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第40回「SGIの日」記念提言 「人道の世紀へ 誓いの連帯」

第40回「SGIの日」記念提言 (1015.1.26)

 きょう26日の第40回「SGI(創価学会インタナショナル)の日」に寄せて、池田大作SGI会長は「人道の世紀へ誓いの連帯」と題する提言を発表した。提言ではまず、国連で採択予定の新しい国際目標に言及し、その挑戦を軌道に乗せる鍵として、①政治と経済の再人間化、②エンパワーメント(内発的な力の開花)の連鎖、③差異を超えた友情の拡大、の3点を提起。仏法の「中道」の思想と「維摩経」の逸話や、ガンジーとマンデラ元大統領の生き方などを踏まえつつ、すべての人々の尊厳が輝く世界を築くための視座を浮き彫りにしている。続いて、地球上から悲惨の二字をなくすために行動の共有が急務となる課題として、戦後最大の規模に達した難民や国際移住者が直面する厳しい状況に触れ、その改善を新しい国際目標の項目に盛り込むことや、難民のエンパワーメントを近隣諸国で共同で行う仕組みの整備を呼び掛けている。次に、核兵器の非人道性をさまざまな角度から掘り下げ、核拡散防止条約(NPT)に基づき、核兵器ゼロに向けた義務の履行を図る「NPT核軍縮委員会」の新設を提唱。広島と長崎への原爆投下70年を機に「核兵器禁止条約」の交渉に着手し、締結に向けて日本が積極的な役割を果たすことを訴えている。最後に、持続可能な地球社会の建設を展望し、モデル地域づくりを日本と中国と韓国で進めることを提案。「日中韓首脳会談」を早期に再開し、地域協力と青年交流の大幅な拡充を目指すことを呼び掛けている。

「人道の世紀へ 誓いの連帯」

地球上から悲惨の二字なくす
平和の波動を民衆の手で‼


 SGIの発足40周年を記念して、平和と人道の波動を民衆の連帯で広げ、地球上から悲惨の二字をなくすための方途を展望したいと思います。

創設70年迎える国連の新たな取り組み

新しい国際目標が目指す方向性
 未来は、今この瞬間に生きる人々の誓いの深さで決まります。たとえ自らが試練に見舞われたとしても、「同じ苦しみを他の誰にも将来の世代にも味わわせない」道を開く力が、人間には具わっています。
 創設以来70年、グローバルな諸課題に立ち向かうために活動の地平を広げてきた国連で、今、注目すべき動きがみられます。
 貧困や飢餓などに直面する人々の状況の改善を目指してきた国連の「ミレニアム開発目標」に続く、新たな枠組みの検討が進む中、「持続可能な開発目標」に関するオープン作業部会が昨年7月、国連総会に目標案を提出しました。
 特筆すべきは、「あらゆる場所で、あらゆる形態の貧困に終止符を打つ」「すべての年齢の人々の健康な生活を確保し、福祉を推進する」などの項目が掲げられているように、すべての尊厳が一切の例外なく守られるべきとの方向性が打ち出されている点です。
 極度の貧困状態にある人が7億人減少し、初等教育の男女格差が大幅に解消されるなど、国連の「ミレニアム開発目標」は、一定の成果を上げてきました。しかし、改善の波が思うように広がらない地域や、取り残された人々への対応は積み残されています。
 作業部会の目標案は、その課題を念頭に置き、外してはならない一点を明確にした意義があります。
 私もこれまでの提言などで、誰も置き去りにしないことを、「ポスト2015開発アジェンダ」と呼ばれる新しい国際目標の基調にするよう、繰り返し訴えてきただけに、心から賛同するものです。

戸田第2代会長の地球民族主義
 思い返せば、私の師である創価学会の戸田城聖第2代会長は、ハンガリー動乱=注1=で塗炭の苦しみを味わった人々に思いをはせ、「世界にも、国家にも、個人にも、『悲惨』という文字が使われないようにありたい」(『戸田城聖全集第3巻』)と呼び掛けたことがありました。
 人権運動の指導者マーチン・ルーサー・キング博士の言葉に、「正義とは分割できないもの」(『良心のトランペット』中島和子訳、みすず書房)とありますが、戦時中の日本で思想統制に抗して、牧口常三郎初代会長と共に投獄された戸田会長にとっても思いは同じでした。
 自分たちだけの平和と安寧も、自分たちだけの繁栄と幸福もないと考えていたからです。
 朝鮮戦争が激化した時も、「夫を失い、妻をなくし、子を求め、親をさがす民衆が多くおりはしないか」(『戸田城聖全集第3巻』)と、わが事のように案じていました。
 すべての立脚点は、民衆の苦しみに同苦する精神にあったのです。
 ゆえに戸田会長は、どの国で暮らし、どの民族に属しようと、人間には誰しも平和で幸福に生きる権利があると、「地球民族主義」のビジョンを提唱しました。その骨格をなす“地球上から悲惨の二字をなくしたい”との戸田会長の熱願こそ、私どもSGIが、国連支援を柱とする平和・文化・教育の運動の源流としてきたものなのです。
 “あらゆる場所”や“すべての人々”との包摂性を「ミレニアム開発目標」の後継枠組みの基盤に据え、さらなる協力の強化を図ることは、困難に満ちた道のりかもしれません。
 しかし、国連憲章の精神──「戦争の惨害から将来の世代を救い」「基本的人権と人間の尊厳及び価値」に関する信念を再確認し、「すべての人民の経済的及び社会的発達を促進する」との誓約が刻まれた前文に立ち返り、そこに記された「将来の世代」や「人間」や「すべての人民」には、例外などなかったことを、今一度、想起すべきではないでしょうか。
 そこで今回は、国連の新しい国際目標を軌道に乗せ、地球上から悲惨の二字をなくす取り組みを加速させるために、鍵を握ると思われるアプローチについて、三つの観点から提起したいと思います。

苦しみ抱える人々の目線に立った政治と経済の再人間化を

世界人権宣言が明確にした役割
 第一は、悲惨を生む要因を取り除くための「政治と経済の再人間化」です。
 昨年8月、私の創立した戸田記念国際平和研究所が、トルコのイスタンブールで上級研究員会議を開催しました。
 会議では、シリアでの内戦、イスラエルとパレスチナの紛争、イラクやウクライナをめぐる情勢、東アジアで高まる緊張などについて、事態の悪化を招いてきた要因を探る一方、世界で芽生え始めている希望的な要素に着目し、その動きを強めるための課題について意見交換を行いました。
 そこで、「国連などの国際機関の強化」や「他者の痛みへの想像力と時代を開く創造性を持った青年の育成」などと併せて、重要な課題として浮かび上がったのが、政治の主眼を一人一人の人間の苦しみを取り除くものに向け直す「政治の再人間化」です。
 国連憲章や世界人権宣言などで、基本的人権を守る役割が明確にされたはずの国家が、人々の生命や尊厳を脅かす事態を引き起こしてしまうケースが、しばしばみられます。
 この問題をめぐっては、私も、会議を主宰した平和学者のケビン・クレメンツ博士(同研究所総合所長)と語り合いました。
 その最たるものが紛争で、第2次世界大戦以降、紛争と完全に無関係だったのは、一握りの国にすぎないといわれます。
 また、安全保障を理由に人権を制限したり、国力の増強を優先するあまり、弱い立場にある人々への対応が後回しになって、窮状がさらに深まるような場合も少なくありません。
 加えて近年、災害や異常気象など、大勢の人々が突然、困窮の危機にさらされる事態が相次いでおり、そうした状況に政治が真剣に向き合うことが、強く求められています。
 同様の懸念は、経済にも当てはまります。
 以前、ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇が、「路上生活に追い込まれた老人が凍死してもニュースにはならず、株式市場で二ポイントの下落があれば大きく報道されることなど、あってはならない」(『使徒的勧告 福音の喜び』カトリック中央協議会)と訴え、経済のあり方に警鐘を鳴らしたことが話題となりました。
 実際、経済成長率をはじめとするマクロ指標の動向ばかりが注視される中で、ともすれば、現実の社会で生きている一人一人の生命と尊厳と生活が隅に追いやられ、経済の活力を高める施策が人々の生きづらさの改善につながっていない面もみられます。

安心の拠り所をつくり出す働き
 そもそも、政治を意味する英語のポリティクスが、ギリシャ語の「ポリテイア(市民国家のあり方)」などから派生し、経済という言葉も、「経世済民」に由来するように、民衆が幸福に生きる社会を築くことに元意があったはずです。
 ところが現代では、その元意がいつしか抜け落ち、政治や経済を突き動かす行動原理が、厳しい境遇にある人々をかえって苦しめてしまうような状態が生じてはいないでしょうか。
 この問題を考える時、私が想起するのは、原始仏教で、釈尊が人間の生きる道の根本として強調していた「ダルマ」です。
 ダルマとは、サンスクリット語で“たもつもの”を意味する「ドフリ」からつくられた言葉で、漢訳仏典では「法」、もしくは「道」と訳されてきました。
 つまり、一人一人の人間には、自分自身を“たもつもの”がなければならず、「人間として守らねばならない道筋」がある。それを、ダルマと呼んだのです(中村元『原始仏典を読む』を引用・参照、岩波書店)
 政治や経済が、時代の変遷につれて様相を変化させるのは、ある意味で当然だったとしても、そこには、曲げてはならない原則や、無視してはならない基準があるはずです。その根本を貫くダルマに則って生き抜くことを促した釈尊は、最晩年の説法で、ダルマを「洲」に譬えました。
 つまり、洪水が発生し、あたり一面が水没しそうな時に、人々の命を守り、安心の拠り所となる「洲」に譬えることで、ダルマの働きが実際の社会でどのように現れるかを、分かりやすく示したのです。
 その譬えを敷衍すれば、政治と経済が本来担うべき役割も、社会が試練に直面した時に一人一人の民衆、なかんずく最も弱い立場にある人々のために「安心の拠り所」をつくり、「生きる希望」を取り戻すための足場を築くことにあるといえないでしょうか。
 政治の成り立ちを民衆の目線から見つめ返してみれば、その源流には、投票などを通じて「少しでも社会をよくしたい」との祈りにも似た思いがあるはずであり、経済の源流にも、仕事などを通して「少しでも社会の役に立ちたい」との種蒔く人の思いが息づいているはずです。
 にもかかわらず、それがマクロの規模になると、政治の世界で民主主義の赤字(多くの民意があっても政策に反映されない状況)が発生したり、経済の世界でマネー資本主義の暴走(実体経済の規模をはるかに超える金融市場での過剰な投機が、実体経済に破壊的なダメージを及ぼす事態)が起きてしまっている。

ガンジーの信条と仏法の「中道」思想
 そうした事態に歯止めをかけて、政治や経済の軌道修正を図るには、どのような原則に立ち返ることが必要なのか──。
 私は、マハトマ・ガンジーが友人に贈った次の言葉を、一つの手掛かりとして挙げたいと思います。
 「これまでに会った中で最も貧しく、最も無力な人の顔を思い出して下さい。そしてあなた自身に次のように問いかけて下さい。自分がしようと思っていることは彼の役に立つだろうか?」(『私にとっての宗教』竹内啓二ほか訳、新評論)
 つまりガンジーが、重大な判断を下す時に忘れてはならない点として促したのは、政治の力学でもなければ、経済の理論でもない。自分と同じ世界に生き、苦境に陥っている人々の姿にあったのです。私はここに、仏法が説く「中道」の思想と通底するものを感じてなりません。
 「中道」とは、単に極端な考えや行動を排することではなく、“道に中る”と読むように、自分の判断や行動が「人間としての道」に反していないかどうか、常に問い直しながら、自分の生きる証しを社会に刻み続ける生き方に本義があるといえます。
 その意味では、釈尊が最晩年の説法で“ダルマ(法)を洲とせよ”と強調した際、“一人一人が自分自身を拠り所とせよ”と同時に促していた点は、「中道」の本義を示唆したものとも解されましょう。
 自らを拠り所にするといっても、自分本位の欲望のままに振る舞うといった意味では決してない。仏教学者の中村元博士は、釈尊の真意を、「だれの前に出しても恥かしくない立派な、本当の自己というものをたよること」(前掲『原始仏典を読む』)と提起しましたが、私も深く同意します。
 一人一人が、自分の行動によって影響を受ける人々の存在を思い浮かべ、その重みを絶えず反芻しながら、「本当の自己」を顕現する手掛かりとし、人間性を磨いていく。その営みが積み重ねられる中で、政治や経済のあるべき姿への問い直しも深まり、再人間化に向けた社会の土壌が耕されていく──。「中道」の真価は、この変革のダイナミズムにこそあると、私は強調したいのです。

牧口初代会長が尋問で訴えた信念
 自らの決断が時として、社会の空気や時流に逆らうものと非難される場合があるかもしれない。それでもなお、信念を貫き通さなければ「不善」となり、結果的に多くの人々を苦しめる「大悪」を招くことになると訴えたのが、創価学会の牧口初代会長でした。
 第2次世界大戦中の日本で思想統制を強行する軍部ファシズムに対し、牧口会長はその誤りを正すべく行動を続けました。
 会合を監視され、機関紙も廃刊に追い込まれ、ついに投獄された牧口会長は、当局の尋問に対し、次のように主張していたことが記録に残されています。
 「世間的な毀誉褒貶等に気兼して悪くはないが、善もしない所謂世間並に暮せばそれで足れりとして、小善に止まり甚しきに至っては法律に触れさえしなければ何をしても良いと謂う生活を総べて謗法と申します」(『牧口常三郎全集第10巻』第三文明社、現代表記に改めた)
 「謗法」とは一般的に、仏教の教えに反し、それを破ることを意味しますが、牧口会長の言葉には、より広い意味での「人間としての道」に反することへの問い直しが込められていたといえましょう。
 翻って現代、政治と経済の影響によって悲惨な事態が生じる背景には、「法律に触れさえしなければ何をしても良い」といった、他者の痛みを顧みない自己正当化の風潮が強まっていることが、往々にしてあるのではないでしょうか。
 その風潮が続く限り、一時的に繁栄を謳歌できているようにみえても、後に残るのは“わが亡き後に洪水よ来たれ”という身勝手さが招く悲惨ばかりで、「持続可能性の追求」など望み得べくもありません。

一人一人の意識変革が社会を変える原動力に

未来の鍵を握る5%の人々の力
 こうした事態を防ぐには、政治と経済の主眼を絶えず“人々の苦しみを取り除くこと”へ向け直す──すなわち、「政治と経済の再人間化」の回路を社会にビルトインする(組み込む)挑戦が必要です。
 その動きは、すでにいくつか生まれており、例えば政治の分野では、国連人権理事会などが呼び掛けてきた「国内人権機関」が110カ国に広がっています。
 人権に関する法制度や人権教育などの推進を確保するための国内機関で、私も1998年の提言で、NGO(非政府組織)との建設的なパートナーシップを目指す中で、より望ましい機関のあり方を模索することを提唱してきました。
 また経済の分野では、昨年5月、EU(欧州連合)加盟国の中で11カ国が「金融取引税」を共同導入することに合意しました。
 マネーゲームの過熱が金融危機を引き起こし、世界経済に深刻な打撃を与えた2008年のリーマン・ショックの教訓を踏まえ、金融取引に一定の課税を行い、過剰な投機の抑制と租税を通じた再分配を目指すもので、明年からの制度開始が予定されています。
 私は6年前の提言で、この取引税をはじめ、各国がアイデアを競いながら、「ミレニアム開発目標」を促進する国際連帯税の輪を広げることを呼び掛けましたが、今後、国連の新目標を推進するにあたり、その必要性はさらに増しているのではないでしょうか。
 こうした「政治と経済の再人間化」の最大の原動力となるのが、人間として譲れない一線に基づき、声を上げる民衆の連帯です。
 牧口会長も、「社会の精神とはいえども各個人を離れて存在するにあらず」として、一人一人の意識変革が「相伝播し、連絡し、遂に社会の全員に及ぼし、以って大なる社会精神なるもの生ずるなり」と強調しました(『牧口常三郎全集第2巻』第三文明社、現代表記に改めた)
 以前、この社会変革の方程式をめぐり、平和学者のエリース・ボールディング博士と語り合った際、「共同体を構成する一人一人の成長に全力を傾注していく以外に、平和で健全な地球の未来は見えてこない」(『「平和の文化」の輝く世紀へ!』、『池田大作全集第114巻』所収)と、博士が強調していたことが忘れられません。
 それだけに、博士がある時に述べていた、「本当に未来の社会の動向を決定するのは、わずか5%の、活動的で献身的な人々の力なのです。その5%の人々が、やがて文化の総体を変革していくのです」との言葉が、希望のメッセージとして胸に迫ってきます。
 「政治と経済の再人間化」を前進させる鍵は、人数の多寡ではなく、連帯の底深さにあります。誰の身にも悲惨が及ぶことを望まない民衆の連帯を、国内でも国際社会でも築くことが、時代変革の波を大きく形づくるのです。

