池田SGI会長指導選集 「幸福と平和を創る智慧」 第2部 第7章 7-1〜7-8

池田SGI会長指導選集 「幸福と平和を創る智慧」

第2部 人間革命の実践

第7章 人間革命とは何か

この章を読むに当たって

 それは、うららかな春の日のことです。
 会館の庭園を散策していた池田SGI会長は、足元にひっそりと咲いていた小さな花に目を留《と》め、傍らにいた友に、こう語りました。
 「きれいだね。本当にきれいだ。健気《けなげ》に咲いている。力強く咲いている。庶民の強さ、美しさだ。この花は、桜になりたいとか、梅が羨ましいとか、そんなつまらないことは考えていない。自分は自分らしく、自分自身の花を精一杯に咲かせていく。それが、一番美しく、一番強い。
 自分らしく生きよ。自分自身に生きよ。これが人間革命の真髄であると、戸田先生は教えられた。自分自身に生きるとは、常に明日を目指して成長していくこと。昨日とはこれだけ違うという自分をつくっていくことだ。そして、『誇りを持てる人生』を生きること。私には戸田先生の弟子であるという最高の誇りがある。だから、何も恐れない。
 自分自身に生きる人は、他者を尊重していくことができる。そこに、幸福と平和の人間革命の花園が広がっていく」
 「人間革命」――この端的な表現の中に、池田SGI会長の思想と哲学が凝縮されているといえます。
 第2部「人間革命の実践」の冒頭に当たるこの章では、人間革命とは何かをさまざまに示した内容を紹介します。そして、次章からは、人間革命の人生を生きるための具体的な指針等を収録します。

 7-1 小説「人間革命」「新・人間革命」の主題

 小説『新・人間革命』の執筆一周年に当たり、小説を貫くテーマについて語っています。

【池田SGI会長の指針】
◎長野県総会でのスピーチから
          (1994年8月6日、長野)

 きょう8月6日は、広島の「原爆の日」である。昨年(1993年)のこの日、私は、ここ長野研修道場で、小説『新・人間革命』の執筆を開始した。
 「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」――これが、この小説の主題である。
 これは、仏法の「一念三千」の法理を、現代的に表現したものであるともいえる。
 わが一念の変革が、五陰世間の五陰を変え、衆生世間の衆生を、ひいては国土世間の国土をも変革していくのである。
 つまり、一念の変革が、まず、わが生命を変えていく。健康で、力強く、無限の知恵を発揮していく。
 その、変革された生命は、周囲の人々をも幸福の方向へと導いていく。さらには、社会、自然をも変えていく。豊かで平和な楽土へと転換していくのである。
 これが「一念三千」の法理である。仏法の究極の大哲学である。(「一念三千」については第1部第2章を参照)

 7-2 人間革命とは仏の境涯を確立すること

 ここでは、人間革命の目的や、その具体的な実践が示されています。

【池田SGI会長の指針】
◎小説『新・人間革命』第14巻「智勇」から
         (2005年10月刊)

 仏法は、人間の内面を変えることによって、世界を変えていくという哲理である。日蓮大聖人は、こう述べられている。
 「衆生の心けがるれば土《ど》もけがれ心清ければ土も清しとて浄土と云ひ穢土と云うも土に二つの隔《へだて》なし」(御書384㌻)
 土とは、自身が住む社会・自然環境である。それが清らかか、汚《けが》れるかの根本原因は人間の心が清浄か、汚《けが》れているかによるのであり、環境そのものには、もともと「浄土」や「穢土」などという隔てはないとの仰せである。つまり、社会変革の要諦は、人間自身の一念の革命にあるとの御指南といってよい。
 仏法は説く。
 ――自身の内なる、貪《とん》(むさぼり)、瞋《じん》(いかり)、痴《ち》(おろか)の三毒という煩悩が、人間の不幸の根本原因である。そして、それを打ち破る、大宇宙の根源の力であり、尊極無上の生命が「仏」なのである。仏法は、その「仏」の生命を、万人が具えていると教えている。
 「仏」の生命とは、要約していえば、最高の慈悲、最高の智慧の働きであり、いっさいの生命活動の源泉である。この「仏」の生命の湧現こそ、苦悩や欲望などに支配、翻弄されている自身を乗り越え、本来の自己を確立する原動力となるのである。
 わが胸中の「仏」を湧現して、「仏の境涯」を確立することが、一生成仏、すなわち絶対的幸福境涯への道であり、「人間革命」の究極の目的なのである。
 では、いかなる方法によって、それが可能となるのか。
 日蓮大聖人は、末法の一切衆生のために、大宇宙の根源の法たる「仏」の大生命を、御本尊として御図顕になられた。この御本尊を信受し、一切衆生の救済を、わが使命として生き抜ぬくなかにこそ、自身の「仏」の生命を開く唯一の道があるのだ――。

 7-3 「人間革命」は21世紀のキーワード

 高校生からの質問に対して、人間革命とは何かを、わかりやすく答えています。

【池田SGI会長の指針】
◎『青春対話』から
                    (1999年3月刊)

 「人間革命」といっても、特別なことではない。たとえば、少年が、まったく勉強しないで遊んでばかりいたのに、「よし、勉強しよう」「将来のために努力しよう」と決意し、取り組んだ時、その少年の人間革命です。
 お母さんが、今の一家の幸せだけにとらわれて、これでよし、と思っていたのが、「このまま一生涯、幸せが続くかどうかわからない。もっと壊れない幸福を求めよう」と、信仰をもって一家を支えていくようになるのも、お母さんの人間革命です。
 お父さんが、自分だけ、家族だけ、友人だけという世界から、もう一歩脱却して、病《や》める人、苦しむ人に慈愛の手を差し伸べ、どのように幸福の人間道を歩ませてあげられるか、という運動をするようになるのも、お父さんの人間革命です。
 つまり、平凡から大きく目を開き、より高い、より深い、より広いものへ努力し、献身していく行動を人間革命というのです。
 初めは、どうしようもないように見えた人が、信仰によって、大きく変わってこそ、多くの人に希望を与えることもできるのです。
 また、苦しくて苦しくてならない時こそ、行き詰まった時こそ、大きく人間革命できるチャンスなのです。
 すぐに、くじけるのならば、くじけるたびに、また決意すればいい。「今度こそは」「今度こそは」と、もがきながら前進する人が、必ず人間革命できるのです。
 もう一つの次元から言うと、人間の世界は、個性・癖・宿命・血縁等、いろいろなことが複雑にからみあっている。それらで、がんじがらめになって、なかなか抜け出せない。目先の小さな悩みにとらわれ、日々をあくせくしているうちに、人生は、あっという間に終わってしまう。
 六道輪廻で生涯を終わるのが、ふつうなのです。
 しかし、それを突き破って菩薩界・仏界に達する行動、つまり、慈悲の行動と振る舞いをしていこうというのが、行動革命であり、人間革命です。
 これが一家、一国、世界へと広がった時、偉大なる平和ヘの無血革命となる。
 革命にも、いろいろある。政治革命、経済革命、産業革命、科学革命、芸術の革命、流通や通信の革命、その他、さまざまです。それらはそれらなりに、意義があり、必要な場合もある。しかし、何を変えても、一切を動かしている「人間」そのものが無慈悲で、利己主義のままでは、世の中がよくなるわけがない。だから人間革命というのは、いちばん根本の革命であり、人類にとって、いちばん必要な革命なのです。
 これからの世界のいちばんの焦点です。人生観・社会観・平和観等々、すべて新しい善の方向にもっていける精神そのものが人間革命なのです。「人間革命」は、21世紀のキーワードであると私は信じている。
 「革命」は英語で「レボリューション」。「ひっくり返す」という意味です。急激な変化を意味している。
 人間が少しずつ、年とともに成長するのは自然の流れです。それを一歩、越えて、急速に善の方向に変わっていくのが「人間革命」です。どんどん、よくなる。また一生涯、永遠に、成長していける。「ここまで」という行き詰まりがない。そのためのエンジンとなり、原動力となるのが信仰です。
 道徳の本なら何千年も昔から無数にある。自己啓発の本などもあるが、言葉だけで人間革命でき、宿命を変えられるならば、苦労はない。
 創価学会は抽象論ではなく、一貫して現実の人間革命を追求している。心を変革し、最高善の方向へもっていく。生きていく。行動していく。
 その人間革命は、根本的には、仏の生命と一体のなかで、できる。仏と境智冥合することによって、「自分を変える」力が、自分の中からわいてくるのです。
 人間だけが「向上しよう」「成長しよう」と思うことができる。ただ流されて生きているだけではなく、もう一歩深い、人間としての方向転換をしようと思うことができる。
 いわゆる「偉くなる」というのは、社会の機構上の話です。人間革命するとは、もっと深い、自分の内面のことです。永遠性のものです。社会的な偉さよりも、はるかに偉いことなのです。
 人間は人間です。人間以上のものになれるわけではない。だから「人間として」の自分を変えていくことが、いちばん大事なのです。名声で自分を飾り、地位で自分を飾り、学歴で飾り、知識で飾り、お金で飾っても、本体の自分自身が貧しければ、貧しく、空虚な人生です。
 すべてをはぎ取った、いわば「裸一貫」の自分自身がどうなのか。生命それ自体を変えていくのが人間革命です。釈尊も王子であったが、一切を捨てて、裸一貫の自分になって修行した。人間革命です。日蓮大聖人も、その当時、社会的には最低の存在とされた「施陀羅が子」(御書891㌻)であると堂々と宣言されている。
 20世紀は2回も世界大戦を起こしてしまった。何億という人たちが地獄の苦しみを味わった。その原因は何なのか――それを考えた結論が、「人間自身が慈悲の存在に変わらなければいけない」ということなのです。
 今、ふたたび国家主義、権力主義が強まっていると多くの人が警告している。半世紀前の大悲劇を皆が忘れかけている。だから平和を叫びきっている創価学会が大事なのです。
 私が入信したのも、戸田先生が戦争中、2年間も牢に入り、軍国主義と戦いぬいた。「それなら、この人は信じられる」と思ったからです。仏法の内容なんか、わからなかった。戸田先生という「人間」を信じたのです。そして戸田先生との「師弟不二の道」そが、私の「人間革命の道」だったのです。

 7-4 人間革命の証とは

 1974年4月2日、戸田城聖第2代会長の17回忌法要が、アメリカの地で厳粛に営まれました。小説『新・人間革命』では、戸田会長の生命論に触れながら、山本伸一が、法要に参加したアメリカの友に、人間革命の意義や、その具体的な指標について、わかりやすく語りかける場面が描かれています。

【池田SGI会長の指針】
◎小説『新・人間革命』第19巻「陽光」から
         (2008年11月刊)

 戸田城聖の大きな偉業の一つは、難解な仏法の法理を、わかりやすく現代的に解釈し、展開したことにある。
 イギリスの哲学者ホワイトヘッドは、こう訴えている。
 「宗教の諸原理は永遠的なものではあろうが、これらの原理の表わし方は絶えず発展しなければならない」(『科学と近代世界 ホワイトヘッド著作集』6 上田泰治・村上至孝訳、松籟社)
 たとえば戸田は、あの獄中にあって、「仏」とは「生命」であると悟達し、やがて仏法を生命論として展開していつた。これによって、仏法は現代を照らす、生きた人間哲学としてよみがえったのだ。
 また彼は、信仰の目的である「仏の境涯」に至ることを、「人間革命」と表現した。
 この「人間革命」という、新しい概念を導入したことによって、仏教界で死後の世界の問題であるかのように言われてきた「成仏」が、今世の人間完成の目標として明確化され、深化されたのである。
 私たちが信心に励む目的は、この人間革命にこそあるのだ。
 伸一は、青年たちに、日蓮仏法は人間革命の宗教であることを知ってほしかった。
 そして、その人間革命のための指標を、具体的に示しておこうと思っていたのだ。
 彼は、参加者に視線を注ぎながら話を続けた。
 「われわれの生命、肉体は即、南無妙法蓮華経の当体であります。この南無妙法蓮華経の生命を顕していくことが人間革命なのであります。
 では、人間革命とは、どのような姿、在り方となるのか。本日は、その指標を明らかにしておきたいと思います。
 その第1は『健康』ということです。私たちは『健康即信心』をめざして、確たる信心の証拠を示していきたい。
 宿命等の問題もありますが、健康を損ねてしまっては、思う存分動くことができなくなる。もちろん、生身《なまみ》の体である以上、体をこわすこともあるでしょう。しかし“常に健康であろう”という強盛が祈りをもって、わが生命を大宇宙の本源のリズムに深く合致させていくことです。
 この祈りと、規則正しい生活なくしては、真の信仰とはいえません」
 皆、食い入るような視線を伸一に向けていた。
 彼が第2に示した指標は、「青春」であった。
 生涯、青春の気概をもち続けているかどうかが人間革命の証明である。生き生きと信心に励み、わが生命を磨き抜いていくならば、“精神の若々しさ〟が失われることはない。
 彼は、第3に「福運」をあげた。唱題に励み、広宣流布に尽くし、仏法者として日々の生活に勝利してきた帰結は、福運となってわが身を、一家を、荘厳する。荒れ狂う怒濤のごとき社会にあって、福運こそが自身を守り、旭日の隆盛をもたらす力となるのである。
 第4には「知性」を強調した。
 人間完成をめざし、社会の常識あるリーダーに育っていくならば、知性の輝きも増していかなくてはならない。知性を磨くことを忘れれば、社会の敗北者となってしまう。
 第5に伸一が掲げたのは「情熱」であった。
 広宣流布への大情熱に燃え、生命が躍動していてこそ、真実の仏法者である。いかなる知性をもっていようが、情熱を失ってしまえば“生ける屍”といっても過言ではない。また、情熱は幸福の要件である。人生の大部分の幸・不幸というものは、物事に対する情熱をもっているか否かによって、決まるからだ。
 第6に、彼は「信念」をあげた。
 人間革命とは、確たる信念の輝きといえる。生き方の哲学をもたず、信念なき人生は、羅針盤なき船に等しい。進むベき方向を見失い、ひとたび嵐が吹ふき荒れると、難破船のような運命をたどってしまう。
 そして、最後に、第7として「勝利」をあげたのである。
 仏法は勝負である。常に勝利を打ち立てていくなかにこそ、人間革命がある。勝利の人生こそが人間革命の人生なのだ。人生も、広宣流布も、すべて戦いである。勝ってこそ、正義も、真実も実証されるのだ。
 伸一は、この「健康」「青春」「福運」「知性」「情熱」「信念」「勝利」の7項目を人間革命の指標として示したあと、さらに、これらを包括し、仏法者の規範として確立されなければならないものこそ、「慈悲」であると訴えた。
 伸一は、慈悲について戸田城聖の指導を通して論じ、「私たち凡夫の場合は、勇気をもって行動することが慈悲に変わるのである」と力説。そして、慈悲と勇気の実践である広宣流布に生き抜くことの大切さ、尊さを訴えたのである。
 「人間革命といっても、一言すれば、地涌の菩薩の使命を自覚することが肝要であり、喜び勇んで広宣流布に生きる姿こそが人間革命であります。
 たとえ、名誉や財産があろうとなかろうと、真実の法をもって、人のため、社会のために尽くす人こそ、真実の“尊貴の人”であり、その人の生命は菩薩であります。
 最も苦しんでいる人に救済の手を差し伸べ、蘇生させてきた団体が創価学会です。また、そのために命をなげうってきたのが、三代の会長なのであります」

 7-5 信心の真の功徳は人間革命に

 ここでは、創価学会の信仰にこそ人間革命の前進があり、人間革命こそが信心の真の功徳であることが示されています。

【池田SGI会長の指針】
◎小説『新・人間革命』第19巻「虹の舞」から 
       (2008年11月刊)

 創価学会は、民衆の心に「利他」という生き方の柱を打ち立ててきた。
 メンバーの多くは、病苦や経済苦、家庭不和など、苦悩の解決を願って信心を始めた。いわば、自らの救済を求めての入会といえる。
 しかし、御書に「琳もいたし人をも教化候へ」(1361㌻)と仰せのように、日蓮仏法は「自分も信心に励み、人にも仏法を教えよ」と説く。つまり、人びとの幸福を願い、広宣流布に生きてこそ、わが幸福が築かれるというのである。
 そこには、「自行」と「化他」の融合がある。自分自身の煩悩が、広宣流布という最極の菩薩行を推進する活力源となるのだ。
 そして、その「利他」の実践によって、「利己」に凝り固まり、汲々としていた、小さな生命の殻が破られ、自らの境涯が大きく開かれていくのである。まさに、この一念こそ、「境涯革命」「人間革命」を成し遂げる、生命の回転軸なのである。
 友の幸せを祈り、懸命に弘教に走る同志の胸中には、歓喜が込み上げ、勇気がうねり、希望が広がっている。病苦や経済苦などの、さまざまな悩みを抱えながらも、あたかも波乗りを楽しむかのように、悠々と乗り越えていくことができる。
 信心の本当の大功徳とは、この「境涯革命」「人間革命」である。自分の境涯が変わるから、依正不二の原理で、環境も変化し、 一切の問題が解決できるのである。

7-6 人間革命とは現実変革への限りなき挑戦

 ここでは、仏法の「諸法実相」の法理に基づき、正報である人間自身の変革は、依報である環境や社会の変革をもたらすことを語っています。さらに、人間革命の実践を通して、人々を慈愛で包み、世界の平和を実現しようという使命に生きる人の心には、豊かな歓喜が広がっていくと教えています。

【池田SGI会長の指針】
◎『法華経の智慧』から
              (第1巻、1996年3月刊)

