未来の翼 世界が君を待っている 第5回 ハワイの浜辺

第5回 ハワイの浜辺         (2014.8.1付 未来ジャーナル)

一人を大切に! ここから平和が生まれる

生きて生き抜け! 若い皆さんが輝けば世界は変えられる

 夏は、若き皆さんの生命が白馬のように躍動する季節です。
 白馬といえば、ハワイで不思議な白馬に出あいました。
 1985年の7月、諸行事の合間に、ホノルル市内の宿舎から、波音や歓声でにぎやかなビーチに目をやった時のことです。
 さっきまで何もなかったはずの砂浜に、美しく、たくましい白馬が生まれていました。無名の芸術家が彫ったレリーフ(浮き彫り)です。今にも立ち上がって、駆け出しそうな英姿がありました。
 御書には、「白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり」(1065㌻)と仰せです。
 白馬のいななくような朗々たる勤行・唱題から、新しい挑戦の生命が弾みます。
 さあ、今日も、白馬のように、題目を唱えながら、「勝利の夏」を元気いっぱい前進していこう!

 ハワイは、州都ホノルルのあるオアフ島や、最も大きいハワイ島など、六つの島を中心に成り立つ、世界有数の観光地です。
 日本との関係も深く、古くは1868年(明治元年)からハワイに移住する人たちがいました。
 だから、「ベントー(弁当)」「シバイ(芝居)」「ジャンケンポー(じゃんけん)」「ボン・ダンス(盆踊り)」など、日本人になじみのある言葉が今も使われています。
 あいさつの言葉は「アロハ!」です。出会った時も、別れる時も、こうあいさつします。「ようこそ」「こんにちは」「さようなら」……すべて「アロハ」と声をかけます。「お互いに愛情と敬意をもつ」という意味が込められています。
 ハワイでは、さまざまな民族が仲良く生きています。アジア系、ヨーロッパ系、アフリカ系、そして、ハワイアン(先住ハワイ人)。
 そんな人たちが、「アロハ」とあいさつを交わし、アロハの心」で結ばれた世界平和の縮図の島こそ、ハワイです。自然を愛し、家族を愛し、友を愛し、平和を愛する、友情と共生の島なのです。
 しかし、その島を舞台に非道な戦争が始まりました。1941年(昭和16年)12月7日の朝(日本時間8日未明)、ハワイにある真珠湾(パール・ハーバー)への日本軍の攻撃から、太平洋戦争が開戦したのです。
 当時、13歳の私は、兄たちを兵隊にとられて苦しい家計を助けるために新聞配達をしていました。開戦を告げる紙面を、今も忘れられません。
 ハワイでは、日系人の方たちが苦労して懸命に築き上げてきた「信頼」が、一気に崩れていきました。その不信をはね返し、アメリカヘの忠誠を証明するために、日系2世の志願兵の部隊が結成されました。勇猛果敢な攻撃で最も多くの勲章を受けましたが、最も多くの犠牲者を出しました。
 戦争ほど、残酷なものはない。
 戦争ほど、悲惨なものはない。
 -これは、私が小説『人間革命』の冒頭に書き記した一節です。
 戦争は、あの地この地に、あの家この家に、暗闇のような悲劇をもたらしました。
 太平洋戦争での日本人の死者・行方不明者は250万人、日本の侵略を受けたアジア諸国での死者は1800万人ともいわれる。日本でもアジア諸国でも、おおよそ30人に1人が戦争で亡くなったことになります。
 戦争には、勝者も、敗者もありません。
 悲惨な戦争が終わったのは、1945年(同20年)8月15日です。私は17歳になっていました。
 わが家も、私の大好きだった長兄が、ビルマ(現在のミャンマー)戦線で亡くなりました。終戦から2年もたって、その知らせを聞いた時、母が悲しみをこらえて小さな肩を震わせていた姿は、私の瞼から消えません。これが私の平和闘争の原点です。

 私は、1960年(同35年)10月2日、世界平和の道を開く第一歩を、ハワイから始めました。
 「この地球上から『悲惨』の二字をなくしたい」と願われた、わが恩師・戸田城聖先生の写真を胸のポケットにしのばせて──。
 ホテルに着いた翌日の早朝、日の光が夜の闇を打ち破るころ、私は一人、海岸を散策しました。
 そして、かつて(1954年夏)戸田先生の青春の故郷・北海道の厚田の浜辺に二人して立ち、私に言われた言葉を思い起こしていました。
 「この海の向こうには、大陸が広がっている。世界は広い。そこには苦悩にあえぐ民衆がいる。
 君は、世界の広宣流布の道を開くんだ。この私に代わって」
 恩師の遺志を継ぎ、会長となった32歳の私は、ハワイの旭日を仰ぎながら、世界平和への絶え間なき闘争を、強く心に誓ったのです。

 アロハの精神は、人種、言語等、一切の差別を超えて、人間がお互いに人間として手を結び合うところに、意義があります」
 私が親しく語り合ったハワイ州のジョージ・アリヨシ州知事が、アメリカSGI(創価学会インタナショナル)の総会で紹介してくださった言葉です。その理想の姿を、SGIに見いだされたのです。
 初めての出会いは、1975年1月22日。SGIが結成される、4日前のことでした。すらりとした長身で、九州出身のご両親の血を継いだ、凜々しく、若々しい顔立ち。前年に、日系人として初めて州知事に就任したばかりで、まさに“ハワイ新時代”の大海原へ出発された時でした。
 若き日の知事には、「弁護士になる」という夢がありました。しかし、話すことが大の苦手。“話し方を直さなければ、弁護士にはなれない”と思っていた中学生の時、学校の先生が、付きっきりで特訓してくれました。そのおかげで、悩みを克服し、弁護士になる夢をかなえることができたのです。
 そんな知事が、大切にしている言葉がありました。それは、お父さまの口ぐせでもあった「おかげさまで」という日本語です。「あなたがいて、私がいる」という人間への信頼が脈打つ言葉です。
 現実社会に目を向ければ、他人を不幸にしてでも、自分さえよければいいという、わびしい姿が多いかもしれない。その中にあって、「おかげさまで」という感謝の気持ちこそ、心の砂漠に潤いを贈ります。平和の原動力ともいえましょう。
 感謝の人は、恩を知り、その恩に報いようとする。だから、人のために自分が動きます。
 反対に、感謝を忘れた人は、自分のために人を動かしてしまう。その「自己中心性」「エゴイズム」が、他者への想像力を失わせ、戦争を生み出してしまう。
 未来部の皆さんは、身近な人に感謝し、「ありがとう」の心と言葉を伝えていける「ピース・メーカー(平和をつくる人)」であっていただきたい。
 特に、お父さん、お母さんには、計り知れないほどの恩があります。皆さんは、ぜひとも親孝行を、お願いします。

