
 今は堅固な基礎を作る時です。ゆえに決して焦らず、眼前の仕事に、学業に、地域の活動に生き生きと取り組み、今いるところで、誠実に、粘り強く、根っこを深く張っていってください。
 そこに、確かな向上の年輪が刻まれ、自分らしく友情と信頼の花を咲かせながら、充実と歓喜と満足の人生へと結実していけるからであります。

勇気の対話で地域へ、社会へ
 さあ、愛する青年部の皆さん、そして、信ずる同志の皆さん!
 日々、わが胸中に元初の太陽を赫々と昇らせ、勇気の対話で地域へ、社会へ、そして未来へ、希望の大光を届け、広げていこうではありませんか!
 そして、人類の宿命転換のために立ち上がった青年が、いかに崇高で、無限の力をもっているかを、仲良く朗らかに示し切っていこうではありませんか!
 どうか親孝行を忘れず、賢く悔いなく、最高に価値ある青春時代を送ってください。
 最後に、青年を温かく見守り、励ましてくださっている皆様方、また陰で本日の大成功を祈り支えてくださっている皆様方に心から御礼を申し上げます。
 そして本日、参加された皆様をはじめ、同時放映でご覧になられているすべての方々の、ご健勝とご活躍とご一家のご多幸を心よりお祈り申し上げ、私のメッセージといたします。
 世界の模範の韓国青年部、本当におめでとう!
 世界一の韓国青年部、万歳!
2015-05-20 : スピーチ・メッセージ等 :
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随筆 民衆凱歌の大行進 No.22 世界宗教への飛翔

随筆 民衆凱歌の大行進 No.22 (2015.5.15付)

世界宗教への飛翔

今 昇りゆく人間主義の太陽
「一人立て!」そして「一人を大切に!」


 万歳を
  同志《とも》と叫ばむ
   五月晴れ
  さらに続けよ
    前進勝利を

 尊き団結の奮闘で「五月三日」を凱旋で飾った
 我らは、勇気凜々と新たな前進を開始した。
 共々に出発しよう!
 創価の師弟は、永遠に前へ前へ進むのだ。
 「私は続けるだろう」とは、ルネサンスの巨人レオナルド・ダ・ビンチが晩年に記した言葉だ。
 偉大な創造は「続ける」中にある。
 偉大な勝利も「戦い続ける」中にこそある。

大願は世界広布
 日蓮大聖人は「終には一閻浮提に広宣流布せん事一定なるべし」(御書816㌻)と仰せになられた。
 今月、SGI(創価学会インタナショナル) の春季研修では、世界65カ国・地域から270人もの同志が、勇んで集ってくれた。
 これは、SGIメンバーがいる192カ国・地域の実に3分の1にもあたり、五大陸すべてから、宿縁深き友が一同に会したのである。
 私も、東京・信濃町の総本部で、皆さん方とお会いすることができた。本当に嬉しかった。
 また研修会と呼応し、40年前にSGIが結成された原点の地グアムのリーダーたちが、早くも次の結成50周年への出発を期して、はつらつと来日してくれた。
 さらに30年前、四国の徳島県で共に忘れ得ぬ歴史を刻んだ、ブラジル広布の功労者「徳島会」の代表も、阿仏房と千日尼の如き求道の心で、広宣流布大誓堂での誓願勤行会に参加された。
 皆が法華経の行者であり、地涌の菩薩である。それぞれの誓いの国土で、希望の太陽となり、励ましの太陽となって、幸福と平和の光を広げに広げているのだ。
 我らは「大法弘通」へ、「慈折広宣流布」へ、一丸となって邁進する、異体同心のスクラムだ。

自分から始まる

 大聖人が願われた通り世界宗教の大光は、ここに燦然と輝いている。
 世界宗教へ飛翔しゆく大切な力はまず「一立たつ」精神である。
 自らの仏性に目覚め、広宣流布の使制に決然と「一人立つ」勇者がいれば、新たな変革の波が起こる。自分が変われば、地域が変わり、世界が変わるのだ。
 一人ひとりの生命の尊厳と平等を説き切った大哲学があるからこそ、いかなる試練にも屈せず、「一人立つ」力を信じ抜くことができる。
 御書には、「日蓮一人・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と声もをしまず唱うるなり」(同328㌻)、また「地涌の菩薩のさきがけ日蓮一人なり」(同1359㌻)等々、幾度となく「日蓮一人」とお認《したた》めである。
 御自身が一人立ち、戦い続けてこられたのだ。その上で「わたうども(和党共)二陣三陣つづきて」(同911㌻)と後継の弟子が陸続と立ち上がることを確信されていた。
 一人から一人へ、師匠から弟子へ、そして師子と師子の連帯へ!──この広宣流布の大道を、寸分違わず進まれたのが戸田城聖先生であった。
 先生は戦時中、巣鴨の東京拘置所の独房で作られた「同志の歌」に、こう詠まれている。
 「妙法流布の 大願を 高くかかげて 独り立つ」
 ここに広宣流布を誓願とし、永遠の使命とした
学会精神の根本がある。
 と同時じに、先生は熱願された。「捨つる命は 惜しまねど 旗持つ若人 何処《いずこ》にか」「競うて来たれ 速やかに」と。
 今、日本全国、そして全世界で、いよいよ勢いをまして「旗持つ若人」が一人また一人と、立ち上がっている。若き地涌の菩薩が満を持して躍り出る、世界広宣流布の躍進が始まっているのだ。

一対一の対話で
 次に、「一人を大切にする」ことを、世界宗教の条件に挙げたい。
 誰も掛け替いのない生命でみる。誰もが生老病死の苦悩を抱えた人間である。今この時を地球で生きる仲間である。
 上も下もない。貧富や貴賤の差などない。
 「生命」を基準にした時、誰もが一対一で向き合うことができる。
 この一対一の対話を、最も尊い人間修行としたのが、法華経である。
 「能く竊《ひそ》かに一人《いちにん》の為めにも、法華経の乃至一句を説かば、当《まさ》に知るべし、是の人は則ち如来の使いにして、如来に遣わされて、如来の事を行ず」(創価学会版法華経357㌻)
 一人のため、あの友のために、真剣に法華経を語る人こそが「如来の使い」と言われるのだ。
 世界広布といっても、その最前線は、いずこの国でも、一対一の対話ではないか。いつでも、どこでも、誰でも、目の前に苦しんでいる人がいれば、親身に声をかける。悩みを聞き、共に泣き、共に祈り、共に喜び合う。
 この「一人を大切にする」人間主義の行動が、あらゆる人に無条件に開かれているところに、創価学会が世界に広がった理由があるのだ。
 私が対談したトルコ出身の文化人類学者ヤーマン博士は、ある一つの国や地域で生まれた宗教が「世界宗教」になりうるには、「対話」が大切だと強調された。
 「対話を通して、異なる文化の奥に普遍のヒューマニズムが脈打つことを知るべきです」
 ヤーマン博士は、わがSGIメンバーが、それぞれの地域で、ヒューマニズムの啓発の対話を重ねていることを称賛してくださった。
 「創価学会の平和への挑戦は、劇的であり、この長年にわたる挑戦自体が偉大な達成である」と。

生命を守る慈愛
 さらに世界宗教の条件は、生命の大地たる母たち、女性たちを中心に、幸福を創り出していくことではないだろうか。
 御聖訓には、「母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり」(御書585㌻) と仰せである。
 仏の慈悲は、遠くにあるのではない。母の慈愛の振る舞いの中にある。生命を守り育む女性の心で、万人を平等に照らしていくことこそが、平和の拡大なのだ。
 「お母さん」と呼ぶだけで、心が温かくなる。母が笑うと、周りにも笑顔と安心が広がる。
 5月10日「母の日」、大聖人御聖誕の天地で勝ち進む千葉県の友と、SGIの研修メンバーとの交流交歓会が行われた。
 多くの地域の友人たちも交えた、世界市民の語らいの真ん中に輝いていたのも‘、創価の太陽たる母たちである。
 母が語る信仰体験ほど胸を打つものはない。
 創立の父・牧口常三郎先生は、「今までの宗教は観念論ばかりで実験証明はなかった」と喝破された。そして、妙法の力によって、わが生命を蘇生させた同志の体験談の発表を「ダイヤモンド」と讃えられたのである。
 婦人部を中心に、現実の生活で幸福の現証を勝ち取り、その体験を語り合う。これが万国共通の広布伸展の波動である。
 今年の「SGIの日」記念提言で、私は、国境や世代を超えたエンパワーメント(内発的な力の開花) の連鎖を築く取組みとして、SGIの体験談運動を紹介した。
 千差万別の苦悩を打開してきた、創価の体験談の輪の中にこそ、万人を包むことのできる同苦の温もりがある。誰人をも蘇らせていく勇気と希望の熱がある。
 いよいよ、6月には、婦人部総会。7月には、青年部を主体に創価体験談大会も行われる。
 私たちは、縁する友と「どんな宿命も絶対に転換できる」と励まし合い、一緒に感激のドラマを創りながら、人間革命の大歓喜の連帯を広げていきたい。