 私は「戸田先生の弟子」です。そこに私の根本の誇りがある。
 戸田先生は、獄中で法華経を身読された。「法華経が分かった」と主張するだけの宗教者なら、他にもいたでしょう。教祖にまでなった者もいた。
 しかし戸田先生は違っていた。あなたは仏様か、と新聞記者たちから聞かれて、「立派な凡夫だよ」と語っておられた。挫折と蘇生のドラマを演ずる民衆群を抱きかかえながら、嵐のまっただなかに厳然と立っておられた。
 人間革命――先生の人生そのものです。
 人間革命――先生はこの一言に、宗教がおちいりやすい独善の罠を打ちくだいて、仏法の最高の智慧と、人間の最高の生き方と、社会の最善の道とを、見事に合致させたのです。
 人間革命は即、社会革命・環境革命になる。
 「諸法実相抄」で大聖人は、妙楽の『法華文句記』の「依報正報・常に妙経を宣《の》ぶ」(御書1358㌻)との釈をあげられています。依報(環境世界)も、正報(主体となる生命)も、常に妙法蓮華経を顕している、と。
 天台も言っている。“国土にも十如是がある”と。
 依報も正報も、別々のものではない。不二です。ここから、人間の変革が国土・社会の変革に通じるという原理が生まれる。
 諸法実相という仏眼《ぶつげん》から見れば、森羅万象は一つの生命体です。正報だけの幸福はありえない。依報だけの平和もありえない。自分だけの幸福もなければ、他人だけの不幸もない。人を幸福にした分、自分も幸福になるし、だれか一人でも不幸な人がいるかぎり、自分の幸福も完全ではない。こう見るのが諸法実相でありゆえに、「現実変革への限りなき挑戦」が、諸法実相の心なのです。
 大聖人は、「立正安国論」を著されたご心境を「但偏《ひとえ》に国の為法の為人の為にして身の為に之を申さず」(御書35㌻)と述べられています。どんな大難の嵐も、この民衆救済への炎を消せなかった。
 このご精神を受け継いで、「立正安国」の旗を高く高く掲げ、牧口先生は獄中に殉教なされた。戸田先生は、敗戦の荒野に一人立たれた。
 「法華の心は煩悩即菩提生死即涅槃なり」(御書773㌻)、
 「一念三千は抜苦与楽なり」(同㌻)
 民衆を苦悩から救うために仏法はある。創価学会はある。人類を幸福にするために創価学会は戦う。それ以外に存在意義はありません。
 その学会とともに進む人生は、どれほど偉大か。どれほど尊いか。
 諸法実相の眼《まなこ》で見れば、「いま」「ここ」が、本有《ほんぬ》の舞台です。本舞台なのです。「此《ここ》を去って彼《かしこ》に行くには非ざるなり」(御書781㌻)です。
 「宿命」とも思えるような困難な舞台も、すべて、本来の自己の「使命」を果たしていくべき、またとなき場所なのです。
 その意味で、どんな宿命をも、輝かしい使命へと転換するのが、諸法実相の智慧を知った人の人生です。
 そう確信すれば希望がわく。出会う人々、出合う経験のすべてが、かけがえのない「宝」となる。
 タゴールは謳った。
 「この世は味わい深く、大地の塵《ちり》までが美しい」(『タゴール著作集 第2巻 詩集Ⅱ』所収「恢復期」森本達雄訳〈第三文明社〉)と。
 彼は子を思う母の心を、こうつづっています。
 「坊や、おまえに きれいな色のおもちゃをもってくるとき、母さんにはわかります――どうして雲や水に あんなに美しい色彩《いろ》の戯れがあるのかが、どうして花々が 色とりどりに染められているのかが。坊や、おまえに きれいな色のおもちゃをあげるとき。
 おまえを踊らせようと 歌うとき、母さんには ほんとうにわかります――どうして木の葉のなかに 音楽があるのかが、どうして浪《なみ》たちが 耳を澄ませて聴いている大地の心臓《むね》に さまざまな声の合唱を送るのかが。おまえを踊らせようと 歌うとき」(『タゴール著作集 第1巻 詩集I』所収「ギタンジャリ」森本達雄訳〈第三文明社〉)
 子を慈しむ母の心には、色鮮やかな世界が輝いている。生き生きとした生命の音律が響いている。愛は、生命の個別性を超えて、「不二」という生命の実相へと心を開くからです。
 ならば全人類を慈愛でつつみゆかんとする私どもの人生には、どんなにすばらしい生命の光彩《こうさい》が、音楽が、満ちあふれていくことか。
 「諸法実相」と確信すれば、今いるこの場所が「常寂光土」です。
 「生きてること自体が、絶対に楽しい」
 戸田先生が言われた、この大歓喜の世界を、現実の大地に創り拡げていく。その晴れやかな「挑戦の人生」を、法華経は教えているのです。

7-7 生命の変革は人間の中で、苦難の中で


 SGI会長が友情を結んだ、ロシアの“児童芸術の母”ナターリア・サーツ女史(国立モスクワ児童音楽劇場総裁)は、若き日、独裁権力によって投獄されるなか、同じように冤罪で囚われた女性たちを励ましながら、牢獄を“学校”“劇場”へと変えていきました。ここでは、その生き方を通して、日々、自らの人間革命の劇をつづる意義を語っています。そして、仏法を持《たも》ち、難を乗り越える中でこそ、真の人間革命が成し遂げられることを示しています。

【池田SGI会長の指針】
◎本部幹部会・第2東京総会でのスピーチから
    (1996年12月16日、東京)

 「心」を変えれば、「環境」も変わる。仏法でも「依正不二」「一念三千」と説く。
 周りを見渡せば、獄中にも多彩な人材が集まっていた。いつまでも嘆いていてもしかたがない。サーツ女史は思った。
 “それぞれの持ち味を生かして、学びあう機会をつくろう。学校をつくろう”
 “あの人は化学の講義ができるだろう。あの人には医学の講義をしてもらおう”
 女史自身は、見事な歌声を披露した。あるときは、よく響く澄んだ声で、プーシキンの詩を朗読した。皆、感動した。勇気がわいてきた。
 暗く閉ざされた牢獄。だからこそ、静かに勉強できる学校となった。芸術を存分に味わう劇場ともなった。心一つで何でも変えられる。
 “さあ、今いるこの場所で、楽しく有意義な一日一日を送ろう”と。
 本当に賢明な人は、どんな状況でも価値を創造する。
 いわんや仏法ではで「心は工《たくみ》なる画師《えし》の如し」と説く。「心」は名画家のごとく、 一切を自在に描き出していく。したがって、人生そのものが、「心」の描く「名画」である。創り上げる芸術である。
 サーツ女史は、皆と決めていた。「人間は一人きりで悲しんではいけない」と。
 一人では悲しみがよけいに深まる。救いがなくなる。
 “人《ひと》の間《あいだ》”と書いて、人間と読む。人間と人間の切磋琢磨のなかでこそ、「人間」ができていく。「自分」が豊かになっていく。
 時には、組織がわずらわしく、「一人きり」になりたいと思う場合もあるかもしれない。しかし実際に一人きりになり、退転してしまえば、どれほど寂しいか。どれほど、わびしいか。同志とともに、喜怒哀楽を繰り返しながら、にぎやかな“人間の世界”で生きぬいてこそ、成長できるのである。
 このように、サーツ女史は優れた哲学者であり、人間主義者であった。
 人間主義とは、何も高尚な理論である必要はない。どこまでも人間を信ずること、人間と人間を結ぼうとすること。ここに人間主義がある。つまり「友情」をつくっていくことである。
 友情は強い。学会も、根底は友情である。同志愛である。異体同心の信心の団結である。それがあって、組織の機構がある。それを反対にしてはいけない。
 組織は、友情を、同志愛を、そして信心を深めるための手段である。それをあべこべにしたらたいへんである。組織を目的にした場合には、権威主義の組織悪になってしまう。
 ともあれ、友情を地域に社会に広げゆく学会活動は、毎日毎日、「人生の宝」を積んでいるのである。
 私どもは信仰者である。「あの人はすばらしい!」「ああいう人間に、なりたいな!」――人々から、そう思われる人生を生きていただきたい。人生の「人間革命の劇」を自分らしく、つくっていただきたい。
“自分が変わる”ことである。
 日々、自分らしく、自分の人間革命の劇をつづっていくのが最高の人生である。その成長の姿それ自体が、偉大な折伏なのである。
 ここで御書を拝したい。これまで繰り返し拝してきた「開目抄」の一節である。
 「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然《じねん》に仏界にいたるべし、天の加なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕《ちょうせき》教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつた《拙》なき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」(234㌻)
 ――われ、ならびにわが弟子は、諸難があろうとも、疑う心がなければ、必ず自然に仏界にいたるのである。諸天の加護がないからといって、(法華経の大利益《だいりやく》を)疑ってはならない。現世が安穏でないことを嘆いてはならない。わが弟子に朝夕、このことを教えてきたけれども、(大難が起こってみると)疑いを起こして、皆、信心を捨ててしまったのであろう。愚かな者の常として、約束した事を、(まさに、その約束を守るべき)本当のときには忘れるのである――
 「自然《じねん》に仏界にいたる」――この一生を戦い通せば、必ず、仏になると仰せである。だからこそ、どんなにつらいことがあっても、「一生成仏」をとげなさい、と。
 「一生はゆめ《夢》の上・明日《あす》をご《期》せず」(御書1163㌻)である。 
 一生は夢のようなものである。明日《あす》さえ、どうなるかわからない。自分でどうすることもできない。そのなかで、永遠に自由自在に生きぬける自分をつくるのが「一生成仏」である。そのための信心である。そういう境涯を、つくれるかどうかが「今世の勝負」である。
 生命の境涯を変える――これは、科学でも経済でも政治の次元でも、どうしようもない。仏法しかない。その仏法に、私どもは今世でめぐりあったのである。
 「法華経の大利益を疑ってはならない」――長い日で見れば「大利益」は必ずある。一時は悪く見えても、絶対に「変毒為薬(毒を変じて薬となす)」できる。
 「現世が安穏でないと嘆いてはならない」――安穏であれば、生命は鍛えられない。食べたいときに食べ、寝たいときに寝ていれば堕落しかない。
 難と戦ってこそ、生命の金剛の大境涯はできる。ゆえに大聖人は「難来《きた》るを以て安楽と意《こころ》得可《うべ》きなり」(御書750㌻)と仰せである。
 仏道修行に苦労は多いけれども、安穏なだけの人生では、とうてい得られない「人間革命」という大歓喜がある。だから大聖人は「まことのときにこそ、信心の約束を忘れてはなりませんよ」と、厳しく仰せになっているのである。

7-8 人間革命とは変革と向上への歩み


 SGI会長とローマクラブの創立者ペッチェイ博士との対談において、大きなテーマとなったのが人間革命です。そのなかでSGI会長が語った、人間革命の重要な観点を紹介します。

【池田SGI会長の指針】
◎『二十一世紀への警鐘』から 
              (1984年10月刊)

 「人間革命」ということを創価学会の立場で初めて言ったのは、戸田城聖第2代会長です。戸田会長は第2次世界大戦中に日蓮大聖人の仏法の実践を貫いたために、軍国主義的権力によって獄中生活を送りましたが、この獄中で一つの体験を得て、生涯を日蓮大聖人の仏法を弘めることにかけようと決意したのです。この自身の変革を戸田前会長は「人間革命」と名づけました。
 これに関して、戦後、戸田会長が説明したことは、A ・デュマの『モンテ・クリスト伯』を例に挙げ、これも一つの人間革命ではあるが、それは純粋な青年から復讐心に燃えた男への人間革命であった。自分の経験したものは、仏法を弘めることによってあらゆる人々を幸福へと導こうという心に燃えた男への人間革命であるということでした。そこには、ただ自分のために生きるという生き方から、一つの信念のために生きるという生き方への転換があります。私たちの場合、その信念とは、日蓮大聖人の仏法を弘めていくということが根本なのですが、それはあくまで人々の幸せのために自らを捧げるということと結びついています。
 また、仏法は、自分の利己的な欲望や本能的な衝動に支配されない主体性の確立、それを根幹としてのあらゆる他者との協調・調和、さらにはすべてを慈愛し、その幸福を実現していくべきことを教えています。この仏法の教える人間のあり方をめざして自分を変え、向上させていくことが、仏法を信仰する者にとっての根本課題であるわけです。こうした理想を完全に達成することが、言い換えれば“成仏”ですが、成仏を究極目標としての仏道修行の過程が、そのまま人間革命の歩みであるといってよいでしょう。
        ◇
 全般的にいえば、とくに近世以降の人類の歴史は、自然界や社会制度といった、外なる世界の変革に人類の幸福を左右する根本の鍵があると考え、それのみに眼を奪われてきたといえるでしょう。そして、そのために、人間としての自らの生き方を考えず、自分の内にあるさまざまな心の働きを正しく律していく努力を軽視し、あるいは忘却してきたといっても過言ではないように思います。現代においてとくに重要になってきているのは、この、人間生命あるいは精神の世界の変革と向上への努力です。これを、私たちは「人間革命」と呼んでいます。
        ◇
 人間存在は、貪欲《とんよく》・瞋恚《しんに》・愚癡《ぐち》といった本然的な生命のもつ衝動に動かされやすく、また、各人がもっている運命・宿業の大波に翻弄される小舟のような、はかないそんな存在であるといっても過言ではないでしょう。ちょうど嵐にあった小舟が、自らは考えもしない方向へ押し流されていくように、人間も、理性では、たとえば自然を大切にしなければならないとわかっていても、生きていくため、目前の利益のために、自然を破壊したり汚染してしまう場合が多いのではないでしょうか。あるいは、理性的には平和を望んでいても、不安や恐怖にかられて軍備を強化し、わずかな事件がきっかけになって大戦争を起こしてしまったことも、すでに数多く経験してきている事実ではないでしょうか。
 そうした衝動的な力や、さらに奥深いところで、ちょうど目に見えない海流が小舟を押し流し、運んでいくように、個人の人生や社会を動かしている運命的な力に対抗するためには、人間主義は、よほど強力でなければなりません。
 仏教では、万人の生命の奥底に、宇宙的大我ともいうべき、広大にして力強い実体があると説き、これを仏性と呼びます。そして、この仏性を開き顕して、そのもっている力を現実の人生と行動に発揮していくことを教えたのです。
        ◇
 言うまでもないことですが、人間は、現実に生きているかぎり、完璧ではありえません。
 “人間革命”した人も、完璧になったわけではないのです。すなわち“人間革命”とは、自らの人生の目的を明確に自覚し、その目的をめざして、自身を少しでも完成の状態に近づけようと努力するようになること、言うなれば、コースの変更であって、ゴールインではないということができます。
 ですから、ある時点の、現実に現れている姿だけを見れば欠点は当然あり、他の人と変わりありませんが、その人の内面は、以前とまるで違っていますし、長期的にみれば、他の人との相違も認識できるでしょう。私は“人間革命”とはそういうものであると考えています。
2014-12-31 : 池田SGI会長指導選集 :
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随筆 民衆凱歌の大行進 No.16 共に大勝利の万歳を!

随筆 民衆凱歌の大行進 No.16 (2014.12.29付)

共に大勝利の万歳を!

創価の賢者は喜び勇んで躍進!
明年も「幸福の大道」を走り抜こう


 幾度《いくたび》もの寒波で、日本海側を中心に、北海道、東北、信越、北陸、関西、中国方面など、また関東、中部、四国などでも大雪があり、心配しています。
 ご苦労されている方々に心からお見舞いを申し上げるとともに、同志の皆様が良いお正月を迎えられるよう、懸命に祈っております。
 また悪天候が続く中、この本年最終号に至るまで聖教新聞を配達してくださっている、尊き “無冠の友” の皆様方に厚く御礼を申し上げます。
        ◇
 我ら創価家族は、この一年も大いに動き、大いに語って、広宣流布の前進を成し遂げた。希望を広げた。未来を開いた。
 夏の炎暑にも、寒風にも負けず、堂々たる完勝の一年を飾った。
 わが弟子、わが同志の大勝利が、本当に嬉しい。
 全国各地から、一年の勝報が届いている。
 北は北海道・東北から南は九州・沖縄まで、都市部も郊外も、農漁村も離島も、信心の勝利の喜びがあふれ、山あいの市町村でも、海辺の市町村でも、歓喜の中の大歓喜の声が響きわたった。
 SGI(創価学会インタナショナル)の各国・地域からも、「我らも勝ちました!」と声が寄せられている。
 ここに、世界広布の新時代は、晴れやかに開幕したことを、私は声高らかに宣言したい。共々に「万歳、万歳」と、喜び合おうではないか!

尊き庶民の英雄
 日蓮大聖人は、健気《けなげ》に信仰を貫く年配の母を、「いままで・しりぞ(退)かせ給わぬ事申すばかりなし」(御書1224㌻)と讃えられ、その功労を「釈迦・多宝・十方分身の諸仏も御知見あるか」(同㌻)と仰せになられた。
 私には “多宝” の尊貴な父母《ちちはは》たちへの御照覧と拝されてならない。
 先日も、各地の友の奮闘の様子を伺った。
 ──雪深い山形県の御年90歳になる母は、魚の行商を続けながら、娘さんとの死別など幾多の試練を乗り越え、学会と共に生き抜いてこられた。入会した頃は蔑まれたこともあった。
 しかし今、まことに若々しく福々しい生命の輝きで地域のために活躍する姿に、縁する人も皆、感動し、その話に心を開いて共鳴されるという。
 無名にして偉大な信心一筋の庶民の英雄がいてこそ、広布の拡大があり、勝利があることを、ゆめゆめ忘れまい。
 私は、一緒に幾度も風雪を越え来《きた》った不二の同志が、一人ももれなく大福運に包まれ、常楽我浄の生命の軌道を悠然と進みゆかれるよう、真剣に題目を送っている。
        ◇
 宿縁深き共戦の友どちが勝ち栄え、その使命の宝土が輝き光る晴れ姿ほど、嬉しいものはない。
 今月初旬、私は、懐かしき横浜の鶴見に堂々と聳え立つ神奈川の記念講堂を視察した。その時、会館警備の任にあたっていたのは、壮年部の人材グループ「王城会」の7人の友である。
 キャップを務める地区部長は、青年時代を牙城会一筋。19歳だった40年ほど前の三崎カーニバルの折には、応援任務で凜々しく着任してくれていた丈夫《ますらお》であった。
 わが盟友たる壮年部の信念の陰徳は頼もしい。
 ともあれ、全国各地で、会館警備や会合運営など広布の活動を、男女青年部の創価班、牙城会、白蓮グループ、壮年部王城会、婦人部香城会、また白樺会・白樺グループなどの方々が真剣に支えてくださっている。
 今、千客万来の総本部が365日、無事故の運営ができているのも、陰の戦いに徹する尊き労苦があればこそだ。
 とともに、今年、開業120年を迎えた、JR信濃町駅をはじめ、地域の皆様方にもお世話になり、感謝に堪えない。
 また、座談会等の会場を提供してくださるご一家をはじめ、全ての陰の功労者の方々に、私は駿河(静岡県中央部)の門下への御聖訓を贈りたい。
 「かく(隠)れての信あれば・あらは(顕)れての徳あるなり」(同1527㌻)と。

轟け歓喜の歌!
 本年は、楽聖ベートーベンの交響曲「第九」の初稿完成と初演から190年に当たる。
 そして、わが九州の友5万人による、忘れ得ぬ「第九」の大合唱からは20周年であった。
 九州青年部は、その心を受け継ぎ、「歓喜の歌」を誇り高く歌いながら、父母たちと共に、歓喜の勝利を走り広げてきた。
 時あたかも結成60周年を迎えた広布の楽友・音楽隊からも、また、平和の天使・鼓笛隊からも朗報が相次いでいる。
 この秋には、創価グロリア吹奏楽団、関西吹奏楽団、しなの合唱団が全日本のコンクールで金賞を獲得。鼓笛隊の創価グランエスペランサも全国大会で優勝を飾った。
 そして今月、創価ルネサンスバンガード、鼓笛隊の創価中部ブリリアンス・オブ・ピースが美事に日本一の栄冠を勝ち取ったのである。
 自身の課題、勉学や仕事、広布の拡大に挑み、支え合いながらの猛練習の連続だ。人の何倍も忙しく苦労も多い青春である。だからこそ、生命練磨で奏でられる妙音は、人びとの心を強く打たずにはおかないのだ。
 今や世界の30以上の国々と地域で、音楽隊・鼓笛隊が活躍する。
 ブラジルの「タイヨウ音楽隊」が、全国吹奏楽コンクールで初優勝したという嬉しいニュースも飛び込んできた。
 ブラジル青年部の音楽運動を支援してくださっている世界的音楽家のビエイラ氏は言われた。
 「私の音楽に対する誓いとは、人びとに希望をもたらすことです」と。
 東北各地での「希望の絆」コンサートでも、また民音が取り組む東北希望コンサートでも、音楽の真髄の力が光っている。
 宮城の友も、全国からの真心の励ましに応えて希望と勇気の歌声をと、 “無冠の真実の英雄” との意義ある「無名合唱団」を新出発させた。
 日蓮大聖人は、「梵音声《ぼんのんじょう》と申すは仏の第一の相なり」(同1122㌻)と仰せである。
 仏の生命に具わる力用《りきゆう》の中でも、声こそが、友に希望を贈り、自他共に勝利の人生を開きゆく力となっていくのだ。

