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随筆 地域の旭日

随筆 地域の旭日 ─地球の未来へ─ 
  鳳書院 2009.7.3刊 ¥1,300(税込)

はじめに

青年

若き活力で危機の打開を (毎日新聞 2009.3.1)
 ヴァイツゼッカー大統領の言葉
 銃乱射事件をきっかけに起こった若者たちの行動
 アインシュタインがフロイトに問うた「戦争を避ける方途」
 先天性脳性小児マヒを乗り越えた関西の青年

切磋琢磨し合い「なくてはならない人に」(埼玉新聞 2008.6.24)
 与謝野晶子の青年観
 埼玉を訪れた若き日の思い出
 若き友へのエール
 日本初の女性医師 荻野吟子、2人目の医師 生沢クノ
 法華経の説話「衣裏珠の譬え」
 ゴルバチョフ元ソ連大統領と語り合い、一致した法則
 埼玉は東京の食と命を支えた「江戸の母」
 モスクワ大学元総長ログノフ博士とのダイアモンドをめぐる対話
 経済学者ガルブレイス博士の言葉
 武者小路実篤の箴言
 
英雄ナポレオン (東奥日報 2008.8.10~12)
 人間の幸福とは
 若きナポレオン・ボナパルトの言葉
 「自分の星」を輝かせよう
 青森県立美術館で「大ナポレオン展」開催
 名画「サン・ベルナール峠を越えるボナパルト」
 太宰治が描く郷土青森のヒバ林
言論人 生む青森の風土
 古き王朝を終わらせた力は何か?
 弘前出身の言論人 陸羯南
 決断不在の時代に出現する指導者とは
 “命の食”はぐくむ青森県
 ナポレオンと農家の母
 安藤昌益の農耕改革
 奥入瀬渓谷と「滝の詩」
 東奥青森から生まれる新時代
 
民衆交流こそ平和の礎 (山陰中央新聞 2007.1.4)
 「友情の海」日本海
 1968年 「日中国交正常化」提言
 2005年開催「周恩来」展(八雲村)
 山陰出身の日中友好の先人・増田渉氏
 島根県と中日友好協会
 
青年の力で国連の改革を (IPS通信 2008.10.24)
 アルキメデスの英知
 国益より人類益の視点で
 国連を「足場」に地球的問題群の解決を
 21世紀の国連を支える三本の柱
 青年が国連に関われるような制度の確立を
 国連による「青年総会」の設立を
 
女性・子ども・教育

平和の文化──常に生命を慈しむ心を (岐阜新聞 2005.9.4)
 旧岩村町が生んだ女性教育の先覚者・下田歌子
 岐阜県ゆかりの外交官・杉原千畝
 「愛する地域で人のために」と貢献
 岐阜県で進める「男女共同参画計画」
 アメリカの人権の母・ローザ・パークスが日本の女子学生に贈ったアドバイス
 
思いやり社会の創造を (埼玉新聞 2004.1.15)
 ノーマン・カズンズが証明しようとした「希望」
 ロシアの児童文学作家リハーノフ氏の憂慮
 子どもの苦悩を思いやる心
 「愛される」人から「愛する」人に
 ヘッセの「アウグストゥス」に描かれた母の願い
 子どもは「世の宝」の存在
 ウィーンの新聞に載った一人の母の手紙
 埼玉に輝く民衆勝利の歴史
 「足尾鉱毒事件」と田中正造翁
 北川辺町の小学校にある田中正造翁の墓

子どもの幸福のための教育 (福島民報 2005.4.24)
 ベラルーシ共和国のバラノヴァ総長の言葉
 光る「ふくしま子ども憲章」の制定
 ガンジーの言葉「子どもたちのために、自分は何ができるか」

人間・宮沢賢治に想うこと (岩手日報 2003.8.8)
 宮沢賢治の叫んだ「本当の幸福」とは
 宮沢賢治が探究した「法華経」の哲学
 宮沢賢治の「生徒諸君に寄せる」

輝く「人間教育」の源流 (福井新聞 2004.2.26)
 魯迅の教育者としての側面
 「人間の尊厳」勝ち取る正義の魂
 魯迅と藤野源九郎先生との師弟のドラマ
 福井に残る先哲の足跡
 福井で開催された「魯迅展」

地域の力 女性の力 (千葉日報 2009.3.16)
 「千葉県なんでも日本一」
 江戸英雄三井不動産会長との出会い
 試練の時代にこそ人間の心が試される
 千葉県発の時代を先取りした発想
 地域の活力育む「思いやる心」「学ぶ心」
 「女性外来」の開設にコロンビア大学から贈賞
 太陽のような心で未来を照らせ
 宿命を使命に変えた船橋の家族

平和・人権・共生

平和市民の力で核なき世界を (中国新聞 2008.9.8)
 平和市民の永遠の都 広島
 「広島」という平和運動の旗印
 「2020ビジョンキャンペーン」についてのインタビュー
 洞爺湖サミットで明記された核軍縮
 「クラスター爆弾禁止条約」の採択
 核兵器と人類は共存できない
 「平和の方程式」を確立する時

北東アジアの新時代へ (日本海新聞 2008.5.1)
 日本海に広がる友情の道
 鳥取県の環境教育は先駆的
 環日本海サミットで発表された「環境交流宣言」
 環境問題の解決に欠かせない青少年の意識啓発
 日本海新聞に届いた韓国人男性からのメール
 友情の心満ち創造力が躍動
 「環日本海」は文明交流の大舞台

長崎は平和行動の原点 (長崎新聞 2002.7.29)
 ライナス・ポーリング博士が語る長崎への思い
 核廃絶を全世界に訴える使命
 北村西望先生渾身の大作・平和祈念像
 核廃絶への歩みと蝸牛
 ポーリング博士夫妻の平和闘争
 高校生が起こした核廃絶への「1万人署名」

心のふるさと“山光” (日本海新聞 2004.3.9)
 ロバート・キャパ氏の写真機
 永遠なる瞬間
 キャパ兄弟が発信するメッセージ
 不滅のメッセージ
 「エリザベス・サンダー・ホーム」創設者・澤田美喜
 平和を願う
 ロバート・キャパの墓に刻まれた文字
 「未来の光」へ
 写真芸術先進県鳥取で開かれた「ロバート・キャパ」展

東北の挑戦に期待 (河北新報 2005.5.18)
 グリーンベルト運動の先駆者・マータイ博士
 3千万の植樹は教育の力で
 東北が先駆的に広げる「環境教育」
 「松林」保全運動に立ち上がった尊き市民の言葉 

平和の原点「うつくしま」 (福島民報 2005.6.19)
 世界を結ぶ知性の揺籃・福島
 歴史学者・朝河貫一博士の慧眼
 福島県に残る「日韓」「日中」の友誼の足跡
 戊辰戦争に学ぶ悲劇
世界市民の心 (岐阜新聞 2005.7.3)
 「愛・地球博」から広がる世界との「友好」「交流」
 個性を尊重し、違いを学び合う
 白いバラが咲く庭と色とりどりの花が咲く庭
 岐阜を訪問したゴルバチョフ夫妻
 
地域・文化

文字文化復興の新潮流を (山陽新聞 2006.10.17)
 少年時代の読書が開く世界
 古今の名作は人生の財産に
 オランダの知識人二コ・ロストの強制収容所での交流
 活字離れは人間力の衰退に
 「正しい本」から「正しい判断力」を
 日本新聞協会が提唱する「NIE」運動
 
ヴィクトル・ユゴーの叫び胸に (神戸新聞 2002.12.10)
 活字文化へのユゴーの誇り高き宣言
 歴史の正義と真実を刻む
 青春の一書『レ・ミゼラブル』
 「世界の書籍展・神戸展」に込めた願い
 活字こそ知性の証 若者に夢伝えよう
 兵庫県が進める「ひょうご“本だいすきっ子”プラン」
 『人生地理学』をいち早く紹介した神戸新聞
 人々に勇気を与える新聞の使命
 阪神・淡路大震災時にも発行し続けた神戸新聞
 「世界への窓」神戸
 
北陸から世界へ文化の大光を (北国新聞、富山新聞 2008.10.2)
 日本文化の花「北陸」
 ふるさとに尽くす
 芸術文化の殿堂「赤羽ホール」
 
人間の魂の強さと誇りを (北国新聞、富山新聞 2007.9.20)
 幸福の鍛冶屋(ロシアの文豪ショーロフ)
 日ロの交流は平和の光源
 
「志国」にみなぎる創造の力 (四国新聞 2008.11.25/12.17、2009.1.14/2.11/3.18)
 三国志の英雄・諸葛孔明の励まし
 三国志に学ぶ激動の時代への対処
 「ものづくり」の智恵を生む四国
 未来は人材で決まる
 劉備玄徳の至言
 郷土に貢献する「無冠の英雄」
 青年と活字文化
 四国は「詩国」
 トインビー博士が絶賛した瀬戸内海
 香川県が推進する「23が60読書運動」
 「師国」の誉れ高き心と技の継承
 希望の春は母から生まれる
 女性教育の先進県 香川の慈愛の光
 一人を大切にする母の心に学べ
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2009-06-30 : 随筆集 :
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フィリピン・国立南ルソン大学名誉人文学博士号授与式 

フィリピン・国立南ルソン大学「名誉人文学博士号」授与式      
                      (2009.6.29 創価大学本部棟)

 フィリピン共和国の環境保護活動をリードしゆく名門・国立「南ルソン大学」が29日、創価大学創立者の池田SGI(創価学会インタナショナル)会長に、同大学として日本人初の「名誉人文学博士号」を贈った。これは、人類の心の変革を成し遂げ、自然と人間の共存を一段と深めゆくSGI会長の哲学と行動を讃えたもの。授与式は同日午前、東京・八王子市の創価大学本部棟で行われ、南ルソン大学のセシリア・ガスコン学長、同国高等教育委員会のサタニーノ・オカンポ元コミッショナーが出席した。これでSGI会長に対する海外の大学・学術機関からの名誉学術称号は、「257」となった。

ガスコン学長の授与の辞

教育が根本との烈々たる信念で平和・非暴力に計り知れない功績


 平和の担い手たることを使命として掲げ、その遂行に真剣に取り組むフィリピン国立南ルソン大学は、現代において失われつつある社会、経済、教育、そして精神面での諸問題に取り組む必要性を深く認識しております。
 今、多くの政府が、構造的かつ慢性的な貧困、人類の結びつきと平和および、この世界に生きる人々の精神的・道徳的価値観の低下の問題に頭を抱えていると考えられます。
 従って、最も大変で困難な課題とは、人類の真の変革に持続的に取り組むことであります。
 しかし、自らの安穏を犠牲にしてまで、敢えてこの課題に取り組もうとする人は、ほんのわずかしかいません。
 こうした理由から、国立南ルソン大学は、世界との繋がりを広げながら、その必要不可欠な変革を実現するため、習得した知識と能力を社会に活かしゆく、模範となる生き方を掲げております。
 池田大作博士ご自身も語っておられるように、こうした模範の生き方こそ、人々に与えることのできる最高の教育であります。
 平和と人道的発展の探求に、教育は不可欠であります。
 池田博士は、スワミナサン氏との対談集「『緑の革命』と『心の革命』」で、ご自身の不朽の思想の一端を次のように紹介されています。「教育は、人間を幸福にしゆく智慧の光であり、社会を繁栄させゆく創造の力です。そしてまた、世界を平和にしゆく統合の力です」
 教育はあらゆる善の源であり、根本中の根本であります。ゆえに、池田博士の存在、そして博士の教育に対する信念が重要なのです。
 博士は、人間革命の精神を提唱し、人の心を育むことに力を注いでおられます。だからこそ、学生の皆様に、どのような理由であれ、決して暴力に訴え
てはならないと強調されています。
 この点に関して、池田博士は同書で、非暴力の模範として立ち上がった、わが国が誇るアキノ元大統領のピープル・パワー革命に触れ、血を流すことなく変革は成し遂げられると語ってくださいました。
 平和と利他主義の模範であられる池田博士は、最高の栄誉を受けるにふさわしい方です(大拍手)。
 博士は価値創造を理念としたSGIを設立し、世界192力国・地域におけるSGIメンバーの連帯を可能とされました。さらに、未来の地球市民の幸福のために、文化、教育、平和の分野における研究機関を設立されました。
 フィリピン国立南ルソン大学は、平和の提唱者であられる池田大作博士の、その計り知れないご功績と、他者のために捧げてこられたご生涯を、顕彰いたします(大拍手)。
 博士はまた、数々の名著を生んだ文筆家であられ、世界の識者との対話を通し、高潔な思想や理念を対談集という形で文字に残し、人々に大きな感銘を与えてこられました。それは、人類の心の変革と、人間の尊厳と友愛の復興に全力を傾ける博士の、真摯な取り組みの表れであります。
 さらに、教育こそ平和を実現し、人類を新たな段階へと進歩させるための方途であるとの烈々たる信念を掲げ、博士は各地に、世界市民を育成する教育機関を創立されした。そこに博士のお心の大きさ、善意は永遠に生続けるでしょう。
 そして、博士は、「楽観主義」を信条とし、世界を必ず人間主義と非暴力に向かわしめねばならないとの理念を持つ哲学者であります。
 より崇高な精神的価値と平和を生み出す博士のご行動は、自然と地球家族の創造的な共存を一段と深めるものです。
 その模範の人生と業績を讃え、フィリピン国立南ルソン大学は、最大の誇りと栄誉をもって池田大作博士に、本学の最高の栄誉である「名誉人文学博士号」を授与いたします(大拍手)。

SGI会長の謝辞(代読)

勇気の炎で前途を照らせ
教育こそ平和実現の王道
リサール博士
“あとに続く子らのために!”


 きょうの式典には、貴国からお迎えしている大切な留学生の英才をはじめ、学生代表も出席してくれており、うれしい限りです。

一歩でも前へ
 一、私の胸からは、貴国の英雄ホセ・リサール博士の、命を賭した、あの正義の大闘争の劇が、いつも離れることはありません。
 1888年の春、若き世界市民リサール博士が日本を訪れ、目黒をはじめ東京各地を逍遥し、庶民と生き生きと対話されたことも、詩情溢れる歴史であります。
 博士は叫ばれた。
 「人間の偉大さは、単に時代を先取りすることにあるのではない。真の偉大さとは、時代の要請を見極め、その必要性に応えて、社会が前進できるように導いていく中にこそある」と。
 その通りであります。なかんずく、混迷を深めゆく現代を照らす光明は、どこにあるか。
 それは、艱難に立ち向かって、汗まみれ、泥まみれになりながら、一歩でも二歩でも社会を前進させゆく、信念の人材の育成であります。
 リサール博士は、この教育こそを「第一の優先」とし、人類の平和と幸福を実現しゆく最も確かなる王道を開いてこられました。
 この博士の信念を継承し、未来の宝である青年を育て、正義と栄光の高みへ導いておられるのが、貴・国立南ルソン大学なのであります。
 本日、私は、光栄にも、貴国の聖なる山・バナハウ山から、「教育の世紀」へ、燦然たる希望と英知の光彩を放ちゆかれる貴大学より、最高に栄えある「名誉人文学博士」の称号を賜りました。
 これに勝る栄誉はございません。
 私は、創価教育の初代、2代の師匠に謹んでこの栄誉を捧げるとともに、貴国をはじめ世界で活躍する、わが創価教育の俊英たちと、喜びを分かち合わせていただきます。
 まことにまことに、ありがとうございました。

活字文化を守り抜け
英の作家
図書館はすべての人に開かれた宝庫


困難を乗り越え新図書館が完成
 一、貴大学の校章には、幾重にも深い意義が込められております。
 開かれた本は「知識」の象徴であります。
 ペンと巻物は「芸術と文化」を、また植物は「農林技術」の発展を、さらに原子は「科学」と「人的資源」の開発を、そして松明は「永遠の生命」を象徴しているとうかがっております。
 まさしく貴大学は、知性と創造性豊かな「全体人間」の陶冶をもって、地域社会、国家、そして人類への貢献を推進されているのであります。
 バナハウ山・サンクリストバル国立公園の環境保全と森林の再生に尽力され、「環境の世紀」をリードする大学としても、絶讃されております。
 この貴大学の目覚ましき大前進を、聡明なる名指揮で牽引してこられたのが、最年少の若さで学長に就任されたガスコン博士であられます。
 学長が就任後、真っ先に取り組まれたプロジェクトの一つは何か。それは、新たな図書館の建設でありました。
 学長ご自身、フィリピン大学で、尊い苦学を重ねられるなか、授業が終わるや否や、図書館に駆け込み、夜が明けるまで努力を続けられたとうかがっております。
 学長は、「図書館は私の人生の一部」とまで語っておられます。なんと誇り高き、向学の足跡でありましょうか。
 「この世で唯一、人間を真に平等にするものは、書物である。そして訪れるすべての人々に開かれた唯一の宝庫こそ、図書館なのである」
 これは、19世紀・英国の作家ランフォードの名言であります。
 私も同様の信条から、わが創価大学の建設において、図書館の拡充に力を注いでまいりました。
 戦争中、防空壕に入れて護った本も含めて、青春時代からの約7万冊の蔵書も寄贈しました。
 ともあれ、地味でありながら、図書館に満ち溢れる息吹こそ、“活字文化”を死守し、人類の精神遺産を光輝あらしめる力ではないでしょうか。
 貴大学の新たな図書館の建設には、当初、さまざまな困難が立ちはだかったといいます。
 しかし学長の烈々たる情熱が、教職員の心を動かし、さらに協力の輪を、保護者から政府関係者まで大きく広げていった。そして、ついに堂々たる新・図書館の完成となったのであります。
 私は感嘆いたしました。ただひたすら、「学生第一」の精神で献身されゆくその姿にこそ、この世で最も気高い人間教育者の真髄が光っているからであります。

「科学は人間の“心”を持て」
 一、学長は、森林農業(アグロフォレストリー)の研究でも、まことに高名であられます。
 一般的に森林は、針葉樹や広葉樹などが、適度に混じり合った混交林のほうが、生物の多様性に富み、樹木の健全な成長を促し、病虫害にも強いと言われております。
 人間の世界も、開かれた心で、異なる文化や多様な価値観から学び合うなかでこそ、豊かにして確固たる“精神の森”を築き上げることができます。
 私たちが、文明間の対話を促進し、世界市民教育に力を注いできた理由も、まさにここにあります。そしてこれこそ、日本の軍国主義と戦い獄死した、創価教育の創始者・牧口常三郎先生の悲願だったのであります。
 一、本日、ご臨席くださったオカンポ博士は、フィリピン教育界の黄金の柱として、不滅の功績を残してこられました。さらに農業教育の権威として、一貫して環境問題に警鐘を鳴らし、環境の向上に取り組まれていることも、まことに有名であります。
 オカンポ博士の信念の論陣を、私はあらためて思い起こしております。
 それは──科学は本来、「人間の幸福」と「社会の利益」のためにある。ゆえに「科学は、人間の“顔”と“心”を持たねばならない」との師子吼であります。
 政治であれ、経済であれ、すべての指導者が心すべき言葉でありましょう。
 今こそ、人類の一切の営みに、温かな思いやりのある人間の“顔”と“心”を取り戻さねばなりません。その究極の力こそ、貴大学と創価大学が共に目指しゆく「全体人間」の教育ではないでしょうか。

教育は“希望の種”を蒔く挑戦
 一、オカンポ博士がよく語られる、英雄リサール博士の精神があります。
 それは「なぜ、あなたは、大きな木の種を蒔き続けているのか。その花も果実も、あなたは見ることができないであろうに」との問いに対する答えであります。
 すなわち「この種が、木に育つまで私はいないだろう。しかし、私には、あとに続く子どもたちがいる。彼らが木の陰に座り、花の香をかぎ、その果実を味わうことができるのだ」と。
 教育こそ、一人一人の若き生命に“希望と勇気の種”を蒔きながら、人類のはるかな未来に、壮大な“平和と繁栄の森”を築きゆく挑戦でありましょう。
 あの偉大なる「ピープル・パワー革命」を勝ち開かれたアキノ元大統領は、勇敢なる夫君の言葉を通して語っておられました。
 「勇気は、臆病な心と同様、極めて伝染しやすいものです。覚悟を決めた、勇気ある人が、わずかでもいれば、その『勇気』は、多くの人々に影響を与えていくのです」と。
 私もまた、誉れある貴大学の一員として、貴国の民衆が灯された偉大なる勇気の炎を、愛する青年たちと共に受け継ぎながら、試練に挑みゆく人類の前途を明々と照らしていく決心であります。
 終わりに、創立50周年へ、勇躍、邁進されゆく“兄”である貴大学の、さらなる栄光と大発展を心よりお祈り申し上げ、私の謝辞とさせていただきます。
 マラミン・サラマッポ!(フィリピン語で「本当にありがとうございました」)(大拍手)
2009-06-30 : スピーチ・メッセージ等 :
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随筆 人間世紀の光 No.192

随筆 人間世紀の光 No.192  (2009.6.28付 聖教新聞)

対話こそ わが人生

人類を友に! 世界を味方に!
「立正安国」は語らいから始まる


「平和の世紀」の黎明は 沖縄の栄光から!
声をあげよ! 「正義」と「友情」の名曲を

 群衆に
  交わり楽しく
    立ちあがれ
  おお 素晴らしき
     青春王者と

 「精神を鍛練する もっとも有効で自然な方法は、私の考えでは、話し合うことであると思う」
 私が若き日に愛読した、フランスの思想家モンテーニュは、対話の意義をこう強調した。さらに続けて、「話し合うということは人生の他のどの行為よりも楽しいものだと思う」と。
 その通りだ。語らいには、常に新鮮な発見がある。
 「さあ、対話をしましょう!」
 あの大歴史学者トインビー博士と私の対談も、一緒に名曲を奏でゆくような弾む心で始まった。
 2年越し40時間に及ぶ語らいは、人類と世界、歴史と未来、そして宇宙と生命を論じ合いながら、魂の共鳴を深めていった。
 「若いあなたは──」
 対談の最終日、84歳の博士は、45歳の私の手を握って言われた。「このような対話を、さらに広げていってください!」
 遺言の響きをもった一言であった。博士から託された対話の調べは、今、世紀を超えて、壮大な交響楽となり、世界に広がった。
        ◇
 全世界
  妙法の声
    高らかに
  平和と文化の
    金の橋かな
 
 「対話」とは、英語で「ダイアローグ」である。
 これは、ギリシャ語の「ディアロゴス」に由来する。「言葉の意味が流れ通う」という意義になろうか。
 対話は、自説に固執した自己主張のぶつけ合いではない。単なる言葉の往復でもない。対話を通して、互いの語る言葉の「意味」を共有し、理解し合うことである。そして、新たな価値を創造しゆく作業なのだ。
 対話がなくなれば澱む。活発な対話のあるところ、新しい命が流れ通うのだ。
 恩師・戸田先生は展望されていた。
 「これからは『対話の時代』になる。人と語るということは、信念のために戦うことである。また、心を結び合うということだ」
 さらに先生は語られた。
 「世界宗教の創始者たちが一堂に会したならば、大きな慈愛の心で語り合い、尊重し合うであろう。
 そして人類の恒久の幸福に向かって、戦争や暴力・紛争を断じて食い止めようと、手を携えて立ち上がっていくに違いない」
 これは、牧口先生も、戦時中に述べられていた信念であった。

語らいは7千人に
 私は、牧口・戸田両先生の弟子として、全世界の指導者・識者と対話を重ねてきた。その数は、7千人を超えるようだ。
 現在は、インドネシアの哲人指導者・ワヒド元大統領とも、新たにイスラムと仏法の対話を進めている。
 世界は広い。人類は多彩である。語り合うことは、学び合うことである。知り合うことである。そして、尊敬し合うことである。
 対話は、人類を友とし、世界を味方にすることだ。
        ◇
 声 仏事
  君の福徳
    三世まで

 「言論を嫌うよりもより大きな災いを人が蒙ることはありえない」
 これは、対話の名手ソクラテスの発言であった。
 「対話」こそ、生命の尊厳を脅かす、あらゆる「暴力」と対峙する砦である。
 日蓮大聖人が権力の魔性を正された「立正安国論」
は、問答形式(主人と客人の対話)で示されている。
 それ自体が、時の最高権力者に、「対話」の重要性
を真っ向から打ち込まれた警鐘とも拝される。
 「立正安国論」の冒頭は「旅客来りて嘆いて曰く近年より近日に至るまで天変地夭・飢饉疫癘・遍く天下に満ち広く地上に迸《はびこ》る」(御書17㌻)と書き起こされている。
 対話の出発点は、乱れ切った社会への悲憤である。苦しみ悩む民衆に同苦する心である。
 この共通の地平に立てば、いかに差異があっても、同じ人間として、真摯な対話が、いつでも可能なのだ。

違いを恐れるな!
 昨年、私は、韓国を代表する総合誌「月刊朝鮮」からインタビューを受けた。その中で、「対話を上手に行うにはどうすればよいか」という質問があった。
 私は、お答えした。
 ──いかなる立場や信条の人であっても、「生老病死」という、人生の苦悩を避けることはできません。
 この根本問題に無縁の人は一人もない。それを共有する人間同士として語り合う。そうすれば、どんな人とも話は通じます、と。
 私たちには、生命の真髄を解明した仏法がある。そして、現実の社会に積極果敢に関わっていく「立正安国」の理念と行動がある。
 ゆえに誰人に相対しても萎縮することはない。毅然と闊達に、よりよき人生と社会を開く対話を繰り広げていくことができるのだ。
        ◇
 「立正安国論」の対話では、「客 色を作して」「客猶 憤りて」等と、主人から鋭く破折された客人が、顔色を変えて怒り出すという局面が、何回となくある。
 主人は、客人がどう反応しようと、言うべきことを明快に言い切っていく覚悟であった。そして、客人の怒りをも悠々と受け止め、より強く、その心をつかみ、対話を高めていった。
 やがて客人は心から納得し、共に「立正安国」への道を歩む決意をするのだ。
 笑みを湛えて相手を包み込む対話には、今は反発する相手の生命にも、仏性が厳然と具わっていることへの大確信が脈打っている。
 世法の次元では、人それぞれの立場があり、見解がある。千差万別だ。
 仏法の対話は、そうした違いに囚われない。主眼は、相手の仏性を呼び覚ましていくことだ。「立正安国」、すなわち人間の幸福と世界の平和のために、人びとの力を糾合していくことだ。これが、対話の焦点である。
 ここに、御本仏が広々と示してくださった、至高の対話の劇がある。
        ◇
 35年前、私が初めてモスクワを訪れた時のことだ。
 ソ連共産党・国際部の幹部だったコワレンコ氏が、当時、話が進んでいた日中平和友好条約について、厳しい口調で批判を始めた。深刻な中ソ対立の時代である。
 「そうは言っても池田会長!」と、コワレンコ氏が声を荒げて机を叩いた。
 「ソ連は日本を壊滅させる力がある。何なら、もう一回戦争しましょうか」
 氏は対日関係のキーパーソンである。日本人相手に、いわゆる恫喝外交の強面としても恐れられていた。
 目を光らせ、ドンドンと激しく机を叩く氏──だが私は笑顔で、「手は痛くありませんか?」と返した。
 氏は、拍子抜けしたような表情を浮かべた。
 こうした応酬を経て、互いに本音で語り合える仲になった。そこから本当の人間外交が始まったのだ。
        ◇
 天をつく
  沖縄健児の
    雄叫びは
  諸天も 諸仏も
     喜び守らむ

 昭和35年(1960年)の7月16日──。
 それは、「立正安国論」による国主諌暁から満700年の日であった。この日、私は、いまだアメリカ施政権下にあった沖縄へ飛んだ。パスポートを手に降り立った那覇の大地には、誇り高き「地涌の勇者」たちが待っていてくれた。
 到着前に降った驟雨が緑の草木を蘇らせ、爽やかな光風が吹き渡っていた。
 沖縄訪問は、第3代会長に就任した私が、早急の実現を期した悲願であった。それは、恩師から託された使命でもあったからだ。
 「とうとう、来たよ!」
 出迎えてくれた友に、私は万感の心を伝えた。あの胸の高鳴る第一歩は、生涯、忘れることはできない。
 「イチャリバチョーデー」(行き会えば、皆、兄弟)──沖縄には、人と人との出会いを大事にし、いかなる出会いも深き友情に高めゆく豊かな精神性がある。
 「やあ、兄弟!」──そう言って、胸襟を開くところには、どちらが上とか下といった、息苦しい関係はない。その平等に語り合う場には、海風が薫り、明るい青空や星空が広がる。
 我らの「沖縄精神」は、まさに「対話の精神」だ。
 日本中、いな世界中、いずこに行っても、沖縄出身の方々に出会う。そこで、また友情が広がる。
 南米のペルーでも、チリでも、ボリビアでも、沖縄出身の友が、広宣流布の先駆の大道を切り開いてくださった。
 アフリカ・ザンビアのハツコ・カラブラ総合婦人部長も、その一人である。
 沖縄には、「相互扶助」「助け合い」を意味する「ユイマール」という伝統の心がある。「ユイ」は「結い」である。
 人と人、心と心を結ぶのである。その「結ぶ」力は、今や悠々と海を越え、国境を超える。
 まさに「沖縄精神」が、溌刺と世界を結ぶ時代に入ってきたといえまいか。

「人間革命」の第一歩
 45年前の12月2日、私は那覇の沖縄本部で、小説『人間革命』の最初の原稿を書き始めた。
 「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」から始まる「黎明」の章である。
 沖縄から、「平和の世紀」の黎明を告げるのだ。
 那覇から、「民衆の勝利」の永遠の都を築くのだ。
 これが、私の祈りであり、誓願であった。
 後年、その執筆開始の小さな質素な部屋を訪れた、南アフリカの詩人ムチャーリ氏は、しみじみと語られた。「大いなる仕事は、いつも小さなところから始まります」
 “千里の道も一歩から”だ。その一歩をおろそかにして、遥かな希望の旅路を勝利することはできない。
 我らが掲げる平和の大道である「人間革命」もまた、一人との誠実な対話から始まる。
 それは、対話によって、自分自身も、縁する人も、変えていく戦いである。
 小さな殻を打ち破り、無慈悲なエゴの壁を乗り越えながら、善緑を結び、広げていく行動である。
 勇気をもって人と会い、誠意をもって人と語ることこそが、最も確実な「人間革命」の第一歩なのである。
 那覇をはじめ沖縄の友は、世界で最初の広宣流布のモデル地帯の誇りも高く、尊き金の汗を流しながら、今日も前進している。
        ◇
 賑やかに
  また朗らかに
   恐れなく
  君も 私も
   元初の仲間と

 待っているだけでは対話は始まらない。歩み寄り、
声をかけていくことだ。
 香港SGIの総合文化センターは、輝く海を望み、天然の屏風の如き山々に抱かれた景勝の天地にある。
 その入り口のすぐ側に、年配のご婦人が住んでおられた。私が青年たちと散策に出る時など、よく顔を合わせた。
 「いつも、大変にお世話になっております」
 「何か、ご迷惑をおかけしてないでしょうか。騒がしくて申し訳ないですね」
 私と妻が挨拶を申し上げると、そのご婦人は「いいえ、賑やかな方が好きですから」と、笑顔で応じてくださった。
 可愛いお孫さんが、一緒に歓談の輪に加わったこともある。
 開館から13年。地域から親しまれ、香港社会から愛される総合文化センターとして歴史を刻んでいる。
 ささやかな出会いであっても、そこに縁を見出す。それが仏法の眼である。
 そして縁を強め、より深き縁を結んでいく。それが仏法の智慧である。
        ◇
 恐るるな
  悪しき者らの
   奸言は
  我らの信仰
   鍛えるものかな

 誠実に信念を語る人間の声ほど、美しい音律はない。
 法華経では、人びとのために法を説く菩薩の声を
「深浄《じんじょう》の妙声《みょうしょう》」と讃えている。
 電話での語らいは、この声の力の真価を、最大に発揮するチャンスである。
 学会本部、聖教新聞社等の電話の交換台で活躍する「金声会」の乙女たちには、「爽やかだ」「清々しい」「美事な応対である」など、多くの賞讃が寄せられる。
 わが創価の世界には、最も美しく、最も正しい人間の声が響いている。それゆえに、いかなる邪悪な陰謀にも断じて負けないのだ。

電話で仏縁を拡大
 思えば、30年前、本部と聖教本社に電話が殺到して、回線がパンク状態になったことがある。
 それは、昭和54年の4月24日──私が第3代会長を辞任した時のことである。
 「なぜ、先生が辞めなければならないのか!」
 衝撃の声、憤怒の声、悲憤の声……。聖教本社だけでも、この日、3千本以上の電話をいただいた。
 わが真正の同志の、胸も張り裂けんばかりの叫びであった。何ものにも壊されぬ、師弟の誉れの訴えに、交換台の乙女たちも、“私たちの先生は池田先生しかおられません”等と、涙をこらえながら、懸命に応対してくれた。
 私と妻の心から離れぬ歴史である。
 ともあれ、一本の電話の持つ力は計り知れない。
 顔が見えない分だけ、声や話し方が大事である。
 「電話応対コンクール」でも高く評価される金声会の友が、心がけるべき3項目をまとめてくれた。
 一、温かな、微笑みを含んだ声で話す。
 一、相手の話に耳を傾ける。
 一、相手の心を変えていく
 「ワンモア・ワード」(もう一言の真心こもる言葉を添える)──。
 「声仏事を為す」(御書708㌻)である。
 だからこそ、一本一本の電話、そして一回一回の対話が仏縁を結び、福運を広げる仏道修行と思い、深き祈りを込めて、声を響かせていくことだ。

偏見も必ず変わる
 先般、私と対談集を発刊したブラジルの大天文学者モウラン博士は、父君の教えを大切にされていた。
 「人間の考えは、たとえ今がどうあれ、それが最後まで変わらないということはない。偏見は必ず、時とともに変えることができる」と。
 博士は、その偏見を変えていく方途こそ、「対話の道」であると結論された。
 そして、「世界に展開される創価の『対話』は、決して音を立てて大げさにする対話ではなく、静かなる対話の流れ、川の流れのような、弛みなき対話の流れであると思います」と語ってくださっている。
 なかんずく、青年が、乙女が、学生が、真剣に積み重ねる若き世代の対話が時代を開くのだ。
 さらにまた、母たちの声が歴史を変えてきた奇跡を、私たちは知っている。
 そして、社会の荒波を乗り越えゆく壮年の信頼の対話も、千鈞の重みである。
 人びとの頭の上を飛び去っていくような絶叫は必要ない。川の流れのように、一人また一人と心に染み入る対話を続けていくのだ。
 そこに、勝利の活路は、必ず開かれる。
 法華経には「我れは是れ世尊の使なり 衆に処するに畏るる所無し」(創価学会版法華経420㌻)と記されている。我らは仏の使いとして、そして広宣流布の大師匠の弟子として行動する。この誇り高き使命を帯びて、人間群に飛び込んでいるのだ。
 ゆえに、何を恐れることがあろうか。臆さず堂々と、皆が驚くような力を出し切って、戦い勝っていくのだ!
 対話こそ、わが人生──この対話の道が、麗しき人間共和の大道へと開かれゆくと信じて!