 アリヨシ州知事は、「違うから争うのではなく、違うからお互いを理解し合う、これがハワイの生き方です」と訴えられました。
 そのハワイから、断じて平和の世紀をと、私は誓い、行動してきました。
 初めてハワイを訪れた際、私はホノルルの町を一望するパンチボウルの丘にある「国立太平洋記念墓地」を訪問しました。そこには、真珠湾をはじめとする第2次世界大戦、朝鮮戦争やベトナム戦争などの戦没者が眠っています。
 私は墓地を一巡して、それぞれの墓に刻まれた名前を胸にとどめ、仏法者として深い祈りを捧げました。その後も、ハワイを訪問した折、ここを訪れました。
 81年に真珠湾攻撃で沈没した戦艦アリゾナの記念館を訪れた際にも、私は戦没者の氏名が刻まれた場所に献花し、犠牲になられた一人一人の名前を見つめて、題目を唱えました。
 「祈り」とは「誓願」です。断じて平和な世界を築くことを、私はその方々に固く誓いました。
 2000万人を超える太平洋戦争の犠牲者には、その一人一人に名前がありました。その誕生を喜んだ家族がいました。愛する友がいました。そうした人々と共に、「いのち」という最高の宝をもって生きていました。
 アメリカ人である前に、日本人である前に、皆、同じ「人間」だったのです。

 95年1月17日、阪神・淡路大震災が起きました。私は当初、予定されていたハワイヘの出発をぎりぎりまで遅らせて、被災地への救援の手を打ちました。ハワイでの予定を最短に凝縮し、終了後、関西に直行するようにしました。
 ハワイ到着の翌日、私は英知の殿堂・東西センターでの講演に臨みました。私は、まさに武器を手に戦いを始めようとする二つの部族の間に平和をもたらした釈尊の勇気の対話に触れ、語りました。
 ──人間を分断するのではなくして、人間としての共通の地平を見いだそうとする智慧が、今こそ要請されている、と。
 たとえすぐに分かり合えなくとも、「人間」という次元で話し合えば、分かり合える。必ず戦争はなくせる──これが私の信念です。この「信念の松明」を、私の命である皆さんに託したいのです。

 ハワイの英知の言葉は、こう教えます。
 「いのちはいつでも新しい可能性を見せてくれる」
 なかんずく、若き「いのち」である皆さんは、いつでも新しい「無限の可能性」に満ちています。ゆえに、自らを決して卑下してはならない。
 若い皆さんが、生きて生きて、生き抜くこと、それ自体が「平和の光」です。
 皆さんが生き生きと躍動していくならば、世界は、いくらでも変えていけるのです。
 日蓮大聖人は、「命というものは一切の財の中で第一の財である」「宇宙全体に満ちた財も、命には替えられないのである」(御書1596㌻、通解)と仰せです。
 「いのち」の中に、すべてが入っています。その宇宙一の宝物である「いのち」を、君も、貴女《あなた》も輝かせることができるのです。
 「人生」は、「人が生きる」と書きますが、「人と生きる」とも読めます。
 自分は誰と生きているのか──ご両親、兄弟姉妹、クラスメート、クラブの仲間、地域の創価家族、未来部の同志……具体的な名前をあげて、その人を思い浮かべてみましょう。
 その一人一人を大切にすることが「平和」そのものです。
 父母《ちちはは》の笑顔、笑い声。
 あの子の優しさ、強さ。
 この友の輝く瞳、頑張る背中。
 わが同志の真心の励まし。
 その一つ一つを当たり前と思わず、「おかげさまで」と感謝し、応えていくこと。それが最も正しく、最も確かな「平和の一歩」です。
 ハワイのことわざには、こうあります。
 「その花は小さいけれど、周囲の草によい香りを運ぶ」
 どんなに小さくとも花は花です。周りをよき香りで包むことができる。皆さんが、親孝行で、友情で、笑顔の花を咲かせれば、そこを必ず、「平和の楽園」「幸福の花園」にしていけるのです。
 さあ、勇気のエンジンを始動させ、世界の友と「平和の地球」をつくる大航海に出発しよう!

ハワイのことわざは、デブラ・F・サンダース著『日々是布哇』北山耕平訳(太田出版刊)と‘ULU project.著『アロハの贈りもの』(阪急コミュニケーションズ刊)から。太平洋戦争の犠牲者数は『日本大百科全書』(小学館刊)による。
2014-07-30 : 未来の翼 世界が君を待っている :
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希望の虹 第5回 昆虫学者 ファーブル

第5回 昆虫学者 ファーブル   (2014.8.1付 少年少女きぼう新聞)

