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インド・創価池田女子大学第12回卒業式へのメッセージ

インド・創価池田女子大学第12回卒業式へのメッセージ
    (2015.3.29 インド・創価池田女子大学)

 インド・創価池田女子大学の第12回卒業式が3月29日、チェンナイの同大学で挙行された。
 これには、来賓、教職員、卒業生、父母、在学生、同窓生など2500人が出席。名誉創立者の池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長と名誉学長の香峯子夫人がメッセージを贈り、晴れの門出を祝福した。
 また、この日、同大の同窓会が発足した。
 チェンナイの空は、どこまでも青く広がり、陽光が温かくキャンパスを包む。
 天も寿ぐ旅立ちのこの日。式典には、同窓の友も後輩の祝福に駆け付け、学内には懐かしき“姉妹”の語らいの声が響いていた。
 2000年8月の創立から15年目となるインド・創価池田女子大学。その英才の陣列は全卒業生・在学生合わせて4000人の黄金のスクラムとなった。
 池田SGI会長夫妻は、希望の大空へと羽ばたく栄光の12期生にメッセージを贈り、3年間の学生生活で、日々の学問と自身の錬磨に挑戦し抜いた尊き努力を賞讃。「わがインド・創価池田女子大学は、21世紀の世界の教育界を照らしゆく旭日の大学です。すべては、卒業生で決まります」と強調。「何があっても、強く、賢く、朗らかに、自分にしかない偉大な使命の花を、見事に咲き薫らせていっていただきたい」と念願した。
 そして「どうか皆さんは、『魂のふるさと』である母校を最大の誉れとし、同窓の絆を最高に光り輝かせながら、一生涯、共に手を携えて進みゆく『良き学友』『良き姉妹』であっていただきたい」と、深き縁で結ばれた12期生の勝利と幸福を望んだ。
 式典では同大のセトゥ・クマナン議長が開会宣言し、コギラム・クマナン事務局長が開会の辞を。レヌカ・デヴィ学長から卒業生の活躍が紹介された。
 ヴェルール工科大学のG・ビシュワナータン総長が記念講演を行い、卒業生一人一人に卒業証書を授与した。
 続いてあいさつに立ったジャグラン・レイクシティ大学のアヌープ・スワループ副総長は、「世界は今、人間を善の方向へと導く指導者を求めています。皆さんの凜々しい姿を拝見し、この大学から勇気ある女性リーダーが誕生することを確信しました」と感動の面持ちで語った。


苦楽を分かつ真実の友情を

詩聖タゴール
「夜の闇夜を通り抜け、われらは輝く光の王国へ前進するのだ」

 大いなる希望の大空へと羽ばたきゆく、栄光の12期生の皆さん!
 晴れのご卒業、誠におめでとうございます。ご家族の方々にも、心からのお祝いと、お喜びを申し上げます。
 大切な皆さんが、この3年間、どれほど真剣に、日々の学問と、自身の練磨に挑戦してこられたか──私と妻は、誉れある創価池田女子大学の家族として、その尊き「努力の便り」を、何よりも嬉しく伺ってきました。
 最終試験で優秀な成績を収められたことも、詳しく聞いております。本当におめでとうございます。その勝利の陰には、皆さんの成長を信じ、励まし続けてくださった先生方の限りない薫陶があったことも、よく存じ上げております。
 尊敬するクマナン議長、デヴィ学長をはじめ教職員の方々に、私は妻と、最大の賞讃の拍手を贈り、心から感謝申し上げます。誠に誠にありがとうございました。(大拍手)
 開学から15年目──貴大学の英知と福徳の連帯は、今や、在学生を含め、4000人の黄金のスクラムとなりました。この佳節に、卒業生による「同窓会」が結成されることは、何と意義深いことでしょうか。
 愛する母校を卒業生が守り、支え、発展させ、そして後輩の成長のために尽くしていく──これほど美しく、これほど気高い人間共和の世界はありません。ここに、人間教育の永遠に尽きることのないロマンがあり、希望があります。
 創価教育の父である牧口常三郎先生は「 “青は藍より出でて藍より青し” 、これが創価教育の特色である」と語られました。
 貴国は古来、インド藍の産地としても有名です。
 染め物などに使われる青色の染料は、藍の葉から取られます。そして、何度も染められていくうちに、もとの藍の色より、もっと鮮やかな青へと変わっていきます。それと同じように、学生は教えを受けた先生に深く感謝しながら、先生を越え、限りない成長を目指して、さらなる努力を重ねていく。
 そして卒業生もまた、後に続く後輩の成長と勝利を願いながら、現実の社会において、未来の道を開いていく。ここに、私たち創価教育の同窓の精神もあると信じます。
 思えば、帰国の詩聖タゴールが創立したタゴール国際大学の出身者たちも、深き母校愛の絆で結ばれていました。
 卒業生は世界各国で活躍し、日本からのある留学生は、20年ぶりに母校を訪れ、同窓会に参加した喜び、そして皆で肩をゆすって校歌を歌い上げた感激を鮮明に綴り残しています(平等通昭著 『タゴールの学園―我等のサンチニケタン―』 印度学研究所)
 わが創価池田女子大学は、21世紀の世界の教育界を照らしゆく旭日の大学です。
 すべては、卒業生で決まります。貴大学から巣立った先輩たちは、すでに経済界、教育界、学術界など、多彩な分野で奮闘しています。
 後に続く12期生の皆さんもまた、何があっても、強く、賢く、朗らかに、自分にしかない偉大な使命の花を、見事に咲き薫らせていっていただきたい。
 そして、誇り高き創価池田女子大学の卒業生として、地域社会の発展と民衆の幸福のために、自分らしく堅実に、貢献していってください。
 現実の社会は厳しく、常に変化の連続です。思うようにいかない日々もあるでしょう。
 しかし、どんな逆境にあっても、「魂のふるさと」を持つ人は強い。「真実の友情」を持つ人は負けません。

同窓の絆を胸に
 貴国で誕生した仏法では「慈悲」を説きます。慈悲の「慈」は、サンスクリットで「マイトリー」、つまり「友情」を意味します。
 また、慈悲の「悲」は、「悲しみを共にする」ことを指す「カルナー」などから訳されています。
 すなわち、友の苦しみをわが苦しみとして、共に分かち合い、励まし合っていく──それこそが慈悲の精神であり、そこにこそ真実の友情があります。
 どうか皆さんは、「魂のふるさと」である母校を最大の誉れとし、同窓の絆を最高に光り輝かせながら、一生涯、共に手を携えて進みゆく「良き学友」「良き姉妹」であっていただきたい。そして、一日また一日、一年また一年、自分らしくベストを尽くし、再び全員で、青春の母校に凱旋しようではありませんか!
 結びに、タゴールの詩の一節を贈り、祝福のメッセージとします。「友たちよ、足を止めてはならない」「夜の闇路《やみじ》をとおりぬけ、われらは 皓々とかがやく光の王国《くに》へと前進するのだ」「行け、盟友《とも》らよ!」(森本達雄訳「御子」『タゴール著作集』 第二巻所収、第三文明社)
 深き縁《えにし》で結ばれた皆さん方の前途に、栄光あれ! 勝利あれ! 幸福あれ!(大拍手)
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2015-03-29 : スピーチ・メッセージ等 :
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池田SGI会長指導選集 「幸福と平和を創る智慧」 第2部 第9章 9-1〜9-9

池田SGI会長指導選集 「幸福と平和を創る智慧」

第2部 人間革命の実践

第9章 仏法は勝負

この章を読むに当たって

 精一杯頑張っているのに、仕事においても活動においても思うような結果が出ないと悩むアメリカSGIの友に、かつて池田SGI会長は、こう語りかけました。
 「大丈夫! そうやって悩みながら、もがきながら、祈って、動いて、苦労しているときが、一番、人間革命ができる。一番、宿命転換が進むんです。
 だから、焦る必要はありません。今は勝利の因をじっくり創ることです。種をしっかり植えることです。その種を、鳥にもっていかれるかもしれない。そしたら、また植えればいい。若芽のときに折れることもあるだろう。そしたら、また植えればいい。そうやって何回も何回も繰り返していけば、最後は大森林地帯となっていく。これが、仏法の法則です。
 朝の来ない夜はない。必ず朝が来ると信じるのが、この仏法です。大切なのは、やめないこと。諦めないこと。常に何か行動していくことです。挑戦していく限り、必ず前進していける。戦っていること自体が勝利です。負けないことが勝つことなのです」
 人間革命の前進には、さまざまな困難や障害が立ちはだかります。それらに向き合い、怯まずに挑戦し続ける中にこそ、わが胸中に人生勝利の仏の生命が燦然と輝いていくことを、SGI会長は繰り返し語ってきました。
 「仏法は勝負」――なぜ仏法は勝負を重んじるのか。何と戦い、何に勝つのか。勝利の人生のために何が大切か。この重要な哲学をSGI会長の指針から学んでいきます。

 9-1 仏法は勝負、人生も勝負

 この節では、「仏法は勝負」の意義について、御書を拝しながら語り、胸中における仏と魔との戦いに勝つことが根本であると強調しています。

【池田SGI会長の指針】
◎『御書の世界』から
        (第3巻、2005年3月刊)

