池田名誉会長の人物紀行 第10回

池田名誉会長の人物紀行 「歴史の巨人」と語る
             (2009.10.30付 聖教新聞)

第10回 世界的な科学者・平和運動家 湯川秀樹・スミ夫妻

人間性の拡大こそ焦点!

 列島に大光が差し込んだ。戦後長らく、日本を覆っていた曇天が吹き飛んだ。それは、関西からであった。
 関西で学び育った理論物理学者・湯川秀樹博士の偉業は、敗戦に沈む国民を、どれほど勇気づけてくれたか。
 博士は、原子核の構造に迫る画期的な「中間子理論」を打ち立てられた。日本人初のノーベル賞が発表されたのは1949年(昭和24年)の11月3日。60年前の秋である。
 湯川博士は、その翌年、青春の思い出深き大阪市の、中之島の中央公会堂で講演を行った。自らの研究を支えてくれた関西の天地への感謝を語られつつ、「科学の研究に国境はない。いずこの国の人であれ、真理を発見する可能性を持つ」と、ふるさとの青年たちを力強く励まされたのだ。
        ◇
 師・戸田城聖先生のもと、21歳の私は、少年雑誌の編集長として、すでに世界を舞台に活躍されていた湯川博士を紹介する企画を温めていた。
 『少年日本』と改題した第1号である1949年の10月号では、大科学者アインシュタイン博士を取り上げた。いよいよ湯川博士の業績を通し、少年少女に夢を贈ろう!
 そう胸を膨らませていた10月、経営不振により、雑誌は休刊を余儀なくされた。
 その時、果たせなかった、湯川博士の宣揚を、60年の歳月を経て実現できる喜びに、私の筆は弾んでいる。

努力は必ず勝つ
 博士は、不屈の青春を生き抜いた。その胸奥には、熱い負けじ魂が燃えていた。
 「中間子理論」を最初にまとめ上げた27歳の年、元旦の日記には、記されている。
 「失敗《しま》つたと思つた時に気をとり直すか否かゞ勝敗の分れ目である」(『湯川秀樹日記』朝日選書)
 天才に見える博士も順風満帆な時ばかりではなかったのであろう。
 大事なのは、へこたれないことだ。負けて意気消沈してしまったら、それが本当の負けである。「負けるが勝ち」とは、「次がある」ということである。「次は必ず勝つ」と勇気を奮い起こすことだ。
 なぜ博士は、偉大な業績を成し遂げられたのか。
 そこには「天才は限られてゐる、努力には限りがない」という奮闘があった(前掲書)。「熱情ある所、障碍《しょうがい》なし」という烈々たる気迫があった(同)
        ◇
 博士の愛称は「質問魔」。誰にでも気さくに語りかけ、どんなことでも質問した。
 よく「聞く」ことは、よく「学ぶ」ことである。
 経済雑誌からインタビューを受けた時のこと。訪れた若い記者に、博士の方《ほう》から、親しみやすい関西弁で尋ねた。
 「日本の未来と原子力の研究」についての質問だった。
 「どうやろう?」──生涯、青年の心で探究を続けた博士は、青年だからこそ言える率直な意見を聞きたかったのであろう。
 新進記者の一言一言にうん、うんと頷かれ、それに触発を得たかのように、突然、寄稿を口述されたという(『湯川秀樹著作集5』月報、岩波書店)

報恩こそ偉業の力
 誰からも学ぼうとした博士は、「出会いこそ人生の宝」と達観されていた。
 研究者にとって「若い時の人間関係が重要」とは、博士の持論である。
 特に湯川青年には、仁科芳雄博士という良き師に巡り会えたことが決定的であった。
 仁科博士は、湯川青年から研究の構想を聞くと、「そいつは面白そうじゃありませんか」と、いつも嬉しそうに励ましてくれた。湯川博士が海外での会議に招待された時も、愛弟子のために旅費の工面などに尽力されたのも、この師である。湯川博士が中間子の存在を予測したことには、いち早く賛同し、中間子の質量を最初に測定された(『湯川秀樹著作集7』)
 弟子にとって、師匠の存在ほどありかたいものはない。
 湯川博士は、自分の今日あるは「先生の賜物」と、終生、感謝を捧げられた。
 師恩に応えゆかんとする心こそ、大偉業の力なのだ。
        ◇
 博士は「核兵器の廃絶」を訴え抜いた信念の闘士でもあった。
 人間の生活を便利にするはずの科学の粋が、大量殺戮の兵器を生み出した。科学者として、どうして知らん顔ができようか。
 科学が「万人のための力となり、さらに、力であるよりも前に、万人を幸福にする知恵の一環となるように努力することを、われわれは断念してはならない」と、湯川博士は叫ばれている(『湯川秀樹著作集5』)
 科学は人間の幸福のために!──仏法で説く菩薩に通ずる境地に、博士は行き着いておられたといってよい。
 博士の平和闘争の大いなる原点は、アインシュタイン博士との語らいであった。
 1948年、湯川博士は米国プリンストン高等研究所の客員教授として招聘され、アインシュタイン博士と同僚になった。
 アインシュタイン博士は、湯川夫妻と会うなり、涙をぽろぽろ流しながら語られた。
 「罪もない日本人を原爆で苦しめてしまい申し訳ない」
 以来、二人はどうすれば世界平和が実現できるか、昼夜、語り合うようになった。
 その結論が、世界が一つになって核兵器の廃絶、人類の平和を目指す「世界連邦」という運動の構想であった。

核兵器は人類の敵
 ひとたび決めたら、湯川博士は厳として行動を貫いた。
 1955年、東西の対立が緊迫するなか、「ラッセル・アインシュタイン宣言」が発表された。アインシュタイン博士をはじめ、11人の20世紀を代表する科学者と哲学者が、全面的な核兵器の廃絶を訴えた歴史的宣言である。
 署名者の中には、湯川博士の名も光っていた。私が深い友情を結び、対談集を発刊した、ポーリング博士やロートブラット博士もおられた。
 1975年の8月には、「パグウォッシュ・シンポジウム」が関西で開催された。がんで闘病されていた湯川博士の出席をメンバーが切望し、開催地を京都に決定したのだ。博士は、同志の真心に応えて、車いすで出席し、開会の講演を行われた。
 「核兵器はわれわれ共通の敵であり、すべての核兵器を地球から完全になくすことがわれわれの目標である」(前掲書)。病後ゆえ声は低く、静かな語り口だった。しかし全生命の叫びは、皆の心を打った。
 続いて登壇されたロートブラット博士は感動を語った。
 「病気をおしてこの式に臨んでくださった湯川博士の不屈の勇気を尊敬します。あなたの精神を必ずこの会に生かします」(湯川スミ著『苦楽の園』講談社)
 それは、わが師の「原水爆禁止宣言」の姿とも重なる。
 恩師も自らの病魔と戦いつつ、人類の生存の権利を脅かす核兵器の魔性に挑まれた。
 世界の宝・湯川博士が逝去されたのは、1981年であった。その命日9月8日は、奇しくも戸田先生の「原水爆禁止宣言」の日と重なっており、私と妻は毎年、懇《ねんごろ》ろに追善をさせていただいている。
        ◇
 湯川博士は、平和の松明をスミ夫人に託された。
 「僕は研究があって力を注ぐことはできない。世界の半分は女性なのだから、世界連邦の運動はあなたが頑張ってほしい」──この心を受けて、スミ夫人は、世界連邦運動名誉会長、世界連邦全国婦人協議会会長等の要職を歴任し、核兵器廃絶や世界の連帯を訴え抜いてこられた。
 そのスミ夫人が、御子息で近世演劇研究家として活躍される春洋《はるみ》氏と共に、八王子の東京牧口記念会館を訪問してくださったのは、2004年の5月のことであった。
 私は学会本部での会議のため、直接、御挨拶できなかったが、牧口先生の殿堂にお迎えでき、感無量であった。
 牧口先生の大著『人生地理学』には、湯川博士の父君で、著名な地理学者の小川琢治《たくじ》先生が書評を寄せてくださった縁《えにし》もあるからである。
 “この一千ページもの本を完成せる著者の真摯と勤勉とに驚嘆せずにはいられない”
 若き牧口先生の「研究の幅広さ」「着想の斬新さ」「適切な論旨」を、博士の父君は高く評価されたのである。

婦人部への期待
 東京牧口記念会館には、スミ夫人が贈ってくださった貴重な写真が展示されていた。
 湯川博士がアインシュタイン博士らと散策する情景を収めた写真で、自宅の応接間に飾られていた宝である。
 御夫妻は、人生の試練も、毅然と勝ち越えてこられた。
 アメリカから帰国後、御次男を突然の病で亡くされた。
 「泣くに泣けない哀しさでしたね。秀樹さんの研究の邪魔にならないように死に物狂いで育てた子ですから」
 だが夫人は悲しみを胸に秘めて、前へ前へ進まれた。
 創価の女性運動にも多大な期待を寄せてくださっていた。京都国際文化会館でも、講演会を行ってくださった。
 「私は、学会の婦人部が平和のことを願う気持ちが、本当によくわかります。共に世界平和を願うものとして、とても心強い存在です」
 「『世界平和』といっても、遠く海外だけの話ではありません。隣にいる相手と仲良くする気持ちが、世界の平和へとつながっていくのです」
 スミ夫人は、96歳で天寿を全うされるまで、「一日も早く世界平和を実現したい」と語り続けておられた。
 その荘厳な御生涯は「女性の世紀」の鑑として永遠に仰がれ慕われゆくことだろう。
 「はばたきの
   ひろがりて千代に
        平和なれ」
 5月3日を祝賀してスミ夫人が自ら認め、私と妻に贈ってくださった、湯川博士の忘れ得ぬ句である。
        ◇
 湯川博士の探究は、あとに続く青年のためでもあった。自身が優れた学者になり、日本の国際的な地位を高めて、若い世代が大いなる希望を持って勉強できる道を開いておきたいと願っておられた(『湯川秀樹著作集7』)
 あの大阪・中之島の中央公会堂での講演でも、多くの大研究が20代、30代の新進の頭脳によって提唱され、進展されたことを力説された。博士の視点は、常に未来を託す青年に置かれていたのである。
 45年前、私は、英知の学生に語ったことがある。
 「願わくは、正しき哲学をもって、人類に貢献でき得る大科学者、すなわち『湯川博士』が出てもらいたい」
 嬉しいことに、今、学園・創大出身者をはじめ、世界的な研究を進める創価の科学者も陸続と育っている。
 湯川博士は言われた。
 「自らの努力によって人間性自身を開拓し拡大してゆく可能性をもっているのが人間であります」(『湯川秀樹自選集第1巻』朝日新聞社)
 そして博士は、科学ばかりでなく、芸術や宗教も、「人間の大きな可能性のあらわれ」と意義づけておられた。
 焦点は「人間性」の開拓であり、拡大である。
 博士は明快に語られた。
 「最後には、正しい者には正しい者にふさわしい恩賞を与えられる」
 真理の探究と平和の創造に戦い抜いてこられた博士の大確信であるにちがいない。
 博士の講演から7年後、私は同じ中之島の中央公会堂で、関西の友と師子吼した。
 「正義は最後に必ず勝つ」
 今ふたたび、中之島の中央公会堂で、愛する関西の青年たちと、平和と正義の勝鬨を挙げゆく日を、私は心待ちにしている。
2009-10-30 : 人物紀行「歴史の巨人」と語る :
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仲農業工程学院「名誉教授」称号授与式

中国・仲農業工程学院「名誉教授」称号授与式     (2009.10.14 創大本部棟)

 中国・広東省の名門大学「仲農業工程学院」(崔英徳《さいえいとく》学長)から、同学院初の「名誉教授」称号が、池田名誉会長と香峯子夫人にそれぞれ贈られた。名誉会長の長年にわたる世界平和と日中友好への尽力、そして名誉会長を支えてきた香峯子夫人を讃えるもの。授与式は14日、東京・八王子市の創価大学本部棟で行われ、来日した同学院の高岳侖《こうがくりん》副学長一行が出席。高副学長から、代理の山本創大学長に「名誉教授」の証書と記念の盾が託された。また、名誉会長の友誼の漢詩が高副学長に贈られた。

高副学長の授与の辞

「知行合一の模範」と尊敬
共生の世界へ豊かな識見と休みなき行動


 一、収穫の喜びに沸く金秋の10月、皆様と共に集うことができ、心から光栄に思います。
 このたび、東京を訪れ、世界的に名高い創価学会と創価大学を訪問し、仲《ちゅうがい》農業工程学院学長・崔英徳教授に代わり、池田大作先生と池田香峯子夫人に、本学の名誉教授称号を贈らせていただくことになりました。
 全教員・学生を代表し、池田大作名誉会長と香峯子夫人に、心からの敬意を表します。また創価学会、創価大学および、ご列席の皆様方のご多幸をお祈りいたします(大拍手)。
 一、創価学会は創立以来の70数年、著しい発展をみせてきました。日本から世界各地へ広がる人々の精神的革命に、確かなモデルを打ち立てています。
 池田第3代会長は創価の先師の松明を受け継ぎ、仏法の慈悲の精神を宣揚されました。そして、それらを自ら実践し、大きく発展させてこられました。
 また、人生哲学の新たな理念を詳細に示され、宗教哲学者、改革者の智慧と風格、徳と功績を一身にそなえ、人々の尊敬を受けておられます。
 人間教育の時代の師匠として、池田先生は、教育を生涯にわたる最重要の事業とされ、“教育の根本的課題は、人間がどのような存在であるべきか、人間はどのように生きるべきなのか、という人間の最重要の問題に答えることにある”と述べておられます。
 そして、そのことを目指し、日本をはじめ世界各地に創価の教育機関を創立しています。教育機関の発展と共に、創価教育の理念は全世界に伝わり、宣揚され、人々に良い影響を与えています。
 先生はまさに「知行合一《ちこうごういつ》」(真の知識は実践を伴う)の模範と申しあげるべきです。仏教学、哲学、文学、歴史に広く通じる博識のみならず、豊かな良識と先見性に満ちた卓見をお持ちです。そして世界平和実現のために尽力してこられました。
 過去50年にわたり、世界的な問題群の実行可能な解決策を模索され、自ら世界各国を奔走されました。そして各界の多くの識者と広範に交流し、対話を重ねてこられました。
 世界平和の促進と文化交流、環境保護、人権擁護などの神聖な活動を休むことなく続けてこられました。
 共生・共栄の世界の新秩序構築のために奮闘され、国際社会から高い評価を得ており、国連平和賞など多くの栄誉を受けておられます。また、40数力国の高等学術機関から贈られた名誉博士・名誉教授称号は、260を超えています。
 一、池田先生は、中国人民の古き良き友人であります。長年にわたり中日両国人民の友好往来の推進に尽力された、中日国交正常化提唱者の一人であられます。
 中日両国間の教育・文化などの交流促進に多大な貢献をなされた池田先生は、「中日友好の平和の使者」として10度にわたり訪中され、周恩来、小平、胡耀邦、胡錦濤、温家宝などの国家指導者と会見しておられます。
 本学が校名に掲げて記念している寥《りょう》仲《ちゅうがい》先生と何香凝《かこうぎょう》女史の子息であり、中日友好協会の初代会長である寥承志先生と池田先生ご夫妻とは、中日友好の同志であります。深い心の交わりを結んだ親友でもあります。
 こうしたことから、池田先生ご夫妻に、本学の名誉教授称号をお受けいただいたことに、心の縁《えにし》を感ずるのです。本学の栄誉であり、全教員・学生・職員にとって、大いなる励まし、鞭撻と思っております。池田大作会長と香峯子夫人に、心からの深い敬意と謝意を表するものです。
 一、仲農業工程学院が創立されたのは1927年3月。近代民主革命の著名な政治活動家である何香凝先生などの提案を受け、国民党中央が設立を決定したものです。
 全国人民代表大会常務委員会副委員長、全国婦女連盟名誉主席、中国美術家協会主席などの職務を務めた何香凝先生が初代学長に就任し、その15年にわたる尽力により、顕著な実績を挙げ、中国のために多くの農業工程技術の専門的な人材を輩出しました。
 仲農業工程学院の建設と発展は、各レベルの指導者と各界の大きな注目と関心を集めています。葉剣英、小平、楊尚昆、王震などの国家指導者がキャンパス内の寥仲何香凝記念館、寥仲の像、何香凝の像、寥仲記念碑に題字を贈っています。
 池田先生と香峯子夫人のご関心と力添えのもと、本学は必ずや前人の実績を継ぎ、新たな道を切り開き、活力をたたえ続けていけると確信しております。
 中国の現代化建設事業に対し、さらに大きく貢献し、全人類のため、環境問題に配慮した農業と生態文明の建設に貢献すべく、力を尽くしてまいります。
 一、農業は、人類の生存・繁栄、そして発展の基礎であり、社会の安定・幸福のための基本であります。教育は、人類文明進歩のための方途であり、社会の調和・協調と発展の基盤です。
 私たちと、池田先生の理想・理念は一致しています。池田先生は、私たちの共通の理想と事業の思想的開拓者、道徳的模範であられます。
 池田先生の偉大な人生の実践と、深奥なる道徳の文章、高尚なる行動と人格、そして諄々と説いて聞かせてくださる魅力は、世代を超えた仲の学徒たちを、人生と事業の高峰へと登りゆくよう励ましてくださると信じてやみません。
 本日、この授与式に参列いただいたご来賓、友人、学者、学生の皆様に、重ねて御礼申し上げます。私たちは、仲農業工程学院と創価学会、創価大学の協力が、ますます深まることを祈っております(大拍手)。
 そして、私たちは共に、池田先生と香峯子夫人のご健康とご長寿を祈ろうではありませんか。
 創価学会と創価大学のますますの発展を、お祈り申しあげます(大拍手)。

名誉会長の謝辞(代読)

民衆こそ主役の時代へ進め
寥仲先生
精神を新たにすれば徳も新たになる


 一、心より尊敬申し上げる高岳侖《こうがくりん》副学長。さらに、仲農業工程学院の諸先生方。そして、中国からお越しくださっている交換教員の先生方をはじめ、ご列席の皆さま方。
 まず初めに、晴れやかな新中国の「建国60周年」を、私たちは心よりお祝い申し上げます(大拍言。
 この大いなる佳節に、貴国の力強い大発展の原動力である「人材の花の城」広州から、偉大な人間教育の指導者の先生方を、わが創価大学へお迎えすることができ、私は感無量であります。
 私が貴国への第一歩を印させていただいたのは、1974年(昭和49年)の5月。陸路の旅でありました。
 深圳から乗った列車で最初に訪問した天地こそ、貴・広州だったのであります。
 いにしえより「南越《なんえつ》第一」と仰がれゆく名峰・白雲山《はくうんざん》をはるかに望んだ絶景も、鮮やかに蘇ります。
 私と妻は、広州駅の待合室に居合わせた4人の婦人の方とあいさつを交わしました。
 「はじめまして。私たちは、中国との友好のために、日本からまいりました」
 この明るい笑顔の広州の母たちとの、心を結び合う出会いから、友好の対話は人民の大地に幾重にも広がっていったのであります。
 以来35年、貴国は世界に冠たる大興隆を遂げられました。あの母たちのお子さんやお孫さんの世代は、今、何と誇り高く胸を張って活躍されていることでありましょうか。
 きょうは、最優秀の貴国の留学生の皆さんも出席してくださっております。その若き英姿が、私は、何よりも何よりもうれしいのであります。
 貴国の勝利は、教育の勝利であると申し上げても、決して過言ではないといえましょう。
 本日、私は、私たちの友情の「金の橋」の原点ともいうべき広州にそびえ立つ、教育の栄光の大殿堂より、最高に意義深き栄誉を拝受いたしました。
 さらに、私の妻にも貴学院の称号を賜り、心より御礼申し上げます。
 先生方のご厚情は、永遠に、私と妻の胸奥から離れることはありません。誠に誠に、ありがとうございました(大拍手)。

大人《たいじん》の笑顔
 一、初訪中の折、私たちは、広州で熱烈な歓迎をいただき、白雲空港から飛行機に搭乗いたしました。
 夜の10時近く、北京空港に降り立つと、真っ先に大人《たいじん》の笑顔で迎えてくださった方がおられました。
 その方こそ、中日友好協会の寥承志初代会長であられたのであります。
 まさしく、貴学院がその名に刻まれた仲先生、そして創立者であられる何香凝先生の崇高な志をば承継なされたご子息であります。
 世界的な偉人であられた寥承志先生との思い出は、今も私の命に輝いております。
 忘れ得ぬ周恩来総理との会見に案内してくださったのも、この寥承志先生でありました。
 1978年(昭和53年)の9月には、私と妻は、南京の寥陵《りょうりょう》(寥家の墓所)で、仲先生と何香凝先生の荘厳なご生涯を深く偲びつつ、追悼の献花をさせていただいたのであります。
 仲先生が、「革命の魂」として民衆に訴えられたことは、いったい何であったか。
 それは「農工扶助」の精神でありました。
 すなわち、幾多の庶民が虐げられていた時代にあって、いち早く「人民こそ第一」 「民衆こそ主役」との理念を示され、農民や労働者の相互扶助を通し、限りない民衆の力の開発に挑まれたのであります。
 この仲精神を厳然と受け継ぎ、実現してこられた学府こそ、貴学院であられます。

革命に殉じた仲先生
負けても諦めず
勝っても驕らず
何があっても恐れず
世の汚泥に染まらず


「精神不死」
 一、使命の大闘争を戦い抜かれた仲先生は、叫ばれました。
 「人生にとって最も重んずべきは精神である。精神を日に新たにすれば、徳も日に新たになる」と。
 そして、“物事の真実を見極め、行動しゆく智者たれ”」と訴え続けていかれたのであります。
 その獅子の生涯は、「負けても諦めず、勝っても驕らず、何かあっても恐れず、世の汚泥に染まらず」と讃嘆されている通りであります。
 そして、盟友・孫文先生の逝去から5カ月後の1925年8月、仲先生は壮絶な殉難を遂げられたのであります。
 この最も過酷な試練の渦中にあって、ご自宅の門に「精神不死」(肉体は殺せても、精神を殺すことはできない)との横幕を掲げ、正義の後継に凛然と立ち上がられた方こそ、夫人の何香凝先生であられます。
 何先生は2年後の1927年、寥先生の精神を掲げる貴学院の前身を創立されました。
 高名な画家であられた何先生が、アジアや欧州の各地で、ご自身の絵画をもとに、建学の資金を調達していかれたご苦労も、深く胸に迫ります。
 広州で抗日闘争が激しさを増すなか、貴学院は、実に5度にもわたって移転を余儀なくされました。
 しかし、何先生は断言なされております。
 「学校が移転し、校名が何度変わったとしても、『仲』という名称だけは変えてはいけない!」と。
 私と妻は感激いたしました。いな、感涙いたしました。

何香凝先生
冬を乗り越え その心は更に堅し
智慧 人徳の花を咲かせよ


梅の花のごとく
 一、1935年の10月、何香凝先生は「梅花」と題する一詩を記されました。
 「氷や霜や雪が圧迫しようと、梅の花は壮んなり。寒き冬を乗り越えて、その心は更に堅し」と。
 いかなる逆境にも断じて負けない。わが生命から智慧と人徳の花を咲かせ、爛漫たる「平和」と「幸福」の大輪の芳香を広げていく。人間教育の真髄も、ここにあるのではないでしょうか。
 何香凝先生と深き縁で結ばれた穎超先生(周恩来総理の夫人)も、まさにそうであられました。
 この何香凝先生、そして穎超先生のあまりにも気高い御心を、妻は「女性の世紀」を生きゆく、これからの世界の乙女たちに、広く語り伝えたいと願っております。

人民に報いよ
 一、さて、誉れ高き貴学院は、著名な工学博士であられる崔英徳学長の傑出したリーダーシップのもと、隆々たる発展を成し遂げておられます。
 とくに、自然科学や社会科学の様々な分野で、国家の重要な研究の一翼を担われ、素晴らしき学術成果を挙げておられることも誠に有名であります。
 本年9月、貴学院の晴れの入学式の席上、崔学長は新入の英才たちに訴えられました。
 「創造的精神と創造的能力を育むことによって国に報い、社会に報い、そして人民に報いることができる」と。
 教育の根幹が、ここに見事に結晶しております。私たちは、心から賛同と連帯の大拍手をお贈りしたいのであります(大拍手)。
 貴国を蹂躙した日本の非道な軍国主義と戦い、殉じた「創価教育の父」である牧口常三郎先生は、「教育の目的観」の最後の第3段階として、「(指導者層が)社会の民衆を自己生存の手段とするのでなく社会生活の為めに自己の生活を提供して貢献するに至る時代」と展望しておりました。
 まさに、貴学院が仲精神を掲げて切り開いてこられた道と一致しております。

青年の勇気で!
 一、寥承志先生は、青年たちに呼びかけられました。
 「仲間たちよ、手を携えて前進しよう。われわれの前進の途上にはまだ少なからぬ障害と困難が立ちはだかっているが、しかしわれわれは自信をもってそれらを踏み越え、堅い意志をもってそれらを克服していくだろう」(安藤彦太郎監訳『寥承志文集[上]』徳間書店)
 世界を変えるのは、青年の勇気であります。私も妻も、誉れある貴学院の一員とさせていただき、「風雨兼程《けんてい》」(風雨にも突き進む)、そして「薪火相伝《しんかそうでん》」(薪火を相伝す)との気概で、人類史が待望する「民衆奉仕の力ある指導者」群を、滔々たる珠江の流れのごとく、断固として創り起こしていく決心であります。
 貴・広州を中心とする「大珠江デルタ経済圏」の旭日のごとき大躍進は、今、全世界から注目されております。2020年には世界最大の経済圏になるとも予測されております。うれしい限りであります。
 広州に足跡を刻んだ宋の大詩人・蘇東坡《そとうば》は謳いました。
 「夫れ天は日に運《めぐ》るを以て故に健《けん》なり。日月は日に行くを以て故に明《めい》なり。水は日に流るるを以て故に竭《つ》きず」(加藤眞司著「『東坡易傅』に見える君臣觀」、北海道中国哲学会編「中国哲学」第36号所収)
 貴・仲農業工程学院が、栄光輝く「創立100周年」へ、大中国、そして世界の「教育の太陽」「前進の太陽」「勝利の太陽」として、いよいよ赫々たる光を放ちゆかれることを、私たち夫婦は祈念し、確信してやみません。
 結びに、貴学院の諸先生方のますますのご健勝を心からお祈り申し上げ、謝辞といたします。
 謝謝!(中国語で「ありがとうございました!」)(大拍手)


名誉会長 漢詩を贈る

難忘一九七八年
仲墓前獻花鮮
精神永傳農工院
氣風獨領珠江邊

【大意】忘れ難いのは、1978年に、寥仲先生の墓前に鮮花を捧げたことである。仲先生の精神を、長きにわたって伝承する農業工程学院は、珠江《しゅこう》の辺《ほとり》において、その傑出した気風で時代をリードしている。

2009-10-25 : スピーチ・メッセージ等 :
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随筆 人間世紀の光 No.208/9

随筆 人間世紀の光 No.208/9(2009.10.23/24付 聖教新聞)

創価一貫教育の大城㊤㊦

勇気で開け! 君に勝利の使命あり
「何のため」忘れず 挑戦と向上の青春を


 陸続と
  また陸続と
   後継の
  世界に広がる
    栄光 君らよ

 南米ボリビアを代表する師範学校のペレイラ学長は語ってくださった。
 「子どもの幸福を第一に考える牧口常三郎初代会長の教育思想こそ、教育のあるべき姿です。現代の教育者は、創価教育学から学ばなければなりません!」
 明年は、わが創価学会の創立80周年。すなわち、その淵源である『創価教育学体系』の発刊から80周年となる。これまで『創価教育学体系』は英語、スペイン語、イタリア語、ヒンディー語など14言語に翻訳され、各国で大きな反響を呼んできた。
 「人間を根本とする創価教育学は、21世紀の人類に最適の教育学理論である」とは、台湾・中国文化大学の劉焜輝《りゅうこんき》教授の、深い大きな賛同の声である。
 「教育の世紀」の希望を担い立って、海外には、アメリカ創価大学(SUA)が建った。香港、シンガポール、マレーシア、ブラジル、韓国に、夢を育む幼児・児童教育のネットワークも完成した。創価教育を実践する学舎《まなびや》は、今や日本だけでなく地球規模の広がりをもっている。
        ◇
 教育は
  人間世紀の
     根本か
  創価教育
    恩師も賞讃

