随筆 民衆凱歌の大行進 No.18 二月に燃える闘魂
随筆 民衆凱歌の大行進 No.18 (2015.2.13付)
二月に燃える闘魂
「勝利の春」呼ぶ励ましの対話を!
最前線に立つ! その人が広布の英雄
厳しい寒さの中、春告草の名のごとく、百花に先駆けて、凜然と梅の花が咲き始めた。
「冬は必ず春となる」(御書1253㌻)との御聖訓が、北国の健気な同志の姿とともに、ひとしお胸に迫る。
師あり弟子あり
二月は、日蓮大聖人の御聖誕の月であり、佐渡の地で「開目抄」を留められた月である。
そして、私の恩師である戸田城聖先生の誕生月──今年は生誕115周年にあたる。
不世出の師に出逢えた宿縁に感謝し、先駆けの弟子として、「報恩」の誓いを新たにするのが、私の2月である。
その師の誕生日である11日、私は、妻と共に、総本部の恩師記念会館を訪問した。厳粛に勤行・唱題を行い、尊き地涌の使命に一人立ち、「広宣流布の大願」に生き抜かれた戸田先生を偲んだ。
さらに、保管されていたゆかりの品々を懐かしく拝見した。
私が先生から頂戴した『御書全集』には、師の和歌が墨痕鮮やかに認《したた》められていた。
山を抜く
力はみちたり
若き身に
励み闘え
妙法の途に
写真集『戸田城聖』もあった。その見返しに、私はこう記した。
「師あり 弟子あり 広布あり」──
師弟共戦の広布旅は、いよいよこれからだ! 戦う「力」が、胸に満々とみなぎってきた。
徹して友の元へ
わが青春にあって、師のもとで最も厳しい困難を勝ち越えた日々こそ、黄金の歴史である。
先生の事業を支えつつ、私は懸命に広宣流布の最前線に走った。
最前線とは、いったい、どこか。それは、何よりもまず「地区」である。そこから一人の友、一人の同志の元へ、徹して飛び込んでいった。
戸田先生が誓願された弘教75万世帯という願業の達成へ、「地区」を起点として、戦いを起こしたのである。
青年部の班長を務めながら、蒲田支部大森地区の地区委員を兼任していた。今でいえば「地区部長」である。
当時の日記を繙けば、
「先生、必ず吾が地区も前進させます」
「地区が完璧になるよう、御本尊に祈る」
等々の若き熱情が綴られてある。
わが地区での体験を踏まえ、あの「二月闘争」で、新たな拡大への指揮に臨んだ。地区を大事にして、連携と団結を強めながら、さらに皆の顔の見える「組」──今でいう「ブロック」に光を当てていったのである。
突破口を開く原動力は「地区」「ブロック」にあり! 地域に根差した最前線の組織を、全幹部が支えに支え抜くのだ。
この勝利への急所は今も変わらない。否、永遠に変わってはなるまい。
大聖人は「一切の草木は地より出生せり、是を以て思うに一切の仏法も又人によりて弘まるべし」(同465㌻)と仰せられた。
創価の「地区」「ブロック」は、地涌の人華が湧き出ずる、最も大切な民衆の大地なのである。
希望の種を蒔き、励ましの滋養を注ぎ続ける、地区部長・地区婦人部長の皆様、そしてブロック長・白ゆり長の皆様がおられるからこそ、同志は信心の根を張り、求道の枝葉を伸ばし、生き生きと成長できる。
アメリカの人権の指導者キング博士は語った。
「われわれはばらばらの時よりも、団結している時の方が多くのものを獲得することができます。そしてこれがわれわれのパワーを獲得する方法です」と。
わが信頼するリーダーを中心に、異体同心の団結で、「全地区、全ブロックが和楽のパワーの全面開花を!」「最前線の英雄に健康と人生の勝利あれ!」と、私も、朝な夕な題目を送り続けている。
誠実に地域貢献
近年、住民同士のつながりを強化しようと、全国の各自治体で、地域活動への参加を促す取り組みが行われている。
その中で、わが婦人部の皆様も、地域の太陽として、日々、友好と信頼の光を広げておられる。
地域を大切に! この思いは、壮年部や男子部も同じ。だが一般的に、男性陣は、普段、地域でなじみが薄いようだ。
しかし実際には、行事の設営や、防火・防犯のために近隣を回る夜警など、男性に求められる役割も少なくない。
では、どうすれば、男性の地域参加を促進できるのか。
そこで大切なのが、地域貢献に励む、身近な模範の存在だ。「自分にもできるかも」「やってみたい」という前向きな気持ちにさせてくれる。
今、各地の壮年部や男子部の中には、そんな先駆の姿が光っている。
仕事もある。家庭も大事。学会活動も忙しい。それでも「地域のために」と、自治会や青年会、PTAの役員など、推されて地域役職に就き、奔走している。近隣の清掃など、地道な地域貢献に励む友も多い。
わが街、わが郷土に尽くす「地域部」や「団地部」の方々も、今月17日に部の日を迎える誉れの「農漁光部」、さらに「離島部」の皆様も男女共に「地域の安心の灯台」と輝きわたっている。
地域に幸福と平和の花を! その花々で世界を包みたい──そこに恩師の深き願いもあった。
メキシコの躍進
歴史的な「3・16」の儀式を終えたある日、戸田先生は「メキシコへ行った夢を見たよ」と嬉しそうに言われ、私に「世界が相手だ。世界へ征くんだ」と厳然と語り託してくださった。忘れることはできない。
このメキシコでも、ここ10年で、青年部の陣容が倍増している。その躍進の様子をお聞きした。
──ある地区は、メンバーの7割が男女青年部員。毎回の座談会には数十人が集い、友人も多く参加されている。
だが以前は、その地域に住む同志は、ほとんどいなかったという。
転機は、現在の地区部長夫妻が引っ越してきた、ほぼ10年前のこと。
夫妻は「いつか必ず、わが家を青年でいっぱいにしよう」と誓い、対話を広げ、毎週のように座談会も開いた。しかし、弘教も実らず、夫婦2人だけの座談会も、1度や2度ではなかった。
1年が過ぎようとしていた冬の日。座談会に来ていた1人の青年が言った。「信心に挑戦してみます。僕もあなたたちのようになりたい」と。
この地に初めての青年部員が誕生した瞬間だった。以来、夫妻の励ましに触れ、青年の入会者が相次ぐようになった。
かつて非行に走った、20代の男子部員は入会後、見違えるように成長した。「こんな経験をした自分だからこそ」と、心理セラピストの資格を取得し、青年たちの悩みに寄り添い続けている。
また、この地区がある地域では、以前から治安の悪化が心配されていたようだ。
そんな中、学会に入会した青年たちが、地域貢献に勇んで取り組むようになり、驚きと感動が広がった。住民から「私にも信心の話を聞かせてほしい」等の声も寄せられているという。
使命に燃えた青年の姿は、百万言の理論にも勝り、人の心を揺さぶらずにはいられない。ゆえに青年は、勢いよく人間の中へ飛び込んでゆくことだ。どんどん、友好を広めゆくことだ。
仏縁を結ぶ喜び
作家の山岡荘八氏は、東北の英雄・伊達政宗を描いた作品に、こう力強く記した。「人間のほんとうの価値は、その行動が他日他人を、どのように多く喜ばせるかにかかっている」と。
来る日も、来る日も、同志の笑顔のため、地域の人びとの喜びのため、わが地涌の勇者の皆様方は走り、語り続けている。いかなる高位の人よりも、有名人や権勢の人よりも、遙かに偉大な人間王者であり、幸福と平和の博士である。
大聖人は、「其の国の仏法は貴辺にまか(任)せたてまつり候ぞ」(御書1467㌻)と最大に信頼してくださっている。
私たちが仏縁を結んだ分だけ、人びとの生命に具わる仏の生命が呼び起こされ、地域も輝きを増していくのだ。
「二月闘争」の伝統は、壁を破る挑戦の心が築き上げた、連続勝利の歴史である。
さあ、勇んで打って出よう! あの友、この友の心に、希望と励ましの春風を届けよう!
わが“本国土”たる地域に、幸福と勝利、安穏と繁栄の春を呼ぶ対話の拡大へ、先駆けようではないか!
寒風も
やがて薫らむ
春の風
仏道修行と
冬を勝ち越え
キングの言葉は『マーティン・ルーサー・キング自伝』カーソン編、梶原寿訳(日本基督教団出版局)、山岡荘八は『伊達政宗』(毎日新聞社)。
二月に燃える闘魂
「勝利の春」呼ぶ励ましの対話を!