 大天地
  創価のスクラム
   一段と
  深く結びて
   全てに 勝ちゆけ


 モンテーニュの言葉は『エセー』原二郎訳(岩波書店)。ソクラテスの言葉はプラトン著『パイドン』岩田靖夫訳(岩波書店)。
2009-06-28 : 随筆 人間世紀の光 :
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あの日あの時 Ⅳ-13 

あの日あの時 Ⅳ-13     (2009.6.26付 聖教新聞)

池田先生と東京・墨田区

「第3代会長誕生」の地

5月3日の両国
 大田区小林町(当時)の質素な家屋の前に、白木静子が呼んだ1台のタクシーが止まった。
 観音開きのドアがあき、モーニング姿の青年が、さっと乗りこむ。続いて清楚な着物姿の女性が、ゆっくりと車内へ入った。
 1960年(昭和35年)5月3日の火曜日。
 創価学会第3代会長が誕生する朝である。
 池田大作新会長と香峯子夫人を乗せたトヨペットのクラウンは、快調なエンジン音を上げて、都内を東に走りはじめた。
        ◇
 その日は憲法記念日の祝日だった。
 第2京浜(国道1号線)の交通量は思ったより少ない。あちこちの建物に、日の丸が掲揚されている。
 前夜は雷まじりの豪雨だったが、日付が変わるころぴたりと止んだ。
 「日本晴れだね」
 遠くに、かすかな雲が見えるだけの快晴である。
 中央通り、江戸通りを走るコースなら、大田区から20㌔足らずで浅草橋の交差点に着く。そこを右折すると正面に隅田川が見えてくる。両国橋をわたれば墨田区である。
 当時のタクシーの初乗りは80円。小林町から800円ほど、かかっただろうか。
 午前10時半すぎ。運転手の肩越しにドーム型の屋根が見えてきた。就任式が行われる両国の日大講堂である。
 この日は夫妻にとって、結婚8周年の記念日でもあった。しかし、すでに香峯子夫人は「今日が池田家の葬式」と覚悟を定めている。
 戸田城聖第2代会長の推戴式は墨田区内だった。
 いま再び、第3代の会長も墨田区から躍り出ようとしていた。

日曜日の秀山荘《しゅうざんそう》
 本格的なテレビ放送の開始に、世間が沸いた53年(昭和28年)。
 墨田区に住む男子青年部の第1部隊のメンバーは、日曜が待ち遠しくてしかたない。午前中から、いそいそと集まり、東京の南にある大田まで通い続けた。
 目的地は大田区山王2の1898(当時)の秀山荘。
 アパートの入り口は、工員たちの下駄であふれた。
 日本の製造業が輸出で伸びた時代である。墨田の町工場で働く若者たちは残業続きだった。
 「みんな、忙しいんだな。ゆっくり時間がとれるのは日曜日だね。じゃあ、自宅においでよ」
 池田部隊長の提案だった。
        ◇
 アパートの玄関脇に、小さな洋間があった。
 裸足のまま上がりこんだ若者たちの輪の真ん中に、蓄音機が置かれている。
 勇壮な調べが室内を満たしていた。
 池田部隊長が、馬の手綱を引くように両手を前後に揺らして解説を加えていく。
 「うん、ここは戦《いくさ》が済んで、意気揚々と引き上げてくるところだ」
 スッペの「軽騎兵序曲」が、静かな旋律へと変わった場面だった。
 工員たちはクラシックどころか、歌謡曲を聴く機会すらない。ひまな時は錦糸町をぶらついたり、空き地で相撲を取るくらいである。
 部隊長は、質素な生活のなかにも、良質な文化・芸術を求めていく大切さを教えてくれた。
 蓄音機も手回しではなく、電気でレコード盤が回り始めるもの。青年たちから思わず、おおっと声が上がった。
 朝、墨田を出るので、みなが部隊長のアパートに着くのは昼前である。いつも誰かのお腹がグーッと鳴った。
 すかさず部隊長が「みんな、お腹がすいているみたいだね」と立ち上がる。一同、照れ笑いするしかない。
 「ライスカレーを作ってあげよう。戸田先生から作り方を教わったんだ」
 部隊長みずから包丁を握り、野菜を手ごろな大きさに切る。カレーの鍋から、ぐつぐつ音がして、いい匂いが立ちのぼってきた。
 部隊長の書棚にも圧倒された。ゲーテ、トルストイ、ユゴー、ホイットマン……。
 「手に取ってごらん。読みながら待っていてよ」
 戸田会長から個人教授された際のテキストもある。
 みな文豪の全集を手に手に眺めていると、ごろごろとジャガイモが入った豪快なカレーが完成した。
 音楽。文学。芸術──。池田部隊長と一緒にいるだけで、新しい世界が眼前に開けていった。

ひるがえる三色旗
 第1部隊の前任の部隊長は、胸をそり返して、のしのしと歩くクセがあった。
 気に入らない後輩には当たり散らす。へたに肩をもったりすれば「貴様まで俺に盾突くのか」と、ねちねち嫌みを言われる。活動から遠のく者も出た。
 しかし池田部隊長になって、がらりと変わった。
 「君たちは、だいぶ睨まれているようだね。でも心配することはない。僕が守ってあげるから、安心してついてきなさい」
 下町の人は、妙な遠慮や気兼ねを嫌う。
 池田部隊長は、さっぱりとした気性で、腹に何の隠し立てもない。
 金属プレスエ場で働く青年がいた。ある日、部隊長が近所の銭湯「丸風呂」に連れていってくれた。
 青年は洗い場で、はっと息をのんだ。
 部隊長の背中の肉に厚みがない。肺を病んだ人に独特のやつれ方である。
 「僕は、結核でね。25か26、うまくいって30歳までしかもだない身体と医者に言われているんだよ」
 深刻な病状にもかかわらず、口ぶりには屈託がない。めそめそした感傷など微塵もない。
 青年は感激した。これほど死魔と戦いながら、部隊長は墨田のために命を削ってくれているのか。
        ◇
 後年、宗門事件が起きたとき、墨田区の同志は、微動だにしなかった。
 区内には、常泉寺や本行寺など大きな寺がひしめいている。戦前は大石寺よりも身入りがよく、檀徒への影響力も大きかった。
 ある意味で、墨田は宗門に飲みこまれる危険が最も大きい地域だった。
 しかし、庶民の目は鋭い。
 噺家の古今亭志ん生が十八番《おはこ》にした貧乏話も、墨田の長屋が舞台だった。苦労人が多い分、誰が欲に目がくらんでいるか、すぐ分かる。
 一人の草創の幹部が語っている。
 「人間は中身さ。坊主は寺を立派にして、人の目をくらまそうとばかりしていた」
 「池田先生は違ったね。『風呂』と『飯』だ。一緒に戦ってくれた。あったかい思い出が肌身に染みついてらあ」
 第2次宗門事件が起こった翌年の91年(平成3年)12月3日。
 墨田入りした名誉会長は深くうなずいた。
 新しくなった墨田文化会館は、無数の三色旗で埋め尽くされていた。

聖教を頼みます
 墨田は聖教新聞の購読層が厚い。「どこを回っても、聖教が多いなあ」。大手新聞の販売拡張員も驚いている。
 原点は、戸田第2代会長の時代にあった。
 聖教新聞に、まだ配送システムがないころ。
 日曜になると、各支部の担当者が信濃町の旧学会本部へ新聞を取りにいった。
 墨田の担当は、第1部隊で池田部隊長から訓練を受ける青年だった。
 彼が新聞の束を抱えて帰ろうとした時である。
 本部の2階へと続く階段の途中で、仁王立ちしている戸田会長と出くわした。
 真剣な表情である。一瞬、たじろいだ。
 ところが──。
 「ご苦労様です。大事な大事な聖教新聞を、よろしく、よろしく頼みます」
 戸田会長は深々と、その長身を折ったのである。
 青年も慌てて頭を下げた。そっと顔を上げると、まだ会長は頭を低くしたままである。こんな姿を見るのは初めてだった。
 ここまで、聖教を大事にしてくださっている……。
 後に青年は、聖教新聞が戸田会長と池田部隊長の師弟二人で創刊されたことを知る。

周総理と隅田川
 かつては墨田を「東京のすみっこだから」と冷やかす人もいた。
 池田第1部隊長は違った。
 「ここが、世界の中心になるよ」
 昭和20年代の後半、墨田区押上の広田弘雄の家は、第1部隊の拠点だった。ブリキのおもちや工場である。
 「我々は、戸田先生の直弟子の襟度をもって、立派な指導者になるんだ」
 池田部隊長が白扇をぱっと開いて立ち上がる。部隊歌だった「星落秋風五丈原」の指揮を執りはじめた。
 またたく間に、東京の一隅の小さな拠点に、広大無辺な師弟の世界が広がった。
        ◇
 「創価学会の池田大作会長が、日本の中国への敵視政策を捨てて、両国の国交正常化を主張」
 この特電が、北京・中南海の執務室にいる周恩来総理の耳に届いたのは、68年(昭和43年)9月11日である。
 名誉会長の歴史的な日中提言から3日後のことだった。
 提言発表の舞台は、隅田川に近い日大講堂である。
 この日をさかのぼること50年前の1918年(大正7年)の春4月──。
 日本に留学中だった19歳の周青年は、友人と荒川堤へ出かけた。
 その帰り、市電の車中から、万朶の桜に彩られた隅田川を目に焼きつけている。
 それから半世紀を経て、日中の春の到来を呼びかける名誉会長の第一声が、墨田の地から北京に届いたのである。
        ◇
 押上のブリキのおもちや工場の周辺も、今や大きく様変わりした。
 すぐ近くでは、世界一の高さとなる観光タワー「東京スカイツリー」(610・58㍍)が、2011年12月の完成をひかえている。
 澄みわたる空の下で、墨田は世界の中心になる──。
 若き日、名誉会長は展望した。その通り、世界が仰ぎ見る大都市が誕生しようとしている。
2009-06-27 : あの日あの時 :
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随筆 人間世紀の光 No.191

随筆 人間世紀の光 No.191  (2009.6.23付 聖教新聞)

創価の源流・大東京

法華経に勝る兵法なし!
本陣よ!堂々たる正義の師子吼を


 堂々と
   巨人の如き
    魂で
  今日も勝ちぬけ
    歴史を勝ちとれ

 「僕は進んであらゆる出来事に挑戦したい」
 古代ローマの哲学者として名高いセネカは、満々とあふれる闘志を語った。
 さあ、何でも来い!
 はち切れんばかりの生命力で戦おうではないか。
 人だ。人である。「永遠の都」ローマを築いたのも、勇敢なる人間の大情熱だ。
 今、その魂は、生き生きと、わがイタリアSGIの友に脈打っている。
 嬉しいことに、創立80周年に向かい、世界広宣流布の首都・東京でも、新しき民衆の「平和の城」建設の槌音が力強く響いている。
 春3月には、三鷹平和会館がオープンした。
 これから、世田谷平和会館、町田平和会館、江東平和会館、荒川平和会館なども、堂々とそびえ立つ。広宣の会館は、地域社会に、繁栄と安穏の大光を贈りゆく灯台である。

反撃だ! 巌窟王の闘魂で立ち上がれ

戸田講堂30周年
 この6月、豊島区の巣鴨に立つ東京戸田記念講堂は、晴れの開館30周年の佳節を迎えた。
 守る会をはじめ、いつも真心で我らの師弟城を荘厳してくださっている方々に、厚く感謝申し上げたい。
 戸田講堂は、立川文化会館、神奈川文化会館、荒川文化会館などとともに、創価の正義の旗を掲げて、“反転攻勢”の歴史を刻んできた。
 昭和54年の6月2日──私は、真新しき講堂をそっと訪れた。翌日の開館を前に、懸命に準備に当たる同志の姿が、あまりにも健気であった。
 大広間には、牧口初代会長、戸田第2代会長の肖像写真が、皆を見守るように掲げられていた。
 私が第3代会長を辞任して40日である。
 両先生の慈愛の目が厳しかった。お二人の叫びが聞こえるようだった。
 どんなに壮麗なる建物ができても、創価学会に師弟不二の絆が失われ、破邪顕正の剣を捨ててしまえば、抜け殻と同じである。
 ましてや豊島区は、両先生が法難を受け、投獄されていた東京拘置所があった場所だ。豊島公会堂で、方便品・寿量品講義や御書講義を行われる戸田先生は獄死した先師を偲びなら、権力の魔性へ憤怒の炎を滾らせておられた。
 その恩師の名前を冠した記念講堂は、正義の闘士が集う大講堂である。
 反撃だ! 今再び、創価の巌窟王の闘魂を燃え上がらせるのだ! これが私の決心であった。
 地元・豊島の同志も、隣接する北区の友も、“戸田講”を広布の戦艦として、共に船出をしてくれた。
        ◇
 戸田記念講堂が開館した6月3日は、さかのぼれば、嘉永6年(1853年)、浦賀にアメリカのペリーの黒船が来航した日でもある(旧暦)。
 「幕末」は、この日から始まったといわれ、日本の新しい夜明けの時であった。
 この激動期を新時代へ動かし、江戸の街を救った指導者が、本所(墨田区内)の出身の勝海舟であった。
 海舟は訴えていた。
 “一身の栄辱を忘れ、世間の毀誉を顧みず、自ら信ずるところを断行せよ”
 全く、その通りだ。大事なことは、混迷の世に、庶民の命と暮らしを、どうすれば守れるかである。
 民衆の幸福を心から願った、牧口先生、戸田先生は、狂気の国家権力によって弾圧されながら、恐れることも、動ずることもなかった。師子王の如く、獄中で決然と正義を貫かれた。
 戸田先生は、巣鴨から中野の豊玉刑務所へ移られた直後に出獄された。昭和20年の7月3日──この日、戦禍の焼け野原に立たれて、中野から、学会再建への歴史的な第一歩を踏み出されたのである。
 思えば中国の周恩来総理も、日本に留学中、現在の中野文化会館のすぐ近くに一時期、下宿されていた。
 人情豊かな中野の庶民との心の交流も、大切に胸に温めておられた。
 「つねに大衆から離れず、大衆に学び、大衆に援助の手をさしのべる」
 青春時代から一生涯、貫き通された総理の信条だ。
 そして、わが創価学会は、この東京を起点とし、大衆と共に! 大衆のために! 平和と文化と教育の大連帯を、世界中に結び、広げてきたのだ。
        ◇
 広宣の
  大河の源流
   大東京
  使命も 功徳も
     世界一かな

 「源遠流長」(源遠ければ流れ長し)──。
 日蓮大聖人は、末法万年尽未来際へ、「広宣流布」そして「立正安国」の魂魄を、武州池上(現在の大区内)すなわち東京に留められて、入滅された。
 その大東京こそが、創価学会の発祥の天地である。
 世界を潤す大河となった広宣の源流は、東京なのだ。
 “江戸っ子”の私も、ここ東京で恩師に出会い、広宣流布を誓った。東京で75万世帯達成への突破口を開いた。そして東京中を走り抜いてきた。
 地図を開けば、あたかも第2総東京を頭として、師子が吼え、今まさに跳躍せんとする姿にも見える東京である。
 東京は師子だ。いな永遠に師子であらねばならぬ。
 大聖人は「師子の声には一切の獣・声を失ふ」(御書1393㌻)と仰せである。
 大東京は、いついかなる時も、断固たる師子王の勝鬨を轟かせて、あらゆる魔軍を退散させていく使命があり、天命があるのだ。
        ◇
我らは東京家族! 一丸で勝利の栄光劇へ前進

 四方に隣接する山梨県、神奈川県、千葉県、埼玉県、さらに関東も、東海道も、信越も、みな「大東京合衆国」として、一体不二の心で進んでくれている。
 仏法で説く四大天王は、正法正義の世界を四方から厳然と護る働きである。
 東を護るのは「持国天」である。国を治め、民を安んずる働きを持つ。
 西を護るのは「広目天」である。天眼で、悪を呵責し、一切衆生を見守る。
 南を護るのは「増長天」である。悪を打ち砕き、善を増長させる。
 北を護るのは「毘沙門天」(多聞天)である。常に仏の説法を聞き、道場を厳護する。
 最大に頼もしい力用だ。
 さらに仏典には、四大天王の働きについて──
 「常に勝利を得させる」
 「怨敵を降伏させる」
 「あらゆる眷属を増やす」
 「智慧の光で法を説く者を護る」とも説かれる。
 私には、広宣流布の本陣を厳然と護ってくださる、全国の同志の祈りと行動そのものと思えてならない。
 密只は、全同志の真心に、断じて応えてゆくのだ。
        ◇
 法華経に
  勝る兵法
   なきゆえに
  我らは勝たなむ
    思い出 三世に

 正義は勝ってこそ、正義となる。本陣は勝ってこそ、本陣となる。
 見栄や格好などかなぐり捨てて、広宣流布のために、ひたぶるに戦い抜いてこそ、大東京は、未来永遠にわたる、師弟勝利の本陣となるのである。
 私は、「常勝将軍」であられた戸田先生から“勝利の要諦”を学んだ。
 ここでは、その勝負のポイントを、4点、御聖訓を拝しながら綴りたい。

仏法は勝負なり
 第1に、「夫れ仏法と申すは勝負をさきとし」(同1165㌻)である。
 ──必ず勝つと決めた弟子が勝つという眼目だ。
 それは、昭和48年の3月29日であった。
 私は、目黒の友と、記念撮影会を行った。皆の瞳が涼やかに光っていた。
 “師弟正義の目黒”は、恩師がこよなく愛された天地だ。私と妻が結婚して最初に住んだ、懐かしい地域でもある。
 妻も、広布のトップランナー「ヤング・ミセス」の先駆として、蒲田支部・品川地区・目黒班の班担当員を務めながら、目黒婦人部の激励に走った。
 記念撮影会の当日、目黒の同志から届けられた菖蒲の花に、私は驚いた。
 桜の季節に、初夏の花が誇らしげに咲いている。用意するのに、どれほど苦労されたことか。
 仏法は「勝負」である。そして「菖蒲」もまた、「勝負」に通ずる。
 絶対勝利への強き一念が、すべてに漲っていた。
 目黒は勝ったな! 私は、そう深く確信した。
 強盛なる祈りと、そこから発する真剣な行動のなかに、“勝利のドラマ”は生まれるからだ。
        ◇
 第2には、「月月・日日につよ(強)り給へ」 (同1190㌻)である。
 「つよる」とは、弛みなき前進であり、恐れなき勇猛心である。
 昭和52年の9月12日、私は、わが荒川壮年部の総会に出席した。東京各区の壮年部総会の、記念すべき第1号であった。
 下町・荒川には、血の滲む苦労を重ねて、自営業を営んでおられる壮年も多い。
 社会の荒波のまっただ中で奮闘する「創価の黄金柱」に、何としても勇気を送りたかった。
 揺れ動く社会だ。晴れの日もあれば、激しい風雨の時もある。だが、朗々と妙法を唱える胸中には、常に、赫々たる勝利の太陽が昇るのだ。
 沈むことなき勇気の旭日をいだいた人間王者に、どうして破れぬ壁があろうか! 乗り越えられぬ困難があろうか!
 わが荒川の戦友が、庶民の王者らしく、勇気、勇気の拡大で、見事なる金字塔を打ち立ててくれたことは、不滅の歴史である。
 “庶民の勇気”に勝るものなしだ。勇気が自分の殻を打ち破る! 勇猛精進の題目で勝利を開くのだ。

「声仏事を為す」
 第3のポイントは「声仏事を為す」(御書708㌻)である。
 この御文を通して、私は、「希望の特区」町田の同志を励ました。昭和53年の10月2日のことである。
 町田が圏(ゾーン)に発展したその日、忘れ得ぬ第1回の圏総会が開催された。
 「さあ、いらっしゃい」
 会合の前には、懐かしき町田会館に立ち寄り、会館裏の畑で作業をしていた功労者のご婦人をお呼びし、一緒にカメラに納まった。
 「お久しぶりです」──町田文化会館に到着した後も、館内を巡りながら、友と語り合った。厨房にいた婦人とも懇談した。
 「どんどん話すのです。『声仏事を為す』だよ」
 黙っていては、何も起こらない。つんとして、壁をつくっていたら、自分の世界を狭めるだけだ。引っ込み思案で、縮こまっていたら、自分の世界も変わらない。
 声を出す。声をかける。声を届ける。それが「善縁の拡大」につながる。また、それが、自他共の「幸福の拡大」になるのだ。この原理は不変である。
 「おはようございます」「お元気ですか」──当たり前のあいさつが大事なのだ。どんな地域にあっても、爽やかなあいさつに嫌な思いをする人はいない。
 近隣関係が希薄だ、冷たいといわれる大都市であっても、人は、やはり人間同士の温かい結びつきを欲するものだ。
 熱き心の東北から、東京の友人を訪ねて来た方が語られていた。
 ──オートロックのマンションの敷居が高くても、真心込めたふるさとの言葉の響きには心の扉を開く力がある! と。
 自分から周囲へ、わが家から近隣へ、春風の如く、自然のうちに、温かい声、明るい声、力強い声を広げゆくところに、民衆の幸福と平和の地盤が出来上がっていくのだ。
        ◇
 第4に、「教弥よ実なれば位弥よ下れり」(同339㌻)である。
 妙法という最極の法は絶対の真実であり、いかなる人も救い、絶対の幸福境涯に導く。
 この妙法を持った人は、皆が尊極の仏である。その信心においては、広布に戦う人が偉い。立場や役職の上下は関係ないのである。
 ゆえに、仏法のリーダーは、どこまでも最前線で範を示し、最前線の同志を敬い抜くのだ。
 昭和58年の1月30日、私は世田谷文化会館に走った。北風をものともせず、世田谷の勇者が集った第1回幹部会である。
 私は強調した。
 「全員が、広布の第一線で戦い抜こう!」
 世田谷の友は、この私の心を心として、“山の手広布”の道を開いてくれた。
 拡大の舞台は最前線だ。
 ゆえに、第一線へ走れ!
 最前線で勝つのだ!
        ◇
 大東京
  世界の広布の
   本陣と
  走りし貴女《あなた》は
    菩薩なるかな

 7月12日には、誉れの「総東京婦人部 幸福・勝利の日」を迎えると伺った。
 東京23区、また第2総東京、山梨総県、そして伊豆諸島栄光圏の信頼する婦人部の皆様方が、全国の友と心を通わせながら、幸の花を爛漫に咲かせゆく語らいを、朗らかに広げておられる。神々しい限りだ。
 この7月12日は、総東京婦人部の一員である、私の妻の入信記念日でもある。幼き日の妻は、牧口先生の手を引いて、わが家の座談会にご案内した。特高刑事の監視にも微動だにせぬ、“創価の父”の師子吼は、妻の命から離れることはない。

7・12「東京大会」
 昭和32年、私が無実の罪で逮捕・勾留された大阪事件の渦中に、戸田先生は、烈々と正義の糾弾の声を上げてくださった。
 その「炎の東京大会」が台東区の蔵前国技館で聞かれたのも、この7月12日であった。
 2年前(2007年)の7月12日、台東の東京上野平和講堂に設置された「正義の東京大会 顕彰の碑」には刻まれている。
 「万年の創価の勝利を決せんは 本陣・東京の責務なり」
 「師弟凱歌の旭日を元初の朝に示さんは 本陣・東京の使命なり」と。
        ◇
 団地部の
  勝利は 断じて
   栄光の
  人材伸びゆく
    尊き歴史と

 来る6月25日は、わが「団地部の日」である。団地部や地域部の友は、社会の依怙依託となり、信頼の灯台として光っている。
 先日、北多摩の要衝・村山総区のある団地で、未明に火事があった。団地部の友が真っ先に駆けつけ、大事に至らなかったと伺い、心から安堵した。
 その後も、被災者の方の集会所への避難、差し入れ、仮住まいの手配等々。団地部の友の迅速な行動と連携に、感謝と感動が広がったとお聞きしている。
 足立、そして新宿、北、板橋、練馬、江東、さらに江戸川、葛飾、杉並、八王子など、東京団地部は「輝け『幸福の城』」の歌声も楽しく前進されている。
 御義口伝には「足立」という二字が記されている。
 すなわち、「不軽菩薩・法性真如の三因仏性・南無妙法蓮華経の廿四字に足立て」(同768㌻)と仰せである。
 不軽菩薩は、まだ正法に目覚めぬ人びとにも、その人の仏性を信じて礼拝行を貫いていく。どんなに理不尽な圧迫を受けても、「人間尊敬」の対話の行動を絶対にやめない。
 その強さは、妙法という究極の正義の大地に、厳として、わが足で立っているからである。
 創価の賢者が、毎日毎日、わが足で歩きに歩き、相手の命を最大に敬い、粘り強く重ねゆく対話こそ、「不軽菩薩」の真髄の実践なのである。
        ◇
 あの池上兄弟の心意気を継ぐ、大東京の青年部の団結と勇気も頼もしい。
 師弟不二の東京、異体同心の東京は、一丸となれば無敵である。歴史が変わる。
 魔や仏敵は、人と人、地域と地域を引き裂こうと、傲慢や無関心といった人の心のスキにつけ込んでくる。
 仏法は、どこまでも「縁起」を説く。すべての人が「縁」でつながっている。
 「自他彼此の心なく水魚の思を成し」(同1337㌻)である。
 ゆえに、「私も、あの人も勝利を!」と団結して戦うのだ。東京は一つである。
 誉れの本陣同志よ!
 誇り高き東京家族よ!
 今こそ、我ら大東京の底力を、満天下に示そうではないか!

 大東京
  勝ちて世界に
   太陽が
  昇るが如き
    創価の光を


 セネカの言葉は『セネカ 道徳書簡集──倫理の手紙集(全)』茂手木元蔵訳(東海大学出版会)。周恩来の言葉は、日中国交正常化20周年記念・周恩来展の図録『周恩来展』中国革命博物館編(日本周恩来展実行委員会)から。勝海舟は『氷川清話』によった。
2009-06-24 : 随筆 人間世紀の光 :
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新時代第30回本部幹部会

新時代第30回本部幹部会/全国婦人部幹部会/全国学生部幹部会での名誉会長のスピーチ㊤㊦
       (2009.6.16 東京・牧口記念会館)

婦人部へ 百合の花 あなたと共に 日本一
若き友へ 天高く 世界平和の 三色旗


青年に贈る御聖訓
鉄は炎《きたい》打てば剣《つるぎ》となる
苦労した方が勝つ
人まかせでなく自分がたて
不惜身命を忘れるな


 一、きょうは、本当にご苦労さま!
 最初に、各部・各地の皆様に、私が撮影した写真とともに記念の詩歌を贈りたい。

  〈婦人部へ〉
 百合の花
  あなたと共に
      日本一

  〈学生部へ〉
 天高く
  世界平和の
      三色旗

  〈女子部へ〉
 見つめなむ
   妙法蓮華の
      蓮の花

  大切な大切な
  我が娘
  女子部に贈る
  (創価女子会館
  訪問を記念して)

  〈総東京へ〉
 大東京
  断固 勝ちたり
   広宣の
  太陽なるかな
   世界の勝利へ

 〈さらに代表の地域への写真と和歌が紹介された〉
 今、創価の人間主義の大運動に、世界から無数の賞讃が寄せられている。(大拍手)。
 私たちは、深き誇りを胸に、平和と幸福の連帯を、いよいよ大きく広げてまいりたい(大拍手)。

女性を守り敬うのが「騎士の精神」
広布の母に賞讃を
誠意を尽くすリーダーたれ 真心の励ましこそ力


「すごいな」と仰がれる闘争を
 一、海外から参加された皆さん、本当にご苦労さま! ようこそ!(大拍手)
 はるばると、遠いところから、よく参加してくださった。立派な方々である。
 海外はじめ、遠方から集ってくださった方は、最大に大事にしてまいりたい。盛大な拍手を送ろう!(大拍手)
 また、きょうは婦人部の幹部会、おめでとう!(大拍手)
 折伏でも、拡大の戦いでも、一番、結果を出してくださっているのは婦人部である。
 もちろん男性も頑張っているが、やはり婦人部にはかなわない。
 ここで、婦人部の皆さんに最敬礼し、最大に感謝したいと思うが、どうだろうか(大拍手)。
 〈壮年部・男子部の代表が立ち上がり、心からの感謝を述べた〉
 男性のリーダーは、婦人部や女子部の尊き奮闘を、最大にほめ讃えていくべきである。
 かりにも女性に対して威張ったり、叱ったりするようなことは、絶対にあってはならない。これは、戸田先生が厳しく言われていたことでもあった。
 どこまでも女性を守り、大切にする──これが男性の最高の礼儀である。人格の表れである。「ナイト(騎士)の精神」である。
 また、芸術部の皆さんも、ありがとう!(大拍手)
 芸術部は、正義のため、同志のために、本当によくやってくださっている。多くの人々から賞讃の声が寄せられている。
 広布のリーダーの皆さんも、多くの人々から「すごいな」「よくぞ、ここまでやっているな」と仰がれ、諸天善神から讃えられる、日々の闘争であっていただきたい。
 男女青年部も、ご苦労さま!
 学生部も、よく頑張ってくれている。
 女子学生部の健闘も光っている。
 青年部、とくに男子の諸君は、草創の不惜身命の精神を永遠に忘れないでもらいたい。
 スポーツ部の皆さんも、ようこそ! 皆さんの活躍は、よくうかがっています。お元気そうで、本当にうれしい(大拍手)。

「今に見ろ!」それが青年の心意気

若い力を伸ばせ
 一、本年は、ここ八王子の美しい夕焼けを歌った有名な童謡である「夕焼け小焼け」の歌詞が誕生して、ちょうど90年である。
 「夕焼け小焼け」は1919年(大正8年)、八王子出身の詩人・中村雨紅《うこう》が青年時代に作詞したものである。彼は当時、東京・荒川で小学校の教員をしていた。
 中村雨紅は、ある詩の中で、成長しゆく若き勇敢な心を生き生きと歌っている。
 「今に見ていろ 驚くな/青空までも伸びあがり/立派な 大きな木になるぞ」(『中村雨紅詩謡集』世界書院)
 青春時代、こうした詩をいくつも暗記したことが懐かしい。
 大事なのは若き力だ。青年部だ。皆さんは、どんなに大変な状況にあっても、「じっとこらえて、今に見ろ!」の心で戦っていただきたい。
 また、若い力を伸ばすのが、本当に偉い人である。
 壮年・婦人部のリーダーの皆様は、次の時代を考えて、青年を育てていただきたい。それこそ、わが子以上に慈愛を注き、励ましを贈り、真心と誠意を尽くして面倒を見てあげてほしい。
 そして自分も、生涯、青年の心意気で進んでいく。この決意が大切である。
 私も、これまで、その思いでやってきた。

森鷗外
打たれるものは名刀となるべし


矢面に立って
 一、近代日本の大文豪である森鷗外。彼は青年時代、東京・足立に住みへ医師として活動した。
 「鷗外」という名前は、足立区千住の地域を指すともいわれる。
 きょうは、足立のメンバーはいるだろうか?〈足立の代表から元気な返事が〉
 足立は、自分の「足」で、堂々と「立」っていただきたい。
 森鷗外は、逆境の中での信条を、こう綴っている。
 「打タルルモノハ或ハ名刀トモナルベシ」(『鷗外全集第36巻』岩波書店)
 深い意味のある言葉だ。
 私は19歳の青年時代から、ずっと戸田先生という大師匠に仕えてきた。
 先生は、正義を貫くゆえに、難が起こり、敵が襲いかかる。そのたびに、私は矢面に立った。
 理不尽な悪口や中傷で、自分が打たれ、たたかれても、わが師を護り抜いた。
 臆病な、ずるい人間は、すぐに逃げ、自分だけ、いい子になろうとする。これが世の常である。
 しかし、真の弟子は、そんなことは眼中に置かない。
 御聖訓には仰せである。
 「鉄は、炎に入れ熱して打てば剣《つるぎ》となる。賢人、聖人は罵ってみて真価が試されるものである」(御書958㌻、通解)
 鉄は炎の中で鍛えられてこそ、鋼となる。見事な剣となる。人間も同じであろう。
 人生は、苦労したほうが勝ちだ。悔しい思いを乗り越えた青年が、最後は勝利するのである。
 これは、私自身の強い実感である。
 青年時代から、私はあらゆる苦労を乗り越えてきた。
 戦後、事業が挫折し、四面楚歌に陥った戸田先生を、私は一人、支え抜いた。
 先生の会社は、膨大な借金。私は肺病だった。その中で、私は一切を戸田先生に捧げて戦った。
 前も敵。後ろも敵。誰も頼れない。私がいなければ、先生はどうなっていたかわからない。それほど厳しい状況だった。
 明日をも知れぬ、絶体絶命の危機を、偉大なる信心の力で、不二の師弟の闘争で、劇のごとくに大転換させた。
 あの時の闘争があるからこそ、今日の学会の発展があるのである。

師匠のために
 一、戸田先生の後を継き、若くして第3代会長に就任した後も、私はあらゆる嫉妬の虚言を浴びせられた。迫害の連続であった。
 しかし、その中を、敢然と戦い抜いてきた。先頭に立って、世界広布の道を切り開いてきた。
 そして私は、師匠の偉業を全世界に宣揚した。恩師の偉大さを、語りに語ってきた。
 今、世界が戸田先生を讃える時代となったことは、皆様がご存じの通りである。
 〈イタリアやブラジルなどに戸田第2代会長の名を冠した道路や公園が誕生。戸田会長の偉業を讃える顕彰が各国で行われている〉
 師匠を守り、師匠のために、すべてをなげうって戦う。これが真実の弟子だ。本当の師弟の姿だ。
 いざという時にこそ、本気になって立ち上がるのだ。意気地なしであってはならない。
 ともあれ、皆さんの力で、新時代の勝利の歴史を築いていただきたい。
 頼むよ!〈会場から「ハイ!」との返事〉
 一、近代日本の青年詩人・八木重吉(1898~1927年)をご存じだろうか。
 彼は、東京・町田の出身である。
 町田から来た方は、いますか?〈会場から力強い返事が〉
 本当に美しいものを求めて求め抜いた、清冽な詩人である。
 彼の詩の一節を紹介したい。
 「若きこと だんぜんとして すべてにまさりてみゆる」(『八木重吉全集第1巻』筑摩書房)
 若さゆえの未熟さもある。それでもなお、若さはすべてに勝ると詩人は見る。
 青年の力こそ、何ものにも勝る、勝利の力である。
 戸田先生も、青年以外、信じなかった。
 古参の幹部には、戦時中の弾圧に屈した、ずるい人間もいた。
 先生は厳しく見ていた。ゆえに、青年に未来を託された。
 そこで立ち上がった青年部の代表が、私であった。
 常に新しい戦野を切り開き、最高の勝利をつかんだ。
 信心の戦いで勝ったのである。