 「仏法は勝負」という原理は、表現はさまざまですが、大聖人の御書全編にわたって拝することができる。なかんずく、端的な表現として「四条金吾殿御返事」(別名「世雄御書」)に「仏法ともうすは勝負をさきとし」(御書1165㌻)と明快に仰せです。牧口先生も、この仰せを引用し、ここに「宗教の生命」があると述べられている。(『牧口常三郎全集』10)
 仏法は勝負であり、人生も勝負です。
 仏法は、仏と魔との戦いという生命の根本の闘争に万人が勝っていけるために説かれたと言っても過言ではない。
 魔を打ち破って成仏を遂げるか、魔に負けて迷妄の人生を送るか。人生における仏法の意義は、究極するところ、この根本的な勝負に勝つことにあるのです。
 この仏法究極の生き方においては、人生のあらゆる局面は、勝負、勝負の連続になる。それがまた、人生の実相です。
 そして、この戦いに挑戦する人にとっては、人生に起こるさまざまなことは、それが世間のことであっても、すべて仏道修行に通じていく。すなわち「仏法は勝負」との原理に適っていくのです。
 大聖人は、「仏をば世雄と号し」と仰せです。「世雄」とは現実社会における勇者のことです。勇敢に魔と戦い、しかも仏界の生命力を現しながら、世間法のなかで正しく生きぬいていくのが仏です。
 大聖人が在家の門下の中心者である四条金吾に「仏法は勝負」と教えられているのは、仏の「世雄」の生き方を継ぐのが、仏法者であることを示されていると拝することができます。
 「仏法は勝負」といっても、結局、何によって勝つのか。それは「心」です。
 「仏法は勝負」と強調されているのは、いかなる困難にも立ち向かっていく強靭な心をもて、ということです。臆病な心では、胸中の魔にも、社会の魔にも勝てないからです。
 「臆病にては叶うべからず」(御書1192㌻)です。
 〝わが門下よ、断じて世間の荒波に負けるな〟〝卑劣な魔軍に負けるな〟という、大聖人の万感こもる励ましです。「法華経に勝る兵法なし」の原理もそうです。
 「法華経の信心」とは、観念論でも抽象論でもない。現実の社会で勝利するための具体的な智慧を発揮しゆくものでなくてはなりません。
 大聖人御自身が、師子王の心で、勝利また勝利の大闘争を続けてこられた。決定《けつじょう》した一念にこそ諸天善神も動くのです。
 「諸天善神等は日蓮に力を合わせ給う故に竜口《たつのくち》までもかちぬ、其の外の大難をも脱《まぬか》れたり」(御書843㌻)と仰せです。偉大なる勝利宣言訓です。
 人生も、生活も、社会も、変化、変化の連続です。そして、変化は、良く変わるか悪く変わるか、中途半端はない。だからこそ、信仰も勝負、宗教も勝負を決する以外にないのです。

 9-2 人間革命とは自分との戦い

 人間革命は常に自分との戦いであり、信心を妨げようとする魔の働きとの闘争です。「仏法は勝負」とは、自分自身との戦いに勝つことであると呼び掛けています

【池田SGI会長の指針】
◎男子青年部幹部会でのスピーチから
        (1990年6月26日、東京)

 「仏法は勝負」ということについて、少々、申し上げておきたい。
 戸田先生は、よく教えられた。「信心は、人間の、また人類の行き詰づまりとの戦いいだよ。魔と仏との闘争が信心だ。それが仏法は勝負ということだ」と。
 前進していれば、当然、行き詰まる場合がある。その時は、いちだんと題目をあげ、行動することだ。そうすれば、また必ず大きく境涯が開けてくる。ふたたび前に進んでいける。
 この限りなき繰り返しが信心である。
 その自分との戦い、行き詰まりとの戦い、魔との闘争に、勝つか負けるか、それが〝勝負〟なのである。しのぎをけずるような厳しき自己との闘争を忘れれば、もはや堕落である。遊戯である。ぬるま湯にひたっているような安逸は、もはやそれ自体、敗北の姿なのである。
 日蓮大聖人は仰せである。
 「夫《そ》れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり、故に仏をば世雄と号し王をば自在となづけたり」(御書1165㌻)
 ――そもそも仏法というのは勝負を第一とし、王法(政治、社会)というの賞罰を根本とする。ゆえに仏を「世雄」と号し、王を「自在」と名づける――。
 賞罰にはランクがあり、相対的なものである。百点のうち十点とか六十点とか、また勲章の等級とか、〝より良い〟また〝より悪い〟と比較できるのが賞罰である。
 これに対し、勝負とは絶対的なものである。勝つか、負けるか。中間はない――。
 仏とは、この勝負に〝勝った人〟のことである。「世雄」とは、人間の世(世間)にあって、最強の勇者ということである。
 このほか仏典には、〝仏の別称(別名)として、次のような表現が使われている。
 「戦勝《せんしょう》」「勝導師《しょうどうし》」「勝陣《しょうじん》」「勝他《しょうた》」「勝他幢《しょうたどう》」(幢《どう》とは、はたほこ、王将である象徴)。また「健勝破陣《けんしょうはじん》」すなわち魔軍の陣を破り、勝つ健者、勇者。「十力降魔軍《じゅうりきごうまぐん》」すなわち十の力で魔軍を降《くだ》し全滅させる強者――これが、仏なのである。
 すなわち、魔との勝負に「勝つリーダー」(勝導師)こそ仏だというのである。勝ってこそ仏法、勝ってこそ信心なのである。
 魔軍との戦いについて、大聖人は、こう描写されている。
 「第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土を・とられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし」(御書1224㌻)
 ――第六天の魔王が、十の軍隊をもって戦争を起こし、法華経の行者と〝生死の苦しみの海〟の中で、同居穢土(娑婆世界のように、六道の凡夫と四聖〈声聞、縁覚、菩薩、仏〉が同居する国土)を、「取られまい」「奪おう」と争う。日蓮は、その身にあたって、仏の大軍を起こして二十余年になる。その間一度も、退く心はない―― 。
 魔の十軍とは、煩悩の軍隊のことである。『大智度論』(大正新脩大蔵経25巻)では次の十種を挙げている。
 すなわち
 ①欲。五欲にとらわれて、修行を怠るようになる。
 ②憂愁。気がふさぎ、ものうくなってくる。
 ③飢渇《けかち》。うえとかわきにさいなまれる。
 ④渇愛。愛欲や執着によって堕落していく。異性への愛着や、酒などの快楽におぼれる姿も、これに関係していよう。
 ⑤睡眠。まったく眠るなということではなく、惰眠を続けるような真剣でない生活であり、態度といえよう。眠りをさくような向上への努力もせず、要領よく生きていく人生をも含むかもしれない。
 ⑥怖畏《ふい》。おそれに負けて臆病になる。
 ⑦疑悔《ぎげ》。修行者をそそのかして、疑いと悔いを起こさせる。
 ⑧瞋恚《しんに》。怒りの心によって、修行が妨げられる。
 ⑨利養虚称。名利と虚名にとらわれて、成仏への道を踏ふみはずす。
 ⑩自高蔑人《じこうべつにん》。自己を高くし、人を見くだす。
 これは、これまでの反逆者に共通する傲慢な生命であった。また彼らは、要するに、この十の魔軍にみずから敗れ、捕らわれて、向こうの陣についてしまった者たちである。
 この魔軍を打ち破る武器は何か。それはただ一つ、信心の利剣以外にはない。
 ゆえに広布のリーダーは、第一に〝信心強き〟勇者でなければならない。そうでなければ、どんなに優秀なリーダーに見えたとしても、根本的次元における魔との〝生命の戦い〟に勝利することはできない。
 「信心」が強いかどうか、それが真の強者か否かの基準なのである。
 ともあれ、この御文のとおり、宇宙という「生死《しょうじ》の海」(苦しみの海)を舞台に、仏と魔との戦いが繰り広げられていると、大聖人は仰せである。
 宇宙全体が〝勝負の世界〟なのである。創造の力と破壊の力。〝調和《コスモス》〟へのエネルギーと〝混乱《カオス》〟 への乱気流。〝結びつける〟慈愛の力と〝切り離す〟憎悪の力。生と死、光と闇、幸福と不幸、前進と後退、上昇と下降、開放と閉鎖、希望と絶望、〝生かす〟エネルギーと〝殺す〟衝動――。幸福になりゆく法則に従うか、反対に、黒い不幸の世界に化《か》していく天魔に従属してしまうかである。
 絶対に私どもは、永遠に幸福になりゆく法則に従い、崩れざる常楽の世界をつくりゆかねばならない。これが仏法者の使命である。

 9-3 仏法は釈尊の「心の戦い」から始まった

 小説『新・人間革命』では、極端な苦行では悟りは得られないことを知った釈尊が、菩提樹の下で、いよいよ成道する場面が描かれています。それは、無明という己心の魔を打ち破っていく仏法勝負のドラマでもありました。

【池田SGI会長の指針】
◎小説『新・人間革命』第3巻「仏陀」から
        (1998年11月刊)