 「教育こそは、新しい世界を開く鍵である」と、イギリスの大哲学者ラッセルは洞察した。
 自分自身の可能性を開くのも、未来という大海原を開くのも、未知の世界に挑む力を開くのも、みな教育である。
 妙法の「妙」には「開《かい》」──開くという意義がある(御書943㌻)。教育の真髄も、この「開く」力にあるといえまいか。
 御聖訓には、「鳥の卵は初めは水のようなものにすぎないが、その中から誰が手を加えなくても、やがて、くちばしや目が出来上がってきて、ついには大空を飛ぶ鳥となる」(通解、同1443㌻)と仰せである。
 一人ひとりの生命には、自分にしか発揮できない、大いなる才能や個性が厳然と具わっているのである。
 その自らの可能性を最大に引き出し、社会のため、人類のために、尽くしゆく生き方を教えたのが仏法である。仏法そのものが、最高の教育法なのだ。

108人の大樹の誓い
 牧口先生は、「“青は藍より出でて藍より青し”。これが創価教育の特色なんだ」とも力説された。
 この21日、修学旅行で東京を訪れていた、わが関西創価小学校の6年生(27期生)108人から、元気いっぱいの便りが届けられた。
 皆が暗唱するほど胸に刻んだ、尊い宣言文「大樹の誓い」や決意文集、また自分たちが育てた藍で染めた「扇」を、私と妻は微笑みながら嬉しく拝見した。
 この大樹に伸びゆく子どもたちを育まれた、ご父母の皆様、教職員の方々に深く感謝申し上げたい。
 どうか、「努力の人」に! 「希望の人」に! そして「正義の人」に!
 そこに、「出藍の誉れ」の勝利の人生が必ず開かれるのである。
 ともあれ、創価教育は、仏法の人間主義の思想を根底にして、弟子が師匠を、子が親を、学生が教師を、後輩が先輩を超えて、人類の未来に貢献する人材を次々と育み、送り出していくのだ。
 この創価教育の特質を、ここでは、三つの「育成」──「可能性の育成」「心の育成」「世界市民の育成」という次元から考えてみたい。
        ◇
 生き生きと
  価値ある人生
    勝ち取らむ
  英知の博士の
      輝く瞳よ

 第1には、一人ひとりの「可能性」を大きく開き、子どもたちが自ら幸福をつかんでいくことである。
 自らの可能性を開くことは、自分だけではない、自他共の幸福と勝利を開いていく土台となるものだ。
 なぜなら、自己の生命の可能性を信じられなければ、本当に他人を思いやる心は持てない。
 「どうせ自分は駄目だ」と思っていて、どうして他者を励ませるだろうか。
 生命の持つ可能性を開いて、自分に勝っていくことが、「皆が勝利する世界」を築く出発点になるのだ。
        ◇
 偉大なる行動は、偉大なる「誓願」から始まる。
 日蓮大聖人は12歳で修学の道に入り、「日本第一の智者となし給へ」(同888㌻)と誓いを立てられた。そして、その誓願通りに、民衆と社会を救う智者となり、一切衆生の苦悩を救済しゆく大法を究められた。これが日蓮仏法の起点である。
 人間教育の次元においても、誓願に限界はない。誓願そのものが「無限の可能性の卵」といってもよい。
 だからこそ、私は、一人ひとりの持つ「可能性の育成」のため、若き友に「何らかの分野で一番を目指そう」「十年一剣を磨け」と呼びかけてきた。
 大きな目標を立て、それぞれの道で最高峰を目指して努力を重ねていく。
 その労苦のなかでこそ、自らの秘められた可能性が解き放たれていくからだ。
 それは、他人と比較してどうかではない。昨日より今日、今日より明日へと、向上していくことである。
 学園生、創大生たちは、私の思いを受けて、日々、自分自身に挑戦しながら、美事なる日本一の伝統を築き上げてくれた。
 東京校の創価雄弁会は、全国ディベート甲子園で、中高で合わせて十度の日本一になった。「国際化学オリンピック」「国際哲学オリンピアード」などでも、東西両校の高校生が日本代表として大活躍している。
 本年は、関西校の高校箏曲部が文化庁長官賞を受賞し、高校ダンス部は、3度目となる日本一の栄冠を手にした。
 創価大学では、今年、経済学理論同好会が、経済学検定試験の第11回「大学対抗戦」で堂々の4連覇を達成した。柔道部も、パイオニア吹奏楽団も、そして落語研究会等もこれまで、日本一に輝いている。
 明年、開学25周年を迎える創価女子短期大学も、資格試験に強いという伝統を築き上げてくれた。英語能力試験、秘書技能やビジネス文書技能の検定でも最優秀の成績を収めている。先日も、学生エッセイコンテストで「日本一」の嬉しい報告を届けてくれた。
        ◇
 何のため
  忘れず
   君よ 学びゆけ
  偉大な人生
    輝くばかりに

 第2の「心の育成」を願って、私は知性を磨く意義、つまり「何のため」に学ぶかという一点を強調してきた。
 創価大学の開学に際して私が贈った一対のブロンズ像の台座には、こう刻んである。
 「英知を磨くは何のため
 君よ それを忘るるな」
 「労苦と使命の中にのみ
 人生の価値《たから》は生まれる」
 フランスの高名な彫刻家アレクサンドル・ファルギエールの力作の像は、向かって左側が若き希望の印刷工であり、右側が熟練の信念の鍛冶工である。
 苦闘のなかで使命を開く学徒の英姿とも、創価教育を支え護り、期待してくださる方々の象徴とも思い、私は像を仰ぎ見てきた。
 陰で苦労している人の思いを知らなければ、世界の民衆のために尽くしていくことはできない。
 「大学は大学に行けなかった人のためにある」と、私が訴えてきたのも、そのためである。

世界まで 我らの舞台は無限なり
民衆に尽くし 平和に尽くすリーダーが雄飛


 教育の世界は、何にもまして「励ましの心」の世界である。また、そうでなければならない。
 現在、私が対談を進めている中国教育学会会長の顧明遠《こめいえん》先生も、「愛がなければ教育はない」との信念を語ってくださった。「心を育む」ためには、まず、こちらが真心を注いでいくことだ。
 ──ある年の創価学園の卒業式のこと。
 この晴れの日に、どこか寂しそうな顔があった。実は、大学への進学が決まらず、浪人することになったメンバーだった。
 終了後、皆を呼んで、「負けるな!」と固い握手を交わした。力強く握り返してきた手の感触を、私は忘れない。
 また、ある時には、「この1年は、必ず5年にも10年にも匹敵するものになるよ!」と、真剣に励ました。
 長い人生である。勝つこともあれば、負けることもある。将来、勝ち続けていくために、今の悔しい試練もある。これから勝てばよいのだ。
 私は、一人ひとりにサーチライトを当てるように、東京でも関西でも、励ましのエールを送り続けた。
 奮起を誓い、難関大学に合格し、凱旋の報告をしてくれた友もいた。後年、向学の炎を燃やして博士号を取得したメンバーもいる。
 高校に入学して間もなく、お父さんを亡くした学園生かいた。

 美しき
  心と心の
   父子の詩《うた》
  三世に薫らむ
    諸天の守りは

 私は一首を贈り、彼と妹を激励した。今、その彼は、ドイツ国立重イオン研究所で原子核研究の国際プロジェクトをリードし、マインツ大学の教授にも就任している。
 苦労を厭わず、立派な仕事を果たし、創立者に応えたい、お母さんに喜んでもらおうという心が嬉しい。
 今、私が対話を重ねる、アメリカのエマソン協会のサーラ・ワイダー前会長は、創価教育の特徴として「学生たちが常に激励を受けている。それは学生を力づける激励であり、さらなる努力を促す激励である」「そして創価の教育には、感謝の心がある。それは共に学ぶことへの感謝でもある」と論じてくださった。
 感謝といえば、学園や創大を志願してくれた若き友、また受験を勧め、励ましてくれた方々のことが、私と妻の心から離れることはない。
 “皆、学園生、創大生”との思いで、大成長を願い、ご一家の繁栄勝利を祈り続けてきた。これが、私ども夫婦の偽らざる心である。
        ◇
 世界まで
  我らの舞台は
   無限なり
  希望に生きぬけ
    われに勝ちゆけ

 第3の育成は、「世界市民の育成」である。
 それは、いかなる国の人びととも、慢心にも卑屈にもならず、一個の「人間」として、堂々と誠実に交流できる「実力」と人類に貢献しゆく「開かれた心」を持つことだ。
 そのためには、「世界を知る」ことが欠かせない。知らないことが、偏見や先入観を生む。学ぶ勇気が、自分の心を世界に向かって開くことになる。語学力も大切だ。
 ともかく、日本の小さな物差しではなく、地球規模のスケールで考え、手を打っていけるリーダーが躍り出なければならない。
 私が「君たちの舞台は世界だ」と語り、学園生や創大生に、世界の指導者や一流の文化人や芸術と触れ合う機会を数多く作ってきたのも、そのためである。
 現在、ロシア語同時通訳の第一人者として活躍する関西校・創大出身のメンバーは、私が学園のお茶会の席で、「日本は、まだロシア語の通訳が少ない」と語ったことが、通訳を目指すきっかけとなったという。
 そして昭和56年(1981年)5月、私の3度目のソ連(当時)訪問の折には、彼女は学生の代表として共に訪ソし、大いに啓発を受けたようである。
 モスクワ大学への留学が決まった時、私は門出を祝して声をかけた。
 「皆に好かれるようになるんだよ。皆から慕われるようになりなさい」
 その通りに、よき先輩後輩と励まし合いながら、自らが関わった日露双方の方々に親しまれ、慕われながら、平和友好の道を毅然と歩み続けてくれている。
 先月、私は、創価一貫教育の創立者として、韓国の名門・弘益《ホンイク》大学から、栄えある名誉文学博士号を拝受した。あまりにも深きご厚情に、感謝は尽きない。
 この弘益大学とは、既に20年来の交流がある。
 その発端について、大教育者であられる李勉榮《イミョンヨン》理事長が語ってくださった。
 以前、韓国を訪れた数人の創大生が、同大学を訪問した。突然の来訪にもかかわらず、懇談の機会をもってくださったのが、李理事長(当時、総長)であった。創大生は帰国後も丁重な礼状などを送り、友好を深めていったというのである。
 この交流を通して、理事長は「創価大学生の誠実で真面目な態度に感心しました」と大変に喜ばれ、信頼してくださったのである。
 今、先輩たちが築いた伝統を継承し、学園生、創大生たちは、私と同じ思いで、はつらつと人間外交を進めてくれている。頼もしい限りである。
 先日、女子留学生日本語弁論大会(東京西大会)で、韓国出身の創大生が“友情の波を世界に!”と堂々と語り、優勝した。わが留学生の成長と活躍も本当に嬉しい。
        ◇
 偉大なる
  文武の伝統
    受け継ぎし
  創価の王子は
     何と頼もし

 それは、昭和56年の秋11月1日のことである。
 学会本部に掛かってきた一本の電話の声は、喜びに弾んでいた。サッカーの試合を終えたばかりの創価高校の学園生が、会場近くの公衆電話から掛けてきたのであった。
 「東京大会の準決勝に勝ちました。決勝戦はテレビで放映されます!」
 私は、直ちに、この“第一報”を入れてくれた友への伝言を、校長に託した。
 「やったな! 本当におめでとう」
 チームは決勝に勝ち、年明けの全国高校サッカー選手権大会に、学園として初出場。正月2日の初戦にも、美事、勝利を飾ったのである。
 日本中の創価の友が、喜びと誇りに沸き上がった。当時の選手たちも、応援してくれた仲間も、皆、立派なリーダーと育っている。
 たった一通の手紙、報告、一本の電話であっても、学園生、創大生の勝利の報告は、何ものにも勝る喜びである。
        ◇
 インドネシアが誇る不屈の大文豪プラムディヤ先生は、私が対談するワヒド元大統領の親友であられた。その代表作の中で、インドネシア大学の前身に学んだ信念の医学者が、若き学生たちに、民衆のための行動を訴える名場面がある。
 「なにが人間をして崇高たらしめるかといえば、それは一にも二にも良い教育である。良い教育こそが崇高で良い行ないの基礎になる」
 「ひとびとの魂を治癒し、その未来をどう切り拓いていくか、それもまたわれわれの任務でなければならない。教育を受けた諸君がその任務を担わなくていったい誰が担うのか」
 事実、この学府から、近代インドネシアの夜明けを開く勇者たちが澎湃と躍り出たのである。
 この烈々たる勇気と大情熱は、先日、創価大学にお迎えした、インドネシア大学のグミラル学長はじめ、諸先生方に脈打っていることを、私は感銘深く感じ取った。
 「明るい未来を迎えるために闇を突き破るのは、教育を受けた者ひとりひとりの責務である」
 このプラムディヤ先生の信念は、私たち創価教育の決意でもある。

 学びゆけ
  また学びゆけ
   指導者に
  なりゆく君の
    前途のためにと
        ◇
 わが創価の教育機関は、今、次なる峰へ、大きく前進を始めた。
 創価学園では、2011年3月に向け、総合教育棟が建設中である。アメリカ創価大学の講堂と新・教室棟の建設も順調に進み、明年秋の完成へ、建設の槌音を響かせている。さらに、創大の新総合教育棟は、2013年の完成を目指している。
 モスクワ大学のサドーブニチィ総長は、深い信頼を語ってくださった。
 「創価大学をはじめ、創価一貫教育そのものが、人びとに尽くす人材を育んでおられます」
 さらにまた、アメリカ実践哲学協会のマリノフ会長も、「創価一貫教育は、人類にとって最高の啓発を与える崇高な理念の上に構築されています」と讃えておられる。
 創価教育80周年を前に、創価大学、創価学園、アメリカ創価大学など、わが一貫教育の卒業生は世界で約8万人を数える。「八」の文字の如く、未来は洋々と末広がりだ。
 まさに、鳳雛から鳳に成長した創価同窓の弟子たちが、その使命光る翼を世界に開いて、地球を舞台に雄飛する時代が始まったのだ!
 民衆の幸福と勝利の世紀を開くために!
 世界の平和の大道を限りなく開くために!

 いざや征け
  創価の同窓
   悠然と
  白馬にまたがり
    勝利を目指して

 ラッセルの言葉は『教育論』安藤貞雄訳(岩波書店)。プラムディヤの言葉は『プラムディヤ選集6 足跡』押川典昭訳(めこん)、3番目のみ『プラムディヤ選集7 ガラスの家』押川訳(めこん)。
2009-10-24 : 随筆 人間世紀の光 :
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御書と師弟 第29回 妙の三義

池田名誉会長講義 御書と師弟 
              (2009.10.22付 聖教新聞)

第29回 妙の三義

わが生命は偉大なり!
創価学会は仏の大連帯


御聖訓
 「妙と申す事は開と云う事なり」
 「妙とは具の義なり
 具とは円満の義なり」
 「妙とは蘇生の義なり
 蘇生と申すはよみがへる義なり」
      (法華経題目抄、943・944・947㌻)


 人間の生命は、計り知れない不思議な力を持っています。
 仏法は、万人に具わる偉大な仏の力用を引き出す大法です。
 私は広宣流布の闘士として、誰もが持つ生命それ自体の偉大な力を触発し、地球上に幸福と平和の花を咲かせゆくことを願って、行動してきました。

モスクワ講演15年
 35年前の1974年(昭和49年)9月、私が初めてロシア(旧ソ連)を訪問したとき、「宗教否定の国になぜ行くのか」と問われました。私は、「そこには同じ人間がいるからです」と即答しました。
 同じ人間として、わかり合えないはずはない。友情を結べないはずがない。
 これが、仏法の人間主義に生き抜く私の信念であり、結論です。平和への道も、人類の発展も、一切は人間に始まり人間に帰着するからです。
 以来、日ロ友好の橋を大きく結んできた私は、15年前(1994年)の5月には、モスクワ大学で「人間──大いなるコスモス」と題し、2度目の講演を行いました。
 ソ連邦の崩壊(91年)後の激動の社会を毅然とリードされゆくロシアの第一級の学識者や、瞳凛々しき学生たちを前に論じたのが、日蓮大聖人の仏法の「妙の三義」であります。
 この時は、「妙」の一字に込められた哲理を、「規範性」「普遍性」「内発性」という観点から語り、自身の内面の価値に目覚めた人間こそ歴史転換の鍵を握ることを論じました。
 今回は、この「妙の三義」を、私たち信仰者の実践と人生に即し、学んでいきましょう。

「妙とは不可思議」
 この「妙の三義」は、大聖人が「法華経題目抄」で示された甚深の法門に基づきます。
 万人を成仏に導く法華経の題目──南無妙法蓮華経の「妙」の字に込められた功力を、①開く義②具足・円満の義③蘇生の義、という意義に集約なされたものです。
 第一に、大聖人は「妙と申す事は開と云う事なり」(御書943㌻)と仰せである。
 「開く」義とは、法華経こそが諸経の蔵を開く鍵である──すなわち、仏教の大目的である一切衆生の成仏の道を開く唯一の経典であると明かしています。
 妙法には、九界の現実の人間生命に秘められた仏界という胸中の宝蔵を開き、万人の生命に伸び伸びと躍動させていく力があるのです。
 第二に、「妙とは具の義なり具とは円満の義なり」(同944㌻)であります。
 「具足・円満」の義とは、法華経の題目は「根源の一法」であり、あらゆる価値、あらゆる功徳が、完全に収まっていることを明かしています。
 「譬えば大海の一の水に一切の河の水を納め」「秋冬枯れたる草木の春夏《しゅんか》の日に値うて枝葉《しよう》・華菓《けか》・出来するが如し」(同㌻)と仰せのように、「妙」の一字には、あらゆる法と功徳が円満に具わり、漲っている。
 そして第三に、「妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり」(同947㌻)です。
 これは、いかなる衆生をも蘇生させ、成仏させることができるという妙法の無量無辺の功力を説いたものです。
 爾前の経々では、二乗などは、成仏の種を炒ってしまったようなもので、仏になれないと差別されていた。しかし妙法は、権経で「死せる者」とされていた人々の種も蘇らせ、広々と成仏の境涯へ導くことができるのです。
 以上が「妙の三義」の大要です。すなわち、わが胸中の仏の大生命を「開く」。大宇宙に遍満する仏の大生命が、わが一念に「具足」する。そして凡夫の生命を仏の生命へ「蘇生」させる。この妙法の「大良薬」の働きを表しているのです。
 天台大師も、「妙は不可思議に名くるなり」(同400㌻)と述べている。
 私たちが唱える題目の「妙」の一字には、これほど絶大な功徳力があります。
 唱題に励み、広宣流布に進みゆく我らの仏道修行は、まさにこの「妙の三義」を、わが生活・人生の上に晴れ晴れと現じゆく尊極の実践にほかならない。
 ゆえに我らの信仰即人生には、絶対に行き詰まりはありません。どんな境遇にいても、必ず蘇生できる。宇宙の大法則に則り、すべてを円満に調和させながら、無限の活力をもって勝利を開いていけることは、御聖訓に照らし間違いないのです。
 わが師・戸田城聖先生は、病気や経済苦と闘う、草創の関西の同志に師子吼されました。
 「信心をする目的は、みんなが本当に幸福になるためです。我々の生活は、悩みの生活です。貧乏なものは裕福になり、病気の人は病気が治る。一家団欒して、この世を幸福に暮らすことです。そして未来永劫に幸福になるために、信仰するのです」

民衆を救ってこそ

 この恩師の宣言の通り、妙法を持《たも》った友は、病魔を乗り越え、仕事で実証を広げ、一家和楽を実現し、何ものにも崩されない幸福境涯を開いてこられました。
 あの「“まさか”が実現」と言われた「大阪の戦い」も、健気な庶民の人生の勝利劇こそが拡大の推進力となったのです。宿命の嵐に翻弄され、絶望の底にいた庶民に手を差し伸べてきたことこそ、学会の誇りです。
 「妙とは蘇生の義なり」
 創立の父・牧口常三郎先生が拝されていた御書をひもとくと、この一節に傍線が引かれています。
 牧口先生・戸田先生が身読なされた、この御聖訓を抱きしめて、どれほど多くの庶民が立ち上がり、幸福を勝ち取ってきたことでしょうか。まさに、民衆を絶望の淵から蘇生させずにはおかぬ希望の御金言です。
 不幸な民衆を救ってこそ、真の力ある宗教であり、生きた宗教である。学会こそ、「妙の三義」の功徳を体現した金剛不滅の仏の大連帯なのであります。

妙法の力用に包まれた人生
労苦に無駄はない 全部、意味がある


念仏の哀音を破折

 ここで、本抄の時代背景を確認しておきたい。
 この「法華経題目抄」は、文永3年(1266年)の正月、大聖人が安房国(現在の千葉県南部)で認《したた》められました。いまだ念仏に執着を持っていた女性に、力強く法華経の題目の大功力を綴られております。
 「女人は法華経を・はなれて仏になるべからず」(御書948㌻)、「常に南無妙法蓮華経と唱うべし」(同941㌻)と明快に励まされているのです。
 当時、念仏宗では、法華経を捨てよ、閉じよ、閣《さしお》け、抛《なげう》て(捨閉閣抛《しゃへいかくほう》)と説いていた。
 法華経という人間生命の尊厳性を説き切った大法を「捨閉閣抛」することは、実は自分自身の尊極の生命を「捨閉閣抛」することにほかならない。それでは、希望を捨て幸福の道を閉ざしてしまうばかりであります。
 大聖人は、こうした人々の生命力を奪う邪説の哀音を、鋭く破折し抜かれたのです。
 今日の時代相も、同様の風潮が色濃く現れています。
 確かな哲学に目を閉ざし、小さなエゴに閉じこもりがちで、未来への希望が持てない青年も少なくない。人と人が織りなす交流の縁起を断ち切ることは、人生の豊かな宝を自ら「捨閉閣抛」することになってしまう。
 「当世は世みだれて民の力よわ(弱)し」(同1595㌻)と、大聖人は慨嘆なされました。
 生きる活力が弱まれば、新時代を創る息吹も生まれません。
 いうならば、捨閉閣抛の悪弊ともいうべき閉塞感・虚無感を打破しゆく根本のエネルギーこそ、妙法なのです。

社会を変えゆく正義の仏法運動
・開く=開かれた対話
・具足=可能性の信頼
・蘇生=限りない希望


闇を打ち破る宗教
 日蓮仏法は、どこまでも現実変革の宗教です。「妙の三義」に即して言えば、閉ざされた時代の闇を打ち破る宗教である。
 すなわち──
 ①開く=はつらつと社会に飛び込み、人々の心を開きゆく「対話の宗教」です。
 ②円満・具足=万人に具わる尊貴な生命を、共々に輝かせてゆく「信頼の宗教」です。
 ③蘇生=いかなる壁をも打開し、永遠の幸福境涯を生き生きと築いてゆく「希望の宗教」なのです。
 その偉大な実践者が、わが創価の同志の皆様であります。
 人間は、人間の中でしか自分を磨くことはできません。人と交わり、人に学ぶ中でこそ、自分を鍛え、向上していける。
 爽やかに、挨拶の声をかける。友の悩みに耳を傾ける。
 それは、「必ず幸福になる仏の力が、あなたの生命の中に具わっています」との大確信を伝える対話です。
 そして「何があっても、絶対に道は開けます」と勇気と希望を贈る励ましです。
 「自他ともの幸福」を目指して進む、婦人部をはじめ学会の同志こそ、地域・社会における人間交流の太陽なのです。学会ほど、ありがたいところはありません。
 日蓮大聖人は、病気と闘う富木常忍の夫人に対して、「尼ごぜんの御所労の御事我身一身の上とをもひ候へば昼夜に天に申し候なり」(御書978㌻)と仰せになられました。
 この御本仏の大慈大悲に直結し、同志の悩みを我がこととして、真剣に祈り、励まし合う世界が創価学会です。
 何かあれば、すぐに同志が飛んで来てくれる。自分の方が大変であっても、心にかけ、声をかけ、渾身の力で支えてくれる。菩薩の振る舞いです。いな仏そのものの心です。
 インドの名門ヒマーチャル・プラデーシュ大学のシャルマ副総長は語ってくださいました。
 「SGIは、この世界に永遠に続いていくべき団体であると私は信じます。なぜなら、創価の皆さんの世界への貢献は、誠実・希望・慈愛といった人間的な価値を、それを失った人々に蘇らせてくれるからです。破壊のためではなく、建設のためのエネルギーを贈ってくれるからです」
 この秋から始まった「大座談会運動」も、砂漠のような社会に、対話と友情のオアシスを広げゆく、学会の“本流”というべき大前進であります。
 全国の同志、なかんずく地区部長・地区婦人部長の尊い労苦に、私も妻も心から感謝申し上げます。“絶対無事故で健康・長寿たれ”“断じて断じて幸福に”と祈りに祈る日々です。

誠意、誠意、誠意で
 嬉しいことに、各地に新しいリーダーも続々と誕生しています。祈って祈って祈り抜く。走って走って走り抜く。誠意、誠意、誠意を尽くしていく。新しい人材を育て伸ばしながら、新しい広宣流布の拡大を、私と一緒に開こうではありませんか。
 もちろん、長い人生ですから、決して順風満帆な時だけではない。会社の倒産や突然のリストラ、農漁業では凶作や不漁の時もある。さらに病気や災害、不慮の事故など、「もう駄目だ!」と思うような絶体絶命の苦境に直面することもあるかもしれません。
 しかし、妙法は「蘇生」の力です。「苦をば苦とさとり」と仰せのごとく、一切を御本尊に訴え、師子吼の題目を唱え抜いていくならば、わが生命の仏の力用が発動し、断じて勝ち越えていける。それだけの広大無辺の力が妙法には具わっている。宇宙をも包みこむ大境涯を開き、無数の諸天善神を動かせるのです。
 仏法には無駄がない。仏眼・法眼で見れば、信心の途上でぶつかる苦悩や課題は全部、意味がある。祈り、戦い、負けずに進んでいけば、あとで振り返ったとき、一番良い方向に進んでいたことがわかります。
 恩師は私に「大ちゃん、人生は悩まねばならぬ。悩んではじめて、信心もわかる、偉大な人になるのだ」と言われました。
 最強無敵の妙法の利剣を持つ私たちは、不幸を幸福に、宿命を使命に変えることができる。
 「苦しみはどんな苦しみでも、必ずわれわれに益するものである」(北御門二郎訳)とは、大文豪トルストイの至言です。
 どんな苦難でも来い! さあ、宿命転換の時だ。大境涯を開くチャンスだ──そう腹を決めた人は、一切を幸福への原動力に変えていけるのです。
 信心とは、永久に「蘇生」であり、永遠に「復活」の道だからであります。
 戸田先生は青年に語られた。
 「妙法を受持して、絶望の淵から美事に立ち上がって、生きがいをもって蘇生した学会員が、どれほど多くいることか。
 学会は考えれば考えるほど、不思議な団体です。使命を持った教団です。この学会と縁《えにし》を結んだ諸君も、誠に不思議な青年と言わなくてはならない」
 どうか、信心を貫く皆様方の生命そのものが「開く」「円満・具足」「蘇生」という「妙の三義」の当体であることを、強く深く確信して、広宣流布の先頭を進み抜いてください。

「自らの主《あるじ》たれ!」
 戸田先生は「妙法蓮華経とは、宇宙の一切の森羅万象を包含する一大活動なり」と断言されました。
 「妙の三義」とは、この宇宙根源の妙法を持つ人間生命それ自体の偉大さ、無限さを表現した哲理です。
 いわば「わが生命は宇宙大なり!」という大いなる讃歌にほかなりません。
 天文学の分野では、星が何度も生死を繰り返すことによって、生命は生み出された、という洞察があります。
 大海の一滴の水に一切の河の水を納めるように、一個の人間に大宇宙の生命の潮流が流れ込んでいる。私たちの細胞の一つ一つにまで、大宇宙の法則が脈動しているのです。
 15年前、私がモスクワ大学の講演で語った眼目も、「人間は大いなるコスモス(宇宙)である」「人間よ自らの主たれ!」という生命讃嘆のメッセージでありました。
 今、SGIの青年研修で、世界中の若き地涌の指導者が来日しております。
 SGIは、世界の民衆を結び、青年をつなぎ、1千万の人々に生きがいを贈り、社会を「蘇生」させてきました。まさに平和と幸福のシルクロードを広げゆく、21世紀文明の栄光の大行進であります。
 「妙」なる大法を持つ我らの人生は、三世永遠にわたる無限の希望の大航海です。
 妙法を唱え、広宣流布へ逞しく戦えば、「年は・わか(若)うなり福はかさなり候べし」(御書1135㌻)の生命となるのです。
 いよいよ「わたしの創立80周年運動」の幕開けです。
 「八」とは「開く」義である。
 どうか共々に、妙法を唱えに唱え、正義を語りに語り、生まれ変わったような瑞々しい生命で、勝利また勝利の師弟の劇を勝ち開いていきましょう!

