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随筆 我らの勝利の大道 No.74

随筆 我らの勝利の大道 No.74   
              (2012.5.30付)
使命の大地 平和の島

不滅の「広布の炎」を赤々と

わが地域から日本一の金字塔を


 勇躍し
  今日も飾れや
      青春塔

 この5月22日、天空に聳え立つ「東京スカイツリーがオープンした。
 高さ634メートルの世界第一の電波塔は、信濃町のわが学会本部からも、よく見える。28日には、大きな美しい虹が懸かった。
 また、スカイツリーの展望台からも聖教新聞社や創価世界女性会館、建設の進む創価文化センター等が見えると、タワーを擁する墨田区の友が教えてくれた。
 スカイツリーのオープンの日の聖教新聞には、地元の個人会場で、私が男子部の第1部隊長の当時から、お世話になってきた功労のご一家が紹介されていた。本当に懐かしい。
 記事にも出ていたが、常に温かく青年を迎えてくださっていた、下町の人情あふれるご両親に、当時、私は感謝を込めて申し上げた。
 「創価学会は日本一になります。その第一歩を、このお宅から、青年が開始していきます」
 墨田は、関東大震災や東京大空襲で、幾多の庶民が犠牲になった悲劇の歴史が刻まれている。
 だからこそ、我ら創価の青年が、生命尊厳の仏法の旗を掲げて、この気取りのない愛すべき民衆の大地に、世界が仰ぎ見つめる、平和と安穏と栄光の金字塔を打ち立てるのだ!
 これが、すべてに「第一」をめざす我ら第1部隊の心意気であった。
 澄み渡る5月の青空のもと、恩師・戸田城聖先生が第2代会長に就任されたのも、直弟子の私が第3代会長に就任したのも、墨田の地であった。我ら地涌の大前進の起点である。
 スカイツリーの開業を祝賀する墨田区の「観光まちびらき」のイベントでは、11度の日本一に輝く、わが創価ルネサンスバンカードの友が威風も堂々とパレードを行ってくれた。
 汗だくになりながら渾身の名演奏を轟かせる若き楽雄たちには、沿道の区民の方々からも「素晴らしい」「日本一!」等々、賞讃の大喝采が寄せられたと伺っている。
 宿縁深き墨田家族が胸を張って、わが生命の宝塔を光り輝かせゆく晴れ姿が、私には何よりも嬉しい。
        ◇
 墨田区両国の日大講堂は、私が「日中国交正常化提言」をはじめ、立正安国の祈りを込めて、幾度も社会への発信を行った殿堂である。
 45年前の昭和42年には、沖縄の本土復帰を強く求めて提言した。
 美しき海と豊かな文化の宝島・沖縄。残酷な戦争に蹂躙され、戦後は米国の施政権下、政治の矛盾に翻弄され続けてきた沖縄──。
 その苦悩の歴史に思いを馳せ、私は沖縄返還を叫ばずにいられなかったのだ。
 民衆の苦渋と忍耐と苦闘の末に、遂に沖縄の本土復帰が実現したのは、5年後、昭和47年の5月15日であった。
 「沖縄よ/傷はひどく深いときいているのだが/元気になって帰って来ることだ」とは、返還の日を見ずに亡くなった沖縄出身の詩人・山之口貘氏の痛切なる願いであった。
 悲願の返還より、今年で40星霜──。
 わが胸に、沖縄の友と歩んできた平和の建設の日々が熱く蘇る。
 「ようこそ 沖縄のみなさん」──設営の同志の真心こもる巨大な横幕が千代田区の日本武道館に掲げられたのは、復帰から2週間後の5月30日であった。
 この日、沖縄の代表が遠路、参加して、本土復帰の記念の意義も込めて、本部幹部会が開催されたのだ。
 席上、私は沖縄から勇み集った25人の同志や沖縄出身者の労苦を偲びつつ、皆の代表として、初代支部婦人部長と、病で亡くなった夫君の、あまりにも健気で尊い心を讃えた。
 「沖縄の人びとを幸福にしたい、沖縄を永遠の平和の島にしたい」──これが沖縄中を駆ける妻と見守り励ます夫が、生死を超えて共有した熱願であった。
 私は、夫妻の崇高な軌跡を紹介しながら、共に広布の決意に燃えて戦う沖縄の同志にエールを贈った。
 本土復帰の実現は、新たな出発なのだ。いよいよ、世界に輝く「幸福の島」の大建設が始まるのだ!と。
        ◇
一番苦しんだ人が一番幸福に!
本土復帰40周年 沖縄は民衆凱歌の宝土


 素晴らしき
  宝の島を
   つくらむと
  走りし日々は
    黄金《きん》の功徳と

 私が返還前の沖縄への第一歩を印したのは、会長就任直後の昭和35年の7月16日であった。
 乱世に民衆が苦しむなか、日蓮大聖人が「立正安国論」を提出されて700年という意義深き日である。
 「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か」(御書31ページ)
 大聖人は、この世に崩れざる平和と幸福を築くことを、根幹の祈りとされた。
 蓮祖の民衆救済の御精神に照らして、私には一貫して変わらぬ信念がある。
 それは「一番苦しんだところが、一番幸せになる権利がある」ということだ。
 そして「一番苦労した人が、一番晴れがましく勝利することこそ、すべての人びとの希望となり、勇気となる」ということである。
 妙法には、国境も障壁もない。わが沖縄の友が宿命の涙を拭って勝利しゆくことは、人類を救済する広宣流布の先駆なのだ。
 到着の翌17日、私は、那覇市内での支部結成大会に臨み、烈々と訴えた。
 沖縄よ、広布先駆の息吹となりゆけ! 全学会の推進力と立ち上がれ!
 夕立がさっと上がって日が差したように、日焼けした尊き友の笑顔、また笑顔が決意に弾けた。
        ◇
 沖縄に
  勝利輝く
   歴史あり
  巌の如き
   信念 忘れず

 「悲惨に打ちひしがれようとも、その人びとには、希望がある。強い人びとには、信仰がある。善の人びとには、慈悲がある」とは、南米ボリビアの大詩人タマーヨの叫びである。
 このボリビアでも、沖縄出身の多くの先人たちが不屈の開拓に携わってきた。詩人の讃嘆は、沖縄に脈打つ負けじ魂と重なり合う。
 どんな苦難があろうと、どんな障害があろうと、沖縄の友は絶対に屈しない。
 「其の国の仏法は貴辺にまか(任)せたてまつり候ぞ。仏種は縁に従って起る」。(同1467ページ)
 この御聖訓のままに、自分自身が「希望の灯台」との決心で地域を照らし、幸福の仏縁を力強く広げてこられた。
 その誠実にして勇敢、そして粘り強い「三変土田」の信心と実践が、「宝の島」「幸福の島」「平和の島」へと転換させゆく実証となったのだ。
 私が対談したオーストラリア「シドニー平和財団」のリース理事長は、沖縄は「人間が平和を創造できるという“象徴の地”」と強調されていた。
 理事長は、私が撮影した写真を執務室に飾ってくださっている。
 写っているのは沖縄研修道場の「世界平和の碑」──そこには、かつて米軍のミサイル発射台があった。
 「発射台の上には、平和の象徴になるようなブロンズ像を建てよう!」
 私はそう提案し、発射台の廃墟は、あえて残した。それは、戦争の悲惨を忘れず、永遠の平和を築きゆく決意の表明でもあった。
 嬉しいことに、恩納村《おんなそん》の沖縄研修道場に近接する敷地には、今年の秋、沖縄科学技術大学院大学が開学する。世界最高水準の研究・教育機関として、各界から大きな注目を集めている。
 「恩を納める」という心ゆかしい名前を持つ天地より、新たな「創造」と「共生」の英知の光が、いやまして輝きわたることを、私たちは心から祈りたい。

心と心を結べ!
 沖縄の心は、青い海のように広々としている。
 「イチャリバチョーデー(出会えばみな兄弟)」という言葉はあまりにも有名だが、その後に続くフレーズも、また素晴らしい。
 「ヌーフィダティヌアガ(何の隔てがあろうか)」──人と人との間には何の壁もないのだと。
 琉球王国の時代、「万国津梁《しんりょう》」の誇りを掲げ、交易と文化交流の豊かさを誇った沖縄は、当時の中国から「守礼の邦」の尊号を贈られている。
 沖縄には、開かれた友情の心があり、鷹揚な寛容の心があり、さらに恩義を重んじる報恩の心がある。
 「ヂムグリサン(他人の苦しみは我が苦しみ)」
 この言葉も、同苦と慈愛の仏法の教えに、なんと深く共鳴することか。
 海を超え、49もの有人島が、仲睦まじく繋がり合っているのも、「一人を大切に」という思いが奥底に光っているからであると、私は思う。
        ◇
 「宝玉《たからだま》やてぃん/磨かにば錆す/朝夕《あさゆ》肝磨《ちむみが》ち/浮世《うちゆ》渡ら(宝石も磨かなくては錆びてしまう。朝晩心を磨いて、世の中を生きていこう)」
 このほど、県民愛唱歌に制定された「てぃんさぐぬ花」(鳳仙花)の歌詞の一節である。
 いい言葉である。まさに心を鍛え、心を磨き、心を込めて生きるのだ。
 私の沖縄訪問は17回を数える。沖縄での一日は「一年分」──私は、常にこの思いで戦ってきた。
 今を逃せば、いつ、また、来られるか分からない。いつ、会えるか分からない。
 一瞬一瞬が「一期一会」である。だからこそ、徹して友と会い、友と語り、友と動いた。だからこそ、思い出は、交響曲のように胸中に響いている。

♫万里の波濤 乗り越えて
 世界に挑む 雄叫びは
 沖縄健児の 大使命

 那覇市に建った沖縄本部の落成式(昭和37年7月)では、会場に入りきれなかった友のために、私が屋上に出て指揮を執り、「沖縄健児の歌」を一緒に歌った。
 私が小説『人間革命』の執筆を開始(昭和39年12月2日)したのも沖縄の中心地・那覇であった。
 本土復帰の日が近づく、昭和47年の1月、私は沖縄で2番目の宝城となるコザ会館(現・中頭文化会館)の開館式に出席した。
 当時、基地の街・コザ市(現・沖縄市)では、米兵による横暴な事件に市民の怒りが沸騰し、非常に緊迫した状況が続いていた。
 そこに私は訪れた。人心が揺れている時なればこそ敢然と行った。友と記念のカメラに納まった写真は、宝の一葉となっている。
 翌日には、古くから「てだご(太陽の子)」の街として名高い浦添市の同志たちとも、記念撮影を行った。
 会場の正面に、約2000個の真心のフラワーペーパーで「沖縄は底抜けに明るく前進します」との文字が鮮やかに浮かんでいた。この言葉の通り、沖縄の友は、民衆の連戦連勝の叙事詩を、底抜けの明るさで勝ち綴ってくれている。
 昭和49年には、念願の八重山・宮古を訪問し、共に語り、共に歌い、共に舞いながら、皆様方と生涯忘れ得ぬ交流を結んだ。
 西暦2000年には、「戦争の世紀」といわれた20世紀にピリオドを打ち、沖縄から「平和の世紀」へと転換しゆく希望の祭典が行われた。宜野湾市の沖縄コンベンションセンターでの「世界青年平和大文化総会」である。
 あの時、出演したメンバーの多くが、青年部の中核として、壮年・婦人部の若きリーダーとして活躍してくれている。青春の誓いに生き抜く闘争ほど、尊く偉大な勝利の人生はない。
 昨年末には「響け! 太陽の島から平和の歌声!」をテーマに、沖縄の“青年平和大会”が楽しく賑やかに開催された。

青年よ舞い踊れ!
 沖縄県では、「本土復帰40周年」の記念事業が、多彩に推進されている。
 その一つ「子や孫につなぐ平和のウムイ(思い)事業」の実施(本年4月~2014年3月)は、戦争を体験した父母、祖父母をもつ子や孫などが戦争体験の記録を収集し、平和を愛する「沖縄の心」を世界に発信しようという企画だと伺った。
 戦争の記憶の継承、そして平和への誓いの継承──精神の後継は、まさに未来を照らす光である。
 わが創価学会にあって、その先頭に立つたのは沖縄の若人であった。青年部の反戦出版「戦争を知らない世代へ」の第1巻を飾ったのは、沖縄篇『打ち砕かれしうるま島』である。
 日本各地で大きな反響を広げた「沖縄戦の絵」の展示でも、毎年、沖縄で行う「平和意識調査」でも、青年の知性と奮闘が光る。
 平和のために行動を続ける沖縄の友と私の「師子王の心」は、スー(お父さん)やアンマー(お母さん)から、ワラビ(子ども)へ受け継がれている。
 沖縄は、人口比の青年の割合が日本一高い。青年の天地といってよい。
 青年が動けば、青年が叫べば、青年が輝けば、地域、そして社会が変わる。このモデルケースになる使命を、沖縄は担っている。
 また、奄美や九州の同志と一体のスクラムで、意気軒昂な大行進も麗しい。
 今から30年前の6月、私は祈りを込めて認めた。「沖縄広布の炎」──。
 うるま島に躍動する若き君たちよ! 心清き女性たちよ! 憧れの幸福島の地涌の同志たちよ!
 この「沖縄広布の炎」を赤々と燃え上がらせ、今再び、平和の旗を高く掲げ、偉大な民衆凱歌の先駆を切ってくれ給え! 広布模範の前進を断じて頼む!。
 そして、晴れ晴れと勝鬨を上げ、共に歓喜と和楽のカチャーシーの舞を、楽しく踊ろうではないか!

