新疆財経大学「名誉教授」称号授与式

中国・新疆財経大学「名誉教授」称号授与式 (2009.5.28 創価大学本部棟)

 中国・新疆ウイグル自治区にある「新疆財経大学」から、創価大学創立者の池田名誉会長に「名誉教授」称号が贈られた。名誉会長の日中友好への尽力と、アジアの文化・教育の振興に対する多大な貢献を讃えるもの。授与式は28日、東京・八王子市の創価大学本部棟で行われ、来日した新疆ウイグル自治区の楊剛《ようごう》常務副主席、韓子勇《かんしゆう》文化庁副庁長、新疆財経大学のアスハー・トゥアシュン学長ら一行が出席。アスハー学長から代理である山本創大学長に「名誉教授」の証書が託された。

アスハー学長の授与の辞

深遠なる学識 勇気ある行動 高尚な品性
池田先生は世界が尊敬する希有の文化人

 大変に有名な創価大学を訪れることができ、池田大作先生に「名誉教授」称号を授与できますことを、最高に光栄に思っております(大拍手)。
 はじめに私は、新疆財経大学の2万人を超える学生並びに教職員を代表しまして、池田先生・奥様に対し、崇高なる敬意を表するものであります。
 また李中耀《りちゅうよう》党委書記からも、「池田先生によろしくお伝えください」との伝言を預かりました。
 池田先生は世界でも著名な思想家であり、教育家、哲学家、作家、詩人であり、そしてまた社会活動家、写真家、国際人道主義者でもあります。
 国家間の理解と世界平和を推進し、その足跡は世界各国に及んでおります。
 特に、アジアの文化と教育、文明の発展のために、傑出したご貢献をされ、各国の人民が尊敬してやまない、希代の世界的な文化人なのであります(大拍手)。
 池田先生は、中国人民の古き友人であります。1974年以来、何度も中国をご訪問され、周恩来総理、小平副総理、江沢民主席など、中国の各世代の指導者と会見されております。長きにわたって、中日両国人民の友好往来の発展に尽力され、中国人民と深く強い友情を結んでこられました。
 そして、何よりも、中日国交正常化を提言された方であり、両国の友好のために、偉大なる貢献をされてきたのであります。
 ご存じの通り、35年前の5月30日は、池田先生が初めて中国の大地を踏みしめたその日であります。
 先生は香港から歩いて国境線に架かった鉄橋を渡り、深圳に入られました。そこから広州を経由して飛行機に乗り、北京へ向かわれたのであります。
 当時、中日の間には、まだ航空協定が結ばれていなかったために、北京と東京の間には、直行便の飛行機が就航していなかったのであります。
 このような時代背景の中、池田先生は、勇気ある行動で、中日友好の道を真っ先に開いた、まさしく、中日友好の井戸を掘った人であるといえましょう。
 先駆者として、数多くの困難を乗り越え、両国の教育・文化交流の発展の道を切り開き、決して崩れることのない「中日友好の金の橋」を築かれたのであります。
 今回の私たちの訪日は、先生の初訪中から35周年の記念日に、折よく巡り合うことができました。ここに改めまして、池田先生に衷心より感謝申し上げます(大拍手)。
 池田先生は、その深遠なる学識と高尚なる品性をもって、世界各国200以上もの著名なる大学・研究所から名誉博士・名誉教授の称号を受章されております。
 本日、池田先生に新疆財経大学「名誉教授」称号を授与する盛大な式典を挙行することは、私たちの先生に対する敬慕の念を表すものであり、中日両国人民の世々代々の友好を続けていくという決意を表すものであります(大拍手)。
 私は、池田先生に私どもの証書をお受けいただくことに対して、改めて感謝するとともに、先生が私どものような発展途中の学校に対して、払っていただいているお気遣い、ご支援に心から感謝申し上げます。
 私自身は、今回が2度目の訪日です。日本人民の友好と情熱は、私に非常に深い思い出を刻みました。
 新疆は中国西部の辺境の地にありますが、豊穣にして美しく、広大にして神秘的な大地です。各民族は勤勉にして賢明であり、お客様をおもてなしするのが大好きで、歌をうたい、舞を踊るのが上手です。
 私たちは、より多くの日本のご友人に新疆を、さらに理解していただけるよう、また新疆を大好きになっていただけるようへ是非とも皆さまにお越しいただきたいと思います。
 本日は大変にありがとうございました(大拍手)。

名誉会長の謝辞(代読)

