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西安外事学院「名誉教授」称号授与式

中国・西安外事学院「名誉教授」称号「名誉図書館長」称号授与式
         (2010.2.27 創価大学本部棟)

中国・陝西省の名門私立大学「西安外事学院」(黄藤学長)が27日、創価大学創立者の池田名誉会長に日本人初の「名誉教授」称号、香峯子夫人に「名誉図書館長」称号を授与した。これは、名誉会長夫妻の日中友好、世界平和、国際文化交流への傑出した貢献を讃えたもの。授与式は東京・八王子市の創価大学本部棟で盛大に挙行され、同学院の杜瑞清《とずいせい》副学長、李若馳《りじゃくち》図書館長、呉雅琼《ごがけい》学長弁公室外事科科長、伊丸岡秀蔵客員教授が出席した。また、名誉会長の友誼の漢詩が同学院に贈られた。

杜《と》副学長の授与の辞

名誉会長夫妻の人格と功績を尊敬
中日両国の美しい未来を ともに構築したい


 西安外事学院の黄藤《こうとう》学長に代わり、全教職員、学生を代表し、長きにわたって、中日友好と社会の発展・進歩のために尽力されてきた池田先生に、心からの敬意を表します!
 中日両国の友好の歴史は「源遠流長」であり、大変に重大な意義があります。
 中華民族と日本人民は2千数百年の交流の中で、互いに学び、互いに啓発し、ともに進み、深い友情を結んできました。世界文明の発展の歴史の中でも、これほどの友情は多くは見られません。私たちは両国の友情を、ひときわ大切にしたいと思うものです。
 西安外事学院は、歴史は若いですが、中国有数の私立大学です。
 「多元的に学び人材を糾合し、新しき創造のために努力する」との建学の理念を掲げ、「登竜門の精神」を本学院の柱として、自身の持ち場を愛し、勤勉であること、恩に感謝して社会に貢献することを提唱しています。
 本学院の創立者である黄藤学長は、教育事業に大変に熱心で、国際交流活動を非常に重視しています。
 また、黄学長は「学問をするのに、年齢の長幼《ちょうよう》は関係なく、学舎《まなびや》の大小は関係ない。教えるのに、身分や立場の高下はなく、人材を育成するのに国境などない」との教育理念を掲げてきました。
 学長が作詞した校歌に「『百川《ひゃくせん》が集まって、大海となり、多くのことを学び取りいれて、初めて龍と化す。刻苦勉励し、真理を友とする』。これこそ我々の共通する願いなのだ!」
とあります。これが、私たち全教職員・学生の心です。
 本学院のキャンパスは古都・西安のハイテク産業開発区にあり、総面積は約135万平方㍍です。学生数は3万6千人を超え、教職員は2千人以上、擁しています。本科大学から高等専門学校、社会教育、国際交流教育、起業教育、技術教育をはじめ、多岐にわたる教育システムのもと、経済学、管理学、文学、工学、農学、医学、法学などの分野を網羅しています。
 大連《だいれん》市、江蘇《こうそ》省の無錫《むしゃく》市と宿遷《しゅくせん》市などに分校があります。
 こうした本学院の成功と発展の姿は昨年、アメリカのハーバード大学ビジネススクールで、“成功した教育モデル”として取り上げられました。
 池田先生は、徳が高く人望があり、豊富な著作は題材が幅広く、数多くの作品が世界各国の言語に翻訳・出版されています。
 中国大陸、香港、台湾各地の出版社でも陸続と刊行され、先生は世界的な仏教思想家、哲学者、教育者、社会活動家、作家、詩人、写真家、文化人、国際人道主義者として讃えられています。
 池田香峯子夫人は、世界的な女性社会平和活動家として、池田先生とともに、中日友好と世界平和を促進し、各国・各地域の文化交流を推進してこられました。さらに、池田先生をつねに陰で支え、内助の功を果たしておられます。
 私たちが香峯子夫人に「名誉図書館長」称号を授与することは、香峯子夫人のこれまでの業績を讃え、敬意を表すためなのです。
 不思議にも、香峯子夫人の誕生日(2月27日)に授与することになりました。
 この席をお借りして、心からの祝福を申し上げます。大変におめでとうございます(大拍手)。
 西安外事学院は、大変に光栄なことに、池田先生と香峯子夫人に快諾していただき、先生に「名誉教授」の称号、夫人に「名誉図書館長」の称号を授与させていただく運びとなりました。
 本学院の全教職員・学生が、池田先生ご夫妻の崇高な人格と、卓越した業績に対し、深く尊敬申し上げるとともに、本学の招聘を受けてくださったことに心から感謝申し上げるものです(大拍手)。
 このたびの訪日を通し、お互いがより一歩深く協力し合い、学術文化交流や共同研究、図書資料の交流、さらには人材登用、教員の育成、教育改革、留学生の教育、学生の社会活動など、さまざまな分野において触発し合い、建設的な意見を出し合っていきたい。
 あわせて、中日両国の青年間の交流を強め、実効性のある目的を提議し、本学院と創価大学、そして創価学会との長きにわたる協力関係の基盤としていきたいと思います。
 結びに、本学院は、創価大学、そして創価学会とともに力を合わせ、中日両国の美しい未来の構築に貢献していくことを念願するものです。
 そして、創価大学の学生の皆様が「新時代の友好の使者」「新時代の遣唐使」となられることを心から強く期待して、授与の辞とさせていただきます。
 大変にありがとうございました!(大拍手)

SGI会長の謝辞(代読)

「開かれた心」で世界を結べ!
平和を作る精神の大交流を


艱難に勝る教育なし
西安外事学院の伝統は魚を竜と化す精神
「努力また努力」が青年を英雄にする


 一、唐の詩人・韋荘《いそう》は、古《いにしえ》の国際都市・長安(西安)の絢爛たる春を歌い上げました。
 「長安二月 香塵《こうじん》多し、/六街《りくがい》の車馬 声鱗々。/家々楼上《かかろうじょう》 花の如き人、/千枝万枝 紅艶《こうえん》新たなり」(石田幹之助訳、『長安の春』講談社)
 今、わが創価大学のキャンパスにも、春を告げる梅の花が馥郁と咲き誇っております。
 この早春の佳き日、桃李満門《とうりまんもん》の人材の殿堂たる貴・西安外事学院より、大切な大切な先生方がご来学くださり、感無量であります。
 一、本日、私は、最高に栄えある貴学院の「名誉教授」の称号を賜りました。大中国を代表される私学の雄たる貴学院の、崇高な建学の精神を命に刻みつつ、謹んで拝受させていただきます。
 厚く厚く、御礼を申し上げます(大拍手)。
 さらに妻には、貴学院の「名誉図書館長」の称号を授与いただきました。
 きょうは、アメリカやブラジルなど、創価の女性の記念日ともなっております。妻は、この栄誉を「世界192力国・地域の創価の同志とともに、分かち合わせていただきます」と最大に感謝申し上げております(大拍手)。
 偉大な創立者であられる黄藤学長をはじめ、貴学院の諸先生方の深きご厚情を、私たち夫婦は一生涯、忘れることはありません。
 誠に誠に、ありがとうございました(大拍手)。

世界の交流は人の交流から
 一、杜瑞清副学長は、「陶行知《とうこうち》とデューイ」と題する不滅のスピーチを残され、民族を超えた教育の縁と師弟の絆について論及されております。
 「世界の交流は、まず人の交流にあり、人の交流は、人々の精神の交流にある」(斎藤秋男訳、『陶行知 生活教育理論の形成』明治図書)とは、デューイ博士の「従藍而青」の弟子である陶行知先生の忘れ得ぬ宣言であります。
 1974年、私と妻は、かけがえのない文化大恩の都・西安市を表敬させていただきました。
 その折、ご案内くださった陝西歴史博物館には、「遣唐使」の足跡も展示され、長安(西安)への派遣者の総数が「2142人」と克明に記録されておりました。貴国は、その求道・求学の一人一人に、最先端の学識や技術を惜しみなく伝えてくださったのであります。
 私たちは西安で、貴国への尽きせぬ報恩の心を新たにしました。とともに、貴国を敬愛してやまなかった恩師・戸田城聖先生との語らいが蘇りました。
 すなわち多様な文化を吸収し、多彩な人材を尊重していくなかでこそ、創造の活力はいや増していくという歴史の教訓であります。
 これは、唐の大詩人・王維も、深き友誼を結んだ遣唐使の阿倍仲麻呂に寄せて謳っているところであります。
 そして長安の都に満ち溢れていた、人類史に輝く、この「開かれた文明」の精神は、まさしく、貴学院が掲げられる高邁なる理念に受け継がれております。
 私たちは、心からの敬意と賛同の大拍手をお贈りしたいのであります(大拍手)。
 私は、西安訪問の翌年、貴国との悠久の縁を胸に抱きながら、新中国からの最初の国費留学生の方々を、わが創価大学に迎えさせていただきました。
 以来35年、各界で見事な活躍をされていることが、私の何よりの喜びであります。
 きょうも、中国からお迎えしている交換教員の先生方、そして留学生の代表の方々が出席してくださっており、重ねて感謝申し上げます(大拍手)。

人を育てる責任は山の如く重い
 一、貴学院の「魚《うお》を竜《りゅう》と化す精神」には、どんな境遇の青年であっても、学ぶ努力によって、必ず創造的な生命を開花させていくことができるという、絶対の信頼が結晶しております。
 じつは仏法でも、貴国の「竜門の故事」を踏まえ、万人が「仏」という人間としての最高の境涯を開いていくことができると教えております。
 そして、そのために、青年ならば大目的に向かって、いかなる苦難も恐れずに、勇敢に正義の信念を貫き通していくことを訴えているのであります。
 洋の東西を問わず、一致する人間教育の要諦があります。
 それは「艱難に勝る教育なし」という一点であります。艱難を勝ち越えてこそ、魚は竜と化し、青年は人間の英雄となることができます。
 その不滅の手本を示してこられたのが、創立者・黄藤先生なのであります(大拍手)。
 貴学院の草創の歴史が、どれほど困難の連続であったか。私財をなげうって奔走される創立者に、どれほど心ない冷笑が浴びせられたか。私はよく、うかがっております。また同じ創立者として、痛いほど、そのご苦労が胸に迫ります。
 しかし、黄先生は微動だにされなかった。
 「人間を育てる責任は山の如く重い」との揺るぎない信念で、厳然と愛する学生たちを護り、慈しみ、育みながら、堂々とそびえ立つ中国最高峰の名門私学を築き上げてこられました。
 その軌跡は、今や、世界の教育界から注目されております。
 創立者は、断固として勝たれました。貴学院は、晴れ晴れと勝ったのであります(大拍手)。

温家宝総理
「読書は人間を変える 人間は世界を変える」
日本の活字文化の源流は西安(長安)


「本の道《ブックロード》」が長安と日本を結んだ
 一、正義の道は、勇気の道であります。
 私が青春時代に愛読した、長安出身の唐の大詩人・柳宗元も、社会の改革に挑み、迫害されました。
 しかし、その逆境を力に変えて、自らの信条を書いて書いて書き抜いております。
 「文は道義を明らかにするものである」
 「行《おこな》う道がかりそめにも道理にかなってまっ直ぐであれば、それで死ぬことがあっても曲げてはならない」(星川清孝訳、『新釈漢文大系71』明治書院)と。
 鍛え抜かれた英知の言論の剣は、人類の精神の宝です。常に新たな創造の源泉であります。
 そして西安(長安)こそ、偉大な文学と思想が勃興しゆく舞台なのであります。
 長安の郊外で、鳩摩羅什が仏典の漢訳に従事した場所には、画期的な翻訳の学校も置かれたと言われております。唐代には、世界最古の印刷技術が発明され、長安は印刷工房の拠点ともなりました。
 長安と日本を結んだ歴史の道は、今日、「ブックロード(本の道)」とも呼ばれております。日本の活字文化の恩義の源流も、西安と言ってよいでありましょう。その黄金の伝統を現代に蘇生され、発展なされているのが、ここにお迎えした先生方であられます。
 英語の大家であられる杜副学長が、翻訳と教育によって異文化を結んでこられた業績も、よく存じ上げております。大中国が誇る『新世紀漢英大辞典』を編纂されたのも、杜副学長なのであります。さらにまた、140万冊の蔵書を誇る貴学院の図書館を護られる李若馳館長は、作家としてもご高名であられます。
 3年前の春、うれしい再会を果たした温家宝総理は、読書を大切にされる指導者であられます。この温家宝総理の言葉を、私は世界の青年に伝えたい。
 「読書は人を変える事ができ、人間は世界を変える事ができる」
 「読書は人間に智慧を与え、人間を勇敢にし、人間を温かくする事ができます」
 貴学院の栄誉にお応えするためにも、妻と私は活字文化へのさらなる貢献を決意しております。
 一、世界をつないだシルクロードの歴史都市・西安は今、東西の経済・文化交流の要衝として、「西部大開発」の中心地として、昇竜の勢いで発展を続ける未来都市でもあります。光り輝く貴学院が、この前進をさらに牽引されゆくことを深くお祈り申し上げます。
 貴学院の校歌は、「志《こころざし》は四方にあり」と勇敢に外へ打って出てゆく息吹に満ちております。
 この校歌の心意気の如く、両国の友好のため、世界の平和のため、教育と文化の交流を、一層広げゆくことを固くお約束し、御礼のごあいさつとさせていただきます。
 謝謝!(ありがとうございました)(大拍手)

名誉会長が漢詩を贈る

西安文化千鈎重
外事學院實力雄
多元集納成學海
自強創新出蛟龍


〈大意〉

西安の文化は干鈎の重みを有し、
外事学院は強大な実力を誇っている。
多元的に人材を集めて、
 学問の海の様相を呈し、
自身の向上と新たなる創造という
 建学の理念のもと、
 龍の如き立派な人材を輩出している。

※漢詩には、大学名の「西安外事学院」とともに、建学の理念の「多元集納」「自強創新」が綴り込まれている。
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2010-02-28 : スピーチ・メッセージ等 :
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栄光の日々 7 関西創価学園

栄光の日々 名誉会長と我らの人生 7
                (2010.2.26付 聖教新聞)
共戦の父子の絆 関西創価学園

「学園生は私の宝! 私の命!」

 最寄りの駅から、一本の道が山裾に沿って、なだらかに続く。緑がまぶしい。野鳥はさえずり、花々が躍り咲く。万葉の詩情が薫る大阪・交野。自然の名画が広がっていた。
 関西創価学園へと続くこの道を多くの生徒が通い、逸材が巣立っていった。
 皆が「交野の道」と親しんだ一本道。学園まで約20分。その道は、鍛えの道であり、友との語らいが弾む友情の道であった。創立者・池田名誉会長も、この道を何度も往復し、学園生に励ましを送り続けた師弟の道、父子の道であった。
        ◇
 昭和53年(1978年)4月のある日、下校中の女子生徒が、澄んだ瞳をパチクリさせた。学園のジャージーを着た創立者が、自転車に乗って近づいてくる。
 「ここを毎日歩いているの?」「学校の先生はよくしてくれる?」
 すれ違うたびに、生徒に声をかけていく。絶対に無事故で! 感謝を忘れず!
 今は徹して学ぶんだよ!。
 校門では家族の迎えを待つ、3人の学園生かいた。
 「一緒に、待ってあげよう!」。生徒が抱えていたバッグを手に取り、「重たいね」と、毎日の登校を気づかった。激務を縫っての語らいは1時間! 父親が到着するまで、一人一人の状況を尋ね、励ました。
 数日後、校門には生徒用の白のベンチが置かれた。
 来阪しては、時間をこじ開け、学園に足を運ぶ創立者。校内で生徒を見かけると、教員に状況を尋ねた。
 学園生のことを、一人ももれなく知っておきたい!──真剣さに、教員は圧倒された。まさに「私の手作りの学園」であった。
 太田清美さんは、中学1年の夏、校門の手前で、創立者から、童話『赤ずきん』の洋書を贈られた。この日のことが、国際線の客室乗務員になるきっかけとなった。
 卒業して7年後の昭和62年2月、日航機のなかで、海外指導へ向かう創立者と再会。「学園生で初めての道を開いたね。ありがとう」
 その場で和歌を贈った。
 「嬉しくも/また楽しくも/広布旅/園子《そのこ》の雄姿/機中に見つめて」
 太平洋の上で、あの頃と同じ温もりに包まれた。
 ある学園生は、創立者を塵一つない学園に迎えようと、校舎の隅で清掃に黙々と励んだ。創立者から伝言が届く。「きれいな中で迎えてくれてありがとう」──陰の一人を忘れない。学園生は、師の心を胸に国際貢献の舞台へ雄飛した。
 昭和60年10月、第4回の健康祭。創立者賞マラソンで、ふらふらになりながら最後にゴールヘたどり着いた大削《おおげ》武雄さんに、創立者は自身が着けていた白バラの胸章を外し、彼の胸へ。
 卒業後、大削さんは、弁護士を志す。断念しかけたこともあったが、「遅れても、最後まであきらめずに走った『負けじ魂』を讃えたい」との創立者の言葉に触れ、信念を貫いた。“最終走者”は今、法曹界で正義の力走を続ける。
        ◇
 創立者の学園生への思いは微塵も変わらない。
 「関西創価の同窓のスクラムこそ、私の命であり、また私と妻の宝である。さらにまた、わが家全員の夢であり、そして、我ら関西家族みなの希望でもある」
 卒業生は、1万人を超えた。男子は「金星会」、女子は「蛍会」として世界中で学園魂を燃やしている。
 「私には学園生かいる!」──関西には、誰も裂くことのできない、共戦の父子の絆が輝き続けている。
2010-02-28 : 栄光の日々 :
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ウズベキスタン科学アカデミー芸術学研究所「名誉博士号」授与式

ウズベキスタン科学アカデミー芸術学研究所「名誉博士号」授与式
         (2010.2.24 創価大学本部棟)

中央アジア・ウズベキスタン共和国の科学アカデミー芸術学研究所から、創価大学創立者の池田SGI(創価学会インタナショナル)会長に「名誉博士号」が贈られた。卓越した人間主義の教育哲学と、日本・ウズベキスタンの文化交流への多大な貢献を讃えたもの。授与式は24日、東京・八王子市の創大本部棟で行われ、芸術学研究所のシャキルジャン・ピダエフ所長、バハディル・トゥルグノフ上級研究員、駐日ウズベキスタン大使館のエルドルジョン・エルムロドフ3等書記官が出席。名誉博士の学位記が代理の池田博正創大理事に託された。これでSGI会長への名誉学術称号は「275」となった。

ピダエフ所長の「授与の辞」

哲学者 詩人 教育者 写真芸術家
池田会長はすべてに傑出した世界市民


 本日は、ウズベキスタンの学術界を代表し、世界文化の発展に卓越したご貢献をされている現代の偉人、人道主義者、そして世界市民であられる池田SGI(創価学会インタナショナル)会長に、「ウズベキスタン科学アカデミー芸術学研究所」の名誉博士号を授与させていただく、大いなる栄誉にあずかりました。
 池田会長は、小学校、中学校、高校、大学などを創立され、青年たちに学問と文化、そして芸術の大切さを訴えておられます。
 また、人間主義と教育の思想を通じて、調和のとれた、全人格的な成長を促す青年の教育に取り組んでおられます。
 それは、青年が、自らの人生を自らの力で切り開き、確固たる人格を形成していくために最も重要なことであります。
 わが国でも、青年の教育に力を入れております。カリモフ大統領によって、2005年は「健康世代の年」、2008年は「青年の年」、今年の2010年は「青少年世代の調和のとれた成長の年」と掲げられています。
 さらに池田会長が、写真芸術家として、世界各地で自ら撮影された美しい自然や景色、朝日、夕日の写真は、私たちに、そのなかに美を見出すことを教
え、心の平穏と満ち足りた思いを感じさせます。見る者をして、この美を守りたいという気持ちを呼び起こします。
 そして、特筆すべきは、尊敬する池田会長が、当研究所と同じ年(1928年)に、お生まれになったことであります。
 芸術学研究所は、歴史、芸術論、美術、建築、音楽、演劇、映画といった幅広い分野の専門家を擁するユニークな学術機関であり、幅広い分野にわたる池田会長の芸術的関心と見識に一致しております。
 1989年、創価大学と芸術学研究所の間で、共同学術調査に関する協定書が調印され、日本の専門家とウズベキスタンの考古学者のグループによって、スルハンダリア州にあるダルヴェルジンテパ遺跡の発掘調査が開始されました。
 私は、考古学の専門家として、日本・ウズベキスタン発掘調査団の結成について池田会長が取られたイニシアチブ、ならびに、89~94年、そして、2006~07年に、シルクロードのダルヴェルジンテパ遺跡において行われた仏教寺院研究の成果を評価いたします。
 池田会長は『私の釈尊観』ロシア語版で、「シルクロードと言えば、1989年からウズベキスタンのダルヴェルジンテパで、創価大学シルクロード調査団が行ったシルクロード研究のことを思い起こします」「発掘調査は、今後も日本とウズベキスタンの研究者の方々によって継続されていくことでしょう。その成果が、今後の仏教遺跡研究の成功と、日本とウズベキスタンの文化の発展に寄与していくことを祈りたいと思います」と綴っておられます。
 私自身、ウズベキスタン共和国の歴史ある研究所の所長として、今後も私たちの協力が継続され、発展することを願っております。
 深く尊敬する池田会長。
 貴殿は、哲学者、作家、詩人、教育者、そして、社会活動家、一市民として、非暴力と対話による人間主義社会の構築を訴えておられます。
 また、世界的に著名な思想家として、平和とは、文明の精神的な状態を意味し、その根本は、地球上に住むあらゆる人々の自由と権利の尊重であると定義されております。
 その世界平和への貢献を高く評価し、貴殿には、国連平和賞や世界芸術文化アカデミーから「桂冠詩人」の称号、また国家勲章などが授与されています。
 世界の一流大学から、200以上もの名誉学術称号が授与されていることも、貴殿に世界から寄せられている敬意と、貴殿の人類に対する貢献への評価の表れであります。
 私たちは、よく、「才能ある人は、すべてにおいて抜きん出ている!」と言いますが、まさに貴殿こそ、それを証明される方であります(大拍手)。
 タシケントで開催された「自然との対話」写真展は、その高い芸術性と美しさによって、大きな反響を呼びました。
 また、池田会長は、日本におけるウズベキスタンの文化と芸術の普及に、多大なご貢献をされております。
 本日、ウズベキスタンの文化と芸術の普及に寄与された多大なご功績を讃え、ウズベキスタン科学アカデミー芸術学研究所学術評議会の決定により、敬愛する池田大作会長に、名誉博士号を授与させていただき、大変光栄に存じます。
 私たちは、貴殿が当研究所の一員になってくださることを、誇りに思います。
 私たちの共同作業が、両国の学問と文化の発展の新たな前進となることを期待いたします(大拍手)。

SGI会長の謝辞(代読)

智慧の力で人類を結べ
研究所の創立者
人々に喜びを創造させることが芸術
歴史家トインビー博士が着眼した文明融合の天地


 一、アッサロームー・アライクム!〈ウズベク語で「こんにちは」〉
 わが創価大学のキャンパスに屹立する、貴・ウズベキスタンの大詩人ナワイーの像は、わが向学の学生たちへ、無言のうちに無限の励ましを贈ってくれております。
 500年の歳月を超えて、私たちの胸に迫り来る、ナワイーの不滅の叫びがあります。
 「曙が銀のきらめきを放つごとく、君は太陽となって、皆に善の光を注ぐのだ」
 本日は「太陽の国」と謳われる貴国より、芸術と教育の「善の大光」を放ちゆかれる「太陽の指導者」をお迎えすることができました。
 本当に本当に、ようこそお越しくださいました(大拍手)。
 私が対談した、20世紀を代表する歴史学者トインビー博士も、「シルクロードの要衝」たる貴国の天地
に、深く鋭く注目されておりました。
 すなわち、貴国を滔々と流れるアムダリア川とシルダリア川流域には、歴史上、どれほど多様な文明が融合し、どれほど多彩な英知の逸材が躍り出たことか。
 トインビー博士は、その史実に着眼し「知的活力の爆発」と呼ばれたのであります。
 貴・科学アカデミー芸術学研究所は、まさしくユーラシア大陸の「文化の活力」「英知の活力」「創造の活力」を満々と湛えゆく平和のオアシスの存在であります。
 この貴・研究所より、何よりも意義深き「名誉博士号」を賜りました。これほどの栄誉はございません。
 誠に誠に、ありがとうございました(大拍手)。

わが信念の炎を未来の世代へ!
 一、トインビー博士とは、大乗仏教が貴国を経て、東アジアヘ伝播していった歴史も語り合いました。
 この人類の精神交流の悠久の足跡を、営々たる発掘調査によって、考古学的に立証してこられた碩学こそ、ピダエフ所長であり、トゥルグノフ上級研究員なのであります(大拍手)。
 わが創価大学も光栄なことに、1989年以来、貴・研究所とともに、貴国の仏教遺跡の共同発掘調査を行わせていただきました。その貴重な学術成果は、若き世代へ受け継がれ、未来を照らす貴重な鏡と光っているのです。
 ウズベク文化の大発展をリードしてこられた貴・研究所の前身が創立されたのは、私が生まれた1928年であり、不思議なご縁を感じております。
 この貴・研究所の創立者こそ、勇気の大指導者フィトラト先生なのです(大拍手)。
 「フィトラト」とのお名前は「創造」の意義に通ずるとうかがっております。
 その名のごとく、フィトラト先生は、赫々たる創造の炎を燃え上がらせ、青年を愛し、青年を育て、正義の言論の戦いを貫かれました。それゆえに、圧政の時代にあって、全く無実の罪で、信念の殉難を遂げられたのであります。
 その大闘争は、日本の軍国主義と対峙し獄死した、わが創価教育の父・牧口常三郎先生とも重なり合っているのです。
 ともに師子王のごとく、恐れなく命を賭して青年の道を開きました。生前は苦難と迫害の連続でありましたが、今、この二人の名は、不朽の栄光に包まれております。

大詩人ナワイー
皆の太陽となれ 善の光を放て!