一日一日を勝利で飾れ

きょうも向上!
 一、八木重吉は、師範学校や中学校で教師を務めながら、人生の道を求める青年の心を詩にうたいあげた。
 結核にかかり、29歳の若さで逝去するまでの間、書いて書いて、病床に伏しても書いて、数多くの詩を残した。
 青春の生命を燃やし尽くした、その純粋な文学は、今も人々の心に静かに語りかけ、感銘を与えている。
 彼は日記に記した。
 「『感謝』の無い生活、向上の無い生活は死である。『向上』そのものが強味だ」(『同全集第3巻』)
 感謝を忘れず、向上を続ける人が光る。
 向上しよう! その心をもつ人は強い。
 同じ生きるなら、「最高の何か」のために生きるのだ。
 人類の平和と幸福に尽くし抜く妙法の流布こそ、まさしく最高の生き方なのである。
 「自らを錬《きた》ふるは今日に在る。人生は『今日』の連続だ」(同)
 これも八木重吉の信念の言葉である。
 人生の勝利は、きょう一日を勝つところから始まるのである。
 一、きょう、ここには、ブラジルSGI(創価学会インタナショナル)ドクター部の副部長、マリア・デ・ナザレさんも参加されている。
 最優秀の医師であるナザレさんは、スイスでの国際会議の前に、わざわざ日本に立ち寄ってくださった。世界広布の功労者の一人である(大拍手)。
 一、さて、八木重吉が師範学校時代の教え子にあてた手紙には、こう綴られていた。
 「希望のつばさ、理想のつばさへ乗って勇ましくかけりなさい。渾心のちからをふるひおこして」
 「ゆきなさい。すすみなさい。ただただ、どんなときどんなことがあらう共、その純な眸のかがやきを失わぬ様にしてくれ」(ともに『八木重吉全集第2巻)
 私もまた、「君よ、あなたよ、青春の誓いのままに、まっすぐに勇敢に戦い抜け!」と申し上げたい。
 詩人の呼びかけは、強く響く。これも、教え子の将来を、深く思いやるゆえである。
 詩人は、人生を勝ちゆく方程式を教えてくれているのである。

トルストイと会った作家の徳冨蘆花
「師弟の情義」は永遠


 一、近代日本において広く読まれた作家の一人に、徳冨蘆花がいる。名作『自然と人生』を、私も青春時代に繙いた。読書ノートに、その一節を書き写したことも懐かしい。
 彼は1906年、尊敬するロシアの文豪トルストイの故郷、ヤースナヤ・ポリャーナを訪問する。トルストイと会見し、文学における日露交流の歴史を刻んでいる。
 〈名誉会長は、このトルストイの故郷にあるL・N・トルストイ記念トゥーラ国立教育大学から、昨年4月、名誉教授称号を受章。
 トルストイの直系の玄孫(孫の孫)であるウラジーミル・トルストイ氏(国立記念自然保護区・L・N・トルストイの屋敷博物館“ヤースナヤ・ポリャーナ”館長)とも交流を重ねている〉
 一、徳冨蘆花は、東京・世田谷の地域を愛し、長年、文学と人生の拠点としたことでもよく知られている。
 彼の『思出《おもいで》の記』には、こうあった。
 ──世が進んでくると、すべてのことが立派に組織的になり、また悪くいえば機械的になってくるだけ、「師弟の情義」や「朋友の切磋(=学徳をみがくこと)」といったものが、とかく乏しくなりやすい──と。
 一流の人物の眼は鋭い。深くかみしめるべき言葉である。
 「いかなる時代になろうとも、学会は、断じて師弟を忘れてはならない」「永遠に、麗しい同志の励ましのスクラムであれ!」と強く申し上げたい。

国木田独歩
善を行うことをためらうな


勇気あれ!
 一、同じく、近代日本の文豪に、国木田独歩がいる。
 彼が愛した武蔵野の天地は広範にわたる。名作『武蔵野』には、武蔵野の詩趣を描くのに欠かせない地域の一つとして、また武蔵野の水流が走る地域の一つとして、東京の目黒が挙げられていた。
 国木田独歩の『欺かざるの記』も、わが青春の一書である。
 彼は述べている。
 「勇気あれ、善を行うにためらう勿れ」(『欺かざるの記』潮文庫、現代表記に改めた)
 これこそ、学会のいき方である。我らは正しい。絶対の確信で前進してまいりたい。
 ある著名な知性の人が、こう語っていた。
 ──今や、創価学会だけが残った。日本一の富士山のごとく、聳え立っている。本当にすごいことだ。創価学会ほど、世界で認められ、発展している宗教団体はない。文化団体はない。これは、学会の理念が正しいという一つの証左であろう、と(大拍手)。

互いを讃え合え
 一、明治から昭和にかけて活躍した文豪・幸田露伴。
 露伴は、明治の文壇に登場し、天下の人気を集めて黄金時代を築く。東京・墨田にも居を構えた。教育にも貢献し、新しい人材を育てていった。
 露伴は、「士は己を知るもののために死す」との古語とともに、次のように述べている。
 「自己の手腕や精神を認識了知して貰うということは、最第一の満足であり愉悦である。之に反して最善を尽して執務して居るにもかかわらず、之を認めて貰え無かった場合には最大苦痛を感ぜずには居られ無い」(「修省論」、『露伴全集第28巻所収、岩波書店、現代表記に改めた)
 人情の機微に触れた言葉だ。私たちもまた、互いの努力を認め合い、讃え合う連帯であらねばならない。
 露伴は指摘する。
 「努力より他に吾人の未来を善くするものはなく、努力より他に吾人の過去を美しくしたものはない。努力は即ち生活の充実である。努力は即ち各人自己の発展である。努力は即ち生の意義である」(「努力論」、『同全集第27巻』所収、岩波書店、現代表記に改めた)
 いい言葉である。
 大事なのは、努力である。
 努力をせず、偉そうに見せるのは、偽者である。悪賢い人間だ。そうした者にリーダーになる資格はない。
 立場が上になり、担う責任が大きくなるほど、一段と努力する。生ある限り、努力し抜いていく。そういう皆さんであっていただきたいのだ。
 私も、そうしてきた。今も努力している。
 努力──ただ、ここにのみ、勝利の証しがある。真の美しさがある。悔いのない人生がある。
 努力しよう!
 広宣流布を成し遂げるという最高の努力を!〈「ハイ!」と力強い返事が〉

学べば自分が大きくなる
 一、さらに、語っておきたい。後世のために。大勢の人たちのために。
 幸田露伴の次の言葉を、学生部の皆さんに贈りたい。
 「人学べば則ち漸く大、学ばざれば則ち永く小なのである」(同)
 露伴自身が学び究めた東洋の文学・哲学の幅広い教養は、人々から深く尊敬された。その作品は、青年の精神を豊かにし、大きくする滋養ともなった。
 なお、幸田露伴の子孫の方々も、これまで聖教新聞に登場されている。
 心より感謝申し上げたい(大拍手)。

滝沢馬琴
恩知らずが悪人の本性


最後に勝つのが本当の成功
 一、次に、江戸時代の文豪・滝沢(曲亭)馬琴の作品に触れておきたい。
 彼は東京・荒川の天地を愛し、親しんだことでも知られている。
 「善に味方して悪を討つという義兵(=公的な正義を貫くための戦い)としての意義をお忘れか」
 「最終的に勝つことこそ本当の成功である」(徳田武校注・訳『近世説美少年録』小学館)
 途中で何があろうとも、正義は、最後に必ず勝たねばならない。
 善が栄え、正義が勝つ社会。これこそ、古今変わらぬ民衆の願いであった。
 これを我らは実現しようとしている。
 ゆえに、庶民に深く同苦する偉人や賢人たちは、皆、学会に味方するに違いない。
 学会をほめ讃え、「私がやりたかったことを、見事に実行してくれている」──そう感じることだろう(大拍手)。
 馬琴の小説には「悪人の、恩義を思わない邪悪な本性」(同)との一節もあった。
 恩知らずが、邪悪な人間の正体である。
 そうした人間に騙されてはならない。誑かされてはならない。
 賢明に見破り、非を糾し、信心の利剣で断じて打ち破っていかねばならない。

祈って勝て! 努力で勝て
正義と勝利の太陽と輝け


女性解放の先駆者 カルティニ
私の心底 好きな乙女は
自分一人の安穏だけでなく
社会と人類の向上について
努力を惜しまぬ女性です!


 一、現在、私は、インドネシアの元大統領であるワヒド博士と対談を進めている。
 ワヒド博士は、インドネシアを代表するイスラム指導者である。
 〈イスラムと仏教を結ぶ語らい」として各界から注目を集めている〉

信念に生きればわが心は安らか
 一、さて、インドネシアの“女性解放の先駆者”といえば、カルティニ(1879~1904年)が有名である。
 インドネシアの“民族独立の母”とも敬愛されている。
 この先駆の女性が、ちょうど女子学生部の皆さんと同じ年代の時であった。
 一人の婦人が心配して、彼女に、こう問いかけた。
 〈以下、カルティニの言葉は牛江名訳『暗黒を越えて─若き蘭印女性の書簡集』日新書院から引用。現代表記に改めた〉
 「道を切り開き、道を探しにかかる開拓者の運命は、何時の世にも必ずひどい苦労の多いものであることを貴女《あなた》は承知していらっしゃるの」
 「誹謗と不満が跡をたたず おしよせるものです」「侮蔑が貴女を手ひどく圧迫することを承知していらっしゃるの」
 若きカルティニは、決然と答えた。
 「ええ知っておりますわ」
 「(わたしは)恐ろしいと思うことも、身震いすることもありません。
 わたくしは心安らかで、実に勇敢であることができるのでございます」
 まさに、彼女は、創価の女性たちのような信念強き人であった。
 婦人部、女子部の皆さんは、何があろうとも、朗らかに友好を広げ、敢然と勝利の道を開いておられる。
 男性は、広布に戦う女性を心から尊敬していかねばならない。あらゆる障魔から護っていかねばならない。
 その心があるところには、本当の異体同心ができる。また、それが、正しい人生の真髄である。
 男性の皆さん、頼むよ!

転換期に生まれ合わせた幸せ!
 一、カルティニは、民族独立の未来を展望して、次のように語っている。
 「婦人がたちあがるのです。変革の時代、旧時代から新時代への転換期に生れ合わすことのできるわたし達は、なんと幸いなことでしょう」
 簡潔だけれども、いい言葉である。
 正義のために、新しい社会への変革のために戦える。それは幸福な充実の人生である。
 きょうは関西から、山下以知子関西婦人部長も参加している。
 関西婦人部は、日本一の婦人部の模範である(大拍手)。
 一、スピーチも長時間になったので、ここで、皆、一度立って、万歳三唱をしよう。
 一回は「創価学会、万歳!」。もう一回は「自分自身の一家の繁栄、万歳!」を。
 〈全員が立ち上がり、万歳三唱を2度、行った〉

勇気の声が世界を変える

家柄を誇ることなど愚かだ
 一、カルティニは、自身の信条を、こう記している。
 「婦人こそ人間の福祉を、もっともよく進める助けとなることができる」と。
 その通りであろう。
 女性が高らかに声をあげた分だけ、人間社会をよくすることができる。
 語った分だけ、真実と正義が広がる。
 女性の勇気こそ、社会を動かし、歴史を変える力なのである。
 さらにカルティニは綴っている。
 「家柄を誇るなどということほど愚かなことはないのです」
 「いたずらに地位を誇示したところで、そういった人たちはそれだけで一体何処に功績があるというのでしょう」
 大切なのは、人のため、社会のために、何をしたかという行動である。実績である。

インドネシアの独立の母
「新しい時代を思うと 私の胸は燃え立つ」


女子学生部よ! 使命に生き抜け
 一、さらに、カルティニの言葉を紹介したい。
 これも、女子学生部の皆さんと同じ年代の時のものである。
 〈女子学生部の代表から「ありがとうございます!」との声が〉
 いい声だね。
 声は“心”である。
 声は“力”である。
 彼女は語った。
 「わたくしが しんそこから好きな乙女は、闊達な歩調で、心ほがらかに生活の道を進み、熱情をかたむけ、ひたむきに打ち込む方です。
 自分一人の安穏ばかりを心がけずに 社会の、ひいては全人類の向上ということにも努力を惜しまぬ女性なのです」
 偉大な先哲は、また指導者は、鋭く本質を見抜いて、後世に言葉を残し、理念を留めているものだ。
 カルティニが「私の好きな乙女」として描いた理想の女性像──それは、まさに女子学生部の皆さん方のことである。
 皆さん方を讃えているのである。
 皆さんは、どんな生き方もできる自由な若い年代にあって、自ら選んで広宣流布のために行動している。
 悪口されることも覚悟のうえで折伏し、学会活動に取り組んでいる。
 すごいことだ。
 ありがたいことだ。
 尊き使命の女子学生部を皆で護っていこう!(大拍手)
 カルティニは言う。
 「新しい時代を想うとわたくしの胸はよろこびに燃えたつのです」と。
 新しい、正しい社会の建設に立ち上がった、女子学生部の皆さん、本当にご苦労さま!〈「ありがとうございます!」と会場から返事が〉
 一、カルティニの胸中には、無限の希望が輝いていた。
 彼女は語っている。
 「よく闇夜の後には輝かしい朝があけるものでございます」
 「人生は自然界の状態とまったく軌を一にしているのでございます」
 妙法に生き抜く創価の女性の生命は、「幸福の太陽」と輝く。
 どんな苦難も乗り越えて、必ず希望の朝を開くことができる。必ずや栄光の明日を勝ち飾ることができるのである(大拍手)。

師を深く信じよ
 一、日本が世界に誇る古典芸能の一つに、「能」がある。「能」を大成したのは、言うまでもなく世阿弥である。芸術の巨人というべき存在であり、彼の「初心忘るべからず」という言葉は、あまりにも有名だ。
 イギリスの歴史学者であるトインビー博士も、初めて日本を訪問した際、最も魅了された文化の一つが「能」であったと、懐かしそうに、私に語っておられた。
 世阿弥は、時の権力者によって逆境に立たされる。
 しかし、その苦難をも糧として、後世のため、不滅の芸術論を数多く書き残していった。
 世阿弥は、『花鏡《かきょう》』という著書に記している。
 「先《まづ》、師の云事《いふこと》を深く信じて、心中に持つべし」(表章・加藤周一校注『日本思想大系24 世阿弥 禅竹』岩波書店)
 まず、師の教えを深く信じて、わが心に持つべきである。
 これは、なんでもないことのように聞こえるかもしれない。しかし世阿弥は、非常に重要な急所を押さえていると思う。
 今日まで、600年以上の歴史を刻んできた能には、師から弟子への、絶え間なき薫陶が光っている。

陰徳は陽報に!
 一、私は、かつて関西のある同志に対し、次の言葉を扇子に書いて贈ったことがある。
 「師匠の恩は 山よりも高く 海よりも深し
 同志の愛は 月光の如く 美しく消えず」
 昭和31年(1956年)──私が28歳の時
である。
 また、同じ年の5月、私は関西の婦人部の方に書き送った。
 “陰徳あれば、陽報があらわれます。これが、仏法の因果の理法であります”
 “仏法の根本は、師弟より出発します。大聖人の仰せの実現のための、戸田先生の闘争なれば、勇んで堂々と、師匠の期待に添う戦いを展開しよう”
 その通りに戦い、関西は勝った。そして永遠に勝っていくのだ(大拍手)。
 一、イギリスの「海の英雄」といえば、誰だろうか。〈東京青年部の代表が「ネルソンです」と答えた〉
 その通りだ。
 イギリス艦隊を率いたネルソン提督は、ナポレオンとの歴史的な激戦に勝つ(1798年の「ナイルの海戦」と1805年の「トラファルガーの戦い」)。
 この名将のモットーは何であったか。
 彼は「信仰と努力」という言葉を大切にしていたという(松本赳編著『ネルソン言行録』内外出版協会)
 きょうは、“創価の海の英雄”である波濤会の皆さん、ご苦労さま!(大拍手)
 波濤会の方々が来られるとうかがっていたので、激励のために一言、申し上げておきたかった。
 人生において、「信仰」と「努力」こそ無敵の力である。勝利の道は、これ以外にない。学会は、正しい道を進んでいる。
 皆で立派な歴史をつくるのだ。決して一歩も引いてはならない。

法華経の行者は誰よりも偉大
 一、ここで御書を拝したい。
 「法華経を持つ人は、男性ならば、どんな身分の低い者であっても、三界の主である大梵天王、帝釈天、四大天王、転輪聖王、また中国、日本の国主などよりも勝れている。
 ましてや、日本国の大臣や公卿、源氏や平家の侍、あらゆる人々に勝れていることは、いうに及ばない。
 女性ならば僑尸迦女《きょうしかにょ》(帝釈天の妃)、吉祥《きちじょう》天女(インドの女性神)、あるいは漢の李夫人(武帝の夫人)、楊貴妃などの無量無辺の一切の女性に勝れている」(御書1378㌻、通解)
 皆様方がどれほど尊貴であるか。広宣流布に前進する皆様方こそ、どんな大王よりも偉大なのである。これが仏法の眼である。
 また大聖人は、愛弟子に仰せになられた。
 「強盛の大信力を出して、法華宗の四条金吾、四条金吾と鎌倉中の上下万人および日本国の一切衆生の口にうたわれていきなさい」(同1118㌻、通解)
 世間の悪口罵詈などはね返して、堂々と“自身のよき名を流布せよ!”と励まされたのである。
 私は、牧口・戸田両先生の弟子として、あらゆる三障四魔、三類の強敵を勝ち越えて、“創価の師弟が一閻浮提から讃嘆される時代”を、晴れ晴れと開いてきたつもりである。
 御聖訓には、「日天(太陽)が朝、東に出て、大光明を放って、天眼を開いて全世界をご覧になるのに、そこに法華経の行者があれば心に歓喜し、法華経の行者を憎む国があれば、(日天は)眼を怒らして、その国を睨まれ……」(同1380㌻ぺ通解)との一節がある。
 諸天は、創価の陣列を讃えに讃え、護りに護る。私は諸君に、「誇り高く、勝利の旗を打ち立てよ!」と申し上げたい。

フランスの詩人
一致団結の結果を見よ 力を合わせるのだ!


フランス学士院講演から20周年
 一、ちょうど20年前の1989年6月。
 私はパリのフランス学士院を訪れ、「東西における芸術と精神性」をテーマに講演を行った。
 フランス学士院は、創立から370年を超える伝統と格式を誇る、世界第一級の英知の殿堂である。
 会場には、アカデミー会員である一流の識者が詰めかけていた。私の一言一句に注目していた。
 講演には、私の妻とヤマザキ欧州名誉議長も同席していた。
 ヤマザキ君は、誇らかに、蝶ネクタイをきりりと結び、礼装に身を包んでいた。
 「私の師匠である池田会長は、皆さん方、ヨーロッパ最高峰の知性を前に、最高の講演をしてくださる!」──そのように彼は、かねてから語っていたようだ。
 私は、仏教の「縁起」「空」の思想や法華経の明かした生命のダイナミズムなどに触れつつ、「精神革命」の道を論じた。
 通訳も難解な仏教用語の翻訳など、本当によく頑張ってくれた。
 私が最後に、芸術を讃える一詩を捧げ、講演を終えると、盛大な拍手が響き、しばらくの間、鳴りやまなかった。
 〈列席者からは「仏教の真髄に初めて触れた気がする」「詩的な美しさに満ちた英知の言に敬意を表したい」など、次々と賞讃の言葉が寄せられた〉
 その会場となった学士院会議場の壁には、フランスの大詩人ラ・フォンテーヌの彫像が飾られ、私の講演を見守っていた。
 フランス学士院の会員でもあった、この詩人は綴っている。
 「団結していなければどんな力も弱い」
 「見なさい」「一致協力の結果を。力をあわせるのだ」(今野一雄訳「ラ・フォンテーヌ寓話 上」岩波文庫)
 異体同心の団結こそが勝利の力だ。これが世界共通の真理なのである。
 一、6月と言えば、イギリス・スコットランドの名門グラスゴー大学から名誉博士号を授与されたのも、1994年の6月のことであった。
 今年で15周年の佳節を迎える。
 〈世界の大学・学術機関から名誉会長に贈られた名誉学術称号は、現在、「256」に。決定通知を含めると「282」に及ぶ〉
 厳粛な式典であった。マンロー評議会議長が「推挙の辞」で、光栄にも私の「滝」の詩を朗読してくださったことも、忘れることができない。
 「滝の如く 激しく
 滝の如く 撓まず
 滝の如く 恐れず
 滝の如く 朗らかに
 滝の如く 堂々と
 男は
 王者の風格を持て」
 この詩のように、王者の風格で「何か」をやり遂げるのだ。
 「あの人がいるから勝った」「組織が強くなった」「あの人のおかげで、人生が素晴らしい方向に変わった」──そう讃えられる皆さんであっていただきたい。

イギリスの歴史家
今こそ人生の黄金時代だ
目標へ 決然と立ち向かえ


勝利の青春を!
 一、スコットランド出身の歴史家カーライルが、学生に呼びかけた言葉を紹介したい。
 「年若い諸君が、わたしの言葉を信じてくださるなら、わたしは、諸君の過ごしているのは人生の黄金の季節である、と申し上げたい」
 「総じて諸君は、悲しみや矛盾にうち負かされず、目標に向かって突き進むべく決然と立ちむかい、それを恐れることのないように、と申し上げたい」(高村新一訳『カーライル選集5』日本教文社)
 学生部の皆さん! 黄金の学生時代に、学業も、就職も、広宣流布の闘争も、勝利で飾ってください!〈「ハイ!」と返事が〉

戸田先生
人を育てるには君自身が戦うことだ


 一、戸田先生は教えてくださった。
 「人を育てなさい。それには、君自身が戦うことだ。君が立派になることだ。それ以外ないよ」
 人に「やらせる」のではない。まず自分が立ち上がるのだ。
 自分が戦った分、後輩も成長する。人材を育て、人材で勝つのだ。

米の未来学者
「人のために奔走する創価の女性を尊敬」


 一、環境運動の母と讃えられるアメリカの未来学者ヘンダーソン博士は、学会の婦人部、女子部を深く信頼して、こう語られた。
 「人々の幸せのために、日夜、奔走される創価の女性たちを、私は、心から尊敬しております。私たちは、創価の女性たちに、エール(声援)を、送り続けなければなりません。そして、創価の女性たちを、誇りに思わねばなりません」
 一流の女性リーダーが皆さんの活躍に限りない期待を寄せていることを、最後にご報告させていただきたい(大拍手)。
 長時間、ご苦労さま!
 〈ここで名誉会長の導師で、全員で唱題した〉
 関西をはじめ、全国各地から、はるばる来てくださった方々、本当にありがとう!
 気取りがあれば、本当の力は出ない。臆病の心を捨てて、前進するのだ。
 勇気で勝とう!
 皆さん、ありがとう!(大拍手)
2009-06-21 : スピーチ・メッセージ等 :
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御書と師弟 末法流布の大陣列

池田名誉会長講義 御書と師弟 (2009.6.18付 聖教新聞)

第17回 末法流布の大陣列

青年よ続け 歴史を創れ
わが勝利の頂上へ駆け登れ


御聖訓
 日蓮さきがけ《魁》したり
 わたうども《和党共》二陣三陣つづきて
 迦葉・阿難にも勝ぐれ
 天台・伝教にもこへよかし
           (種種御振舞御書、910㌻)

 広宣流布は大河の流れです。人材の限りなき流れです。
 創価の師弟は、この迸る大河を全世界に漲らせてきました。
 世界の一級の知性が、私たちの前進を心から喜び、賞讃を寄せてくださっています。
 「SGI(創価学会インタナショナル)が発展し、人類の幸福のために前進を続ける限り、世界はより良い場所であり続けることでしょう」(オーストラリア・オーバン市のラム前市長)
 「このネットワークのなかで日々、幾百万もの人々が日蓮大聖人の仏法を実践できることに、私は心から讃嘆申し上げます」(ヨーロッパ科学芸術アカデミーのウンガー会長)──。
 すごい学会になりました。
 明年で創立80周年。学会は、平和と幸福の「静かなる大革命」によって、いまだかつてない幾百千万の人間主義の連帯を創り上げました。
 これは誰人も否定できない、歴史に燦然と輝く事実です。民衆と民衆が成し遂げた大偉業であります。
 わが同志の皆様こそ、人類の未来を切り開く「先覚者」にほかなりません。

大闘争の“自叙伝”
 今回は、「種種御振舞御書」の一節を拝読します。仏法史上、いな人類史上、最高に尊い広宣流布の大闘争に勇敢に躍り出でよと、日蓮大聖人が後継の弟子たちに力強く呼びかけられた御金言であります。
 「法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけ(魁)したり、わたうども(和党共)二陣三陣つづきて迦葉・阿難にも勝ぐれ天台・伝教にもこへよかし」(御書910㌻)
 ──法華経の肝心・諸仏の眼目たる南無妙法蓮華経を、末法の初めに一閻浮提(全世界)に弘めゆく瑞相(前兆)に、私は先駆けした。わが門下たちよ、二陣三陣と続きなさい。そして、迦葉や阿難にも勝れていきなさい。天台や伝教をも超えていきなさい──。
 この「種種御振舞御書」は、文永5年(1268年)から建治2年(1276年)までの約9年間にわたる、日蓮大聖人御自身の御振る舞いを述べられています。いわば、大闘争の歩みを振り返られた“自叙伝”と拝されます。
 この9年間は、竜の口の法難(文永8年)から佐渡流罪(同年~同11年)という、大聖人の御生涯において最も激しい大難が競い起こった時期です。
 また日本社会にとっても、内憂外患が打ち続いていた。二月騒動(文永9年)という内乱(自界叛逆難)。そして蒙古の襲来(同11年)という他国からの侵略(他国侵逼難)──。日本中が、未曾有の国難に騒然としていました。
 この末法濁世にあって、大聖人は、邪法邪師に誑かされた幕府の権力者の狂いを堂々と諫められたのです。

偉大な師を持つ栄光
 大聖人は、「法華経の肝心・諸仏の眼目」たる南無妙法蓮華経を、ただ御一人、末法万年尽未来際の民衆を救いゆくために弘め出されました。
 妙法を一閻浮提に広宣流布する瑞相に「日蓮さきがけ(魁)したり」。御本仏の大確信が脈打っておられます。
 本抄で「二陣三陣」と仰せられたのは、大難に立ち向かって、広宣流布の戦いが繰り広げられている真っ只中でした。
 あらゆる難を「本より存知」として受けとめられて、「各各思い切り給へ」と御指導され、
 「わが門下よ、二陣三陣、続け」と厳命なされているのです。
 師匠は、常に「先覚の道」を不惜身命の決意で、さきがけておられる。ならば弟子もまた、その道に恐れなく続いてこそ弟子である。
 師が開かれた道に続くことは、弟子もまた先覚の誉れの道を歩ませていただくということにほかならない。
 偉大な師匠を持つ人生ほど、誇り高い栄光はないのです。
 そして、それは、釈尊の後を継いだ迦葉尊者や阿難尊者にも勝れ、さらに像法時代の正師であった天台大師や伝教大師をも超えゆかんとする道である。
 末法の広宣流布に生きゆく使命の人生が、どれほど崇高であるか。「うれしきかな末法流布に生れあへる我等」(御書1439㌻)と仰せの通り、それは大歓喜の行進なのであります。

学会は仏勅の教団
 戸田先生は、この「種種御振舞御書」の御文を拝し、叫ばれました。
 「我ら創価学会員こそ、この御聖訓に応えたものであり、この名誉と功徳は、何ものにもかえることはできえない」
 釈尊、そして日蓮大聖人が仰せになられた「一閻浮提広宣流布」の御遺命を実現しているのは、いったい誰か。創価学会以外にありません。学会こそが、仏意仏勅の最極の教団なのであります。
 これもすべて、創価三代の師弟が、大聖人の御金言を寸分も違えず、競い起こる三障四魔、三類の強敵と戦い、死身弘法を貫いてきたからです。
 「さきがけ」──この一言《いちごん》には「広宣流布の大精神」が凝結しております。それは、困難であればあるほど、勇気を奮い起こして、自分自身が、まず一歩を踏み出すことであります。
 私も「さきがけ」との仰せを心肝に染めました。戸田先生の弟子の「さきがけ」として走り、妙法流布の拡大と勝利を切り開いてきました。
 この祈りと闘争に、わが門下も必ずや「二陣三陣」と続いてくれるにちがいない。そう信じて、私は青年を育て、鍛えてきました。二世代、三世代、四世代と、全魂を注いで後継の友また友を薫陶してきたのです。

「紅の歌」の心意気
 あの昭和56年(1981年)の秋、正義の反転攻勢の息吹の中で誕生した学会歌が「紅の歌」です。
 真剣な輝く瞳の四国の青年たちと一緒に、私は二十数回の推敲を重ねて完成させました。この歌で、最初から最後まで一貫して残った言葉が「魁光りぬ」の「さきがけ」でした。
 どんなに「邪悪の徒」が立ちはだかろうとも、我ら青年が、師と共に断じて「さきがけ」の戦《いくさ》を起こしゆくのだ! この一節に託された青年の心意気が、私は嬉しかった。
 さらに「先駆の誉れの大九州」の同志、「若き先駆の英雄・学生部」の友をはじめ、学会には「さきがけ」の大情熱が溢れています。
 日本のみならず、世界192力国・地域で、正義の炎と燃える門下が陸続と起ち上がっている。世界に澎湃と涌き起こった使命の青年の大河こそ、創価の勝利の証しです。
 迦葉や阿難をはじめ釈尊の高弟たちも、仏法正統の大指導者であった天台や伝教も、この広布後継の俊英の群像を見たならば、きっと驚嘆するにちがいない。そして心から喝采を送り、讃嘆するでありましょう。
 三代の師弟は「さきがけ」の勇気で勝ちました。そして、これからも、「二陣三陣」の後継の闘魂で永遠に勝ち続けていくのです。師弟不二なる創価の師子吼の前には、いかなる誹謗・中傷も、「風の前の塵」(御書232㌻)にすぎません。
 大聖人の御在世と同じく、今、時代は乱気流の中に入っている。しかし、いかに社会が動揺していても、いな社会が動揺しているからこそ、自分の信心だけは微動だにしてはならない。“広布のため” “学会のため”という心の操縦桿を握りしめていけば、必ず打開できる! 勝利できる! こう確信して、師子奮迅の力を出し切っていくことです。
 戸田先生は指導されました。
 「悪口《あっこう》などに驚いていたら何もできません。最初から悪口を言われるのは覚悟のうえです」
 古今東西の歴史を見ても、先駆者には、無知や偏見による迫害はつきものです。

上行菩薩の力用が
 いわんや私たちは、全人類を照らす妙法を弘めている。妬まれ、圧迫されることは、経文の通り、御書の通り、我らの正義が大きく時代を動かしている証左なのであります。
 さらに、広宣流布の「さきがけ」の意義を、地涌の使命という点からも拝しておきたい。
 「諸法実相抄」に仰せです。
 「地涌の菩薩のさきがけ日蓮一人なり」(御書1359㌻)
 ここでも大聖人は「さきがけ」と言われています。
 また、「生死一大事血脈抄」には記されております。
 「上行菩薩が、末法今の時にこの法門を弘めるために御出現になられることが経文に見えるが、どうであろうか。上行菩薩が出現されているにせよ、されていないにせよ、日蓮は、その先駆けとして、ほぼ弘めたのである」(同1338㌻、通解)
 「上行菩薩」とは、地涌の菩薩の上首(=最高リーダー)です。大聖人が言われる「さきがけ」とは、「上行菩薩」が末法で果たすべき使命を、事実の上で、ただ御一人だけが遂行されたという厳然たる大宣言にほかなりません。
 そして、この地涌の実践を不二の弟子として継承していきなさいと命じられているのです。
 「若し日蓮地涌の菩薩の数に入《い》らば豈に日蓮が弟子檀那・地涌の流類に非ずや」(同1359㌻)
 大聖人の教えを信じ、広宣流布の陣列に身を投ずる人は、全員が上行菩薩と一体で進む地涌の菩薩であるとの御断言です。
 地涌の菩薩でなければ、広宣流布はできません。菩薩とは、広布のために行動する闘士の異名です。
 それぞれの使命の戦線で、自分が先頭に立って、広宣の勝利のために前進しゆく皆様の生命には、「上行菩薩」の力用が、必ず漲ってくるのであります。
 上行とは、優れた修行を行うという意味ですが、「上へ行く」とも読めます。もっと上へ! もっと高く! いかなる障壁も乗り越え、新たな勝利へ、向上し、上昇しゆく生命であります。
 法難の投獄を勝ち越えて、戸田先生は綴られました。
 「南無妙法蓮華経の信仰は、向上を意味する。無限の向上である」「まだまだ、その上へ、その上へと、向上して行く法である」
 ともあれ、リーダーは、自分が一人立って一切を勝ち開くのです。これが「行」です。勝ち戦のさきがけを! これこそ人生の最高の誉れであります。
 19世紀、英国の歴史家カーライルは論じている。
 「人の長たる者は、人びとの先頭に立って、他のあらゆる人びとを尻ごみさせるような危険にも、すすんで立ち向かう人である」「気高い冠は、いずれもいばらの冠である」(上田和夫訳)
 決然と一人立て! 自分が模範と輝け! それが真《まこと》の勇気です。そこに生涯の勝利の基盤が出来上がる。
 大勢いるかどうかではない。まず一人です。いざと言うときに戦えない臆病な人間が、いくら集まっても勝利はありません。
 末法万年の人類を救う広宣流布を成し遂げ、世界に根本的な寄与をする“さきがけの誇り”に胸を張ることです。その人を、三世十方の仏菩薩が守りに護らないわけがありません。
 戦いを決するのは「真剣さ」と「粘り」です。「執念」と「勇気」です。「絶対に勝つ!」という「決意」と「祈り」である。「断じて勝つ!」と決めて、戦い抜いたほうが勝つ。勝つために、最大の努力を尽くし切っていくことです。

戸田先生
「広宣流布の暁には大聖人門下に劣らぬ弟子が出てくる!」


トップを目指せ!
 なかんずく、わが直系の青年に私は呼びかけたい。
 君たちよ、広宣流布の最先頭を走れ! 勝利の人生の頂上に駆け登れ! 仕事も、闘争も、自分らしく、トップを目指せ!
 青年ならば、何かで第一になれ!──と。
 何もせず、何も残せない青春は侘びしい。広布の歴史に何かを残す。それは永遠の栄光であり、福運です。
 そのための学会活動である。思う存分、活躍できる使命の舞台があるということが、どれほど幸せな充実した人生か。学会ほど、ありがたい世界はありません。
 御聖訓には「勝ぐれ」「こへよ」と仰せです。先人の築いた歴史を超えて、新たな金字塔を打ち立ててこそ、真正の弟子であります。
 戸田先生は語られました。
 「広宣流布の暁には、釈迦や大聖人門下の弟子に劣らない弟子が出てくる」
 「この時には上行菩薩、安立行菩薩、浄行菩薩、無辺行菩薩、その他もろもろの菩薩が出られ、また、もったいなくも、日目上人をはじめとして、太田入道夫妻、四条金吾夫妻等、大聖人の御在世当時に活躍した方々が、今度の広宣流布に遅れることなく、全部出ておいでになることと、絶対に信じて疑わざるものであります」
 「従藍而青」(青は藍より出でて、而も藍より青し)であります。師から弟子へ、未来の世代へと、時代を経るにつれ、ますます立派で強力な指導者が涌出していく。新しく躍り出てくる勇者ほど強い。後輩を自分より立派に! これが常勝後継の不滅の方程式であります。
 その意味で、21世紀使命会をはじめ、未来部を育成してくださっている方々の尊き奮闘は、令法久住の真髄です。

三代の炎は青年に
 中国の「史学大師」と仰がれる章開沅先生(華中師範大学元学長)は語ってくださいました。
 「牧口先生から戸田先生へ、戸田先生から池田先生へと、三代の会長に平和の信念が厳然と受け継がれてきたことは、まさに『薪火相伝』(薪は自らを燃やすことによって火を伝えていく)と呼ぶにふさわしい壮挙であります。
 その偉大なる炎は、これからも、池田先生から若き後継の青年たちへと、綿々と受け継がれていくことでしょう」
 21世紀の日本、そして世界各国で、広宣流布へ進みゆく地涌の大行進──この創価の大連帯を、いよいよ勇敢に「二陣三陣」と広げていこう! 偉大な「さきがけ」の勝利を、人類の栄光の歴史に残していこうではありませんか!