 虹かかる
  大海原の
   心もち
  広宣流布の
   沖縄 築けや

 山之口貘の言葉は『山之口貘詩集』(彌生書房)。
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2012-05-31 : 随筆 我らの勝利の大道 :
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アメリカ創価大学 第8回卒業式へのメッセージ

アメリカ創価大学 第8回卒業式へのメッセージ
                 (2012.5.25 アメリカ創価大学)

 アメリカ創価大学(SUA)の第8回卒業式が25日午後2時(現地時間)、カリフォルニア州オレンジ郡アリソビエホ市に立つ同大学の「創価芸術センター」で行われた。
 これには創立者の池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長がメッセージを贈り、共生の世界へヒューマニズムを広げ、人類の心を結びゆく俊英たちを祝福した。
 式典では、文化人類学者のヌール・ヤーマン博士(ハーバード大学名誉教授)が記念講演。来賓の創価学園の長谷川重夫理事長、またSUAのハブキ学長、理事や教職員、卒業生の家族、支援者、同窓生ら約1100人が出席した。


創立者のメッセージ


希望の種を蒔け! 勝利の木を植えよ!

生涯の友情を! 母校こそわが魂の港
栄光の未来へ 未到の航路を進め
豊かな多様性こそSUAの誇り


 一、わが生命の無上の宝である、アメリカ創価大学の8期生の皆さん!
 そして、大学院生の皆さん!
 栄光と勝利と希望の卒業式、誠におめでとうございます(大拍手)。
 4年前、私は8期生の皆さんの入学に際して、東洋では古来、「八」には「開く」という意義があることを紹介しました。
 皆さんは、「世界市民のリーダー」の揺藍たる、このキャンパスで、本当によく学び抜いて、多様性豊かなリベラルアーツ(一般教養)教育の伝統を、さらに広々と、さらに晴れ晴れと、未来へ開いてくれました。
 SUAの輝く「第2の10年」の開幕を見事に告げてくれた、わが8期生の皆さんに、私は創立者として最大の感謝を申し上げます。
 送り出してくださった、ご家族の方々、支えてくださった、ご友人の方々にも、心よりお喜びを申し上げます。
 また、学生たちを、わが子の如く慈しみ、育ててくださった教員・職員の方々に、厚く御礼を申し上げます。
 さらに、大切な後輩たちの祝福に遠路をいとわず駆けつけてくれた卒業生の皆さん、そして新時代の建設を担う在学生の皆さん、本当にありがとう!(大拍手)

トインビー博士の3つの宝とは
 一、はつらつたる8期生の新出発にあたり、私はまず──「誇り高く栄光の航路を切り開け!」と申し上げたい。
 きょう、皆さんは、大好きな母校を巣立ちます。しかし、いずこに羽ばたこうとも、皆さんはアメリカ創価大学と一体です。いついかなる時も、母校は、皆さんに最大のエールを強く熱く送り続けております。
 早いもので、英国の大歴史学者のトインビー博士と私が、人類の未来を展望して対談を開始してより、この5月で40年となります。
 博士とベロニカ夫人も、それぞれに青春時代に学んだ母校を一生涯、大切にされていた麗しい姿が、私には、懐かしく思い起こされます。
 博士との連日の対談の合間を縫って、私と妻がケンブリッジ大学に伺うと、その翌日、ベロニカ夫人は満面の笑みで迎えてくださり、「私の母校を訪問してくださったことを、心より感謝申し上げます」と言われたのであります。
 トインビー博士は、パブリックスクールの母校ウィンチェスター校から「私は生涯の宝を三つもらって出た」と語っておられました(山口光朔・増田英夫共訳『回想録I』社会思想社)。
 一つは、教育を授けてくれた創立の原点。一つは、尊敬と賞讃に値する恩師の存在。
 そして一つは、生涯の友との親密で永続的な友情であります。
 ここに、トインビー博士の不撓不屈の「探究」と「創造」の大きな支えがありました。
 偉大な使命の人生航路には、それだけ激しく厳しく、試練の嵐が襲いかかってくることは、必定であります。
 しかし、皆さん方には、誉れの母校という母なる魂の港があります。建学の精神という確固たる羅針盤があります。そして、良き恩師と良き学友という揺るぎない心の絆があります。
 どうか、いかに荒れ狂う怒濤も断固として乗り越え、栄光の未来に向かって、前人未到の航路を切り開いていっていただきたいのであります。

ヤーマン博士
心を開け! 人間主義への共感を広げよ
トルコの詩人
世界中の人々は私と同じ民族なのだ

地球民族の道
 一、次に申し上げたいことは、「勇気凛々と人類の心を結びゆけ!」ということであります。
 本日は、ご多忙のなか、偉大な文化人類学者であり、私たちのかけがえのない友人であるヌール・ヤーマン博士が卒業生を見守ってくださり、これほどの喜びはありません。
 ヤーマン博士と私は、対談集『今日の世界 明日の文明』(河出書房新社)の冒頭を、博士の故郷トルコの700年前の民衆詩人エムレの詩から開始しました。
 「世界は 私の生命《いのち》の支えである
 世界中の人びとは
 私と同じ民族なのだ」と。
 この詩さながらに、世界に広々と友情を結び、多様な地球民族の調和の道を示し続けてこられたのが、ヤーマン博士であられます。
 博士は語っておられました。
 「これからの時代は、世界の人びとが思想、文化、習慣等の差異をこえて、心を大きく開き、人類の共通の英知であるヒューマニズムの共感のネットワークを大きく広げていくべきだと思います。まさに、それは、現代のルネサンス運動、すなわち、歴史上、世界の思想、文化がその根底において育んできた多様なヒューマニズムを、尊重しあい、共有しあうグローバルな共生運動とならなければなりません」
 博士と私は、人間を偏見や排他性から開放し、全人類的な思考に高める力は「教育」にあるとの点で一致いたしました。
 そして、その中でも、博士が“人類の理想を実現できるかどうかの鍵をにぎる大学”と限りない期待を寄せてくださっているのが、わがアメリカ創価大学なのであります。
 この全米屈指の「多様性あるリベラルアーツ大学」に学んだ皆さんこそ、人類の未来を照らす英知の旭日であります(大拍手)。
 「山と山は相会《あいあ》わず、人と人は相会う」とは、博士と私が語り合ったトルコのことわざであります。
 どうか、皆さんは“開かれた心”と“開かれた知性”を、伸びやかに、また誠実に発揮しながら、世界を舞台に黄金の出会いを重ねながら、人類の心を結び合わせていただきたいのであります。

アフリカの環境の母
困難の時もあきらめるな 何らかの行動を起こせ!
哲学者ルソー
勇気なくして幸福なし

粘り強き一念を
 一、そして最後に、「粘り強く希望の種を蒔け! 勝利の木を植えよ!」と申し上げたい。
 学問も、社会も、人生も、ある意味では、苦悩との連続闘争といえるかもしれません。思うにまかせぬ逆境に立たされた時に、どうするか。勝負は、その一念で決まるといっても過言ではないでしょう。
 私と妻の忘れ得ぬ友人で、いつの日か、アメリカ創価大学に訪問することを楽しみにされていた「アフリカの環境の母」ワンガリ・マータイ博士は、ご自身の信条として、「困難の際にも、あきらめず、何かしらの行動を起こすこと。くじけそうになったら、私はまず土を掘り、木を植えます」と語られていました。
 「創価」とは、あきらめない「勇気」の異名です。ゆえに「創価」とは、無限の「希望」であります。だからこそ「創価」とは、絶対の「勝利」なのであります。
 どうか、苦しい時も、つらい時も、宝の友と励まし合いながら、粘り強く、希望の種を一つ一つ蒔き、勝利の木を一本一本、植えていってください。私も、愛する君たちのために、いよいよ元気で、未来への種を蒔き、木を植え続けていく決心であります。
 大切な大切な、わが卒業生が、一人ももれなく輝かしい健康と幸福と勝利の人生を飾りゆかれることを、私は妻と共に祈り抜いてまいります。
 一、終わりに、私が青春時代に愛読し、恩師・戸田先生と共に語り合ったルソーの『エミール』の一節を贈り、祝福のメッセージといたします。
 「勇気なくして幸福はありえず、戦いなくして徳はありえない」(樋口謹一訳、『ルソー全集第7巻』白水社)と。
 わが8期生、万歳!
 わが卒業生、万歳!
 わが永遠の「希望の光」の君たち、万歳!(大拍手)
2012-05-31 : スピーチ・メッセージ等 :
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未来対話  君と歩む勝利の道 第2回

第2回 みんな素晴らしい!      (2012.6.1付 未来ジャーナル)

「性格」は全部生かしていける

日本の作家 吉川英治

あれになろう、
これに成ろうと焦心《あせ》るより、
富士のように、黙って、
自分を動かないものに作りあげろ


 ──「未来対話」に、全国の中等部、高等部の皆さんから、たくさんのお便りが寄せられています。

名誉会長 うれしいね! 本当にありがとう!
 この「未来対話」は、新聞を読んでくれる皆さんとの共同作業です。みんなが、私の一番大事な「対話」のパートナーです。しかも、テーマが「未来」だから、主役は、あくまでも若い皆さんです。さあ、今回も始めよう! 何でも語り合おうよ!

 ──ありがとうございます。
 メンバーからは、「性格」についての悩みが記された便りが多くありました。「暗い性格で、なかなか友だちができない」「自分のことを好きになれません」「どうすれば性格を変えられますか」等々です。

名誉会長 悩むということは、成長している証拠です。前に進むから、壁にもぶつかる。率直な思いをつづってくれてありがとう。
 青春時代は、自分が欠点だらけの人間のように思えることもある。私も、青年時代、ずいぶん自分の性格のことで、悩みもし、反省もしました。多感な皆さんの年代なら、なおさらでしょう。
 でも無理して「違う自分を見せよう」と背伸びをすれば、苦しいだけです。間違ってはいけないのは、性格とは「特徴の違い」であっても、「人間の価値の違い」ではないということです。これだけは覚えておいてください。
 そもそも「良い性格」「悪い性格」なんて、あるのだろうか。
 気が弱いのは、どっちだろう。気の強い人間ばかりだと、あっちもこっちもケンカだらけだ(笑い)。
 口べたは、どうでしょう。みんなが“おしゃべり”ばっかりだと、収拾がつかない(笑い)。にぎやかに話す人、じっくり話を聞いてくれる人、口数は少ないけど値千金の発言をする人……いろんな人がいるから、いいんじゃないかな。それに、誰だって人前で話すのは苦手です。初対面の人には緊張だってします。それを勇気で乗り越える人が偉いんだ。
 手紙をくれた君が、自分で「暗い」と思っている性格も、見方を変えれば、「思慮深い」「落ち着きがある」「冷静で沈着」です。そういう君を信頼してくれ、君もまた信頼できる良き友だちが、必ずできます。
 誠実であれば、短所も、全部、長所にできます。また大きな目的に向かって前進していく中で、どんな性格も自分らしく生かしていけるのです。
        □■□
 ──「周囲の友だちに合わせて、自分の性格が変わってしまう」とか、「クラスの中で、どういう“キャラ(性格・役割)”でいればいいか、分からず、一人、浮いている」という悩みもありました。

名誉会長 ありのままでいいんだよ。仏法では、人間の個性を「桜梅桃李」と花に譬えて、桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李のまま、たとえ、どんな“キャラ”だったとしても、みんな違って、みんな素晴らしいと説いているんだ。
 「周囲の友だちに合わせて」ということは、周りに人一倍の気を配れる「こまやかな心」の持ち主だからでしょう。その思いやりを強く賢く伸ばしていけばいい。
 また、「一人、浮いている」ということは、「わが道をゆく」ことでもある。今は「KY(空気を読めない)」というんだっけ? だけど、空気ばかり読んでいては、誰だって疲れちゃうよ。
 場の雰囲気や状況に合わせて、コミュニケーションを取る力は、うんと人生の経験を重ねながら、楽しく学んでいけばいいんです。
 「人は人。自分は自分」という、きっぱりした誇りを持つことだ。
 現代社会は、携帯電話やインターネットで、昔とは比べものにならないほど、多くの人とつながりを持てるようになった。中高生の皆さんも、日常的に多くの情報や、いろいろな人の考えに触れる機会があるでしょう。
 でも、自分の性格は、周囲に決めてもらうものじゃない。
 答えは、君の、あなたの中にある。悩みながら、もまれながら、君だけが持つ素晴らしさを、自分の心の大地から遠慮なく掘り出してほしい。良いところをどんどん伸ばせば、悪いと思うようなところも必ず生かされていくものだ。
 だから、今回は、みんなに、私が少年時代から大好きな小説『宮本武蔵』の言葉を贈りたい。
 「あれになろう、これに成ろうと焦心《あせ》るより、富士のように、黙って、自分を動かないものに作りあげろ」(『吉川英治全集・19 宮本武蔵(三)』講談社)です。
        □■□
 ──『宮本武蔵』は、吉川英治の名作です。この言葉は、はるかな富士を仰いで、主人公の武蔵が若き後継者に言ったものですね。