信心で勝つ!
 60年前の5月3日、両国の旧国技館で開催された総会で、戸田先生は、“民衆救済の方程式たる広宣流布を断行するのだ”と師子吼なされた。
 そして、その直後から、足立支部などの会合で、もったいなくも御本尊は“幸福製造機”なりと譬えつつ、人生打開の信心の力を訴えられた。
 御本尊根本の強盛な信心によって、満々たる生命力を湧き出《いだ》し、自他共の幸福をつかみ切っていけと叫ばれたのである。
 我らには絶対勝利の信心がある! この決定した信仰こそ、広宣流布の原動力にほかならない。
 さあ、打って出よ!
 広布と人生の試練の山々を、一つ、また一つ、不屈の負けじ魂と麗しき異体同心の団結で乗り越えて、晴れやかに勝利の握手を交わすのだ!
 創価の師弟が21世紀の前進の目標と掲げてきた2030年──学会創立100周年は、今、育ちゆく青年部・未来部が担い立つ晴れ舞台である。
 黄金の明日を開こう。わが愛弟子たちよ、民衆の希望と輝く、仏法の人間主義の太陽を生命に燃やし、日本中、世界中で乱舞してくれ給え!

 胸を張り
  誓いの大地に
    立ち上がれ
  世界広布の
    足音 響かせ

レオナルドの言葉は田中英道著『レオナルド・ダ・ヴィンチ』(講談社)から。
2015-05-20 : 随筆 民衆凱歌の大行進 :
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世界広布新時代第11回本部幹部会へのメッセージ

「創価学会の日」「創価学会母の日」慶祝 世界広布新時代第11回本部幹部会へのメッセージ
        (2015.5.9 東京戸田記念講堂)

 池田大作名誉会長の第3代会長就任55周年の佳節を刻む5月3日「創価学会の日」「創価学会母の日」慶祝の「世界広布新時代第11回本部幹部会」が9日午後、「SGI(創価学会インタナショナル)春季研修会」「聖教新聞配達員大会」の意義を込め、巣鴨の東京戸田記念講堂で晴れやかに開催された。これには、原田会長、正木理事長、杉本婦人部長をはじめ各部の代表が、海外65カ国・地域270人の友と出席した。名誉会長はメセージと和歌を贈り、人間主義の新しき勝利へ出発をと強調。励ましの光で人類と地球の明日を照らしていこうと呼び掛けた。

メッセージ

黄金の 創価の太陽 明々《あかあか》と 楽しき体験 共に創《つく》れや

「平和の大道」を元初の誓いのままに
仲良く、たくましく「人間革命」へ進め!
我らの確信の声を世界は待つ


一、今年の5月3日は、55年前と同じように、晴天のもと、すべてに大勝利して、皆さん方と迎えることができました。
 昭和35年5月3日の前夜は、夕刻からの雨が降り続き、同志たちは翌日の第3代会長就任式の天気を案じてくれていました。
 私は、いかなる天候であれ、一層の決意で指揮を執ろうと、心を定めておりました。しかし、願わくは、わが同志に淋しい思いをさせたくなかった。
 準備を終えて、夜、帰宅した私は、恩師・戸田城聖先生から「学会厳護」の意義を留めて賜った宝剣を持って、雨の中、小さな家の小さな底に出ました。
 広宣流布は、永遠に仏と魔との戦いです。
 ゆえに、これからの前途に立ちはだかる一切の障魔を、矢面に立って打ち破っていくのだ。嵐に揺るがぬ屋根となって、愛する同志を守り抜いていくのだ。そして先駆を切って、「世界広宣流布」という未曾有の平和の大道を創り開いていくのだ。この誓願の一念を込めて、32歳の私は、師弟不二の宝剣を振るったのです。
 初代と二代から受け継いだ「不惜身命」「死身弘法」の覚悟の出陣でした。
 そして、日が変わる頃、雨は上がりました。翌朝には虹がかかり、同志の祝賀の真心を映すように、5月晴れの大晴天となった歴史は、皆さん、ご存じの通りです。
 それから55年──。
 我ら正義の創価家族は、ありとあらゆる三障四魔、三類の強敵との大闘争を晴ればれと勝ち切ってきました。日本全国、そして、全世界の偉大なる共戦の同志に、私は満腔の感謝を申し上げます。

“闇”を照らせ
 一、日蓮大聖人は、けなげな女性門下へのお手紙に、「百千万年くらき所にも燈《ともしび》を入れぬればあかくなる」(御書1403㌻)と仰せられました。
 百千万年もの間、暗闇に閉ざされていた洞窟のように、無明の闇に覆われ、不幸の流転をさすらってきた人類を、妙法という太陽で、照らし晴らしてくださったのが、大聖人であられます。
 第2次世界大戦下、最も深い時代の闇の中、戸田先生は、弾圧で投獄された独房で、この生命尊厳の平和の太陽を昇らせました。
 ここ戸田講堂のすぐ近くにあった東京拘置所で、先生は法華経の真髄を身読され、出獄後、人類の宿命を転換するために、「人間革命」の民衆運動を起こしていかれたのです。
 今や、その平和・文化・教育の人間主義の光は、世界192カ国・地域に広がり、地球を包んでいます。
 どんな不安や混迷の闇にあっても、創価の哲理がある限り、価値創造の希望は輝きます。
 どんな対立や不信の闇にあっても、創価の対話がある限り、立正安国の連帯は光ります。
 どんな災難や試練の闇にあっても、創価の挑戦がある限り、変毒為薬の勇気は燃えます。
 大震災にあったネパールでも、今、尊き同志が救援と復興の先頭に立って奮闘してくれています。ネパール、頑張れ! ネパール、負けるな! とエールの大拍手を送りましょう!(大拍手)

友情のスクラム
 一、先行きの見えない現代社会のカオスにあって、ますます妙法の太陽が渇仰されております。地域も世界も、我らの確信の声を待っています。我らの友情と信頼のスクラムを待っています。
 55年前、私は、会長就任の折、「楽しく、そして仲良く、たくましく」大折伏を遂行しようと、呼びかけました。
 今再び、皆で、元初の誓いに立ち返って、祈り、戦い、体験を勝ち開き、体験を語り広げよう!
 そして、あの友にも、この友にも、励ましの光を贈り、新たな地涌の菩薩を大地から呼び出《いだ》しながら、いよいよ晴れやかに、人類と地球の明日を照らしていこうではありませんか!
 一、終わりに、大切な大切な異体同心の全同志の健康と長寿、ご多幸を祈りつつ、

 黄金の
  創価の太陽
   明々《あかあか》と
   楽しき体験
    共に創《つく》れや

と贈り、私のメッセージといたします(大拍手)。
2015-05-14 : スピーチ・メッセージ等 :
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5・6「音楽隊結成の日」に寄せて  池田名誉会長の指針

5・6「音楽隊結成の日」に寄せて  池田名誉会長の指針
        (2015.5.9 東京戸田記念講堂)

心は栄光の曲を響かせる
平和と文化の大英雄たれ


 妙音で
  地球《ほし》を包めや
   わが楽雄

 万物は奏でる。生きとし生けるものは歌う。この宇宙は、賑やかな音楽で満ちている。        ‐
 日蓮大聖人は、「音の哀楽を以て国の盛衰を知る」(御書88㌻)との要文を留められた。
 躍動のリズムのあるところ、明るい希望が輝く。美しき旋律のあるところ、生きる喜びが湧く。妙なるハーモニーのあるところ、平和の共鳴が広がる。
 音楽には、国土・社会を変え、時代を動かし、未来をよりよく創りゆくエネルギ
ーが秘められているのだ。
 世界に、いまだ戦禍はやまず、災害も絶えない。妙法という大宇宙の究極の音律を唱え、行じながら、音楽の真髄の力を発揮し、哀音《あいおん》を滅し、喜音《きおん》を生じゆく、君たち創価の楽雄の使命は、いやまして尊く、深い。
 破壊の爆音を、建設の槌音に!
 反目の怒号を、友情の調べに!
 母子の嘆きを、安穏の笑い声に!
 疲労の溜息を、前進の足音に!
 不信の罵声を、連帯の交響楽に!
 若き地涌の菩薩の精鋭たる音楽隊には、限りない価値創造の響きがある。
 その渾身の演奏は、民衆を強く朗らかに闊歩せしめずにはおかない。それは、一人一人に「人間革命」へ挑みゆく勇気を漲らせる師子吼である。
 そして、異体を同心とする団結を織り成して、人類の宿命の転換へ大行進曲を奏でる生命の妙音なのだ。