最前線に立つ! その人が広布の英雄
厳しい寒さの中、春告草の名のごとく、百花に先駆けて、凜然と梅の花が咲き始めた。
「冬は必ず春となる」(御書1253㌻)との御聖訓が、北国の健気な同志の姿とともに、ひとしお胸に迫る。
師あり弟子あり
二月は、日蓮大聖人の御聖誕の月であり、佐渡の地で「開目抄」を留められた月である。
そして、私の恩師である戸田城聖先生の誕生月──今年は生誕115周年にあたる。
不世出の師に出逢えた宿縁に感謝し、先駆けの弟子として、「報恩」の誓いを新たにするのが、私の2月である。
その師の誕生日である11日、私は、妻と共に、総本部の恩師記念会館を訪問した。厳粛に勤行・唱題を行い、尊き地涌の使命に一人立ち、「広宣流布の大願」に生き抜かれた戸田先生を偲んだ。
さらに、保管されていたゆかりの品々を懐かしく拝見した。
私が先生から頂戴した『御書全集』には、師の和歌が墨痕鮮やかに認《したた》められていた。
山を抜く
力はみちたり
若き身に
励み闘え
妙法の途に
写真集『戸田城聖』もあった。その見返しに、私はこう記した。
「師あり 弟子あり 広布あり」──
師弟共戦の広布旅は、いよいよこれからだ! 戦う「力」が、胸に満々とみなぎってきた。
徹して友の元へ
わが青春にあって、師のもとで最も厳しい困難を勝ち越えた日々こそ、黄金の歴史である。
先生の事業を支えつつ、私は懸命に広宣流布の最前線に走った。
最前線とは、いったい、どこか。それは、何よりもまず「地区」である。そこから一人の友、一人の同志の元へ、徹して飛び込んでいった。
戸田先生が誓願された弘教75万世帯という願業の達成へ、「地区」を起点として、戦いを起こしたのである。
青年部の班長を務めながら、蒲田支部大森地区の地区委員を兼任していた。今でいえば「地区部長」である。
当時の日記を繙けば、
「先生、必ず吾が地区も前進させます」
「地区が完璧になるよう、御本尊に祈る」
等々の若き熱情が綴られてある。
わが地区での体験を踏まえ、あの「二月闘争」で、新たな拡大への指揮に臨んだ。地区を大事にして、連携と団結を強めながら、さらに皆の顔の見える「組」──今でいう「ブロック」に光を当てていったのである。
突破口を開く原動力は「地区」「ブロック」にあり! 地域に根差した最前線の組織を、全幹部が支えに支え抜くのだ。
この勝利への急所は今も変わらない。否、永遠に変わってはなるまい。
大聖人は「一切の草木は地より出生せり、是を以て思うに一切の仏法も又人によりて弘まるべし」(同465㌻)と仰せられた。
創価の「地区」「ブロック」は、地涌の人華が湧き出ずる、最も大切な民衆の大地なのである。
希望の種を蒔き、励ましの滋養を注ぎ続ける、地区部長・地区婦人部長の皆様、そしてブロック長・白ゆり長の皆様がおられるからこそ、同志は信心の根を張り、求道の枝葉を伸ばし、生き生きと成長できる。
アメリカの人権の指導者キング博士は語った。
「われわれはばらばらの時よりも、団結している時の方が多くのものを獲得することができます。そしてこれがわれわれのパワーを獲得する方法です」と。
わが信頼するリーダーを中心に、異体同心の団結で、「全地区、全ブロックが和楽のパワーの全面開花を!」「最前線の英雄に健康と人生の勝利あれ!」と、私も、朝な夕な題目を送り続けている。
誠実に地域貢献
近年、住民同士のつながりを強化しようと、全国の各自治体で、地域活動への参加を促す取り組みが行われている。
その中で、わが婦人部の皆様も、地域の太陽として、日々、友好と信頼の光を広げておられる。
地域を大切に! この思いは、壮年部や男子部も同じ。だが一般的に、男性陣は、普段、地域でなじみが薄いようだ。
しかし実際には、行事の設営や、防火・防犯のために近隣を回る夜警など、男性に求められる役割も少なくない。
では、どうすれば、男性の地域参加を促進できるのか。
そこで大切なのが、地域貢献に励む、身近な模範の存在だ。「自分にもできるかも」「やってみたい」という前向きな気持ちにさせてくれる。
今、各地の壮年部や男子部の中には、そんな先駆の姿が光っている。
仕事もある。家庭も大事。学会活動も忙しい。それでも「地域のために」と、自治会や青年会、PTAの役員など、推されて地域役職に就き、奔走している。近隣の清掃など、地道な地域貢献に励む友も多い。
わが街、わが郷土に尽くす「地域部」や「団地部」の方々も、今月17日に部の日を迎える誉れの「農漁光部」、さらに「離島部」の皆様も男女共に「地域の安心の灯台」と輝きわたっている。
地域に幸福と平和の花を! その花々で世界を包みたい──そこに恩師の深き願いもあった。
メキシコの躍進
歴史的な「3・16」の儀式を終えたある日、戸田先生は「メキシコへ行った夢を見たよ」と嬉しそうに言われ、私に「世界が相手だ。世界へ征くんだ」と厳然と語り託してくださった。忘れることはできない。
このメキシコでも、ここ10年で、青年部の陣容が倍増している。その躍進の様子をお聞きした。
──ある地区は、メンバーの7割が男女青年部員。毎回の座談会には数十人が集い、友人も多く参加されている。
だが以前は、その地域に住む同志は、ほとんどいなかったという。
転機は、現在の地区部長夫妻が引っ越してきた、ほぼ10年前のこと。
夫妻は「いつか必ず、わが家を青年でいっぱいにしよう」と誓い、対話を広げ、毎週のように座談会も開いた。しかし、弘教も実らず、夫婦2人だけの座談会も、1度や2度ではなかった。
1年が過ぎようとしていた冬の日。座談会に来ていた1人の青年が言った。「信心に挑戦してみます。僕もあなたたちのようになりたい」と。
この地に初めての青年部員が誕生した瞬間だった。以来、夫妻の励ましに触れ、青年の入会者が相次ぐようになった。
かつて非行に走った、20代の男子部員は入会後、見違えるように成長した。「こんな経験をした自分だからこそ」と、心理セラピストの資格を取得し、青年たちの悩みに寄り添い続けている。
また、この地区がある地域では、以前から治安の悪化が心配されていたようだ。
そんな中、学会に入会した青年たちが、地域貢献に勇んで取り組むようになり、驚きと感動が広がった。住民から「私にも信心の話を聞かせてほしい」等の声も寄せられているという。
使命に燃えた青年の姿は、百万言の理論にも勝り、人の心を揺さぶらずにはいられない。ゆえに青年は、勢いよく人間の中へ飛び込んでゆくことだ。どんどん、友好を広めゆくことだ。
仏縁を結ぶ喜び
作家の山岡荘八氏は、東北の英雄・伊達政宗を描いた作品に、こう力強く記した。「人間のほんとうの価値は、その行動が他日他人を、どのように多く喜ばせるかにかかっている」と。
来る日も、来る日も、同志の笑顔のため、地域の人びとの喜びのため、わが地涌の勇者の皆様方は走り、語り続けている。いかなる高位の人よりも、有名人や権勢の人よりも、遙かに偉大な人間王者であり、幸福と平和の博士である。
大聖人は、「其の国の仏法は貴辺にまか(任)せたてまつり候ぞ」(御書1467㌻)と最大に信頼してくださっている。
私たちが仏縁を結んだ分だけ、人びとの生命に具わる仏の生命が呼び起こされ、地域も輝きを増していくのだ。
「二月闘争」の伝統は、壁を破る挑戦の心が築き上げた、連続勝利の歴史である。
さあ、勇んで打って出よう! あの友、この友の心に、希望と励ましの春風を届けよう!
わが“本国土”たる地域に、幸福と勝利、安穏と繁栄の春を呼ぶ対話の拡大へ、先駆けようではないか!
寒風も
やがて薫らむ
春の風
仏道修行と
冬を勝ち越え
キングの言葉は『マーティン・ルーサー・キング自伝』カーソン編、梶原寿訳(日本基督教団出版局)、山岡荘八は『伊達政宗』(毎日新聞社)。
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2015-02-21 :
随筆 民衆凱歌の大行進 :
池田SGI会長指導選集 「幸福と平和を創る智慧」 第2部 第8章 8-1〜8-11
池田SGI会長指導選集 「幸福と平和を創る智慧」
第2部 人間革命の実践
第8章 心こそ大切
この章を読むに当たって
1995年秋、ネパールを初訪問した池田SGI会長は、同国の友の健気な心を抱きかかえるように、こう語りました。
「私には、お国の全てが世界一豊かで、世界一美しく見えます。本当の豊かさは、心の美しさで決まる。ネパールの皆さまは、何ものにも勝る〝美しい心〟を持っています。
仏法は『心こそ大切』と説きます。わが心を太陽のように輝かせていけば、全てが輝いて見える。全てを輝かせていくことができる。自分が太陽になれば、もはや影はありません。太陽の信心に立てば、悲哀も悲嘆も不幸もない。一見、不幸と思えるような出来事さえも、人間革命の糧へと輝かせていける。境涯が変われば、景色が一変する。そう仏法は教えているのです」
日蓮仏法では、大いなる太陽の生命、すなわち尊極の仏の生命が、万人に等しく具わっていると説きます。その仏の生命を開いたとき、「全てが輝いて見える」だけでなく、「全てを輝かせていくことができる」――。心の変革が、自身を変え、社会を変え、世界を変えていくのです。
この「心こそ大切」という、人間革命の基盤をなす哲学を、SGI会長は常に強調してきました。
目指すべき仏の境涯とはどのようなものか。仏の生命を開くためにはどうすればよいのか。本章では、心の変革、境涯革命についての重要な指針を紹介します。
8-1 「心こそ大切」の一生を
御書には「心こそ大切」(1192㌻、1316㌻)とあります。この御聖訓こそ日蓮仏法の要であると強調し、心を磨き、境涯を深めていくことが仏法者の生き方であると語っています。
【池田SGI会長の指針】
◎各部代表者会でのスピーチから (1988年2月25日、東京)
昨日、ある人と語りあった。御書全編をとおしての大聖人の仰せは、つまるところ何だろうかと。その一つの結論として、まず「御本尊根本」ということである。妙法のみを純粋に唱え行じきっていくという「但南無妙法蓮華経」(御書1546㌻)の一念である。
そして「ただ心こそ大切なれ」(御書1192㌻)の御聖訓である。これらが、もっとも要となるともいえるのではないかということになった。
とくに後者については、たとえ御本尊を受持し、題目を唱えていても、自身がいかなる信心の「心」であるのか。広布へと向かう「心」なのかどうか。その奥底の「心」が一切を決める。
幸・不幸、成仏・不成仏、また仏界の方向へ行くのか、苦悩の境涯へ向かうのか――すべては、わが一心の妙用《みょうゆう》であり、厳しき結果である。この一事《いちじ》は、どれほど強調しても、しすぎることはない。
宇宙にも心法すなわち「心」がある。自身にも「心」がある。自身の信心の「心」が、宇宙にも通じていく。まことに心には不可思議なる働きがある。
わがままな心、愚痴と文句の心、疑いの心、要領主義の心、慢心、増上慢の心などは、自他ともの不幸の因である。
それらにとらわれてしまっては、飛行機が濃霧の中をさまようようなものである。何ひとつ定かには見えない。善悪の基準もわからなくなる。自身のみならず、乗客ともいうべき眷属も不幸に堕《お》としてしまう。