名誉会長 そうです。私がこの本と出合ったのは、小学5・6年生の時の担任だった檜山浩平先生のおかげです。先生は、身ぶり手ぶりを交えて、朗読してくださった。あの楽しかった思い出は、今も生き生きとよみがえります。
 吉川氏は、剣の道で、自分自身の完成を目指す武蔵を描きました。困難な道を、悩みながらも、ひたむきに歩み続ける姿が、多くの人々の胸を打ったのです。
 私の人生の師である戸田城聖先生も、『宮本武蔵』がお好きでした。先生は、師匠の牧口常三郎先生と共に、戦前の軍国主義の時代に、正義の信念を貫きました。国家権力の迫害にも屈せず、敢然と戦い抜きました。その結果、不当に牢獄に囚われました。
 実は、戸田先生が、獄中から差し入れを要請した中に、この『宮本武蔵』があったのです。まさに先生は、地獄のような環境であっても、信念を曲げず、富士のような毅然とした心を持ち続けました。
 夏は灼熱、冬は極寒の牢獄で題目を唱え抜きました。そして獄中で亡くなった牧口先生の遺志を継いで、「民衆の幸福」と「世界の平和」のために闘争を開始されたのです。
 戸田先生の偉大さを一言で表現するなら、「大確信の人」と言えるでしょう。どんな苦しい状況でも、いつも堂々としておられました。だから、皆に安心と勇気を贈ることができた。偉大な指導者でした。何があっても揺るがない人間の王者でした。
 どんなに悪口を言われようと、どんなに苦しいことがあろうと、揺るがない富士のように「不動の自分」を築き上げることです。これが、人生を勝利しゆく根本です。その究極の信念が、信心なんです。
        □■□
 ──これまでも、池田先生に、「富士の如く」と激励していただき、多くの友が「自分らしく、堂々と生きよう!」と勇気を奮い起こして挑戦してきました。

名誉会長 みんなの成長が、私の一番の喜びです。
 若い時は、どうしても、「あの人はいいな」「この人がうらやましい」と思ってしまう。比べることは決して悪いことじゃない。理想の人物を見て、「あんな人になりたいな」と思うこともあるだろう。それで「よし、自分も頑張るぞ!」と発奮すれば、素晴らしい。ただ、焦ってはいけない。焦る必要もない。じっくり自分を鍛えて作りあげることです。簡単に作りあげたものは、簡単にダメになってしまう。「建設は死闘」なんです。
 戸田先生は、青年に言われた。
 「自分の性格を卑下(=人と比べて自分はダメだと思うこと)する必要はない。また、無理に直そうとする必要はない。信心を貫いていけば、それはやがて美点に変わっていく。自信をもって、自分らしく生き抜いていきなさい」と。
        □■□
 ──未来部員と接していて、「自分に自信が持てない」というメンバーが、以前に比べて多くなったと感じています。

名誉会長 性格の悩みも、結局そこに行き着くんだね。大丈夫、初めから自信がある人はいない。
 私も小さいころから体が病弱で、人生を生き抜けるのか、自信がありませんでした。その私が今、こうして84歳になっても元気です。いよいよ、これからです。
 自信は、積み上げていくものだ。どんな小さな体験でもいい。
 朝寝坊の人が、これまでより5分でも早起きできるようになったら、すごいことだ。「人間革命」です。自信を持とうよ。
 元気にあいさつできるようになった。勉強を、いつもより1ページ多く頑張れた。部活で、あきらめずに練習できた。何でもいい。
 誰がほめてくれなくても、自分で自分を「よくやった!」「頑張ってよかったね!」とほめていいんだよ。
 ただでさえ、世の中には、他人の悪口を平気で言う人間がいる。正しいことをすれば、ねたまれる。さかさまな世の中だ。だから、自分で自分の味方になって、大いに励ましていくんです。
 もちろん、甘えがあったり、力を出し惜しみしては、自信はできないよ。「悔いなくやり切った」という努力が自信を作るんです。一つずつ、ベストを尽くして、自信を積み上げていくんだ。そうすれば続けられる。どんなことも、やり遂げられる。それは、大きな自信になる。その自分を信じて、信じて、信じ抜いて、また努力し、挑戦していくんです。
 世間は、いつも、ざわざわとして落ち着かない。ちょっと風が吹けば、水面が波立つようにね。その中で、要領のいい、ずる賢い人間が、もてはやされる場合もある。しかし、そんな軽薄な次元は、どうでもいいことだ。
 『宮本武蔵』の結びにも、騒々しい時流の波なんかに惑わされるな、堂々と生きよと書かれていました。
 人が何と言おうが、大海のように深い志を持って、偉大な人生を生き抜いていけばいいんです。
 その人が真の勝利者です。また、そうすれば、必ず偉大な友情が広がります。
        □■□
 ──世界の冷戦終結の立役者であった、ロシアのゴルバチョフ元大統領も、池田先生が撮影された富士山の写真を宝として、自らの大事なお客様を迎える部屋に飾られています。元大統領は、「池田先生の平和・文化へのリーダーシップに、私もついていきたい」と言われていました。

名誉会長 「富士の如く」とは、ゴルバチョフ元大統領をはじめ、多くの世界の友人たちとの一つの合言葉でもあります。
 ともあれ、未来部の皆さんには、信心という人間として最高無上の信念がある。みんなは、私の直系の後継者です。
 その誇りと自信をもって、胸を張って、前進していってください。今日も、富士のように!

 青春を
  富士の如くに
    勝ちまくれ
2012-05-31 : 未来対話 :
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新時代第58回本部幹部会へのメッセージ

新時代第58回本部幹部会/全国婦人部幹部会/池田華陽会 誓春大会/北海道総会へのメッセージ
                           (2012.5.20 北海道池田講堂)

 創価こそ希望の光! 「新時代第58回本部幹部会」が20日午後、「全国婦人部幹部会」「池田華陽会 誓春大会」「北海道総会」の意義を込め、札幌市の北海道池田講堂で晴れ晴れと開催された。これには原田会長、正木理事長、杉本婦人部長らが、離島を含む全道の代表と出席。池田名誉会長は記念のメッセージを贈り、万年の未来へ「師弟の勝利の叙事詩」を共々に綴りゆこうと呼びかけた。さらに現在連載中の小説『新・人間革命』第25巻に引き続き、第26巻の第1章が、北海道を舞台とした「厚田」の章として、6月中旬から開始されることを発表した。

名誉会長のメッセージ


太陽の如く明るく朗らかに!

婦人部 女子部 人材の花 満開!


広宣流布の大願へ何も恐れるな!
勇気の魂を君に託す
まっすぐに悔いなき人生を歩め


 一、大好きな北海道の同志の皆さん方!
 晴れ晴れと大勝利の総会、誠におめでとうございます!。
 何よりも、初代・牧口常三郎先生と、2代・戸田城聖先生が、大切な故郷の広宣流布の大発展を、どれほど喜ばれていることか。
 お二人が微笑みながら、後継の青年たちを見守っておられるお姿が、私の目に浮かんでまいります。
 北海道をはじめ全国の同志の皆さんが尊い情熱を燃やして、聖教新聞の拡大に取り組んでくださっていることも、よくうかがっております。

苦楽を分け合い

 一、きょうは、心からの感謝を込めて、小説『新・人間革命』の連載について、ご報告いたします。
 現在、九州・熊本の同志との忘れ得ぬ歴史を綴る「人材城」の章には、おかげさまで、たくさんの声を寄せていただいております。
 この「人材城」の章をもって、わが東北の友に捧げる「福光」の章から始まった第25巻が完結します。
 そして、引き続き、来月の半ばからは、第26巻の連載を開始する予定です。
 その第1章のタイトルは、「厚田」──(大拍手)。
 愛する北海天地が舞台であります。
 昭和52年(1977年)の秋10月、「生死不二の永遠の都」たる厚田の戸田記念墓地公園の開園を中心に描いていきます。
 けなげな北海道の友と苦楽を分かち合いながら、戦い、そして、すべてに勝ってきた「今生人界の思出」(御書467ページ)は、幾重にも尽きることはありません。
 あの小樽問答や、札幌の夏季折伏、夕張炭労事件など、これまで私の北海道への訪問は51回を数えますが、今回の「厚田」の章の執筆は、まさしく52回目の北海道訪問であるとの思いで、全道の皆さん方と心で対話をしながら、進めていく決心です。
 私は、ますます元気で、万年の未来へ向かって、「師弟の勝利の叙事詩」を、書いて書いて、書き残していきますから、全国、全世界の同志の皆さん、どうか、楽しみにしていてください(拍手)。
 一、本日は、伸びゆく“人材の花”満開の「全国婦人部幹部会」、そして、華陽の女子部の「誓春大会」、心からお祝い申し上げます。
 婦人部と女子部、母と娘、姉と妹が、仲むつまじく手を携えて、幸と平和のスクラムを広げていることを、御本仏・日蓮大聖人は「善哉 善哉」と諸手をあげて御賞讃くださっているに違いありません。
 大聖人は、聡明な乙女・乙御前と、その気高い母である日妙聖人に、繰り返し、お手紙を送られ、激励されました。
 大聖人が流罪された佐渡まで、鎌倉から母娘でお訪ねしたという、尊い求道の旅は、あまりにも有名です。
 蒙古襲来という戦乱におののく、濁り乱れた悪世の中で、必死に生き抜いている母娘に、大聖人は、「法華経の行者は日輪(太陽)と師子との如し」(同1219ページ)と仰せであります。
 この御聖訓を拝し、私は、敬愛する婦人部・女子部の皆さんに「太陽の如く、明るく朗らかに勝ち開け!」「師子の如く、強く正しく勝ち進め!」と申し上げたいのであります。

弾ける題目を!
 一、戸田先生は、故郷の北海道の婦人部に対して、「弾けるような題目をあげ、どんな障魔も、信心で吹き飛ばしていきなさい」と励まされました。
 この母たちの強盛なる祈りを力として、創価家族は未来永遠に、いかなる苦難も乗り越え、勝ち越えていくのであります。
 北海道の初代女子部長が友に語りかけていた言葉が、今も私の心に響いて離れません。
 「私たち女子部が信心を根本に、一人一人、強くなり、幸福になっていくことこそ、師匠への報恩であり、広宣流布なのです」と。
 幸福になるために、そして皆を幸福にするために、妙法を朗々と唱え、正義を堂々と語りながら、仲良く楽しく戦いましょう!
 愛する家族も郷土も、社会も世界も、我ら創価の希望の光で、いよいよ明々と照らしていこうではありませんか!
 一、35年前、厚田の墓園の開園に際して、私は、大河小説『永遠の都』の一節を申し上げました。
 それは、「常に断崖の淵を歩いてきた人間にとって、最大の緊急事態も、いわば日常茶飯の出来事にすぎません」(ホール・ケイン著、新庄哲夫訳、潮出版社)と。
 これが、創価の三代の師弟の覚悟であります。
 広宣流布の大願のためには、何も恐れず、北風に向かい、怒濤に向かって、まっしぐらに前進する──この勇気を、わが不二の青年に託して、私のメッセージといたします。
 健康第一で、悔いのない、大勝利の人生を歩み抜いていきましょう!(大拍手)
2012-05-26 : スピーチ・メッセージ等 :
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若き君へ 新時代の主役に語る 第4回 新社会人に贈る

若き君へ 新時代の主役に語る

第4回 新社会人に贈る
             (2012.5.22/23/24付 聖教新聞)

新しい人材の活躍こそ社会の希望

仕事と信心は別々ではない。仕事を最大に充実させる原動力が、信心なのです。

名誉会長 はじめに、先日(5月6日)の竜巻で被災された茨城、栃木の皆様方に、あらためて心からお見舞いを申し上げます。
 本当に甚大な被害でした。私も強盛に題目を送っています。
 わが尊き友が懸命に復旧に当たられている様子を、胸を熱くして、うかがいました。青年部をはじめ多くの同志が応援に駆けつけてくださっていることも、感謝に堪えません。

 ──池田先生と同じ心で、私たちも、全同志の健康、絶対の無事故を真剣に祈ってまいります。
 慌ただしく新年度がスタートして、はや2カ月、新社会人として生活を始めたメンバーも、数多く奮闘しています。また、新しい職場や新たな立場になった人もいます。
 今回は、ぜひ、フレッシュマンたちに励ましのエールをいただければと思います。

名誉会長 自分が希望する仕事に就いた人も、そうでない人もいるでしょう。でも、私は全ての新出発の友に、心から「おめでとう!」と申し上げたい。
 私のところにも、多くの報告や決意が寄せられています。それぞれが、本当に凛々しく清々しい。
 この真剣な新人たちの息吹こそ、職場を生き生きと発展させゆく力です。「新しい時代」の「新しい人材」が活躍しゆくことこそ、社会の宝であり、希望です。
 みんな、体調は大丈夫か。朝ごはんは、ちゃんと食べているか。睡眠はとれているか……。
 新社会人の皆さんが、健康で、元気はつらつと、悔いのない一日一日を前進していかれることを、私は祈りに祈り抜いています。
 先輩たちから大いに学びながら、たくましく明るく、新鮮な力を発揮していってください。
 もちろん、最初からうまくいく人なんていません。失敗もある。叱られることもあるでしょう。「この仕事は向いてない」と悩む時もあるかもしれない。
 でも、皆さんには、張り切って第一歩を踏み出した「初心」がある。大事なのは「今」の決心です。「これから」の行動です。
 この仏法の「本因妙」の精神を、アメリカのジャズ音楽家のウェイン・ショーターさんは、実践的に、「初心を忘れないこと」と捉えていました。「初心」を堅持していく生命は、みずみずしく創造力を湧き立たせていけます。
 皆さんには、「絶対勝利」の信仰があります。
 「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」(御書231ページ)と記されている通り、決意して行動を開始した人は、現状がどうあれ、すでに勝つ因をつくった人です。私は未来の勝利者の皆さんに、最大の祝福を贈りたいのです。
        †
 ──仕事で全く知らない土地へ移ったり、寮に入ったり、生活環境が大きく変わったりする場合があります。忙しくて学会活動はもとより、勤行・唱題も、ままならなくなることがあります。

