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魂の人間讃歌  ジャズと人生と仏法を語る 第12回

魂の人間讃歌  ジャズと人生と仏法を語る

第12回 家庭から平和のハーモニーを(2011.8.19/20付 聖教新聞)

親子は一体! 共に理想へ 共に幸福に

父母から学んだこと──
ショーター氏
「皆と仲良く」「広い心を持て」
ハンコック氏
子供の決断を尊重して応援

ハンコック 早いもので、この「芸術」と「人生」と「信仰」をめぐる鼎談の連載が始まって、1年となります。この語らいは、音楽家として、人間として、信仰者としての自分の人生を、より深く掘り下げて考える契機となりました。
ショーター 同感です。私にとっても、この鼎談は、人生を変えるような、自分自身との真剣な討議です。実際、この語らいをさせていただくまで、10代のころの自分を振り返り、現在、成長している自分と比較する機会もありませんでした(笑い)。
 わが家には、若き池田先生の肖像画を飾らせていただいています。ハービーは見たかな? 19歳の池田先生が、戸田先生のもとで誓願を立てられた当時の英姿です。若き先生の顔には、決意と献身、そして慈愛が漲っています。
 一方で、同じ年代の自分の顔は、どのように見えていたでしょうか(笑い)。それは、ちょうど、私がニューヨーク大学に進学したころです。
 その時の私は、仰ぎ見る深遠な智慧を持ち合わせた師など、いないと思っていました。池田先生の存在を知りませんでしたからね。
池田 若きショーターさんが苦闘と思索を重ね、どれだけ真剣に新たな創造の道を開いてこられたか、よく存じ上げています。
 私自身、8月の夏の盛りに、19歳で戸田先生に初めてお会いした日の感動は、今も忘れません。
 昭和22年(1947年)の8月14日──あの日の先生のまなざしは、いつも、私を見守ってくださっています。一人の農しい無名の青年を信じ、最も崇高な使命の旗を託してくださった師恩にお応えし抜いていくことが、私の人生です。
ショーター 当時、池田先生は、哲学を学ばれ、世界を平和的、人道的に、よりよく変えていくために何ができるかについて探究されていました。
 その池田先生と戸田先生との出会いがあって、今のSGIがあり、私たちもあるのです。
ハンコック 本当にそうですね。私たちは、人生の師匠・池田先生と出会い、妙法を受持したことで、人間としての正しき道を歩み始めることができました。感謝は尽きません。
池田 あの日の出会いから、私は誓願の人生を進むことになりました。今、同じように、新しい時代を担う青年たちが、日本中、世界中で陸続と立ち上がってくれています。それが何より嬉しく、頼もしいのです。
ショーター 池田先生が戸田先生と出会ったころ、私はといえば、どう学校から抜け出すかと考えていました(笑い)。チャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーの音楽を聴いたのは、そんな時でした。
 バード(チャーリー・パーカーの愛称)には「音楽は、自分自身の体験、思想、そして英知だ」(ウォイデック著『チャーリー・パーカー──モダン・ジャズを創った男』岸本礼美訳、水声社)との言葉があります。今、青年時代を振り返り、あの時に聴いた音楽の魅力と価値創造とが密接に結びついていたことが分かります。今になって、明確に、あの音楽の中に価値があったことが分かるのです。
池田 自分は青春の理想を貫いてきた──来し方を振り返って、そう言い切れる人生は素晴らしい。
 また、妙法は「活《かつ》の法門」です。どんな経験でも、自他共の幸福の価値創造のために活かしていけます。
 たとえ、失敗続きの辛く苦しかった逆境も、あの日があって今の自分があると思えるようになるのです。
 お2人の人生の起点には、その才能を温かく育まれたご両親の愛情がありました。
 日本では、この夏、未来部のメンバーが主役となって、家族が一緒に集い合う創価ファミリー大会が活発に行われています。今回は、お2人のご両親の思い出を、あらためて語っていただければと思います。
ショーター ありがとうございます。私は両親から、多くのことを学びました。特に、「皆と仲良く生きること」「広い心を持つこと」を教わりました。
 私の記憶では、母は、人の出自などを気にかけたことがありません。社会的立場や人種、宗教で、人をえこひいきすることは決してなかったのです。私たち子どもにも、偏狭な考えや先入観を持たせるような躾はしませんでした。ですから、私は母が、誰かのことを悪く言うのを聞いたことがありません。誰かが人を傷つけるような言動をすれば、母は、ただちに断固として反対しました。そして常々、私たちに、「他人の悪口には耳を作さないことよ」と教えていました。
池田 いいお話です。それは、人間教育の真髄ですね。
 御聖訓には、「わざわい(禍)は口より出でて身をやぶる・さいわい(福)は心よりいでて我をかざる」(御書1492㌻)とあります。
 お母様は、人間として最も大切な心の宝を教えてくれました。お母様の「分け隔てしない心」「人を尊敬し大切にする心」は、皆の心を大きく温かく包みゆくショーターさんの音楽の中にも生き続けていますね。
 母は偉大です。日々の暮らしのなかで、母が発する励ましの声は、ジャズの即興演奏のように自在であり、明るく心豊かに、家族を勝利させずにはおかないという知恵と力に満ちあふれています。
 時に耳が痛くなるような厳しい叱咤にも、根底には子どもへの愛情が貫かれています(笑い)。あたかも、ジャズで、ドラムやベースの音律が、一貫して強く深く、正確なリズムを刻み、乱れずに曲を支えていくようにです。
        ♫
ハンコック 絶妙な例えです。私が大学生のころを思い出します。工学を専攻していましたが、2年の終わりに、専攻を音楽・作曲に変えるという、重要な決断をしました。
 両親が学費を捻出してくれていたこともあり、私は決意を電話で伝えました。すると、両親は理解してくれたのです。
 しかし、そう言いながらも、母は、あまり喜んでいませんでした。電話で話すたびに、母はいつも、「本当に、家に帰ってくる気はないの? あなたの部屋は、まだここにありますよ」と言うのです(笑い)。
 私は、いつも「いいえ、家には帰りません。ここでうまくやっています」と答えました。ポケットに、だったの12セントしかなかった時でも。前日から何も食べていなくても。
池田 お母さんは、ハービー青年の声の響きから、すべてを察しておられたことでしょう。子どもが何歳になろうが、親は心配してくれるものです。
 「親思う こころにまさる 親心」とは、日本の幕末、松下村塾という私塾から多くの逸材を輩出した教育者・吉田松陰の辞世の歌の一節です。
 私もアパートで一人暮らしをしていたころ、恩師の事業が大変で給料も遅配が続く時がありました。親には一切話していませんでしたが、母が心配し、家族に託して外食券などを届けてくれたことを思い起こします。
 日蓮大聖人は、「父母の成仏即ち子の成仏なり、子の成仏・即ち父母の成仏なり」(同813㌻)と仰せです。たとえ離れていても、親子の命は、いつもつながっています。生死を超えて、永遠に一体に、生命の幸福と勝利の曲を奏でていけるのです。
ハンコック 本当に今思えば、ありがたい父母の愛情でした。私たちがまだ幼い時から、父も母も、子どもたちが人生の方向性を決める時期が来たら、子どもたちの決断を尊重し、応援することで、同意していました。「あなたたちが、なりたいものが何であっても、私たちは応援しますよ」と言ってくれていたのです。
池田 それは、わが子に対する絶対の信頼であり、最大の愛情ですね。
 仏典には、「父母は、『生』『養』『成』『栄』という四つの働きで、子を護り育てる」と説かれています。一人の生命を生み出し、養い育むとともに、幸福境涯を成就せしめ、使命の人生を勝ち栄えさせてくれる。ここに、父母の人間教育の奥行きの深さがあるといってよいでしょう。
        ♫
ショーター 私の父母も、私が幼いころから、どんなことでも試すのを許してくれました。
 両親は、決して高い学歴ではありません。母は、リウマチ熱のために高校を1年でやめています。陸上競技のランナーで、いくつものレースで優勝メダルを取るような選手でしたが、走るのをあきらめざるを得ませんでした。また、祖母の面倒を見るために働かなければならなかったのです。
 しかし、兄に代数を教えることができるほど、しっかり数学を勉強していましたし、大変な読書家でした。
 小学4年生までの教育しか受けられなかった父も、読み書きはとても上手でした。両親は、家族のために力を合わせて働いてくれたのです。
池田 最も気高いご両親の姿です。
 自らは学校に十分に行けなかったからこそ、子どもたちには、できる限り、よい教育を受けさせ、思う存分に学ばせてあげたい。この父母の心ほど、尊く、ありがたいものはありません。
 創価教育は、そうした父母から託された「向学の心」を、生き生きと燃え上がらせていく挑戦です。
 この夏も、わが創価大学では、生涯教育の先頭に立って、通信教育部のスクーリングが真剣に有意義に行われています。そこには、父や母が子や孫と一緒に学ぶ麗しい光景も見られます。
ショーター 素晴らしい学びのセッション(共演)ですね。
 わが家は貧乏でしたが、母は、楽しいサプライズ(驚き)を思い描きながら、人生を生きました。私たち子どもは、母が食料やプレゼントを買うのに、家計をどうやりくりするのか不思議に思っていました。母は、いつも私たちに「明日はどんな楽しいサプライズがあるのだろうか」と期待をもたせてくれました。ですから、母の周りでは、いつも笑顔が絶えませんでした。母は“即興演奏家”のような人生を送っていたのだと思います。
池田 よく分かります。お母さんは、日々、嘆きの哀音も、生きる喜びの歌に変え、不安や争いの不協和音も、希望と和楽の交響楽へと高めてしまう大音楽家ですね。
 「誰もかれもが、女性のなかの最もすばらしい人を個人的に知り、また愛し、尊敬している──自分の母親を持っている」(『マーク・トゥエインスピーチ集』金谷良夫訳、彩流社)とは、アメリカの作家マーク・トウェインの慧眼でした。
 わが家も、父が病気で倒れ、家業が傾いて、生活が苦しくなりました。母は「うちは貧乏の横綱」つまり“スモウのグランド・チャンピオン”(笑い)と、朗らかでした。その母の明るい笑い声が、私たち家族を、どれほど勇気づけてくれたことか。
 夏のヒマワリ畑では、どの花も太陽の方向を向いて伸びていきます。それと同じように、親子が共に大いなる理想や夢の方向を向いて、互いに成長していく。そうした希望のファミリーが、若き生命の無限の可能性を育む大地となるのではないでしょうか。