人生は連続闘争
 いよいよ「世界広布新時代 躍進の年」──。
 「躍信」とは、目覚ましく進歩・発展することであり、勢いよく進むことである。「躍」の字には、さらに、速い、ほとばしるとの意義もあるようだ。
 明年は、戸田城聖先生の生誕115周年、また学会創立85年の節を刻む。そして1月26日には、SGIの発足40周年を迎える。
 勇んで戦い進んだからこそ、創価の師弟は勝ってきた。これからも断固と勝ち続けていこう!
 戸田先生と同じ年に生まれたアメリカの作家トマス・ウルフは言った。
 「不断の戦いの連続にこそ、人間の宗教と人間の生きた信仰はあるのです」と。
 我らには、人生と広布の幾山河は、最高に価値ある「生」となりゆく証しなのだ。その連続闘争をいかに戦い切り、勝ち切っていくかである。
 幾重にも意義深い一年を、世界一と輝く我らの新年勤行会から、勢いよくスタートダッシュで出発してまいりたい。
 「色心の二法を妙法と開悟するを歓喜踊躍と説くなり」(同722㌻)と、「御義口伝」には御指南されている。
 われ妙法の当体なりと確信し、自身を輝かせれば、いかなる艱難をも歓喜に転じていける──これが信心の極意だ。

前進への3項目
 “躍進の年” に向かい、3点を確認したい。
 第1に「自らが変わる」ことだ。
 変わるためには、行動を起こすことである。
 妙法に合致して、広宣流布と立正安国の行動に打って出る時、自らの小さな殻は破られ、境涯が広々と開かれる。その一人一人の人間革命のドラマの結集こそが、 “躍進の年” の勝利なのだ。
 第2に、「最後まで諦めない」ことである。
 人生とは、マラソンのようなものだ。苦しい逆境の日もある。途中で皆に遅れて、焦る時もあるだろう。だが、諦める必要はない。最後に勝てばよいのだ。自ら決めた誓いの道を、歯を食いしばって走り抜き、栄光のゴールに飛び込め!
 自分らしく完走した人こそが、勝利の月桂冠を頭《こうべ》に戴くことができる。
 そして第3に、「喜び勇んで進む」ことである。
 我らは地涌の使命に、「躍り」「進む」のだ。
 大聖人は「上行菩薩の大地よりいで給いしには・をど(踊)りてこそい(出)で給いしか」(同1300㌻)と仰せである。
 いかに嵐が来ようが、誉れある創価の賢者は、弾む生命で躍り出て、「幸福の大道」を駆け進むのだ。

光の走者たれ!
 我らは “光の走者” だ。いかなる乱世の闇も打ち破り、赫々と社会を照らしながら、民衆の中へ走ろう! 友情と信頼の輪を、地域にも、職場にも、故郷にも広げゆこう!
 わが敬愛する同志の皆様、この1年、本当にご苦労様! ありがとう!
 お体を大切に。風邪などひかないように。聡明に、元気に、快活に、希望あふれる新春を!

 我ら皆
  春夏秋冬
   勝ちにけり
 勝利の笑顔で
  新たな四季も


ウルフの言葉は 『世界人生論全集7』 所収「風は立ちつつあり川は流れる」大橋健三郎訳(筑摩書房)。
2014-12-30 : 随筆 民衆凱歌の大行進 :
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随筆 民衆凱歌の大行進 No.15 「人間革命」執筆50年

随筆 民衆凱歌の大行進 No.15 (2014.12.1付)

「人間革命」執筆50年

朗らかに綴れ偉大な民衆の勝利劇
平和と幸福の未来は今ここから!


 朗らかに
  人間革命
  わが劇を
  凱歌で飾れや
  勇気の宝友《とも》と

人間革命の舞台は、どこか遠くにあるのではない。「今ここ」にある。
 そのドラマは、いつか始まるのではない。眼前の課題に、勇んで祈り、立ち向かう。この一瞬から幕を開けるのだ。
 真剣勝負の戦いの中にこそ、人間革命がある。
 師走を迎え、寒さが厳しくなり、忙しさも増す。その中で、地域のため、社会のため、未来のため、懸命に奔走されゆくわが宝友《とも》に、誇り高き人間革命の勝利劇あれ! と、私は祈る日々である。

巌窟王とユゴー
 師・戸田城聖先生は、偉大な文学には、偉大な人間革命の物語が描かれていると言われた。その代表として、青年に読まれたのが、『モンテ・クリスト伯』と『レ・ミゼラブル』である。
 アレクサンドル・デュマ作『モンテ・クリスト伯』の主人公エドモン・ダンテスは、冤罪に陥れられ、孤島の岩窟の牢獄に14年間も囚われた。
 そこで信念の哲人から薫陶を受け、鋼鉄の知性の闘士へと成長を遂げる。やがて善良な恩人一家への恩返しとともに、邪知の悪党への仇討ちを果たし、劇的に運命を転じゆくのだ。
 戸田先生は、この“巌窟王”の如く、非道な軍部政府の弾圧によって獄死した先師・牧口先生の仇討ち、すなわち広宣流布という平和の民衆運動を断行してみせると叫ばれたのであった。
 ビクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』でも、悲劇の主人公ジャン・バルジャンが、魂の師との出会いによって、絶望の淵から蘇生する。そして、波瀾万丈の試練を乗り越え、大海原よりも、大空よりも大きい、人間の心の荘厳な力を示し切っていくのである。
 私の胸には、戸田先生の声が轟いている。
 「大作、君はユゴーとなって書きまくれ!」と。
 それは、“健気な庶民のために尽くす民衆詩人たれ、正義を踏みにじる邪悪に対し、断固と鉄槌を下す大言論人たれ”との叱咤であった。
 恩師との誓いを胸に、私は、いつ何時でも、ペンを執り続けてきた。
 そして今、読者の皆様方の温かいご支援ありてこそ、小説『新・人間革命』第28巻の連載をスタートできた。
 明12月2日は、愛する沖縄の地で、「立正安国」即「世界平和」の実現に向け、小説『人間革命』を書き始めてから満50年を迎える。
 私は、創価の偉大なる正義の民衆叙事詩を、いよいよ心新たに綴りゆく決心である。

言論戦で勝機を
 思えば、『モンテ・クリスト伯』も新聞小説であった。新聞連載は、常に締め切りに追われる。
 私も、日本全国、また世界各地を飛び回る中での渾身の執筆が、幾重にも思い出深く蘇る。
 現在の「広宣譜」の章で描いている昭和53年(1978年)の夏といえば、しばしの休戦を経た後、『人間革命』第10巻の「展望」章に取り組んだ時期であった。
 「展望」の章は、昭和31年(1956年)の大阪の戦いを勝利で飾った瞬間から始まる。
 不可能を覆した大阪の逆転勝利劇である。その“まさか”を関西の友と実現し、私が直ちに向かったのは、戸田先生のもとであった。広宣流布の師匠に、勝報を届ける。これに勝る喜びはない。
 この「展望」の章を書き起こした天地は、創価の三代城・北海道であった。厚田で育ち、夕張の地で教壇に立たれた恩師。私は心の中で、広宣流布の遠大な展望を戸田先生に伺いながら、対話する思いで筆を進めた。
 その北海道訪問では、16日間に及ぶ激励行で約2万人の友と、忘れ得ぬ金の思い出を刻んだことも懐かしい。
 第10巻は「展望」の章で終了し、次の連載が始まるまで、2年かかった。この間に、私は、名誉会長となった。
 昭和55年(1980年)の夏、私は神奈川で、“今、書かねば悔いを残す”と、第11巻の連載開始を宣言した。
 正義を叫ぶ時も、悪を呵責する時も、友を励ます時も、機会を逸してはならぬ。勇気を持て! 時機を逃すな! これが言論戦の鉄則である。
 その第1章「転機」に綴ったのは、“山口開拓指導”である。人材の中国も、私の手作りだ。

試練を跳躍台に

「全ての危機は創造する人間にとっては運命の贈り物である」とは、オーストリアの作家ツバイクの言葉である。
 人生にも、広宣流布の攻防戦にも、重大な試練の時がある。
 その時に臆してはならない。怯んでもならない。今こそ踏ん張り時だと、粘り抜け! ここが勝負と挑みかかれ!
 試練は、必ず新たな大躍進への跳躍台となるのだ。
 御書に、囲碁でいう「四丁《しちょう》」を通して法華経の功力を説かれた一節がある(1046㌻)。急所に打つ一石の大切さから、一人の成仏の重大な意義を教えられたものである。
 かつて私は、関西の友に強く語った。
 ──361の目からなる碁盤上の戦いと同じく、そこを抑えれば一気に攻勢に転じていける急所がある、と。
 囲碁がお好きだった戸田先生は、この御書を拝し、「一人の人間革命と行動が、皆に連動し、全てを変革していくのだ」と教えてくださった。
 この通りの姿を、自らの使命の国土で堂々と示してきたのが、宿縁深き地涌の勇者たちである。
 創価の本陣・東京でも、福光の人材城・東北でも、広布の幾山河を越えゆく関東でも、正義の大城・神奈川でも、烈風に揺るがぬ堅塁・中部でも、友は懸命に戦った。
 師弟の誓願を刻む北陸・信越でも、紅燃ゆる志の四国でも、恩師が“よろしく頼む”と先駆を託した九州でも、同志は誠実一路で走っている。
 その尊き一人ひとりの人間革命の劇が、壮大な民衆勝利の大絵巻を織り成しているのだ。

「絶対の確信」で
 戸田先生は、悠然と語られた。
 人間革命とは、私たちが「人生の根幹の目的」を知り、「絶対の確信」に立つことである、と。
 大事なことは、いかなる宿命の嵐に遭おうとも、自らが「地涌の菩薩」であることを疑わないことだ。「広宣流布」を誓願して生まれてきたことを忘れないことだ。
 日蓮大聖人は、仏界の生命を顕現した境地について、「内よりは歓発し外よりは引導し内外相応し因縁和合して自在神通の慈悲の力を施し広く衆生を利益すること滞り有る可からず」(御書574㌻)と教えられている。
 友の幸福を祈り、社会の繁栄を願い、世界の平和に尽くしゆかんとする我らの心は、必ず相手の生命に伝わる。
 その祈りと真心からの対話こそが友の命を変え、真の友情と理解を生むのである。
 ゆえに題目を勇気凜々と唱え、わが生命に「自在神通の慈悲の力」を漲らせていくのだ。そして自由闊達に、あの友、この友と語らって、「衆生を利益する」ことだ。
 ここにこそ、滾々と仏智は湧き出で、無限に仏縁が広がるのである。

師子よ走れ!
人類の希望は、今、いずこにあるか。
 間違いなく、世界に広がりゆく192カ国・地域のSGIの連帯と前進にこそ、全人類の希望の光源はある。
 それは、世界のあの地この地で、わが同志が「一人の人間における偉大な人間革命」の無限の可能性を、赫々と証明してくれているからだ。
 ユゴーは、盟友のデュマに捧げた追悼文に、こう綴った。
 「戦いとは権利であり、勝利とは幸福である」と。
 創価の師弟の「発迹顕本」に連なり、広宣流布の大誓願に立ち上がった我らは、まぎれもない「三世の盟友」である。
 久遠からの兄弟姉妹として、いよいよスクラムも固く、正義の戦いに勇み舞いゆこう!
 “自分は今日も勝った”という毎日を、確実に積み重ねていくのだ!
 そして共々に、広布と人生の常勝の年輪を、朗らかに、痛快に、晴れ晴れと刻み、本年の総仕上げを飾ろうではないか!

 恐れなく
  惑うことなき
   師子なれば

  一瀉千里と

   勝利へ走れ


ツバイクの言葉は『ツヴァイク全集10 三人の自伝作家』所収「トルストイ」堀内明訳(みすず書房)。
2014-12-30 : 随筆 民衆凱歌の大行進 :
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随筆 民衆凱歌の大行進 No.14 行学で飾る創立の月

随筆 民衆凱歌の大行進 No.14 (2014.11.15付)

行学で飾る創立の月

喜び勇んで 友の中へ 民衆の中へ!
対話拡大に躍進する青年を皆で讃嘆
大きく動こう友情を 広げよう!


 紅葉の秋にも、凜然と咲く花がある。秋の花は試練の冬に挑みゆく友への励ましの花だ。
 過日、創価大学では、伝統の菊花展が行われ、見る人の心を希望の大輪で彩ってくれた。
 地元の加住《かすみ》菊友会の方々をはじめ、ご関係の皆様への感謝は尽きない。

困難に打ち勝つ
 東京牧口記念会館の庭園には、初代会長・牧口常三郎先生と、二代会長・戸田城聖先生の胸像が立っている。
 その牧口先生の胸像を囲むように、植樹された花樹がある。寒風に咲く山茶花《さざんか》である。花言葉は「困難に打ち勝つ」。
 創価の父が、「苦難に打ち勝て!」「必ず勝利の春は来る!」と励ましを送っておられることを、我らは忘れまい。
        ◇
 創立の月を寿《ことほ》いで来日された世界55カ国・地域の尊きリーダーたちは、埼玉県の各地の同志・友人とも、麗しい交流交歓会を繰り広げた。
 その翌日(11月10日)、晴れわたる秋空のもと、世界広布の指導者たちと、私も妻も、嬉しい嬉しい再会の一時をもつことができた。
 一人ひとりの瞳が光っていた。一人ひとりの声が弾んでいた。一人ひとりの命が躍動していた。
 それぞれの誓願の国土社会で、言うに言われぬ苦労を重ね、妙法流布の道なき道を開拓し抜いてきた、崇高な地涌の菩薩たちである。皆、国境も民族も超えた「異体同心」の心で集われていた。
 私は、はるばる皆を送り出してくれた母国の方々とも、一緒にお会いしている思いであった。
 いつも研修を陰で支えている通訳や役員の友の笑顔も、眩しく晴れがましかった。
 この “創価家族” のスクラムにこそ、世界市民の究極の連帯があり、人類の平和と共生への希望があると、私たちは声高らかに宣言したい。

勇気を出して!
 今、日本そして世界の男女青年部の友が、対話の拡大に躍進してくれている。立派に成長を遂げている。伸びゆく力を皆で讃嘆してあげたい。
 とともに、青年を応援してくれている壮年・婦人の皆様方にも、心から感謝を申し上げたい。
 この一年、人を励まし、人を育てるという無上の陰徳を、皆で積んだ。創価の威光勢力もいやまし、無限の陽報が顕れないわけがない。
 ともあれ、仏法対話は、最高の仏の仕事であり、生命の鍛錬である。
 御書には「持《たも》たるる法だに第一ならば持つ人随って第一なるべし」(465㌻)と仰せである。
 宇宙第一の法を持った皆様方が、どれほど尊貴な存在か。その法を語り弘める功徳は、計り知れない。たとえ、思うように対話が実らないことがあったとしても、落ち込む必要など全くない。
 聞法下種こそ、第一義の実践である。勇気を出して挑戦していること自体が生命の勝利なのだ。
 牧口先生は、東京で入会した青年の親を折伏するため、戦前と戦中の二度にわたり(昭和15年、17年)、福島県の郡山に赴いている。
 その際、「水泳を覚えるには、水に飛び込む以外にない。畳の上では、いくら練習しても実際に覚えられるものではありません。勇気を出して自ら実験証明することです」と励まされ、両親を入会に導かれた。
 再度の郡山訪問の折には、二本松にも足を運ばれている。
 当時、軍部政府からの圧迫は強まり、既に機関紙「価値創造」は廃刊。そんな緊迫下でも、牧口先生は「母を折伏したい」という一青年の思いに応えて対話し、母親を信心させておられる。
 いかなる時も、青年のために、勇んで動かれる先師であられた。
 この牧口先生の闘魂と行動を受け継ぐのが、わが誉れの青年部である。

大思想を生む力
 御書には、「日蓮生れし時より・いまに一日片時も・こころやすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり」(1558㌻)と記されている。
 立正安国の大哲学は、打ち続く災害や戦乱等に民衆が苦しみ切っていた乱世に、日蓮大聖人御自身が大難に耐え、不惜身命で妙法弘通に進み抜かれる中に確立された。
 未来を切り開く慈悲と希望の大法である。難を乗り越える信心である。
 今、勇気の対話に挑戦している同志の中には、人知れず、体調や仕事、家庭などの苦悩を抱えている方もいるだろう。
 だが、自らも悩みと格闘しながら、自他共の幸福を祈り、人のため社会のため、労苦を惜しまず信念の対話に打って出る──これほど気高い人生があるだろうか。
 オーストリアの詩人・ホフマンスタールは、「苦しまないところからは、ほんのその場限りの、大して価値のないものしか生まれては参りません」と綴っている。
 偉大な思想は、苦難に屈せず実践を貫いていく渦中にこそ、わが血肉《けつにく》となり、骨格となっていくのである。

「一念」で決まる

 昭和31年の “大阪の戦い” も、私は関西の友たちと御書を共に拝しつつ、確信の対話の波を起こしていった。
 私たちは、御義口伝の「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり」(御書790㌻)との一節を胸に刻み、日々の激戦に挑んだ。
 この御文の意義を、実践に即して新入会の友に申し上げたことがある。
 「わかりやすく言えば一瞬一瞬の信心の一念、生命の姿勢です。相手を思う真心といってもいい。誰に対しても大誠実を尽くして語り切っていく。この決意です」と。
 断じて負けないと一念を決して走った、関西の戦友たちの誠実一路の奮闘が懐かしい。
        ◇
 先月、この大関西を、ブラジルSGI(創価学会インタナショナル)の友が訪れた。それはまさに “常勝の魂” が共鳴する交流となった。
 ブラジルの国土面積は日本の20数倍。広大な天地で、メンバーの活動もスケールが大きい。
 大都市サンパウロを中心とする地域には、「アルボラーダ(黎明)グループ」と呼ばれる、壮年部の人材グループがある。本年3月、全土137カ所にメンバーが飛び、現地で訪問激励、弘教拡大に走ったと伺った。
 アマゾンへ、国境沿いの街へ──と。
 結成は30年前。私が18年ぶりのブラジル訪問を果たした年だ。以来、都市部と地方の活発な交流を目的に、2年に1度のペースで地方交流を実施してきた。
 皆、多忙な仕事をやり繰りして自ら志願し、臨んでくれている。
 「大変な地域で頑張る同志に勇気を送ろう」「広布のためなら、どこへでも行こう!」と。何と神々しいことか。
 大きく動けば、自分の境涯も大きくなる。友情も大きく広がる。大変な中で精魂を注いで戦った分だけ、大きな福徳が我が身を包む。
 報恩抄には、「極楽百年の修行は穢土《えど》の一日の功徳に及ばず、正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか」(同329㌻)と仰せである。
 わずか一日でも、今の戦いで百日分、千日分、万日分の価値を創造していくことができる。
 これが大仏法の対話の真髄であり、醍醐味だ。

新たな出発の時
 ドイツの文豪ゲーテは謳(うた)った。
 「きみのおよぼす働きを味わいたければ
 喜び勇んで仲間の中へまじり行け」
 臆して立ち止まっていても、何も生まれない。友の中へ、人間の中へ、民衆の中へと、喜び勇んで飛び込むことだ。
 どんどん人と会う。
 どんどん友と語る。
 形式ではない。真心を込めて語っていくのだ。この胸襟を開いた対話の中に、本当の民主主義の躍動もある。
 一人、また一人と、新たな連帯を結びゆく道程には、あの友この友の、感謝と共感の笑顔が光っていくに違いない。
 大聖人は、「元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ」(同997㌻)と、生命の劇を洞察された。
 思いもよらぬ困難が立ちはだかったその時、わが一念が怯《ひる》めば、生命は元品の無明に覆われ、魔に負けてしまう。
 しかし、題目の師子吼を唱え、広布の誓願のまま、勇猛に挑んでいくならば、わが生命の元品の法性はいよいよ輝く。梵天・帝釈など、あらゆる諸天善神の加護を厳然と顕せる。魔を打ち破り、プラスに転じていける。
 私も戸田先生のもと、いかなる激戦にも、喜び勇んで立ち向かった。
 創価の師子奮迅の一念で猛然と祈り、戦いゆくところ、必ず一切を味方に変え、断固として勝利の道を切り開けるのだ。
 創価の「創」の字は、「はじめる」とも読む。ならば、創立の月とは、出発の月だ。新たな戦いを「創《はじ》める」のだ。敢然と「立つ」のだ。
 23日には、教学部任用試験が行われる。受験者の皆様全員が妙法の大功徳に包まれ、「行学二道の大哲人」「幸福勝利の大博士」として、凱歌の人生の軌道を歩んでいかれることを、心から念願してやまない。
 後継の君たち、貴女《あなた》たちよ! 対話拡大に躍進する旭日の若人よ!
 威風も堂々たる信念の父たちよ! 慈愛と智慧の太陽の母たちよ!
 朗らかに、自分らしく、そして勇気凜々と、正義の大哲理を、語りに語り抜いてくれ給え!