 妙法の
  力は宇宙の
   力なば
  何も恐れず
   すべてに勝ち抜け
2009-10-23 : 御書と師弟 :
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国際通信社IPSインタビュー

国際通信社IPS、池田SGI会長にインタビュー
        (2009.10.20/21付 聖教新聞)

今こそ「核のない世界」に近づく時

 このほど、世界150カ国以上にネットワークをもつ国際通信社IPS(インタープレスサービス)が、「今こそ『核のない世界』に近づく時」と題し、池田SGI(創価学会インタナショナル)会長へのインタビュー記事を配信した。インタビューは、SGI会長が先月発表した提言「核兵器廃絶へ民衆の大連帯を」の内容を踏まえつつ、オバマ大統領が議長を務めた9月24日の国連安全保障理事会での「核不拡散と核軍縮に関する首脳級会合」の後に行われたもの。IPS国連総局が発行する「テラヴィヴァ国連」などで掲載されたほか、核軍縮に関わる国際機関でも注目を集め、CTBTO(包括的核実験禁止条約機関)準備委員会の公式ウェブサイトの「日刊ニュース紹介」のコーナーでも紹介された。ここで、英文で掲載されたインタビュー記事の日本語原文を紹介する。

グローバルな民衆の連帯こそ不可能を可能にする原動力

具体的な行動に踏み出す努力を
  ──2009年4月にオバマ大統領がプラハで、「核兵器のない世界」に向けたビジョンを提示しました。その一方、同じ演説の中で、 「核兵器のない世界」が自分たちの生きているうちに達成できるかどうかについての疑念を表明しています。この点について、どのように思われますか?
 池田会長は提言で、世界の民衆が「核兵器の非合法化」を求める意思を明確に表明していくこと、その声を結集して2015年までに「核兵器禁止条約」の基礎となる国際規範を確立することを呼びかけていますね。


 核兵器廃絶に向けて方向転換を行い、本格的に前進できるかどうかという岐路に、私たち人類が立たされている今、問われるべきことは何か──。
 それは、核廃絶が実現可能かどうかといった次元ではなく、私たちが生きるこの時代に「核兵器のない世界」を実現するには具体的にどのような手立てが必要となるかを考えていく点にあります。
 私が今回の提言を通し、広く国際社会、特に保有国をはじめ、核兵器に安全保障を依存する国々の指導者に問いかけたのは、次の一点でした。
 すなわち、核兵器をめぐる現在の状況と、未来の危険性を考慮した上で、核時代に終止符を打つために戦うべき相手は、核兵器でも保有国でも核開発国でもない。真に対決し克服すべきは、自己の欲望のためには相手の殲滅も辞さない「核兵器を容認する思想」だということです。
 私の師である創価学会の戸田城聖第2代会長が、52年前に訴えた「原水爆禁止宣言」の核心の一つも、そこにありました。
 ご指摘の通り、「核兵器のない世界」への挑戦の先頭に立つと表明したオバマ大統領が、その半面で、“自分の生きているうちに、その実現は難しいかもしれない”との留保を示したわけですが、保有国はもとより、すべての国の指導者たちが責任を共有して具体的な行動を起こすこと、そして何より、グローバルな民衆の連帯が指導者たちの行動をどこまでも後押ししていくことで、「不可能は不可能でなくなる」と私は確信しています。
 その意味でも、2015年までの5年間、特にNPT(核拡散防止条約)の再検討会議が行われる2010年5月までの間が、正念場となるでしょう。「核兵器のない世界」への橋頭堡を築くために、人類共闘の輪を広げることが今、強く求められているのです。

核兵器の禁止へ民衆の包囲網を
  ──今回の提言の中で、「核兵器禁止条約」採択に至るまでの道のりは、軍事安全保障に関する既成概念が障害となって、決して容易なものではないと指摘されています。その上でもなお、人道的な理想が、軍事や利益追求の論理に対して優勢に立つ可能性があると予見しておられるのでしょうか?

 近年、人道的な理想が、軍事上の論理や国益を乗り越える形で、二つの画期的な軍縮条約を生み出しました。一つは、99年3月に発効した「対人地雷禁止条約」であり、もう一つは2008年12月に締結された「クラスター爆弾禁止条約」です。いずれも、NGO(非政府組織)が連合体を形成して国際キャンペーンを行い、軍縮に積極的な国々と協力し、条約成立に大きな役割を果たしたものでした。
 提言で、“非人道的兵器の最たる存在”である核兵器を禁止する条約の基礎となる国際規範の確立を呼びかけましたが、それが一筋縄ではいかないことは承知しています。しかし私は、次の二つの理由から、それは「決して不可能ではない」と強調したいのです。
 第1に、提言でも指摘した通り、「核兵器のない世界」の必要性を訴える声が、核兵器の脅威が拡散し、高まる中での現実主義的な判断として、核保有国の元政府高官の間からも数多くあがっていることです。 私は、こうした現実主義的なアプローチと、従来の平和的・人道的なアプローチという、二つの潮流を協働させることによって、「核兵器のない世界」への突破口を開くチャンスを、必ずや生み出すことができると信じているのです。
 第2に、広島と長崎への原爆投下以来、64年にわたって、どの国も、どの指導者も、核兵器を実際に使用することができなかったように──仮に抑止論的な文脈における威嚇の意味合いは残されていたとしても──軍事的には核兵器は「いくら保有しても、ほぼ使用することができない兵器」としての位置付けが半ば固定化しつつある点です。
 こうした認識は、多かれ少なかれ、保有国の指導者の間で持たれているものではないでしょうか。
 ゆえに、核兵器禁止を現実のものとしていくためには、対人地雷やクラスター爆弾の禁止を実現させた時の取り組みを、はるかに上回る形で国際世論を高め、市民社会の意思を結集し、“核兵器禁止のための民衆の包囲網″を築いていくことが肝要なのです。

「人間の安全保障」の確立へ大幅な軍縮の推進が不可欠

核保有5力国は責任ある行動を
 ──今回の核廃絶提言では、核保有5力国に対し、「核兵器のない世界」のビジョンの共有を宣言するように呼びかけておられます。そのビジョンは、どのようなものになると期待されますか?
 また来年5月のNPT(核拡散防止条約)の再検討会議について、どんな結論が導き出されることを期待されますか?


 ビジョンは、行動を喚起する力になります。ゆえに、核兵器廃絶というビジョンが核保有国であるアメリカによって提示されたことは、画期的なことでした。その上で重要となるのは、アメリカが示したビジョンについて、まずすべての核保有国が真剣に討議し、共有していくことです。ビジョンが共有されてこそ、次なる行動へ具体的なステップに踏み出すための共通の基盤ができるからです。
 このビジョンの共有に関しては、良い兆しが見られるようになっています。9月24日には、国連安保理の核不拡散と核軍縮に関する首脳級会合で、「核兵器のない世界」の実現を目指す決意を表明する決議が採択されました。安保理の決議は、保有5力国のすべてが常任理事国として加わった合意であり、法的拘束力もあり、その意義はきわめて大きいといえます。
 今回の決議を機に、共同作業の一歩を具体的に踏み出すことができれば、核保有5力国は、「核兵器のない世界」の構築という希望ある目標に向かって、世界をリードする役割を果たすことができるでしょう。
 こうしたリーダーシツプを発揮することは、保有5力国のNPTにおける厳粛な義務であり、NPTの枠外にある国々に対しても核軍縮を促し、全面廃棄を促す唯一の方途であることは明白です。
 そして、この責任ある行動から生まれた連帯感は、貧困や気候変動といった、他の地球的問題群に対する取り組みへの勢いをも加速させることにつながるはずです。
 何にもまして、そうした役割が核保有国に求められるのは、核兵器を使用したテロの脅威というものが、現実的な可能性の範疇に入ってきているからです。いうまでもなく、核兵器を用いたテロの脅威に対し、抑止論で対処することは不可能であり、その前提に立った議論は意味をなしません。この新たな脅威に対する最大の防禦は、核兵器を厳正な検証体制のもとで廃絶する以外になく、今、最も憂慮すべきことの一つは、核兵器の入手や技術の漏洩の可能性なのです。
 私は提言で、来年のNPT再検討会議で核保有5力国が合意すべき取り組みとして、以下の3点を提起しました。①核兵器開発のモラトリアム宣言②核能力の透明性の増大③核廃絶にいたる道程で最低限の保有可能数について話し合うフォーラムの設置、です。
 もちろん、これらの措置は、NPT再検討会議よりも前に合意されるのが、より望ましいことは言うまでもありません。とくに、最初の「核兵器開発のモラトリアム宣言」について、保有国が誓約することができれば、核廃絶への重要なステツプになります。地球を何十回も破壊できる能力を維持し、技術開発を通してさらにその能力を精鋭化し増大させるというのは、民衆の目線から見て、決して許されるものではありません。さらにこれが合意されれば、必然的に「包括的核実験禁止条約」や「カットオフ条約(兵器用核分裂性物質生産禁止条約)」の議論にも大きな影響を与えていくに違いないでしょう。

市民社会つなぐ連帯の結び目に
 ──提言の中で、国連に「核廃絶のための有識者パネル」を創設し、核軍縮プロセスにおける市民社会との協働体制を確保するよう呼びかけられています。池田会長は、核軍縮の分野における現在の国連と市民社会の関係を、どう評価されていますか?
 また「核兵器のない世界」を実現していく上で、市民社会が果たす役割──なかでも、SGI(創価学会インタナショナル)が果たすべき役割について、どのような考えをお持ちですか?


 世界の情勢は、国連が設立された当時からは大きく変化しており、最近は、民衆の声をいかに汲み取っていくかが時代の要請となっています。
 これまで国家の専権事項とされてきた軍縮の分野においても、市民社会が持っている専門知識やコミュニケーション能力が本格的に活用されるようになっていけば、必ずや大きな進展がみられるはずです。
 先日もメキシコで国連広報局NGO年次会議が開催されましたが、62回目となる今回、初めて「軍縮」がテーマとして取り上げられたのは、こうした趨勢を象徴するものにほかならず、誠に歓迎すべきことです。
 また近年、「人間の安全保障」の重要性が叫ばれるようになっていることも見逃せません。従来の「国家の安全保障」からは欠落してしまっていた視点、つまり、“政治的判断が人々の生活にどのように影響を及ぼすのか”という視点が、市民社会の側から明快に提供されるようになっています。国家の側も、新たな安全保障のあり方を探り、実現していくパートナーとして、市民社会を受け入れようとする兆しがあり、国連でも同様の動きがみられます。
 私はこれまで、「核兵器廃絶を求める規範の確立」とともに、「民衆の力強い意思の結集」が必要であると訴えてきました。それは、国益が複雑に絡み合い、国家主導では解決が困難といえる課題への挑戦には、市民社会の側に果たすべき大きな役割があると考えているからです。
 ゆえに市民社会の側でも、「自分たちが主体者として時代を変革させる」との強い自覚を持てるような教育や意識啓発の機会を提供していくことが大切になります。さらには、同じ志を持つ人々やNGOがそれぞれ個別に活動を進めるのではなく、連携し合い、市民社会の連帯をより強固なものにしていく必要があるのです。
 私どもには、50年にわたる核廃絶への取り組みの経験があります。これを生かし、これまで以上に市民社会における「エンパワーメント(能力開花)」のための着実な運動を展開しつつ、世界各地で真剣に活動を推進している人々やNGOと協働関係を深めていきたい。
 そして、さまざまな運動のネットワーク化を目指し、その一つの結び目としての役割を果たしたいと決意しています。
2009-10-21 : 提言/寄稿/インタビュー等 :
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池田名誉会長の人物紀行 第9回

池田名誉会長の人物紀行 「歴史の巨人」と語る
             (2009.10.18付 聖教新聞)

第9回 ルネサンスの巨匠 レオナルド・ダ・ビンチ

努力なくして勝利の完成なし

 「汝、奮起せよ!」「精神は鍛錬なしには堕落する」
 ルネサンスの巨人は、そう鼓舞しているようであった。
 1999年の11月3日。創価大学の本部棟に完成した、レオナルド・ダ・ビンチの像と、私は向き合った。
 ブロンズ像の高さは、台座を含め、約4・8メートルにもなる堂々たる偉容である。
 米国の高名な社会活動家ブラスナー博士が寄贈してくださった宝である。彫刻家・平田道則先生の渾身の力作だ。
 真理を射貫く鋭き英知の眼《まなこ》。創造への燃え盛る情熱を象徴する髪と髭。利き手であった左手は羽ペンを持ち、右手のノートに、迸る思念を書き付けようとしている。
 彼は、その生涯において、1万ページともいわれる膨大なノートを書き綴った。
 米ソを結んだ大実業家アーマンド・ハマー博士のオフィスにお招きいただいた際、その人類の至宝であるダ・ビンチのノート(レスター手稿)を拝見した思い出がある。
 「もっと良く知るために」(三神弘彦訳『パリ手稿H』岩波書店)とは、ノートに繰り返し記された彼の求道の真情である。
 絵画、彫刻はもとより、音楽、建築、数学、幾何学、解剖学、生理学、動植物学、天文学、気象学、地質学、地理学、物理学、光学、力学、土木工学等、彼の探究の翼は限りなく広がり続けた。
 「その偉大さの前には、芸術家、科学者、哲学者というように線を引くことが、おそらくは無益であろうと思われる」と、ドイツの大哲学者ヤスパースは感嘆している(カール・ヤスパース著、藤田赤二訳『リオナルド・ダ・ヴィンチ』理想社)
 創立以来、私は「創造的人間の建設こそ、創価大学の使命なり」と訴え続けてきた。その最高最大のモデルこそ、レオナルドに他ならない。
 世界中から来学される知性を、創大生・短大生は、この像の前で歓迎する。人類が共に仰ぐ万能の世界市民が、その光景を見守っているのだ。
      ◇
 「幸運は、みずから努力する人にのみ宿る」(『リオナルド・ダ・ヴィンチ』)──これがレオナルドの信条であった。ゆえに、「他人の労苦で、その身を飾ろうとする」(小野健一他訳『知られざるレオナルド』岩波書店』)人間を軽蔑した。
 そして、「執拗な努力よ。宿命の努力よ」「可愛想に、レオナルドよ、なぜおまえはこんなに苦心するのか」(杉浦明平訳『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 上』岩波文庫)。そう自らに問うほど、奮励努力した。
 現存する彼のデッサン(素描)は、900種ともいわれる。地道な労作業の結晶だ。こうした膨大な努力の蓄積なくして、「モナ・リザ」や「最後の晩餐」は誕生しなかったことを知らねばなるまい。
 レオナルド研究の第一人者であられる裾分一弘博士から、貴重な著書を頂戴した。博士の研究書には、レオナルドが後輩の画家に贈った、アドバイスが記されている。
 「建物の頂上に達するためには、一段一段登ってゆく必要があり、さもないと頂上に達することは出来ない」(『レオナルド・ダ・ヴィンチ』中央公論美術出版)
 忍耐こそ希望の母であり、執念こそ勝利の光である。
 「大なる苦悩なくしては、如何なる完成せる才能もあり得ない」(『リオナルド・ダ・ヴィンチ』)──かつて、私が学生部の英才に託した、レオナルドの結論である。

小宇宙と大宇宙
 レオナルドの労苦の精華に圧倒されたことがある。
 1994年の6月3日。ダ・ビンチが仕えたミラノ公の「スフォルッツア城」を訪れた時のことである。「アッセの間」と呼ばれる部屋一面に描かれた、彼の装飾画をイタリアの友と鑑賞した。
 世界最古の伝統を誇るボローニャ大学の講演で、「レオナルドの眼と人類の議会」を論じた2日後のことである。
 そこには、壁面から天井へと枝を発する大樹が、すさまじい迫力で描かれていた。
 なかんずく、その根っこが圧倒的な活力に充ち満ちて、鮮烈に描かれていた。
 風雨に揺るがぬ大樹には、必ず厳然たる根がある。人が知らないところで、強さの土台が築かれるという生命の奥義に、レオナルドの慧眼は注目していたのであろうか。
 岩盤を深々と引き裂く根から出発して、円柱の如く立ち上る樹幹を走り、天井を覆う枝へと伸びゆくダイナミックな生命力の脈動が、そのまま伝わってくる。
 レオナルドは、地質学等の研究を通して、地球も一つの生命体であると確信していた。肉は土、骨は山脈、血は泉、海の干満は呼吸や脈拍などと、人間の生命と宇宙の活動とを相応させていた。
 「脈は江河に法《のっ》とり骨は玉石に法とり皮肉は地土に法とり」と説く仏法の知見とも、深く一致している。人間の内なる小宇宙と、外なる大宇宙は不離一体なのだ。
 ゆえにレオナルドは、尊き生命の蹂躙を許さなかった。
 「人間の生命を奪うことこそ兇悪この上ないことだ」
 「まことに、生命を尊重しないものは生命に値いしない」(『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 上』)
 彼のノートに記された生命尊厳の叫びである。私は、全同志の代表として、イタリア共和国から功労勲章を拝受した際にも、御礼の中で、この点に言及させていただいた。
 戦時中、レオナルドの名画をナチスの魔手から護り抜いたフランスの美学者ルネ・ユイグ氏は、私との対談の中で語っておられた。
 「『モナ・リザ』の微笑と仏陀の微笑のあいだに、ある種の関係が認められる」
 宇宙の真理を追究したレオナルドと、東洋の哲学との共鳴は、今後、一段と解明されていくテーマであろう。
 「モナ・リザ」については、フランスの文化の闘士アンドレ・マルロー氏とも語り合ったことが懐かしい。
 作家をはじめ多彩な活動で知られる氏は「現代のダ・ビンチ」とも呼ばれた。「モナ・リザ」の日本出展にも多大な尽力をしてくださった。
 語らいでは、「死の超克」そして「永遠なるものへの接近」という氏の芸術観の真髄も話題になった。
 死を見つめ、永遠を見つめる。そこから、いかに生を充実させていくか。その真の道を開いていこうとされたマルロー氏ならではの洞察だ。
 氏とは、「モナ・リザ」の永遠の微笑を生んだルネサンスの精神的豊かさ、さらにそれを絵画として結実したレオナルド自身の永遠なる生命の輝きについても、論じ合った。
 レオナルドは綴った。
 「蓄財の主の名声は消えてしまう。徳の栄誉の方が、財宝のそれよりもいかに偉大であろう。いかに多くの帝王や皇子が、消え去ったことか。彼らの記録は今日に何も遺されていない」「一方金銭的には貧困の中に生き、しかし精神的には豊かな人生を送った者が如何に多くいたことか」(『レオナルド・ダ・ヴィンチ』)
 いささか唐突かもしれないが、心豊かに友を励まし、生老病死の苦悩を打開しゆく創価の母たちは、「永遠の常楽我浄の微笑」を湛えていると、私は宣言したいのだ。
 美の巨匠レオナルドは、若い女性にこう忠告している。
 「君は気付かないのであろうか。青春の輝く美しさは、凝りすぎた装飾のために、かえってその素晴らしさを失ってしまうことに」(高階秀爾監修、後藤淳一訳『レオナルド・ダ・ヴィンチ』創元社)
 「若さ」に勝る美はない。その宝を一段と光り輝かせるものは、内なる生命の太陽である。そう、レオナルドは語りかけているようだ。

生涯、挑戦の人生
 「樹は高ければ高いほど風の通過によって撓《たわ》められる」とレオナルドは達観している(『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 上』)。偉大な人生の常として、彼も嫉妬の誹謗に晒された。だからこそ、正義は力を持ち、賢明であらねばならないと。
 レオナルドのノートには、鍬が地面を掘り起こす図が描かれ、こう添えられている。
 「よこしまな者どもを根こそぎにするために」(『パリ手稿H』)──正義の闘魂が凝結した一言だ。
 さらにノートには、槍を握っている手の図を描いて、「不屈。始める人のことではなく、続ける人のこと」とも綴られている(『パリ手稿H』)
 レオナルドは生涯、挑戦の人生を生き抜いた。
 1973年の5月。私は欧州の青年たちと、レオナルドが最晩年を過ごした「クルーの館」を訪問した。
 亡くなった寝室には、銅板に彼の言葉が刻まれていた。
 「充実した生命は長い
 充実した日々は
 いい眠りを与える
 充実した生命は
 静寂な死を与える」
 わが師匠の戸田先生も、死をよく睡眠に譬えられた。
 ──ぐっすり眠って起きれば、元気が戻る。妙法と共に生きる生命は、ひとたび「方便現涅槃」の姿を示して、また元気に新たな使命と福運の人生を始められるのだ、と。
      ◇
 創大のダ・ビンチ像の設置を、多くの識者が喜ばれた。レオナルドの手記の翻訳でも知られる杉浦明平先生からも祝賀のメッセージを頂いた。
 先生は語っておられた。
 「レオナルドを学べば学ぶほど、人間の無限の可能性に驚きました。『一人の人間がここまでできるのか』と」
 そして、創価の青年に──「自分で考え、自分ですべての責任を持っていただきたい。レオナルドのように、万能の力を身につけていただきたい。その可能性は、だれにもあるのです」と期待を寄せてくださったのである。

逆風を飛翔の力に
 人間が空を飛ぶことを夢見たレオナルドは、鳥の飛翔を鋭く観察し、記している。
 「翼を開いて逆風をそれにとらえ、それによって高く上昇する」(『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 下』)──逆風を飛翔の力に変える。これが、天高く舞いゆく生命の法則だ。
 今、創価大学では、学業をはじめ知性輝く成果を挙げた秀才たちに創大ダ・ビンチ賞が贈られる。経済学検定試験で日本一を勝ち取る学生なども続々、躍り出てきた。21世紀の若きダ・ビンチたちの価値創造の活躍が、私は何よりも楽しみだ。
 ダ・ビンチ像は、きょうも、微動だにせず、俊英たちに期待の眼差しを注いでいる。
 「わたしは世を裨益《ひえき》する(=世のために尽くす)ことに疲れをしらぬ」(『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 上』)
 その魂の声が、私は聞こえてくるような気がする。

 本文中に明記した以外の主な参考文献=久保尋二著『宮廷人レオナルド・ダ・ヴィンチ』平凡社、ケネス・クラーク著、丸山修吉・大河内賢治訳『レオナルド・ダ・ヴィンチ 第2版』法政大学出版局、シャーウィン・B・ヌーランド著、菱川英一訳『レオナルド・ダ・ヴィンチ』岩波書店、瀬木慎一著『レオナルド・ダ・ヴィンチ 伝説と解読』ニュートンプレス、セルジュ・ブランリ著、五十嵐見鳥訳『レオナルド・ダ・ヴィンチ』平凡社、田中英道著『レオナルド・ダ・ヴィンチ』講談社学術文庫、ブルーノ・ナルディーニ著、富永昭訳『レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯』筑摩書房、I ・B・ハート、花田圭介・今井道夫訳『レオナルド・ダ・ヴィンチ小伝』法政大学出版局。『レオナルド・ダ・ウィンチの手記』は現代表記に改めた。
2009-10-18 : 人物紀行「歴史の巨人」と語る :
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随筆 人間世紀の光 No.207

随筆 人間世紀の光 No.207(2009.10.17付 聖教新聞)

哲学の光 求道の炎

人間主義の真髄を学ぶ誇り
陰徳陽報──労苦は必ず幸福勝利の花に


太陽よ昇れ! 日蓮仏法を人類は渇仰
伝統の教学試験“師弟直結”の行学で勇み立て!