同苦と励ましの心の通い合いが自他共の尊厳を照らす光に

経済的な困窮と社会的な孤立
 第二は、苦しみを共に乗り越えるための「エンパワーメント(内発的な力の開花)の連鎖」です。
 東日本大震災をはじめ、中米ハイチでの地震やフィリピンを襲った台風など、近年、災害や異常気象が、世界各地に深刻な被害をもたらしています。
 20年前には阪神・淡路大震災が、10年前にはスマトラ沖地震とインド洋大津波があったように、災害は常に世界にとって重大な人道問題となってきました。
 国連の統計によれば、2013年だけでも、世界で2200万人が避難生活を余儀なくされ、その数は、紛争で家を追われた人の3倍にも及ぶといいます。
 家を失う深い悲しみ──振り返れば私の家族も、戦時中、父の病気や兄たちの相次ぐ出征で経済状況が悪化し、生家を手放さざるを得なくなったことがあります。転居先の家も、空襲の類焼防止を理由に取り壊され、次の移転先も、引っ越した直後に焼夷弾が命中して全焼しました。
 そうした体験からも、愛する人を失い、住み慣れた場所を離れざるを得なくなった方々の無念さや悲しみは、いかばかりかとの思いが募ります。それは、「自分が生きてきた世界を失う苦しみ」にほかならず、復興の真の課題は、被災した人たちが一人残らず「生きる希望」を取り戻せるよう、社会で支え続けることにあると思えてなりません。
 その上で私が提起したいのは、災害のような緊急時に顕著となる“居場所や安心の拠り所を失う悲しみ”は、目立たないながらも社会で日常的に生じており、多くの人々を苦しめる悲惨でもあることです。
 実際、日本をみても、65歳以上の高齢者の2割が貧困状態に置かれ、食事さえ十分にとれないなど、貧困に苦しむ子どもも6人に1人の割合に達しています。
 その多くが「経済的な困窮」に加えて、「社会的な孤立」という二重苦にさいなまれています。
 問題を打開する糸口を探るにあたり、私が着目するのは、アメリカの政治哲学者マーサ・ヌスバウム博士の考察です(『正義のフロンティア』神島裕子訳、法政大学出版局)
 社会契約説=注2=などの伝統的な理論が、高齢者や子ども、女性、障がいのある人などを、対象に入れずに構想されてきたことを指摘する博士は、こうした人々の苦しみが見過ごされがちな要因の一つとして、功利主義を挙げ、その危険性をこう述べています。
 「ある個人の大いなる苦痛と窮乏は、複数の人びとの幸運がそれに超過することで相殺されうる。ここでは各人の人生は一度きりであるという、もっとも重要な道徳的事実が、ぬぐいとられている」
 そこで博士は、「相互有利性」(互いの存在が利益を生むこと)を社会の唯一の基本原理であるかのように考える発想から脱却し、誰も排除しない「人間の尊厳」に基づく社会の再構築を呼び掛けました。
 そしてまた、どのような人であっても、病気、老齢、事故などで、他の人々の支えを絶対的に必要とする状況が生じかねないという現実を見つめ、社会の軌道修正がすべての人々に深く関わる課題であることに思いをいたすべきであると、強調しています。

「生老病死」への仏法のまなざし
 このヌスバウム博士の問題提起は、釈尊が出家を決意する機縁になったとされる四門遊観=注3=の逸話に象徴されるように、生老病死に伴う苦しみにどう向き合うかを根本課題としてきた、仏法のまなざしにも相通じるものです。
 ここで私が強調したいのは、釈尊がこの時、胸を痛めたのは、老いや病気そのものがもたらす苦しみにとどまらず、道端で孤独に死を迎えなければならない人や、誰からの世話も受けられずに病に伏す人の姿──つまり、周囲との関わりが断たれてしまい、独りで苦しみを抱えている状況に、深く胸を痛めたのではないかという点です。
 実際、釈尊が教法に努める傍ら、自ら足を運んで介護や看病にあたったのは、そのような人々に対してでした。弟子たちにも、黙って見過ごすことを厳しく戒めていたのです。
 「事がおこったときに、友だちのあるのは楽しい」(『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳、岩波書店)との教えもありますが、病気になろうと高齢になろうと生命の尊さに変わりはない。にもかかわらず、周囲から疎外され、自分をありのままに受け止めてくれるつながりを得られず、苦しさばかりが募る状況を、釈尊は看過できなかったのです。
 大乗仏教では、生命と生命が織り成す連関性によって世界の森羅万象が形づくられるという縁起の法理が説かれます。その連関性を通じて、自分の生命も相手の生命も尊厳の輝きで照らし合うことができ、病気や老いさえも、人生を荘厳する糧に昇華できる、と。
 しかし、その連関性はおのずとプラスの方向に転じるのではなく、「鏡に向って礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり」(御書769㌻)とある通り、他者の尊厳を自己の尊厳と同様にかけがえのないものと感じ、大切にしたいと願う思いがあってこそ、初めてギアが入る。そして、そこで交わされる涙や笑顔が、そのまま、「生きる勇気」を灯し合うのです。
 「アイデンティティー」の概念を提唱したことで知られる心理学者のエリク・エリクソンは、縁起のダイナミズムにも通じる視座を、次のように描いていたことがあります。
 「『共に生きる』というのは、単なる偶然のつながりという意味ではない」
 「一方が動くと、他方も動く歯車のように噛み合いながらすすみいくものである」(『洞察と責任』鑪幹八郎訳、誠信書房)
 そこで私は、エリクソンの思想を交えながら、縁起が生み出す無限の可能性をさらに浮き彫りにしてみたいと思います。
 すなわち、苦しみを抱えた人自身が、自らの尊厳を輝かせることを通じて、地域や社会を照らす「エンパワーメント」の担い手として、いかに力を発揮できるかというテーマです。

ボールディング博士の晩年の姿
 まず、一つめの鍵は、「成熟した人間は必要とされることを必要とする」(『幼児期と社会1』仁科弥生訳、みすず書房)との思想です。
 この言葉を、私なりに読み解くと、次のような光景が想起されます。
 人間はどんな状況にあっても、誰かに必要とされていることを実感した時、相手の気持ちに応えたいとの思いがわき上がってくる。その思いの高まりが、生命に具わる内発的な力を呼び覚まし、尊厳の光を灯すエネルギーになっていく。
 この点を考えるにつけ、思い浮かぶのは、先ほど言葉を紹介した平和学者エリース・ボールディング博士の晩年の姿です。
 ──博士が亡くなられる数年前、SGIのメンバーが訪問した時、80歳を過ぎていた博士は、「最近は、自分の本を書くような力はもう出せないけれど、仲間や後輩が出す本に序文を寄せるぐらいはできます。だから、どれだけ依頼が来ても、一生懸命、書くように努力しています」と近況を語ったそうです。
 病気を患い、介護施設に入所してからも、「たとえ行動できなくても、自分に何ができるのか」との思いをめぐらしながら、毎日を送りました。
 見舞いに訪れた弟子のクレメンツ博士にも、「微笑みを忘れず、皆を称え、医療関係者の思いやりに感謝を述べることなどを通して、周りの人を幸せにすることは可能だと思う」と声を掛けたといいます。
 そして、亡くなられる直前も、かつて自宅を訪問した人たちを真心で出迎えていた時と同じように、見舞いに訪れた人たちに「美しいもてなしの心」を発揮しておられた、と。
 このように、どんな状況に置かれても、その人自身の存在を通して「つながり」が保たれている限り、周囲の人々が少しでも幸福な時間を過ごすことができ、人間性の輝きを増すようにできる。そして、その時間を通して、自分の心を相手の心に灯し、「生きてきた証し」を周囲に伝え残すことができる──。
 この生命の尊い輝きに、私は、いついかなる時でも人間が発揮できるエンパワーメントの偉大な力をみる思いがするのです。

勇気の連鎖を広げるSGIの体験談運動

人生の出来事の意味を練り直す
 二つめの鍵は、人生の意味を紡ぎ直す営みが、悲惨の拡大を防ぎ、連鎖を断つ力となると、エリクソンが考えていたことです。
 人生はやり直せない。しかし、その歩みを他の人に「語り直す」ことで、過去の出来事に新たな意味づけを行い、「練り直す」ことができる。その可能性に、エリクソンは人生の希望を見いだそうとしました(鈴木忠・西平直『生涯発達とライフサイクル』東京大学出版会、参照)
 この可能性は、私どもSGIが、信仰活動における大切な基盤としてきた体験談運動を通し、メンバーの一人一人が日々実感し、確信として深め合ってきたものにほかなりません。
 それは、牧口初代会長の時代以来、「座談会」という少人数の集いを中心に行ってきた伝統です。
 人生の喜びや生きがいはもとより、家族の喪失、病気や経済苦、仕事や家庭の悩みをはじめ、差別や偏見などに直面してきた体験を赤裸々に語り合うことで、「一人一人が生きてきた人生の重みとかけがえのなさ」を皆で一緒に受け止める場となってきました。
 人生の喜びや悲しみに共に涙し、悩みを懸命に乗り越えようとする姿を全力で励ます。その体験の分かち合いを通し、体験の語り手は、どんな出来事も“今の自分を形づくる上で欠くことのできない一里塚”であったことに思いをはせ、今後の人生を切り開く糧へと転じることができる。
 聞き手もまた、自分が抱える課題に立ち向かう勇気を、体験からくみ取り、わき立たせることができる。こうした同苦に基づく「エンパワーメントの連鎖」を、私たちは信仰を通して広げてきたのです。
 その上で強調したいのは、エリクソンが自らの哲学の生きたモデルとしてガンジーに着目し、評伝まで手がけて描き出したように、苦悩を抱えながらも、それを使命に変えた一人の人生の物語(生きざま)は、国境を超え、世代を超えて、多くの人々に「希望と勇気の波動」を広げていくという点です。
 評伝では、ガンジーのもとに集った若者たちの姿が、「打ち棄てられた者、迫害された者に対する、若い頃からの心痛む関心──それは初め彼らの家庭内にとどまっていたが、次第に広範囲にわたる強烈な関心になっていった──によって一つに結ばれていたように思われる」(『ガンディーの真理2』星野美賀子訳、みすず書房)とつづられています。
 それは、ガンジーを突き動かしていた精神と同根だったに違いありません。
 青年時代に受けた人種差別をきっかけに、南アフリカで人権闘争を開始し、インドでも非暴力闘争に挺身したガンジーの最大の願いは、人々が一人残らず抑圧から解放されることにありました。その尽きせぬ情熱が、若者たちにも深い感化を与えたのです。
 その生きざまは、ガンジーが逝去した後も、キング博士や南アフリカのマンデラ元大統領をはじめ、人間の尊厳のために闘う人々にとっての“導きの星”となってきました。
 マンデラ氏と再会した時(1995年7月)、私がガンジーの生誕125年を記念し寄稿した学術誌に、氏もガンジーの獄中闘争に関する論文を寄せていたことが話題になりました。
 その氏の論文には、「今世紀の初頭、囚人ガンジーも、その苦しみに耐えた。時代は離れているが、ガンジーと私との間には、ひとつの絆がある。それは共通の獄中体験であり、不当な法律への抗議であり、平和と和解への私たちの志が、暴力によって脅かされたという事実である」と、記されていました。
 マンデラ氏が27年半に及ぶ獄中闘争を勝ち越えることができたのも、自分と同じ茨の道を歩んでいた先人ガンジーの存在が、大きな心の支えとなっていたからではないでしょうか。
 今から半世紀前、私がライフワークとしてきた小説『人間革命』の執筆を開始するにあたり、主題をこうつづりました。
 「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」
 この主題とも響き合う、国境を超える空間的広がりと、世代を超える時間的広がりにこそ、「エンパワーメントの連鎖」が持つ可能性の真骨頂があるのではないでしょうか。

「平和の文化」築く挑戦を
排除の思想からの脱却が課題


個々の人権侵害を決して見逃さない
 第三は、共生の世界を築くための「差異を超えた友情の拡大」です。
 近年、紛争や内戦の様相に大きな変容がみられるようになる中で、新たな懸念が高まっています。
 例えば、当事者以外に他の国や集団が関わる「国際化した国内紛争」の割合が増える中、シリアでの内戦などのように停戦や和平が難しくなってきています。
 加えて、軍事行動の目的が、クラウゼヴィッツの『戦争論』で説かれていたような“力によって相手に自分たちの意志を認めさせる”という伝統的なものから、“敵とみなした集団の排除を進めること”へと重心が移る傾向がみられることも指摘されます。
 また、遠隔攻撃などによって、子どもを含む一般市民を巻き込んでしまう事態が、紛争地域で多発するようになっています。
 敵とみなす集団に属している人々も、自分と同じ「人間」であり、「生存の権利」があるのではないか──そんなためらいさえ、介在する余地が失われつつある状況の行き着く先は、一体何か。強い懸念を感じてなりません。
 いずれにしても、兵器の飛躍的な発達と、排除の思想が相まって引き起こされる惨劇は、国際人道法のみならず、「人間としての道」に照らして許されるものではないと思います。
 その意味で、昨年、国連で殺人ロボット兵器に関する議論が始まりましたが、紛争の現実は“戦闘の自動化”の一歩手前にまで進もうとしている実態に、目を向ける必要があるのではないでしょうか。
 それと同時に、留意しなければならないのは、排除の思想が紛争地域だけでなく、世界の多くの場所で広がっていることです。
 国連も2年前から「人権を最優先に」と題するイニシアチブを開始し、個々の人権侵害を警鐘として受け止め、大規模な残虐行為や戦争犯罪に発展する前に、できるだけ早く対処することを呼び掛けています。
 昨今、多くの国々で社会問題になっているヘイトスピーチ(差別扇動)は、ヘイトクライム(憎悪犯罪)のような直接的な暴力を伴わないものの、明確な憎悪に基づいて他者を意図的に傷つけるという点で、根は同じであり、どの集団に対するものであろうと、決して放置してはならない人権侵害です。
 そもそも、差別に基づく暴力や人権抑圧が、自分や家族に向けられることは、誰もが到底受け入れられないもののはずです。
 しかしそれが、異なる民族や集団に向けられた時、バイアス(偏向)がかかり、“彼らが悪いのだからやむを得ない”といった判断に傾く場合が少なくない。事態のエスカレートを問題の端緒で食い止めるには、何よりもまず、集団心理に押し流されずに、他者と向き合う回路を開くことが欠かせません。