名誉会長 新出発をした皆さんに申し上げたいのは、ともかく「焦らないで」ということです。また「粘り強く」ということです。要領が悪くたってかまいません。人と比べる必要もない。一つ一つ眼前の課題にベストを尽くしながら、足元を固めていくことです。
 自らやってみて、その上で、自分一人ではできないことがあれば、人に素直にお願いすることも、よく分からないことを率直に尋ねることも、社会人として大事な条件です。
 「教えてください」と、先輩たちにぶつかっていく青年は、ぐんぐん力をつけていきます。
 誰もが乗り越えてきた道なのだから、心配することはありません。何かあれば、信頼できる先輩に相談してください。
 御書には「助ける者が強ければ倒れない」(1468ページ、通解)と仰せです。学会は、最も心強い「善知識」の世界です。
 忙しくて、なかなか会合に出られなくても、思うように題目があげられなくても、同志と連携を取り合っていくことが、どれほど支えになり、励みになるか。まさに福運あふれる“幸福の安全地帯”です。
 だから絶対に離れてはいけません。少しでも縁していこうという心が大事です。
 新社会人の友を受け入れる地域の方々には、どうか温かく迎えていただくよう、お願いします。
 日蓮大聖人は、「御みやづかいを法華経とをぼしめせ、『一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず』とは此れなり」(同1295ページ)と仰せになられました。
 自分の仕事を法華経の修行であると思っていきなさい。現実社会のあらゆる営みは、全部、妙法と合致するものなのですと、教えてくださっています。
 どんな仕事であれ、どんな立場であれ、題目を唱える自分自身が智慧を出し、力を尽くして、世のため、人のため、誠実に価値を創造していく。それは、全て「心の財」を積む仏道修行になります。
 仕事と信心は、別々ではない。
 むしろ、仕事を最大に充実させていく原動力が、信心であり、学会活動なのです。

 ──大聖人が門下に「御みやづかいを法華経」と教えられたのは、御自身に3度目となる流罪の迫害が加えられるかもしれないという緊迫した状況の中でした。

名誉会長 その通りです。大聖人は、もし3度の流罪となれば「百千万億倍のさいわいなり」(同ページ)と悠然と見下ろされながら、弟子たちに自らの使命の職場で、一歩も引かずに、断固として勝利の実証を示し切っていくように、励まされたのです。
 この御聖訓通りに戦って自身を鍛え上げてきたのが、学会の誇り高き伝統です。
 草創期、職場で信心に反対されることが多かった先輩たちは、「信心は一人前、仕事は三人前」と歯を食いしばって、両方とも頑張ってきました。「仕事で実証を示してみせる!」と祈り抜き、仕事をやり切ってきました。
 大変だからこそ、策によらず、真っ正面から腹を決めて祈って、人の何倍も努力し抜いたんです。
 さらに今も、「仏法即社会」「仏法即勝負」の戦いを毅然と続けている、わが社会部、専門部の方々の勝利の体験を、私は感銘深くうかがっています。
 仕事の姿勢には、その人の人生観も人間観も表れる。「何のために」生きるのかという一念が表れる。その最も深く、最も強く、最も正しい一念こそが、信心です。
 皆さんには、広宣流布という、世界の平和と人類の幸福を実現しゆく究極の大目的がある。「広宣流布」という世界一の大願に立って、自らの日々の仕事に全力で挑むこと──それが「御みやづかいを法華経」の心です。
 「世界一の大願」に向かって戦う一人の青年として、「この仕事で世界一の自分にさせてください」「世界一の職場にさせてください」「世界一の会社にさせてください」と大きく強く祈ることです。
 信心は、一個の人間としての実力となって発揮されます。真剣に祈り抜き、勉強し、精進し、創意工夫して、若いエネルギーを仕事にぶつけていく。そうして出た結果が、その時の最高の結果です。思うようにいかなければ、また祈って挑戦し、開拓すればいいんです。私もそうしてきました。
 世界一の師匠に薫陶を受けているのだから、世界一の仕事をするのだ。世界一の戸田先生を仕事で宣揚してみせるのだと、私は祈り、働きました。
 ともあれ、会社の大小や職場の環境で、自分の仕事や人生の勝ち負けは決まらない。全て自分です。自身の一念で決まるのです。
 仕事と活動については、また、じっくり語り合おう。

「朝に勝つ」人が人生の勝者です

単調で地味に見える基本を着実に身につけてこそ 大きく飛翔する力となる

 ──3月の語らいで、「あいさつ」の大切さを教えていただき、新社会人の皆さんにも、その実践を呼びかけていただきました。
 企業のトップの方からも、本当に創価の青年は清々しい、爽やかだ等の声が寄せられています。

名誉会長 「あいさつ」は、瞬時に心と心を結びます。相手が初対面であっても、苦手なタイプであっても、心は通い合う。
 相手があいさつを返さなくても、構いません。あいさつは、自分から先にした方が勝ちです。人を尊敬できる人が尊敬される人です。明るく誠実に、心を込めてあいさつできる人が、偉い人です。あいさつは境涯の芸術です。
 「おはようございます!」「こんにちは、よろしくお願いします!」「ありがとうございます!」
 どうせ、声を出すんだから、元気にやれば、お互いに気持ちがいいじゃないか。その生命の勢いが、一日の勝利の扉を大きく開きます。
 どんどん、あいさつしていくんです。どんどん、味方を増やすのです。相手の心の諸天善神を呼び起こすんです。もちろん、声が出せない状況なら、目礼でもいい。
 私が21歳で戸田先生の会社に入って実践したことがあります。
 一つは、元気いっぱいのあいさつで先輩方を迎えることでした。
 もう一つは、毎朝、始業時間の30分前には出勤して、職場を清掃することです。
 元気なあいさつが響く会社は、発展します。職場がよく整理されている会社は、事故が無くなる。
 戸田先生をお守りするために、先生の事業を発展させるために、誰に言われなくとも、私は実行しました。
 朝が勝負です。朝で決まる。
 戸田先生も「職場に遅れて来て、上司に叱られるような人間は偉くなれない。特に、新入社員として信用を積んでいくためには、朝早く出勤するべきだ」と語っておられた。
 一日に勝つための生命の暁鐘が、朝の勤行・唱題です。
 信心をしているからこそ、一日の出発を勝つ。そして、人生に勝利していくのだ──先生は、こう指導されたのです。
        †
 ──仕事で失敗して、すっかり自信を失ってしまうこともあります。

名誉会長 失敗は、敗北ではありません。いな、青年には、失敗や悩みは、前進の証拠です。前に進んでいるからこそ、向かい風がある。転ぶこともある。でも、それで下を向いてしまわない。また立ち上がるのです。
 アメリカの大事業家であり、映画人でもあったウォルト・ディズニーは語っています。
 「私は失敗した。だがそこで多くの事を学んだ。若いころにひどい目に会い、失敗する事は重要なんだって、思うね」

 ──30年前、先生は長崎で、大切なお皿を誤って割ってしまった人のことを通して、指導してくださったことがあります。
 取り返しのつかない失敗をしてしまった。どうお詫びしようかと身を小さくしていた人に、先生は「自分で悩んだのだから許されるんだよ」と励まされました。

名誉会長 そうだったね。これは、戸田先生の教えです。
 ある青年が電車に乗り遅れて、大事な会合に大幅に遅れてしまったことがありました。その人は青い顔をしてお詫びの言葉を探していました。戸田先生は厳しい方でしたから、どんなに叱られるかと、周りもドキドキしていた。
 すると先生は、「もういいよ。自分で悩み、苦しみ、それで償われているのだから、何も言うことはないよ」と語られました。
 先生は、反省している青年の心をくみとってくださったのです。

 ──池田先生は、戸田先生のエピソードを紹介され、「反省し、苦しんでいる人を、責めるような心の狭い人ではいけない。指導者は、人々の心をよく知っていかなければならない」と教えてくださいました。長崎の同志が大切にしているご指導です。

名誉会長 皿を割ってしまった人は、その失敗を原点として、本当にけなげに頑張ってきました。30年経った今も、その時のことを忘れず、「恩返しを」との心で後輩たちを励ましてくれている。私は「偉いな」と見守っています。
 若い皆さんは、失敗を恐れないでほしい。もちろん失敗したら、反省は大切です。だからといって落ち込んで、それにひきずられては、何にもならない。一切が勉強であり、いくらでも取り返せるんだから。クヨクヨしてはいけない。
 「失敗は成功の母」です。「挑戦しないこと」──それが、青春の唯一の敗北だと、私は思う。
        †
 ──実際に仕事を始めてみると「自分が想像していたのと違っていた。このままでいいのだろうか」と疑問に思うこともあります。「この仕事は自分には向いていない」と決めて、早々に辞めてしまう場合もあるようです。

名誉会長 まず大事なのは、自分一人で抱え込んで、早まって結論を出してしまわないことです。そういう時こそ、信頼できる人に、よく相談することです。
 そもそも、はじめから自分の希望通りの仕事ができる人は、多くありません。夢と現実の落差に愕然とすることもあるでしょう。
 単調で地味に見える基本を、着実に身につけてこそ、将来、大きく飛翔するための力となる。人がいやがる仕事や、陰の地道な仕事ほど、人間は磨かれます。
 私も戸田先生の会社に入った時は、少年雑誌の編集者として勤め始めました。大好きな仕事でしたし、やりがいも感じていました。
 ところが、先生の事業はやがて経営不振に陥りました。私がやることになったのは、全く畑違いで、最も苦手とする金融の営業でした。しかし、どうせ働くならば、この道の第一人者になろうと泣くような思いで努力しました。毎日が死に物狂いで、家に帰っても、しばらく動けないほど疲れ果てました。肺を病んでいたから、本当に苦しかった。
 でも、その命がけの戦いがあったからこそ、戸田先生の事業を再建することができた。そこから、かけがえのない人間学を学ぶこともできました。広宣流布の師匠のために戦い、永遠に消えない福運を積むこともできました。
 どこにあっても、受け身ではなく、職場の主体者、責任者の自覚に立つことです。そうすれば、辛いこともあるだろうが、喜びも大きい。まして、仕事で自分を磨けたら、これ以上に楽しいことはない。職場を、ただ、給料をもらうためだけの場にしてしまっては、もったいない。
 私は、よく「十年一剣を磨け」と申し上げてきました。一つのことに徹すれば、着実に力がつく。たとえ、自分に不向きだと思った仕事でも、一つ一つ、無我夢中でやり遂げていく中で、自分でも気づかなかった秘められた天分が見つかることがある。
 私が何度も語り合い、深い親交を結んだ、松下電器(現・パナソニック)の創業者・松下幸之助翁も述べておられた。
 「一事を貫くということは、非常にむずかしいようであるけれども、いちばんそれが効率的やな。ああでもないこうでもないと迷って、転々とする人がある。転々とする人は転々としたことによって成功するという場合もあるけど、概して失敗が多い」と。
 一事は万事に通じている。一事を貫く中で万事を学び、全てに勝利する力がついていくのです。
 ともかく、戸田先生は、「仕事に左右されるな。仕事を左右せよ」と言われました。
 環境に振り回されるのではなく、自分が環境を変えていくのです。いかなる烈風にも揺るがぬ富士の如く、何ものにも負けない自分自身をつくることです。

 ※ディズニーの言葉は『ウォルト・ディズニー 夢をかなえる100の言葉』(ぴあ株式会社)。松下幸之助の言葉は『リーダーになる人に知っておいてほしいこと』(PHP研究所)。

じっとこらえて今に見ろ!