 大聖人
  我らを見つめて
    全世界
  三世の果てまで
    広布に走れと

 それは、1998年(平成10年)の11月29日のことであった。
 インドの大哲学者チャンドラ博士の目が光った。
 「日蓮大聖人は、人類の将来にとって、実に重要な思想を遺されました」
 博士は、あのマハトマ・ガンジーにとっても、大聖人は「師(グル)」の存在であったと言われた。
 「末法に入って甘露とは南無妙法蓮華経なり」(御書832㌻)──妙法こそ、大聖人が遺された、人類の苦悩を癒す「甘露」(不死の妙薬)である。
 席上、私たちは、御書や法華経を拝しながら、仏法の人間主義が21世紀の平和に果たす、重大な役割を語り合ったのである。
 あれから11星霜──。本年の11月29日には、全国で「教学部初級試験」と「青年部教学試験3級」が行われる。
 人類の”希望の太陽”であり、“精神の至宝”である日蓮仏法の哲理を、徹底的かつ体系的に研鑽する。その貴重な機会こそ、学会伝統の教学試験である。
        ◇
 チャンドラ博士は、会心の笑みで、「仏法西還」の喜びを語っておられた。
 仏教誕生の地インドでは、今や創価のスクラムは3万5千人以上に発展し、本年1月にも約6400人が任用試験に臨んだ。
 大聖人が、「月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり」(同588~9㌻)と展望された「仏法西還」は、まさに現実となった。
 「今こそ、人類には、平和、人間主義、互恵といった精神的な価値、哲学が必要です。その人類の求めに応じようとしているのが、まさに創価学会、SGI(創価学会インタナショナル)だと思います」
 ウクライナを代表する教育者である、国立キエフ工科大学のズグロフスキー総長は語ってくださった。
 総長は重ねて、創価の思想への共鳴を強調された。「この『人間主義の仏法』が、将来、人類の基本的な理念となり、すべての人類から受け入れられる教えとなることを確信します」
 小さな一宗一派の次元ではない。人類を普く照らす太陽の如く、大聖人直結の創価の大仏法は、世界宗教の大光を放っているのだ。
 「メキシコに行った夢を見たよ。皆、待っていてくれた……」
 恩師・戸田先生は、ご逝去の直前、そう言われ、眼に浮かぶメキシコの情景を私に伝えてくださった。
 そのロマンの地メキシコでも、青年部が「生死一大事血脈抄」を学び合い、教学実力試験を開催するまでに成長している。
 多文化の国アメリカでは、3万人が教学の実力テストに挑戦。試験には8言語が使用されている。
 さらに、アフリカのザンビアでも、教学試験を定期的に開催しながら、喜々として「宗教の五綱」などを学び合っている。誠に嬉しく、また誇らしいことに、世界中に仏法研鑽の求道の波動が広がっているのだ。
        ◇
 この青春
  また この人生を
   勝ちゆけや
  大聖人の
    哲学かざして

 「皆、緊張してるだろうね。励ましてあげたいな」
 2002年(平成14年)の秋9月、私は、“中級試験”の一会場となっていた創価女子短期大学の教室に向かった。
 会場の外では、白蓮グループの乙女たちが凛々しく受付の役員をしていた。
 「受験しに来たよ!」
 後ろから声をかけると、聡明な乙女は、とっさに笑顔で応じてくれた。
 「受験票はお持ちでしょうか」──当意即妙の応答に、明るい笑いが弾けた。
 皆、健気であった。真剣であった。前日には、受験会場となる教室の机を、役員の女子部の友が一つ一つ丁寧に拭いてくれていたことも、妻は伺っていた。
 教学試験は、信心を錬磨する受験者とともに、試験官や採点者、役員、そして、受験者を支え励ます先輩・同志など、陰で尽力してくださる方々にも、必ず大きな大きな功徳がある。
 「陰徳あれば陽報あり」(同1178㌻)である。
 教学試験に取り組む全同志が、未来永遠にわたる「幸福勝利」の大哲学者、大教育者、大指導者となりゆく種を蒔いているのだ。
        ◇
 会場の教室は、開始直前の追い込みで静寂そのものであった。
 驚かせて申し訳ないと思いつつ、一言、挨拶した。
 受験者は、第二総東京の稲城の方々で、ブロック長・ブロック担当員(現在の白ゆり長)をはじめ、第一線のリーダーが多かった。
 真剣な研鑽の姿が、神々しかった。学者でも、僧侶でもない庶民が、多事多端の社会生活のなかで、懸命に最極の大仏法を学んでいく。試験の合否を超えて、この求道の炎の姿そのものが、どれほど尊いか。
 励ましの思いを込めて、私は受験者に申し上げた。
 「どうか自信をもって、試験に臨んでください。教学を学ぶ場に、ここに集ったこと自体が勝利です。歴史です。生涯にわたる、自分自身の大いなる信心の原動力になるのです」
 「大事なのは、題目をあげることです。行学の二道に励んだ皆様を、誰よりも大聖人がほめてくださることは間違いありません」
 嬉しいことに、皆、元気いっぱい、試験にチャレンジしてくださったようだ。
 ──この日を契機に、本格的に学会活動に励むようになった若き友がいた。
 受験の後、信心の確信を胸に、敢然と重い病を乗り越え、白樺会の一員として人びとに尽くしゆく、偉大な創価の母もおられた。
 この時、学んだ「行学の二道」に徹し抜き、不況のなか、社会で信頼を広げる、巌のごとき黄金柱の壮年もいた。
 あまりにも尊い。
 御書を人生の根本に、社会で実証を示す「実践の教学」こそが、創価の魂だからである。
 私は「若き日の日記」に決意を込めて記した。
 「いかに幹部たりとも、真剣に勉強せねば、どんどん後輩に抜かれてしまう」
 「『行学の二道をはげみ候べし』(御書1361㌻)とは、万人等しくいいわたされた、大聖人の御聖訓である。一人として、別人はなきはずだ」
 この求道心を忘れるところに、慢心が忍び寄る。
 昭和48年の秋のことだ。教学試験を目前に控え、私は、「教学試験と共に自己の建設」と題して、わが聖教新聞の社説を綴った。
 「菊と思索と英知の11月。いよいよ学会伝統の教学試験が行われる」
 記者たちが見守る前で、私は、魂を注ぎ込むように民衆に開かれた学会教学の誇りを口述していった。
 「……この生命哲学の求道の階層は、幾十万の青年や、学生にも、婦人にも、老齢者にまで広がり、喜々として真剣に研さんしている姿に、心ある人は刮目するに違いない」
 教学は、一部の聖職者の特権などでは、断じてない。「皆成仏道」の法華経の極理に照らしても、万人に開かれ、万人が喜び勇んで学べるからこそ、真の民衆仏法の教学なのである。
 それは、「価値創造の生活法」として、「人間革命の哲学」として、さらに「絶対勝利の兵法」として、各人の人生に烈々と脈打っていくのだ。
 大文豪トルストイが記した箴言に、こうあった。
 「正しき思想がないあいだは、正しき行動はあり得ない。正しき思想があるときには、正しき行動は、最早自ら、その思想の中から流れ出て来るであろう」
 深く納得できる言葉だ。
 7年前、私が訪れた教学試験の会場を辞そうとした時、役員をしていた日野池田総区(現在の新立川総区、多摩池田総区)の白蓮グループの乙女たちが高らかに宣言してくれた。
 「先生、折伏を頑張ります!」
 その言葉通り、彼女たちは、勇気と誠実の語らいを広げ、後日、日本一の折伏の実践で、弟子の実証を示してくれた。その報告に、妻は涙していた。

 御書のまま
  拝し動かむ
    清らかに
  三世の幸の
    今日の修行と

 戸田先生は、常に教学根本の師匠であられた。
 いかなる時も、先生の指導は、御書という泉から滾々と湧き出るのであった。
 だからこそ、創価の未来を担う青年部には、厳しく言われた。
 「願わくは、諸君は教学に、信心に、自己の鍛錬に、いっそう励んでいただきたい」
 「女子部は教学で立ちなさい。そうすれば、どんな問題が起ころうとも、決して紛動されることはない」
 私も、青春時代、師のもとで研鑽し抜いた「師弟の教学」が、すべての実践の根幹となっている。
 師は、折あるごとに、私に御書を打ち込まれた。
 昭和26年の5月、第2代会長に就任なされたばかりの先生が、大確信の講義をしてくださったのが、「佐渡御書」であった。
 200回にも及ぶ、有名な戸田先生の一般講義(金曜講義)では、会場となった豊島公会堂の舞台の袖から、拝聴させていただいたことも最高に懐かしい。
 体調が優れないなか、先生の御書講義の師子吼に奮い立って、五体に勇気を漲らせた日もある。
 師から受けた、大聖人直結の正しい「師弟の教学」があったからこそ、私は、勝利を開くことができた。
 教学において、己義ほど恐ろしいものはない。それゆえ、正しき師弟が何よりも大切である。広宣流布の師弟の道を踏み外す邪義の輩に対しては、徹底して破折していかねばならない。
 「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」(御書1618㌻)と仰せの通りである。
 今、私は、師から受けた薫陶を、世界中の創価の友に、一人ももれなく伝え残したい一心である。
 「御書と師弟」を綴る時、先生の大確信の音声が鮮やかに蘇る。
 「勝利の経典『御書』に学ぶ」を記す時、恩師の慈悲に満ちた一言一言が、深く心に響き渡る。
 私は、創立80周年に向けて、これからも、書きに書きまくる決意である。
        ◇
 偉大なる
  文化と哲学
    胸にもち
  幸福道の
    君よ先駆と

 「大座談会運動」がたけなわである。
 この場で、私たちは、『大白蓮華』に掲載されている座談会拝読御書を学ぶ。今月は信・行・学の永遠の軌道を示された「諸法実相抄」の有名な御文である。
 「……行学た(絶)へなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかた(談)らせ給うべし」(同1361㌻)
 妙法を朗々と唱える生命に、師子王の大力《だいりき》が湧き上がらないはずはない。その信心の喜びを、その思いのたけを、勇敢に、力の限り叫んでいけばよいのだ。
 ともあれ、皆で集い合っては、大聖人の御書を開き、信心の確信を深め、広宣流布と人間革命の決意を新たにする──実は、これこそ、大聖人御在世から変わらぬ「仏道修行の根幹」であるといってよい。
 すなわち、門下に送られた御手紙の文中に、幾度となく御指導されている。
 「此文を心ざしあらん人人は寄合て御覧じ料簡候て心なぐさませ給へ」(同961㌻)
 姉妹のように仲良き二人の女性(国府尼と千日尼)には、こう仰せである。
 「同心なれば此の文を二人して人によませて・きこしめせ」(同1324㌻)
 何人かの同志が集まって、大師匠である蓮祖の御手紙を声を出して拝する。
 御手紙を学び合い、「何があっても師と共に戦おう!」「断じて勝とう!」と励まし合う。
 それは、まさしく今日の「座談会」の光景そのものではないだろうか。御書に示された方程式に完璧に則った、充実と和楽の学会活動なのである。
        ◇

 永遠の
  生命知りたる
   哲学の
  博士の君よ
     万事 勝ちゆけ

 私が対談した、アメリカ実践哲学協会のマリノフ会長は言われた。
 「自己を向上させる仕事に、もうこれでいいという完成はありません」「一瞬一瞬、絶え間のない新たな挑戦が必要なのです」
 常に、心新しき挑戦だ!
 常に、前へ前へ前進だ!
 脳研究の成果によれば、難しい課題を学び続ける脳では、神経細胞(ニューロン)が活発にネットワークを形成し、生き残りやすいことがわかっている。
 大人になっても懸命に学びの努力を止めないことは、新しい脳細胞が生き残り、脳が生き生きと鍛えられる可能性を高めるといえようか。
 いわんや私たちは、生老病死を常楽我浄へと転じゆく仏法を、日々、学び、実践している。
 ここにこそ、最高に若々しく、使命の人生を飾りゆく健康長寿の道があるといってよい。
        ◇
 嵐にも
  また怒濤にも
     哲学の
  大英雄の
    旗を振りゆけ

 弘安2年(1279年)の10月17日は、新暦では730年前の11月29日となる。
 この日、「熱原の法難」の真っ只中で、日蓮大聖人は電光石火、「聖人等御返事」を門下のために認《したた》められた。
 「各にはおづる事なかれ、つよりもてゆかば定めて子細いできぬとおぼふるなり」(御書1455㌻)
 弟子よ、恐れるな!
 師子の子よ、断じて一歩も退くな!
 いよいよ強く進んでいくならば、必ず意味深き現証が現れる!
 猛然と進むことである。
 堂々と叫ぶことである。
        ◇
 すさまじき
   求道の友
    立ち上がり
  尊き同志の
   功徳は永遠にと

 先日、創価学会インドネシアの代表が来日してくださった。御聖訓の通りに、いかなる苦難も断固として勝ち越えてきた誉れの同志である。
 私は、インドネシア大学からの「名誉哲学・平和博士」の栄誉を、この同志とご一緒に拝受させていただいた。いじらしき友に捧げゆく思いであった。
 哲人指導者ワヒド元大統領と私は、インドネシア最高峰の文豪プラムディヤ先生の人生と文学をめぐっても、語り合った。
 先生は獄中で創作した作品で綴られている。
 「困難は己を弱くするのではなく、逆に強くするものである」
 「人間はどんなつらい苦しみにも立ち向かうことができる。そして苦しみは乗り越えたとたんにその深刻な顔などどこかへ消し飛び、むしろ滑稽な笑い話にさえ思えるものである」
 真正の哲学は、人間を最も強く、最も明るくする。
 妙法に生き抜く人生は、「冬は必ず春となる」(御書1253㌻)という究極の希望の大法則を、一年また一年、晴れ晴れと証明しゆく「勝利」の春夏秋冬となるのだ。
        ◇
 ブラジルの哲人指導者ルイ・バルボーザは叫んだ。
 「社会の中に生きるために、もっとも重要なことは、正義の精神を打ち立てることだ」
 毀誉褒貶の社会に漂う、浅薄な人生は不幸である。自らの胸中に、友の心に、そして社会の核心に正しき生命尊厳の平和哲学を打ち立てることだ。それが、「行学の二道」に生き抜く創価の人生である。
 「教」「機」「時」「国」「教法流布の先後」──いわゆる「宗教の五綱」のうちでも、まず、仏法者は「時」を知ることが肝要である。
 創立80周年へ向かう、栄光輝くこの「時」を大切にしながら、学び抜き、語り抜き、悠然と、また晴れ晴れと、正義の陣列を拡大していこうではないか。

 御聖訓
  胸に抱きて
   一生涯
  広布に戦う
    正義の創価よ

 トルストイの著作からの引用は『トルストイ全集19』所収「大なる罪悪」黒田辰男訳(岩波書店)=現代表記に改めた。プラムディヤは『すべての民族の子』押川典昭訳(めこん)。脳科学の話は『日経サイエンス』本年6月号所収「鍛えるほど頭はよくなる 新生ニューロンを生かすには」ショア著(日経サイエンス社)など参照。
2009-10-17 : 随筆 人間世紀の光 :
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新 あの日あの時 19

新 あの日あの時 19     (2009.10.16付 聖教新聞)

池田先生と北京

友好の大樹は民衆の大地に育つ

五輪のエース
 時が止まったかのような静寂が、ひとりの女性を包んでいた。
 バシッ!
 銃口のかすかな煙が消える。射撃場から、ため息が漏れた。
 2008年(平成20年)8月9日。北京オリンピックの開会式翌日である。中国人民の視線は、女子射撃のエースである杜麗《とれい》に注がれていた。
 焦点は「首金」、すなわち第一号の金メダルを、いったい誰が取るかである。
 4年前のアテネでも、彼女が最初に表彰台の真ん中に立ち、中国のメダルラッシュが始まった。
 しかし──金メダル確実と見られたエアライフルで、まさかの5位に沈む。
 あるコラムニストは即座に記事を書いた。
 「彼女の姿は非常に心が痛むものだった」
 「だが私は、日本の哲人・池田大作の言葉を、彼女に心から贈りたい。『青年は、いかなる困難な環境の中からも立ち上がっていく力を持っているのだ』と」
 5日後、別種目・女子ライフル3姿勢の決勝。表彰台の中央には、薔薇のブーケを天に突き上げ、金メダルを手に笑う杜麗が立っていた。

北京の大学生
 北京で本屋をのぞく。
 文字の国らしく、天井までとどく書棚には、びっしり背表紙が並んでいる。
 池田名誉会長の本はどこですか、とたずねる。店員は「ああ」とうなずき、一直線に連れて行ってくれた。
 儒教の大家であるハーバード大学教授ドゥ・ウェイミンとの対談集『対話の文明』。2007年の「良書100冊」に選ばれた。
 中国を代表する大学で、名誉会長について聞いてみる。
 北京大学の1年生。「心理学の先生が、よく読めと言っています。池田先生の言葉は深さがあります」
 清華大学の大学院1年生。
 「日本の作家ですよね。友だちがすすめてくれ、じっくり読みましたよ」
 北京師範大学の教授。「あの創価大学の創立者? 金庸対談には、本当に感動しましたね」
        ◇
 第5次の訪中をしていた池田名誉会長が、北京大学の貴賓室の門をくぐった。
 窓から「未名湖《みめいこ》」が見える。冬には厚く凍りつき、学生がスケートを楽しむが、今は湖面を渡る風が、しだれ柳の緑を揺らしている。
 1980年(昭和55年)4月22日である。北京大学で初の講演を行う会場だった。
 テーマは「新たな民衆像を求めて」。孔子、司馬遷、魯迅が出てきたかと思うと、トインビー、ユゴーの言葉も自在に操る。スピーチが終了するや、学生の中へ。
 「みんなは、日本のことを勉強しているの?」
 「そうです」と流ちょうな返事。日本語学科の男子学生である。
 「質問を出すよ。かつて日本で『土佐』と呼ばれた地方は、何という県かな」
 互いに目を合わせて考え込む。「四国」「高知県です」
 「じゃあ、日本の古代文学で知っている書物を三つあげてみて」
 すぐさま「万葉集」「源氏物語」「竹取物語」と返ってくる。
 「みんな優秀だ。今度は、日本でお会いしましょう!」
        ◇
 86年、北京大学に留学した学生部員がいた。
 ある日、学内の郵便局で背中に視線を感じた。ちょうど窓口で封筒を差し出そうとした時である。
 「君、ちょっと待ってくれ。その封筒は……」
 手にしていたのは、池田名誉会長宛の手紙である。声をかけてきた中国人学生は、やや興奮している。
 「もしかして、君は池田大作先生を知っているのか」
 「僕は、池田先生の弟子なんだ」
 ぽかんと驚く学生。「いいなあ。うらやましいよ」
 当時、歴史家トインビーとの対談集(中国語版)が北京の書店で売り出され、大人気だった。
        ◇
 北京大学に隣接する創価大学「北京事務所」がオープンしたのは2006年。
 当局の正式な認可を受けて、国外の大学の連絡事務所が設置されたのは、ごくわずかである。

釣魚台《ちょうぎょだい》の国賓館
 1984年(昭和59年)の第6次訪中から、名誉会長の宿舎には、釣魚台の国賓館が用意された。
 「あれほど礼を尽くす人を私は知らない」(中国大使館関係者)
 緑色の制服に身をかため、入り口で直立している衛兵にまで、名誉会長は感謝の揮毫を贈った。
 魔法瓶の湯を入れ替えるため、若い男性が建物の2階へ向かう。天井の高い廊下を動く人影が見える。
 名誉会長だった。つかつかと大股である。すさまじい勢いを発散していた。手には5センチはある分厚い報告書の束。歩きながら、一枚一枚に目を通していた。
 「二ーハオ! ごくろうさま」
 ねぎらいの言葉をかけてくれたが、すぐに手元に視線を戻す。
 ばさっ、ばさっ……。わずかな移動の合間も、書類の束が猛スピードでめくられ、処理されていく。
        ◇
 飛び込み取材を仕掛けてきた新聞記者がいた。
 「日本と中国が交流する上で、大切なことは?」と聞いてくる。
 「民衆です」
 間髪を入れず答える。
 「政治や経済の交流を船にたとえれば、民衆が大海原になります。民衆と民衆の交流があれば、政治と経済の船は前進します」
        ◇
 中国側のスタッフが、池田名誉会長と車に乗って国賓館を出た。
 北京の大通りは人の波である。歩道はおろか、車道にまで人があふれていた。
 先導車がランプを回転させる。かん高い警報音が鳴り、人と車の波が、ぱっと割れた。分刻みのスケジュールを確保するための中国側の配慮だった。
 しかし、名誉会長は、車の窓から左右に目を配り、頭を下げている。小声で「すみません」とつぶやいている。
 車を下りると、先導車の運転手にまで謝意を伝えた。
        ◇
 中日友好協会の会長を務めた孫平化。90年5月の第7次訪中では、江沢民総書記、李鵬首相の会見に、それぞれ同席した。
 前年に天安門事件があり、中国政府は国際社会で孤立していた。世界中のマスコミから警戒され、トップの実像も伝わりにくい。
 しかし、名誉会長は両者との会見で、国家を論じるだけでなく、人柄を表すエピソードや、個人的な思い出にまで突っ込んだ。
 孫平化は舌を巻いた。
 「江沢民総書記も、季題首相も、あそこまで話をされるとは……」

創大への留学
 「日本の小学生が北京に来ているから、行ってみないか?」
 なにげなく友人に掛けられた一声が、董芳勝《とうほうしょう》の転機になった。北京師範大学に学んでいた1991年(平成3年)の9月である。
 名門の北京第一実験小学校。利発そうな児童が、首にそろいの赤いチーフを巻いている。そこを、交流のある関西創価小学校の児童6人が訪れていた。一目で驚く。
 「なんでこんなに自主性があるのか」。エリート小学生に見られるような、教員の顔をうかがうところがない。
 「この子どもたちを育てた学校には、何かがあるにちがいない」。師範大学に行くほどだから、董は教育への関心は高い。その探求心から96年、創価大学へ留学した。
 創価教育の謎を読み解くキーワードは、創立者だった。
 キャンパスにいると、よく分かった。学生に会って激励するだけではない。遠く離れていても、伝言や書籍が届く。1年365日、片時も学生のことを忘れない……。
 董は現在、准教授として創価大学の教壇に立っている。
        ◇
 北京に生まれた李珍《りちん》は、その生い立ちゆえに過酷な娘時代を送った。
 母親が在日華僑だったため、文化大革命で、白眼視される。「日本の特務(スパイ)!」。父親は衆人の前で吊し上げられた。
 ぬぐいがたい人間不信が残る。夢だった大学進学も半ばあきらめた。
 75年4月、両親が奉職していた武漢大学に、ある知らせが届く。
 「日本から立派な人が来る」。母から聞かされ、一緒に出迎えることにした。
 日本と関わって一家が辛酸をなめた経緯があるので、李珍には違和感もあったが、そこに池田名誉会長が現れた。
 中国側が、日本語で童謡を歌う。
 ♪夕焼 小焼の あかとんぼ……
 歌うほどに、心がひとつに溶け合っていく。
 名誉会長は、一人一人に話しかけてくれた。そのたびに、弾けるような笑いが起きた。李珍の目をじっと見て「日本に留学にいらっしゃい。待っているよ」。
 その7年後、李珍は創価大学へ。
 だが、しばらくして父の訃報が届く。文革時代、労働改造農場に連行されても家族を守り抜いてくれた父である。
 悲しみの中で創立者と再び出会ったが涙が止まらない。
 「頑張れ!」。握手した手に、父の温かさがあった。
 その後、彼女は日中を結ぶ映像プロデューサーになり「大地の子」「新シルクロード」などの名番組に携わる。
 映画「故郷の香り」は2003年、日本の東京国際映画祭でグランプリに輝いた。
        ◇
 昨年秋、中国からの創大留学生OB・OGと、中国在住の創大卒業生が、北京で一堂に会した。
 そこには、新中国からの“留学第一号”だった中日友好協会副会長・許金平《きょきんぺい》もいた。同協会もこの開催を喜んでくれた。
 互いに初めて会う者もいたが、どちらも創立者という一点で、旧知の間柄のように語らいが弾む。日本と中国の垣根は悠々と乗り越えられた。
 創価大学が、日本で初めて新中国の正式な留学生を受け入れたのは1975年──明年で35周年を迎える。
2009-10-16 : 新 あの日あの時 :
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忘れ得ぬあの瞬間 第10回

忘れ得ぬあの瞬間
名誉会長と共に80周年へ
    (2009.10.1付 聖教新聞)

第10回 第1回の本部幹部会

 燃え上がるような熱気が、会場に渦巻いていた。
 昭和35年(1960年)5月27日、東京の台東体育館。池田第3代会長が誕生して第1回の本部幹部会である。
 「支部旗は折伏戦の旗印です。よろしく頼みます!」
 「はい! 断じて守り抜きます!」
 緊張した面持ちで壇上の中央に進み出る新支部長。その一人一人に気迫あふれる声をかけ、新会長が直接、支部旗を手に託していく。
 会長就任の5月3日に、全国で23の新支部が誕生。それから約3週間後の本部幹部会で、首都圏の横須賀、新宿、城北、墨田、中野、武蔵野の6人の代表の支部長に支部旗が授与された。
 「戸田先生の7回忌までに、300万世帯の弘教の達成を!」──歴史的な会長就任式で、池田会長は訴えた。恩師の遺訓を断じて実現せんとの誓願の大師子吼に、全同志が奮い立った。
 5月度の折伏成果は、実に4万5千世帯。前月を1万世帯も上回る爆発的な大躍進だった。
 本部幹部会で、池田会長から支部旗を受けた墨田の初代支部長。青年部時代、学会の中で複数の役職を兼務し、両立は無理だと悩んだ。意を決して、部隊長だった池田会長の自宅を訪れた。
 「よく来たね! 一緒に銭湯へ行こう」──湯船につかりながら話に耳を傾け、懇々と励ましてくれた。
 「君も立派な指導者になれる。頑張りなさい。広宣流布は青年部が絶対にやるのです」
 「『無量義は一法より生ず』とある。一法とは南無妙法蓮華経です。真剣に唱題するのです。勇敢に戦うのです」
 不動の原点となった。
 300万世帯達成を担つたのは、戸田第2代会長の下、池田会長が体当たりで育てた若きリーダーたちだった。
        ◇
 続く6月、首都圏の各地で支部幹部会が開催された。
 9日、池田会長は向島・城北・墨田の3支部合同幹部会に出席。富山や愛知からも支部員が参加し、会場に来たバスの数は62台にもなった。
 「無我夢中で、弘教に走りました」。当時、地区部長として奮闘した友は言う。
 「青年部時代、池田先生は激励のため、わが家にも足を運んでくださいました。心から尊敬していた先生が、いよいよ会長になられた。
 皆、歓喜に燃えていました。新しい時代が始まった!
 先生とともに、断じて広宣流布をやるんだ!──と」
 自宅の地区拠点には、いつもにぎやかな青年たちの声が響く。座談会には必ず新来者の姿があった。病気、経済苦、家庭不和……悩みを抱える友を全身全霊で励ました。
 「師弟の誓い」は、「苦悩に沈む人を救うのだ」との大情熱となって燃えた。怒濤の勢いで広がる幾万、幾十万の弘教の一つ一つに、人間革命の偉大なドラマがあった。
 会長就任から1ヵ月。その歓喜は、うねるような熱波となって、全国の津々浦々を包んでいった。
2009-10-13 : 忘れ得ぬあの瞬間 :
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インドネシア大学「名誉哲学・平和博士号」授与式 

インドネシア大学「名誉哲学・平和博士号」授与式         (2009.10.10 創大記念講堂)

 東南アジアが誇る最高峰の名門・インドネシア大学から10日、創価大学創立者の池田SGI(創価学会インタナショナル)会長に「名誉哲学・平和博士号」が贈られた。SGI会長の不屈の平和闘争と、人類を結ぶ対話の軌跡を讃えたもの。授与式は同日午後、東京・八王子市の創大記念講堂で盛大に挙行され、インドネシア大学が海外で行う初の授与式となった。同大学のグミラル学長、プルノモ理事長、ビラン教授会議長および、名誉博士号の授与運営委員会など代表団、アンワル駐日大使はじめ大使館一行が列席。また、中国・天津市の文化広播影視局の金副局長一行、英国の第8代エルギン伯爵(日英修好通商条約の使節団代表)の末裔であるブルース伯爵一行、創価学会インドネシアの代表をはじめ、海外・国内の来賓も祝福を贈った。式典に先立ち、第39回創大祭、第25回白鳥祭記念する「創価栄光の集い」が開催された。

グミラル総長授章の辞

池田博士の生涯の哲学がここに‼
すべては一人の人間革命から
「書く」ことは「生きる」こと
数千の著述で友の心に光を


 本日、創価大学記念講堂での荘厳な学術式典において、私、インドネシア大学学長のグミラル・ルスリワ・ソマントリは、池田大作博士に対し、ここに謹んで、「名誉哲学・平和博士号」を授与いたします(大拍手)。
 池田大作博士の生涯にわたる哲学、人生の主題は、「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」であります。
 池田博士は、卓越した指導者であり、教育者、精力的な文筆家、平和活動の先駆者、そして現代世界を代表する実践的な哲学者の一人であられます。
 作家としては、深遠なる内容に富んだ作品を著し続け、教育、政治、哲学にわたる重厚な著述を通して、輝かしい思想の数々を発表しております。
 それに加えて、文明を発展・促進させ、世界平和を育むために、研究所や文化・教育機関を設立するなど、多くの活動にも取り組まれております。
 池田博士は、数千編にもおよぶ詩文や随筆、平和提言、大学講演、論文などを書き述べておりますが、博士にとっては、書くことはまさに、人間の生そのものと同等の価値を有するものであります。
 そして、著作と思考を通して、できるだけ多くの人に一筋の希望を与え、真実の松明を灯したい、とのお考えなのであります。
 池田博士はまた、優れた教育システムのもととなる、実用主義的な哲学に注目されております。
 博士の実用主義的な哲学においては、理論と実践の関係性が強調されておりますが、それは、導かれた行動の結果を通じて明らかになるように、経験と人間性の密接なつながりを深く反映しているのであります。
 そして、博士は強い決意のもと、普遍的な人間性の価値を創造し、深化するための戦略的な場としての、優れた教育システムのなかで、教育哲学を宣揚しておられます。
 哲学の持つ変革の力に関するこのご構想は、教育、政治、宗教をはじめとするすべての人類文明のプロセス、特に世界平和を推進する過程において、決定的な役割を果たすことができるものといえましょう。博士は、我々の未来は、深い哲学と現実の行動とが合わさって築かれるものであると確信しておられるのであります。
 池田博士は常々、精神性こそが人間の内面を変換する源であり、人間同士の関わり合いに影響を与えるものであるとして、最も重要視しておられます。そして仏法の精神性が、人間の内面の変革を促し、強めることによって、現実の日々の生活における困難に対する創造的、かつ建設的な解答を形成することができると確信されています。宗教とは、真の文化、教育、科学と、恒久平和を育むためには欠かすことができない本質的なものなのです。
 人生とグローバルな問題に対応すべく、池田博士は、仏法の基本的な教義から実用的かつ重要なポイントを的確に捉え、宗教という変革の力、生命の普遍性、社会的な責任、持続可能な発展と開発といった、諸々の価値を開拓してこられたのであります。
 仏法は、その主要なる原理として、生きとし生けるものとの調和や、人間主義のもとに結び合う「人の道」を説いています。
 博士は、公平な経済、戦争から平和への転換、異民族間の協調関係、市民的自由といったことに尽力するとともに、何よりも重要なこととして、教育に力を注ぎ、教育機関の機能強化といった社会変革のための活動に貢献していらっしゃいます。
 創価精神のもと、池田大作博士は経済、平和、異なる人種および国との関係、教育の果たす役割の強化といった分野で社会変革運動に積極的に取り組んでおられるのです。
 「一人の幸せのための教育」をつくりあげ、それをもって平和を守り、強め、支えていかねばならない、とされております。
 平和は、一朝一タで遂げられるものではありません。常に平和を支えゆく、生き生きとした知恵が求められるのです。
 池田博士は、そのことを知悉し、幾多の世界の指導者たちと対話し、永続的な平和が次世代の青年たちの光明となることを願い、知恵という長期的な重要性を待ったエネルギーあふれる遺産をつくっておられる。博士は、これらをもって、人間の文明と平和の推進、そして永遠の真の世界平和実現を目指しておられるのです。
 以上が、池田大作博士に、わがインドネシア大学から、「名誉博士号」を授与する理由であり、これをもって池田博士に対する授章の辞とさせていただきます。
 (日本語で)池田先生、おめでとうございます(大拍手)。