また「慢」の心とは、たとえていえば、暴れ馬が止まらないで狂ったかのように、心がグルグルと駆けまわっていて、自分で自分がわからなくなっているようなものだ。そばにいる人たちも、けとばされてしまう。要するに、人間として正常ではない。また、自分が思っているのとは正反対に、少しも偉くはない。それどころか、慢心とか増上慢の人は、仏法上、いちばん危険な人物である。
反対に、友を思う真心、主義主張に生きる信念の心、広布への使命を果たそうと戦う責任の心、仏子を守り、尽くしきっていこうという心、感謝と報恩と歓喜の心は、自身のみならず、一家も一族も、子孫末代まで、無限に福徳をを開いていく。諸天善神が守りに守っていく。まっすぐに成仏への軌道を進めてくれる。ゆえに「心こそ大切なれ」との仰せを、強く深く胸にきざんでの一生であっていただきたい。
8-2 幸福の根幹は心を変革すること
幸福とは、環境ではなく、境涯で決まる。ゆえに、「心こそ大切」という哲学を掲げ、心の変革を目指しゆく創価の運動こそが幸福の根本の軌道であると語っています。
【池田SGI会長の指針】
◎各部合同研修会でのスピーチから (2005年8月6日、長野)
人生において、さまざまな悩みにぶつかることもあるだろう。どうにもならない現実に直面することもあるにちがいない。
しかし、同じ状況にあっても、ある人は、生き生きと進む。ある人は、嘆き、悲しむ。喜びというのは、心が感じるものだからだ。
この人生を、喜んで、楽しんでいければ、その人は「勝ち」である。ゆえに、大事なのは、心を変革することだ。これが仏法である。
人が見て、どうかではない。皆がうらやむような境遇でも不幸な人は少なくない。 心が強い人。心が賢明な人。心がたくましい人。心が大きい人。その人は、何があっても、へこたれない。
「心こそ大切なれ」(御書1192㌻)
ここに幸福の根幹がある。それを打ち立てるのが妙法なのである。
大聖人は、「真実に、すべての人が、身心の難を打ち破る秘術は、ただ南無妙法蓮華経なのである」(御書1170㌻、通解)と断言しておられる。
幸福とは、たんなる言葉ではない。物でもない。財産や地位や名声で、幸福は決まらない。
まず題目をあげることだ。そうすれば、生命力がわいてくる。
何があっても楽しい。友人と語り、心ゆくまで題目を唱えながら、日々の一つ一つのことを、うれしく感じられる――。その姿に幸せの一実像があるといえよう。
創価の運動は、この幸福の根本の軌道を教えているのである。
信心に生きぬくならば、「生も歓喜」「死も歓喜」の人生となる。いかなる山も悠々と乗り越えて、楽しく、にぎやかに進んでまいりたい。
8-3 仏法者の境涯とは
この節では、境涯革命について三つの角度を示し、何があっても恐れず、希望に燃えて、全てを楽しんでいける自分自身を築いていくことを呼び掛けています。
【池田SGI会長の指針】
◎中部代表者協議会でのスピーチから (1997年5月26日、愛知)
信仰者の境涯は、どうあるべきか。第一に「何があっても恐れない」ことである。心を紛動されないことである。
世の中には偽りがある。それらに、いちいち心を動かされるのは、あまりにも愚かである。また不幸である。
絶対にウソがないのは妙法である。日蓮大聖人である。ゆえに、広宣流布に生ききっていく人生が、もっとも賢明である。
信仰しているゆえに、いやな思いをすることもあるにちがいない。人一倍の苦労もある。しかし全部、自分自身の修行である。
大聖人は「一生成仏」と仰せである。成仏するためには、必ず三障四魔という関門を越えなければならない。越えれば一生成仏であり、永遠にわたって仏の大境涯を楽しみきっていける。ゆえに何があろうと恐れず、楽しく、勇んで、前ヘ前へと進むことである。
第二に、「いつも希望を燃やす」人生である。希望ほど強いものはない。妙法は「永遠の希望」である。何があっても希望を失わない人こそが幸福者である。
第三に、「どんな時でも楽しめる」境涯である。
死んでいく時にさえ、心から笑いながら「ああ、おもしろかった。さあ、次はどこへ行こうか」と、楽しんでいける。それが信心の境涯である。
何があっても楽しめる大境涯――信心は「歓喜の中の大歓喜」(御書788㌻)なのである。
8-4 感謝と喜びは福運を増す
ここでは、感謝と喜びの信心こそが、人間革命の推進力になると語っています。
【池田SGI会長の指針】
◎九州・沖縄合同会議でのスピーチから (1998年3月3日、沖縄)
「心こそ大切なれ」(御書1192㌻)である。同じ行動をするのでも、「ああ、またか、いやだな」と思ってするのか。「よし、また福運をつけさせてもらおう」と思ってするのか。タッチの差である。
その小さな「差」が、人生を大きく変えていく。百八十度も変えていく。それを教えたのが法華経であり、一念三千の法理である。
心は目に見えない。見えないその心の法則を完璧につかんだのが仏法である。最高の心理学であり、心の科学、心の医学である。
感謝と喜びは福運を増す。愚痴と文句は福運を消す。
弘教においても、「人を救いたい」「妙法のすばらしさを教えたい」という「心」のままの行動に、偉大なる福徳があふれてくるのである。
「心こそ大切」。これこそ至言中の至言である。
人間は弱いもので、ふつうは、すぐに「愚痴」「負け惜しみ」「焼きもち」「落胆」となってしまう。
しかし、信心している人は、そこが違う。「愚痴」が出なくなる。「文句」を言わなくなる。すっきりと、自分自身に生きる「強さ」ができる。その人の心は「感謝」で満たされる。
よく、都会の人は田合に憧れ、田舎の人は都会に憧れる。独身の人は結婚に憧れ、結婚した人は独身に憧れる。人間の心理には、そういう面がある。
しかし、幸福は「遠いところ」にあるのではない。「今、ここ」の現実との戦いによって、幸福は勝ち取っていくべきである。
自分の地域についても、「よきところ、よきところ」とたたえ、感謝する心が、「自信」と「勢い」をつくっていく。広宣流布の「喜び」を広げていく。
8-5 笑顔の人は強い
いつも笑顔であったガンジーのエピソードを通して、苦難を人間革命のチャンスと捉え、明るく、希望をもって生き抜いていくことを呼び掛けています。
【池田SGI会長の指針】
◎『二十一世紀への母と子を語る』から (第3巻 2000年6月刊)
たとえ信心していても、人生の途上には、さまざまな問題が起きてくる。家庭のこと、仕事のこと、子どものこと、思いがけないかたちで、宿命の嵐はやってきます。
しかし、苦難を一つ一つ乗り越えていくところに、自身の人間革命があり、一家一族の宿命転換がある。じつは、そういう時こそ、さらに大きな幸福へと飛躍する〝チャンス〟なのです。
長い人生だもの、勝つこともあれば、負けることもあるでしょう。一時的に負けたからと言って、それを恥ずかしがる必要はない。大事なのは、最後に勝つことです。どんなに大変なときも、「戦う心」を失わないことです。
逆境の時に、朗らかさを失わない人が、本当に強い人です。
かつて、インドのガンジー記念館を訪問した折、壁に、ガンジーが微笑んでいる大きな写真が飾られていました。前歯の欠けたガンジーの表情は、どこかひょうきんで楽しそうに見えた。
ガンジー記念館の方が語っておられた。
「外国に紹介されたガンジーの写真は、どういうわけか、むずかしい顔をしたものが多いようです。しかし、じつはガンジーは、よく笑う人でした」
ガンジーはつねづね、こう言っていたそうです。
「もし、私にユーモアがなければ、これほど長く苦しい戦いには耐えられなかったでしょう」と。
インド独立のために、計り知しれない圧迫と苦悩をくぐり抜けてきたガンジーですが、彼はいつも笑顔をたたえていた。
笑顔の人は強い。正しい人生を歩んでいる人には、晴ればれとした明るさがあります。
いつも余裕のない、暗い顔をしていたのでは、周囲の元気もなくなってしまいます。そこからは希望も、活力も生まれてこない。
大変な時こそ、反対に、明るい笑顔で周囲の人を元気づけながら進んでいくことです。
希望がなければ、自分で希望をつくっていけばよい。人を頼るのではなく、みずからの胸中に炎を燃えたたせていくのです。
8-6 「ダイヤの一念」を磨く
心をダイヤの如く磨いていく中に、確かな幸福境涯が広がっていきます。そのダイヤの一念は、信心によってこそ磨かれると語っています。
【池田SGI会長の指針】
◎タイ記念代表者会でのスピーチから (1992年2月2日、タイ)
信心は何のためにするのか。それは一人残らず幸福になるためである。広布の組織もそのためにある。この妙法を持《たも》ちきった人は、絶対に不幸にはならない。その「確信」の一念が大切である。大確信が大福運を開いていく。
仏法では生老病死と説く。今は若く、希望にあふれた未来部、女子部、男子部も、時とともに老いていく。人生には病の苦しみも、死の苦しみもある。年輪を重ねるごとに、福徳を積み重ね、輝く盤石な幸福の人生となっていくか。それとも、年とともに寂しい、行きづまりの人生となっていくか。
この妙法は「生死即涅槃」の大法である。永遠に若々しく、永遠に生き生きと、永遠に希望を生み、希望を実現しながら生きぬいていける。この妙法は「煩悩即菩提」の大法である。悩みがあればあるほど、信心の境涯を開き、悩みを幸福の糧にすることができる。すべてを変毒為薬することもできる。
とくに青年時代は、悩みの連続である。それでよいのである。若いころから、何の悩みも苦労もないようでは、立派な指導者になれるはずがない。苦労で自分を鍛え、自分を成長させていくことである。
日蓮大聖人は「心こそ大切なれ」(御書1192㌻)と仰せである。
信心の「心」がダイヤ(金剛)の人は、ダイヤのごとく崩れざる幸福の王者である。永遠の勝利者である。その人の住む所、行く所、すべて〝宮殿〟であり、〝王宮〟となる。全宇宙を悠然と見渡すような境涯である。
反対に、外見がどんなに立派であっても、「心」が腐敗している人もいる。
信心の「ダイヤの一念」を磨くことである。原石も磨かねば輝かない。
「磨く」とは、題目をあげることである。また、広宣流布に走ることである。広布に進む使命の人生は、必ずや〝常楽の軌道〟となる。〝つねに楽しい〟大境涯である。
何があっても楽しく、勇んで受けとめられる。そして、朗らかに前進していける――そうした広々とした大境涯を開いていくための仏道修行なのである。
8-7 心の師とはなるとも心を師とせざれ
大いなる境涯革命のためには、揺れ動く自分の弱い心に左右されるのではなく、「心の師」を求め、「心の師」となる生き方が大切であると強調しています。
【池田SGI会長の指針】
◎『一生成仏抄講義』から (2007年1月刊)
「心こそ大切なれ」(御書1192㌻)――。心は不思議です。心の世界は、どこまでも広がります。また、どこまでも広がります。また、どこまでも深めることができます。
心は、澄みわたる大空を自在に飛翔するがごとく、大歓喜の生命を現すこともできる。
万物を照らしゆく清澄にして燦々たる太陽のごとく、苦悩する人々を慈しみ、包み込むこともできる。
時には、師子の如く、正義の怒りに震え、邪悪を打ち破ることもできる。
まさに、心は劇のごとく、パノラマのごとく、千変万化に移りゆきます。