民衆奉仕の精神を万代へ
周総理 新疆の天地を愛し青年を育成
人民に誠実たれ! それが繁栄の道


 一、ただいま、私は、悠久なる人類融合と文明創造の天地に光り輝く貴・新疆財経大学より、最高に栄えある「名誉教授」の称号を賜りました。
 思えば、私が貴国へ第一歩をしるさせていただいたのは、1974年の5月30日であります。
 以来、35年──。本日の栄誉を、私は、満腔の敬意と感謝を込めて、謹んで拝受させていただきます。誠に誠に、ありがとうございました(大拍手)。
 きょうより、私は誉れ高き貴校の一員として、「人間を本とする」という高邁なる建学の精神を命に銘記し、人間教育の大道を、さらに切り開いていくことを、固く、お約束申し上げます。
 李申耀党委書記が強調されているように、「人を以て範とし、教育によって人を育む」との貴大学の誇り高き教風を、私もまた世界に広く宣揚させていただきます。

自らが開拓の最前線に
学生への指針 志を高く 卓越を追求せよ!


一人一人に会うことが発展のカ
 一、貴大学が立つ、わが憧憬の都ウルムチには、じつに50もの民族が共存されていると、うかがっております。
 私たちが敬愛してやまない周恩来総理が、新中国の建設にあって、この多彩な新疆の人民に、ひときわ深い心を寄せておられた歴史を、私は心に刻んできた一人であります。
 周総理は、激務を極めるなか、建国前から6度にわたり、新疆へ足を運ばれ、人民と語らい、励ましながら、発展への布石を一つ一つ打ち続けてこられました。
 1965年の7月には、周総理は、外国訪問の帰路、新疆へ立ち寄られております。
 開拓に汗を流す青年たちと、葡萄の木の下で懇談し、激励された光景も、一幅の絵のように胸に迫ってまいります。
 総理は、この若きリーダーたちに、「努力革命」「奮勇前進」さらに「民族団結」等と書き送っておられます。
 一、周総理は、私に対しても、すべての国や民族が平等に助け合う人類の未来を展望し、語ってくださいました。そして、その大建設への壮大な夢を、私たちに託してくださったのであます。
 私が周総理にお目にかかった9カ月後、貴・新疆ウイグル自治区は、創設20周年の佳節を迎えられました。
 この折、周総理は、重篤な病の床にあられてなお、愛する新疆の山河と人民の姿に接することを悲願としておられたのであります。
 なかんずく、周総理は、全国各地から新疆の開拓に勇んで集った青年たちを、宝のごとく慈しまれ、大切に育んでいかれました。
 この総理の信頼に応え、誉れある開拓の最前線で、若き生命を燃やし、勇気と英知の人格を鍛えあげられた指導者こそ、きょう、お迎え申し上げた、楊剛常務副主席なのであります(大拍手)。

英知と教育と人材の電源地
 一、忍耐強く、鋼のごとき信念で建設に挑み続けてこられた、楊常務副主席をはじめ、偉大な人民の尽力ありて、今、新疆の発展は目覚ましいばかりであります。
 楊常務副主席が、「私たちの新疆には、鉱産資源、農業資源、観光資源、地域資源(地の利)という『四大優勢』がある」と強調されている通り、無限の可能性をはらんだ新疆が、世界的に注目されております。
 なかんずく、この新疆の英知と教育の電源地として、社会発展に寄与する、幾多の逸材を澎湃と育成してこられた貴大学に、私は最大の賞讃の拍手をお送りしたいのであります(大拍手)。
 一、ー人一人の人民を大切にされた周総理が、ここ新疆で厳然と打ち込まれていった指導者への指針も、思い起こされます。
 「大雑把な手の打ち方ではいけない。そうでなければ、私たちが一代で創業したことは、私たち一代で潰えてしまう」と。
 人民に誠実であれ、そこにこそ、万代の繁栄の道が開かれるのだ──この高邁なる精神の水脈は、まさに「人民への奉仕」を高らかに掲げる貴大学に脈動し、学問と教育の見事なる結実をもたらしております。
 古のシルクロードの大交流の劇を今に受け継ぎ、爛漫たる花を咲かせるかのように、貴大学が国内外の大学と交流を結び、学術の連携を深められていることも、皆が讃嘆するところであります。