親を愛し、友を愛し、人間を愛せ


ショーター氏
両親の“負けない人生”を手本に
ハンコック氏
“母の信頼に応えよう”と成長

ハンコック 池田先生! 先月、パリのユネスコ(国連教育科学文化機関)本部にて、「ユネスコ親善大使」に任命していただきました。
 文化という分野でユネスコの理念を啓発するプロジェクトの一翼を担って、取り組んでまいります。就任式には、池田先生から真心あふれるメッセージをいただき、本当にありがとうございました。
池田 おめでとうございます。わが同志の活躍ほど嬉しいことはありません。
 ユネスコのイリナ・ボコバ事務局長から、私にも丁重な招へい状をいただき、恐縮しております。式典には多くの来賓が出席されたと伺っています。盟友であるショーターさんも駆けつけられたのですね。
 文化を通じて国際協調を築きゆく、ユネスコの取り組みは、ますます重要です。SGI(創価学会インタナショナル)も公式にユネスコに登録されたNGO(非政府組織)として活動してきました。
 20年前、当時のマヨール事務局長と大阪でお会いした折、ユネスコ憲章の理念を踏まえて、恒久平和への多くの課題を克服するために、まず人間の「心の変革」から始めなければならないと語り合いました。
 マヨール事務局長が、“正義の中の平和”“自由の中の平和”を目指すSGIの運動は、まさに、ユネスコの設立目的と一致していると期待されていたことも深く心に残っています。その意味において、私どもはユネスコと協力して、今後とも、さらに平和・文化・教育の運動を進めてまいります。
 ともあれ、ショーターさんも、ハンコックさんも、多忙を極める音楽活動のなか、尊き人類貢献の使命のために若々しく東奔西走されていることに、深い敬意を表さずにはいられません。
        ♫
ショーター ありがとうございます。
 たとえ年齢が20歳前でも、すでに自分のやり方が固定してしまっている若い人たちが数多くいます。私がこの信仰を始めたのは、すでに壮年部の世代である40歳でしたが、大胆で明るくいこうと思っていました。その時、はっと閃いて、私はこう言いました。
 「私は、40歳であっても、人生のすべてに心が開かれていることを、多くの人々に示していきます!」と。
池田 その通りです。それこそ創価の精神です。初代会長の牧口常三郎先生は入信された時、57歳でした。先生は、「言語に絶する歓喜を以て殆ど60年の生活法を一新」したと綴られています。
 ちょうど、この8月24日は「壮年部の日」に当たります。そこで、お2人に伺いたい。「お父様」には、どんな思い出がありますか。
ハンコック そうですね、私の父は、笑うことと冗談が大好きで、いつも人々をハッピーにしました。とっても面白い人だったので、皆、父の周りにいることを好みました。父は、いつも上機嫌でした。絶えず冗談を言い、楽しいことをして、周囲を良い気分にさせたいと考えていました。
 ところが、家の中では、私たちが何かしようとする時は、父は、いつも「お母さんに聞きなさい」と言いました。父は、とにかく目立たないように、とても静かにしていました。
ショーター 私の父は無口なほうで、人の話をさえぎったり、反対意見を述べたりすることは、まずありませんでした。母の決めたことには、決して異論を唱えませんでした(笑い)。
池田 どちらも、「賢者」の振る舞いの父上でしたね。
 日蓮大聖人は、壮年門下に、たとえ苦境の日々にあっても、揺れ動く感情に流されず、悠然と笑みを湛えていくことを教えておられます。
 池上兄弟が、周囲の讒言によって、大事な仕事から外されてしまった時にも、こまやかに激励を送られました。
 「穏便にして・あだみうらむる気色なくて」「つねにえ(咲)めるすがたてにておわすべし」(御書1107㌻)と。
 また、短気な四条金吾には、特に女性との関わりにおいて、「いさか(争)うことなかれ」(同1176㌻)と厳しく戒め、聡明に包容していくことをアドバイスされていました。
ハンコック 私には、父との忘れられない思い出があります。
 私が16歳の時、ある食料品店のレジ係の仕事に就きました。仕事を始めて2日目、店長が、私を奥のほうに連れていき、お客の支払う代金をごまかしてレジに打ち込む方法を教え、お客から少しずつお金を多くとれと言ったのです。私は悩みました。
 その夜、家に帰って、父に相談しました。不正をしないと、私は解雇されてしまうが、やりたくない──。
 父は語りました。
 「息子よ。これは、お前が自分自身で出すべき決断だよ」
 父は私を信頼し、私が正しい判断をすると信じていたのです。
 私は言いました。「分かった。この仕事は辞めることにする」
 すると、父と母は、「ハービー、お前を本当に誇りに思うよ」と、私を抱きしめてくれました。
        ♫
池田 美事な人間教育ですね。ハンコックさんのお父様は、息子を信じ、あえて自分で考えて決断するように促されました。
 若く清き魂は、信じられた時、その期待を敏感に感じ取るものです。ハンコックさんは、お父さんから、不正に対して勇気を持って立ち向かうことを教わったのですね。
ハンコック その通りです。
 もし父が、即座に「お前は、明日、その仕事を辞めなさい」と言っていたら、私は何も学ぶことはできなかったでしょう。
 自分で学ばせる教え方は、私が音楽の師と仰いだ名ジャズ・トランペッターのマイルス・デイビスがしていたことでもあります。マイルスは、決して答えを教えませんでした。彼は、私たち自身で答えを見出すための道を示すようにしたのです。
池田 信じ、見守る慈愛が、青年の力を引き出します。鍵は「信頼」です。平和研究の母ボールディング博士との対談では、家族の歌声で平和に貢献したトラップ一家が話題になりました。映画「サウンド・オブ・ミュージック」のモデルです。博士の友人であるトラップ家の母親マリアさんも、「信頼は、新しいエネルギーを生みだす」(トラップ著『サウンド・オブ・ミュージック』谷口由美子訳、文溪堂)と語っています。
 牧口先生は、「すべての子どもに『幸福になる力』を身につけさせる」ことを教育の目的としていました。それは、子どもを一個の人格として尊重し、その可能性を信じ抜く戦いを伴います。先生は、「自らがなすことによって学ぶことのできる」ように指導することを、強調されたのです。