そして、この心の最大の不思議は、仏界の涌現です。迷いと苦悩に打ちひしがれていた人も、わが心の舞台で、大宇宙と融合する仏の生命を涌現することができる。この大変革のドラマこそ、不思議の中の不思議です。
仏法は、万人の「心」の中に、偉大な変革の可能性と、無上の尊極性を見いだしました。大聖人は、その結論として、衆生の心を妙法蓮華経の唱題で磨きぬけば、いかなる迷いの凡夫も仏の生命を開き、いかに濁悪の穢土も清浄の国土に変えていけることを示されました。
妙法蓮華経とは「衆生本有の妙理」、すなわち、あらゆる生命に本来具わる、ありのままの真理の名です。
それゆえに、私たちは、南無妙法蓮華経の唱題行によって、「闇鏡」のごとき凡夫
の「一念無明の迷心《めいしん》」を、「法性真如の明鏡」へと磨き上げて、仏界の生命を現していくことができるのです。
すなわち、本有の妙理をわが生命に現し、自身の心に秘められた無限大の可能性を開いていくことができるのです。
「妙法蓮華経」はまさに己心の法であり、 一人一人が唱題による己心の瞬間瞬間の変革を積み重ねることによって、それが生命の根本的変革に、そして人生全体の変革すなわち一生成仏に、さらに広宣流布という人類の大変革の潮流となっていくのです。
そして、そのあらゆる次元の変革の躍動がすべて、妙法蓮華経なのです。
さて、妙法蓮華経が己心の法である以上、どうしても触れておかなければならない課題があります。それは、「無明の迷心」と「法性真如の妙心」との関係です。
自身の心といっても、凡夫の弱き心に従ってしまえば、心の可能性は急速にしぼみます。それどころか、心から悪も生じます。ここに一念の微妙な問題がある。
一生成仏が、衆生自身の心を鍵としている以上、人間がもつ「心」の弱さを克服していかなければならない。それが「信心」でもあるのです。
凡夫の心は、常に揺れます。その揺れる自身の心を基準にしてはならない。
そのことを訴えているのが、有名な「心の師とは・なるとも心を師とせざれ」(御書1088㌻)との金言です。
大聖人は、この「心の師」との経文を幾度となく引用され、門下の信心の指針とされています。言うならば、この「心の師」とは、人生の羅針盤であり、信心の灯台でもあると言えます。
時に随って移り動いてしまう凡夫の弱き心を「師」としてはならない。どこまでも、自身の心を正しく導く「師」が必要となるのです。「師」とは法であり、仏説です。釈尊自身、自ら悟った法について「法を師として生きぬく」ことを誓い、生涯、その誓願を貫き通したことを誇りとしている。それが、釈尊が弟子への遺言として強調した「法を依り処とせよ」との生き方にほかならない。
「心を師」とするとは、「自分中心」です。最終的には、揺れ動く自分の心に振り回され、わがままなエゴに堕ち、あるいは無明の淵に沈んでしまう。
これに対して「心の師」となるとは、「法中心」です。そして、この「自分」と「法」を結びつけるのが、仏法の師匠の存在です。
仏法で説く師匠とは、衆生に、自らの依り処とすべき「法」が自分自身の中にあることを教えてくれる存在である。法を体現した師匠、法と一体となった師匠を求め、その師匠を模範と仰いで弟子が実践していく。そのとき、初めて「心の師」となる生き方が実現するのです。
言い換えれば、私たちの一生成仏には、衆生の持つ「心の可能性」がどれだけ広いかを教え示す「法の体現者」であり、「法と一体化」した「師」の存在が不可欠となるのです。
私も、現代において日蓮仏法の広宣流布に生きぬかれた戸田先生という如説修行の師匠がいて、自分自身があります。私の胸中には、いつも「心の師」である戸田先生がいる。今も日々、瞬間瞬間、胸中の師と対話しています。これが「師弟不二」です。
常に、自分の心に、「心の師」という規範を持ち、「心の師」の説のごとくに戦う人が、「法根本」の人です。日蓮仏法は、どこまでも「師弟不二」の宗教です。
8-8 境涯が変われば世界が変わる
この節では、生命の大境涯を開いていけば、自身も、周囲の人々も、国土も輝かせていけるという変革の原理が述べられています。
【池田SGI会長の指針】
◎『法華経 方便品・寿量品講義』から (第3巻 1996年6月刊)
御書には「餓鬼はガンジス川を火と見る。人は水と見る。天人は甘露(不死の飲料)と見る。水は一つであるけれども、それを見る衆生の果報(境涯)にしたがって別々である」(1025㌻、通解)とも仰せです。見るものの「境涯」によって変わる。さらに言えば、自分の境涯が変われば、住む「世界」そのものが変わるのです。これが法華経の「事の一念三千」の極理です。
日蓮大聖人は、御自身の受難の御生涯を、こう仰せです。「日日・月月・年年に難かさなる、少少の難は・かずしらず大事の難・四度《しど》なり」(御書200㌻)と。その大難の極限ともいうべき、佐渡流罪の日々にあって、大聖人は悠然と「流人なれども喜悦はかりなし」(同1360㌻)と叫ばれた。まさに宇宙大の御境涯から、一切を見下ろしておられた。
牧口初代会長も、「大聖人様の佐渡の御苦《おくる》しみをしのぶと何でもありません」(『牧口常三郎全集』10)と、獄中生活を耐えぬかれた。さらに、「心一つで地獄にも楽しみがあります」(同前)とも手紙に書かれている。当時の検閲で、削除された言葉です。
生命の大境涯。ここに人間の極致があります。
たった一輪の花でも、すさんだ空気を一変させる。大事なのは、自分の環境を、「少しでも変えていこう」「よくしていこう」という「心」であり「決意」です。いわんや、真剣な信心の「心」で戦った人の人生が、生き生きと変わらないはずはない。幸福に、裕福にならないはずは絶対にない。それが仏法の方程式です。
「心一つで変わる」。それは、人生の不思議です。しかし、まぎれもない真実です。
「バラの木が棘をもっていることに腹を立つべきでない。むしろ、棘の木がバラの花をつけるのをよろこぶべきである」(ヒルテイ編『心の糧』正木正訳、角川文庫)という言葉もあります。見方一つで、こんなに変わる。明るく、美しく、広やかになる。
大聖人は「一心の妙用」(御書717㌻)と仰せです。御本尊を信じる「一心」、そこに不思議にして偉大なる力、働きが出る。わが胸の「一心」という根本のエンジンが動き出せば、ただちに三千諸法の歯車も動き出す。全部、変わっていく。善の方向へ、希望の方向へと動かしていけるのです。
仏の「大いなる境涯」に包まれた時に、自身も、周囲の人々も、そして国土も、すべて「幸福」と「希望」の光に輝いていく。それが「事の一念三千」の南無妙法蓮華経の力です。すなわち、ここにはダイナミックな「変革の原理」が説かれているのです。
8-9 自分自身の使命に徹する
いま自分がいる場所で、自分の使命に徹していくことが、「心こそ大切」の生き方であると語っています。
【池田SGI会長の指針】
◎「11・18」記念合同幹部会でのスピーから (1989年11月12日、東京)
人生は、はじめから何もかも思いどおりになるものではない。さまざまな理由から、不本意な場所で、長く過ごさねばならない場合も多々ある。その時にどう生きるか。どう自分らしい「満足」と「勝利」の人生を開いていくか。ここに課題がある。
自分の不運を嘆き、環境と他人を恨みながら、一生を終えてしまう。そういう人は世界中に無数にいる。また栄誉栄達と他人の称讃を願い、それのみを人生の目的とするかぎり、そうした不満とあせりは、何らかの形で、永遠に消えないかもしれない。
欲望は限りないものであり、利己主義にとらわれているかぎり、すべての人が、完全に満たされることはありえない。会社でも全員が社長になるわけではない。
もちろん、よりよい環境、よりよい境遇へと、変革の努力をしていくのは当然である。そのうえで、より大切なのは、現在自分がいる場所、自分の〝砦〟を厳然と守りゆくことである。現在の自分の使命に徹し、その位置で、自分なりの歴史をつくりゆくことである。
何の華やかな舞台もなく、称讃も脚光も浴びない立場の人もいるかもしれない。しかし〝心こそ大切〟なのである。地位が人間の偉さを決めるのではない。環境が、幸福を決定するのでもない。わが生命、わが心には、広大な「宇宙」が厳として広がっている。その壮大な境涯を開きゆくための信心である。
その「精神の王国」を開けば、いずこであれ、自身が王者である。汲めども尽きぬ、深き人生の妙味を味わって生きることができる。
いわゆる世間的に「偉くなりたい」と願う人は多い。しかし、人間として「偉大になろう」と心を定める人は少ない。
人の称讃と注目を浴びたいと願う人は多い。しかし、「死」の瞬間にも色あせぬ「三世の幸《さち》」を、自分自身の生命に築こうとする人は少ない。
人の偉さと幸福を決めるのは、当人の生命の「力」であり、広宣流布への「信心」である。
私どもは「広宣流布」という人類未聞の理想に向かって、日々努力を重ねているのである。ゆえに、人に倍する忍耐も苦労も要るが、真実の「満足の自分」を築くことができるのは間違いない。
人がどう評価するか、それはどうでもよい。また、一時の姿がどうかということでもない。要するに、最後の最後に会心の笑みを満面に浮かべられる人生かどうかである。生涯を振り返り「自分は人生に勝った。楽しかった。悔いはない」と言える人が、勝利者である。
とくに青年部の諸君は、悪戦苦闘の境遇であるかもしれない。華やかな栄誉とも無縁であろう。それでよいのである。それぞれの使命の天地で、理想へと努力し続けていただきたい。そこにこそ、わが胸中に崩れぬ「勝利の砦」が築かれていく。
8-10 全てが人間革命の糧になる
ここでは、広宣流布の信心に立てば、いかなる病気や苦難も、全てが永遠の幸福境涯を確立するための追い風になると、温かな励ましを送っています。
【池田SGI会長の指針】
◎岩手県総会へのメッセージから (1996年9月18日「聖教新聞」掲載)
御書には、生命というものは、「きびしきなり三千羅列なり(714㌻)と仰せであります。
誰人たりとも、汝自身を貫く、この峻厳なる因果の理法から、逃れることは絶対にできない。これが、道理であります。
この一生において、自分は何を行い、何を語り、何を思ってきたか。その身口意の三業にわたる、総決算によって、三世永遠の生命の軌道が決まっていく。
だからこそ、日蓮大聖人は、広宣流布のために、祈り、語り、動く、その一切が、わが一念に功徳善根となって納まる、と教えられているのであります。
ゆえに、目先にとらわれる必要はない。
病気の人は、仏界という崇高な山に登りゆく練習をしていると、思ってください。いずれ、山頂に立って、永遠に素晴らしい眺めを楽しむために、今、坂を一つ一つ、越えているのだと思ってください。
さらにまた、彼方に輝く常楽の希望の島に向かって、今、荒波を泳いでいる時であると思ってください。
すべてが、自分自身の三世にわたる、素晴らしき勝利のための栄光の記録を作っているのであると、生き抜いてください。
ともあれ、妙法を持《たも》った人に無駄はない。たじろいでも、恐れても、悲しんでもならない。
すべてが、永遠の幸福のための追い風となることを、忘れないでください。