命は一番の宝

 みなさん、夏休みを元気にすごしていますか?
 健康で、無事故で、楽しい思い出を、いっぱいつくってください!
 夏になると、セミの元気な声がひびきますね。
 「ミーンミンミンミー」
 「ジージー」「ツクツクホーシ」
 「カナカナカナ」
 小さな体から大きな声を出して、一生けんめいに鳴いています。
 セミがどこから来るのか、どうやって大きくなったか、みなさんは考えたことがありますか。
 セミのことを調べに調べて、“暗い地下で何年間も働いてから、やっと明るい太陽の下《もと》で短い幸せを歌っているんだ”と、セミの気持ちを思いやった人がいます。
 フランスの偉人な昆虫学者アンリ・ファーブルです。
 今回は、100年以上も世界中で読まれている『昆虫記』の作者ファーブルのことを学んでいきましょう!
       * * *
 ファーブルは、1823年、いなかの小さな村で生まれました。
 両親と弟の4人家族。まずしいくらしでしたが、家のまわりには、ゆたかな自然がありました。野原や小川が遊び場で、虫や鳥など、たくさんの生き物にかこまれ、ファーブル少年はすくすくと成長しました。
 中学校では、しんけんに勉強して、成績はクラスで一番になりました。しかし、お父さんの仕事がうまくいかず、学校に通えなくなり、働くことになってしまいました。朝から晩まで働いて、くたくたになりました。
 そんなファーブルの心の支えとなった“友だち”がいました。
 それは、小さなころから大好きだった“虫たち”です。見たことのない虫を見つけると、心がワクワク、ドキドキしました。
 ファーブルは、小さな虫の「命」に大きな「希望」を見いだしました。そして苦労に負けず、学び続けていったのです。やがて、小学校の先生になりました。
 のちにファーブルは、「歩きつづけさえすれば、行きつくところに行けるのだ。そして、たえず歩きさえすれば、力が自然にわいてくる」と語っています。
 ねばり強く努力を続ければ、必ず自分のなかに眠っている力を出せるようになるんだね。
       * * *
 ファーブルが本格的に昆虫の研究をするきっかけになったのは、野外授業の時でした。子どもたちから、ハチが巣のなかにあまいミツをためていることを教えられたのです。
 ファーブルはもっと知りたいと思い、高価な昆虫の本を思い切って買いました。その本を読んだ感動が、昆虫学者のとびらを開いたのです。
 それから、中学校や高校で理科を教えながら、仕事の合間をぬって昆虫の研究をするようになりました。
 そうして『昆虫記』の第1巻ができたのは、ファーブルが55歳の時です。そこから、さらに約30年をかけて全10巻を発刊しました。人生のすべてをかけて生みだされた本なのです。
 『昆虫記』には、1500種ほどの虫たちや動植物が登場します。私も以前から、少年少女のみなさんにすすめてきた本です。
 この本には、むずかしい言葉は使われていません。“だれにも分かりやすく、親しみやすい内容に”という思いで書かれたからです。また、だからこそ、世界中に多くの読者を広げることができたのです。
 やがてフランスでは、大統領も大臣も、この偉人ファーブルのもとを訪れ、最敬礼して功労に感謝しました。
 じつは、日本の高名な学者が、この歴史を通して、私たち創価学会の初代会長である牧口常三郎先生のことを、「国の誇り」とたたえました。
 “小学校の先生としてがんばりながら『昆虫記』を書いたファーブルをフランスが国をあげてたたえたように、同じく小学校の先生として立派な本『創価教育学体系』を書いた牧口先生のことを、日本は大事にすべきである”といわれたのです。
 ところが、当時の日本は、仏法を広めて「命の尊さ」を説く牧口先生を大事にするどころか、戦争をおし進める国の考えに反対した人物として、牢獄で死なせたのです。そのことを、牧口先生の弟子である第2代会長の戸田城聖先生は、いつも怒りで体をふるわせて語られていました。
 今年は牧口先生か亡くなられて70年になります。牧口先生の心を受けついで命の尊さを訴える創価学会が、世界から信頼される時代になっています。
       * * *
 ファーブルは、「命の尊さ」をよく知っていました。
 観察が終わると、虫の大好きなものを与えてから「よくいろいろなことを教えてくれたね、さようなら」と詰りかけ、自然にもどしたというのです。
 『昆虫記』に、こうあります。
 「一番ちっぽけなものの生命《せいめい》にしても、それは尊いものだ」
 この『昆虫記』からは、虫たちへの愛情や、命の力への驚きが伝わってきます。
 ──ミノムシのお母さんは、タマゴを産むと、自分が着ていた綿毛の服をぬぎます。その服でタマゴをくるみ、温めるのです。さらに子どもたちのために、葉っぱや、くきで作った家をあけわたし、子を守るようにして亡くなります。
 また、ホタルはむかしの人に「おしりにランプをもっている虫」と呼ばれていました。ある種るいのホタルのランプは、体から切りはなされても光り続けます       * * *
 ホタルといえば、私が創立した関西創価学園や創価大学では、長年にわたり、ホタルを大事に育て、命のすばらしさを、友だちや地域の人と学びあっています。
       * * *
 日蓮大聖人は「命というものは一切の財の中で第一の財である」(御書1596㌻、意味)といわれています。
 命は、私たち人間の一人一人も、また、どんな小さな虫たちも、もっている最高の宝物です。
 ミノムシのお母さんも、命をかけて子どもを守っています。
 みなさんも、お母さんがどれほど、自分のことを大事に守ってくれているか、思いおこしてみてください。
 みんな、かけがえのない命なのです。
 ホタルのランプが光り続けたように、どんな困難のなかでも、自分を光り輝かす力を、みなさんもまた、もっています。
 みんな、すばらしい命なのです。
 もちろん、悪いことをする虫もいるし、虫が苦手な人や、きらいな人もいるでしょう。ただ、たとえば、花粉を運ぶミツバチがいなくなったら、多くの植物が、地上から姿を消してしまうといわれています。植物がなくなれば酸素がなくなって、私たち人間も生きていけなくなります。
 小さな虫であっても、大きな役目をはたしています。
 みんな、命はつながっているのです。
 だからこそ、まわりの“命”を大切にする人は、自分の命を大切にできる人です。そして、命は、みんないっしよに生きていくのです。
 この夏休み、みなさんも近くの公園や野原や水辺に行ったり、家族で旅行に行ったりした時に、たくさんの命とふれってください。そして、もっともっと元気いっぱい、自分の夢や目標に、一生けんめい挑戦してください。
 一匹の虫から大いなる希望を生みだしたファーブルのように1

ファーブルの言葉は、G・V・ルグロ著『ファーブルの生涯』平野威馬雄訳(筑摩書房)、『完訳ファーブル昆虫記(十)』山田吉彦・林達夫訳(岩波書店)から。参考文献は、砂田弘著『おもしろくてやくにたつ子どもの伝記19 ファーブル』(ポプラ社)、『ファーブル昆虫記 ここがスゴイぞ!虫のふしぎ』舟崎克彦訳(集英社)、『ファーブルの昆虫記]中村浩・江口清訳(講談社)。
2014-07-30 : 希望の虹 :
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創価学園 「栄光の日」の集いへのメッセージ

創価学園 「栄光の日」の集いへのメッセージ       (2014.7.17 東西創価学園)

 創価学園の7・17「栄光の日」記念の集いが17日、東京と関西の各キャンパスを映像と音声でつないで行われた。創立者の池田名誉会長は祝福の和歌とメッ セージを贈り、挑戦と忍耐の青春をと念願。一日一日、勉学の根を張りながら、やがて仰ぎ見る人間の大樹に成長をと万感の期待を寄せた。

 「勉学や読書、クラブ活動など、今日までそれぞれが決めた道で、勇気をもって挑戦してきました!」

 「創立者の構想を受け継ぎ、平和のために行動していきます!」

 創立者の不屈の人権闘争の歴史が刻まれた「7・17」

 東西のキャンパスに、鳳雛たちの凜々しい声が響いた。

 「栄光の日」の集いは、学園生にとって創立者の正義の魂を継承し、未来への飛躍を誓う重要な行事である。

 「栄光とは、勇気また勇気で、勝ち取るものであります。そして、栄光とは、忍耐また忍耐で、勝ち抜くものなのであります。

 「わが学園生の皆さんは、全員が『21世紀の世界の大指導者』と育ちゆく『栄光の使命』に光っております」と。

 学園生は「7・17」を目指し、創立者の精神を学び深め、友と真剣に語り合ってきた。

 あいさつ運動や校内清掃に取り組んだ友もいる。
 1人1人が、自分らしく努力と挑戦を重ね、新たな出発の日を迎えた。
東京と関西を中継で結んだ集いは、創立者の「350」の名誉学術称号を祝賀する映像が上映された後、各校のアピールが行われた。
 東京小の児童は「“ありがとう”をカタチに」と題し、創立者や両親への感謝を込めて立てた個人目標を実践してきたことなどを報告。関西小の児童からは、友だちの良いところを見つけてカードに書き出してきた取り組みなどが紹介された。
 さらに、東京の中学・高校生が新愛唱歌「師弟の道」を、関西の中学・高校生は関西学園歌「関西創価 わが誇り」を力強く合唱した。

 長谷川学園理事長は「正義と勇気の偉大な大指導者に」「平和と幸福をつくりゆく大指導者に」と念願した。

 最後に、学園愛唱歌「負けじ魂ここにあり」を大合唱した。


創立者のメッセージ

負けじ魂は闇を打ち晴らす太陽 

 一、暑さにも負けず、本当にご苦労さま!
 真剣に努力し、前進している生命からは、おのずと、にじみ出る光があります。
 学園生の凜々しい瞳が輝き、学園生の明るい笑顔がはじけ、学園生の力強い歌声が躍動している限り、世界を照らす希望と平和の虹は、未来へ晴れ晴れと、どこまでも広がっていくのです。

 ここで皆の健闘を讃え、さらなる青春勝利へ勇気の一歩を踏み出す決意を込めて、我ら創価学園の万歳を、声高らかに轟かせよう!