私の宝は「妙法」と「師弟」 そして「誠実」です。どこまでも誠実一路で行こう



 ──今は派遣社員やアルバイトなど、非正規の雇用が増大しています。社会的にみると、非正社員の割合は全体の3分の1以上に達していますし、特に、10代後半の若者の非正規雇用の比率は、近年では、実に7割以上とも言われています。
 こうした非正規雇用においては、給料や社会保障などの待遇面で、正規雇用とは大きな差があることが指摘されています。
 ただ反対に、正社員になったばかりに、過酷な長時間労働が待っていたというケースもあります。

名誉会長 青年を大切にしない国に未来はない。若者が希望を持って働いていける社会を、真剣につくっていかなければなりません。これは最重要の課題です。
 不安定な立場で、先の見えない中、働かねばならない苦しさは、痛いほど分かります。
 次元は異なりますが、戦争中、10代半ばの私は、鉄工所で旋盤工を務めました。
 血豆や切り傷、小さな火傷などは日常茶飯事で、危険と隣り合わせの仕事です。油にまみれ、汗だくになり、神経を鋭く張りつめながら、懸命に働き通しました。
 本当にきつい仕事でした。
 この時、体で覚えた機械工作の基礎的な技術は、その後、直接、生かす場面はありませんでした。しかし、人生を深く思索していく上で、また苦労している仲間の気持ちを知り、励ましていく上で、どれだけ役立ってきたか、計り知れません。どんな労苦も決して無駄にはならないことを、私は断言できます。
 いわんや、皆さん方は「御みやづかいを法華経」(御書1295ページ)と決めた、偉大な使命の青春です。今、どこで、どのように働くとしても、それは必ず広宣流布に連動していきます。
 自分で決めたところが、自分の“使命の舞台”となり、“人間革命の道場”となります。
 「足下に泉あり」です。まずは今いる職場で、「自分らしく戦い切った」という努力と結果を残していくことです。
 そこから、勝利の人生を絶対に開いていけるからです。見てくれている人は必ずいます。
 また、自営の家業を継ぐために働き始めた人もいるでしょう。「はたらく」とは「はた楽」、つまり「はた(周囲)の人を楽にすること」だと言われてきた。働いてお父さん、お母さんに喜んでもらうことは、最高の親孝行です。最高の人間の振る舞いです。偉大なる仏法の実践です。
 食を支え、命を育む農業・漁業を継いだ、わが農漁光部の頼もしい青年たちも、本当によく奮闘してくれている。厳しい社会情勢のなかで、地域になくてはならない「希望の灯台」と光っています。
        †
 ──池田先生が19歳で戸田先生にお会いした直後に詠まれた詩「希望に燃えて」を支えにして、頑張り抜いてこられた先輩方のお話をうかがいました。この詩は、今の私たちにも、何よりの励ましであり、不変の指針ですので、ここで朗読させていただき
たいと思います。

 希望に燃えて 怒濤に向い
 たとい貧しき 身なりとも
 人が笑おが あざけよが
 じっとこらえて 今に見ろ

 まずは働け 若さの限り
 なかには 侮《あなど》る者もあろ
 されどニッコリ 心は燃えて
 強く正しく わが途《みち》進め

 苦難の道を 悠々と
 明るく微笑み 大空仰ぎゃ
 見ゆる未来の 希望峰
 ぼくは進むぞ また今日も

名誉会長 ありがとう。
 思えば、日蓮大聖人の門下も、逆境をはね返して、職場で勝利の実証を示してきました。
 四条金吾は、正しき信仰ゆえに同僚から讒言され、冤罪で所領没収の危機に陥るという窮地に追い込まれました。しかし、大聖人の御指導通りに、祈り、行動して、最後は逆に、それまでの3倍の所領を主君から授かりました。
 大聖人は、金吾の振る舞いについても、こまやかに御指南されています。
 「あなたは短気であるから、火の燃えるようなところがある。必ず人に足をすくわれるであろう」(同1169ページ、通解)
 「あなたは確かに怒りっぽい相が、顔にあらわれている。どんなに大事と思っても、短気な者を諸天は守らないということを知りなさい」 (同1171ページ、通解)
 厳しくも、温かい御指導です。大聖人からのお手紙を読んで、金吾が冷や汗をかいていた様子が、目に浮かぶようです。
 さらに大聖人は、金吾に対して次のようにも言われている。
 「世間が過ごしにくいというようなことを嘆いて、人に聞かせてはならない。もし、そのようなことをするならば、賢人から外れたことになります」(同1173ページ、通解)
 「グチをこぼすな!」と誡られているのです。
 このお手紙では、「主君のためにも、仏法のためにも、世間に対する心がけについても、非常に立派だと、鎌倉の人々の口々にいわれるようになりなさい」(同ページ、通解)とも仰せです。
 職場で、広布の舞台で、社会で、全てに勝利しゆけ! 皆から讃えられるような実証を示すのだ! との御本仏の励ましです。
 皆さんの多くの先輩たちも、この御文を自分に与えられたものと受け止めて挑戦してきたのです。
 さらに大聖人は、「心にふかき・えうじん(用心)あるべし」(同1176ページ)等と、繰り返し繰り返し「油断大敵」ということを強調されています。師匠とは、弟子を勝たせるために、あえて厳しく叱咤してくださるのです。
 優れた勇気や才能とともに、多くの欠点も持っていた、人間味あふれる金吾が、何ゆえに仕事で勝利できたのか。
 それは、信心根本に師匠の指導通り真っすぐ実践したからです。
 とりわけ、金吾は、どこまでも仕事に誠実でした。
 大聖人は、金吾の所領加増の報告に対して、「陰徳あれば陽報あり」(同1178ページ)と仰せになられ、「あなたが正直な心で、主君の後生をお助けしたいと思う真心が強く、信心を貫き通してきたので、このような功徳を受けることができたのです」(同ページ、通解)と讃えられています。
 欠点がない人などいない。仕事で壁にぶつからない人もいないでしょう。いじめや嫌がらせなどもあるかもしれない。
 しかし、自分らしく、信心を根本に、大誠実に徹していけば、全てを生かして、必ずいい方向に転じていくことができる。仕事で勝ち、信頼を広げることができる。これが、妙法です。
 私には三つの宝があります。
 一つは、この偉大なる「妙法」です。また「師弟」すなわち師匠である戸田先生と、愛弟子である君たちです。そして「誠実」です。
 どこまでも「誠実一路」で行こう! 朗らかに堂々と勝とう! 仕事で。人生で。
 みんな、私の弟子なのだから。最後は必ず勝てる!
2012-05-24 : 若き君へ :
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中国・貴州師範大学「名誉教授」称号授与式への謝辞

中国・貴州師範大学「名誉教授」称号授与式への謝辞      (2012.5.8 創価大学本部棟)

 中国・貴州省に立つ教員養成の総合学府「貴州師範大学」から、池田名誉会長に「名誉教授」称号が贈られた。文化・教育事業を通じた恒久平和と人類の幸福への貢献、および、中日友好への傑出した功績を讃えたもの。授与式は8日、東京・八王子市の創価大学で行われ、伍鵬程学長一行が出席。代理の山本創大学長に証書が託された。また、名誉会長から伍学長に漢詩が贈られた。



伍鵬程《ごほうてい》学長の授与の辞

池田先生は人道主義と博愛の精神の体現者

 花が美しく咲き誇るこの季節に、池田大作先生にごあいさつを申し上げるべく、また新たな友人との出会いを期待し、名画のごとき国際都市・東京を訪れることができ、心から光栄に思っております。
 私は貴州師範大学を代表し、ここに池田大作先生を、本学の「名誉教授」にご就任いただきたく、謹んでご招請申し上げます。同時にまた、本学の全教員と学生を代表し、ご列席の皆さまにごあいさつし、共に心から祝福したいと存じます(大拍手)。
 池田先生と、先生がリードする創価学会は、人類の平和と教育事業の発展のために長期にわたって尽力してこられました。
 世界の恒久平和と人類の幸福の実現を求めて傑出した貢献をなし、その池田先生の徳の恵みは未来にわたって人民の生活に幸福をもたらすものであり、世界の人々は深い敬意を捧げております。
 池田先生は著名な社会学者であり、思想家、哲学者、教育者であるとともに詩人、文学者であられます。数十年にわたり、一貫して各種の文化活動と教育実践を通して暴力と戦争に反対し、人権擁護を唱え、難民救済活動を推進し、環境保護など人類の生存と発展の鍵となる崇高な事業を展開されております。
 その中で池田先生は人類社会に対する深い憂慮と責任感、そして人道主義をもととした雅量と博愛の精神を体現しており、私たちはそれを心から敬服申しあげております。
 池田先生はまた、中国人民がよく存じ上げ、心から愛する「古き良き友人」であられます。
 長年にわたって中日友好の発展に積極的に寄与し、10度にわたる訪中を通して、周恩来総理をはじめ各世代にわたる指導者と親しく交友を結ばれました。何より、最も早くに中日国交正常化を提唱された民間人であり、卓越した思想家として、強き社会的正義感と大所高所に立った歴史的智慧をもっておられます。
 こうした貢献に対し、中国人民体外友好協会と中日友好協会から、それぞれ「人民友好の使者」、「平和の使者」の称号が贈られております。
 さらに池田大作先生は、1984年から、北京大学・復旦大学・浙江大学など幾多の中国の著名な大学から「名誉教授」称号を受章されています。
 これらはまさに、池田先生が過去・現在・未来にわたって中国人民から敬慕される、優れた人物であることを物語るものといえましょう。
 本日、わが貴州師範大学の3万人を超える教員・学生の総意として、池田先生を本学の名誉教授にお迎えさせていただくこともその証左といえます。池田先生がこの名誉学術称号をお受けくださること自体、わが貴州師範大学の栄誉でございます。
 貴州師範大学は、70年の歴史を有する貴州省所属の重点大学であります。
 三つのキャンパスを擁し、約200万平方㍍の敷地に、3万4千人の学生が学んでおり、このうち本科生が1万9千人、大学院生が2500人で、教職員は合わせて2102人おります。
 本学には19の学部のほか、継続教育学院、独立学院、教学部があり、本科の専攻が56、1級の修士専攻が16、2級の修士専攻が85、修士専攻の4つは本科からの推薦権が与えられています。また現在、7つの国家レベルの特色専攻があり、省レベルの5つの特色学科と8つの重点学科、18の本科モデル専攻を有し、哲学・経済学・法学・教育学・文学・歴史学・理学・工学・農学・経営管理学・芸術の11に及ぶ分野の教員養成を特色とする総合大学となっています。
 私たちは、創価学会をはじめ国際的な友好団体、高等教育機関との交流を極めて重視しています。本日のこの式典を契機として、貴州師範大学と創価学会・創価大学との交流・協力が、新たな道を進みゆくよう念願しております。
 また、池田先生、並びに本日ここにご列席の皆さま、どうか、ご都合のよろしい時に本学をご訪問ください。その折には丁重にお迎えさせていただきます。
 「授与の辞」の結びに、私は心から祈りを込めて申し上げます。池田先生とご一家のご健勝とご多幸を! ご列席の皆さまが万事、順風満帆でありますように! 創価学会と創価大学が、日増しに発展しますように!
 本日は、誠にありがとうございました(大拍手)。

SGI会長の謝辞(代読)

共生と調和の未来へ 人材の大林立を

生涯、人民と苦楽を共に

艱難の時に勝利の礎

 一、本日、私は、天下一の麗しき自然、深き精神、豊かな未来性が輝きわたる、憧れの貴州の教育の大城より、最高に貴き知性の宝冠を賜りました。これほどの光栄はございません。
 両国の国交正常化40周年に当たり、万代の友好への決意も新たに、わが創価大学生、わが短大生と共々に謹んで拝受させていただきます。誠に誠に、ありがとうございました(大拍手)。
 今、私の胸には、詩情の光る貴大学の校歌が高鳴っております。
 全国校歌コンクールで、見事、第1位となった、この名歌の一節には、「調和の陽光を浴びつつ、深く厚き沃土に根を張り、森の都の思賢山《しけんざん》の麓、一列一列と真っ直ぐに聳え立つ香樟樹《こうしょうじゅ》(クスノキ)は、胸に高大な理想を懐き、社会の棟梁たらむと誓いたり」とあります。
 なんと心広々として、なんと心清々しい、青春の誓いの歌声でありましょうか。
 貴大学の壮麗なキャンパスには、この校歌の通り、クスノキの芳しい大樹が屹立していると伺いました。クスノキは、私の恩師・戸田城聖先生が好きな木でありました。
 日本では、古来、「楠学問」という言葉があります。クスノキが、じっくりと成長して大木となるように、粘り強く堅実に、学問を大成させていくことをいうのであります。
 ともあれ、深き使命感をもって、天空高く伸びゆく青年の生命ほど、強く美しいものはありません。貴大学は、70星霜を超えて、仰ぎ見る社会貢献の人材の大林立を、築き上げてこられたのであります。
 一、思えば、500年前、大思想家の王陽明が、「知行合一《ちこうごういつ》」という哲学の新境地を開き、不滅の教育の足跡を留めたのも、貴州の天地でありました。
 彼は語っております。「天地万物は一個の人間である我と本来一体のものです。だから一般人民の困難苦痛や害毒は、いずれもわが身体に切実な痛みでないものはありません」(近藤康信著「新釈漢文大系13 伝習録」明冶書院)と。
 そこには、利己的な自分に打ち克ち、苦しみ悩む他者に同苦し、献身していく行動の中で、聖人の道を歩み、天地万物と一体の境涯を勝ち開いていくことが示されています。
 こうした高邁な精神性を受け継がれ、民衆の苦悩をわが苦悩とし、祖国の命運をわが命運としてこられたのが、貴大学なのであります(大拍手)。