どんな稲も、遅かれ、早かれ、この一年のうちに、必ず実る。それと同じように、いかなる人も、真面目に、そして粘り強く、信心を貫き通すならば、必ず、この一生のうちに、尊き仏の境涯を勝ちとることができると、大聖人が、断言されているのであります。
8-11 常楽我浄の大我の境涯を
妙法に生きる人は、何ものにも揺るがない常楽我浄の境涯を開くことができる。そのために、いかなる宿命や苦難にも負けず、信心の根を張っていくことの大切さを語っています。
【池田SGI会長の指針】
◎SGI欧州総会でのスピーチから (1989年5月28日、イギリス)
大聖人は「御義口伝」にこう仰せである。「我等が生老病死に南無妙法蓮華経と唱え奉るは併《しかしなが》ら四徳《しとく》の香《か》を吹くなり」(御書740㌻)――われわれが生老病死という人生の苦しみにさいして南無妙法蓮華経と唱えていくならば、妙法に荘厳された生命となり、「常」「楽」「我」「浄」の四徳のふくよかな芳香を漂わせることができる――。
四徳とは、人間として最高の境地であり、絶対的な自由、幸福を表示している。
「我」は、「真実の自己」つまり「大我」が享受する、宇宙大の自由の境涯といってよい。
「常」とは、不断に革新しゆく生の躍動であり、あらゆる行き詰まりを打破していく、生命の創造的な進化ともいえる。
また「浄」とは、大いなる生命の力の奔流によって、小我による狭いエゴイズムの汚濁を浄化する働きである。
そして「楽」とは、瞬間瞬間、ダイナミックに律動する生命の歓喜であり、周囲の人々にも喜びをあたえゆく円満なる人格にも通ずる。
こうして妙法に照らされた人格は、宇宙大の自由をはらむ「大我」の境地に立脚して、「小我」のエゴイスティックな方向に凝集していた欲望のエネルギー(煩悩)をも、質的に転換していく。つまり、煩悩のエネルギーをも輝ける英知と慈悲へ昇華しつつ、他者や共同体、社会など、個人を超えた次元へと力強く立ち向かっていくのである。
ここに「煩悩即菩提」の法理があり、「理想社会の建設」に取り組みながら、自他ともに真実の「人間完成」をめざしゆく道が、広々と、また晴ればれと開かれている。
「幸福」は、何によって決まるか。これが人生の根本問題である。
結論的にいえば、幸福のもっとも重要な要素、それは自分自身の内なる「境涯」である。
大いなる境涯の人は幸福である。広々とした心で、毎日を生きぬいていける。強き境涯の人は幸せである。苦しみにも負けることなく、悠々と一生を楽しんでいける。
深き境涯の人は幸せである。人生の深き味わいをかみしめながら、永遠にも通じゆく有意義な価値の歴史をつくりゆくことができる。
清らかな境涯の人は幸せである。その人のまわりには、つねにさわやかな喜びが広がっていく。
たとえ財産や地位等の面で恵まれていたとしても、「不幸」を実感している人は数限りなくいる。また、そうした環境はつねに変化し、いつまで良き状態が続くかわからない。
しかし、確立された自身の「幸福の境涯」は、だれ人も壊すことはできない。何ものも侵すことすらできない。こうした、生命の大境涯を建設することに、仏道修行の目的もある。
ともあれ、何があっても御本尊から離れてはいけない。信心の歩みを止めてはいけない。
人生の途上には、さまざまな苦難がある。行き詰まりもある。そのときにこそ、信心の心を強め、唱題に励んでいただきたい。宿命の山を登りきると、それまでは辛くとも、次は視界がパーッと開けていくものである。信心は、その繰り返しのようなものである。その究極として、永遠に崩れない絶対的幸福境涯につながっていく。
ともかく、信心の根を、強く、深く、張っておくことだ。根さえ張っておれば、たとえ風雪の時があったとしても、太陽の光が輝き、水分が与えられれば、必ずしだいしだいに大樹へと育っていく。信心と人生の歩みもまた同じである。どうか皆さま方は、この厳しき現実社会の中で、〝真実の仏教〟の証明者として、幸福の大光を朗らかに広げゆく勇者であっていただきたい。
第2部 人間革命の実践
第8章 心こそ大切
この章を読むに当たって
1995年秋、ネパールを初訪問した池田SGI会長は、同国の友の健気な心を抱きかかえるように、こう語りました。
「私には、お国の全てが世界一豊かで、世界一美しく見えます。本当の豊かさは、心の美しさで決まる。ネパールの皆さまは、何ものにも勝る〝美しい心〟を持っています。
仏法は『心こそ大切』と説きます。わが心を太陽のように輝かせていけば、全てが輝いて見える。全てを輝かせていくことができる。自分が太陽になれば、もはや影はありません。太陽の信心に立てば、悲哀も悲嘆も不幸もない。一見、不幸と思えるような出来事さえも、人間革命の糧へと輝かせていける。境涯が変われば、景色が一変する。そう仏法は教えているのです」
日蓮仏法では、大いなる太陽の生命、すなわち尊極の仏の生命が、万人に等しく具わっていると説きます。その仏の生命を開いたとき、「全てが輝いて見える」だけでなく、「全てを輝かせていくことができる」――。心の変革が、自身を変え、社会を変え、世界を変えていくのです。
この「心こそ大切」という、人間革命の基盤をなす哲学を、SGI会長は常に強調してきました。
目指すべき仏の境涯とはどのようなものか。仏の生命を開くためにはどうすればよいのか。本章では、心の変革、境涯革命についての重要な指針を紹介します。
8-1 「心こそ大切」の一生を
御書には「心こそ大切」(1192㌻、1316㌻)とあります。この御聖訓こそ日蓮仏法の要であると強調し、心を磨き、境涯を深めていくことが仏法者の生き方であると語っています。
【池田SGI会長の指針】
◎各部代表者会でのスピーチから (1988年2月25日、東京)
昨日、ある人と語りあった。御書全編をとおしての大聖人の仰せは、つまるところ何だろうかと。その一つの結論として、まず「御本尊根本」ということである。妙法のみを純粋に唱え行じきっていくという「但南無妙法蓮華経」(御書1546㌻)の一念である。
そして「ただ心こそ大切なれ」(御書1192㌻)の御聖訓である。これらが、もっとも要となるともいえるのではないかということになった。
とくに後者については、たとえ御本尊を受持し、題目を唱えていても、自身がいかなる信心の「心」であるのか。広布へと向かう「心」なのかどうか。その奥底の「心」が一切を決める。
幸・不幸、成仏・不成仏、また仏界の方向へ行くのか、苦悩の境涯へ向かうのか――すべては、わが一心の妙用《みょうゆう》であり、厳しき結果である。この一事《いちじ》は、どれほど強調しても、しすぎることはない。
宇宙にも心法すなわち「心」がある。自身にも「心」がある。自身の信心の「心」が、宇宙にも通じていく。まことに心には不可思議なる働きがある。
わがままな心、愚痴と文句の心、疑いの心、要領主義の心、慢心、増上慢の心などは、自他ともの不幸の因である。
それらにとらわれてしまっては、飛行機が濃霧の中をさまようようなものである。何ひとつ定かには見えない。善悪の基準もわからなくなる。自身のみならず、乗客ともいうべき眷属も不幸に堕《お》としてしまう。
また「慢」の心とは、たとえていえば、暴れ馬が止まらないで狂ったかのように、心がグルグルと駆けまわっていて、自分で自分がわからなくなっているようなものだ。そばにいる人たちも、けとばされてしまう。要するに、人間として正常ではない。また、自分が思っているのとは正反対に、少しも偉くはない。それどころか、慢心とか増上慢の人は、仏法上、いちばん危険な人物である。
反対に、友を思う真心、主義主張に生きる信念の心、広布への使命を果たそうと戦う責任の心、仏子を守り、尽くしきっていこうという心、感謝と報恩と歓喜の心は、自身のみならず、一家も一族も、子孫末代まで、無限に福徳をを開いていく。諸天善神が守りに守っていく。まっすぐに成仏への軌道を進めてくれる。ゆえに「心こそ大切なれ」との仰せを、強く深く胸にきざんでの一生であっていただきたい。
8-2 幸福の根幹は心を変革すること
幸福とは、環境ではなく、境涯で決まる。ゆえに、「心こそ大切」という哲学を掲げ、心の変革を目指しゆく創価の運動こそが幸福の根本の軌道であると語っています。
【池田SGI会長の指針】
◎各部合同研修会でのスピーチから (2005年8月6日、長野)
人生において、さまざまな悩みにぶつかることもあるだろう。どうにもならない現実に直面することもあるにちがいない。
しかし、同じ状況にあっても、ある人は、生き生きと進む。ある人は、嘆き、悲しむ。喜びというのは、心が感じるものだからだ。
この人生を、喜んで、楽しんでいければ、その人は「勝ち」である。ゆえに、大事なのは、心を変革することだ。これが仏法である。
人が見て、どうかではない。皆がうらやむような境遇でも不幸な人は少なくない。 心が強い人。心が賢明な人。心がたくましい人。心が大きい人。その人は、何があっても、へこたれない。
「心こそ大切なれ」(御書1192㌻)
ここに幸福の根幹がある。それを打ち立てるのが妙法なのである。
大聖人は、「真実に、すべての人が、身心の難を打ち破る秘術は、ただ南無妙法蓮華経なのである」(御書1170㌻、通解)と断言しておられる。
幸福とは、たんなる言葉ではない。物でもない。財産や地位や名声で、幸福は決まらない。
まず題目をあげることだ。そうすれば、生命力がわいてくる。
何があっても楽しい。友人と語り、心ゆくまで題目を唱えながら、日々の一つ一つのことを、うれしく感じられる――。その姿に幸せの一実像があるといえよう。
創価の運動は、この幸福の根本の軌道を教えているのである。
信心に生きぬくならば、「生も歓喜」「死も歓喜」の人生となる。いかなる山も悠々と乗り越えて、楽しく、にぎやかに進んでまいりたい。
8-3 仏法者の境涯とは
この節では、境涯革命について三つの角度を示し、何があっても恐れず、希望に燃えて、全てを楽しんでいける自分自身を築いていくことを呼び掛けています。
【池田SGI会長の指針】
◎中部代表者協議会でのスピーチから (1997年5月26日、愛知)
信仰者の境涯は、どうあるべきか。第一に「何があっても恐れない」ことである。心を紛動されないことである。
世の中には偽りがある。それらに、いちいち心を動かされるのは、あまりにも愚かである。また不幸である。
絶対にウソがないのは妙法である。日蓮大聖人である。ゆえに、広宣流布に生ききっていく人生が、もっとも賢明である。
信仰しているゆえに、いやな思いをすることもあるにちがいない。人一倍の苦労もある。しかし全部、自分自身の修行である。
大聖人は「一生成仏」と仰せである。成仏するためには、必ず三障四魔という関門を越えなければならない。越えれば一生成仏であり、永遠にわたって仏の大境涯を楽しみきっていける。ゆえに何があろうと恐れず、楽しく、勇んで、前ヘ前へと進むことである。
第二に、「いつも希望を燃やす」人生である。希望ほど強いものはない。妙法は「永遠の希望」である。何があっても希望を失わない人こそが幸福者である。
第三に、「どんな時でも楽しめる」境涯である。
死んでいく時にさえ、心から笑いながら「ああ、おもしろかった。さあ、次はどこへ行こうか」と、楽しんでいける。それが信心の境涯である。
何があっても楽しめる大境涯――信心は「歓喜の中の大歓喜」(御書788㌻)なのである。