 〈各キャンパスで万歳三唱〉

諦めない心が不屈の人格育む
 一、先日、サッカーのワールドカップの舞台となった南米ブラジルから、1冊の貴重な書籍が届きました
。
 私が忘れ得ぬ出会いを結んだ、ブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁が生前に書き残された随筆集で、愛娘のラウラさんが贈ってくださったものです。

 総裁は人間主義の大言論人であり、国連の「世界人権宣言」の起草にも尽力されました。栄光輝く人生を飾られた大偉人です。
 きょうは、このアタイデ総裁の人生を通し、第1に「栄光は挑戦から生まれる」と申し上げたい。

 私がお会いした時、総裁は94歳。しかし、青年のごとき大情熱で、「戦いましょう。力を合わせて、人類の歴史を変えましょう」と語られました。

 そして直ちに、総裁と私は新たな対話に挑み、対談集『21世紀の人権を語る』を発刊したのです。

 総裁は青年に「自分自身を越えよ」と呼び掛けておられました。
すなわち、生き生きと何でも挑戦しよう!

 挑戦すれば、自分自身の限界にぶつかる。それでも、諦めないで学ぶ。そしてまた挑戦する。

 その青春の挑戦によって、今の自分自身を超えて、偉大な力がつく。何があってもたじろがない、大きな心の人格ができるのです。

試練に負けない姿こそ真の栄光
 一、第2に、「栄光は忍耐によって輝く」と申し上げたい。

 アタイデ総裁は、独裁権力と真っ向から戦い、3度の投獄にも、3年間の国外追放にも耐え抜いた勇者です。

 「どんな不正な迫害であろうと、使命を持った人間の勇気を打ち砕くことはできない」とは、総裁の大確信です。だからこそ、総裁は、創価教育の3代の師弟が、民衆の人権を守るため、あらゆる苦難に屈しないで、戦い抜いてきた歴史を、心から信頼されているのです。

 使命が大きければ、試練もまた大きい。その試練に断じて負けないこと、それ自体が、人間としての真の栄光なのです。
 20年ほど前、私もよく知る素晴らしいご両親を、不慮の交通事故で亡くした学園生の3姉妹がいます。

  この時、長女は高校3年、次女は中学2年、三女は小学4年でした。これほど悲しいことはなかったでしょう。しかし3姉妹は負けなかった。父母《ちちはは》を胸に抱きしめ、優しい祖母に支えられながら、学園での日々を頑張りとおしました。良き学友とスクラムを組んで、明るく朗らかに学び抜きました。
 今、三女も社会に出て、学校の先生となるなど、3人とも思いやりの深い、心が強く豊かなリーダーとして大活躍しています。

 学園生の負けじ魂は、いかなる闇も打ち晴らす希望の太陽なのです。

人権の闘士アタイデ総裁 
“自分自身の限界を敗れ”
逆境を跳ね返す底力を鍛えよ


勉学の根を張り仰ぎ見る大樹に
 一、そして第3に、「栄光は逆転劇で勝ち取ることができる」と申し上げたい。

 もはや、有名になれば偉いとか、富を得れば偉いとか、地位が上がれば偉いとか、そういう時代は終わりを告げ、逆転しました。
 どれだけ粘り強く学んで、英知を磨き続けていくか。

 どれだけ勇敢に正義の信念をもって、社会に貢献していくか。

 どれだけ誠実に庶民の味方となって、汗を流し尽くしていくか。
 どれだけ深い哲学・思想をもって、世界に友情を広げていくか。

 その人が、これからの栄光の勝利者です。これが学園生の未来です。
 ともあれ、アタイデ総裁が最も尊敬する、ブラジル文学の巨人マシャード・デ・アシス氏は謳いました。

 「人生の芸術とは、最大の悪から最大の善を引き出すことである」と。私も大好きな言葉です。
 いかに最悪の逆境にあっても、そこから最善の力を発揮し、見事な栄光の逆転劇を勝ち取っていく。途中がどうであれ、今に見よ、最後は絶対に勝ってみせる。その底力を鍛え上げていくのが、学園時代です。
 今は焦らず、じっくりと一日一日、勉学の根を張りながら、やがて仰ぎ見る人間の大樹へと伸びていってください。
 私は、いつも皆さんと心で語らい、皆さんの栄光と勝利へ、エールを送り続けています。

 結びに、愛する学園生に一首贈り、私のメッセージと致します。

 恐れるな


 
 君の生命は
   ダイヤなり
  学び 磨けや
    無敵の光を

 ご家族に心配をかけず、元気に有意義な夏休みを送ってください(大拍手)。
2014-07-20 : スピーチ・メッセージ等 :
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中国 ハルビン師範大学「名誉教授」称号授与式への謝辞

中国 ハルビン師範大学「名誉教授」称号授与式への謝辞
              (2014.7.16 創価大学本部棟)

 中国東北部・黒竜江省の省都ハルビンに立つ名門学府・ハルビン師範大学(王選章学長)から、創価大学創立者の池田大作名誉会長に「名誉教授」称号が贈られた。これは、世界平和の建設と日中友好への長年にわたる貢献を讃えるもの。授与式は16日午後、東京・八王子市の創価大学本部棟で行われ、ハルビン師範大学の徐暁風副学長、郭鴻雁教授が出席。馬場創大学長に、名誉教授の証書が託された。また名誉会長から同大学に、真心の漢詩が贈られた。


徐副学長の授章の辞
(要旨)