創立者のスピーチ

さあ平和の大航海へ出発
勇気 智慧 勝利を合言葉に


 一、今、私の心に勇壮に響きわたる歌声があります。
 それは、貴大学の愛唱歌の一節です。
 「インドネシア大学は、我らの大学なり。
 ……学生よ、快活なる歓喜の魂よ!
 尊き使命に眼を開き、学業に身を捧げよ!
 ……苦悩する民衆の声に応えるために、我らは魂を燃え立たすのだ」
 なんと崇高な貴大学の精神でありましょうか!(大拍手)

学問の人に!
 一、大学は、学問する人の集まりであり、優秀な人の集まりでなければならない。
 創大生、短大生の皆さんも、徹して勉強するのです。また親孝行するのです。頼むよ
 〈「ハイ」と元気よく返事が〉
 北海道出身の人?
 〈「ハイ」と返事が〉
 九州出身の人?〈同〉
 沖縄出身の人?〈同〉
 インドネシア出身の人?〈同〉
 全国、全世界から集ってきた皆さん、創価大学、女子短大に来てくれて、本当にありがとう!(大拍手)
 一、心から尊敬申し上げるグミラル学長、プルノモ理事長、そして、アンワル大使をはじめ、尊き諸先生方を、私たちは、熱烈に歓迎申し上げようではありませんか!(大拍手)
 ご来賓の先生方も、はるばると遠いところ、錦州の創価大学へ、本当にようこそ、お越し下さいました。ありがとうございます(大拍手)。

「多様性の中の統一」を掲げて
 一、貴インドネシア共和国は、「多様性の中の統一」という人類共生の大哲学を、高らかに掲げておられます。
 その先頭に立つ貴インドネシア大学は、世界のいずこにもまして「開かれた心」が光る、平和創造の大殿堂なのであります(大拍手)。
 何ものにもかえがたい、貴大学からの「名誉哲学・平和博士号」の栄誉を、私は、わが愛する創大生、短大生、さらに大切な大切な留学生の皆さん、そしてインドネシアの敬愛する友人だちとご一緒に拝受させていただくことができました。
 これほどの光栄はございません。心より、厚く厚く御礼を申し上げます(大拍手)。

スマトラ沖地震 被災地の復興を祈念

「現代に甦った哲学者の対話」
 一、きょうの儀式をぜひ、見ていただきたかった方が私の胸の中におります。
 それは、20世紀を代表する大歴史家アーノルド・トインビー博士であります。
 もう40年近く前、私は、招待を受けて、ロンドンの博士のご自宅にうかがいました。
 対談のテーマは、仏法の生命論から、核兵器や環境破壊の問題など多岐にわたり、何度も何度も語り合った。
 後に対談集として出版されました。幸いにして、対談集には、各界から高い評価の声をいただいています。
 創価の英才の皆さん方は、私か命を懸けて切り開いてきた対話の道、友情の道に続いていってください。
 〈トインビー博士との語らいは、1972年(昭和47年)5月から、2年越し40時間に及んだ。
 対談集『21世紀への対話』(英語版は『生への選択』)には、各界から「人類の教科書」「世界の文化の道しるべ」「喧噪と対立の現代によみがえったソクラテスの対話」等の声が寄せられている。現在までに世界28言語で出版されている〉

トインビー博士
貴国の「開かれた心」に期待‼
寛容と調和の希望島


 一、トインビー博士は、訪問した貴国の印象を、深い感慨を込めて私に語ってくださいました。
 また博士は、貴国には、「世界宗教が共存する寛容性」があり、「大自然と調和する文化の創造力」があり、そして、「未来を開く教育への大情熱」があると、鋭く注目されていたのであります。
 さらに博士が、「希望の島」と呼び、大発展を期待されていたのが、貴国のスマトラ島でありました。
 このたびの「スマトラ島沖地震」(9月30日)の甚大な被害に対しまして、この席をお借りし、重ねて、心からお見舞いを申し上げます。
 私たちは、一日も早い復興を、強く深く、お祈り申し上げるものであります。
 〈ここで全員が立ち上がり、被災地の方々に黙祷を捧げた〉

インドネシア大学
民衆奉仕の大指導者を幾十万と


世界市民の哲学
 一、貴大学のモットーは、誠に力強い。
 それは「真理」 「誠実」、そして「正義」であります。
 私は大学の創立者として、多くの大学のモットーを研究してまいりました。
 「真理」「誠実」「正義」──ここにこそ人道の真髄があり、人間性の極意があると共鳴を覚えるのは、私一人ではないでしょう。
 貴大学は160年にわたり、真理の探究を深め、学問の大樹の枝を世界に広げてこられました。
 さらにまた、「民に仕えよう」「民衆に仕えよう」と誠実に行動する人間指導者を、幾十万と育成されております。
 そして、栄光の「独立」と「建国」に尽くされ、正義と勝利の歴史を刻んでこられたのであります。
 この貴大学の気高き伝統に私たちは学びつつ、恒久平和に貢献しゆく「世界市民の実践哲学」を、ここで3点、確認しておきたい。
 それは、第1に「勇気」です。
 第2に「智慧」です。
 そして、第3に「勝利」です。
 第1の「勇気」について、人間の尊厳のために戦った貴国の青年詩人ハイリル・アンワルは叫びました。
 「僕らは勇気凛々だ」「真の幸福へ時代を担うのだ」
 「友よ、友よ、/僕らは起ち上がるのだ、はっきりと/骨にまで徹《とお》る自覚とともに」(舟知恵訳・著『ヌサンタラの夜明け』禰生書房)
 臆病では、何も成し遂げることができない。卑怯な人間は、えてして悪いことさえするものです。
 きょうお迎え申し上げた各界を代表する先生方も、激動の時代を勇気で勝ち開いてこられた大英雄の皆様であります(大拍手)。
 ともあれ、こうした素晴らしい世界の詩の数々を、私は、青春時代から暗記しておりました。
 折々に、自作の詩とともに、師匠の戸田先生に朗読してお聞かせしました。
 自身のことになって誠に申し訳ありませんが、これまで私は、「桂冠詩人」「世界桂冠詩人」、そして「世界民衆詩人」の称号という、三つの栄誉をいただいております(大拍手)。

「あらゆるものを吸収せよ」
 一、「平和の哲学」の第2は、「智慧」であります。
 貴国の大文豪プラムディヤ先生は、私たちは、この地球上のすべての民族から学ぶべきだと述べておられました。
 また、次のように綴っておられます。
 「無限にひろがる新しい知識を獲得せよ。そして、過去、現在、未来と、この人間の大地からあらゆるものを吸収するのだ」(押川典昭訳『プラムディヤ選集3 人間の大地(下)』めこん)
 まったく同感です。
 若き日、貴国に脈打つ、この「開かれた向学の心」を知り、わが胸が熱く熱く燃え上がったことは、今でも忘れられません。
 私は、この心で世界の知性と数多く対話し、学び合い、新たな価値創造の智慧を磨いてまいりました。
 学び続ける限り、行き詰まりはありません。学生の皆さんも、徹して学ぼう!〈「ハイ!」と元気な返事〉

現代インドネシア語の父
生きるとは闘うことだ
突き落とされても より強く立ち上がれ


親孝行の人生を
 一、「平和の哲学」の第3は、「勝利」であります。
 「現代インドネシア語の父」である、貴大学ゆかりのアリシャバナ先生は「生きる、それは闘争だ」と宣言された(舟知恵訳・著『アミル・ハムザ 全作品と生涯』禰生書房)
 さらに「私はすでに決めている、勝利は私に必ずあるということを」「困難に直面していることがはっきりと分かる平野に立たされていても、わたしは絶対に負かされることはないのだ。突き落とされても、より強く立ち上がるからだ」と。
 正義の使命の人生は、断じて勝たねばならないということを、皆さんに訴えておきたい。勝だなければ、民衆を幸福にはできないからです。
 「人生の勝利」ということは、たとえば「親孝行をする」ことです。就職に際しても、結婚に際しても、母を、そして父を安心させる自分自身をつくりあげていただきたい。
 また、きょう、家に帰ったら、玄関に散らばっている靴を直す。お母さんの代わりに料理をつくる。なんでもいい。お母さん、お父さんを喜ばせてあげてほしい。「ああ、いい子に育ってくれたな」と思えるようにしてあげなければ、親はかわいそうだ。これまで、なかなか親孝行できなかった人は、きょうから変わろう。「さすが創価だ」と言われる一人一人になっていただきたい。

青春万歳! 使命の大道を征け
学べ!学べ‼ 智慧は幸福の根源の力


「私は生きている そして勝つのだ」
 一、私たちも交流を結ばせていただいた、貴国の不屈の詩人レンドラ先生は、若き日、正義のゆえに弾圧された。その過酷な獄中でも、「わたしは生きている。そして勝つのだ」と叫ばれた。
 偉大な人間、強い人間、正しい人間は、たとえどんな場所であっても、獅子吼するものです。
 このレンドラ先生も譬えておられるように、勇気は青空であり、智慧は太陽なのであります。
 日本の国家主義と戦い、平和と文化と教育の闘争を貫き通してきた、創価の三代の師弟も、貴国の恐れなき賢人たちと、同じ精神でありました。
 若き君たちも、「勇気」と「智慧」、そして「勝利」を合言葉にして、この使命の大道に誇り高く続いてください。
 知識は、究極的には、智慧をわきたたせるための手段である。
 智慧が「幸福」を生む。智慧こそ「人を救う力」であり、人が生きていくための根源の魂である。
 若い皆さんには、少しわかりにくいかもしれない。しかしこれからの人生のなかで、だんだんわかってくると私は確信しています。
 今はどんな立場であろうとも、それぞれの使命の道を自分で見つめながら、悠然と青春時代を生き抜いてください。
 皆さん方に、「青春万歳!」と申し上げたい。〈全員で万歳三唱を行った〉

俺たちは誓った
 一、いにしえより、貴国の勇者は、大海原へ打って出て、世界を結んできました。大勢の青年が活躍したことでしょう。
 勇敢なる船乗りたちの心意気を、貴大学の誉れの大詩人サパルディ・ジョコ・ダモノ先生は声高らかに謳いました。
 「俺たちは歴史に誓った
 決して運命に翻弄されるままにはなるまいと
 俺たちは海また海の果しない海原を越えてきたのではなかったか」
 「何故なら歴史の中核は俺たちだからだ」(印堂哲郎編・訳『サパルディ・ジョコ・ダモノ詩集』土曜美術社)
 貴国の先人たちは、限りない海原にわが航跡を残そうと、挑んでいかれたのです。
 諸君もまた、尊敬申し上げる先生方とご一緒に、青年と青年、生命と生命、文明と文明を結ぶ、壮大な“平和の大航海”へと船出する準備をしてください。
 このなかには、いよいよ来年、卒業するメンバーもいる。悠々と人生を歩んで、前へ進んでほしい。悠々と、勇気をもって!
 そして、いかなる荒波、嵐にも、勇敢に朗らかに勝ち進んでいくのだ。
 「お金」があるから勝てるのではない。根本は自分自身の「心」です。お金をもっていても不幸な人は少なくないからだ。
 皆さんは、友と友の間で誓い合って、いい青春時代を、しっかりと残していただきたい。このことを心からお願い申し上げて、私の御礼のスピーチといたします。
 人類の宝である貴大学に永遠の栄光あれ!
 偉大なる貴国に無窮の繁栄あれ!
 テリマカシー!(インドネシア語で「ありがとうございました」)(大拍手)
2009-10-13 : スピーチ・メッセージ等 :
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シルバ・エ・ソウザ統合大学「名誉建築学・都市工学博士号」授与式

ブラジル シルバ・エ・ソウザ統合大学「名誉建築学・都市工学博士号」授与式
                (2009.9.28 リオデジャネイロ市内)

 南米初のオリンピック開催地に決定したブラジル・リオデジャネイロ。この地に立つ建築大学「シルバ・エ・ソウザ統合大学」から、「平和の建設者」としての行動を讃え、池田SGI(創価学会インタナショナル)会長に「名誉建築学・都市工学博士号」が贈られた。授与式は9月28日(現地時間)、リオデジャネイロ市内で挙行され、オリベイラ学長からSGI訪問団に名誉学位記が託された。

天文学者モウラン博士の祝辞

博士の勇猛果敢な歩みは永遠の青春のごとき勢い

 私にとって、池田大作博士について語らせていただくことは最高の喜びであり、大いなる栄誉であります。
 池田博士は、何よりも平和主義者であります。戦争や暴力、あらゆる野蛮な行為を許しません。そのために、たゆみない
激闘に身を置かれている方であり、それは師匠・戸田城聖第2代会長と初めて出会った1947年から一貫されていることです。
 戸田会長のあとを継がれ、平和・文化・教育への道を今日まで歩み抜かれております。19歳より開始された勇猛果敢な歩みは、現在81歳に至るまで、永遠の青春のごとき勢いで、いや増して続けられています。
 池田博士の壮大な人生において築かれたものは、学校、大学、美術館、音楽協会、各分野の研究所、膨大な著書、さらに各界で活躍する著名な識者との対話に及びます。
 アーノルド・トインビーをはじめごライナス・ポーリング、アウレリオ・ペッチェイ、アウストレジェジロ・デ・アタイデ等、知識人との対話はすべて豊かな思想の詰まった一冊の書に収まっており、より良き地球社会の構築に多大な貢献を果たしゆくことは間違いありません。この方々に比べればまったく無名であるにも関わらず、私との対談集『天文学と仏法を語る』を編んでいただき、日本で発刊されました。ここブラジルでの発刊を楽しみにしています。
 多くの栄誉を受けるに余りある池田博士に、またさらにシルバ・エ・ソウザ統合大学から「名誉建築学・都市工学博士号」が贈られたことに対し、貴大学の先取性に心よりお祝いを申し上げます。
 教育の分野を取り上げれば、池田博士は創価教育のネットワークを築かれ、日本やアメリカの創価大学とともに、ブラジルのサンパウロにも学園を創られています。
 私は、日本で創価学園や創価大学を訪問する機会を得ました。そこで強く実感したことは、創価文化には「他者を敬う」という崇高な理念に基づく価値が深く根ざしていることでした。
 この価値は、創価文化の中で強く深く大切にされているものです。エゴイズムを打ち砕き、人類の教育史を塗り替えるほどの力があります。またこれは、一人一人に内在する価値を引き出し、その最高無比の価値をどこまでも創造してゆくものです。
 わが同志である池田博士に対し、これ以上申すべきことはありません。博士自身の戦いが物語っているように、「武器による革命」ではなく、「偉大なる人間革命」こそが、21世紀を生命の世紀へと変革するのです。
 最後に、池田博士が困難に立ち向かった際に叫ばれたという、“究極の楽観主義の言葉”をもって祝辞とさせていただきます。
 「闇が深ければ深いほど、暁は近い」──私もこの言葉を信じております。
 池田博士、おめでとうございます。またシルバ・エ・ソウザ統合大学、おめでとうございます。

ブラジル哲学アカデミー モデルノ総裁の祝辞

 池田博士のスケールを考えれば、まだまだ多くの学術機関から名誉称号が贈られることは間違いありません。池田博士を直接知り得る機会があった私たちは、ますます対話を広げ、博士の思想をそうした学術機関に広めゆく一助をなしていきたいと考えています。
 私自身、池田博士と対談した際、まさに博士ご自身が哲学そのものであると実感し、東洋と西洋の哲学の対話をさらに交わしていきたいと心から切望しています。
 混乱の広がる現代の国際社会において、池田博士の思想、SGIの行動を世界が必要としていることは言を待ちません。
 生命の尊厳、人権を最大に擁護していくならば、思想の壁、哲学の壁、イデオロギーの壁はありえないからです。
 生命の尊厳、人権の対話から始まるならば、一個人でも国家間でも、普遍的な価値は守られていくはずであります。
 逆説的に言えば、生命の尊厳のないところに、対話はありえないとも言えるのです。そうした状況では、恒久平和も実現しません。
 池田博士の思想と行動は、普遍的であり、すべてを包み込んでいます。そのメッセージには、すべての人を結びつける力があります。だからこそ、その思想が流れるSGI運動を必要としているのです。そこにはいかなる障壁も差別もありません。いわば宇宙大に広がっているのです。
 そうした意味からも、池田博士の思想に共感する私たち一人一人は、創価の一員と言えるのだと確信しています。

リオデジャネイロ州立大学 ペレイラ総長室長(総長代理)の祝辞

 本日は、シルバ・エ・ソウザ統合大学より池田博士への名誉博士号の授与式が執り行われ、日本とブラジルの学術面での関係がますます深まりましたことを心よりお慶び申し上げます。
 私自身、人生において深く心に刻まれた出来事は、日本で池田博士並びにご家族の皆様と直接お会いし、貴大学と同様にリオ州立大学としても池田博士に名誉博士号を授与する機会に恵まれたことです。
 平和のために多大な貢献を果たされている人物をこのように顕彰することは大変に栄誉であります。モウラン博士も申されましたが、池田博士は誠実さで対話を築いていかれる、世界においても稀有な人物であります。博士は、20世紀から21世紀へと平和と調和の地平を開かれました。
 歴史的にも、私たちブラジルの民衆は、常に日本人から多くの事を学んでまいりました。私たちは池田博士への最大の敬意とともにさらなるブラジル社会の発展のためにその思想と行動を学んで事いりたいと思います。

池田会長の謝辞(代読)

教育は「生命の内なる革命」
アタイデ総裁
「困難を乗り越える土台をつくれ」


「世界遺産」築いた師弟のドラマ
後継者なくして発展なし
ニーマイヤー
“不公平な世界の変革へ”


 一、ただ今、私は、ブラジルの建築教育の先駆を切る貴大学より、最高に栄えある称号を拝受いたしました。
 貴大学が、建築・都市工学の最高学府として、どれほど多くの逸材を育成してこられたか。その貴大学より賜る栄誉が、どれほど意義深きものか。
 私は満腔の敬意と感謝を表するものであります。
 模範の良き市民として、地域社会の繁栄と世界平和の建設に貢献しゆく、わがブラジルSGIの友をはじめ、世界192力国・地域の尊き友を代表して、謹んで、お受けさせていただきます(大拍手)。

恩師が憧れたブラジルの天地
 一、今、私の脳裏には、43年前の情景がありありと浮かんできます。それは1966年(昭和41年)の3月、念願叶って、美しきリオデジャネイロの天地に初訪問を果たした時のことであります。
 草創のブラジルSGIの友とともに、コルコバードの丘に登り、はるかに眺望したリオの絶景は、今もって私の胸に光り輝いております。
 白砂の美しきコパカバーナとイパネマの海岸線。躍動する山々の稜線。
 そして、希望に燃え、向上心に満ちたリオっ子の心意気あふれる街の活気──それはまさに、一幅の名画でありました。
 「リオ」とは、「川」を意味するとうかがっております。
 まさしく大小さまざまな川が集まり、やがて悠久の大河となって大海へ注ぐように、世界の多様な民族、思想を受け入れ、調和させながら、寛容なる文明の融合の大海原を開いてこられたのが、リオであります。
 そして、このリオにあって、人類の新たな創造力を生き生きと啓発し、見事に開花させてこられた英知の大殿堂こそ、貴大学なのであります。
 じつは、私の人生の師である戸田城聖先生は、若き日、気宇壮大な貴国への移住を真剣に考えておりました。
 それほどまでに、貴国に心惹かれていたのであります。そして、日本人を大きく受け入れてくださったブラジルの大恩を決して忘れてはならない。ブラジルの開かれた心と共生の智慧、躍動する力から学んでいくことだと、語っていたのであります。
 このたびの貴大学からの無上の栄誉を、わが恩師がいかに喜んでくださるか。諸先生方のご高配に、私はあらためて深謝申し上げるものであります。
 かつて、貴国の近代建築の巨匠ルシオ・コスタ先生は、こう語っておられました。
 「ブラジルは、しかるべき時が到来した際には、必ずや偉大なる役割を果たす。この国の使命は決して平凡ではあるまい」
 今、まさに貴国は、多様な文明を結び、民衆の心を結びゆく、「人種デモクラシー」と「文明間の対話」の先進国として、大いなる躍進を遂げておられます。
 その晴れやかな英姿が、貴国を敬愛する古き友人の一人として、私は、何よりもうれしいのであります。
 この貴国の勝利は、「人間」の勝利であります。
 それは、まさしく、偉大な人間を建設してこられた貴大学をはじめとする、「教育」の勝利に他ならないのであります。

首都移転の挑戦
 一、貴国の発展の歴史に思いを馳せる時、私の胸には、崇高なる“師弟のドラマ”が、深い感動とともに迫ってまいります。
 それは、巨匠コスタ先生と、その愛弟子であり、貴大学を指導してこられた、世界的建築家のオスカー・ニーマイヤー先生が、ともに成し遂げてこられた、人類史に輝く偉業であります。
 今から約半世紀前、現在のブラジリアに首都を移転するという計画が発表され、「50年の進歩を5年で」とのスローガンのもと、新たな都市の建設が始まりました。
 この移転計画は、当初は「無謀である」「不可能である」など、反対の声も多かった。
 しかし、師匠のコス夕先生が、壮大な構想のもと、都市計画のグランドデザインを描かれると、弟子の二ーマイヤー先生が、大統領府や連邦議会の議事堂をはじめ、独創的かつ革新的な公共建築を次々と設計し、建設を進めていった。
 そして、いまや世界遺産にも登録され、「未来の世界の首都」とも讃えられる都市を、師弟の共同作業によって、威風も堂々と完成されたのであります。
 歴史を変える大建設は、先駆者のビジョンと勇気ある行動なくして、始まりません。
 とともに、その事業は、継承しゆく後継者なくして、決して成し遂げられないのであります。
 その意味において、巨匠コスタ先生とニーマイヤー先生の師弟の理念を継承されながら、貴大学は、建築という“母なる芸術”によって、貴国の社会に、新たな価値創造の息吹を吹き込み、“希望の未来”を建設してこられました。
 なかんずく、時代の嵐を勝ち越え、後継の人材を陸続と育成してこられた、オリベイラ学長とダ・コスタ前学長の崇高なる歩みに、私は心からの敬意を表するものであります。

建築は人間の心を映し出す
 一、ニーマイヤー先生は、建築を学ぶ学生たちに、常々、こう語ってこられたと、うかがっております。
 私たちにとって、最も大切なものは、何か──。“建築”は、もちろん大事である。
 しかし「一番大事なのは“人生”であり、“友人”であり、そして“変革すべき不公平な世界”である」と言われるのであります。
 「建築」は人間の心を映し出し、社会の思想や実相を表すものと私は考えております。
 東洋の仏典には“心が清ければ、国土も清い”と説かれております。ゆえに、人間の心が荒廃し、殺伐としていれば、それは、建築や都市の姿にも現れざるを得ません。
 建築学院を自ら創立された英国のチャールズ皇太子を表敬した折、「建築とは本来、宇宙に内在する秩序を反映すべきである」等々の建築観を語り合ったことが思い出されます。
 近代建築の巨匠ル・コルビュジエが、いみじくも語ったように、「人間の基準」に立ち戻ることこそ、これまでの価値観を見直し、偉大な建築を新たに創造しゆくための道でありましょう。
 その人間の心を、陶冶し、輝かせゆくものこそ、真の人間教育であります。
 そして、青年の心に、生命尊厳の思想と、平和と共生の価値観を、深く強く育みゆくものこそ、真の世界市民教育であります。

ともに“人類の未来”の創造を
 一、私が心から尊敬するブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁は、遺言のごとく語っておられました。
 「人を教育するということは、一人ひとりに人生の困難を乗り越えるための土台をつくることです。とともに、人間が他の人と仲良く社会、地域の繁栄を考え、目指し、ともに暮らしていくために教育があるのです」と。
 教育こそは「人生の基盤の建築」です。
 教育こそは「生命の内なる革命」です。
 教育こそは「人類の未来の創造」です。
 本日より、私は、貴大学の栄誉ある一員として、尊敬する先生方と一緒に、人間が人間として人間らしく生きていくことのできる、新たな地球社会の建設のために、いよいよ努力を重ねゆくことを、ここにあらためてお誓い申し上げます。
 最後に、わが愛するブラジル連邦共和国と、貴大学の隆々たる発展と栄光、そして尊敬する先生方の、ますますのご健勝を心よりお祈り申し上げ、私の謝辞とさせていただきます。
 ムイト・オブリガード!(ポルトガル語で「大変にありがとうございました」)(大拍手)
2009-10-13 : スピーチ・メッセージ等 :
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マラニョン公共政策学院「名誉教授」称号授与式

ブラジル マラニョン公共政策学院からの「名誉教授」称号、マラニョン社会経済・地図測量研究所からの「名誉研究員」称号授与式         (2009.9.26 サンパウロ市のブラジル池田文化会館)

 ブラジル・マラニョン州の知性の殿堂から、池田SGI(創価学会インタナショナル)会長に名誉称号が授与された。マラニョン公共政策学院からは「名誉教授」称号が、マラニョン社会経済・地図測量研究所からは「名誉研究員」称号が贈られた。授与式は9月26日(現地時間)、サンパウロ市のブラジル池田文化会館で晴れやかに挙行され、ブラジルを訪問した大場SGI理事長らSGI訪問団一行に託された。また席上、ゴイアス州の名門アニャンゲイラ大学に、「池田大作講座」が開設されることが発表された。

マラニョン公共政策学院 エリセイラ学長の授与の辞

人類を輝く未来へ導く最高の良心
トインビー池田対談は世界を一つに結ぶ不滅の名著


 30年以上前、ブラジリアの書店で偶然、池田大作博士の著書を手に入れました。
 スイスの心理学者カール・ユングの言葉を借りれば、すべての事象は関連していることから偶然ではないとも言えますが、その著書とは、西洋最大の歴史家であり、『歴史の研究』の著者として知られるイギリスのアーノルド・トインビーとの素晴らしい対談集『生への選択』(邦題は『21世紀への対話』)でした。
 対談集では、現在だけでなく、未来についても語り合われていました。
 例えば、世界の統合化がなされるとの予測をもとに、経済力、政治力、技術力、軍事力などのあらゆる違いを超えて、世界の諸民族を一つに結びゆく哲学の必要性などが論じ合われていました。
 そこには、苦しみにあえぐ民衆が平和に共存し、生命の尊厳を守っていくための根本的な教訓がありました。
 “トインビー・池田対談”は不滅の名著であり、今改めて取り上げられるべき著作ではないでしょうか。なぜなら、二人が語っていることが今日、現実のものとなっているからです。
 ユダヤ教やキリスト教的な伝統で、それらを「予言」と言う人もいるかもしれません。
 池田博士は、人間の意識を最大限に研ぎ澄まし、最高の良心を体現した方であるからこそ、未来を予見することができるのです。
 また、対談で私が気付いたことは、博士が人類を包み込む人間性と大義を持たれているということです。
 私は、法律を専門にしており、常に人間として守るべき道義──つまり大義をもとに、個人やグループ間の争いを解決しています。
 池田博士の大義とは、いわゆる一民衆や一グループといった狭い範躊のものではありません。人類普遍の権利や人間と自然の健全な関係への理解、他者の立場になって考えていく感受性、隣人を認める寛容の精神、そして、私たち西洋文化の言葉で表現すれば、「慈愛」の心です。
 サンパウロの宗教指導者の一人は“慈愛なくして生きる意味はなく、慈愛にこそ宗教の本源的なメッセージがすべて含まれている”と語っていました。
 「慈愛」を、仏教では「慈悲」と呼び、愛と平和の価値、連帯感を持って人間が成長していくための根本となるものです。
 現代人は、大自然の資源が有限であり、生き残っていくためにも自然を保全していかなければならないことを自覚しています。
 「持続可能」という言葉は、現在では、国際的にすべての団体が口にする言葉になりました。池田博士は、はるか前から先見的に、この環境問題について訴えてこられたのです(大拍手)。
 人権と調和的発展を掲げる「マラニョン公共政策学院」は、地球上の生命の存続のために、人類に根本的な大義を与えてくださった池田博士に対して、最大の敬意と感謝の思いを表したいのです(大拍手)。
 以上の理由から、私が発議し、マラニョン公共政策学院教育審議会の決定を経て、池田博士に「名誉教授」の称号が授与されることが決まったのです。
 今回の授与は、博士が世界中で展開される偉大な業績のすべてを讃えるには、ささやかかもしれません。しかし、私たちは博士を讃えずにはいられないのです!(大拍手)