 菩提樹の下で、釈尊の思惟は続いた。
 仏伝によれば、この時、悪魔が釈尊を誘惑したとある。その誘惑の方法は仏伝によって異なるが、優しく語りかけたとしているものもあることは興味深い。
 〝お前はやせ細り、顔色も悪い。まさに死に瀕している。このまま瞑想を続ければ、生きる望みは千に一つもない……〟
 悪魔は、まず生命の危機を説き、生きることを促したあと、バラモンの教えに従っていれば、そんな苦労をすることなく、多くの功徳を積むことができると説得する。そして、釈尊のやっていることは、無意味であると語るのである。それは、己心の激しい葛藤劇であったととらえることができる。
 釈尊は迷い、心は千々に乱れた。体力も消耗し、衰弱のなかで、死への恐怖もわいてきたのであろう。また、あの激しい苦行からも、何も得られなかっただけに、今の努力も、結局は無駄ではないかという思いも、頭をもたげてきたであろう。
 ともあれ、欲望への執着が、飢えが、眠気《ねむけ》が、恐怖が、疑惑が、彼を襲った。
 魔とは、正覚への求道の心を悩乱させようとする煩悩の働きである。それは、世俗的な欲望への執着となって生じることもあれば、肉体的な飢えや眠気となって現れることもある。あるいは、不安や恐怖、疑惑となって、心をさいなむこともある。
 そして、人間はその魔に惑わされる時には、必ず自己の挫折を、なんらかのかたちで正当化しているものである。しかも、それこそが、理に適ったことのように思えてしまう。
 たとえば、釈尊の〝こんなことをしても、悟りなど得られないのではないか〟という考えは、それまで大悟を得た人などいないだけに、一面、妥当なことのように思えよう。
 魔は「親の想《おもい》を生《な》す」(御書917㌻)といわれるが、往々にして魔は、自分の弱さや感情を肯定する常識論に、すがる気持ちを起こさせるものだ。
 だが、釈尊は、それが魔であることを見破り、生命力を奮い起こし、雑念を払うと、高らかに叫んだ。
 「悪魔よ、怯者《きょうしゃ》はお前に敗れるかもしれぬが、勇者は勝つ。私は戦う。もし敗れて生きるより、戦って死ぬほうがよい!」
 すると、彼の心は、再び平静を取り戻した。
 辺りは、夜の静寂に包まれ、満天の星が、澄んだ光を地上に投げかけていた。
 魔を克服した釈尊の心はすがすがしかった。精神は澄み渡り、晴れた空のように一点の曇りもなかった。
 彼は三世にわたる生命の永遠を覚知したのである。
 その時、生まれて以来、心の底深く澱《おり》のように沈んでいた、あらゆる不安や迷いが消え去っていた。自己という存在の、微動だにしない深い根にたどりついたのだ。
 彼は、無明の闇が滅して、智慧の光明がわが生命を照らし出すのを感じていた。そして山頂から四方を見渡すかのように、彼の境地は開かれていった。
        ◇
 法楽を味わった釈尊は、しばらくすると、深い悩みに沈んだ。それは新しい苦悩であった。彼は木陰に座り、何日も考えていた。
 〝この法を説くべきか、説かざるべきか……〟
 彼の悟った法は、いまだかつて、誰も聞いたこともなければ、説かれたこともない無上の大法である。光輝満つ彼の生命の世界と、現実の世界とは、あまりにもかけ離れていた。
 人びとは病を恐れ、老いを恐れ、死を恐れ、欲望に身を焼き、互いに争い合い、苦悩している。それは「生命の法」を知らぬがゆえである。しかし、衆生のために法を説いたとしても、誰一人として、理解できないかもしれない。
 釈尊は孤独を感じた。それは未聞の法を得た者のみが知る、「覚者の孤独」であった。
 ある仏伝によれば、この時も悪魔が現れ、釈尊を苦しめたとされる。それは、法を説くことを思いとどまらせようとする、己心の魔との戦いと解《かい》せよう。
 釈尊は布教に突き進むことに、なぜか、逡巡と戸惑いが込み上げてきてならなかった。
 彼は悩み、迷った。魔は、仏陀となった釈尊に対しても、心の間隙を突くようにして競い起こり、さいなみ続けたのである。
 「仏」だからといって、決して、特別な存在になるわけではない。悩みもあれば、苦しみもある。病にもかかる。そして、魔の誘惑もあるのだ。ゆえに、この魔と間断なく戦い、行動し続ける勇者が「仏」である。反対に、いかなる境涯になっても、精進を忘れれば、一瞬にして信仰は破られてしまうことを知らねばならない。
 仏伝では、逡巡する釈尊の前に、梵天が現れ、あまねく人びとに法を説くように懇請したとある。それは、自己の使命を自覚し、遂行しようとする釈尊の、不退の意志の力を意味しているといえよう。
 彼は、遂に決断する。
 〝私は行こう! 教えを求める者は聞くだろう。汚れ少なき者は、理解するだろう。迷える衆生のなかへ、行こう!〟
 釈尊は、そう決めると、新しき生命の力が込み上げてくるのを感じた。一人の偉大な獅子が、人類のために立ち上がった瞬間であった。

 9-4 まず今日、自分に勝つこと

 ここでは、トインビー博士がSGI会長との対談で強調していた「自己超克」の話を通して、〝一人一人が自分に勝つ〟ことが、社会を変え、人類の歴史を動かしていくという、人間革命の根本を語っています。

【池田SGI会長の指針】
◎香港・マカオ最高協議会でのスピーチからから
        (2000年12月4日、香港)

 この対談で(「二十一世紀への対話」)でトインビー博士が強調されていたことは何か。
 その一つは「自己超克」ということであった。わかりやすく言えば、「自分に勝つ」ということである。利己主義に支配された小さな自分を乗り越え、人々の幸福のために尽くしゆく、大いなる自分を開くことである。
 人類の危機を転換していくためにも、この「自己超克」が不可欠であるというのが、二十世紀最大の歴史家であるトインビー博士の洞察であった。それは、まさに「人間革命」を意味しているといってよい。
 博士は、「この自己を超克する戦いは、 一人一人の人間の行動のなかにあるのです」と言われていた。それぞれが「自分に勝つ」ことが、結局、大きな社会の発展につながり、やがて、人類の歴史をも動かしていく。
 二十一世紀の新しい舞台で、勝ちぬいていくために、何が大事か。その勝負も、まずきょう、自分に勝つこと。きょう、自分を革命していくことから始まると銘記したい。
 信仰は、無限の力の源泉である。宗教は「文化の大地」である。「生きる力」「成長する力」「勝利する力」「宿命を打開する力」がわいてくる。「幸福になる源泉」が妙法なのである。
 人間を手段にするのでなく、人間が雄々しく立ち上がり、自身に勝利し、皆と喜びを分かちあっていくのが仏法なのである。
 その正道を歩んでいるのは創価学会しかない。科学の発展も大事である。経済も、政治も、教育も当然、大事である。しかし、もっとも大事な根本は何か。
 それは生命である。生命の変革こそが一切の土台となる。それを教えたのが釈尊であり、日蓮大聖人であられる。
 大聖人は、宇宙と生命を貫く法則を解き明かし、皆が幸福に、平和に、慈愛に満ちて生きていける道を残してくださった。
 尊極の大法が妙法であり、それを持つ皆さまは「世界の宝」の人である。
 仏法の因果は厳しい。ゆえに、妙法に生きぬく人は、生々世々、健康で、美しく、裕福で、立派なリーダーとして、社会に貢献し、人々に賛嘆されながら、大満足の人生を楽しんでいけることを、どうか確信していただきたい。

 9-5 「挑戦」と「応戦」

 ここでは、トインビー博士の「挑戦」と「応戦」の歴史観に触れながら、社会も個人も、あらゆる苦難と戦い続けていく生命力が勝利の道を開くと語っています。

【池田SGI会長の指針】
◎山梨婦人部幹部会でのスピーチから
        (1997年9月30日)

 私の青春時代からのモットーは、「波浪は障害にあうごとに、その頑固の度を増す(いよいよ強くなる)」であります。
 じつは、これは、トインビー博士の歴史理念とも根本的に通じております。
 つまり、「挑戦」と「応戦」であります。何らかの課題や障害がある。その挑戦を受け止めて、自分がもっと強くなる(応戦する)――その生命力があるかぎり、その文明は発展するというのであります。
 戦う生命力がなくなった文明は衰亡していきます。これを博士は、ゲーテの『ファスト』を引いて、説明しております。(「文明の発生」、下島連・山口光朔他訳『歴史の研究』2所収、『歴史の研究』刊行会)
 悪魔に対して、すなわち戦うべき障害に対して、ファウストは言います。
 「もしおれが、これでいいという気になって安楽椅子に寝そべったら、おれは即座にほろびるがいい」(『ファウスト 悲劇第一部』手塚富雄訳、中公文庫)
 もう戦わなくていいんだ。もうゆっくりしていいんだ。もう拡大しなくても、成長しなくてもいいんだ。そう思うようになったら、とたんに滅びていく。要約すれば、これが歴史の鉄則だと、トインビー博士は論じているのであります。
 人生も同じであります。団体も同じであります。何かあればあるほど、それらと戦い、それらを取り込んで、もっと強くなることができます。もっと大きくなることができます。
 大聖人は仰せであります。
 「火に薪を加えれば、火はますます燃えさかるではないか。多くの河の流れが入らなければ大海もないのである」(御書1448㌻、趣意)と。
 法華経の行者は、火のごとく、大海のごとく、難のたびに強く、大きくなるのであります。
 そういう生命力で前進したところが、歴史の勝利者となる。人生の勝利者となる。要は、自分が強くなることです。学会を強くすることです。
 御書に「心の固きに仮りて神の守り則ち強し」(御書1220㌻ほか)――信心の心の固さによって、諸天善神の守りも強くなる―― と。
 一次元から言えば、これは「人だのみをするな」ということであります。
 だれかが守ってくれるとか、だれかが味方してくれるとか、そういう甘い考えは捨てなさい。全部、自分が強くなるしかない。自分が強くなってこそ、諸天善神も守るのだ、勝っていけるのだ――という文証であります。

 9-6 誓願の信心に立て

 1960年10月、池田SGI会長はブラジルを初訪問しました。小説『新・人間革命』では、現地で開かれた座談会で、山本伸一がメンバー一人一人を抱きかかえるように励ます場面が綴られています。そのなかで、農業移住者として奮闘する壮年に、誓願の信心が勝利の実証をもたらすことを語っています。

【池田SGI会長の指針】
◎小説『新・人間革命』第1巻「開拓者」から
        (1998年1月刊)