舎利弗と天女をめぐる仏教説話
 この問題を考える時、示唆的と思われるのが、大乗仏典の「維摩経」に描かれている、舎利弗と天女のエピソードです。
 ──釈尊の意を受けた文殊が、病気になった在家の信徒・維摩詰の家を見舞いに訪れることになり、舎利弗たちも同行した。
 見舞いの場は、文殊と維摩詰との「仏教をめぐる対話」の場となり、それがクライマックスに達した時、その場にいた天女が喜びを表すかのように、花を皆に振りまいた。
 その花が自分の身にも付いた舎利弗は、修行者である自分にはふさわしくないと、急いで振り払おうとするが一向に取れない。
 その様子を見ていた天女は、“花は人を分別していないのに、あなたは花で人を分別しようとしている”と述べ、その執着が舎利弗の心を縛り、動きのとれない状態にしていることを、鋭く指摘した。
 納得はしたものの、その後も、天女に質問を続ける舎利弗に対し、天女は神通力を用いて、舎利弗を天女の姿に、自らを舎利弗の姿へと変化させた。
 驚き戸惑う舎利弗に、天女は、彼がまだ分別に深くとらわれていることを重ねて諭し、元の姿に戻した。その思いもよらない体験を通し、舎利弗は、目に見える姿の違いで心を縛られてはならず、どんな存在にも本来、固定した特性はないことを深く悟るにいたった──という話です。
 私がまず重要だと思うのは、舎利弗が天女の姿に入れ替わったことで、“相手に向けていたまなざし”がどんなものであったのかを身につまされて感じた結果、過ちを胸に刻むことができたという点です。
 グローバル化に伴い、多くの人が、住む場所を離れて移動することが日常的になった現代にあって、知らず知らずのうちに他の集団に向けていたまなざしを、他国を訪れたり、移住するようになった時、今度は自分が同じような形で向けられている経験をすることは少なくないと思います。
 だからこそ、相手の立場を互いに理解する努力が、ますます重要になってきています。
 その努力を欠いてしまえば、緊張が高まった場合などに、自分たちにとっての「平和」や「正義」が、他の人々の生命と尊厳を脅かす“刃”となる事態が生じかねません。
 その際、舎利弗が味わったまなざしの反転──つまり、自分と相手を取り巻く構図が反転して、他者を傷つける“刃”が、自分や家族に向けられるようになった状況に想像力を働かせてもなお、自分の主張や立ち位置は揺らがないままでいられるでしょうか。
 そもそも舎利弗が、釈尊から最初に見舞いに行くよう促された時、固辞したのも、維摩詰と顔を合わせることを躊躇する気持ちが先立ったからでした。文殊らと共に維摩詰の家に行った時に気になったのも、自分たちの座るべき席が見当たらないことだった。
 一方の維摩詰は、病気の理由を文殊から尋ねられた時、「一切衆生病むを以って、是の故に我れ病む」と答えました。自分の身を案じてくれるのであれば、病気で苦しむ他の人々を同じように気に掛け、励ましてほしいとの思いが、そこには満ちていました。
 いわば、舎利弗の心を大きく占めていたのは“自己へのこだわり”であったのに対し、維摩詰の心は自他彼此の区別なく“苦しみを抱えたすべての人々”に向けられていたのです。
 この対比を描いた「維摩経」の話を、現代の状況に照応させた時、次のような教訓が浮かび上がってくるのではないでしょうか。
 本来、共有すべき善であるはずの平和や正義も、“自己へのこだわり”によって分割され、角突き合わせるようになれば、自分とは異なる集団への暴力や人権抑圧を正当化する免罪符となりかねない。
 そうではなく、地球温暖化に伴う異常気象の増加や核兵器の使用による壊滅的な被害といった、誰もが望まない悲惨を引き起こさないために、「課題を共有する連帯」を広げることが、人々の苦しみを取り除く鍵となる──と。

対話と交流で育む友情が「不戦の防波堤」の基盤に

互いの物語に耳を傾け合う
 その連帯を築くため、誰もがいつでもどこでも実践できるのが、対話の拡大であり、友情の拡大です。
 かつて、私がイスラムと仏教をめぐる対話を重ねたインドネシアのワヒド元大統領は、「民族性や文化的な違い、あるいは歴史的な背景にかかわらず、対話は人々に“人間の顔”を与えることができる」(『平和の哲学 寬容の智慧』潮出版社)と強調していました。
 出会いを結び、対話を重ねる中で、互いの人生の物語に耳を傾ける。そのプロセスの中で、民族や宗教などの属性が双方にとって大切な重みを持つことを深く理解しつつも、その一点だけで向き合うのではなく、出会いを通して育まれた共感や信頼を機軸に、相手としか奏でることのできない生命と生命のシンフォニーを豊かに響かせていく──そこに友情の真価があるのではないでしょうか。
 「真の世界の風景は計り知れない価値で輝いている」(『東から西へ』黒沢英二訳、毎日新聞社)とは、歴史学者アーノルド・J・トインビー博士の忘れ得ぬ言葉ですが、まさに友情とは、互いの属性に心を縛られることなく、相手の人間としての生命の輝きを見つめ、心を通わせる中で、自在に紡ぎ出すことのできる関係性にほかならないのです。
 トインビー博士との43年前の対話を起点に、さまざまな民族的、宗教的背景を持つ各国の指導者や識者と、人類の未来をめぐる課題の共有を紐帯にした対話を重ねる中で、一つまた一つと大切に育んできたのも、そうしたかけがえのない友情の輝きでした。
 私どもSGIは、この一対一の友情を基盤に、排他主義に支配された「戦争の文化」から、差異を多様性の源として喜び合い、互いの尊厳を守り抜くことを誓い合う「平和の文化」への転換を目指してきました。
 まず、教育交流と文化交流を通し、一人一人が顔を向き合わせ、信頼関係を築く中で、友情の絆を幾重にも広げてきました。
 国家間で緊張が高まり、排他主義に傾きかけた時に、この友情の絆が、傾斜を少しでも元に戻そうとするスタビライザー(安定化装置)の役割を担い、集団心理に流されない社会の頑強性につながっていくことを願ってきたのです。
 また、政治や経済の関係が冷え込んだ時にも、交流を絶やさずに「対話と意思疎通の回路」を維持することを心掛け、この努力を世代から世代へと受け継いできました。
 私が創立した民主音楽協会に、昨年、新たに民音音楽博物館付属研究所が発足しました。半世紀にわたり105カ国・地域と交流を深めてきた経験をもとに、音楽をはじめとする「文化の力」が平和構築に果たす可能性を追求していきたいと考えています。

「最良の自己」を共に顕現する道
 さらにSGIでは、文明間対話や宗教間対話に積極的に取り組む中で、憎悪と暴力の連鎖を断ち切るための方途を探り、教訓を分かち合ってきました。
 そこで根幹としてきたのは、“人々の苦しみを取り除くこと”を出発点とし、課題を共有する中で、互いの文明や宗教が育んできた英知を結集し、事態の打開に必要となる倫理や行動規範を浮き彫りにしていく、「問題解決志向型」のアプローチです。
 この挑戦を続けるにあたり、私が共感を深めてきたのは、交友を結んだチェコのハベル元大統領が以前、21世紀を展望して述べた次の言葉でした。
 「来たるべき世紀のヨーロッパに課せられている唯一無二の重要課題は、〈最良の自己〉であること、すなわち、その最良の精神的伝統を蘇らせ、それを通じて、新たな形の地球規模の共生の実現に創造的に関わっていくことである」(ウルズラ・ケラー/イルマ・ラクーザ編『ヨーロッパは書く』新本史斉訳、鳥影社・ロゴス企画)
 ここで論じられているヨーロッパを、それぞれの文明や宗教に置き換えれば、私どもSGIが目指してきた対話のモデルと合致するからです。文明間対話と宗教間対話の最大の意義も、互いの「最良の精神的伝統」の息吹を通い合わせ、互いの人間性を十全たらしめるためのまなざしを磨き合う中で、「最良の自己」に基づく行動を共に力強く起こすことにあるのではないでしょうか。
 SGIでは、この一連の取り組みを進めることで、互いが暴力や抑圧に加担せず、共生の精神の磁場となることを誓い合う「不戦の防波堤」を築くとともに、自分が望まない悲惨を誰にも味わわせないための「人道の連帯」を広げる挑戦を重ねてきました。
 先ほど触れた「維摩経」には、釈尊のもとに集った500人の青年の前に、全世界を包み込む宝蓋が現れるシーンがあります。
 その巨大な美しい傘は、どのようにして現れたのか。「はじめから一本の傘があったわけではなく、五百人の人々のそれぞれの傘(すなわち、共生できる社会をつくろうとする願い)が合わさった結果が一本の傘となった」(菅沼晃『維摩経をよむ』日本放送出版協会)ものに、ほかなりませんでした。
 それぞれが手に持つ傘で、雨風や強い日差しから自分の身だけを守るのではない。別々の人生を歩んできた青年たちが、あらゆる差異を超えて心を一つにすることで現出した、全世界を包む巨大な宝蓋のイメージに、私は、人間の連帯が生み出す限りない可能性をみる思いがします。
 国連が2030年に向けて推進する新しい国際目標の眼目も、地球上のすべての人々の生命と尊厳を、あらゆる脅威と悲惨から守るための“連帯の傘”をつくり上げることにあるのではないでしょうか。

人類共通の脅威に立ち向かう国連の創造的進化を‼

 続いて、地球上から悲惨の二字をなくすために、従来の発想を超えた創造的なアプローチが早急に必要となると思われる課題について、具体的な提案をしたいと思います。

ハマーショルド事務総長の信念
 創設70年を迎える国連の歴史を振り返る時、胸に浮かぶ言葉があります。
 それは、私がニューヨークの国連本部を初めて訪れた年(1960年)の年次報告書で、ダグ・ハマーショルド第2代事務総長がつづっていた一節です。
 「国連は我々の世代を取り巻く政治状況がつくり出した有機的な産物である。しかし同時に、国際社会はその中で政治的な自意識というべきものを実現化したため、国際社会は国連という組織を有意義に用いることで、国連をつくり出すことになった政治状況に影響を与えることができる」
 国連は主権国家の集合体としての制約や限界に常に直面しながらも、一方で、国連を舞台に育まれてきた“国際社会としての意識”こそが、国連の本来の使命を果たす突破口となりうるということです。
 例えば、世界人権宣言に象徴されるように、国連憲章の精神を実現するために“どの国であろうと揺るがしてはならない原則”を明確に打ち出すことで、各国の政策にも影響を及ぼしてきました。
 世界人権宣言の起草に深く関わった哲学者のジャック・マリタンは、「理論的な考え方において対立している人々も人権のリストに関して純粋に実践的な合意に到達することができる」(『人間と国家』久保正幡・稲垣良典訳、創文社)と強調しましたが、異なる思想的、文化的背景を持ったメンバーが最終的に意見を集約させることができたのも、国連という場の力があったからだと思えてなりません。
 その後も国連は、「持続可能な開発」や「人間の安全保障」などの重要な指標の提起や、国際年と国際の10年を通し、喫緊の課題に焦点を当ててきました。
 また、女性への暴力や児童労働をはじめ、国内レベルでは見過ごされがちだった深刻な問題を次々と取り上げ、国際的な対応を呼び掛けてきました。
 私は、こうした各分野での重なり合うコンセンサス(意見の一致)の形成と、虐げられた人々が直面する問題への注意喚起を通し、国際法の対象を「国家」だけでなく、「一人一人の人間」に向け、生命と尊厳の保障を図る領域を広げてきたことに、国連でしか成し得なかった重要な役割があったと考えます。
 「ミレニアム開発目標」よりも踏み込んだ内容が期待される新目標の採択に向けて歩み出そうとする今、必要なのは、ハマーショルド事務総長が「慣習的な思い込みや型にはめられた手法といった鎧を脱ぎ捨てて」挑むことを呼び掛けていた国連の「創造的進化」(マヌエル・フレーリッヒ「世界機構の政治哲学を求めて」、『世界平和への冒険旅行』所収、光橋翠訳、新評論)を、国際社会が力を合わせて成し遂げることではないでしょうか。
 昨年6月、その先駆けともいえる国連機関の強化が一つ実りました。
 国連環境計画の強化策として、国連のすべての加盟国が参加できる討議の場が設置され、ケニアのナイロビで初めての「国連環境総会」が開催されたのです。そこには、環境問題に取り組む市民社会の代表や企業の代表も参加しました。
 私はかねてから、地球的問題群の解決に臨む前提として何よりも欠かせないのは、「すべての国の討議への参加」を確保し、「国連と市民社会との協働」を積極的に進めることであると訴えてきました。
 環境の問題だけでなく、人間の生命と尊厳を脅かす多くの課題に立ち向かうために、その二つの要素に支えられた“行動の共有”を築くことに、創設70年を迎える国連が果たすべき「創造的進化」の主眼はあると思われるのです。
 そこで今回は、国連の使命を踏まえつつ、地球から悲惨の二字をなくすために“行動の共有”が急務になると思われる、①難民と国際移住者の人権保護、②核兵器の禁止と廃絶、③持続可能な地球社会の建設──に関して、それぞれ提案を行いたい。

国際移住者への差別や人権侵害の解消が急務

難民や避難民が5120万人に
 第一の柱は、難民と国際移住者の人権を保護するための“行動の共有”です。
 最初に提案したいのは、今秋に国連で採択が予定される新しい国際目標の項目に、「すべての難民と国際移住者の尊厳と基本的人権を守ること」を盛り込むことです。
 冒頭で触れた通り、私の師である戸田第2代会長が“地球上から悲惨の二字をなくしたい”と訴えた時、念頭にあったのは、1956年のハンガリー動乱で、多くの人々が難民となり、塗炭の苦しみにさいなまれている姿でした。
 20世紀を“難民の世紀”と呼んだ哲学者のハンナ・アレントは、「自分が生れ落ちた共同体への帰属がもはや自明ではなく絶縁がもはや選択の問題ではなくなったとき」、その人々は「市民権において保証される自由とか法の前での平等とかよりも遙かに根本的なものが危くされているのである」(『全体主義の起原2』大島通義・大島かおり訳、みすず書房)と警鐘を鳴らしました。
 まさに人間の尊厳の土台となる“自分を自分たらしめてきた世界”を丸ごと失い、人権が根こそぎ奪われる悲惨にこそ、難民の人々の苦しみの根源があるといえましょう。
 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は当初、1950年に暫定的な機関として設置されたものでした。主要な目的は、第2次世界大戦によって生じたヨーロッパの難民を保護することにあったからです。
 それが、大規模な難民流出を引き起こしたハンガリー動乱を経て、アジアやアフリカなどでも難民問題が相次ぎ、何度も活動期限が更新される中、2030年の国連総会で「難民問題が解決するまで恒久的に存続する機関」とすることが決まった経緯があります。
 これまで多くの難民を救援してきたUNHCRの貢献は大きく、SGI(創価学会インタナショナル)もさまざまな形で活動の支援に取り組んできました。
 しかし近年、世界が混迷を深める中で難民問題は一段と深刻化し、国外に逃れた難民の数に、国内避難民や庇護申請者を合わせた数は、5120万人にのぼります。しかも、難民の半数を18歳未満の子どもたちが占めているのです。

牧口会長が提起した三つの自覚
 なかでも懸念されるのは、5年以上、自国から離れて生活することを余儀なくされている「長期化難民」の状況です。
 その数は、UNHCRが支援対象とする難民の半数以上にも達します。また、滞在年数の平均が約20年に及ぶため、避難してきた人々の子どもや孫の世代までもが、政治的にも経済的にも社会的にも著しく不安定な立場に置かれる恐れが広がっているのです。
 また、世界で1000万人以上と推定される「無国籍者」の問題も深刻です。UNHCRでは、今後10年間で「無国籍者」をなくすキャンペーンを、昨年から開始しました。
 国籍がないために、医療や教育を受けられないばかりか、家族の安全を守るために身分を隠して生活せざるを得ない人も少なくありません。人権抑圧や暴力から逃れようと避難する中で出産した場合、出生証明書が得られずに、子どもたちまで無国籍者になるケースも増えています。
 私はこの点に関し、牧口初代会長が『人生地理学』で提起した、人間の三つの自覚を思い起こします。
 つまり人間は、①地域に根差した「郷民(郷土民)」、②国家の中で社会生活を営む「国民」、③世界との結びつきを意識して生きる「世界民(世界市民)」、の三つの自覚を併せ持つことができ、その重層的なアイデンティティーを自分らしく輝かせる中で、人生の可能性を豊かに開花できる、と牧口会長は強調していたのです(『牧口常三郎全集第1巻』を参照。第三文明社)
 その意味で、長期化難民や無国籍者となった人々に閉ざされてしまうのは、国民として社会生活を営む道だけではありません。
 地域で自分らしさを保ちながら近隣の人たちと心を通わせて暮らすことも、他国の人々と連帯して自分たちが望む世界に向かって行動を起こす道も、断たれてしまうのです。
 こうした人々の苦しみを取り除くことを、国連の「創造的進化」に基づく対応が求められる課題として位置付け直すことが、新目標の骨格として志向される“あらゆる場所”や“すべての人々”との包摂性を、追求する上で欠かせないのではないでしょうか。
 そして、その挑戦こそが、世界人権宣言が希求する「普遍的な人権」の本旨に適うものではないかと強調したいのです。