妙音で人類結ぶ師弟不二の楽団
 音楽隊は、師匠・戸田城聖先生の心を心として、私が創設した師弟不二の楽団である。その結成より六十星霜を超え、新たな飛躍を遂げゆく愛する君たちに、私は3点にわたってエールを託したい。
 第1に申し上げたいのは「創価文化の旗手よ、天下一の平和のマーチを広げよ!」ということである。
 大乗仏教の極理である「法華経」は、「無量百千万億の種種の妓楽」が轟きわたる世界を湧現する。その法華経の精神のままに、生命尊厳と人間尊敬の大哲学に則ったサウンドを創出してきたのが、音楽隊だ。
 音楽芸術は、苦闘する人を励ます生命の炎である。
 心は心でしか、温めることはできない。なかんずく、真摯に向上しゆく青年の楽音は絶望の闇に震える友を蘇らせる光となり、熱となる。 
 ゆえに君よ、君たちよ、草創の偉大な先輩方に続いて、心で打て! 心で吹け! 心で歌え!
 そのために君たちよ、練習は修行の如く、不屈、不屈、不屈の負けじ魂で!
 そして演奏は王者の如く、勝利、勝利、勝利の大確信のリズムで!
 君たちの奮闘によって、どれほど多くの同志が立ち上がったことか。どれほど多くの仏縁が広がったことか。無理解や悪意の人々にも、どれほど正しい認識を与えてきたことであろうか。
 今や、日本全国のコンクールにおいても、金賞グランプリの栄冠に幾度も輝く、名実ともに日本一の音楽団体へ大発展を遂げた。その誓いのスクラムは、各国・各地域に拡大し、世界市民の平和のマーチを奏する時代ともなった。
 国を超え、民族を超え、あらゆる差異の壁を超え、音楽は世界をつなぎ、人類を結ぶ。強盛なる信心より迸り出る音声《おんじょう》で、心の扉を開き、生命と生命のシンフォニーを一段と多彩に広げていただきたい。

弾ける生命力で青春の劇を綴れ
 第2に、「誇り高き先駆者たちよ、新時代の暁鐘を打ち鳴らせ!」と申し上げたい。
 音楽は、新しい時代の夜明けを告げる。歴史の転換点には、必ず新しい音楽があった。
 御聖訓には、「この娑婆世界は耳根得道《にこんとくどう》の国なり」(同415㌻)と仰せである。耳から入る音こそが、生命の最も深くに届き、奥断から揺り動かし、人間性の高みへと導く力用を持っているのだ。
 躍進の歌が、民衆の命を目覚めさせ、鼓舞する。創価の楽雄の魂の曲が、広布の前進の息吹を生み出す。社会に満々たる活力を漲らせる。
 仕事や勉強、学会活動と両立、いな“三立”“四立”させながら、磨き上げ、鍛え上げた君たちの音楽がある限り、仏の陣列に行き詰まりはない。
 一騎当千の広宣の人材も、無数に育て、送り出してきてくれた。
 音楽隊は、皆、私のかけがえのない戦友である。
 いかなる嵐にも絶対に怯まぬ、不敗の楽団なのである。
 なればこそ、前へ! 前へ! 断じて前へ! 
 行住坐臥に、妙法と共に、弾けるような生命力で、青春の劇を乱舞し切ってもらいたい。
 人知れぬ努力と、恐れを知らぬ創意工夫を重ね、新鮮にして雄渾なる新時代の暁鐘を思う存分に乱打していただきたいのだ。

悩み苦しむ友に寄り添い続ける
 第3に申し上げたいことは「わが不二の愛弟子よ、正義の凱歌を轟かせよ!」ということである。
 大聖人は「必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり」(同1091㌻)と仰せになられた。
 法華経の行者は、最も正しいがゆえに、三障四魔が紛然と競い起こり、襲いかかってくる。
 私も、戸田城聖先生の直弟子として、ありとあらゆる魔軍と戦い抜いてきた。
 その私と不二の心で、喜び勇んで、共戦譜を綴ってくれたのが、音楽隊である。
 あの大阪事件の嵐の中にあっても、獄中の私に届けと、川を挟んだ対岸から勇壮な演奏を送ってくれた歴史を、どうして忘れることができようか。
 さらにまた、常に民衆の中に入って、一番悩み苦しんでいる人に寄り添い、勇気の曲を友に送り続けてくれているのが、わが誇りの広布楽雄である。
 君たちとの思いは尽きることがない。私の心を誰よりも知る君たちの力奏に合わせて、学会歌の指揮を執ってきた一回一回が、忘れ得ぬ師弟のセッションなのだ。
 私の心を体して、東北の被災地の「心の復興」へ、希望の絆を広げてくれていることも、いつも胸を熱くしながら伺っている。
 君たちには、まぎれもなく創価の師子王の心が流れ通っている。
 誉れの君たちよ、人生のいかなる怒濤にも、勇敢に立ち向かい、断じて負けるな! 心に栄光の曲を響かせ、毅然とわが弟子らしく勝ち越えよ!
 若き日より、人の何倍も忙しく苦労の多い青春を生き抜く君たちの生命には、三世永遠に晴れ晴れと天のオーケストラも大編成を組んで、正義と勝利の凱旋曲を上演していくに違いない。
 ともあれ、君たちの尊い献身と努力を、私は全部、見守っている。たとえ、会わなくとも、君たちが贈ってくれた決意と真心の演奏を聴かない日は、一日としてない。
 私は祈り抜く。私は信じ待っている。一人も残らず、そして一家眷属までも、健康で福徳に満ち溢れた大勝利の一生を、不減の名演の如く飾りゆかれんことを! 我らは、民衆のために、民衆と共に、地平の果てまで、妙音を轟かせながら、戦い進むのだ。
 誓いの青年《きみ》よ! 最も信頼する創価の楽雄たちよ!
 今日もまた、虚栄や安逸を超越し、透徹した信心と広布への大情熱で、世界をリードし、世紀をリードし続ける、平和と文化の大英雄であれ!

 音楽隊
  師弟の凱歌を
   永遠に


       2015年5月6日
         音楽隊結成記念の日に
2015-05-14 : スピーチ・メッセージ等 :
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韓国・北韓大学院大学「名誉碩座教授」称号授与式への謝辞

韓国・北韓《プッカン》大学院大学「名誉碩座《せきざ》教授」称号授与式への謝辞      (2015.5.4 北韓大学院大学)

 韓国の北韓大学院大学が池田SGI(創価学会インタナショナル)会長を「名誉碩座教授」に迎えた。人間教育の実践や日韓友好への民間交流をはじめ人類の共存、平和のための献身的な行動をたたえるもの。授与式は4日、ソウルの同大学で行われ、創立者の朴《パク》在圭《チェギュ》名誉総長、宋《ソン》旻淳《ミンスン》総長、辛《シン》鐘大《ジョンデ》副総長ら大学関係者が列席。代理の池田博正SGI副会長に任命状が託された。


池田SGI会長の謝辞(代読)

未来のために青年と共に! 平和と友情の交響曲を

北東アジアの安定と発展こそ先人の悲願
対話の力で時代を動かせ


 一、本日、平和の学術・教育機関として、世界に名だたる貴・北韓大学院大学より、「名誉碩座教授」の任命を賜りました。
 私は、身に余るこの栄誉を、何よりもまず、良き市民、良き国民として、模範の社会貢献を誠実に積み重ねる韓国SGI(創価学会インタナショナル)の宝友と共々に、拝受したいのであります。
 とともに、貴国を敬愛し、平和・文化・教育の連帯を広げゆく世界の同志とも、深く分かち合わせていただきます。
 誠に誠に、ありがとうございました。

「不信と対決」を「和解と協力」へ
 一、今、私は名誉ある貴大学の一員とさせていただいた意義を、私なりに深くかみしめております。
 その第一は、平和創造のため、前人未到の探究とチャレンジに連なることであります。
 創立者の朴在圭博士は、韓・朝鮮半島ならびに北東アジアの安定と発展、そして、世界平和の創造のために、まさしく、いばらの道を切り開いてこられた偉大な英知のパイオニアであられます。
 若き朴博士は、アメリカでの留学時代に、恩師である世界的な経済学者ピーター・ワイルズ教授から、 “君は、いつの日か南北が統一される時に備えて深く研究していってはどうか” と励ましを受けられたと伺っております。
 恩師から託された、その遠大な青春の志を貫き通してこられた博士の崇高な足跡に、私は胸を熱くする一人であります。
 恩師・ワイルズ教授は、「専門家の第一の義務は知ることにある」を信条とされ、「甘味と酸味の両方」、すなわち良い点も悪い点も、どちらも研究しなければ、全体像は理解できないと教えておられます。〈堀江忠男監訳 『英国病・ソ連病・日本病』 新評論〉
 朴博士は、透徹した探究を、自らが実践されるのみならず、幅広い相互理解の扉を開かれました。
 東西冷戦の真っただ中にあって、中国やソ連(当時)の大学との学術交流を結ばれた博士の人知れぬ苦闘が、同じ大学創立者として教育交流を推進してきた私には、痛いほど胸に迫ります。
 そして博士は、冷戦終結後、貴国の統一部長官に就任され、歴史的な初の南北首脳会談の実現に尽力されました。
 そのご功績は、不滅であります。
 互いに知り合い、学び合いながら、「不信と対決」を「和解と協力」へと変えていかねばならない。
 この朴博士の強固な信念が、歴史を大きく転換しました。
 私は、貴大学に脈打つ、この知のフロンティア精神を、世界の青年たちと共に、心に刻んでいきたいのであります。