 四十過ぎの一人の壮年が、兵士のような口調で、緊張して語り始めた。
 「自分の仕事は農業であります!」
 「どうぞ気楽に。ここは、軍隊ではありませんから。みんな同志であり、家族なんですから、自宅でくつろいでいるような気持ちでいいんです」
 笑いが弾けた。日焼けした壮年の顔にも、屈託のない笑みが浮かんだ。
 この壮年の質問は、新たに始めた野菜づくりに失敗し、借金が膨らんでしまったが、どうすれば打開できるかというものだった。
 伸一は聞いた。
 「不作になってしまった原因はなんですか」
 「気候のせいであったように思いますが……」
 「同じ野菜を栽培して、成功した方はいますか」
 「ええ、います。でも、たいていの人が不作です」
 「肥料に問題はありませんか」
 「……詳しくはわかりません」
 「手入れの仕方には、問題はありませんか」
 「……」
 「土壌と品種との関係はどうですか」
 「さあ……」
 壮年は、伸一の問いに、ほとんど満足に答えることができなかった。
 〝この人は自分なりに、一生懸命に働いてきたにちがいない。しかし、誰もが一生懸命なのだ。それだけで良しとしているところに、「甘さ」があることに気づいていない〟
 伸一は、力強く語り始めた。
 「まず、同じ失敗を繰り返さないためには、なぜ、不作に終わってしまったのか、原因を徹底して究明していくことです。成功した人の話を聞き、参考にするのもよいでしょう。そして、失敗しないための十分な対策を立てることです。真剣勝負の人には、常に研究と工夫がある。それを怠れば成功はない。信心をしていれば、自分の畑だけが、自然に豊作になるなどと思ったら大間違いです。仏法というのは、最高の道理なんです。ゆえに、信心の強盛さは、人一倍、研究し、工夫し、努力する姿となって表れなければなりません。そして、その挑戦のエネルギーを湧き出させる源泉が真剣な唱題です。それも″誓願〟の唱題でなければならない」
 「セイガンですか……」
 壮年が尋ねた。皆、初めて耳にする言葉であった。
 伸一が答えた。
 「〝誓願〟というのは、自ら誓いを立てて、願っていくことです。祈りといっても、自らの努力を怠り、ただ、棚からボタモチが落ちてくることを願うような祈りもあります。それで良しとする宗教なら、人間をだめにしてしまう宗教です。日蓮仏法の祈りは、本来、〝誓願〟の唱題なんです。その〝誓願〟の根本は、広宣流布です。
 つまり、〝私は、このブラジルの広宣流布をしてまいります。そのために、仕事でも必ず見事な実証を示してまいります。どうか、最大の力を発揮できるようにしてください〟という決意の唱題です。これが私たちの本来の祈りです。
 そのうえで、日々、自分のなすべき具体的な目標を明確に定めて、一つ一つの成就を祈り、挑戦していくことです。その真剣な一念から、知恵がわき、創意工夫が生まれ、そこに成功があるんです。つまり、『決意』と『祈り』、そして『努力』と『工夫』が揃ってこそ、人生の勝利があります。一攫千金を夢見て、一山当てようとしたり、うまい儲け話を期待するのは間違いです。それは、信心ではありません。それでは観念です。
 仕事は生活を支える基盤です。その仕事で勝利の実証を示さなければ、信心即生活の原理を立証することはできない。
 どうか、安易な姿勢はいっさい排して、もう一度、新しい決意で、全魂を傾けて仕事に取り組んでください」
 「はい。頑張ります」
 壮年の目には、決意がみなぎっていた。
 伸一は、農業移住者の置かれた厳しい立場をよく知っていた。そのなかで成功を収めるためには、何よりも自己の安易さと戦わなくてはならない。敵はわが内にある。逆境であればあるほど、人生の勝負の時と決めて、挑戦し抜いていくことである。そこに御本尊の功力が現れるのだ。ゆえに逆境はまた、仏法の力の証明のチャンスといえる。

 9-7 負けないことが勝つこと

 「負けないことが勝利。諦めないことが勝利。屈しないことが勝利」――これがSGI会長の仏法勝負の哲学です。ここでは、後継の女子部の友に向けて、〝負けないことが勝つこと〟という「負けじ魂」の生き方を呼び掛けています。

【池田SGI会長の指針】
◎「随筆 人間世紀の光」〈「女性の世紀」の若き旭日〉から
        (2004年11月13日「聖教新聞」掲載)

 信心は、即生活である。仏法は、即社会である。ゆえに、生活に勝ち、社会に勝ち、自分自身が幸福にならない信心や仏法は、あり得ないのだ。
 皆、悩みがある。悲しみがある。苦しみがある。しかし、「煩悩」は即「菩提」である。大きく悩んだ分だけ、大きく境涯が広がる。これが、妙法の原理だ。たとえ地獄の業火のような逆境に立たされたとしても、そこを必ず幸福の寂光土へと転換できるのだ。
 苦悩が何もないことが幸せなのではない。負けないこと、耐えられることが、幸せである。重圧を受け「あの人は大変だ」と周りから言われても、平然と、また悠然と、使命のわが道を歩み抜くことだ。そこにこそ「能忍」(能く忍ぶ)という、強い強い仏の生命の力がわいてくるのだ。一番、苦労した人が、最後は一番、幸福を勝ち取れる。幸福は、忍耐という大地に咲く花であることを忘れまい。
 女子部一期生である私の妻のモットーの一つは――
 「今日も負けるな
 今日も勇みて
 誓いの道を
 勝利の道を」であった。
 何があっても、負けない。その人は勝っているのだ。なかんずく、自らが青春時代に誓い定めた信念のために負けない一生を貫き通す人は、最も強く偉大である。
 人を幸福にできる人こそが、真実の幸福者である。
 自分自身が、皆を照らす太陽となっていくところに、本当の勝利があり、独立自尊の幸福の旗が翻るのだ。
 行動のない人生に、勝利の旗はない。行動のない信心に、幸福の旗はないのだ。この尊い意義深き青春を、そして人生を、負けずに、すべての苦難を乗り越えながら、旭日輝く勝利の栄光を胸に、わが道を歩みきっていくことだ。
 これが、本当の人間としての歩み方なのである。これが、仏法である。これが、信心である。「難来《きた》るを以て安楽」(御書750㌻)との、大聖人の重みのある一言を、決して忘れてはならない。

 9-8 人間として最も尊貴な人生とは

 仏法における勝利とは、名声や栄誉を得ることではなく、人間としてどのような価値を残し、どれだけの人に尽くしたかであると語っています。

【池田SGI会長の指針】
◎本部幹部会・東京総会でのスピーチから
         (1993年3月24日、東京)

 「万有流転」――青春時代に心に刻んだギリシャの哲学者ヘラクレイトス(紀元前500年ごろ活躍)の言葉である。
 宇宙の万物、ありとあらゆるものは、例外なく、変化また変化の連続である。どんなに栄華を極めても、最後に奈落の底に落とされる人生模様も、あまりに多い。
 大聖人は、仰せである。
 「或時は人に生れて諸《もろもろ》の国王・大臣・公卿・殿上人等の身と成って是れ程のたのしみなしと思ひ少きを得て足りぬと思ひ悦びあへり、是を仏は夢の中のさか《栄》へ・まぼろしの・たのしみなり唯法華経を持《たも》ち奉り速に仏になるべしと説き給へり」(御書386㌻)――(われわれ衆生は)ある時は人に生まれて、諸々の国王や大臣、公卿・殿上人(貴族)など高位・高官の身となって、これほどの楽しみはほかにないと思い、少しばかりの果報を得て十分であると思い、喜び合っている。しかし仏は、これを、夢の中の繁栄であり、幻の楽しみである、ただ法華経をたもって、すみやかに仏になるべきである、と説かれたのである――と。
 権力者であろうが、大臣であろうが、議員や有名人であろうが、どんなに威張ってみても、仏法の眼《まなこ》から見れば「夢の中の栄え」「幻の楽しみ」にすぎない。
 はかない泡《あぶく》のような栄華を求める人生。また、それらをうらやんで、心を悩ます人生。短い一生を、そうした幻を追って過ごすのでは、あまりにもむなしい。
 それでは、人間として最も尊貴な人生とは、何か――。
 大聖人は、「仏」に成ることこそが、永遠の幸福であり、最高の人生と仰せである。「妙法の当体」たる自分自身を輝かせていく生活である。
 華やかではなくとも、まじめに信心に励んだ人、真剣に広宣流布に励んだ人、不滅の大法とともに生きぬいた人こそが、真の「勝利者」であり「勝利王」なのである。
 広宣流布は三世永遠の偉業である。「この道」に生きぬいた人こそ、三世永遠の楽しみを満喫していける――これが大聖人の御心である。その意味で、学会員こそ世界第一の「英雄」であり、人間の「王者」である、とあらためて断言しておきたい。
 これまでも、何度も拝してきた有名な御文であるが、大聖人はこう仰せである。
 「人身は受けがたし爪の上の土・人身は持《たも》ちがたし草の上の露、百二十まで持《も》ちて名を・くた《腐》して死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ」(御書1173㌻)――人間として生まれてくることはむずかしい。あたかも爪の上の土のように、わずかなことである。また、たとえ人間として生まれてきても、その身をたもつことはむずかしい。
 太陽が昇れば消えてしまう草の上の露のように、はかない。百二十歳まで長生きし、汚名を残して死ぬよりは、生きて一日でも名をあげる事こそが大切である――。
 長生きしたから、いい人生とはいえない。何を残したか、どんな価値を生んだか、どれだけの人を幸せにしたかである。
 その意味で、結論的にいえば、広宣流布に生きることが、即、最高の人生となる。広宣流布に生きぬくことは、そのまま、社会への最大の貢献になっている。自他ともに幸福になる。仏法は即社会、そして信心は即生活であり、一体である。
 ゆえに大聖人は、法華経のため、広宣流布のために働き、名を上げなさい、限りある一生に、自分はこれだけやりきったという悔いのない歴史をつくりなさい、残しなさい、と教えられているのである。
 同じ戦うならば、前向きにいかなければ、つまらない。みずから動いて、気持ちよく戦ってこそ喜びも湧く。勢いもつく。
 生き生きと挑戦することである。生き生きと進むところに、福運はついてくる。「仏法は勝負」「仏法は戦い」である。生き生きと戦う人が、最後には勝つ。「信心根本」「唱題根本」で生きぬく人が、必ず最後に勝つ。

 9-9 法華経に勝る兵法なし

 妙法に生きぬく人は、途中に何があろうと、最後は偉大な人間革命を成し遂げ、勝利の人生を飾ることができます。

【池田SGI会長の指針】
◎本部幹部会・全国青年部幹部会でのスピーチから
        (2005年9月14日、東京)