一歩また一歩堅実な前進を
 一、私の胸には、貴大学の校訓が、力強く響いてまいります。
 「経世済公 至善至誠(世をおさめ、世の中をよく助けるに、善良、至誠たれ)」──。
 経済危機に揺れる世界は、この経済の本義を体現した若き指導者の育成を、いやまして要請しております。
 アスハー学長は、学生たちに語られました。
 「志を高く、卓越を追求せよ!
 足を地につけて、創新を求めよ!」と。
 標高5445㍍の壮麗なるボゴダ峰を仰ぐごとく、高き志を掲げて、新疆の豊饒なる大地を堅実に踏みしめゆく足取りこそ、最も確かなる発展の力であります。
 本日より、私も、敬愛してやまぬ先生方、学生の皆様方とご一緒に、「民衆奉仕」「民衆共生」の行動に、一歩また一歩、邁進していく決意です。
 結びに、明年、創立60周年を迎えられる貴大学の、ますますの隆昌と大発展を、心からお祈り申し上げ、私の御礼のご挨拶とさせていただきます。
 謝謝!(中国語で「ありがとうございました!」)(大拍手)
2009-05-31 : スピーチ・メッセージ等 :
Pagetop

あの日あの時 Ⅳ-9

あの日あの時 Ⅳ-9     (2009.5.30付 聖教新聞)

池田先生と東京・練馬区

「名馬、千里を行く」ごとく

江古田のB長会
 戸田城聖第2代会長が逝去した1958年(昭和33年)。青年部の池田大作室長は、悲しみにくれる会員を全魂で奮い立たせていった。
 練馬にも向かった。
 西武池袋線の江古田駅に近い拠点を訪ねたのは、その年の夏である。駅前の商店街を抜けた先にある熱田宅でブロック長会があった。
 夕立で濡れた道を走ってきた林清は、最前列に陣取っていた。会場に現れた開襟シャツの精悍な青年を見て、声を上げそうになった。
 あの時、戸田先生の陰で寄り添っていた方ではないか!
 ──その3年前の秋に行われた城東支部(当時)総会。
 池田室長は恩師の脇に影のようにひかえ、万一、何かあれば、瞬時に飛び出す構えを崩さなかった……
 熱田宅で質問会が始まった。誰もが戸田会長亡き後の学会に、少なからぬ不安を抱いていた。
 その心の弱さを、池田室長の確信みなぎる言葉が吹き飛ばした。
 生涯、学会とともに!
 恩師との誓いを裏切るな! 
 会長を失ったばかりの学会である。世間の目も厳しい。室長は諄々と語りかけた。
 「近隣の人は、私たち学会員の行動を見ています。信仰を持《も》ったものとして、まず立派な社会人にならなければなりません」
 人としての振る舞いを一貫して説いた。

北町広布の歌
 座談会の会場から、歌声が聞こえてくる。

 ♪あの家も この家も
  星に囲まれ 歌声が
  お伽の都と 讃えてる
  共に築かん 北町広布

 本年2月の「青年・勝利座談会」。
 練馬区北町の支部では、青年部の指揮で伝統の「北町広布」の歌を大合唱した。
 副本部長の古屋巌も、ともに口ずさんだ。若い力の台頭に、感慨は尽きない。
        ◇
 78年(昭和53年)7月8日。北町の支部の代表が、都内で名誉会長から食事に招待された。支部長だった古屋は緊張で料理がのどを通らない。名誉会長は温かく声をかけてくれた。
 「一番苦労した人を、一番励ましてあげる人になろう」
 さらに意表を突く発表があった。
 「歌をつくったよ。信心している人も、してない人も、関係なく歌えるように考えた。この北町が栄えるような歌だよ」
 学会の各部に、次々と愛唱歌が生まれていた時期である。しかし名誉会長が自ら手がけた「支部の歌」は「北町広布」の歌だけだった。
 東京の外れにある、こんな小さな支部にまで……。古屋は、この1年間の日々を深く思い返した。
 ──支部に衝撃が走ったのは、77年(昭和52年)の夏のことだった。
 中心者たった夫婦が退転。後に学会を反逆する幹部と関係があった。完全に師弟の正道を見失っていた。
 そんな恩知らずどもに、この北町を壊されてたまるか!
 古屋は支部内を一軒また一軒と回った。平静を装っていても、内心は揺れている会員もいた。そんな時、名誉会長から揮毫が届く。
  「北一」。墨痕あざやかな二文字である。
 北町が一番戦い、一番強くなることを誓った。
 その後、二度にわたる宗門事件が起きた。北町は微動だにしなかった。