「陰徳」に徹すれば偉大な「陽報」が輝く
貴州師範大学の教育者の励まし
ピラミッドは面積が広ければ高くなる

学生第一たれ
 一、その崇高な歴史に思いを馳せる時、貴大学の「灯台」と敬愛された大教育者・蕭文燦《しょうぶんけつ》先生の功労を忘れることはできません。
 蕭先生は、私が親しく交友を結ばせていただいた、復旦大学の蘇歩青《そふせい》先生と共に、中国の数学界を担い立たれた知性でもあられました。
 蕭先生は、抗日戦争の最中の1941年に創立された貴大学を、戦乱から命を賭して厳然と守りに守り抜かれております。
 戦後の艱難の時代にあっても、蕭先生は貴大学の学長として、愛する故郷の教育に奉仕することを何よりの喜びとし、大学建設に邁進されました。
 先生は、優れた教師の招聘から、図書館や実験室の整備に至るまで、こまやかに、忍耐強く、一つ一つ、礎を築かれたのであります。
 蕭先生は、執務室にも、多くの学生を迎え入れ、夜更けまで、親身になって問題の解き方を教え、相談にものっておられました。
 先生が学生たちに語られた励ましには、
 「私は、諸君に三つの希望を抱いています。一に勉学、二に勉学、三にも勉学です」「学問は、ピラミッドの如きものです。面積が広くて、初めて高くなれます」とあります。
 幅広く学び抜き、労苦を惜しまず自らを鍛え抜いて教育者となってこそ、「子弟を誤った道に陥らせずに済む」──この教育の誇り高き責任と使命の正道を打ち込んでいかれたのであります。
 教え子が、年配になられた蕭先生の健康を心配すると、先生は毅然と答えられたといいます。──高齢になったからこそ、人民と苦楽を共にして、残された人生を捧げていくのです、と。
 人間教育の「陰徳」に徹し抜いた信念の人生は、まさにクスノキの大樹の如く、青年の成長と社会の繁栄をもたらし、そして、民衆からの尽きることのない感謝という「陽報」に包まれていくのではないでしょうか。
 「陰徳あれば陽報あり」──これもまた、貴国から学んできた偉大な生命哲学なのであります。
 一、本日、お迎え申し上げた伍鵬程学長は、蕭先生に続いて、「数学の探究」と「英才の教育」という大鵬《おおとり》の両翼を広げて、貴大学の新時代の雄渾なる飛翔を指揮されております。
 伍学長が強調されている通り、教育という聖業の根本は「人間」であり「学生」であります。
 学長のリーダーシップのもと、「すべてが学生のために、すべての学生のために、学生のすべてのために」との「学生第一」の理念で進まれている貴大学に私たちは心からの共鳴と敬意を表したいのであります(大拍手)。
 貴大学の校訓は、『礼記』の「中庸」の真髄をくんで、「慎思篤行 博学致新」(慎みて思い、篤く行う。博く学びて、新しきに致る)と掲げられております。
 私には、この校訓さながらの人格を体現されていた周恩来総理・穎超先生のご夫妻の英姿が思い起こされてなりません。
 総理ご夫妻が、1960年の5月、アジア歴訪の旅のあと、貴州を訪問されたドラマも、感慨深く偲ばれます。その際、総理は貴州の劇団を励まされて、「古きものの良さを新しきものに生かしつつ、新しい芸術の創造を」と語られてもおります。
 総理ご夫妻が深く愛された花渓の天地に、現在、貴大学が新キャンパスの建設を進めておられます。
 青年をこよなく愛され、慈しまれたご夫妻が貴大学の大発展をご覧になられたならば、どれほど喜ばれたことでありましょうか。
 一、貴州には、貴大学の知性も尽力されて、「世界自然遺産」と選定された「中国丹霞《たんか》──貴州赤水《せきすい》」の雄大な景観が広がっております。
 さらに、貴大学が立つ貴陽市では、これまで中国と日本の協力により、環境モデル都市事業が推進されてきました。
 2004年には、貴国で初めて「循環経済生態都市」の建設条例が制定され、全国の模範となっております。
 とともに貴州は、ミャオ族やプイ族など、多くの民族が共生してきた天地であります。
 母たちから娘たちへと長く伝えられてきた無形文化遺産の「ろうけつ染め」は、鮮やかな色彩と多彩な紋様や図柄も美しく、多様性の調和の美を象徴しているといってよいでありましょう。
 貴州には、人類の未来を照らす、生命の共生と調和の英知が光り輝いております。

胡主席が学生に
骨身を惜しまず学び抜け

父母の期待に応えゆく人に
 一、「共に繁栄する調和のとれた世界の構築を推進していきたい」
 これは、胡錦濤国家主席が3度目の会見の折、私に語ってくださった展望であります。
 胡主席が、かつて、名月が冴えわたる中秋の季節に、貴大学を訪れ、学生たちを温かく励まされたこともよく伺っております。
 近年、貴州の農村を家庭訪問されて、ご一家と親しく懇談された胡主席は、そのご子息が貴大学に学んでいることを喜び、激励されました。
 「ご両親の期待に背くことなく、骨身を惜しまず勉強に励み、社会が必要とする有用な人材へと成長してください」と。
 わが創大生、わが短大生も、皆さんを大学へ送り出してくださっている父母に喜んでいただけるように、また皆さんの成長を祈り待ってくださっている世界の知性の期待にお応えできるように、思う存分に力をつけていってください。
 一、私も、先生方のご厚情を深く胸に刻みつつ、調和と平和の文明の創造へ、一段と邁進していく決心であります。その真情を、再び貴大学の素晴らしい校歌に託させていただきます。
 「風雨と氷雪を経て、自由に活きて努力向上し、森の都の思賢山の麓、一列一列と真っ直ぐに聳え立つ香樟樹(クスノキ)は、天高く聳えんとする夢、文明の希望を支えたり」
 結びに、貴州師範大学の鵬程万里のご隆盛を心より祈念して、私の謝辞とさせていただきます。
 謝謝!(中国語で「ありがとうございました」) (大拍手)

SGI会長が漢詩を贈る

篤行慎思立師表
博学致新当棟樑
比翼鵬程共万里
桜花馥郁連香樟

〈大意〉
貴州師範大学は「慎思篤行《しんしとっこう》」を校訓として
 世間の師表となるよう学生を薫陶するとともに
「博学致新」を求学の指針として
 社会の柱となって活躍することを標榜されています。
貴大学と創価大学との交わりは
 その親しさにかけては天空を飛翔する比翼の鳥の如く
 共に万里の鵬程を目指しゆくものです。
創大の馥郁と咲き香る桜と
 貴大学の香樟樹(クスノキ)もまた
 地上の連なる大樹の如く親密になるのであります。

 ※文中に、貴州師範大学の校訓「慎思篤行」「博学致新」と、伍学長の名前「鵬程」が織り込まれている。
2012-05-11 : スピーチ・メッセージ等 :
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ペルー工科大学「名誉博士号」「名誉教授称号」授与式への謝辞

ペルー工科大学「名誉博士号」「名誉教授称号」授与式への謝辞    (2012.5.6 創価大学本部棟)

 南米・ペルー共和国のペルー工科大学から創価大学創立者の池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長に「名誉博士号」と「名誉教授称号」が贈られた。世界の平和と平等を推進し、市民を社会貢献へリードしてきた功績を讃えたもの。
 授与式は6日、東京・八王子市の創価大学本部棟で挙行され、大学創立者のロジェル・アムルス理事長夫妻、オスカル・マウルツァ国際関係外交大学院専攻長(元外務大臣)、フリオ・サラサール諮問委員会委員長夫妻、ペルー大使館のエラルド・エスカラ大使夫妻、同国の在東京総領事館のフリオ・カルデナス総領事夫妻、ペルーSGIのホセ・ファーレス理事長らが出席した。



アムルス理事長の授与の辞

池田博士への授章はわが大学の栄誉
深き知恵と精神を吸収したい


 本日、私どもは、池田大作博士という傑出した人物を顕彰するため、日本にまいりました。
 池田博士の教育理念は、世界の人々が研究・分析し、広く知らしめていくにふさわしいものです。
 あらゆる事業は、それがいかに驚嘆するような偉業であったとしても、必ず人間の手によって成し遂げられます。まさに、池田博士という偉大な人物によって成し遂げられた一つの偉業の形こそ創価大学なのです(大拍手)。
 私どもが、ペルーの未来に思いを馳せればこそ、池田博士の深い知恵を、たとえ数%であったとしても吸収したいと思わずにはいられません。博士の知恵によって、意欲的なペルーの青年が自尊心を高め、ペルー国民が強い精神を培い、より良く変化していくように願うからです。
 池田博士は今日までに、世界中の何百もの大学から名誉学術称号を受章しておられますので、わが大学が顕彰するまでもなく、博士の栄誉は無上のものです。ゆえに、池田博士に、わが大学の「名誉博士号」「名誉教授称号」をお受けいただく意義は、授与する私どもが栄誉を賜るということにほかなりません。
 さらに、池田博士に受章いただくことによって私どもは、博士の思想を、より熱意をもって吸収することになりますし、博士が民衆の発展のために甘受された苦悩、人生の経験、精神性、生き方につながっていくことができるのです。
 私どもは30年以上前に、まずは一つの予備校を創設しました。そして、「IDAT高等教育工科学院」を創立し、その後、学生の要望に応えて、15年前に「ペルー工科大学」を開学しました。
 池田博士が40年以上前から創価大学などで展開されてきた教育事業のように、わが大学は学生に対し、単なる情報としての知識を与えるだけではなく、学生の心に、平和の理念、対話の文化、民衆間の相互理解、深遠な哲学を育むことを目標としています。
 本日は、池田博士に本学の最高位の顕彰である名誉博士号を授与させていただきますことに、深い感動と感謝の念を覚えます。わが大学内の特別室では名誉博士号授章者を顕彰しておりますが、そこに池田博士に加わっていただくことにより、大学の学生・教職員一同が啓発を受けることでしょう。
 私どもが創立した教育機関は、30年以上にわたる努力の末、数万人の学生を擁するに至りました。この全ての青年が、池田博士を敬愛しております。本日の顕彰は、この青年たちを代表して授与させていただくものです。
 池田博士の胸元で輝くことになる名誉博士号と名誉教授称号の二つのメダルは、これらペルーの青年の連帯の心を象徴する証しなのです。
 最後に、本日の式典を通して、ペルーと日本がますます強い団結で結ばれますことを念願し、授与の辞とさせていただきます。

SGI会長の謝辞(代読)

青年よ 創造的生命を鍛えよ

ペルーの詩人

苦しみは大きいほど、それを乗り越えた者に力を与える

ペルー工科大学の建学の魂
教育を万人の手に
民衆に奉仕する人間指導者を


「いつか」でなく「今」ベストを尽くせ

プラトン
自分に勝つことが全ての勝利の根本

 一、恩師から一対一の個人授業で薫陶を受けた「戸田大学」。そこで私が学んだ中国の友情の詩に「海内《かいだい》に知己《ちき》を存せば、天涯も比隣のごとし」(この世界に真の友がいることを思えば、天の涯《はて》ほどの遠い距離も、隣のようなものである)と謳われております。
 私にとりまして、敬愛してやまぬ、多くの真の友がいる貴国ペルーは、まさしく、いつも心に光る「太平洋の隣人」の国なのであります。
 きょうは、大好きな大好きなペルーの先生方を、わが創価大学にお迎えすることができ、これほどの喜びはございません(大拍手)。
 一、思えば、1873年、中南米諸国の中で、初めて日本と国交を結ばれたのは、貴国ペルーであります。以来、両国は深い友情の絆で結ばれ、地震などの自然災害にも、共に手を携えて、立ち向かってきました。
 とりわけ、昨年の東日本大震災に際して、ペルーの皆さま方は、いちはやく温かな支援の手を差し延べてくださり、1週間後の3月18日を「全国追悼の日」と定めてくださいました。
 一つ一つの真心が、どれほど大きな励ましとなり、希望となってきたことか。
 この場をお借りして、ペルーの皆さま方の深き友情とご厚情に、あらためて心から御礼を申し上げます(大拍手)。

兄弟愛を失うな
 一、1984年3月、3度目の貴国訪問の折、私は、ベラウンデ大統領ご夫妻と忘れ得ぬ出会いを刻ませていただきました。
 当時、官房長官として厳然と大統領府を担い支えておられた柱の存在こそ、マウルツァ博士であられます。
 この時、大統領が「人類は、人間らしい温かみのある兄弟愛を失ってはならない」と力を込めて語っておられた言葉は、私の胸から今も離れることはありません。
 一、本日、私は、貴国の最先端にして最高峰の科学と教育の殿堂より、何よりも栄えある名誉博士、ならびに名誉教授の称号を賜りました。
 この誇り高き栄誉を、まず私は、貴国の良き市民として貢献するペルーSGI(創価学会インタナショナル)の友と分かち合わせていただきたいと思っております。
 そして、世界192カ国・地域の愛する青年たちと共に、貴大学、そして貴国との強く麗しき「兄弟愛」を永遠に継承していく決心を込めて、謹んで拝受させていただきます。
 誠に誠に、ありがとうございました(大拍手)。
 一、偉大なる「大陸の詩人」と讃えられる、貴国のチョカーノは叫びました。
 「大きな苦しみは、苦しければ苦しいほど
 それを乗り越えたものに、力を与える」
 「真の勝利は、苦しみに支えられている。
 暗き闇からも、善は生まれる。
 苦しみからは、光が生まれる」
 この詩さながらに、幾多の困難を乗り越えて、光り輝く「勝利の城」を堂々と築き上げてこられたのが、貴・ペルー工科大学の建設の歩みであります。
 私は、アムルス理事長が、若き日より、烈々たる大情熱を燃やして、教育の偉業に取り組まれ、道なき道を切り開いてこられた黄金の歴史に、心からの感動を禁じ得ません。
 「教育は、万人の手に届くものでなくてはならない」──理事長は、この崇高なる信念のもと、私財をなげうって貴大学を創立されました。
 そして、「不可能を可能にする」との揺るぎない一念で、新時代をりードしゆく多彩な人材群を育成してこられたのであります(大拍手)。
 なかんずく、貴大学は、民衆に開かれた、民衆のために尽くしゆく大学として、ペルー社会の発展に絶大なる貢献を果たされております。
 わが創価大学も、「民衆立」の大学として、大学に行けなかった方々の味方となって、泥まみれになり、汗まみれになって戦い抜く、真実の人間指導者を送り出してきました。
 貴大学と創価大学が、その根本の理念を深く共有していることを、私たちは心から誇り高く思うのであります。