生きづらさと疎外感の高まり
 難民をめぐる課題と並んで、世界で2億3200万人に達する国際移住者を取り巻く問題に目を向け、人権状況の改善を図ることも急務となっています。
 経済不況が長引き、社会不安が広がる国の間で、移住労働者の存在が悪いイメージで語られ、家族にまで差別や敵視が向けられる空気が強まっています。
 その結果、正規雇用の機会をはじめ、教育や医療を受ける権利が著しく制限されたり、日常生活で不当な扱いを受けても問題視されないために、移住労働者と家族が生きづらさと疎外感にさいなまれる状況が広がっているのです。
 そうした中、国連でも、移住労働者への誤解や偏見を改めることが呼び掛けられるようになりました。2年前の「国際移住と開発に関するハイレベル対話」でも、移住とその開発に対する重要性が、新しい国際目標に反映されるべきとの合意をみています。
 しかし私は、このテーマを開発の次元だけにとどめず、移住者と家族が直面する苦しみを取り除くことに重点を置く形で、その基本的人権の保護を新目標に明確に盛り込むことを訴えたいのです。
 90年に採択されながらも加盟国がまだ少ない、移住労働者権利条約=注4=の批准促進や、国際労働機関が提唱する「ディーセント・ワーク」(働きがいのある人間らしい仕事)の確保など、既存の枠組みも活用しながら、国際移住者に焦点を当てた対策を強化すべきと思うのです。

アフリカの取り組みを踏まえ難民支援の枠組みを強化

被災地・仙台での国連防災世界会議
 二つめの提案として、多くの難民を受け入れている地域で、難民のエンパワーメント(内発的な力の開花)に、近隣諸国が共同で取り組む仕組みを整備することを呼び掛けたい。
 近年、紛争や内戦に加えて、災害や異常気象などによって、大勢の人々が難民状態に置かれる事態が相次いでいます。
 この問題をめぐって私が注目するのは、明年にイスタンブールで開催される「世界人道サミット」に向け、各地域で行われてきた準備会合での議論です。
 「世界人道サミット」は、紛争や貧困をはじめ、災害や異常気象などが引き起こす、さまざまな人道的危機に対し、国際社会が一致して立ち向かうための方策を探るもので、昨年7月に東京で行われた準備会合では、災害への対応が焦点となりました。
 そこで終始強調されたのは、人道支援活動の中心に「被災した人々」を据え、人々へのエンパワーメントをより強めて「尊厳ある暮らし」ができるようにする取り組みです。
 この観点は、災害に見舞われた地域の復興を目指す上で、私どもSGIが最も重視してきたものでもありました。深い苦しみに直面した人であればこそ、同じような苦しみを抱える人の“かけがえのない心の支え”となり、前に進もうとする力を共にわき出すことができるからです。
 東日本大震災から4年となる本年3月には、仙台で第3回国連防災世界会議が行われます。
 SGIでも、会議の関連行事として、「北東アジアの連帯によるレジリエンスの強化」をテーマにした会議を開催します。
 「レジリエンス」とは、災害に伴う被害の拡大を防ぎ、復興を後押しする「社会の回復力」ともいうべきものですが、この分野でどのような協力を深めていけるのか、日本と中国と韓国の市民社会の代表が集い、その可能性を追求することになっています。
 また、東北青年部の主催で「防災・復興における青年力」をめぐるシンポジウムを行うほか、宗教団体の復興支援のあり方に関する「信仰を基盤とした組織の役割」の討議にも参加する予定です。
 いずれの会議でも、「エンパワーメントの強化」を通じて、一人一人の人間、特に被災した人々がレジリエンスの担い手となることに焦点が当てられますが、このテーマは、「長期化難民」が増加する中、難民の尊厳と人権の問題を考える上でも、同じく重要になってくると考えます。
 人道的危機においては、紛争や災害といった原因の違いがあっても、慣れ親しんできた家を追われ、人生と生活の足場を失った苦しみ自体に変わりはなく、何よりも大切なことは「一人一人が生きる希望を取り戻すことができるかどうか」にあるからです。
 難民の8割以上を途上国が受け入れる中、この「長期化難民」の問題に関して注目されるのがアフリカの取り組みです。
 AU(アフリカ連合)やECOWAS(西アフリカ諸国経済共同体)=注5=を通し、難民問題への地域協力が模索され、枠組みづくりが進んできました。
 なかでも興味深いのは、アフリカでは庇護国での難民の長期滞在が一般的となる中、「事実上の統合」が進んできたケースもあると、専門家が指摘している点です。
 「事実上の統合」には、①強制送還の恐れがない、②キャンプなどに住むことが強要されない、③援助に頼らず、生計を立てることができる、④教育、職業訓練、医療などにアクセスできる、⑤冠婚葬祭などを通じて受け入れ地域との社会的ネットワークがある、といった特徴がありますが、アフリカのいくつかの農村部でその特徴がみられるというのです。
 またECOWASでは、2008年の閣僚理事会で、加盟国の市民と域内の難民を平等に扱うことが提言され、ナイジェリアなどに滞在する難民は、出身国から旅券の発行を受けられることになりました。その結果、難民は移住労働者としての新しい地位を得ることができ、正式に庇護国で定住する道が開かれたという事例もあります。

より人間的な顔を世界に与える
 ナイジェリアの作家で、私が友情を結んだウォレ・ショインカ氏の言葉に、「ほかの人の身になって想像力を働かせることが正義の基本」(「読売新聞」1995年11月29日付)とあります。
 アフリカでは、古くから人々の交流が盛んで、異なる文化を持つ人々を寛大に受け入れる慣習があるといわれますが、その精神が息づいたアプローチに、私は、難民問題の解決を考える上での新しい地平をみる思いがするのです。
 振り返れば、55年前に国連本部を初訪問した折、独立まもないアフリカの国々の代表が清新な息吹で討議に参加している姿をみて、「21世紀は、アフリカの世紀になる」と確信したことを思い出します。
 マンデラ元大統領の人権闘争や環境運動家のワンガリ・マータイ博士の植樹運動をはじめ、人類が希求する「平和と人道の21世紀」を先取りするような偉大な挑戦は、アフリカから起こってきました。
 同じく、困難に直面しながらも、地域での協力を模索し、難民問題への対応を積み上げてきたアフリカの経験も、新しい国際目標の挑戦を始めようとしている国連への、「世界にもっと人間的な顔を与えるという贈り物」(スティーヴ・ビコ『俺は書きたいことを書く』峯陽一・前田礼・神野明訳、現代企画室)となるのではないでしょうか。
 多くの難民を受け入れているアジア太平洋地域や、シリアの内戦で難民が急増する中東などでも、アフリカの事例などを参考にしつつ、「難民の人権を守るための地域協力」を充実させることを提案したい。
 例えば、難民の受け入れ国に対して、近隣国が協力する形でエンパワーメントの強化を担い、受け入れ国の青年や女性も一緒に教育支援や就労支援などを受けられる仕組みを設け、「域内市民への共同エンパワーメント」として推進していってはどうか。
 その機会を通じて、難民と受け入れ国の人々との個人的な絆を強めることが、難民支援における大きな支えとなり、地域全体のレジリエンスの強化にもつながると考えるのです。

核兵器の非人道性めぐる国際社会の懸念の高まり


155カ国・地域が賛同した共同声明
 第二の柱は、「核兵器のない世界」を実現するための“行動の共有”です。
 国連の創設に伴い、最初に取り組むべき課題として提起されたテーマは何か。それは、総会の第1号決議として採択された核兵器の問題にほかなりません。
 国連憲章が検討されていた段階では、核兵器の存在は公になっていなかったため、軍縮よりも安全保障に議論が集中しました。
 しかし、憲章の採択から1カ月余り後、広島と長崎に原子爆弾が投下され、世界中に衝撃が広がる中、国連でも早急な対応を求める声が高まったのです。
 決議は、「原子爆弾を他の大量破壊兵器とともに国家の軍備から撤廃する」との明確な表現をもって、例外のない完全廃棄を求めたものでした。
 その呼び掛けは、冷戦対立の激化で立ち消えそうになりながらも、朝鮮戦争での核兵器使用を思いとどまらせる上で影響を及ぼしたといわれる「ストックホルム・アピール」の署名運動や、東西対立を超えて集まった科学者らによって1957年に結成されたパグウォッシュ会議が提起した内容などが基礎となり、核兵器を規制する条約づくりを求める機運が次第に高まるようになりました。
 こうした市民社会での機運の高まりと、核戦争が瀬戸際まで迫った62年のキューバ危機などの教訓も相まって、ようやく70年に発効をみたのが核拡散防止条約(NPT)でした。
 そこで核軍縮の誠実な追求が約束され、国連創設以来の未完のプロジェクトがNPTに託されたものの、発効から45年となる現在も廃絶は達成されず、核軍縮は停滞したままです。
 しかし現在、「核兵器のない世界」を求める動きが新しい形で広がりをみせており、昨年10月には「核兵器の人道的影響に関する共同声明」に155カ国・地域が賛同しました。
 国連加盟国の約8割にあたる国が、いかなる状況下でも核兵器が使用されないことを求める、共通の意思を明確に示したのです。

3回の国際会議で検証された内容
 また、2013年3月にノルウェーのオスロで、最初の「核兵器の人道的影響に関する国際会議」が開催されて以来、オーストリアのウィーンで先月に行われた会議まで3回にわたり、核兵器の使用がもたらす人道的影響についての検証が続けられてきました。
 一連の会議で浮き彫りになった事実の中で、被害を受ける人間の側から見て、特に重要と思われるのは、以下の3点です。
 ①いかなる国も国際機関も、核爆発によって引き起こされた直接的被害に適切に対処し、被災者を救援するのは困難であること。
 ②核爆発の影響は国境内に押しとどめることは不可能で、深刻で長期的な被害をもたらし、人類の生存さえ脅かしかねないこと。
 ③間接的な影響で社会開発が阻害され、環境も悪化するために、貧しく弱い立場に置かれた人々が最も深刻な被害を受けること。
 ウィーン会議では、初めて参加したアメリカとイギリスからも、非人道性をめぐるさまざまな議論が行われてきたことを理解するとの立場が示されました。
 核兵器の使用がどれだけ深刻な事態を引き起こすのかという実態の検証は、保有国にとっても向き合わざるを得ない重みを持っているといえましょう。
 ただし、そこからどう前に進めば良いのかは、意見が分かれています。
 会議の参加国の大半が“壊滅的結果を回避する唯一の保証は、核兵器の廃絶しかない”との認識を示す一方で、保有国とその同盟国の間では“核拡散が進む中では核抑止政策を続けつつ、段階的に措置を積み上げる形で核兵器のない世界を目指すべきである”との考えが根強いからです。
 では、国連創設以来の未完のプロジェクトの達成に向け、どのように“行動の共有”を形づくっていけば良いのか。
 まず、双方を隔てる溝は深いように見えて、実は同じ岩盤でつながっている──つまり、共同声明への賛否とは別に、「核兵器の使用がもたらす壊滅的結果とその影響」に懸念を抱く点では変わりはないことを、出発点に据えることが大切だと考えます。
 その上で肝心なのは、取り返しのつかない惨害が“自国や同盟国”に及ぶことだけを防ぐのではなく、“すべての国”で生じないようにするために、どのような新しい構想が必要かを見つめ直すことです。

民衆の生存権を第一義に掲げた戸田会長の「原水爆禁止宣言」

ロートブラット博士の高い評価
 そこで私は、検討を進めるための視座を、「兵器としての破壊力」だけにとどまらず、核兵器が他の兵器とはまったく性質の異なる存在として帯びている「より広い意味での非人道性」に関し、さまざまな角度から掘り下げることで提起したいと思います。
 一つめの観点は、「核兵器が地上から一瞬にして何を消し去るのかという重み」に根差した非人道性についてです。
 ウィーン会議の討議結果をまとめた文書で、私が強い共感をもって受け止めたのは次の一節です。
 「人間性を打ちのめし、今となっては誰にとっても受け入れがたいものである拷問のケースと同じく、核兵器使用による惨禍は法的問題に留まらず、道徳的観点からの評価を必要とするものである」(ピースデポ「核兵器・核実験モニター」第462号)
 なぜなら、この問題提起は、私の師である戸田第2代会長が、冷戦対立の深まりで核開発競争が激化した頃(1957年9月)に発表した「原水爆禁止宣言」(『戸田城聖全集第4巻』所収)で、最も強調していた点と重なり合っていたからです。
 その中で戸田会長は、「核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今、世界に起こっているが、私はその奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う」と訴えました。
 仏法では、人間の尊厳に対する最も深刻な脅威は、一人一人の存在の重みを無に帰し、生きていることの意味そのものを奪い去る、「他化自在天」という生命の根源的な迷妄から生じる悪にあると説きます。
 戸田会長は、核兵器の奧に隠されているのは、この最も深刻な悪にほかならないと指摘し、核実験の禁止はもとより、問題の根本解決のためには、多くの民衆の犠牲を前提にしなければ成り立たない核抑止の思想からの脱却を、世界の民衆が持つ「生存の権利」の名において求め抜くしかないと主張したのです。
 この宣言発表と同じ年に発足したパグウォッシュ会議で、長らく中心者を務めたジョセフ・ロートブラット博士が、以前、次のような評価を寄せてくださったことがあります。
 「核兵器への対応には二通りあります。一つは法律的なアプローチで、もう一つは道義的なアプローチです。後者が、宗教者として戸田氏がなされたことであると思っています」(『地球平和への探究』潮出版社)と。
 拷問に関し、どんな理由でも正当化できない禁止規範が確立してきたように、核兵器についても道義的な問い直しを本格的に深めるべきではないでしょうか。

高度な技術でも復元できぬもの
 戦後、アメリカに続いてソ連が核開発に成功し、その後、イギリス、フランス、中国が続き、NPTが発効した後も核拡散がやまない中で、核兵器の対峙が、あたかも国際社会にとって“動かし難い基本的与件”であるかのような状態が続いてきました。
 しかし、その土台にある核抑止政策が究極的にもたらすのは、「敵側に属する民衆の殲滅」と「核攻撃の応酬に伴う自国民への甚大な被害」です。
 それは、戸田会長が剔抉していたように、「敵―味方」の範疇を超えて、一人一人が生きてきた証しや、社会や文明の営みを一瞬にして無にし、あらゆるものから存在の意味を奪うものにほかなりません。
 NPT再検討会議での上映に向けて、原爆投下以前の広島の復元映像を製作するプロジェクトの代表を務める田邊雅章氏は、「いかに高度なCG(コンピューター・グラフィックス)技術を用いても決して復元できないものがある」と述べています。その一言が、失われたもののかけがえのなさを、かえって物語ってはいないでしょうか。
 また、核抑止のもとで生きるということは、あらゆるものを“かりそめの現存在”に貶める不条理が、絶えずつきまとう世界に生きることを意味します。そうしたニヒリズム(虚無主義)によって、社会や文明が蝕まれるような状態が、これ以上続くことを決して許してはなりません。
 しかもウィーン会議で焦点の一つとなったように、核兵器が存在する限り、人為的ミスや技術上の欠陥、サイバー攻撃などによって「偶発的に核爆発が引き起こされる可能性」は常に残るといえます。
 何より、その問題は、核抑止政策にとって想定外の事態であるばかりか、核抑止政策を続ける国の数だけ危険性が増す構造であることに、留意する必要がありましょう。
 キューバ危機の際には、米ソ首脳が解決を模索し、熟慮を重ねる「13日間」という時間がありました。
 一方、何らかの理由で偶発的に核ミサイルが発射される事態が生じた場合に、攻撃目標に達するまでに残された時間は、わずか「13分」ほどしかないといわれます。その結果、多くの人々が避難もままならず、尊い命が容赦なく一瞬にして奪われ、攻撃目標となった地域の営みも、なすすべなく丸ごと破壊されてしまうことになるのです。
 幸福な人生を歩むためにどれだけ人間が努力を重ねようと、長い時間をかけて文化や歴史を育もうと、一切合切、無意味なものにしてしまう──この言語に絶する“理不尽さ”にこそ、圧倒的な破壊力という数値だけでは推し量ることのできない、「非人道性」の核心部分があるように思えてなりません。