“一衣帯水の隣国”として
池田先生の友好の理念を共に堅持


 本日、私どもは、喜びを胸に抱さながら、世界に名だたる創価大学へやってまいりました。
 ここに、ハルビン師範大学を代表し、また王選章学長に代わり、池田大作先生に対し、心からの感謝と敬意を表します。
 本学の名誉教授にご就任いただきたいとの申し入れを、快くお受けくださった池田先生に感謝申し上げるとともに、先生の長年にわたる世界平和と中日友好事業へのご尽力に対し、最大の敬意を表すものであります。
 池田先生は、その生涯を文化、教育、平和の推進に捧げておられます。世界の50以上の国・地域を訪れ、各地の政治家や学者と誠実に対話し、アジアの文化、教育、文明の持続可能な発展に傑出した貢献をされています。
 先生は、国内外の学術界において高く評価される、世界的に著名な思想家、哲学者、社会活動家であり、作家、詩人、写真家でもあられます。また、創価学会インタナショナル会長、創価学会名誉会長として、これまでに平和、文化、教育の機関を数多く創立し、世界平和と文化交流の促進と教育事業の発展のために不断の努力をされ、国際的な名声と評価を得ておられます。
 さらに池田先生は中国人民の“老朋友《ラオポンヨウ》(古く親しい友人)”であり、長きにわたり両国の人民の友好往来の促進に力を注がれています。
 中国を10度訪回され、1974年の周恩来総理との会見以来、中国の歴代指導者との間に深い友誼を結ばれています。
 中日の国交正常化を提唱された一人でもいらっしゃいます。
 中日の国交正常化と文化・教育交流の“架け橋” 。“紐帯”として大変重要な役割を果たされました。
 “世界平和の使者”“中日友好の懸け橋”として池田先生は、世界の平和と人類の幸福の理念を提唱、実践してこられました。著作は大変に豊富で、思想は深く、国際社会で広く名声を博し、世界中の平和を愛する人々から尊敬・敬愛されています。
 「国連平和賞」、国連難民高等弁務官事務所「人道賞」「アインシュタイン平和賞」等の各賞や「平和の使者」「人民友好の使者」の称号を受章されていることは、池田先生の世界平和へのご貢献が、極めて卓越した、不滅の功績であることを物語っております。
 今、池田先生の提唱される平和理念を受け継ぎ、堅持していくことが、とりわけ重要です。中日両国は、“和はすなわち双方を利する”“分断はすなわち双方が傷付く”ともいうべき、一衣帯水の近隣関係にあることは、これまでの歴史が十分に証明しています。
 池田先生を名誉教授に招聘させていただくことは、先生の高尚なるご人格と卓越したご功績に対する、本学の全ての教員・学生の尊敬の表れであり、さらに私どもの中日平和友好への揺るがぬ信念を表しています。
 そして、本学の名誉教授称号を先生にお受けいただくことは、本学の全教員・学生への大きな励ましなのであります。
 ハルビン師範大学は悠久の建学の歴史をもつ総合大学です。「敦品励学 弘毅致遠」との校訓の精神は、池田先生の人間主義の教育理念と相通じる部分があります。
 本学は、設備も教員も非常に優れており、現在、3500人の教職員がいます。
 このうち専任教師は2030人。教授・副教授は1080人。博士課程・修士課程の大学院指導教師は850人です。
 また、本学は国際文化交流活動を幅広く展開し、これまでに、アメリカ、日本、カナダ、オーストラリア、ロシア、ポーランド、韓国、南アフリカなど20以上の国・地域の70を超える大学や研究所と、密接な教育・科学技術の協力と学術交流の関係を築いております。今後もさらに積極的に国際交流を展開してまいります。
 ハルビンは、ユーラシア大陸を横断する経済・文化・金融等のルートの要地として注目されています。中国の著名な歴史・文化都市であり、国際的な氷雪文化都市、観光都市でもあり、「氷の城」「東方のモスクワ」「文化の都」「音楽の都」といった美しい名称があります。
 また、日本の新潟市、北海道・旭川市と友好都市であり、悠久の交流の歴史と深き友誼が薫る都市であります。
 私たちは、池田先生のご都合がよろしい時に、ぜひとも、ハルビン市とわがハルビン師範大学にお迎えし、ご講演いただきたく、心からご招待申し上げます。
 とともに、このたびの池田先生への名誉教授称号の授与を契機として、先生が創立された創価大学との間に協力・交流関係を築ければと、心から念願いたします。
 そして、中日の教育交流、両国人民の友好往来に貢献でさればと存じます。
 結びに、池田先生の名言を二つ紹介させていただきます。
 “友情は人を結び、世界をつなぎ、平和へと続く金の橋を架けるのである”
 “友情なくして青春を語ることはできない。なぜならば友情は青春を彩る最も美しき花だからである”
 池田先生のますますのご健勝、また、創価大学とハルビン師範大学のいっそうの発展、両校の永遠の友誼を心からお祈り申し上げます。
 大変にありがとうございました(大拍手)。

SGI会長の謝辞(代読)

民衆の大地に友情の虹かけよ 創造の翼を広げて

奉仕の心光る指導者に
近代中国の教育の父・陶行知先生の信念
「学んだものを人民に捧げよ」

 一、私が若き日、師匠・戸田城聖先生の個人教授による「戸田大学」で学んだ 『論語』 の一節に、「北辰《ほくしん》(北極星)の其《そ》の所に居て衆星のこれに共《むか》うがごとし」(孔祥林総編訳『日中英対訳新版論語』儒教伝播協会)とありました。
 不動の北極星を中心に星々が天を巡るように、正しき精神性を揺るぎなく確立すれば、そこを基軸として社会の各界に多彩な人材を送り出し、万般にわたって価値を創造していくことができる。このことを、中国の先哲の言を通し、わが師は強調されたのです。
 本日は、栄光の国際都市ハルビンにおいて、まさしく北極星の如く輝きわたる最高学府から、この上ない栄誉を賜り、心より御礼を申し上げます。誠に誠に、ありがとうございました!(大拍手)

周恩来総理との出会いから40年
 一、中国最北の黒竜江省にあって、東西の文化が気品高く結晶し、東方のパリとも、モスクワとも称される貴ハルビンは、誠に世界の憧れの都です。
 私も青春の日より、ぜひとも訪れたいと願っておりました。
 かつて日本の軍国主義が蹂躙し、筆舌に尽くせぬ惨苦をもたらしてしまった歴史を、私たちは永遠に忘れません。とともに戦後、多くの中国の方々が、残留孤児となった日本人を守り、育んでくださった大恩も、私たちの胸から決して離れることはありません。
 できることならば、ハルビンの地で、戦争の犠牲となられた全ての方々の追善回向をさせていただき、また、深い恩義に感謝を捧げたいと心に抱いてきたのであります。
 さらに、ハルビンは、私たちが敬愛してやまない人民の大指導者・周恩来総理が、若き日より幾度も訪問し、こよなく大切になされた天地であります。
 1917年には、母校・南開学校の同窓の友とハルビンで再会され、その友が目指した新たな学校の創立について語り合われております。
 後年、周総理は教育の道を志す若人に、「教師になることは素晴らしいことだ。私も、もう少しで、ハルビンで教師になるかもしれなかったんだ」と励まされたと伝えられています。
 今年は、私が周総理と忘れ得ぬ出会いを結ばせていただいて40年となります。貴大学は、周総理有縁のハルビンに聳え立ち、総理の心を体した教育者を陸続と育成してこられました。
 この貴大学からの栄誉を、私は周総理に謹んで御報告申し上げたいのであります。
 一、周総理は、「一代は一代に勝る」(後に生まれた世代は先の世代よりも優れていく)と語っておられました。
 私は、ここで総理と同じく全幅の青年への信頼と期待を込めて、貴大学の高邁なる人間教育の伝統と精神から、新時代の人材像の指標を3点にわたって確認させていただきたいのであります。

学問の道を一心に進め
努力の中に希望の大海原が


試練の波にも迷いなく前進
 一、第1に「使命の大海原へ朗らかに学びの航路を」であります。
 貴大学の校訓には、学びのビジョンが明快に掲げられています。すなわち「敦品励学 弘毅到遠(人格を錬磨し、奮発して学べ。心広く強固な意志をもち、遠きに〔偉大な使命に〕到れ)と。
 この校訓の精神を体現され、学究の模範の道を進まれた先人が、著名な考古学者の游寿《ゆうじゅ》先生でありました。若き日より学才を発揮され、作家の謝冰心《しゃひょうしん》先生等と並ぶ才媛とも讃えられるなか、創立まもない貴大学で、教育に一身を捧げられたのであります。
 文化大革命の嵐にも毅然と耐え抜かれた游寿先生は、学問の秘訣として「方向性を決め、他事に気を取られず一心に学ぶこと」「苦に耐え、苦の中に楽を求めること」等と示されました。
 偉大な使命を果たしゆく大海原には、常に試練の風波が待ち構えております。だからこそ、游寿先生が言われるように、学びの航路を、迷いなく、朗らかに、そして断固として、前進していくことです。いかなる怒濤が襲いかかろうとも、人生も、社会も、たゆまず学び抜く努力の中から、希望の活路は必ず開かれます。