 天の秋《とき》
  世界の友と
     勝鬨を

ホフマンスタールの言葉は 『リヒャルト・シュトラウス/ホーフマンスタール往復書簡全集』 ヴィリー・シュー編、中島悠爾訳(音楽之友社)。ゲーテは 『ゲーテ全集8』 登張正實訳(潮出版社)。

2014-12-30 : 随筆 民衆凱歌の大行進 :
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随筆 民衆凱歌の大行進 No.13 地域広布の英雄へ

随筆 民衆凱歌の大行進 No.13 (2014.10.28付)

地域広布の英雄へ

わが愛する街を常寂光の都に!
笑顔輝き 心通う 朗らかな集いを
ここに民衆の「対話と連帯のオアシス」

 
 あの町に
  また この街に
    たゆまざる
  宝友《とも》の陰徳
   菊花《きっか》と薫らむ

 先日(10月12日)、久方ぶりで聖教新聞社に足を運び、懐かしき「言論会館」で勤行を行った。
 御宝前には、その日の聖教新聞と一緒に、日本全国の尊き「無冠の友」(配達員)の方々の芳名を収めたCD、また代表として表彰された「優秀無冠の友」の名簿がお供えされている。
 壁には、かつて通信員の方々へ私がお贈りしたメッセージが掲げられてあった。今年は、聖教が誇る通信員制度の発足60周年でもある。
 私も妻も、聖教新聞の一層の大発展を強盛に祈念した。そして「無冠の友」「通信員」「新聞長」をはじめ、聖教を支えてくださっている全ての方々に届けと、真剣に題目を送った。

「躍進の年」へ!
 この新宿区信濃町の現在の場所に、聖教新聞社の社屋(現・第一別館)が落成したのは、昭和36年(1961年)であった。私の会長就任の翌年であり、「躍進の年」と銘打った年である。新たな「言論城」の誕生と同時に、広宣流布の「躍進」は加速した。
 今再び、世界広宣流布新時代の「躍進の年」を、創価の “人間主義の旗” たる聖教を高らかに掲げて、動き、語り、颯爽とスタートしていきたい。
        ◇
 アフリカの正義の厳窟王・マンデラ氏や、東西冷戦を終結させた立役者・ゴルバチョフ氏など、多くの世界の指導者を迎えてきた聖教新聞社の7階からは、信濃町周辺の街並みが一望できる。
 今、日本中、世界中の宝友が勇み集われる広宣流布大誓堂を中心とする総本部を、陰に陽に守り支えてくださっている地元の皆さんに感謝は尽きない。
 先日も、この本陣・新宿で入会したタイの青年の体験を伺った。日本に来て創価学会の話を聞いたところ、実は祖母がタイ創価学会のメンバーで、幼いころから題目に親しみを覚えていた。晴れて7月に入会し、今、任用試験に向けて教学に挑戦の日々である。
 国境を超え、世代を超えて、題目の音声《おんじょう》が地球に轟く時代である。
 この青年は、信心の正しさを知り、求道の心に燃えて入会できたのは、地区の皆さんが共に勤行・唱題し、温かく面倒を見てくれたお陰ですと、笑顔で語っているという。

「地区制」30年
 SGI(創価学会インタナショナル)の人間主義の活動にも深い理解を寄せてくださっていたブラジルの文豪アマード氏は、こう洞察されていた。
 「勇気と愛情、英雄たちの心はこの二つからできている」
 勇気──それは、正義を貫き、師子の如く真実を叫び抜く魂である。
 愛情──それは、同苦の心で、仏の如く民衆を守り抜く慈悲である。
 この心を漲《みなぎ》らせて戦い続ける真の英雄、人間主義のヒーロー、ヒロインは、いずこにいるか。
 私は、広宣流布の一切の起点たる「地区」を担い支えてくださる、偉大なリーダーの方々を思い起こさずにはいられない。
 地区部長・地区婦人部長を中心に、異体同心で前進する姿こそ、広布の組織の理想である。
 現在の「地区制」が発足したのは、30年前の昭和59年(1984年)1月のことであった。
 壮年部の地区部長、婦人部の地区担当員(現・地区婦人部長)、そして男女青年部に新進気鋭の「地区リーダー」が、各地に誕生したのである。
 わが創価の地区が盤石ならば地域も栄え、未来も輝く。その勢いは必ず一閻浮提へ波動する。
 ここに日本の広宣流布の大発展の軌道が敷かれたと確信した私は、翌月から、18年ぶりのブラジル訪問をはじめ北南米へ1カ月を超える広布旅に飛び出したのである。
 「地区広布」即「世界広布」──身近な人と人との絆、自分の住む近隣地域を大切にする行動を広げることが、必ず世界をも変える。創価の師弟は、常にこの心意気で前進してきた。
 さらに地区を励まし支える「支部」のリーダーの方々も、そして最前線の「ブロック」の皆様方も、「わが地域の幸福と安穏は我らの手で!」と、誇りも高く立ち上がってくれている。
 中でも、「白ゆり長」「副白ゆり長」の誕生から10周年の今年、あらためて尊きブロックの婦人部リーダーの皆様方の日々のご苦労を心から労い、讃嘆したい。
 また、広宣流布の最前線に立つ “黄金柱” として、堂々と、満々たる闘魂で戦っておられる壮年ブロック長たちの雄姿が、いつも私の目に浮かんでくる。
 五濁悪世の末法にあって、民衆の救済を誓願し、慈折広布に邁進されゆく尊貴な民衆指導者の皆様方! いつも、いつも、本当に、ありがとう!

人と人を結べ!
 今夏、日本では豪雨による災害が相次いだ。被災された方々に、重ねて心よりお見舞いを申し上げ、一日も早い復興を懸命に祈る毎日である。
 世界各地でも、近年、自然災害の脅威は増加している。そんな中、災害等への地域社会の抵抗力・回復力──すなわち、「レジリエンス」を高めていこうとする動きが活発化している。
 最近の研究では、「レジリエンス」が強いとされる地域コミュニティーの共通点の一つとして、ある重要な力を持ったリーダーの存在が認められている。
 その力とは、「人びとを結びつける力」という。政治的、経済的、社会的な立場の異なる様々な人びととの間に協力関係を築き、相互の交流を橋渡しする能力である。
 いわゆる剛腕でもない。一人で全ての決断を下し、采配を振るうタイプでもない。多種多様な人々が互いに理解し合うために、その “橋渡し” を務められる「通訳型リーダー」ともいうべき存在なのだ。
 わが友である、ブラジルの大音楽家アマラウ・ビエイラ氏は、東日本大震災に屈しない東北の方々を讃えておられた。
 「人と人の間に生まれた最強の連帯感と、同苦と助け合いの心は、全人類の称賛に値するものであります」と。

座談会の先駆性
 ジャズ発祥の地といわれるアメリカ・ニューオーリンズを襲ったハリケーン「カトリーナ」(2005年)の災害にあって、いち早く復興を遂げた地域には、ある特色があったという。
 そこには、日頃から、「対話」を促すリーダー的な人がいて、住民を結びつけていたというのだ。
 思うに、今ほど地域社会に対話の場が求められている時代はない。我らが、愛する街で朗らかに行っている「座談会」は、実に先駆的で模範の広場なのである。
 SGI芸術部長で、ジャズ界の王者と輝くハービー・ハンコック氏とウェイン・ショーター氏が力強く語られていた。
 「私たちは学会活動を通し、メンバーが互いに応援し、支え合い、つながり合うことの価値を学ぶことができます。それは決して、上から下へのトップダウンではありません」
 「座談会は、相手の立場に立ち、男女や人種や世代の違い、文化的・地理的な環境の違いによって生じる問題の本質を深く理解していくのに役立ちます」
 両氏とも、多様な人びとが共存し、「オーケストラ」や「サラダボウル」にも譬えられるアメリカ社会にあって、長年にわたり地区部長や地区幹事として献身し、まさに地域を大切にされてきただけに、その言葉には千鈞の重みがある。

“希望の列車”で
 「地区座談会の模範たれ」──30年前、私は、大切な地区を担うリーダーの皆様に呼び掛けた。
 座談会は、多くの同志たち仲間たちを乗せて、幸福へと運ぶ “希望の列車” である。地域の人びとを結び、いかなる困難にも災害にも負けない団結力を培い高めゆく、偉大な集いなのである。
 わが地域の座談会が、ますます楽しく、皆で朗らかに語り合いながら、笑顔を輝かせ、心と心を通わせる「地域のオアシス」となることを、深く祈念してやまない。
 第二次世界大戦の中、ナチスの非道な迫害を受けた経験を持ち、生涯にわたり「人間」を見つめ続けた哲学者ハンナ・アーレントは綴った。
 「人間が活動する能力をもつという事実は、本来は予想できないことも、人間には期待できるということ、つまり、人間は、ほとんど不可能な事柄をなしうるということを意味する」
 すなわち、人間には、苦難を乗り越える底力があるのだ。絶望に屈せず、希望を紡ぎ、逞しく連帯して未来を切り開く勇気と智慧があるのだ。この人間の善の可能性を信じ抜いてこそ、未聞の大偉業も遂行できる。

今いる場所で勝利
 日蓮大聖人は、命にも及ぶ佐渡流罪の只中に、悠然と門下に仰せになられた。
 「我等が如く悦び身に余りたる者よも・あらじ、されば我等が居住して一乗を修行せんの処《ところ》は何《いず》れの処にても候へ常寂光の都為《た》るべし」(御書1343㌻)と。
 世界のあの地、この地で、大聖人に直結して、広布は今、同時進行で伸展している。
 広宣流布の師匠と同じ誓願に一人立ち、不可能と思われた世界への広布拡大を成し遂げたのが、我ら創価の誇りだ。
 十方の諸天善神を強く揺り動かし、あらゆる障魔に打ち勝ちながら、わが愛する地域を発展させ、断固として「常寂光の都」へと輝かせゆこうではないか!

 いにしえの
  縁《えにし》の友と
   わが天地
  仲良く楽しく
     幸の宝土に

アマードの言葉は 『革命児プレステス』 神代修訳(弘文堂新社)、アーレントは 『人間の条件』 志水速雄訳(筑摩書房)。
2014-12-30 : 随筆 民衆凱歌の大行進 :
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池田SGI会長指導選集 「幸福と平和を創る智慧」 第1部 第6章 6-7〜6-14

 6-7 身近な人の死と向き合う

 門下の南条時光と、その母に対する日蓮大聖人の励ましなどを通して、「愛別離苦」の苦悩を包み込む仏法の英知を語っています。

【池田SGI会長の指針】
◎第二総東京代表協議会でのスピーチから
      (2006年2月20日、東京)

 人間の本来的な「生老病死」の苦悩をどうすれば乗り越えていけるか。そこに確かな解決の光を当てたのが仏法の英知である。
 「愛別離苦」――愛する人との別れもまた、誰人たりとも避けられない。その点についても仏法は明快な示唆を与えている。
 南条時光の父は、時光が7歳のときに、若くして病気で亡くなった。圧迫を恐れず、大聖人に帰依し、 一家の宿命転換の道を厳然と開いた父であった。
 大聖人は、時光の母にあてて、(亡くなられた夫君《ふくん》は)生きておられたときは生の仏、今は死の仏です。生死ともに仏です」(御書1504㌻、通解)と仰せになられた。
 生命は永遠である。妙法に生きぬく生命は、「生も仏」「死も仏」である。ゆえに、必ず必ず、「生も歓喜」「死も歓喜」の大境涯を、悠々と堂々と進んでいくことができるのである。
 夫の心を継いで、時光の母は、強盛な信心を貫き、時光ら子どもたちを立派な後継者へと育てあげていった。子どもたちも、父から学んだ信心を毅然と受け継いでいった。
 その時光も、当然、「自分は早くに父を失い、いろいろ教えてもらうことができなかった」との無念な思いも抱いていたようだ。
 その時光の心を深く知っておられた大聖人は、こう励ましておられる。
 「この経を受持する人々は、他人であっても同じくに霊山にまいられて、また会うことができるのです。まして、亡くなられたお父さまも、あなたも、同じく法華経を信じておられるので、必ず同じところにお生まれになるでしょう」(同1508㌻、通解)と、お約束なされているのである。
 妙法で結ばれた縁《えにし》は永遠である。いわんや、妙法に生きる家族は、同じところに生まれ合わせていくことができる。それが、不可思議なる妙法の力用なのである。
 大聖人の門下には、立派な最愛の息子に先立たれたことが発心のきっかけとなって、両親ともに妙法への信仰を深めていった家族もいた。
 この両親は、真剣に妙法を行じ、真心込めて大聖人にお仕えしていった。
 大聖人は、その信心を讃えられ、こう仰せになられている。「(あなた方の信心のすばらしさは)ただごとではありません。ひとえに釈迦仏が、あなた方の身に入り替わられたのでしょうか。また、亡くなられたご子息が仏になられて、父母を仏道に導くために、あなた方の心に入り替わられたのでしょうか」(同1397㌻、通解)
 「あなた方に、もしものことがあるならば、暗い闇夜に月が出るように、妙法蓮華経の五字が月となって現れ、あなた方の行く手を照らすでしょう。そして、その月のなかには、釈迦仏・十方の諸仏はもとより、先立たれたご子息も現れて、あなた方を導いていかれることを確信してください」(同㌻、通解)
 妙法に結ばれた生命は、生死を超えて、ともどもに、たがいに、励まし合い、護り合い、導き合って、絶対の幸福と勝利の軌道を進んでいくのである。
 妙法の世界には悲嘆もなければ、悲観もない。妙法を行ずる家族は、何があっても「常楽我浄」の月光に包まれていく。そして、その足跡が、あとに続く人々に、計り知れない希望と勇気を送っていくのである。

 6-8 自分自身の成仏が故人の成仏に

 この節では、御聖訓を踏まえて、自らの成仏が故人への真の追善となっていくという仏法の法理を語っています。

【池田SGI会長の指針】
◎春季彼岸勤行法要でのスピーチから
        (2006年3月21日、東京)

 日蓮大聖人は、「御義口伝」に仰せである。
 「今、日蓮とその弟子たちが、亡くなられた聖霊《しょうりょう》を追善し、法華経を読誦し、南無妙法蓮華経と唱えるとき、題目の光が無間地獄にまで至って、即身成仏させる。廻向の文は、ここから事起こるのである」(御書712㌻、通解)
 題目の力は、計り知れないほど大きい。私たちが唱える題目の〝光明〟は、全宇宙のすみずみにまで届き、無間地獄の境涯で苦しむ衆生をも照らし、即身成仏させていくのである。
 「さじき女房御返事」には、「この功徳は、あなたの父母や祖父母、さらに無量無辺の衆生にも及んでいくでしょう」(同1231㌻、通解)と仰せである。広布に生きる信心の偉大な功徳は、亡くなった人や、子孫末代にまでも伝わっていく。
 真の追善は、妙法によるしかない。妙法の功力は、今世だけでなく、三世にわたって人々を救いきっていくからである。
 日蓮大聖人の門下に、浄蓮房という人がいる。その父親は、念仏の信仰者として亡くなった。この浄蓮房に対して、大聖人は、「父母の遺した体は子の色心である。今、浄蓮上人が法華経を持たれた功徳は慈父の功徳となる」(同1434㌻、通解)と仰せである。
 信心をしなかった親であっても、子である自分が妙法を受持すれば、その功徳は親の功徳ともなる。私たちが、今こうやって生きているのは父母のおかげである。この体は、父母から授かったものである。自分自身の成仏は、父母の成仏につながっていくのだ。
 過去がどうかではない。「今」で決まる。先祖がどうかではない。「自分」がどうかで決まる。目覚めた「一人」が、太陽となって、 一家、一族を妙法の光で照らしていけばよいのである。
 「自身が仏に成らなくては、父母さえ救うことはむずかしい。ましてや、他人を救うことなどできない」(同1429㌻、通解)との御聖訓を深く銘記したい。

 6-9 妙法の縁は永遠

 「大好きだった祖母が亡くなりました。いつか、また会えるでしょうか」という高等部員の率直な質問に対して、温かな励ましを送り、答えています。

【池田SGI会長の指針】
◎『青春対話Ⅱ』から
                  (2000年9月刊)