恩師の心を心とし 教育・文化交流を
 一、さらに、私が銘記する第二点は、先人の悲願を成就し、若人に希望を贈りゆく連帯であります。
 かつて、朴博士のご一家が、軍国日本の引き起こした戦乱の時代に翻弄され、多くのごきょうだいが、亡くなられた歴史を私は胸が張り裂ける思いで伺いました。
 にもかかわらず、博士は「日本と親しくしなさい」との母上の寛大なるお言葉を心にとどめられ、「近くて遠い」韓国と日本を、「近くて近い」友好関係へ変えるために、交流を重ねてこられました。
 とりわけ、若き英知との交流を大切にされながら、未来の世代に、希望の大道を開いてこられたのであります。
 私にも、忘れ得ぬ少年時代の思い出があります。私の父は戦前、兵役で、2年間、韓国のソウルに滞在しておりました。その当時のことを振り返り、私に「本当に、日本のやり方はひどい、いばりくさっている! 同じ人間同士じゃないか!」と怒りを込めて語っていたのであります。
 私の韓日友好の誓いは、この父との語らいから出発しております。
 わが創価学会は、戦時中、軍国日本と戦って弾圧されました。獄死した牧口常三郎・初代会長の後継として、2年間の投獄を耐え抜いた、恩師・戸田城聖先生が、第2代会長に就任したのは、1951年の5月3日のことであります。
 当時、韓・朝鮮半島に広がっていた戦火を深く憂慮し、慨嘆し、恩師は一日も早い和平の実現をと、祈り念じてやみませんでした。
 その恩師の心を心として、不二の弟子である私は、韓日の友好、アジアの安定、世界の平和へ、行動を重ねてきたのであります。
 韓民族独立の父・安《アン》昌浩《チャンホ》先生は「お互いに愛する心でにっこりと笑う世の中を作るべきです」(李光洙著・興士団出版部編・具末謨訳 『至誠、天を動かす』 現代書林)と叫ばれました。
 朴博士は、東北アジア共同体を展望して、特に韓国と中国と日本の3カ国が協力していくことの重要性を幾たびも強調されております。私も全く同感であります。
 先月、3カ国の担当大臣が会見を行い、2020年へ向けて、相互訪問旅行者数を3000万人にまで拡大することで合意しました。また、2018年の韓国・平昌《ピョンチャン》冬季五輪、2020年の東京五輪を契機に、「ビジット・イースト・アジア」キャンペーンを展開し、民衆の交流を促進していくことを約し合っております。
 民衆の交流、なかんずく、教育を基盤とした、青年の交流こそが、国家やイデオロギーの差異を超える原動力であります。
 先日、朴博士は、私どもの創価大学を訪問してくださいました。教職員も学生たちも、貴国を代表する偉大な碩学をお迎えできたことを、心から喜んでおりました。私たちは、平和友好への先人の悲願を忘れず、教育の交流、文化の交流を一段と力強く推し進め、万人が「にっこり」とほほ笑み合える世界を断じて築いていきたいと思うのであります。

忍耐強くあれ!
 一、第三に、貴大学の皆様方と私は、「心開かれた対話の忍耐強い持続が時代を動かす」との確信を共有しております。
 その模範を、創立者・朴博士とご一緒に示してこられたのが、宋旻淳総長であられます。
 宋総長は、卓越した対話の力によって、世界の外交の舞台で、時代を動かしてこられたのであります。
 宋総長が、2005年に開催された6カ国協議での韓国側の首席代表として、北朝鮮の核放棄への歴史的な共同声明(9・19共同宣明)の採択に、大きな役割を果たされたことも、よく知られております。
 宋総長は、17世紀の李氏《りし》朝鮮時代に活躍された、偉大な指導者であった宋《ソン》浚吉《ジュンギル》先生の子孫であられます。
 宋浚吉先生は、「同春堂」という雅号のごとく、春風のように温かく人々に接し、紛争を調整し、和解させる名手であったと伝えられます。
 その精神を受け継がれる宋総長のリーダーシップによって、貴大学が目覚しい発展を遂げておられることは、北東アジア、また、環太平洋地域、さらに世界を照らす大いなる希望の光であります。

不正義に従うな
 一、「平和の音楽家」として名高い尹《ユン》伊桑《イサン》先生は、宣言されました。
 「人間の苦痛、圧制、貧窮と不正義が横行する世界に従順になってはならない」「私は、苦痛のあるところ、不正義があるところ、そこにいってかれらと共に、生死をともにし、私の音楽を通じて彼等と合流したいのだ」(伊藤成彦編 『尹伊桑 わが祖国、わが音楽』影書房)
 どこまでも悩める庶民と共に!
 人間のために、正義のために、未来のために!
 この根本こそ、私たちが常に立ち返り、心に深く刻むべき、平和の出発点でありましょう。
 私は、尊敬する先生方とご一緒に、敬愛する貴国の青年たちと共々に、勇壮なる平和と友情の交響曲を一生涯、高らかに奏でゆく決意でおります。
 最後に、貴大学の無窮の大発展と、本日、ご臨席を賜りました皆様方のますますのご健勝を、心よりお祈り申し上げて、私の御礼とさせていただきます。
 テダニ・カムサハムニダ! 誠に誠にありがとうございました(大拍手)。
2015-05-14 : スピーチ・メッセージ等 :
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随筆 民衆凱歌の大行進 No.21 負けじ魂 朗らかに

随筆 民衆凱歌の大行進 No.21 (2015.4.18付)

負けじ魂 朗らかに

いつか登らん 王者の山を!
自己を磨け! 労苦も逆境も勝利の大地


 愛弟子《まなでし》と
  共に歌わむ
   うれしさよ
  負けじ魂
    炎と燃えて

 それは、命に轟きわたる歌声であった。
 皆の瞳に、勇気凜々と誓いが輝き光っていた。
 わが学園生は断じて負けない。未来は盤石だ──心からそう感じた。
 この3月16日、さらに今月8日、東京・関西の創価学園の卒業式と入学式が行われた。式典では、学園生が愛唱歌「負けじ魂ここにあり」を、決意に燃えて歌い上げてくれたのだ。
 その門出を見守り、私も共に歌い、祝福した。
 負けじ魂──ここに、創価教育の精神もある。

「原点」の心の歌
 試練の嵐が吹き荒れる中、正義の旗を掲げ、友を励まし守って、突き進んでいた、昭和53年(1978年)の7月のことであった。
 創価大学、創価学園の寮祭だった「滝山祭」と「栄光祭」が合同で開催されたのである。
 創大中央体育館で行われた記念フェスティバルが最高潮に達した時、舞台正面に、大書された寮祭のテーマが現れた。
 「負けじ魂ここにあり」──感動が走った。
 そうだ、若き日から、私が人生を戦い抜いてきた原点も、この心だ!
 わが青春の魂を、後継の若人が、私に代わって宣言してくれたのだ。
 この感動には続きがあった。3カ月後の10月、大阪を訪れていた私のもとに、学園生が作った愛唱歌「負けじ魂ここにあり」の歌詞が届けられたのである。
 嬉しかった。“負けじ魂”といえば、関西魂でもある。大変であればあるほど「負けたらあかん」と底力を発揮し、不可能を可能にしてきた常勝の母たちの心意気だ。
 その関西の地で、烈風に凜々しく挑む若き闘魂に接したのだ。
 いい歌だ。私は学園生の了解を得て、少し加筆させてもらった。これに曲が付き、さらに私が4番の歌詞を贈った。

 母よ 我が師よ
     忘れまじ
 苦難とロマンを
     この我は
 いつか登らん
     王者の山を
 負けじ魂 いつまでも

 私が、学園生の「負けじ魂ここにあり」の大合唱を聴いたのは、翌11月のことであった。
 あの凜乎とした熱唱も、真剣な英姿も、わが胸奥から離れない。
 この折、私は語った。
 “「いつか登らん 王者の山を」と歌にあるごとく、その山を諸君たちに登ってもらうために、私は道なき道を、傷だらけになりながら奮闘していく決心であります”