世界市民の行動の光を強めよ!
 一、第2に、「民衆の大地を照らす行動の光を」であります。
 貴大学は、近代中国の教育の父・陶行知《とう こうち》先生を師範の鑑とされ、「一つの心を(人民に)捧げて、一本の草さえも、(大衆から)奪わない」(李燕著 『陶行知の芸術教育論──生活教育と芸術との結合』東信堂)という民衆奉仕の「行知精神」を堅持してこられました。
 陶先生は、民衆教育の信念を力強く語られました。
 「われわれの子どもたちは、人民のなかからやってきたのであって、かれらは、やはり人民のなかへ帰っていくのである。かれらの学びとったものを、人民に捧げて、人民のために幸福をはかるのである」(斎藤秋男著 『評伝・陶行知──政治的抒情詩人の生涯』勁草書房)と。
 民衆の大地に立って、民衆の中で、民衆と共に、民衆のために行動する。この一点に徹する指導者に恐れるものはありません。
 どんな毀誉褒貶にも惑わされません。
 一、私が常に座右に置いてきた一書に「立正安国論」があります。この書は、1260年のきょう、7月16日に警世の書として発表されたものですが、そこでは、「国」を表すのに、「口」(くにがまえ)に「王」ではなく「民」の字が用いられております。
 一切の根本は民衆です。民衆の幸福であり、安寧であります。
 とりわけ、これからの人間教育の重大な責務は、グローバルな民衆の大地を照らす世界市民の行動の光を、どれだけ強め、深め、広げていけるかにあるのではないでしょうか。
 その意味からも、創価大学は、いやまして、貴国をはじめ世界の大学との交流と連帯を拡充してまいりたいのであります。

青年と共に拓く平和な未来社会
 一、第3は「未来の大空へたくましき創造の翼を」であります。
 貴大学の壮麗な校章には、虹かかる未来の大空へ翼を広げゆく、気高き教育の使命を象徴する白鳥が記されております。それは、限りない創造の翼でもありましょう。
 中華文化促進会の高占祥主席と私が共々に発刊した対談集 『地球を結ぶ文化力』(潮出版社)では、貴ハルビンに漲る「創造性」が明るい話題となりました。
 すなわち、ハルビンでは最も困難に満ちた真冬の季節に、その厳寒の気候を生かし、氷や雪で美しい像を作り上げる「氷雪祭り」を始めました。今や、世界中から数多くの観光客を集め、魅了しております。北国のハンディさえも、芸術の都の光彩へと転じゆくハルビンの市民の挑戦は、まさに市の花ライラックにも似て、「文化力」の真髄を凜然と発揮されているのであります。
 一、厳しい環境を嘆き、じっと耐えるのではない。むしろ、積極果敢に一切を生かし、そこから新たな価値創造の道を開いていく。私たちの「創価」の意義も、ここにあります。
 陶行知先生は語られました。
 「至るところが創造の地であり、毎日が創造の時であり、人々は創造の人である」と。
 大切なのは、何があっても、今ここから、自分自身から、未来を創造しゆく決意に燃えて、行動を開始することでありましょう。
 一、私も本日より、栄えある貴大学の一員として、さらなる貴国と日本の友好深化のために、世界の平和のために、未来社会を無限に拓く創造の翼を、青年と共にいよいよ広げてまいります。
 終わりに、偉大なる貴ハルビン師範大学の鵬程万《ほうていばんり》里の飛翔が、貴国さらには人類の、さらなる繁栄の前途を洋々と開かれゆくことを心からお祈り申し上げ、私の謝辞とさせていただきます。
 謝謝《シェシェ》!(中国語で「ありがとうございました!)

名誉会長が漢詩を贈る

松花江畔昇朝日
白鳥衝天向遠方
不畏風霜越山海
羽音聯奏凱歌揚

 〈大意〉
 松花江《しょうかこう》の畔《ほとり》に朝日が昇り
 白鳥が天を衝き
  遥か遠くへと向かっています。
 嵐をものともせずに
  数々の苦難を乗り越え
 白鳥の羽音の奏でる
  凱歌が谺《こだま》しています。

 ※文中に、ハルビン師範大学の校章のモチーフである「白鳥」が織り込まれ、同大学のさらなる飛翔を念願する思いが託されている。
2014-07-19 : スピーチ・メッセージ等 :
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随筆 民衆凱歌の大行進 No.8 誓いの青年に贈る

随筆 民衆凱歌の大行進 No.8 (2014.7.11付)

誓いの青年《きみ》に贈る

共に広布の大願に生き抜こう!
創価の師弟に「希望」と「勝利」あり


 初めに、台風8号及び大雨のために被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。
 台風の影響は広範囲にわたっており、関係地域の皆様の無事安全を真剣に祈っております。
        ◇
 青年《きみ》と我
  大願 誓いし
     不二の旅

 日蓮大聖人は、青年門下の南条時光に呼び掛けられた。
 「願くは我が弟子等・大願ををこせ」(御書1561㌻)
 「誓願」──それは、仏法の極意である。
 誓いがあるから、祈りは深まり、生命に限りない勇気が湧き立つ。
 誓いがあるから、苦難を越えて成長し、人をも幸福にしていける。
 初代から2代、2代から3代へ。そして3代から青年ヘ──広布の大願は受け継がれてきた。

若き命光る7月

 今、わが青年部が後継の誓いを漲らせて躍り出で、5月以来、各地で意気軒昂に「創価青年大会」を開催している。
 両国国技館で行われる総東京の大会も目前だ。
 男子部、女子部が結成された7月、若き生命がいやまして光る。男女学生部と共に、拡大の先頭に立って、誠実に友情を広げる奮闘の姿は、何と神々しいことか。
 既に青年大会を飾った沖縄では、尊き“多宝の母”が地元在住の11人のお孫さんと、仲良く参加されたとも伺った。
 30年ほど前、私が「沖縄広布を頼みます」と申し上げた母である。病苦など、幾多の艱難を乗り越え、立派な後継の花を咲かせてこられた。
 長野の同志は、「いつも歌声の長野」を合言葉に、「創価青年音楽祭」と銘打ち、全国に先駆けて青年大会を開いた。
 わが憧れの木曽の天地でも、男女青年部・未来部の成長と活躍が誠に目覚ましい。その原動力は
「木曽家族」と呼ばれる壮年部・婦人部の面倒見の良さにある。
 この木曽圏(ゾーン)の活動の舞台は、有名な良材の里でもある、南北100キロに及ぶ山間地だ。旧習も深く、かつては学会への偏見も根強かった。
 弘教に歩けば塩を撒かれた。労苦の日々にあって、木曽広布の父母《ちちはは》たちは「理想の郷土をつくるのだ!」と誓い、負けじ魂で忍耐強く地域貢献に奔走されてきたのだ。
 何と尊き創価家族よ!
 私は、このたびの台風、大雨、土石流等の被害に、重ねてお見舞い申し上げ、題目を送りたい。
 関西の各地でも「常勝後継」の若人たちが威風堂々と大結集している。
 東北の同志と励まし合いながら前進してきた兵庫の青年大会では、宮城の未来部の友との希望あふれる合同合唱も大きな感動を広げた。
 思えば、「大阪の戦い」の指揮を執った時、私も28歳の青年だった。
 当時の日記に綴った。
 「妙法の青年革命児よ、白馬に乗って、真っしぐらに、進みゆけ。山を越え、川を越え、谷をこえて。“走れメロス”の如くに。厳然と、師は見守っているぞ」
 今、師弟の誓いに走りゆく“創価のメロスたち”が澎湃と続いてくれている。