  勝ちまくれ
   創価の力は
     無限なり
   正義の陣列
     いや増し 強固に
2009-06-20 : 御書と師弟 :
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あの日あの時 Ⅳ-12 

あの日あの時 Ⅳ-12     (2009.6.19付 聖教新聞)

池田先生と東京・板橋区

全東京を勝利に導く「錦州城」

幸せにする責任
 文京支部の池田大作支部長代理は、焦げ茶色の門をくぐり、カラカラと引き戸を滑らせた。
 座談会が開かれている。20人ほどの顔が一斉に、こちらを向いた。
 「ご主人、突然ですが、お邪魔いたします」。家の主《あるじ》で日銀マンの長野徳一に、丁寧にあいさつした。同支部の板橋班で班長をしている。
 1953年(昭和28年)6月11日、木曜日。まだ板橋区板橋町のあたりは、バラック小屋が目立つ。長野宅が、ひときわ立派に見える。
 支部長代理を迎えた座談会は活気に満ち、3人が入会を希望した。
 続いて信仰生活の心構えを説いた。「信心したからといっても、人生に悩みが無くなるわけではありません」
 すると横から小声でつつく人がいる。「せっかく入信したのに、変なこと言わないでください」
 長野の妻、きよゑである。まだ信心の日は浅い。班長の夫に対しても少々、不満があった。
 支部長代理は向き直り、正面から、彼女を見すえた。
 「あなたは病弱と聞いています。ご主人は、あなたの身体を心配して真剣に祈っている。もし、その心が分からないとすれば、あなたは決して良い奥さんとは言えませんよ」
 彼女は、はっと胸を突かれた。
 「私は皆さんの同志です。あなたを幸せにしなければならない責任がある。だから、きちんと言わせていただきました」
        ◇
 長野徳一が、日本銀行を定年退職した。
 1957年(昭和32年)1月7日、支部長代理が、ねぎらいに訪れた。
 長野宅の仏壇には、控えめな果物が供えられていた。
 「長野さん、御本尊には、もうちょつと立派な品をお供えしましょう。結局、食べるのは自分たちです。それだけ大きな境涯になれますよ」
 日銀マンに「心の財」を積む生き方を教えた。
 手作りの人材育成である。
 第3代会長が躍り出た60年(昭和35年)5月、長野夫妻は地区部長、地区担当員になっていた。
 板橋から折伏の旋風を巻き起こし、その名を全国に轟かせた。

ブンと飛ぶぞ!
 「おめでとうございます。お祝いに、一曲!」
 仏壇の横に立った青年部の池田室長が、ぱっと扇子を開いた。
 57年(昭和32年)2月8日。板橋区志村清水町にある清水嘉吉宅では、入仏式が行われていた。和室は青年たちで埋まっている。
 手拍子が鳴る。戦時中に歌われた「荒鷲の歌」の歌詞を少し変え、彼らは室長の指揮に声を合わせた。

♪正義の学会 知ったかと
 今宵また飛ぶ 荒鷲よ
 ………… …………
 ブンブン荒鷲ブンと飛ぶぞ

 家の主の清水も、共に歌った。戦争が終わって12年。軍人だった清水は、久方ぶりに全身の血が荒ぶった。
 若鷲が翼を広げるようなスケールの大きい指揮だった。
 「まちがいない。学会を背負って立つ人だ」。清水は「ど」がつくほど真面目で、頭の固いタイプだった。
 「俺はこれでいく!」。一度、決めたら、テコでも動かない。「ブンブン荒鷲だ。池田室長の指揮で、板橋はブンと飛ぶぞ!」
        ◇
 清水の妻・良子にとっても忘れがたい一日となった。
 これまでも青年部を我が子のように可愛がってきた。新潟の出身なのでコメには困らない。炊きたてを、たらふく食べさせた日もあった。
 そんな彼らが仏間を埋め尽くし、室長を先頭に総立ちしている。
 “とうとう、この日が来たんだ”
 良子は、戸田会長の指導を思い返した。清水夫妻は、子宝に恵まれなかった。神奈川県で偶然、戸田会長に指導を受ける機会があり、その悩みを打ち明けた。
 「そうか。だけど、自分の腹を痛めた子どもだけが、子どもではないぞ。いつか、これが我が子と思える子に恵まれる。そういう境涯になれる日が、きっと来る」
 夫妻にとって、希望の言葉となった。
 今、眼前にある光景こそ、まさに、それだ。
 私には、こんなにたくさんの子どもがいるじゃないか!
 池田室長と共に進む青年たち。この青年たちを育てよう。青年を大事にしよう。
 これが板橋の伝統精神になった。

トップは板橋
 1971年(昭和46年)夏、池田名誉会長は、ある決断を下した。
 前年には言論問題が起きた。今、再び、本陣を強くしなければならない。
 東京の各区で記念撮影会を開き、首都をくまなく回ることにした。
 どこからスタートするか。最初が肝心だ。全東京に上げ潮が満ちるかどうか、ここで決まる。
 熟慮のすえ、名誉会長は、トップバッターに板橋を指名した。
 タテ線時代の板橋は、文京・杉並・足立支部の会員が混在していた。そのためか、いま一歩“個性”が、はっきりしない。
 「これからは、今まで知ることのできなかったところへ行かなくちゃいけないな」。名誉会長は、ことあるごとに語っていた。
 撮影会は10月に決まった。区の中心者である中村俊雄、秋山栄子は頭を抱えた。
 懸案は山積みである。参加者の人選、設営、参加対象外の会員への配慮、テーマの設定、催し物……。
 記念撮影会は、板橋にとっての試金石だった。
        ◇
 10月17日、撮影会当日。
 東武東上線の上板橋、ときわ台で降りた人が、川越街道の方へ列をなしていく。
 東新町《とうしんちょう》の私立城北高校が会場だった。
 車で会場に到着した名誉会長は、まず校庭に向かった。
 屋台が並ぶ。鉄板では焼きソバ。串に刺した鶏肉……。
 名誉会長は、香ばしい煙に包まれながら、すべての出店を回った。誰もが元気一杯だった。
 体育館へ。テーマの垂れ幕は「板橋は仲良く地域社会を開発してまいります」。6年前、板橋会館の入仏式で名誉会長が語った指導である。
 場内の設営には、造花があしらわれている。参加できなかったメンバーが、唱題の数に応じて、花をこしらえたという。
 17グループに分かれての撮影もスムーズだった。アトラクションの演技も、源義経をモチーフに、感動的だった。マイクを手に名誉会長が立ち上がった。
 「全東京の模範となる記念撮影だった。ありがとう!」
 帰りの車の中で、流れる住宅地を目にしながら、つぶやいた。
 「板橋は力がある」

人材輝く「金の橋」
 オープンしたばかりの板橋文化会館。香峯子夫人が、婦人部の声に耳をかたむけながら、サラサラとメモを取っている。
 1977年(昭和52年)11月10日、ヤング・ミセスの「体験談大会」が開催された日である。
 高島平団地の石井益子。団地で活動する現状を、つぶさに語った。
 間取りは1DKか2DKがほとんど。子どもが2人になれば手狭になり、引っ越していく。せっかく地区幹部クラスに育てても、人材が外へ出てしまう。
 まだ留守番できる年でもなく、会合には、赤ん坊、幼児があふれる。
 拠点にできる広さもない。家具の少ない老夫婦のお宅を借りたり、立つたまま会合をしたり──。
 一つ一つの話に頷きながら、メモを走らせる夫人。
 「そうですか。大変ですね。ありがとうございます。必ず本部に戻って伝えます」
 その晩、名誉会長から一枚の色紙が届いた。石井は、その文字を見て、はっとした。
 「霊山は 今ここなりと 君立ちて 高島平の 人々つつみぬ」
 団地が霊山──。考えてもみなかったことである。
 霊山とは、釈尊が法華経を説法したとされる地で「仏の国土」という意味もある。
 仏国土は、どこか遠くにあるのではない。高島平を霊山と決めることだと気がついた。そう考えれば「人材がいなくなる」のではない。高島平から東京中、日本中へ「人材を送り出している」ことになる。
 かつて中山道の最初の宿場だった板橋は、いわば旅人の通過点にすぎなかった。
 池田名誉会長夫妻の視点は違った。
 板橋は「金の橋」である。この橋を渡る人、この橋に縁した人は、一人残らず人材である。全学会を勝利に導く使命がある。そう捉えていた。
 77年(昭和52年)10月15日、名誉会長は板橋の青年に訴えている。
 関西には、広宣流布の錦州城の誇りがある。板橋にも同じ自覚を与えた。
 「板橋こそ、関東、そして東京における難攻不落の錦州城たれ!」
2009-06-19 : あの日あの時 :
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世界との語らい 第35回

池田名誉会長の世界との語らい 第35回
国際原子力機関(IAEA) エルバラダイ事務総長
                (2009.6.16付 聖教新聞)

“強き心”に依って立て!
勝ち越えられない困難はない


 「声は力」である。
 平和を願う母たちの声ほど、胸を打つ響きはない。
 この4月、北欧ノルウェーの首都オスロで開かれたSGI制作・主催の「核兵器廃絶への挑戦と人間精神の変革」展の折、1本のDVDが上映され、深い感動を呼んだ。
 それは、広島、長崎の女性たちが、自らの被爆体験を語り、核兵器がいかに残酷であるかを訴えた証言集である。創価の女性平和委員会の友が作成されたものであった。
 「私は生きている限り、必ず原爆のことを話していきます。3度の原爆を許すまじ。私は死ぬまで、生きて生きて生き抜いて、使命を果たしていきたいと思います」──自分も我が子も、原爆症と闘い続けてきた母の魂の叫びだ。
 このDVDは、五つの言語で、世界に反響を広げている。
 「草の根」の声にこそ、人類の心を結び、そして核兵器の廃絶を進めゆく希望がある──この信念を、私が強く共有する平和指導者がいる。
 IAEA(国際原子力機関)のモハメド・エルバラダイ事務局長、その人だ。
        ◇
 IAEAは、原子力の軍事転用を防止し、核兵器が拡散せぬよう努める要の存在である。「IAEAは、戦争か平和かの分かれ目を決する大きな重要性を持っている」とは、事務局長の発言だ。この重責を、巌の如く担い立ってこられた方である。
 事務局長との語らいは、2006年の11月30日であった。過密な日程の中、教育者であるアイーダ夫人と御一緒に、聖教新聞社へ、お越しくださったのである。
 平和の未来を託しゆく青年たちと共に、熱烈に歓迎した。
 国益や利害が衝突し、猜疑心が交錯する渦中で、調整役を果たす難しさ……。だが、重圧を一身に受ける事務局長の体躯からはこのエネルギーが放たれていた。働き盛りの快活。四方八方に知性のアンテナを張り、鋭敏に思考を巡らせる頭脳の冴え。命を賭して戦う丈夫の信念と息吹が伝わってきた。

恩師の遺訓
 IAEAの設立は1957年であった。奇しくも、神奈川の横浜で、わが師・戸田城聖先生が「原水爆禁止宣言」を発表された年である。
 先生の先見は鋭かった。
 すでに、その2年前の秋には、大阪の第1回堺支部総会で「核兵器全廃を訴えていくことが、唯一の被爆国たる日本の使命」と叫ばれていた。
 翌56年にも先生は、戦時中、原爆投下の候補地とされた北九州で反核を訴えられている。核開発競争が激化する冷戦下の国際情勢を見据えながら、達観しておられた。
 「政治や外交の力で、核兵器の脅威を避けるために努力することも、益々大事である。
 それはそれとして、我らは一日も早く、広宣流布を前進させることだよ。人間生命に巣くう無明に打ち勝つことが一切の根本であるからだ」
 その遺志を、私は受け継いだ。衰弱の著しい恩師が行きたくても行けなかった広島と長崎へも走った。世界への対話の行動を、勇んで開始した。
 3度にわたる国連軍縮特別総会や、83年以来毎年の「SGIの日」に寄せた平和提言で、核兵器の廃絶を一貫して訴えてきた。大国の幾多の指導者とも語り合い、反核の真情を率直にぶつけた。
 恩師の遺訓を全人類の滔々たる思潮にしてみせる。すべては、この一念からである。

勝利の要諦
 エルバラダイ事務局長は、エジプトの出身である。
 文明発祥のロマンをたたえる大地。私は2度、訪問し、同国のリーダーと親しく交流を結んできた。国運のガリ元事務総長もカイロが故郷である。“人類の議会”のビジョンを展望して、対話を重ねたことも懐かしい。東京・目黒区にある駐日エジプト大使館にも、お伺いした。
 事務局長は、幼い頃から勉強熱心で、何事にも一生懸命に取り組む熱血漢であった。「好奇心旺盛で、いつも質問攻めにされました」と母君は回想されている。
 97年、IAEAの事務局長に就任。欧米出身以外で初のトップである。
 「偏ることなく独立した国際公務員としての原則と価値を守り、客観的な事実を伝えていくのが信頼に応える道」と決意されている。
 職場の方々は「仕事人間」と口をそろえる。原則は頑固なほどに曲げない。プロとしての筋を通す。休暇でも一日に何度も部下と連携を取る。まさに常在戦場だ。
 勉強を怠らない。文献、学術誌、関係者からの聞き取りなど、必ず自らの目と耳で情報を得る。そして、猛烈な勢いで決断を下す。
 「現場主義」と「スピード第一」。勝利の要諦は、いかなる世界でも不変である。
 また、いかに多忙でも、組織を支える陰の仕事に目を配り、心から讃えるリーダーだ。
 核拡散防止の新たな体制づくりに尽力。巧みな手腕と公正な眼、人間性が各国から評価され、05年、国連関係機関の長としては、異例の3期目の再選を果たされている。
 私が対談集を発刊したジョセフ・ロートブラット博士(パグウォツシユ会議名誉会長)とも、深い交友があった。
 「核兵器は廃絶されなければならない。平和は軍備に依存するものではない」との主張で強く共鳴されたという。共同で論文を執筆したことを最高の誇りとされていた。
 本年4月5日、チェコの首都プラハで、アメリカのオバマ大統領は「核のない世界」を目指す包括戦略を発表した。
 その4日前には、ロシアのメドベージェフ大統領と会見し、新たな核軍縮条約の交渉開始で合意している。
 今回の決断を、事務局長も「大変、勇気づけられる決定だ」と歓迎されている。
 核軍縮か、一層の核拡散か。国際情勢は重大な岐路に立っている。
 薄氷を踏むような緊張感の中で、世界を奔走される日々に、敬意を表したい。
        ◇
 会見では、エジプトの弁護士協会会長であられた、お父様の生涯も話題に上った。
 父君は、アラブ弁護士連盟の会長も務められている。法の正義を守る弁護士への侮辱を許さず、検事総長を議会で謝罪させた逸話も知られる。権力からの不当な圧迫には、断じて屈しなかった。
 「偉大な父君の思い出を」と尋ねると、髭を蓄えた顔から柔らかい笑みがこぼれた。
 「父からは“自分自身の良心”に従って生きるのだということを学びました。自分の良心に妥協したら、自分の魂に対して妥協することになる。魂を裏切ることになる」
 私は賛同の拍手を贈った。
 世には、「良心」ではなくして「私心」に左右される人が、何と多いことだろうか。
 仏法では、「浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり」と説かれる。
 父の信念は、事務局長の生き方そのものでもある。さらに、父君の言葉を重ねられた。
 「どんなに状況が困難であっても、自分の内なる声に耳を傾けることだ。自分の内なる強さによって立つならば、必ず勝利がもたらされる。
 どんなに状況が困難で、それが長く続いたとしても、必ず勝利できる──父は、そのように教えてくれました」
 「正義」に生き抜く誇りと勇気。そして断じて「勝利」を打ち立てゆく希望と執念。
 これこそ、我が人生の劇を通して、後継の世代に厳として贈り託しゆく、無形にして無上の宝ではないだろうか。

焦点は「人間」
 2006年の来日の折、事務局長のスケジュールは、極めて多忙だった。京都に赴かれ講演もされている。しかし、寸暇を割いて、創価大学生へ言葉を綴ってくださった。
 「肌の色や人種、宗教に関わらず、私たちが皆『人間家族』の一員であると理解すること──これが、私たちが平和を達成するための力です」
 「『人間の安全保障』こそが、世界の平和と安全保障を実現するための唯一の道なのです」
 焦点は「人間」である。一人一人の生存であり、安全だ。人権であり、尊厳である。
 そして共生であり、持続可能な地球の発展であろう。
 一国の安全や国益を守るという大義が、他国の人間を抑圧すれば、本末転倒である。
 「国家」ではなくして「人間の幸福」を機軸とした平和への新たな思想を、世界市民のレベルで広げていく重要性は、日に日に増している。
 それは、「仏法中道」の智慧とも深く響き合っている。
 事務局長は、05年のノーベル平和賞受賞記念の講演でも語っておられた。
 「私たちに必要なのは、海の向こうの人々を、自らの隣人と思うことのできる“新しい思考”と“心の変革”なのです」
 ゆえに、国境と国益を超えたSGIの運動を高く評価してくださった。
 私との対話でも、終始、「人類が価値を共有する重要性」を語られた。あらゆる差異を超え、人間が人間として生き、一体感を実現できれば、平和は実現できる、と。
 そして、その担い手は青年であるという点でも、完璧に一致した。事務局長の言葉は今も耳から離れない。
 「私たちには、同じ希望があります。同じ志があるのです。若い人々がそのことを自覚し、気づいてくれれば──。これが私たちの『未来』であり、『唯一、人類が救われる道』なのです」
 青年に託すしかない。
 若き決意に頼むしかない。
 世界史を動かす重鎮も、創価の青年を、万感の期待を込め、熱く見守り続けている。


モハメド・エルバラダイ(1942年~)
 エジプト・カイロ生まれ。 64年にエジプト外務省に入り、外相特別補佐官を務め、国連代表部に勤務。 84年から国際原子力機関(IAEA)のニューヨーク常駐代表。法律顧問などを経て97年、I AEA事務局長に就任。2001年、05年に再選され、現在3期目。同年、IAEAと共にノーベル平和賞を受賞した。
2009-06-16 : 世界との語らい :
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あの日あの時 Ⅳ-11

あの日あの時 Ⅳ-11     (2009.6.14付 聖教新聞)

池田先生と東京の北多摩

「一番、強くなったところに行こう」

団地広布の模範

 ♪勝利の旗に 金の城
  誉れに生きる 我が友は
  いつも心に 先生を
  いつも心に 先生を……

 衛星中継の大画面から、新しい団地部の歌が、村山緑が丘会館(旧・村山会館)の広間に流れる。
 そのとたん、会場を埋めつくした武蔵村山団地のメンバーが、どよめいた。
 2008年9月に、本部幹部会の席上で、新団地部歌「輝け『幸福の城』」が発表され、全国に中継された。
 「いつも心に先生を」。これこそ村山総区の精神そのものだからである。
        ◇
 “団地会館”の愛称で親しまれる同会館。ここまで、池田大作名誉会長が足を延ばしたのは、1969年(昭和44年)の7月6日(日曜日)である。
 午前中に学会本部で勤行会があり、村山の海藤チヨが思わず「先生、村山に来てください!」と叫んだ。
 ──今や4000世帯の公営団地が、当時の北多摩郡村山町に完成したのは66年(昭和41年)の春だった。
 森と畑しかなかった地に、新住民が一挙に入居してきた。学会も、23ブロック、2総ブロック(現在は支部)が組織された。
 団地の会員たちは、寂しさがぬぐえなかった。北多摩は、東京の北西の外れ。そのうえ武蔵村山には、鉄路もなく、バス便しかない。
 こんな片田舎では、ずっと池田先生は来てくださらないのでは……。
 皆のやむにやまれぬ思いが、名誉会長への願いの背景にあった。
      ◇
 その7月6日の午後、松尾愛子は、団地の部屋を飛び出した。車で学会本部を出発した名誉会長が、団地近くの村山会館に到着したという。
 舗装されていない砂利道を松尾は長靴で急いだ。雨が降ったわけでもないのに、その日も足元がぬかるんでいた。そんな悪路を越えて、名誉会長が来てくれたのである。
 松尾たちが会館に近づいた時、一台の車とすれ違った。
 池田先生、先生だ!
 やがて伝言が届く。
 「村山は必ず素晴らしい地域に変わるよ」
 だから、この日から、美しい人間関係の団地にしようと皆で誓った。団地の自治や防犯、高齢化が進むと、お年寄りへの声掛けなどにも率先して動いた。
 2004年1月18日。
 「一番、強くなったところに行こう」
 名誉会長は武蔵村山文化会館へ出発した。

外交戦の舞台
 北多摩は、創価学園に近い。名誉会長は創立者として、学園訪問の前後などに幾度も立ち寄っている。
 1979年(昭和54年)10月31日には、東大和市内でソ連の高官と会談した。
 相手は、この日、東京創価小学校を視察したソ連高等・中等専門教育省次官のソフィンスキーである。
 次官を乗せた黒塗りのセダンが学園を出発し、西武拝島線の高架下を抜け、富士見通りの商店街に入っていく。小原正保が営む「満月」で食事をしながらの懇談になった。
 おもねるような外交辞令など一つもない。名誉会長は、ずばりと本質を突いた。
 「日本人は正直なところ、ソ連は怖い国だと感じています。このままでは、嫌われたままです。反省すべきではないでしょうか」
 同様の直言は、モスクワでソ連の首脳や、対日外交政策の指揮をとるコワレンコ(共産党中央委員会の国際部副部長)たちにも試みてきた。
 クレムリン宮殿であろうと、東大和の商店街であろうと、その姿勢は微塵も変わらない。
 名誉会長は同行した幹部に語っている。
 「言うべきことは、はっきりと言わねばならない。日本のためにも。社会のためにも。外交戦とは、こうやってやるんだ」
 この富士見通りの商店街では、翌80年(昭和55年)3月6日にも、歩いて町内を回っている。
 青果店「八百富士」の主人は名誉会長の姿に魅了された。「今日のレタスは美味しそうですね!」と品定めした。イモを焼く壷の前では、戦時中に焼きイモを頬ばった思い出を振り返った。
 隣の肉屋「越木屋」では青年部員たちへの差し入れのため、焼き鳥を買い求めた。
 名誉会長の気さくな人柄に、学会を見る商店街の目は大きく変わった。

平和と健康の町に
 緑豊かな地である。
 映画『となりのトトロ』の舞台として知られる森も広がっている。
 文学作品のモチーフにもなった。
 堀辰雄の『風立ちぬ』。
 福永武彦の『草の花』。
 それには理由があった。当時は「死病」と言われた肺病の昭和の文人たちが、この地で静養していたからである。
 療養に向いている環境だったため、昭和初期から戦後にかけ、重い病に苦しむ人の病院や治療所が多かった。
 そうした地域柄、どうしても「死」や「孤独」の陰がつきまとう。そんな空気にも学会員は負けなかった。
 昭和40年代初頭。
 国立療養所東京病院(当時)では、こんな合言葉が飛びかっていた。
 「池田先生も結核を克服されました。私たちも健康になりましょう」
 通称「清瀬の療養所」。集会室で地域の学会員が患者たちを励ましながら、共に“座談会”を開いていた。
 名誉会長も病院が多い北多摩を折々に気にかけてきた。
 学会員が入院すると聞けば、お見舞いのメッセージを届ける。「お世話になります」と伝言を託した。
 1978年(昭和53年)5月、立川文化会館でも、名誉会長が心配して声をかけた。
 「病院にいる人たちは、どうしているかな……」
 相手は中村京子。北多摩女子部のリーダーのころから、病院での激励に尽力してきた。今もベッドの上で、苦しむ人がいる。題目を必死にあげて治療している人がいる。
 「先生、必ず平和と健康の町にします!」
 中村は、清瀬で戦う皆の決意を代弁した。
 「そうだ! その心意気だ。必ず変毒為薬できる」

立川文化会館で
 78年6月30日の昼下がり、立川文化会館の駐車場にはゴザが敷かれ、名誉会長を囲んで車座ができていた。
 東久留米で拡大の結果を出し、その喜びを報告に来た渡辺光子らが、思いがけず名誉会長に歓待されたのである。
 ラジオカセットレコーダーが用意してあった。
 「これから荒川へ会合に行くんだ。この歌を今晩、発表するよ」
 役員が再生ボタンを押すと、スピーカーから力強い曲が流れてきた。学生部歌「広布に走れ」である。前夜に完成したばかりだった。
 ゴザの上で、名誉会長は歌詞に込めた思いを語った。
 3番の「この船たしか」という箇所を強調した。
 「『この船』とは、創価学会のことだ。何があってもついていきなさい。絶対に幸せになれる」
        ◇
 村山圏の創価班は、しばしば名誉会長が滞在する立川文化会館に着任した。
 78年8月21日。残暑が厳しい夜たった。
 山田三利は、裏門で任務に着いていた。
 大きな会合の予定はない。それでも名誉会長の近くで会館を守ることができる。誇らしかったし、嬉しかった。
 夜の8時半を回ったころである。
 山田のもとに会館職員が駆け寄ってきた。
 手渡された色紙を見て、驚いた。
 「夜の門 君が守りて 幸の城」
 名誉会長の鮮やかな文字。奥書きには「八時二十六分」とあった。
 執務のなか、私たちにまで気を配っていただき申し訳ない……。
 色紙を抱きしめ、山田は深々と頭を下げた。

蘭春の東村山
 桜の美しい地である。
 2007年4月、多摩湖畔の水道道路に沿って、桜の木々が枝いっぱいに薄紅色の花をつけていた。
 桜をめでる人波の中に、かつての東村山市長・熊木令次がいた。
 何度も立ち止まって、桜のアーチを見上げる。
 “池田先生から頂戴した桜の苗木が、見事な大樹に育ったなあ……”
 31年前の76年(昭和51年)、熊木は、名誉会長から桜の苗木を贈呈したいという提案を受けた。
 東村山を大事にしてくれる心が嬉しかった。それが今や、春になると数千人もの人出で賑わう桜の名所である。
        ◇
 なぜ苗木を贈ったのか。
 池田総務が戸田城聖第2代会長の遺族を多摩湖畔に案内したのは、60年(昭和35年)4月10日である。
 その日の日記。
 「蘭春──風塵──東村山まで往く。桜あり、しばし心麗《うらら》か」
 この4日後、池田総務は学会本部で第3代会長就任の3度目の要請を受け、ついに受諾する──。
 恩師逝いて2年。第3代として立ち上がる日を前に、東村山は一服の桜花の清涼を与えてくれたのである。
 名誉会長は忘れていなかった。だからこそ苗木を寄贈したのである。
 広宣流布の大将軍として、すべての攻撃の矢面に立つ。その覚悟は、いかばかりだったか。
 81年(昭和56年)10月26日、名誉会長は東村山文化会館(現・東村山平和会館)で力強く呼びかけた。
 「私の心境は戦闘艦と同じです。どんな矢でも鉄砲でも受けていく。信心だけは強く、強く! そして、とにかく学会を強くしていこう!」
2009-06-14 : あの日あの時 :
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随筆 人間世紀の光 No.189/190

随筆 人間世紀の光 No.189/190  (2009.6.12/13付聖教新聞)

創価の母に万歳を!㊤㊦

広宣流布とは新たな連帯の創造
殻を破れ! 勇気の対話で心を結べ!


「太陽の婦人部」は世界第一の輝き
さあ 正義の声を 共戦の波を朗らかに!


 限りなく
  希望に生きゆく
    人生は
  幸福《さち》の道なり
    創価の道なり

 この6月、わが尊き創価の母たちは、「世界一の婦人部・共戦月間」を、まばゆいばかりに生き生きと、そして晴れ晴れと大前進している。
 フランスの大文豪ユゴーは叫んだ。
 「太陽とは何であるか?
 それは愛だ。愛と言わば婦人だ。ああそこにこそ全能の力はあるんだ。それが婦人だ」
 傑作『レ・ミゼラブル』に記された名句である。
 創価学会にも、偉大なる「太陽」がある。
 わが婦人部である。限りない平和の力を秘めた、世界第一の婦人部である。
 6月10日は「婦人部の日」──昭和26年のこの日、第2代会長に就任されて間もない師匠・戸田先生のもとに婦人部の代表が集い来り、新生のスタートを切ったのである。
 男女青年部の結成が、その1カ月後であったことを思う時、恩師がいかに婦人部を大事にされていたか、計り知れない。
 母が大地の如く厳然としていれば、青年は伸び伸びと大樹に成長できる。母が希望に輝いていれば、青年は朗らかに前進できる。
 これが、生命の法則であるからだ。
 太陽の光は、天空の眼のように、大地を明るく照らし、暗闇を消し去る。
 母にも“神通力”の光がある──家族のことは何でもお見通しだ。外では威張っている父も、ふだん素直に言うことを聞かない息子や娘も、いざという時は、母に頭が上がらない。
 悪人、善人を判断する、母の“嗅覚”は鋭い。
 「あの演説は、美辞麗句ばかりで、胡散臭いわ!」
──テレビを見て、パッと言い放つ舌鋒の確かさ。
 母の目は常に本質に向かって見開かれている。母の眼光からは、何ものも隠れることはできない。
 母は忙しい。婦人部は多忙だ。家事もある。育児にも、未来部の育成にも一生懸命だ。仕事に、地域貢献に勤《いそ》しむ方も多い。最愛の家族を亡くされても、健気に頑張る母もおられる。
 日々の生活を一切合切、引き受けながら、「あの人のために!」「この友のために!」と走りゆく、婦人部の仏菩薩の行動は、あまりにも尊い。
 誰が見ずとも、諸天善神が必ず皆様を護る。「冥の照覧」は絶対であり、想像だにせぬ大功徳の花々が、偉大な婦人部を荘厳することは間違いないのだ。

ペルーの先駆の母
 58年前、わずか52人から出発した婦人部の麗しく楽しき連帯は、今や世界中に広がった。
 地球上、いずこの地にも、朗々と妙法を唱え、自他共の幸福を願い、平和を祈る母がいる。正義の行動に立ち上がった女性がいる──すごい時代になった。
 その世界広布の先駆の母として、私が忘れられない方に、南米の「太陽の国」ペルーで、婦人部長、総合婦人部長等を歴任されたローサ・キシモトさんがおられる。
 日々、友の激励に走り回るローサさんは、暮らしも身なりも質素にしながら、一切を広布のために捧げておられた。それでいて信仰で磨かれた、高貴な生命の輝きと気品が薫っていた姿が印象深い。模範の女性リーダーである。
 35年前(1974年)、2度目のペルー訪問の折も、そうした誠実な姿を目の当たりにし、後日、日本の婦人誌で紹介したこともある。
 ローサさんはペルー生まれの日系2世である。
 彼女には人を隔てる壁がなかった。人間平等を説く仏法を根本に、人種と人種、人と人との間に垣根をつくらず、決して気取らず、多くの方々と、まことに深い交流をもたれていた。
 戦争の影響もあって、小学校しか出ておられなかったが、誰に対しても臆することなく、悠々と対話を重ねていかれた。
 「人間は皆、平等よ!」
 どんな相手であろうと、友情を結ばれた。
 庶民から慕われる“ペルーの母”は、今も、南米最古の名門大学の元総長夫人等とも、豊かな友誼を紡ぎ続けておられる。

親交は精神の修業
 現代社会の大きなテーマは、地域にあっても、広くは世界にあっても、人間の「連帯」を、いかにつくっていくかにあるといえる。
 資源のリサイクルをはじめ、子育てや高齢者の介護に至るまで、人びとの協力が今ほど切実なテーマとなっている時代はない。
 その人間の心と心を結び合わせ、足元から新しき連帯のネットワークをつくるのが、私たちの広宣流布の運動でもある。
 「親交は精神の修業である」と、フランスの思想家ボーブナルグは記した。
 人との交わりのなかで、人間は、自分を磨き、鍛えていくことができる。
 人間の交流は、まず勇気をもって対話することから始まる。それは、ともすれば、人との関わりを避け、自分だけの世界に閉じこもってしまおうとする、自己の殻を打ち破ることだ。
 「閉ざされた自分」から「開かれた自分」への転換の第一歩が、対話への挑戦なのである。
 また、私たちの結びゆく親交は、相手の幸福を願うとともに、共に地域・社会の繁栄と平和を実現していこうという心から発する、人間交流である。
 ゆえに、信頼を勝ち取り、相手にも啓発を与えられる自分になることが大事だ。そのためには、わがままや自分勝手な生き方を排し、日々、自分を高めゆく努力がなくてはならない。
 そこに、自身の成長も、「人間革命」もあることを知っていただきたい。
 友情は一生の「宝」だ。麗しき交友を重ねながら、自身を磨き抜いた生涯こそ最上の人生であろう。
 つまり“人間の絆を結ぶ名手”たる、わが婦人部の皆様は、人生を最高に輝かせる達人なのである。
 その力をいかんなく発揮して、花の笑顔と勇気ある対話で、わが地域に、賢者の連帯を、幸福の連帯を、勝利の連帯を、厳然と築いていっていただきたい。
        ◇
 私が3度目にペルーを訪れ、社会の希望の光となって活躍する、わが地涌の同志と、歓喜の再会を果たしたのは、25年前の1984年であった。
 この折、栄えある国家勲章「ペルー太陽大十字勲章」を、当時のベラウンデ大統領から拝受したのである。
 叙勲から4日後、それは滞在の最終日であったが、私たち夫婦は大統領官邸での昼食会に招かれた。ベラウンデ大統領ご夫妻をはじめ、首相、教育相など閣僚も列席された。
 ここで私の通訳をされたのが、婦人部のローサ・キシモトさんである。急きょの話であったが、「先生のためなら!」と引き受けてくださったのだ。
 彼女は、専門的な通訳の訓練を受けたことはなく、まして国家元首の通訳など初めてである。当然ながら緊張しておられた。
 しかし、さすがは婦人部である。私が「心配しなくていいよ」と声をかけると安心されたのか、昼食会が始まると、気品のある声で、まことに堂々と大役を果たしてくださった。
 「よかったよ。ありがとう!」。終わって、私がねぎらうと、ローサさんは満面の笑みであった。
 心が決まると、女性は強い。いざという時、婦人の智慧と機転に勝るものはない。そして、決然と師弟に生き抜く人生には、希望の劇が開かれていくのだ。
 ローサさんには口ぐせがある。「ペルーの土となって!」──生涯、愛する地域のため、わが友のためにとの決意であった。
 それは、「命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也」(御書955㌻)との日蓮大聖人の御精神にも通じる覚悟である。
 根底に、その確固不動の決意があるからこそ、彼女は、周囲のメンバーを優しく笑顔で包み、何があっても揺るがず、ペルー広布に生き抜いてくることができたのである。
        ◇
 嘆くなよ
  愉快に生きゆけ
    母たちよ
  哲学 持ちて
    旅路も楽しく