核抑止による安全保障が世界に及ぼす多大な負荷

核開発と近代化がもたらす歪み
 二つめの観点は、「核開発や近代化の継続が世界にもたらす歪み」に基づく非人道性についてです。
 先月のウィーン会議で、核実験の影響が初めて議題に取り上げられました。
 「ヒバクシャ」という共通語が示す通り、世界各地には2000回以上にわたって行われてきた核実験の影響で、深刻な被害を受けてきた人々は少なくありません。
 例えば、マーシャル諸島共和国が、12年間にわたって経験することになった核実験の爆発規模を換算すると、1日あたり、広島型原爆1・6個分に相当するといいます。
 この事実が示すのは、核兵器の使用を防いできたと主張される核抑止政策が、実際、何をもたらしてきたかという点です。
 つまり、核抑止政策は、脅威がさらなる脅威を呼ぶ核軍拡競争を引き起こし、実験という形での核爆発が何度も行われたために、「いかなる国家や民族も背負ってはならない重荷」(マーシャル諸島のデブルム外相)を世界に積み増す結果を招いてきたのです。
 包括的核実験禁止条約(CTBT)が96年に採択されて以来、核爆発を伴う実験はゼロでないものの、ほぼ行われなくなりました。しかしこの状態は、183カ国が署名しながらも、CTBTが発効をみていない中、辛うじて保たれているにすぎません。
 また、CTBTでは「核兵器の近代化」は禁じられていませんが、ある国が近代化を図ると他の国も追随する構造は、核抑止政策が続く限り避けることはできず、世界全体で年間1050億㌦にも達する核兵器の関連予算がさらに増額する恐れもあります。
 その莫大な資金が、保有国の福祉や保健の向上のために充当され、また貧困などに苦しむ他の国々の支援に向けられれば、どれほど多くの人々の生命と尊厳が守られることにつながるか計り知れません。
 そもそも核開発を継続すること自体、世界の経済資源と人的資源の軍備転用を最少にすることを求めた国連憲章第26条の精神に反するだけでなく、助けることが可能な人々の窮状が続く状況を結果的にもたらしているという面で、「地球社会の歪み」を半ば固定化させる非人道性を生じさせてはいないでしょうか。

軍事的な緊張に周囲を巻き込む
 三つめの観点は、「核態勢の維持が多くの国を常に軍事的な緊張に巻き込む」という面での非人道性についてです。
 2010年のNPT再検討会議で核保有国は、速やかに取り組む課題として、安全保障政策における核兵器の役割と重要性の一層の低減を誓約しました。
 昨年、その進捗状況が報告されましたが、ほとんど変化はみられません。多くの保有国の指導者が、核兵器の使用が想定される状況は極めて考えにくく、今日的な脅威に核兵器では対応できないとの認識を示しているにもかかわらず、「核抑止政策の維持」を理由に誓約が果たされない状態が続いているのです。
 保有国にとって、自国と同盟国が核攻撃に脅かされる懸念を、現段階で完全に払拭することは難しいかもしれません。しかし、たとえそうであったとしても、あくまで先決なのは、緊張の要因を一つ一つ粘り強く取り除くことであり、「核兵器使用の威嚇」による対抗が唯一の方法とならない状況をつくりだす努力ではないでしょうか。
 そもそも、核兵器の使用はもとより、その威嚇も、国際司法裁判所の96年の勧告的意見で示された通り、一般的に違法とされるものにほかなりません。
 審理にあたったフェラリ・ブラボ判事が意見書で、「国連憲章第二条第四項と第五一条の間を隔てる川が、核抑止論という大きな石のために広がった」(NHK広島 核平和プロジェクト『核兵器裁判』、NHK出版)と述べたように、核抑止政策の存続は、憲章が当初想定していた自衛権をめぐる状況を大きく変えたと思われます。
 つまり、第2条第4項で「武力による威嚇または武力の行使」が原則的に違法とされているものの、甚大な被害をもたらす核兵器の対峙が続くために、武力攻撃を受けた場合のみの例外であって安全保障理事会が必要な措置をとるまでの期限付きとされる、第51条の「個別的または集団的自衛権」に基づく備えを、常に必須のものとする状況──いわば、原則と例外の逆転現象を招いてきたのではないかという点です。
 冷戦の終結以降も、この構造は変わっていません。国家間で武力衝突はおろか、対立が深まっていなくても、核抑止に基づく威嚇はそのまま背景において機能し続けるため、多くの国が軍事的緊張に常に巻き込まれてしまうのです。
 その結果、保有国や同盟国の間で、核兵器の機密保護や核関連施設の保安を淵源とする、セキュリティー第一主義ともいうべき態勢が敷かれるようになる一方、核兵器の威嚇にさらされる国の間で、核開発や軍備増強への誘因が高まる状況もみられます。それがまた最悪の場合には、他国による予防的な武力行使の検討さえも誘発しかねないという悪循環を生んではいないでしょうか。

オーストリアが表明した“誓い”
 以上、核兵器の非人道性について、兵器としての破壊力の観点にとどまらず、フレームを「核時代の継続が招く非人道性」にまで広げる形で、三つの角度から論じてきました。
 そこで浮かび上がってくるのは、核兵器が使用される事態を未然に防ぐために必要と主張されてきた核抑止政策が、どれだけ多くの負荷を世界にもたらしてきたかという現実です。
 広島と長崎への原爆投下以降、核兵器の使用を思いとどまらせるブレーキの役割を果たしてきたのは、抑止力よりも、「核兵器の使用がもたらす壊滅的な人道的結果」への責任の重みではなかったでしょうか。
 実際、“核の傘”の外にある国々も、核攻撃の対象にされたことはありませんでした。例えば、非核兵器地帯のように核軍備の選択肢を共同で放棄したケースでは、「非核への誓いの重み」が、保有国に踏み越えてはならない一線を刻印する重要な要素になったのではないでしょうか。
 先月のウィーン会議では、オーストリアが議長国の立場を離れ、一国としての誓いを表明しました。
 受け入れがたい非人道的な影響と危険性を踏まえ、「核兵器のない世界」を実現するために、他の国や国際機関、市民社会などと協力して道を切り開くことへの誓いです。
 会議に先立ち、SGIがウィーンで、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)や世界教会協議会と共催した宗教間パネルでも、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教、仏教の信仰者が、核兵器廃絶の道を探る討議を行いました。
 その成果を、「私たちは誓う」と明記した共同声明としてとりまとめ、ウィーン会議の一般討論の席上、市民社会からの声の一つとして発表したのです。
 「核兵器のない世界」を実現する“行動の共有”を生み出す鍵は、こうした誓いを、広島と長崎への原爆投下から70年を迎える本年に、どれだけ結集できるかにかかっていると思えてなりません。

膠着状態を破る実りある討議を
 そこで、次の二つの具体的な提案を行いたい。
 一つめは、NPTに基づいて核軍縮に関する制度づくりを進めることです。
 先月の国連総会で、重要な意義を持つ決議が採択されました。本年の再検討会議で、NPT第6条が要請する「核軍縮のための効果的措置」の枠組みに関し、あらゆる選択肢を検討することを求める決議です。
 振り返れば、1995年にNPTの無期限延長が決定して以降、さまざまな合意がされながらも、ほとんどの内容が進展をみないまま、課題ばかりが山積する状況が続いてきました。
 総会の決議に169もの国々が賛同したのも、核問題をめぐる膠着状態が続くことへの強い危機感の表れといえましょう。
 ゆえに私はまず、できるだけ多くの首脳が再検討会議に出席することを呼び掛けたい。そして、各国の首脳らを前に「核兵器の人道的影響に関する国際会議」の総括報告を行う場を設けることを提案したい。
 また、各国の首脳もしくは代表がスピーチする際、2010年の再検討会議で全加盟国が一致して懸念を表明した「核兵器のもたらす壊滅的な人道的結果」を引き起こさないために、自国としてどのように行動するかについて、言及することを望むものです。
 その上で、NPT第6条が要請する効果的措置の検討を進め、特に「核軍縮」に関する項目については、新しい制度を設けて着実な履行を図ることを提唱したいと思います。
 NPTの3本柱のうち、拡散防止と原子力の平和利用に関しては、国際原子力機関が活動しているほか、CTBTや核安全保障サミットなどがあるものの、核軍縮については継続的に討議し、履行を確保する制度がありません。
 今一度、2000年の再検討会議で「核兵器の全廃を達成するという保有国による明確な約束」が行われたことを想起し、その約束を具体的かつ速やかに実行に移すための「NPT核軍縮委員会」ともいうべき条約の補助機関を新設してはどうでしょうか。
 例えばNPTには、加盟国の3分の1の要請で、会議を招集できる仕組みがあります。そこで「NPT核軍縮委員会」の設置を図り、軍縮計画や検証体制などに関する内容をとりまとめ、核兵器ゼロの基盤となる“後戻りができない大幅な核軍縮”を進めるべきだと思うのです。

広島・長崎への原爆投下から70年
核兵器禁止条約の交渉を


被爆国の日本が果たすべき役割
 二つめの提案は、「核兵器禁止条約」の締結に関するものです。
 私は、さまざまな困難や課題はあるものの、広島と長崎への原爆投下から70年を迎える本年を機に、「核兵器禁止条約」の交渉に、いよいよ本格的に踏み出すことを呼び掛けたい。
 NPT再検討会議の成果なども見定めた上で、条約交渉のためのプラットフォームを立ち上げることを提案したいと思います。
 2年前に国連で行われた「多国間核軍縮交渉の前進に向けたオープン参加国作業部会」をベースに、NGOとの協議を交えた条約交渉の場として発展させる形もあるでしょう。
 その上で例えば、国連総会の決議で2018年までの開催が要請されている、「核軍縮に関する国連ハイレベル会合」を明年に行い、条約案をまとめることを目指していってはどうか。被爆国の日本が、他の国や市民社会と力を合わせて、「核兵器のない世界」を築く挑戦を加速させることを強く望みたい。
 広島では、8月に国連軍縮会議が、10月と11月に世界核被害者フォーラムが行われるほか、長崎ではパグウォッシュ会議の世界大会が11月に開催されます。
 SGIでも、他のNGOと協力して「核兵器廃絶のための世界青年サミット」を9月に開催することを検討しています。
 昨年、創価学会青年部では、核兵器の廃絶を求める512万人もの署名を集めました。サミットで、世界の青年の名において核時代との決別を誓う宣言を採択し、「核兵器禁止条約」を求める青年の連帯をさらに強めていきたい。
 思い返せば、70年代前半に歴史学者のトインビー博士と対談した折、核問題の解決には「自ら課した拒否権」を世界全体で確立することが鍵になると博士が強調していたこと(『21世紀への対話』、『池田大作全集第3巻』所収)が思い起こされます。
 今月21日、アメリカとキューバが国交正常化交渉を開始しましたが、国交断絶の翌年に起きたキューバ危機を解決に導いたのも、核使用を取り下げるという「自ら課した拒否権」を、米ソ両国が互いに示し合ったことによるものだったのではないでしょうか。
 私が「核兵器禁止条約」を展望する時にイメージするのは、この「自ら課した拒否権」を各国が持ち寄り、重ね合わせることで、「どの国の人々も、核兵器の使用がもたらす惨害に見舞われることがない時代」を共同で築き上げることにほかならないのです。

人材育成に努め成功事例を発信
 最後に第三の柱として、“行動の共有”を呼び掛けたいのは、持続可能な地球社会の建設です。
 温暖化をはじめとする地球環境問題に立ち向かうためには、教訓や経験を分かち合って事態の悪化を防ぐとともに、循環型社会への転換の道を共に模索する努力が欠かせません。
 それは、国連の新目標を進める上でも重要な鍵を握り、とりわけ近隣国同士の協力は、かけがえのない基盤となるものです。
 そこで私は、日本と中国と韓国が協力して「モデル地域」づくりに取り組み、人材育成をはじめ、成功事例の発信などに力を入れることを提案したい。
 昨年11月、日中首脳会談が約2年半ぶりに実現しました。緊張が高まった関係の改善に向け、一歩を踏み出せたことを、両国の友好を願い行動してきた一人としてうれしく思います。
 首脳会談を受け、「日中省エネルギー・環境総合フォーラム」が先月再開し、今月12日には「海上連絡メカニズム」に関する協議が行われました。
 不測の事態を回避するための仕組みの確保は急務となっていただけに、首脳会談で合意された早期の運用開始が実現するよう、準備が順調に進むことを願ってやみません。
 また本年は、日本と韓国の国交正常化50周年にあたります。
 両国の間でも政治的な緊張を解消することが課題となっていますが、毎年、500万人もの人々が往来するなど、交流の裾野は着実に広がっています。
 国交正常化当時の往来は年間で1万人でしたが、現在では日中間の往来を上回る規模に拡大しました。
 また、互いの国に良い印象を持たない人々の割合は依然として高いものの、日韓関係を重要と認識する人は共に6割を超えていること(言論NPOと東アジア研究院による「第2回日韓共同世論調査」)も注目されます。

「日中韓首脳会談」再開し次代担う青年交流を拡大

共通のプラスを一緒に生み出す
 加えて、私が期待を寄せるのは、ここ十数年の間に積み上げられてきた3国間協力です。99年に環境分野での3国間協力がスタートして以来、他の分野でも協力が模索される中、今や18の閣僚級会議を含む「50以上の対話メカニズム」と、「100を超える協力プロジェクト」が存在するまでになりました。
 さらなる発展を期すためには、政治的な緊張が高まった3年前から途絶えたままになっている、「日中韓首脳会談」の再開が強く望まれます。国連の新目標の採択を控えた今、できるだけ早い時期に、「日中韓首脳会談」を行い、緊張緩和の流れを確実にするとともに、「持続可能なモデル地域協定」の検討に着手してはどうでしょうか。
 戦後70年を迎える本年、過去の教訓を礎に「不戦の誓い」を世界に向けて宣言した上で、国連の新しい挑戦を後押しする地域協力を通じて、崩れない信頼を築く出発点にすべきであると呼び掛けたいのです。
 私がこれまで、中国の周恩来総理や韓国の李寿成元首相をはじめ、両国の指導者や識者と対話を重ねる中で共に展望してきたのは、日本と中国、また日本と韓国が友好を深め、地球益・人類益のために力を合わせて行動する姿でした。
 数世紀にわたって対立してきたフランスとドイツの和解の道を開くために尽力したジャン・モネは、かつて欧州各国との協議の場でこう呼び掛けました。
 「我々は共同作品を作るためにここにいるのだ。プラスを得るために交渉するのでなく、共通のプラスが我々のプラスなのだ」(『ジャン・モネ―回想録―』近藤健彦訳、日本関税協会)
 すでに3カ国の間には、2011年9月に設置された日中韓三国協力事務局=注6=があります。
 その役割の一つに「潜在的な協力案件を探求し及び特定すること」とありますが、国連の新目標に関わるあらゆる分野で「共通のプラス」を生み出す活動を、幾重にも広げるべきではないでしょうか。
 先述したように、SGIでは、仙台での国連防災世界会議の関連行事として、日中韓3カ国の市民社会の代表が集い、防災と復興における地域協力を模索する会議を行います。
 同事務局の協力などを得て開催するものですが、国連の新目標を後押しする地域協力は、政治のレベルのみならず、草の根の民衆レベルでも積極的に裾野を広げてこそ、大きな実りをもたらすと確信します。
 そこで、この裾野を広げるための提案を行いたい。
 一つめの提案は、青年交流の拡大です。
 フランスとドイツの戦後史を顧みる時、1963年のエリゼ条約を機に本格化した青少年交流の意義が、よく指摘されます。
 「積年の敵意は深い友情に場所を譲ることができる」──これは、条約締結50周年に際し、フランスのファビウス外相とドイツのヴェスターヴェレ外相が共同で寄稿した一文に記された印象深い言葉です。
 この言葉通り、これまで800万人以上の青少年が交流する中で、両国を結ぶ社会的な紐帯が形づくられてきたのです。
 日中韓の間でも8年前から青少年交流事業が始まっていますが、戦後70年を機に規模を大幅に拡大することを呼び掛けたい。高校生や学生を対象にした教育交流や文化交流の拡充はもとより、国連の新目標や3国間協力に関する活動に、青年たちが積極的に携われるような「日中韓青年パートナーシップ制度」を設けてはどうでしょうか。
 環境問題や防災など共通の課題をめぐって苦労を分かち合い、一緒に汗を流す経験は、若い世代にとって“自分たちの手で未来を切り開く”という何物にも替え難い人生の糧となるだけでなく、互いの国を将来にわたって結ぶ信頼の礎になると思うのです。
 創価学会の青年部でも、85年に中華全国青年連合会(全青連)と交流議定書を結んで以来、30年間にわたって往来を続けてきました。昨年5月には、今後10年間に関する交流議定書に調印し、友誼の潮流をさらに高めることを約し合いました。
 日本と韓国の間でも、九州青年部を中心に、さまざまな機会を通じて交流を広げてきました。顔と顔とが向き合う交流で育まれた青年のネットワーク以上に、「平和と人道の21世紀」を築く強靱な力はないと信じるからです。