「悲しみを勝ち越える能力がある」
 一、英国の大歴史学者トインビー博士と、私が対談を開始して、この5月で40年になりました。
 博士も貴国を格別に敬愛されていたことを、私は感慨深く思い起こします。
 厳しい自然環境の「挑戦」に、敢然と「応戦」し、美事な古代文明を創り残したペルーの先人たちを、博士は心から賞讃されていたのであります。
 「国家と人間には、災害や悲しみを勝ち越えゆく生命力と勇気があり、それを発揮する能力がある」──これは、トインビー博士の歴史観とも響き合う、現代ペルーの歴史家ポンス・ムソの深い洞察であります。
 いかなる逆境にも断じて屈しない。いな、試練が襲いかかればかかるほど、いよいよ勇敢に奮い立ち、民衆の幸福のために価値を創造し、断固として希望の活路を開拓してみせる。
 そうした創造的生命を啓発し、青年の力と智慧を生き生きと引き出し、磨き上げていくことこそ、人間教育の真髄ではないでしょうか。
 その崇高な模範を、貴大学は示されているのであります(大拍手)。

師弟の道を貫け
 一、ペルーの大知性ホルヘ・バサドレは、「本物の教育とは、人間に総合的成長をもたらすものでなくてはならない」と鋭く論じました。
 貴大学には、最新鋭の充実した学習・研究施設とともに、人間性豊かな人格の総合的成長を促す教育環境が整備されています。
 貴大学のキャンパスに、古代ギリシャの哲人ソクラテスとプラトンの「師弟」の銅像が屹立していることも有名であります。
 古今東西を問わず、「師弟」という魂の絆の中にこそ人間生命の究極の触発があり、無窮の可能性の開花があるといっても、決して過言ではありません。
 理事長ご自身が、その尊く美しき師弟の道を貫き通してこられました。
 貴大学のホールには、理事長が尊敬し、報恩の誠を尽くしてこられた恩師の名前が冠されていることを、私は胸を熱くして伺いました。
 学園アカデメイアを創立したプラトンの至言に、「自分に打ち勝つことが、すべての勝利の根本」(森進一訳、『法律(上)』岩波文庫)とあります。
 新たな「南米のアカデメイア」を建設されゆく理事長は、愛する学生たちの勝利の人生を願い、渾身の激励を送り続けておられます。
 理事長が、学生たちを励ましておられる勝利の哲学の一つに、こうあります。
 「過去や未来ではなく、現在に目を向けるのです。“いつか”ではない。今、努力し、今、目の前の課題についてしっかりと考える。そうしてこそ、初めて盤石な将来があるのです」と。
 私も、全く同感であります。
 東洋の仏典にも──「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ 未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」と説かれております。
 未来の勝利は今にある。ゆえに、過去を振り向いて嘆く必要もない。いたずらに未来に心をとらわれて、焦りや不安を覚える必要もない。
 師匠の示した道に続いて、今この時に、若き生命を完全燃焼させて、賢く朗らかに、そして、粘り強く、一歩また一歩、ベストを尽くしていけばよいのであります。
 そこに、必ず未来の勝利は洋々と開かれていくことを、私は、わが創大生、短大生をはじめ、後継の青年たちに伝えたいと思うのであります。

「未来を信ずる」
 一、ペルーの民衆詩人ニコーメデス・サンタクルスは高らかに宣言しました。
 「私は、未来を信ずる。それは、今、暗雲が立ちこめていようとも、明日の人間が、きっと健全なる人生を築き上げるからだ。そして、きっと確かなる足取りで、麗しき友情のために前進するからだ」と。
 「青年を信ずる」ことが、「未来を信ずる」ことです。
 「青年を育てる」ことが、「希望を創る」ことです。
 「青年を結ぶ」ことが、「平和を広げる」ことです。
 本日より、私は、貴大学の名誉ある一員とさせていただき、尊敬する先生方と共々に、人間教育の聖業に、いやまして全生命を捧げゆく決心であります。
 まもなく完成する素晴らしき「テクノロジー棟」をはじめ、隆々と大発展を続けゆかれる貴・ペルー工科大学の限りなき栄光を、私たちは念願してやみません。
 そして、「美しき太陽の国」ペルー共和国の永遠の平和とご繁栄を心よりお祈り申し上げ、私の謝辞とさせていただきます。
 ムーチャス・グラシアス!(スペイン語で「大変にありがとうございました!」)
 誠に誠に、ありがとうございました(大拍手)。
2012-05-11 : スピーチ・メッセージ等 :
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2015年へ『核兵器禁止条約』の推進を

2015年へ『核兵器禁止条約』の推進を   (2012.4.25付 ジャパンタイムズ)

 池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長が、英字紙「ジャパンタイムズ」(4月25日付)に、本年の「SGIの日」記念提言の主張を踏まえ、「2015年へ『核兵器禁止条約』の推進を」と題する論説記事を寄稿した。同紙のオンライン版に掲載中の論説記事は、国際原子力機関(IAEA)、包括的核実験禁止条約機関(CTBTO)準備委員会等のウェブサイトでも紹介されている。


人類と核兵器は共存できない
青年を先頭に民衆の力の結集を


 イランの核開発問題や、北朝鮮による長距離ロケットの発射など、中東や北東アジアで地域的な緊張が高まる中、2015年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議に向けた準備委員会が、4月30日からウィーンで開かれる。<5月11日まで>
 NPT発効から40年以上の歳月を経てもなお、やむことのない核兵器の拡散──。こうした現実を見るにつけ、NPT前文で謳われた「貯蔵されたすべての核兵器を廃棄し、並びに諸国の軍備から核兵器及びその運搬手段を除去する」とのビジョンに立ち返る以外、根本的には解決の道は開けないと思われる。
 核兵器が存在する限り、他国を強大な軍事力で威嚇しようとする衝動が生き続け、それが多くの国々に不安や恐怖をもたらす。そして、その不安や恐怖が呼び水になって、新たな核拡散の脅威が広がり、世界をどれだけ不安定にさせてきたか計り知れない。こうした負のスパイラル(連鎖)は、核兵器に安全保障を依存する思考から全ての国が脱却しない限り、完全に断ち切ることはできないものなのだ。
 かつてハンス・ブリクス氏らの大量破壊兵器委員会は、「ある国々の手にある核兵器は脅威ではないが、他の国々の手にある核兵器は世界を破滅の危機に陥れる、というような考え方を認めない」との見解を示した。全く同感であり、核兵器というダモクレスの剣はどの国が保有しようと、人類の生存権を脅かす“絶対悪”であることには変わりなく、一律に禁止することが焦眉の課題といえよう。
 国際社会がその課題に踏み出す上で、2010年のNPT再検討会議の最終文書は重要な礎となるものである。そこでは、「核兵器のいかなる使用も壊滅的な人道的結果をもたらすことに深い懸念を表明し、すべての加盟国がいかなる時も、国際人道法を含め、適用可能な国際法を遵守する必要性を再確認する」との一文が盛り込まれ、国際法の遵守において一切の例外を認めない旨が明記された。
 今こそ、この合意を突破口に、「核兵器の非合法化」を明確な条約の形に昇華させるための挑戦を本格的に開始しなければならない。ウィーンの準備委員会では、2010年の最終文書を踏まえ「核兵器に対する国際法の適用」を議題の一つに乗せ、核兵器を包括的に禁止する「核兵器禁止条約」(NWC)を視野に入れた討議に着手すべきであると、強く訴えたい。
 NWCの制定を求める声は、今や、162カ国が加盟する「列国議会同盟」や、5200以上の都市が加盟する「平和市長会議」をはじめ、各国の首相・大統領経験者による「インターアクション・カウンシル(OBサミット)」からも表明されるまでになってきた。また、マレーシアなどを中心にNWCの制定を求める決議が1996年以降、国連総会に毎年提出される中、昨年には130カ国が賛成するまで支持が広がっている。
 NWCの実現に向けて、カスケード(雪崩《なだれ》的な拡大)現象を巻き起こすためには、もうひと押しの努力が必要だ。私はそのために、従来の国際人道法の精神に加えて、「人権」と「持続可能性」を、グローバルな民衆の意思を結集するための旗印に掲げ、青年たちを先頭に「核兵器のない世界」を求める声を力強く糾合することを呼びかけたい。「人権」と「持続可能性」の観点に立てば、核兵器に基づく安全保障政策が維持されることで、同じ地球で暮らす多くの人々や将来世代にもたらされる被害と負荷の問題が浮き彫りになり、関心を高めることができると考えるからだ。
 NWCの交渉開始という難関を突破する一つの方途として提案したいのは、基本条約と議定書をセットにする形で核兵器の禁止と廃絶を追求するアプローチである。つまり「『核兵器のない世界』の建設は人類協働の事業であり、国際人道法と人権と持続可能性の精神に照らして、その建設に逆行する行為や、理念を損なう行為をしない」との合意を基本条約の柱とするものだ。その眼目は、全ての国が安心と安全を確保できるような“人類共同の事業”としての枠組みを打ち立てることにある。
 そうした“脅威から安心への構造転換”を基本設計とする条約が成立すれば、次の段階となる議定書の発効が多少遅れたとしても、現在のような先行き不透明で脅威が野放図に拡散していく世界ではなく、明確な全体像に基づいた国際法によるモラトリアム(自発的停止)の状態が形成されていくのではないか。そのための準備を早急に開始することが必要であり、有志国とNGO(非政府組織)が中心となって「核兵器禁止条約のための行動グループ」(仮称)を発足させることを呼びかけたい。
 かねてより私は、原爆投下から70年にあたる2015年に、各国の首脳や市民社会の代表が参加して、核時代に終止符を打つ意義を込めた「核廃絶サミット」を広島と長崎で行うことを提案してきた。また、その一つの方式として、NPT再検討会議の広島・長崎での開催も呼びかけてきた。
 被爆地での開催を念願してきたのは、会議の参加者が訪問を通じて「核兵器のない世界」への誓いを新たにすることが、核問題解決の取り組みを“不可逆で揺るぎないもの”にしていくと信じるからだ。その会議で、NWCの基本条約の調印か、最終草案の発表が行えるよう努力していくべきだ。SGIとしても、平和市長会議や核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)をはじめ、志を共にする諸団体と連帯し、そのための国際的な機運を高めていく所存である。
 「核兵器による悲劇は二度と繰り返されてはならない」「人類と核兵器は共存できない」──それこそが、広島と長崎への原爆投下から得た教訓だったはずだ。その教訓を明確に核兵器を禁止する条約の形に結実させるために、日本が、ウィーンでの準備委員会において建設的な議論をリードし、2015年のNPT再検討会議に向けて「核兵器のない世界」への潮流を形づくる役割を発揮することを切に願うものである。
2012-05-11 : 提言/寄稿/インタビュー等 :
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随筆 我らの勝利の大道 No.73

随筆 我らの勝利の大道 No.73   
              (2012.5.4付)
誓願の5月3日

爛漫と対話の花を 勝利の旗を!
尊き同志に「仏を敬うが如く」感謝


前進! 広宣流布の大願に燃えて
異体同心の城から轟け 正義の師子吼


 偉大なる
  同志がありて
     創価の日

 「園林《おんりん》諸《もろもろ》の堂閣は
 種種の宝もて荘厳《しょうごん》し
 宝樹は花菓《けか》多くして
 衆生の遊楽する所なり」
 私たちが、朝な夕な読誦している、親しみ深い法華経の自我偈の一節である。
 広宣流布の「園林」であり「堂閣」である創価の会館や研修道場は、この経文の如く、「守る会」の方々をはじめ、同志の深き真心で荘厳されている。
 とくに薫風さわやかな5月は、大事な皆様方をお迎えする学会本部の接遇センターや周辺会館の宝樹も、ひときわ鮮やかである。
 霧島ツツジやパンジー、藤、牡丹など、色とりどりの花が、誇らしげに笑顔を見せてくれている。
 同志が丹精込めて届けてくださった藤の花は、別名を「二季草《ふたきぐさ》」という。春と夏とが出あい、行き交う季節を象徴するかのようだ。花言葉は「歓迎」である。
 日蓮大聖人は、若き南条時光に仰せになられた。
 「友達《ともだち》の一日に十度《ど》・二十度来《きた》れる人なりとも千里・二千里・来れる人の如く思ふて礼儀いささ(聊)か・をろ(疎)かに思うべからず」(御書1527ページ)
 友を迎える時も、訪ねる時も、礼儀を重んじ、誠心誠意、交流していくのが、我らの生き方である。
 「当起遠迎《おんごう》、当如敬仏《きょうぶつ》(当《まさ》に起《た》って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし)」
 ──この法華経の経文を通し、「御義口伝」では、「最上第一の相伝」(同781ページ)と教えられた。
 対話の花を爛漫と咲かせ、「5・3」を祝ってくださる創価家族の皆様を、まさに「仏を敬う」心で讃嘆申し上げたい。
 さらに、この5月3日を、日本、また海外の各界の友人の皆様方も、温かく慶祝してくださっている。この場をお借りして、満腔の感謝を捧げたい。本当に有り難い限りである。
 私自身も、師匠・戸田城聖先生に、謹んでご報告させていただきたい。
 「先生、今年もまた。『5・3』を大勝利で飾ることができました! そして、来年も必ず、大勝利で飾ってまいります」と。
 5月3日には、「誓い」があり「実践」がある。
 「団結」があり「報恩」がある。「希望」があり「勝利」がある。「出発」があり「前進」がある。
 年年歳歳、広宣流布への決意を強め深めゆく日こそ「5・3」なのだ。
 さらに、自我偈には──
 「諸天は天鼓を撃《う》って 常に衆《もろもろ》の妓楽を作《な》し」とも説かれる。
 この経文さながらに、音楽隊と鼓笛隊の尊き錬磨の友が、各地域の要請に応え、祝賀のバレード等でも大活躍してくれている。黄金の青春の舞に、皆で大喝采を送りたい。