 ハンコックさんのご両親やマイルス・デイビスさんの振る舞いは、まさに巧まずして人間教育の理想を体現されていたといえましょう。
 ともあれ、子どもにとって、父母は最初にして最大の教師です。
 だからこそ、子どもの前での夫婦喧嘩などは、できるだけ避けたいと、教育者の先生方と語り合ったことがあります。
ショーター 私は父から「忍耐」を学びました。私は父が取り乱すのを見たことがありません。怒ったり、不満を漏らしたりする姿も、見たことがありません。最近、家庭内暴力が問題になっていますが、幸い、わが家では一切ありませんでした。
 私は成人するまで、両親が人生の試練に立ち向かい、打ち勝ち、困難な時にも、決して負けることなく生き抜く姿を見ながら育ちました。二人とも、愚痴を言ったり、泣き言を言ったりはしませんでした。
        ♫
池田 立派なご両親でしたね。
 「忍耐」──トインビー博士が私との対談の中で、若い世代に伝えたい助言として一言、「忍耐強くあれ」と言っておられたことを思い起こします。
 ともあれ、「人の振舞」を説く大聖人の仏法では、一貫して「親孝行」の大切さを強調しています。「孝養の人を世尊となづけ給へり」(御書1065㌻)ともあります。さらに、「自身仏にならずしては父母をだにもすく(救)いがた(難)し」(同1429㌻)とも教えられました。
 ショーターさん、ハンコックさんが奏でる人生勝利の曲は、まぎれもなく、ご両親を包む生命の讃歌であり、栄光の凱歌であるに違いありません。
ハンコック ありがとうございます。人間は、肉体的にはヒトとして生まれても、それは真に「人間」として生まれたことにはなりません。成熟した人間へと成長していかねばならない──これは池田先生から教わった仏法の哲学です。それが「人間革命」です。そして、人間主義の宗教の実践では、私たちの振る舞いこそが重要になると思います。
ショーター 私がこの仏法の実践を始めた時、父は既に亡くなっていましたが、一緒に暮らしていた母は、私の信心に対して態度を保留していました。母と、この信仰をめぐって“綱引き”が始まりました。私は母を尊敬していたからこそ、この信仰をして大丈夫であることを分からせる必要がありました。
 わが家で会合があると、母はいつも台所から耳を澄ませ、“オブザーバー”として観察していました。
 そして遂に「あなたにとってその信仰が良いのなら、もう反対はしないわ」と言ってくれ、批判も反発もしないようになったのです。
池田 まさしく「道理証文よりも現証にはすぎず」(同1468㌻)です。お母様は、じっとショーターさんの真剣な姿と成長の様子を見守られていたのでしょう。
 また、親孝行なショーターさんの真心を痛いほど感じられていたに違いありません。ショーターさんの体験は、新入会の友にとって大きな励ましです。
 家族が未入会であっても、信仰のことで争う必要は、まったくありません。焦らなくてもいいんです。自分も家族も共に、永遠の幸福を勝ち開いていくための信仰だからです。
ショーター 「親孝行」ひとつとっても、仏法の原理は、いずれも杓子定規的ではありませんね。
 本来、どんな原理も、人間が活用するためにあるはずです。その原理は、私が音楽を作曲する際にもあてはまります。音楽には、完全無欠の作品はありません。一つの音階でも、無限の表現の可能性を持っています。ですから私は、ずっと学び続けていくつもりです。仏法に対しても、音楽に対しても、私は謙虚にならざるを得ません。
ハンコック そうです。音楽では、無制限に何か新しいものをつけ加えることが可能です。音楽創造の源としての限りない水源を掘り続けていくことができます。すべては自分次第なのです。
 仏法を通じての新たな自分像の発見は、私の創造性を開いてくれました。私の演奏および人生のあらゆる側面において、以前には考えもしなかった新たな眺望が広がり続けています。
池田 まことに大事な視点です。
 戸田先生は、私たち青年に、こう呼びかけられました。
 「衆生を愛さなくてはならぬ戦いである。しかるに、青年は、親をも愛さぬような者も多いのに、どうして他人を愛せようか。その無慈悲の自分を乗り越えて、仏の慈悲の境地を会得する、人間革命の戦いである」と。
 ですから、親不孝の青年に対しては、厳しく叱られました。
 親を愛し、友を愛し、人を愛していく──その「人間革命の戦い」のなかで、人々のため、社会のため、未来のため、わが生命に秘められた創造力を必ず自分らしく開いていくことができるのです。
ショーター この仏法の実践が深まるにつれ、私は、自分自身を見出すことができ、自分らしい生き方を貫かなければならないことが分かってきました。私は音楽を通じて多くの人に語りかけたいのです。しかし、そのために自分の音楽をありふれた簡単なものにする必要はありません。
 まだ踏み固められていない道こそ、私の進むべき道です。その道は、たやすく進むことのできない道であり、仏法の使命にも通じる道であると思っております。
池田 法華経には、「知道者(道を知る者)」「開道者(道を開く者)」「説道者(道を説く者)」と記されております(薬草喩品)。
 最高無上の生命の価値を創造しゆく「この道」を学び、開き、広げていくために、私たちは共に、にぎやかに歓喜の音楽を奏でながら行進していきましょう! 不二の同志として! 永遠の家族として!
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2011-08-21 : 音楽を語る :
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アメリカ創価大学「新入生歓迎レセプション」へのメッセージ

アメリカ創価大学「新入生歓迎レセプション」へのメッセージ(2011.8.10 アメリカ創価大学)

 アメリカ創価大学(SUA)の11期生の入学を祝賀する「新入生歓迎レセプション」が10日(現地時間)、カリフォルニア州オレンジ郡アリソビエホ市の同大学で開催された。これには、創立者の池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長がメッセージを贈り、「誇りも高く、知性の探究と価値の創造の大海原へ勇敢に船出をし、荒波をも恐れぬ開拓の青春航路を」と呼びかけた。席上、開学10周年を記念して創立者が作詞・作曲した「希望の光」が発表された。