芸術が生み出す歓喜のスクラム

 一、牧口先生とほぼ同じ時代を戦い、生き抜かれたフィトラト先生は、明快に論じておられました。
 「大いなる喜びを持った人間は、その喜びを他者に伝えることでさらに膨らませることができる」
 「言葉や声、色や形、文字や躍動による作品を通して、他者に精神の波を創造させる技を芸術と名づけるのである」
 牧口先生が実践した大乗仏教の真髄においても「自他共に、智慧と慈悲をもっていることが、真実の『喜び』である」と説かれております。
 民族や国家、文明など、あらゆる差異を超えて、芸術・文化の交流を積み重ねゆくなかに、人間の歓喜の舞が生まれ、活力みなぎる心の連帯の輪が広がっていくのではないでしょうか。
 今、私の胸には、ナワイーの宣言が、高らかに響いているのであります。
 「真実の泉の光彩は、心にあり」
 「心は、永久の創造の精神が宿る至宝なり。しかし、その宝庫を開くためには、心は困難な道を乗り越えねばならぬ」
 「いずこにあろうとも、心は変革し続けなければならない。すべてを見つめ、あらゆる知識を身につけなければならない」
 最も尊い宝は、最も身近な心にこそあります。困難があればあるほど、わが心から、いやまして勇気と智慧を発光させることができる。その模範を示してこられたのが、貴・研究所なのであります(大拍手)。
 一、貴・研究所は、度重なる閉鎖や移転にも屈せず、激動の流転の苦難に満ちた時代も勝ち越えながら、人類の至宝の文化遺産、知的遺産を護り抜かれ、光り輝かせてこられました。
 そして今や、貴・研究所には、国の内外より最優秀の英才が集い、学識を磨いています。その出版物や基礎研究は、中央アジアをはじめ世界の幾多の知性のかけがえのない学究の糧となっているのです。
 ピダエフ所長は「人間主義思想の価値」を広げゆく芸術の重要性を宣言なさっています。なかんずく、若き世代の精神に「全人類的価値と民族的価値を調和的に融合」させていくことに、芸術の探究者たちの役割があると強く提唱されているのであります。

新時代を開く栄光の歴史を
 一、自身の生命の尊厳に目覚めた青年たちが、「全人類的価値」を胸に、わが社会に貢献しゆくなかにこそ、21世紀の繁栄と共生もあるといってよいでしょう。
 貴国で「青少年世代の調和のとれた成長の年」と定められた本年、貴・研究所では、ピダエフ所長の傑出したリーダーシップのもと、青年研究者たちのための重要なシンポジウムの開催も予定されているとうかがっております。
 きょうより、私もまた、名誉ある貴・研究所の一員として、先生方とご一緒に、新たな希望の人類文明を創造しゆくために、「平和と文化と教育のシルクロード」を、青年とともに、さらに広々と開き歩んでいくことを、お約束申し上げます(大拍手)。
 かつて、貴・研究所から賜った荘麗な絵皿には、大きく翼を広げた一羽の鳥が描かれておりました。
 それは、貴国の伝説の鳥「フモ」であります。この鳥は「幸福を運ぶ力」「人々を救う力」を持ち、「献身のシンボル」であると言われております。
 この優雅にして勇壮なる大鵬のごとく、愛する貴国の青年たちが「栄光」と「勝利」の翼を広げて、天空高く羽ばたきゆかれることを、私は祈念してやません。
 結びに、貴国が生んだ大医学者であり、大音楽家でもあったイブン・シーナーの言葉に、私の決意を託し、謝辞とさせていただきます。
 「真実を求めて歩め、道は前方にあり」
 「学の光を、心は自らを燃やして放つ」
 貴・ウズベキスタンと貴・研究所の無窮の栄光を、私は心よりお祈り申し上げます。
 カッタ・ラフマット!〈ウズベク語で「ありがとうございました」〉(大拍手)
2010-02-25 : スピーチ・メッセージ等 :
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愛する北海天地

愛する北海天地
  潮出版社 2010.2.11 ¥743+税

はじめに
「心の故郷」に繁栄あれ(2009年1月)
 トインビー博士と北海道
豊かな海を守る「共生」の知恵(2009年2月)
 宇宙から見た北海道の流氷
 アイヌの先哲の教え
 北海道環境宣言
若き情熱こそ発展の源(2009年3月)
 青年の天地 北海道
農漁村の笑顔光る世紀を(2009年4月)
 「食は命」
 恩師 戸田先生とニシン
寒地耕作の偉業に学ぶ(2009年5月)
 北海道の春
 寒地稲作の父 中山久蔵
 厚田墓地公園と桜
観光大陸は友情の大陸(2009年6月)
 恩師と訪れた北海道
 観光大陸 北海道
 コスイギン首相との会談
“北の縄文”に脈打つ循環の英知(2009年7月)
 人間の大地 北海道
 もう一つのサミット「縄文シティサミット」
 北の縄文文化からアイヌ文化へと受け継がれる英知
悠久なるアイヌ文化へ感謝(2009年8月)
 海は人を結ぶ道
 アイヌ文化の持つ世界性
 1993年「国際先住民年」
 希望の岬 北海道
北海道の顔は母の微笑み(2009年9月)
 恩師とアツシ
 “開拓の母”渡辺カネさんの足跡
 母の思いやりが生んだ「ラーメン」
 「神謡集」
世界と結び合う「喜多の国」の誇り(2009年10月)
 新しい文化発信の地
 スウェーデン グスタフ国王と北海道 
人生はいつも“さあ、これから”(2009年11月)
 北海道の夕日
 高齢社会は「幸齢」社会
 王者の存在 壮年
冬は必ず春となる(2009年12月)
 厳しい自然が育てる人格
 忍耐という大地に咲く勝利の花
 北海道の心は春を呼ぶ光
長編詩 愛する北海天地(抄録)
厚田村――恩師の故郷に憶う
2010-02-24 : 随筆集 :
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栄光の日々 6 太陽の王国 宮崎

栄光の日々 名誉会長と我らの人生 6
                (2010.2.19付 聖教新聞)
春光る太陽の王国 宮崎

励まそう! 一人でも多く

 宮崎研修道場に着いた池田名誉会長が、そのまま庭の方へ歩き始めた。
 平成11年(1999年)2月26日午後。沖縄から空路、宮崎に飛び、車で20分ほど走った、その足である。
 庭では、「守る会」をはじめ3人の友が、手を真っ黒にしながら、懸命に作業している真っ最中だった。
 「何をしているの?」
 3人に声がかかった。
 「あっ!」。振り向くと目の前に名誉会長がいた。
 「守る会の方だね」
 「ありがとう。寒い中、誰も気づかないところで、必死に道場を守ってくださっいる。私は絶対に陰の人をれないよ」
 名誉会長は手袋をはずし手を差し出した。
 慌ててズボンで手をこすった守る会の友。握った手の温もりに、涙がこみ上げてきた。昭和62年(87年)の開所以来、道場を守り育ててきた苦労が、いっぺんに報われた気がした。
 名誉会長は幹部の方を向くと、諭すように言った。
 「私は会長になって以来、いや、なる前から、学会を支え、守ってくださる方を一番大事にしてきた。この魂がある限り、創価学会は永遠に発展していく」
 友は、心からうなずいた。
 東京から来て、大物ぶり、威張りちらす人間には、何度も悔しい思いをさせられてきた。その中で、総務の時代から、名誉会長は違っていた。
 昭和33年(58年)8月の初訪問以来、宮崎への激励行は10度。
 初代支部長の甲斐速水さん一家をはじめ、共戦の友への激励。青島や関之尾滝《せきのおのたき》での語らい。3400人の記念撮影会。1日5回、1万人との自由勤行会──。
 友がいつも見たものは、「一人を」、そして「一人でも多く」励まそうとする師の執念であった。
 「日向《ひゅうが》」──“日の出に向かう”宮崎の豊かな国土を讃え、「“太陽”といえば、宮崎を思い出す」「宮崎の若き開拓者の諸君よ、太陽に向かって、決然と立ち上がれ!」と、いつも希望を贈ってくれた。
        ◇
 「まこちうれしい(本当にうれしい)!」
 名誉会長が都城地域の同志に、方言で呼びかけた。
 平成3年(91年)2月の9度目の訪問。12日、都城文化会館での都城圏・小林圏記念勤行会である。
 会場に入るや、一人の年配の婦人に声をかけた。
 早田《はやた》フクマツさん。小柄な体で、ピアノの陰に隠れるように座っている。
 参加者には、名誉会長が早田さんを探し出したように思えた。
 “先生、よくぞ……”
 早田さんを知る人は皆、心で泣いた。
 リーダーとして信頼厚かった愛娘を、前年に病で亡くされていた。悲しみを飲み込んで、こつこつと、真面目に広布に尽くしてきた功労者の一人だった。
 名誉会長は、早田さんを最前列に招いた。
 「本当にいい顔をしている」「貴婦人のようだね」
 当時、都城圏婦人部長の加賀幸子さん(現・宮崎戸田県総合婦人部長)は、2月になると胸が熱くなる。
 「“かき分けてでも励ましたい”という先生の心に、あの時、触れたのです」
        ◇
 青き太平洋。吹き抜ける春一番の風。同志が一茎一茎、持ち寄った菜の花が、揺れて輝いていた。
 平成3年2月10日朝。研修道場(当時=聖教新聞宮崎研修センター)の庭を歩きつつ、名誉会長が残した言葉は、永遠の勇気の源泉として、こだまし続ける。
 「宮崎は『前進』。これからも前進! 『前進』と『大勝』でいこう!」
2010-02-24 : 栄光の日々 :
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御書と青年 2/3 仕事と信心

池田名誉会長が語る 青春勝利の指針
御書と青年 2/3 仕事と信心 
              (2010.2.17/18付 聖教新聞)

日蓮仏法の実践の舞台は現実社会
「今」「ここで」勝利者と光れ

熊沢女子部長 第1回の「師弟誓願の祈り」には、全国の青年部員から多くの感動と感謝の声が寄せられました。皆、生まれ変わったように清新な息吹で題目をあげ、「地涌の菩薩」の誇りを胸に前進しています。
 池田先生! 本当にありがとうございます。
池田名誉会長 うれしいね。アメリカをはじめ、海外の青年部からも、決意あふれる報告が届いています。
 世界中で、青年が立ち上がっている。新しい広宣流布の勝利への回転が始まった。
 その原動力が御書です。
 日蓮大聖人は「行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ」(御書1361㌻)と仰せです。きょうも大いに学び合おう!
棚野男子部長 はい。よろしくお願い致します。
 創価班、牙城会、白蓮グループなど役員へも、多大な激励をいただき、本当にありがとうございます。
名誉会長 皆、寒風に胸を張って頑張ってくれている。青年がこれほど真剣に行動している世界が、どこにあるか。最も清々しい連帯です。
 皆が風邪をひかないように、事故がないように、そして一人ももれなく幸福になり、勝利者となっていくよう、妻と共に題目を送っています。

農漁村部の友が活躍
熊沢 先生と奥様にすべてを見守っていただき、一日一日、金の歴史を刻んでいます。今回は、青年部の多くのメンバーが直面している「仕事」の問題について、お伺いできればと思います。
名誉会長 大事なテーマです。真摯に生きゆく青年ならば、必ず格闘する命題でしょう。御書には、仕事で勝利するための智慧が明快に示されています。
 入会してまもない頃、「御みやづかいを法華経とをぼしめせ」(同1295㌻)との御金言を初めて拝した時の感動は忘れられない。
 「自分の仕事を法華経の修行と思っていきなさい」と、大聖人は仰せです。仕事もまた、自身の境涯を開く修行となるのです。何と心が広がり、そして何と勇気がわく励ましの御聖訓か。
棚野 境涯の広がりといえば、私たちは、先生の成し遂げてこられた「仕事」の大きさに、圧倒される思いです。
名誉会長 若き日から働いて働いて、働き通しだったからね。
 小さい頃も、よく働いた。わが家は、父がリウマチを患い、4人の兄は次々と徴兵です。五男の私は、未明から起きて、家業の海苔作りを手伝いました。
 それが終わると、新聞配達に走る。学校から帰ってくると、今度は夕刊の配達です。
 「はたらく」とは「はた(周囲)を楽にすること」と言われるが、幼いながら、それを実感することもあった。
 ようやくできあがった海苔を背負って問屋に持って行くのも、私の仕事でした。
 「うちの海苔は、いい海苔ですよ」というと、問屋さんも「ああ、わかってるよ」と応えてくれた。だから、農漁村部の同志のご苦労も、誇りも、喜びも、私の胸に深く迫ります。
 御書には「民のほねをくだける白米」(1390㌻)と仰せです。「命」そのものである「食」を育む仕事がいかに尊貴であるか。すべて、大聖人は御照覧なのです。
棚野 今、農漁村部の青年は、各地の体験主張大会などで大活躍しています。高齢化や後継者の問題などで悩む地域で、希望と光る存在です。
名誉会長 よく伺っています。尊き使命の青春です。

油と汗にまみれて
名誉会長 戦時中、私は、蒲田の新潟鉄工所で油と汗にまみれて、ハンマーを振るい、旋盤を使って働きました。神経の張りつめる労作業の連続でした。
 戦後は、西新橋の昭文堂印刷でお世話になり、働きながら夜学に通い学び続けました。
 毎朝、家を出るのは6時半頃だったと記憶します。
 営業に回って印刷物の注文を取るとともに、刷り上がりの校正まで責任を持つ仕事です。体当たりで取り組んだ。
 家族的な温かい雰囲気の職場でした。ある先輩が「池田君、人生は『当たって砕けよ』だ。大切なのは勇気だよ」と励ましてくれたことも、懐かしい。
 主人の黒部武男さんが本当に大事にしてくださった。微熱や血痰が続き、どうしても体調がすぐれないので、惜しまれながら退社しました。
 その後、家の近くの蒲田工業会に事務員書記として勤務しました。小さな職場でしたが、郷土の町工場など中小企業の復興のために設立された大切な機関です。
 やがて戸田先生とお会いし、先生の経営される出版社の日本正学館で働くことになりました。その折、工業会の職員の方々が全員で送別会を開いて送り出してくださった真心も、忘れられません。
 どんな仕事でも、どこの職場でも、真剣勝負で働いて、信頼を勝ち得てきたことが、私の青春の誉れです。
 「御みやづかい」の御文の後には、法華経の文を天台大師が釈した「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」との言葉が記されている(御書1295㌻)。
 これは法華経を持った人の功徳を述べた一節です。社会の一切の営みや日常生活は、実相(妙法)と相反することはない。信心を根本とした行動は、地味なようであっても、すべて「妙法」の輝きを放っているのです。
 世のためにと働くことは、何よりも尊い。職種とか、会社の大きさとか、地位とかは関係ありません。一日一日、妙法を唱え、真摯に行動をして社会に貢献している人は、皆、仏になりゆく生命の正道を進んでいるのです。

どんな立場であれ、誠心誠意に徹した青年が、信用という最高の財産を築くことができるのです

職場は「人間革命」の道場
祈り 努力 真剣の行動を貫け


社会発展の原動力に
棚野 先生が歩まれた道に私たちも続いてまいります。
 「信心は一人前、仕事は三人前」という学会指導があります。私たちの立場でいえば、どう受け止めて実践していけばいいでしょうか。
名誉会長 一言でいえば、「努力」です。人の三倍の努力を心がけ、会社や社会の発展の原動力になっていくということです。信心は、その源泉なのです。
棚野 「信心しているからこそ努力が大事」ということですね。
名誉会長 その通りです。
 祈りから出発して、祈りの通りに行動する。これが本当の「信心即生活」です。
 それぞれの仕事に、それぞれの修行と鍛錬があります。
 戸田先生も厳しかった。
 社員が、仕事で外に出る。先生は知らんぷりをしながら、何時に出たかをちゃんと見ている。もし想定される時間を超えて社に戻ってくると、「遅いじゃないか。寄り道してきたのか」と叱られる(笑い)。
 私も原稿を作家から受け取って、そのまま急いで戻ってくると、先生から、いきなり「原稿の感想を言いなさい」と言われて、冷や汗をかいたことがある(笑い)。
 電車の中でも、目を通して頭に入れる。そうした機敏さを持て! スピーディーであれ! と、打ちこんでくださったのです。
熊沢 すべてが「訓練」だったのですね。
名誉会長 先生の「厳しさ」は即「正しさ」でした。
 「仕事」が「人間」をつくる。青年にとって、職場は自らの「人間革命」の道場でもある。そう腹を決めれば強い。
 御書を拝すると、大聖人は、若き南条時光に仕事の姿勢を教えてくださっています。たとえば、次のように仰せです。
 「いささかも主にうしろめたなき心あるべからず」「かくれての信あれば・あらはれての徳あるなり」(御書1527㌻)と。
 少しも「後ろめたい心」があってはならない。誰が見ていなくとも、公明正大に誠実を尽くせ! その青年が必ず勝利するとの仰せです。
 どんな立場であれ、誠心誠意、仕事に取り組んだ青年が、「信用」という人間として最高の財産を築くことができるのです。

苦労こそ最高の宝!
不屈の金剛の生命を


どん底から立って一切を変毒為薬
棚野 今、経済不況の中、仕事の悩みも千差万別です。倒産やリストラと戦う友もいます。人員削減のため、一人で抱える仕事量が急激に増えたメンバーもいます。
 夜勤が続いたり、なかなか休みがとれなかったりなど、状況はさまざまです。その中で、皆、「負けじ魂」で奮闘しています。
名誉会長 よく、わかっています。私も戸田先生の事業の破綻を経験しました。戦後の混乱期で、中小企業の倒産が続出した時代です。まだ20代前半の時でした。
 会社が倒れるということが、どんなにつらいことか。私は身をもって味わいました。そのどん底から立ち上がって、莫大な負債を返済していったのです。
 阿修羅の如く戦った。そして一切を変毒為薬して、戸田先生に第2代会長に就任していただく道を開いたのです。それは、「御義口伝」に仰せの如く「一念に億劫の辛労」(同790㌻)を尽くし、勇猛精進しゆく一日また一日であった。
棚野 多くの友が、先生の青春時代の苦闘を鑑として、逆境に挑んでいます。
名誉会長 今の時代、特に若い皆さんが向き合う社会の環境は、大変に厳しい。非正規雇用の増加など、20年、30年前とは状況が大きく変わってきています。
 個人の努力とともに、社会のあり方を見直し、変えていかねばならない面もある。
 自営業の人も毎日が正念場でしょう。諸天善神よ、護りに護れと祈っています。
 御金言には、「鉄《くろがね》は炎《きたい》打てば剣《つるぎ》となる」(同958㌻)、また「金《こがね》は・やけば真金《しんきん》となる」(同1083㌻)とあります。
 今、苦労したことが、全部、自分自身の「最高の宝」になる。苦に徹してこそ、宝剣の如く、真金の如く、わが生命を輝かせることができるのです。
 電話の発明者として有名なアメリカのグラハム・ベル博士が、新聞記者から仕事の大変さについて尋ねられたことがあります。
 博士は「かなり厳しい地道な仕事です。けれどもだからこそ」と微笑みながら、「私の楽しみでもあるのです」と結論したという。
 どんな問題であれ、「これですべてがうまくいく」という、魔法のような解決策などない。
 祈って苦労し抜いて、一つ一つ乗り越えていく以外にない。仕事も同じです。
 そして最後は一切が大善に変わり、必ず打開できる。これが「絶対勝利の信心」です。
熊沢 はい。有名な「経王殿御返事」にも「わざはひも転じて幸《さいわい》となるべし、あひかまへて御信心を出《いだ》し此の御本尊に祈念せしめ給へ、何事か成就せざるべき」(同1124㌻)と仰せです。
名誉会長 大聖人の仰せは絶対に間違いありません。この大功力を、皆さんのお父さんやお母さん方など、多くの先輩たちは、勇気ある信心で実証してこられたのです。

御聖訓
御みやづかいを法華経とをぼしめせ


社会の激流で戦う門下に真心の激励
棚野 先ほど、お話しくださった「御みやづかいを法華経とをぼしめせ」との御文は、弘安元年(1278年)の御手紙です。「熱原の法難」が本格化する頃でした。
名誉会長 その通りです。この御手紙は、大聖人が、伊豆流罪、佐渡流罪に続いて、3度目の流罪に遭われるかもしれないという動きがあった時に認められました。
 大聖人は、もし3度目の流罪があるならば「百千万億倍のさいわいなり」(同1295㌻)と悠然と仰せになられています。
 これが御本仏の師子王の大境涯であられる。そして、御自身は大難を覚悟なされたうえで、社会の激流にある一人一人の門下の身を深く案じておられたのです。
 師匠は、あらゆる大難の矢面に立って戦っているではないか。“弟子であるならば、自らの使命の場所で勇敢に戦いなさい! 仕事でも断じて勝ちなさい!”との烈々たる御心が拝されてならない。
 「臆病」「意気地なし」は、日蓮門下とはいえません。
熊沢 勇気をもって、「仏法即社会」の勝利の実証を示すこと。それが師匠への報恩となるのですね。
名誉会長 仏道修行の舞台は、「現実の社会」です。
 大聖人は「まことの・みちは世間の事法にて候」(同1595㌻)、「智者とは世間の法より外に仏法を行《おこなわ》ず」(同1466㌻)と明言なされている。
 自分の仕事や家庭、地域のなかで成長し、向上し、人間革命をしていく。「今」「ここで」最高の価値を創造していく。そのための信心です。
 「いつか」「どこかにある」理想郷に行く──。それは妙法ではありません。爾前経、権経の浅い考え方です。観念論です。
 大聖人の仏法は現実変革の「生きた宗教」です。ゆえに、仏の異名を「世雄」(社会の英雄)ともいうのです。
 その通りの師子の道を、創価学会は貫いてきました。不況の中で雄々しく戦う社会部や専門部の方々の活躍は、尊い模範といってよい。
棚野 男子部でも、住宅建設関連の会社に勤める関東のあるリーダーは、19歳の時、アルバイトから出発しました。やがて正社員として採用。実績を評価されて異例の昇進を遂げ、社長賞も受賞しています。
 仕事が多忙な中、学会で新たな役職を受けるたびに弘教も実らせてきました。
名誉会長 本当に偉い。うれしいね。日本でも世界でも、幾十万、幾百万の青年が頑張ってくれている。私にとってこれほどの喜びはない。
 御書には、伝教大師の釈を引かれて「浅きは易く深きは難《かた》しとは釈迦の所判なり浅きを去って深きに就くは丈夫《じょうぶ》の心なり」(310㌻等)と記されています。
 この「丈夫の心」を持つ人こそ、真のリーダーなのです。