誇りに胸を張れ
 2009年、私は歌い継がれてきた「負けじ魂ここにあり」に、新たに5番の歌詞を贈り、3月の卒業式で皆と一緒に歌った。

 正義の誇りに
     胸を張れ
 君に託さん
     この大城《しろ》を
 学べ勝ち抜け
     世界まで
 負けじ魂 朗らかに

 これもまた、忘れ得ぬ黄金《おうごん》の思い出だ。
 学園同窓生たちも、創価教育を応援してくれる父母《ちちはは》たちも、この歌を口ずさみ、私と共に道なき道を開拓してきた。
 今や創価の大道は未来へ、世界へと開かれた。従藍而青の英才たちが、王者の道を胸を張り闊歩する時代に入っている。
 人生は長い。勝つ時もあれば、負ける時もある。行き詰まり、七転八倒する時もあるだろう。だが、人生の勝敗は途中で決まらない。栄光は、粘り抜いた逆転劇によって勝ち取るものだ。
 だからこそ心は負けてはならない。あきらめてはならない。どんなに悔しくとも、朗らかに頭《こうべ》を上げて前を向くことだ。
 困難にぶつかり、宿命が襲いかかってきたならば、「よし来たか」「今ここからだ」と、いよいよ負けじ魂を燃やす。その人が、最後に必ず勝つ。
 苦労して強くなり、何ものにも揺るがぬ自分を築くのだ。悩みは、皆を勇気づけていく人間王者になる修行なのだ。
 学園、創大出身の同窓生は、「逆境に強い」との評価を、私が交友を結んできた各界トップの方々からも伺っている。

新社会人の友へ
 この春、新たに社会人として船出をした青年も多い。職場の異動など、これまでと違う立場や仕事に就いた友もいる。
 あらためて、新出発を祝福するとともに、心からエールを送りたい。
 私は21歳の時、師・戸田城聖先生が経営する出版社で働き始めた。
 与えられた少年雑誌の編集の仕事を、「親友」とも思って大事にし、力の限り向上発展させようと決めていた。
 眼前の課題をやり切ろう、誇りをもって責任を果たそう、新しい開拓をしようと、朝から晩まで動き抜いた。
 その悪戦苦闘の日々こそ、最も神々しい黄金の青春譜になったと、私は言い切ることができる。
 あの大実業家・松下幸之助翁が“成功の因”として挙げられていた3点がある。
 「学歴がなかった」
 「貧しかった」
 「病弱だった」
 それゆえにこそ、誰からでも謙虚に学べ、お金や健康の有り難さが分かる人にもなれた──そういうお考えであった。
 まさに、逆境をすべて成長の糧とされたのだ。

恩師の励まし
 ともあれ、実際に仕事に就いてみると、こんなはずではなかったと思うことも多いだろう。
 戸田先生は、そのような時、「へこたれてはいけない」と励まされた。
 「自分の今の職場で全力を挙げて頑張ることだ。『なくてはならない人』になることだ」
 「御本尊に祈りながら努力していくうちに、必ず最後には、自分にとって『好きであり、得であり、しかも社会に大きな善をもたらす』仕事に到着するだろう」と。
 そして、どんな労苦も、無駄にならない。貴重な財産として、一切、生かし切っていくことができる。それが、仏法の力であると、教えてくださったのだ。
 御聖訓には、「金《こがね》は・やけば真金となる」(御書1083㌻)と仰せである。
 妙法受持の生命は「金《こがね》」である。どこにあっても、題目を唱えて、一つ一つ変毒為薬し、「真金」の光を放っていける。
 その誠実一路の行動を見てくれている人は必ずいる。正義の青年を応援する諸天の働きは、厳として現れるものだ。

不屈の勇者たれ
 若き日、仕事に、学会活動に奔走する中、御書で“負けじ魂”という言葉を拝した新鮮な感動を私は思い起こす。
 日蓮大聖人が「きわめて・まけじ(不負)たまし(魂)の人」(同986㌻)と讃えられたその門下は、四条金吾である。
 御文では、金吾のことを「我がかたの事をば大事と申す人なり」(同㌻)と付記されている。味方、同志を大切にし、守り抜くために、負けじ魂で戦ってくれる勇者なり、と。
 金吾は、門下の旗頭として、決して負けるわけにはいかなかった。
 「強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾・四条金吾と鎌倉中の上下万人乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ」(同1118㌻)
 この仰せ通りに、勝ち抜いてみせたのである。
 学会精神も同じだ。
 わが創価の負けじ魂の友は、どんなに苦しい局面にあっても、「信心即生活」「仏法即社会」の法理に則り、一歩も退かず前進してきた。
 「仏法は勝負」である。
 この信念で、断固として勝利の実証を示し切ってきた。これからも悪口罵詈《あっくめり》など弾き飛ばして、揺るぎない信頼を勝ち開いていくのだ。
 これが「立正安国」の王道である。「広宣流布」の大道である。

満々たる生命で
 今、社会では人間力が求められている。仕事上の能力だけでなく、直面した難局に、いかに挑み、いかに価値を創造するかが、問われる。
 だからこそ、辛抱強いことが大切なのだ。歯を食いしばって、一歩また一歩、前へ踏み出すしかない。不屈の負けじ魂で勝ち進むのだ。
 若さには希望があり、未来がある。無限の力がある。失敗を恐れず、体当たりしていく中で、その可能性を開き、自分の壁を破って飛躍することができる。
 我らには、最極の信念たる信仰がある。
 強盛な祈りで、立ち上がれ! 題目は師子吼だ。滾々《こんこん》と勇気が湧き、満々と生命力が漲《みなぎ》る。
 さあ、いよいよ、これからだ! 人間の中へ、民衆の中へ、勇んで飛び込み、大誠実の力で、我らは勝利していくのだ。
 新しい一日、新しい挑戦、新しい出会いの舞台へ躍り出よう。
 負けじ魂、朗らかに!

 負けるなと
  今日も祈らむ
   わが友の
  不屈の力と
   晴れの勝利を
2015-05-03 : 随筆 民衆凱歌の大行進 :
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随筆 民衆凱歌の大行進 No.20 桜花に誓う

随筆 民衆凱歌の大行進 No.20 (2015.4.2付)

桜花に誓う

生命躍動の創価の春が到来
わが地域に 勝利の青年桜よ咲き薫れ


 「春の到来は『混沌《カオス》』からの『宇宙』の創造であり、『黄金時代』の到来であるかのように感じられる」と、アメリカの思想家ソローは語った。
 我らも春の到来とともに、生まれ変わった息吹で新たな価値を創造し、人材の花が咲き誇る黄金時代を実現しゆくのだ。
 桜前線も、南から北へ──九州、中国、四国、関西、中部、東海道、そして関東へと進んできた。
 桜の木の「花芽《はなめ》」ができるのは、いつか。それは前の年の夏。早々に花芽をつくり、開花の準備を始める。そして厳しい冬を越え、春を迎えると同時に、命いっぱいに咲き開くのである。
 信濃町の総本部にある「青年桜」も「華陽桜」も爛漫と咲いた。
 私には、今春の桜は、ひときわ目覚ましく成長しゆく、創価の丈夫《ますらお》、華陽の乙女の英姿と二重写しに見えてならない。
 昨年の夏を中心に行われた創価青年大会を契機に、あの地この地で立ち上がった、新しき熱と力に満ちた若人たちだ。
 先日は、沖縄で不戦のスクラム固く、世界青年平和大会が開催された。
 胸中に植わった「誓いの芽」を育み、試練の冬に挑み、「使命の花」「平和の花」「幸福の花」「勝利の花」を咲かせゆく、地涌の青春の乱舞が、私は何にも増して嬉しい。

恩師の願いとは
 4月2日は、わが恩師・戸田城聖先生が、今世の広宣流布の願業を成就され、霊山へ旅立たれた祥月命日である。
 師から創立を託された創価大学を、この日に開学したのも、ただ報恩の思いからであった。
 先生は「社会に信念の人を」と念願された。
 今、ありとあらゆる分野で咲き出でている “信念の人材桜” を、恩師は会心の笑みで見つめ、讃えてくださっていると確信してやまない。
        ◇
 日本全国に植えられている桜の8割ないし9割を占めているといわれるのが、ソメイヨシノだ。
 その淵源は、江戸末期、今の東京・豊島区内にあった染井村の植木職人が「吉野桜」として生み出したことが、有力な説とされる。東京戸田記念講堂が立つ付近である。
 地元・豊島で行われるソメイヨシノゆかりの “桜まつり” には、鼓笛隊や音楽隊のメンバーも出演し、喜ばれている。
 思えば牧口先生と戸田先生は、この地にあった東京拘置所で、軍国主義の横暴と対峙し、獄中闘争を貫かれた。
 私も文京支部長代理として、日本一の折伏を目指し、信頼する友と駆け巡った天地である。
 いうなれば、ソメイヨシノが全国へと広がっていったように、私たちは幸福と平和の「創価桜」を日本中に広げゆくことを、誓願したのである。
 私は、各地に点在する文京支部の友を訪ねて、東海道など近県にも足繁く通った。今や大発展した相模原や横浜、川崎をはじめ神奈川家族の異体同心の前進が頼もしい。