時代の激動に勝ち抜く知性を
世界は「民衆愛の指導者」を待望


 一、親愛なる新入生の皆さん方、わがアメリカ創価大学(SUA)に本当にようこそ!(大拍手)
 晴れの入学、おめでとうございます。
 ご家族の皆様方にも、心からお祝いを申
し上げます。
 希望に満ちた新出発を祝福してくださる教職員の方々、そして、在学生の皆さん、誠にありがとうございます。
 SUAは本年、大いなる前進の息吹の中で、開学10周年の佳節を飾ることができました。この10年、尊き開拓の情熱に燃える、学生、卒業生、教職員が一体となっての努力と奮闘によって、見事な草創の伝統が築き上げられました。創立者として感謝に堪えません。
 そして、次なる10年、20年、さらには50年先へ、創価の人間教育、世界市民教育の大連帯を、いかに発展させていくか──その未来を力強く決するのは、SUAの「第2の草創期」の主役であり、そして「ルネサンス1期生」たる、わが第11期生の皆さん方であります。
 フランスのナポレオン家の子孫であり、歴史作家でもあるシャルル・ナポレオン公は、私との対談の中で語っておられました。
 「道なき道を開いた『一人』の存在は偉大である。しかし、それ以上に、その険しき道に続き、さらに道を広げていく人の存在は、さらに偉大である」と。
 どうか、第11期生の皆さんは誇りも高く、知性の探究と価値の創造の大海原へ勇敢に船出をし、荒波をも恐れぬ開拓の青春航路を残していってください。

英知を鍛えよ!
 一、希望に満ちた大学生活の出発に際し、私は3つの指針を贈りたい。
 第1に、「平和の英知を鍛えよ!」ということであります。
 わがSUAは、生命尊厳の思想を根本として、人類の平和と幸福のために、新たな価値を創造し、貢献しゆく、世界市民を育む大学であります。
 激動の時代にあって、世界は、新しい人材像を希求しております。アメリカの“人権の母”エレノア・ルーズベルトは、未来を展望して、こう語りました。
 「あらゆる偉大な文明が滅びた理由は、ある意味で、それが固定化し、新しい状況、新しい方法、そして新しい考え方に、柔軟に適応できなくなったからです」
 まさに今こそ、新しい発想と柔軟な思考をもって、歴史の挑戦に応戦し、時代を敢然とリードしゆく世界市民が要請されております。
 その先頭に立つのが、アメリカ創大生であります。わが第11期生は、その崇高なる使命を深く胸に刻みながら、世界から集い合った不思議な縁の学友と共々に、互いの知性と人格を切磋琢磨していっていただきたい。
 皆さんの一歩一歩の前進が、人類の平和文明を創る希望となり、勝利となるのです。

挑戦は青春の証
 一、第2に、「挑戦の心を貫け!」と申し上げたい。
 青春時代は、ある意味で苦労の連続といえるかもしれない。思いも寄らぬ困難や悩みに直面することもあるでしょう。
 しかしその時こそ、自身が最も成長できる、かけがえのないチャンスであります。
 東洋の英知の言葉に「鉄《くろがね》は炎《きたい》打てば剣《つるぎ》となる」(御書958㌻)とあります。
 若き日の労苦は全て、自分自身を鍛える財産となる。悩んだ分だけ、人の心がわかり、手を差し伸べられる人間となる。
 ゆえに、「後退ではなく前進」「逡巡ではなく挑戦」を貫いたと胸を張れる、有意義な日々を送っていただきたいのであります。

人類貢献の道を
 一、第3に、「実力光る民衆リーダーに!」と訴えたい。
 私の大好きなアイルランドの詩人イェーツの言葉に、「智者のごとく思索せよ、そして庶民の言葉で語れ!」とあります。
 民衆という人間の大地を離れて、真の科学も、芸術もありません。
 SUAは「民衆の民衆による、民衆のための大学」であります。世界中のけなげな庶民の方々が、支え続けてくださっております。先日、新たにオープンした、ここ創価芸術センターも、その尊き真心の結晶です。
 その方々は、ここに集い来る学生一人一人が、民衆のために尽くし、人類に貢献しゆく、真の大指導者に育ちゆくことを信じています。この全世界の民衆の夢と希望が託された学問の殿堂で、思う存分に学び抜き、実力を磨き抜いていってください。
 一、わが愛する第11期生に、インドの非暴力の大英雄マハトマ・ガンジーの言葉「内なる灯火が輝くとき、それは全世界を照らす」を贈ります。
 結びに、栄光の新入生、万歳! 新時代の若きパイオニアたちに健康と充実あれ!
 大成長と大勝利あれ!──と叫んで、私のメッセージといたします(大拍手)。


「希望の光」  
    作詞 山本伸一
    作曲 山本伸一、ウェイン・グリーン

[1番]
朝霧の中に 我は勇み立つ
わが使命の舞を 心に期して
太陽は決然と丘に昇り
我らのキャンパスを黄金に染める

希望の光よ
この天地より生まれ出でよ
千年を超えて
輝き続けるのだ

すべての道にも すべての石にも
創立の心は わが心と共に宿る
民衆のために 恐れなく学び抜こう

世界に羽ばたき
人類の幸福の未来を開くのだ

我は誓う
青春の夢に向かって
今日も探究の坂を登らんと!

[2番]
向学の友は 地より湧き出で
深き友情の世界市民は集い来たる
生命の躍動が丘を包み
勝利の一日の始まりだ

希望の光は
今ここに
若き情熱を燃やしゆく
我らの心の中にある

艱難に勝る教育なし
いかなる闇も打ち破らんと
我らはただベストを尽くすのみ

社会に打って出る
我らの心は
建設の絆で結ばれている

我らは誓う
正義の理想に向かって
今日も対話の橋を架けようと!

[3番]
輝く満天の星の下《もと》
先哲の言葉に想いを回らす──
「若き友よ 君たちに わが夢を託す
君たちに頼む」

希望の光を
世界に広げて
自由と人道の旗を
ついに朗らかに翻すのだ

生命のルネサンスを
実現する哲学者たれ
平和の道を開きゆくのだ

この悩める世界が
我ら皆を待ちわびている
我らの勇敢なる心が
その呼びかけに応じる限り

君たちに捧げる
何ものにも屈しない
誓願の人生の誇りを!

君たちに捧げる
いかなる苦難も乗り越え
夢を実現する希望の光を!

The Light of Hope

Lyrics by Shin'ichi Yamamoto
Music by Shin'ichi Yamamoto and Wayne Green

[1]

In the morning mist, courageously I stand
Determined to fulfill
the dance of my mission
All at once the sun appears above the hill
And our campus is bathed in gold

O LIGHT OF HOPE!
Arise from here
Keep shining on
Beyond a thousand years!

On every path, in every stone
Resides the founding spirit
This spirit is my own
For the sake of the people,
I will study and learn fearlessly
And without cease.

And for the world
Create a new future of
Happiness for humankind.

It is my earnest vow
To climb the steep hill
of learning
In pursuit of my youthful dreams.

[2]
A determined youth
Emerges from the earth
The beating pulse of life
Grows stronger as we gather
Global citizens
Uniting here as friends
And triumphant, the day begins

THE LIGHT OF HOPE
Here’s where it starts
As youthful passion
Burning in our hearts

No education surpasses that
Of trials and hardships
Harsh lessons learned of life
We’ll go into society
And do the best we can
To shatter the dark of night!