仏法は最高の人間学

諸君は時代を照らす希望の太陽

熊沢 今、各地の友と語り合う中で、「仕事が忙しくて、なかなか思うように学会活動の時間がとれない」という悩みを多く聞きます。
名誉会長 多忙な中で、少しでも広宣流布のために行動しようと挑戦する。その心が尊い。
 たとえ短時間でも、勇んで活動に取り組めば功徳は大きい。むしろ、困難な環境の中でこそ成長できるのです。
 御書に「極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず」(329㌻)と御約束の通りです。大事なのは、心が広宣流布へ向かっていることです。
 「きょうは学会活動に行けないけれども、すべて信心の戦いと思って、仕事に全力を尽くそう」「休日は会合に参加できるよう頑張ろう」「皆の前進のために一分でも題目をあげよう」──そう思えれば、勝利です。
 その強き一念があれば、諸天が動いて、必ずいい方向に進んでいく。
 ともあれ、皆、さまざまな事情がある。リーダーは一人一人の状況をよく聞いて、全員が勇気と希望をもって前進できるよう、具体的な励ましを送ってほしい。
棚野 池田先生が男子部の第1部隊の部隊長として、下町を奔走された時の歴史をうかがっております。
 仕事が忙しくて、会合に来られない部員さんのために、先生は自転車で路地裏を駆けめぐって足を運ばれました。一緒に銭湯に行って語り合われたり、残業の多い友のため、日曜日に先生のご自宅で懇談をされたり。
 そうした体当たりの激励によって、無名の青年が一人また一人と、広布の第一級の闘士に育っていったのですね。
名誉会長 心は心に通じます。一言の励ましでも、それが一生の支えになる場合もある。だから、リーダーは「声を惜しまず」語ることです。
 私は東京と大阪を往復する夜行列車でも、励ましの葉書を綴りました。今のように、携帯電話やメールなど、なかったんだよ(笑い)。
 ともあれ、若い柔軟な頭を使って工夫すれば、友を励ますことはいくらでもできる。
熊沢 仕事と学会活動の両立については、先生の奥様も『香峯子抄』で、「『両立』へ努力することが、将来になってみますと、自分自身の境涯を広げ、福運を積み、生活力、生命力となって、人生を大きく開いていく礎になることは、確かだと思います」と語ってくださっています。
 私たちにとって、大きな励ましであり、手本です。
名誉会長 私と対談集を発刊した「欧州統合の父」クーデンホーフ・カレルギー伯爵も、「現実に一歩前進することは空想で何千歩進むより以上の価値がある」と言われていた。今いる場所で、勇気をもって一歩を踏み出していくのです。そこから開ける。

御聖訓
天晴れぬれば 地明かなり


国際宗教社会学会元会長
学会には宗教の本質である「躍動の力」がある


自身が妙法の当体
熊沢 仕事柄、寮生活などで、御本尊を御安置できないという悩みをもったメンバーもいます。
名誉会長 かつて戸田先生に、入会まもない女子部員が「『南無妙法蓮華経』の意味について教えてください」と質問をしたことがあった。
 先生は、満面に笑みを浮かべて答えてくださった。
 「いい質問だね。南無妙法蓮華経とは、つきつめれば、日蓮大聖人の御命と断じてさしつかえない。大聖人の御生命が南無妙法蓮華経ですから、弟子たるあなたの生命も同じく南無妙法蓮華経なのだよ。自信をもち、胸を張って、朗らかに生きなさい」
 自分自身が妙法蓮華の当体です。ゆえに一人として絶対に不幸になど、なるわけがない。御本尊を御安置できるように真剣に祈ることは当然として、信心を貫き、同志と前進するかぎり、何一つ心配する必要はありません。
棚野 ところで仏法と世法の関係でいえば、「観心本尊抄」には、「天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか」(御書254㌻)と仰せです。
名誉会長 妙法を信じ、行ずることによって、仕事や生活など社会のあらゆる営みで思う存分、智慧を発揮して活躍していくことができる。これが仏法の力です。仏法は最高の人間学といえる。
 目的観や倫理観がますます見失われている現代社会にあって、その深い闇を照らしゆく希望の太陽こそ、君たち創価の青年なのです。
棚野 池田先生が対話された、国際宗教社会学会のドブラーレ元会長も、創価学会の特質を、次のように評価しておられました。
 それは、「宗教にとって最も本質である生の活力・躍動の力がある。勤行はその源泉といえる」「信仰が単に個人の次元にとどまらず、社会的責任、社会的自覚を養い、会員が社会の各分野で活躍している」
 「自分たちの社会の発展だけを願うのではなく、『地球的規模』で共同体を築く運動を展開している」等の点です。
名誉会長 私たちの「仏法即社会」の前進が、文明史のうえからも、どれほど重要か。
 戸田先生は、「社会に信念の人を」と言われていました。また「現実社会から遊離した宗教屋には、絶対になるな」「国家、世界に大いに貢献しゆく指導者と育ちゆけ」と期待された。
 自分だけの幸福ではない。人々の幸福、社会の繁栄を願い、その実現に尽くすのが真の仏法者です。今の社会には、心が乾き、荒れ地のようにすさんでしまった人もいる。自分の居場所を失い、闇の中をさまよい苦しむ若者も少くない。
 皆さんは同世代の人たちに励ましと希望を送りゆく一人一人であってほしい。苦悩する青年の「心の安全地帯」「精神のセーフティーネット(安全網)」と光る存在であってもらいたいのです。
 「善の連帯」が社会に広がることで、時代を変革することができるからです。
熊沢 大企業の社長や役員の秘書として活躍し、その明るい人柄と誠実な姿勢で、「学会の女子部は本当に素晴らしい」と深い信頼を勝ち取っている友もいます。
 教育、芸術、学術など、あらゆる分野で女子部が生き生きと活躍しています。
名誉会長 女子部の持つ使命が、どれほど大きいか。大聖人は「女子《おなご》は門をひらく」(御書1566㌻)と仰せになられました。
 アメリカ・エマソン協会の前会長で女性詩人のワイダー博士は、地域や社会で「平和の門」を広げる女子部の活躍を、「皆様と一緒にいるだけで、私は幸福な気持ちになります。団結を強めゆく皆様方の麗しい人間の結びつきこそ『平和の文化』の土台です」と賞讃してくださいました。
 妙法の乙女が真剣に立ち上がれば、周囲の環境を大きく変えていくことができる。そのためにも、日々の聡明にして爽やかな言動が大事です。
熊沢 「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(同1174㌻)と述べられている通りですね。
名誉会長 仕事にしても、まずは朝に勝つことです。朝、御本尊に真剣に祈り、満々たる生命力で職場に行くことだ。そして、清々しい声で「おはようございます!」とあいさつをする。
 「声仏事を為す」(同708㌻)です。自身の「声」で、皆を元気にする。職場を明るくする。そういう気概を持つことです。
 遅刻したり、だらしない姿で出勤するようでは、信頼を勝ち取ることはできない。朝に勝つことが、人生に勝つことです。

忍耐だ! 苦境の時こそ勝負
信心とは根を張ること
必ず栄光の花は咲く


信頼厚き存在に
名誉会長 今は乱世です。皆は、断じて負けてはいけない。自分が強く、賢くなることです。力をつけることです。
 大聖人門下の池上兄弟は、鎌倉幕府の建設・土木事業を担う家柄の出身です。
 ところがある時、周囲の讒言によって、鶴岡八幡宮の再建工事の担当から外されてしまった。いわば自分の仕事を失ったわけです。
 がっくりと肩を落としたであろう兄弟に対し、大聖人はこのことは「天の計らいであろうか」(同1107㌻、趣意)と励まされています。
 「あなた方のために、深い意味があるのです」との仰せと拝せましょう。
 そして「造営の工事から外されたことをうらむような様子を見せてはならない」「(作業道具の)のこぎりや、かなづちを手に持ち腰につけ、常に、にこやかな姿をしていなさい」(同㌻、趣意)と御指導されています。
 思うようにいかないことがあっても、へこたれてはならない。くさってはならない。卑屈になってもならない。
 忍耐強く、根を張って時を創ればよいのです。信心とは、現実の大地に「幸福の根を張ること」です。
 やがて必ず芽が出て、爛漫たる花が咲く、栄光と勝利の春が来ます。学生部など就職活動で苦闘する友もいるだろうが、頑張ってほしい。
棚野 皆で励まし合い、朗らかに前進していきます。
名誉会長 大聖人は、苦難と戦う四条金吾に対し、「主の御ためにも仏法の御ためにも世間の心ねもよかりけり・よかりけりと鎌倉の人人の口にうたはれ給へ」(同1173㌻)と励まされました。
 仕事の次元においても、仏法の次元においても、社会の次元においても、依怙依託と仰がれる大勝利者になる──これが信仰の真髄の力です。「人間革命」の光なのです。

ベル博士の言葉は、ロバート・V・ブルース著、唐津一監訳『孤独の克服──グラハム・ベルの生涯』NTT出版から。クーデンホーフ・カレルギー伯爵の言葉は、鹿島守之助訳『実践的理想主義』鹿島研究所出版会から。
2010-02-21 : 御書と青年 :
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随筆 我らの勝利の大道 No.6/7

随筆 我らの勝利の大道 No.6/7
              (2010.2.11/12付 聖教新聞)

わが恩師・戸田先生㊤㊦

生誕110周年 報恩とは弟子の勝利なり
炎の2月闘争 勇敢に「一人」のもとへ!


 偉大なる
  師弟で勝ちぬけ
    今世かな

 “人類のために生き、人類のために与えた”と謳われた偉人がいる。
 世界を明るくした発明王エジソンである。
 「生きる喜びも、手に入れたものも、すべて人に与えてしまう……
 アメリカが国王を必要とするなら エジソン氏こそふさわしい」と。
 苦労して発明した創造の果実を、人類の繁栄のために提供する。それを最大の喜びとする大きな心が、エジソンをいっそう偉大に輝かせていた。
 このエジソンの誕生日は、1847年の2月11日であった。今、歴史に光る1日となっている。
 奇しくも、その53年後の1900年(明治33年)の2月11日が、人類の平和と幸福のため、新たな精神の大光を送られた、私たちの師匠・戸田城聖先生の生誕の日である。
 宿縁深厚の直弟子の私と妻にとって、1年のうちで最も嬉しい日だ。
 この日を迎えるたびに、私の胸には、師と共に戦い抜いた一日一日が、黄金の映像となって蘇ってくる。
 ある時、戸田先生が笑みを浮かべて言われた。
 「わたくしが、牧口先生のことを申しあげると、止まることがなくなる」
 私も、同じである。恩師のことは、何時間、いな、何日かかっても、とうてい語り尽くせない。
 私には「創価」の魂を受け継いだ第3代として、師の正義を、真実を、偉大さを、今世で全世界に宣揚し抜く責務があり、後世永遠に伝え切る使命がある。
 ことに本年は、北陸の石川県・塩屋の天地で、戸田先生がお生まれになってから110周年である。
        ◇
 常楽の
  功徳と勝利の
    故郷城《ふるさとじょう》

 この冬は、ふるさと北陸も、また戸田先生が育った北海道も、さらに牧口先生の故郷・信越も、そして両先生が愛した東北も、大雪である。
 そのなかを、両先生の直系の創価の友は意気軒昂に活躍している。世界でも、アイスランドやアラスカなど、寒冷の地域で健闘する同志がいる。
 北国の友の健康と安穏を祈らずにはいられない。
 ともあれ、生誕110周年の佳節を迎え、わが胸には一段と深い報恩の思いが込み上げる。希有の師である戸田先生のお姿を通し、「広宣流布の指導者」のあるべき姿を、あらためて確認しておきたい。
        ◇
 第1に戸田先生は、先師・牧口先生に「報恩の誠」を尽くされた、不世出の弟子であられた。
 「誠」の字を分解して見れば、“言を成す”ともなる。辞書には「まことの道を実行する」などとあり、実行は誠実の要件である。
 師匠のご構想を、そして弟子としての誓願を、寸分違わず達成する。まさに、先生のご生涯は「誠」そのものであられた。
 戦時中の2年の投獄の弾圧を勝ち越えた先生は、知人にこう綴っておられた。
 ──恩師・牧口先生のお伴をして、法華経の難に連なり、独房に修行すること、言語に絶する苦労を経てまいりました。
 お陰をもちまして、身で「法華経を読む」という境涯を体験し、仏典の深奥を探り、遂に仏を見、法を知りました、と。
 苦悩の民衆を救い、世界を平和へリードしゆく日蓮仏法の「立正安国」の奥義を、その胸中深く会得されていたのである。
 戸田先生はある時、粛然として語られた。
 「私は、牧口先生の言う通りにやった。師弟の道というのは、そうでなくてはならないのだ」
 また、ある時は、「一歩も退かず、大折伏をして、牧口先生の仇を討っていくのであります」と。
 敗戦後、壊滅状態にあった学会の再建のため、戸田先生は、ただ一人、何をもって立たれたのか。
 それは「地道な個人指導」「快活な座談会」「峻厳な教学」、そして「慈悲と正義の折伏」であった。
 すべて「創価の原点」に立ち返り、牧口初代会長が生前、最も大切にされていた率先の「行動」に打って出られたのだ。
        ◇
 “われ、75万世帯をもって、殉教なされた牧口先生の正義を宣揚せん!”
 昭和26年の5月3日、あの忘れ得ぬ第2代会長の就任式で、先生は「75万世帯の折伏」という願業を師子吼なされた。
 広宣流布の大将軍が立たれた!
 その雄姿を目の当たりにし、真実の戸田門下の青年たる私が、奮い立たないわけがなかった。

師弟共戦で前進!

 「いよいよ大作を出すか」──師の命を受けた、24歳の初陣は、昭和27年の2月であった。
 75万世帯達成への突破口となった、蒲田支部の「2月闘争」である。
 「大聖人の御聖誕の月、そして戸田先生の誕生の月をお祝いしましょう!」
 私がこう訴えて、「師弟共戦」を根本に始まった歴史的な拡大戦である。
 私は語った。
 「広宣流布の戦いは、祈りから始めることです。近隣など、身近な方々を大切にすることです。そして、信心の体験を確信をもって語り切っていくことです」
 私は、徹底して最前線に飛び込んだ。最前線とは何か。一人ひとりの会員だ。一軒一軒の家庭だ。一対一の対話の現場だ。
 信心の勝負は、自分一人に戻った時である。誰が見ていようがいまいが、信心で戦い、勝ってみせる! その一人立つ闘士を、何人つくれるかに尽きる。
 だから私は、勇敢に人と会った。誠実に対話した。対話の現場へ、同志と共に歩いた。一人また一人と、懸命に励ました。
 戸田先生への報恩感謝の喜びに燃えて! 自ら広宣流布への情熱の“火の玉”となって!
 なかんずく、最も大変な地域、大変な友のところへ飛び込んでいった。
 若い私の真剣な心に呼応し、日を追うごとに皆の目の色が変わり、足取りが変わった。
 御聖訓に「心はたらけば身うごく」(御書1187㌻)と仰せのごとく、弾む心が足を軽くした。勇気の行動が、みるみる第一線に浸透していったのだ。
        ◇
 恩師と同年に生まれたフランスの作家サン=テグジュペリは述べた。
 「『精神』の風が、粘土の上を吹いてこそ、初めて『人間』は創られる」
 崇高な精神が、組織という大地、現場という大地を潤してこそ、最強の人材は育っていくのだ。
 あの時、“師匠と共に”“師匠のために”と噴き上がる精神が、堰を切ったように蒲田支部中に充満したからこそ、歓喜の対話が爆発し、支部員一人ひとりも目覚ましい成長を遂げていったのである。
 御書には仰せである。
 「随喜するは信心なり信心するは随喜なり」(同835㌻)
 喜び勇んで壁の一カ所を破れば、それが突破口となり、一気に壁は崩れる。
 その結果が、大きい支部でも月に100世帯の弘教になかなか届かぬ時代に、1カ月に201世帯という未聞の金字塔であったのだ。
 「やればできる!」──その勇気と確信の炎は全支部、全国に燃え広がり、学会は、75万世帯の達成に向かって飛翔したのだ。
 現在、私は米国デューイ協会の2人の博士と、てい談を進めている。その1人のガリソン博士(同協会前会長)は語ってくださった。
 「一見、敗北に見えた牧口会長の獄死を、戸田会長と池田会長は、そして創価学会は、すべて『勝利』そして『永遠なるもの』へと転換したのです」
 3代の師弟の道こそ、正義と常勝の大道である。
 報恩とは、弟子が断固と勝つことだ。
 それが、戸田先生の弟子として、六十余年間、走り抜き、戦い抜いてきた私の人生の誉れである。

「師弟」「民衆」「青年」に創価の魂

庶民を愛した妙法の巌窟王
広宣流布へ一人立て! 自分から始めよ!


 ちょうど20年前(1990年)の2月11日、世界の目は1人の人物に注がれていた。         南アフリカのネルソン・マンデラ氏が、27年半 もの獄中闘争を勝ち越え、出獄されたのだ。
 “妙法の巌窟王”の弟子である私も、この“人権の巌窟王”の雄姿を、嬉しく見守った。いかなる縁か、8カ月後、来日されたマンデラ氏側の要請で会見し、深い友情を結ばせていただいたのである。
 後日、悪名高い人種隔離を撤廃し、大統領となられたマンデラ氏は、『自伝』に高らかに記された。
 「わたしはこの偉大な変革が成しとげられるという望みを、一度も捨てなかった」「この国のふつうの男たち、女たちの勇気を信じていたからだ」──
 民衆こそ偉大なり!
 これは、妙法の巌窟王・戸田先生の信念であった。
 この「民衆」根本という精神こそ、私たちが、師匠から永遠に学び、継承するべき第2の点である。
 先生の生涯は、常に庶民と共にあり、最前線の友の汗と涙と共にあった。
 「一番苦労している人たちに手を差し伸べていくのだ。こういう方たちの味方となって、妙法を教え、救い切っていくのが、学会の使命ではないか」と。 
 日夜、懸命に働く人びとの胸に、「信心は一人前、仕事は三人前」との励ましが、どれほど深く響いたことか。
 「御みやづかい(=仕事)を法華経とをぼしめせ」(御書1295㌻)との御聖訓を踏まえての珠玉の具体的な指針であった。
 苦労知らずの遊戯雑談の坊主などには、絶対にできない指導であった。
 朝な夕な、会員一人ひとりの声に、誠実に耳を傾けられた。その人の本質を見抜き、その人の本質を高め輝かせてくださる先生であった。「宿命転換」「人間革命」の大仏法に基づいて、絶対勝利への勇気と希望を贈っていかれたのである。
        ◇
 特に恩師は、女性を尊重し、最も大切にされた。
 「女性は女性として、最高の生命力を輝かせて、人生の幸福を満喫するために信心に励むのである」
 「女性が責任感を持ち、鋭さを失わなければ、学会は大丈夫だ!」──先生は、宿命の嵐にも社会の不遇にも断じて負けない、偉大なる幸福博士の群像を育んでいかれたのである。
 民衆の大地を離れて学会はない。現実のあらゆる苦悩と闘っている民衆の外に、学会はない。いな学会が、民衆そのものなのだ。ゆえに学会の勝利が民衆の勝利に通ずる。
 日蓮大聖人は「諸法実相抄」に、「凡夫は体《たい》の三身にして本仏ぞかし、仏は用《ゆう》の三身にして迹仏なり」(同1358㌻)と示された。真実の仏は、凡夫(衆生)という大地を離れては存在しない。
 民衆の上に君臨するのではない。仏は永遠に民衆の中にあり、永遠に民衆と共に生きているのである。
 戸田先生は、「生き仏」とか「教祖」などと言われることを、最も嫌われた。
 「私は立派な凡夫だよ!」と呵々大笑されていた。
 戸田先生は、学生部への法華経講義で語られた。
 「大聖人の仏法は、衆生がいるから仏がいるという根本的な立場をとる。
 この考えで世の中の事象を考察するに、学生がいるから教師がいるのである。尊き学会員がいるから、幹部がいるのだ。
 自分は幹部だ、有名人だなどと威張る人間は、必ずおかしくなる。絶対に威張ってはいけないし、威張らせてもいけない」
 「学会は、永遠に民衆の側に立つ」。これが、戸田先生が教えてくださった根本の精神である。
        ◇
 さらに第3に、戸田先生は、誰よりも青年を愛し、青年の育成に心を砕かれた名教師であられた。
 先生の事業を支え、先生をお護りするため、私は、学業を断念せざるを得なかった。だが、先生は、その私に、一対一で万般の学問を授けてくださった。
 これが、誉れも高き「戸田大学」である。本年は、「戸田大学」がスタートして60周年でもある。
 先生は厳しかった。甘えなど許されなかった。
 テキストを開いての勉強だけが、講義ではない。いつでもどこでも、師弟が向き合えば、「今、何の本を読んでいるか」「その内容を言ってみなさい!」──鉄を宝剣に鍛え上げる峻厳さであった。
 私が世界の大学・学術機関から拝受した知性の宝冠も、すべて、この「戸田大学」での薫陶のたまものである。
 ゆえに私は、一つ一つの受章の儀式に、恩師と共に参列し、恩師に捧げる思いでお受けしてきた。
 私は、「戸田大学」開始の年の日記に記した。
 「青年は、小心であってはならない」「自分は、これでいいと思っては、絶対にいけない」
 青年は、学ぼうとする姿勢それ自体が、自身の成長と勝利への糧となる。
 御書には、「浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり」(509㌻)とある。
 わが後継の青年よ! 君たちの成長が、創価の勝利となる。君たちの行動が、世界の希望を開くのだ。
 今、私も、あらゆる機会を通じ、池田門下を育成している。“教学で青年育成の総仕上げを”との決心で、「御書と青年」の対話もスタートした。
 「人間にとって大切なのは、いかなる思想を持ち、いかなる行動をしているかだ」。これが戸田先生の結論であった。
 世界最高の生命尊厳の大哲理を抱いた青年部には、「21世紀の世界広宣流布」を断じて遂行する使命がある。
 それは、この地球上のいずこであれ、君たちが存在するその場所で、断固として、勝利と平和の旗を掲げ抜く責任だ。
 戸田先生は、創価の「勝利の門」を開く女子部を心から慈しまれていた。
 壮年・婦人が中心の会合で、会場の後ろにいた女子部を、前に呼ばれて激励されたこともある。
 多忙を極めるなかでも、女子部の質問には、御書を繙き、教学を通して、懇切丁寧に教えていかれた。
 先生は、ある女子部員を励まして言われた。
 「自分のいる場所を幸せにできないで、どこに幸せを求めるのだ」
 だから強くなるのだ。悩みに負けない自分自身に、自分を革命するのだ。
 「われわれの信仰と知識は手足や身体と同じで、動かすことによって強くなる」とはイギリスの大詩人ミルトンの言葉だ。
 どこまでも仏法を根幹に戦い抜き、地域、社会に勝利の花を咲かせていってほしいのである。
        ◇
 第2代会長・戸田先生が最も大切にされた「師弟」
 「民衆」「青年」──。
 「師弟を貫け!」
 「民衆を敬え!」
 「青年を育め!」
 ここに、創価完勝の永遠の軌道もある。
 師弟を捨て去り、民衆を愚弄し、青年を軽んずる邪宗門は、哀れな衰退の一途をたどっている。
 ともあれ、大事なことは「一人立つ」精神である。
 戸田先生は第2代会長に就任された時、「広宣流布は私がいたします」と誓願なされた。
 誰かを頼むのではない。決然と「一人立つ」ことである。「自分」から始めることである。
 戸田先生は、約2万人に発展した男女青年部に、有名なご指導をなされた。
 「一人、ただ一人立てばよい。ただ一人立つ確信をもって立つところに、一切の仕事ができあがる」

歴史に不滅の名を
 「一人」が持っている力は計り知れない。
 紀元前479年、天下分け目の決戦「プラタイアの戦い」で、古代ギリシャは大勝利を収めた。
 実は当時、大活躍を期待されたギリシャ一の美丈夫《びじょうぶ》がいた。しかし思わぬ油断からであろうか、決戦を前に敵に討たれてしまった。
 その反対に、この時、最も勇敢に活躍し、功績があったと、史書に記録された英雄は誰であったか。それは、常日頃、皆から「腰抜け」と侮辱され、貶《おとし》められていた人物であった。
 いざという時に、人間の真価は発揮される。
 広宣流布の大闘争にあっては、皆が尊き使命の人材である。互いに切磋琢磨しながら、励まし合いながら、持てる力を思う存分に出し切っていくのだ。
        ◇
 今、世界の多くの平和指導者から、師の「原水爆禁止宣言」に敬意と感謝が寄せられる時代となった。
 パグウォッシュ会議をリードしてこられたスワミナサン元会長も言われた。
 「ラッセル、アインシュタイン、戸田城聖という3人の人物は時代を先取りした人物です」と。
 わが恩師の名前は、人類史に不滅の光彩を放ち始めているのだ。
 2月11日から、戸田先生の故郷・北陸でも、金沢市で「核兵器廃絶への挑戦と人間精神の変革」展が盛大に開催されている(北國新聞赤羽ホール)。
        ◇
 アメリカの思想家エマソンは厳しく叱咤していた。
 「恩恵を受けながら自分では何も恩恵を与えない人こそ卑劣なのだ」
 この哲人は、「最も多くの恩恵をほどこす人こそ偉大なのだ」と叫んでやまなかった。
 現在の私は、あの約10年にわたる師匠・戸田先生の訓練なくして存在しない。
 そして先生が逝去された後の半世紀もまた、「お前は生き抜け!」と、先生の寿命を私に頂戴したという思いで、戦い抜いてきた。
 だから私は、師匠に育てていただいたこの生命を、師の悲願であった「広宣流布」──民衆の幸福勝利のために捧げるのだ!
 師弟不二の報恩の大道を歩む人生は、最高に幸福であり、無上の栄光である。