自治体同士での姉妹交流を倍増
 二つめは、国連の新目標の達成期限となる2030年に向けて、「日中韓における自治体の姉妹交流の倍増」を目指すことです。
 思えば40年前、周総理にお会いした時、双方の最大の関心事は、いかに両国の民衆の友好を深めるかという一点にありました。
 国交正常化提言(68年9月)で私は、「国交の正常化とは、相互の国民同士が互いに理解しあい交流しあって相互の利益を増進し、ひいては世界平和の推進に貢献することができて、初めて意義をもつ」と訴えましたが、周総理も、民衆と民衆が心から理解し合い、信頼し合う関係になってこそ真に友好は結ばれると考えておられたからです。
 その信念の背景には、若い頃に留学を通して日本で1年半にわたって生活した時の経験があったのではないかと思われます。
 中国からの留学生とも交流していた思想家の吉野作造は、約100年前、周総理が留学する前年(1916年)に、険悪化する日中関係を見据えつつ、次のように述べていました。
 「国民的信任尊敬の関係があれば、時々個々の政治上経済上の問題に付て反目や誤解やがあっても、それは恰も風のまにまに起る大海の上の漣波の如きものであって、其底を流るる所の親善の関係と云うものには何等の動揺を見ないのである」(『吉野作造選集8』岩波書店、現代表記に改めた)
 私の年来の信条も同じであり、国籍は違っても互いを大切に思い、幸せを願う心の交流を幾重にも根付かせていく中で、友好の大樹はどんな風雪にも耐え、豊かに枝葉を茂らせて、未来へと受け継がれていくのではないでしょうか。
 これまで、日中では356、日韓では156、中韓では151にのぼる自治体の姉妹交流が結ばれています。今後さらに姉妹交流を拡大し、一対一の友情の絆を育む潮流を共に高めていくべきだと思うのです。

国籍は「世界」
 以上、三つの柱に基づいて提案を行いましたが、国連の新目標をはじめ、多くの課題に取り組む最大の原動力となるのは「民衆の連帯」にほかなりません。
 思えば40年前の1月26日、グアムでSGIが発足した時、私の胸に去来していたのは、“地球上から悲惨の二字をなくしたい”との戸田第2代会長の熱願であり、「地球民族主義」のビジョンでした。
 発足の場となった会議で行った署名の国籍欄に、私が「世界」と記したのも、師の思いを果たす誓いを込めてのものだったのです。
 会議では、51カ国・地域から集まったメンバーとともに採択した宣言で、SGIの基本精神を次のように確認し合いました。
 「平和創出のために、政治や経済の絆より強いものは、生命の尊厳に目覚めた民衆と民衆の心と心の連帯である」
 「永続的な平和は、人類のすべてが幸福を享受し得て、初めて実現する。したがって、われわれは、人類の幸せと、その未来の存続に『何をもって貢献できるか』という慈悲の理念を、今後の新しい思想の因子としていくことをめざしていく」
 192カ国・地域に活動の輪が広がった今も、その精神は変わりません。
 今後も、対話と友情の拡大を基盤に、「核兵器と戦争のない世界」の実現をはじめ、悲惨の二字をなくす挑戦に全力で取り組み、すべての人間の尊厳が輝く世界への道を切り開いていきたいと思います。


語句の解説
 
注1 ハンガリー動乱
 1956年10月、東欧のハンガリーで、非スターリン化を求めた民衆のデモを機に起きた政治的な動乱。デモは首都ブダペストを中心に各地に波及したが、ソ連軍の介入によって鎮圧された。その結果、1万数千人に及ぶ死傷者が出たほか、約20万の人々が弾圧から逃れるために国外に脱出し、難民となった。

注2 社会契約説
 人間は生まれながらにして自由と平等の権利を持ち、その権利を保障するには相互に契約を結んで社会を形成する必要があることを説いた近代政治思想。近代国家の正統性と存在理由を説明した理論で、17世紀から18世紀の市民革命期に登場した。代表的な思想家としてホッブズ、ロック、ルソーらがいる。

注3 四門遊観
 釈尊がシャカ族の王子だった頃、遊園に向かうために外出した時、さまざまな人々の姿を見て人間に生老病死の四苦があることを知った出来事。「四門出遊」ともいう。「修行本起経巻下」には、釈尊が王宮の東門、南門、西門から出た時に、老いや病気に苦しむ人々や死者の姿を見て、最後に北門から出た時に出家者の姿を見る中で、自らも出家を願うようになった、との話が記されている。
 
注4 移住労働者権利条約
 正式名称は「すべての移住労働者とその家族の権利の保護に関する国際条約」で、2003年に発効。移住労働者に対して、その国の労働者と同一の報酬、社会福祉、医療サービスを受ける権利などを保障するほか、その子どもについても、出生と国籍の登録を行い、教育を受ける権利を有することなどが明記されている。

注5 西アフリカ諸国経済共同体
 関税障壁の撤廃や貿易の促進など、経済活動に関する統合の推進を目的に、1¥975年に設立された経済共同体。西アフリカ地域の15カ国が加盟している。難民問題をめぐる地域協力は、安全保障分野での統合の進展と関連する形でスタートし、難民の庇護国定住を実現するための合意形成などが進められてきた。

注6 日中韓三国協力事務局
 1999年に始まった日本と中国と韓国の協力関係の拡大を背景に、より効率的で組織化された体制をつくるため、2009年の日中韓首脳会談で設立が合意。2011年9月に韓国・ソウルに事務局を開設し、活動がスタートした。「3カ国の平等性」を基本とし、予算の3分の1ずつを各国が負担。事務局に関する決定も、3カ国から派遣された、事務局長と2人の事務次長によって行われている。
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2015-01-31 : 提言 :
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女子部ロマン総会へのメッセージ

女子部ロマン総会へのメッセージ   (2015.1)

創価の乙女の連帯が未来を明るく照らす

 楽しく、希望に満ちた「ロマン総会」、誠におめでとうございます!
 「女子部は全員が幸福に」──これは、恩師・戸田先生が示された、わが女子部の永遠の原点です。
信心とは、幸福を勝ち取る、究極の生命哲学の実践です。
 私たちには、広宣流布という、自他共の幸福と世界の平和を創り広げゆく、限りないロマンがあります。
 日蓮大聖人は、「人のために火をともせば・我がまへあき(明)らかなるがごとし」(御書1598㌻)と説かれました。
 妙法を唱え、友のため、社会のため、心を尽くし、行動した分、わが生命が磨かれ、青春も、人生も、幸福の方向へ輝いていく。そして、その生命尊厳のスクラムが、世界を、未来を、明るく照らしていくのです。
 どんなに苦しいことがあっても、共に祈り、学び、「冬は必ず春となる」と励まし合いながら、一つ一つ乗り越え、勝ち越えてこられたのが、創価の誉れの母たちです。
 偉大な使命と福運を抱いた女子部の皆さんは、この創価の道を、自信を持って、最高の幸の仲間と友に、仲良く、朗らかに、進んでいってください。ロマン薫る、この道こそが、人類の希望の門を開くからです。
 大切な大切な皆さんが、一人も残らず、健康で、これ以上ないという充実と歓喜の日々であるよう、また、一家一族の永遠のご多幸を、私も妻も、毎日、一生懸命、祈り抜いてまいります。
 どうか、体を大事に。風邪などひかれませんように。お元気で! 何があっても負けない「幸福の太陽」の皆さん、万歳!
2015-01-31 : スピーチ・メッセージ等 :
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随筆 民衆凱歌の大行進 No.17 「SGI」40周年に誓う

随筆 民衆凱歌の大行進 No.17 (2015.1.22付)

「SGI」40周年に誓う

人類の平和へ 盟友《とも》よ踊り進もう!
一人立つ勇気を 一人に希望の励ましを


 歌は躍進の力である。青年の歌声の湧くところ、希望が高鳴る。
 歌は友情の絆である。民衆の歌声の響くところ、平和が広がる。
 新春、九州の若人が歌い上げてくれた「歓喜の歌」の大合唱は、世界の友の心にも谺《こだま》している。
 今月中旬、イギリスのタプロー・コート総合文化センターに30カ国のリーダーが集った “欧州広布サミット” では、ドイツの代表が「歓喜の歌」を力強く披露された。
 第2次世界大戦の終結から70周年の今年──フランクフルトには、新たに創価の平和文化会館が誕生する。今こそドイツから新生の平和の光をとの心意気に、欧州同志は拍手喝采を送った。
 ドイツの詩人・ヘルダーリンは詠じた。
 「おお兄弟たちよ われらは盟約《ちかい》をむすんだのだ/美《うる》わしい幸《さち》にみちた 永遠の盟約をむすんだのだ」
 私も、愛する創価の同志に「おお久遠の誓いで結ばれた兄弟姉妹よ!」と呼び掛けたい。
 不思議な宿縁の盟友《めいゆう》である。苦しみ悩む友を救うため、確かな平和の連帯を広げるため、時を同じくして生まれ来た地涌の菩薩であるからだ。

命をなにに使うか
 思えば、非道な軍部政府に抵抗し、投獄されていた戸田先生が、師・牧口先生の獄死を告げられたのは、70年前(1945年)の1月であった。
 戸田先生は、その慟哭《どうこく》と憤激の中で心に定めた誓いを、後年、こう述懐なされている。
 「先生の死をお聞きしたとき、だれが先生を殺したんだと叫び、絶対に折伏して、南無妙法蓮華経のために命を捨てようと決心したのであります」「命を捨てようとしたものに、なんで他の悪口《あっこう》、難が恐ろしいものであろうか」
 先師を奪った魔性への仇討ちは即、広宣流布の大誓願であった。
 自分は何のために生きるか。使命とは、その自覚の異名である。
 自分の「命」を、いったい何に「使う」のか。大目的に生き抜く使命を深く自覚した瞬間から、境涯は大きく広がる。「偉大な師弟の理想のため、わが命を使うのだ」と決めた人生は、もはや何ものにも屈しない。
        ◇
 地上から「悲惨」の二字をなくしたい──これが恩師・戸田先生の熱願であり、我ら師弟の立正安国の使命である。
 「立正安国」とは、何よりも尊厳な生命を、暴力的に侵《おか》し、奪い去るものとの戦いでもある。民衆の目から悲嘆や絶望の涙を拭い、幸福と平和の世界を創る大挑戦なのだ。

大震災を越えて
 1月17日、「阪神・淡路大震災」から20年の節を刻んだ。亡くなられた全ての方々に、あらためて懇《ねんご》ろに追善回向させていただいた。
 わが兵庫、わが関西の友は、消えることのない悲しみも、身も心も潰れそうな労苦も、不屈の闘志で堪え、押し返しながら、生きて生きて、生き抜いてこられた。
 「大悪をこ(起)れば大善きたる」(御書1300㌻)との御金言を命に染めた常勝の盟友は、「悲嘆の涙」を「誓いの祈り」に変えていった。
 被災されたある婦人の苦闘を、私の妻は胸に刻んできた。
 その婦人は、大震災で19歳の愛娘を亡くし、残された生後4カ月の孫娘を引き取った。悲嘆に暮れる間もなく、育児に追われた。母乳をもらいに近所を歩きもした。
 孫娘は、祖父母を「父母」、生みの母を震災で亡くなった「姉」と信じて育った。ようやく真実を伝えられたのは、孫娘が小学3年生の時だった。
 自分が本当は「おばあちゃん」だと明かすと、孫娘は言った。「お母さんは、お母さんやん……」
 今、孫娘は20歳。産んでくれた母、育ててくれた母、 “二人の母” への感謝を胸に成長を誓う。
 この乙女をはじめ、大震災に前後して誕生した若き友たちが、今年、晴れて成人式を迎えた。
 新成人──若き生命には無限の希望がある。
 正月の「箱根駅伝」で、懸命に力走した創価大学の走者たちも、20歳を中心とするメンバーだ。
 新時代を開く大使命の友の幸福と栄光勝利を、祈らずにはいられない。

民衆の大連帯に
 1975年、SGI(創価学会インタナショナル)が発足した原点の地グアムで、40周年の記念行事が盛大に行われた。ご出席くださった知事、市長をはじめ各界の方々のご厚情に心から御礼申し上げるとともに、地元の同志の真心に深く感謝を捧げたい。
 女性の活躍がひときわ光るグアム社会の繁栄を伺い、感無量である。
 当初の51カ国・地域から192カ国・地域へ――今やSGIは人類を照らす平和と文化と教育の大連帯となった。
 「日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり」(御書589㌻)――日蓮大聖人が示された「仏法西還」の法理を、学会は現実の地球で厳然と証明してきた。
 この道を開いてくださったのは、東洋広布を叫び、「地球民族主義」を師子吼された戸田先生であられる70年前、敗戦の荒野に一人立った、わが恩師である。
 御書に云く、「一は万が母」(498㌻)と。
 「世界広布新時代」の躍進といっても、全ては、一人の一歩から始まる。
 自らが一人立ち、一人と語り、一人を励まし、一人の心に希望の火を灯すことから始まるのだ。
 この新時代は、まだまだ草創期である。これからも、試練の嵐や壁があるだろう。だが──。
 「人間の営みにあっては、恐れではなく希望が、創造の原理となる」とは、英国の哲学者ラッセルの信念であった。
 人間は今よりも、必ず、より良い未来を築いていくことができる! この透徹した希望を、絶対に手放してはならない。わが生命に具わる最極の可能性を信じてこそ、一人の人間の心を変え、環境をも変えられるのだ。
 御聖訓には、「久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解《さと》りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」(御書1337㌻)と結論なされている。
 題目を唱え、広宣流布に生きる一人ひとりが、いかに尊貴であり、偉大であるか。大宇宙の根本の法則たる妙法と一体不二であり、久遠元初の仏の大生命が脈々と流れ通っていく。我々自身が、究極にして不滅の「希望」の当体なのだ。
 それを自覚すれば、自在の智慧と力が出る。いかなる生死《しょうじ》の苦悩も打開できないわけがない。
私たちには、人類の希望である後継の未来部が続いてくれている。

未来へ朗らかに
 私たちには、人類の希望である後継の未来部が続いてくれている。結成50周年を祝賀する中等部の大会(12日)には、SGI研修会で来日中の南米パラグアイのメンバーが参加してくださった。富士中学生合唱団のスペイン語の歌声にも大感動されていた。
 希望の歌声は、世界を結び、未来を開く。
 SGI発足の日「1月26日」を誕生日とする音楽家がいる。
 1905年のこの日にオーストリアに生まれ、ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」のモデルとなった、マリア・フォン・トラップさんである。
 彼女と家族はナチスのために歌うことを拒否してアメリカに亡命したが、入国審査の際に勾留されてしまった。
 だが、自らも囚われの身となりながら、苦闘の友のために歌い続けた。
 「歌をきいていると、かかえている問題でくよくよしている気持ちが晴れるのだ」と。
 私が対談集を発刊した「平和研究の母」エリース・ボールディング博士は、このトラップ一家と交友を結ばれていた。
 博士は語られていた。
 ──ご一家の姿が「平和は必ず再建できる」との信念を呼び覚まし、今、生きている「その場所」で「平和の創出者」として行動を始めるよう促してくれた、と。
 私たちSGI家族は、歌声も朗らかに、異体同心のスクラムで「不屈の力」「乗り越える力」「励ましの力」を漲らせ、今いる場所から、民衆の平和の連帯を創り、世界に広げていきたい。
        ◇
 「世界広布新時代 躍進の年」の主役は誰か?
 それは、「苦楽ともに思い合せて」の唱題を根本に、決然と戦いを起こす勇気の一人だ。
 今日も自らの地域の大地で、妙法という平和の種を蒔く誠実の一人だ。
 その一人ひとりの地道な挑戦は、地球社会の安穏へ深く連動し、遙かな未来へ花を咲かせる。
 さあ、師子の君よ! 太陽の貴女《あなた》よ!
 共々に、大歓喜の春を勝ち飾り、栄光の創立85周年の山を堂々と、登りゆこうではないか!