 日蓮大聖人の仏法の根本目的は、広宣流布の拡大である。御書に何度となく、「広宣流布」と記されているとおりである。ゆえに、どれだけ実質的に「広宣流布の大地」を広げることができたか。そこに本当の勝負があるのだ。私たちが目指すのは、どこまでも、仏法の人間主義と、生命尊厳の思想に基づいた「平和と幸福の社会」を築いていくことである。その点で、一歩でも二歩でも前進していれば、それでいいのである。
 もちろん、人生は戦いの連続であり、さまざまな次元で、「勝った」「負けた」はあるだろう。
 いくら強くても、無限に勝ち続けるわけにはいかない。それが〝勝負〟というものだ。恩師の戸田先生が遺言のごとく、詠んでくださった和歌がある。

  勝ち負けは
   人の生命《いのち》の
     常なれど
   最後の勝《かち》をば
     仏にぞ祈らむ

 長い人生である。その間には、自分の思ったようにいかないときもあるかもしれない。しかし、私たちは「法華経に勝る兵法なし」の妙法を持《たも》っている。途中の勝ち負けはどうであれ、最後は、法華経を持《たも》った人が、必ず勝つ。信心根本で生きぬいた人が、必ず勝つのである。それが仏法の大法則である。何の心配もいらない。
 勝っても、負けても、そこからまた「次に勝つ因」をつくっていけるかどうか。それが一番大事である。つねに「今」が出発なのである。わが同志と異体同心の団結を組んで、悠々と、朗らかに、「新たなる勝利」へ向かって進んでいく。そこに「本因妙」の仏法の実践がある。
2015-03-28 : 池田SGI会長指導選集 :
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創価大学第41回/創価女子短期大学の第29回卒業式へのメッセージ

創価大学第41回/創価女子短期大学の第29回卒業式へのメッセージ
            (2015.3.18 創価大学)

 創価大学の第41回、創価女子短期大学の第29回卒業式が18日、東京・八王子市の創大キャンパスで晴れやかに挙行された。式典は創大(創大記念講堂)と短大(創大中央教育棟・ディスカバリーホール)に分かれて開催された。創立者の池田大作名誉会長はメッセージと和歌を贈り、宝の創大生・短大生の旅立ちを心から祝福。雄々しき理想に向かって、人生の長距離走に挑みゆく友に、世界へ未来へ「平和創造の道」「生命尊厳の道」を開きゆけと呼び掛けた。また、来賓としてフィリピンのヒラリオ・ダビデ最高裁判所元長官が祝辞を述べた。
 梅の花が咲き香り、桜のつぼみが膨らみ始めた創大キャンパス。
 春の訪れを感じさせるこの日は、卒業生にとって、誓いの「出発の日」となった。
 創立者は万感の伝言を寄せ、「みんな、卒業おめでとう! 万歳だ!」と心から祝福。
 また友の奮闘の様子を聞き、「優秀な学生ばかりだ。みんな、よく頑張ってくれた。母校に尽くしてくれた。短大生も大活躍だ。うれしいね。うれしいね」と最大に讃えた。
 さらに、留学生に対して「皆、偉大な世界の指導者になられる。楽しみだね!」と大きな期待を寄せた。
 真心のエールに、万雷の拍手で応える卒業生。学友と過ごしたかけがえのない日々をかみしめるように──。
 4年前、創大41期生の入学式は、東日本大震災の影響を考慮し、開学以来、初めて中止になった。
 先行きが見えない不安、緊張。そんな学生たちに創立者は温かな励ましを送り続けた。
 その期待に応えようと、人知れず努力を重ねてきた友また友。4年を経て、外資系・国内大手企業への内定、最難関の国家試験・大学院の合格など、目覚ましい実績を残した。


ともに走ろう! 不屈の心で人生の長距離走に挑みゆけ!

正義の誓いが青年を強くする
力を磨け「民衆」のために


 一、人材を迎え、人材を育み、そして人材を社会へ送り出す──わが人生において、これに勝る喜びも、これに勝る張り合いも、これに勝る誉れもありません。
 深き縁《えにし》の創価大学41期生の皆さん、創価女子短期大学29期生の皆さん、また、通信教育部の皆さん、さらに大学院の皆さん、そして世界15カ国・地域の留学生の皆さん!
 あの東日本大震災後の混迷のなか、よくぞ私が創立した大学に集ってくれました。よくぞ学び、よくぞ鍛え、立派な知性と人格を創り上げてくれました。
 私は、皆さん一人ひとりの輝く瞳を見つめ、固い握手を交わしながら、尊い健闘を労い、讃えたい。その限りない希望の前途を祝福したい気持ちでいっぱいです。
 「我らは勝ちたり」と清々しい喜びのご卒業、誠におめでとうございます!(大拍手)
 本日は、私が心から尊敬してやまないダビデ博士ご夫妻が、ご臨席くださいました。これほど嬉しい、これほど光栄なことはありません。
 私は、ダビデ博士が母校フィリピン大学の後輩たちに贈られた指針を思い起こします。それは、“自らの勉学を支えてくれた人びとの汗を忘れまい” ということです。
 この博士のお心を踏まえ、私は提案したい。
 本日、授与された晴れがましい学位記を、皆さんの勉学を最も支えてくれた、お父さん、お母さん方に、のちほど、ゆっくりと、最大の感謝を込めて捧げ、これからの報恩の人生の第一歩としていただきたいと思うが、どうだろうか。
 ご家族の方々、本当にありがとうございました!
 また私と同じ心で、英才を薫陶してくださった教員の先生方、職員の方々、さらに常日頃から大学を守ってくださっているご来賓の方々に、心より御礼を申し上げます。
 一、わが卒業生の皆さん方は、まさしく「新時代1期生」として、学業をはじめ万般において目覚ましい金字塔を打ち立ててくれました。その忘れ得ぬ象徴が、箱根駅伝の初出場を勝ち開いてくれた陸上競技部の壮挙であります。
 あの力走のように、雄々しき理想に向かって、人生の長距離走に挑みゆく皆さんに、私は3点、はなむけの言葉を贈らせていただきます。

勇気の道を
 一、第1に、「民衆のために、正義と勇気の道を走れ!」という点です。
 私はダビデ博士に、法律家を志されたきっかけを伺ったことがあります。すると、博士は即座に毅然と答えてくださいました。
 「『貧しい人間が虐げられ、バカにされるような社会は間違っている!』。それを正すために法律家になろうと誓ったのです」と。
 博士は、この誓いのままに学び抜かれ、揺るぎない力を磨き上げてこられました。
 2001年1月には、国家指導者の不正蓄財などに対する弾劾裁判の裁判長を務められました。国民の抗議運動が広がり、流血さえも招きかねない緊迫した只中でした。
 しかし裁判長たる博士は、「民衆の安全と利益こそが、最高の法規である」との古来の黄金律に則って、厳正かつ平和裡に権力の移行を実現させたのです。21世紀の起点に燦然と輝きわたる、正義と勇気の不滅のリーダーシップであります。
 私も若き日から「正義によって立て! 汝の力2倍せん」を、座右の銘としてきました。
 正義の誓いに徹する時、青年は最も強い。何ものにも負けない力を持つ。創価の学舎《まなびや》から巣立つ皆さんの大成を、全世界の民衆が心待ちにしております。
どうか、皆さんは、恐れなき正義の走者として、どこまでも民衆と苦楽を分かち、民衆が誇り高く共に幸福を謳歌していける社会を、勝ち築いていただきたいのです。

平和の春を
 一、第2に、「世界のために、平和創造の道を開け!」と託したい。
 フィリピンは、聡明な女性指導者がひときわ光る国です。ダビデ博士の最良の同志であるバージニア令夫人も、長年にわたって、フィリピン国内外の気高いボランティア事業の重責を果たされてきました。
 また、本日は、創大通信教育部の出身で、世界のSGIを代表する女性リーダーであるアルカンタラ・フィリピン理事長も出席されています。
 アジア初の女性大統領となり、フィリピンの民主化を進められたコラソン・アキノ大統領とお会いした際、私は、大英雄ホセ・リサール博士の詩「花々のなかの花よ」を朗読しました。
 その一節には「あなたは春のようだと人は言う。行くところいずこにも善を広げる」とあります。
 真の世界市民とは、いずこにあろうとも、自分がいるその場所で自分らしく輝き、周囲に希望の陽光を送り、友情と平和の春を創り出していく人ではないでしょうか。
 自然災害が打ち続き、紛争の絶えない国際社会だからこそ、平和のフォートレスで世界市民の友情を結んできた皆さんは、この連帯を、いやまして賢く深く大らかに広げ、そして平和創造の道を、明るく誠実に忍耐強く開いていってください。

襷を君に託す

 一、第3に、「未来のために、生命尊厳の道を走り抜け!」と申し上げます。
 東北が生んだ文豪・太宰治の不朽の名作 『走れメロス』に、こうあります。
 「少しも疑わず、静かに期待してくれている人があるのだ。私は、信じられている」「私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。走れ! メロス」(『富嶽百景 走れメロス他八編』岩波書店)と。
 価値ある人生の極致は、人間の信頼に応え報いようと、いかなる苦難にも屈せず走破していく果てに達するものでありましょう。
 私は人生の師・戸田城聖先生から託された「生命尊厳の哲理」「地球民族主義の理念」「人間革命の民衆運動」の襷を担って、荒れ狂う嵐のなかを走り抜いてきました。今も、走り続けております。
 そして、この襷を創価教育の皆さん方が受け継ぎ、未来永遠に勝ち進んでくれることを大確信するゆえに、私には何の憂いもありません。
 ともあれ、人生のマラソンは途中では決まらない。毀誉褒貶を超え、耐えて耐えて耐え抜いて、最後の最後まで青春の誓いの道を走り切った人こそが、勝利者です。私は、皆さんの不屈の前進と栄光のゴールを信じ、見守り、祈り抜いていきます。
 一、終わりに、不二の絆で結ばれた宝の創大生、短大生の門出に──

 わが心
  一生涯
   いな 永遠に
  君の勝利へ
    君と走らむ

 と贈り、私のお祝いとさせていただきます。

 偉大なる卒業生、万歳!
 偉大なる父母《ちちはは》、万歳!
 新時代の希望の夜明け、万歳!