 人間の
  王者の心は
   信心に
  無量無辺の
    力と湧くなり


マンデラの言葉は『自由への長い道 ネルソン・マンデラ自伝』東江一紀訳(日本放送出版協会)。ミルトンは『言論・出版の自由』原田純訳(岩波書店)。古代ギリシャの故事はヘロドトス『歴史』松平千秋訳(岩波書店)。エマソンは『エマソン選集2 精神について』入江勇起男訳(日本教文社)。
2010-02-19 : 随筆 我らの勝利の大道 :
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新時代第37回本部幹部会

新時代第37回本部幹部会/創立80周年記念第3回全国青年部幹部会での名誉会長のスピーチ
         (2010.2.6 創価国際友好会館)

妙法は絶対勝利の大法
悠然と幸福街道を進め


前進!前進!音楽隊の響きと共に
すべては青年で決まる
勇気と情熱で突破口を開け


 一、どうかリラックスして、自由な気持ちで聞いてください。
 私も、懇談的に話をさせていただきたい。
 一、戦う青年部の幹部会、本当におめでとう!
 〈「ありがとうございます!」と会場の青年部から勢いよく返事が〉
 青年部がいてくれれば安心だ。
 次の時代をつくるのは、青年部に決まっているのだから。
 私も戦った。青年部時代、本当に師匠にお仕えした。
 恩師・戸田先生の命を受けて、一番伸び悩んでいた支部を担当し、全国一の支部に押し上げたこともある。
 学会は、そこから、ぐんぐんと前進していった。そして今日の学会となった。
 真剣だった。必死であった。
 私は「師弟不二」で勝った。
 「大作は、名前の通り、大きく作るな」と先生は喜んでくださった。
 わが青春の誉れの歴史である。

無冠の友 寒風の中ありがとう

豊作・豊漁を皆で祈ろう!
 一、海外の同志の皆さん、本当に、ようこそ! 懐かしい同志とお会いできて、うれしい。ありがとう!(大拍手)
 無冠の友(配達員)の皆さん、寒風の中、毎日、本当にありがとうございます! どうか、お体を大切に!(大拍手)
 農漁村部の皆さん、尊い活躍、ご苦労さまです。今年も、豊作と豊漁を皆で祈りたいと思います!(大拍手)
 音楽隊の皆さん、合唱団の皆さん、いつもいつもありがとう!
 学会は、音楽隊の力強い演奏とともに、そして合唱団の明るい歌声とともに、きょうよりまた、一段と団結固く、威風堂々と大行進していこう!(大拍手)

苦しみと楽しみの境はどこに
 一、何のための「人生」であり、何のための「信仰」か──。
 喜びに生きゆく人生。
 苦しみに生きゆく人生。
 悲しみに打ち砕かれていく人生。
 不幸という縄に縛られて生きていく人生。
 生き生きと勝ち抜いていく歓喜の人生。
 人の生き方は、さまざまである。
 社会が悪いからという理由もあるだろう。
 一家が貧しいから、そうなってしまうということもあるにちがいない。
 勝利の遊楽と、敗北の地獄の苦しみ──。
 人生はさまざまである。境遇もさまざまである。
 人生の成功と失敗、楽しみと苦しみの境は、いったい、何によるのか?
 それは複雑であり、微妙である。
 しかし、南無妙法蓮華経は、「絶対勝利」の法である。
 「常楽我浄」の悠然たる長者の生命となりゆく仏法なのである(大拍手)。
 南無妙法蓮華経を持《たも》つことは、いかなる財宝を持ち、大邸宅を持つよりも、ずっとずっと裕福なのである。
 南無妙法蓮華経は、大宇宙の生命であり、根源の法である。それを唱えているのだから、何の心配もない。
 日蓮大聖人の仰せには、絶対に嘘はないのである。
 幸福と勝利のための我らの信仰であり、信心である。
 永遠唯一の御本仏であられる大聖人の仏法の実体である。
 我々は、この人生を、この大仏法とともに、悠然と勝利、勝利で進んでいこう。
 何ものも恐れぬ「幸福街道」を、自分自身も、家族全体も、多くの友人とともに、生き生きと、はつらつと前進するのだ。
 わが生命は、楽しむ一生を送るためにある。不幸という、悲しみ、苦しみ、敗北の人生には、絶対になってはいけないし、絶対にならないのだ。
 これが妙法の信仰である。
 これが宇宙第一の大聖哲・日蓮大聖人の教訓である。
 何と偉大なことか。
 皆、この人生を、楽しみ、勝ち抜いて、朗らかに、大満足して、価値ある一生を送っていこう! そのための仏道修行なのである(大拍手)。

恩師の生誕110周年に寄せて
 一、今月11日は恩師の生誕「110周年」である。
 戸田先生の指導を学びたい。
 先生は言われた。
 「歴史の歯車は、一瞬もたゆむことなく、前に前に前進してやまない。
 青年よ、勇気と情熱で突破口を開け!
 君たち青年がいるかぎり、学会は永遠に盤石である!」
 青年がいるか、いないか。
 その青年に力があるか、ないか。
 これで未来は決まる。会社でも、国でも、全部、そうだ。
 広布の未来も同じだ。すべて青年で決まる。これが根本法則である。

19歳から一筋に
 一、私は19歳で信心を始め、今日まで63年間、まっすぐに、師弟の道を進んできた。
 戸田先生の経営する会社にお世話になったのは21歳の時である。
 〈1949年(昭和24年)1月〉
 当時、学会は、何かにつけて批判され、いじめられた。
 さらに戦後の混乱の打撃を受けて、先生の会社も挫折を余儀なくされていった。
 先生は山のような借金を抱え、社員は一人、二人と去っていく。やって来るのは、“借金取り”ばかりである。
 嵐の中で、私は一切の責任を担い、会社の再建に当たった。
 先生は、学会の理事長も辞任せざるをえなかった。
 戦時中、牧口先生にお供して牢獄に入り、最後まで生死を共にされたのは戸田先生だけである。
 何があろうとも、後継者は、戸田先生に決まっていた。
 先生が難を受けられれば、皆が報恩の心で護らねばならないはずだった。
 しかし、幹部の中には、苦境にあった先生を下に見て、自分が中心のように振る舞う者も出てきた。それに追従する幹部もいた。
 私は、戸田先生に、うかがった。
 ──私の師匠は誰になるのですか──と。
 小さな本部の一室であった。二人きりであった。
 先生は言われた。
 「苦労ばかりかけて悪いけれども、君の師匠は私だよ」
 その一言で私の心は決まった。
 ──戸田先生に必ず会長になっていただくのだ。そのためなら、私はどうなってもかまわない──と。
 孤軍奮闘であった。給料は何力月も遅配。新しい靴も買えない。
 しかし、心は晴れやかであり、高下駄を鳴らしながら歩いた。
 真冬に開襟シャツで過ごしたこともある。
 働きに働いて、借金を返済していった。
 月日が経ち、年が変わり、昭和26年(1951年)の5月3日、苦難を乗り越えて、師弟に「勝利の春」が訪れた。
 戸田先生が、晴れて第2代会長に就任されたのである(大拍手)。

試練の船出!
 一、戸田先生の指揮のもと、学会は意気揚々と船出した。
 しかし、学会全体として、なかなか折伏が進まない。
 先生は、「みんな一生懸命に頑張ってくれているけれども、これでは広宣流布は5万年かかってしまうなあ」と、一人、嘆いておられた。
 先生は、当時、必死で事業を支えていた私をじっと見つめて、「大作、立ち上がってくれないか」と。
 私は即座に申し上げた。
 「わかりました。
 先生がびっくりするような折伏の攻勢に転じてご覧にいれます。先生はゆっくりと見ていてください」と。
 これが師弟である。
 ここから、学会は、日の出の勢いで前進を開始したのである(大拍手)。
 〈戸田会長の命を受け、若き名誉会長は、蒲田支部の支部幹事に就任。
 1952年(昭和27年)2月、名誉会長の指揮のもと、蒲田支部は、1カ月で201世帯の弘教を達成した。
 当時、最も力のある支部でも、月に100世帯前後の弘教が限界だった。
 ここに、壁を破る「伝統の2月」の歴史が築かれた。
 学会全体にも拡大の勢いが広がり、戸田会長が生涯の願業に掲げた「75万世帯達成」へ、大きな上げ潮がつくられていったのである。
 さらに翌1953年(昭和28年)、名誉会長は、文京支部の支部長代理に就任。これも戸田先生の指名であった。
 当時の文京支部は、女性の支部長が指揮を執っていたが、残念ながら、毎月の折伏成果は低迷を続けていた。
 名誉会長を迎え、生まれ変わった文京支部は、同年12月には、431世帯の弘教を成し遂げ、第1級の大支部へと飛躍。
 さらに1960年(昭和35年)の第3代会長就任の折には、支部として全国第1位の折伏の金字塔を打ち立てている〉

2月闘争の魂
 一、学会の大躍進の姿に戸田先生の喜びは、ひとしおであった。
 「大作は、すごいと思っていたけれど、こんなにやるとは思わなかったな」
 青年は力を出すのだ。力をつけるのだ。師匠を落胆させる弟子ではいけない。
 師匠が一番大変なときに、一番大変なところへ行って、広布の一番星をつかみ取る。
 それが「真の弟子」である。
 「2月闘争」の不滅の魂である。
 青年部、頑張れ! 青年部、頼むよ! 大事なのは青年である!(大拍手)

社会のために 平和のために
 一、若さこそ力だ。
 戸田先生は、青年に大きな期待をして、こう語られた。
 「一人の強き生命力が、他の人の生命に影響を与え、変えることができるのだ。この働きを、最も確実に推進する力が、妙法なのである」
 正義を貫く青年の確固たる生命力こそが、相手の心を変える。社会を変えるのだ。
 平凡に生きる人生。それもいい。
 気ままに暮らす人生も、いいだろう。
 しかし、瞬間瞬間。心は動く。宿命や乱世の波もある。心を強く、豊かにしていかなければ、一見、自由なようで、不自由な人生になってしまう。
 根本的な人生の光、生命の勝利は、いったい、どこにあるのか。
 それは、やはり、社会のため、世界のため、平和のために生きる中に輝きわたるものではないだろうか。
 皆の幸福のため、連帯のため──そうした大目的の柱を持だなければ、独りぼっちで、あてどなく流浪するだけの人生で終わってしまう。
 人のため、妙法という大法のため──この広宣流布の尊き使命に奮い立つ時、わが人間革命の劇が始まる。
 大宇宙を動かし、三世永遠を貫く南無妙法蓮華経である。
 題目を唱え、妙法にわが生命を合致させながら、絶対的幸福の軌道を、楽しく歩み抜いていただきたい。
 青年部の皆さん、頼むよ!〈会場から「ハイ!」と返事が〉

座談会へ行こう
戸田先生
若き友よ学会の第一戦へ出て大切な組織を盛り上げるのだ


「根本の道」を忘れるな!
 一、戸田先生は、最前線の“草の根”の集いを大切にされた。
 若き友に、こう呼びかけられた。
 「座談会に出て、学会活動の第一線に出て、妙法の力で、人々を救っていくのだ。何万人とも対話するのだ。広宣流布の組織を盛り上げるのだ。一生懸命、仕事をするのだ。足元をしっかり見つめて戦うのだ! そして、勝つのだ」
 座談会に出ている人は?〈「ハイ!」と元気に皆が挙手〉
 幹部から先頭を切って、座談会に参加しなくてはいけない。
 男子部が勇んで座談会に出席する。そうしたら、会場にいる婦人部や女子部の皆さんも、「ああ、こんな立派な青年がいたのか」
 「こんなに素晴らしい、若き指導者がいたのか」と感嘆する──そういう諸君であってもらいたい。
 若い皆さんは、どうしても目先のことに心を奪われ、「今がよければいい」と思いがちだ。それはそれで自由であるけれども、人生の根本の道だけは、忘れてはならない。
 福運を積み、人を救い、平和をつくる根本の道を教えるのが、創価学会である。
 だから今、創価の友は、世界中にいる。どんどん伸びている。
 我らの平和・文化・教育運動への賞讃は、国を超え、あらゆる垣根を超えて、広がっているのである。
 日蓮大聖人は、末法万年の未来を見つめておられた。少しも、あせることはない。
 布石は、すでに打たれている。歴史の潮流は、人間主義へと向かっている。
 それを深く確信し、大きな心で進んでいただきたい(大拍手)。

勝利の日まで!
 一、イギリスの劇作家シェークスピアの戯曲(「アントーニとクレオパトラ」)に、こんな言葉があった。
 「勝利の日を迎えるよう/いのちをかけて戦えばおのずから道は開かれよう」(小田島雄志訳『シェイクスピア全集Ⅳ』白水社)
 いわんや、我らには無敵の妙法がある。
 社会の繁栄、民衆の幸福のための大言論戦に、「断じて勝つ」と決めて、祈ることだ。
 誰かにやらせるのではない。自分が、わが身を惜しまず、戦い抜くことである。
 不惜身命の精神で進め!──こう戸田先生は指導された。それが、大聖人の仰せであるからだ。
 壮年は壮年らしく、青年は青年らしく、立ち上がっていくことである。
 広布のために、何ができるか。日々、心を砕く。時間を捧げる。苦労をを買って出る。 そして、いざという時こそ、決然と、正義に生き抜く。これが大事だ。その覚悟が、わが境涯を大きく開いていくのである。
 ともあれ、若い人もいれば、年配の人もいる。千差万別である。皆が伸び伸びと、
 ゆえにリーダーは、皆が伸び伸びと力を発揮していけるよう、聡明な指揮をお願いしたい。
 法華経に「衆生所遊楽」とある通り、我らは本来、楽しむために生まれてきた。たとえ年齢は重ねても、信心根本に、心晴れ晴れと広布に邁進していきたい(大拍手)。
 一、大聖人は釈を引かれ、法華経の行者の境涯と力用について、こう仰せである。
 「横には十方世界(全宇宙)に遍くいきわたるから弘《ひろ》しといい、竪《たて》には三世にわたって法性の淵底(一切の諸法が拠りどころとする根本の真理)までも極めるから深しというのである」(御書571㌻、通解)
 仏法は、大宇宙を貫く根本の法則である。その功力は、全世界、全宇宙をも包む。
 どれほどすごいことか。身震いするほどである。
 広宣流布の戦いに勝利する栄光は、永遠に不滅である。ゆえに今世を、断じて勝ち抜くのだ。

大聖人 広布の母を最大に賞讃
偉大なのは“創価”の女性


庶民の誇り
 一、2月の16日は、日蓮大聖人の御聖誕の日である。
 大聖人は、安房国長狭郡東条郷の片海(現千葉県鴨川市の一部)の「漁師の子」として誕生された。御自身の出生について、誇りも高く宣言なされた。
 「日蓮は、中央の都の者でもない。地方の将軍などの(有力者の)息子でもない。(都から)遠く離れた国の者であり、民の子である。そうした庶民の出身である日蓮が、日本国で、七百年以上もの間、ただの一人も、いまだ唱えられることのなかった南無妙法蓮華経を唱えたのである」(御書1332㌻、通解)
 貴族でもなければ、富豪でもない。
 大聖人は、本当の庶民の代表として、全民衆の幸福のため、仏法を説いてくださった。だからこそ、あれほどの迫害を受けられた。
 この大聖人に直結し、民衆の味方として戦う。これが、創価の三代の誉れである。

永遠に胸を張れる歴史を残せ

仏のごとく敬え!
 一、御本仏・日蓮大聖人は、健気に信心に励む、広布の母たちを徹して大切にされた。
 「妙一女」と呼ばれる門下を、こう讃えておられる。
 「女性の身として、たびたびこのように(即身成仏の)法門について尋ねられたのは、ひとえにただごとではありません。
 教主釈尊が、あなたの身に入りかわられたのでありましょうか」(御書1262㌻、通解)
 大聖人の慈愛あふれる御手紙に、妙一女は、どれほど励まされたことであろう。
 無理解や反対を乗り越え、広宣流布のために、労苦をいとわず、真心を尽くして戦う女性が、いかに尊いか。
 この方々こそが、仏と輝くのである。如来の使いである。
 一番、尊貴なのは、創価の女性である。
 一番、偉大なのは、広布の母である。
 私たちは婦人部・女子部の皆様方を、仏のごとく大切にしてまいりたい(大拍手)。
 一、遠大な広布の未来を展望する時、要となる地域がある。
 首都圏では、本陣・東京、神奈川や千葉と並んで、埼玉が大事である。
 戸田先生は、周りの無理解の中で信心に励む、埼玉の婦人部に指導された。
 「必ず立派な広宣流布の戦いができるよ。御本尊に祈りなさい。たとえ、周囲に反対する人がいても、あなたの信心で、皆がついてくるようになるのだ」
 ちょうど55年前の昭和30年(1955年)2月16日。若き私は、埼玉へ走った。
 当時、27歳。
 ある新聞の埼玉版に、事実無根の学会への中傷記事が出た。
 その抗議のために、埼玉の支局に赴いたのである。
 私は、わが師に対する侮辱を、絶対に許さなかった。
 学会の渉外部長として、埼玉の天地でも、私は真実を訴えた。最後には、先方も誤りを認め、訂正するとともに、学会側の主張を掲載するに至った。
 勇気と誠実の外交戦の完全勝利であった(大拍手)。
 その報告を聞かれた戸田先生は、にっこりと微笑み、喜んでくださった。
 戦争の時代に、軍部に投獄された戸田先生は、耐えて、生き抜いて牢を出た。
 獄死された師匠・牧口先生に喜んでいただけるように、学会の再建を成し遂げたい──強く深く決意しておられた。
 しかし、戸田先生は満身創痍であった。残された時間にも限りがある──その苦心孤忠の胸のうちを、誰もわからない。
 先生は一人、苦しみ抜いておられた。
 先生の心をわが心として、一切を打開しゆく若い力は、私しかいなかった。
 「誰もできない。勝てっこない」と思われた広布の戦の指揮を執り、いつも私は、最高の結果を出した。
 青年らしく、ただ師のために戦い、師のために勝ったのである。
 ともあれ、青年には無限の力がある。
 若き君たちも、歴史を残すのだ!
 そうすれば、永遠に胸を張れる。満足できる。大福徳に輝く。
 皆から「よく戦っている。見事だな。話も素晴らしい。あの人とともに進みたい」──そう言われるくらいの働きをするのだ。
 一、埼玉は、幾重にも思い出が深い。
 埼玉は、私の手作りである。
 川越にも、何度も通った。戸田先生の命を受け、御書講義を担当した。一回一回が真剣勝負だった。
 寒い日も、空腹の日もあった。長い間、列車に揺られて行った。本当に遠かった。
 一つ一つ、内から外から、盤石に固めた。埼玉の未来を託された、先生の期待にお応えするために。
 埼玉の同志の皆さんとは、深い縁で結ばれている。思えば、第3代会長の推戴の声も、埼玉から上がった。
 その埼玉が、雄々しき大行進を開始した。「大埼玉、万歳!」と声を大にして叫びたい(大拍手)。

広布の船長よ 勇気あれ 嵐を超えて 歓喜の港へ

幹部革命から出発
使命の天地をすみずみまで走れ
同志に優しく 邪悪には強く

自分が変われ!
 一、今、大事なことは、「幹部革命」である。今年から、これまで以上に、この一点に力を注きたい。
 一人一人のリーダーが、さらに成長し、殻を破り、生まれ変わっていかなければ、新たな発展はない。未来は開けない。
 広布に進む同志を、心から大事にするのだ。皆が仏になりゆくための学会活動である。一人ももれなく、偉大な幸福境涯を開いていけるように、尽くしていくのだ。
 戦いは、リーダーで決まる。その心に油断や慢心があってはならない。
 どこまでも、皆のために勝つのである。
 皆の心を信じ、本当に皆に喜んでもらえるような、皆が確信を持てるような指導をするのだ。
 リーダーに、断固たる決意と行動がなければ、壁を打ち破る勢いは生まれない。
 戸田先生は言われた。
 「一つの方針を定めたら、それを貫く意志力を持て!
 思い切って戦え!。
 戦いには、突進力がなければならぬ」
 誰よりも最前線に躍り出て、勇気の風を巻き起こす。それが広布の指導者である。
 万年の歴史に残る、この創立80周年。
 今、各地で、新しき息吹のリーダーが「私は勝ちます!」と声高らかに叫び、走っている。本当にうれしい限りだ。
 わが地域に、永遠に輝く創価城を、皆の力で築いていただきたい(大拍手)。

民衆よ強くなれ
 一、インドネシアの著名な詩人に、レンドラ氏がいる。〈1935~2009年〉
 迫害にも屈せず、人間性を謳い上げた。「インドネシアの良心」として、広く民衆から支持されている。
 創価学会インドネシアの文化祭などにも足を運び、期待を寄せてくださった。
 虐げられてもなお立ち上がる、正義の民衆の魂。それを氏は、戯曲の中で、ある村の長の言葉に託した。
 「抑圧されても、転んではならぬ」
 「われわれは、ともに闘わねばならぬ。そうすれば、必ず勝つじゃろう」(村井吉敬・三宅良美訳『ナガ族の闘いの物語』めこん)
 民衆が、団結し、勇気をもって声をあげることだ。その時、歴史は変わる。
 我らは今、新しい時代、新しい社会を築いているのだ。大変革の時である。何よりも、自分自身が、本気になって、人間革命しなければならない。
 強くなることだ。
 賢くなることだ。
 健気な庶民を見下し、威張る人間を、戸田先生は絶対に許さなかった。「民衆を馬鹿にするな!」と激怒された。その峻厳さが。生命に巣くう魔性を打ち砕いていったのである。
 心から民衆を敬え!
 真に民衆のために戦え!──先哲の血涙をしぼる訴えを、指導者は、断じて永遠に忘れてはならない。
 一、言論が、人々を動かす。活字が、思想を広げる。
 私は、語りに語り、書いて書いて書きまくってきた。同志の皆さんが、仏法の人間主義を友に伝えゆく一助になれば、との思いからであった。
 国内外の新聞や雑誌にも、要請に応えて寄稿してきた。平和と文化と民衆の詩を綴り残してきたのである。
 さらに、このほど、アメリカの世界的な音楽家で、ジャズ界の巨匠であるハービー・ハンコック氏、そしてウェイン・ショーター氏とともに、新たな、てい談を開始することになった(大拍手)。
 ジャズには自由の響きがある。アメリカの歴史が凝縮している。公民権運動を鼓舞する力ともなってきた。
 ジャズと人生と仏法をめぐる語らいには、世界の友から強い要請が寄せられている。
 対話は、すでに始まった。ハンコックさんとショーターさんは、わがSGIの同志でもある。過密なスケジュールの中、喜び勇んで準備に取り組んでくれている。
 「魂の人間讃歌」を主題に進めていきたい(大拍手)。

広布の祈りは全宇宙に響く
 一、戸田先生は語っておられた。
 「宇宙を変化させる根本の生命力、これを名付けて、南無妙法蓮華経というのである。この妙法が、自分の中にあるのだ。ゆえに、自分の望む方向に変化させていけるのは、当然のことである」
 大難を勝ち越えられた大確信の言葉だ。
 妙法の力は、はかりしれない。「一身一念法界に遍し」(御書247㌻等)と示されている通り、信心の一念は、全宇宙に通ずる。広布の闘士の祈りは、いかなる状況をも突き動かしていける。
 たとえ一時は、祈りが叶わないように見えたとしても、徹して祈り抜くならば、必ず一番いい方向に行く。全部、意味がある。
 三世永遠の幸福をつかんでいけることは絶対に間違いないのである。
 先生は言われた。
 「真の仏法を、日本に、世界に、広宣流布して、全民衆を救おうというのが、創価学会の大闘争である。 これに参加し、戦う我らこそ、真の大功徳を獲得できるのである」
 大いなる誇りを胸に、喜び勇んで、創立80周年の大闘争を、晴れ晴れと勝ち抜いてまいりたい。

勝利の名指揮を
 一、時代の変化は激しい。いかなる国家も団体も、その盛衰は、指導者が賢明であるかどうかにかかっている。
 さまざまな兆候を捉えて、その本質を見抜き、時を逃さず的確に対処する。
 ここに発展の急所がある。リーダーの重大な責務がある。
 私は、青春時代、戸田先生から人間学の要諦を教わった。
 弟子は、夜学も断念し、命を捧げる覚悟で、師に仕えた。
 師もまた、弟子を大切にした。ご自身の英知を惜しみなく注いでくださった。
 「戸田大学」の薫陶を胸に、私は広布の戦野に躍り出た。
 愛する関西の天地では、圧倒的な勝利の金字塔を打ち立てた。
 あらゆる苦難を乗り越え、勝ち越えた。
 障魔の嵐が吹き荒れた時、四国の同志が、大きな船に乗って、神奈川で指揮を執る私のもとへ、会いに来てくれた。あの光景は、永遠に、わが胸中から離れることはない。
 師弟不二の闘争によって、仏法史に輝く、世界一の創価学会をつくることができた。
 今、これだけの青年が生き生きと集う教団が、いずこにあるか。
 伸びゆく後継の友の姿こそ、私の誇りであり、喜びである。
 本当の勝負は、これからだ。これからが、一番大事である。
 一、スペインの大作家セルバンテスは綴っている。
 「偉大なる船長、大いなる苦労なくして大いなる事業は成りません」(荻内勝之訳『ペルシーレス』ちくま文庫)
 また、こういう言葉もあった。
 「勇気を奮って進もうではないか。行手には千の福、万の幸せが待っている」(同)
 広宣流布の船長、勝利のキャプテンである壮年部の皆さん!
 雄渾の指揮を頼みます!(大拍手)
 私が戸田先生の後を継ぎ、第3代会長に就任してから50年。
 私は、世界に打って出た。対話で心を結んだ。同志を護り、三類の強敵と戦い、すべてに勝利した。
 皆さんも、頑張れ!(大拍手)
 使命のない人はいない。誰もが、かけがえのない宝の存在だ。
 「一人」を最大に大切にし、「一人」の人間の持てる力を限りなく発揮させていくのが、私たちの人間革命運動である。
 一、フランスの文豪ユゴーは、追放されてなお毅然と叫んだ。
 「嘲弄され、侮辱され、否認され、誹謗されようとも、彼(=正義の人)は常に善である(神津道一訳「追放」、『ユーゴー全集復刻版第6巻』所収、本の友社)
 正義の人は強い。正義の人生は朗らかである。私は、この通りの人生を歩んできた。一片の悔いもない。

中国の詩人 高占祥(中華文化促進会主席)
賢人は常に恩を忘れない


報恩は人間の光

 一、私は、今春から、中国文化界を代表する識者である高占祥《こうせんしょう》・中華文化促進会主席と対談の連載を開始する予定である(大拍手)。〈月刊誌「潮」5月号から〉
 高占祥主席は、著名な詩人でもある。
 私は、これまで多くの指導者と対談を重ねてきた。あらゆる分野の識者と語り合ってきた。
 小さな日本だけではない。世界の一流の人物と意見を交わしてきた。どんな角度、どんな分野の話であれ、仏法者としての立場から、本質を捉え、堂々と対話を行ってきたつもりである。
 高占祥主席は、こう述べておられる。
 「本当の賢人は、常に恩を銘記し、力の限り報恩に励みます」
 「恩を感じる心は道徳心の基礎であり、人間性の真髄です」
 恩知らずの卑劣な人生であってはならない。それでは「畜生」の生き方である。報恩こ、最も崇高な人生の道なのである。

人生は戦い!