 「会える」と日蓮大聖人は言われている。たとえば、子どもを亡くしたお母さんに対して、優しく、こう言われている。
 「(子どもさんに)やすやすと、お会いになれる方法がありますよ。釈迦仏に導かれて、霊山浄土へ詣でて、お会いなさい」
 「南無妙法蓮華経と唱える女性が、愛《いと》しく思う子どもに会えないということは絶対にないと(法華経に)説かれています」(御書1576㌻、趣意)
 霊山浄土で会うということは、〝亡くなった子どもも成仏していますよ。あなたも仏になれるのだから、同じ仏界の世界で一緒になれるんだよ〟ということでしょう。
 それは宇宙に溶け込んだ生命が、相手との一体感を感じるとも言えるし、宇宙の他の仏国土で会えるとも言える。
 この前、「宇宙全体の銀河の数は、約一千二百五十億個」という研究が発表されていた。(アメリカ天文学会で。NASA 〈ァメリカ航空宇宙局〉のハッブル宇宙望遠鏡の観測をもとにしたもの)
 それでも仏法の宇宙観から見れば、まだまだ大きいとは言えない。
 勤行で読んでいる法華経寿量品では、もっともっと広大な宇宙像が説かれている。実質的に「無限」を表現しようとしているとしか思えない、すごさです。
 ともあれ、生命体が住んでいる惑星だって、地球だけではない。数限りなくある。
 そのなかの「仏国土」に、また一緒に生まれる場合もあるでしょう。また、地球をはじめ、「まだ広宣流布している途中の星」に一緒に生まれて、悩んでいる人々をともに救っていく場合もあるでしょう。全部、自分の自由自在になるのだというのが、法華経の教えです。
 生命は永遠です。だから、「死別した」と言っても、ちょっと遠くへ行っただけとも言える。外国へ行って、しばらく会えないみたいなものです。
 戸田先生も若いころ、子どもさんを亡くしたのです。こう言われていた。
 「私は、年二十三で『ヤスヨ』という子どもをなくしました。女の子であります。 一晩、私は死んだ子を抱いておりました。そのころ、まだ御本尊様を拝みませんから、もう悲しくて、抱いて寝ていました。そして別れて、私はいま、五十八歳です。彼女がおれば、当時三歳でありましたから、そうとうりっぱな婦人となっていることと思いますけれども、今世で会ったといえるか、いえないか……。それは信心の感得の問題です。私はその子に会っております。今生《こんじょう》で会うというのも、来世で会うというのも、それは信心の問題です」(『戸田城聖全集』2)
 これは、子どもを早く亡くした人への励ましとして話されたのです。「今世で、あの子と、また親子の縁が結べますか」という質問に答えての言葉です。
 戸田先生は、娘さんの後、奥さんも亡くされた。子どもや奥さんに先立たれて、苦しみぬいたが、そうやって、ありとあらゆることで苦しんだからこそ、今、大勢の人を励ませるのだ、大衆のリーダーとして、人の心がわかる人間になれたのだと言っておられた。
 全部、意味があるのです。その時は悲しくて、苦しんで、やりきれなくても、負けないで生きぬいていけば、あとから「ああ、こういう意味があったんだ」とわかります。それが信心の力です。また、それが人生の真髄です。

 6-10 不慮の死をどう受け止めるか

 小説『新・人間革命』では、ある地方の中心幹部が交通事故で亡くなった際、山本伸一が駆け付けて皆を励まし、仏法の深き生死観を語る場面が綴られています。

【池田SGI会長の指針】
◎小説『新・人間革命』10巻「言論城」から
        (2001年10月刊)

 御書の随所で、日蓮大聖人は「三障四魔」について説かれているが、そのなかに「死魔」とある。仏に精進する人が死ぬことによって、信心への疑いと迷いを生じさせることなどをいうのである。
 人には宿業があるが、凡夫には、その宿業の深さはわからない。たとえ、若くして亡くなったとしても、信心を貫いた人は、宿業を「転重軽受」(重きを転じて軽く受く)しての死なのである。
 ともあれ、真の信仰者として広宣流布に邁進している人は、いかなるかたちで命を終えようとも、成仏は間違いない。
 初期の仏典には、次のような話がある。
 ――摩訶男《まかなん》(マハーナーマ)という、在家の信者がいた。彼は、もし、街の雑踏のなかで、三宝への念を忘れている時に、災難に遭って命を失うならば、自分はどこで、いかなる生を受けるのかと、仏陀に尋ねる。
 すると、仏陀は言う。
 「摩訶男よ、たとえば、 一本の樹木があるとする。その樹は、東を向き、東に傾き、東に伸びているとする。もしも、その根を断つならば、樹木は、いずれの方向に倒れるであろうか」
 摩訶男は答えた。
 「その樹木が傾き、伸びている方向です」
 仏陀は、仏法に帰依し、修行に励んでいるものは、たとえ、事故等で不慮の死を遂げたとしても、法の流れに預かり、善処に生まれることを教えたのである。
        ◇
 伸一は、石崎の死について語っていった。
 「石崎さんが事故で亡くなられたことから、信心をしているのに、どうして、ああいう事故に遭ってしまつたのかと、思われた方もいることでしょう。
 生命の深い因果というものは、宿命というものは、まことに厳しい。それゆえに、信心をしていても、さまざまな死があります。牧口先生のように、獄中で亡くなられ、殉教されることもあります。病気や事故で、若くして亡くなることもあるでしょう。
 しかし、信心の眼をもって見るならば、そこには、深い、深い、意味がある。
 広宣流布に生き抜いてきた人は、地涌の菩薩です。仏の眷属です。
 生命は永遠であり、妙法の原理のうえから、その地涌の菩薩が、仏の眷属が、救われないわけがないではありませんか!
 後に残ったご家族も、必ず守られます。
 信心を貫いていくならば、広布のために献身されたご主人の、福運、功徳をも身に受け、誰よりも幸福になれることは、絶対に間違いないと、私は宣言しておきます」
 伸一の大確信に触れ、皆の心を覆っていた、迷いの暗雲は晴れ、胸中に、希望の太陽が昇り始めた。
 「ご主人がいないから不幸とは限らない。
 また、栄誉栄達も、財産も、決して、幸福を保証するるものではありません。
 真実の幸福、絶対的幸福とは、信心によって、自身が妙法の当体であることを自覚し、人間革命し、仏の大生命を涌現していく以外にない。
 人は、生まれる時も、死んでいく時も一人である。三世にわたって自分を守ることができる力は、妙法しかありません。
 懸命に、広布に走り抜くならば、三世十方の仏菩薩が擁護してくれます。したがって、何があっても、何を言われようが、いかに苛められようが、絶対に、紛動されるようなことがあってはならない。もし、臆病になり、信心から離れていくならば、結局は惨めです。
 生命は永遠ですが、一生は瞬く間に終わってしまいます。
 この世の使命を自覚し、広布に走り、大福運を積みきっていただきたいんです」

 6-11 成仏の証《あかし》は明確に現れる

 この節では、信心を根本に悔いなく生ききった人の臨終について語っています。

【池田SGI会長の指針】
◎「随筆 新・人間革命」〈仏法の生死観〉から
 
                    (2000年11月3日「聖教新聞」掲載)

 かつて私は、フランスの青年たちと共に、ロワールの地を歩き、レオナルド・ダ・ビンチが生涯をを終えた館を訪れたことがある。
 このルネサンスの巨人が最期を迎えたという寝室には、彼の言葉が銅板に刻まれていた。
 「充実した生命は 長い
 充実した日々は いい眠りを与える
 充実した生命は 静寂な死を与える」
 よき一生を悔いなく生ききった人に、死の恐怖はない。
 なかんずく、宇宙と生命を貫く永遠の法則に則りながら、人びとのため、正義のために、戦い進んだ人生が、いかに歓びの山頂へと到達していくか。
 日蓮大聖人は、仰せである。
 「退転なく修行して、最後、臨終の時を待ってご覧なさい。
 妙覚の山に走り登って、四方をきっと見るならば、なんとすばらしいこどであろうか。法界は皆、寂光土であり、瑠璃をもって地面とし、黄金の縄をもって八つの道を仕切っている。天から四種類の花が降ってきて、空には音楽が聞こえ、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき、心から楽しんでおられるのである。我らも、そのなかに列《つら》なって遊び戯れ、楽しむべき時が、間近になっている」(御書1386㌻、通解)と。
 これが、宇宙に律動する仏界・菩薩界という「歓喜の中の大歓喜」の生命の次元である。
 大聖人の御在世、広宣流布に不滅の功労を残した南条家では、時光の一番下の弟・七郎五郎が、16歳の若さで急逝した。
 心根も容姿も、それはそれは爽やかな、大聖人も将来を嘱望されていた青年であった。
 母にとっては、夫に先立たれた時、お腹にいた最愛の子である。
 大聖人は、その突然の死を、深く深く嘆かれ、悼まれながら、成仏は絶対に疑いないことを、何度も何度も断言なさている。
 ある追伸では、「釈迦仏・法華経に身を入れて候いしかば臨終・目出たく候いけり」(御書1568㌻)と。
 たとえ若過ぎる死や、不慮の死のように見えても、成仏の証は明確に現れる。
 端的に言えば、多くの人びとによって、心から惜しまれる姿である。
 そして、残された家族が護られ、栄えていく姿である。
 家族が強く強く生き抜いていく時、その胸の中に、亡き人は厳然と生き続けていく。
 大聖人は、励ましておられる。
 「乞い願うところは、悲母がわが子を恋しく思われるならば、南無妙法蓮華経と唱えられて、亡き夫君と御子息と同じ所に生まれようと願っていきなさい。
 一つの種は一つの種であり、別の種は別の種です。同じ妙法蓮華経の種を心に孕まれるならば、同じ妙法蓮華経の国ヘ生まれられるでしょう。
 父と母と子の三人が顔を合わせられる時、そのお悦びはいかばかりで、いかに嬉しく思われることでしょう」(御書1570㌻、通解)
 深遠な法理の上に、おとぎのようなロマンの幸福の世界が広がりゆくのが、仏法である。

 6-12 「病によりて道心はをこり候なり」

 御聖訓に照らして、仏法は、病さえも成仏への契機として捉えていくことを教えています。

【池田SGI会長の指針】
◎和歌山県記念総会でのスピーから
        (1988年3月24日、和歌山)

 大病をした人は深い人生の味を知るという。仏法では、「病」も、至高の目的である「成仏」への契機としていけると位置づける。苦しい病気という不幸が、そのまま永遠にわたる絶対的幸福へのステップ台となっていく――。
 御書の有名な一節に「このやまひは仏の御はからひか・そのゆへは浄名経・涅槃経には病ある人仏になるべきよしとかれて候、病によりて道心はをこり候なり」(1480㌻)と仰せである。
 夫が病気になった婦人に対して、「この病気は、仏の御はからいでしょうか。なぜなら浄名経や涅槃経には″病がある人は仏になる〟と説かれています。病によって、仏道を求める心は起こるものです」とあたたかく激励しておられる。自在な、また大きな、大聖人の智慧と慈愛が胸に迫ってくる御指導である。
 たしかに、ふだんはともかく、病気で苦しければ、だれしも一生懸命、題目をあげ始めるにちがいない。また、そうした苦難のときにこそ、いやまして信心の炎を燃やさねばならない。大切なことは、病気を不幸への出発点とするか、より大いなる幸福の軌道へのスタートとするかである。
 唱題の力は、病を克服する強き生命力をもたらすのみならず、生命の奥の宿業をも転換していく。生命の″我〟を仏界へと上昇させ、崩れざる絶対的幸福の境涯へと、無量の福運を開いていく。
 いわば病気というマイナスを、もとの健康体というゼロにもどすにとどまらず、より大きなプラスの方向へ、幸福の方向へと見事に転じていくことができる。その力用を引きだすものこそ、苦難をも勇んで飛躍の発条《バネ》にする〝不屈の信心〟である。
 どんな病状でも、信心によって、すぐに治癒するか――といえば、いちがいにそうとはいいきれない。その人の宿命の問題もあるし、信心の強弱もある。また、凡智にはわからないさまざまな深い意味がある場合もあろう。
 しかし、信心さえ強盛であれば、必ずや健康の方向へ、幸福の方向へ、成仏の方向へと転じていくことだけは絶対にまちがいない。
 三世の生命から見れば、わが生命は、もっとも良い方向へ、もっとも幸福な方向へと変化しているのである。
 私どもは生あるかぎり、妙法を唱えに唱えぬきながら、広宣流布へ、広宣流布へという情熱の一念を、あかあかと燃やし続けていきたい。
 その鍛えあげられた強き強き信心の「心」こそ、「生死」の苦をも悠然と乗り越えていける唯一の原動力だからである。

 6-13 「老い」への価値観を変える

 「老い」や「病」「死」から目をそむけるのは「心のおごり」の表れであるという釈尊の洞察に触れながら、「老い」をどう捉えるかを語っています。
 ※なお、池田SGI会長は、この〝釈尊の「心のおごり」の指摘〟について、2013年発表の「SGIの日」記念提言でも言及しています(提言の抜粋を付録に掲載)。


【池田SGI会長の指針】
◎『「第三の人生」を語る』から 
             (1998年10月刊)

 仏典に、釈尊が、「生老病死」のうち「老」と「病」と「死」について考えて、「三つのおごり」を乗り越えたという話があります。
 人間には、「老者に対する嫌悪」があるが、これは「若者《じゃくしゃ》のおごり」である。
 「病者に対する嫌悪」があるが、これは「健者《けんじゃ》のおごり」である。
 「死者に対する嫌悪」があるが、これは「生者《せいじゃ》のおごり」である。
 釈尊が示した、この「三つのおごり」は、決して過去の昔話ではありません。
 今、高齢社会の問題が語られ、社会の変化や制度の不備などがあげられています。それはそれで大切なことですが、より本質的には、今の人々に巣食う「心のおごり」に光をあて、人間自体を変えていかなければいけないのではないか、と思います。
 人間は、ともすると自分とは違うものを軽蔑したり、嫌悪したりする場合がある。アメリカのハーバード大学の記念講演(1993年9月、「21世紀文明と大乗仏教」、『池田大作全集』第2巻所収)で語った、〝差異へのこだわり〟です。釈尊は、それを、人の心に刺さった、見がたき「一本の矢」であると表現しました。
 この〝差異へのこだわり〟が、自分の生命の領域を自分で小さくし、ふさいでしまうことになる。今の自分でしか、生きていけないということになる。
 いずれだれもが老い、病み、死んでいくことを考えるならば、現代人が、そうやって老いや病や死から目をそむけているかぎり、自分の未来を自分で閉ざして、否定していることになる。
 「老い」に対する価値観を変えることです。高齢者がもっている大きな人生経験は、本人にとっても、まわりにとっても、世の中にとっても、かけがえのない財産です。
 御書には、中国古代の周の文王《ぶんおう》は、年配者を大切にし、その知恵を尊敬した人であり、〝周王朝八百年の栄えの根本は、この王の治世にある〟と述べられています。
 年配者の円熟味から発せられる言葉には、ハッとさせられるような知恵と重みを感じることがあるものです。美しく光っている人を、私は数多く知っています。
 広布の活動のなかで、崩れぬ自己を築いてきた人は、輝いています。胸をはって、堂々と生きていくことです。

 6-14 生死の苦悩を転ずるために

 御聖訓に照らして、御聖訓に照らして、ここでは、生死の苦悩を乗り越え、永遠に連なる幸福境涯を開くために、今世で「心の財」を積みゆく仏道修行の大切さを語っています。

【池田SGI会長の指針】
◎沖縄青年部代表者研修会でのスピーチから
     (1988年2月19日、沖縄)

 仏教の説話に、こんな話がある。
 あるとき、釈尊のもとに、遠方からやってきた七人のバラモンの長老の修行者がいた。彼らは一つの房に同居していた。ところが、彼らはせっかく釈尊のもとに仏道を求めてきながら、毎日、房に集まっては世間話に明け暮れ、笑い興じながら、その日その日を送っていた。
 そこで釈尊は、七人の修行者を訪ねて説いた。
 「生きとし生けるすべての人は、五事《ごじ》をたのんで、自ら満足している。五事とは、 一には年の若いことを望み、二には容姿が端正であること、三には力が十分にあること、四には財産が豊かであること、五には社会的な身分が高いことを願う。しかし、これらは何のたのみになろうか。あなたたち七人は、毎日、つまらぬ世間話をして笑い暮らしているが、いったい何をもって安住していられるのか」
 そして釈尊はさらに、人生は無常迅速であること、人生には生老病死の「四苦」があることを説いて教えた。これを聞いて、七人の修行者たちは、初めて自分たちはここで何をすべきかを知り、心を改めて、修行に励むようになったという。(法句譬喩経)
 「お前たちは何をたのみに生きるのか」――これが釈尊の問いであった。この人生を何を糧として生きるのか。
 日蓮大聖人は「蔵の財《たから》」「身の財」「心の財」という三つの〝人生の宝〟を示されている。(御書1173㌻)
 この説話の中の「五事」とは、いわゆる「蔵の財」「身の財」にあたるといえよう。
財産はいうまでもなく「蔵の財」である。若さ、容姿、健康や能力などの力、地位・身分や名声は「身の財」である。
 いずれも人生と生活上の価値であり、それらを求めることは一面、当然のことともいえるかもしれない。しかし問題は、それらがはたして人生の真実の〝宝〟であり、永遠の〝糧〟であるかどうかである。
 具体例をあげるまでもない。財産があるために、ねらわれたり、殺されたりする人もいる。美しいために妬まれ、またおとしいれられる女性も少なくない。
 名声や力があるがゆえに心おごり、人生をあやまる人、地位が高いために、権力の魔性に心破られてしまう人等々、私どももよく目にするところである。こうしたなかには、何ひとつ永遠に続く〝宝〟はない。
 とすれば、「蔵の財」「身の財」は、決して真実の幸福をあたえてくれる〝人生の糧〟とはいえない。少なくとも、それらのみでは、人は本当の満足の人生を生きることはできない。
 人は何で生きるか。大聖人は「心の財第一なり」(御書1173㌻)と端的に教えてくださっている。
 この「心の財」とは「信心」である。「信心」こそ人生の永遠の〝宝〟であり〝糧〟である。「信心」には、無量の功徳、無辺の福運が含まれている。国土をも変革しゆく宇宙大の力用が秘められている。つきぬ歓喜と、絶大なる智慧と慈悲との源泉であり、「蔵の財」「身の財」をもすべて永遠の幸福へと生かしきっていけるのである。
 諸君はすでに、この最高の〝人生の糧〟をもっている。あとは、その無限の力をどう引きだすかである。
 人生は、はやい。逡巡したり、愚痴や他者への批判にいたずらに時を過ごし、また、みずからの怠惰に負けてしまったりしているうちに、あという間に青春は過ぎ去ってしまう。大切な一日一日である。
 諸君は現実のまっただなかで、たくましく生きぬきながら、同時に〝大宇宙〟を仰ぎ、〝永遠〟に思いをはせる広々とした境涯で、一日が千年にも千劫にも通じるような、充実の青春と人生を送っていただきたい。


付録
第38回「SGIの日」記念提言
「2030年へ 平和と共生の大潮流」から
     (2013年1月26日「聖教新聞」掲載)