8-4 感謝と喜びは福運を増す
ここでは、感謝と喜びの信心こそが、人間革命の推進力になると語っています。
【池田SGI会長の指針】
◎九州・沖縄合同会議でのスピーチから (1998年3月3日、沖縄)
「心こそ大切なれ」(御書1192㌻)である。同じ行動をするのでも、「ああ、またか、いやだな」と思ってするのか。「よし、また福運をつけさせてもらおう」と思ってするのか。タッチの差である。
その小さな「差」が、人生を大きく変えていく。百八十度も変えていく。それを教えたのが法華経であり、一念三千の法理である。
心は目に見えない。見えないその心の法則を完璧につかんだのが仏法である。最高の心理学であり、心の科学、心の医学である。
感謝と喜びは福運を増す。愚痴と文句は福運を消す。
弘教においても、「人を救いたい」「妙法のすばらしさを教えたい」という「心」のままの行動に、偉大なる福徳があふれてくるのである。
「心こそ大切」。これこそ至言中の至言である。
人間は弱いもので、ふつうは、すぐに「愚痴」「負け惜しみ」「焼きもち」「落胆」となってしまう。
しかし、信心している人は、そこが違う。「愚痴」が出なくなる。「文句」を言わなくなる。すっきりと、自分自身に生きる「強さ」ができる。その人の心は「感謝」で満たされる。
よく、都会の人は田合に憧れ、田舎の人は都会に憧れる。独身の人は結婚に憧れ、結婚した人は独身に憧れる。人間の心理には、そういう面がある。
しかし、幸福は「遠いところ」にあるのではない。「今、ここ」の現実との戦いによって、幸福は勝ち取っていくべきである。
自分の地域についても、「よきところ、よきところ」とたたえ、感謝する心が、「自信」と「勢い」をつくっていく。広宣流布の「喜び」を広げていく。
8-5 笑顔の人は強い
いつも笑顔であったガンジーのエピソードを通して、苦難を人間革命のチャンスと捉え、明るく、希望をもって生き抜いていくことを呼び掛けています。
【池田SGI会長の指針】
◎『二十一世紀への母と子を語る』から (第3巻 2000年6月刊)
たとえ信心していても、人生の途上には、さまざまな問題が起きてくる。家庭のこと、仕事のこと、子どものこと、思いがけないかたちで、宿命の嵐はやってきます。
しかし、苦難を一つ一つ乗り越えていくところに、自身の人間革命があり、一家一族の宿命転換がある。じつは、そういう時こそ、さらに大きな幸福へと飛躍する〝チャンス〟なのです。
長い人生だもの、勝つこともあれば、負けることもあるでしょう。一時的に負けたからと言って、それを恥ずかしがる必要はない。大事なのは、最後に勝つことです。どんなに大変なときも、「戦う心」を失わないことです。
逆境の時に、朗らかさを失わない人が、本当に強い人です。
かつて、インドのガンジー記念館を訪問した折、壁に、ガンジーが微笑んでいる大きな写真が飾られていました。前歯の欠けたガンジーの表情は、どこかひょうきんで楽しそうに見えた。
ガンジー記念館の方が語っておられた。
「外国に紹介されたガンジーの写真は、どういうわけか、むずかしい顔をしたものが多いようです。しかし、じつはガンジーは、よく笑う人でした」
ガンジーはつねづね、こう言っていたそうです。
「もし、私にユーモアがなければ、これほど長く苦しい戦いには耐えられなかったでしょう」と。
インド独立のために、計り知しれない圧迫と苦悩をくぐり抜けてきたガンジーですが、彼はいつも笑顔をたたえていた。
笑顔の人は強い。正しい人生を歩んでいる人には、晴ればれとした明るさがあります。
いつも余裕のない、暗い顔をしていたのでは、周囲の元気もなくなってしまいます。そこからは希望も、活力も生まれてこない。
大変な時こそ、反対に、明るい笑顔で周囲の人を元気づけながら進んでいくことです。
希望がなければ、自分で希望をつくっていけばよい。人を頼るのではなく、みずからの胸中に炎を燃えたたせていくのです。
8-6 「ダイヤの一念」を磨く
心をダイヤの如く磨いていく中に、確かな幸福境涯が広がっていきます。そのダイヤの一念は、信心によってこそ磨かれると語っています。
【池田SGI会長の指針】
◎タイ記念代表者会でのスピーチから (1992年2月2日、タイ)
信心は何のためにするのか。それは一人残らず幸福になるためである。広布の組織もそのためにある。この妙法を持《たも》ちきった人は、絶対に不幸にはならない。その「確信」の一念が大切である。大確信が大福運を開いていく。
仏法では生老病死と説く。今は若く、希望にあふれた未来部、女子部、男子部も、時とともに老いていく。人生には病の苦しみも、死の苦しみもある。年輪を重ねるごとに、福徳を積み重ね、輝く盤石な幸福の人生となっていくか。それとも、年とともに寂しい、行きづまりの人生となっていくか。
この妙法は「生死即涅槃」の大法である。永遠に若々しく、永遠に生き生きと、永遠に希望を生み、希望を実現しながら生きぬいていける。この妙法は「煩悩即菩提」の大法である。悩みがあればあるほど、信心の境涯を開き、悩みを幸福の糧にすることができる。すべてを変毒為薬することもできる。
とくに青年時代は、悩みの連続である。それでよいのである。若いころから、何の悩みも苦労もないようでは、立派な指導者になれるはずがない。苦労で自分を鍛え、自分を成長させていくことである。
日蓮大聖人は「心こそ大切なれ」(御書1192㌻)と仰せである。
信心の「心」がダイヤ(金剛)の人は、ダイヤのごとく崩れざる幸福の王者である。永遠の勝利者である。その人の住む所、行く所、すべて〝宮殿〟であり、〝王宮〟となる。全宇宙を悠然と見渡すような境涯である。
反対に、外見がどんなに立派であっても、「心」が腐敗している人もいる。
信心の「ダイヤの一念」を磨くことである。原石も磨かねば輝かない。
「磨く」とは、題目をあげることである。また、広宣流布に走ることである。広布に進む使命の人生は、必ずや〝常楽の軌道〟となる。〝つねに楽しい〟大境涯である。
何があっても楽しく、勇んで受けとめられる。そして、朗らかに前進していける――そうした広々とした大境涯を開いていくための仏道修行なのである。
8-7 心の師とはなるとも心を師とせざれ
大いなる境涯革命のためには、揺れ動く自分の弱い心に左右されるのではなく、「心の師」を求め、「心の師」となる生き方が大切であると強調しています。
【池田SGI会長の指針】
◎『一生成仏抄講義』から (2007年1月刊)
「心こそ大切なれ」(御書1192㌻)――。心は不思議です。心の世界は、どこまでも広がります。また、どこまでも広がります。また、どこまでも深めることができます。
心は、澄みわたる大空を自在に飛翔するがごとく、大歓喜の生命を現すこともできる。
万物を照らしゆく清澄にして燦々たる太陽のごとく、苦悩する人々を慈しみ、包み込むこともできる。
時には、師子の如く、正義の怒りに震え、邪悪を打ち破ることもできる。
まさに、心は劇のごとく、パノラマのごとく、千変万化に移りゆきます。
そして、この心の最大の不思議は、仏界の涌現です。迷いと苦悩に打ちひしがれていた人も、わが心の舞台で、大宇宙と融合する仏の生命を涌現することができる。この大変革のドラマこそ、不思議の中の不思議です。
仏法は、万人の「心」の中に、偉大な変革の可能性と、無上の尊極性を見いだしました。大聖人は、その結論として、衆生の心を妙法蓮華経の唱題で磨きぬけば、いかなる迷いの凡夫も仏の生命を開き、いかに濁悪の穢土も清浄の国土に変えていけることを示されました。
妙法蓮華経とは「衆生本有の妙理」、すなわち、あらゆる生命に本来具わる、ありのままの真理の名です。
それゆえに、私たちは、南無妙法蓮華経の唱題行によって、「闇鏡」のごとき凡夫
の「一念無明の迷心《めいしん》」を、「法性真如の明鏡」へと磨き上げて、仏界の生命を現していくことができるのです。
すなわち、本有の妙理をわが生命に現し、自身の心に秘められた無限大の可能性を開いていくことができるのです。
「妙法蓮華経」はまさに己心の法であり、 一人一人が唱題による己心の瞬間瞬間の変革を積み重ねることによって、それが生命の根本的変革に、そして人生全体の変革すなわち一生成仏に、さらに広宣流布という人類の大変革の潮流となっていくのです。
そして、そのあらゆる次元の変革の躍動がすべて、妙法蓮華経なのです。
さて、妙法蓮華経が己心の法である以上、どうしても触れておかなければならない課題があります。それは、「無明の迷心」と「法性真如の妙心」との関係です。
自身の心といっても、凡夫の弱き心に従ってしまえば、心の可能性は急速にしぼみます。それどころか、心から悪も生じます。ここに一念の微妙な問題がある。
一生成仏が、衆生自身の心を鍵としている以上、人間がもつ「心」の弱さを克服していかなければならない。それが「信心」でもあるのです。
凡夫の心は、常に揺れます。その揺れる自身の心を基準にしてはならない。
そのことを訴えているのが、有名な「心の師とは・なるとも心を師とせざれ」(御書1088㌻)との金言です。
大聖人は、この「心の師」との経文を幾度となく引用され、門下の信心の指針とされています。言うならば、この「心の師」とは、人生の羅針盤であり、信心の灯台でもあると言えます。
時に随って移り動いてしまう凡夫の弱き心を「師」としてはならない。どこまでも、自身の心を正しく導く「師」が必要となるのです。「師」とは法であり、仏説です。釈尊自身、自ら悟った法について「法を師として生きぬく」ことを誓い、生涯、その誓願を貫き通したことを誇りとしている。それが、釈尊が弟子への遺言として強調した「法を依り処とせよ」との生き方にほかならない。
「心を師」とするとは、「自分中心」です。最終的には、揺れ動く自分の心に振り回され、わがままなエゴに堕ち、あるいは無明の淵に沈んでしまう。
これに対して「心の師」となるとは、「法中心」です。そして、この「自分」と「法」を結びつけるのが、仏法の師匠の存在です。
仏法で説く師匠とは、衆生に、自らの依り処とすべき「法」が自分自身の中にあることを教えてくれる存在である。法を体現した師匠、法と一体となった師匠を求め、その師匠を模範と仰いで弟子が実践していく。そのとき、初めて「心の師」となる生き方が実現するのです。
言い換えれば、私たちの一生成仏には、衆生の持つ「心の可能性」がどれだけ広いかを教え示す「法の体現者」であり、「法と一体化」した「師」の存在が不可欠となるのです。
私も、現代において日蓮仏法の広宣流布に生きぬかれた戸田先生という如説修行の師匠がいて、自分自身があります。私の胸中には、いつも「心の師」である戸田先生がいる。今も日々、瞬間瞬間、胸中の師と対話しています。これが「師弟不二」です。
常に、自分の心に、「心の師」という規範を持ち、「心の師」の説のごとくに戦う人が、「法根本」の人です。日蓮仏法は、どこまでも「師弟不二」の宗教です。
8-8 境涯が変われば世界が変わる
この節では、生命の大境涯を開いていけば、自身も、周囲の人々も、国土も輝かせていけるという変革の原理が述べられています。
【池田SGI会長の指針】
◎『法華経 方便品・寿量品講義』から (第3巻 1996年6月刊)