平和の世紀へ!
 かつて、パッと咲いてパッと散る様を、戦場に潔く命を散らす軍人になぞらえ、桜が軍国主義の象徴として利用された時代もあった。
 だが、桜に言葉あらば、愛する我が子を戦地に送り出し、嗚咽をこらえる母の背中を見て、何と語り掛けただろうか。
 私は、人間の生命を軽視した「戦争の世紀」から、生命の尊厳を高らかに謳う「平和の世紀」へと転換する象徴として、日本のあの地この街に桜の木を植樹してきた。
 本年1月、アルゼンチン・タンゴの若きリーダーであるラサリ氏が民音公演で来日された折、そうした私の真情を汲んで、「永遠の桜」と題する名曲を贈ってくださった。感謝に堪えない。
 日蓮大聖人は桜を譬えに仰せになられた。
 「仏は、私たちの心の中におられます。たとえば、趣のある桜の花が、木の中から咲き出でるようなものです」(御書1491~2㌻、趣意)と。
 桜木の中には、花を咲かせゆく、はちきれんばかりの生命のエネルギーが満ちていて、春になれば一斉に開花する。
 同じように、悩み多き凡夫であっても、自行化他の題目を唱え、広布に走るならば、自身の胸中から、仏界という最も尊厳な生命の花を、必ず満開に咲かせていける。
 「冬は必ず春となる」(同1253㌻)のだ。
 そして、粘り強く対話を重ねることは、人びとの心田に仏種を蒔き、生命の無限の可能性への「信」を開くことに通ずると、私は思ってきた。
        ◇
 関西出身の大実業家である松下幸之助翁と、初めてゆったりと語らったのも、春4月、静岡で行われた桜の植樹祭でのことだった。もう40年以上も前になろうか。
 小学校を中退し9歳で奉公に出て以来、幾多の苦難を、不屈の精神力と努力で乗り切ってこられた方である。どんな苦境に陥っても「もう駄目だと思ったことがない」とおっしゃっていた。
 この春、新たなスタートを切ったフレッシュマンにも伝えたい、経営王の大成の歩みは、「人間、若いころから苦労しなければモノになりませんよ。苦労が肝心です」の一言《いちごん》に凝縮される。
 それはそのまま、わが誉れの常勝関西の同志の心意気と一致する。
 使命が大きいゆえに、労苦も大きいことを誇りとし、私と不二の心で一切を勝ち越えてくれる。
 常勝とは、不撓不屈の異名だ。「断じて勝つ! 最後は勝つ!」という大確信であり、大闘争心だ。
 この「負けじ魂」があるところ、いかなる逆境も、すべて自身の人間革命と、三世永遠にわたる成仏の大境涯を開く糧となることを忘れまい。

「戦う精神」の絆
 文芸評論家の小林秀雄氏と、桜並木を共に散策し、語り合ったことも思い起こされる。
 「人間」への透徹した眼《まなこ》を持つ方であった。
 師ソクラテスを主人公とする膨大な著書で、弟子プラトンが示したことは、何であったか。
 小林氏は、それを「どうあつても戦ふといふ精神」であり、これこそが「真の人間の刻印である」と論じておられた。
 師弟とは、究極の人間の絆である。魂と魂の真の触発であり、交流だ。
 なかんずく、広宣流布の誓願を分かち合い、どんな困難があろうとも戦い抜く師弟の絆ほど、尊く、強いものはないと、私は自負するのだ。
        ◇
 関西の創価学園では、「桜保存会」を中心とした学園生の「桜まつり」が地域でも親しまれている。日頃から学園を支え、お世話になっている近隣の方々などへの感謝を込めた花の宴《えん》である。
 東京校の友情の池を飾る「学園桜」も、札幌創価幼稚園の園児たちと共に植えた「わが子桜」「王子桜・王女桜」も、希望の瞳に光り映えるに違いない。
 そして今日、4月2日、「桜の城」と輝く創価大学キャンパスで、45回目の入学式が行われる。全員が英知の花、栄光の花を朗らかに咲かせゆけと、願ってやまない。

最前列に立て!
 創価大学で私は、ロシアのゴルバチョフ氏(元ソ連大統領)夫妻とも、一緒に桜を植樹した。
 ロシアの文豪チェーホフの戯曲 『桜の園』 を巡っての語らいも蘇る。
 この作品では、人間らしい魂をなくした富豪らに翻弄される人びとと、どんな状況に陥ろうとも確固として信念を貫く青年トロフィーモフの生き方が描かれている。
 青年は叫ぶ。
 「人類は、この地上で望みうる限りの最高の真理、最高の幸福を目指して進んでいるが、僕はその最前列にいるんだ!」
 だが──それを聞いた男が言う。
 「行きつけるかな?」
 それでも青年の心は揺るがない。
 「行きついてみせる」
 この誇り。この覚悟。この闘志。これこそ創価の青年の魂である。
 我らが目指すもの──それは世界の平和であり、全民衆の幸福だ。そのために、人類の先頭に立って「立正安国」の旗を高く掲げ、地域広布の大道を開き進むのだ!
 桜前線は、いよいよ新潟など信越・北陸を進み、福光の春を開く東北の地を包む。
 勇気に燃えて、友情を広げる、私たちの躍進と呼応するかのように!
 そして、北海道に達するのは今月下旬。札幌で見頃となるのは5月3日前後という。桜をこよなく愛された戸田先生の故郷である厚田の地も、それに続いて満開を迎えると予想されている。
 さあ、我らもまた、わが愛する地域を幸と希望の桜花で包みゆこう!
 対話の花を、あの友この友と咲かせゆこう!
 「水魚の思」で結ばれた創価家族と共に、わが心の大地に福徳と歓喜の桜花を咲かせながら、勝利満開の「5月3日」を、晴れやかに迎えようではないか!

 民衆の
  凱歌の春を
    断固して
  万朶の桜と
   功徳の花 咲け

ソローの言葉は 『森の生活』 飯田実訳(岩波書店)、小林秀雄は 『考へるヒント』 (文藝春秋新社)、チェーホフは 『桜の園』 小野理子訳(岩波書店)。
2015-05-03 : 随筆 民衆凱歌の大行進 :
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名誉会長と共に 新時代を駆ける No.1〜10

第1回 新春の誉れの友に幸光れ     (2015.1.8付 聖教新聞)

 友のため、社会のため、平和のために走る、尊き尊き皆様方の奮闘があればこそ、希望と喜びに満ちた「世界広布新時代 躍進の年」を迎えることができました。皆様方に最敬礼して、御礼を申し上げる思いで、「新春の 誉れの友に 幸光れ」と贈ります。
 創価大学の箱根駅伝初出場も本当にうれしい。真心の声援に応えて、よく頑張ってくれた。ご苦労さま! ありがとう! 大健闘を皆で心から讃えたい。
        *   *
 日蓮大聖人は、妙法の絶大なる功徳を譬えられ、「須弥山に近づく鳥は金色となるなり」(御書1536㌻)と仰せになられました。
 最高峰の法華経を持《たも》ち、信心の志の深い皆様方の生命が金色に輝き、いかなる嵐があろうとも、最高峰の人生の勝利へと飛翔されゆくことは、絶対に間違いありません。
 新春の御聖訓には、「年は・わかうなり福はかさなり候ベし」(同1135㌻)とお約束であります。
 きょうよりまた、生まれ変わった命の息吹で、いよいよ若々しく、いよいよ福々しく、心の財《たから》を積みながら、人間革命の劇を綴っていきましょう!
 そして、“苦楽ともに思い合わせて”妙法を唱え抜き、広宣流布のため、私と共々に勝ち進んでいこうではありませんか!
        *   *
 戸田先生は言われました。
 「我らの一切の行動は妙法と一体であり、大聖人に直結しいる。何も無駄がない。それを確信して自行化他の題目を唱え、守り合い、励まし合っていけば、どんな戦いにも勝つことができる」と。
 リーダーが、心一つに智慧を出し合えば、何倍もの力を発揮し、新たな勝利の流れを起こせます。
 明るく弾んだ声の響きで、躍進の名指揮を頼みます。