 仏法の成立にあたって、その出発点に横たわっていたのも、〝さまざまな苦しみに直面する人々に、どう向き合えばよいのか〟とのテーマでした。
 何不自由のない生活が約束された王族に生まれた釈尊が、若き日に出家を決意するまでの心境の変化は、四門出遊の伝承に凝縮した形で描かれています。しかし釈尊の本意は、生老病死を人生に伴う根本苦として、無常をはかなむことにはなかった。
 釈尊は後に当時の心境について、「愚かな凡夫は、自分が老いゆくものであって、また、老いるのを免れないのに、他人が老衰したのを見ると、考えこんで、悩み、恥じ、嫌悪している──自分のことを看過して」との思いがよぎり、病や死に対しても人々が同じ受け止め方をしていることを感じざるを得なかったと回想しています(中村元『ゴータマ・ブッダ』I、『中村元選集[決定版]』11所収、春秋社)。
 あくまで釈尊の眼差しは、老いや病に直面した人々を──それがやがて自分にも訪れることを看過して──忌むべきものと差別してしまう〝心の驕り〟に向けられていたのです。
 であればこそ釈尊は、周囲から見放された高齢の人や、独りで病気に苦しんでいる人を見ると、放っておくことができなかった。
 それを物語る逸話が残っています。
 ──一人の修行僧が病を患い、伏せっていた。
 その姿を目にした釈尊が「汝はどうして苦しんでいるのか。汝はどうして一人で居るのか」と尋ねると、彼は答えた。「私は生まれつき怠けもので、[他人を]看病するに耐えられませんでした。それで今、病気にかかっても看病してくれる人がありません」
 それで釈尊は「善男子よ。私が今、汝を看《み》よう」と述べ、汚れていた敷物を取り換えただけでなく、彼の体を自ら洗い、新しい衣にも着替えさせた。
 その上で釈尊は、「自ら勤め励みなさい」との言葉をかけ、修行僧は心も身も喜びにあふれた、と(玄奘『大唐西域記』水谷真成訳、『中国古典文学大系』22所収、平凡社)。
 思いもよらない献身的な介護もさることながら、釈尊が他の健康な弟子たちにかけるのと何ら変わらない言葉を自分にもかけてくれたことが、尽きかけようとしていた彼の生命に〝尊厳の灯火《ともしび》〟を再び燃え立たせたに違いないと、私には思えてなりません。
 その上で、この逸話を、他の経典における伝承と照らし合わせると、もう一つの釈尊の思いが浮かび上がってきます。
 ──釈尊は、修行僧の介護をした後、弟子たちを集めて、次々と尋ね聞いた。その結果、修行僧が重病に苦しんできたことも、どんな病気を患っていたかも、弟子たちが以前から承知していたことを知った。
 にもかかわらず、誰一人として手を差し伸べようとしなかったのはなぜか。
 弟子たちから返ってきた答えは、修行僧が病床で語っていた言葉の鏡写しともいうべき、「彼が他の修行僧のために何もしてこなかったので、自分たちも看護しなかった」との言葉だった(「律蔵大品」から趣意)。
 この答えは、現代的に表現すれば、「日頃の行いが悪いから」「本人の努力が足りないから」といった自己責任論に通じる論理といえましょう。それが、修行僧にとっては運命論を甘受する〝あきらめ〟となって心を萎えさせ、他の弟子たちにとっては傍観視を正当化する〝驕り〟となって心を曇らせていた。
 そこで釈尊が、弟子たちの心の曇りを晴らすべく、気づきを促すように説いたのが、「われに仕えようと思う者は、病者を看護せよ」(前掲『ゴータマ・ブッダ』I)との言葉でした。
 つまり、仏道を行じるとはほかでもない。目の前で苦しんでいる人、困っている人たちに寄り添い、わが事のように心を震わせ、苦楽を共にしようとする生き方にこそある、と。
 ここで留意すべきは、そうした過程で尊厳の輝きを取り戻すのは、苦しみに直面してきた人だけでなく、その苦しみを共にしようとする人も同時に含まれているという点です。
 生命は尊厳であるといっても、ひとりでに輝くものではない。こうした関わり合いの中で、他者の生命は真に〝かけがえのないもの〟として立ち現れ、それをどこまでも守り支えたいと願う心が自分自身の生命をも荘厳するのです。
 また釈尊が、先の言葉で「われ(仏)」と「病者」を等値関係に置くことで諭そうとしたのは、病気の身であろうと、老いた身であろうと、人間の生命の尊さという点において全く変わりはなく、差別はないという点でした。
 その意味から言えば、他人が病気や老いに苦しむ姿を見て、人生における敗北であるかのようにみなすことは誤りであるばかりか、互いの尊厳を貶めることにつながってしまう。
 釈尊の思想の中で「法華経」を最重視した日蓮大聖人は、「法華経」において生命尊厳の象徴として登場する宝塔の姿を通し、「四面《しめん》とは生老病死なり四相《しそう》を以て我等が一身の塔を荘厳するなり」(御書740㌻)と説きました。
 つまり、宝塔を形づくる四つの面は、生老病死に伴う苦しみを乗り越えていく姿(四つの相)をもって輝きを増すのであり、一見、マイナスでしかないように思われる老いや病、そして死さえも、人生を荘厳する糧に昇華できる、と。
 生命の尊厳といっても、現実のさまざまな苦悩を離れて本来の輝きを放つことはできず、苦悩を分かち合い、どこまでも心を尽くす中で、「自他共の幸福」への道を開く生き方を、仏法は促しているのです。
2014-12-25 : 池田SGI会長指導選集 :
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御書とともに Ⅱ 18〜42

御書とともに Ⅱ 18 名誉会長が指針を贈る   (2014.1.10付 聖教新聞)

すべては「一」から始まる

 夫れ須弥山の始《はじめ》を尋ぬれば一塵なり・大海の初は一露なり・一を重《かさ》ぬれば二となり・二を重ぬれば三・乃至十・百・千・万・億・阿僧祇の母は唯・一なるべし(妙密上入御消息、1237㌻)

通解 そもそも、須弥山の始めを尋ねれば一つの塵であり、大海の初めは一滴の露である。一を重ねれば二となり、二を重ねれば三となり、このようにして十、百、千、万、億、阿僧祗となっても、その生みの母はただ一なのである。

同志への指針
 壮大な世界広宣流布の新時代も、一人一人の「一歩」から始まる。一家でも一人が信心に立ち上がれば、未入会の家族も皆、必ず妙法の光で包んでいける。
 地域にあっても、自分自身が、わが眷属の一粒種となって、そこから広宣流布が具体的に広がる。この「誉れの一人」として、きょうも地道にして偉大な一歩を踏み出そう!

御書とともに Ⅱ 19 名誉会長が指針を贈る     (2014.7.21付 聖教新聞)

地涌の青年の陣列は無限

 地涌の菩薩のさきがけ日蓮一人なり、地涌の菩薩の数にもや入りなまし、若《も》し日蓮地涌の菩薩の数に入らば豈《あ》に日蓮が弟子檀那・地涌の流類《るるい》に非ずや(諸法実相抄、1359㌻)

通解 地涌の菩薩の先駆けは日蓮一人である。地涌の菩薩の数にも入っているかもしれない。もし、日蓮が地涌の菩薩の数に入っているならば、どうして日蓮の弟子檀那が地涌の流類でないことかあろうか。

同志への指針
 わが愛する青年部の力闘が、何よりも頼もしい。
 一番大事な時に、一番大変な所へ、苦難をものともせず、喜び勇んで躍り出る。これこそ、大聖人直系の誉れの地涌の若人にほかならない。
 皆、久遠からの誓いと宿縁がある。強盛な祈りと確信の対話で、君たちに連なる地涌の菩薩を一人また一人と呼び起こすのだ。この希望の陣列は未来に尽きることはない。

御書とともに Ⅱ 20 名誉会長が指針を贈る    (2014.7.25付 聖教新聞)

自他共に幸福の大輪を

 末法に入《いり》て今日蓮が唱る所の題目は前代に異り自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり(三大秘法抄、1022㌻)

通解 末法に入《はい》って、今、日蓮が唱えている(南無妙法蓮華経の) 題目は、末法に入る前の時代とは異なって、自行と化他の両方にわたる南無妙法蓮華経である。

同志への指針
 真に幸福の人とは、人を幸福にできる人だ。題目は、その究極の力である。
 広宣流布に挑みゆく我ら学会員の唱題行こそ、御書に仰せ通りの「自行化他にわたる」実践にほかならない。
 自他共の仏性を信じる。自他共の生命の可能性を開く。自他共に幸福の大輪を咲かせる。私たちの実践は、御本仏の大願を実現する最高の仏道修行なのだ。

御書とともに Ⅱ 21 名誉会長が指針を贈る     (2014.8.2付 聖教新聞)

行学錬磨の有意義な夏を

 然れども此等の人人には・ゆづり給はずして地涌の菩薩に譲り給へり、されば能く能く心をきた《鍛》はせ給うにや(四条金吾殿御返事、1186㌻)

通解 しかしながら、仏はこれらの人々(舎利弗や迦葉、観音や妙音等の菩薩)には妙法を譲られないで、地涌の菩薩に譲られたのである。ゆえに、これら地涌の菩薩は、よくよく心を鍛えておられたのであろう。

同志への指針
 大聖人は断言なされた。
 なぜ釈尊は、地涌の菩薩に付嘱したのか。それは、地涌の菩薩が心を強く鍛えていたからである、と。心を鍛えずして、悪世末法の広宣流布を成就することはできない。
 創価学会も、この精神のままに行学錬磨に励んできた。とりわけ夏の鍛錬は牧口先生以来の伝統である。
 張りのある勤行からスタートし、有意義な成長の夏に!

御書とともに Ⅱ 22 名誉会長が指針を贈る
   (2014.8.6付 聖教新聞)

油断排し、絶対無事故で

 家へかへらんにはさき《前》に人を入れてと《戸》のわき《側》はし《橋》のした《下》むまや《厩》のしり・たかどの《高殿》一切くらきところを・みせて入るべし(四条金吾殿御返事、1175㌻)

通解 家に帰る時には、先に人を館《やかた》に入れて戸の脇、橋の下、馬小屋の後ろ、高楼《こうろう》など、いっさい暗い所を見させてから入りなさい。

同志への指針
 大聖人は、敵に付け狙われている四条金吾に、幾度も繰り返し注意なされた。
 その御注意は一つ一つ具体的であり、これほどまでにというほど、こまやかである。これが「百千万億倍・御用心」という信心の姿勢である。
 「このぐらい」とか、「いつもこうだから」などの、心の隙や慢心を排したい。
 絶対無事故で、悔いなき価値の日々であれ!

御書とともに Ⅱ 23 名誉会長が指針を贈る    (2014.8.8付 聖教新聞)

「孝養第一」の振る舞い

 今年は又七月《ふづき》一日《ついたち》身延山に登りて慈父のはかを拝見す、子にすぎたる財《たから》なし・子にすぎたる財なし(千日尼御返事、1322㌻)

通解 (あなたの子息・藤九郎守綱《もりつな》が)今年もまた7月1日に身延山に登って、慈父(阿仏房)の墓参りをしていました。子ども以上の宝はありません。子ども以上の宝はありません。

同志への指針
 大聖人は千日尼に仰せである。 “あなたの子息・藤九郎守綱が、昨年に引き続き今年も、遠く佐渡から身延へ、亡くなった慈父・阿仏房の墓前に弔いに来られました” と。そして、この立派な孝養の子息と母を賞讃されている。
 孝養第一こそ仏法者の振る舞いである。妙法は、父母をはじめ自分に縁した全ての人に最高の善根を送り、三世の安穏を約束する大法なのだ。

御書とともに Ⅱ 24 名誉会長が指針を贈る    (2014.8.16付 聖教新聞)

正法伝持の人は「国宝」

 伝持の人無れば猶木石《もくせき》の衣鉢《えはつ》を帯持《たいじ》せるが如し(顕仏未来記、508㌻)

通解 (経典があっても)仏法を持《たも》ち、伝えていく人がいないので、それはちょうど木像や石像が法衣を着て、鉢を持っているようなもので、何の役にも立っていない。

同志への指針
 後継を育てることは、未来を創ることだ。
 学会の後継育成は、世界平和の種を植えることだ。
 広布の人材が増えれば、地球上の悲惨を減らせる。
 未来部の使命は、あまりにも大きい。
 正法を伝持し、皆を照らす人は「国宝」ともいえる。
 ならば、伝持の人を育てる人も「国宝」なり。いな。「世界第一の宝」である。

御書とともに Ⅱ 25 名誉会長が指針を贈る
   (2014.8.21付 聖教新聞)

師弟共戦の人生に誉れ

 法華経は末法の始め五百年に弘まり給ふべきと聴聞《ちょうもん》仕《つかまつ》り御弟子《みでし》となると仰せ候事、師壇《しだん》となる事は三世の契り種熟脱の三益《さんやく》別に人を求めんや(秋元殿御返事、1070㌻)

通解 (お手紙の中に) “法華経は末法の始めの五百年に弘まると承って御弟子になりました” とあるが、師匠となり、弟子となることは三世にわたる契りである。(法華経に説かれる)下種益《げしゅやく》・熟益《じゅくやく》・脱益《だっちゃく》の三益の法理も別の人に求めてはならない。

同志への指針
 大聖人の法門を聴き、弟子になると決意した門下に、師弟は「三世の契り」であり、正しき師匠を離れて成仏はありえないと仰せである。
 仏法は師弟の宗教である。師にめぐりあい、師と共に誓願の人生を歩む以上の福徳はない。戸田先生とお会いして67年。不二の心で生き抜いた広布の人生は晴れやかだ。そして、後継の弟子が二陣・三陣と続いてくれている。

御書とともに Ⅱ 26 名誉会長が指針を贈る   (2014.8.27付 聖教新聞)

世界は哲学のリーダーを待望

 南無妙法蓮華経の南無とは梵語・妙法蓮華経は漢語なり梵漢共時《ぐじ》に南無妙法蓮華経と云《い》うなり(御義口伝、708㌻)

通解 南無妙法蓮華経の南無とは梵語(古代インドの言葉)であり、妙法蓮華経は漢語である。梵語と漢語があわさって南無妙法蓮華経というのである。

同志への指針
 学生部の友と学び合った一節である。日蓮大聖人の仏法は「梵漢共時」であり、全世界の文化を尊重する。これが一閻浮提を照らす創価の道である──こう決意した俊英たちが皆、立派な指導者と育ってくれた。
 今、世界広布新時代に集った、宿縁深い男女学生部の英才たちよ! 次の50年を頼む。人間主義の力あるリーダーを世界が待っている。

御書とともに Ⅱ 27 名誉会長が指針を贈る   (2014.9.2付 聖教新聞)

中心者の一念で決まる

 大将軍よは(弱)ければ・したがうものも・かひなし、弓よはければ絃《つる》ゆるし・風ゆるければ波ちゐさきは自然の道理なり(四条金吾殿女房御返事、1135㌻)

通解 大将軍の心が弱ければ従う兵卒もふがいない。弓が弱ければ絃もゆるい。風がゆるければ波も小さいのは自然の道理である。

同志への指針
 広宣流布の前進はリーダーの「一念」で決まる。
 「断じて勝つのだ」との強固な決意があるか。「何とかなる」という甘えや油断はないか。一念の微妙な差が、大きな結果となって現われる。
 勇気は決意を生む。行動を生む。君よ、題目の師子吼を轟かせて、広宣流布の名指揮を頼む。一切の勝利は「大将軍」の心から始まる。

御書とともに Ⅱ 28 名誉会長が指針を贈る
    (2014.9.4付 聖教新聞)

一切の根本は「信心」

 一念三千も信の一字より起《おこ》り三世の諸仏の成道も信の一時より起こるなり、此の信の字《じ》元品《がんぽん》の無明を切る利剣なり(御義口伝、725㌻)

通解 一念三千も信の一字から起きる。三世の諸仏の成道も信の一字によるのである。この信の字は元品の無明を切る利剣である。

同志への指針
一念三千の法理も「信の一字」を起こしてこそ、はじめて成仏への法門となる。三世の諸仏も皆「信の一字」を起こして成仏したのである。
 元品の無明は「信」の利剣によってしか断ち切ることはできない。「信の一字」は智慧の因であり、宇宙大の価値創造の源泉である。一切は「信心」より起こる。体験と道理に基づく「信」こそ、信仰の王道である。

御書とともに Ⅱ 29 名誉会長が指針を贈る   (2014.9.12付 聖教新聞)

三世を照らす明鏡

 法華経は人の形《かたち》を浮《うか》ぶるのみならず・心をも浮べ給へり、 心を浮ぶるのみならず・先業をも未来をも鑒《かんが》み給う事くもりなし(御義口伝、725㌻)

通解 法華経は、人の容姿を映すだけでなく、心をも映すのである。しかも、現在の心だけでなく、過去世の業や未来の果報までも、ありありと照らし見ることができるのである。

同志への指針
確固たる哲学は人生の明鏡である。法華経は我らの色心のみならず、三世まで映し出しす最極の明鏡である。
 御本尊を信じ、唱題していけば、現在の自信の生命を正しく見つめることができる。生命の因果を知り、過去からのいかなる宿命をも転換することができる。そして、未来に向かって最高無上の福徳の軌道を、真っすぐに歩んでいけるのだ。

御書とともに Ⅱ 30 名誉会長が指針を贈る   (2014.9.24付 聖教新聞)

病は信心を深めるチャンス

 まこと《実》やらむ・いえ《家》の内に・わづらひの候なるは・よも鬼神のそゐ《所為》には候はじ、十らせち《羅刹》女の信心のぶんざい《分際》を御心《おんこころ》みぞ候らむ(上野殿御返事、1544㌻)

通解 あなたの家の内に病人があるということはまことであろうか。もし、そうだとしても、よもや鬼神のせいではないだろう。十羅刹女があなたの信心のほどを試されているのであろう。

同志への指針
家族の病気や介護など、現実の生活はさまざまな困難や辛労との戦いである。不安や心配も絶えない。
 しかし、仏法の眼《まなこ》で捉えれば、必ず深い意味がある。一つ一つ、永遠に幸福になるための信心の試練である。
 「大難」即「成仏」──。絶対に変毒為薬できるのだ。一切を幸福へと転じゆく強盛な信心で、ご一家の福徳の大境涯を開いていただきたい。

御書とともに Ⅱ 31 名誉会長が指針を贈る    (2014.10.1付 聖教新聞)

学会が仏法西還を証明

 月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり(諫暁八幡抄、588㌻)

通解 月は西から東へ向かう。それは月氏の仏法が東へ流布する相である。日は東から出る。日本の仏法が、月氏国へ還るという瑞相である。

同志への指針
 仏法西還を予言された、日蓮大聖人の未来記である。
 インドをはじめ世界192カ国・地域に躍り出たSGIメンバーの英姿に、この未来記の厳然たる証明がある。
 若き地涌の友の活躍は民衆の希望である。
 さあ、誓いの青年《きみ》よ! 信ずる後継《きみ》よ! 新時代のバトンは、すでに託されているのだ。太陽の仏法で、人類を照らしゆけ!