グラントハイツ
 光が丘駅前大通り。一人の婦人が車を降り、空を見上げた。ここがグラントハイツ?
 あの頃からは、見違えるような街並みになっている。
 アメリカ総合婦人部長のカズエ・エリオットだった。名誉会長が初めて北米大陸を訪問したとき、真っ先に出迎えた。アメリカ広布の草分けである。
 98年10月、東京での研修会終了後、エリオットは、かつて共に戦った練馬の同志と光が丘を訪れた。
 林立する団地、駅、ショッピングモール……。滑走路も鉄条網もなくなっている。
 この地で戦った当時の面影は丸でなかった。
 草創期、国際結婚したエリオットは、鶴見支部練馬班の班担たった。
  ここには、進駐軍の将校の宿舎であるグラントハイツがあり、周辺の田柄や旭町も折伏に歩いた。
 56年(昭和31年)だったか、静岡で戸田会長に質問したことがある。
 「私の主人はアメリカ人です。どうしたら折伏できるでしょうか」
 会長はメガネの奥からエリオットの目をジッと見据えて言った。
 「どこにいっても、どんな相手でも『南無妙法蓮華経』を広宣流布することに変わりはない」
 エリオットの迷いがパッと晴れた。
 彼女たちの苦労が実り、グラントハイツでも信心を始める人が増えた。その中から米国に戻るメンバーも現れ、今日のアメリカ広布の礎になっていく。
 グラントハイツは、仏法の輝きを世界に伝える“光の丘”になった。

光が丘文化会館
 2007年11月7日、光が丘ドームで「平和の文化と子ども展」が開幕した。
 練馬区元教育委員長の内山和子があいさつに立った。読売新聞の社長夫人である。
 「いつも、聖教新聞が一番早く届くんですよ」
 集金に来る配達員の人柄にも好感を抱いていた。大泉会館の近くに住み、会員の姿をつぶさに見てきた。
 「池田先生は、素晴らしい人たちを育てられているんですね」
        ◇
 練馬には、平和や文化の次元で、貢献してきたメンバーも多い。
 総区婦人部長の岩渕真理子は、音楽大学の出身。1976年(昭和51年)7月に、名誉会長から「母」の詩に曲をつけるよう頼まれた。
 岩渕は苦心して届けたが、ある楽節について名誉会長から指摘された。
 途中から転調して、自分では一番の聴かせどころと気に入っていた部分である。
 「これでは難しい。みんなが喜んで歌える曲にしてもらいたい」
 口ずさむと、たしかに歌いにくい。作曲に夢中で、実際に歌う会員のことを忘れていた。岩渕が作り直した歌を届けると、名誉会長は「いい曲になったね」と心から喜んでくれた。
        ◇
 中村玲子の夫・輝夫は、民主音楽協会の渉外担当だった。イスラム諸国と交流する道を開いてきた。
 中東圏で「お前は何をしに来たんだ」と銃口を向けられたこともある。
 中村が身を案じても、夫は「池田先生のお仕事のお手伝いだ。ありがたいことじゃないか」と。決して中東行きをやめない。92年の名誉会長の中東歴訪にも同行し、陰ながら大成功に尽力した。
 その後、夫は病に倒れ、帰らぬ人となった。
 中村玲子が、光が丘文化会館に招かれたのは、98年10月25日である。この日、名誉会長は同会館を訪問し、代表200人に、勇気の信心で進むことを訴えている。
 駆けつけた中村は声を振り絞って「先生!」と叫んだ。
 「中村の妻です。生前はお世話になり、本当にありがとうございました」
 名誉会長は、中村が子ども3人を抱え、一家を支えていることも知っていた。
 「人生は劇場だ。広布も社会も家庭も劇場です。勝つか負けるかだ。のびのびと人生を生きなさい!」
        ◇
 この日、光が丘文化会館に訪問したことで、名誉会長は練馬区内にある全ての会館に足を運んだことになった。三原台の練馬文化会館、向山の城西平和講堂、東大泉の大泉会館、上石神井の石神井会館、豊玉上の桜台会館。すみずみまで、名誉会長の足跡が刻まれている。
 練馬は馬を練り、名馬を育てた天地。ある時、練馬の使命を語っている。
 「どこか苦戦していると聞けば、すぐに駆けつける。それが学会精神だ」
 勝利の決定打を放つためなら、千里を行く。それが「練馬」だ!
2009-05-30 : あの日あの時 :
Pagetop

御書と師弟 地涌の団結

池田名誉会長講義 御書と師弟 (2009.5.23付)