共戦の心を歌う
 作家・吉川英治が描く大楠公・楠木正成《まさしげ》は、わが子・正行《まさつら》に語った。
 「人の一生にはたくさんなことができる。誓えばどんな希望《のぞみ》でもかけられる」と。
 いわんや、広宣流布を誓う青春は、無窮にして永遠なる希望を広げていくことができる。
 本年4月の本部幹部会に寄せて、私は、青年部、また全同志に、新たな学会歌「誓いの青年《きみ》よ」を贈った。
 新しい勢いのある歌が響きゆく姿は、師・戸田城聖先生が語られた通り、「学会発展の勝ち戦の瑞相」である。
 「青年」と書いて「きみ」と読むようにしたのは、「きみ」と「私」が一対一で結びついた共戦の誓いこそ、師弟の根幹であるからだ。
 そして、わが親愛なる同志の「きみ」が、一人も残らず、生涯「青年」の心で戦い続けてほしいと願ったからである。

出発《たびだち》の時は「今」
 あらためて、この歌にも込めた3つの指針を確認し合いたい。
 第1に、出発《たびだち》は今だ、と勇敢に立ち上がれ!
 「開目抄」に引かれた甚深の経文には「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」(御書231㌻)とある。
 現在すなわち「今」がどれほど大切か! この一点を、私たちは生命に深く刻んできた。
 それは、仏法は本因妙だからである。クヨクヨと後ろを振り返らない。常に「今」「ここ」を起点として、誓願を起こす。その一念に勇気は満ち、未来の一切の勝利を開く因をつくれるのだ。
 非暴力の大英雄マハトマ・ガンジーは「誓願」について「その成就を目指して、不断の誠実な努力をする」ことなりと結論していた。
 我らは末法広宣流布を誓い合った地涌の菩薩である。この時代、この場所を、自ら選んで生まれた使命の勇者だ。
 その大使命を自覚し、大願に生き抜く青春に、力が出ないわけがない。時代を変えゆく智慧が、湧かないわけがない。

試練は誉れなり
 第2に、嵐を誉れとして正義を語れ!
 前進あるところ、風が起こる。挑戦あるところ、波が立つ。試練を誉れとしながら、民衆を苦しめる邪悪とは決然と戦う!
 これが革命児であり、「創価の心」である。
 戸田先生が、人材グループ「水滸会」の教材として、ユゴーの革命小説『九十三年』を使われたのは、60年前(1954年)の7月であった。
 「人間愛の勝利」を願った同書には、高らかに謳われている。「人間が作られているのは、くさりを引きずるためではなくて、つばさをひろげるためなのです」と。
 民衆を、宿命や苦悩の鎖から解き放ち、自らの翼で使命の大空に羽ばたかせていく。それを可能ならしめるのは、一人一人への励ましの力だ。
 ゆえに、我らは民衆の中に飛び込み、人類を照らす希望と正義の哲理を語っていくのである。
 民衆の凱歌を轟かせゆ大ロマンを胸に!

不二の後継たれ
 第3に、不二の後継の勝利で未来を開け!
 広宣流布とは万年への平和の挑戦であり、魂のバトンを託す後継者がなくてはならない。「誓いの青年《きみ》よ」の歌詞にも詠った如く、「信ずる後継《きみ》」ありてこそ、師弟は永遠に勝っていけるのだ。
 大聖人は“仏法は勝負なり!”と、歯を食いしばって苦難と戦う弟子を「法華経の命を継ぐ人」(御書1169㌻)と讃えられ、その人生の打開を祈り、激励された。
 師匠があらゆる苦難を勝ち越えた如く、不二の弟子ならば、必ず未来を切り開いてみせる!──この希望に燃えて、広布へ勝利へと走る君たち、貴女《あなた》たちも皆、「法華経の命を継ぐ人」であり、共戦の後継者である。
 わが青年諸君は、人生の闘争の中で、“自分は勝った!”という日記を綴りながら、その喜びを地域の友と分かち合い、さらに後継の友に受け渡していただきたい。
 アルゼンチンの人権の闘士エスキベル博士は、創価の青年に絶大な期待を寄せてくださった。
 「皆さんを信じます。偉大な平和闘争を継承し、あらゆる困難を乗り越え、希望の未来を築いてください!」
 我らは、世界の友と手を取り合い、未来を創る勇気の連帯《スクラム》を一段と広げながら、「平和の地球《ほし》」を朗らかに築きゆくのだ。
        ◇
 今回、学会歌「誓いの青年《きみ》よ」を作曲してくれたのは、今年、結成60周年を迎えた創価の楽雄・音楽隊の有志である。明るく清新な音律は、師弟共戦の息吹から生まれたのだ。
 この音楽隊と鼓笛隊の練習施設となる、「創価青年音楽センター」が、併設の新・東大和文化会館と共に、いよいよオープンする。真心で支えてくださる皆様方に感謝は尽きない。
 真剣な練習で磨かれた生命が奏でる調べが、大歓喜のマーチとして世界に轟きわたることを、私は信じ見守っている。
        ◇
 快活な乙女「赤毛のアン」を生んだ、作家のモンゴメリは呼び掛ける。
 「人間は成長しなくちゃ」「人間は世の中の波にもまれて成長していくんだもの」
 私は深く強く信ずる。
 艱難に負けず、創価の旗を掲げて成長しゆく、君たち、貴女《あなた》たちがいれば、この地球は、もっともっと、美しくなると。
 誓いの青年《きみ》よ!
 最愛の弟子たちよ!
 断じて、勝利また勝利の歴史を飾りゆけ!