 決めた道
  躍り進まむ
   盟友と
  誓いを胸に
    平和の峰へ


ヘルダーリンの言葉は 『ヘルダーリン全集1』 所収「友情の祝いの日に」川村二郎訳(河出書房新社)、ラッセルは 『世界の大思想26』 所収「社会改造の諸原理」市井三郎訳(河出書房新社)、トラップは 『サウンド・オブ・ミュージック アメリカ編』 谷口由美子訳(文渓堂)。
2015-01-31 : 随筆 民衆凱歌の大行進 :
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2015 新年特集

新年特集

2015年「世界広布新時代 躍進の年」おめでとうございます。

新年勤行会へのメッセージ (2015.1.1)

後継の人材よ育ちゆけ

 明るい明るい、希望にあふれる新年、誠におめでとうございます。寒い中、年頭より本当にご苦労さまでございます。
 日本全国、そして全世界の創価家族が心を合わせて、人類の幸福と世界の平和を祈り、広布と人生の新たな勝利へ出発する。これほど尊く、これほど力強い新春の集いが、いずこにあるでしょうか。
 御本仏・日蓮大聖人は仰せになられました。「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり、日蓮一人《いちにん》はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし」(御書1360㌻)と。
 大宇宙の究極の法則である妙法をば、唱え、弘めゆく皆さま方こそ、最も偉大な地涌の菩薩なのであります。
 久遠からの誓いで結ばれた我らは、大聖人と等しい、最極の仏の生命力を発揮しながら、法のため、人のため、社会のため、そして未来のために、愉快に、仲良く、恐れなく、この一年も勝ち切っていこうではありませんか!
 今年は、初代・牧口常三郎先生、2代・戸田城聖先生が、仏意仏勅の創価学会を創立なされてより85周年――。
 皆さま方の異体同心の団結によって、今、妙なる「躍進」の時が到来しました。
 第3代の私は、皆さま方の信心の先輩として、一人ももれなく健康でご長寿で、ご一家が和楽と大福運の人生を歩んでいかれるよう、真剣に祈り続けてまいります。
 結びに、新春の一句、

 いざや舞え
  これから君が
     晴れ舞台

 と贈ります。
 世界一の創価家族、万歳! 偉大なる皆さま、万歳!
 後継の人材が無限に育ちゆくことを深く祈念しつつ。

新年の歌     (2015.1.1付 聖教新聞)

 苦も楽も
 分つ同志《とも》こそ
    わが命
  万年 轟く
   不二の凱歌を

 夢に見た
  励まし社会の
   創造へ
  創価の女性は
   希望の陽光《ひかり》と

 後継《きみ》たちが
  走り走りて
   凱旋門
  正義のメロスよ
   金の道 征け

        2015年 元旦

新年の歌     (2015.1.1付 創価新報)

肩組みて
 愉快に築けや
   金字塔
 後継 担う
  勝利の証《あかし》と

光 満つ
 華陽《ロマン》の天女《てんにょ》に
  不幸なし
 生命《いのち》の宮殿
  今日も輝け

言論の
 雄と勝ち抜け
  俊英は
 正義の哲理と
  宝剣《つるぎ》 掲げて

        2015年 元旦

新年の歌     (2015.1.1付 記念カード)

 悠然と
  我らの心も
    不二《ふじ》の山
  嵐に不動の
    人生 楽しく

 人材の
  花に満ちたる
       創価城
  幸福 爛漫
   共に咲きゆけ

 忍辱の
  今日の修行に
     諸天 冴え
  歓喜の虹は
     心の財と

わが友へ (グラフSGI  2015.1月号)

「未来」は「今」決まる。
一日に一つ、
何か新しいことに挑戦!
月々日々に、
チャレンジした分だけ
自分が大きくなる。

わが友に贈る (2015.1.1付 聖教新聞)

創価の前進と連帯こそ
全人類の希望の光源!
さあ 世界の同志と共に!
広布万代の礎を築く
黄金不滅の一年に!

新年メッセージ (グラフSGI 2015.1月号)

青き地球に希望を広げゆけ!

 青き地球を大舞台に、「生命尊厳」の希望の哲理を、いやまして広げゆく「世界広布新時代 躍進の年」が晴れ晴れと開幕しました。
 それぞれの使命の天地で、社会貢献の良き市民として活躍される皆様方が安穏であられ、福徳に包まれた、最高に価値ある「躍進」の一年を、健やかに、また朗らかに飾りゆかれますことを、私は心からお祈り申し上げます。
 740年前、日蓮大聖人は烈々と「法華経の大白法の日本国並び一閻浮提に広宣流布せん事も疑うべからざるか」(御書265㌻)と仰せになられました。戦火や災難が社会を覆っていた乱世に放たれた御断言です。
 全人類の幸福と平和を顧われた、この大聖人の御確信と壮大な展望を実現してきたのが、我ら創価学会です。
 本年は、未曾有の惨禍をもたらした第2次世界大戦の集結から70年の節目に当たっています。
 思えば、日本の軍部政府の弾圧に、師弟で抗し、信念の獄中闘争を貫かれた戸田城聖先生が出獄されたのは、その終戦の直前、1945年の7月3日のことです。
 獄死なされた殉教の先師・牧口常三郎先生の不二の弟子として、戸田先生は戦火の焼け野原に一人立ち、「苦悩の民衆を、断じて救っていくのだ。今こそ広宣流布の時だ。人類の宿命転換の時だ!」と叫ばれました。
 この70年前の恩師の師子吼を思い起こしつつ、私たちは、「広宣流布」即「人類の平和と共生」の躍進を目指し、民族や文明を超え、世界市民の友情と信頼の連帯を一段と強め、深めていきたいのであります。

 私は、昨年、オーストラリアの平和学者であり詩人であるスチェアート・リース博士と対談集『平和の哲学と詩心を語る』※1 を刊行しました。その中で、私も深い友誼を結んだ南アフリカのマンデラ大統領がシドニーを訪問した瞭の写真を紹介してくださっています。
 平和と人権のために戦い抜かれたオーストラリアの2人の女性の偉業を、マンデラ元大統領が笑顔で讃えている光景です。
 リース博士は、その女性の一人、コーネリアス博士の信条を披露されました。
 それは、「『でも(but)』ではなく『そして(and)』を使って発言しよう」ということです。「でも」の後には悲観的な言葉が続きがちなのに対して、「そして」の後には問題の解決につながる、前向きな言葉を紡ぎ出す道が開ける、とリース博士は言われるのです。
 確かに状況が厳しいと、人はともすれば、「でも、現実は難い」とか「でも、条件が整っていない」など、諦めに傾きがちです。しかしそれでは、前進への希望は生まれません。
 御聖訓には、「三障四魔と申す障りいできたれば賢者はよろこび愚者は退く」(同1091㌻)と説かれています。
 試練に直面した時、「でも」と、わが生命の一念が臆して退いてしまうのか、それとも、「そして」と、喜び勇んで立ち向かっていくのか。
 妙法は、万人が賢者の勇気に燃えて、恐れず、嘆かず、諦めず、前へ前へ進んでいくための究極の力であり、智慧であります。
 決然たる一念で祈り、満々たる生命力で一歩を踏み出していくならば、そこから「人間革命」の勝利の劇が広がるのです。

 55年前、世界広布への旅に出発した私は、ハワイでも、北南米大陸でも、「目の前の一人」を励まし、共々に「人間革命」への一歩を踏み出すことから、一切の戦いを始めました。
 世界のいずこにあっても、私は「地涌の菩薩よ、躍り出でよ!」と天地に題目を染み込ませ、出会った方たちと誠実に仏縁を結んできました。
 40年前の1975年1月26日、SGI(創価学会インタナショナル)が発足したグアムでの第1回「世界平和会議」で、私は申し上げました。
 「この会議は小さな会議であるかもしれない。また各国の名もない代表の集まりかもしれません。しかし、幾百年後には今日のこの会合が歴史に燦然と輝き、皆さんの名前も、仏法広宣流布の歴史に、また、人類史に、厳然と刻まれゆくことを私は信じます」
 あの時、集ったのは、51カ国・地域の代表でした。今、広布の大河は、192カ国・地域へと広がり、太陽の仏法は全世界を赫々と照らしています。妙法の種は幸福の花々となって咲き薫り、そして、
功労の友の芳名は、時とともに、いやまして輝き光っているではありませんか。

 1990年代に民族紛争の悲劇に見舞われた欧州のバルカン半島でも、今や創価の友は、人間主義のスクラムを語り広げています。
 麗しい異体同心の座談会も賑やかに行われ、青年をはじめ、幾多の新入会の友が誕生していると伺っています。
 自身の、そして社会の宿命転換に、手を携えて立ち上がっている英姿は、何と嬉しく、頼もしいことでしょうか。
 共に祈り、励まし合い、仏性という人間生命の究極の善性を、自他共に開いていく  これこそが、今なお戦火と暴力の絶えない世界において、最も堅実にして確実な平和の建設であると、私は信じてやみません。

 韓国宗教学会の会長を務められた、ソウル大学の金《キム》鍾瑞《ジョンソ》教授は語ってくださいました。
 「優れた宗教かどうかは、歴史の長短では決まりません。今、目の前で苦しんでいる人を救えるかどうか、その可否が重要です。SGIはこれまで、多くの人々の苦悩に寄り添い、共にそれを乗り越えてきました。だからこそ、発展を続けているのです」※2 
 揺るぎない信仰と慈悲の精神を胸に、友の幸福を祈り、価値創造の対話を広げる。そして社会の繁栄へ、世界の平和へ、「良き市民」として行動を続けるSGIの友こそ、「地域の宝」であり、「地球社会の宝」なのであります。
 東京・信濃町の総本部に「広宣流布大誓堂」が完成してから1年がたちました。
 今、この師弟誓顧の大殿堂に、日本全国、そして全世界から誉れの同志が毎日のように勇み集ってこられます。
 私も、昨年11月には、SGIの秋季研修会に集われた方々と、忌れ得ぬ出会いの歴史を刻みました。清々しい誓いが、確固たる決意が、何ものにも負けない大歓喜が、その瞳には輝いていました。
 皆、それぞれの宝土で活躍される同志と一体不二のリーダーたちです。私は、まさに世界のすべての地涌の友とお会いしている思いでありました。

 SGI発足40周年の本年は、日蓮仏法が世界宗教として、さらなる飛躍を遂げゆく重要な年であります。
 大聖人は門下に呼びかけられました。
 「いよいよ強盛に大信力をいだし給へ」(同1192㌻)
 私たちは、「世界広布新時代 躍進の年」を「いよいよ」の心で、明るく、仲良く、勇気凜々と前進し、新たなる挑戦を闘始しようではありませんか!
 最後に、敬愛する宝友とご家族の健康長寿、そして、ご多幸と勝利を心から念願し、私の新年のメッセージとさせていただきます。

                               2015年     元旦

※1 『平和の哲学と詩心を語る』著者:スチュアート・リース/池田大作(第三文明社)
※2 2014年6月10日付 聖教新聞「世界広布の鼓動」

                 
                                     2015年 元旦

新・人間革命 広宣譜 36 (2015・1・1付)

 人類は、黎明を待ちわびていた。眼を凝らし、固唾をのみ、漆黒の海を見つめる。
 暁闇を破って、黄金の光が走った!
 金波銀波が煌めく彼方に、雄々しく白光を放って、旭日が躍り出る。
 朝だ! 「世界広布新時代」の大空へ、太陽の仏法は昇った。光は、刻一刻、一切衆生の無明の闇を払い、万人の生命の「仏」を覚醒し、幸と歓喜の光彩を広げていく。
 日蓮大聖人は、「天変地夭・飢饉疫癘」の蔓延する世に、「立正安国」の旗を掲げて一人立たれた。そのバトンを受け継いだ創価の師弟が今、地涌の大行進を開始するのだ。
 人心はすさみ、世界には、不信と憎悪の分断の亀裂が幾重にも走る。戦火は果てず、自然もまた、凶暴な牙を剝き、人びとは、不安と恐怖の濃霧のなかをさすらう。
 急がねばならぬ! 友の胸中に、人間主義の慈悲と正義の旗を打ち立て、世界を結ぶのだ。一個の人間の生命を変革し、社会、人類の宿命の転換を成し遂げ、崩れざる平和と繁栄を築くのだ――これが、「立正安国」だ。これが、われらの尊き使命だ。さあ、心に太陽をいだいて、躍進の第一歩を踏み出そう!
 「躍進」とは、歓喜踊躍の前進だ。
 御聖訓には、「我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(御書788㌻)と。
 私たちは、本来、仏である。その仏が、末法の衆生救済を誓願し、あえて悪業を担い、苦悩を背負って、この世に出現したのだ。
 それは、大仏法に巡り合い、宿命転換することをもって、仏法の厳たる功力を証明するためだ。ゆえに、打開できない宿命も、苦悩も絶対にない。この最極の真実に目覚め、わが使命を自覚し、自ら勇んで戦いを起こす時、生命は大歓喜に包まれ、悠々と苦悩に打ち勝つ大境涯へ、自身を高めていけるのだ。

 求道あるところに、歓喜はある。
 祈りあるところに、歓喜はある。
 実践あるところに、歓喜はある
 信仰とは、あふれる歓喜の源泉なのだ。

大白蓮華 巻頭言   題目の師子吼に恐れなし   (大白蓮華 2015.1月号)

 新たな一年を、生まれ変わったように新鮮な生命でスタートしたい。そして、新たな一日また一日を、元旦のように清新な息吹で前進し続けていきたい。これは、万人の願望であろう。
 「毎日毎日が、両手に余るほどの可能性を引きつれて私のもとを訪れます」と微笑んだのは、障がいに負けず、社会貢献を貫いたヘレン・ケラーである。
 宿福深厚にも妙法を受持した私たちは、来る年も、来る朝も、題目の音声とともに、久遠元初の太陽を昇らせ、わが生命を蘇らせていくことができる。
 御書に「妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり」(947㌻)と仰せの通り、唱題行こそ究極の若さと、無限の活力の源泉なのである。
 地涌の菩薩たる我らの題目は、誓願の祈りである。いわゆる何かに弱々しくすがる願いなどではない。自ら誓いを立て、その成就へ一念を定め、大宇宙の根本法則に合致し、全生命で轟かせゆく師子吼なのである。これほど強く、これほど荘厳な力はない。
 わが師・戸田城聖先生は、よく言われた。
 「日蓮大聖人と共に、妙法広布を誓い、戦う人の祈りは必ず叶っていく。三障四魔よ、何するものぞとの大確信で祈り切れ」と。さらにまた、「一人の強盛の信心の祈りに、皆がついてくる。皆が最後は幸福になれるんだよ」とも教えてくださった。
 ゆえに、何があっても、まず題目だ。
 題目の人は、断じて行き詰まらない。
 大聖人は、病と闘ってきた門下を励まされて、「法華経と申す御経は身心の諸病の良薬なり」(1015㌻)と仰せになられている。そして、法華経に説かれた、「病即《すなわち》消滅して不老不死ならん」、また「現世は安穏にして後生には善処ならん」、さらに「諸余怨敵皆悉く催滅せん」との経文を送られた。
 自行化他にわたって、妙法を実践しゆく我が生命は、大聖人の御生命と一体不二である。
 朗々たる題目で、病魔を乗り越え、「健康長寿」を勝ち開いていくのだ。どんな宿命も使命に転じて、自他共に、永遠の大幸福境涯を築いていくのだ。
 正義の仏天を揺り動かしながら、いかなる強敵《ごうてき》も打ち破り、「絶対勝利」の実証を現していくのだ。
 雪深き青森で、40年以上も、聖教新聞を配達されてきた功労の母がおられる。かつては村八分にも遭った。しかし100の圧迫には、100以上の智慧と力で勝つと決めて、断じて屈しなかった。今、「わが地域は日本一」と胸を張りながら、語られる。
 「題目は何でも生み出せる力です。祈れば、幸福になってほしいと、自分自身の仏性から言葉が出て、相手の仏性に届きます。新しい同志をつくり、友好を広げることが、何よりの生きがいです」と。
 あまりに尊き創価の法友の希望と勇気の唱題が、地域社会も地球社会も包みゆく時代に入った。
 さあ、躍進の一年、師弟の誓願に生きる我らは、題目の師子吼も誇らかに、勝ち進もうではないか!