 同じく南米ブラジルにおいても、わがSGIへの信頼はまことに厚い。
 ルラ大統領も、“私たちブラジル全国民が、SGIの平和・文化・教育、そして人権への世界的規模の活動を見守り、その成功を祈っております”と、期待を寄せてくださっている。
 そのブラジルSGIの礎を営々と築いてこられた最大の功労者が、ブラジルの婦人部長、総合婦人部長を務めた、故シルビア・サイトウさんである。関西出身で、東京・目黒でも広布拡大の歴史を残された。

全ては祈りから!
 ブラジルは長い間、軍事政権下にあり、しかも学会への誤解から、私の入国のビザが下りず、やむなく訪伯の予定を断念したこともあった。
 そのなかで、シルビアさんは決意する。“いつの日か、必ず先生にブラジルに来ていただこう。そして、国をあげて、学会を讃え信頼する時代をつくろう!”
 真剣な決意は、必ず真剣な行動を生む。
 彼女は、それを「強盛な祈り」から開始した。題目の渦を起こした。そのシルビアさんと心を合わせて、多くの婦人たちが、決然と唱題に挑み始めた。
 そして、学会の正義を、仏法の真実を、師弟の道に生きる誇りを、社会で語り抜いていったのである。
 婦人部のメンバーの多くは、家計も苦しく、子育てや病気など、さまざまな悩みを抱えていた。しかし、師弟不二でブラジル広布を願う、母の祈りと行動は、微動だにしなかった。
 大聖人は仰せである。
 「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」(御書1360㌻)
 広宣流布を願い、題目を唱えることができるのは、地涌の菩薩であるからだ。広布のために戦い、唱題する時に、自身の胸中に、地涌の菩薩の大生命が、歓喜と希望と勇気の、充実感に満ち満ちた大生命が脈打つ。そこに「境涯革命」があるのである。
 その清らかで強い生命の力によって、自身の悩みを突き抜け、乗り越えていくことができるのである。
 婦人部「実践の五指針」に掲げた通り、「祈りからすべては始まる」のだ。
 ゆえに、広宣流布の一つ一つの活動に、自身の悩みや宿命の転換をかけて、真剣に祈り抜き、戦い抜いていくことである。
 自身の抱える悩みの克服が「自転」ならば、広布の前進は「公転」である。
 また、個人の幸福は「自転」であり、社会の繁栄は「公転」である。
 「自転」即「公転」であり、それらが共に成就するのが、仏法なのである。
 大聖人は「南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば滅せぬ罪やあるべき来らぬ福《さいわい》や有るべき」(同497㌻)と断言されている。
 私たちの活動は、法のため、社会のためであると同時に、それはすべて、自己自身の崩れぬ幸福のためであることを、ここにあらためて確認しておきたい。
 ともあれ、こうした婦人の、健気な祈りと行動が、ブラジル社会の賞讃を勝ち取っていく源泉となったのである。

常勝の歌よ轟け!
 30年前のあの昭和54年──私が第3代会長を辞任したあと、柱なき学会の破壊を狙う三類の強敵の烈風は、いやまして激しく吹き荒れていた。
 そんな時、私の「正義」の師子吼に、雄々しき「共戦」の歌声をもって続いてくれたのが、わが大関西の同志であった。
 それは“師弟の月”7月の15日のことである。
 この日、大阪の関西戸田記念講堂で、盛大に第1回「関西記念合唱祭」の幕が開かれたのだ。
 当時は、反逆の輩と陰険な宗門の圧力により、私が自由に動けず、会合で指導もできず、ほとんど表舞台から姿を消した暗い暗い時代であった。
 しかし、わが関西の不二の同志は、嵐に挑み立つように決意した。“池田先生は、学会歌のなかにいらっしゃるやないか!″
 学会精神とは折伏精神である。草創以来、その広宣流布の息吹が脈打つ歌声のなかに、師弟はあった。
 前年(昭和53年)、私は同志のために、「広布に走れ」「青春桜」などの各部の歌、さらに関西の歌「常勝の空」などの各地域の歌を、新たに30曲にわたって作り抜いた。
 その学会歌、なかんずく「山本伸一」作詞──つまり私が作成した歌を歌うことに、誰にも文句は言わせないと、同志は立った。
 その日、大関西の共戦の友は、これでもか、また、これでもかと、“師弟の大音声《おんじょう》”を轟かせ、弟子の誓いを新たにしたのだ。
 大関西で生まれた「威風堂々の歌」があった。関西婦人部が熱唱した、美しき「母の曲」もあった。
 この日、友が歌った歌は実に49曲──中でも、誕生から1周年を迎えた「常勝の空」で幕を開け、一切の暗雲を打ち払って、「常勝の空」で棹尾を飾った弟子たちの叫び──。

♪今再びの 陣列に
 君と我とは 久遠より
 誓いの友と 春の曲
 愛する関西 勇み立て

 この大関西の歓喜の歌声のなかへ、私の心を抱いた名代として馳せ参じてくれたのが、私の妻であった。
 その後の数日間、妻は、「大阪の戦い」を私と共に戦ってくれた“常勝の母たち”をはじめ、関西婦人部の皆様と語り合った。家庭指導にも歩いた。
 「私たちは負けません」──関西婦人部の目は生き生きと光っていた。報恩の誓いに燃えていた。
 妻から逐一報告を聞き、私は確信した。
 関西は健在なり、関西の母たちは意気軒昂なり!
 関西には師弟がある! 絶対に大丈夫だ!
 関西の久遠の友よ、今こそ勇み立とう!
 関西から、東京を揺り動かすが如く、反転攻勢を
起こそうではないか!
 あれから30星霜──。
 関西に燃え上がった「創価の魂」の火は、東京へ、日本中へ、そして世界に燃え広がった。師弟の魂が、一切の障魔の嵐を打ち破ったのである。
 常勝の「関西魂」は創価学会の永遠の宝である。
 それはいかなる劣勢もはね返す、不撓不屈の負けじ魂だ。以信代慧の肉弾となって壁を破る、雄々しき民衆の突破力だ。いかなる苦難も歓喜に変える、ダイナミックな変革の力だ。
 尊き“常勝の母たち”が厳然としている限り、創価の民衆城は盤石である。
        ◇
 日蓮大聖人は、池上兄弟が迫害を受けて苦闘している渦中に、東京婦人部の先輩ともいうべき夫人たちを励まして言われた。
 「一同して夫の心をいさ(諌)めば竜女が跡をつぎ末代悪世の女人の成仏の手本と成り給うべし」(同1088㌻)
 夫や家庭の試練にも、また社会の苦難にも、女性が毅然として、「変毒為薬」の信心で立ち上がれば、不幸に屈服することは断じてない。
 満々たる勇気で立て!
 そこに絶対的幸福の人生の大道を、悠然と切り開いていけるのだ。
 女性音楽家クララ・シューマンは綴った。
 「人生では辛く苦しく思われることが、幸福へつづく道であることがよくあるものです」
 「多くのものが絶えざる苦闘によってのみ、かち得る」


 ユゴーの言葉は『レ・ミゼラブル』豊島与志雄訳(岩波書店)。ボーブナルグは『不遇なる一天才の手記』関根秀雄訳(岩波書店)。シューマンは『クララ・シューマン/ヨハネス・ブラームス 友情の書簡』原田光子訳(ダヴィッド社)=現代表記に改めた。

創価の母に万歳を!

女性こそ平和と幸福の英雄
進もう!「賢者はよろこび愚者は退く」
勝利の笑顔よ! 「白ゆり」の城に咲き香れ



 断固して
  この一生を
    勝ち抜けや
  幸福博士と
    賢き日々たれ

 それは、風薫る昨年5月のことであった。
 アルゼンチンの人権活動家でノーベル平和賞受賞者であるエスキベル博士が来日され、多忙な日程を縫って、ご夫妻で創価大学を訪門されたのである。
 私と妻は残念ながらお会いできなったが、創大生らと有意義な交流のひと時をもたれた。その折、高名な芸術家でもある博士は、大切にされていた自作のデッサン画6点をお贈りくださった。
 いずれも女性や母子の像である。「正義のために戦う母」「愛するものを守り抜く母」を讃えて、わが創価の女性たちに贈ってくださった。
 その中に、大地の恵みを全生命で受け止めるかのような、どっしりとした女性の絵があった。先住民に伝わる「パチャママ」(母なる大地の象徴)を描かれたものであると伺った。
 実は、エスキベル博士にとっても、この“母なる大地”のような偉大な女性がいた。母方の祖母のエウヘニアさんである。
 現在、出版の準備が進んでいる私との対談集でも、博士は、「私の英雄」と敬慕されるおばあさんの思い出を語っておられる。
 エウヘニアさんは、幼くして母を亡くしたエスキベル博士を温かく育み、純真な心深くに、絶大な影響を与えた存在であった。
 特に、彼女は、出会った相手が、善良な人なのか、うわべはよくても、本質は高慢な人間なのか、それはそれは鋭く、厳しく見抜かれていたという。
 この人は悪い人間だ──そう気づくと、彼女はエスキベル少年に忠告した。
 「その人には気をつけなさい。その人は正面からものを見ない。いつでも爪でひっかくよ!」
 「言いにくいことを言うさいに、あなたを正面から見なかったり、頻繁に顔をそむける人は、信頼してはならない。その人は怪しい人だ」
 人間の本質を突いた知恵の言葉である。
 目は「心の窓」だ。どこかにウソや悪意がある人間は、相手を正面から見ることはできないものだ。
 とりわけ、自分が世話になった恩人の目を、まっすぐに見ることのできない人間、また外面はよくとも、陰で何をしているかわからないような人間は、絶対に信用できない。
 ましてや、母親に顔向けができないような暗い生き方は不幸である。
 日蓮大聖人は、「仏法を学せん人・知恩報恩なかるべしや」(御書192㌻)と仰せである。
 青年は、母という太陽を胸中に抱さながら、正々堂々と生き抜いてほしい。
 民衆の英知を象徴するような祖母に育まれたエスキベル博士は、SGIの女性に対して、限りない期待を寄せてくださった。
 「皆様が人類的な諸課題を的確に理解すべく、問題解決への担い手、つまり価値創造の主役たらんとされているのは、喜びにたえません。
 女性が主体者となり、平和の体現者となる。これこそ現代の希望といえるでしょう」
 創価の女性の連帯こそ、光り輝く「現代の希望」であり、「未来の希望」なのである。
        ◇
 エスキベル博士と、初めてお会いしたのは1995年の12月。この時、博士から往復書簡等で対談を続けたいとの要請をいただいたのである。
 博士は、帰国に際して、私に伝言された。
 「私は、私が信頼する人が非難され、悪口を言われ、圧迫を加えられている時は、その人に何も言いません。
 しかし、その人が、誰からも非難されなくなった時は、(それは闘争をやめたことを意味するゆえに)私は不満を述べるでしょう」
 そして、かの『ドン・キホーテ』の物語に由来する素晴らしい箴言を贈ってくださったのである。
 「犬どもが吠えている。それは、我々が馬に乗って進んでいる証拠だ!」と。
 不思議にも、私は、エスキベル博士だけでなく、たびたび世界の友人から、この同じ箴言を贈っていただいた。
 ──ローマクラブのホフライトネル名誉会長、ブラジルの音楽家ビエイラ氏、チリのインファンテ前駐日大使などである。
 信念の魂は共鳴する。
 ともあれ、御聖訓には「必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退く」(同1091㌻)と仰せである。
 この御書を、現代において、不退の賢者として、身で読んでいるのが、私たちなのである。

「夫がこの場所で!」
 30数年前、アルゼンチンでは、軍事政権の手で、多数の市民が、次々に行方不明になった。犠牲者は3万人に上るともいわれる。
 エスキベル博士自身も、14カ月もの投獄を耐え抜いた人権の闘士である。
 この博士が拘束された時、アマンダ夫人の勇気と機転が、博士の生命を救うきっかけとなった。
 知らぬ存ぜぬで闇に葬ろうとしていた軍部政府に対して、公衆の前で、夫人は敢然と真実の声をあげた。
 「夫はこの場所で逮捕されたのです!」
 この夫人の叫びにより、軍部も、しぶしぶ博士を逮捕したことを認めざるを得なくなった。つまり「行方不明」を装うことができなくなったのである。
 かつて私は、日本を代表する作家の一人、井上靖先生と往復書簡を交わした。
 その中で氏は、明暗さまざまな舞台に主役となって登場する人も皆、母親のおなかから出て、生い育った人間であると強調された。そして、こう綴られた。
 「地球上の現実に対して、烈しく抗議する資格のあるのは、おそらく母というものであり、それ以外にはないのではないか」
 「生命の世紀」「人権の世紀」「女性の世紀」を築きゆくためには、断然、女性が声をあげることだ。
 沈黙は迎合であり、屈服を意味する。
 母には、声をあげる権利がある。その母の叫びに勝るものはない。
 まして、偉大なる女性の声、創価の母の正義の声を封じ込めることは、絶対にできないのだ。
        ◇
 女性の声は、社会を動かし、世界を変える。
 ことに「女性参政権」の実現は、まさに人類史上、新時代を画する「声」であったといってよい。
 この女性参政権を、国政レベルで最初に実現した国が、オセアニアのニュージーランドである。116年前の1893年(明治26年)のことであった。
 その年の国政選挙では、新たに選挙権を得た女性たちが、喜び勇んで自身の権利を行使したという。

女性が声をあげれば
 この偉業を導いたヒロインの1人が、ケイト・シェパード夫人であった。
 参政権獲得の5年前(1888年)、シェパード夫人は、なぜ女性が投票すべきなのかを、10項目の理由を挙げて訴えた。
 たとえば──
 「家庭の静寂の中にあって、女性は男性よりも単なる党派的感情には動かされにくく、候補者の生き方の実直さや廉直さに大きな価値を見いだす傾向が強いからである」
 「女性には次世代の福祉を常に心配する気持ちが備わっているので、彼女らは現在の瞬間より遠くを見据えた関心をもつことができるためである」
 「女性は注意深い習性をもち、平和、法、秩序を常に維持すること、とりわけ力に対する正義の優越に深い関心を抱いているからである」
 1世紀以上たった今でも、「まさに、その通りだ」と、深く頷けるのではないだろうか。
        ◇
 偉大なる
  希望に燃えゆく
    婦人部が
  朝日の輝く
    人生 飾らむ

 私たちの「創価世界女性会館」が、本陣・新宿の信濃町に完成して、明年で10周年になる。
 これまでに約65万人の女性たちが訪れ、世界からお迎えした賓客も、大統領夫人や国連の要人、大学総長など、千客万来の賑わいである。
 大きく女性の連帯を広げゆく、平和と幸福と哲学の宝城を、皆で護り、発展させていただきたい。
 さて、現在は「第二女性会館」となっている、もとの「創価婦人会館」がオープンしたのは、昭和53年の6月7日であった。今年は31周年になる。
 「白ゆり山」──私が贈った山号である。婦人部の皆様方が、白ゆりの如く、幸福と勝利の笑顔に包まれゆくことを願ってのことであった。
 開館記念の集いで、私は、前日がお誕生日だった創価の父・牧口常三郎先生の扁額を紹介した。
 それは、「學會の母」という文字である。
 創価学会は、広宣流布を遂行しゆく仏意仏勅を蒙った崇高な団体である。
 その学会の「母」であることは、どれほど尊き使命と福徳を持った存在であることか!
 「学会の母」とは──
 誠実に「幸福・勝利」を祈る母であり、「正義の師子吼」の母である。
 「健康長寿の智慧」の母であり、「後継育成の慈愛」の母である。
 「友の安心の灯台」の母であり、「勇気と歓喜の対話」の母である。
 「異体同心の団結」の母であり、「師弟不二の信心」の母である。
 まさに婦人部が「実践の五指針」に掲げた“祈り” “和楽” “後継” “地域” “体験”を、自らの生命の宝冠とした母である。
 だからこそ、「学会の母」婦人部は、燦然たる「世界の太陽」として輝き渡っているのである。

毎日が新しき挑戦!

 使命ある
  貴女《あなた》もともに
   三世まで
  広宣流布の
    幸福女王《じょおう》と

 南米ボリビアの女性識者も、貴き創価の女性たちの実践に、強い共感を寄せてくださっている。
 「創価の女性たちの人生に立ち向かう姿勢、社会に献身する行動力には、いつも感動します。
 これからもSGIの皆さんとともに、より良き社会を築いていきたい」
 今、この瞬間にも、日本中、世界中で、婦人部の誇り高き行動を、その慈愛の対話を、心待ちにしている友がいるのである。
 トインビー博士のベロニカ夫人が、晩年、私に贈ってくださった手紙には、こう書かれていた。
 「私のなすべき仕事は、ここに沢山あります!」
 私と妻も同じ思いだ。
 「今、ここで戦おう!」「まだまだ語り抜くのだ!」「まだまだ走り抜くのだ!」と、常に自分に言い聞かせている。
 毎日、毎日が、「新しき挑戦」である。
 毎日、毎日が、「新しき開拓」である。
 それが「今を生き抜く」真実の姿であるからだ。
 あのヘレン・ケラーは綴っている。
 「最も肝要な問題は、環境の如何ではなく、日々脳裡にある思想の如何であり、追求する理想の如何であり、約言すれば、実に人格の如何に存するものであります」
 世界第一の哲学を持《たも》ち、全民衆の幸福と平和を目指して生き抜く、創価の母ほど尊貴な存在はない。
 結びに、私は万感の思いを込めて叫びたい。
 頼もしき、わが創価の母たちよ!
 わが婦人部に健康あれ!
 わが婦人部に幸福あれ!
 わが婦人部に勝利あれ!
 わが婦人部に栄光あれ!
 新たな対話の大波を!
 新たな友情の連帯を!
 そして、新たな創価完勝の時代を!
 わが創価の母、万歳!


 シェパードの言葉は「ニュージーランド女性が投票すべき10の理由」(『世界史史料9』所収)山本真鳥訳(岩波書店)。ヘレン・ケラーは「私の宗教」(『ヘレン・ケラー全集5』所収)岩橋武夫・島史也訳(三省堂)。
2009-06-12 : 随筆 人間世紀の光 :
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創価女子会館開館3周年記念協議会

創価女子会館開館3周年記念協議会 ①②③④⑤゠完
         (2009.6.4 創価女子会館)

わが女子部 おお賑やかに 平和道 世界一なる 華陽会なるかな

題目こそ絶対勝利の力
御聖訓
「ただ南無妙法蓮華経と唱えていきなさい」


 一、念願だった「創価女子会館」を、ついに訪問することができた。こんなに、うれしいことはない(大拍手)。
 とくに「名誉館長」でもある妻は、いつもいつも、この福智の宮殿を守ってくださっている役員の方々、さらに全国、全世界から集ってこられる女子部の方々に題目を贈ってきた。
 そして、皆さん方からの重ねての真心のご招待に、早くお応えしたいと語っていた。
 本当にありがとう!
 また、おめでとう!(大拍手)
 管理者の方も、いつも大変にお世話になります。
 きょうは急遽の会合のため、代表の方のみの参加となったが、全女子部の皆さんの健康とご多幸を、私と妻は真剣にご祈念した。
 また朝な夕な、一生懸命に祈っている。
 お会いできなかった友にも、どうか、くれぐれもよろしくお伝えください。

水が流れるようなリズムで

 一、私たちの信心の根本は題目である。
 広宣流布へ、師弟が心を合わせて祈る。
 同志が異体同心で祈る。
 そこから新しい前進が始まる。戦いの勢いも生まれる。功徳も大きく広がる。
 朗々と、伸び伸びと、前へ前へ、水が流れていくような題目こそ、「勝利のリズム」である。
 白馬が大草原を走っていくような、清々しい音律が大事である。
 題目こそ、絶対勝利の力なのである。
 師弟不二の祈りと、異体同心の団結で、どこまでも、晴れやかに、生き生きと、女子部革命を成し遂げていっていただきたい。
 〈「ハイ!」と元気な返事が〉

もう、すでに勝っている!
 一、御本尊に題目を唱え、真剣に広宣流布に進む皆さんが幸せにならないはずがない。
 今世はいうまでもなく、三世永遠に幸福になる。
 現実は、経済苦や病気、家庭内のけんかなと、悩みは尽きないものである。
 しかし、表面上は不幸の格好に見えたとしても、南無妙法蓮華経と唱えていくならば、全部、変毒為薬できる。
 すべてを乗り切っていける。成長のバネとしていける。
 根本的には、もう、すでに勝っているといってよい。
 それは「劇」のようなものである。
 悩んでいる姿を演じているけれども、このドラマの結びは、絶対に幸福であり、勝利である。
 不幸で終わるわけがない。生々世々、必ず幸福になれる。永遠に勝ち抜いていける。
 ゆえに、何の心配もいらないのだ。

苦難と戦う女性門下へ
 一、日蓮大聖人は、苦難と戦う婦人を励まされ、こう語っておられる。
 「私たちは必ず仏になると思えば、何の嘆きがあろうか。妃になっても、何になろう。また天上界に生まれても、取るに足りない」(御書976㌻、通解)
 この女性は、老いた義母を真心から看病した。自身も病で苦しんでいた。
 大聖人は、“法華経の信心を深めているあなたですから、必ず幸せになります。何も嘆く必要はないですよ”と温かく激励しておられる。
 そして、どんな素晴らしい境遇に生まれてきても、この仏法に巡りあった喜びに比べれば、取るに足りないことを教えていかれたのである。
 さらに大聖人は。「私たちは(女人成仏の道を開いた)竜女のあとを継ぎ、(法華経の会座で成仏の記別を受けた)摩訶波舎波提比丘尼の列に連なることができるのである。なんとうれしいことであろうか。なんとうれしいことであろうか。ただ南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱えていきなさい」(同)と仰せなのである。

悩みがあるから成長できる!
君よ喜びの劇を舞え


全人類の中で一番の幸福者
 一、ー切経を学び究められた大聖人は、仏教以外の諸宗教や、法華経以前の爾前経などには未だ明かされていない甚深の教えを、明快に示された。
 南無妙法蓮華経こそ、永遠の平和と幸福の大法であることを宣言され、後世に残されたのである。
 この妙法を信受する私どもは、人類68億人のなかで、一番の幸福者である。
 たとえ恵まれた境遇にあったとしても、本当に幸せかどうかは分からない。心が空しければ、幸福とはいえない。
 最高の仏法に生き抜くなかに、最高の幸福がある。何の悩みもないことが幸福なのではないのである。
 大聖人御自身、御本仏の身であられながら、あえて、悪口罵詈・猶多怨嫉の大難を受け、三類の強敵と戦われる御姿を示された。
 戦いの中にこそ、喜びがあるのだ。
 悩みがあるから、成長できるのだ。
 強敵がいるから、強くなれるのだ。
 御聖訓に「人をよくな(成)すものはかたうど(方人)よりも強敵が人をば・よくなしけるなり」(御書917㌻)と仰せの通りである。
 私たちは、自分のことで悩むとともに、人のために悩む。広布のために悩む。
 悩みがあるから題目があげられる。
 悩みをバネとして、一番、幸福になる行動をしていく。その生命力を湧き出していくことができる──それが信心である。
 妙法とは絶対の常楽我浄の大道なのである。

女子部永遠の五指針を贈る

「青春桜」と共に

 一、きょうはまず、創価女子会館の初訪問に寄せて、女子部の皆様に、3首の和歌を贈りたい(大拍手)。

 広宣の
  使命も深き
   女子部かな
  幸福女王
    心は光れり

 美しき
  瞳の彼方は
    諸天まで
  見つめ讃えむ
   勝利の女王と


 わが女子部
  おお賑やかに
    平和道
  世界一なる
    華陽会かな

 婦人部のリーダーの皆さんも、忙しいところ、ありがとうございます。皆、女子部時代から広宣流布に走り抜いてきた方々である。
 きょうは、皆さん方と一緒に何度も歌ってきた懐かしい「青春桜」の歌碑も目の当たりにして、感慨深い。
 世界一の婦人部は、本年3月に発表された「婦人部実践の五指針」を掲げて前進されている。
 すなわち──
 「絶対勝利の婦人部」
 一、祈りから
   すべては始まる
 一、わが家は
     和楽の前進
 一、後継の人材を
       伸ばす
 一、地域と社会を
       大切に
 一、生き生きと
     体験を語る
 ここで、新たに、
 「女子部永遠の五指針」をお贈りしたい(大拍手)。
 一、朗らかな
    幸福の太陽たれ
 一、世界一の
    生命哲学を学ぶ
 一、何があっても
    負けない青春
 一、正義と友情の
     華の対話を
 一、永遠に
    師弟勝利の
      門を開く
 この「永遠の五指針」を胸に、妙法の誉れの青春を、最高に誇り高く、希望に燃えて生き抜いていただきたい(大拍手)。

第1の指針 朗らかな幸福の太陽たれ

「華陽」の意義
 一、まず第一の指針は「朗らかな幸福の太陽たれ」である。
 日蓮大聖人は、女性の弟子の日眼女(四条金吾夫人)に仰せになられた。
 「明るいことでは、日月に過ぎるものがありましょうか。浄らかなことでは、蓮華に勝るものがありましょうか。
 法華経は、日月と蓮華のように最極の法です。ゆえに、妙法蓮華経と名づけるのです。日蓮もまた、日月と蓮華のようなものであります」(御書1109㌻、通解)
 大聖人の御名前は「太陽」と「蓮華」を表されている。
 闇を照らしゆく太陽は、最も明るい。
 泥にも染まらない蓮華は、最も浄らかである。
 この太陽と蓮華に象徴される力用──すなわち、生命の無明を照らして法性を開きゆく力、煩悩を菩提へと浄化しゆく力を完璧に具足した「法」の当体が、妙法蓮華経であり、「人」の当体が、日蓮大聖人であられる。
 若くして、大仏法を受持した女子部の皆さんの生命もまた、最も明るい「太陽」のごとく光り輝き、最も浄らかな「蓮華」のごとく咲き薫っていくのだ。そのための青春の信仰である。
 「華陽会」という名前それ自体に、仏法上の甚深の意義が込められている。
 そして、「女子部は一人も残らず幸福に」と祈り抜いてきた、戸田先生と私たち夫婦の願いが凝結していることを、知っていただきたいのである。

すべては自分自身で決まる

ガンジー
女性にとって本当の飾りとは、その人格であり純粋さである


希望を創り出せ
 一、さらに御本仏は、偉大なる妙法の力用を、女性の弟子に、こう教えておられる。
 「百千万年の間、闇に閉ざされていた所でも、灯を入れれば明るくなる」(同1403㌻、通解)
 深い闇も、灯を点せば明るくなる。いかなる暗黒も、ひとたび太陽が昇れば、たちまちに打ち破られる。
 こうも仰せである。
 「太陽が東の空に昇ったならば、すべての星の光は跡形もなく消え去る」(同1393㌻、通解)
 どんなに華やかに見える星の輝きも、太陽の明るさには、かなわない。
 わが女子部の皆さんは、自分自身が、一人ももれなく、「幸福の太陽」である。
 ゆえに、自らの境遇を嘆く必要もなければ、人をうらやむ必要もないのだ。
 題目を朗々と唱えながら、明るく朗らかに、自分らしい生命の光を、勇気凛々と、そして、自信満々に放っていけばよい。
 「女性にとって本当の飾りとは、その人格であり純粋さである」
 「より多くの経験を積むほど、人間の幸・不幸は、すべて自分自身がつくり上げるものだと気づく」
 ──これは、インドの非暴力の闘士・ガンジーの言葉である。
 希望も、喜びも、人から与えられるのを、待つものではない。自分でつくり出し、皆に広げていくものだ。そう決めた青春は強い。
 苦労している父母にも、自分から親孝行するのだ。
 悩んでいる友人にも、自分から励ましてあげるのだ。
 「観心本尊抄」には「天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか」 (同254㌻)と仰せである。
 信心深き皆さん方は、「以信代慧」(信を以って慧に代う)の法理に則って、偉大な仏の境涯を開いていける。この現実社会の中で、生き生きと価値創造の智慧を発揮していくことができる。
 そして家庭でも、職場でも、地域でも、今いる場所で、周囲を爽やかに照らしながら、信頼と勝利の実証を、一つ一つ示していけるのである。
 一、人によって、悩みも境遇も、さまざまである。しかし、必ず打開できる。戸田先生のご指導は一貫しておられた。
 「学会活動こそが幸福への近道であり、直道だよ」と。
 先生は、信心を根本とした「幸福」について、縦横無尽に論じ、残してくださっている。
 「信心とは、最も強く自分で確信することです。自分自身が妙法の当体なのだから、諸天善神が守らないわけがないと確信して、題目をあげた時に、必ずそうなるんだよ」
 「一人ひとりの生命のなかには、御本尊がおられる」「私たちの生命の中に、厳然と仏さまが顕れれば、もう私たちには不幸などない。大聖人即御本尊の力が、私たちの体に満ち満ちてくるのです」
 「この信心をして幸福にならないわけがない。心は女王でいきなさい。創価学会の名誉ある一員として、誇りも高く生き抜きなさい」

戦えば大功徳が
 一、先生は、創価の女性に対して、「信心」に生き抜くことを徹底して教えられた。
 「御本尊を信じなさい。創価学会を信じなさい。御本尊の向かって左側には『有供養者福過十号』(供養する有らん者は福十号に過ぐ)とあるではないか。
 戦ったら、はかりしれない功徳を積む。これは御本尊の約束である」
 十号とは、仏の十種の尊称である。十号を具えた仏に供養するよりも、はるかに大福徳を、皆さんは積んでいけるのである。
 さらに戸田先生は語られた。
 「御本尊に願い切っていく、その一人の信心が大事なのだ。その一人の人の信心によって、皆が最後は幸せになっていけるのだ」
 「信心強く、自らの生命に生き切って、幸福になり切っていけばよいのである」

「若さを喜べ」
 一、ともあれ、人生には、雨の日も、曇りの日も、嵐の日もある。
 どんな時も、自分自身が「幸福の太陽」と輝いていくことだ。
 今、現在、縁する人々も、そして未来に縁することになる人々も、皆、「希望の大光」「勇気の大光」「勝利の大光」で赫々と照らし切っていける。その生命を、女子部の時代に築き上げていただきたい。
 皆さんは若い。それが、どれほど素晴らしいことか。
 19世紀のアメリカの大詩人・ロングフェローは、ハーバード大学で教壇に立った教育者でもある。
 この大詩人は、乙女に呼びかけた。
 「汝の若さを喜べ」(生田春月訳『ロングフェロウ詩集』越山堂)と。
 この一節を、私もまた皆さんに贈りたい。
 とともに、「年は・わか(若)うなり福はかさなり候べし」(御書1135㌻)と仰せのごとく、妙法を持った女性は、生涯を青春の生命で若々しく、そして福々しく、勝ち飾っていくことができる。
 皆さん方の先輩である「青春会」をはじめ、多くの婦人部のリーダーの方々が示してこられた通りである。
 どうか、生涯、わが「華陽の誓い」のままに、広宣流布の大道を、生きて生きて生き抜いていただきたい。

第2の指針 世界一の生命哲学を学ぶ

虚栄や偽善に惑わされるな
若き心に教学の柱を
戸田先生
大仏法の探究は大いなる感動


 一、「女子部永遠の五指針」の第二項目は、「世界一の生命哲学を学ぶ」である。
 日蓮大聖人は明確に、「持たれる法さえ第一ならば、持つ人も同じく第一なのである」(御書465㌻、通解)と仰せであられる。
 人間の本当の偉さは、何で決まるか。
 財産や名声、美貌などでは、決まらない。
 有名になって、一時的に脚光を浴びたとしても、長い一生にあって、不幸な流転をたどってしまう人生模様も少なくない。
 人間の究極の偉さは、いかなる法を持ち、いかなる哲学を学び、実践し抜いたかで決まる。
 「世界一の生命哲学」を持った皆さん方は、「世界一の充実した高貴な青春」を、そして「世界一の価値ある勝利の人生」を歩みゆく方々なのである(大拍手)。

最高の宝は自分 宝を磨きゆけ!
 一、19世紀に生を受け、善なる民衆の勇気を鼓舞し、社会の変革のために戦った言論の闘士がいる。フランスの女性作家、ジョルジュ・サンドである。
 彼女は、小説の主人公の歌姫に、こう語らせている。
 「身分の高い人たちを見れば見るほど、哀れみを感じます」「あの人たちは目立ちたがり支配したがります。そこが狂気の沙汰で惨めなところです」(持田明子・大野一道監訳、原好男・山辺雅彦訳『歌姫コンシュエロ㊦』藤原書店)
 誇り高き芸術家の達観といえよう。
 見えっ張りな人間、威張った人間、権力の魔性に狂った人間ほど、哀れなものはない。
 友のため、社会のため、気高き理想のために行動する、皆さんのほうが、ずっと偉大だ。幸福である。
 人は、どうしても、きらびやかな世界に目を奪われがちだ。世間でもてはやされると、偉そうに見える。社会的地位が高いと、立派に思う。いずれも愚かな錯覚にすぎない。
 自分以上の宝はないのだ。自分を離れて幸福はない。本来、自分ほど素晴らしいものはないのである。
 これが仏法である。自分という最高の宝を輝かせるのだ。これが真実の哲学である。
 大抵、人を見ると、自分と比べてしまう。
 もちろん、人から優れた点を学ぼうという気持ちは大事だ。
 しかし、「あの人はいいな。幸福そうだ。立派そうだ」と、うらやんでも、つまらない。何にもならない。
 自分自身を磨いて、自分自身が生きがいを感じて、生きていくのが勝利の人なのだ。
 これを深く心に刻んでいただきたい。