スペインの建築家
戦うには力がいる。「徳」こそ力だ
徳は精神的研鑚によって増大する
努力に報いのないものは一つもない


すべてが功徳に
 一、近代スペインの大建築家ガウディは述べている。
 「生《いのち》は闘い。戦うには力を必要し、力は徳である。徳は精神的研鑚、すなわち宗教の実践によってのみ維持され、増大する」(鳥居徳敏・訳・注解『建築家ガウディ全語録』中央公論美術出版)
 人生は戦いだ。
 牧口先生も戸田先生も、こ信念で生き抜かれた。
 宗教こそ、人生を勝ち抜くため究極の力である。そして、仏法は人生の戦いに勝利する最高の力なのである(大拍手)。
 ガウディは、「努力に報いのなものは一つもない」(同)とも語っている。一つの真理といってよい。
 広宣流布のための努力は、すべて大功徳に変っていく。大切なのは、人の見ていないところで、仏法のため、師匠のために、どれだけ尽くせるかである。
 私はこの信念で行動してきた。戸田先生にお仕えしてきた。広布のため、同志のために尽くしてきた。
 自分自身のことなど、何一つ考えてこなかった。
 私にとって一番、大切のは学会員の皆様である。皆様が幸福になり、皆様の子どもたちが立派な人材として育っていく。それが最大の願いである。
 そしてまた、創価教育の学舎から、世界に貢献する一流の人材が陸続と育ってほしい。それが私の一貫した祈りである。
 一、弟子ならば、青年ならば、師匠の正義を叫び抜いていくのだ。
 常に師匠のそばにいる──その心で仕える。一つ一つを、すべて師匠に報告する。私は、そうやって戦ってきた。
 夜を徹して戸田先生をお護りしたこともある。陰の陰で、師匠を支え抜いてきた。そういう弟子だった。師弟だった。
 青年部も、この魂を受け継いでもらいたい。
 また、私は青年時代から、年配の方々を大切にしてきた。真剣に戦ってくださっている先輩方への感謝を忘れずにやってきた。
 すべて、ありのままに伝えておきたい。

同志に優しく 邪悪には強く 大誠実を貫け
  
温かい言葉を
 一、幹部は、大誠実を貫くことだ。
 第一線で頑張ってくださっている同志を心から讃えていく。尊敬する。最敬礼していく。温かく包み込んでいく。そして小さなことを大事にする。
 それが真のリーダーである。
 戦いに勝ったら「本当に皆さんのおかけです」と、深々と頭《こうべ》を垂れて感謝していくことだ。特に男性は、女子部・婦人部への感謝を忘れてはならない。
 また遠くから来られた人がいれば、「わざわざ本当にご苦労さまです」と讃えていくことだ。温かく歓迎することだ。
 大切な大切な同志の皆様である。
 同志に対しては、どこまでも優しく。皆にやらせるのではなく、自分が皆のかわりに苦労を引き受ける。皆に楽をさせてあげる。それが創価の指導者である。
 このことを深く胸に刻んでほしい。「公平」と「正義」。私は、これを実行してきた。だからこそ、学会は世界的な団体となったのである。

負けない人生!
 一、青年のために、さらに語りたい。
 オーストリアの女帝マリア・テレジアといえば、16人の子の母として、内外の苦難と戦いながら、祖国を栄えさせた。国母《こくぼ》として敬愛されている。
 私が欧州統合の父、クーデンホーフ・カレルギー伯爵と語り合った際にも、女性指導者の模範として名前があがった。
 マリア・テレジアが、ある名将に送った手紙がある。
 「おお、英雄のあなた」「正義を楯としなさい。正しいと思うことを行いなさい」(アン・ティツィア・ライティヒ著、江村洋訳『女帝マリア・テレジア』谷沢書房)
 妙法に勝る正義はない。信心を根幹に、民衆のために、正しいことを断行するのだ。正義こそ最も強い力である。
 この確信で進もう!
 きょうは、ありがとう! あらためて、海外の友に拍手を贈りたい(大拍手)。
 〈ここで名誉会長の導師で題目を唱えた〉
 朗らかに人生を生きよう! 絶対に負けないでね! 全員で万歳をしよう!
 〈正木理事長の音頭で「皆様の幸福、万歳」を三唱した〉
 皆さん、きょうは本当にご苦労さま!
 日々の奮闘に、心から御礼を申し上げたい。どうか、風邪などひかれませんように。
 海外の皆さん、きょうは遠いところ、本当にありがとう!
 お体を大切に! お達者で! ありがとう!(大拍手)
2010-02-19 : スピーチ・メッセージ等 :
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栄光の日々 5 旭日の千葉

栄光の日々 名誉会長と我らの人生 5
                (2010.2.14付 聖教新聞)
大聖人御聖誕の天地 旭日の千葉

創価ルネサンスの太陽が昇った!


 「会う友は、一人残らず励まし、思い出をつくってさしあげたい」──昭和49年(1974年)2月15日、池田名誉会長は学会本部から千葉へ向かった。
 午後8時半、外房線の大原駅着。列車降りるや、真っ先に駅構内にいた100人ほどの同志のもとへ。
 「あ、先生!」
 21年ぶりに名誉会長を迎えたその日に、登山会に出発する勝浦の友たった。
 名誉会長は一人一人に声をかけ、花束やお菓子を贈った。「皆さんの留守は引き受けました。安心して行ってきてください」
 その日深夜の東京駅。乗換列車を待つ勝浦の友に、名誉会長から重ねての激励が届いた。「ここまで先生は私たちのことを!」。再びの歓声があがった。
 「真心の激励というものに“省略”はない」──これが名誉会長の心。
 翌16日は、日蓮大聖人御聖誕の佳き日。晴れ渡り、春を思わせる陽気だった。
 その朝、名誉会長は立宗宣言の地・清澄山の嵩が森を望んだ。「すばらしい朝明けの森だね」
 次いで、勝浦市での千葉県大会や、最高会議などの諸行事に出席。この日が「千葉の日」となった。
 車での移動中も、名誉会長の心は、サーチライトのように、一人一人の同志に注がれた。例えば──
 本紙の販売店を目に留めれば、日ごろの労をねぎらう。整理にあたる役員には「ご苦労さま。無事故で、よろしく頼みます」と。国道沿いに家がある婦人は、“先生は必ずこの道を通られる”と確信。地域の同志と県大会の大成功を祈っていた。すると、一度通り過ぎた車が戻り、家の前で止まった。名誉会長は婦人の手を取り、「お元気で。長生さしてください」と。
 17日、名誉会長の激励行に同行した高沢千葉長(現・参議)は述懐する。
 「『あれは学会員だね』『あの人もそうだ』。こう聞かれるたびに、私は冷や汗をかきました。渾身の励ましを贈られる池田先生の姿を見ながら、“私も一人一人の顔までは分からないのに、先生はなぜ分かるのだろう?”と思いました」
 名誉会長は語った。「精いっぱい、千葉の皆さんの真心に応えるのだ」
 9日後の26日、再びの訪問。千葉市での本部幹部会に臨んだ。開会前、240人にも及ぶ青年と懇談し、終了後は千葉会館に寄り、居合わせた友を励ました。
 名誉会長は明言した。
 「2月は千葉の月だ!」
        ◇
 縁深き千葉。宗祖ゆかりの天地であり、世界広布の玄関。水滸会の野外研修を行った犬吠埼、華陽会の友と研修した富津、終戦の翌月に買い出しに訪れた幕張がある。本家のルーツ(池田郷)もあると言われる。
 平成3年(91年)11月16日の千葉文化友好祭。6500人の青年が、永遠に崩れない「万里の創価人材山脈」の凱歌を謳い上げた。
 第2次宗門事件の最中の開催。9日前の7日、学会の大発展に嫉妬した日顕宗が衣の権威を振りかざし、一方的に解散勧告書を送りつけたばかり。世間は「学会は、どうなるのか」と騒いでいた。もちろん、学会は微動だにしなかった。
 友好祭には国内外の来賓が出席。テレビ・新聞など多くの報道機関が取材に。
 名誉会長は師子吼した。
 「魂の世界は、いかなる権力も侵すことができない」
 “魂の独立宣言”──創価ルネサンスの太陽が「旭日の千葉」から昇った!
2010-02-17 : 栄光の日々 :
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随筆 我らの勝利の大道 No.4/5

随筆 我らの勝利の大道 No.4/5 (2010.2.1/2付 聖教新聞)

誉れの「SGI家族」㊤㊦

一人立て 一人を励ませ 地涌の友よ!

新しき道を開こう!
アフリカに希望の太陽は昇った!


 世界一
  偉大な目的
    この人生
  広宣流布に
    闘う人かな

 それは、50年前の2月であった。私は日記に、中国の大文豪・魯迅の一節を書き留めた。
 「道とは何か。それは、道のなかったところに踏み作られたものだ。荊棘《いばら》ばかりのところに開拓してできたものだ」
 第3代会長に就任する3カ月前のことである。
 道を開きたい。いな、断じて、道を開いてみせる!
 恩師亡き後の同志のために、希望の道を。幸福の道を。平和の道を。栄光の道を。そして勝利の道を!
 私は、さらに自らに言い聞かせるように綴った。
 「幹部自身が“我不愛身命”の信仰であれば、わが学会は、永遠に上昇する」
 リーダーが我が身を惜しまず、勇気の一歩また一歩を踏み出していくことだ。率先が最も尊い。真剣が最も強い。地道が最も深い。そこから、新しい道は必ず開かれるのだ。
 師匠・戸田城聖先生のご逝去から2年──。当時、第3代会長の誕生を望む声は、もはや抑え難き潮流と高まっていた。最初に烈々と声が上がったのは、縁も深き埼玉である。
 「第3代と共に、我らは何ものも恐れず戦い勝つ!」──あの埼玉の若き師子たちの叫びを、私は一生涯、忘れることはない。
 さあ、日蓮大聖人の御聖誕、戸田先生の誕生の2月である。今年も断固として勝利の大道を開くのだ!
        ◇
 「『地球村』の一員という連帯意識こそ、平和と人間の安全保障の第一ステップなのです」
 ハーバード大学のドゥ・ウェイミン教授が力強く語られた言葉に、各界の識者も深く頷いておられた。
 1995年の1月26日、ハワイの東西センターでの一幕である。
 「平和と人間のための安全保障」と題する私の講演に対して、ドゥ教授が講評をしてくださったのだ。
 この直前の1月17日、阪神・淡路大震災が起こった。ぎりぎりまで出発の予定を延ばし、私は救援の手を打った。ハワイでの諸行事も、可能な限り凝縮して行わせていただき、逸《はや》る心で、不屈の同志が待つ関西へと直行したのである。
        ◇
 先般、大地震に見舞われた、カリブ海の真珠ハイチでも、わがSGI(創価学会インタナショナル)の同志は、懸命に復興へ奮闘している。私も妻も、題目を真剣に送り続ける日々だ。
 先日も、隣国のドミニカ共和国のコマツ婦人部長からご連絡をいただいた。
 この1月24日に、国境にあるSGIの「平和の懸け橋」会館で、ハイチとドミニカの同志が一体で、前進の勇気みなぎる会合を行いました! との報告であった。
 世界の平和と安穏、人類の幸福を祈り、この地球を「善の連帯」で包みゆく私たちSGIの使命は、いやまして重大である。
 SGI結成35周年の本年、心も新たに、我らは地涌の菩薩の陣列を一段と大きく広げていくのだ。
        ◇
 日蓮大聖人が「顕仏未来記」において、高らかに「一閻浮提広宣流布」を大宣言なされたのは、いずこの地であったか?
 それは、離島の佐渡であられた。小さな島から、全世界を照らしゆく平和の大光を、万年の未来へ放たれたのである。
 この大聖人の御境界を偲びながら、創価の第3代の私は1960年、世界広布への第一歩をハワイに印した。そして、SGIの誕生の天地はグアムに定めたのである。
 ハワイもグアムも、沖縄とともに、戦争に苦しめられた島である。
 1975年の1月26日、51力国・地域からグアムヘ勇み集った友に、私は呼びかけた。
 「全世界に妙法という平和の種を!」
 それは、私自身の深い決心でもあった。
 今、192力国・地域に広がった種は、それぞれの大地から力強く芽吹き、花開き、爛漫と咲き誇っている。すべての風雨を乗り越えて我々は勝ったのだ!
 原点の地ハワイでも、グアムでも、この「1・26」を最大の真心で祝賀してくださった。
 すべて、わが誠実の同志への信頼の結晶である。アメリカSGIをはじめ、全世界の同志と分かち合わせていただきたい。
 健気な日本の離島部の友の活躍も、見事である。
 「SGIは生命尊厳の仏法を基調に、全人類の平和・文化・教育に貢献する」──「SGI憲章」に謳ったこの大精神のままに、私たちは、ますます生き生きと社会への貢献に尽力してまいりたい。

 あな嬉し
  世界の友も
    晴れ晴れと
  広布の模範の
    皆様 讃えむ

アフリカの世紀に

 ガーナ独立の父・エンクルマ初代大統領は叫んだ。
 「幸いなことに、歴史は、それ自身の主要な法則──すなわち、芽ぶきつつある将来はつねに枯れつつある過去より強いという法則──の無数の証明を与えている」
 私が第3代会長に就任した1960年は、まさに「アフリカの年」と呼ばれた。
 この年の元日に、アフリカのカメルーンが独立を果たした。さらに、セネガル、トーゴ、ガボンなど、17力国が次々と独立を果たしていったのである。
 初の平和旅の途次、私たちは、ニューヨークの国連本部を訪問した。
 建国の息吹に満ち満ちたアフリカ諸国の指導者の姿を目の当たりにし、私は「21世紀はアフリカの世紀!」と予見した。いな、熱願したのである。
        ◇
 アフリカには、「千は一から始まる」ということわざがある。
 1974年の1月、ガーナに赴任する聖教新聞の若き特派員に、私は言った。
 「やがて多くのアフリカの友が、仏法を求めて日本にやってくるよ。50人、100人、そして1000人。必ず、すごい時代になるだろう──」
 当時、それは、夢物語に聞こえたかもしれない。
 だが、師匠から託された世界広布の大願を果たすため、アフリカの大地から地涌の菩薩を呼び出さずにおくものか──これが私の覚悟であり、誓いであった。
 私は、ひたぶるに祈り続けた。一人また一人、ありとあらゆる機会に、アフリカの友を全力で激励した。声高らかに、アフリカヘのエールを送り、人知れず、手を打ち続けてきた。
 御聖訓には、「物たね(種)と申すもの一なれども植えぬれば多くとなり」(御書971㌻)と仰せである。
 蒔かぬ種は生えない。妙法の種を労苦を惜しまず、一つ、また一つ蒔き続けていく。そのたゆみない繰り返し以外に、広宣流布の前進はないのだ。

芽吹いた妙法の種

 なぜ、仏法がアフリカに広がったのか?
 その答えを見つけるために、自ら現地へ足を運び、民衆の輪に飛び込んで取材を重ねた日本の識者がいる。
 名画「名もなく貧しく美しく」など数々の傑作を残した映画監督で、作家としても高名な松山善三先生、その人である。
 1980年代の半ばのことだ。
 アフリカ広布の先駆を切ったガーナでSGIメンバーの取材をしていると、そこへ突然、隣国トーゴから車でやって来たという3人の若人が現れた。その一人の女性が、現在のトーゴSGI理事長であるイダ・アジェビさんであった。
 「西アフリカの名医」として名高い彼女は79年、フランス留学中に入会した。3年後、母国のトーゴに戻り、たった一人で活動を開始した。その後、アメリカから来た創価の女性と一緒に折伏を重ねていった。
 メンバーは、この時、68人にまで広がっていた。その名簿を手に「座談会の開き方や、御書のことを教えてもらいたい」と、国境封鎖が解けるのを待って、ガーナまで求道の歩みを運んできたのだ。
 松山先生はもちろん、居合わせたSGIメンバーも驚嘆した。誰も知らないところで妙法の「種」は、しっかりと大地に根を張っていたからである。
 トーゴSGIでは、1985年に「地区」が結成され、イダさんが初代の地区部長に就任した。それが、2000年には「本部」にまで発展した。
 今やメンバーは飛躍的に拡大し、1000人規模の大総会も開催。青年を先頭に、はつらつと大前進している。
        ◇
 松山先生は綴られた。
 「誰が、その地へ題目を伝えたか。誰がそれだけの信徒を集めたか。寺の僧侶ではない。名もなき学会員の一人ひとりが、自分の足を運んで、その功徳をわかち合いたいという願いによってである」
 誰かに言われたわけではない。自らの生命に湧き出ずる歓喜を、一人でも多くの人と分かち合いたい。その思いを抱いた一人が、身近な一人と対話を交わし、また一人へと広がった。
 壮大な世界広布の潮流も源流をたどれば、どこまでも一対一の「対話」が基本である。
 思えば、恩師・戸田先生は法難の獄中で、「仏とは生命なり」「われ地涌の菩薩なり」と覚知なされた。その時、仏法の人間主義の哲理は、現代に生き生きと蘇ったのである。
 私たち創価の友は、「生命尊厳」と「人間尊敬」の仏法を、全世界に弘めゆく使命をもって、この世に生まれてきた地涌の菩薩だ!
 「撰時抄」には厳然と仰せである。
 「法華経を二人・三人・十人・百千万億人・唱え伝うるほどならば妙覚の須弥山ともなり大涅槃の大海ともなるべし仏になる道は此れよりほかに又もとむる事なかれ」(同288㌻)
 この御金言の通りに、妙法に巡りあった平和と歓喜の大連帯は、国境も超えて民衆を結び、一閻浮提に波動してきたのである。
 我らSGIは、永遠に「一人立つ」精神を燃やし続ける!
 そして、いかなる人も尊極の仏の生命を持った存在であるゆえに、どこまでも「一人」を大切にし、励まし続けるのだ!

一番苦しんだ人が 一番幸福に!

地球を舞台に異体同心の人間讃歌を

 君ありて
  広布の流れは
   幾重にも
  世界の果てまで
     勇み進まむ

 コンゴ独立の指導者ルムンバ初代首相は叫んだ。
 「前途がいかにけわしいものであろうと、ゆるぎない意志と全幅の自信をもって努力してゆかなければならない。座して待つのみでは、決して境遇を改善することはできない」
 そして言い切った。
 「熱意をもつものは、進んでみなの先頭にたたなければならない」
 勇敢に立ち上がれ! ここに、先駆者の魂があり、責任がある。
 「第2の10年」に進む21世紀──。
 今世紀を、真の意味で「アフリカの世紀」と輝かせていく眼目は何か。
 それは、最も苦しんだ人びとが、最も幸せになるという証を、全世界に宣揚することだ。
 最も虐げられた人びとこそが、社会変革の主役として堂々と胸を張って躍り出る、民衆勝利の時代を開くことだ。
 アフリカが「幸福大陸」にならずして、真実の世界平和は訪れない。
 この地球は「我此土安穏」の大理想とは、いまだ遠くかけ離れている。
 経済格差や貧困、政情不安や治安の悪化など、国によって、さまざまな問題を抱えている。内戦の余燼がくすぶる地域もある。
 そのなかで、アフリカの同志が、どれほど勇敢に妙法を弘め抜いてこられたか。その筆舌に尽くせぬご苦労は、十方の仏菩薩も、必ずや御照覧であろう。
        ◇
 「夜はどんなに長くとも夜明けは必ず来る」と、コンゴの格言にある。
 勝利の朝《あした》を開く、希望の光こそ、青年だ。
 アフリカで今、SGI(創価学会インタナショナル)が旭日の勢いで発展し、未来を担う後継の青年たちが続々と成長していることほど嬉しいことはない。
 この新春の聖教新聞は、アフリカからの朗報が紙面に光り輝いた。
 中部アフリカのガボンで地区が結成されたニュースは、世界のSGI家族に喜びの笑顔を広げた。
 隣接するカメルーンでは、5本部から8本部に発展した。このカメルーンの国立植物園では、光栄にも、私の木まで植樹してくださった。樹齢100年の「大樹《たいじゅ》」に育つという木の写真を拝見しつつ、私は無限に伸びゆくアフリカの未来を祈り合掌した。
 アフリカ東部のケニアや南部のザンビアなど各国でも、わが同志は創価の旗を掲げて躍動している。
 さらに西アフリカのトーゴでは、実にメンバーの約7割が青年だ。
 内戦に苦しんできた、同じ西アフリカのコートジボワールでも、10年で10倍もの拡大が達成されている。
 2004年3月、本部幹部会の席上、尊きSGIの全同志に捧げゆく思いで、遠来のコートジボワールの2人の青年に、「月桂冠」と「花のレイ」を贈り、肩を組んで語り合った。
 心を尽くせば心が応えてくれる。そこに師弟の魂の脈動もある。青年たちは、喜びと感謝の心で勇み立って、妙法流布の原動力となってくれた。今や2万人を超えたメンバーの約半数を青年が占めている。
 この年頭も、首都のヤムスクロで600人、最大の都市アビジャンで800人の御本尊授与が行われた。
 「広宣流布のため、師匠と共に、一生涯、戦い続けることを誓います!」
 儀式の折、はつらつたるアフリカの地涌の若人は、まさに舞を舞うが如く、はち切れんばかりの勢いで誓願を立てる。
 欧州と日本から祝福に駆けつけたリーダーも、その圧倒的な若き地涌の群像に、感涙を禁じ得ませんでしたと語っていた。
 未来は、青年で決まる。先輩は後輩を温かく見守り、青年は先輩を尊敬しながら、どこまでも仲良く麗しい創価の結合で前進していくのだ。そこに、仏法の命脈は限りなく流れ通っていくからだ。
        ◇
 私が「アフリカの世紀」を展望して50年──。
 今や53力国・地域からなるアフリカ連合(AU)の結成に続き、近年は「アフリカ合衆国」として統一を模索するなど、希望の大陸は国際社会で着実に地歩を固めつつある。
 合衆国の夢が実現すれば、世界最大の面積を持ち、人口約10億人の大国の誕生となる。
 今年は、アフリカ大陸初となるサッカーのワールドカップ(W杯)の南アフリ力大会も控え、注目の的である。
 20年前(1990年)に最初の出会いを刻んだ“人権の巌窟王”マンデラ元大統領も、どれほど喜ばれていることだろうか。
 昨秋、創価大学のパン・アフリカン友好会の友が、元大統領の最近の発言を教えてくれた。90歳を超えて健在の賢者の言葉だ。
 「個人の生活、また地域社会において、他の人を深く思いやることは、私たちが情熱的に夢見てきた、より良い世界の建設に、大いに貢献するものです」
 「壊したり、破壊することは非常に簡単なことです。平和を築き、何かを建設する人こそ英雄です」
 その通りだ。今いる場所で、友のために心を配り、行動する日常の戦いのなかにこそ、理想の世界は築かれていくのである。
 ともあれ、政治、経済のみならず、スポーツ、環境、芸術など、いずれの分野でも、世界はアフリカ抜きに語れない時代となった。
 「アフリカの栄光の世紀」は、これからが本番だ。
 「希望は世界の柱だ」と、ナイジェリアのことわざにある。「希望大陸」アフリカが、世界の明日を築き支える黄金柱なのだ!
        ◇
 アメリカ文化を代表するジャズ音楽も、アフリカと深く結びついている。
 ジャズは、あまりにも過酷な逆境のなかから、アフリカ系アメリカ人(黒人)によって育まれた「魂の音楽」である。
 そのジャズの王者であり、わが同志であるハービー・ハンコックさんとウェイン・ショーターさんが語っておられた。
 ──ジャズとは、まさに「最悪の環境や境遇と向き合い、乗り越えながら、偉大なる価値を生み出すという人間の特質」の証明なのです、と。
 そこには、仏法の「変毒為薬」にも通ずる、気高き「人間の讃歌」がある。
 日蓮大聖人は「賢者はよろこび愚者は退く」(御書1091㌻)と仰せである。
 人生も、社会も、試練の時こそ、この賢者の魂で、前進していくことだ。

チャンスを活かせ!
 統一ドイツのワイツゼッカー初代大統領は、東西が一つになったその日、次のように宣言した。
 「歴史がわれわれにチャンスを与えてくれています。われわれは成功を確信し、自他の信頼を胸にこのチャンスを活かしていくつもりであります」
 御聖訓にも、「異体同心なればか(勝)ちぬ」(同1463㌻)と御断言である。揺るぎない「自他の信頼」を根本とした団結こそ前進勝利の偉大な力だ。
 アフリカなど各国でも、かつて、あの腐敗堕落の日顕宗が、清浄なるSGIの組織を破壊しようと暗躍した時期があった。
 だが、仏の軍勢は微動だにしなかった。SGIは、永遠に「異体同心の団結」で勝ち進むのだ!
 信心に、地理的な距離は関係ない。創価の師弟は、どんなに遠く離れていようが、心は常に一緒であり、常に一体なのである。
        ◇
 SGIが誕生した35年前(1975年)のあの日、地平線の彼方に昇った日蓮大聖人の世界仏法の太陽は、今、中天に燦然と輝き、地涌の友の活躍を見守っている。
 大聖人は、地涌の菩薩が大地から涌出する意義について、「涌出とは広宣流布の時一閻浮提の一切衆生・法華経の行者となるべきを涌出とは云うなり」(同834㌻)と仰せだ。
 今、意義深きこの時に涌出し、集った、誉れ高きSGI家族よ! 尊きパイオニアの地涌の友よ!
 さあ「いよいよ」の決意に燃えて、勇敢に打って出よう! 今日より明日へ、勝利また勝利の前進だ!
 全世界、全地球に乱舞しゆく妙法の勇者と共に!