 題目の
  師子吼の我らに
     恐れなし
   功徳と勝利を
     無限に開けや

希望の虹 ~世界の偉人を語る~ 

第10回 物理学者 湯川秀樹博士     (2015.1.1 少年少女きぼう新聞掲載) 

みなさんの挑戦が平和の一歩に

 私の大好きな少年少女部のみなさん、あけまして、おめでとう!
 新しい朝日がのぼりました。
 新しい一年のはじまりです。
 私たちも、心に朝日をのぼらせ、新しいチャレンジをはじめよう!
 私も毎年、年のはじめに、心も新たに決意することがあります。
 それは、この一年、「世界平和」を一歩でも前進させることです。
 みなさんのお父さんやお母さんをはじめ、世界のSGI(創価学会インタナショナル)の同志と共に、心を合わせて、平和のため、人々の幸せのため、今年も、ますます元気に行動していきます。
 私たちの最大の希望は、何か。それは、未来部の皆さんの成長です。
   *   *   *
 SGIができたのは、40年前、1975年のl月26日です。
 太平洋にうかぶグアム島に、51の国や地域の代表が集まって出発しました。今、l月26日は、「SGIの日」となっています。
 私も毎年、この日に合わせて平和への提言を発表しています。
 平和は、世界のだれもが求めているのに、戦争や争いの歴史がくりかえさ
れてきました。一人の力では、どうにもならないと、あきらめている人もいます。
 しかし、「人類が本当に平和を願い、幸せに生きることを望むかぎり、道は必ず開けると信じます」と語った科学者がいます。日本人で、はじめてノーベル賞を受賞した、物理学者の湯川秀樹博士です。
   *   *   *
 湯川博士は、今から108年前の1907年(明治40年)1月、東京で生まれ、京都で育ちました。
 博士のお父さんは、地質学という、地球のことを研究する学者でした。創価の父、牧口常三郎先生が若き日、『人生地理学』という本を出された時、高い評価をよせた方でもあります。
 また、おじいさんも、昔の中国の本などをよく勉強した人で、秀樹少年は、小さいころから、漢字ばかりの本を、声に出して読まされました。おかげで、小学校に入ると教科書をスラスラ読むことができました。習字も得意でした。
 でも、体育や図工、作文は苦手でした。それに、はずかしがりやで、なかなか自分から友だちに話しかけることができず、はっきりと人に自分の意見を言えなかったのです。そのため、「イワン(言わん)ちゃん」と呼ばれたこともありました。
 みなさんにも、苦手なことがあるでしょう。だからといって、自分のことを、“ダメだ”などと思う必要はないのです。
 秀樹少年には、何かをはじめたら、とことんやり通す、「ねばり強さ」という長所がありました。そのため、一生けんめい、学校の勉強に打ちこみ、学ぶことが好きになっていったのです。
 そうして高校に入り、大学に進み、「物理学」の研究に取り組んでいきます。いくら失敗しても、すぐに答えが見つからなくても、自分を信じて、「くじけるものか」と、挑戦を重ねました。
 そして、ついに大きな発見をします。「原子」という、これ以上小さく割れないと、長い間、思われてきた小さなつぶの中に、「中間子」という、さらに小さなつぶがあるはずだと気づいて、世界ではじめて発表したのです。
 後になって、この考えが正しいことが証明され、1949年に湯川博士はノーベル物理学賞を受賞しました。日本が戦争に負けて4年後のことで、暗い世の中に、明るい希望の光をおくるニュースとなりました。
   *   *   *
 湯川博士は、平和運動にもつくしていきます。そのきっかけとなったのが戦争であり、広島と長崎に原子爆弾(原爆)が使われたことでした。
 博士は、兄弟で一番仲の良かった弟を兵隊にとられ、亡くされています。その悲しみは、私にもよくわかります。私もまた、大好きだった兄が、戦死しているからです。その知らせを聞いて悲しみに肩をふるわせていた母の後ろ姿が、私の平和運動の原点です。
 博士は、戦争が終わって間もなく、「原子と人間」という詩を、未来を担う少年少女たちにおくりました。
 そこには、“科学の進歩は、人類を幸福にするが、一方では尊い命をうばう兵器も生み出してしまう。科学が進歩すればするほど、人間はもっと進歩しなければいらない!”という思いがこめられています。そして、博士は「原始時代が到来した……人間同士の和解(仲直り)が大切だ 人間自身の向上が必要だ」と呼びかけました。
 当時、私は師匠である戸田城聖先生の会社で、少年少女向けの雑誌の編集長をしていました。
 雑誌では、科学の話を通して、みんなに夢や希望を広げようとしました。湯川博士のことも、ぜひ書きたかったのですが、雑誌がとちゅうで出せなくなってしまい、実現できませんでした。今こうして、みなさんに語ることができ、本当にうれしく思います。
   *   *   *
 湯川博士は、世界の科学者が集まって核兵器に反対した「ラッセル=アインシュタイン宣言」にも、日本人で、ただ一人、署名しました。博士は「核兵器は悪である」と言い切りました。
 戸田先生も“核兵器は絶対に許してはならない”とさけばれ、弟子の私も同じ思いで行動してきました。「ラッセル=アインシュタイン宣言」に署名し、後にノーベル平和賞を受けたポーリング博士、ロートブラット博士とも対談集をつくりました。
 湯川博士の奥様であるスミ夫人は、博士が亡くなった後も、博士の願いである世界平和のために行動され続けました。SGIの活動にも共鳴して、みなさんのお母さん方の平和運動も、心から、たたえてくださいました。
   *   *   *
 これからの時代の平和を築くのは、みなさん一人一人です。
 みなさんが、新しいことに挑戦して大いに学んでいくこと、体をきたえてじょうぶにしていくこと、友だちと仲良く友情を結んでいくこと、そうした一歩また一歩が、やがて世界の平和につながっていきます。みなさんこそ、希望であり、未来そのものなのです。
 「ひとりひとりが生命を大切にし、賢くあり、そして希望を失うことなく、それぞれの立場で努力していきましょう」と湯川博士は呼びかけています。
 今年も、私は、いよいよの思いで、みなさんの健康と前進を祈り、みなさんに励ましをおくり続けていきます。
 さあ、一年のはじまりです!
 自分らしく挑戦をはじめよう!
 私といっしょに!

未来の翼 世界が君を待っている

第10回 ネパールの頂      (2015.1.1付 未来ジャーナル)

君よ、粘り強く最高峰の青春を

 新しい一年の始まりに当たり、皆さんに、一つ質問をします。
 「王」という文字は、「三」という字を書いて、「一」の字を縦に書き表すね。これは何を意味していると思いますか?
 日蓮大聖人の御書には、「三」は天と地と人を表し、それを貫いて少しも動かない存在を「王」というと説かれています
 そして、その王の象徴こそ、世界一の大山脈・ヒマラヤなのです。

 王者の山・ヒマラヤは──
 何ものにも揺るがない父の如く、堂々とそびえています。
 全てを優しく包み込む母の如く、人々を見守っています。
 肩を組んで試練に挑む皆さんの如く、天空を目指しています。
 20年前の1995年11月。私は、美しき精神の大国・ネパールを訪れました。
 名門・国立トリブバン大学での式典などを終えた後、首都カトマンズから車で1時間ほど走り、郊外へ向かいました。“ヒマラヤを仰げる丘へ”と、地元の方々が真心こめて案内してくれたのです。
 ただ、天候によって、必ずしも見られるとは限りません。この曰の夕刻も、到着するまでは、あいにく雲が出ていました。
 カメラを手に少し歩くと、それまで頂をおおっていた雲が、カーテンのようにサッと開《あ》きました。そして白雪を身にまとった王者の峰が、夕日の“スポットライト”に浮かび上がったのです。
 チャンスは一瞬でした。
 シャッターを切ることびできた、ほんの数秒間だけです。あたりは天の照明をゆっくりと落とすように、夕闇に包まれていきました。夕ごはんのしたくをする煙も上がっています。
 一瞬の出あい。しかし、天を衝くヒマラヤは、無言にして無限の励ましを贈つてくれました。

 「世界広布新時代 躍進の年」、私は皆さんに呼びかけたいことがあります。
 それは、この一年、自分自身の最高峰を目指そうということです。
 私の恩師・戸田城聖先生は、「青年は、望みが大きすぎるくらいで、ちょうどよいのだ」とよく、言われました。
 大きな希望を抱いて最高峰に挑むことは、青年の特権です。そこに青春の「躍進」が生まれます。
 「躍進」の「躍」には、「足」があります。また右側の「翟《てき》」は、鳥が羽ばたいて飛び立とうとする姿に由来するといいます。
 大地にどっしりと足をつけ、他人と比べて焦るのではなく、自分らしく粘り強く努力を重ねていく。そして、希望の大空を見つめ、無限の可能性の翼を広げて、飛翔していくのです。
 常に、高みへ向かって、少しずつでも前進していく人が、青春の勝利者です。
 ネパールにも、そうした皆さんの仲間が、いっぱい光っています。

 ネパールは、インドと中国の間に位置します。大きさは、北海道の2倍ほどです。
 世界最高峰のエべレスト(標高8848㍍)を頂点としたヒマラヤ山脈をはじめ、亜熱帯のジャングルなど、壮大な自然に抱かれた国土に、30以上もの民族が調和しながら暮らしています。
 仏教の創始者・釈尊が誕生したのも、ここネパールです。
 ネパールは、“微笑んでいる人たちの国”といわれます。また、多くの偉大な詩人を生んだ「詩心の大国」です。
 ネパールを代表する人道主義詩人サマは謳っています。
 「エべレストのごとく、常に毅然として揺るがず、心に真実と美と永遠を抱こう」と。
 ヒマラヤ山脈を撮影した日、私は、あの丘で、地元の村の子どもたちと忘れ得ぬ友情を結びました。20人ほどいたでしょうか、珍しそうに、異国から来た私たちを遠巻きに見ていました。
 私が「おいで、おいで」と招くと、ニコニコと人懐こく寄ってきてくれました。皆の澄んだ瞳が、宝石のようでした。あどけない笑顔は、蓮華の花のようでした。美しい心が、ひときわ輝いていました。
 私は、国の宝、世界の宝である“未来の使者”たちに、心を込めて語りかけました。
 「ここは仏陀(釈尊)が生まれた国です。仏陀は、偉大なヒマラヤを見て育ったんです。あの山々のような人間になろうと頑張ったのです。堂々とそびえる勝利の人へと自分をつくり上げたんです。みなさんも同じです。すごい所に住んでいるのです。必ず、偉い人になれるんです」
 皆、真剣な眼差しを向けてくれました。通訳の方を通しての語らいでした。それでも、心と心は通い合っていました。私には、それがはっきりと分かりました。
 私は、涼やかな目を見つめて言いました。
 「皆、勉強して、偉くなってください」
 最高峰の人格の人・釈尊の生まれた国の若人たちよ、徹して学び続ける求道の青春を! そして、最高峰の価値ある人生を! 私はそう願って、やみませんでした。
 皆、ニッコリと白い歯をこぼして応えてくれました。その場を去る時、一生懸命に手を振り、走って追いかけてまで、私たちの車を見送ってくれた姿が、命に焼きついて離れません。
 車中、私の胸には、2日前にお会いしたネパールのビレンドラ国王の言葉がよみがえっていました。国王は穏やかな笑みをたたえつつ、こう語られました。
 「教育がいかに大切か、私たちは知っています。教育は若き世代に対し、将来、彼らが直面するであろう困難と諸問題に打ち勝つ力を与えます」
 「学は光」です。私は子どもたちの未来に光あらんことを、心から祈らずにはいられませんでした。
 うれしいことに、私が出会った子どもたちは、立派に成長し、理学療法士や公務員、ドライバーなどとして、ネパールの天地で活躍していると聞いています。

 ネパールの大詩人デウコタは詠みました。
 「我々は、この世界を理解しなくてはならない。臆病であってはならない。世界を直視し、勇気を奮い起こすのだ。
 この世に生きている間に、大空へと翼を広げるのだ」
 この詩を私が一緒に味わった、かけがえのない友人が、ネパールのマテマ元駐日大使です。
 大使こ自身も、この詩の如く生き抜いてこられました。
 私が大使と初めてお会いしたのは94年。大使が、トリブバン大学の副総長を務めておられた時に、東京にお迎えしました。
 大使はネパールではなく、インドで生まれ育ちました。当時の独裁政権にご家族が立ち向かい、数十年にわたる亡命生活を余儀なくされていたからです。
 大使が若き日、最も影響を受けたたのは、「貧しい人々のために行動しなければ」と、勇敢に戦った、親せきのおじさんの存在でした。
 おじさんは、政府の要職に就いていました。しかし、そうした地位を投げ捨てて、民衆の真の幸福のために立ち上がったのです。独裁政権によって、おじさんは処刑されましたが、その不屈の精神は、大使の命に深く刻まれました。
 おじさんは常に自身を導く「人生の灯台」であると、大使は私にこう語つてくれました。
 大使は勉学に励んで、イギリスに留学し、やがてトリブバン大学の教壇に立つことになります。
 70年代、学生たちが民主化を求めて運動を開始した時、大使も共に断固と立ち上がりました。権力から圧迫を加えられ、辞職しても、負けじ魂を燃え上がらせ、一貫して民衆のために働きました。そして、明年、ネパールは民主化を果たすことができたのです。
 徹して学び、行動する「勇気」。これこそ、一流の人物に共通する、人生で最も大切な美徳です。
 2l世紀の世界は、紛争やテロ、貧困や人権、環境問題をはじめ、重大な課題が山積しています。若き皆さんの活躍を待ち望んでいる人々が、たくさんいます。
 私はこの「勇気」の二字を、人類の宝である、君たち、貴女《あなた》たちに贈りたい。そして、その勇気の翼、未来の翼で、世界を駆け巡ってもらいたいのです。

 私はトリブバン大学で、「人間主義の最高峰を仰ぎて──現代に生きる釈尊」と題する講演を行いました。その中で、“ヒマラヤの如き悠然たる境涯を確立することが、世界平和の原点”ということを訴えました。
 心の大きな人は、他人に嫉妬しません。心の豊かな人は、つまらぬ縁に紛動されません。
 皆さんには、何があっても悠然と乗り越えていく自身を築き上げるための、信心があります。題目があります。
 日蓮大聖人は仰せです。
 「須弥山(世界の中心の最高峰の山)の始めは一つの塵である。一を重ねれば二となり、二を重ねれば三となり、このように十、百、千、万、億……となっても、その生みの母はただ『一』なのである」(御書1237㌻、趣意)
 今の一歩の努力、一人の友情、一つの親孝行が、ヒマラヤの如き自身を創ります。
 その活力は題目です。なかなか一歩を踏み出せないなと思う時でも、決意の題目を唱えて、一歩また一歩と挑んでいけば、必ず一日一日と持続していけるのです。

 ヒマラヤ山脈は現在もなお、1年間に数センチずつ高くなっているといいます。 人間も同じく、最高峰の人は、常に成長し続けます。
 戸田先生も、一生涯、勉強し続けた偉人でした。亡くなる直前まで、私に「今日は何の本を読んだか」と尋ねられ、「私は『十八史略』(中国の歴史の物語)を読んだよ」と言われながら、将軍学を教授してくだざいました。
 ネパール滞在中のある夜、妻が「あら! 流れ星!」と空を見上げました。
 私は感慨を込めて答えました。
 「戸田先生が喜んでくださっていつるね」と。
 いつでも、どこでも、私の胸には、悠然たるエべレストの如き、世界最高の師匠がいます。ゆえに、弟子である私も、永遠に挑戦をやめません。日々勉強であり、日々努力です。
 そして、私の心には、未来部という成長し続ける人材山脈がそびえ立っています。これほど心躍る絶景はありません。
 最高峰を仰いで人生を登はんする人に、停滞はありません。後退も、敗北も、絶対にありません。最後は必ず、勝利の眺望を楽しむことができる。
 ここに「師弟」の道があります。愛する君たちよ、世界の友とスクラムを組んで、いよいよ高く、いよいよ朗らかに、いよいよ堂々と、人間の王者へ、育ちゆけ!
 これが、私の祈りであり、願いなのです。
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