全人類の平等と尊厳と幸福の道
 一、法華経は、「女人成仏」を通して、全人類の平等と尊厳と幸福の道を開き切った、世界史を画する生命哲学である。
 御書には、「この法華経は、女人成仏を手本として、一切衆生の成仏が説かれている」
 「法華経の中では、女人成仏が第一である」(御書1311㌻、通解)等と記されている。
 皆さん方の尊き先輩たちの真剣な祈りと、粘り強い努力によって、いよいよ「女性の世紀」が開かれてきた。
 皆さん方が躍り出る晴れ舞台は、世界中に広がっている。
 「行学の二道をはげみ候べし、行学た(絶)へなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらは一文一句なりともかた(談)らせ給うべし」(御書1361㌻)とは、「諸法実相抄」の重大な一節である。
 この仰せ通り、「行学の二道」に励んだ青春が、いかに崇高であるかを、皆さん自身が体験し、そして証明していっていただきたい。
 一、御聖訓には、こうも記されている。
 「法華経を、他の人が読むのは、口でばかり、言葉ばかりでは読むけれども、心では読まない。心では読んでも、身では読まない。(あなたはこのように難にあって)身と心とて共に読まれたことは、じつに貴いことである」(同1213㌻、通解)
 大聖人の御心に寸分違《たが》わず、正義を師子吼したゆえに、命にも及ぶ難を受け、ありとあらゆる障魔と戦い切ってきた。これが、創価の師弟である。
 女子部の皆さんは、栄光輝くこの道を、真っすぐに受け継いでいっていただきたい。

生命の奥深さを知る喜び!
 一、「女子部は教学で立て」──これは、戸田先生の不滅の指針である。
 この日蓮仏法が、どれほど偉大な人類究極の幸福と平和の大哲学であるか。
 人間自身を革命し、民衆の心を結び、世界の運命をも転換していく。その根本的方途は、仏法の英知によるしかない。
 戸田先生は、鋭く喝破された。
 「外界がいかに究め尽くされても、生命自体の幸福の世界へは手のつけようがない」
 「日蓮大聖人は、いかにすれば人類が幸福になれるかを探究なされた。
 この大聖人の生命哲学を、我々が学び、実践し切った時に、絶対に幸福になれる、最高の哲学が輝いていくのです」
 また哲学の意義について、先生は、こうも述べておられた。
 「何のために、哲学は人間に必要なのか。何のために、仏法は人生に必要なのか。
 ただ自由勝手でよいならば、学校に行く必要もない。勉強する必要もない。信仰をする必要もない。しかし、それでは、必ず後悔が残る。
 哲学を学び、仏法を学び、生命の奥深さを見出していく。そして広々とした心で、深く感涙し、感動しながら、永遠の喜び、真実の幸福を探求し、体得することが、どれだけ大いなる歓喜であるか。
 人生の深き不思議さとともに、無限の喜びに充ち満ちる自己の生命を知ることの嬉しさは、いかばかりであろうか」
 さらに先生は、こう断言なされた。
 「創価学会は御本尊を根本として、広宣流布という崇高なる目的をもって進んでいる。そして、世界最高の東洋仏法の真髄であり、全世界最高の大哲学である教学をもって、実践しているのである」
 創価とともに、広宣流布に生きる皆さん方の宿縁の深さは、計り知れないのである(大拍手)。

戸田先生
まず“私はこうするのだ。こう戦うのだ”と決めよ


 一、戸田先生は、女子部に教えられた。
 「人生をよく見つめ、自分観、人生観、社会観、宇宙観、この四つを、きちっとまとめているのが仏法なのです」
 「もっと御書をよく拝するのだ。なんでも御書に、ちゃんと書かれている」
 「どんな問題が起ころうとも、御書を根本とすれば、決して紛動されることはない」
 「妙法という最高の価値観に立てば、何事も、どう進めばよいかがわかるのだ」
 信心の眼で見れば、進むべき道が見えてくる。虚栄や偽善に惑わされてはならない。
 女子部教学室の友も、真剣に歴史を創ってきてくれた。
 揺れ動く多感な青春の心に、教学という揺るがぬ柱を打ち立てる意義は、実に大きい。
 大切な女子部の皆さん方に、先生の大確信の指導を捧げたい。
 「まず“私は、こうするのだ。こう戦うのだ”と決め切ってごらん。それが哲学だよ」
 「南無妙法蓮華経の哲学を実践しているのは、創価の師弟以外にいない。女子部は、この哲学をしっかり身につけて、広宣流布を成し遂げていただきたい。頼みます!」

フランスの哲学者
もらいものの幸福は逃げ去る。だが自分で得る幸福は本物だ。


学びの青春を
 一、「幸福論」で有名なフランスの哲学者アランは論じている。
 「幸福はいつも逃げ去る、と言われる。これはもらいものの幸福についてなら正しい」
 「だが自分で得る幸福は本物だ。それは学ぶことだ」(橋田和道訳『アラン教育随筆』論創社)
 学ぶ青春は、幸福の道である。
 きょうは、女子学生部の代表も参加されている。どうか、皆さんは、生き生きと学び、世界で光る教養と実力をつけていっていただきたい。

不動の信心たれ
 一、ロシアの文豪トルストイは、釈尊の思想から学んだ信念として、次のような言葉を残している。
 「もし人が善き思想によって語ったり行動したりすれば、影の形に添うごとく、喜びが彼につきまとうであろう」(北御門二郎訳『文読む月日』ちくま文庫)
 またトルストイが、100年前に綴った日記がある。先日、わが創価学園出身の女子部の文学博士が翻訳し、届けてくれた。
 「現在を大切に生きれば、それだけ、永遠の人生、不動の人生を生きることができる」
 その通りである。
 現在の女子部の時代に、永遠の大福運を積みゆけ! 不動の信心を築きゆけ!
 こう私は、声を大にして叫びたい。
 私の妻も、女子部の時代に、揺るがぬ信心の土台を築き上げた。
 折伏、個人指導、人材育成にと走り、広布の大闘争を貫いた。恩師のために、人生のすべてを捧げてきた。その心は、今も昔も全く変わらない。
 師匠のため、同志のため、広布のために、わが身をなげうって戦い抜く。
 これこそ、真実の学会精神である。

第3の指針 何があっても負けない青春

女性革命家ローザ・ルクセンブルクの叫び
勇気を出せ! 勇気を!
何も怖れるな 一喜一憂するな
忍耐の根に勝利の花は咲く


 一、「女子部永遠の五指針」の第三は、「何があっても負けない青春」である。
 日蓮大聖人は厳然と記しておられる。
 「法華経を持つ女性は、他の一切の女性にすぐれるだけでなく、一切の男性にも超えている」(御書1134㌻、通解)
 皆様が、どれほど尊貴な存在であるか。
 また、大聖人は「法華経の師子王を持つ女性は、一切の地獄・餓鬼・畜生などの百獣に恐れることはない」(同1316㌻、通解)等と、繰り返し、女性の弟子を励まされている。
 この妙法を持つたということ自体、「何があっても負けない」ということなのである。
 さらに大聖人は、こうも仰せである。
 「たとえ太陽と月が地に落ち、須弥山が崩れたとしても、(妙法に尽くす)あの女性が仏になられることは疑いない」(同1390㌻、通解)
 「たとえ、どんな煩わしいことがあっても、夢だと思って、ただ法華経のことだけを考えていきなさい」(同1088㌻、通解)
 不確かな現実に一喜一憂したり、翻弄されるのは愚かである。
 「何かあっても私は広宣流布に生き抜く」と決め切って、平然と、悠然と、使命の青春を走り抜いていくことだ。
 幸福の花は、忍耐と努力の根がありてこそ、美しく咲くことを、決して忘れてはならない。

「無事故第一」で聡明な前進を
 戸田先生は指導された。
 「御本尊を受持し、強盛に信行学に励めば、いつまでも、悩める凡夫でいるわけがない」
 また、こうも言われた。
 「どんな辛いことも、あとになってみれば、全部、夢のように、消え去ってしまうものだ。だからこそ、長い目で、時を待つ忍耐を忘れてはならない」
 「辛抱強くなることだ。御書に“忍辱の鎧を着て”という言葉があるではないか。
 その実践が本当の仏道修行だと思ってもらいたい」
 戸田先生は、“勝つこと以上に、断じて負けない青春を”と幾たびとなく呼びかけられた。
 私の妻も、その指導のままに「負けない青春」「負けない人生」を歩み通してきた。そして、勝った。
 皆さん方は、その後に続いていっていただきたい。
 また、濁世の社会にあって、事故などに巻き込まれないことも大切である。帰宅も夜遅くならないよう、細心の注意を払って、どうか「無事故第一」「健康第一」の聡明な前進をお願いしたい。

正義を叫び抜け
 一、大事なのは「勇気」である。
 ポーランド出身の女性革命家ローザ・ルクセンブルクは同志に呼びかけた。
 「何も怖れることなし」(伊藤成彦・米川和夫・阪東宏訳『ヨギヘスヘの手紙』河出書房新社)
 「勇気をだして」「勇気を!」(同)
 かつて、女子学生の有志が、夏季講習会で、このローザ・ルクセンブルクにちなんだ歌を、元気いっぱいに歌ってくれたことがあった。
 早いもので、それから、もう40年になろうか。その時の「青春勇舞会」の友も、婦人部のリーダーとして、今も変わらぬ大情熱で活躍してくれており、うれしい限りだ。
 アメリカの女性詩人であるエミリ・ディキンスンは綴った。
 「波乱と難局にあって、巨大な円柱のごとき自分自身を頼りにすることは、なんと心強きことか。
 自分という確かなものを持つことは、なんと素晴らしいことか」
 永遠に、何があっても揺るがない自分自身の生命をつくり上げていく──これが信心である。これが青春の学会活動である。
 イタリア・ルネサンスの巨匠であるレオナルド・ダ・ヴィンチは、「青春は再びかえらず」と述べている(カール・ヤスパース著・藤田赤二訳『リオナルド・ダ・ヴィンチ』理想社)
 レオナルド・ダ・ヴィンチといえば、かつて、世界最古の総合大学であるイタリアのボローニャ大学で、「レオナルドの眼と人類の議会──国連の未来についての考察」と題して講演を行ったことが懐かしい。〈1994年6月。名誉会長はこれまで、海外の大学・学術機関で32回の講演を行っている〉
 ダ・ヴィンチが言うように、青春は二度とやってこない。
 今、女子部の皆様は尊き青春の時代を生きている。
 だからこそ、思い切って戦っていくことだ。創価の正義を叫び抜いていくことだ。

私がやります!
 一、若いということが、どれほど大きな力を秘めているか。
 私も、青春時代、戦って戦って、戦い抜いた。
 戦後、戸田先生の事業は破綻し、膨大な負債を抱えた。
 先生のことを「馬鹿野郎!」と罵り、去っていった人もいた。先生は、学会の理事長を辞めざるを得なくなった。
 その中で、私は「私がやります! 私が働いて、先生をお護りいたします!」とお誓い申し上げた。
 当時、私は20代。若かった。師匠のために働き抜いた。
 やがて事業は苦境を乗り越え、戸田先生が第2代会長に就任された。
 しかし、今度は折伏がなかなか進まない。先生は「このままでは、広宣流布に5万年かかってしまう」と嘆かれた。
 この時も私は「断じて私かやります!」と立ち上がった。
 私は蒲田支部の2月闘争で折伏の壁を破り、75万世帯達成への突破口を開いた。
 猛然と、うねるような勢いで拡大の歴史を築き、新しい学会の発展の流れをつくっていったのである。

職場で「なくてはならない存在」に
 一、戦争が終わった後、私は昭文堂という小さな印刷会社に勤めていた。
 昭文堂の主人は、私の仕事を全面的に信頼してくださっていた。できるだけ長く自分の会社で働いてもらいたいと考えておられたようだが、肺病を患っていた私は会社を辞めざるを得なくなり、自宅から近い蒲田工業会に勤めることになった。
 やがて戸田先生の会社で働くことが決まり、蒲田工業会を辞めることになった時も、上司や同僚が「どうしても辞めなければいけないのか」と別れを惜しみ、心のこもった送別会を開いてくれた。
 職場で信頼を勝ち取り、なくてはならない存在になる。それでこそ、学会の青年部だ。
 “あなたがいると会社がどんどん発展する”──そう言われる存在になっていただきたい。
 また、真剣に信心をし、誠実に努力を重ねていけば、必ずそうなっていけるのである。

健康で快活に!
米国の女性学者
失敗しても「だめだ」と思うな
あきらめなければ芽は伸びる


へこたれず前へ
 一、皆さんが、友のために懸命に題目を唱え、行動する。学会活動に励む。これほど尊いことはない。
 日蓮大聖人が御賞讃くださることは、絶対に間違いない。また現実の生活の上にも、厳然たる功徳の実証が現れる。
 他人が見ていようが見ていまいが、そんなことは小さなことである。
 広布に生き抜く人生には、何の悔いも残らない。すべての苦労が生かされていく。勝利の因となる。
 堂々と、誉れの学会員として、私と一緒に戦っていこう!〈「ハイ!」と元気な返事〉
 一、米ハーバード大学の女性の文化人類学者であるベイトソン博士は述べている。
 「失敗するたびに『そらみろ』といった目で見られるために、『やっぱり』と簡単にあきらめていては、伸びる芽も伸びない」(桜内篤子訳『女性として、人間として』TBSブリタニカ)
 失敗を恐れない──女子部は、これでいこう! 何があってもへこたれずに、前へ、前へと進むことだ。そして最後に勝てばいい。
 このベイトソン博士は、私がハーバード大学での2度目の講演で語った「生も歓喜、死も歓喜」の哲学に、深い共感を寄せてくださっている。〈名誉会長は1991年9月、93年9月の2回、同大学で講演を行った〉
 世界最高峰の大学や、フランス学士院などの学術機関から招聘を受け、講演を行う──それ自体が、大変な名誉である。講演がわった後、万雷の拍手が鳴りやまなかったことも、忘れ得ぬ思い出である。

アンデルセン
あなたには若さがある
すぐに痛手をいやして
明るい幸せな日が来ます


永遠に若き心で
 一、デンマークの作家であり、「童話王」として世界的に有名なアンデルセン。その小説の中で、登場人物がこう語る。
 「明るい、幸せな日が来るわ。あなたには若さがあるんですもの。若さというのはすぐに痛手をいやして、心身ともに健やかにしてくれるものよ」(デンマーク王立国語国文学会編集・鈴木徹郎訳『アンデルセン小説・紀行文学全集3』東京書籍)
 悩みに断じて負けず、乗り越える。それが青春の戦いであり、青春の力である。
 「健康的な、朗らかな青春であれ!」と申し上げたい。
 もちろん、年を取ったからといって、元気をなくしてしまってはいけない。
 妙法に生き抜く人は、生涯「青春」である。生き生きと活躍する婦人部の大先輩たちのように、永遠に“女子部の心”で進んでいただきたい(大拍手)。
 一、女子部の皆さんの中には、結婚について悩む人がいるかもしれない。
 具体的なことは、ご両親や、婦人部をはじめ信頼できる先輩などに、よく相談していただきたい。
 その上で大事なのは、しっかりと御本尊に祈っていくことだ。
 焦る必要はない。早く結婚したから幸福かといえば、そうとも限らない。素晴らしい相手と出会えるように、また、自分にとって、最高の形で結婚できるように、祈っていけばいいのである。
 そして、信心でわが生命を磨きながら、自分らしく輝いていっていただきたい。
 一、アンデルセンはこうも綴っている。
 「わらいはどんなかなしみをもやわらげる/信じたまえ、わたしたちのほめたたえる人は/たいていわらったことで幸福をえたのだ!」「わらいは敵をもたおす」(山室静訳『世界の詩73 アンデルセン詩集』彌生書房)
 戸田先生の弟子として、女子部時代から薫陶を受けた私の妻は、どんな大変な時でも笑顔を絶やさなかった。
 皆様もまた、何があっても、快活に進んでいただきたい。題目をあげ抜き、強き生命力を湧き出して進んでもらいたい。
 女子部に信心の歓喜の笑顔が輝く限り、学会は強くなり、発展していける。私は、そう強く申し上げたい(大拍手)。
 一、「一人」の真心が、どれほど偉大か。 「一人」の信心の波動が、どれほど大きいものか。
 日蓮大聖人は、さじき女房という女性門下に宛てた御手紙のなかで、法華経に供養する深い意義について、次のように仰せである。
 「たとえば、春の野が千里ほどにも広がって草が生い茂っている所に、豆粒ほどの小さな火を一つの草に放てば、それはたちまちに燃え広がって無量無辺の火となります」(御書1231㌻、通解)
 鮮やかな譬えである。そして、一人の供養から生じた功徳は、その父母や祖父母にも、家族にも、さらに多くの衆生の生命にまで広がっていくというのである。
 “一つの行動”から、すべては始まる。“一言の励まし”から、勇気が生まれる──この大原則をわが身に体現し、広宣流布の舞台を広げてきたのが、皆さんの先輩である婦人部の方々だ。偉大なる婦人部は今月10日、結成58周年を迎える。おめでとう!(大拍手)

世界人権宣言に尽くした米国の母
私たちの歴史は私たちが創る!


「変革できない分野などない」
 一、世界人権宣言の起草に尽くした、「アメリカの人権の母」エレノア・ルーズベルト大統領夫人は、最晩年の著書に綴っている。
 「私たちが本当に強く願い、その願いに対して確信を持ち、その実現のために誠心誠意、行動するならば、人生において、願いどおりに変革できない分野など、何ひとつないと確信しています」
 創価の女性の決心と通じ合う言葉である。いわんや私たちは、無上の妙法を持ち、広宣流布の大道を歩んでいる。不可能に思える困難が立ちはだかったとしても、すべてをよりよく変えていく力の源は、この信心である。
 また、エレノア・ルーズベルトは訴えた。
 「私が深く確信すること。それは”私たちの歴史は、私たちが創っている”ということです。
 歴史がどのような方向に進むかは、私たちの選択によって決まります。その選択は、人々の持つ思想、信念、価値観、そして夢から生まれてくるのです」
 戦争から平和へ、対立から共生へ、あきらめから希望ヘ──新しい歴史を創っているのが、創価の民衆運動である。
 私たちは、広宣流布という壮大な夢に生きましょう! ともどもに!(大拍手)

第4の指針 正義と友情の華の対話を

語った分、仏縁が広がる
語った分、永遠の福運に


声を惜しまず
 一、さて、女子部への新指針の第四は、「正義と友情の華の対話を」である。私たちの世界において、対話の意義はまことに大きい。
 大聖人は「この娑婆世界は耳根《にこん》得道の国(仏法を耳で聞くことによって成仏する国土)である(御書415㌻、通解)と明言されている。
 ゆえに、妙法を相手の耳に入れ、仏縁を結ぶことが、どれほど尊い仏の仕事であるか。皆様方の対話こそ、何ものにも勝る幸福と正義の拡大なのである。
 大聖人は「仏になる法華経を耳に触れるならば、これを種として必ず仏になる」「とにもかくにも法華経を強いて説き聞かせるべきである」(同552㌻、通解)等々、明快におっしゃっている。
 最極の正法正義を、多くの友に、声を惜しまず語り切っていくことである。
 語った分だけ、永遠の幸福の仏縁が結ばれる。語った分だけ、わが生命に、永遠の福運の歴史が刻まれる。
 「須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき」(同467㌻)と説かれている通りである。

臆せずに語れ
 一、とくに、正義を語るに当たっては、臆してはならない。遠慮してはならない。大聖人は「少しもへつらわずに振る舞い、語っていきなさい」(同1164㌻、通解)と励まされている。
 真実をありのままに、毅然と言い切っていく強さが、折伏精神である。学会精神である。広宣流布の精神である。この誇り高き強さがあったから、今日の学会があるのだ。
 戸田先生は対話のポイントを指摘された。
 「相手に真面目に真実を語る。そして心にあるものを訴えていく。
 これが創価学会の発祥の原理であり、発展の原動力である」
 「心と心の交流、友情の拡大、異なる文化の理解を育む“人間主義の対話”が大事である」
 そして戸田先生は次のように教えられた。
 ──仏法の難解な法理をいきなり説いても、理解されるものではない。
 時には、文学に話題を広げ、また、音楽を論じ、絵画について語り合いながら、心広々と、心豊かに、この大法を弘めていくのである──
 恩師の教えを胸に、私も、あらゆる壁を乗り越える対話を心がけてきた。妻と一緒に、あの国にも、この大陸にも、世界中に対話の道を開き、友情の橋をかけてきた。
 すべて、女子部の皆さんたちに託していく宝である。どうか、創価の哲学者として、思う存分に、楽しく伸び伸びと、対話の華を広げていっていただきたい。

エマソン
「一対一」人の法則が対話には不可欠


誠実の人たれ
 一、人間性をめぐる世界の箴言を、さらに幾つか紹介しておきたい。
 ドイツの文豪ゲーテは「誠実なのがやはり一番」(生野幸吉訳「西東詩集」、『ゲーテ全集2』所収、潮出版社)と記した。
 この言葉は、むしろ男性が心すべきであろう(笑い)。
 仏法を根本に生きる誠実の人を、諸天が護らないわけがない。
 「偉い人間ほど気取らないものです」(村岡花子訳『スウ姉さん』角川文庫)──これは、アメリカの作家エレナ・ポーターの言葉である。
 リーダーは、同志に真心をもって尽くすためにいる。断じて偉ぶるためではない。皆さんも、この点を忘れてはならない。
 アメリカの思想家エマソンは論じている。
 「一人対一人のこの法則は、対話にとっては欠くべからざるもので、而かもその対話なるものは、友情の実行であり、成就であるのである」(平田禿木訳『エマアソン論文集 上巻』国民文庫刊行会、現代表記に改めた)
 一対一の対話を積み重ね、友情を拡大しゆく人生が最も尊い。
 また、対話を通して最高峰の思想、哲学を語っていけるということは、世界市民としての誉れでもある。
 御書には「常に語り合って生死の迷苦を離れ、同心に霊山浄土においてうなずき合って話しなさい」(御書900㌻、通解)とある。
 永遠の常楽我浄の境涯を、同志とともに勝ち開いていけるのが妙法である。

ヘレン・ケラー
国から国へ 全人類を潤す思想は炎や剣よりも強い


創価の女性は“希望の種”を世界へ

 一、目・耳・口の三重苦を乗り越えて、社会福祉事業家として貢献した、あのヘレン・ケラーは語っている。
 「思想は、炎や剣よりも強いものです。それは、国から国へと、音もなく広がり、人類は、その豊穣なる実りを求め、それを収穫するのです」
 今、皆さんは、来る日も来る日も「一人」の友と誠実な対話を重ねている。こうして草の根の対話を地道に繰り広げていることが、やがて世界広宣流布の大輪の華と咲き薫っていくのだ。
 ゲーテの詩に、通りすがりの小さな花との出あいをうたったものがある。
 これまでにない、かわいい花。折ろうとすると、花が言う。
 「私にゃ根がある/人の知らない
 地面にふかく/根ざしているので/それで私の花はきれいだ」(三浦吉兵衛訳『ゲーテ全集第一巻』大大東出版社、現代表記に改めた)
 人知れず、努力を重ね、妙法の大地に深く根を張ってこそ、自分にしかない使命の花を咲かすことができる。
 そしてその花は、世界に、未来に、限りなく希望の種を広げていくのである(大拍手)。

第5の指針 永遠に師弟勝利の門を開く

 一、女子部の「永遠の五指針」の第五は、「永遠に師弟勝利の門を開く」である。
 有名な御聖訓には、
 「女子《おなご》は門をひら(開)く」(御書1566㌻)と仰せである。
 一人の乙女から、どれほど大きな幸福と繁栄の門が開かれていくことか。
 「門を開く」──この短い一言から、女性に寄せられる、日蓮大聖人の甚深の御期待が拝されてならない。
 思えば、法華経に登場する若き竜女は、偏見や差別が渦巻くなか、それまでの価値観を打ち破って、「女人成仏」を身をもって示した。
 自身の成仏を通して、一切衆生が成仏できることを証明したのである。
 その姿に、娑婆世界の衆生は「心大《しんだい》歓喜」──心は大いに歓喜して、竜女に敬礼を捧げたと説かれている。
 私は、「心大歓喜」の経文を認めた和紙を、広宣流布の「希望の門」を開く女子部の皆さんの活躍を祈り、ここ創価女子会館の誕生を記念して贈らせていただいた。

師と共に!
 一、竜女は、大師匠である釈尊に誓う。
 ──ただ仏のみが自分の成仏を知ってくださっています。
 私は大乗の教え(法華経)を開いて、苦悩の衆生を救ってまいります──
 竜女には、師匠がすべてを分かってくださっているという深く強い確信があった。
 そして「師と共に」不惜身命で戦い抜くという誓願があった。
 「師と共に、広宣流布に尽くそう!」
 「師と共に、皆に励ましを贈ろう!」
 そのように“誓う”心の発露には、立場も役職も関係ない。距離も関係ない。
 池田華陽会の歌「華陽の誓い」に込められた「誓い」の二字。
 今の皆さん方が、青春の、わが誓いを果たし抜いていくなかで、いかに壮大な広宣流布の勝利の劇が織り成されていくことか。
 そして、皆さんの「青春のスクラム」が、未来永遠の希望の鑑として仰がれていくことは、絶対に間違いないのである。

青春の「誓い」を生涯貫け
女子部時代の決意に生きた多田時子さん


妙法に生きれば自在の大境涯に
 一、皆さんの大先輩で、「師弟勝利の門」を大きく開いた一人に、多田(旧姓=湊)時子さんがいる。
 1925年(大正14年)の10月に生まれ、5歳になる前に父が他界。自身も病で苦しみ、戦争で青春を奪われた。終戦後、最愛の母まで亡くした。
 生きる希望を失いかけた彼女が、入会したのは1951年(昭和26年)の8月。
 御本尊を御安置する時に駆けつけたのが、当時、女子部の班長であった私の妻である。
 妻のほうが年下であったが、信心の先輩として、また親友となって、妻は彼女を励まし続けていった。
 不幸と貧乏のどん底にあった彼女は、信心で蘇生し、鮮やかな青春勝利の劇を綴った。
 戸田先生のもと、「華陽会」の一員に選ばれ、薫陶を受けた。
 人間は、出会う人によって、指導のいかんによって、大きく変わっていけるものだ。
 戸田先生が逝去された直後の1958年(昭和33年)5月3日、多田さんは全国女子部長となった。
 5年間で、女子部を5万5千人から40万人へ、じつに7倍以上に拡大した。
 また、今や世界中で歌われる愛唱歌「今日も元気で」が誕生したのは、彼女が全国婦人部長の時代である。
 女性の時代の先駆として衆議院議員も務めた。引退後、広布の最前線に舞い戻って恩返しの戦いを貫き、多くの後輩を育て上げた。
 多田さんは、日本の女性リーダーの一人として、世界の名士とも堂々と語り合った。
 妙法に生き抜く人生は、まさにそのように、無数の諸天善神と語り、仏菩薩と握手を交わすような、自由自在の大境涯となる。
 最高の栄冠に輝く生命となる。
 これを深く確信していただきたい。
 〈多田さんは、2000年(平成12年)12月2日に亡くなる2週間ほど前、名誉会長夫妻に心からの感謝の言葉を残している。
 「私こと、おかげさまで、入信以来、五十年。
 池田先生、御奥様の無限の御慈悲に包まれまして、弟子の道の一分を、歩み抜かせていただきました。
 稀有の大師匠にめぐり会えました福運により、黄金の人生を、そして望外の至福の人生を、歩ませていただきました。
 この御高恩に対し、永遠に生死生死を繰り返しながら、必ずや、広布のお役に立ち、御深恩にお応え申し上げる決意でございます。
 文は意を尽くさず、誠に申し訳ございませんが、一言、御礼を申し述べさせていただきました。
 心より、心より、感謝申し上げ、厚く、厚く、重ねて御礼申し上げます。
 池田先生、御奥様の愈々の御健康と、御長寿を衷心よりお祈り申し上げ、また創価学会の永久の御発展を、強くお祈り申し上げます」〉

女性哲学者の警鐘
嫉妬は傲慢と結びつく


「あの人のように!」と輝く模範に

伸びやかに
 一、「伸びやかに生きる秘訣」は何か。
 米ハーバード大学の文化人類学者、ベイトソン博士は、その一つとして「自分が他人と異なることが弱みでなく強みになりうることを認識すること」を挙げている(桜内篤子訳『女性として、人間として』TBSブリタニカ)
 急所を突いた指摘といえよう。
 何より、私たちは信仰をしている。無限の希望の源泉である、大仏法を持っている。それこそが、最大の「強み」なのである。
 一、戸田先生は、よく語っておられた。
 「創価の師弟を信じて、いかなることがあろうと、共に戦い進む同志の集まり。それが、学会の最大のあり方である」
 師の心をわが心として、同志と苦楽を共にしていくのが、真実の弟子の道である。
 反対に、偉大なものに嫉妬し、私利私欲に狂い、尊き同志を見下す増上慢の末路が、いかに惨めか。皆様がよくご存じの通りである。
 20世紀の女性哲学者、ハンナ・アーレン卜は「嫉妬には傲慢と結びつく特徴がある」と書き残している(ウルズラ・ルッツ、インゲボルク・ノルトマン編、青木隆嘉訳『思索日記1』法政大学出版局)
 どうか一人一人が、多くの後輩たちから、「あの人の生きたように!」と慕われる、輝く模範となっていただきたい。

慈愛の光を友の心へ!
白樺グループ40周年 おめでとう


「白樺の心」よ世界に広がれ

 一、女子部「白樺グループ」(看護者の集い)の結成40周年、本当におめでとう!(大拍手)
 婦人部「白樺会」の皆さんも、いつも大変にご苦労さまです。
 日ごろから同志の健康を厳然と守ってくださっている、一番尊い方々である。
 生命ほど大切な宝はない。その生命を守る白樺の方々に対して、社会は最高の勲章を贈って讃えるべきである──これが私の持論である。
 生命を軽視する風潮が強い時代にあって、生命尊厳の大哲理を掲げ、「生命の世紀」を建設する白樺の皆さんこそ、まさに「慈愛の博士」であり「慈愛の天使」である。
 「白樺の心よ、全世界に広がれ!」と、私たち夫婦は祈り、叫びたい。
 大切な白樺の友と一緒に、「生命尊厳の21世紀」を築いてまいりたい(大拍手)。

戸田先生
広宣流布は女性の力で

女性に最敬礼
 一、「鉄鋼王」として名高い、アメリカの実業家、カーネギーは述懐している。
 「私たちの経験からいうと、若い女性は、男子青年よりも信頼がおける」(坂西志保訳『カーネギー自伝』中公文庫)
 広宣流布の世界も、事実のうえで、女性の活躍が光っている。
 さらに、社会の各界のリーダーから、女子部への賞讃の声が、多数、寄せられている。
 仏法は男女平等であり、妙法の女性は一人も残らず、かけがえのない使命を待った最高に尊貴な人である。
 ゆえに、男性は女性に対し、「いつもありがとうございます」と最敬礼する思いで、心から尊重し、応援していくべきだ。これを、より一層、実行していけば、広布の勢いは倍加する。
 もしも、威張る男性や生意気な男性がいたならば、女性が声をあげ、正していくのだ。
 一、戸田先生は、「広宣流布は女性の力で成し遂げられる。尊きは、女性の力である」と断言された。
 さらに、先生は次のように宣言された。
 ──女子部員を増やし、女子部を強くすることが、広宣流布の永遠の勝利の門を開き、創価学会の永遠の繁栄の門を開く、と。
 戸田先生も、今の女子部の皆さんの姿をご覧になったら、どれほど喜ばれることか。
 私は、わが人生の総仕上げのこの時、「華陽の誓い」を抱いて躍り出てこられた女子部の皆さんに、不思議な縁を感じてならない。
 宝の中の宝である皆さんに、広宣流布の未来の一切を託していきたい。私と妻は、そうした祈りを込めて、皆さんを見守っている。

仲良く! 素晴らしき栄冠を

創価の未来は華陽会と共に
 一、この春、私は、「戸田大学」の卒業生として、また皆さんの代表として、北欧のデンマーク・南大学から「名誉博士号」を拝受した。
 〈世界の大学・学術機関から250番目の名誉学術称号。現在、名誉会長は「256」の名誉学術称号を受章している〉
 その名誉博士のメダルには、「童話王」アンデルセンの肖像が刻まれていた。
 アンデルセンは高らかに謳った。
 「世界は若い 若者とともに 若い」(デンマーク王立国語国文学会編集・鈴木徹郎訳『アンデルセン小説・紀行文学全集5』東京書籍)
 この言葉を踏まえて
 「創価は若い。華陽の友と共に若い」
 そして──
 「未来は明るい。華陽の友と共に明るい」
 こう、限りない期待を込めて、私は申し上げたい(大拍手)。
 きょうの記念として、シンガポール国立植物園が命名してくださった“香峯子蘭”(デンドロビューム・カネコ・イケダ)の写真を贈りたい。
 とともに、花の池田華陽会の皆様に

 気高くも
  優美に薫れる
   香峯子蘭
  華陽の姫も
    喜び続きて

と和歌を詠ませていただいた(大拍手)。
 大東京をはじめ、日本全国、全世界の華陽の同志に、「万歳!」と叫びたい。
 わが使命の舞台で、「師弟勝利の花」を、美しく咲かせていっていただきたい。
 お父さんやお母さんにも、お会いできなかった同志にも、くれぐれも、よろしくお伝えください。
 〈ここで、参加者が池田華陽会歌「華陽の誓い」を、誇らかに歌い上げた〉
 いい歌だ!
 ありがとう!
 この歌とともに、生涯、わが「誓い」を抱きしめながら、心晴れ晴れと進んでいただきたい。
 皆さん、どうか、お体を大切に。
 仲良く、どこまでも仲良く!
 悔いのない、素晴らしい勝利の歴史をつくっていただきたい。
 お元気で!
 また、お会いしよう!(大拍手)
2009-06-07 : スピーチ・メッセージ等 :
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長編詩 わが友よ 正義は前進せよ!

わが友よ
正義は前進せよ!