第2回 信心は三世永遠の希望の光   (2015.1.17付 聖教新聞)

 今、全世界の同志が喜々として広宣流布大誓堂に集い来る。
 その求道の友は、一昨年秋の落成以来、104カ国・地域に及ぶ。本当に尊いことである。
 「世界広布新時代 躍進の年」の年頭に当たり、私も広宣流布大誓堂で勤行・唱題した。全同志の健康・幸福・勝利を深く祈念するとともに、阪神・淡路大震災から20年を迎え、亡くなられた方々に追善回向の祈りを捧げた。
 生命は永遠である。題目の光は全宇宙に届く。太陽の仏法は全人類を照らし、いかなる宿命をも転換していける。
 日蓮大聖人は、家族を亡くされた婦人に「同じ妙法蓮華経の種を心に・はら《孕》ませ給いなば・同じ妙法蓮華経の国へ生れさせ給うべし」(御書1570㌻)と仰せになられた。
 妙法の同志は、生死を超えて一体である。今、皆様が、友のため、社会のため、希望を胸に、一歩一歩進みゆく姿を、故人もきっと喜び見つめておられるにちがいない。
        *   *
 人生は幸福になるための戦いだ。学会は、一番苦しんでいる人、一番悲しんでいる人を、最大に大事にしていくのだ。
 何があっても負けてはいけない。張りのある勤行・唱題で、あらゆる障魔を打ち破っていくのである。今は、つらいことや悲しいことがあっても、信心さえ忘れなければ、将来、必ず勝ち越え、悠々たる境涯になる。
 楽しく、賑やかに、女子部の「ロマン総会」も始まった。戸田先生は女子部の友に「振る舞いによって、仏法を理解させていけばいいんだよ」と大誠実の励ましの心を教えられた。人間が最も人間らしく輝き、対話を交わし、友情と信頼を結びゆくのが、広宣流布である。
 皆のお陰で不思議な「時」を迎えている。忙しくてまた苦労をかけるけれども、日本のため、世界のために、断固、戦おう! ともどもに新しい歴史をつくってまいりたい。

第3回 創価家族は仲良く前進
   (2015.1.25付 聖教新聞)

 広布第一線の尊き地区部長、地区婦人部長、敬愛するブロック長、白ゆり長の皆様、いつも本当にありがとう!
 広宣流布の勝利への第一歩は「地区」から始まる。
 壁を破った2月闘争は「ブロック」が本舞台であった。
 日蓮大聖人は「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ、仏種は縁に従《よ》って起る」(御書1467㌻)と仰せだ。
 皆様方こそ、御本仏から使命の天地の広宣流布を託された、偉大な地涌の菩薩である。
 私も、班長や地区委員として戦った。妻も班担当員、地区幹事として奔走してきた。支部・地区・ブロックのリーダーの皆様方と、今も心は一体だ。
 日々、勤行で読誦する法華経方便品に「悦可衆心」とある。
 皆を喜ばせ、希望を広げる。それが本物の信心の指導者だ。
 悩める友に寄り添い、後輩を励まし、青年部や未来部に慈愛を注いで育てていくのである。
        *   *
 戸田先生は言われた。
 「なぜ学会が、社会の繁栄のために打って出るのか。それは自他共の幸福を築きながら、信心を根本に功徳を広げる戦いであるからだ。すべては広宣流布につながる。仏縁となる。幸福の種を植えているのだ」
 広宣流布の戦いで、功徳が出ないわけがない。大事なことは、一人ひとりが目標に向かって題目を唱え、自分の持てる力を出し切っていくことである。
 そして、皆が「悔いのない戦いをやり切りました!」と、すがすがしい気持ちで、御本尊の前に座れればよいのである。その挑戦の一歩一歩が、広布の山を勝ち越えていくことになる。
 さあ、前進また前進だ。我らは久遠からの家族である。何があっても明るく仲良く、語らいを広げよう! 心通う草の根の集いこそ、広布の一番の推進力である。
 すべてが永遠に仏になりゆくための仏道修行である。皆と苦楽を分かち合いながら、今この時に万年の創価城を築きゆくことを、誉れとして進もう!

第4回 道を開け!法華経の兵法で   (2015.2.1付 聖教新聞)

 いよいよ新時代の2月闘争が始まった。
 今年は、戸田先生の生誕115周年。私の胸には、厳しくも温かい恩師の声が響く。
 ある時、対話拡大に走る同志を、こう励ましてくださった。
 「仏法の話をして、誰も話を聞いてくれなかったとしても、諸天善神が聞いてくださっているよ。あなたを必ず護る」
 誰が見ていなくとも、御本仏が御照覧である。
 広布のための、どんなささいな努力も、苦労も、諸天は見逃さない。仏法の因果の理法は、絶対であるからだ。
 いかなる立場になろうとも、真剣に、誠実に、師弟の誓願に生き抜く。そう決めれば、恐れるものはない。
 三世の生命から見れば、権威や名声も、はかないものだ。
 信心で戦い、友を救い、人を育てた歴史こそが、永遠に光り輝く。
 何があっても、「これで、もっと題目があげられる」と喜び勇んで前進すれば、全ては無量の福運に変わる。
        *   *
 人生も、社会も、現実は変化の連続だ。ゆえに肝心なことは、状況に応じて、時を逃さず、どう先手を打っていくかである。
 仏法では、「随縁真如の智」と説く。幸福と勝利に必要な智慧11それは、題目をあげ、広布の最前線に飛び込む中で、湧き上がってくる。
 所詮は、自行化他の実践以外にない。
 「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」(御書1192㌻)との御聖訓をわが生命に刻み、新しい智慧、新しい行動で、勇敢に、全ての勝利の道を開こうではないか。
 そして誉れある我らの天地に、新時代の広布の金字塔を、晴れ晴れと打ち立てよう!

第5回 王者の心で! わが勝利劇を   (2015.2.7付 聖教新聞)

 日蓮大聖人の御生誕の月であり、戸田先生の誕生月でもある2月、かけがえのない一日一日を勇気凜々と前進したい。
 真の充実は、自他共の幸福を築く行動にある。ゆえに、学会活動にかなうものはない。
 「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜」(御書788㌻)と仰せの通りだ。広布の人生にこそ、最高の喜びは光る。
        *   *
 わが青春は、激戦を越えて、師匠に勝利の報告をすることが、無上の光栄であった。2月闘争も、師弟一体の勝利劇だ。
 きょうも師と共に!──これほど尊く、楽しく、生きがいに満ちた人生の軌道はない。
 戸田先生は叫ばれた。
 「この信心をして幸福にならないわけがない。
 心は王者でいきなさい。
 創価学会の名誉ある一員として誇りも高く生き抜きなさい」
 戦いの中で後継は育つ。皆、偉大な福運と使命があるのだ。
 どんどん人と会い、心豊かに学び、友情を広げていきたい。
 勢いよく飛び出して、境涯を開くのだ。
 全ては、仏になるための修行であり、「今生人界の思出」(同467㌻)となる。
        *   *
 何があっても、妙法に生きる人は、「転重軽受」で軽く受けている。必ず「変毒為薬」していける。
 御聖訓に「我等が居住して一乗を修行せんの処《ところ》は何《いず》れの処にても候へ常寂光の都為《た》るべし」(同1343㌻)と仰せだ。
 どんな場所であれ、状況であれ、悠然と題目を唱え、わが使命を果たしていくのだ。一切を希望と幸福の方向へ変えていくのだ。これが創価の師弟である。
 わが友よ、信心で勝ちゆけ!
 寒い日が続く。皆、体を大事にして、健康第一で、絶対無事故であっていただきたい。

第6回 御書根本に今日も一歩を   (2015.2.23付 聖教新聞)

 仏法は「声仏事を為す」(御書708㌻)と教える。声の力で仏の仕事ができるのだ。
 心から出た言葉は心に届く。たった一言でも、生きる力になる。友に温かな声を掛け、励まし社会を創っていきたい。
 苦しんできた民衆が断じて幸福になる世界を!──その師の心を抱《いだ》いて、私たちは行く所、行く所で、一人一人の友の幸を願い、対話を広げている。それは常に御書根本の前進である。
 「湿れる木より火を出《いだ》し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」(同1132㌻)
 関西の同志と心肝に染めた御聖訓である。どんな局面にあっても、強情なる祈りがあれば、必ず突破口は開かれる。不可能を可能にする信心だ。信心だけは、一歩も引いてはならない。必ず変毒為薬できる。強く賢く、朗らかな楽観主義で進むのだ。
 生き生きと舞を舞うごとく、歓喜と勝利の歴史を築こう!
        *   *
 「ただ心こそ大切なれ」(同1192㌻)。その「心の財《たから》」の大長者こそ、わが敬愛する多宝会・宝寿会・錦宝会の皆様である。なかなか若いころのようにいかない場合もあろう。しかし心は自由だ。祈りは無限だ。
 自らが苦労してきた分だけ、仏の心で、苦しんでいる友を激励し、守っていける。
 皆、仏子であり、使命の人だ。偉大な地涌の菩薩である。
 朝な夕な読誦する法華経寿量品には「慧光照無量 寿命無数劫」(慧光の照らすこと無量にして 寿命は無数劫なり)と説かれる。
 励ましの人は若い。広布に生きる一日は、永遠に輝く一日だ。青年と共に、若々しく命を光らせ、最高の人生を飾りゆこう!