To live a life
Engaged in new construction
Our hearts forever bound
As one.

Today we live our vow
Creating bridges of dialogue
So justice may be done

[3]
Underneath a shining
canopy of stars
We ponder the words of thinkers
through the ages:
"My young friends,
I entrust my dreams to you.
I am counting on you

To spread THE LIGHT OF HOPE
Throughout the world
To be the change that finally unfurls
The gleaming banner of humanity
The flag of freedom, for all the world to see

Be philosophers who bring about
A renaissance of life!
Open the way for peace!

This wounded world
Awaits us all
If our courageous hearts
will heed the call

I offer and dedicate to you
The pride of an indomitable life
Committed to the achievement
Of one’s youthful vow

I offer and dedicate to you
The light of hope
That rises above all hardships
And makes every dream come true
2011-08-16 : スピーチ・メッセージ等 :
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随筆 我らの勝利の大道 No.56

随筆 我らの勝利の大道 No.56
             (2011.8.13付)
三世の生命の旅路

“全世界 平和を祈らむ わが創価”
「仏教ヒューマニズム」の躍動を社会に


題目の光に包まれ「生死ともに仏」と
学会の「勤行法要」こそ真の追善回向


 全世界
  平和を祈らむ
   わが創価
  尊き仏勅
   晴ればれ光れや

 巡り来る8月15日──66年前のこの日、長い残酷な戦争が終わった。
 その敗戦の焼け野原にあって、今こそ人類の平和のために、妙法を世界に広宣流布するのだと、一人立たれたのが、わが師・戸田城聖先生である。
 今日、192カ国・地域に及ぶ壮大な平和と人道の連帯は、この時、たった一人から始まったのだ。
 あの太平洋戦争、そして第2次世界大戦は、計り知れぬ犠牲者をもたらした。
 私たちは毎夏、8月6日には広島で、9日には長崎で、「原爆の日」の追善勤行法要を営み、15日に「世界平和祈念 戦没者追善勤行法要」を行っている。国境も、思想・信条の違いも超えて、すべての戦争犠牲者に追善回向の祈りを捧げる法会である。
 それは、尊き犠牲を絶対に無にしないために、必ずこの世界に平和を築いてみせると、心新たに不戦を誓う会座でもある。
 戦後、ドイツの作家トーマス・マンは訴えた。
 「平和に対する裏切りは今後はもはや許されないであろうところである。なぜならそれは人類の自身に対する裏切りであるからだ」
 この文豪が「平和」という言葉から常に心に聴き取っていたものがある。それは「宗教的な響き」である。平和とは、人類が等しく分かち合う「祈り」なのだ。
 私たちは、仏法者として平和の前進の音律を、月々・日々に強めていきたい。
        ◇
 この平和祈念の法要は。青年部の主催で営まれている。誠に重要な伝統だ。
 ブラジルの天文学者モウラン博士との語らいで、強く一致したことがある。
 権力者は安閑と座し、何の罪もない青年が戦場に送られる。この理不尽な歴史を、断じて繰り返してはならないという一点である。
 戦争の犠牲になるのは、いつも青年だ。そして青年の母たちである。ゆえに、“嘆きの母”を出さぬため、青年が強くなるのだ。平和への連帯を広げゆくのだ。
 50年前、最初のアジア歴訪の途次、私はビルマ(現ミャンマー)で、日本人墓地に立つ戦没者の慰霊碑に読経・唱題を捧げた。私の長兄も、この地で若き命を散らした一人である。
 終戦後も2年間、安否の不明だった長兄の戦死が伝えられたのは、昭和22年の5月であった。あの母の悲しみの姿は、わが胸に突き刺さって離れない。
 青年の未来を残酷に奪い去り、こんなにも母を苦しめた戦争が憎かった。
 それから間もない8月14日、私は、軍国主義と戦い抜いた平和の指導者・戸田先生にお会いし、その弟子となったのである。戦後、2度目の終戦記念日の前夜であった。

諸精霊追善を皆で
 学会では、この8月15日を中心に、「諸精霊追善勤行法要」を営んでいる。新暦8月の盂蘭盆の時に合わせて、広宣流布の途上に逝いた同志や家族、友人、先祖代々の冥福を懇ろに祈念する法要である。
 宮城、岩手、福島3県の被災地をはじめ、全国の同志が心を一つに、東日本大震災の犠牲者の方々を追悼し、東北の復興ヘエールを送る集いでもある。
 この時期、全国の墓園や納骨堂には、“生死不二の都”として、多くの方々が訪れてくださる。暑い中、運営に当たってくださっている関係の皆様に、心から感謝を申し上げたい。
 墓園で営まれる追善の法要の導師の勤行が清々しかった等と、信心されていない家族・親戚の方々からも賞讃の声を頂くことは、嬉しい限りである。
 友人葬も、深く広く社会に定着している。「創価ルネサンス」の宗教改革は、形骸化し商業化した葬式仏教の儀典から、生き生きとした信仰を民衆の手に取り戻した。
 アメリカを代表する宗教学者のハービー・コックス博士も語ってくださった。
 「創価学会が宗教権威から破門を受けた後も、衰退するどころか、仏教ヒューマニズムともいうべき豊かな精神性を堅持しながら成長し、繁栄を続けていることに、私は深く注目しております」と。

唱題行の偉大な力
 追善の
  妙法 浴びて
   新しき
  生命《いのち》で帰れや
    創価の庭にと

 学会では、さまざまな法要が執り行われている。日本の習俗を踏まえ、お彼岸には春季・秋季彼岸勤行法要もある。各地の会館で、毎月のように追善勤行法要も、厳粛に営まれている。
 さらに、阪神・淡路大震災をはじめとして、各地の災害で亡くなられた方々への追善勤行法要もある。
 こうした学会の勤行法要は、いずれも、日蓮大聖人の仏法の本義に最も適った真実の追善の儀式である。
 大聖人は、成仏は、本人の信心によって決まると明確に示されている。
 御書には、「故聖霊は此の経の行者なれば即身成仏疑いなし」(1506㌻)と仰せである。
 妙法の「唱題行」には、それほどの力がある。
 故人が生前に唱題する機会がなかった場合もあろう。しかし、題目の力は広大無辺である。遺族が唱える題目は、間違いなく故人に届くのだ。
 「御義口伝」には、「今日蓮等の類い聖霊を訪《とぶら》う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間《むけん》に至りて即身成仏せしむ」(御書712㌻)と厳然と説かれる。
 さらに大聖人は、亡くなった父の追善のために、毎朝、自我偈を読誦していた門下の曾谷教信をねぎらわれて仰せられた。
 ──自我偈の金色の一つ一つの文字が、宇宙を照らし、いかなる所であっても、故人のおられる所まで訪ねて行って、聖霊に語られるのである、と。(同1050㌻、趣旨)
 だからこそ、題目を送る側の信心が大事となる。
 つまり、追善回向の本義とは、自らが真剣な仏道修行で得た功徳を「回《めぐ》らし向ける」ことなのである。
 「自身仏にならずしては父母をだにもすく(救)いがた(難)し・いわうや他人をや」(1429㌻)とも、御書には明言されている。
 広宣流布に戦う学会員は、誰人も成仏の功徳を得ていける。その大善根をもった学会員が自行化他の題目を唱えていけば、その功徳は、無量の先祖、無量の子孫、眷属へ、満々と回らし向けられていく。これが、追善回向の大功力である。
 坊主に拝んでもらわないと故人が成仏できないなどというのは、御書のどこにもない邪義だ。妙法の偉大な功徳力によってこそ、故人は成仏できるのである。
 明治時代、僧職について、作家の森鷗外が、「加持や祈祷を商売にして、手柄顔をするようになってはお話にならない」と、厳しく指弾していたことも有名だ。
        ◇
 そもそも「法要」という言葉は、御書には見られない。もともと、仏教に関した集会の意味や、「仏法の要」という内容で用いていた言葉である。
 御書には、追善のための仏教儀礼を「仏事」と表現されている例がある(8㌻)。
 その際、大聖人は、追善の仏事で念仏者等が法華経を誹謗すれば、結局、故人の苦も増してしまうと戒められている。法華経を根本とした追善でなければ、故人は救えないことを教えられたと拝されよう。
 学会の勤行法要は、まさに大聖人の仰せ通りの追善の儀式である。そして参列する人が平等に祈願する場であり、皆が生命に刻んできた大功力を回向する場である。妙法の大功徳の音声が、力強く大宇宙に遍満しゆく壮大な会座である。
 さらに学会の勤行法要では、故人の追善とともに、互いに広宣流布を決意し合う誓願の題目が唱えられている。その題目の福徳で、各人の「宿命転換」と「人間革命」がいやまして進んでいくのだ。
 題目は、亡くなった方だけでなく、共に生きゆく人びとにも回向される。
 御書にも引かれた、「願くは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」(1430㌻等)との法華経化城喩品の経文通りである。
 私たちは、日々の勤行の際に、「世界の平和と一切衆生の幸福のために」と祈念している。その真摯な唱題は、広く世界中の人びとにも功徳を向けるものだ。我らの法要は、世界平和の祈願の場、立正安国を誓う場、そして一切衆生の幸福を願う場なのである。