第15回 地涌の団結

最高唯一の目的は広宣流布
「信心の団結」は無敵なり


御聖訓
 日蓮一人はじめは
 南無妙法蓮華経と唱へしが
 二人・三人・百人と
 次第に唱へつたふるなり
 未来も又しかるべし
 是あに地涌の義に非ずや
           (諸法実相抄、御書1360㌻)

 断固立て
  勇猛《ゆうみょう》みなぎる
    千万の
   地涌の友の
    勝ちどき確かと

 我らの勝利の要諦は何か。
 それは強き祈りと団結です。
 恩師・戸田城聖先生は、遺言なされました。
 「われわれは、未曾有の広宣流布のために、地から涌き出た、地涌の菩薩である。どれほど尊貴であり、使命があるか。この使命に生ききることが最高の人生である」
 「勇気を盛りおこし、たがいに怨嫉することなく、一団となって、勝利の大道を進もうではないか!」
 わが創価学会の団結は、利害による結びつきではありません。日蓮大聖人の仰せのままに、人類救済という最高唯一の大目的に前進しゆく、崇高な使命の連帯なのです。
 「諸法実相抄」には、こう宣言されております。
 「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや」(御書1360㌻)
 未来永遠の広宣流布を展望なされた、壮大な御聖訓であります。私たちの戦いの一切は、この御金言の方軌に則った地涌の大行進なのであります。
 学会創立80周年を目前に控えた今、私どもは、あらためてこの「地涌の義」を深く心肝に染め、万代にわたる広宣流布へ出発してまいりたい。
 「諸法実相抄」は、大聖人が52歳の御時、文永10年(1273年)5月に佐渡で認《したた》め、最蓮房に与えられました。この御文では、末法の民衆を救う極理中の極理である南無妙法蓮華経を、ただ御一人から唱え出された大聖人に続き、「二人・三人・百人と次第に」唱え伝えていく。未来もまた同じ方程式であり、これが「地涌の義」である──こう仰せです。
 この「地涌の義」を、私たちの実践的な面から拝したい。
 まず第一に、「日蓮一人」から開始なされた大闘争に、報恩の一念で続きゆく弟子の決心が肝要となります。
 師匠とは先覚者の異名です。いかなる分野でも、師匠ありてこそ、人間の成長の道が開かれる。なかんずく、仏法は、三世永遠にわたって生命の闇を照らす根本の法です。この根本法を説き明かされた大聖人こそ、人類の大師匠であられます。
 この師匠の大恩を感じ、その大恩に報いゆく戦いを、自らも「一人」から開始する。これが真正の弟子であります。

「一人立つ」輝く闘士が無数の眷属と共に出現
 御本仏の未来記に呼応し、20世紀の日本に出現したのが、初代会長・牧口常三郎先生、第2代会長・戸田先生の師弟でありました。そして、仏勅の和合僧団・創価学会であります。
 戸田先生は「私たちは、大正法を広宣流布して、仏恩に報い、一切衆生を三悪道の流転より救出せんと誓願して、起ち上がっているのである」と、誇り高く叫ばれました。
 「一人立つ」地涌の闘争を貫かれた両先生への報恩感謝を、私たちは決して忘れてはならない。永遠に失ってはならない。
 私は、この一心で、両先生の正義と真実を世界中に叫び、宣揚してきました。師匠への報恩の心で一人立つ! これが「地涌の義」の第一であります。
 第二に、「地涌の義」とは、一人から二人、三人、百人と、尊極の仏菩薩の大生命を、次々に呼び覚ましていく戦いであります。
 地涌の菩薩とは、法華経の涌出品第15で、大地から躍り出て、釈尊のもとへ集う無量無数の菩薩たちです。
 悠久の大河ガンジスの砂粒の数。その無尽の数のさらに6万倍と形容されるほど多くの光り輝く菩薩が、それぞれ無数の眷属(仲間)を率いて、縦横無尽に、しかも見事な団結の陣列で大地の底から登場してきたのです。
 「次第に唱へつたふる」とは、この地涌の菩薩のように、自行化他の実践で、妙法を唱える友の水かさを増しゆくことです。それは、一人から一人へ、友から友へ、仏法の正義を語り伝え、人々の内なる仏菩薩の生命を呼びあらわす大言論運動の拡大であります。
 我と我が友の胸中に、地涌の大生命よ、湧き上がれ! この一念で、あらゆる人々と出会い、語らい、心を結んでいくのです。私も、いずこにあっても、そうしてきました。
 内外を問わず、縁するすべての人々の魂を揺さぶり、相手の仏性を呼び起こす思いで、大誠実の対話を重ねてきました。今もまったく変わりません。
 真剣な祈り、そして勇気の対話こそ、万人の胸中から、地涌の生命を引き出す要諦です。そのためには、朗々と題目を唱えて、わが胸中の地涌の大生命力を奮い起こすことです。
 「口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ」(御書557㌻)と説かれる通りです。
 また、妙法を「唱へつたふる」使命を帯びた地涌の大生命には、人と人を結びつける偉大な力が漲っています。
 皆様が、家族に、地域の同志に、そしてあらゆる友人たちに語りかける声の響きこそ、一人一人の胸中の仏の生命を発動させゆく最高の仏縁となります。これが地涌の対話の力です。
 地涌の大連帯も、一対一の心の結合から始まる。これが「地涌の義」の大切な側面です。
 私が対談した世界的な宗教学者であるコックス博士(ハーバード大学教授)は、「宗教(レリジョン)とは、本来、『再び結び付けること』を意味します。人と人との絆を、もう一度、取り戻すこと。そこにこそ、現代における宗教の果たすべき役割もあると思います。その達成こそ、私がSGI(創価学会インタナショナル)に強く希望することの一つなのです」と語られておりました。