わが友よ
正義は前進せよ!
君の人生は
永遠に勝負だ。

君よ
見たまえ!
苦戦を乗り越え
勝ち抜いた人こそが
歴史上の偉人たちだ。

古代ローマの哲学者
ボエティウスは語った。
 「あなたがたも
 勇ましく
 偉大な先達の示す
 崇高な道を歩むがよい」

君よ
諸天善神も
毎朝毎日 見ている。
君が一歩を踏み出せば
諸天善神も勇んで
君と一緒に
動き始めるのだ。

君よ
君の人生を
勝ちまくれ!
それが
君の使命だ。
君の晴れの姿だ。

ああ 重苦しい雲が
垂れ込めてきた。
激しい暴風雨が
迫り来る予感の
曇天の朝だ。

しかし
君よ
すべてを
悠々と乗り切れ!

雨であれ
嵐であれ
汝自身が強く輝く
黎明の心境でいけば
すべてが
君の勝ちだ!

中国の国学大師と仰がれる
饒宗頤博士も
私との対話のなかで
語っておられた。

 「私は何度も
 困難の壁に
 ぶちあたってきました。
 『忍辱』によって
 苦難に立ち向かい
 克服するまで諦めずに
 奮闘してきたのです」


いかなる事態になろうと
いかなる艱難の
連続であろうと
天空に雲一つなき
大晴天の
君の生命の宇宙を
輝かせていくことだ。

そのために
今日も前進だ!
今日も決戦だ!
今日も勝利だ!
これが人生の英雄だ!

万有流転──
大宇宙の運行は
瞬時たりとも
止まることはない。

400年前
あの天文学の先覚者
ガリレオ・ガリレイは
彼方の天座を見つめつつ
我らの地球が
回転していることを
おごそかに宣言した。

彼は叫んだ。
──地球は
常に変化し
絶えず生成している。
だからこそ
高貴なのだ。
賞讃に値するのだと。

万物は
間断なき前進から
生まれ出ずる。
前進こそが
宇宙を貫く黄金則なのだ。

ガリレオ自身が
真理の探究の軌道を
雄々しく突き進んだ。
過酷な迫害も忍び
失明の試練も耐え
勇敢な弟子とともに
誠実な愛娘とともに
最後の最後まで
知性の格闘を続けたのだ。

勇気と英知という
至高の人格の光を
彼は金星の如く
鮮烈に放っていった。

 「日月天の
 四天下をめぐり給うは
 仏法の力なり」と
御聖訓には仰せである。

大宇宙を
前進せしめゆく
究極にして
根源の力こそ
妙法である。

この大哲理を
若くして受持した君よ
何があっても
前へ前へ!
たゆみなく進むのだ。
堂々と!
朗らかに!

法華経の寿量品には
「未曾暫廃」──
未だ曾て暫くも廃せず
と説かれる。

師匠は
衆生を救わんがために
しばしも
仏の仕事を止めない。
常に勇気凛々と
戦い抜くのだ。

法華経の会座において
師匠は弟子に
「勇猛精進」を示された。
弟子も師匠に
「勇猛精進」で応えた。

師匠も
勇猛精進!
弟子も
勇猛精進!
恐れなき前進において
師弟は
不二となるのである。

日蓮大聖人は
末法万年尽未来際の
令法久住のために
御入滅の時まで
戦い通された。

病の身を押されて
武州池上へと
歩みを進められ
若き門下とともに
烈々たる破邪顕正
そして
立正安国の大闘争を
示してくださったのだ。

 「必ず三障四魔と申す
 障いできたれば
 賢者はよろこび
 愚者は退く」とは
権力の魔性と戦う
池上兄弟へ打ち込まれた‘
御金言である。

いかなる宿縁であろうか
御本仏が
魂魄を留め置かれた
この大東京の大地で
創価学会は誕生した。
学会こそ
仏意仏勅の教団たる
重大な符合が
ここにもあるのだ。

創価の師父
牧口常三郎先生は
本陣東京を中心として
常に最前線を奔走された。

牧口先生は
語っておられた。
 「仏法を伝えたい
 友人がいれば
 私に会わせなさい。
 それがそのまま
 折伏になるのだ」

この率先垂範の
燃え上がる闘魂と
断固たる責任感で
創価の師弟は
戦い勝ってきたのだ。

その師を仰ぎ見て
不二の弟子たる
戸田城聖先生は
感嘆された。
 「牧口先生の思想は
 いつでも
 若竹の如く
 伸び続けている」

軍部権力の
狂暴なる迫害にも
創価の師弟は
師子王の如く悠然と
微動だにしなかった。

金剛不壊なる
この師匠の生命と
弟子の一念が合致するとき
無窮の前進の力が
湧き起こるのだ。
あらゆる障害をも
突破しゆく
師子奮迅の力が
漲り溢れてくるのだ。

創価とは──
師とともに
目覚めたる民衆が
一人また一人
頭を上げて胸を張ることだ。

そして
生きる喜びと
尊極なる生命の誇りに
満ちて闊歩しゆく
希望の大行進である。

それは
人類が願い
求めてやまなかった
幸福の前進である。
正義の前進である。
人道の前進である。
平和の前進である。
文化の前進である。
教育の前進である。

最も正しいゆえに
権力の魔性は
嫉妬に狂い
襲いかかってくるのだ。

しかし
いかなる悪口も
いかなる陰謀も
いかなる弾圧も
我らの異体同心の前進を
阻むことはできなかった。

私は青春時代
わが師・戸田先生と
幾たびとなく
大文豪ゲーテの言葉を
語り合ってきた。

 「新しい誓いのたびごとに
 古いつきあいを
 新たにしよう!」

 「われわれの屈託のない
 つきあい
 心からの仲間意識の
 すこやかさ!
 これからも
 いつに変らず
 心と心を寄せ合おう
 われわれの友情には
 つまらぬことで
 水が入ったりしないのだ」

今や
世界192力国・地域に
創価の人間主義の連帯は
晴れ晴れと広がった。

私が招へいを頂き
2度の講演をした
行動する人間を
前進する知性を
育んでこられた。

近代ハーバード大学の父
エリオット学長は
毅然とモットーに
掲げている。

 「上を向け
 下を向くな
 前を向け
 後を向くな」
 「そして
 手を差しのべよ」

この学長は
若き教育者に尋ねた。
 「君は戦えるかね」
青年教育者は
 「イエス」と答えた。

すると学長は
さらに念を押した。
 「すべての人が
 君に反対するとき
 君を支持する人が
 一人もいないときでも
 君は戦えるかね」

この一人立つ
学長の巌の如き奮闘が
原動力となって
ハーバード大学は
比類なき
大発展を遂げたのだ。

エリオット学長は語った。
 「私は寂しいと
 思ったことがない。
 いつも
 戦っていたからだ」

学び戦い
そして前進する人生には
悲哀も感傷もない。
常に充実があり
発展がある。

御聖訓には仰せである。
 「月月・日日に
 つより給へ
 すこしも
 たゆむ心あらは
 魔たよりをうべし」

トインビー博士も
文明の衰亡は
成長への躍動を
失うところから始まると
喝破されていた。

社会であれ
個人であれ
傲り高ぶって
「愚者の楽園」で
安閑と休息するところに
敗退がしのびよるのだ。

かのルネサンスの巨人
レオナルド・ダ・ヴィンチは
錆ついてボロボロになった
剣の絵を描いて
「自分を鍛えないので」と
添え書きを残している。

前進を止めた心は
愚痴と不満に囚われる。
ゆえに
歓喜と使命に輝いて
前進を続ける人間が
妬ましくて
仕方がなくなるのだ。
これが
提婆達多の本性であり
どす黒い怨嫉の生命だ。

戸田先生は叱咤された。
 「たゆまず流れ出ずる
 水の信心であれ!
 溜まり水は
 動かないから
 腐ってしまう。
 人間も同じだ。
 進まざるは退転である」

腐臭を放つ
浅ましい退転の輩の
嫉妬や裏切りなど
笑い飛ばしていけばよい。

戸田先生は断言なされた。
 「誰が何と言おうと
 強く強く
 同志と一緒に
 前へ進むのだ」
 「仏から最大に賞讃され
 大功徳を受けるのは
 大勇猛心で
 進んだ人である」

正義の行進は
断じて
停滞してはならぬ。
逡巡してはならぬ。

大聖人も
光を当てておられた
唐の大詩人・白楽天は
善人が前進すれば
悪人が後退すると
謳い上げている。

善が弱まれば
悪が蔓延《はびこ》る。
そこに
社会の混迷の元凶がある。
「立正安国」とは
正義が前進することだ。
正義が勝利することだ。

それは
紀元前の6世紀
ローマで
ある邪悪な輩が
謀略によって王となった。
その悪党と一族は
横暴の限りを尽くした。
人々は「傲慢王」と
恐れおののいた。

その時
決然と立ち上がった
一人の英雄がいた。
青年時代から
仇討ちを胸に秘めた
ルキウス・ブルートゥスだ。
 「わが身に能う限りの力で
 追及しよう」と
邪悪を攻め抜く魂は
炎の如く
燃えたぎった。

その渾身の叫びに
熱血の青年は結集し
傲慢王の一族は
ついに追放されたのだ。

そして
それまでの古き王政は
世界の歴史に光る
新たな共和政へと
大転換したのである。

一人の勇気から
正義は前進する。
正義が勝ち誇れば
すべてが
変わっていくのだ。

黙っていては
何も動かない。
行動しなければ
何も変わらない。

かつて私は
いわれなき
誹謗中傷の渦巻くなか
高熱に苦しみながら
『私の人生観』の
執筆を続けた。

原稿用紙を
一枚書くごとに
「正」の字で
数を記録していった。
一枚また一枚
一日また一日
「正」の字を
積み重ねながら
完成させていったのだ。

その「正」の字を
記録した紙は
幾山河を勝ち越えた
わが家の宝となった。

ともあれ
戦いは
もうこれくらいでと
油断したならば
そこから負ける。
最後まで
粘り抜いた方が勝つ。
走り切った方が勝つ。

あの電撃的な
米中の新時代を開いた
周恩来総理と
キッシンジャー博士は
お二人とも
私の敬愛する友人である。

歴史に薫る外交交渉で
キッシンジャー博士は
語られた。
 「変化は
 生命の法則のようですね」

その発言に
周恩来総理は応じられた。
 「問題は
 変化が前進しているか
 後退しているか
 ということです」

博士も
そして総理も
創価の民衆の前進に
平和の希望を
託してくださっていたことは
ご存じの通りである。

さあ
わが友よ
人生は前進だ!
正義は前進だ!
人類史の新しい地平を
我らの勝利で
断固と開きゆくのだ!



2009年6月3日
 学会本部・師弟会館にて

 初代・牧口先生の
 生誕138周年を
 記念して

 わが広布に走る
 一千万の同志の
 無事故と御多幸を
 心より祈りつつ 合掌

       桂冠詩人
       世界桂冠詩人
       世界民衆詩人


ボエティウスの言葉は渡辺義雄訳、ゲーテの言葉は松本道介訳、エリオットの言葉は村田聖明・南雲純訳、ダ・ヴィンチの言葉は三神弘彦訳、ブルートゥスの言葉は鈴木一州訳、周恩来・キッシンジャーの言葉は宮城大蔵訳。
2009-06-06 : 詩・句等 :
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御書と師弟 唱題の大音

池田名誉会長講義 御書と師弟 (2009.6.4付聖教新聞)

第16回 唱題の大音《だいおん》

唱題の声は大宇宙に轟く
仏の大生命を涌現して勝て!


御聖訓
 今日蓮等《ら》の類い
 南無妙法蓮華経と唱え奉るは
 大風の吹くが如くなり
           (御義口伝、御書742㌻)

“師匠と不二”の祈りは無敵

 「私は今、御本尊に命が惜しいとは願いません。たとえ5分でも10分でも、生きている限り、広宣流布のために、ご奉公させていただきたいと願っているのです」
 恩師・戸田城聖先生は、晩年よく語られました。先生の題目は、広宣流布に全生命を注がれゆく深き強き一念の祈りです。
 先生と共に唱題させていただくたびに、勝利への生命力が全身に躍動してきました。
 「師弟共に唱うる」(御書748㌻)妙法の師子吼を、わが生命に轟かせながら、私は、あらゆる闘争に連戦連勝の栄光史を残してきました。師と心を合わせた「不二の祈り」は無敵であります。
 師弟一体の強盛な祈りに、十方(=全宇宙)の仏菩薩、諸天善神も感応する。広布の闘士を守りに護るのです。
 「御義口伝」には仰せです。
 「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは大風の吹くが如くなり」(同742㌻)
 題目は、わが生命を限りなく強くし、そして人々の生命をも変えゆく「大風」を起こしているのだ、との大宣言です。
 この御金言は、法華経見宝塔品第11の「譬えば大風の小樹の枝を吹くが如し」(法華経388㌻)の経文について、日蓮大聖人が講義なされた口伝です。

仏が放った光と風

 宝塔品では、有名な「虚空会の儀式」が展開されています。
 この説法では、仏が「光明」や「妙香」を放ち、光と風が、十方の国々まで、遍く広がりゆく様子が説かれています。
 この光明を浴び、妙香を受けた衆生は、心から感激し、堪えがたいほどの喜びに包まれます。あらゆる人々が、仏の大慈大悲の薫風によって蘇生していく様子を「大風が小さな枝を吹くようなものである」と譬えているのです。
 すなわち「大風」とは、民衆に随喜の心を呼び起こす、正法正義の威光勢力の表現にほかならない。大聖人は、南無妙法蓮華経の題目こそ、全民衆を歓喜と幸福で包む「大風」であると結論されているのです。
 大聖人は、この経文の「大風の如く」とは「題目の五字なり」、「小樹の枝を吹く」とは「折伏門なり」とも仰せです(御書742㌻)。
 朗々と題目を唱え、勇敢に仏法の正義を語り、厳然と邪義を破折する。そして友また友の生命に歓喜の旋風を巻き起こす。この唱題と折伏の「大風」を、日本中、世界中に広げてきたのが、わが創価の同志であります。
 私たちの唱える題目は、「生きる力」であり、「幸福になる源泉」です。「勝利していく原動力」なのです。題目の音律には、大宇宙のリズムに則って、自他共の生命を根底から変えゆく偉大な力用があります。
 法華経において、七宝に飾られた宝塔の出現から展開される虚空会の儀式は、十界のあらゆる衆生が歓喜踊躍し、成仏の道を歩む生命変革のドラマと言ってよい。
 経文を拝すると、この虚空会には、十界の衆生が一界も欠けることなく、すべての人々が虚空(=大空)に引き上げられていることが伺えます。

「十界同時」の変革

 いかなる境涯の衆生も、妙法の光明に照らし出される。妙法の薫風を受けない存在はない。誰人も仏になれるという平等と尊厳の思想が、法華経の魂です。
 その思想的な基盤として、「御義口伝」には次のように述べられています。
 「所詮釈尊も文殊も提婆も竜女も一つ種の妙法蓮華経の功能なれば本来成仏なり、仍《よ》って南無妙法蓮華経と唱え奉る時は十界同時に成仏するなり」(御書798㌻)
 ──釈尊も、文殊などの菩薩たちも、さらには提婆達多や竜女たちも、皆、妙法という一つの種の働きを示す存在であるから、本来成仏しているのである。ゆえに南無妙法蓮華経と唱える時、十界の衆生が同時に成仏するのである──。
 十界の衆生が、等しく、いついかなる時も仏になれる。これは法華経のみの秘伝です。
 南無妙法蓮華経は、大宇宙の根本法則です。この妙法を唱え、行じ弘める生命は、大聖人と一体なのです。ゆえに、何ものも恐れることはありません。
 「御義口伝」には、他にもこう仰せです。
 「十界同時の成仏なり」(同712㌻)
 「歓喜とは善悪共に歓喜なり十界同時なり」(同735㌻)
 「南無妙法蓮華経と唱え奉るは十界同時の光指《さす》なり」(同741㌻)
 大聖人は繰り返し「十界同時」と仰せです。これは甚深の御聖訓です。ダイナミックな生命変革の原理です。
 南無妙法蓮華経は、身近な活動も、さらに大宇宙の運行も動かしていく法則であり、力であります。自分と社会を共によりよき方向へ発展させていく根源の大法なのです。
 その原点は、あらゆる生命は「十界本有の仏」(同1506㌻)であるとの悟りにある。
 私たちの唱題は、自他共の十界の生命を妙法の大光で照らし、誰もが本来具えている仏の大生命を引き出し、輝かせゆく人間革命の修行なのです。

「十界」の社会に歓喜の旋風を

「幸福感は伝わる」
 「幸福感は人に伝わる」──昨年、米ハーバード大学医学部などの研究者たちが英国の医学誌に発表した貴重な洞察です。
 この知見によれば、誰かの幸福感に変化が起きると、それは周囲にも伝わり、幸福な人々の社会学的・地理的な集団の形成に寄与する。
 つまり、幸福感や充足感というものは、個人がそれぞれに感じるだけではない。人から人へと伝わり、大勢に共有される傾向があるというのです。
 とくに、この幸福感は隣人や友人によって伝わりやすいという結果も示されています。
 この幸福感の伝播があれば、「健康を広めることも可能となり、政策や医療方針を設計する上で大きな影響を及ぼす」とも指摘されています。
 人間は、決して一人だけで生きているのではない。大きな生命のネットワークの中で、互いに支え合い、影響し合いながら生きています。
 信心に励んで功徳を得た歓喜と確信を、友から友へ語りに語る。そして、友また友の成長を祈りに祈る。この一念随喜の万波こそが、私たちの広宣流布のエネルギーです。
 今日、世界192力国・地域に広がる唱題の歓喜の大旋風は、最先端の学問研究の成果とも見事に一致するのです。
 戸田先生はわかりやすく言われておりました。
 「功徳の喜びを百回語っていけば、さらに百倍の功徳となって返ってくる。それが信心のすごさだよ」
 私たちは今、「十界の衆生」の大海原の真っ只中で、朗々と妙法を唱え、人間革命の金波、銀波を巻き起こしている。わが同志の皆様こそ、娑婆世界を、光り輝く仏国土に「三変土田」しゆく変革劇の主役なのです。

御本尊とわが生命
 戸田先生は語られました。
 「今こうして折伏を行じ、御本尊を信じまいらせて題目を唱えているならば、いつ御本尊を拝んでも、日蓮大聖人の生命と我々の生命とがピタッとふれ合うのであります」
 「大聖人の御生命が南無妙法蓮華経でありますから、弟子たる我々の生命も同じく南無妙法蓮華経でありましょう」
 私たちが拝する御本尊は、十界互具の大曼荼羅であられる。御本尊には、十界の衆生の代表が納まり、南無妙法蓮華経の光に照らされています。
 御本尊も十界、私たちの生命も十界です。そして、社会も十界の生命で成り立っている。
 御本尊に題目を唱えると、三世十方の仏菩薩が、私たちと同じく合掌します。また、全宇宙の無数の諸天善神が、絶対に従います。十界の生命を揺り動かすのですから、悪鬼・魔民さえも強い味方となって、妙法を護り広げる働きをすることは間違いないのです。
 社会も、人生も、そして私たちの生命も、変化変化の連続です。森羅万象、変わらずに停滞しているものは何一つない。人の心もまた、瞬間瞬間、めまぐるしく変化していく。御書には「一人一日の中に八億四千念あり」(471㌻)と仰せです。
 今まで怒っていた人が、次の瞬間にはもう笑っている。何の悩みもないと言っていた人が、翌日には深い苦悩の淵に沈んでいる。このように人生は、常に変転してやまない流転の劇であります。
 この移ろいゆく心を、妙法という大宇宙の根本法則に深く合致させていくのが、私たちの祈りです。
 御本尊は、大宇宙の縮図です。そして、自分自身の生命も御本尊と同じです。自身の“我”を仏界の生命で固め、三世永遠に崩れ得ぬ幸福境涯を勝ち開く。これが「絶対勝利の信心」にほかなりません。
 友のため、社会のために必死に祈る皆様の姿それ自体が、日蓮大聖人に直結した最高の慈悲の振る舞いであります。
 一切を、大確信の祈りで勝ちまくるのです。

十方世界に届け!
 御書には「題目を唱え奉る音《こえ》は十方世界にとずかずと云う所なし、我等が小音《しょうおん》なれども、題目の大音《だいおん》に入れて唱え奉る間、一大三千界にいたらざる所な
し」(808㌻)とも説かれています。
 題目の声は、「十方世界」すなわち大宇宙に届くとの御金言です。
 唱題に励むとき、大宇宙の根本の法則である妙法と、わが生命が融合する。小宇宙である自身の生命の扉が大宇宙に向かって全開し、全宇宙の頂点から一切を広々と見わたすことができる。宇宙に包まれていた小宇宙が、大宇宙を包みかえしていく──これが我らの祈りです。
 悠々と大宇宙を旅しながら、生命を浄化できる。そして十界のあらゆる衆生の境涯を深く知って、幸福に導く「慈悲」と「智慧」が、こんこんと涌き上がってくるのです。
 この祈りの大きさこそが、広宣流布の真髄です。
 大聖人は、「あらゆる衆生の具えている仏性を、妙法蓮華経と名づけるのである。ゆえに、一遍、この題目を唱え奉れば、一切衆生の仏性が、皆、呼ばれてここに集まるのである」(御書498㌻、趣意)と述べられています。
 「法」は見えない。しかし「音」となって表れれば、わかる。だから「声」が大切なのです。妙法を唱え弘める我らは、信心の長者なり! 境涯の王者なり! この誇りで進んでいきましょう。

師匠と心のギアを
 なかんずく、広宣流布の師匠と心のギアを合わせ、師弟の魂に燃える祈りを貫くならば、わが生命の奥底から、仏の力が発光していくことは間違いありません。
 昭和32年(1957年)7月3日、あの「大阪事件」で、私は権力により不当逮捕されました。戸田先生の怒りはすさまじかった。
 「民衆の味方である創価学会をいじめ、弾圧する。これほど卑劣なことはない!」
 戸田先生は、無実の罪で獄中に繋がれた私の解放を、ひたぶるに祈ってくださった。
 「権力の魔性との戦いは、題目をあげなければ勝てないんだよ」と先生は言われました。
 私の拘留中、大阪に駆けつけてくださった先生は、関西本部の会長室と3階の仏間を、幾度となく往復してくださったのです。
 邪悪を弾呵する先生の題目の大音声が、同志の心に正義の炎を燃え上がらせたのです。
 私の生涯は、この恩師への報恩の二字に尽きます。師の祈りに、死身弘法でお応えする以外に弟子の赤誠はありません。
 若き日、私は日記に綴りました。青春闘争の結論です。
 「第一にも、題目しかない。第二にも、第三にも、宿命打開は、題目しかない。実践。──実行。──勇敢に、撓《たわ》まず。観念論では、一分の変革もなし得ない」

必ずや変毒為薬と
 今こそ題目をあげきって、どういう結果が出るか、実践し切ろう! 解決してみよう! だれが何と言おうが、私は私なりに御本尊にぶつかってみよう!
──この決心で、十万遍、二十万遍、三十万遍、五十万遍と、題目をあげて、あげて、あげ抜きました。
 先生のお体、先生のご家族、先生の会社、そして、先生の作られた学会、先生が育てられた同志……歩いていても、電車に乗っていても、いつもいつも心で題目を唱えながらの闘争でした。
 祈りが、まだまだ足りない。まだまだ弱い。まだまだ小さい。自らを叱咤しながらの勇猛精進だったのです。
 戸田先生の弟子として、御本尊に願い切っていこう! 働き切っていこう! 同志のために勝ち切っていこう! この一念しかありませんでした。
 そして、生活の上に、境涯の上に、厳然たる解決の証拠が出たのです。「御本尊はすごい!」という大確信を、若き命に刻んだのであります。
 今、未曾有の大不況にあって、全国・全世界の同志が、地域社会の一大変革のために、真剣に題目を唱えながら、人生の現実と格闘されています。
 崇高なる仏の大音声が、生命を揺さぶらないわけがない。必ずや変毒為薬し、その地その国を、宝土と変えていけることを確信し抜いてください。

諸天よ弟子を護れ
 大聖人は仰せです。
 「各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」(御書1132㌻)
 湿った木から火を出す思いで、乾ききった土から水を出す思いで、私は皆の無事を強盛に祈っている──。御自身が流刑の真っ只中にあった佐渡の地から、遠く鎌倉の門下たちの身を案じられています。
 法華経よ、諸天善神よ、わが弟子を断じて護りたまえ! これが師匠の祈りです。師匠とは何とありがたいものか。私はこの御文を拝するたびに、感謝と不惜の念がわいてきます。
 私もまた、尊き同志の皆様方、そして全世界の民衆が、あらゆる辛苦を乗り越え、晴れ晴れと幸福・栄光の勝鬨を上げられるよう、ひたぶるに祈っています。
 戸田先生は断言されました。
 「題目で勝ちなさい。何があっても、あげきった題目の福運は厳然と残る。絶対に消えないのだ」
 勝負は、我ら自身の一念です。行き詰まったならば、それは「前進している証しだ!」と胸を張って、何ものにも負けず、堂々と歩み抜きましょう。
 創価の師弟の大音声──唱題と対話の「大風」を、縦横自在に社会へ吹きわたらせようではありませんか!

  颯爽と
   また決然と
     指揮とれる
   君が動けば
     勝利の天地に
2009-06-04 : 御書と師弟 :
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随筆 人間世紀の光 No.188

随筆 人間世紀の光 No.188  (2009.6.3付聖教新聞)

華陽の誓い

美しく また強くあれ わが女子部
共に「歓喜の中の大歓喜」の大道を


創価の姉妹よ 使命の華と舞え!
私は負けない! 師弟共戦の青春に永遠の誉れ!


 華陽会
  広布の女子部の
   先駆たれ
  価値ある青春
   三世の功徳と

 今日も、日本列島の各地から、そして世界の各国・地域から、女子部の池田華陽会の溌剌たる前進の便りが届く。21世紀の創価の栄光の凱旋門が、晴れ晴れと開かれていく思いだ。私も妻も、本当に嬉しい。
 北米のアメリカ、カナダ、中米のメキシコ、パナマ、南米のブラジル、アルゼンチン、ペルー、チリ……。
 オセアニアのオーストラリア、ニュージーランドやミクロネシア……。
 欧州のフランス、イタリア、イギリス、ドイツ、オランダ、さらにバルカン半島のスロベニア……。
 韓国や香港、台湾、フィリピン、インド、マレーシア、シンガポール、タイ、インドネシア、カンボジア……。
 そしてアフリカのコートジボワール、カメルーン、ザンビア……いずこの地でも、生き生きと妙法の乙女たちは躍動している。
 少人数で出発した国もある。しかし「私たちの手で、平和と幸福を建設しよう!」と、凛然と立ち上がった華陽会の心は、あまりにも崇高である。
 つい先日も、アメリカから嬉しい連絡があった。
 全米のバネッサ・ショー女子部長が、有名なラジオ番組に登場して、「青春と信仰」をめぐって、インタビューを受けたのである。
 彼女は、仏法の哲理と師弟を力に、ハリウッド女優としても活躍する充実の日々を清々しく語った。
 多くの方々から「勇気をもらった」「素晴らしかった」等々と、反響が届いたようだ。
 日蓮大聖人は、「日輪・東方の空に出でさせ給へば南浮の空・皆明かなり」(御書883㌻)と仰せであられる。
 凛々《りり》しき華陽の友の心には、社会を照らし、一国をも照らしゆく太陽が昇っているのだ。
 第2期の結成式も行われ、フレッシュな同志の歌声が響いている。
        ◇
 美しく
  また強くあれ
    わが女子部
  万世《ばんせ》の福運
   積みゆく今日かな

 今、日本中、そして世界でも歌われている池田華陽会歌「華陽の誓い」──私が、この歌の原案を最初に聴いたのは、今年の2月18日であった。
 いい歌だ。よく頑張ったと思った。だが、華陽会の友なら、もっともっと良いものができる。もう一歩、壁を破れば、不朽の歌になると直感した。
 私が薫陶してきた、若きリーダーたちの力を信じていたからだ。
 私は、ちょうどその日に行われた婦人部・女子部との最高協議会で、そうした心情を伝えた。
 わが華陽の乙女たちは、瞳を輝かせ、心を一つに、再び挑戦を開始した。
 真剣に祈り、燃え立つ生命で、もう一重、深き誓いを歌詞に込めたのである。
 ──師は弟子を信ずる。信ずるゆえに甘やかさぬ。信ずるゆえに訓練もする。信ずるゆえに厳しいのだ。
 その師の心に真っ直ぐに応えていく時、無量の力が発揮される。これが師弟の呼吸だ。勝利の共鳴だ。
 生まれ変わった歌を聴いたのは、2日後だった。
 曲のイメージも「歓喜」が前面に出て、一新された。

♪今 師とともに
     正義の心で
 世界の女性《とも》に
     平和の世紀を
 華陽の姉妹と
     スクラム楽しく
 「使命の華と舞え! 池田華陽会」
 報恩の「華陽の誓い」
      喜び果たさむ (3番)

 御義口伝には──
 「初めて我心 本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(同788㌻)
 さらに「自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり」(同761㌻)と仰せだ。
 仏法上の「歓喜」とは、単なる「喜び」ではない。「本来の仏」である自身の尊極の使命を知ることだ。全民衆を救う妙法に巡り会えた喜びに燃え、友と友が勇んで立ち上がることだ。
 その使命に生き抜く歓喜と、誇り高き心の結合が、美事に歌い上げられていた。
 何があっても負けない!
 さあ、新たな決意で出発しよう!
 この瑞々しい息吹が伝わってきた。
 私は嬉しかった。
 「すごくいい。盤石だ!」
 妻も微笑んで言った。
 「明るくて、さわやかで、覚えやすくて、とてもいいですね!」
 池田華陽会の歌は、英語版も、さらに中国語(北京語)版も完成して、希望の音律を広げている。
        ◇
 忍耐と
  信心の二字
    忘れずに
  幸福 勝ちとれ
     宝の山へと

 戸田先生は、時代の流転に翻弄され、宿命の悲哀に泣いてきた女性史の転換を、常々、訴えておられた。
 そして、女子部の友に、慈父の如く言われた。
 「私は、皆が絶対に幸せになってもらいたい。
 5年、10年たったあと、『先生、私はこんなに幸せになりました』と、報告に来てほしいのです」
 私も妻も、まったく同じ気持ちである。
 いな、すべての女子部員が、一人も残らず幸福をつかむ。それが、私たち夫婦の誓願であり、決心である。
 とともに「女子部の幸福」は、創価家族の先輩として、全リーダーの祈りであらねばならない。皆で、女子部を大切にし、励まし、支え、応援していくことだ。
 かつて、草創の女子部の一員として戸田先生の指導を受け、婦人部へ進出しながら、団結を乱し、後輩に意地悪を重ねる幹部がいた。
 戸田先生の逝去から1年、後輩たちが新出発への誓いを込めて一生懸命に女子部歌を完成した。
 ところが、その幹部は、こともあろうに、「これは正式な女子部歌ではない」と冷酷に言い放った。以前、自分たちの時代に作った歌だけが今でも女子部歌だというのであった。
 戸田先生が生前、鋭く、厳しく見抜かれていた通り、のちに、忘恩の夫と、怨嫉に狂って、尊き和合を撹乱し、弓を引き、転落していった。
 御書には「前車のくつがへ(覆)すは後車のいまし(誡)めぞかし」(同1083㌻)と留められている。
 喜ばしいことに、今、わが婦人部と女子部は、最高に麗しい「婦女一体」の姉妹のスクラムで大行進している。
 杉本婦人部長や川原書記長たちも、女子部時代から、人材グループの「青春会」として走り続けてきた。
 多くの先輩から温かな励ましを受けたように、自分たちも女子部の成長へ励ましを惜しまぬ婦人部でありたいと語ってくれている。
        ◇
 華のよう
  朝日のようにと
   華陽会
  恩師も見つめん
    深き誓いを

 今の池田華陽会の全身に当たる華陽会は、昭和27年の秋に発足し、恩師・戸田先生が手塩にかけて育ててくださった。
 すでに婦人部になっていた私の妻も、戸田先生から直々にお話があり、この名誉ある華陽会に名を連ねさせていただいた。
 もともと妻は、昭和26年の7月19日の女子部結成式に参加した、74人の中の一人である。
 蒲田支部の二月闘争(昭和27年)でも、妻は女子部の班長として奔走した。今でいえば、地区リーダー、また部長であろうか。
 銀行に勤め、職場で実証を示しながら、来る日も来る日も、草創の女子部の建設に奮闘していた。

広布の原動力は女性
 結成の年の師走には、戸田先生が出席された女子部の会合で、妻は御書を拝して研究発表をした。テーマは「職場と信心」である。
 「や(箭)のはしる事は弓のちから・くものゆくことは りう(竜)のちから、をとこ(夫)のしわざはめ(婦)のちからなり、いまときどの(富木殿)のこれへ御わたりある事 尼ごぜんの御ちからなり、けぶり(煙)をみれば火をみる あめをみれば りう(竜)をみる、をとこ(夫)をみればめ(婦)をみる」(同975㌻)
 家庭や社会、地域にあって、女性がいかに重要であるかを示した御文である。
 この富木尼御前御返事の有名な一節を拝して、妻は語っていった。
 「広宣流布に邁進する創価学会の原動力は、じつに私たち女性であり、大事な存在であることを自覚せよとの御言葉であると拝され、私たち女性の立場のいかに重要であるかを痛感いたすのであります」
 続いて、戸田先生の「家庭の仕事を放り投げ、職場をおろそかにして、仏法は受持できない」とのご指導を通して呼びかけた。
 「各人の持ち場においてなすべきことを完全に果たし、他の人から尊敬され、職場における重要な人となることであります」
 そして、広宣流布という大局を忘れて、価値判断を誤らないように、「あくまで御本尊を中心とした行動でなければなりません。そして戸田先生を真にお慕いし信じることであります」と訴えたのであった。
 恩師も、笑みを湛えて拍手を送っておられた。
 師弟こそ、人間の究極の道であり、人生勝利の正道である。女子部の先陣である妻は、報恩の「華陽の誓い」を喜び果たしてきた。
        ◇
 全宇宙
  貴女《あなた》を包まむ
   妙法の
  功徳は確かと
   愉快に生き抜け

 今年は、国連が定めた「世界天文年」である。
 イタリアの大科学者ガリレオ・ガリレイが、望遠鏡を用いて、初めての天体観測を行ってより、満400年を記念するものだ。
 このガリレオが、先駆の業績ゆえに、嫉妬の攻撃を受け、不当な裁判の迫害を受けたことは。あまりにも有名である。
 この苦境の大科学者を支えるため、誰よりも心をくだいたのは、最愛の娘マリア・チェレステであった。
 「一人の敬虔な娘の祈りは偉い人たちの保護にも優る」──これが彼女の自負だったのである。
 愛娘はローマの地で戦う父へ、フィレンツェ郊外から励ましの手紙を送った。
 「私が今 手紙を書く気になったのは、私がこの責め苦を共にしていることをお伝えすることで、父上がそれに耐えることが容易になると考えたからです」
 それは、苦難の渦中にある父ガリレオの心を、黄金の光線の如く、照らしたに違いない──。
 「父上の信仰、仕事、年齢に伴う精神の強靱さをもって、これらの打撃に耐え抜くのです。そして父上は極めて広い経験によって、この悲惨な世界のあらゆることの偽りと移ろいやすさを熟知しておられますので、このような激動をあまり気にとめることなく、それらはすぐに鎮静するものであり、困難と見えたものは等量の満足に変わってしまうのだという希望をお持ちになってください」
 正義のゆえに、難を受け、悪口罵詈され、苦労する。しかし、断じて屈しない。これが至高の人生の劇だ。
 30年前、私の会長辞任の嵐の中で、幾多の女子部の友が、紅涙を滴らせながら、断固たる師弟共戦の決意の手紙を送ってくれた。この父娘《ちちこ》の絆の一通一通を、私と妻は創価の誉れの宝として保管している。
        ◇
 晴ればれと
  若さの限り
   生き抜かむ
  悩みを乗り越え
    勝利の王者と