 誓願に
  走る後継《きみ》らの
   晴れ姿
  諸仏も讃えむ
   諸天も護らむ


 吉川英治の言葉は『私本太平記』(講談社)。ガンジーは『獄中からの手紙』森本達雄訳(岩波書店)。ユゴー著『九十三年』は榊原晃三訳(潮出版社)から。モンゴメリは『アンの村の日々』上坪正徳訳(篠崎書林)。
2014-07-11 : 随筆 民衆凱歌の大行進 :
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希望の虹 第4回 発明王 エジソン

第4回 発明王 エジソン   (2014.7.1付 少年少女きぼう新聞)

最後まであきらめない人が勝つ

 もうひとがんばりで、楽しい夏休みがやってくるね。
 長い休みなので、ふだん、できないことに、じっくり取り組むチャンスです。みな、暑さに負けず、元気に挑戦していこう!
 そして、何でもいい、自分らしく、のびのびと、新しい「発見」「発明」の夏にしようよ!
       * * *
 創価大学のとなりにある東京富士美術館(東京都八王子市)では、夏休みの特別企画として、「発明王エジソン展」が開かれます。
 エジソンは、19世紀から20世紀にかけて、次から次へ、たくさんの発明をして、この世界を明るく、便利に変えた人です。
 「電灯」や「電話」、録音して再生ができる「ちくおんき」、「映画のきかい」などなど……今回のエジソン展でも、その一部が展示されます。
 今、私たちのまわりにある「せんぷうき」や「けいたい電話」「音楽プレーヤー」なども、もとをたどればエジソンの発明から始まっています。エジソンのおかげで、人類は、どれだけ豊かに楽しくすごせるようになったことでしょう。
 エジソンは、なぜ、すばらしい発明を、こんなにたくさん生み出すことができたのでしょうか?
 今回は、このことを、いっしょに考えてみよう。
 私の師匠である戸田城聖先生は、1900年の2月11日が誕生日です。エジソンは、その半世紀前の1847年、同じ2月11日に、アメリカで生まれました。
 エジソン少年は、川が流れる美しい村にある、赤レンガの小さな家で育ちました。気になったことは何でも、まわりの大人に、どんどん質問する子だったようです。
 「なぜ、1たす1は2なの?」 「風はなぜ、ふいてくるの?」 「にわとりの卵は、なぜヒヨコになるの?」
 次々に質問するので、学校の先生でも答えられないことがありました。
 「なぜだろう?」と考え、「知りたい」と思って質問してみると、「そうだったのか!」とわかる。
 この喜びで、エジソンの心は、いつもいっぱいでした。だから、また質問をしたのです。
 知らないことを知るたびに、新しい世界が発見できます。すると、また知らないことが、たくさん出てきます。それを知るたびに、また喜びもふえていく。楽しく、どんどん、かしこくなっていけるのです。
 「なぜ?」──これは、みなさんの心の宇宙を限りなく広げる、ふしぎな力を持つ言葉です。
       * * *
 エジソン少年は、小学校のせいせきは、あまりよくありませんでした。
 授業中も、別のことを考え始めて、先生に、きびしくしかられたこともあります。でも、エジソンは、それでやる気をなくしたりはしません。学びたいことは、いっぱいあったからです。
 そんなエジソンに、お母さんは理科や社会、算数など、たくさんのことを教えてくれました。字をきれいに書くことも教えてくれ、いっしょに声を出しながら本を読んだりもしました。
 エジソンは、本が大好きになりました。本には、自分の知らないことが、つきることなく書いてあったからです。町の図書館に通っては、本を読みまくりました。
 そして、お母さんに教わったり、本に書いてあったりしたことを自分の目で確かめたくて、理科の実験に夢中になりました。若き「発明王エジソン」の誕生です。
 夢中になれるものがあるということは、すばらしいことです。みなさんも、“夢中になってやれるもの”を見つけてみてください。
 自分でやってみて、うまくいけばうれしい。たとえ失敗しても、必ず心の中に宝物が残ります。
 そうした喜びでワクワクした経験が、みなさんの無限の可能性を開いてくれるのです。
       * * *
 エジソンは、苦しい思いも、たくさんしました。
 その一つは、12歳ごろから耳が聞こえにくくなったことです。そのうち、小鳥の鳴き声を聞くこともできなくなりました。
 それでも、エジソンは、発明に取り組むことをあきらめませんでした。
 ――耳の聞こえないことは、決して不幸なこととは思えない。耳が聞こえないから、読書や仕事に集中できる。
 エジソンは、ほがらかに前向きに考えていったのです。
 こうしてきたえた“あきらめない心”で、エジソンは大発明家として、かつやくしていきました。
 エジソンは語っています。
 「成功するための最善の(一番の)方法は、もう一度やってみることだ」
 「他の発明家の弱点は、ほんの一つか二つの実験でやめてしまうことだ。わたしは自分が求めるものを手に入れるまで決してあきらめない!」
 今では世界中で使われている電灯を発明した時も、白熱電球の中で光を出す部分(フィラメント)に、何がいいのかを知るために、植物を使った材料だけでも6000種類をこえるものを、ためしてみました。
 その結果、電灯が、世界で初めてつくられたのです。
 一生けんめいに発展させてきた、だいじな工場が、火事で焼けてしまうこともありました。それでも、「これからは、今まで以上の成長を続けてみせる。へこたれるものか」と、さっそく、新しい工場を建てるための図面をかき始めたのです。
 なぜ、エジソンが、すばらしい発明を生み出すことができたのか?
 そうです! それは、どんなことがあっても、「決してあきらめなかったから」です。何回、失敗しても、成功するまで、ねばり強く挑戦し続けたからなのです。
 「ねばり強い人」が、りっぱな人です。
 「あきらめない人」が、勝利の人です。
       * * *
 エジソンの発明した電灯は、暗い夜を明るく照らしました。
 日蓮大聖人は、「百千万年の間、闇にとざされていた所でも、灯りを入れれば明るくなる」(御書1403㌻、意味)と仰せです。
 仏法の光は、不幸になやんでいる生命を、希望と勇気の灯りで明るく照らしていくことができます。
 みんなのおじいさんやおばあさん、お父さんやお母さんは、この光を一人一人の友におくってきました。
 創価学会の初代会長・牧口常三郎先生は「座談会」を、“信心を実験してみて、その正しさを証明した結果を語りあう集まり”(実験証明座談会)と呼んでいました。
 学会の活動には、多くの人を楽しく元気にする、すばらしい力があります。世の中にたくさんの笑顔をつくり出している学会の同志の方々は、りっぱな「幸せの発明王」なのだと、私は思います。
 21世紀の人類を照らしゆく、みなさんの心の中には、負けずにがんばる力があります。何かを夢中でやりとげようとする時に、眠っていたその力が目をさまし、いくらでも元気がわいてくるのです。
 さあ、この夏、まずは何か一つ、全力で取り組むものを決めて、がんばってみよう!
 「これをやろう」と決めて、挑戦を始めた時、きっと、みんなの心が宝石のように、強く明るく、かがやき始めるよ!

エジソンの少年期のエピソード、言葉はヘンリー幸田著『天才エジソンの秘密 母が教えた7つのルール』(講談社)、浜田和幸著『快人エジソン 奇才は21世紀に甦る』(日本経済新聞社)から。そのほか、参考文献は久保喬著『児童伝記シリーズ3 エジソン』(偕成社)、三石巖著『少年少女新伝記文庫9 エジソン』(金子書房)、浜田和幸著『エジソンの言葉 ヒラメキのつくりかた』(大和書房)、ニール・ボールドウィン著『エジソン──20世紀を発明した男』椿正晴訳(三田出版会)。
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