御書とともに Ⅱ 32 名誉会長が指針を贈る    (2014.10.1付 聖教新聞)

共々に教学研鑽の汗を

 各各互《たがい》に読《よみ》聞《き》けまいらせさせ給え、かかる濁世には互につねに・いゐあわせてひまもなく後世《ごせ》ねがわせ給い候へ(法華行者逢難事、965㌻)

通解 (わが門下たちは)おのおの互いに読み、聞かせてさしあげなさい。このような濁世には、互いに常に話し合って、ひまなく後世を願うようにしなさい。

同志への指針
 御書は生老病死の苦悩を乗り越え、常楽我浄の道を開く大哲理の一書である。
 皆で共に御書を拝し、学び、語る。学会の教学は、民衆による未曽有の大研鑽運動だ。
 「幸福の博士」「励ましの博士」「人間学の博士」「生命の博士」「平和の博士」を無数に生み出している。
 教えてくれる方々への感謝も忘れず、さらに共々に「行学の二道」に励みたい。

御書とともに Ⅱ 33 名誉会長が指針を贈る   (2014.10.16付 聖教新聞)

平和の使命を果たし抜け

 玄義に云く「若し此の法に依れば即ち天下泰平」と、此の法とは法華経なり法華経を信仰せば天下安全たらむ事疑有る可《べ》からざるなり(御義口伝、786㌻)

通解 天台大師は法華玄義に「もし、この法を根幹としていくならば、天下は泰平となる」と述べている。天台のいう「この法」とは妙法蓮華経である。この妙法蓮華経を信仰するならば、世界は平和になっていくことは疑いないのである。

同志への指針
 平和は万人の願いだ。その希求に応えゆく確固たる大哲学こそ、仏法なのである。
 この御文に先立って、妙法は「一切衆生をたぼらかさぬ秘法なり」とも仰せだ。
 我ら創価の使命は、「立正安国」即「恒久平和」の実現である。生命尊厳の思想を世界に弘め、人類の生存の権利を守り抜け!──この恩師の遺訓を、後継の青年たちと断じて実現しゆくのだ。

御書とともに Ⅱ 34 名誉会長が指針を贈る   (2014・11・5付 聖教新聞)

今いる場所こそ寂光土

 今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は山谷曠野《せんごくこうや》皆寂光土なり(御義口伝、781㌻)

通解 いま南無妙法蓮華経と唱える日蓮とその門下の住む所は、それが山であり、谷であり、広野であっても、全て寂光土(仏国土)である。

同志への指針
 現実を離れて仏法はない。自身の生活の中で、人間革命し、宿命転換し、幸福になっていくための信心である。一切の労苦に無駄はない。
 家庭や地域で、そして社会の荒波の中で、歯を食いしばって奮闘する婦人部・壮年部の皆様に、私は最敬礼し、心からのエールを送りたい。
 皆様こそ、「娑婆即寂光」の尊き実践者であり、仏国土建設の勇者なのである。


御書とともに Ⅱ 35 名誉会長が指針を贈る   (2014・11・14付 聖教新聞)

師弟の絆は三世に輝く

 過去無量劫より已来《このかた》師弟の契約有りしか、我等末法濁世に於て生《しょう》を南閻浮提大日本国にうけ・忝《かたじけな》くも諸仏出世の本懐たる南無妙法蓮華経を口に唱へ心に信じ身に持《たも》ち手に翫《もてあそ》ぶ事・是《こ》れ偏《ひとえ》に過去の宿習《しゅくじゅう》なるか(最蓮房御返事、1340㌻)

通解 過去世の計り知れない昔から今日に至るまで、師弟の約束があったのであろうか。私たちが末法濁世において、生を南閻浮提の大日本国に受け、ありがたくも諸仏出世の本懐である南無妙法蓮華経を口に唱え、心に信じ、身に持《たも》ち、手に大切に持《も》つことができるのは、ひとえに過去の宿習であろうか。

同志への指針
 広宣流布の師弟は、三世の約束である。いかなる魔軍も絶対に破ることはできない。
大聖人に直結する師弟であればこそ、創価学会は一切の三障四魔、三類の強敵に打ち勝ち、世界広宣流布を開くことができた。84年の大闘争は師弟勝利の歴史である。
 これからも永遠に、師弟という人間性の尊極の魂の結合によって、民衆の凱歌の叙事詩を綴りゆくのだ。

御書とともに Ⅱ 36 名誉会長が指針を贈る   (2014・11・21付 聖教新聞)

無上の哲学を学ぶ誇り

 予少量為《な》りと雖《いえど》も忝《かたじけな》くも大乗を学す蒼蠅《そうよう》驥尾《きび》に附して万里を渡り碧蘿《へきら》松頭《しょうとう》に懸《かか》りて千尋《せんじん》を延ぶ(立正安国論、26㌻)

通解 私はとるに足らない身ではあるけれども、かたじけなくも大乗の教えを学んでいる。青バエは、驥(一日に千里を走るという名馬)の尾に止まっていれば万里を渡り、緑のつたかずらは、松の枝先にかかっていれば千尋の高さにまで伸びることができる。

同志への指針
 かの大歴史学者トインビー博士も「大乗仏教」の英知を真摯に探究されていた。
 大乗の真髄を学ぶことは、どれほど深き宿縁であるか。
 永遠の生命尊厳の哲理とともに、永遠の幸福の大境涯を開くことができる。究極の立正安国の法理とともに、究極の平和の大連帯を築くことができる。
 我らは無上の哲学を実践し、万里を悠然と進むのだ。

御書とともに Ⅱ 37 名誉会長が指針を贈る   (2014・11・26付 聖教新聞)

苦難をはね返す生命の力

 先業《せんごう》の重き今生《こんじょう》につきずして未来に地獄の苦を受くべきが今生にかかる重苦に値《あ》い候へば地獄の苦《くるし》みぱっときへて(転重軽受法門、1000㌻)

通解 過去世の重い業が今生では尽きずに、来世に地獄の苦しみを受けるところを、今生にこのような重い苦しみにあえば、地獄の苦しみがぱっと消えて……。

同志への指針
 どんな苦悩にも断じて負けない。絶対に克服できる。究極の正義に生き抜く生命が、不幸になどなるわけがない。
 「転重軽受」は、苦難を跳ね返す真髄の力を明かした希望の法理だ。
 太陽が昇れば、闇は消え去る。強盛なる信心を貫く中で、苦悩が「ぱっ」と消える時が必ずある。一番、自らを悩ませる難問が、一番、境涯を躍進させゆく転機となるのだ。

御書とともに Ⅱ 38 名誉会長が指針を贈る   (2014・12・3付 聖教新聞)

日々の「発迹顕本」を

 日蓮といゐし者は去年《こぞ》九月十二日子丑《ねうし》の時に頸《くび》はねられぬ、此れは魂魄・佐土の国にいたりて返年《かえるとし》の二月・雪中《せっちゅう》にしるして有縁《うえん》の弟子へをく《贈》ればをそ《畏》ろしくて・をそろしからず(開目抄、223㌻)

通解 日蓮と名乗った者は、去年(文永8年)9月12日の深夜、子丑の時に頸《くび》をはねられた。これは、その魂魄が佐渡の国に至って、年が改まって2月、雪深い中で記《しる》して、有縁の弟子に贈るのであるから、難は恐ろしいようであるが、法華経の行者にとっては、恐ろしいものではない。

同志への指針
 「発迹顕本」とは、凡夫の身に久遠の仏界の境地を顕すことである。仏法は「人間」が主役だ。戸田先生は「久遠の凡夫」とも言われた。ありのままの人間の生命に、いかなる大難をも乗り越える無限の力が具わっている。
 1日1日、題目を朗々と唱え、わが胸中に「勇気の炎」を燃やし、何ものも恐れずに進む。ここに、我らの発迹顕本の道がある

御書とともに Ⅱ 39 名誉会長が指針を贈る
   (2014・12・9付 聖教新聞)

いよいよ強盛に前進!

 いよいよ強盛の御志あるべし、冰《こおり》は水より出でたれども水よりもすさ《凄冷》まじ、青き事は藍より出《い》たれども・かさ《重》ぬれば藍よりも色まさる(乙御前御消息、1221㌻)

通解 いよいよ強盛な信心を、起こしていきなさい。氷は水からできるが、水よりも冷たい。青い色は、藍という草から生まれるが、重ねて染めれば、藍よりも色が鮮やかになる。

同志への指針
 信心の極意は「いよいよ」の実践だ。大聖人は、門下のそれまでの健闘を讃えられつつ、「今一重強盛に」と励ましを贈られている。
 〝さあ、ここからだ〟と祈りを深め、挑みゆく一念が壁を破る。
 本因妙の仏法である。新たな一日を、新たな勇気で、いよいよ強盛に前進していくのだ。あなたも、皆も、我ら創価家族は、藍より青く!

御書とともに Ⅱ 40 名誉会長が指針を贈る   (2014・12・11付 聖教新聞)

わが声が広宣の歴史築く

 言《ことば》と云《い》うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり(三世諸仏総勘文教相廃立、563㌻)

通解 言葉というのは心の思いを響かせて、声に表したものをいうのである。

同志への指針
 私たちの肉声が広宣流布を開拓する。
 友を励ます慈愛の声、正義を訴え切る信念の声、無明の迷いを晴らす確信の声――我らの日々の対話こそ、魔を打ち破り、妙法の力を社会に漲らせていく、偉大な「仏事」すなわち「仏の仕事」なのだ。
 真剣と真心から発する誠実な言葉の響きは、必ず相手の生命に届く。勇気凜々と、広布と人生の凱歌を轟かせよう!

御書とともに Ⅱ 41 名誉会長が指針を贈る   (2014・12・26付 聖教新聞)

真心の供養に無量の功徳が

 ひとつ《一領》のかたびら・なれども法華経の一切の文字《もんじ》の仏にたてまつるべし。この功徳は父母・祖父母・乃至無辺の衆生にも・をよぼしてん(さじき女房御返事、1231㌻)

通解 1枚の帷子《かたびら》ではあるが、法華経の一切の文字の仏に供養したことになるのである。この功徳は、あなたの父母、祖父母、さらに、実に多くの衆生にも及ぶことは間違いない。

同志への指針
 真心には、必ず真心で応える。これが仏法の人間主義である。
 日蓮大聖人は、女性門下の尊き志を最大に賞讃なされ、その功徳が限りない福徳の門を開くことを示されている。
 妙法を弘める「仏の世界」を守り、支える功徳は、父母はもちろん、無量無辺の眷属にも伝わる。
 一人の信心の志が、万人の幸福へと広がるのである。

御書とともに Ⅱ 42 名誉会長が指針を贈る   (2014・12・25付 聖教新聞)

多宝の先輩方に感謝

 法華経と申すは手に取れば其の手やがて仏に成り・口に唱ふれば其の口即《すなわち》仏なり(上野尼御前御返事、1580㌻)

通解 法華経というのは、手に取ればその手がただちに仏に成り、口に唱えればその口がそのまま仏である。

同志への指針
 妙法を唱え、広宣流布に生きる学会員こそ、仏である。法のため、人のために尽くしゆく功徳は、そのまま自身の生命を荘厳する。
 多宝会、宝寿会、錦宝会の皆様方が、友人に後輩に、子に孫に、体験を語り、我らの広布史を誇らしく伝える。その姿が、妙法に生きる偉大な勝利の人生を、何よりも雄弁に物語っているのだ。
 健康長寿を深く祈ります。
2014-12-25 : 御書とともに :
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名誉会長と共に 新時代を開く 31〜45

第31回  未来部は皆が希望の一番星 (2014.8.25付 聖教新聞)

 広島はじめ京都、兵庫など各地の甚大な豪雨被害に、重ねてお見舞い申し上げます。救援・復旧作業が進み、一日も早く安穏な生活となられますよう念願しております。
 今こそ「変毒為薬」の法理を胸に、励まし合い、支え合って、一切を乗り越えゆかれんことを祈念してやみません。
     *   *
〈未来部の友へ〉
 晴れた夏の夜空には天の川が広がり、無数の星々がきらめいています。人間も、一人一人が自分にしかない輝きをもっています。
 私が対談したブラジルの天文学者、ロナウド・モウラン博士は、「暗い時、苦しい時ほど、私たちの生命を、より輝かせるように努めていこう!」と呼び掛けていました。
 わが未来部は一人ももれなく、輝きわたる希望の一番星です。日蓮大聖人は、御本尊に真剣に南無妙法蓮華経と唱え、信心に励むことが生命を磨くことになると教えられています〈御書384㌻〉
 題目は「負けじ魂」の源泉であり、勝利への最大の力です。
 若き日に、いろんなことに挑み、たとえ失敗しても、そこから立ち上がって、次の価値を創造していく。この不屈の挑戦が、「何でもこい!」という大きな自信となり、自分にしかない一番星の輝きとなります。今がその新たなスタートです。
     *   *
 皆さんの成長こそ、わが創価家族の最大の希望です。
 私も、毎日、皆さん一人一人と、固く心の握手を交わし、一緒に青春の歌を歌いながら、全てを見守っています。
 どうか健康第一で! 絶対無事故で! 新時代の大指導者である君たちよ、友情のスクラムも朗らかに、生命の勝利の光で世界を、未来を照らしゆけ!

第32回  勝利へ! まず自らが成長   (2014.9.1付 聖教新聞)

 黄金の本年の総仕上げへ、躍進の明年へ、いよいよ出発だ。
 広宣流布の誓願を胸に、元気に前進する若き友の姿が頼もしい。各地で折伏が勢いを増し、喜びの花が咲いている。すごいことだ。本当にうれしい。
     *   *
 いかなる戦いも、全体観に立ち、陰で万全を尽くして手を打つ人間がいてこそ勝利できる。
 戸田先生は言われた。「幹部自ら勉強し、成長し、『人間革命』していくことだ。そして同時に、新しい時代を創っていく、若い幹部を登用し、バトンタッチしていかねばならない」
 形式や表面の格好ではなく、大事なのは、信念と自覚の深さだ。何より後輩を弟、妹のように温かく励まし、自分以上の大人材に育てていくことである。
     *   *
 世界の青年が仏法を求めている。日蓮大聖人は信心の姿勢を分かりやすく教えられている。
 「妻が夫を大切にするように、夫が妻のために命を捨てるように、また親が子を捨てないように、子が母から離れないように、法華経・釈迦・多宝・十方の諸仏・菩薩・諸天善神等を信じて、南無妙法蓮華経と唱え奉ることを信心というのである」(御書1255㌻、通解)
 少しでも題目をあげよう、教学を学ぼう、友に仏法を語ろう──その心に大功徳が湧く。
 なかなか会合に出られないが、懸命に頑張っている人も多い。その人をどう讃え、励ますか。心を砕いていくことだ。
 一人一人が健康で、無事故で、楽しく進んでいけるよう、リーダーは、決して油断することなく、こまやかな気配りをお願いします。
 季節の変わり目であり、くれぐれも体を大切にして、風邪などひかれませんように。
 多忙な毎日でしょうが、白馬のいななくような、すがすがしい勤行から、勇気凜々と、一日をスタートしてまいりたい。

第33回  声も惜しまず 張り切って   (2014.9.13付 聖教新聞)

 北海道、東北をはじめ各地の大雨の被害に、重ねてお見舞い申し上げます。
 復旧に奮闘される皆様、地域に希望を送る皆様の尊い労苦に、感謝は尽きません。
 どうか、励ましの絆も強く、厳然たる変毒為薬の実証をと真剣に祈っております。
     *   *
 各地・各部で若々しい新リーダーが誕生している。
 一段と重層的な広宣勝利の布陣が整った。
 全ては人で決まる。師弟不二のリーダーの一念で決まる。
 私が、未来部・青年部の時代から育ててきた学会っ子が、広布の本舞台に躍り出てきた。
 本当に頼もしい。大拍手を送りたい。
 リーダーが、同志の中に飛び込んで、生き生きと張り切って、声も惜しまず、新風を起こしていくのだ。
 「自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして」(御書1337㌻)と仰せの通りに、何ものにも勝る創価家族のスクラムを、いやまして明るく広げていっていただきたい。
 先輩も、新しい人を支え盛り立て、皆が同じ広布の心で、新しい決意で出発していこう。
 団結の中に勝利がある。互いに讃え合い、励まし合って、信心の団結固く、いざや前進だ。
     *   *
 一人も残らず、使命の人だ。病と闘い、経済苦に挑み、夢に向かう友がいる。皆、人間革命のドラマの主役なのだ。
 戸田先生は「時には、“貧乏菩薩”や“病気菩薩”のように見えるかもしれない。しかし、それは人生の劇を演じているんだよ。正真正銘の地涌の菩薩なんだ」と、よく語られた。
 闘う姿で、同じ悩みを抱える人を励ましていける。嵐に揺るがぬ大境涯を開いていける。
 人生、劇の如く、思い切って楽しく演じ、勝ちまくって、妙法の偉大さを証明していこう!

第34回  常楽我浄の生命の花園へ   (2014.9.20付 聖教新聞)

 秋の彼岸を迎える。美しい自然に包まれた全国の墓地公園・納骨堂、また主要会館で秋季彼岸勤行法要が厳粛に営まれる。
 信心を貫き通して亡くなったならば、どうなるか。御書に照らして、その境涯は、見渡す限り黄金の幸福の光に満ちあふれ、無上の喜びに輝く世界である。
 日蓮大聖人は仰せである。
 「南無妙法蓮華経と唱え、退転せずに修行して、最後の臨終の時を待ってごらんなさい……天から四種類の花が降ってきて、空には音楽が聞こえ、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき、心から楽しんでおられる」(御書1386㌻、通解)
 妙法の人の歩みは、御聖訓の通りの大福徳に包まれゆくことを深く確信していただきたい。「生も歓喜」「死も歓喜」の生命と輝くことは、絶対に間違いない。三世永遠にわたって自由自在の境涯となるのである。
     *   *
 題目の音声《おんじょう》は、十方世界に届かないところはない。我らの真心の唱題は、故人にも響いていく。戸田先生は語られた。
 「題目の力は偉大である。苦しい業を感ずる生命を、あたかも花園に遊ぶがごとき、安らかな夢のごとき状態に変化させるのである」
 妙法は大宇宙の根源の力だ。それを弘める功徳は、故人をも包む。広宣流布へ戦う心こそ、仏の心であり創価の心だ。
 全ては自他共の幸福のための戦いだ。苦労がないことが幸福なのではない。どんな悩みにも負けないことが幸福なのだ。
 忍耐ある人は負けない。
 朗らかな人は負けない。
 荘厳な夕日の次の日は晴天になるように、今世も、真っ赤な夕日のごとく、わが生命を燃やし尽くして、所願満足の人生を、ともどもに生きて生きて生き抜こう!
 学会の創立記念日へ、聡明な信心即生活で健康勝利の日々をと祈っています。

第35回  題目こそ勇気と智慧の源泉   (2014.9.28付 聖教新聞)

 「勝ちまくれ! 仏法は勝負である」──恩師・戸田先生の師子吼が胸に響く。全てに勝とう! 広宣流布のために! 自分自身の幸福のために!
 ブロックこそ広布拡大の最前線だ。模範のブロックをつくるには、どうしたらいいか。私は葛飾の総ブロック長に就いた際、皆と約し合った。
 全会員が、しっかり勤行できるようにしていこう──と。
 柔道にも剣道にも基本があるが、幸せになるための信心の基本は勤行にある。日々、真剣に勤行・唱題を重ねた人と、いい加減な人とでは、表面は同じように見えても、3年、5年、7年とたっていったとき、厳然たる開きが出てくるものだ。
 宿業の転換といい、人間革命といっても、その一切の原動力は勤行・唱題にほかならない。
 一念の力は無限である。わが最高峰を目指そう!──そう決めて祈れば、偉大な力が湧く。
     *   *
 日蓮大聖人は仰せである。
 「深く信心を発《おこ》して日夜朝暮に又懈《おこた》らず磨くべし何様《いかよう》にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是《これ》をみがくとは云《い》うなり」(御書384㌻)
 勤行の姿勢が、生き方にも表れる。力強い勤行、すがすがしい勤行、真剣な祈りを込めた勤行は諸天をも動かしていく。
 私たちが毎日読誦する法華経寿量品に「一心欲見仏 不自惜身命」(一身に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜しまず)とある。求道心に燃え、命を惜しまず、法のために──ここに信心の真髄がある。
 あらゆる苦難に挑みながら、仏法を弘め、同志を守り抜く。その戦う心に仏界は輝く。
 所詮は題目を唱える以外にない。仏道修行で、一番やさしい修行は唱題であり、一番難しい修行も題目を唱えることだ。
 生き抜く力の源泉、勇気と知恵の源泉こそ題目なのである。