 人生勝利の原点と輝く創価大学と創価女子短期大学の卒業式(18日、創大キャンパスで)。創立者の池田名誉会長は晴れの門出に際し、祝福の言葉を贈った。

【男子学生に】

 わが創大に学びたる君は
 不屈の師子王なり
 いかなる試練の嵐も
 断じて恐るるな!
 強く快活に
 使命と栄光の大道を走り抜け!

【女子学生に】

 わが創大(創価短大)に
 学びたる貴女《あなた》は
 幸福の太陽なり
 いかなる不幸の闇にも
 断じて負けるな!
 賢く明朗に
 希望と平和の陽光を広げゆけ!
2015-03-22 : スピーチ・メッセージ等 :
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創価学園卒業式へのメッセージ

創価学園卒業式へのメッセージ
      (2015.3.16 東京・関西創価学園)

 創価学園の卒業式が16日、東京・関西の各キャンパスを音声と映像でつなぎ、晴れやかに開催された。創立者の池田名誉会長はメッセージと和歌を贈り、栄光の門出を祝福。鍛えの青春を進む友に「いよいよ向学の太陽を昇らせよ!」「友を照らす希望の太陽たれ!」「大変な時こそ、負けじ魂の不屈の太陽を!」と呼び掛けた。同日、札幌創価幼稚園の卒園式も開かれた。またこの日、東京校の新「栄光寮」のオープニング式典が盛大に行われた。
               ◇
 式典が閉会に近づいていた時だった。
 「みんな、おめでとう! 卒業おめでとう! うれしいよ」──会場に創立者の優しい、力強い声が響き渡った。
 この日、創立者は卒業式の様子を中継で見守っていたのだ。
 音声をつないだ突然の“参加”に、生徒・児童、保護者から歓声が上がる。拍手が高鳴る。
 続いて、創立者の呼び掛けで、学園愛唱歌「負けじ魂ここにあり」の大合唱が始まった。

 ♪桜の舞いゆく 春の陽に 友とかけゆく この天地……

 創立者と歩んだ3年間、6年間、そして12年間の思い出が胸に浮かぶ。目頭が熱くなる。
 やがて曲は創立者が作詞した5番へ。東西の学園生の歌声に一段と熱と力がこもった。

 ♪学べ勝ち抜け 世界まで 負けじ魂 朗らかに

 皆で一つになって歌い上げると、創立者は再び音声をつなぎ、包み込むような声で語り掛けた。
 「一緒に歌ったよ。上手だったよ。おめでとう! おめでとう! よかったよ」
 あの目にも涙。この目にも涙。創立者の期待に応えようと走り抜いた日々がよみがえり、言葉にできない感謝の思いが込み上げてくる。“先生が見てくださっている。ありがとうございます!”
 重ねて創立者は「最高に素晴らしい卒業式だったよ。本当におめでとう!」との万感の伝言を寄せた。
 最愛の学園生の旅立ちを、最大の激励で送り出した創立者。使命の大空へ羽ばたく鳳雛たちにとって、最高の出発の儀式となった。


太陽の君よ 学べ! 負けるな! 君の努力が世界を明るくする

「人間革命」こそ平和の王道
智慧の光で暴力の闇を破れ


親孝行の人に 感謝と幸福は一体
不屈の人に 一心不乱は最強の力


 一、私の命の真ん中に輝き光る、わが学園生の皆さん! 希望に燃え立つ卒業、誠におめでとう!
 皆、よく学び、よく鍛え、よくぞ立派に成長してくれました。あの東日本大震災で被災された東北から学園に集ってくれた英才もいます。卒業生全員が団結し、励まし合いながら頑張り通してくれたことも、全部わかっております。
 私は一人ひとりを讃え、「大勝利の卒業生、万歳!」と声高らかに叫びたいのです。
 本年は、『創価教育学体系』が発刊されて85周年になります。
 この大著に序文を寄せられたのは、牧口常三郎先生の友人であり、東北が生んだ偉人である新渡戸稲造博士です。世界から信頼された新渡戸博士の言葉に、「感謝する心は、幸《さち》ある心なり」(『新渡戸稲造全集』 第5巻、教文館)とあります。
 「感謝の心」は「英知の心」と一体です。その心から、幸福が広がるのです。
 ここで、何よりもまず、皆さんを学園に送り出してくださったお父さん、お母さん方に、最大の感謝と親孝行の決意を込めて、大拍手をお送りしたいと思うが、みんな、どうだろうか!
 お父さん、お母さん方、本当にありがとうございます!
 また、見事に薫育してくださった教員の先生方、職員の方々、さらに、陰に陽に、学園生を見守り、応援してくださっている、ご来賓の方々に、心から御礼を申し上げます。本当にありがとうございます。

亡き友の分まで
 一、今日は、「希望の未来《あす》へ」出発する「不二の命」の君たちに、「英知」「栄光」「情熱」の学園の三色旗を力の限り振りつつ、私は三つのエールを贈ります。
 第1に、「いよいよ向学の太陽を昇らせよ!」ということです。
 20世紀を代表する歴史学者のトインビー博士と、私が対談集を発刊したのは、1975年の3月のことでありました。
 40年の歳月を経て、この対談集は、世界の28言語で読まれております。
 博士と対話を行ったロンドンのご自宅には、暖炉の飾り棚に大切に置かれている写真がありました。そこに写るのは、第1次世界大戦で戦死した学友たちでした。
 戦争で命を奪われた亡き友の分まで「生きて生き抜く」。そして、平和な時代を創るため「学びに学び抜く」。これが、トインビー博士の青春の誓いであったのです。
 戦争をはじめ、生命を蹂躙し、不幸をもたらす暴力の深い闇を打ち破っていくためには、どうすればよいか。「智慧の光」「人間教育の光」「対話の光」を断固として強め、広げていく以外にない。博士と私の一致した信念であります。
 軍国主義と戦い抜いた牧口先生、そして私の師匠である戸田城聖先生と同じく、トインビー博士も「学ぶ」という精神の闘争を、最後の最後まで、貫かれました。
 皆さんも、これからが学びの本番です。皆さんが学びの努力を重ねた分だけ、世界はもっともっと明るく、温かくなる。
 今年は第2次世界大戦の終結から70年。「暴力否定」「生命尊厳」の誇り高き学園から巣立つ皆さんは、向学の太陽をいよいよ赫々と昇らせていってください。

あなた自身から
 一、第2に申し上げたいのは、「友を照らす希望の太陽たれ!」ということです。
 先日、私の敬愛する元国連事務次長のチョウドリ博士が、アメリカ創価大学と関西創価学園をインターネットでつなぎ、特別授業をしてくださいました。
 「創価教育」は「平和教育」の先頭に立つと期待される博士が、常々、人々に語ってこられたことは、「『あなた自身から』始めてください」という呼びかけです。
 社会を変え、世界を変える。それは、自分が変わることから始まる。「人間革命」です。最も地道でありながら、最も確実な平和の王道が、ここにあります。
 皆さんは、それぞれの青春の使命の舞台で、自らが太陽と輝いて、目の前の友を、励ましの陽光で賢く朗らかに照らしていってください。
 私に続く創価の世界市民として、コミュニケーションの力も、語学力も一段と磨きながら、この地球上に、友情と平和の連帯を、開き築いていただきたいのです。

ロバと歩く少女
 一、第3は、「大変な時こそ、負けじ魂の不屈の太陽を!」と申し上げたい。
 嬉しいことに、今、「21世紀の大陸」アフリカでも、皆さん方の先輩が、たくましく活躍してくれています。
 このアフリカで、苦難を乗り越え4000万本もの植樹を推進した笑顔光る「緑の大地の母」が、私と妻の友人であるワンガリ・マータイ博士です。
 博士には、少女時代の忘れ得ぬ思い出があります。農場から家までの遠い道のりを、大量の豆を収穫して、ロバと共に背負い運んだ旅のことです。
 途中、ロバが足を滑らせ、斜面を転がり落ちてしまった。さあ、どうするか。
 マータイ少女は気持ちを落ち着かせ、ロバを助け元気づけながら、再び、一歩一歩、歩き始めました。そして力を振り絞って、ようやくたどりついたのです。
 博士は、この旅から、「一心不乱にがんばると、信じられないようなことをやり遂げられる」ことを学んだといいます。〈『UNBOWED へこたれない ワンガリ・マータイ自伝』小池百合子訳、小学館〉
 若き日に負けじ魂で挑戦したことは、すべて、わが生命に不屈のエネルギーとなって蓄積されます。ゆえに、いかなる試練にも臆さず、いかなる失敗にも怯まず、前へ前へ進んでいくことです。
 たとえ嵐の夜があろうとも、その翌朝には、晴れわたる笑顔で、勝ち昇りゆく太陽のような青春であっていただきたいのです。
 私は、愛する皆さんの健康と勝利を祈り抜いていきます。
 皆さんがどんな逆境にあろうとも、お父さん、お母さんとご一緒に絶対の味方として見守り続けます。
 学園生には一人も残らず師子王の心があります。師子王に断じて不幸はありません。
 終わりに、わが宝の卒業生へ、万感の期待を込めて──

 さあ昇れ
  太陽の君
   朗らかに
 勇気に燃えて
  未来を照らせや

と贈ります。
 大好きな「負けじ魂ここにあり」を共々に歌いながら!
2015-03-22 : スピーチ・メッセージ等 :
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随筆 民衆凱歌の大行進 No.19 咲き薫れ 希望の花々