「祈り」とは希望

 今年の4月29日、東北各地の主要会館で、復興祈念勤行会が行われた。大震災の四十九日の追善の意義も込めた法要であった。
 ある会館に来られた方は、最初、感情を失ったように無表情であった。しかし、皆と一緒に勤行するなかで、その人は感泣されたという。
 ──津波で家族を失い、もう涙も出ないと思っていた。しかし同志と共に祈る中で、なぜか泣けて泣けて仕方がなかった。自分にも人間の感情が残っていたと思ったら、もう一度頑張ってみようという気持ちが湧き上がってきた、と。
 こうした姿に接してきた東北の婦人部のリーダーが、凛と語っていた。
 「祈ることは、慰めでも、逃避でもありません。現実に立ち向かうことであり、希望なのです」
 学会員の祈りは、強い。また深い。そして温かい。
 亡くなられた方々への追善とともに、生きている方々がより生命力を増して、生き生きと勇気に燃えて前進していくための転機が、創価の法要なのである。
        ◇
 蓮祖は、「い(生)きてをはしき時は生の仏・今は死の仏・生死ともに仏なり」(御書1504㌻)と仰せくださっている。
 誰もが身近な人の死に接すれば、悲しい嘆きの心が生じるのは当然の人情であろう。御書には、“聖人”にも死別の嘆きはあると示されている。
 だが、仏法の生死観に基づけば、死は最後の別れではない。大聖人は、伴侶や子どもなど、最愛の肉親を失った門下に対して、必ずまた霊山で再会できるとお約束くださっている。
 千日尼への御手紙には、「(ご主人の)故阿仏房の聖霊」は「霊鷲山の山の中に多宝仏の宝塔の内に東む(向)きにをはす」(同1319㌻)とも綴られている。
 御本尊を拝すれば、亡き家族と深い生命の次元で対話できる。
 また、依正不二の法理に照らして、霊山とは、妙法を唱える家族の生命それ自体といえる。
 「霊山とは御本尊並びに日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり」(同757㌻)とある通りである。
 故人の生命は、わが胸中に融合し、一体不二の力を漲らせて生きられるのだ。
        ◇
 愛する人を失う悲しみと向き合うことは、真の哲学の探求者となり、より深く、より強く、偉大な人生を歩むことだ。
 本年は、中国の人民の父・周恩来総理が逝去されて35年である。総理亡き後、その遺志を受け継いで戦い抜かれた穎超夫人は語っておられた。
 「生きている者は耐え忍び、さらに強靭に生きていかなくてはなりません。
 私たちの革命精神は衰退してはいけないのです」
 “亡き人の分まで”と勇気をもって立ち上がる時、人間は最も強靭になる。
 “アメリカ赤十字の母”と敬愛されるクララ・バートンは、戦傷者や災害被災者など、苦しむ人びとのために献身の生涯を送った。90歳で亡くなる直前、彼女はベッドから体を起こそうとしながら叫んだ。
 「さあ、出発です!」
 人生は生涯、闘争である。
 荘厳な夕日が明日の快晴を告げるように、崇高な使命に生き抜いた同志の死は、臨終正念の勝利の総仕上げであり、次の新たな使命への旅立ちであることを、私たちは知っている。
 だから悲しみの根底にも強さがある。
 「御義口伝」には、「生死を見て厭離《えんり》するを迷と云い」「本有の生死と知見するを悟と云い」(同754㌻)と仰せである。
 私たちは、生死不二の成仏の根本法を持っている。
 「生も歓喜、死も歓喜」である。ゆえに病気であれ、災害であれ、広宣流布に戦った人が、「心の財」を崩されるわけがない。
 「心を壊《やぶ》る能わず」(同65㌻)である。

師弟の新たな出陣
 戸田先生は昭和20年の11月18日、殉教の師・牧口常三郎先生の一周忌法要を行われた。
 これが、創価学会として最初の法要であった。
 そして翌年、牧口先生の三回忌法要の席上、戸田先生は、誇り高く三世永遠の師弟の絆を語られた。
 「あなたの慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れていってくださいました。
 そのおかげで、『在在諸仏土・常与師俱生』と、妙法蓮華経の一句を身をもって読み、その功徳で、地涌の菩薩の本事を知り、法華経の意味をかすかながらも身読することができました。なんたるしあわせでございましょうか」
 この先師の祥月命日は、不思議にも、創価学会創立の日でもある。ゆえに私どもは毎月18日に先師の追善を行うと同時に、「創立」の精神を確認し、年々歳々、広宣流布へ師弟の新たな出陣としてきたのだ。
 この夏の最高協議会で、共々に心肝に染めた御聖訓がある。それは、35年前の「中部の日」(7月27日)に拝した「生死一大事血脈抄」の一節である。
 「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か」(同1337㌻)
 この人間の世界にあって最も美しく、最も尊い絆が、師弟不二・異体同心で進む我らの広宣流布の陣列である。生死一大事の血脈は、ここにこそ流れ通うのだ。
 さあ、団結だ! 励まし合いながら、前進だ!
 自他共に常楽我浄の旅路を、大いなる勝利の翼で翔けゆこう!