第36回  宝の御聖訓を前進の力に   (2014.10.6付 聖教新聞)

 今、心ある多くの人が、生き方を見つめ直し、真の幸福の道を探し求めている。その根本的な答えが仏法にはある。人間革命の希望の哲理を学ぶのが、学会伝統の教学試験である。
 先日行われた「教学部初級試験」「青年部教学試験3級」では、皆、多忙な仕事や学業などの合間を縫って研鑽された。これほど尊いことはない。学び挑戦したこと自体が最高の宝だ。教えてくださった方、応援してくださった皆さんも、どうか誇りとしていただきたい。
 求道の心に大功徳が湧く。万人の仏性を開かせる励ましの心に、法華経の精神が輝く。
 大事なことは、教学試験を通して、さらに張り合いをもって精進を重ね、信心を深め、広宣流布を進めていくことである。
 世界でも教学研鑽のうねりが高まっている。インドで初級試験を受験した90歳のご婦人も2度目の挑戦であり、学ぶ意欲が一段と湧いたと語られていた。
 いよいよ11月には「教学部任用試験」を迎える。「今から」「これから」──これが本因妙の仏法だ。この心が燃えている人こそ、信心の勝利者である。
     *   *
 戸田先生は、御書を拝される際、「語句をわかろうとするよりは、御仏《みほとけ》の偉大なるご慈悲、偉大なる確信、熱烈なる大衆救護《くご》のご精神、ひたぶるな広宣流布への尊厳なる意気にふれんことをねがう」と述べられた。
 例えば、「病ある人仏になる」(御書1480㌻)との一節をかみしめ、病を宿命転換の力に転じた体験は数知れない。
 「大悪を《起》これば大善きたる」(同1300㌻)と心の底から知れば、絶体絶命の逆境に陥っても、たじろぐことはない。
 人生に勝ち、生活の上で実証をつかみ、その喜びを自然のうちに友に語っていけばいい。そして、何があろうと生涯、不退転の信心を貫いていくことだ。

第37回  勇敢に笑顔で仏縁を結べ  (2014.10.13付 聖教新聞)

 列島の津々浦々で、伝統の支部総会、地区やブロックの総会が、有意義に行われている。
 開かれた創価の集いは、地域を照らす希望の光だ。心の氷が解け、信頼の水かさが増す。身近なつながりが強くなれば、いざという時の安全地帯となる。
 相手がどうあれ、勇敢に、笑顔で、自分から声を掛け、仏縁を広げていきたい。その模範こそ婦人部の皆様である。
 人のために──ここに生き甲斐が光る。生きる力と喜びが湧く。人間革命していける。
 御書には、「喜とは自他共に喜ぶ事なり」(761㌻)と仰せである。
 自分だけでなく、人も幸福にしていくのが、本当の喜びであり、信心のすごさである。相手のことを思い、祈る真心は、いつか必ず通じるものだ。
     *   *
 スポーツでも、ピアノでも、常に、たゆまず、修練していると、力が磨かれる。折伏も、できるときにやっておくことだ。その福徳で、一家も子孫も守られる。
 妙法を褒めたたえていけば、それが立派な下種となる。
 この世に生をうけ、たった一言でも仏法の偉大さを語れることは最高の栄誉だと感謝して、誇りをもって話していけばいい。
 対話こそ未来を変える道だ。
 戸田先生は言われた。
 「これからは対話の時代になる。君もこれから、一流の人間とどんどん会っていくことだ。
 “人と語る” ということは、 “人格をかけて戦う” ということであり、それがあってこそ、真の信頼を結び合えるんだよ」
 師の言葉を胸に、私は世界中で平和への語らいを重ねた。
 礼儀と教養を大事にしながら、一切無事故で、心通う対話のドラマを繰り広げようではないか。

第38回  信仰とは無限の希望なり  (2014.10.19付 聖教新聞)

 伝統の教学部任用試験に、会友と共に多くの皆様が挑戦される。本当に偉大なことである。
 祈りから、宗教は生まれた。幸福になるために、信仰は生まれた。無宗教だという人も、何か祈っている。「苦境を脱したい」「よりよく生きたい」「家族を守りたい」などと強く欲するのは、人間として本然的な心であろう。その祈りと現実が、生命の法則の上から、きちんと合致していくようにしたのが、仏法の祈りである。
 仏法は、物心のあらゆる法の根本にある“生命の大法”を探究し、見いだした。これが妙法である。目には見えないが厳然と実在する妙法の力を引き出せるように、日蓮大聖人は御本尊を顕してくださった。
 戸田先生は、御本尊について「もったいないことだが、“幸福製造機”にたとえられる」と教えられた。強盛なる信力・行力によって、限りない仏力・法力を引き出していけるのである。
     *   *
 仏法は、より高い境涯へ、わが生命の変革を教える。その究極が「一生成仏」であり、「人間革命」である。
 全ては人間から始まり、人間に帰着する。人間こそ大地であり、宗教は心の大地といえる。
 社会のさまざまな営みは、いわば、その大地に生じた木々や草花にもたとえられよう。
 大事なのは、その大地が、きちんと耕されているかどうか。健康で豊かな、みずみずしい生命力をもっているかどうかである。
 日蓮大聖人は門下の四条金吾に、天台大師の「信力の故に受け念力の故に持つ」との文を教えられた(御書1136㌻)
 信仰とは最極の信念である。最も尊く、最も強い。信仰ある人は、大変であればあるほど、「人間革命のチャンスだ」と喜び勇んで挑戦していける。信心こそ、無限の希望なのである。

第39回  新しい力を 新しい勝利を (2014.10.25付 聖教新聞)

 今、全国で、世界の各地で、新入会の友が誕生している。
 人を育てることが、新時代を開くことである。学会精神を伝え、人材を育てるといっても特別な方法があるわけではない。
 戸田先生は言われた。
 「学会の会合は、たとえ1人でも、2人でも、その人を大切にし、その人のために仏法を説き、感激をもって、真剣に語り合っていくことだ。」
 たとえ相手が1人でも「よく来ましたね」「ゆっくりお話ししましょう」と声を掛け、悩みや意見に耳を傾ける。それでこそ人は心を開き、立ち上がる。
 日々の触れ合いの中で、一歩一歩、信心を深めていきたい。先輩として、友として、ありのままに話していくのだ。その人をよく知り、幸福を真剣に祈る中で、智慧と慈悲が湧く。最高の励ましを送っていける。
     *   *
 信心は年数ではない。勇気で決まる。師弟に生きる心の深さで決まる。「熱原の三烈士」の不惜身命の精神を、私は詩にうたい、友に贈ったことがある。

 生死流転《しょうじるてん》の神四郎《じんしろう》
 桜の花に吹く風に
 あれよ広布の鑑《かがみ》よと
 その名かんばし熱原の
 烈士の命 誉れあり

 三烈士の入信は法難前年の弘安元年ごろ。いわば「新入会」の偉大なる使命の人であった。
 思えば、戸田先生と友に75万世帯の弘教を成し遂げたのも、新しい人材だった。
 当時は、入会3年以内の友が約8割。新しい力が、新しい歴史を創ったのだ。
 御書には、「師子王の如くなる心を持てる者必ず仏になるべし」(957㌻)と仰せだ。
 勇気の信心あるところ、必ずや地涌の菩薩が踊り出る。ここに広布の方程式がある。
 さあ、共に築こう! 新しい希望を! 新しい勝利を!

第40回  響け!希望と慈愛の曲  (2014.11.1付 聖教新聞)

 皆を喜ばせたいというのが、文化の心だ。我らの運動は、あらゆる分野で、慈愛の妙音を奏で、生命に善の曲を響かせる。民主音楽協会や東京富士美術館も、芸術交流の広場である。創価の文化運動を支えてくださる全ての皆様に、最大の感謝を捧げたい。
 広布の楽雄・音楽隊は、東日本大震災で被災した方々のもとへ足を運び、全身全霊で演奏や合唱を届けている。心の“福光”の力になればとの真心が尊い。
 平和の天使・鼓笛隊も、各地のパレードで希望を送っている。先日、東京・港区を車で通った際にも、鼓笛隊の演奏が地域の皆さんに歓喜を広げていると伺った。本当にうれしい。
     *   *
 法華経に登場する妙音菩薩は無量百千の功徳と威徳に溢れて光っている。それは、過去世において、仏に十万種の音楽、そして八万四千の七宝の鉢を供養したからであると説かれる。
 日蓮大聖人は、この「八方四千」とは「八万四千の塵労なり」と仰せだ(御書775㌻)。無数の塵のような煩悩・労苦が、妙法を唱えれば、「八万四千の法門」となる。全部が智慧となる。
 何があっても負けないで、朗らかに、勇気の舞を舞いゆくのだ。不屈の劇を創るのだ。
 尽きぬ苦悩の中で人間らしい生活を求め、生きる喜びの花を咲かせたいという心から生まれたのが、文化・芸術である。
 文化のない世界は、灰色だ。妙なる音楽や舞踊、詩歌や映像に彩られ、生命の躍動に輝いているのが、法華経の世界である。
 戸田先生は語られた。「妙法以上の智慧は、断じてない。この智慧のあるかぎり、人類は多くの危機を避けて、やがて絢爛たる平和と文化を開くことができるだろう。このために、ただ一つ人類に残された道──広宣流布の必要があるのです」
 自他共に「歓喜の中の大歓喜」の生命を漲らせ、美しい平和の芸術を創造していきたい。

第41回  「躍進」の明年へ さあ出発! (2014.11.23付 聖教新聞)

 創立の日から「世界広布新時代 躍進の年」の明年へ、勢いよく出発した広布のリーダーの皆さんの勇姿を、牧口先生、戸田先生も、「さすがだな」と会心の笑顔で見守っておられることでありましょう。
 両先生が広宣流布へ走り、語り抜かれた足跡は、不滅の輝きをいや増しております。
 広宣流布大誓堂が立つ信濃町32番地に隣接する地も、戦時中、弾圧の直前に、戸田先生が足を運び、折伏した学会員の家があった場所です。
 今、我らが不軽菩薩のごとく大誠実を尽くし結んでいる仏縁も、やがて、どれほど人材と福徳の花を咲かせゆくことか。
 我らが勇敢に奔走している地域も、どれほど妙《たえ》なる三変土田の実証を示しゆくことか。
 信心の世界だけは、ありがたいことに、いささかの無駄もありません。
 日蓮大聖人は池上兄弟に「石はやけばはい《灰》となる 金《こがね》は・やけば真金となる、此《こ》の度《たび》こそ・まことの御信用は・あらわれて法華経の十羅刹も守護せさせ給うべきにて候らめ」(御書1083㌻)と仰せになられました。
 いざという時に「やらんかな」の勇気で戦う生命は、金剛不壊の大境涯を開くことができる。大変であるからこそ、大福運を積むこともできるのです。
     *   *
 皆さんこそ、広布の大道の栄光の第一走者です。今こそ題目の師子吼を朗々と唱え、明るく楽しく励まし合いながら、足取りも軽く、未来永遠に輝きわたる師弟誓願の「力走」を頼みます! 先師の殉教70年に、断固として、自身と学会の、目の覚めるような「発迹顕本」を成し遂げ、最高に晴れやかな「躍進」の新春を迎えようではありませんか!
 大切な大切な皆さん方が、一人ももれなく健康で、絶対無事故で、仏の力を出し切り、大功徳を受け切られるよう、私は祈り抜いていきます。

第42回  わが同志に栄光と功徳あれ (2014.11.29付 聖教新聞)

 〈関西の友へ〉

 間もなく、阪神・淡路大震災より20年。全世界に希望と勇気を送る兵庫そして大阪の奇跡の大復興を、私はあらためて讃嘆申し上げたい。
 その姿こそ、東日本大震災からの復興へ歩む東北と全国の同志にとって、何よりの励ましとなるに違いありません。
 御本仏のお約束の通り、「極楽百年の修行」に勝る大功徳が、一日また一日、皆さん方の生命に無量無辺に積まれ、「陰徳陽報」の大勝利の実証が厳然と現われることを祈り、そして確信しつつ、題目を送り続けております。
     *   *
 昭和31年の「大阪の戦い」で、一番苦しい局面にあって、私と関西の父母たちが共々に身読した御聖訓があります。
 「各各《おのおの》師子王の心を取り出《いだ》して・いかに人をどすとも をづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし、彼等は野干《やかん》のほう《吼》るなり日蓮が一門は師子の吼るなり」(御書1190㌻)との一節です。
 いかに過酷な試練が襲いかかろうとも、絶対に怯まない。一人一人が「師子王の心」を取り出して、正義を勇敢に叫び切る。そして何ものをも恐れず、何ものにも負けない金剛不壊の団結で、人類の悲劇の流転を大転換しゆく民衆の大城を、私たちは築き上げてきたのです。
 我らが負けじ魂で悪戦苦闘を突き抜けて進んだ分だけ、仏縁は広がり、人材が育つ。社会は栄え、世界の希望となる。
 どうか、題目を唱え抜き、「信心しきったものが必ず勝つ」──この常勝不敗の金字塔を、従藍而青の誇りも高く、断固と永遠に輝かせていってください。
 幸福勝利の「春の曲」を轟かせながら、最高に晴れ晴れと、新年を迎えようではありませんか! 体を大事に! 風邪をひかれませんように。

第43回  皆様の前進こそ世界の希望 (2014.12.7付 聖教新聞)

 北海道をはじめ各地で大雪に見舞われ、冬本番の厳しい冷え込みが続いています。どうか、体調を崩さぬよう、また絶対無事故の前進をお願いします。
 わが愛する創価家族の皆様! 皆さんこそ御本仏から「其《そ》の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ」(御書1467㌻)と託された、誉れの使命の人です。しばれる寒風の中で広宣流布の行動を重ねゆくご苦労が、痛いほど胸に迫ってきます。
 御聖訓には「願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ」(同1589㌻)と仰せであります。
 何があろうとも、師子王の心で、勇んで戦う生命こそが、仏となる。忙しいからこそ、宿命転換も早い。いかなる壁も、断じて打ち破ることができる。
 いよいよ勇気ある信心を奮い起こし、師子となって走り、叫び、広布と人生の大躍進を、断固、成し遂げてまいりたい。
     *   *
 日蓮大聖人は、大事な広布の戦いに挑む門下へ「但《ただ》偏《ひとえ》に思い切るべし」(同1451㌻)と仰せになられました。そして、今こそ名をあげるチャンスではないか。 “釈迦仏・多宝仏・十方の仏よ、集い来《きた》って、わが身に入りかわり、我を助け給え” と強盛に祈り抜いていきなさい──と励まされております。
 大聖人に直結して祈り戦う我らに、偉大な仏の力が出ないわけがありません。正義の勝利の道が開けないわけがありません。言うに言われぬ苦労に徹した分だけ、未来永劫にわたる大功徳が、厳然と、皆さんに現れないわけがないのであります。
 世界一の異体同心の団結光る同志の皆様方! 断じて油断なく、強く楽しく朗らかに、人間革命の勝利劇を示していこうではありませんか。「大切な宝の同志の皆様を、梵天帝釈、守りに護り給え」と、祈り深く強く、題目を送っております。

第44回  今、新たな躍進の船出を! (2014.12.13付 聖教新聞)

 充実の一年の総仕上げへ、わが同志は勢いよく進んでいる。
 苦難に負けてなるものか!
 一人も残らず幸福勝利を!──そう祈り、共に立ち上がって、一切を希望へと転換しゆく、功徳の連鎖、人材の連鎖が広がっている。
 「未来の果を知らんと欲せば其《そ》の現在の因を見よ」(御書231㌻)である。
 今日の一歩が未来を開く。
 楽しく悔いなく走り切ろう!
 寒風の中、勇敢に正義を師子吼する若人がいる。
 広布のためにと労苦をいとわぬ多宝の父母《ちちはは》がいる。
 尊き奮闘を、心から讃え、感謝申し上げたい。
     *   *
 先日、懐かしい神奈川文化会館を訪れ、私は全同志の健康・勝利・幸福を深く祈念した。
 思えば、昭和54年、私はここで筆を執り、「正義」「共戦」と認《したた》めた。
 あれから35年。当時、約90カ国・地域だった創価の平和・文化・教育の連帯は、192カ国・地域へ発展した。
 今再び、横浜港から太平洋へ広がる海を見つめ、世界広布新時代の大いなる躍進を誓願した。
 今こそ夜明けだ。黎明だ。
 出航の汽笛も高らかに、希望の銅鑼を轟かせ、立派に育った後継の人材群と、心新たに船出しよう!
     *   *
 北の凍てつく大空に北極星がいよいよ冴えわたる今、常勝の民衆城は、烈風にも、いよいよ堂々たる偉容を見せる。
 我らは、勇気ある信心を奮い起こし、異体同心の団結も固く、あらゆる諸天善神を揺り動かしながら、全世界を人間革命の光で照らしている。使命の闘争を断固と貫き通す中にこそ、偉大な陰徳陽報の劇がある。
 私も題目を送ります。どうか、全員が、何ものにも負けない大幸福境涯を築いていっていただきたい。

第45回 希望漲る創価家族の新春を (2014.12.21付 聖教新聞)

 例年にない大雪など各地の悪天候に、あらためて、心からのお見舞いを申し上げます。
 聖教新聞を配達してくださる「無冠の友」をはじめ、全同志の絶対無事故を、毎日、真剣に祈っております。
     *   *
 世界広布新時代が開幕した本年、最高峰の仏法哲理を共に学び、共に祈り、共に実践する中で、新しい人材が、日本中、世界中に誕生した。
 まさに今、尊貴なる地涌の菩薩が躍り出て、平和のために立ち上がる姿を見る時、私の胸は高鳴る。
 我らは勝った。広布と人生の舞台で勝った。堂々と常勝の民衆城は築かれた。
 この一年の晴れやかな大勝利、おめでとう!
 皆、よく戦い切り、よく勝ち切ってくれた。厳しい凍《い》てつく寒さの中、ご苦労さま! ありがとう! 本当にありがとう!
 何よりも御本仏・日蓮大聖人が讃嘆くださっています。冥の照覧は絶対であり、絶大です。
 牧口先生の殉教70年に、いやまして強く大きく、自他共の幸福の道を開くことができました。戸田先生も「天晴《あっぱ》れ!」とお喜びでしょう。
 「陰徳あれば陽報あり」(御書1178㌻)
 わが偉大な陰徳の同志に、一人ももれなく偉大な陽報が赫々と現れゆくことを、私は祈り抜いていきます。
 ともあれ、民衆のために尽くし抜く新時代のリーダーが育っていることが、私はうれしい。
 勝って傲らず、勝った時に、次にまた勝つ因をつくる。これが創価の常勝の将軍学です。いよいよ賢く、いよいよ誠実に、いよいよ勇敢に、広布と人生の躍進へ出発しよう!
 誉れの同志を最大に温かく労《ねぎら》い讃え、希望みなぎる創価家族の新春を迎えましょう!
2014-12-24 : 名誉会長と共に 新時代を開く :
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