マラニョン社会経済・地図測量研究所シルバ前所長の授与の辞

現代社会が求める偉大な地球市民
「平和の文化」を広げた功績を賞讃


 マラニョン社会経済・地図測量研究所は、多くの識者と対話を続け、世界的視野を構築し、新たな知識の方向性を示してきました。
 学術的な基礎を築くだけでなく、マラニョン州の社会と文化の発展と変革に貢献しております。
 研究所が、この原点を見失わなかったのは、人間のため、科学技術と文明の進歩のために、世界的に貢献されてきた著名な人物に名誉称号を授与し、わが研究所に、お迎えしてきたからにほかなりません。
 研究所は、次のような力を待った方々の参加を歓迎し、その偉業を讃えます。
 「大胆な発想」と「戦う気概」をたもち続け、名誉と尊厳を抱いてマラニョン州、ひいてはブラジルの民衆に尽くす方です。
 そして、日本の古き侍のように潔く「革命的な覚悟」と「大胆な舵取りの力」を持ち、新しく輝かしい視点で人間を見つめ、人類の進歩を切り開いてきた方です。
 ご列席の皆様!
 私はただ今、「名誉研究員」の称号を、世界市民であり、偉大な人間主義者であられる池田博士に授与するに至った理由と目的を明らかに致しました。
 博士は、人類の知恵の構築へ、20世紀最大の貢献を果たされた、知的リーダーであり、精神的リーダーであります。自身と他者、人間と自然との調和を提唱され、平等と環境保護の精神にあふれています。
 暴力と戦争が未だに存在し、繰り返されている現代社会の状況を乗り越えるためにも、 「平和の文化」を世界的に広めてこられた池田博士の文化・教育の行動を讃えたいのです(大拍手)。
 いかなる国際的な指導者でも及ばない、そして現代社会が渇望してやまない、偉大な地球市民である池田博士を顕彰させていただくことは、その倫理的・芸術的・哲学的な美徳と価値において無上の栄誉であります。
 本日はSGIの皆様の、美と融和を重んじる日本文化の粋を集めた厚き友情のもてなしに、心より感謝申し上げます。
 世界の調和と新しき平和の文化のために、共に進んでまいりましょう!(大拍手)

SGI会長の謝辞
(代読)

「青年の育成」こそ歴史転換の希望
トインビー対談
指導者の力は優れた後継者で決まる


 一、ただ今、私は、「人材の大国」ブラジルが誇る、指導者育成の大城・貴マラニョン公共政策学院より、最高に栄えある名誉教授の称号を拝受いたしました。これはどの光栄はございません。
 また私は、この栄誉を、敬愛してやまないブラジルSGIの友、そして世界192力国・地域の同志とともに、謹んで拝受させていただきます。
 誠にありがとうございました(大拍手)。
 一、貴学院がそびえ立つ「色彩の都」サンルイス市は、タイル芸術に彩られた世界文化遺産の街並みとともに、多士済々の文化人、名高い指導者の活躍が光り輝く「ブラジルのアテネ」として、広く人類から仰がれております。
 思えば、貴国と日本の国交が結ばれた19世紀末──。はるか海を越えて、いち早く外交官としてわが国へ赴任され、「友好の扉」を力強く開いてくださった恩人は誰であったか。それは、貴サンルイス市出身の大文化人アゼベド先生でありました。
 そして今、エリセイラ学長、ジルバ理事をはじめ、貴学院の諸先生方が、新たな「友情と信頼の扉」を広々と開いてくださいました。この御高恩に、私は心からの感動と感謝を禁じ得ないのであります。
 貴サンルイス市そして貴マラニョン州を、私は憧れの故郷として心に抱さながら、終生、その安穏と繁栄を祈り続けていく決心です(大拍手)。

未来を創る教育が建設の推進力
 一、貴マラニョン公共政策学院は、そのモットーに、「正義と連帯意識ある社会の建設」と掲げておられます。なんと明快なる理念でありましょうか。
 貴国の大哲人バルボーザの名言に、「『言葉』は響き『垂範』は轟く」とあります。
 まさしく、エリセイラ学長ご自身が、正義の大弁護士として、勇敢なる言論と率先の行動で、厳然と民衆を護り、悪を正してこられたことを、私たちはよく存じ上げております。
 今、私の胸には、貴マラニョン州が生んだ、英明なる賢者の言葉が蘇っています。
 それは、ブラジル文学アカデミーの総裁であり、私たちも親交を結ばせていただいたジョズエ・モンテロ先生の確信であります。
 「ユートピア(理想郷)とは人間性と一体である。すなわち、誰もが夢を抱かなければ実現することはない」
 モンテロ先生は、一人の人間の高邁なる理想が、多くの人々に継承され、実現へと近づいていくことを念願してやまなかったのです。その実現の推進力こそ、「教育」でありましょう。未来を創る教育には、人類の「夢」が、深い深い祈りのように託されているからであります。
 そして、人間性豊かな21世紀の建設という壮大なる夢を、一つまた一つと実現されゆく教育の理想の大城こそ、エリセイラ学長が牽引される貴学院なのであります(大拍手)。

世界を照らす正義の大連帯を
 一、最優秀の指導者を育成される貴学院から賜りました本日の栄誉を、私は、青年育成の稀有の教育者であり、貴国を心から尊敬していた創価教育の父・牧口常三郎先生と、恩師・戸田城聖先生に捧げさせていただきたいと思っております。
 そして、「指導者論」「教育論」から「政治論」まで深く論じ合った、大歴史学者のトインビー博士にも、貴学院からの顕彰を、報告させていただきたいのであります。
 私は、トインビー博士との語らいで、深く一致を見た点がありました。
 それは、「指導者にとってその真価が問われるのは、どれだけ優れた後継者を育てたか」という一点にあるということです。
 いわゆる権力の魔性は、人を見下し、青年を支配しようとする。それに対して、真の指導者とは、人を尊敬し、自分が犠牲となっても青年を育て、未来の道を開こうとする高潔な人格であります。
 その意味において、貴学院は「持続可能な発展」を志向されつつ、滔々たる大河の如く、英知と信念の指導者の流れを創っておられるのです。
 トインビー博士も御存命であれば、貴学院の尊き挑戦に、大いなる歴史転換の希望を見出されたに違いないと、私は確信します。
 さらに、民主主義の未来に最も大事な点として、博士と私が確認し合ったことがあります。
 それは、民衆自身の道義性と知性をより向上させていくことであります。この点、エリセイラ学長は、倫理的な意識変革の運動を、社会の中枢から繰り広げていくことによって、真に民主的な共和国を建設できると強調されております。
 わが親愛なるブラジルSGIの友が、世界の先頭に立って進めゆく「人間革命」即「社会貢献」の行動とも深く広く共鳴しているのであります。
 独創の地理学者であった牧口常三郎先生は、大著『人生地理学』でも貴国に着目しておりました。その人種や思想の融合を見つめつつ、貴国のような国が「博大なる人物」や「博大なる事業」の展開する舞台となるとの知見が記されています。
 私は今、新世紀をリードする貴国から、平和と繁栄のモデルが、全世界に示されゆくことを、確信してやまないのであります(大拍手)。

マラニョン州の大詩人
生きることは戦うことだ!
勇敢であれ!強気でいけ!
不撓不屈の人間たれ!


 一、本日、私は名誉ある貴学院の一員とさせていただきました。尊敬するエリセイラ学長をはじめ貴学院の先生方と心を通わせながら、愛するブラジル、そして世界の青年の希望の大道を、生ある限り、切り開いていく所存です。
 結びに、本日の栄誉を分かち合う、ブラジルSGIの大切な友に、貴マラニョン州ゆかりの大詩人ゴンサルベス・ディアスの一節をお贈りしたい。
 「生きることは戦うことだ。人生は闘争だ」
 「勇敢であれ! 強気でいけ!」
 「勇気ある闘士たれ! 頑丈であれ! 不撓不屈の人間たれ」
 そして、貴マラニョン州の世界一光る「レンソイス大砂丘」の如く、荘厳な「正義の人材の大連帯」を広げゆかれる貴学院に、永遠の栄光あれ! と叫んで、私の謝辞とさせていただきます。
 本日は、誠にありがとうございました。
 ムイト・オブリガード!(ポルトガル語で「大変にありがとうございました」)(大拍手)
2009-10-13 : スピーチ・メッセージ等 :
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御書と師弟 仏法即社会

池田名誉会長講義 御書と師弟 
              (2009.10.8付 聖教新聞)

第28回 仏法即社会


人生に勝つ信仰

信心の眼で賢く勇敢に

御聖訓
 「天晴れぬれば地明かなり
 法華を識る者は世法を得可きか」
             (観心本尊抄、254㌻)

 わが師・戸田城聖先生は、語られました。
 「強く正しき信仰は、必ず幸福をもたらす。断じて明朗な人生が開かれることを確信せよ」
 人生に勝ち、社会を照らしゆくことが、仏法者の生き方です。現実を離れて仏法はない。千変万化する世界を見つめ、価値創造の光を放つ力こそ、信心です。
 今回、共々に拝する「観心本尊抄」の一節は、この「仏法即社会」の法理を、明快に説いてくださった御金言です。
 「天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか」(御書254㌻)
 ひとたび天が晴れわたれば、大地が明るく照らされる。それと同じく、妙法を信じ行ずれば、世法で勝ちゆく道も晴れ晴れと開かれてくるとの仰せです。
 この「観心本尊抄」は、文永10年(1273年)4月、日蓮大聖人が流罪の地・佐渡で認《したた》められ、下総国《しもうさのくに》(現在の千葉県北部)の中心的な門下であった富木常忍に送られた御書です。
 一切衆生を救う御本尊の真義を明かされていることから、「法本尊開顕の書」と呼ばれます。
 大聖人が末法の御本仏であられることを宣言された「人本尊開顕の書」である「開目抄」と並ぶ、重書中の重書です。

広宣流布の大瑞相
 今回の御文は、「観心本尊抄」の結論部分の一節です。この直前では、当時、相次いだ前代未聞の災難を、仏法上、どう捉えていくかが、明確に示されております。
 それらは、末法における思想の乱れによるものである。しかし、今こそ、民衆のための大仏法が広宣流布する時にほかならない。
 「地涌の菩薩」が出現する時であり、「一閻浮提第一の本尊」が建立される瑞相である──と。
 めまぐるしく転変する眼前の事象に右往左往して、うろたえたり、嘆いたりするのではない。
 透徹した仏法の眼で、その深き意義を見極めつつ、大変であればあるほど、勇み立つ。そして、人間のため、社会のために行動を起こしていく。これが、師弟の誓願に生き抜く「地涌の菩薩」の大生命なのであります。
 じつは、私たちの創立の父である牧口常三郎先生が、昭和3年(1928年)に入信された当初から、大切に拝されていた御聖訓が、今回の御文です。
 牧口先生は記されています。
 「一大決心を以て、いよいよ信仰に入って見ると、『天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか』との日蓮大聖人の仰せが私の生活中に“なるほど”と肯かれることとなり、言語に絶する歓喜を以て、ほとんど六十年の生活法を一新するに至った」と。
 最高峰の知性の牧口先生が、最先端の学究と思索の果てに到達されたのが、日蓮仏法です。先生は、信心の力によって、「暗中模索の不安」が一掃され、「引っ込み思案」もなくなり、「生活目的」が遠大となり、畏れがなくなったとも断言されています。
 これが信心の喜びであります。
 哲学にせよ、芸術にせよ、科学にせよ、尊き英知の光を発している。それぞれに一次元を、一定期間、照らすことはできる。しかし万人の生命の全体を普く照らし出し、生老病死の苦悩を打開できる永遠の大光《たいこう》は、一体、どこにあるか。それは、太陽の大仏法しか、ありません。

困難は幸福を開くチャンス

経済学者サロー博士
「宗教には『人間を向上させる力』があります」


『即』=変革の原理
 この希望の哲理を、民衆の一人一人が抱いて、濁世の深い不幸の闇を打ち破るのだ──牧口先生が直弟子の戸田先生と共に、決然と立ち上がって創立されたのが、わが創価学会です。
 両先生に連なる私たちも、真剣に戦えば、「法華を識る者」として、一切の現象を妙法の眼で捉えていけるようになります。
 最も苦しんでいる人が、最も幸福になるための仏法です。人生の上でぶつかる困難は、信心の次元から見れば、すべて意味がある。必ず大きく境涯を開くチャンスとなる。
 勇気ある祈りを忘れなければ、断じて勝利できる。御本尊は勝つためにあられる。こう確信し、祈り切るのが信心です。
 わが創価の友は、大仏法の尊い実践者である。広宣流布の真正の闘士である。ゆえに、現実社会で絶対に勝たねばならない。また、絶対に勝ち抜いていける大法則を持った皆様方なのです。
 「一切の法は皆是れ仏法なり」です。生活の確立が、信心の確立である。信心の確立が、生活の確立なのです。
 仏法は「即社会」です。「即職場」「即地域」であり、「即家庭」となるのです。「即」とは、信心の一念です。学会という和合僧の中で、使命の役職を担い、広宣流布に戦えば、「即」という変革の原理が躍動します。
 人生は、さまざまな困難の連続である。しかし、信心の上では決して負けない。一歩も退かない。この一念が、「即」人生の勝利、社会での勝利を開くのです。
 仕事でも、学業でも、題目を唱え抜いて真剣に挑戦すれば、必ず勝利の智慧が湧いてきます。これが「天晴れぬれば」の生き方であり、「地明かなり」の妙用です。
 大聖人は、「智者とは世間の法より外《ほか》に仏法を行《おこなわ》ず」(御書1466㌻)とも仰せである。
 智者とは、世間の法から外には出ない。真の宗教は、社会の真っ只中で勝ちゆく源泉なのです。
 世界的な経済学者のサロー博士も、私との会見で「宗教には『人間を向上させる力』があります」と話されていました。
 宗教は、社会の向上のために活動する使命がある。社会を離れて宗教はない。社会に対して何の貢献もせず、聖職者が供養を貪るならば、懶惰懈怠の姿と言わざるを得ません。
 創価の師弟は、社会の中へ、人間の中へ飛び込んできました。
 社会のために進む信仰者!
 平和のために戦う仏法者!
 皆様方は、どれほど偉大な、人類の最先端の道を歩んでおられることでしょうか。
 戸田先生は明言されました。
 「仏法を行じ抜いた人は、今世では絶対の幸福境涯を勝ち開き、生々世々に大指導者になる。
 御本仏・日蓮大聖人と一体の生命で、大宇宙を舞台に広宣流布に活躍していけるのだ」
 仏法は、「十界互具」 「一念三千」という極理を説き、生命と宇宙の実相を解明しています。
 妙法は「生活」と「社会」と「宇宙」の根本のリズムです。観念ではない。道理である。
 “ただ拝めばなんとかなる”という、安っぽい低次元の宗教ではない。
 真剣な祈りから出発する。そして、これ以上ないという努力を重ね、死力を尽くす。これが「信心即生活」の生き方です。そこに、諸天も動くのです。
 大聖人は厳然と仰せです。
 「但し御信心によるべし、つるぎなんども・すすまざる人のためには用る事なし、法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ鬼に・かなぼうたるべし」(同1124㌻)
 勇気で進む。勇猛精進です。

創価は人類の太陽
 太陽の力がいかに偉大か。世界的な天文学者モウラン博士が、アマゾンで観測した「日食」の思い出を聞かせてくれました。
 ──日食が始まると、鳥たちの鳴き声も止み、暗闇の数分間、森は息を殺し沈黙を守り続けた。
 太陽が再び姿を現した刹那、鳥が勢いよく飛び立った。そして太陽の光とともに、森林は素晴らしき活力を取り戻し、「生命のシンフォニー」を劇的に奏で始めた、というのです。
 太陽は、地球の生きとし生けるものを育む「お母さん」です。
 私たちの国土世間にあっても、広布の太陽である婦人部の皆様方の明るい笑顔が輝くところ、皆の勇気が広がります。
 人類は、世界的な経済不況や地球環境の変動、自然災害、紛争・テロの勃発など、幾多の難問に直面しています。一つ一つ、学術・言論の力や政治・経済の力などを結集し、解決への挑戦が続いている。私も諸問題の打開へ、具体的な提言や行動を重ねてきました。
 このような時代相の病根に、「人間」の喪失があり、「生命」の軽視があることは、多くの識者との対話でも一致を見たところです。だからこそ、現代は、仏法ヒューマニズム(人間主義)の太陽を渇仰しております。
 闇が深いほど、暁は近い。
 今、悪世末法の闇を突き破り、創価の旭光は192力国・地域へ広がりました。幾百千万の民衆が「地涌の菩薩」として溌剌と妙法流布に進む姿そのものが、「天晴れぬれば」の壮大な実現であり、新しき地球文明の到来を告げる──「地明《あきら》か」となる希望の黎明ではないでしょうか。
 太陽の限りないエネルギーは、どこから生み出されるか。
 それは、1500万度、2500億気圧の中心部で、間断なく起きている核融合反応です。
 次元は異なりますが、創価の太陽は、「師弟不二」という燃え上がる生命の究極の融合があるゆえに、最も強く明るい勝利の大光を放つことができるのであります。

教学試験頑張れ!
 この秋、全国で「教学部初級試験」「青年部教学試験3級」が行われます。御書を拝し、仏法の甚深の法理を学ぶことは、「法華を識る」正道であり、「世法を得」る大道にほかなりません。
 学んだ分だけ、自分が得をします。大仏法を生き生きと学び、社会で勝ち抜く英知を体得していっていただきたいのです。
 先輩の皆様方、担当者や役員を務めてくださる方々も、どうか、よろしくお願いいたします。
 「学は光」です。米ハーバード大学の調査によると、事業で成功した人の多くは、学歴に関わらず、社会で苦労しながら、大学院生と同レベルの語彙を獲得していたそうです。豊かな、よき言葉をたくさん学ぶことが、大成の力となるのです。
 いわんや、大仏法の教学運動は、庶民の大賢者を育成し、「幸福博士」の記別を贈る聖業です。共に「行学の二道」に励みゆく中で、無量の福智に包まれゆくことは絶対に間違いありません。
 戸田先生は青年に語られた。
 「世界の動きをよく見つめ、御書を頭の中に入れて、言論戦を展開するのだ。大聖人は佐渡で、開目抄、観心本尊抄を、すらすらとお書きになっています。そこには、辞書も経典もない。ただ驚くばかりです。君たちも、いつまでも若い情熱を保ち続けて勉強してほしい」と。
 学会は、平和と正義の大哲学を学ぶ偉大な民衆大学です。
 法華経の如来神力品第21には、
 「日月の光明の
 能く諸の幽冥を除くが如く
 斯の人は世間に行じて
 能く衆生の闇を滅し」
 と説かれています。
 この通りに、学会は一段と人類の未来を照らす「太陽の大連帯」を強め広げてまいりたい。
 文豪ゲーテは歌いました。
 「元気よく思いきって、元気よく出よ!」
 「太陽を楽しめば、どんな心配もなくなる」(高橋健二訳)と。
 「天晴れぬれば地明かなり」──拝すれば拝するほど、わが生命の天空に旭日が昇り、見渡すかぎりの使命の大地に、明るい陽光が降り注ぐ御金言です。
 さあ、太陽の大生命力で、堂々と朗らかに対話の最前線へ打って出ようではありませんか!

 天晴れて
  法華を識るは
      幸福王
2009-10-09 : 御書と師弟 :
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新 あの日あの時 18

新 あの日あの時 18     (2009.10.9付 聖教新聞)

池田先生とフィリピン

「美しき宝の心」の国

マニラ湾の夕日
 ヤシの木が茂るマニラのホテルの入り口。
 「ようこそ! フィリピンヘ」
 玄関前で日本人客を迎えたジョイ・アルベスは、流ちょうな日本語で頭を下げた。
 従業員の彼女は、名古屋大学に留学した経験が買われている。
 しかし、高級車から出てくる日本人は、たいていアルベスには目もくれず、さっさとロビーヘと向かってしまう。
 「これだから、日本人は……」。最後の言葉は、ぐっと飲み込んだ。
 ホテルは空港から15分。客室から有名な「マニラ湾の夕日」が一望できる。
 どうやら近々、日本の宗教団体のトップが来るらしい。アルベスは「また失望させられるのか」と思ったが、迎える側の地元メンバーの熱意に打たれ、ともに準備に奔走してきた。
 1991年(平成3年)4月19日の午後11時過ぎ。
 池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長を乗せた車がホテルの入り口に止まった。
 車から降りた会長は、アルベスに折り目を正し、深々とおじぎした。
 「うちの人が無理難題を言って、困らせたでしょ。本当に、ありがとうございます」
 アルベスの小さな手を両手で握りしめた。隣に立っていたホテルのマネジャーに語りかける。
 「彼女は本当に陰で良くやってくれたと伺っています。日本から贈り物を持って来たので、渡してもいいですか」
 マネジャーは驚いた様子を見せた後で、にっこりと微笑んだ。
 その深夜。アルベスはSGIメンバーと遅い夕食を共にした。
 「実は私、今まで、日本人は傲慢な人ばかりだと思っていました」
 SGI会長から贈られた写真集に視線を落とすと、大粒の涙をためた。
 「でも、池田会長にお会いして、日本人が好きになりました」

一人立てばいい!
 コバルトブルーの海に浮かぶ7000余の島々からなるフィリピン。
 派手な塗装をしたジプニー(乗合自動車)が、大音量の音楽をかけながら疾走する。日曜の朝には、町中の人が石造りの教会に足を運ぶカトリック社会だ。
 1964年(昭和39年)5月12日。火曜日の夜たった。
 男子部の柴田昌男が、マニラ支部の伊藤四郎(支部長)の家に立ち寄った。伊藤と妻・富貴子が、よそ行きの服装をしていた。
 何かあるな……。柴田は直感した。
 じつは数日前、伊藤宅に電報が届いていた。オーストラリアに向かう途中、SGI会長がマニラ国際空港を経由するという。深夜の到着なので、夫妻だけで来るように、とも書かれていた。
 伊藤は悩んだが、柴田にウソがつけなかった。一緒に空港へ向かう。
 午後10時過ぎ。待合室のドアが開いた。
 「夜も遅いのに、わざわざありがとう!」
 SGI会長に声をかけられ、3人はソファに腰を下ろした。
 当時はまだ、日本軍の残した爪痕が人々の記憶に生々しい。反日感情は強い。
 「ハポン(日本人)が来た!」
 日本人メンバーは、町に出て、小石や木の枝を投げつけられることもあった。しかも仏教徒である。カトリックが全人口の8割以上を占める国では異端視された。
 そんな地で信仰に励んできた。SGI会長は温かい口調で語りかけた。
 「大丈夫だ。地涌の菩薩が出現しない国は、絶対にない!」
 その場で、柴田を部隊長に任命した。しかし現地に男子部は、ほとんどいない。柴田の戸惑いを断ち切るように言った。
 「君が一人立てばいいんだ。来年の5月3日、日本に来なさい」
 翌65年の5月3日。柴田は東京の日大講堂で、SGI会長から部隊旗を授与された。

伝説のスピーチ
 国立フィリピン大学。
 フィリピンの最高学府で、日本で言えば東京大学にあたろうか。池田SGI会長に
「名誉法学博士号」を授与している。
 マニラ郊外のケソン市に、メーンキャンパスが広がる同大学。国花・サンパギータの白い花が咲き誇っていた。
 1991年(平成3年)4月21日、卒業式典の席上での授与式だった。
 壇上のSGI会長は、卒業生が前を通る度に、椅子から身を乗り出す。拍手を送り、呼びかける。
 「よくやった!」
 「勝ったね!」
 日本語を解さない学生にも、心は確実に伝わる。前を通り過ぎる時、うれしそうな笑みを浮かべる。
 ホセ・V・アブエバ総長も穏やかに見守った。
 学生の列は、途切れなく続いた。
 1時開が経過すると、随行メンバーは、だんだん不安な顔になった。
 常夏の島。気温は30度を超え、じっとしていても汗が噴き出る。会場にクーラーはない。扇風機だけである。
 それでも、スーツの上にガウンをまとったSGI会長が、身体全体で歓呼を送っている。
 この直前に経営学部で記念講演を行ったばかり。疲労はピークのはずだ。体調は大丈夫なのか。役員が香峯子夫人に尋ねた。「学生がかわいくて、しかたがないんですよ」。静かに微笑んだ。
 ようやくSGI会長の謝辞になった。用意した原稿を伏せ、話しはじめた。
 「マニラを訪れ、私は思いました。“世界一荘厳なる旭日”を仰ぎ、“世界べ尊厳なる夕日”を望む皆様の心もまた、“美しき宝の心”であると」
 拍手が一斉に沸き上がった。鳴りやまない。この日、一番の大歓声である。スタンディング・オベーションが起こった。
 2年後。アブエバは授与式を振り返り、誇らしく語った。
 「あの後、学生たちが『池田会長のスピーチ原稿をください。もう一度、心に刻んでおきたい』とやって来ましたよ。学生たちの伝説になっています」

イケダ・ホール
 授与式の3年前の1988年(昭和63年)。アブエバは国立フィリピン大学の総長になった。
 その時、一人の男を紹介された。大学職員や警備員にも「アキ」と呼ばれていた人物である。SGIの新津《にいつ》泰昭《やすあき》。10年以上も大学に渉外で通い詰めている。
 日本人か。アブエバの脳裏に、少年時代の苦い記憶がよみがえる。16歳の時、アブエバの両親は日本車に拷問されたあげく、虐殺されていた。
 しかし、新津から、学会の歴史を知り、顔つきが変わった。初代会長は、命を賭して軍部権力と戦い獄死。これが学会の平和の原点になっているという。
 90年4月。アブエバは日本でSGI会長に会った。
 「貴国に対し、日本の軍国主義は、あまりにも残酷な侵略をしました」
 フィリピンも創価学会も、軍部に蹂躙された。その学会が、こうして謝罪してくれている。
 この人は、本当に日本人か!。
 「戦争のリーダーは多くいたが、平和のリーダーは、わずかしかいない」。アブエバが強く要望して、93年5月11日、フィリピン大学に、その名を冠した「イケダ・ホール」が開設した。

振り返ったリサール
 SGI会長は、フィリピンを公式に3回、訪問している(91年4月、93年5月、98年2月)。
 アキノ大統領、ラモス大統領をはじめ、幅広い人物と会見し、日比友好の道を開いてきた。
 その一人が、リサール協会の会長だった口ヘリオ・M・キアンバオである。
 二人は、幾度もフィリピンの国民的英雄ホセ・リサールをめぐって語り合った。
 1896年12月30日、リサールは35歳の若さで非業の死を遂げる。
 処刑の直前。リサールは、ひざまずかなかった。目隠しも断った。銃弾を後ろから受けながら、振り返ろうとし、鋭い眼光を残したまま、仰向けで倒れた。
 その場面をめぐって、SGI会長は、キアンバオに質問した。
 「リサール博士は、なぜ、振り返ろうとされたのでしょうか」
 そこまで知っているのか。見識の深さに度肝を抜かれながら、キアンバオは答えた。
 「『私は正しい!』という、リサール博士の毅然たる意志だったと思います」
        ◇
 98年2月13日の午後8時半。テレビ局「ラジオ・フィリピン・ネットワーク」が特集番組を放映した。
 この4日前、SGI会長は「リサール国際平和賞」を受賞していた。その理由に迫った番組である。
 ラストシーン。リサールに続き、SGI会長の顔が映し出された。
 「リサール博士も、池田博士も、名もなき民衆の力と強さを信じる。そして、共に限りない人々に希望を贈り続けている」
 番組のタイトルは「旭日の騎士・池田大作氏の横顔」。
 民衆の苦悩の闇を破り、暁を呼ぶ旭日──タイトルそのものが、SGI会長への限りない讃辞を表していた。
2009-10-09 : 新 あの日あの時 :
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方面長協議会

方面長協議会           (2009.9.30)

さあ最前線へ 座談会へ 人間の中へ


戸田先生
自分が責任を持つのだ。
手伝いをしている気持ちの人間が何万人集 まろうが本当の戦いはできない!