随筆 民衆凱歌の大行進 No.19 (2015.3.11付)

咲き薫れ 希望の花々

大震災4年 桜梅桃李の幸光る楽土を!
誓願の祈りと勇気の対話で日々前進


 不屈なる
  歴史を創りし
   不二の友
  新生の花
    三世に薫らむ

 北国の春は、厳しい冬を勝ち越こえた喜びが、弾けるように花開く。
 福島県・三春町《みはるまち》の「三つの春」という町名の由来には、“梅・桃・桜が一斉に咲き薫る”との伝承があると伺った。
 この三春の地に、草創の福島班が誕生したのは、昭和38年の厳寒の1月であった。
 聖教新聞の創刊号で報道された、神奈川の鶴見支部に炎上した広布の「聖火」が、この地にも燃え広がったのである。

「福光」の春ヘ
 福島そして宮城、岩手をはじめ尊き東北の同志は、いかなる烈風にも怯まず、友の心に「希望」の火を灯してきた。
 「希望」──それは、明日への前進の源だ。蘇生の原動力である。
 「希望」とは、自らが創り出していくものだ。
志を同じくする友と、強く深く、育み合っていくものである。
 東日本大震災から4年──私は全ての犠牲者の方々に追善・回向の題目を捧げるとともに、被災地の復興と皆様方の幸福を真剣に祈っている。
 今も、わが東北家族は不撓不屈の「みちのく魂で“福光の春”へ、一歩、また一歩と歩み続けておられる。
 「心を壊る能わず」(御書65㌻)と、災難にも崩れぬ信仰をもって、一人ひとりが、断固と希望に生き抜いてこられた。
 逝去なされたご親族やご友人のためにも、強く強く生き抜かれる皆様方こそ、現代において“冬を必ず春となす”日蓮仏法の体現者なのだ。
 東北の気高き忍耐の大地から、「桜梅桃李」の多彩な人華が、いやまして凜然と咲き誇っているではないか!
        ◇
 妻から、福島のある母の話を聞いた。
 母の心には、あの震災直後、過酷な生と死の境にあって、互いを労《いたわ》り、励まし合って生き抜いてきた多くの方々の姿が焼き付いて離れない。
 最近、無我夢中だった当時を見つめ直し、気づいたことがあるという。
 それは、「人間には、極限にあっても発揮される強さと美しさがある」ということであった。
 大震災、大津波という何もかも奪い去る試練の中で、民衆がいかに尊厳なる人間の底力を示し切ってこられたか。
 そして、亡くなられた方々も、最後の最後まで人間の尊貴さを護り抜いていかれた。
 福島の母は、この真実を、誇りをもって次の世代に語り継いでいきたい、決して風化させはしないと言われるのだ。
        ◇
 かつて私は、「どのような人が理想ですか?」と質問を受けたことがある。私はお答えした。
 静かだが深い人、優しいけれど強い人、平凡だが英知の人、純粋だけど勇気のある人、と。
 そんな大好きな友が、東北には大勢いる。この誉れの父母《ちちはは》たちの奮闘と団結によって、奇跡の復興が成し遂げられてきたことを私は忘れない。
 後継の東北青年部も、何と明るく、何と逞しく、新生の道を勝ち開いてくれていることか。
 この3月中旬に、仙台で行われる「第3回国連防災世界会議」への青年部を中心とする取り組みも、各界から深い期待が寄せられている。
        ◇
 大震災の直後に、わが創価大学に入学してくれた英才たちが、いよいよ今月、卒業を迎える。
 4年前は入学式も行えなかった。社会全体が動揺する中、被災地出身の友をはじめ、皆の不安や苦労もひとしおであっただろう。しかし、立派に成長してくれた。よくぞ頑張ったと、一人ひとりを心から労いたい。
 創価大学のボランティアチームの一員として、故郷・石巻の復興支援に携わった青年もいる。
 震災当時、ある地区部長は3人のお子さんを亡くされた。そうした悲嘆を抱えた故郷の同志にとっても、この創大生は希望の存在だった。彼はその期待に応え、公認会計士の狭き門を突破した。
 成長を見守ってきた、石巻の同志とご家庭の笑顔が思い浮かぶ。また、共に励まし合い、苦楽を分かち合ってきた創大生の連帯を讃えたい。

負けじ魂を共に
 思えば、今年は、阪神・淡路大震災から20年の節であった。
 関西の友は甚大な苦難を耐えぬき、乗り越えてきた先駆けである。東北に同苦し、わが事のように復興を祈り、懸命に励ましを送ってくれた。
 「負けたらあかん!」の関西から、「負げでたまっか!」の東北へ、負けじ魂の継承劇が、そこにはあった。
 東日本大震災の直後、救援物資を携え、東北ヘ駆けつけてくれた新潟、北海道の友らの真心も、世界からのエールも忘れることはできない。
 この同志愛は、若き友に受け継がれ、大いなる希望の光となっている。
 昨年の総兵庫の青年大会では、地元のノーベル少年少女合唱団が、宮城県の青葉少年少女合唱団と、映像を介して共演した。それは、未来を創り開く歌声だ。
 不屈の生命で結ばれた大地から、力強い凱歌の春が始まっている。
        ◇
 今年も「3・16」が巡りくる。57年前(昭和33年) のあの日、戸田先生のお体は既に衰弱されていた。
 しかし、厳然と「広宣流布の模擬試験」となる式典の指揮を執られた。師は命を賭して、後継の旗を、分身の弟子に託してくださった。
 その厳粛な儀式には、東北から、関西から、日本各地から馳せ参じてくれた青年たちがいた。
 広宣流布そして「令法久住」(法をして久しく住せしめん)の若き陣列が出発したのだ。

立正安国の人材
 人も物も「生老病死」「成住壊空」の流転を免れることはできない。
 だが、妙法という法は常住不滅である。大事なのは法そのものである。
 その上で大切なのは、根本の法を「実践」する人だ。そして「後継」する人材群である。競い起こるこる困難にも屈せず! 異体同心の団結で!
 「3・16」のあの日、戸田先生は生涯の凱旋として、「創価学会は宗教界の王者なり」と師子吼なされた。
 それは、「立正安国の人材育成」の宣言でもあったといってよい。
 我らは、いかなる混迷の世にも、揺るがぬ信念と哲学をもって、王者堂々と、民衆の幸福のため、社会の繁栄のため、世界の平和のために戦い抜く創価のリーダーを送り出し続けるのだ。
 今、21世紀の本格的な広布の時到来とともに、この「立正安国の人材」が、各地で威風も堂々と立ち上がっている。わが恩師もどれほど喜ばれていることか、
 世界広布新時代の「3・16」──それは、世界中の創価の青年が、民衆の勝利と平和の建設という価値創造へ、誓願に燃え立つ日である。
 「3・16」の舞台となった静岡、「正義」と「共戦」の神奈川の友は先月、横浜・鶴見の講堂で意気高く総会を行った。
 そこでも若人の成長とスクラムが光っていた。
 “誓いの青年《きみ》”よ!
 私の一番の喜び、それは、君たちの勝利だ。
 私の最高の勝利、それは、あなた方の幸福だ。
 今いる場所で、立正安国を祈り戦う同志よ!
 私の最大の願い、それは、一番苦しんだ地域の方々が、尊い地涌の生命を輝かせ、幸光る共生の楽土を築くことだ

わが声を堂々と
 アメリカの思想家エマソンは綴っている。
 「私たちの対話は、私たちがいままで見て来たよりもさらにすぐれた世界に私たちが属していることをさとらせ、一つの精神力が私たちをさし招いていることを知らせてくれる」
 「真の対話」は、相手を尊敬し、相手から学ぶことだ。そこに互いの向上があり、喜びがある。
 「対話」で開けぬ道など絶対にない!──この確信で、真心と慈悲の発露のままに語ることだ。相手の仏性を信じ抜く祈りを根底に置いて、誠実に言葉を紡ぐ時、「真の対話」が生まれる。
 日蓮大聖人は、「よく・よく・かたらせ給へ」(御書1227㌻)、さらに「力あらば一文一句なりともかた(談)らせ給うべし」(同1361㌻)等々と繰り返し仰せである。
 「音も惜まず」(同504㌻) 正義を叫び抜けとも言われた。
 黙っていては、大善を為し得ない。臆さず、自分らしく、自信満々と声を響かせていくのだ。
 民衆の真実の声、確信の声が轟くところ、必ず「立正安国」の夜明けが開かれるのである。
 さあ、創立85周年の「5・3」へ、常勝の
春の曲を奏でながら、勇気と希望の対話の花々を爛漫と咲かせゆこう!