第7回 歓喜の春へ! 全てを味方に   (2015.3.1付 聖教新聞)

 3月は「青年が立つ月」「師弟誓願の月」だ。
 烈々たる師子吼で邪論を打ち破った小樽問答の際、戸田先生は教えてくださった。
 「敵が攻めかかってきたが、それで守備に回らないで、逆に攻撃に回って、先手、先手と攻めたから、非常に楽に勝てた。攻めることが肝心なのだ」
 正義が負ける社会は不幸だ。勝ってこそ正義である。
 日蓮大聖人は、言論戦に挑む門下に、こう仰せである。
 「今まで生きて有りつるは此《こ》の事にあはん為なりけり、此れこそ宇治川を渡《わた》せし所よ・是《これ》こそ勢多《せた》を渡せし所よ・名を揚《あぐ》るか名をくだすかなり」(御書1451㌻)
 どんな人にも臆さず、堂々と正義と真実を語るのだ。
 勝敗の分かれ目の時こそ題目だ。仏菩薩も、梵天・帝釈も、わが身に「入其身《にゅうごしん》(其《そ》の身に入《い》る)」させるのだ。
 信心が強ければ、周囲が自分の幸福の力になる。善の味方になる。
 異体同心の団結も固く、功徳満開の大歓喜の春へ、明るく、楽しく、にぎやかに進んでまいりたい。
        *   *
 大山《たいざん》も一つの塵から成る。
 大海も一滴の露から始まる。
 大聖人は門下に仰せである。
 「一を重ぬれば二となり・二を重ぬれば三・乃至十・百・千・万・億・阿僧祗の母は唯・一なるべし」(同1237㌻)
 一人から始まる。一人を大切にすることが、社会を変え、やがて世界を変えていく。そして世代を超え、永遠の平和を実現する道が、広宣流布である。
 勇気の一人は、金剛不壊と輝く。来世も必ず、太陽の心をもって生まれてこられる。
 愛する地域に一つまた一つ、未来を照らす希望の種、勝利の種、幸福の種を蒔《ま》いていこう!

第8回 希望・忍耐・前進そして勝利   (2015.3.7付 聖教新聞)

 大樹と伸びゆく若き友の姿ほど、心躍るものはない。
 先日、東京創価小学校の6年生の皆さんと、私は妻と共に、うれしい出会いを刻んだ。皆、元気だった。
 天も祝福していた。
 私は毎日、全国、全世界の若き友に、健康あれ! 幸福あれ! 勝利あれ! と祈っている。
 君たち貴女《あなた》たちこそ太陽だ。一人も残らず使命の人だ。
 自分らしく、未来を見つめて前へ進むのだ。
 皆で後継の友を励まし、見守り、成長を祈りに祈って、平和のバトンを託していきたい。
        *   *
 わが恩師・戸田先生は晩年、こう力を込めて語られた。
 「希望があれば、前進できる。何があっても戦える。
 そして、忍耐だ。忍耐なき人は、愚痴に負ける。
 前進している人は、息吹がある。不退転の心で、朗らかに前進すれば、必ず勝利できる」
 我らの合言葉は「希望」「忍耐」「前進」そして「勝利」だ。自分自身の悔いなき歴史をつくるのは、今である。
 思えば、戦後の荒廃の中、創価学会の再建に立ち上がった恩師を、私は全身全霊で支えた。
 「10年後、20年後を見よ」と歯を食いしばって戦った。そして全てに勝利した。
 御聖訓には「大難来《きた》りなば強盛の信心弥弥《いよいよ》悦びをなすべし」(御書1448㌻)と厳然と仰せである。
 大変な時こそ、大きく変われるチャンスなのだ。
 大闘争が、福運を大きく開く。
 広布前進のリズムの中で、「生老病死」の苦をも、「常楽我浄」の喜びへと転じていける。
 大事なのは、負けない心だ。勝つための祈りだ。
 宿命を使命に変える人間革命の劇を、断じて、ともどもに勝ち飾ろう!

第9回 後継の誉れ 試練こそ喜び   (2015.3.14付 聖教新聞)

 後継の誓いの3月、わが胸には「追撃の手をゆるめるな!」との恩師の師子吼が響く。
 あえて試練に挑み、勝ち越えるのが青年だ。後継の誉れである。
 どんな嵐が襲いかかろうとも、題目第一の人には、かなわない。必ず必ず乗り越えられる。
 日蓮大聖人は、身命に及ぶ大難の中、流罪の身でなお、悠然と「喜悦はかりなし」(御書1360㌻)と仰せになられた。
 正義ゆえの難が現れる時こそ、広宣流布の時なのである。
 それを戸田先生は心から喜ばれ「私もうれしいと思うが、みなさんもうれしいと思ってもらいたい。そのときこそ、敢然と戦おうではないか」と晴れ晴れと叫ばれた。
 魔が競わない闘争は、闘争ではない。魔を打ち破ってこそ、仏になる。絶対的幸福の大境涯を開くことができるのだ。
 ゆえに、大変な時ほど明るく楽しくいこう! 師子王の心で進むのだ。これで宿命転換できる。これで一切を変えられる。これで永遠の師弟勝利の原点をつくることができる──と。
 仏法は三世を貫く究極の楽観主義だ。絶対に行き詰まらない。いかなる逆境からも価値創造していける大法なのである。
        *   *
 広宣流布は慈悲を社会の根底に据え、自他共の幸福を築く戦いだ。地上から悲惨の二字をなくし、平和を創る戦いである。
 きょうも一人を励まそう。
 勇気と希望を送ろう。
 常に自らが第一線へ!
 行くところ向かうところで、一人から一人へ、勝利の一念を燃え立たせ、勇気の波動を起こすのだ。
 時代の変化は激しく、苦労も多いだろうが、どこまでも信心で団結し、信心で勝とう。
 何事も強気でやり通す執念が勝負を決する。一人も残らず、自分に勝ち、社会で勝ち、人生で勝つ功徳満開の春を迎えよう!

第10回 異体同心で常勝の大行進  (2015.3.22付 聖教新聞)

 「3・16」から「4・2」、そして「5・3」へ、学会は大いなる前進の節を刻む。
 もうすぐ桜の春が来る。恩師・戸田先生の雄姿を思い出す。
 民衆を苦しめる邪悪と戦われた師であった。巌のごとき信心の先生であられた。
 世界広布、立正安国を願われた師を偲び、私は先日、恩師記念会館で全同志の健康と幸福と勝利を祈念した。
 思えば、昭和33年(1958年)3月16日、広宣流布の記念式典に、全国から6000人の青年が電光石火で集った。
 今、あの誓いのままに、戦う心を燃やす多宝の友がいる。勇んで駆け付ける心意気を継ぐ、頼もしき後継の勇者がいる。
 恩師は青年を信じ、愛し、大激励された。励ましを送ろうと自ら大太鼓を打ち鳴らし、その雄渾の響きに思いを込めた。
 前進だ! 追撃だ! 最激戦地へ打って出よう! 勝利、勝利のリズムで進め!──と。
 私も同じ心である。
 嵐も怒濤も乗り越えて、青春の命で生き抜こう。闇が深いほど、希望の夜明けは近いのだ。
        *   *
 戸田先生は烈々と叫ばれた。
 「師と苦楽をともにする弟子たれ! 師と目的をともにする弟子たれ! 師と勝利をともにする弟子たれ!」と。
 この心で私は全てに勝った。
 大変であればあるほど、強盛の信心を奮い起こし、いよいよ喜びをなして、勇み戦い、断じて勝つ! これが常勝の魂だ。
 何があろうとも、我らには題目の師子吼がある。異体同心の団結がある。何も恐れるものはない。断じて負けない。
 広布の行動は、全部が仏縁になる。諸天を動かす。功徳に変わる。
 今再び「異体同心なれば万事を成《じょう》し同体異心なれば諸事叶う事なし」(御書1463㌻)との大確信で、「いざや前進」だ。
 忙しい時こそ励まし合い、讃え合って歴史を創ろう。常勝の太陽の皆さん方の健康と、満々たる生命力の行進を祈ります。
2015-05-03 : 名誉会長と共に 新時代を駆ける :
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