 この一年
  福運十年
    積みゆけと
  意義ある闘争
     創価を守れや


 魯迅の言葉は『魯迅評論集』竹内好訳(岩波書店)=訳文は現行本に合わせた。エンクルマは『新植民地主義』家正治・松井芳郎訳(理論社)。松山善三は『ああ人間山脈』(潮出版社)。ルムンバの言葉は『祖国は明日ほほえむ』中山毅訳(理論社)。ワイツゼッカーは『言葉の力 ヴァイツゼッカー演説集』永井清彦訳(岩波書店)。
2010-02-07 : 随筆 我らの勝利の大道 :
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栄光の日々 4 東京 立川

栄光の日々 名誉会長と我らの人生 4
                (2010.2.5付 聖教新聞)
反転攻勢の本陣 東京 立川

ここから新しい立川を作ろう

 立川の、そして第2総東京の同志が“立文”の愛称で慕う「立川文化会館」。
 地上5階建て。目を見張る威容。大型会館の先駆けとして誕生した同会館は、立川の友にとって、大きな誇りであり希望であった。全国の同志の憧れだった。
 落成は、第1次宗門事件の嵐の中の、昭和52年1977年)12月21日。そのわずか2日後、名誉会長は初訪問している。
 “学会世帯も少なく、都心からも遠い多摩地域に、なぜ、こんな立派な会館が必要なのか”と首をかしげる幹部もいた。
 だが名誉会長は違った。多摩地域の未来を見据えた建設。小平市の創価学園と八王子市の創価大学の間にも位置する。
 そして「あの宗門問題のさなかの5年間、私は、立川こそを“本陣”と定めて指揮をとった」と。
 昭和53年以降、会館の内外で、名誉会長から激励を受けた同志は数知れない。
 時にはロビーで、打ち合わせの仏間で、玄関で、駐車場で……。「突然に」「ばったり」「思いがけず」先生と会えた!──それが同志の実感だった。
 名誉会長は強く語った。
 「幹部は、待っていては駄目だ。自分から飛び出すんだ。声をかけるんだ。どんどん会っていくんだ!」
 立川文化会館を起点に、第2総東京中を駆けた。町田圏総会に出席し、裏方の役員や会場に入れない友にまで励ましを送った。第2東京(当時)幹部会では、「日野から烽火をあげよ!」と、大前進を呼びかけた。
 全国各地の愛唱歌も、次々と作詞作曲した。女子部歌「青春桜」をはじめ、白蓮グループ歌「星は光りて」などが誕生したのも、この会館だった。
 昭和54年4月23日、名誉会長は、立川から学会本部のある信濃町へ。24日には「会長辞任」の報。25日、再び立川へ。不安を隠せない会館職員を前に、師子は叫んだ。
 「もう一度、ここから新しい学会をつくろう!」
        ◇
 「あっ、池田先生!」。昭島の女子部員、川窪千代さんは驚いた。友人と訪れた立川文化会館で突然、名誉会長に声をかけられた。昭和54年夏のことである。
 聖教新聞に掲載されることはない。公式な会合にも出られない。ならば──連日、名誉会長は同志の中に飛び込んだ。記念のカメラに納まり、励ましの言葉や支部証を揮毫した。会合で使う入場整理券のスタンプ打ちも手伝った。
 会館の「守る会」だった芝崎安行さん。昭和55年の春、玄関ロビーをモップで磨いていると、背中に温かい視線を感じた。名誉会長だった。「ご苦労さま。御書に『日夜朝暮に又懈らず磨くべし』とある」「磨くとは凄いことなんだ。生命を磨くことにも通じるんだ」
 白雲会の田中喜一郎さんは立川駅近くで料理店を営んでいた。名誉会長は、ここにも激励の足を運んだ。
 難しい話はしない。仕事の悩みに耳を傾け、アドバイスをする。真心込めた料理に、名誉会長は「おいしいね。ありがとう」と最高の笑顔を見せてくれた。
 「それに比べて、邪宗門は!」。喜一郎さんが怒りに震えたことがある。
 ある時、注文を受け、寺に料理を運んだ。応対した坊主が「おーい届いたぞ」。奥にいた坊主に向かって、料理の膳を足で押した。
 「宗門には、人間性のカケラもなかった!」
        ◇
  「反転攻勢」とは、人と会い、「一人」を徹して励まし抜くこと──第2総東京の同志は、師の姿を心に深く刻みつけた。
 辞任から2年半。昭和56年11月2日の立川・西多摩圏の合同総会。会場となった創価大学中央体育館の壇上には、名誉会長の厳然たる雄姿があった。
 「仏法は勝負! ゆえに一切に勝ち抜いていただきたい!」──指導を終えた後、「嗚呼黎明は近づけり」の大合唱。渾身の指揮を執ったのは名誉会長だった。
 この1週間後、名誉会長は関西、四国へと本格的な地方指導へ。創価の新時代は、師弟の絆強き立川から日の出の勢いで始まった。
2010-02-07 : 栄光の日々 :
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忘れ得ぬあの瞬間 第13回

忘れ得ぬあの瞬間
名誉会長と共に80周年を勝利
    (2010.2.3付 聖教新聞)

第13回 沖縄を初訪問

断じて二度と戦争はさせない

 「3日間で3年分の仕事をしてくるのだ! そして、沖縄に支部を結成しよう!」
 第3代会長就任後、全国と各部の激励を、一通り終えた池田名誉会長が、いよいよ世界に打って出た。その第一歩が沖縄だった。
 終戦から15年。沖縄は、まだ米国の施政権下。渡航手続きに10日もかかる“外国”であった。
 真剣勝負の3日間。
 昭和35年(1960年)7月16日──日蓮大聖人の「立正安国論」上呈700年のその日に、名誉会長は旅立った。
 東洋広布を夢見た、恩師・戸田第2代会長の“形見の懐中時計”をたずさえて。
 17時半に沖縄着。その後、宿舎で打ち合わせ。19時半から各部別の指導会。続いて、班長・班担当員以上の幹部会。この席上、支部結成が提案された。終了後、人事検討は深夜まで及んだ。
 沖縄初の本紙の通信員、伊志嶺安進さん(副圏長)は、この日の感激を一気に綴った。
 「午後9時50分。『ああ、ついに沖縄に支部ができたのだ』。感激の大拍手がどよめき、安見新支部長の目には、涙が光っていた……」
 17日──3年前、大阪事件で不当逮捕された名誉会長が出獄した日。沖縄支部の結成大会が、那覇市内で盛大に開かれた。
 1万人以上の友が喜々として集った。その列は開会前、会場から600㍍離れた琉球政府の行政府ビル前まで連なった。
 道ゆく人が「祖国復帰への決起大会ですか?」と尋ねるほどの熱気だった。
 結成大会に続く祝賀の集いで、名誉会長は「黒田節」を舞った。
 「心も軽やかに舞を舞うように、前進の指揮を頼みます。劇のごとく、勝利の人生を共々に飾っていきましょう!」と。
 18日──東京へ帰る日の午前、沖縄戦の激戦地であった南部戦跡を視察した。
 沖縄戦ほど、権力の魔性の恐ろしさを物語るものはない。あの時、沖縄は、本土のための「捨て石」とされた。本土防衛の時間稼ぎのため、米軍を沖縄に釘付けにしようとした作戦からであった。
 結果、沖縄は「国内唯一の地上戦」を強いられた。沖縄の犠牲者は12万人以上。住民の約4分の1が亡くなったといわれている。
 ──夏の強い光が、シャツの白い生地に反射する。
 ひめゆり部隊に動員された女子学徒たちを慰霊する「ひめゆりの塔」。名誉会長は、若き乙女らが命を散らしたガマの上に立つ「慰霊碑」で追善の祈りを捧げた。朗々たる題目の音声が響いた。
 ガマとは、自然にできた洞窟・鍾乳洞。戦争中、住民や日本兵の防空壕等の役割を果たした。
 名誉会長は強く言った。
 「二度とこの悲劇を繰り返してはならない」
 鉄血勤皇隊として配属された男子学徒の慰霊塔「健児之塔」でも、「皆さんの尊い犠牲は、絶対に無駄にしません。必ず沖縄を平和の楽土にしてみせます。ご安心ください」と力強く。
 さらに、同行の友に語った。
 「そこに生きる人の境涯が変われば、国土は変わる。
 最も悲惨な戦場となったこの沖縄を、最も幸福な社会へと転じていくのが私たちの戦いだ」
 昭和37年の訪問でも、南部戦跡を訪れている。
 昭和39年12月2日、名誉会長は小説『人間革命』の最初の原稿を沖縄本部で記した。
 「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」から始まる「黎明」の章だった。
        ◇
 「ただいま帰りました!」
 飛行機のタラップを下りた名誉会長が、さっそうと空港ロビーヘ向かう。
 白の開襟シャツ。紺のズボン。
 3日前の出発時とは異なり、すっかり日焼けしている。
 18日の午後6時40分。沖縄初訪問の全日程を終え、羽田の東京国際空港へ元気に戻ってきた。
 本紙は報じた。
 「沖縄に支部誕生す。海外支部の第一陣、仏法西に巨歩を進む」
 名誉会長は空港ロビーで、出迎えた友に笑顔で語った。
 「さあ10月はアメリカだ!」
 「来年は、南米支部をつくりましょう! もう日本なんか狭苦しいよ(笑い)」
        ◇
 沖縄初訪問の3日間──着いた瞬間から激励に次ぐ激励だった。
 「まさに一分一秒も無駄にしない気迫を感じました」と同行者。
 地元新聞社の記者も言った。
 「いろんな人が沖縄に来るけれども、ここまで一人一人を激励される指導者はいない」
 名誉会長は、これまで沖縄を17回訪問しているが、「1日を1年分にする」強い一念と、「一人を徹して励ます」間断なき行動は、今も変わらない。
 初訪問から50星霜──。 
 沖縄は、皆が憧れる「東洋のハワイ」となった。
 世界中が模範とする「広宣流布の最初の地帯」と輝く。
2010-02-07 : 忘れ得ぬあの瞬間 :
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「ホセ・リサール記念模範学生顕彰」授与式

フィリピン リサール協会から「ホセ・リサール記念模範学生顕彰」授与式
                     (2010.1.23 フィリピン文化会館)

 フィリピンの「独立の英雄」ホセ・リサールの精神を宣揚する「リサール協会」から、池田SGI(創価学会インタナショナル)会長に「ホセ・リサール記念模範学生顕彰」が贈られた。民衆に尽くす青年リーダーを育成した功績を讃えるもの。授与式は1月23日、ケソン市のフィリピン文化会館で行われ、エスグェラ会長からメダルと証書が授与された。

エスグェラ会長のあいさつ

 池田博士は、平和・文化・教育における重要な分野を開発し、世界192力国・地域に会員を擁するSGIの指導者として、地球規模の提言や活動を通して、幾千ものリーダーの魂に感銘を与え、幾百万もの青年の心を感動させてきました。
 博士は人間革命への信念を貫かれています。それは「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」という信念です。
 今日、核兵器に覆われた世界において、平和が戦争のための道具として使われ、テロが恐怖と憎悪を植えつけるために利用され、物質主義が個人的利益の最大の関心事となっています。
 今こそ我々にとって必要なのは、創価学会創立者の牧口常三郎氏、2代会長の戸田城聖氏、3代会長でありSGI会長の池田大作博士、そして、フィリピンの誇りであるホセ・リサール博士の卓越した思想です。
 池田博士は82歳の現在もなお恒久平和の追求に活動され、紛争回避のための様々な提案を行っておられます。
 リサール博士と池田博士の諸問題に関する探究への情熱は、時間や文化、言葉の障壁を超えて、同じ思想およびビジョンから発せられています。
 池田博士とリサール博士の思想と理念は、①祖国愛と人類愛②全人的教育③正しい規律の遵守④平和と秩序の維持⑤文化遺産への忠誠⑥人権の保護⑦持続可能な経済環境開発⑧不屈と廉直さと高潔さの点で一致します。
 これらは、現代の青年が直面する課題でもあります。
 青年は燃え上がるろうそくです。ろうそくは我が身を遺憾なく燃やし、他のろうそくへと火を点じていきますが、池田博士は、この輝くろうそくなのです。その光を、どうか、弛むことなく他のろうそくへと灯しゆかれますように。
 協会を代表して、全世界のSGIのリーダーとメンバーの皆さまに、学会創立80周年のお祝いを申し上げます。

池田SGI会長の謝辞(代読)

青年よ わが生命を燃やせ

リサール博士
教育の光が祖国を啓発する
賢く強き民衆が時代を開く
博士の報恩の魂に続け
母を大切にする心──
 それが人間主義の原点


 一、本日、私は、人類の精神の灯台たる貴リサール協会から、深き深き意義が込められた「ホセ・リサール記念模範学生顕彰」を賜りました。
 心より厚く厚く御礼を申し上げます。
 世界史に輝きわたる大英雄ホセ・リサール博士の崇高な精神を継承され、青年・学生の育成に取り組んでこられた貴協会から授与いただく栄誉ほど、尊く胸に迫る励ましはございません。
 私は、活力みなぎる貴国フィリピンをはじめ世界192力国・地域で社会に貢献する、わがSGIの青年たち、学生たちとともに謹んで拝受させていただきます(大拍手)。
 皆、リサール博士を心から敬愛し、その思想と行動を真剣に学んでおります。
 博士に続かんとする世界の若き英才たちも、どんなに喜ぶことでしょうか。誠に誠にありがとうございました(大拍手)。

一人の人間の可能性は無限
 一、明年、生誕150周年の佳節を迎えるリサール博士は、貴国はもとより、東洋、否、地球社会を照らす信念の大哲人であります。
 博士は、革命家にして教育者であり、文学者、詩人にして、数多《あまた》の外国語に精通する世界市民、さらに万能のルネサンス人でありました。
 若獅子のごとく駆け抜けた、その35年の生涯は、一人の人間がどれほどの可能性を発揮できるかを示し切った不滅の光跡といってよいでありましょう。
 自由を求める闘争にあっては、財力にも、武力にもよらず、魂の言論と人間教育の力で民衆を鼓舞していかれました。
 向学の魂を炎のごとく燃え上がらせて学び続けながら、人々の幸福のために勇猛に戦い切った姿は、全世界の青年が仰ぐべき指標であります(大拍手)。
 中国の民主革命の先駆者である孫文博士やインド独立の指導者ネルー初代首相をはじめ、リサール博士から啓発を受けた偉人は、あまりにも多いのであります。

永遠の鑑をもつ人生は何と幸福
 一、イギリスの歴史家カーライルは、師匠と仰ぐゲーテにあてた手紙の中で、「尊敬に値する人に尊敬を示すことは常に最高の義務であり喜びである」(山崎八郎訳『ゲーテ=カーライル往復書簡』岩波文庫)と綴りました。
 「手本なき時代」と憂慮される現代にあって、リサール博士という永遠の鑑をもてることは、何と幸福な喜びでありましょうか。
 貴協会は長年にわたり、このリサール博士のごとく学びの青春を送り、博士のごとく社会に尽くさんとする「模範の学生」を、讃え励ましてこられました。博士の遺志を受け継き、未来を創り開きゆく重大な布石であると、私は最大の敬意を表したいのであります(大拍手)。

旭日のごとく人々を照らせ
 一、思えば、リサール博士が、愛する祖国の命運を教育の力で大転換する使命を自覚されたのも、10代の学生時代でありました。
 博士は、その決心を「教育は祖国に栄光を贈る」と題する詩に綴りました。私も大好きな詩であります。
 「黄金を降らせながら まばゆく輝く金色の朝日のように
 また金色と真紅のオーロラのように
 教育は自身の多彩な色を
 奔放に広げゆく
 そうした教育は誇りも高く善行の楽しみを
 老いにも若きにも与える
 そして白熱の光と輝きを放ちながら 愛する祖国を啓発する
 それはあたかも
 永遠なる歓喜と光輝を贈るように」
 博士は、民衆を賢く強くすることで、新たな時代を勝ち開こうとしました。
 そのために、自らの若き生命を、昇りゆく旭日のごとく燃焼させながら、その光で人々を照らそうとしていったのであります。
 正義の博士に、権力の魔性は牙を剥き、非道なる弾圧を加えました。
 しかし、博士は、断固として戦い抜かれました。
 この不惜身命の太闘争を支えたものは、何であったのか。
 私は、そこに博士の胸中に熱く脈打つ「報恩の魂」を見るのであります。
 それは、「祖国の恩」「民衆の恩」、そして「母の恩」に報いようという崇高なる魂であります。
 世界市民・リサール博士には、欧州などで悠々と活躍する道も開かれておりました。
 しかし、あえて祖国への帰国を決めた博士の胸奥には、老いたる母に親孝行をし、そして、健気な母たちの国を守り抜かんとする大情熱が、たぎり立っていたのであります。
 リサール博士が体現されていた、この「母を大切にする心」にこそ、ヒューマニズムの原点があるといってよいでありましょう。
 このテーマについては、尊敬してやまぬキアンバオ元会長との対談でも、語り合ったところであります。
 かつて私は、母たちへ捧げた一詩に詠みました。
 「母を大事にすることだ。
 それが一切の
 平和と幸福
 進歩と前進の
 最も確かなる
 太陽の輝きのごとき
 法則なのだ」
 この詩を詠じた私の心には、リサール博士とフィリピンの母たちの麗しき姿があったのであります(大拍手)。

全世界に平和の種を
 一、私たちSGIは、この1月26日で発足35周年を迎えました。1975年、51力国・地域の代表がグアムに集い、世界市民の新たな前進を開始したのであります。
 実は、その発足の会議の前夜祭が行われた場所は、リサール博士の尊き名が冠されたリサール海岸でありました。
 SGIは、まさにその出発から、リサール博士に見守られ、リサール博士の革命精神とともに、平和と人権の闘争の歩みを開始したのであります。
 私たちは、その栄光の歴史を大いなる誉れとし、喜びとしております(大拍手)。
 SGIの新たな出発に際し、私は呼びかけました。
 ──自分自身が花を咲かせようというのではなく、全世界に平和の種を蒔き、尊い一生を終えよう、と。
 これは、リサール博士が「青年は豊かな果実を実らせる花壇である」と語り、その青年のために殉じた道をたどるものでありました。
 貴国には、今、博士の魂を継ぐ青年群が、澎湃と躍り出て、乱舞しております。
 博士が熱望してやまなかった「青年の世紀」が、ついに人類の眼前に広がり始めたのであります(大拍手)。
 貴協会より賜りました栄誉にお応えするため、私は貴国の英邁な青年だちと、さらに固くスクラムを組んで、世界の母たちが微笑み喜び舞う、平和と繁栄の新時代を開いていく決心であります。
 結びに、リサール博士が、「生命の力」と「思想の純潔」と「情熱の火」とを、血と肉として持っている若者たちよ!──と、青年たちに贈った魂の叫びに感謝の思いを託して、私の御礼とさせていただきます。
 「われわれはおまえたちを待っているのだ、おお、若者たちよ、あらわれよ、われわれは待っているのだ!」
 マラミン・サラマッポ!(フィリピン語で「本当にありがとうございました!」)(大拍手)
2010-02-07 : スピーチ・メッセージ等 :
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栄光の日々 3 岩手 水沢

栄光の日々 名誉会長と我らの人生 3
               (2010.1.29付 聖教新聞)
8000人の自由勤行会 岩手 水沢

「思う存分、叫ぶのだ!」

 「明日は、自由勤行会にしよう!」
 池田名誉会長の提案が伝えられた時、時計はすでに午後8時を回っていた。
 名誉会長が6年半ぶりに岩手・水沢訪れた昭和54年(1979年)1月11日。
 夕刻の新年記念代表幹部会を終えた後だった。明日は、だれでも自由に来ていいよ──吉報は口伝えで、瞬く間に広った。
 県として日本最大の面積を誇る岩手三陸の久慈、宮古、釜石、大船渡、県北の二戸、そして北上、花巻、一関、盛岡からも、友は勇んで名誉会長のもとへ。
 師の呼びかけに呼応し、広大な大地から涌き出でるかのように集った地涌の同志は8千人。
 まるで法華経の会座のごとき、歓喜踊躍の勤行会。
 名誉会長は綴った。「生き生きと、伸び伸びと、人生の花を咲かせゆく、霊鷲山の縮図があった」
        ◇
 「嬉しそうにしていますが、何かあるんですか」
 水沢駅へ向かう列車。ウキウキしている会員に、乗客は思わず声を掛けた。
 「水沢に行って、池田先生に会うんです!」
 釜石や宮古の友。列車で向かう人は、早朝5時には自宅を出発。何度も乗り換えて約6時間の道程。
 車に乗り合わせた友は、つづら折りの仙人峠を越えた。天候の良い日でも困難な山道を、吹雪の中、懸命に走り越えた。師が待つ水沢には、光が差していた。
        ◇
 午前も午後も、何度も行われた自由勤行会。名誉会長は進んで司会を務めた。
 指名された参加者がマイクの前へ。「話をするのが好きな、天下の学生部であります」。突然のことに支離滅裂。ドッと笑いが広がる。
 「そこの、おじいさん! 何か一言どうぞ」
 すると「きょうは、池田先生にお会いできて、皆さん、うれしいですね。ありがとうございました」──あの人も、この人も、あいさつに立った。絶妙なやりとりに、笑顔が輝く。
 「うれしい、うれしい。岩手の実家に帰ったような気持ちです」と名誉会長。ユーモアを込め、身ぶり手ぶりも交え、大声援を送る。
 その一挙一動に、お腹を抱えて笑う。汗をかくほど笑う。先生も一緒になって笑っている。幹部は思った。「岩手の会員が、こんなに明るく笑うなんて」
 名誉会長は語った。
 「自由に話させるんだ。思う存分に叫ぶんだ。そこから岩手の新時代が始まるのだ!」
        ◇
 勤行会の合間。名誉会長は、役員に語りかけた。
 「どのくらい来ているか見てきてほしい。自分の目で見てくるんだよ」
 急いで外に出た。水沢駅から会館に向かって、途絶えることのない同志の流れができていた。
 山間部の大変な地域で信心に励んでいる人がいる。悪侶に苦しめられてきた友がいる。信心から遠ざかっていた人までいる。
 みんな、一人一人が先生との強い絆で結ばれているんだ。この絆を断ち切ることなど、誰にもできない!
 午後8時を回った。「もう会えないかも」と、はやる心で駆けつけた友。案内された先には名誉会長が。「どこから来たの」「遠いところご苦労さま」と温かく包み込むように励まし、記念のカメラに。
 「20年経った時に、今日のことが、どれほどすごいことだったか分かりますよ」
        ◇
 嫉妬に狂った悪侶が、跳梁した二戸。すぐさま歌を詠み、友に贈った。