 朗らかに
  桜梅桃李の
    生命《いのち》にて
  乱世を勝ち抜け
   いまだこりずと


 エマソンの言葉は『エマソン選集3』小泉一郎訳(日本教文社)

2015-03-14 : 随筆 民衆凱歌の大行進 :
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福光勤行会へのメッセージ

福光勤行会へのメッセージ    (2015.3.11)

 東日本大震災から4年となる11日、全犠牲者の冥福と被災地の復興を祈念する福光勤行会が、東北39会場をはじめ全国・全世界で厳粛に営まれた。池田大作名誉会長は東京・新宿区の創価学会第2別館で追善の勤行・唱題を懇ろに行い、東北の同志にメッセージを贈った。原田会長は大阪市の関西池田記念会館で代表と勤行した。東北の各会場では、関西の同志から寄せられた共戦の映像メッセージが紹介された。
 宮城・石巻文化会館の勤行会には、石巻躍進県の友が参加した。
 中川法雄県長の後、盛島東北長が、全国・全世界からの絶え間ないエールに心からの感謝を述べつつ、「最後の一人が立ち上がり、全員が『私は勝った』と言えるその日まで、励ましの絆を広げ続けましょう」と語った。
 岩手・大船渡共戦圏の勤行会(大船渡会館)では、坂口婦人部総合長が師の期待を胸に、一人も残らず幸福勝利の人生をと強調。韮沢東北総合長は、私たちの生き抜く姿こそが世界の希望であると励ました。
 福島・原町文化会館の勤行会では、遠藤総福島長、福島旭日〈分県〉の松本優子婦人部長のあいさつの後、長谷川副理事長が「妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり」(御書947㌻)の御聖訓を拝読。朗々と題目を唱え、師子王の生命力でわが地域に励ましの福光を広げようと述べた。
 またこの日、長谷川副理事長、遠藤総福島長、石橋同婦人部長はいわき文化会館へ。野元副会長は福島文化会館の集いに出席した。


最も苦労された皆様こそが
最も勝ち栄えゆく人生たれ


 敬愛してやまない、わが東北家族の皆様方! 厳しい寒さの中のご参集、誠にご苦労さまでございます。
 大震災より4年の今朝、私も皆様方と同じ心で、犠牲になられたご家族、ご友人をはじめ、全ての方々へ懇ろに追善回向させていただいております。
 私たちの題目の音声《おんじょう》は生死を超えて、一切を妙法の光で包んでいくことは、絶対に間違いありません。
 この4年間、尊き皆様方が歯を食いしばって、風雪を越え、一日また一日、極楽百年にも勝る大功徳を積んでこられたことは、御本仏・日蓮大聖人が、全部、ご照覧であられます。
 皆様一人一人の生命こそが、無量無辺の「心の財《たから》」で輝きわたる尊極の宝塔なのであります。
 御義口伝に、「我らが生老病死に際して、南無妙法蓮華経と唱え奉ることは、そのまま常楽我浄の四つの徳の香りを吹き薫らせることになるのである」(御書740㌻、通解)と断言なされている通りであります。
 復興は、いまだ道半ばであり、言うに言われぬご苦労の連続でありましょう。
 しかし、私たちには信心があります。団結があります。
 大聖人が仰せの通り、「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき」(同1143㌻)、題目を唱えに唱え、これからも一つ一つ、「負げでたまっか!」と、粘り強く乗り越えていってください。世界第一の強く、温かく、朗らかな東北家族の励まし合いで、我らの「みちのくの天地」に、世界第一の人材の城を築いていただきたいのであります。
 そして、人類の未来に、「東北の我らを見給え!」「冬は必ず春となる」と、無限の希望の光を送りゆこうではありませんか!
 どうか、皆様、お体を大切に!
 風邪などひかれませんように!
 最も苦労された皆様こそが、最も勝ち栄えゆく人生たれ! と強盛に祈りつつ──。
2015-03-14 : スピーチ・メッセージ等 :
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希望の虹 No.12 「三重苦」を乗り越えた ヘレン・ケラー

第12回 「三重苦」を乗り越えた ヘレン・ケラー  (2015.3.1付 少年少女きぼう新聞)

出会いは 最高の宝もの

 卒業するみなさん、おめでとう!
 6年間、よくがんばったね。
 みちがえるように、りっぱに成長したみなさんに、私は、ご家族とともに大拍手を送ります。
 みなさんを、おうえんしてくださった学校の先生方にも、感謝を忘れないでいこうね。
 私も、お世話になった小学校の先生方のことを、今でもなつかしく思い出します。先生方のおかげで、私は学ぶ喜びを知りました。世界の広さや夢を持つことの大切さ、誠実と努力の尊さを教わりました。
 きょうは、有名なヘレン・ケラーと、そのヘレンをはげまし、育てたアン・サリバンという偉大な先生との出会いの物語を通して、学んでいきましょう。
   *   *   *
 みなさん、両手で自分の左右の目をかくしてみてください。何も見えないでしょう。
 では、今度は両手で左右の耳をふさいでみてください。何も聞こえなくなりましたね。
 最後に、言葉をしゃべらずに、お父さん、お母さんにお願いごとをしてみてください。通じましたか? むずかしいですね。
 ヘレン・ケラーは、この「見る」「聞く」「話す」の三つのことができない「三重苦」を背おいながら、明るく朗らかに生きた女性です。
 ヘレンは、1880年6月、アメリカで生まれました。ところが、1歳7カ月になった冬、急に高熱を出し、それが何日も続きました。お父さんとお母さんは、一生けんめい看病し、なおってほしいと願いました。その思いが通じたのか、やがて熱は下がりました。
 しかし、両親が話しかけても返事をしません。ヘレンは病気のせいで、目で見ることも、耳で聞くこともできなくなった。そして、しゃべることも忘れてしまったのです。
 やがて首をふったりすることで、自分の気持ちは伝えられるようになりました。しかし、うまく伝わらないことや、気に入らないことがあると泣きさけび、八つ当たりせずにはいられませんでした。
 そんなヘレンをなんとか助けてあげたいと手をつくしていたお父さん、お母さんのもとに、一人の乙女がしょうかいされました。学校を最優秀の成績で卒業したばかりの、アン・サリバンです。
 サリバンは、8歳でお母さんを亡くし、お酒を飲むばかりで働かないお父さんと小さな弟の貧しい家庭に育ちました。彼女自身も、目の病気で苦しんでいました。
 つらいことに負けないで生きる人は、ほかの人が苦しんだり、悲しんだりする気持ちが、よく分かります。やさしくなれるのです。
 サリバン先生は、へレンが7歳になるころから、家庭教師となりました。ヘレンの可能性を信じ、根気づよく教えてくれる先生を、ヘレンは信頼していきました。
 ヘレンは、指の形でアルファベットを一文字ずつ表す「指文字」を覚えました。それをサリバン先生はヘレンの手のひらに書いて、言葉を教えました。
 でも何度教わっても、ヘレンには「どんなものにも、それぞれに名前がある」ということが理解できなかったのです。
 ヘレンは、「コップ」と、その中の「水」の区別がつきません。ある時、先生は、庭の井戸で水をくみ上げ、ヘレンの手にコップを持たせて、水の出口の下に引きよせました。コップから冷たい水があふれて、ヘレンの手の上をいきおいよく流れていきます。
 先生は、ヘレンのもう一方の手に、何度も指文字で「WATER《ウォーター》(水)」と書きました。
 ヘレンは、ハッと気付きました。今、手の上を流れているものには、「水」という名前があるのだと、ついに分かったのです。
 そして、父、母、妹、先生などの言葉の意味を知り、どんどん学んでいきました。「心の目」が開いたのです。「心の耳」が聞こえたのです。学びの光が、心の中にさしこんだのです。
 ヘレンは、先生の手と自分の手を重ねて、指文字でお話ができるようになりました。点字という、ブツブツともりあがった、たくさんの点でできた文字を読み取ることで、本も読めるようになりました。さらに努力を続けて、口でお話もできるようになり、文章まで書けるようになりました。
 喜びに満ちたヘレンの学びの前進は、止まりません。
 そのそばには、いつもサリバン先生がいたのです。
   *   *   *
 ヘレンには、大きな夢がありました。大学に入ることです。目指したのは、私も2度、お招きを受けて講演をしたアメリカ最高峰のハーバード大学です。
 友だちはみんな、むりだからやめた方がいいと言いましたが、サリバン先生とヘレンの「師弟」は、心一つに大学を目指しました。
 最愛のお父さんが亡くなるという、悲しいできごともありました。けれ ども多くの人の支えもあって、みごと、ハーバード大学の女子学生が学ぶラドクリフ大学に合格できたのです。
 さらに、勉学に取り組んで、すばらしい成績で卒業することができました。
 その後、ヘレンは、目や耳が不自由で苦しんでいる人が、幸福に生きられるように働きました。世界の国々を訪問して平和を訴え、人々をはげまして回りました。
 日本にも、3回訪れています。初めて来た80年ほど前の4月は、桜が満開のころでした。ヘレンは、“困っている人を助けようとする時、あなたの笑顔は光りかがやきます” と語りました。
 ヘレンが書いた手紙の一つは、創価学会がおこなっている「21世紀 希望の人権展」や「世界の書籍展」でも展示されて、感動をよんでいます。
 手紙には、こう書かれています。
 「光も音もない世界でも、太陽や花や音楽を楽しむことができるなら、それこそ心のふしぎさを証明するものです」──その心に秘められた力を引き出してくれたのが、師匠・サリバン先生だったのです。
   *   *   *
 ヘレンとサリバン先生の「師弟」を、世界中が称賛しました。
 イギリスの名門グラスゴー大学は、1932年の6月15日にヘレンに「名誉博士号」を贈り、二人のことをほめたたえています。
 じつは、その62年後(1994年)の同じ日に、私はグラスゴー大学から「名誉博士号」をお受けし、そこで「恩師・戸田城聖先生との出会い」をたたえていただいたのです。
 ヘレンは、サリバン先生の代わりの人は「考えることはできません」と、最大の感謝をこめて、ふりかえっています。
 私も、戸田先生以外の「人生の師匠」を考えることができません。先生と出会えたことで、今の私があります。先生のおかげで、最高の人生を歩めました。世界の平和を目指し、世界中の人と出会い、友情を結ぶことができました。
 そして今、少年少女部のみなさんとこうして出会うことができました。
 戸田先生との出会いが私の最高の宝ものであるように、みなさんこそ、私にとって、そして人類の未来にとって、最高の宝ものなのです。
 卒業するみんな、おめでとう!
 進級するみんなに、勝利あれ!

※ ヘレン・ケラーの言葉は、岩橋英行著 『青い鳥のうた ヘレン・ケラーと日本』(日本放送出版教会)、ヘレン・ケラー著『わたしの生涯』岩橋武夫訳(角川書店)から。参考文献は、砂田弘著『おもしろくてやくにたつ子どもの伝記7 ヘレン・ケラー』(ポプラ社)、村岡花子著『伝記ヘレン・ケラー 村岡花子が伝えるその姿』(偕成社)、アン・サリバン著『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』槇恭子訳(明治図書出版)ほか。
2015-03-06 : 希望の虹 :
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