御書には「餓鬼はガンジス川を火と見る。人は水と見る。天人は甘露(不死の飲料)と見る。水は一つであるけれども、それを見る衆生の果報(境涯)にしたがって別々である」(1025㌻、通解)とも仰せです。見るものの「境涯」によって変わる。さらに言えば、自分の境涯が変われば、住む「世界」そのものが変わるのです。これが法華経の「事の一念三千」の極理です。
日蓮大聖人は、御自身の受難の御生涯を、こう仰せです。「日日・月月・年年に難かさなる、少少の難は・かずしらず大事の難・四度《しど》なり」(御書200㌻)と。その大難の極限ともいうべき、佐渡流罪の日々にあって、大聖人は悠然と「流人なれども喜悦はかりなし」(同1360㌻)と叫ばれた。まさに宇宙大の御境涯から、一切を見下ろしておられた。
牧口初代会長も、「大聖人様の佐渡の御苦《おくる》しみをしのぶと何でもありません」(『牧口常三郎全集』10)と、獄中生活を耐えぬかれた。さらに、「心一つで地獄にも楽しみがあります」(同前)とも手紙に書かれている。当時の検閲で、削除された言葉です。
生命の大境涯。ここに人間の極致があります。
たった一輪の花でも、すさんだ空気を一変させる。大事なのは、自分の環境を、「少しでも変えていこう」「よくしていこう」という「心」であり「決意」です。いわんや、真剣な信心の「心」で戦った人の人生が、生き生きと変わらないはずはない。幸福に、裕福にならないはずは絶対にない。それが仏法の方程式です。
「心一つで変わる」。それは、人生の不思議です。しかし、まぎれもない真実です。
「バラの木が棘をもっていることに腹を立つべきでない。むしろ、棘の木がバラの花をつけるのをよろこぶべきである」(ヒルテイ編『心の糧』正木正訳、角川文庫)という言葉もあります。見方一つで、こんなに変わる。明るく、美しく、広やかになる。
大聖人は「一心の妙用」(御書717㌻)と仰せです。御本尊を信じる「一心」、そこに不思議にして偉大なる力、働きが出る。わが胸の「一心」という根本のエンジンが動き出せば、ただちに三千諸法の歯車も動き出す。全部、変わっていく。善の方向へ、希望の方向へと動かしていけるのです。
仏の「大いなる境涯」に包まれた時に、自身も、周囲の人々も、そして国土も、すべて「幸福」と「希望」の光に輝いていく。それが「事の一念三千」の南無妙法蓮華経の力です。すなわち、ここにはダイナミックな「変革の原理」が説かれているのです。
8-9 自分自身の使命に徹する
いま自分がいる場所で、自分の使命に徹していくことが、「心こそ大切」の生き方であると語っています。
【池田SGI会長の指針】
◎「11・18」記念合同幹部会でのスピーから (1989年11月12日、東京)
人生は、はじめから何もかも思いどおりになるものではない。さまざまな理由から、不本意な場所で、長く過ごさねばならない場合も多々ある。その時にどう生きるか。どう自分らしい「満足」と「勝利」の人生を開いていくか。ここに課題がある。
自分の不運を嘆き、環境と他人を恨みながら、一生を終えてしまう。そういう人は世界中に無数にいる。また栄誉栄達と他人の称讃を願い、それのみを人生の目的とするかぎり、そうした不満とあせりは、何らかの形で、永遠に消えないかもしれない。
欲望は限りないものであり、利己主義にとらわれているかぎり、すべての人が、完全に満たされることはありえない。会社でも全員が社長になるわけではない。
もちろん、よりよい環境、よりよい境遇へと、変革の努力をしていくのは当然である。そのうえで、より大切なのは、現在自分がいる場所、自分の〝砦〟を厳然と守りゆくことである。現在の自分の使命に徹し、その位置で、自分なりの歴史をつくりゆくことである。
何の華やかな舞台もなく、称讃も脚光も浴びない立場の人もいるかもしれない。しかし〝心こそ大切〟なのである。地位が人間の偉さを決めるのではない。環境が、幸福を決定するのでもない。わが生命、わが心には、広大な「宇宙」が厳として広がっている。その壮大な境涯を開きゆくための信心である。
その「精神の王国」を開けば、いずこであれ、自身が王者である。汲めども尽きぬ、深き人生の妙味を味わって生きることができる。
いわゆる世間的に「偉くなりたい」と願う人は多い。しかし、人間として「偉大になろう」と心を定める人は少ない。
人の称讃と注目を浴びたいと願う人は多い。しかし、「死」の瞬間にも色あせぬ「三世の幸《さち》」を、自分自身の生命に築こうとする人は少ない。
人の偉さと幸福を決めるのは、当人の生命の「力」であり、広宣流布への「信心」である。
私どもは「広宣流布」という人類未聞の理想に向かって、日々努力を重ねているのである。ゆえに、人に倍する忍耐も苦労も要るが、真実の「満足の自分」を築くことができるのは間違いない。
人がどう評価するか、それはどうでもよい。また、一時の姿がどうかということでもない。要するに、最後の最後に会心の笑みを満面に浮かべられる人生かどうかである。生涯を振り返り「自分は人生に勝った。楽しかった。悔いはない」と言える人が、勝利者である。
とくに青年部の諸君は、悪戦苦闘の境遇であるかもしれない。華やかな栄誉とも無縁であろう。それでよいのである。それぞれの使命の天地で、理想へと努力し続けていただきたい。そこにこそ、わが胸中に崩れぬ「勝利の砦」が築かれていく。
8-10 全てが人間革命の糧になる
ここでは、広宣流布の信心に立てば、いかなる病気や苦難も、全てが永遠の幸福境涯を確立するための追い風になると、温かな励ましを送っています。
【池田SGI会長の指針】
◎岩手県総会へのメッセージから (1996年9月18日「聖教新聞」掲載)
御書には、生命というものは、「きびしきなり三千羅列なり(714㌻)と仰せであります。
誰人たりとも、汝自身を貫く、この峻厳なる因果の理法から、逃れることは絶対にできない。これが、道理であります。
この一生において、自分は何を行い、何を語り、何を思ってきたか。その身口意の三業にわたる、総決算によって、三世永遠の生命の軌道が決まっていく。
だからこそ、日蓮大聖人は、広宣流布のために、祈り、語り、動く、その一切が、わが一念に功徳善根となって納まる、と教えられているのであります。
ゆえに、目先にとらわれる必要はない。
病気の人は、仏界という崇高な山に登りゆく練習をしていると、思ってください。いずれ、山頂に立って、永遠に素晴らしい眺めを楽しむために、今、坂を一つ一つ、越えているのだと思ってください。
さらにまた、彼方に輝く常楽の希望の島に向かって、今、荒波を泳いでいる時であると思ってください。
すべてが、自分自身の三世にわたる、素晴らしき勝利のための栄光の記録を作っているのであると、生き抜いてください。
ともあれ、妙法を持《たも》った人に無駄はない。たじろいでも、恐れても、悲しんでもならない。
すべてが、永遠の幸福のための追い風となることを、忘れないでください。
どんな稲も、遅かれ、早かれ、この一年のうちに、必ず実る。それと同じように、いかなる人も、真面目に、そして粘り強く、信心を貫き通すならば、必ず、この一生のうちに、尊き仏の境涯を勝ちとることができると、大聖人が、断言されているのであります。
8-11 常楽我浄の大我の境涯を
妙法に生きる人は、何ものにも揺るがない常楽我浄の境涯を開くことができる。そのために、いかなる宿命や苦難にも負けず、信心の根を張っていくことの大切さを語っています。
【池田SGI会長の指針】
◎SGI欧州総会でのスピーチから (1989年5月28日、イギリス)
大聖人は「御義口伝」にこう仰せである。「我等が生老病死に南無妙法蓮華経と唱え奉るは併《しかしなが》ら四徳《しとく》の香《か》を吹くなり」(御書740㌻)――われわれが生老病死という人生の苦しみにさいして南無妙法蓮華経と唱えていくならば、妙法に荘厳された生命となり、「常」「楽」「我」「浄」の四徳のふくよかな芳香を漂わせることができる――。
四徳とは、人間として最高の境地であり、絶対的な自由、幸福を表示している。
「我」は、「真実の自己」つまり「大我」が享受する、宇宙大の自由の境涯といってよい。
「常」とは、不断に革新しゆく生の躍動であり、あらゆる行き詰まりを打破していく、生命の創造的な進化ともいえる。
また「浄」とは、大いなる生命の力の奔流によって、小我による狭いエゴイズムの汚濁を浄化する働きである。
そして「楽」とは、瞬間瞬間、ダイナミックに律動する生命の歓喜であり、周囲の人々にも喜びをあたえゆく円満なる人格にも通ずる。
こうして妙法に照らされた人格は、宇宙大の自由をはらむ「大我」の境地に立脚して、「小我」のエゴイスティックな方向に凝集していた欲望のエネルギー(煩悩)をも、質的に転換していく。つまり、煩悩のエネルギーをも輝ける英知と慈悲へ昇華しつつ、他者や共同体、社会など、個人を超えた次元へと力強く立ち向かっていくのである。
ここに「煩悩即菩提」の法理があり、「理想社会の建設」に取り組みながら、自他ともに真実の「人間完成」をめざしゆく道が、広々と、また晴ればれと開かれている。
「幸福」は、何によって決まるか。これが人生の根本問題である。
結論的にいえば、幸福のもっとも重要な要素、それは自分自身の内なる「境涯」である。
大いなる境涯の人は幸福である。広々とした心で、毎日を生きぬいていける。強き境涯の人は幸せである。苦しみにも負けることなく、悠々と一生を楽しんでいける。
深き境涯の人は幸せである。人生の深き味わいをかみしめながら、永遠にも通じゆく有意義な価値の歴史をつくりゆくことができる。
清らかな境涯の人は幸せである。その人のまわりには、つねにさわやかな喜びが広がっていく。
たとえ財産や地位等の面で恵まれていたとしても、「不幸」を実感している人は数限りなくいる。また、そうした環境はつねに変化し、いつまで良き状態が続くかわからない。
しかし、確立された自身の「幸福の境涯」は、だれ人も壊すことはできない。何ものも侵すことすらできない。こうした、生命の大境涯を建設することに、仏道修行の目的もある。
ともあれ、何があっても御本尊から離れてはいけない。信心の歩みを止めてはいけない。
人生の途上には、さまざまな苦難がある。行き詰まりもある。そのときにこそ、信心の心を強め、唱題に励んでいただきたい。宿命の山を登りきると、それまでは辛くとも、次は視界がパーッと開けていくものである。信心は、その繰り返しのようなものである。その究極として、永遠に崩れない絶対的幸福境涯につながっていく。
ともかく、信心の根を、強く、深く、張っておくことだ。根さえ張っておれば、たとえ風雪の時があったとしても、太陽の光が輝き、水分が与えられれば、必ずしだいしだいに大樹へと育っていく。信心と人生の歩みもまた同じである。どうか皆さま方は、この厳しき現実社会の中で、〝真実の仏教〟の証明者として、幸福の大光を朗らかに広げゆく勇者であっていただきたい。
2015-02-10 :
池田SGI会長指導選集 :
希望の虹 第11回 南アフリカ マンデラ元大統領
第11回 南アフリカ マンデラ元大統領 (2015.2.1付 少年少女きぼう新聞)
苦難は希望に変えられる!
新しい一年が始まって1カ月。
みんな、元気かな?