 にぎやかに
  また にぎやかに
   幸せに
  生死の城は
    三世に楽しき

 マンの言葉は『トーマス・マン日記 1946-1948』森川俊夫・洲崎惠三訳(紀伊國屋書店)。森鷗外は『鷗外全集5』所収「静」(岩波書店)=現代表記に改めた。穎超は高橋強・水上弘子・周恩来穎超研究会著『人民の母-穎超』(白帝社)。バートンはボイルストン著『クララ・バートン』葛西嘉資訳(時事通信社)。
2011-08-13 : 随筆 我らの勝利の大道 :
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随筆 我らの勝利の大道 No.54/55

随筆 我らの勝利の大道 No.54/55
             (2011.8.8/9付 聖教新聞)
青年学会の希望の黎明

栄光勝利の種は「励まし」の中に
後輩を育てる人が 未来を開く人


「人材の城」を築く誇りに燃えて

 このたびの記録的な豪雨は、特に新潟・福島の両県に甚大な被害をもたらしました。心からの御見舞いを申し上げます。
 丹精込めて育ててこられた農作物などにも、大きな被害が出ました。いかばかり残念なことでしょうか。
 しかし、不屈の勇気を持つ新潟と福島の皆様は、これまでも幾多の試練を厳然と乗り越え、勝ち越えてこられました。
 大変でしょうけれども、どうか断固と変毒為薬して、復旧・復興を遂げられますよう、真剣に題目を送っております。
 「わざはひ(禍)も転じて幸《さいわい》となるべし」(御書1124㌻)
 「災来《きた》るとも変じて幸《さいわい》と為らん」(同979㌻)
 これは、御本仏・日蓮大聖人が仰せの御金言です。妙法の功力は、絶対なのであります。

人間の偉さとは?
 陸続と
  俊英 育てむ
    君たちの
  責務と行動
    三世に輝け

 全国の各地で、未来部を中心に創価家族が集い合う「ファミリー大会」が有意義に行われている。
 陰で無事故と大成功の運営に当たってくれている、未来部育成部長や21世紀使命会をはじめ、関係の皆様に、感謝は尽きない。
 教育本部の先生方の応援も、ありがたい限りである。学生部の友も向学と進学の機運を高めてくれている。
 私が対談を進めている、オーストラリアのシドニー平和財団のスチュアート・リース理事長は、自らの信念として語っておられた。
 「人びとの模範となるような人物は、たとえ無名であったとしても、最も地味な庶民の中にいる」と。
 どんなに華やかな肩書や、煌《きら》びやかな名声の持ち主であっても、自分一代だけの栄枯盛衰で、儚く消え去ってしまう人生は少なくない。
 どれだけ後輩に尽くし、次の世代のために道を開いているか。人間としての真の偉さは、そこにあろう。
 一人ひとりの未来部員を真心から励まし、令法久住・広宣流布の確かな潮流を創りゆく皆様こそ、尊貴な模範の方々である。
 「あの人のおかげで」と感謝され、「あの人のように」と敬愛されゆく人生は、何と誇り高いことか。
        ◇
 日蓮大聖人は、若き南条時光に「仏にやすやすとなる」ための信心の道を、わかりやすく教えられながら、こう仰せである。
 「人のものを をし(教)ふると申すは車のおも(重)けれども油をぬりてまわり・ふね(船)を水にうかべてゆ(往)きやすきやうにをしへ候なり」(同1574㌻)
 どの子も、尊き仏の生命を抱いている。最高の「幸福の大道」を、また無上の「栄光の航路」を、必ず勝ち進むことができる。そのために誠心誠意で励まし、前進の力を送っていくのが、我らの誓願の人材育成だ。
 先日も、ある学生部の友が近況を伝えてくれた。
 彼は3年前(2008年)の6月、全国青年部幹部会の折に私が励ました高等部員の一人である。その後、創価大学を志願してくれたが、残念ながら不合格であった。
 しかし「負けじ魂で朗らかに進め!」との指針を胸に都内の大学へ進学し、今、八王子で多くの創大生とも切磋琢磨しながら、活躍している。
 青年部の結成60周年を迎えた、この7月には、「先生! 個人折伏が実りました」と報告をくれた。
 一回の出会いでも、一言の激励でも、それが種となって、多くの実を結ぶ。
 心も躍る、その結実を見守りながら、さらに明日へ希望の種を蒔いていく──これが、地道でありながらロマンに満ちた学会の庭の手作りの人間教育である。
 この夏の「ファミリー大会」も、遠大な未来へ、どれほど豊かな人材の開花と結実をもたらしてくれることだろうか。

誰もが使命ある宝
 未来部員の一人ひとりが広宣流布の宝である。
 御聖訓に「八歳の竜女は大海より来って経力を刹那に示し」(同465㌻)と仰せの如く、法華経の会座において、即身成仏、万人成仏の実証を示したのは、年若い竜女であった。
 7歳の時に日蓮大聖人にお会いしたとされる南条時光は16歳から、師のもとで直々の薫陶を受けた。
 大聖人は、亡き父の信心を立派に継承する時光の姿を讃えられ、こう仰せになられた。
 「あわれ人は よき子はも(持)つべかりけるものかなと、なみだ(涙)かきあえずこそ候いし」(同1507㌻)と。
 門下の子弟を皆、わが子の如く慈しみ、育んでくださる。これが大聖人の御心であられた。
 わが家、そして、わが地域の、かけがえのない使命を持った宝の未来部員に、温かな声をかけ、真剣に育て上げていくことは、大聖人が最も喜んでくださる“仏の仕事”なのである。

「母の祈り」ありて
 「子どもたちの幸福のために」──この一念の祈りほど、気高く強いものはない。それは世代も、生死も超える力をもっている。
 もう40年近く前、私が激励した小学生の少女がいた。当時、全国に結成した人材育成グループ「未来会」の一員であった。
 彼女は、その出会いを胸に、開校したばかりの創価女子学園(現・関西創価学園)に勇んで入学してくれた。しかし、一年もたたないうちに最愛の母が逝去してしまったのである。
 その直後、私は学園を訪れた折、彼女に会って励ました。「強く生きなさい。お母さんが見ているよ」と。そして、お母様の名前を冠した桜を植樹した。
 亡くなったお母様は、彼女を筆頭に、5人の娘に創価教育を受けさせたいという願いを持っておられたようだ。娘たちは互いに励まし合いながら、その母の祈りに応え、全員が学園に学び、立派に成長している。
 今、その長女も母となり、4人のお子さん方を創価の学舎に送り出しながら、地域貢献の日々である。
 母の祈りは、3代にわたって幸福と勝利の光を放っているのだ。

苦難をバネに成長
 戦後の復興期、戸田城聖先生のもと、私は少年誌の若き編集長として、懸命に奔走していた。
 「子どもたちの心に夢と希望を!」との私の熱願に応えて、日本を代表する大作家や画家の方々が執筆を快諾し、入魂の連載をしてくださった。
 後に大長編『徳川家康』で一世を風靡した山岡荘八先生、“昭和の大詩人”と謳われた西條八十先生などとともに、「銭形平次」の人気作家・野村胡堂先生も、その一人である。
 武蔵野にある野村先生のご自宅にお邪魔した折、少年時代の思い出を伺ったことも忘れ難い。
 野村先生は、岩手県で生まれ育った。子どもの頃、火災で家が全焼し、それはそれは大変だったそうだ。
 この家屋の再建のため、親身に応援してくれたのが、近隣や村の人びとであった。助け合いのありがたさである。
 その現場に来ていた畳屋の職人は、野村少年のことを気にかけ、作業の合間に、東北に伝わる昔話を、生き生きと面白く語り聞かせてくれた。
 それが、少年の心の深い滋養となり、後に大作家として、不屈の庶民の英雄を自在に描き出す源泉になったのだ。
 今、東北の被災地で、わが健気な未来部の友は、進んで復興の手伝いに汗を流しながら、創価家族の息吹の中で、たくましく成長してくれている。
 座談会で、信心の先輩方が語る体験談も、若き命に尊く染み通っているに違いない。広布の総仕上げを担い立つ逸材が、二陣、三陣と躍り出る未来を、私は深く確信してやまない。
 「人間は非常の際は非常の力が出るものだ、命がけとなると、世界の全人類も動かせるものだ」とは、野村先生の一文であった。
 青春の生命は、運命の試練さえも偉大な飛躍のバネにできる。それを支え、勇気づけていく地域社会の「教育力」が今ほど求められている時はあるまい。
 難問が山積する時代にあって、人を励まし、人を育てる創価のスクラムこそ、希望の指標なのである。