 戸田先生のもとで、華陽会が学んだ一書に、『若草物語』がある。その著者であるルイザ・オルコットは、日記に記した。
 「失望が重なり、たえず『運命』に叩かれることは、リンゴなら完熟するための成熟過程になる」
 青春は、悩みの連続だ。
 社会も揺れ動いている。仕事で壁にぶつかることもあろう。時には体調を崩すことだってある。人間関係も難しい。人が羨ましく見えることもある。悔し涙をこらえる日もあろう……。
 しかし、御義口伝には、「煩悩の薪を焼いて菩提の慧火《えか》現前するなり」(御書710㌻)と仰せの如く、「煩悩即菩提」が日蓮仏法の真髄である。
 煩悩(悩み)がなければ菩提(悟り)の智慧もない。成長もない。成仏もない。
 この究極の希望の哲学を持った女性は、思うようにいかない日も、明るく朗らかに胸を張って進むのだ。
 御聖訓には、「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経ととな(唱)へゐ(居)させ給へ」(同1143㌻)と記されている。
 苦しい時は苦しいまま、題目を唱えていけばいい。必ず道は開かれる。信心で突破できない行き詰まりなど、絶対にないのだ。
 自分だけの小さな悩みに振り回されて、わびしく過ぎ去ってしまう青春も多い。
 しかし、広宣流布という大願に走りゆく青春は、大きく悩んだ分だけ、大きく境涯を開き、大きく福運を積める。
 苦労して築き上げた汝自身の生命は、何ものにも壊されないのだ。
 「地道の生活に
  信心の大功徳は
      薫るなり」
 もう四半世紀前になるだろうか。東京・目黒区の草の根学習会のメンバーに贈った揮毫である。
 20年前には、世田谷区の女子部に書き綴った。
 「信心を貫いた人は
    必ず幸福者に。
 此れが法華経であり
   仏法である」
 目黒区も、世田谷区も、当時の女子部が立派な婦人部となって、幸福勝利の実証を報告してくれている。時を逃さず、真剣に手を打つことが、未来の華を咲かせるのだ。
        ◇
 朗らかに
  広布の太陽
    勝ちまくれ
  仏天 護らむ
   貴女《あなた》を見つめて

 カナダの女性作家モンゴメリーが描いた「赤毛のアン」も行動の青春を生きた。
 アンをはじめアボンリー村に暮らす青年たちは、地域をよくしようと、村の改善協会を立ち上げる。

「赤毛のアン」の対話
 初仕事は、村の公会堂の塗り替え計画で、村人の協力を求めて、各家庭を訪ねることになった。
 まず、アンと親友のダイアナが向かったのは、村でも名うての「変わり者」たちが住む通りだった。
 ダイアナが「村じゅうで最悪の道よ」とこぼすと、アンは快活に言い切った。「だから えらんだのよ」
 苦手に挑んでこそ、新しい勝利が開かれるのだ。
 アンとダイアナは、一人また一人と、対話を重ねた。
 確かに、聞く耳をもたず、冷たい言葉を浴びせる人もいた。居留守を使って、顔も出さぬ人もいた。
 だが、思いがけず、気持ちよく、温かく応えてくれる人もいた。人は話してみなければわからない。
 アンの機転で、子どもが生まれて大喜びの家を訪ねると、気難しい主人が、進んで協力を申し出てくれた。
 噂や先入観にとらわれて、相手を決めつけてしまうことは愚かである。
 もちろん濁世であるゆえに、悪人は鋭く見破り、断じて近づけてはならない。
 夜も帰宅が決して遅くならぬよう、注意し合っていくことだ。聡明に、決して父母《ちちはは》に心配をかけず、健康で、絶対に無事故の日々であっていただきたい。
 ともあれ、嫌なことも嬉しいことも、すべて、たくましく前進の力としながら、青春の道を笑顔で歩み抜くことだ。語り通すことだ。
 善の拡大のために、勇気をもって動けば、必ず変化の風が起きる。誠実に語れば、必ず理解の輪が広がり、味方を拡大していける。
 そして、祈りに祈っての行動を、必ず諸天善神が護る。不退の人は必ず勝つ。
 今、毎日毎日、世界一の不滅の青春の物語を生み出しているのが、わが池田華陽会の乙女たちである。
        ◇
 華陽の青春勝利のスクラムは、社会の暗雲を破り、乱れゆく世紀に希望の光を贈り始めた。
 東京・八王子市の牧口記念庭園に植樹した「世界池田華陽会」の杏の木も、年々歳々、皆さんとともに天に向かって伸びていく。
 さあ、「華陽の誓い」を高らかに歌いながら、朗らかに賑やかに勝ち進もう!
 私も妻も、皆さんの晴れやかな笑顔を、最大の生きがいとして、祈り見つめている。
 結びに、大東京の女子部に贈った一首を、重ねて全世界の尊き華陽の友に贈りたい。

 勇敢な
  信心ありせば
   恐れなく
  この世 全てが
    仏土なるかな

 ガリレオの娘の手紙は、ソベル著『ガリレオの娘』田中一郎監修・田中勝彦訳(DHC)。オルコットは師岡愛子著『ルイザ・メイ・オルコット』(表現社)。モンゴメリーは『アンの青春』掛川恭子訳(講談社)。
2009-06-03 : 随筆 人間世紀の光 :
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新時代第29回本部幹部会

新時代第29回本部幹部会/広布第2幕第15回全国青年部幹部会での名誉会長のスピーチ
                    (2009.5.27 東京・創価国際友好会館)

「勝つ」と決めよ! 心一つに団結を

未来を決するのは若き力
険しき山を登りきれ!

 一、この信心は、皆が堂々と、胸を張って生きるための信心である。
 自分らしく、生き抜き、勝ち抜くための信心である。
 全国の婦人部を代表して、総東京婦人部の皆様に、次の一首を贈りたい。

 因果倶時
  仏法 見つめむ
      蓮の花

 蓮華は、花と実が同時に成長していく。これは他の花々には見られない特徴である。
 仏法では、花を「因」、実を「果」に、よく譬える。すなわち蓮華は、南無妙法蓮華経の「因果倶時」(成仏の「原因」と「結果」が同時に一瞬の生命にそなわること)の譬喩に用いられているのである。
 本気になって祈り抜いた時、その祈りは、根底では、すでに叶っているのだ。「因果倶時・不思議の一法」(御書513㌻)と仰せの、この偉大な法理を確信して、ともに広宣流布の大道を進んでまいりたい。
 〈ここで、本年結成55周年を迎えた音楽隊の代表が「世界広布の歌」の一節をトランペットで独奏。さらに創価グロリア吹奏楽団が「紅の歌」「威風堂々の歌」を熱演した〉
 うまい! ありがとう!(大拍手)

青年の力は偉大
 一、皆さん、いつもご苦労さま!
 きょうはリラックスして聞いていただきたい。疲れている人は寝てしまっても、かまわない(笑い)。仏法は、堅苦しい世界ではないのである。
 全国の青年部の幹部会、ご苦労さま! おめでとう!(大拍手)
 とくに、若い「ニュー・リーダー」「ヤング男子部」の大会、おめでとう!(大拍手)
 皆さんがいれば、学会の未来は明るい。
 「後生 畏るべし」である。若い力は偉大だ。未来を決するのは青年である。君たちである。
 頼むよ!〈参加者から勢いよく「ハイ!」と返事が〉
 心美しき女子部の“華陽のスクラム”も、世界中に広がっている。うれしいことだ。皆の希望である。おめでとう!(大拍手)
 ここで、常勝関西の万歳を、皆で叫ぼう。〈参加者全員で万歳三唱を行った〉

非難を越えて
 一、私が中国への第一歩をしるしたのは、1974年(昭和49年)5月の30日。
 “今年で、あれから35周年を迎えることができた”──今朝、起きた時にも、感慨深いものがあった。
 かつて、東西の冷戦が厳しく、日本が中国を敵視していた時代に、私は敢然と、中国との友好を提唱した。
 賛同よりも、むしろ非難の声が高かった。
 邪魔もされた。悪意の攻撃もあった。
 そうしたなかの初訪中であった。2度目の訪中の際、周恩来総理が最大の礼をもって迎えてくださったことは、永遠に忘れ得ぬ思い出である。
 折しも、今回の佳節に合わせて、明日(5月28日)、中国・新疆ウイグル自治区の重点大学である「新疆財経大学」より、名誉教授称号が授与されることになっている(大拍手)。
 〈本紙5月29日付で報道。これで池田名誉会長に対して世界から贈られた名誉教授、名誉博士などの名誉学術称号は「256」となった。さらに、中国・広東省にある、寥承志氏(中日友好協会初代会長)の父君・寥仲《ちゅうがい》氏ゆかりの「仲農業工程学院」から届けられた名誉教授への就任要請をはじめ、世界各地から届いている決定通知を合わせると「278」を数える〉
 皆さんもよくご存じの通り、嫉妬と偏見による、学会に対する中傷が繰り返されてきた。しかしそのなかで、世界の心ある人々は、創価の真実を見つめてくださっている。
 「創価学会とは、どのような存在なのか」
 「一度、直接会って話したい」等々、驚きと共感の声が寄せられていることも、各国からうかがっている。そうした声は大きな波のように広がっている。

35年前 逆風のなか 中国に友好の第一歩

一庶民として
 一、新疆ウイグル自治区は、中国の最西北にあり、古のシルクロードの要衝として栄えた、世界的に有名な地域である。仏法との縁も、まことに深い天地とされ、歴史に輝いている。
 初めての訪中より35年──
 私は“友好の金の橋を結び、平和と文化と教育のシルクロードを、壮大な広がりをもって構築することができた”と申し上げておきたい(大拍手)。
 当時、日中関係の改善は、日本にとって極めて大事な仕事であった。そして中国との対話の前進は、世界の平和を顕われた日蓮大聖人の御精神に則った行動である。戸田先生の遺言でもあった。
 それを私は厳然と、一庶民として実行したのである(大拍手)。
 これまで私は、政治家でもない、学者でもない、一人の“庶民の代表”として行動してきた。その私に対する栄誉はすべて、世界各地でよき市民として、真剣に地域友好に、社会貢献に励んでおられる同志の皆様方に対する、信頼の証し以外の何ものでもない。
 今、全世界の最高峰の知性が、創価の師弟を讃嘆してくださっている。恩師・戸田先生のお喜びは、いかばかりであろうか。
 これらはすべて、皆様方と子孫末代にまで流れ通う栄誉となり、福徳となる。
 しっかりと信心を持ち抜く人は全員、「師弟不二」の原理によって、その子孫が将来、栄誉ある立場になっていくことは間違いないのである(大拍手)。

インドネシアのワヒド元大統領
社会貢献の母に感謝


イスラムと仏教を結びゆく対話
 一、私は今、インドネシアを代表するイスラム指導者であり、哲人政治家として歴史に刻まれた、元大統領のワヒド博士と対談を進めている。
 〈博士は2002年4月、東京牧口記念会館で名誉会長と会見。その後、創価学会インドネシアが開催した「自然との対話」写真展や平和芸術祭などにも出席し、友誼の交流を続けている〉
 ワヒド博士は、偉大なる正視眼の人である。信義を重んじ、誠実を貫く、輝く知性の大指導者として、私は心から尊敬している。
 今後、博士が提案された「イスラムと仏教を結ぶ対談」を、縦横に展開していく予定である。
 文化の多様性を尊重しておられる博士は、来日の際、民音文化センター(東京・新宿区)を訪れたことを、深く心に留めてくださった。対談でも、文化の力めぐって意見を交わしている。
 〈民音訪問を振り返って博士は、「私は、池田先生が『文化の力』で人類の高みに立っておられる方だと実感しました」「20世紀、21世紀通じて、最も偉大な人物でしょう」と述べている〉

太陽の婦人部に心からの御礼を
 一、さらに語らいのなかで博士は、お母様への敬愛の心を、次のように話されていた。
 「母は社会奉仕の人でした。広く社会に貢献することであれば、母は自らその役目を買ってでました。
 母は“社会の皆の母”として慕われていました。私は、行く先々で、人々から言われました。
 『あのお母様の息子さんですね』と。
 そして皆は、自分たちが、どれだけ私の母に助けられたかを語ってくれるのでした」
 私には、このお母様の話が、わが婦人部の皆様の尊き社会貢献の姿と重なる。
 和楽の太陽である皆様は、さまざまな悩みと闘いながら、地域のため、社会のために、毎日、生き生きと前進しておられる。
 婦人部の皆様、いつも本当にありがとう!(大拍手)
 男性の諸君は、立ち上がって御礼をしよう!〈男性の参加者が立ち上がり、女性の参加者へ「いつも、ありがとうございます」と言葉をかけた〉
 男女は平等に尊い。
 御聖訓には「男女はきらふべからず」(御書1360㌻)と仰せである。私は誰よりも、女子部・婦人部の友を尊重してきた。
 弘教に、個人指導に、一生懸命、励んで、広宣流布を進めておられる方々を、心から大事にしなければならない。
 善の目的に向かって頑張っている人を、責めたり、苦しめるめるのは、正しい人間の世界ではない。とんでもないことだ。威張る人間の傲慢さをこそ、厳しく戒めるべきである。
 女性に親切にするのが、本当の紳士の生き方である。

不知恩の人間を断じて許すな!
 一、古代ローマの哲人・セネカの箴言を紹介したい。人類普遍の英知の言葉である。
 「すべての罪悪以上の悪は、恩知らずということである」(茂手木元蔵訳『セネカ 道徳論集』東海大学出版会)
 その通りだ。何度、強調してもしすぎることはない。
 恩知らず──これ以上の悪はない。偉くなり、増上慢になると、人は恩を忘れるものだ。絶対に、不知恩の人間になってはならない。臆病な人間、卑怯な人間になってはならない。
 私は戸田先生に仕え抜いた。恩を知っているからである。
 あれほど師匠を大事にした人間は、世界中にいないだろう。歴史上も、いないであろう──そう言われるくらい、戸田先生に仕えた。身を粉にして、自身の一切を犠牲にして、師を支えた。
 先生が戦後、経済の混乱のあおりを受け、絶体絶命の窮地に追い込まれていた時のことである。
 私は一人、師を護り抜いた。
 多くの者は、あざ笑って、去っていった。
 一人いればいいのである。
 一人の本当の弟子がいるかどうか。すべては、それで決まる。
 戸田先生は、私に語ってくださった。
 「偉大な弟子を持つことは、最高に嬉しいことだ」
 本当にそうだと、今、私も思う。
 最高の幸せなのだと恩師は言われた。どうか皆さんも、そういう弟子になっていただきたい。
 戸田先生は、最晩年の日々のなか、身を横たえたまま、私を見ながら言われた。
 「お前がいてくれたから、よき弟子がいてくれたから、私は最高に満足だ」と。
 先生は、滅多に「ありがとう」とは言わない。明治生まれの先生は、“師匠は弟子に、ありがとうと言う必要はない”という考えであられたからだ。
 ともあれ、本当に喜んでおられた。先生の言葉は、わが胸の奥に、金のように光っている。
 戸田先生は師子吼された。
 「学会は、大聖人の御命令通りに戦うのだ。広宣流布の御遺命を、我々の手で成し遂げるとの決心で、すべての大闘争に勝ち抜いていくのだ」
 大聖人の御命令の通りに進むのだ。誰のためでもない、ただ広宣流布のために、信心で戦うのだ。
 この一点を見失えば、虚栄や権勢に惑わされてしまう。

仏法は勝負断じて勝て
 一、広宣流布は、慈悲の精神を、社会の根底に据える革命だ。
 人間を蔑む、権力の魔性との戦いである。
 戸田先生は厳として叫ばれた。
 「仏法は、真剣勝負である。戦う以上、断じて勝たねばならない。
 勝って勝って、勝ちまくれ! 勝利、勝利の創価学会たれ!」
 広布の闘争は、すべて、自分のためである。民衆のためである。
 それは、三類の強敵との熾烈な戦いである。題目をあげなければ、勝つことはできない。

青年よ先駆者たれ

「師匠に喜んでもらいたい!」
 一、戸田先生は、青年部に厳命された。
 「青年は、先駆者たれ! 先駆の気概を持て! 広宣流布を成し遂げるのは、君たち青年の力なのだ」
 青年部、頼むよ!
 〈「ハイ!」と力強い返事が〉
 人がどうあれ、環境がどうあれ、若き皆さんが、広宣流布を成し遂げていくのだ。
 昭和31年(1956年)の戦いは、東京は「絶対に勝つ」と言われ、大阪は「絶対に負ける」と言われた。
 私は大阪の指揮を任された。「負ければ、おもしろい」と冷ややかに見る人間もいた。
 私は一人、師子奮迅で立ち上がった。
 嗤う者は嗤え! 謗る者は謗れ!
 私は、まっすぐに大聖人を信じ、御書を根本に指揮を執った。
 ただ、戸田先生に喜んでいただきたい──その一心で戦った。
 「師弟一体」で勝ったのである。
 この心を、若き皆さんは忘れないでもらいたいのだ。
 〈昭和31年、参院大阪地方区の選挙で、圧倒的に不利だった学会推薦の候補者が、当選を果たした〉

必死の一人に!
 一、戸田先生は、青年部に言われていた。
 「人生は、山あり、川あり、野原ありだ。青年は、険しい山や坂を登っているのだ。頑張り抜いて、勝ち越えよ!」
 戸田先生の言葉通りに、私も戦った。
 先生は、事業が失敗し、莫大な借金を抱え込んだ。いつ、万事休すとなるかもわからない。
 弘教も一向に進まない。行き詰まりきったうえに、学会は、周囲から袋だたき。
 そのなかにあって、私は一人、「先生に、本当に喜んでもらいたい。ぜひとも、学会の会長になっていただこう」「先生を、世界の歴史に残したい。偉人として宣揚するのだ」──こう決意して、一心不乱に戦った。
 そして、その通りになったのである。
 皆さんも、後世に胸を張れる歴史をつくってもらいたい。いつまでも、師に甘えるばかりでは情けない。必死の一人が出なければ、新しき広布の道は開けないからだ。
 一、戸田先生は、こうも述べておられた。
 「学会員は、宗祖・日蓮大聖人の眷属として、広宣流布の旗の下に結集し、闘争しているのである。
 心強き一人ひとりが、固く手を結べば、広宣流布は必ず進むのである」
 学会は永遠に、大聖人直結である。御本尊根本である。
 邪宗門は、何をしたか。大聖人に違背し、広布を破壊し、堕落・腐敗しきった姿は悪逆極まりない。
 学会は、恩師の言葉の通り、心一つに団結し、広宣流布を全世界に実現してきた。
 未来もまた、そうあらねばならない。
 頼むよ!

「私がやる!」と師の悲願を実現

師子は打たれるほど猛り立つ!
 一、先生は力強く宣言された。
 「師子は、打たれれば打たれほど、強くなる! 猛り立つ!
 そして、師子王となって、天下に大師子吼をするのだ。
 創価学会こそ、師子王の団体である」
 この先生の指導のままに、私は師子となって戦った。師子王の学会を築き上げた。
 打たれるほど強くなる──本当にそうだ。
 若き日の私は、体が弱かった。そのうえ、時間もない。お金もない。通っていた夜学も断念せざるを得なかった。わが師のために、青春のすべてを捧げた。
 当時を思えば、今は恵まれているといえるかもしれない。
 「大作、全然、折伏ができないんだよ。75万世帯と言ったけれども、このままでは難しいぞ」──先生は深く憂慮されていた。
 当時は、1支部で月に100世帯前後の折伏が限界であった。
 「広宣流布は5万年もかかってしまうな、大作」とおっしゃる先生に、即座に「私かやります!」と立ち上がった。
 この不二の戦いから、怒濤の前進が始まり、75万世帯の願業を達成することができたのである。
 これが師弟である。仏法である。
 今度は、若き君たちが、私と同じ心で立ち上がってもらいたい。頼むよ!〈「ハイ!」と力強い返事が〉

戸田先生
唱題を根本に生命力あふれる対話を


「心」を決めて祈り行動せよ
 一、さらに戸田先生の指導を紹介したい。
 「題目をあげて、人々にどんどん仏法を語っていきなさい。将来必ず、すごい境涯になれる。生命力あふれる対話をするのだ」
 大事なのは「対話」である。
 まさに、勇敢に正義を語る皆様方の姿である。「先生の教えてくださった通りにやっています」と、私は誇りをもってご報告したい(大拍手)。
 先生は、こうも言われていた。
 「信心を、一言でいうならば、『心』を決めることである。
 同じ決めるのであれば、『勝つ!』と決めなさい」
 まず、勝つと「決める」。その上で、「行動」を起こすのだ。
 決めて、祈って、行動する──この勝利の方程式を胸に、我らは広宣流布の大闘争を、痛快に勝ちまくってまいりたい(大拍手)。

友よ進め! 歌声を張り上げて


広布の道を生き生きと!
英国の作家
「君には青春という強い味方がいる」


 一、今、あの地でもこの地でも、創価の女性たちの“対話と友好の花“が美しく咲き薫っている。
 婦人部・女子部の皆様、大変に、ご苦労さまです。
 素晴らしい創価の女性の連帯が、でき上がりました。
 本当におめでとう!(大拍手)
 一、リーダーは、「声」が大事である。
 下を向いて、ボソボソと話をしても、皆の心には入らない。
 聴いてくれる人の心の中に、ぐっと入っていくような声で、また時には、名曲を奏でるような声で、友の心を励まし、鼓舞していっていただきたい。

悩みに負けるな
 一、あるとき、戸田先生は、東京の婦人部に話された。
 「学会員は、地涌の勇者として、自ら願って、この悪世に生まれてきたのである。
 衆生を救うために、人生の苦労を乗り越えながら、御本尊の大功徳を示し切って、広宣流布をするために生まれてきたのである」
 人間、誰しも、悩みがある。現代のような悪世ならば、なおさらである。
 しかし、どのような悪世、乱世にあっても、信心だけは微動だにしてはならない。
 私たちは、御本尊の偉大な功力を示し切っていくために、自ら願って、悩みを引き受けたのである。
 そのように仏法では説いている。
 ゆえに、乗り越えられない悩みなど絶対にない。結論は「勝つ」に決まっているのだ。
 それが分かれば、悩みに負けて、嘆いたり、迷ったりするのは愚かである。
 どこまでも御本尊に祈り切って、悠々と、堂々と進んでいけばよいのである。
 一、戸田先生は、経済苦と戦う壮年に、こう指導された。
 「一時的に損をしたように見えても、断固たる信心を貫けば、必ず、もとの10倍、20倍とすることができる。それが仏法の変毒為薬というものだ」と。
 大事なのは、信心を貫くことである。
 「凡夫は、過ぎ去った後ろしか見えない。しかし、仏の智慧は、未来を見通すことができる。ゆえに、どんなことがあっても、ただまっしぐらに、妙法を信じて、戦っていけばよいのである」──これが戸田先生の大確信の指導であった。

無敵の王者!
 一、19世紀の英国の作家に、オスカー・ワイルドがいる。
 ワイルドは、現在のイギリスSGI(創価学会インタナショナル)の総合文化センターであるタプロー・コートを訪回している。当時からタプロー・コートは、多くの文化人・知識人が集う社交場として賑わっていた。
 ワイルドは、ある戯曲の中で、登場人物に、こう語らせている。若者への励ましの言葉である。
 「きみにはこの世でもっともすばらしい味方がいるじゃないか──青春というものが!」(西村孝次訳『オスカー・ワイルド全集2』青土社)
 いい言葉である。
 青春は、無敵の王者である。
 また、たとえ年齢を重ねても、心は“生涯青春”でありたい。
 いくつになっても、生命は若々しく輝いている。そのように生きていくために妙法はあるのだ。

「迫害の動機は『嫉妬』」

 一、“ヨーロッパ統合の父”と讃えられるクーデンホーフ・カレルギー伯爵を、ご存じだろうか。
 来日された折、伯爵は、学会本部や創価学園にも来てくださった。若い私を本当に大事にしてくださり、何度も親しく語り合ったことが忘れられない。
 〈初の出会いは1967年(昭和42年)10月。当時、伯爵は72歳。名誉会長は39歳。
 会見は、伯爵からの要請で行われた。伯爵は、名誉会長との出会いの感想を自著に、こう記している。
 「私は直ちに池田の人物に強く感銘した。やっと39歳の、この男から発出している動力性に打たれたのである。彼は生まれながらの指導者である」「生命力の満ち溢れている、人生を愛する人物である。率直で、友好的で、かつ非常に知性の高い人物である」(鹿島守之助訳『美の国──日本への帰郷』鹿島研究所出版会)
 二人は1970年にも対話を重ね、対談集『文明・西と東』を発刊。『池田大作全集』102巻に収録されている〉
 かつて伯爵は、ヨーロッパの精神史を展望して、次のように述べておられた。
 「今日 一流の人にたいして反対の扇動が行なわれていて、しかもその動機が明らかでない場合は、本当の動機は嫉妬であるといっても たいていの場合間違いではない」(鹿島守之助訳『クーデンホーフ・カレルギー全集5』同)
 ヨーロッパの古代史──ソクラテスの刑死など──から、中世、近世、そして現代にいたるまで、数々の偉大な指導者が、「嫉妬」によって迫害されてきた。それを伯爵は鋭く喝破されたのである。

学会活動は最高の善 健康の源

娘から父へ
 一、続いて、16・17世紀のイタリアの科学者ガリレオ・ガリレイの愛娘、マリア・チェレステの言葉を紹介したい。彼女は、迫害に遭う父を支え、励まし続けた。
 父への手紙に、彼女は、こう綴っている。
 「活動的であることが私の健康の源」(デーヴァ・ソベル著、田中一郎監修、田中勝彦訳『ガリレオの娘 科学と信仰と愛についての父への手紙』株式会社DHC)と。
 前向きに生きること、活発に行動することが、心身の健康の源泉である。
 なかんずく、広宣流布のための行動は、世界最高の善の行動である。その人生が、どれほど偉大な功徳に包まれていくことか。
 真面目に学会活動をやった人が勝つ。やらなければ自分が損をするだけだ。
 御聖訓には、「しばらくの苦こそ候とも・つい(遂)には・たの(楽)しかるべし」(御書1565㌻)と仰せである。
 途中がどんなに苦しくとも、最後は必ず幸福になる。それが信心であることを確信していただきたい。

戸田先生
大難の時こそ大闘争を


創価の信念と誇りを青年に託す

さあ行進の時だ
 一、アイルランドの文芸復興を担った大詩人イェーツに、次のような詩がある。
 「行進の時来たる」
 「行進だ ぐんぐんと行進するんだ
 進めや進め うたごえ張りあげ」(鈴木弘訳『W・B・イェイツ全詩集』北星堂書店)
 私は先日(5月18日)、英国屈指の名門である、北アイルランドのクイーンズ大学べルファストから「名誉博士号」を拝受した。
 この大詩人も、クイ一ンズ大学の名誉博士である。
 イェーツは、人生の総仕上げの時期に、こう力強く謳った。
 「私は信念と誇りの両方を残そう、
 若い まっすぐな人たちに」(金子光晴・尾島庄太郎著、野中涼編『イェイツの詩を読む』思潮社)
 今こそ、新たなる精神の復興へ、民衆が大行進する時である。青年を先頭に、一切の大闘争に勝ち抜いてまいりたい。
 一、戸田先生は指導された。
 「御本尊を受持して、強盛に信心するならは、経文において明らかなごとく、新しく強い生命力を得て、事業に、健康に、生き生きとした生活が始まってくる」
 これが我らの人だ。皆、健康で、生き生きと、若々しく勝ち進もう!
 さらに、戸田先生の指導を拝したい。
 「御本尊は、皆が考えている以上に、すごい力があるのだ。何ものにもまさる、偉大な力があるのだ。大難のときこそ、大いに闘おうではないか」
 大確信をもって進んでいきたい。

日々、訓練を! 日々、成長を!
 一、ドイツの大詩人ゲーテは、青年時代の手紙に、こう綴った。
 「わたしには一人の人間の望みうるすべてのもの、日々訓練を積み、日々成長する生活があります」(アルベルト・ビルショフスキ著、高橋義孝・佐藤正樹訳『ゲーテ──その生涯と作品』岩波書店)
 訓練と成長──そのための勤行であり、折伏である。仏道修行である。
 毎日毎日、訓練を積みゆけ!
 毎日毎日、成長していくのだ!
 そこに最高の青春がある。これを実践しているのが、創価学会である。私たちが敬愛する友・ゲーテも、喜んでいるに違いない(大拍手)。
 人生の賢者の大詩人のごとく、我らも快活に、朗らかに、日々を生き抜きたい。

粘り強い対話で
 一、ゲーテは、芸術の道で奮闘する若き友に語った。
 「こんなもの(=仕組まれた、卑劣な非難・攻撃)には頓着しないで、正しいことをしていけばいいのだ、さもなければ何もできはしない」(ビーダーマン編・大野俊一訳『ゲーテ対話録I』白水社)
 卑しい非難などには頓着するな、との大激励であった。
 私も、嫉妬ゆえの讒言を、どれほど受けてきたことか。
 これだけの迫害を受けたら、ふつうなら倒れてしまう。そう言う人もいた。
 しかし、私は平然としていた。ゲーテの言葉通り、無認識の評価や批判など歯牙にもかけず、正しい行動を貫いてきた。
 ゲーテの著作は、青年時代から愛読してきた。私のアパートの本棚には、ゲーテの本が並んでいた。
 妻とも、ゲーテについて語り合ったことが懐かしい。
 若き日、私は毎晩のように一流の文学をひもといた。
 御書を徹して学んだ。戸田先生の指導を記し、残していった。
 すべてを自身の血肉としていったのである。
 一、ゲーテは、こうも述べている。
 「私個人は多年 人に噛みつかれることになれているので、経験からこう言いたいと思います。
 たとえ人の反対を受けても、自分の声がかき消されるなどという心配は さらさらない。
 ただ焦ってはいけない。つねに行動を続け、時に語りあうこと。そうすれば、われわれの考え方に賛成する人がしまいには結構たくさん出てきます」(小栗浩訳「書簡」、『ゲーテ全集15』所収、潮出版社)
 大切なのは、粘り強く声を発していくことだ。誠実の対話を続けていくことだ。
 そうすれば、理解と賛同の輪は、必ず大きく広がっていく。

創大柔道部の活躍に喝采!
 一、きょうは、創価大学のメンバーは参加しているだろうか?
 〈山本学長ら代表が手を挙げた〉
 創価大学の柔道部が、このほど全国大会への出場を決めた。おめでとう!(大拍手)
 〈席上、山本学長が柔道部の男子・女子ともに全国大会への出場が決まったこと、昨年は女子が全国大会で優勝したことなどを紹介した〉
 本当に素晴らしい。
 ともあれ、何でも「一番」を目指すことだ。その努力の中で、大きな力をつけていくことができる。
 今、創大の発展は目覚ましい。多くの方からも、賞讃の声が寄せられている。
 きょうの参加者で、創大の卒業生はいるだろうか。ここで、全員で学生歌を歌ってはどうだろう(賛同の大拍手)。
 大きい声で歌おう。音楽隊の皆さん、頼みます!
 〈創大出身の参加者がいっせいに立ち上がり、音楽隊の見事な呼吸の演奏で学生歌を熱唱した〉
 いい歌だ。ありがとう! 創大生の万歳をしよう!
 〈ここで、参加者で創大生の万歳三唱を行った〉

“柔道の父”の勝負哲学
◎終始、最善を尽くせ
◎あらゆる機会を使え」
◎己を捨てる覚悟


一心不乱に!
 一、最後に、近代柔道の創始者であり、国際教育に尽力した嘉納治五郎先生の勝負の哲学を紹介したい。
 〈嘉納治五郎(1860~1938年)は、明治から昭和にかけて活躍した柔道家、教育者。1909年には、日本人として初のIOC(国際オリンピック委員会)委員に選ばれ、日本のオリンピック参加にも尽くした〉
 初代会長・牧口先生は、嘉納先生が中国からの留学生のために創立した弘文学院で、教壇に立たれていた。
 また、嘉納先生が創設した柔道の道場・講道館にも名を連ねておられた。
 嘉納先生は著作の中で、柔道をはじめ人生万般にわたる哲学について記しておられる。
 例えば“終始、最善を尽くせ”ということを教えられている。
 自分より強い者を相手にする場合には、“どうせ勝てない”とあきらめて、いい加減になることがある。そうすると、せっかく相手に隙があり、勝てるチャンスがあっても、その機会を生かすことができない。
 反対に、自分より弱い者を相手にすると油断して、そこにつけ込まれて負けてしまう。油断は大敵である。
 また、“あらゆる機会を利用せよ”ということについて述べておられる。
 柔道の乱取で相手を攻める時、一つの技を仕掛けて相手の体勢を崩した時には、その機会を生かして、さらに次の攻撃を仕掛けなければならない。ひとたび相手が元の体勢に戻ってしまえば、それまでの攻撃は無駄になってしまう。
 次から次へ攻め抜け──これが勝利の鉄則である。
 そして“己を捨てる覚悟をせよ”ということを教えておられる。
 己を捨てる覚悟ができれば、怖いものはなくなる。全力を攻撃に費やすことができる。すると、ますます強くなるというのである。
 わが身を惜しまず、一心不乱に戦い抜く。そこに勝利への道が開ける。〈嘉納治五郎にっいては、『嘉納治五郎著作集 第2巻』五月書房などを参照した〉

勝利の歴史を
 一、ともあれ、戦うからには勝つことだ。勝てば楽しい。さらに勢いを増していける。
 広宣流布の勝利を、頼みます!。
 リーダーは気取りを捨てて戦うことだ。
 そして、皆が「すごいな」と思うような結果を、堂々と残していってほしい。励ましの声で、皆に勇気を送っていただきたい。
 それでは、きょうはこれで終わります。どうか、お元気で!
 〈ここで名誉会長を中心に全員で唱題した〉
 長時間、本当にご苦労さまでした。ありがとう!(大拍手)
2009-06-01 : スピーチ・メッセージ等 :
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