 一、全国、各方面の代表の皆さん、ご苦労さまです!(大拍手)
 勝利への前進のためには、中心の車軸が、しっかりしていなければならない。
 根本は、リーダーである皆さん方が、がっちりとスクラムを組むことだ。
 そして歴史に残る、兄弟愛、同志愛を広げていくのである。
 「わが尊き『広布の友』に栄光あれ!」と深く祈り、念じつつ、スピーチを残させていただきたい(大拍手)。

イギリスの詩人
「今日」が「新たな出発の日」


心は青年で!
 一、日蓮大聖人は、「年は・わか(若)うなり」(御書1135㌻)と仰せである。
 たとえ、年をとっても、心まで老け込んではならない。
 妙法という生命の大法を持った我々は、生き生きと若返っていくのである。張り切って進むのである。
 大聖人の御生涯は、最後の最後まで、広宣流布の大闘争に貫かれていた。
 信心に「引退」はない。心は退《ひ》いてはならない。一生涯、わが使命の旗を高く掲げ、若々しく前進することを誓い合いたい。
 イギリスの桂冠詩人ワーズワースは、こう謳った。
 「われらは今日を新らしく、/年の初めと定めよう」(田部重治選訳『ワーズワース詩集』岩波文庫)
 いついかなる時も、自らの心が、新しい決意で立ち上がったその日から、一切が生まれ変わる。
 「本因妙」の日蓮仏法を奉ずる我らには、新生の「今日」という日が、まさしく「久遠元初」である。
 先師・牧口常三郎先生、恩師・戸田城聖先生の誓願を受け継ぐ我らには、「今日」という日が峻厳なる「創立の日」なのである。
 「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の一念をば、わが生命に元初の旭日の如く、烈々と燃え上がらせながら、創立80周年へ、今日のこの集いから勇んで出発したい(大拍手)。

宇宙一の幸福者
 一、それにはまず、リーダーが、自分自身の生き生きとした「人間革命」から始めることだ。
 「人」ではない。「自分」が変わるのだ。「誰かがやるだろう」ではない。「自分がやる」のだ。
 たとえ、どんな状況にあっても、頭を使い、知恵を絞り、心を前に向けて、何かを為していくことだ。
 ある時は、お題目を唱える。
 ある時は、友の激励に走る。
 ある時は、仏法対話に打ち込む。
 根本は、御本尊に真剣に唱題して、「随縁真如の智」をわき立たせ、最も価値的な行動を起こしていくことである。
 仏法とは、「動く」ことだ。仏法とは、「勝つ」ことだ。
 ともあれ、わが創価学会は、宇宙の根源の妙法を実践し、弘めゆく、ただ一つの正統の団体である。
 この中で、誉れあるリーダーとして戦えることは、全宇宙で最高の幸福者であるといっても決して過言ではない。すごいことなのである。
 この偉大な使命を自覚して、「やらせていただきます!」と自ら決然と立ち上がるのが、本当の信仰者の姿である。
 一、古代ギリシャの詩人ピンダロスは、戒めた。
 「人間のある者は無分別なうぬぼれに/栄誉から遠ざけられ、また ある者は、おのれの力を貶めるあまり/臆する心に手を後ろへ引かれて/得べかりし誉れを逸してしまう」(内田次信訳『祝勝歌集/断片選』京都大学学術出版会)
 増上慢になって、転落する者もいる。
 臆病になって、敗退する者もいる。
 どこまでも、「求道」、そして「勇気」を貫き通した人間こそ、真の「栄光」を勝ち得《え》るのだ。

打って出よ!
 一、私が若くして第3代の会長となり、世界広宣流布の第一歩を踏み出して、この10月2日で満49年となる(大拍手)。
 当初、「世界広布」といっても、夢のまた夢のように思われていた。しかし、私は、戸田先生の弟子として、勇んで打って出た。
 利害の対立や、主義主張の違いを乗り越えて、世界を舞台に対話と友情を広げてきた。
 一民間人である。一庶民である。そこから、ただ「勇気」の二字で、尊敬するわが同志とともに、今日に至る「世界広布の時代」の突破口を開いてきたのである。
 一、仏法は、慈悲が根本である。しかし、凡夫である我々の実践は、現実には、勇気であり、知恵である。
 大切なのは勇気だ。信心とは、最高の勇気なのである。皆も、勇気を持つことだ。
 ずるく臆病な幹部ではいけない。私は、仏法を破壊する三類の強敵に対して面と向かって戦ってきた。
 勇気!──これが学会精神だ。
 三代の師弟の勇気によって、今日の大発展の礎がつくられたのである(大拍手)。

師弟不二の道を
 一、思えば、「師弟の真髄の道」を歩み抜かれた日興上人の「日興遺誠置文」は、いつの著作とされているのか。
 それは、日興上人の師であられる日蓮大聖人の「立宗宣言」から、満80年の折であった。〈元弘3年(正慶《しょうきょう》2年)=1333年〉
 この「日興遺誠置文」で、日興上人は厳命された。
 「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」(御書1618㌻)
 ただただ「広宣流布」の大願に向かって、どこまでも、師の仰せのままに、身命を惜しまず、戦い進んでいく。
 これこそが、師弟の魂である。これこそが、永遠の学会精神である。この一点を、リーダーから銘記し合いたい。
 一、若き日より、私は、命懸けで広布を思い、誠心誠意、恩師の戸田先生にお仕えしてきた。
 戦後の混乱の中、先生が事業に失敗され、莫大な借金を背負われたときも、私が、そのすべてを返済していった。
 朝も晩も、先生をお護りした。わが青春を、師匠と学会のために捧げてきた。
 御本尊に誓って、本当に微塵も後悔なく、そう言える。
 恩師の戸田先生は、亡くなる前に私に言われた。
 「大作、お前は、私が一番大変な時に、よくやってくれた。勝ったよ。私の人生は勝った。いい人生だったよ」と。
 先生亡き後も、私はただ、苦しむ民衆を救わんとされた恩師の勇姿を偲び、恩師の心をわが心として戦ってきた。
 師弟不ニ──真実の戦いは、ここにしかない。ここにしか、仏法はない。深き人間の道もない。
 師匠に応えんとする、その一念、その祈りから、勝利の力が生まれるのだ。

「油断大敵」が将軍学の鉄則
 一、教育者であった牧口先生は、若き日、中国からの留学生のための弘文学院で、独創的な「人生地理学」を講義しておられた。
 牧口先生の学識に感銘した中国の青年たちが翻訳した、先生の大著『人生地理学』は、当時から中国各地で学ばれていたようだ。
 〈1907年に発刊された『最新人生地理学』(『人生地理学』の中国語の全訳)は現在、蘇州大学、北京師範大学、復旦大学、中山大学、南京図書館、浙江省立図書館、上海図書館、天津図書館で存在が確認されている〉
 弘文学院は、近代柔道の創始者・嘉納治五郎先生によって創立された。この嘉納先生が、著書の中で、江戸幕府の重臣・永井信濃守尚政の逸話を紹介されている。
 永井信濃守といえば、現在の学会本部がある一帯に下屋敷(本邸以外に江戸近郊に設けた控えの屋敷)があった。「信濃町」の地名も、この「信濃守」に由来する。
 それは、永井信濃守が幕府の老中になった時のことである。信濃守は、すでに重臣として深い信頼を得ていた井伊掃部頭《かもんのかみ》直孝に、謙虚に助言を求めた。
 ──不才の身で大任を受けて誠に覚束ないが貴下の御教訓を得て無事に勤務したいものである──。
 それに応えて、井伊直孝は語った。
 ──世の諺に「油断大敵」という事がある、これは定めて御承知であろうけれど、万事は油断から破れるからこの詞を忘れさえせねば間違いはない──(『嘉納治五郎著作集第1巻』五月書房)
 古今東西を問わず、「油断大敵」が将軍学の鉄則である。
 本当に自分が責任を担い立って、血のにじむような苦労を重ねてきた指導者は、この「油断大敵」という一点を心に刻んでいる。
 ゆえに、本物には隙がない。傲りもない。その人格には、鍛え抜かれた真金のような光が輝いている。

真剣勝負で!
 一、戸田先生は、厳しく言われた。
 「自分が責任を持つのだ。手伝いをしている気持ちの人間が何万人集まろうが、本当の戦いはできない!」
 その通りだ。戦いは真剣勝負でなければ勝でない。“死ぬか生きるか”──そのくらいの覚悟がなければ、遊びだ。甘えや油断は、微塵もあってはならない。
 私は、どんな戦いでも、全力を注いできた。「不可能」さえも「可能」に!──その決心で、師匠のため、広宣流布のために戦い抜いた。
 経済的に苦しい時もあった。真冬でもオーバーもない。新しい靴が買えず、高下駄を履いて出かけたこともある。
 しかし、心は誇り高かった。仏法が真実であるならば、未来の勝利は絶対と確信していたからだ。
 一、各地の尊き同志の皆様が、どれほど真剣に戦ってくださっているか。
 私は報告書や手紙などでうかがい、よく存じ上げているつもりである。そうした書類は、学会本部で大切に保管している。
 皆様が、広宣流布のためにどう行動し、どのような歴史を綴ってくださったのか。大事な記録として、後世のために残している。

一対一の対話を! 正義の拡大を!
勇気に燃えるリーダーたれ


「幹部が走るから皆もついてくる」
 一、人間指導者の真髄は、「率先垂範」にある。
 中国・明代の哲人指導者として名高い呂新吾《りょしんご》は述べている。
 「聖人は、手足にたこやあかぎれをつくりながら駆けずりまわり、一時も心の安まる暇はない。
 そして天下を安泰に導いてから、初めて楽しむのである。言わば、苦しみのなかに楽しみを見出すのが、聖人の楽しみにほかならない」(守屋洋編訳『呻吟語』徳間書店)
 いわんや広宣流布の指導者は、師弟の精神をたぎらせて、最前線へ、座談会へ、一軒一軒の家庭訪問へ、一対一の対話へ、徹して走り抜いていくのだ。どこまでも、同志のため、友のために行動し抜くのだ。
 この心が脈動している限り、わが学会の前進と拡大、そして勝利の道は永遠である。
 私は若き日、自分が責任者となった地域で、隅々まで、自転車に乗って、一軒一軒、同志のお宅を回った。まだ車など持てない時代である。立派な会館もなかった。
 家庭訪問の途中で、自転車がパンクしてしまったこともあった。そんな時は、同志に頼んで自転車をお借りし、再び街へと飛び出していった。
 そうやって、一人一人を立ち上がらせた。一つ一つ壁を破り、広宣流布の勝利の道を開いていったのである。
 人間の力はすごい。いわんや御本尊を持った私たちは、どれほど大きな力を発揮できることか。
 本気になって祈り、戦えば、必ず結果が出るのだ。
 不思議な信心である。だれもが、深い使命を持っている。
 正義が勝たなければ、皆が悲しむ。苦しい思いをする。混迷の社会になる。だからこそ、断じて勝利するのだ。
 今の千倍、戦おう!
 必死になって同志のもとを訪れ、励ましを贈っていこう!──最高幹部が、なかんずく壮年が、そうした決意で立ち上がることだ。
 戸田先生は「幹部が必死に走るから、皆もついてくるんだ」と語っておられた。
 皆に「やらせる」のは卑怯だ。自分が動くのだ。自分が先頭に立ってこそ、同志も一緒に戦ってくれる。これが鉄則だ。
 幹部が要領ばかりよくなり、陰で楽をするようなことがあれば、皆はついてこない。それでは学会の組織は、崩れてしまう。

後輩を大切に人材を育てよ
 一、指導者の責務は、後継の人材の育成である。
 どれだけ多くの優秀な人材を育て、伸ばしたか。それこそが、指導者の誠の栄光といってよい。
 どうか後輩を大切にし、よく面倒を見てあげてほしい。
 また一人一人が、後輩の模範となる、立派な指導者であっていただきたい。
 一、いよいよ、青年部の時代である。
 青年部、頼むよ!
 〈「ハイ!」と元気な返事〉
 青年部が立ち上がるのだ。日本中で、世界中で、青年部が広宣流布の大行進を開始するのだ。
 学会創立80周年へ、拡大の大目標を掲げて、堂々と進むことだ。
 「師弟の精神」を赤々と燃やし、新しい道をどんどん切り開いていくのだ。青年部が立てば、婦人部も、壮年部も喜ぶ。
 そして、充実した大座談会運動を全世界で展開していこう。
 ともあれ、学会活動は、すべてが自分のためである。広布のためである。
 全世界の、全人類の幸福のためである。
 どこまでも楽しく、おもしろく、にぎやかに前進しよう!(大拍手)

広宣流布に立ち上がれ
味方をつくれ! 友情を世界へ


 一、時代を変えるのは、青年だ。
 未来は、すべて青年に託す以外にない。後輩たちを励まし、頑張ってもらうのだ。
 若い人たちは、ぐんぐん伸びていく。年配の幹部を追い抜いていく面もあるだろう。
 先輩は、どんどん力を発揮させてあげるのだ。青年のために、あらゆる手を打つのだ。決して、邪魔したり、押さえつけたりしてはいけない。むしろ、先輩から声をかけ、温かく激励するのだ。
 若いからといって、下に見て、あごで使おうとするのは、大間違いだ。そうではなく、信頼し、慈愛をもって「一緒にやろう!」と応援していく。完璧に、バトンタッチしていく。そして、全員が伸び伸びと、楽しく、若々しく動いていく。そこに新たな勝利の突破口が開けるのだ。

大願に生き抜け
 一、日蓮大聖人は、厳しい「熱原の法難」の渦中に、若き南条時光に仰せになられた。
 「願くは我が弟子等・大願ををこせ」(御書1561㌻)
 一生成仏、そして広宣流布という、人間として最極の「大願」に若き生命を燃焼させて、いかなる苦難も突破していくことを厳命なされたのである。
 この仰せに奮い立った南条青年は、師匠を護り、同志を護り、正義の勝利の旗を打ち立てていった。
 これが、広宣流布の方程式である。
 戸田先生のもとで、私も、未来永劫に消えない弟子の勝ち戦を刻み残した。
 戸田先生は、よく言われた。
 「これからの学会を背負っていくのは、青年である。諸君の手で、広宣流布の尊き大使命を達成せよ!」
 先生は、決して青年を甘やかされなかった。
 「このことは、青年部に任せよう」「この戦いは、青年部にやらせてみよう」と、名誉ある責任を一人一人にもたせ、新展開を託された。これが、先生の薫陶であった。
 師匠の期待と信頼に、私を中心に完璧に応えてきたのが、創価学会青年部の栄光である。この伝統を担い立ち、青年部が、すべてを勝ち開いていく時が、学会創立80周年であると、私は強く申し上げたい(大拍手)。

コロンビアの詩人
太陽は常に若い
大情熱で友を照らせ!


信念の対話を!
 一、大聖人は、南条時光に「ともかくも法華経に身をまかせて信じていきなさい。あなた一人だけでなく、信心をすすめて、過去の父母等を救っていきなさい」(同1557㌻、通解)とも仰せである。
 広布に生きる青春ほど尊いものはない。青年らしく、勇敢に大仏法を語り抜いていくことだ。
 若い熱と力で対話を広げ、仏縁を結んでいくのだ。青年が確信をもって語った分だけ、縁ある大切な人々を、幸福へとリードすることができる。
 希望の対話。
 哲学の対話。
 正義の対話。
 信念の対話。
 これこそ、今の時代が最も渇仰しているものだ。
 どうか、勇気をもって、明るく朗らかに、自信満々と、対話の波また波を起こしていっていただきたい。
 一、南米コロンビアの詩人アンヘル・マリア・セスペデスは歌った。
 「太陽は常に若い」
 皆さん方は、それぞれの使命の天地にあって、「広宣流布の太陽」の存在である。
 ゆえに、常に若々しく大情熱を燃やしていくことだ。明るく同志を励まし、組織を照らしていくのだ。
 そして、自分以上の人材を育んでいくことだ。
 「人のために灯をともしてあげれば、自分の前も明るくなる」(同1598㌻、通解)と御書には説かれる。
 友のため、後輩のために真心を尽くしていくことが、自分自身の福運となる。
 わが栄光の未来を、明々と照らす。
 一、学会は、若い力が光っているから、強い。私かお会いした識者も、その点に注目し、感嘆されていた。
 「青年が、世界で活躍している。どうして、あれほどの発展を築くことができたのか」と。
 多くの方々から、「学会の話を聞きたい」「学会のことを教えてもらいたい」との声が寄せられた。
 それに応え、私は、各国の指導者、識者と会って会って会いまくった。
 「あなたと話して、よくわかりました。これからも、見守らせてもらいます」──そう語る人もいた。
 友人をつくろう!
 味方を増やそう!
 偏見や誤解のある人をも、よき理解者に!
 そう決意して、誠実に、また大胆に、人間革命の希望の哲学を語りに語ってきた。
 あえて大変なところへ行った。急所の人と会った。心を変え、心を結んできた。

南米の人権の闘士 エスキベル博士
臆病の心に負けるな
「笑顔」と「希望」を失うな


今、種を植えよ 明日のために!
 一、今、あの国にも、この地にも、我らの友人がいる。同志がいる。世界の多くの指導者が、創価の平和・文化・教育運動に深い賛同を寄せている。
 その一人が、南米、そして世界を舞台に行動を広げておられる、アルゼンチンの「人権の闘士」エスキペル博士ノーベル平和賞受賞者)である。
 博士と私との対談集が、今年の創立の日(11月18日)を記念して、発刊される。〈「人権の世紀へのメッセージ」とのタイトルで『東洋学術研究』で連載されてきた〉
 博士は、正義のため、人権のため、命を賭して軍の独裁政治と戦い、青年の道を開いてきた方である。
 追放、投獄、拷問──幾多の迫害を勝ち越え、乗り越えてきた真情を、博士は私に語られた。
 「臆病に負けてしまえば、人間としての根本条件を失い、暴力と恐怖を生み出す権力に追随するだけの人間に堕落してしまいます。そうはなるまいと私は決めていたのです」
 そして青年への期待を、こう述べられた。
 「青年は諸国民の未来であると言われますが、私はむしろ青年は『現在であり、今日《きょう》であり、今である』と呼びかけたいのです。
 なぜなら、青年が“今”何をしているか、その現在が未来を決定するからです。未来は、その現在から直結している《結果》です。
 今日、種を植える勇気をもつものが、あした、果実を収穫するのです」
 博士は、SGI(創価学会インタナショナル)の会合等にも出席し、激励してくださった。
 アルゼンチンSGIは、青年部を先頭に、目覚ましい前進を続けている。私は、本当にうれしい。
 今年2月、アルゼンチンの全国青年部幹部会で、博士は、こう呼びかけておられた。
 「大事なことは、皆さんが絶対に『笑顔』と『希望』を失わないことです」
 「なかには、現実を目の当たりにして、希望が消え失せていくような気がする人もいるでしょう。ところが、そうではないのです。『希望』こそ、『変革』するための原点なのです。若い皆さんは、常に希望に燃えて、美しい笑顔をたたえて戦ってください」
 この博士の言葉は、女子部の池田華陽会の皆さん方に対する力強い励ましでもあると、私には思える。
 博士はこうも言われた。
 「女性は、大いなる智慧と勇気の持ち主です」「正義を確立するために団結してください!」
 古代ギリシャの詩人ピンダロスの歌にも、「正義の道を進むあなたは、大いなる福に囲まれている」(内田次信訳『祝勝歌集/断片選』京都大学学術出版会』)とある。
 日本、そして全世界の池田華陽会の皆さん! いよいよ胸を張って、歌声も楽しく、仲良く明らかな大前進を、と申し上げたい(大拍手)。
 〈エスキベル博士は、アルゼンチン青年部の幹部会で、こうも語っている。
 「池田SGI会長と創価学会が示す軌道に連なり、訓練を受けられるのが、いかに福運あることか、皆さんには、想像もつかないでしょう。
 創価学会の中で、皆さんは、青年として、池田先生のような師匠を得て、その師匠から価値観や精神性について薫陶を受けられることを感謝すべきです」〉
 一、「信教の自由」の擁護のために行動する創価学会青年部に、エスキベル博士のエールは、絶大である。
 「皆さんは、人間の一切の基盤である『人権』と『生命の尊厳』という、実に重要なテーマに取り組んでおります」
 「人権には、すべての民族、すべての人間の『信教の自由』をこそ含めなければならないはずです」
 「私は、皆さんの行動に対する『連帯』の意思を表明させていただきます」
 創価の青年こそ、人権を護り抜く難攻不落の大城たれ!──世界の良識は、こういう思いで熱く見つめていることを、皆さんには知っていただきたいのである(大拍手)。

君よ今こそ伸びゆけ 自分が真の弟子になれ

戸田先生
「君の努力で理想の組織を」


「正義」が勝つ歴史をつくれ!
 一、エスキベル博士とは、アルゼンチンの民衆詩人ホセ・エルナンデスの不朽の叙事詩『マルティン・フィエロ』についても語り合った。
 その一節を、男子青年部に贈りたい。
 「いかなる土地も戦場であることは、誰もが知っていることだ。
 男として生まれた以上、どこであろうと、しっかりと足を踏ん張るのだ」
 「もし生意気にも誰かが道を妨げようとも、私はわが道を行く。
 男はなすべきことをなさねばならない」
 「人は、受けた恩義を決して忘れてはならない」
 「戦うべき時は、粘り強さがなくてはならない」
 私は、大地を踏みしめ、道を切り開き、今日の世界広宣流布の地盤をつくった。
 どれだけ疲れたか。どれだけ苦しんだか。
 しかし、わが身を犠牲にしても、学会を護り、同志を護り、師弟の道を貫く。そういう人生を歩んできた。
 立場ではない。役職ではない。真の弟子と立つ「一人」がいるかどうかだ。
 戦うべき時に、戦わない。手のひらを返して逃げる。そうした忘恩の人間の末路が、いかに、わびしいか。
 誰が師匠を護ったか。誰が同志を護ったか。誰が勝利を開いたか。
 人は見ていなくとも、天は見ている。歴史が裁く。
 今こそ、青年部は師弟直結で立ち上がってもらいたい。
 ここまで私が言うのは、未来のことを思うからだ。
 私は真剣だ。
 広宣流布の将来が、どうなるか。どうするのか。それを、じっと祈り、見つめ、戦っている。
 人がどうかではない。自分が、必死の祈りで立ち上がるのだ。
 私が入信した当時の学会には、威張るだけの幹部や、後輩を大切にしない幹部がいた。私は大嫌いだった。
 そんな私の思いを戸田先生は見抜かれ、こう言われた。
 「それならば、大作、お前が本当に好きになれる学会をつくればいいではないか。うんと苦労し、真剣に戦って、お前の力で理想的な学会をつくれ!」
 その通りに、私は、世界が賞讃する学会をつくり上げた。
 戸田先生と不二の心で、輝く民衆の幸福城を築いてきた。
 今度は若き皆さんが、正義が勝つ歴史を晴れ晴れと築いていただきたい!〈「ハイ!」と力強い返事が〉

理想が高いほど到達点は高い

 一、迫害のなか、民主主義のために戦った、アルゼンチンの大科学者ウサイ博士は語っている。
 「青年は、崇高な理想をもち、偉業を成し遂げることを考えねばなりません。
 なぜならば、人生というものが常に、志の一端しか実現できないならば、夢見ることが高いところにあればあるほど、より一層高いところまで到達し得るからです。
 今日、獲得されたものは、かつて不可能とされていた青年の夢が現実化したものであります」
 たしかに、戸田先生も言われていた。
 「青年は、望みが大きすぎるくらいで、ちょうどよいのだ。この人生で実現できるのは、自分の考えの何分の一かだ。初めから望みが小さいようでは、何もできないで終わる」と。
 わが青年部よ!。
 君たちの時代に、人類の希望と輝く、壮大なる連帯を、思う存分、築き上げてくれたまえ!──そう私は託したい(大拍手)。
 〈エスキベル博士はこうも語っている。
 「『平和は実現可能である』との深い確信を持って、池田大作博士は、超人的な忍耐力で、世界各国の青年と対話の場を作り続けています」
 「私はこの今の時代を覆う闇を打ち破る思想として、池田SGI会長の掲げる『人間主義』に深く共鳴するものである。これこそ、人類が進むべき新しき道ではないだろうか。『平和と善の連帯』を地球全体へと広げゆく挑戦は、まさしく喫緊のテーマなのである」〉

宿命転換の好機《チャンス》
 一、仏法では、「煩悩即菩提」「生死即涅槃」「娑婆即寂光」「化城即宝処」など、「即」という甚深の法門が説かれている。
 これは、「迷い」と「悟り」など、正反対の概念を、単なる「イコール」で結ぶものではない。誠にダイナミックな実践論であり、究極の希望の大哲学である。
 広宣流布を目指し、信心根本に進む途上にあって、いかなる難事が競い起ころうとも、断じて打ち破れないことはない。
 その時こそ、「宿命転換できるのだ」「ピンチこそチャンスなのだ」「偉大なる勝利の土台を築くのだ」と大確信に燃えて、勇気ある信心で、妙法という「絶対勝利」の軌道を、前へ前へと進んでいくことだ。
 牧口先生も、座談会などで悠然と語られた。
 「難というものは、どんなに大きな難であろうとも、それは大きな舟に小石を積んだようなものだ」
 一喜一憂する必要はない。
 「冬は必ず春となる」(御書1253㌻)との仰せを抱きしめて、「絶対に乗り越えられる!」「断固として勝ち越えてみせる!」「勝利しないわけがない!」と、一念を定めて祈り抜き、祈り切るのだ。
 大聖人は「即の一字は南無妙法蓮華経なり」(同732㌻)と明かしておられる。
 妙法を唱え、妙法に生き、「勇猛精進」していけば、この法理に則り、どんな苦難も栄光に転じゆく「逆転劇」が、必ず必ず開かれるのだ。
 この絶対の確信に立って、永遠の栄光を勝ち取るまで、“わが弟子として、不屈の信心を勇敢に貫け!”と、御本仏は常に励ましてくださっている。
 御聖訓には仰せである。
 「法華経の行者として生き抜き、日蓮の一門となり通していきなさい」(同1360㌻、通解)
 「法華経の信心を貫き通しなさい」(同1117㌻、通解)
 勝つまで戦う!
 貫いて、最後は必ず勝つ!
 この堅忍不抜の一念で戦い抜いてこそ、無上の栄冠は輝くのである。

困難は発展の源

 一、大実業家であった松下幸之助先生とは、幾たびとなくお会いした。松下先生が繰り返し強調された哲学の一つは“困難こそ発展の源”ということであった。
 「困難に直面した場合には、それから逃げてしまうのでなく、それをのり越えていくよう勇気をふるって立ち向かうことが大切である。そういうところから、思わぬ知恵と力も発揮され、自他ともによりよき成果を得ることもできる場合が少なくない」(松下幸之助著『決断の経営』PHP研究所)
 とくに松下先生は、どんな事業も、どんな団体も、「10年」を一つのリズムとして、何らかの困難の壁にぶつかる。その時に、全力で立ち向かっていく。その繰り返し
のなかで、発展への道が開かれると達観されていた。
 〈松下氏は、池田名誉会長が第3代会長を辞任した翌年の昭和55年(1980年)に会見した直後、「この法難を乗り切れば学会は十倍にも発展する。かつてない難局は、かつてない発展の基礎になる。今こそ全力で先生をお守りし、学会の基礎を盤石にする時だ」と周囲に語っている〉
 ともあれ、御聖訓には、「禍も転じて幸いとなるであろう。心して信心を奮い起こし、この御本尊に祈念していきなさい。何事か成就しないことがあろうか」(御書1124㌻、通解)と御断言されている。
 我々には、御本尊があられる。信心がある。祈りがある。ゆえに、何も恐れるものはないのだ。
 戸田先生は言われた。
 「何があっても、御本尊に祈り抜くと決め切っていくことが、最も立派な哲学である」
 そして「いかなる大難があるうとも、がっちり結束して、学会の大行進を絶対に乱すな!」と。
 異体同心の「祈り」と「団結」で、各方面、各県区の未曾有の広宣流布の大前進を頼みます!(大拍手)