 人材の
  城を築けと
   青葉城
  恩師の叫びは
   燃え立ち そびえむ

 野村胡堂の逸話は藤倉四郎著『バッハから銭形平次』(青蛙房)などを参照。胡堂の言葉は『少年小説大系23 野村胡堂集』所収「六一八の秘密」(三一書房)。

いかなる試練にも必ず勝つ!
創価の「絶対勝利の信心」を継承


 広宣の
  戦《いくさ》に 人材
     宝なり
  宝の人とは
    不退の丈夫と

 人を育てることは、自分も大きくなることである。
 人に教えることは、自分も賢くなることである。
 若い世代との対話こそ、「平和の文化」を創造する力である──これは、国連の事務次長として献身されてきたチョウドリ博士と、深く一致した信条である。
 博士ご自身も、若者と接する時に、その「開かれた心」と「学ぶ意欲」に全幅の信頼を置いていると言われていた。自分が話す時間はなるべく短くし、青年とのやり取りを、より多く持つようにすると、新鮮な語らいになるとも、博士は語っておられた。
 未来部の友と一緒に学び、一緒に鍛え、一緒に前進していくことは、若々しい生命力を漲らせていく、生涯青春の軌道である。

未来部員の友達《ともだち》に
 わが誉れの21世紀使命会が誕生したのは、16年前(1995年)の7月17日──。
 当時、私がお願いしたのは「未来部員の友達に」ということであった。
 仏法では、「良き友」のことを「善知識」と説く。
 「仏になるみちは善知識にはすぎず」(同1468㌻)とも、御聖訓には仰せである。
 わが未来部の担当者の方々は、何でも話せるお兄さんとなり、お姉さんとなって、共に活動に励みながら、偉大な「善知識」の使命を果たしてくれている。
 自身も、仕事や生活の課題を抱える中での奮闘は、言うに言われぬ苦労の連続であろう。しかし、その真剣な姿を、未来部員はじっと見ている。誠実の言葉は、必ず命の根底に刻まれていくものである。
 私のもとにも、「あの先輩の励ましがあればこそ、今の自分があります」等と感謝の声が寄せられる。
 派手な喝采など、なくとも構わない。人に尽くした「陰徳」は、必ず「陽報」となって、汝自身の生命を荘厳し、一家一族を無量の福徳で包んでいくからだ。
        ◇
 御聖訓には、「末法の濁った世は人びとの心の貪欲・瞋恚・愚痴が甚だ強く、いかなる賢人、聖人でも治めがたいのである」(同1465㌻、通解)と示されている。
 末法が深まるほど、人心はますます乱れ、濁っていかざるを得ない。その中を法華経の行者は、「忍辱の鎧」を着て、広宣流布を断行していくのだ。
 どんな三障四魔が競い起ころうとも、断じて恐れない。負けない。屈しない。
 大難があればあるほど、「今一重強盛に」(同1220㌻)信心を奮い立たせて、戦い勝つ。この究極の「勇気」と「忍耐力」と「強さ」を受け継いでいくことこそ、信心の後継にほかならない。
 大聖人は仰せである。
 「その例は、他から引くには及びません。日蓮を日本国の上一人より下万民に至るまで、一人の例外もなく害しようとしましたが、今までこうして無事に生きてくることができました。
 これは、日蓮は一人であっても、法華経を信ずる心の強いゆえであったと思いなさい」(同㌻、通解)
 日本中からのありとあらゆる大迫害を、ただ御一人、蓮祖は勝ち切られた。
 その大法戦に、まっすぐに連なってきたのが、創価の三代の師弟である。
 広布と人生のいかなる戦いも、師子奮迅の力で必ず勝ってみせる。この「絶対勝利の信心」を、私たちはあとに続く友へ、勇猛果敢に示し切っていくのだ。
 これこそが、最大の魂の贈り物ではないだろうか。不退の学会精神が脈打つ人材を育てるなら、広宣流布の勝利の道は、晴れ晴れと開いていけるのだ。

師弟の「夢」を実現
 わが恩師・戸田先生が、少年少女の会合で、しみじみと語られたことがある。
 「将来、誰もが幸せを噛みしめることができて、国境や民族の壁のない地球民族主義の平和な世界を築かねばならない。
 みんなは、きょうのこのおじさんの話を忘れないで、少しでも、この夢を実現してほしい」
 未来部員を育てることは、まさに「未来の平和」を創ることといってよい。
 嬉しいことに、先日、わが友である、ジャズピアニストのハービー・ハンコックさんがユネスコの親善大使に就任された。
 世界的な音楽活動とともに、平和と文化のための行動を進めるハンコックさんは、サックス奏者のウェイン・ショーターさんと私との鼎談で、情熱を込めて語られていた。
 「未来は、他のどの世代よりも、若い世代の発想と努力で決まると信じます。未来はそれを必要としています」

青年が平和の集い
 先月の末、広島と長崎と沖縄の青年の代表が一堂に会し、伝統光る「三県平和サミット」を行った。今年は長崎に集い、平和音楽祭等とあわせ、核兵器廃絶への連帯を広げてくれた。
 青年たちは、原爆に負けない人間の精神の力を、たくましく謳い上げている。
 長年、長崎で営々と平和運動を貫いてこられた市民リーダーの方も、若い世代にどう託していくか悩まれており、「学会は青年が平和のために動いていることが素晴らしい」とエールを贈ってくださったという。
 戦争の惨禍に苦しめられた天地にあって、創価の青年育成は、平和の鐘をいやまして高らかに打ち鳴らしゆく希望なのである。

弟子が夜明けを!

 昭和34年(1959年)──恩師が逝去された翌年のこの年を、私は新時代の夜明けとなる「黎明の年」と位置づけた。
 弟子たちの団結で、学会がいかに勝利するか、この新たな広宣流布の広がりこそが、恩師の偉大さを証明するからだ。
 世界の大河を見よ。たとえ源流は小さくとも、大海を目指すにつれて、無数の川を合流し、豊かな水量を湛えていくではないか。
 若さ後継の弟子が次から次へ躍り出てこそ、広布の水かさは増していくのだ。
 7年後(昭和41年)、「黎明の年」と再び掲げたこの年は、「高等部の年」とも呼ばれた。その開幕の直前、私は「大白蓮華」に巻頭言「鳳雛よ未来に羽ばたけ」を綴った。
 「諸君の成長こそ、学会の希望であり、日本の、そして全世界の黎明を告げる暁鐘である」と。
 未来部一人ひとりの成長と勝利こそが、学会の永遠の興隆の本因なのである。
 今また、不思議な使命の光を宿した鳳雛たちが、勇気と希望の翼を羽ばたかせながら、創価の大躍進の先頭に登場してくれた。
 21世紀の「黎明の年」は今なのだ。
 未来の至宝の諸君よ!
 未来を担う君たちよ!
 未来を創る皆様よ!
 青年学会の希望の黎明を、この地球上に輝かそうではないか!

 全世界
  躍り出でたる
   若人と
  創価の未来を
   断固と勝ちゆけ
2011-08-09 : 随筆 我らの勝利の大道 :
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