  恐るるな
   共に仏子と
      地涌舞

 出会いから3年後の昭和57年1月、二戸では学会の青年主張大会が開かれた。
 会場からあふれる人々。市長も喝采を送っていた。
        ◇
 別室に、冷たいタオルで頭を冷やす名誉会長の姿があった。時間になると、
 「戸田先生が見ていてくださる」と立ち上がり、会場へ向かった。
 師を思えば無限の力が涌く。「先生! 先生!」と叫んで勝ち進め! それが真正の弟子だ──名誉会長の激闘は、夜まで続いた。
 凍てつく大地を打ち破った自由勤行会。
 師のもとへ。師と共に。強い絆と不屈の魂で結ばれた岩手の友。その勝利の舞が、今再び始まった。
2010-02-02 : 栄光の日々 :
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栄光の日々 2 愛知

栄光の日々 名誉会長と我らの人生 2
               (2010.1.22付 聖教新聞)
「この道」は勝利の道 愛知

「一番偉いのは お母さん!」

 「今日も元気で」の弾むような歌声が今、日本のあの町この街に響いている。
 年頭を飾る婦人部の集いが、地域での開催となって35年。愛知の誇りは、この総会に、全国で初めて、“池田先生をお迎えした”ことである。
        ◇
 「よし、南区に行こう!」──それは、関西から名古屋文化会館に着いたばかりの午後だった。
 「遠くてもいいんだ。南区に行くよ!」
 この日、昭和51年(1976年)1月16日には、名古屋の300会場で婦人部総会が開かれる。幾つかの候補から名誉会長が選んだのは、最も遠い名古屋南会館(現・名古屋南平和会館)。車で50分ほどかかる。
 そこにも、理不尽な圧迫に耐え、歯を食いしばってきた健気な同志がいた。昭和45年前後に吹き荒れた“言論問題”以来、激戦また激戦を越えてきた友を、何としても励ましたかった。
 車で着いた名誉会長は、会館へ急ぐ婦人たちを見つけて、手招きした。
 その一人、尾関節子さんは、夫婦で営む町工場から、夕食の暇もなく駆け付けていた。
 「婦人部の方ですね。ご苦労さまです」
 駆け寄った尾関さんの手を、名誉会長の手が包む。温かく、柔らかかった。
 細尾ミツエさんは、近隣の同志を誘っていて、来るのが遅れてしまった。背中に乳飲み子。おなかにも、もう一人の子がいる。
 にっこりと、赤ちゃんの頭を撫でた名誉会長。
 「みんなで写真を撮ろう」
 そして、同行の幹部には、こう諭すのだった。
 「こういう人たちを、大事にしなければいけないよ」
 総会で、名誉会長は、財界人から、こんな質問をされたと、紹介してくれた。
 「世界で一番偉いのは誰ですか」
 財界人は、釈尊などの名を挙げると思ったらしい。
 「私は答えました。『一番尊くて偉いのは、一般市民のお母さんです!』と。
 お母さんこそ、雨の日も風の日も、太陽のように変わることなく、わが友とわが家族を、慈愛を込めて守ってくれています!」
 感激、感涙、そして感謝──「皆さんの喜びは、例えようもないほどでした」と、ある友は振り返る。
        ◇
 頑張った人、苦しんできた人は、励まさずにはおかない。一方、創価の城を継ぐ青年には、厳父の如く。
 これが名誉会長の指導哲学である。昭和48年(1973年)1月の愛知訪問もそうだった。
 13日、豊田市体育館。県内から集った5000人との記念撮影が行われた。
 撮影台の前段には、藤岡村と小原村(ともに現・豊田市)の友らが配された。前年の集中豪雨で、大きな被害にあった地域である。
 「いつも朗らかに、勇気に満ちた信仰を続けてください!」「大聖人の仏法を持つ人は必ず変毒為薬できるのです!」
 一方、若い青年には「烈風を受けながら、信念を貫き、もがき苦しみ、かじりついて成長した人が本物です」と鋭い声だった。
 翌14日、名古屋文化会館での、「中部未来会」2期生を中心とした懇談会。
 居合わせた二人の年配の婦人を労いつつ、未来部の友には「烏合の衆では仕方ない。一匹の獅子をつくらなくてはいけない」と、大人の信仰者として接した。
 愛知の友が“われらの先生”と歩んだ道──。
 「この道」は正義の道。
 「この道」は絶対勝利の道!
 90回を超える激励行が点した覚悟と確信は、いや増して友の命に燃え続ける。
2010-02-02 : 栄光の日々 :
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中国 安徽理工大学「名誉教授」称号授与式

中国 安徽理工大学「名誉教授」称号授与式
         (2010.1.27 創価大学本部棟)

「中国の時代」をリードする安徽理工大学(顔事龍学長)が、同大学初の「名誉教授」称号を、創価大学創立者の池田名誉会長に贈った。授与式は27日、来日した同大学の張明旭・校務委員会主席らが出席し、東京・創価大学で盛大に挙行された。また名誉会長が詠んだ友誼の漢詩が、張主席に手渡された。

張明旭《ちょうめいきょく》・校務委員会主席の授章の辞

称号の授与はわが大学の一大慶事
世々代々の友好を共々に


 一、新たな年の初めのこの良き日に、世界に名だたる創価大学を訪問することができました。
 池田大作先生を本学の名誉教授に招聘申し上げるとともに、安徽理工大学の全学生を代表し、池田先生に心からの祝福を申し上げるものであります(大拍手)。
 一、池田先生は、世界に名だたる思想家であり、作家、詩人、社会活動家、国際人道主義者であります。
 長年にわたり、世界の文化・教育・平和のために尽くし、世界数十力国を歴訪され、国家元首、国家指導者、著名な学者と幅広く対談してこられました。
 先生は、一貫して中国と中国人民に対し深い友情の心をもって接してくださいました。中日友好の先駆者、平和の使者であり、10度にわたり、わが国を訪問されました。中日国交正常化と中日友好条約締結に対し、極めて重要なご貢献をなされたのみならず、歴代の中国国家指導者と深い友情を築いてこられました(大拍手)。
 また池田先生は、教育、平和、文化、社会、哲学、宗教など、各分野の著作を多数著し、それらは各国語に翻訳され、先生の思想と実践は幅広い人々に影響を与えています。そして豊富な学識と、正しき行いをもって人々を感動させ、世界200以上の大学・研究機関から名誉博士、名誉教授称号を受けておられるのです。
 一、安徽理工大学は、工学を主体としながら、理学、管理学、文学、医学、経済学、法学などの学科が協調し発展してきた大学であり、安徽省重点大学の一つであります。
 すでに10万人の卒業生を輩出し、政治、経済、科学技術の分野で活躍しています。国家機関のリーダーを務める卒業生もおります。
 本学は、学術分野における国際交流を重要視してきた大学でもあります。今回の機会を一つの契機として、池田先生が創立されました創価大学と長期にわたる友好、協力関係を樹立していきたいと念願しています。
 一、この新年の素晴らしい雰囲気の中で、私は池田先生が人類の文化、教育、世界平和に対し、卓越したご貢献をなされたことに鑑み、わが大学を代表して、本学の名誉教授称号を授与したいと存じます。
 池田先生を本学の名誉教授にご招聘しましたことは、本学の歴史における一大慶事であり、私どもの限りない栄誉であります。
 今年は、中日国交正常化38周年であります。私たちは、手を携えて両国の世々代々にわたる友好を約し合いたいと思います。中日友好交流事業と世界平和の発展を開きゆくため、共々に努力してまいろうではありませんか(大拍手)。

池田名誉会長の謝辞(代読)

学べ!学べ!民衆のために
安徽理工大学が育む人民根本の伝統


 一、中国の大発展を威風堂々と牽引されゆく名門・安徽理工大学より本日、私は最高に栄えある「名誉教授」称号を賜りました。
 最大の誇りと責任をもって拝受させていただきます。誠に誠に、ありがとうございました(大拍手)。

戸田大学開始60周年の栄誉
 一、「安徽」──その名を聞けば、わが胸は躍ります。
 と申しますのは、私の人生の恩師・戸田城聖先生と共に、幾たびとなく心を馳せ、思いを巡らせた憧憬の天地こそ、「安徽」であったからであります。
 安徽は、悠久にして、豊饒なる資源の宝庫であります。あの項羽と劉邦の「垓下《がいか》の戦い」など、天下の命運を決する歴史の大舞台でもありました。
 古来、どれほどあまたの英傑と俊才を生み、そしてどれほど奥深き英知の文化を育んでこられたか。
 恩師のもとで学んだ哲学書『淮南子《えなんじ》』も、安徽ゆかりの宝典であります。
 私たちが大切にしている「陰徳あれば陽報あり」(御書1178㌻)という金言も、もともとはこの『淮南子』に由来するのであります。
 貴省には、世界遺産の黄山《こうざん》も聳えております。
 「全宇宙にも安徽の黄山に勝る山はない。黄山に登れば、天下に登るべき山はなく、ただ最高であると感嘆するよりほかないのだ」と、大学者・徐霞客《じょかかく》が絶讃し、詩仙・李白が「黄金の芙蓉」に譬えた、この王者の山も、師の憧れでありました。
 その72の雄大な連峰の如く、大志に燃える青年が集い、巍々堂々たる黄金の人材山脈を築き上げてこられた学府こそ、貴大学なのであります(大拍手)。
 じつは私が、恩師から、漢籍をはじめとする万学にわたって個人教授をいただいた「戸田大学」のスタートより、この1月で満60年になります。
 奇しくも、この節目に授与いただきました貴大学からの栄誉を、私は、万感を込めて恩師に捧げさせていただきたいのであります。
 先生方、誠に誠に、ありがとうございました(大拍手)。

「奮闘精神」みなぎる人材の山脈を


母校愛に感動
 一、1958年の年頭、私たちが敬愛してやまない人民の大指導者・周恩来総理は、安徽を訪問され、不滅の大講演を残されております。
 それは、全国の人民が苦難を乗り越え、努力を積み重ねよう! そして、現代化した工業、農業、科学、文化をもって、繁栄の国土を建設していこう!──との烈々たる獅子吼でありました。
 この周総理の心を心として、豊かな鉱物資源を有する淮南《わいなん》の地に雄々しく立ち上がられた教育の大城こそ、貴大学であられます。
 その誉れも高き建学の伝統は、「艱苦奮闘の精神」にみなぎる逸材の育成とうかがっております。
 それは、たとえ地下1000㍍という厳しき環境にあっても、困難をものともせず、活路を開き、価値を創造しゆく勇気と智慧の闘士であります。
 張明旭先生は、この貴大学の誉れの卒業生として、世界最先端の科学技術を磨き抜いてこられました。そして大中国の繁栄のため、科学と教育の大道を断固として切り開き、後輩の範を示されております。
 私が感動を禁じ得ないのは、この張先生の行動に、自らを育ててくれた母校への尽きせぬ報恩と愛情が満ちあふれていることであります。
 最も母校愛の深い人こそ、最も優秀な卒業生と、私はかねてより語ってきました。その偉大な手本こそ張先生であると讃えたいのであります(大拍手)。

胡錦濤国家主席
人民を拠り所としてこそ科学は発展
安徽の大教育者
「逆境が人を奮起させる 困難は思想が進歩を引き出す」


人材育成の模範
 一、安徽が生んだ不屈の大教育者・陶行知先生は毅然と叫ばれました。「逆境は人を奮起させ、生長の過程で生じた困難は思想を触発し、進歩をひき起こす」(牧野篤著『中国近代教育の思想的展開と特質』日本図書センター)と言われるのであります。
 まさしく貴大学は、いかなる試練にも屈しない人材の真髄の力をもって隆々と勝ち栄えてこられました。
 貴大学が全国の大学を代表する「卒業生就職先進《せんしん》団体」等の称号を受章されると共に、創新の息吹に満ちた「人材育成」のモデルに選出されていることも、よく存じ上げております。
 さらに、貴大学は、張先生の陣頭指揮で、アメリカとの先駆的な協力を推進され、環境共生の新時代を開きゆく「中国環境健康プロジェクト」を展開しておられます。
 私たちは、貴大学の誇り高き勝利に、万雷の大拍手を送りたいのであります(大拍手)。

「道」を示せ
 一、貴大学は、その教育精神に──
 「志存高遠」(志を高く、遠くまで持つ)
 「追求卓越」(卓越したものを追求する)
 「求真務実」(真実を求め、実践に務める)と、掲げておられます。
 簡潔な中に、なんと深遠な教育哲学が美事に結晶されていることでしょうか。それは、私たちの創価教育の理念とも深く一致するところであります。
 さらにまた、張先生が強調されている通り、貴大学は、胡錦濤国家主席が示された“科学発展は人民大衆を拠り所としてこそ実現できる”という「人民根本」の精神を堅持されています。
 私も常々、わが学生たちに「大学に学んだということは、それだけ力を発揮して、大学に行けなかった方々のために尽くすことである」と訴えてまいりました。
 思えば2年前の1月、胡錦濤主席は、ご自身の本籍の地でもある安徽省の豪雪災害に際して、敢然と現場に飛び込まれました。
 一軒また一軒と、心温まる励ましを送り続ける率先の雄姿は、いかばかり人民の心を勇気づけたことでありましょうか。
 この年の5月、胡錦濤主席と嬉しい再会を果たした私は、「仁政を主施《ほどこ》して 王道を行う 席の暖まる暇なきは 人民の為なり」と一詩を贈らせていただいたのであります。
 私が「戸田大学」で学び、若き生命に刻みつけた『淮南子』の「人間訓《じんかんくん》」に、こうあります。
 「居《お》れば為す所を智《し》り、行けば之く所を智り、事とすればと秉《と》る所を智り、動けば由る所を智る、之を道と謂う」──平居にあっては何を為すべきかを知り、行くときには向かうべきところを知り、事に臨んでは旨とすべきことを知り、動くときには何のためということを知る、これを道という──(楠山春樹著『淮南子下』明冶書院。現代表記に改めた)
 人間には目に見えなくとも、歩むべき道があります。この「道」を学生に示すことこそ、教育の使命にほかなりません。
 「教育の道」は「幸福の道」であります。
 「教育の道」は「繁栄の道」であります。
 「教育の道」は「文化の道」であります。
 「教育の道」は「正義の道」であります。
 「教育の道」は「勝利の道」であります。
 そして「教育の道」こそ、21世紀の人類が目指すべき「平和の道」ではないでしょうか(大拍手)。

学生第一を共有
 一、本日、私は誉れある貴大学の一員とさせていただきました。
 貴大学が掲げる「団結」「奮進」「博学」「奉献」との高邁なる校訓を、私は深く胸に刻んでまいります。そして張先生の信条であられる「学生第一」の精神を深く分かち合いながら、私もさらに一段と「世界市民教育」「平和世界の創造」へ献身してまいる決心であります(大拍手)。
 貴大学の立つ淮南市は、「五つの色彩」が輝く都市とも讃えられます。
 すなわち──石炭資源の「黒」。火力発電産業の「紅」。豆腐の発祥ともされる芳しき文化の「白」。悠遠な地球生命が脈動する歴史の「藍」。豊かな住環境が広がる未来の「緑」であります。
 私は、この五つに、もう一つ、加えさせていただきたい。
 それは、金剛不壊の信念の人格を育成されゆく貴大学の「黄金」の光彩であります(大拍手)。
 終わりに、貴・安徽理工大学の万古千秋のご隆盛を心よりお祈り申し上げ、私の御礼のご挨拶とさせていただきます。
 本日は、誠に誠にありがとうございました(大拍手)。

名誉会長が漢詩を贈る

黃山奇秀冠天下
安徽紙墨傳文化
理工創新求發展
文明旭日放光華


〈大意〉

黄山の妙なる絶景は天下一にして
安徽の紙と墨は秀でた文化を伝えてきた。
安徽理工大学は
創新の息吹に燃えて発展を求め抜き
文明の旭日が輝かしき光を放っている。

※文中に、大学名の「安徽理工」ならびに、張明旭・校務委員会主席の名前「明旭」が織り込まれている。安徽省は、紙と墨の産地としても有名である。
2010-02-01 : スピーチ・メッセージ等 :
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「SGIの日」記念協議会

「SGIの日」記念協議会でのSGI会長のスピーチ
          (2010.1.26 創価文化会館)

わが学会こそ「平和の柱」「教育の眼目」「文化の大船」

発足35周年SGIは51から192カ国・地域へ
道を開け! 先頭を行け
戦禍の島グアムから間主義の大波


 一、本日は、各地のリーダーの皆さんが集まってくださった。
 遠方から参加した皆さん方も、大変にご苦労さま!
 きょうは、ゆっくりと懇談的に語りたい(大拍手)。

歌声高く!
 一、初めに、歌を歌おう。歌いたい歌を、どうぞ!
 〈ここで、女子部の代表が「華陽の誓い」を心清らかに合唱。
 男子部・学生部の代表は力強く“大楠公”を歌った。
 さらに代表が「牙城会歌」を高らかに響かせた〉
 皆さん、ありがとう、ありがとう! とても上手だ。皆で拍手を贈ろう!(大拍手)
 歌は、生命の響きである。
 歌を歌えば、元気が出る。勇気がわく。
 学会は、どこまでも、民衆の歌声とともに前進するのだ。

燃え立つ信心で
 一、戸田先生は言われた。
 「朗々と妙法を唱え抜き、感激に燃えて戦うのだ!
 『本当にありがたい! うれしい!』──この燃え立つ信心があれば、祈りは叶うのだ」
 私たちの唱える南無妙法蓮華経は、「大宇宙」と「わが生命」とを貫く、根源の音律である。
 広布に戦う喜びと感謝にあふれた、燃え立つような祈りは、己心の「仏界の力」をわき立たせるとともに、全宇宙の諸天・諸仏を揺り動かしていくのだ。
 その祈りが、叶わないわけはない。

全権大使たれ!
 一、戸田先生は、国家の弾圧による2年間の投獄から出獄して間もなく、こう語っておられる。
 「ぐずぐずしてはいられない。出獄後、私は、一日の休みもなく、奮闘している。
 これからの半年の間に、2年間の投獄の空白を取り返す決心で戦っている!」
 限りある時間だ。
 私たちも、ぐずぐずしてはいられない。
 決断である。行動である。
 祈るのだ。動くのだ。
 特にリーダーは、道を歩くときも、さっそうと歩き、会員・同志の皆さん、近隣の方々と、すがすがしいあいさつを交わしていくのである。
 一人一人が“学会の全権大使である”との気概で、勇んで打って出よう!(大拍手)

小さな島から
 一、きょう1月26日は、SGI(創価学会インタナショナル)発足35周年である。おめでとう!(大拍手)
 全世界で、この日を祝賀してくれている。
 〈SGIの発足は1975年(昭和50年)1月26日。
 西太平洋のマリアナ諸島の島・グアムに、51力国・地域の同志の代表158人が集い、世界各国のメンバーの団体からなる国際的機構として、SGIが結成された。席上、全参加者の総意として懇請され、池田SGI会長が就任した。
 当時の模様は、小説『新・人間革命』第21巻「SGI」の章に詳しく記されている〉
 なぜ、SGIを、グアムの地で結成したのか。
 それは、グアムが、太平洋戦争における日米の激戦地の一つであったからである。
 戦争によって、最も犠牲を強いられるのは、いつも庶民である。
 また大国が起こした戦争によって、元来、平和であった小さな島々が、無残に蹂躙されることも少なくない。日本でいえば、沖縄がそうであった。
 グアムもまた戦乱に苦しんできた。
 だからこそ私は、グアムに行って、そこから世界平和の指揮を新たに執り始めたのである。
 このとき、私は、ハワイからグアムに入った。小さなグアムで、メンバーを激励し、皆とともに太陽を仰いだ。全宇宙に、全世界に轟けと、妙法を唱えて出発した。
 そして今、35年が経過して、創価の平和と文化と人間主義の大連帯は、192力国・地域に広がったのである(大拍手)。

陰徳には陽報が
 一、今月、この原点の地で、SGI発足35周年の慶祝行事が相次いで開催された。
 いずれも、グアム準州政府の全面協力によるものである。
 SGIに最大のエール(声援)を贈ってくださった、グアム準州のフェリックス・カマチョ知事をはじめ、皆様方に最大の感謝を申し上げたい(大拍手)。
 SGI結成の舞台となった国際貿易センターの前に広がる公園には、「SGI発足記念碑」が設置されたとも、うかがった。
 すべては全国、全世界の同志の皆様の奮闘のおかげである。
 「陰徳あれば陽報あり」(御書1178㌻)である。皆さん、おめでとう!(大拍手)
 〈記念碑には、中央に、SGI結成の際のSGI会長のスピーチの一節が刻まれ、向かって左には、小説『人間革命』の冒頭の一節、右には小説『新・人間革命』の冒頭の一節が刻まれている〉

発足の年にモスクワ大学「名誉博士号」受章
師弟勝利の宝冠は274に


子孫末代まで
 一、思えば、SGI発足の年(1975年)の5月、私はモスクワ大学から「名誉博士号」をお受けした。
 これが私にとって、海外諸大学からの名誉学術称号の「第1号」であった。
 授与式は、天に向かってそびえ立つ、立派な大学本館の中の総長室で行われた。
 室内に案内されると、教授・学生をはじめ関係者が、厳粛な面持ちで、そろって待ってくださっており、皆さんが大きな拍手で迎えてくださったことが忘れられない。
 〈式典では、SGI会長への推挙理由として、①人間教育による社会貢献②核廃絶と平和運動の展開③哲学的著作の発刊④文学の創造⑤これらの活動を通した人類社会への貢献が挙げられた〉
 じつは、あす(1月27日)、創価大学で、中国の名門・安徽理工大学から名誉教授の称号を授与していただくことになっている(大拍手)。
 〈これで、SGI会長に世界の大学等から授与された名誉学術称号は「274」を数える〉
 世界から贈られた、すべての栄誉を、私は、師弟の絆で結ばれた同志の皆様方と等しく分かち合いたい。
 そのために私はお受けしている。
 これこそ、師弟勝利の証しなのである(大拍手)。
 また、すべては、皆様方の子どもさんやお孫さんに、流れ通っていく栄誉であることを知っておいていただきたい(大拍手)。

インドネシアの女性指導者
思いきって始める人がいれば多くの人がこれに習うのです


難に打ち勝て
 一、昨日(25日)、東京富士美術館企画の「ハプスブルク帝国の栄光──華麗なるオーストリア大宮殿展」の開幕式が岡山県立美術館で盛大に行われた。関係者の皆様、ご苦労さまです!(大拍手)
 ハプスブルク家出身の皇帝マクシミリアン1世が、戦いに臨んだ際に語ったとされる言葉を皆様に贈りたい。
 「私は君たちに勇敢とはどういうことなのか、その模範を見せてあげよう」(江村洋著『中世最後の騎士』中央公論新社)
 リーダーならば、先頭に立つことだ。
 先頭を行けば、当然、風圧は強い。難にあう。それに断固として打ち勝って、道を開いていく。それがリーダーである。
 戦時中、軍部と戦い、正義の信念を貫いた牧口先生、戸田先生は、自らを犠牲にして、学会を護り、同志を護っていかれた。
 私もまた、お二人の精神のままに行動してきた。
 「各国各地の大切な同志を護れるように」「皆が安心して活動できるように」と、祈って祈って祈り抜いてきた。
 そのために、あらゆる努力を惜しまず、道を開き、道を作り、時代を変え、学会への認識を新たにさせてきた。
 これが「創価の三代の心」である。
 この会員厳護の精神を離れて、創価学会はない。リーダーは忘れてはならない。
 嫉妬の邪宗門からも陰険な攻撃を受けてきたが、私は微動だにしなかった。
 私たちは、邪宗門から離れることができて本当によかった。まさに御仏意であった(大拍手)。
 一、インドネシアの女性解放の先駆者カルティニは叫んだ。
 「まず手本を示す人があるとよい」「思いきって始める人さえあれば、きっと多くの人がこれにならうものだと確信しております」(牛江名訳『暗黒を越えて』日新書院。現代表記に改めた)
 我らは今、永遠に崩れぬ「創価城」を築いている。
 「広宣の道」「勝利の道」「歓喜の道」を、皆さんが全世界に大きく広げていくのだ。勇気の剣を高く掲げ、さっそうと前進していただきたい(大拍手)。

「一人が十人の役割を果たせ」
 一、私が敬愛する中国の周恩来総理は、抗日戦争のさなか、安徽省の天地で、同志に力強く呼びかけた。
 「われわれは、一人が十人の役割を果たし、幹部一人が幹部百人の役割を果たすようにしなければならない」「幹部が健全であってこそ、事業を発展させることができる」(日本語版《周恩来選集》翻訳室訳『周恩来選集(1926年~1949年)』外文出版社)
 学会の発展と勝利もリーダーで決まる。
 戸田先生は私に「千人分の役割を果たしてくれ」と言われ、その通りに私は戦った。
 悪には厳しく、友には慈悲広大に──この一念に徹して、今日の学会をつくり上げたのである。
 ニュージーランド出身の女性作家マンスフィールドは、日記で自身に言い聞かせた。
 「成功、失敗を少しも意に介せず、ただつづけて行くこと」「たった今決心すること!」(橋本福夫訳『マンスフィールドの日記と感想』大観堂。現代表記に改めた)
 何があっても、へこたれない。今再び挑戦を開始する。勇気と忍耐で戦い続ける人が、栄冠をつかむのだ。
 今、各地に、新しい若きリーダーが陸続と登場してきた。
 「君よ、いかなる嵐があろうとも、創価の師弟の魂を、断じて護り抜け!」──こう強く申し上げたい。
 頼むよ!〈「ハイ!」と力強い返事が〉

「私がやる」との自覚と使命感を

 一、周総理は、こうも述べている。
 「困難な条件におかれていればいるほど、われわれの強味を生かすことができ、自己を鍛えることができる。
 われわれは安穏な地区で発展してゆこうとは思わない。
 なぜなら、安穏な地区は、だれでも来たがるし、だれでも生存できるからである。
 われわれは主として困難な地区へ発展してゆかなければならない」(前掲『周恩来選集』)
 誰も勝てると思わなかった昭和31年(1956年)の大阪の戦い。
 私は大変な地域へ、誰も行かない遠い地域へと、勇んで飛び込んだ。大阪中を隅々まで回り、寸暇を惜しんで、新たな発展の道を切り開いていった。
 その波動が、「まさかが実現」へとつながり、勝利を収めることができたのである(大拍手)。
 大事なのは「自分が広宣流布を成し遂げてみせる!」との「自覚」である。歴史を開く「使命感」に燃え立つことだ。
 きょうは、関西の山下以知子婦人部長も参加してくれている。
 昨日(1月25日)は「関西婦人部の日」。常勝の母たちの祈りで、私が大阪事件の無罪判決を勝ち取った日である。
 関西の同志、ありがとう!(大拍手)
 〈「大阪の戦い」について、草創の関西の婦人部は、こう証言している。「関西は、池田先生のもと、一会員に至るまで、“私がやらなければ勝てない”との決意に立ち、行動を起こしたのです。
 皆が日々の闘いを通して、御本尊の功力を実感していました。創価の正義に目覚めた関西の同志の大歓喜の生命が、報恩への行動となって拡大していったのです」〉

日蓮大聖人の国主諫暁から750年
民衆のため 社会のため 立正安国の大闘争を!