はりきって目標を立てたけど、「三日ぼうず」でとぎれてしまったという人もいるかもしれない。
でも、たとえ三日でも、がんばったことは、それだけ前進できたということです。だから、また、きょうから、挑戦すればいいんだ。
あきらめないチャレンジのくりかえしのなかで、強くなるんです。
本当に強い人というのは、たおれない人ではありません。何度、たおれても、また立ち上がって、前へ進んでいく人です。
その人間の「真の強さ」を示し切ってこられた偉人が、私も尊敬する、南アフリカ共和国のネルソン・マンデラ元大統領です。
* * *
マンデラさんの国・南アフリカは、長い間、まちがった法律で「白人が上」「黒人が下」と決められていました。その国を、だれもが同じ人間として平等に大切にされ、だれもが夢や目標をもって生きられる「虹の国」に変えることを目指して、立ち上がったリーダーが、マンデラ青年です。
そのために、いじめられ続け、自由をうばわれました。それでも、断じて負けませんでした。そして、自由を勝ち取り、黒人初の大統領となって、夢を実現したのです。
多くの人は、何十年も続いてきた差別をなくすのは「むりだ」「むずかしい」と思っていました。しかし、マンデラさんは、「必ずできる!」と心に決めていました。
あきらめない人には、希望がある。希望があるから、がんばれる。その人が、まわりに希望を広げるのです。
私は2度、お会いし、平和のために語り合いました。おととし、95歳で亡くなられましたが、マンデラさんの笑顔は、今も私たちの心にかがやきわたっています。
* * *
1918年の7月18日、マンデラ少年は、南アフリカの小さな村で生まれました。外で友だちと遊ぶのが大好きな、元気な男の子でした。
9歳のころ、お父さんが病気で亡くなったため、父親の友人のところへあずけられました。お母さんや妹たちと、はなれて暮らし、さびしい思いもしましたが、新しい家族や友だちと仲良くなり、すくすくと成長していきました。
しかし、そのころの南アフリカには、肌の色のちがいによる差別がありました。それは、マンデラさんの青年時代に「アパルトヘイト」という、もっときびしい「国のきまり」になってしまいます。
白人と黒人は、同じ所に住めない。結婚できない。黒人は教育も満足に受けられず、政治にも参加できませんでした。レストランや乗り物やトイレも別々。「黒人と犬は立ち入り禁止」という、ひどい、ひょうしきが立っている場所もありました。
マンデラ青年は、こうした差別を目の当たりにし、多くの正義の友と語り合いながら、平等を勝ち取るために、力をつけていきます。
学びに学んで弁護士となり、苦しんでいる人によりそいながら、行動を開始しました。そして “すべての南アフリカ国民の権利を守ろう” と人々に呼びかけ、連帯を広げていったのです。
しかし──白人の政府は、人々が団結するのをおそれました。抗議をするために集まった、武器を持たない人々に向かって、警官が銃をうち、死人やけが人が出るような、悲しい事件も起こりました。
世の中がくるっている時は、正義の人がいじめられます。
太平洋戦争中、民衆の幸福を訴えた創価学会の初代会長・牧口常三郎先生、第2代会長の戸田城聖先生も、正しいゆえに、ろうごくに入れられました。それでも、お二人は信念をつらぬき通して、牧口先生は、ろうごくで亡くなられたのです。
1962年、マンデラさんたちもまた、国家にさからった罪でたいほされ、裁判にかけられました。
マンデラさんは、そこで堂々と主張しました。
──南アフリカは、そこに住むすべての人々のためのものであり、この理想のために私は生きぬく。理想を実現するためなら、私は死ぬこともおそれない、と。
判決は、刑務所から一生、出られないという「終身刑」。マンデラさんが46歳の時のことでした。
刑務所の生活は、ひどいものでした。体の大きさに合わない服に、そまつな食事。ひとりぼっちにさせられ、お母さんが亡くなっても、息子を事故で亡くしても、お葬式にいけませんでした。
それでもマンデラさんは、屈しませんでした。大変になればなるほど、ほがらかでした。
なぜなら、「苦難は希望に変えられる」と信じていたからです。
マンデラさんは、ろうごくでも「通信教育」で、大学の勉強をしていきました。たくさんの本も読み続けました。人間は、どんな環境でも学ぶことができるのです。その姿は、困難ななかで学ぶ人々にとって、大きなはげましとなっています。
そうしたマンデラさんの生き方に、見はり役の看守たちでさえ、味方に変わっていきました。
入獄して16年後、マンデラさんは、ようやく娘のゼニさんと面会できました。彼女は産んだばかりの赤ちゃん、つまり、マンデラさんの孫を連れてきて、名前をつけてほしいと頼みました。
彼がつけた名前は「ザジウェ」。「希望」という意味でした。この子が大きくなるころには、差別が昔話になり、みんなが仲良く暮らす「虹の国」になっているという希望を、その名にたくしたのです。
* * *
断じて正義の戦いをやめないマンデラさんをはじめ、南アフリカの民衆の戦いは世界の人々の知るところとなり、政府へ、ひなんの声が続々とあがりました。その声におされて、政府はついに、マンデラさんをかいほうすることにしました。
じつに27年半、1万日におよぶろうごくでの戦いを勝ち越え、1990年2月11日に、マンデラさんは新たな一歩をふみ出しました。
私もひときわうれしく、そのニュースに大拍手を送りました。その日は、生きておられれば、私の師匠である戸田先生の “90歳” のお誕生日だったからです。(今年は生誕115年)。
マンデラさんは、その後、応援してくれた方々への感謝を伝えるために、世界を回りました。
私が初めてお会いしたのは、この年の10月。ろうごくで読んだ雑誌の中に私の言葉が紹介されていて、マンデラさんは私をごぞんじだったのです。
私は、多くの青年たちと熱烈に歓迎しました。72歳のマンデラさんは「英知の思想は不滅です」と出会いを喜ばれ、私たちは固い友情を結びました。
* * *
生きているかぎり、希望はあります。希望がなくなる時は、自分で自分のことを「もうダメだ」とあきらめた時だけです。
苦しみだって、成長するためのバネになる。もしも、希望がなければ、自分で希望をつくろう! 見つけよう!
マンデラさんは叫びました。
「人生最大の栄光は一度も転ばないことではなく、転ぶたびに立ち上がることにある」と。
ししの子のみなさんが一人ももれなく、希望あふれる人生を歩みゆくことを私は信じています。
日蓮大聖人は、「冬は必ず春となる」(御書1253㌻)とはげまされています。
君よ、あなたよ、平和な未来の春を呼ぶ、希望の太陽たれ!
苦難は希望に変えられる!
新しい一年が始まって1カ月。
みんな、元気かな?
はりきって目標を立てたけど、「三日ぼうず」でとぎれてしまったという人もいるかもしれない。
でも、たとえ三日でも、がんばったことは、それだけ前進できたということです。だから、また、きょうから、挑戦すればいいんだ。
あきらめないチャレンジのくりかえしのなかで、強くなるんです。
本当に強い人というのは、たおれない人ではありません。何度、たおれても、また立ち上がって、前へ進んでいく人です。
その人間の「真の強さ」を示し切ってこられた偉人が、私も尊敬する、南アフリカ共和国のネルソン・マンデラ元大統領です。
* * *
マンデラさんの国・南アフリカは、長い間、まちがった法律で「白人が上」「黒人が下」と決められていました。その国を、だれもが同じ人間として平等に大切にされ、だれもが夢や目標をもって生きられる「虹の国」に変えることを目指して、立ち上がったリーダーが、マンデラ青年です。
そのために、いじめられ続け、自由をうばわれました。それでも、断じて負けませんでした。そして、自由を勝ち取り、黒人初の大統領となって、夢を実現したのです。
多くの人は、何十年も続いてきた差別をなくすのは「むりだ」「むずかしい」と思っていました。しかし、マンデラさんは、「必ずできる!」と心に決めていました。
あきらめない人には、希望がある。希望があるから、がんばれる。その人が、まわりに希望を広げるのです。
私は2度、お会いし、平和のために語り合いました。おととし、95歳で亡くなられましたが、マンデラさんの笑顔は、今も私たちの心にかがやきわたっています。
* * *
1918年の7月18日、マンデラ少年は、南アフリカの小さな村で生まれました。外で友だちと遊ぶのが大好きな、元気な男の子でした。
9歳のころ、お父さんが病気で亡くなったため、父親の友人のところへあずけられました。お母さんや妹たちと、はなれて暮らし、さびしい思いもしましたが、新しい家族や友だちと仲良くなり、すくすくと成長していきました。
しかし、そのころの南アフリカには、肌の色のちがいによる差別がありました。それは、マンデラさんの青年時代に「アパルトヘイト」という、もっときびしい「国のきまり」になってしまいます。
白人と黒人は、同じ所に住めない。結婚できない。黒人は教育も満足に受けられず、政治にも参加できませんでした。レストランや乗り物やトイレも別々。「黒人と犬は立ち入り禁止」という、ひどい、ひょうしきが立っている場所もありました。
マンデラ青年は、こうした差別を目の当たりにし、多くの正義の友と語り合いながら、平等を勝ち取るために、力をつけていきます。
学びに学んで弁護士となり、苦しんでいる人によりそいながら、行動を開始しました。そして “すべての南アフリカ国民の権利を守ろう” と人々に呼びかけ、連帯を広げていったのです。
しかし──白人の政府は、人々が団結するのをおそれました。抗議をするために集まった、武器を持たない人々に向かって、警官が銃をうち、死人やけが人が出るような、悲しい事件も起こりました。
世の中がくるっている時は、正義の人がいじめられます。
太平洋戦争中、民衆の幸福を訴えた創価学会の初代会長・牧口常三郎先生、第2代会長の戸田城聖先生も、正しいゆえに、ろうごくに入れられました。それでも、お二人は信念をつらぬき通して、牧口先生は、ろうごくで亡くなられたのです。
1962年、マンデラさんたちもまた、国家にさからった罪でたいほされ、裁判にかけられました。
マンデラさんは、そこで堂々と主張しました。
──南アフリカは、そこに住むすべての人々のためのものであり、この理想のために私は生きぬく。理想を実現するためなら、私は死ぬこともおそれない、と。
判決は、刑務所から一生、出られないという「終身刑」。マンデラさんが46歳の時のことでした。
刑務所の生活は、ひどいものでした。体の大きさに合わない服に、そまつな食事。ひとりぼっちにさせられ、お母さんが亡くなっても、息子を事故で亡くしても、お葬式にいけませんでした。
それでもマンデラさんは、屈しませんでした。大変になればなるほど、ほがらかでした。
なぜなら、「苦難は希望に変えられる」と信じていたからです。
マンデラさんは、ろうごくでも「通信教育」で、大学の勉強をしていきました。たくさんの本も読み続けました。人間は、どんな環境でも学ぶことができるのです。その姿は、困難ななかで学ぶ人々にとって、大きなはげましとなっています。
そうしたマンデラさんの生き方に、見はり役の看守たちでさえ、味方に変わっていきました。
入獄して16年後、マンデラさんは、ようやく娘のゼニさんと面会できました。彼女は産んだばかりの赤ちゃん、つまり、マンデラさんの孫を連れてきて、名前をつけてほしいと頼みました。
彼がつけた名前は「ザジウェ」。「希望」という意味でした。この子が大きくなるころには、差別が昔話になり、みんなが仲良く暮らす「虹の国」になっているという希望を、その名にたくしたのです。
* * *
断じて正義の戦いをやめないマンデラさんをはじめ、南アフリカの民衆の戦いは世界の人々の知るところとなり、政府へ、ひなんの声が続々とあがりました。その声におされて、政府はついに、マンデラさんをかいほうすることにしました。
じつに27年半、1万日におよぶろうごくでの戦いを勝ち越え、1990年2月11日に、マンデラさんは新たな一歩をふみ出しました。
私もひときわうれしく、そのニュースに大拍手を送りました。その日は、生きておられれば、私の師匠である戸田先生の “90歳” のお誕生日だったからです。(今年は生誕115年)。
マンデラさんは、その後、応援してくれた方々への感謝を伝えるために、世界を回りました。
私が初めてお会いしたのは、この年の10月。ろうごくで読んだ雑誌の中に私の言葉が紹介されていて、マンデラさんは私をごぞんじだったのです。
私は、多くの青年たちと熱烈に歓迎しました。72歳のマンデラさんは「英知の思想は不滅です」と出会いを喜ばれ、私たちは固い友情を結びました。
* * *
生きているかぎり、希望はあります。希望がなくなる時は、自分で自分のことを「もうダメだ」とあきらめた時だけです。
苦しみだって、成長するためのバネになる。もしも、希望がなければ、自分で希望をつくろう! 見つけよう!
マンデラさんは叫びました。
「人生最大の栄光は一度も転ばないことではなく、転ぶたびに立ち上がることにある」と。
ししの子のみなさんが一人ももれなく、希望あふれる人生を歩みゆくことを私は信じています。
日蓮大聖人は、「冬は必ず春となる」(御書1253㌻)とはげまされています。
君よ、あなたよ、平和な未来の春を呼ぶ、希望の太陽たれ!
2015-02-04 :
希望の虹 :