祈りこそ力! 楽しき勝利劇を
語れ! 走れ! 鉄の団結で進め


 一、私の心には、いつも民衆の声が響いている。そして、恩師・戸田先生の声が轟いている。
 戦後の焼け野原から新たな一歩を踏み出した恩師の胸には、やむにやまれぬ思いがほとばしっていた。
 ──民衆を苦しめるな! 悲しませるな! かわいそうではないか! 絶対に民衆を愚弄させてなるものか!
 この血涙の叫びに、学会の魂がある。
 だからこそ恩師は、傲慢や虚偽の人間を断じて許さなかった。
 同じ決心で、私も生きてきた。
 「戸田先生に、本当に喜んでもらいたい!」
 「わが同志が、晴れ晴れと胸を張れるように!」「一人も残らず、勝利者になり、幸福者になるように!」
 そう祈り抜き、一心不乱に私は戦った。
 私が第3代会長に就任した時には、立派な会館もない、何もない学会だった。
 あれから、明年で50年。今や、世界に誇る大法城が、各地に、そびえ立つ。隆々たる発展を遂げている。
 これから、さらに大事なのは幹部革命だ。一人一人が、広宣流布の柱だ。柱は、断じて倒れてはならない。
 堕落は、目に見えない「心」から始まる。やがて姿に現れる。
 今、心の底から、新しい決意に立ち、大成長していかなければ、次の時代は開けない。
 一段と信頼される人になるのだ。そして、師匠にほめられる人間に!──これが仏法の極意である。
 ほめられるといっても、一時の表面的なことではない。
 師弟を、わが人生の根幹に据える。人生の第一に定める。師匠が見ていないところでこそ、師と一体で広宣流布に戦い抜く。その人を、師は讃える。
 私は、この道を貫いた。ゆえに、激しい迫害の嵐を越えて、私は勝った。戸田先生とともに勝ったのだ。
 さあ創立80周年へ、自分自身の楽しき勝利劇を綴りゆこう!
 祈りこそ力だ。今の決意が未来をつくる。戦いがあるから、人生はおもしろい。
 何でもいい、何かで「一歩前進した!」「私は勝った!」「わが家は勝利した!」と万歳を叫べる行進を、一人一人が開始してまいりたい(大拍手)。

自分が強くなれ
 一、この10月31日から、「日本オーストリア交流年2009」を慶祝し、東京富士美術館で「ハプスブルク帝国の栄光──華麗なるオーストリア大宮殿展」が開幕する。
 〈池田名誉会長は、1992年、オーストリアの国家勲章「学術・芸術最高勲位栄誉章」を受章している〉
 ハプスブルク家は、ヨーロッパに勢力を拡大し、13世紀から、実に600年以上にわたって広大な版図を統治した名門王家である。
 私も、かつて、東京富士美術館に展示された、ハプスブルク家出身の有名な皇帝マクシミリアン1世の凱旋の様子を描いた版画を鑑賞したことがある。
 素晴らしい、荘厳な絵であった。
 我ら創価学会も、かくの如き、民衆勝利の凱旋をと、深く心に期した。
 オーストリア出身の欧州統合の父クーデンホーフ・カレルギー伯爵は述べられた。
 「人物の偉大さはその強さにある」(鹿島守之助訳『実践的理想主義』鹿島研究所出版会)
 まず自分自身が強くなることだ。そして、ともに進む一人一人を強くしていくのだ。
 今こそ、創価の万代にわたる勝利を開く、凱旋の歴史を飾っていこう!〈「ハイ!」と力強い返事が〉

大画家デューラー
若者の役に立てることがうれしい


非難をするより実行の人が偉大
 一、この版画「皇帝マクシミリアンの凱旋」の作者は、大画家として歴史に輝くデューラーである。
 卓越した者の常として、デューラーもまた、嫉妬ゆえの非難を受けた。しかし彼は、毅然と綴っている。
 「より良きものを作ることよりも あることを非難することの方が容易《たやす》いことを、私は知っています」
 〈デューラーの言葉は下村耕史訳「ヴィリバルト・ピルクハイマーヘの献辞」、前川誠郎訳・注『デューラーの手紙』所収、中央公論美術出版から。以下同じ〉
 その通りである。
 自分は何もしないで、人を非難する。そして自分は賢いと錯覚する。それほど卑怯な姿はない。
 一歩でもよい。自分の労苦と努力で、広宣流布を進めるために、道をつくっている人が最も偉大なのである。
 一、デューラーは、自らが勝ち取ったものを、惜しげもなく、後輩たちに広く伝え、青年たちの成長に役立とうと努力した。そのための書物に寄せて一文を草した。
 「苦労と仕事を重ね、しかも生計を無視しながら、多くの時間をかけて考案された私の教えが、[本書で]若者たちに伝えられれば、彼らが喜んでそれを自己の改善に役立てることは、疑いないことと思います。というのも自分の知識が増せば増すほど、私はそれを彼らに一層よく伝えたいと思うからです。私としてはそれが少しでも彼らの役に立つことを望んでいます」
 ここに、人間としての偉さがある。
 私も、生命を削る思いで、後継の青年たちのために語りに語り、書きに書いている。
 さらに、デューラーは、こんな言葉も残している。
 「つねに他人に従うだけで、自己の能力からより良いものやそれ以上のものを求めようとしない人を、粗末な知性の持ち主と私はみなす」
 人に言われるまま、現状のままでよしとする、事なかれ主義や受け身がはびこれは、進歩も、創造もなくなる。厳重に戒めねばならない悪弊である。

中国の哲人
使えば使うほど頭は明晰になる


大音楽家マーラー
「声をあげよ」「一歩を踏み出せ」


正しい道を進め
 一、オーストリアといえば、19世紀から20世紀に活躍した、大音楽家マーラーがいる。
 彼は、知人への手紙に、自身の信条を、こう記している。
 「皆が我も我もと声を上げるこのおそるべきご時勢では(演奏を始める前のオーケストラ各パートの『声部』みたいだ)、自らもまた声を上げるのが不可欠になる」
 〈マーラーの言葉はヘルタ・ブラウコップフ編、須永恒雄訳『マーラー書簡集』法政大学出版局。以下同じ〉
 芸術家らしい表現である。
 わが学会も、リーダーが、大きな声、堂々たる声、明晰な声で友を励まし、そして強気で、真実を語り抜いていくことだ。
 マーラーは、こうも書いた。
 「僕は正道を行って、誰をも懼れはしない」
 正義は恐れない。
 マーラーは力強く述べている。
 「地に足をつけて一歩一歩交互に踏み出すこと──そのようにしてこそ先へ進めるのだ」
 新たな勝利に向かって、確かな一歩また一歩を、快活に踏み出してまいりたい。
 一、中国の哲人指導者・呂新吾《りょしんご》の言葉に、こうあった。
 「断固行動する人物は、忙しそうにみえても、心には常に余裕がある。
 ぐずぐずして決断できない人物は、暇があるようにみえても、心には常に疲れがたまっている」
 「頭も体も、常に使っていなければならない。頭は、使えば使うほど明晰になるし、体は、使えば使うほど強健になる」 広宣流布の指導者として、勇気凛々と題目を唱え、威風堂々と指揮を執ることだ。
 いよいよ健康になり、智慧を光らせていくことができるのだ。

真の知識人とは人類に尽くす人
 一、本日(9月30日)、私たちの大切な友人であるマレーシアのアブドゥラ・バダウイ前首相ご夫妻が、創価大学を再び訪れてくださっている。
 今年の2月には、マレーシア公開大学の総長でもあるジーン・アブドゥラ夫人が、同大学から私に対する名誉人文学博士号授与のため、わざわざ来日してくださった。
 ご夫妻そろっての創大への訪問は、今回が2度目となる。
 マレーシアと創価大学の友好は、うれしいことに、年を重ねるごとに深まり、教育・学術交流も、ますます進んでいる。両国の懸け橋となる優秀な卒業生たちも数多く羽ばたき、活躍し始めている。
 昨年の5月、首相とともに来日された夫人は、創価女子短期大学で、こう語っておられた。
 「真の知識人とは何か。それは、自らの知識を、人類に奉仕するために使うという“智慧”を備えた人だと思います」
 まさにその通りである。そして、その賢明な智慧の輝きと、深き愛情によって、多くの人々を照らし、励まし、幸福にしてきたのが、わが創価の女性たちであり、健気なる母たちである。

マレーシアの国民詩人
「母の愛は最も純粋で輝かしい」


偉大な母に栄光あれ

「母」の晴朗さは不和に打ち勝つ
 一、ここで、マレーシアの国民詩人ウスマン・アワンの詩の一節を紹介したい。
 「我々がどれほど、我が身を捧げ、献身しようとも、我々を生んでくれた母の愛には、はるかにおよばない。
 母の愛は、無限であり、それは、人間性のもっとも純粋で、輝かしいものであるから」
 婦人部の方々に、「いつも本当にありがとう!」と、皆で最敬礼し、感謝を捧げたい(大拍手)。
 一、ドイツの大哲学者ヤスパースが母を讃えた言葉がある。
 私には、学会婦人部の皆様の姿と重なり合って迫ってくる。
 「(母は)あらゆることを支える力であった。母の立派な魂と超克できない困難はありえないほどの毅然たる態度とが、私たちの支えになった。
 彼女の晴朗さがどんな不和にも打ち勝った。私たちは母が元気を失ったところを見たことがない」(林田新二訳、ハンス・ザーナー編『運命と意志』以文社)
 母は強く尊い。広布の母は、何よりも尊く強い。
 哲人ヤスパースは、さらに語った。
 「(病気や不愉快、不満が)現実生活を乱す場合、母は、人を元気づけ生活の楽しみを再び進行せしめるような調子を見いだした。(中略)私たちを力づけるような言い方をし、その周囲を彼女の喜びで充たし、くじきえないほどに溌剌としていた。
 母がいると私たちは、どんな不信によっ
ても不安によっても脅かされることのない、安全だという気持ちになることができた」(同)
 まさに、創価の母たちの振る舞いであると私は思う。
 我々は、どこまでも女性を尊重し、大切にしながら、座談会を中心に進むのだ。

座談会で和楽と喜びの光を社会へ

「座談会」こそ学会の推進力
 「原点」を大切にする組織は強い。創価学会の原点は座談会にある。座談会こそ、学会の「推進力」であり、広宣流布の「勝利の根本」であるといってもよい。
 友人の方々が、楽しく集える座談会。新会員が元気になる、和楽の座談会。普段なかなか会合に参加できない人が来ても、「本当に来てよかった」と納得する座談会──そのために、徹底して相談し、それぞれの地域、組織の特長を生かせるよう、中身を考えていただきたい。
 座談会を迎えるまでの活動が大切だ。リーダー率先の、一軒一軒への励ましが、当日の充実した集いとして結実するのである。
 座談会会場を提供してくださる方々には、いつも、さまざまなご苦労をおかけしている。私は妻とともに、日々、心から感謝の題目をお送り申し上げている。会場提供者への配慮を決して忘れてはいけない。
 また、会場には多くの人が出入りする。近隣への配慮も不可欠である。
 ともどもに、「大座談会運動」の大波を起こそう! そして明年へ、世界一、希望と喜びに満ちた創価家族のスクラムを、さらに拡大してまいりたい。
 結びに、婦人部の皆様方へ、

 偉大なる
  広布の母に
    栄光あれ

と捧げたい。
 そして全同志に、

 偉大なる
  勝利の道を
   築かむと
  師弟の栄光
   いやまし光りぬ

と詠み贈って、記念のスピーチとしたい。
 いよいよ、続々と、新しいリーダーが躍り出る時だ。
 まずリーダー自身が、最前線を走って走って走り抜く。正義と真実を、しゃべって、しゃべって、しゃべり抜いて戦うのだ。
 壁を破ってこそ青年だ。後継者である。
 聡明に、希望と幸福のスクラムを広げていただきたい。
 鉄の団結で進もう!
 私と一緒に戦おう!
 勇気をもって!(大拍手)
2009-10-07 : スピーチ・メッセージ等 :
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随筆 人間世紀の光 No.206

随筆 人間世紀の光 No.206(2009.10.3付 聖教新聞)

人類の平和の大道

一人立て! 世界広布へ誉れの前進
太陽は大空に燦然! 仏法の人間主義に国境なし


「地球上から悲惨の二字をなくしたい」
師弟の誓願を胸に 青年よ 弟子よ 走れ


 怯まずに
   今日も生きぬく
    その人に
  勝利の栄光
      開く法理は

 この10月の2日に生誕140周年を迎えた、インド独立の父マハトマ・ガンジーは淡々と語った。
 「24時間、四六時中わたしは民衆とともにいる。わたしがつねづね、いちばん心にかけているのは彼らのことである」
 真の指導者は常に真剣勝負だ。慢心も油断もない。いかにして、民衆を励まし護り抜くか。いかにして、民衆に活力を贈り、勝利へ前進するか。この名誉ある責任に徹していくのだ。
 法華経寿量品の自我偈に「毎自作是念(毎に自ら是の念を作す)」と記される。
 心に、いつも何を抱《いだ》いているか。人間の本当の偉さは、その一念で決まる。
 御聖訓には「いまに一日片時も・こころやすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり」(御書1558㌻)と仰せである。
 この大精神に直結して、創価の三代は、それこそ四六時中、大法弘通への「毎自作是念」を貫いてきた。だからこそ、創立80年にして、これほどの世界的広がりとなったのだ。
 わが創価の友は、全世界で今この時も戦っている。それを思えば、じっとしてなどいられない。祈り、心を砕き、手を打つことだ。
 この師弟の透徹した誓願の一念と行動を、わが青年部が受け継いでくれれば、創価の未来は盤石である。
      ◇
 全世界
  幸福家族
   広がりて
  喜べ 叫ばむ
    慈折広布を

 日本中、世界中を駆け巡る平和旅で、私は、わずかな時間を見つけては写真を撮ってきた。
 素人の作品だが、各地の同志からの要望もあって、高価な絵画の代わりに会館に飾られている。
 これも、わが愛する友に少しでも喜んでいただけるならば、と始めた戦いだ。
 南フランスでは、名峰サント・ビクトワール山に向けてシャッターを切った。
 私たちSGI(創価学会インタナショナル)の欧州研修道場の眼前にそびえる「聖なる勝利山」である。
 この「勝利山」は、近代絵画の父・セザンヌ(1839~1906年)が繰り返し描いたことでも知られる。
 新たな画法を追求したセザンヌは長年、「救いようのない落伍者」等と苛烈な非難中傷にさらされた。だが、彼は微動だにしなかった。まさに、自らが悠然と揺るがぬ「勝利山」の如く、信念の道を貫いたのだ。
 「私は毎日進歩しつつある、私の本領はこれだけだ」
 「目的に到達するためには勇気が必要なのです」
 一人黙々と、カンバスに向かうことが多かった晩年のセザンヌが、心を和ませたひと時。それは、青年たちと対話することだったという。なぜか。
 「若い目にはいつわりがない」からだ──と。
 青年の目は澄んでいる。時流や権威に曇らされず、真実を見抜く光がある。正義を叫ぶ勇気がある。
 若き弟子が描いた「セザンヌ礼賛」という一枚の絵がある。これは、多くの青年がセザンヌの名画を囲んだ光景を描いた作品だ。
 弟子は師に書き綴った。
 「(ここには)あなたへの称賛があります。あなたに啓発された一群の若い者たちの情熱があります」「私たちは絵画について知っていることのすべてをあなたから学んだのですから、当然、あなたの弟子と呼ばせていただけるでしょう」
 セザンヌは、愛する青年に語りかけた。
 「太陽が輝いて、希望が心で笑う」
 我ら創価の師弟も、永遠に「戦う青年」として、太陽の如き大生命を涌現して生き抜くのだ。
        ◇
 壮大な
  使命と知性と
   輝かせ
  世界の指導者
   指揮とり舞いゆけ

 雄々しき勝利山を仰ぐトレッツの欧州研修道場には、今夏も、求道の友が楽しく朗らかに集い合った。
 同所を含め、欧州各地で開かれた夏季研修会に参加した友は実に28力国、1万1千人以上となる。
 この淵源は1975年、8力国から約40人が集った第1回研修会である。以来30数年、大きな人材山脈の伝統が出来上がった。
 「統合」の時代の先頭に立つ欧州SGIの友の前進と拡大は、誠に目覚ましい。その原動力こそ、夏の研修会、とりわけ希望の太陽の如き教学の錬磨である。
 成功のポイントの一つは、充実した御書講義は当然として、それ以上に質問会に力を注ぐことだと、スタッフの方が語っていた。
 一方通行ではない。対話による触発があってこそ、一人ひとりの納得と決意が生まれる。これが、先師・牧口先生、恩師・戸田先生以来の創価の伝統だ。
 現実の「一人」と向き合い、その「一人」を大事にできるかどうか。
 ここにこそ「普遍性」を標榜する、思想・宗教の試金石があるといってよい。「一切衆生」といっても、焦点は「一人」である。
 仏法の人間主義に国境はない。いずこであれ、一人と心を通わせ、誠実に対話することから出発する。
 あらゆる次元で、グローバル化(地球一体化)が進む現代だ。だからこそ、「文明間の対話」「宗教間の対話」、その根本である「人間間の対話」が、今ほど待望される時代はない。
        ◇
 広宣と
  創価の世界の
     平和の日

 今年も、「10月2日」が巡り来た。我らの「世界平和の日」である。
 1960年(昭和35年)のこの日、私は羽田の空港からハワイを目指して飛び立った。私に「世界へ征け!」と遺言された恩師の逝去から、2年半(30カ月)後の命日であった。
 ハワイは、太平洋の中央に光る共生の天地である。この金の島を、傲り狂った日本車は攻撃したのだ。
 戦後の世界にも、幾多の戦乱があり、冷戦があり、紛争があった。
 貧困があり、差別があった。母たちの慟哭があり、幼き生命の嘆きがあった。
 この苦悩に満ちた人類の宿命を転換しゆく戦いを開始されたのが、わが恩師・戸田城聖先生である。
 「地球上から悲惨の二字をなくしたい」と願われた先生。そして、民衆の生存権を脅かす核兵器の廃絶を叫ばれた先生──その遺訓を実現するために、弟子は一人立った。
 戦争を永遠に葬り、断じて平和の世紀を創るのだ!
 それには、生命の尊厳の大法を叫び抜き、世界広布を遂行していくしかない。
 私の胸ポケットには恩師の写真があった。
 世界広布の長征を、師弟一体で開始したのだ。

島は広布の先進地!

 あの国も
  また あの国も
   同志あり
  平和の英雄
    南無し讃えむ

 大著『人生地理学』で、人類の進路に「人道的競争」の時代を予見した先師・牧口先生は、「島嶼」の役割を重視されていた。
 なかでも「世界における重要なる島」として、ハワイ、香港、シンガポール等を順に挙げられた。
 私も、この三地域を幾度となく訪問してきた。
 いずこも大発展を遂げ、わがSGIが社会貢献の模範として賞讃される存在と光っている。牧口先生も、どんなにお喜びか。
 今年も、シンガポール創価学会(SSA)の友は、政府の要請を受け、国家独立の記念式典(8月9日)で華麗な舞を披露した。
 私が会見したナザン大統領も「毎年、SSAの演技が楽しみです。皆様のご活躍に注目しております」と讃嘆してくださっていた。
 これほどの麗しき「よき世界市民」の大連帯が、いずこにあろうか。
 仏法の人間主義を根本に進む創価の大行進が、世界から仰ぎ見られる時代に入ったのだ。
 日本においても、鹿児島の奄美諸島、沖縄の慶良間諸島、宮古諸島、八重山諸島、南大東島、北大東島など、10月7日に「部の日」を迎える離島部の友が、深い信頼を地域に勝ち広げておられる。
 蓮祖は、離島の佐渡で、「我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為《た》るべし」(御書1343㌻)と宣言なされた。
 離島部の皆様方が、それぞれの使命の天地で「幸福勝利」の姿を示されていくことこそ、「本有常住・常寂光土」の法理の偉大なる実証なのである。
 本年11月18日の学会創立の日を記念して、アルゼンチンの人権の闘士エスキベル博士との対談集が発刊される運びである。
 博士は言われた。
 「小さな村のなかに、そして、小さな町のなかに、無名でも、個人や社会の手本となる人がいる。日々の暮らしのなかで建設的に生きている人たちがいる。そこにこそ、目を向けるべきです」
 まさに、わが創価の宝の友を宣揚してくださっていると、私は嬉しかった。
 ともあれ、広宣流布は、一人立つことから始まる。勇気をもって、一歩を踏み出すところから、世界は変わり始める。
 これが、一念三千の妙法の極理である。
 これからも、勇気また勇気の一歩を重ね、偉大なる民衆の大勝利の波動を起こしゆくのだ。
        ◇
 釈尊も
  大聖人も
   誉めゆかむ
  世界広布の
    尊き君らを

 1960年の10月3日にハワイを発った私は、アメリカ西海岸のサンフランシスコに入った。
 “戦争花嫁”として渡米した日本人女性たちが、異国の地で必死の格闘を続けていた。一緒に高台にあるコロンブスの像の前で、幸福と平和の不屈の大航海を誓い合ったことも、懐かしい。
 海外のいずこでも、私は座談会を行った。私の胸からは、戸田先生のご指導が常に響いて離れなかった。
 「なんといっでも、座談会が中心である。私も、そこから広宣流布に立ち上がったのだ。少人数のなかに入って、話し合って、今日の創価学会が出来上がったのだ。座談会こそ、真の指導の根本なのである」
 サンフランシスコでの座談会には、隣のネバダ州から友が駆けつけてくれた。ジョセフ・オライエさん、ヤエコさん夫妻である。
 ジョセフさんは、日本に滞在していた1954年、横浜で入会した。
 ある日、アメリカに戻るべきか否か、夫妻は戸田先生に指導を受けた。すると恩師は温かく、そして厳然と指導されたのだ。
 「広宣流布は、日本だけの時代じゃなくなるよ。先頭切って行きなさい!」
 師の先見の布石である。
 私は、このオライエさんを、ネバダの地区部長に抜擢した。まだ20代の青年である。また日系人以外としては、初の地区部長の任命となる。

若く新しい力を!
 私は大胆に、若く新しい人材を登用した。そこから、新たな広宣流布の前進の息吹が生まれるからだ。
 「法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し」(856㌻)と御書に仰せである。
 人で決まる。一番大事なのは「人事」だ。
 「地区」といっても、ネバダにいる同志は、夫妻を含めても4、5人であった。しかし、オライエさんは、私の心を心として、広布開拓の情熱に燃え、学会活動を続けた。一人の友に会うにも、車で片道12時間かかることもある広大な天地を、勇んで駆け巡った。
 再会は5年後。40人の使命のスクラムに拡大した感動を報告する、誇らかな笑顔は忘れられない。
 その後、香港などでも活勤し、太平洋に輝くサイパンでは、ジョセフさんは初代の支部長として和楽の団結を広げてくれた。
 晩年、彼が過ごしたネバダ州ラスベガスには、この夏、待望の新会館が誕生した。その喜びの拍手は、世界広布の開拓者であるご夫妻への喝采でもあった。
 御聖訓には、「心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他《た》をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき」(御書467㌻)と説かれる。
 妙法を唱え、広宣流布に生き抜いた人生は、人間として尊極無上にして永遠不滅の栄光に包まれるのだ。
 通訳や翻訳の労をとってくださっている方々など、国際本部の健闘も尊い。
 私と妻は、世界広布の功労の友へ、深き感謝の祈り日々絶やすことはない。
        ◇
 世界まで
  功徳は残らむ
   薫るらむ
  あなたの歴史は
    万花と咲きつつ

 初の海外訪問の折、私は南米ブラジルにも向かった。戦後、日本から開拓移住した友らが待っていてくださった。
 私は、厳しい現実のなかでの、皆の悪戦苦闘を伺いながら、「勇気と智慧を振り絞り、信心で勝で!」と全身全霊で励ましていった。
 広布とは、究極すれば、地球上のどこでも、妙法を持つ一人が決然と立ち上がることである。そして自分のいる場所で勝つことだ。
 ゆえに真心の激励を重ね、一人ひとりの己心の「地涌の菩薩」を呼び覚まし、一人ひとりを徹して強くするのだ。
 「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし」(同1360㌻)
 創価の師弟は、この方程式通りに進んできた。だから世界へ「地涌の大連帯」が広がったのだ。
 その前進の礎には、婦人部の方々の強く深い祈りがあったことを、私は誰よりもよく存じ上げている。
 「真実の聖者は、大抵は台座の上に置かれているよりも、群集の中に隠れているものだ」──これは行動する女性作家ジョルジュ・サンドの卓見である。
 人材の王国として躍進するブラジルSGIは、未来部育成の模範でもある。
 この9月には、新たな陣列となった未来部が朗らかに大会を行った。
 ブラジル未来部のシンボルマークはライオンだ。
 「師子王の子は師子王となる」(御書1216㌻)──世界各国でも、御聖訓に仰せの通りの信心の継承が進んでいる。
 「世界へ」というヨコの広がりと、「青年へ」というタテの広がり。そのたゆみなき展開こそ、世界広布の生命線である。

夫婦同道の平和旅
 「世界広布」即「世界平和」への第一陣となる旅から4年後(1964年)の10月2日、私は、7度目の海外訪問に出発した。
 この前日、私の妻も先発隊の一員として日本を発っていた。そして2日午後、香港経由でタイのバンコクに到着した私と合流したのである。これが妻の最初の世界旅となった。
 私の体調を案じた執行部の勧めで、妻が同行するようになったのである。私たち夫婦しての平和旅も、10月2日が出発点だ。
 強行軍の旅行中、妻は、ある時は栄養士のように、またある時は看護師のように、私の食事や健康管理に気を配ってくれた。
 かつて、戸田先生が地方指導に行かれる時、妻は毎回、人知れず駅や空港まで馳せ参じていた。東奔西走される先生のご健勝を祈り、お見送りをした。
 恩師は、そうした妻を、ただ一人の“送迎部長”に任命され、「いずれ全世界に行けるようになるよ!」と労ってくださったことが、思い起こされる。
 その通り、北中南米にも、欧州にも、ロシアにも、中国や韓国にも、東南アジアやインドにも、中東やアフリカにも、世界中に、友情の種、平和の種を、共に蒔いてきた。
 海外での会見や行事には、夫婦同伴の出席が多い。妻の微笑みの人間外交には、大いに助けられた。
 ただ妻は、華やかな場よりも、時間が許す限り、けなげに戦っている現地の婦人部や女子部の方々との懇談を強く望んだ。一人でも多くの同志を励ましたいと、一心不乱であった。
        ◇
 タゴール、トルストイ、ゴーリキーをはじめ東西の文人と交友を結んだロマン・ロランは断言した。
 「われわれは すでにもう、地球の一つの面から他の面へわたって、精神の一家族をつくりだしているのです」
 私たちは、仏法の人間主義で結ばれた地球家族だ。久遠の使命に目覚めた世界広布のパイオニアだ。
 「かくて あたらしき力もて われらが務をはたさん!」とゲーテは歌った。
 新たな時代は、新たな人材と共に開くのだ。
 太陽の仏法は燦然たり。晴れ渡る大空のもと、妙法の正義の旗を掲げ、勇敢に朗らかに前進だ!
 明年は「世界平和の日」50周年、そして栄光燦たる創立80周年である。
 さあ、希望の明日へ、世界192力国・地域の創価家族と肩組み、歓喜の歌を響かせよう!
 次なる勝利と幸福の大叙事詩を、私と君たちとで、地球を舞台に、堂々と綴り始めようではないか!

 万年の
  修行はこの時
    含まれむ
  広宣流布の
     山を登れや


 ガンジーの言葉は『ガンディー「知足」の精神』森本達雄編訳(人間と歴史社)。セザンヌは順にベルナール著「回想のセザンヌ」(『世界教養全集12』所収)有島生馬訳(平凡社)、リウォルド編『セザンヌの手紙』池上忠治訳(美術公論社)、ガスケ著『セザンヌ』與謝野文子訳(岩波書店)、ギャスケ著『セザンヌとの対話』成田重郎訳(東出版)。セザンヌの弟子の言葉はトンプキンズ・ルイス著『岩波 世界の美術 セザンヌ』宮崎克己訳(岩波書店)。セザンヌヘの批判はオーグ著『〔知の再発見〕双書92セザンヌ』村上尚子訳(創元社)。ジョルジュ・サンドは『我が生涯の記』加藤節子訳(水声社)。ロランは『ロマン・ロラン全集35 書簡・日記』宮本正清訳(みすず書房)。ゲーテは『ゲーテ詩集2』竹山道雄訳(岩波書店)。
2009-10-04 : 随筆 人間世紀の光 :
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