理想の建設へ大局観に立て
 一、本年は、日蓮大聖人が「立正安国論」を鎌倉幕府の最高権力者・北条時頼に提出してから満750年の佳節に当たる。〈大聖人が「立正安国論」を提出されたのは文応元年(1260年)7月16日〉
 大聖人の御一代の弘法は「立正安国論に始まり、立正安国論に終わる」と言われる。
 「立正安国論」には、正法によって断じて民衆の幸福と平和を実現するのだとの、御本仏の大慈悲と大情熱が脈打っている。
 私たちは、この立正安国の御精神のままに、いかなる迫害の嵐も乗り越えて、広宣流布へ進んできた。
 大聖人の御賞讃は間違いないと確信する(大拍手)。
 「立正安国論」には記されている。
 「汝須《すべから》く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か」(御書31㌻)
 自らの幸福を願うならば、まず社会の安定や繁栄、世界の平和を祈っていくべきであるとの仰せである。
 国土が戦乱や災害に覆われてしまえば、個人の幸福の実現もありえない。
 自分一人の幸せではない。社会の平穏と繁栄を祈り、その実現に尽くしてこそ、真実の幸福は実現される。
 また、そうした生き方を貫いてこそ、自己の小さな殻を打ち破り、本当に価値のある、充実した人生を築いていくことができるのである。
 戸田先生は青年部に語っておられた。
 「社会をどう変革するか、理想の社会を構築するためには、どのような実践行動が必要かを考えよ!
 その大局観に立った一切の振る舞いであってほしい」
 青年こそ、理想の社会建設の先頭に立ってもらいたい。
 勇んで現実社会の真っただ中に飛び込み、泥まみれになって民衆のため、地域のために尽くし抜くことだ。
 ここに日蓮仏法の魂もある。

思想の乱れが社会の乱れに
 一、大聖人が「立正安国論」を御執筆された当時、大地震や飢饉、疫病などが続き、民衆は塗炭の苦しみを味わっていた。
 大聖人は、その原因について、こう喝破されている。
 「世の中は上下万民あげて正法に背き、人々は皆悪法に帰している。それゆえ、守護すべき善神はことごとく国を捨てて去ってしまい、聖人は所を辞して他の所へ行ったまま帰ってこない。
 そのために善神、聖人に代わって、魔神、鬼神が来て、災《わざわ》いが起こり、難が起こるのである。じつにこのことは、声を大にして言わなければならないことであり、恐れなくてはならないことである」(同17㌻、通解)
 人々は正法に背き、誤った教えを拠り所としている。こうした思想・哲学の乱れが、世の中の乱れの元凶であるとの仰せである。
 国といい、社会といっても、その根本は人間である。人間の行動を決めるのは思想であり、哲学だ。宗教である。
 民衆が、何を規範とし、何を求めて生きるのか。それによって、社会のあり方は大きく変わってくる。
 だからこそ、民衆一人一人が確固たる哲学を持つことが重要なのだ。
 私たちの広宣流布の運動は即、立正安国の戦いなのである。
 一、大聖人は御断言された。
 「結句は勝負を決せざらん外《ほか》は此の災難止み難《がた》かるべし」(同998㌻)
 仏法は「勝負」である。正義が勝ち、正法が興隆してこそ、真の平和と繁栄の実現もあるのである。
 人生も戦いだ。真剣に祈り、努力し、行動し抜いてこそ、勝利の結果が生まれる。
 私たちは信念の行動で、誠実の対話で、すべてに勝ちゆく一人一人でありたい。

共生と調和へ対話を推進
 一、国主諫暁を断行されたことで、大聖人は国家権力から厳しい迫害を受けた。
 大聖人は、なぜ大難を覚悟の上で、「立正安国論」を著されたのか。
 「安国論御勘由来」には、その理由について「ただひとえに国のため、法のため、人のためであって、自分の身のために言うのではない」(同35㌻、通解)と綴られている。
 仏法のため、平和のため、民衆のために正義を断じて叫びきらねばならない。これが御本仏の御覚悟であられた。
 戸田先生は訴えておられた。
 「日蓮大聖人は、首の座にのぼっても、佐渡の雪の中で凍えても、“われ日本の柱となるのだ! 眼目となるのだ! 大船となるのだ!”と仰せになられた。そして、民衆のために、あれほど戦われたではないか!
 我々も、強い自分に立ち返って、体当たりで戦うことだ!」
 学会は大聖人の仏法を根幹として、全世界に平和と教育と文化の連帯を大きく広げてきた。「人間革命」の哲学を掲げて全民衆の幸福の実現を目指すとともに、共生と調和の社会の実現を願い、「文明間対話」を地球規模で推進してきた。
 御書には「智者は、世間の法と別のところに仏法を行ずることはない。世間の治世の法を十分に心得ている人を、智者というのである」(1466㌻、通解)と仰せである。
 現実の社会の中で、仏法の智慧を発揮し、貢献していく。そうであってこそ、真に“生きた宗教”として輝いていくことができるのである。
 今、SGIの人類貢献の活動に、各国の指導者や識者からも多大な賞讃が寄せられている。
 日蓮大聖人の仰せのままに、大聖人に直結して前進する我ら創価学会は、世界の「平和の柱」である。
 青年の「教育の眼目」である。
 人類の「文化の大船」である。
 この深き誇りと確信を胸に、威風も堂々と進みたい(大拍手)。

若き友よ勇敢に進め 先駆者の気概で戦え

関西の友に
仏法は勝負なり! 正義によって起て
汝の力 百倍せん!


婦人部・女子部の友に
広布の旗持ち、立ち上がれ!
生命は永遠だ。苦しい時期も“瞬間”のようなものだ。
最後まで頑張りきってごらん。必ず結果が出るよ!


 一、戸田先生のもとに全体が集い、みずみずしい心で、新たな戦いに打って出る──。
 これが、勝利の根本のリズムであった。
 毎月のように行われる師弟の会合を、先生は最重要視された。
 広宣流布のために、また学会を、同志を護るために、それはそれは真剣であられた。

世界を駆ける
 一、当時、戸田先生は50代。
 事業の挫折を乗り越え、晴れて第2代会長に就任された。
 しかし、大変だった。学会員は、まだ少ない。弘教も進まない。皆、まだまだ力を出し切れていなかった。
 弘教の突破口は、私が開いた。
 先生のもとで、あらゆる道を切り開き、先生をお護りした。
 それが弟子の道だと決めていたからだ。
 夜学を断念せざるを得なかった私に、「お前には、本当に苦労をかけた。恩義がある」と言われ、先生は自ら、万学の真髄を教えてくださった。
 ある時には、「世界に行った夢を見たよ」と先生は語られた。
 その心を抱きしめ、私は全世界を駆けた。平和と文化の花園を広げるために。
 今や、地球上のあらゆる天地に、我ら創価の同志がいる。
 皆さんも、頑張れ!〈会場から「ハイ!」と元気な返事が〉
 戸田先生は、常々、訴えておられた。
 「信心を根本に団結し、そして、勝利していくのだ!」
 先生は、一回一回の会合に、真剣勝負で臨まれた。邪な人間は震え上がった。真の弟子は欣喜雀躍した。

リーダーが率先の行動 真心の励まし
「あの人のように」と友に希望を
戸田先生
信心を根本に団結し勝利せよ


皆を喜ばせるのが真のリーダー
 一、戸田先生は、こうも叫ばれた。
 「リーダーは、先頭に立て! 同志の方々の模範となるべきだ。
 皆が安心し、皆に喜んでもらえるような存在に、断じて、なっていきなさい」
 皆のおかげで、リーダーがいる。
 皆のために、リーダーはいる。
 これが戸田先生の大精神であった。
 リーダーが最前線に立つのだ。それが正しい。当然のことだ。
 同志は皆、雨の日も、雪の日も、寒い中でも、一生懸命、広宣流布のために戦ってくれている。
 リーダーは心から感謝し、誰よりも真剣に行動するのだ。
 そうすれば、皆も、うれしい。「ああ、来てくれた」と喜びが広がる。
 それとは反対に、号令だけかけて、自分は動かない。立場にあぐらをかいて、ふんぞり返る──そんな増上慢の人間が出てきたら、学会はどうなるか。
 私は、将来のために語り残しておきたい。
 誰よりもリーダー自身が、人間の中へ飛び込んでいくことだ。
 「あの人の戦う姿に勇気をもらった」「あの励ましのおかげで頑張れた」──そう思ってもらえるくらい、同志のために尽くし抜いていく。その振る舞いが、永遠に光っていくのである。
 広布の人生に引退はない。最後の一瞬まで戦い、立派に総仕上げしていくのだ。
 どんな立場になっても、同志を尊敬し、後輩をほめ讃えながら、自分は“一兵卒”の気概で、尊き和合を護り抜くのである。
 決して威張ったり、利己主義に陥ってはならない。自己には厳しく、人には温かく。皆に信頼され、頼りにされる存在であってもらいたい。

「繰り返し」の道に豊かな実りが
 一、近代スペインの大建築家ガウディの言葉は味わい深い。
 「唯一の実り豊かな道は繰り返しの道である」(鳥居徳敏編・訳・注解『建築家ガウディ全語録』中央公論美術出版)
 偉大な芸術家は、繰り返しをいとわない。たゆみなく、人知れず努力を重ねる。そこに創造の道がある。
 信心の世界も、そうだ。日々の勤行・唱題。友への励まし。その繰り返しが、実り豊かな大功徳を生む。
 一生懸命、学会のため、同志のため、何よりも、師匠のために戦い続ける。その人が、最後の勝利者と輝くのだ。
 一、戸田先生は、若き友に叫ばれた。
 「戦え! 攻めよ! 怯むな! 広宣流布の戦に自分から切り込んでいくのだ。
 特に、青年部は、先駆者の気概で戦え!」
 この言葉を、後継の諸君に贈りたい。
 青年部は、本当に頑張ってくれている。頼もしい限りだ。
 一、フランスの詩人ボワローは、こう強く語りかける。
 「愚か者が君を非難する場合には、もうそれに屈したもうな」(小場瀬卓三訳「詩法」、『世界大思想全集 哲学・文芸思想篇21』所収、河出書房新社)
 彼は、知性の最高峰・フランス学士院の会員であった。
 〈SGI会長は1989年にフランス学士院の招聘を受け、「東西における芸術と精神性」と題する講演を行っている〉
 火を吐くような彼の詩に、こんな言葉が躍っていた。
 「手に筆を執り世の悪徳を叱咤する」
 「傲慢と不正不義とに立向い」「悪徳懲しに行くのです」
 「何を惧れることあらん」(守屋駿二訳『風刺詩』岩波書店)
 ボワローは、理性を愛し、真実を見つめ、鋭い批評を繰り広げた。
 不滅の大詩人のごとく、我らは勇気の言論で、民衆の大叙事詩を綴っていきたい。

「1万人と対話する気迫で!」
 一、戸田先生は力を込めて言われた。
 「広宣流布に戦う以外に信心はない。こう覚悟することだ」
 何の信仰も哲学も持たない生き方は、気楽なようだが、永遠性の幸福はつかめない。
 皆さん方は、仏になる修行をしている。仏界という無上の境涯を開いているのだ。
 永遠に、最大の功徳に包まれる。永遠に、生死不二の、最高の生命の状態が貫かれていく。そのための信心なのである。
 さらに先生は、「一万人と対話するぐらいの気迫を持て!」とも叫ばれた。
 対話で心をつかむには、まず祈りだ。確信だ。生命力である。
 烈々たる気迫の声で、新たな時代を切り開くのだ。

壮年部に
たとえ年配になっても──25歳の心意気で!


ニュージーランドの女性の作家
幸福とは「困難を征服した時」


正義の師子の風格を持て!
 一、戸田先生は壮年リーダーの奮起を願って語られた。
 「正義の師子の風格を持て! その頼もしき姿に、皆がついてくるのだ」
 黄金柱の壮年部が、今こそ立ち上がる時である。
 たとえ年配になっても、25歳の青年の心意気で、この一生を生き抜いていただきたい!
 〈会場から「ハイ!」と返事が〉
 断じて心まで老いてはならない。若々しい心を燃やさなければ、何事も勝てるはずがないからだ。
 また戸田先生は、婦人部と女子部の友を励まして言われた。
 「広宣流布の旗を持って、立ち上がれ! 永遠の生命から見れば、苦しい時期というのは、瞬間のようなものである。最後まで、しっかり頑張りきってごらん。必ず結果が出るよ」
 深い意味が込められた言葉だ。
 同志の皆様の中には、ご家族が病気の方もいるでしょう。この不況で経済的に大変な方がいることも、よくうかがっています。
 壁にぶつかった時こそ、信心で立つのだ。題目をあげぬき、決して負けてはいけない。
 「祈りとして叶わざるなし」の妙法である。
 私は、一切が、希望の方向へ、幸福の方向へ、勝利の方向へ行くようにと、毎日、真剣に祈っている。
 どうか勇気ある信心で、苦難を乗り越えていただきたい!
 ニュージーランド出身の女性作家マンスフイールド。彼女は、ちょうど女子部の皆さんと同じ青春時代に、こう綴っている。
 「困難を征服している時以外に私が幸福になれる時があろうか? 決してない」(佐野英一訳『文学する日記(全訳)』建設社。現代表記に改めた)
 困難がないことが幸福なのではない。
 困難に打ち勝つなかに幸福があるのだ。
 女子部の皆さんは、いかなる悩みも乗り越えて、一人ももれなく、世界一の幸福王女になっていただきたいのです。
 頼むよ!〈会場から「女子部は必ず勝利してまいります!」との声が〉
 うれしいね。広宣流布に挑みゆく、その心が偉大だ。本当に尊いことです。
 男性陣も、負けずに頑張れ!〈「ハイ!」と元気いっぱいの返事〉

心は必ず通じる
 一、戸田先生の指導を拝したい。
 「題目は、真剣勝負で祈れば、必ず功徳となって現れる。
 真剣に祈れば、雑念は消え、広布の戦いで勝つことに集中できるようになるのだ」
 勝つための仏法だ。
 1年365日、強き祈りを根本に、すべてに勝ち抜こう!
 戸田先生は、こうも言われていた。
 「信頼や友好を結ぶのは、簡単なことではない。しかし、人間として、誠実に、人の三倍の努力をすれば、必ず心は通じる。その地道な戦いこそが、最も堅実な勝利の道なのである」
 友情こそ、人生の宝である。自分から心を開いていくのだ。
 気取らず、飾らず、どこまでも誠実に、信頼の心を通わせていくことである。
 ともあれ、日蓮大聖人に連なって、真剣に、妙法を唱えゆく我らには、「無作三身の如来」の生命が滾々とわいてくる。
 「はたらかさず・つくろわず・もとの儘」(御書759㌻)──ありのままの自分を伸び伸びと輝かせていける。ここに妙法の偉大さがある。

栄光の80周年! さあ きょうも出陣!
時代を動かす対話の大潮流を


今いる場所が使命の晴れ舞台
 一、「誰か」ではない。「どこか」でもない。「自分が今いるその場所」が、わが人生の晴れ舞台である。
 自分にしかできない使命の劇を、思う存分、勝ち飾るのだ。
 心に大きな目標を持つ人は、それだけ大きな人生を生きられる。
 自ら決めた目標へ、祈り戦い抜く人は、最後に必ず勝利する。
 「広宣流布」即「世界平和」。
 それが我らの大目的である。
 歴史を開く80周年。
 どうせ戦うならば、日本中がびっくりするような、正義と勇気の大対話運動を巻き起こし、民衆が輝く新時代を開くのだ。
 やってみよう! 対立から調和へ、平和の連帯を大きく広げるのだ。世界を、あっと言わせよう!
 時は来た。大勢の同志もいる。ここで躊躇し、臆しては、後世の人々に笑われる。
 戸田先生は教えてくださった。
 「今は乱世である。非情な戦いが、乱世の原理というものだ。
 ゆえに、我が身を惜しまず、厳しい使命の実現に骨身を削る以外にない。そこに、勝利が開かれる」
 乱世をもチャンスに変えて、強気、強気で進むのだ。
 先生の言葉のままに、私は戦った。一念に億劫の辛労を尽くして、祈り、走った。
 行くところ行くところで、皆が驚くような結果を示し、妙法流布の活路を開いた。飛躍的な拡大は、日本はもとより、世界まで波動を広げた。
 思えば、戸田先生は、愛弟子を、あえて最激戦地に挑ませて、鍛えた。そのたびに、私は敢然と戦い、勝利を報告した。
 先生は「どこに行ったって、大作は何でもやり遂げる」と、本当にうれしそうだった。
 師匠の期待に、より以上の結果をもってお応えする。
 これが、真実の弟子の道である。

われも戦う 君も広布へ
 一、忘れもしない、昭和31年の大阪の戦いで、私は愛する関西の若き友に贈った。
 「仏法は勝負なり」「正義に依って起て、汝の力 百倍せん」と。そして「吾れも断固斗う。君も共に、広布の為に奮斗されん事を」と呼びかけた。
 正義なればこそ、断じて勝たねばならない。
 熾烈な戦いにあって、その勝敗を分けるものは一体、何か。
 それは、リーダーの一念である。先陣を切る将の姿である。
 大阪の戦いでは、まず私自身から、必死の祈りを開始した。
 それが、友へと広がり、一人また一人と立ち上がり、遂には時代を動かす、大いなるうねりとなった。
 決戦の日の早朝、5時ごろ。戸田先生から電話を受けた。
 「何だ、大作、起きていたのか」と言われながら、情勢のゆくえを心配される先生。
 その時、すでに私の胸中には、揺るぎない勝利の確信があった。
 師弟の祈り、不二の闘争で勝ったのだ。

不惜身命の魂を継ぎゆけ
 一、戸田先生の時代も、多くの幹部がいた。しかし、誰よりも先生をお護りし、誰よりも勝利を打ち立てたのは、私である。後世のために、ありのままに語っておきたい。
 先生は心から信頼してくださり、亡くなられる前に、「大作、お前がいたから、よくやってくれたから、俺は栄えある身になれたよ。これからの学会を頼む」と語ってくださった。
 師匠のためなら、何でもやる。すべてに勝つ。これが弟子だ。
 この心が、創価学会という民衆の大幸福城を築き上げたのだ。
 最も過酷な時代にあつて、正義を貫き、殉教された牧口先生。
 ともに投獄され、満身創痍の身で、学会を再建された戸田先生。
 その不惜身命の魂を継ぎ、私は広宣流布に立ち上がった。
 苦境の戸田先生を、多くの人が見限り、軽侮《けいぶ》し、恩を仇で返していった時、私は戸田先生!」と叫んで戦った。心黒き増上慢の人間を、清浄な広布の世界から叩き出した。
 後に「俺は、いい弟子をもって、幸せだったよ、大作」と喜んでくださった先生。
 病弱だった私の身を案じて、「大作、長生きしてくれ」と叫び、人目もはばからず慟哭された先生。
 「なんとか長生きしてもらわないといけない」と、先生は、私ために祈ってくださった。
 本当にありがたい師匠であった。
 先生亡き後も、弘教の上げ潮をつくり、あらゆる基盤を整え、五大州に道を開いた。
 世界も、心配ありません──今、私は、こう胸を張って、先生にご報告することができる(大拍手)。

今の行動が後世の教科書に

50年後、100年後の同志の模範に
 一、風が吹けば、波が立つ。正義を叫べば、反発も起こる。
 御書に「風大なれば波大なり」(909㌻)と仰せの通り、これからも、大仏法を弘めれば必ず難が競うだろう。
 それは、正義のゆえであり、時代が変わる兆しなのだ。
 戦おう! 断じて勝つのだ。
 頑張ろう! 今の皆さん方の真剣な行動が、後世の教科書になっていく。
 創立80周年のこの時に、皆がどう戦ったのかを、50年後、100年後の同志が学ぶ。そういう時代が必ず来るのだ。
 脚光を浴びない舞台で、誰が見ていなくとも、黙々と、わが使命を果たしてくれている友もいる。
 しかし、全部が仏道修行である。仏法には一切無駄はない。
 かつて戸田先生は、「水滸会」の野外訓練で、キャンプファイアを囲みながら、こう語られた。
 「この炎のように、私たちの生命も、燃え上がらせていくのだ。
 学会精神とは、信心の炎を燃え上がらせることなのだ」
 強い祈りと熱い決意で、友を励まし、同志に尽くすのだ。

皆様の「勝利」と「健康」を祈る
 一、師とともに戦い、師とともに勝つ。ここに常勝の道がある。
 いかなる時代になろうとも、師弟の魂を叫び抜き、師弟の道に生きるのだ。それが学会の強さである。それでこそ、最高の力が出る。この一点を、永遠に、わが生命に刻みつけていただきたい。
 きょうは長時間、本当にありがとう!
 皆さん方のご家族が健康であるように。そして、一切に勝利していけるように。それを祈って、題目をあげたい。〈ここでSGI会長の導師で、全員で唱題した〉
 ご苦労さま!
 お元気で!
 私は、妻とともに、一生懸命、皆さんの「勝利」と「健康」を祈っています。それぞれの地域の広宣流布は、皆さんにお願いする以外にないからだ。
 地元に帰られましたら、同志の方々に、どうか、くれぐれもよろしくお伝えください。
 青年部、頑張れ! 成長がうれしい。民衆を護るために、偉くなれ! 負けるな!
 皆さん、ありがとう!(大拍手) 
2010-02-01 : スピーチ・メッセージ等 :
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