創価の師弟の底力
 弘安2年(1279年)の5月、大聖人は仰せになられた。
 「総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ、さだにも候はば釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守り候べし」(同989ページ)
 「大聖人の如く、広宣流布の大願に生き抜く」──これが、5月3日を貫く我らの誓いである。この蓮祖直結の「信力」「行力」という生命の底力を奮い起こしてきたゆえに、創価の師弟は、全宇宙の仏天をも揺り動かす偉大な「仏力」「法力」を満々と涌現できるのだ。
 昭和32年(1957年)の5月3日。師の会長就任から6年を迎え、75万世帯の願業の完遂へ、怒濤の勢いで前進するなか、総会が行われた。
 両国の国際スタジアム(後の日大講堂)を埋め尽くした弟子一同に、先生は叫ばれた。
 「ただ自分だけが題目を唱えているのでは、時にかなう信心とはいえないのです。時にかなう信心というのは、折伏以外にない」
 信心の根本は、どこまでいっても「自行化他」の行動である。
 慈悲の心をもって、折伏精神に燃え、友のもとへと足を運び、仏縁を結ぶことが、最も時に適った仏道修行なのである。
 尊き同志が、生き生きと広宣流布のため、立正安国のため、東奔西走しゆくなかで、5月3日を祝賀してくださる。この姿こそ、戸田先生が何より喜んでおられるに違いない。
        ◇
 戸田先生の大闘争の総仕上げへ向かう、昭和32年の5月3日の集いでは、最前線の「組」中心の活動が再び確認された。今で言えば「地区」「ブロック」に当たるであろう。
 広宣流布の伸展においては、地区そしてブロックの勝利こそ、そのすべてであると言ってよい。全リーダーが地区に根差し、ブロックを全力で支え守りゆく布陣で前進してこそ、新しい人材が育ち、新しい活力が漲っていくのだ。
 命にも及ぶ法難の佐渡にあって、大聖人は、わが子の病と闘う鎌倉の門下の夫妻に御手紙を送られた。
 「当国の大難ゆり候はば・いそぎ・いそぎ鎌倉へ上《のぼ》り見参いたすべし、法華経の功力を思ひやり候へば不老不死・目前にあり」(同1124ページ)
 ──この大難を勝ち越えたならば、直ちにあなた方に会いに駆けつけますよ。間近で厳然と見守っていますから、断じて病魔を打ち破りなさいとの、大慈大悲が拝されてならない。
 足を運ぶ。会って話す。
 共に祈る。一緒に動く。
 この御本仏の御心が、「地区」にも「ブロック」にも流れ通っているのだ。
 ゆえに、わが地区から、
 「大歓喜の題目を!」
 「地涌の人材を!」
 「勝利の旗を!」──。
 ドイツの哲人ニーチェは「堅固な岩のまわりに、堅固な根を」と叫んだ。
 総本部完成の明年へ、日本、いな全世界の地区、ブロックからの大勝利の報告を、私は祈り待っている。
        ◇
 今月21日の朝には、珍しい「金環日食」が各地で見られる。
 今回は、東京・神奈川などの首都圏から九州にかけての太平洋側で観測できるという。これほど広い範囲で見られるのは、平安時代以来、実に932年ぶりと言われている。
 太陽、月、そして地球が一直線に並ぶ時に、日食は起こる。地球から見た太陽と月の大きさが、ほぼ等しいために「ゴールドリング」(金環)が見られる。
 日本で見られた前回の金環日食は、昭和62年(1987年)の9月23日であった。
 この折は、沖縄だけが、金環日食の見える範囲だった。「平和の要塞」である。私たちの沖縄研修道場でも観測できたという。
 この時、私は、愛する兵庫の青年平和文化祭などに出席するため、“常勝関西”の地で指揮を執っていた。
 日食の当日は、大阪の関西創価学園の「健康祭」に赴き、未来を担う学園生の潑剌たる雄姿を嬉しく見つめた。あれから25年、皆、どれほど逞しく成長していることか。地上の金星たる、わが学園生の鮮烈な命の輝きに思いを馳せる時、私の心は躍る。
       ◇
 豊かな詩心の沖縄では、日食を「太陽と月の結婚」とする美しい民話も伝えられる。それは、何とロマンあふれる“天体の結婚式”であろうか。
 私には、まるで太陽と月が一体になったような、明るく仲睦まじい沖縄の父母《ちちはは》たちの笑顔が目に浮かぶ。
 いずこにもまして苦労を乗り越えられてきた沖縄の同志は、苦しむ友の心を、力強い陽光の如く励まし、優しい月光の如く癒やす不思議な力を持っている。
 「世界最初の広宣流布のモデル地帯」を目指して、「イチャリバチョーデー」(行き会えば、皆、兄弟)という大海原のように開かれた心で、愛する沖縄家族は、今日も友情と信頼を広げておられる。
 私は大好きな「沖縄健児の歌」を聴かぬ日はない。この5月15日には、返還40周年を迎える美しき「うるま島」(珊瑚の島)に、永遠の平和と繁栄と和楽あれと、いやまして祈りに祈り抜いている。

 広宣の
  先駆と模範の
       沖縄勢

60星霜の旅路
 昭和27年(1952年)の5月3日、私と妻のささやかな結婚式で、実質の仲人をしていただいた戸田先生は短い祝辞をくださった。
 「私の願うことはただ一つ、これからの長い人生を広宣流布のために、二人で力を合わせて戦い切ってもらいたい」
 このご指導通りに、ただひたすらに、2人で歩んできた60星霜である。
 結婚60年を、「ダイヤモンド婚」というそうだ。思えば結婚の時、私は、ダイヤの指輪を買ってあげることができず、「ダイヤだよ」とユーモア交じりに言って、ジルコン(ダイヤモンドのようにつやのある鉱石)の指輪を贈った。
 そのジルコンの指輪は、年々、輝きが色褪せてしまい、妻と大笑いしたものだ。
 だが、戸田先生の弟子として、ただただ広宣流布のために、一つまた一つと試練を乗り越えるたびに、戦友の絆が、ダイヤモンドの如く堅固の度を増してきたことは確かである。
 「日月・両眼・さう(雙)のつばさ(翼)と調ひ給へ」(同1118ページ)との御聖訓通りに、二人して人生を切り開き、苦難の数だけ強くなった。
 「男は力を持て」
 「妻はどんな時も笑顔で」
 これから、新たな家庭を築きゆく若き夫婦に、私は恩師からいただいた、この指針を贈りたい。

「不変」の母の祈り
 朗らかな
  微笑み絶やさぬ
    母なれば
  無量の人に
    慕われ光りぬ

  「5・3」は「創価学会母の日」でもある。
 日本中、そして世界中で奮闘してくださる「太陽の婦人部」の皆様方に、あらためて深厚なる感謝の思いを捧げたい。
 昭和35年(1960年)の5月3日、第3代会長就任の夜、大田区小林町の小さな小さな自宅に、お祝いに訪ねてきてくれた、草創の関西の母がいる。
 お祝いというよりも、「お葬式」との覚悟で、この日を迎えた、わが家の雰囲気に驚かれていた。その母へ、私は、色紙に「不変」と書き贈った。
 師弟の誓いだけは何があっても変えない、と決めたこの母は、常勝の人材城を築き上げてくれた一人である。晩年、若い人材の活躍に喜び語っておられた。
 「“何かあれば題目。苦しい時こそ折伏精神で。そして今度も勝ってみせる”と、ヤングの婦人部たちまで自然に口にしています。
 草創期に戦ってきた私たち以上に、大きく、たくましく成長している姿が、関西のどこでも見られます」
 苦楽を分かち合い、戦い抜いてきた、功労の同志たちのことが、私の胸奥から離れることはない。
 「日蓮に共する時は宝処に至る可し」(同734ページ)と「御義口伝」に仰せの通り、我らは共々に、永遠に「常楽我浄」の生命の軌道を愉快に進みゆくのだ。
 「5月3日」は、母たちへの感謝を捧げつつ、来る年来る年、賑やかに「地涌の菩薩」のスクラムを広げゆく、創価家族の晴れの祝日なのである。
      ◇
 今月の金環日食を経て、次に日本で見られるのは、2030年、北海道である。
 恩師が逝去された翌年の昭和34年(1959年)1月17日、私と同じ心で立ち上がってくれた北海道の同志に深謝しながら、私は忘れ得ぬ夕張の地で日記に記した。
 「これらの強き同志あれば──これからの闘争に、断じて敗れまい」
 そして、私は心の奥にある思いを綴り残した。
 「この人びとのために──私は起たねばならぬ。時は……刻一刻と近づいて来た。どうしようもない。時の流れか、要求か、宿命か」
 私は、いじらしい庶民の正義の心が脈打つ夕張で、一切の魔を断ち切らんと、今世の新たな大闘争への覚悟を深めていた。
 私がよく知る北海道広布の開拓の父は、悪口罵詈の渦巻くなか、胸を張り広大な舞台を走り抜いてきた。
 この父が宝としてきた、戸田先生の師子吼がある。
 「貧乏人と病人の集まり」という学会への中傷を打ち破る恩師の叫びである。
 「結構ではないか! 本当に苦しんでいる人びとを、創価学会以外に、一体、誰が、生命の根底から救うことができるのか!」
 齢90歳となられた、この多宝の父は、今も矍鑠《かくしゃく》と、「信心で勝負する人生が一番、強い」と、友を励まし続けておられる。
 北海道で金環日食が観測される2030年は、創価学会創立100周年の佳節でもある。師弟有縁の3代城・北海道は、100周年の勝利を開く使命深き新天地だ。
 ともあれ、日本のみならず世界の大舞台を、自由自在に舞いゆく若鷲こそ、今の未来部の友である。明日、5月5日は「創価学会後継者の日」──わが生命の宝の子どもだちよ、大いなる希望の大空へ羽ばたけと、祈らずにいられない。
        ◇
 栄光の
  世界の地涌の
    ともどちが
  誓願 胸に
   なんと晴れやか

 「5・3」を祝賀する本部幹部会では、アメリカ創価大学出身のハワイの女子部のリーダーが、清新な決意を立派に述べてくれた。
 私が、アメリカ初訪問の計画を発表したのは、会長に就任した翌月の本部幹部会であった。
 「大願とは法華弘通なり」(同736ページ)、「誓願と云うは題目弘通の誓願なり」(同846ページ)との仰せのままに、世界広宣流布の大誓願に向かって行動を開始したのである。
 早くも7月には、海外に在住するメンバーと連携をとるための「海外係」が発足。そして10月、ハワイに海外指導の第一歩を印したのである。以来、54カ国・地域を訪れた。
 「誓願」は即「行動」である。「誓願」は即「真剣勝負」なのである。
 御聖訓には「物たね(種)と申すもの一なれども植えぬれば多くとなり」(同971ページ)と示されている。
 いずこにおいても、開拓の歴史は、一握りの友から始まった。自分が花を咲かせるのではなく、妙法の種を蒔き続けていく決心のリーダーたちから広がった。
 そして今、創価の平和主義・文化主義・教育主義、さらに人間主義の運動は、192カ国・地域で美しい大輪の花を咲かせている。
 地域広布も、世界広布も、その大河となりゆく流れは、誓いの一念を定めた「一人」のたゆまぬ挑戦と前進から始まるのだ。

徹し抜く大情熱で

 この夏、ロンドン・オリンピックが開催される英国でも、地涌の同志は、希望に輝く「良き市民」として、社会に貢献を続けている。
 我らのタプロー・コート総合文化センターは、英国五輪協会創設者のデズボロー卿ゆかりの建物である。
 本年は、英国の作家ディケンズの生誕200周年にもあたる。戸田先生の元に集った女子部の人材グループ「華陽会」で学んだ小説『二都物語』の作者である。
 ディケンズは少年時代、靴墨工場で朝から晩まで働いた。その苦労を魂の滋養にして、やがて虐げられた人びとに寄り添う名作を残していったのである。
 彼は自伝的作品の主人公にこう語らせている。
 「徹底的で、熱心で、心底一途であることの代わりになるものなんか何もありはしない。全身を抛《なげう》つべきものに、ほんの片手だけを置くような真似は絶対にしないし、また何であれ、自分の仕事を見くびるような真似は絶対にしない」
 一事に徹し抜く情熱なくして大偉業は成し得ない。我らには、その燃える魂がある。希望がある。だから強い。恐れない。
 人類史にあって、「一人も残らず幸福に!」という究極の生命の希望が文字に凝結したもの、それが法華経といえようか。大聖人の御書は、その精髄の“希望と勝利の経典”である。
 御書発刊から60周年、この不滅の希望の輝きは、いよいよ人類の未来を赫々と照らし出している。
 さあ、元初の5月3日から、大いなる希望に燃えて、正義の師子吼を轟かせゆくのだ。今再び、異体同心の団結で、新たな一歩前進を開始しよう!
 「声仏事を為す」(同708ページ)──私たちの誠実な対話、勇気の行動は、人間の勝利へ、最極の希望を創り広げゆく戦いなのだ。

 広宣の
  我らの元初は
    この日かと
  希望の彼方は
     勝利の山々

 ニーチェの言葉は『ツァラトゥストラはこう言った』氷上英廣訳(岩波書店)。ディケンズは『デイヴィッド・コパフィールド』石塚裕子訳(同)
2012-05-04 : 随筆 我らの勝利の大道 :
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