後継・拡大・勝利の真の弟子たれ
 そして第三に、「未来も又しかるべし」──この地涌の人材の陸続たる流れは、未来も変わらないと大聖人が断じておられる。広布に生きる地涌の前進は、未来永遠にわたって続いていくとの大確信です。
 「我五百塵点劫より大地の底にかくしをきたる真の弟子あり」(御書905㌻)
 いわば、地涌の菩薩とは、久遠の釈尊の秘蔵の直弟子です。であるからこそ、師匠の構想を実現することができる。
 涌出品、そして寿量品という経文の流れに沿って拝すれば、師匠である仏の本地が明かされてからその次に、弟子である地涌の菩薩が出現したのではない。まず荘厳な弟子が出現することによって、師匠の永遠の生命が証明されていったのです。
 まさしく地涌の菩薩は、師と共に、いな、師に先んじて、久遠の過去から永劫の未来へと突き進む「師弟不二」の勝利の魂を明かしているのです。
 要するに地涌の菩薩とは──
 ①師への報恩感謝に燃えて、自ら一人立つ「後継の弟子」
 ②師の教えを広げ、人々の仏性を引き出す「拡大の弟子」
 ③師と共に永遠に歩み、真実を証明しゆく「勝利の弟子」──と言ってよい。
 このように、本抄に示されている「地涌の義」とは、師弟不二の大道を歩む弟子たちの不変の指標なのです。
 この正道を世界中の民衆が胸を張って歩み、広宣流布を実現していけるよう、現代的な地涌の組織を築き上げた教団こそ、創価学会にほかならない。
 そのためにも、一番大事なのは「地涌の菩薩の団結」です。団結がなければ、真の後継も拡大も勝利もありません。
 戸田先生は、地涌の連帯を築きゆく“信仰と組織”について語られました。
 「わが創価学会は、その信仰の中心に、絶対唯一の御本尊を有し」「これを現代化し、科学的にし、今日の立派な組織ができあがったのである。この力は、世の模範であるとともに、世の驚異である」

人類の未来を開く使命あり!
 信心の成長と広宣流布の前進にとって、皆で励まし、守り合う「組織」の存在は絶対に不可欠です。末法濁世に、一人だけで信行学を成し遂げ、法を弘めることは不可能だからです。
 師匠のもと、善き同志の支えと励ましありてこそ、共に成仏の道を歩んでいけるのです。これが「善知識」「和合僧」という法理です。わがままな仏道修行などあり得ない。
 師弟という“縦糸”、地涌の同志という“横糸”。この縦横の絆が織りなす幸福・勝利の大いなる“布”を広げていくことが広宣流布なのです。
 正しき和合僧団に連なってこそ、永遠に崩れざる幸福・勝利の人生を完結することができる。現代で言えば、誉れある創価学会員として使命の道に生き抜くことであります。
 戸田先生は、「一人一人が、自分の力を最大に発揮して、目的のために強く伸び伸びと前進してゆけば、おのずから深い団結がなされていく」と指導されました。
 広布の組織は、いわゆるピラミッドではありません。師匠を中心として広がる“同心円”の連帯と言えるでしょう。
 御本尊の前には皆、平等です。役職の上下は役割の違いにすぎません。全員が尊い使命をもった、かけがえのない地涌の闘士であります。
 ゆえに、同志に怨嫉をしてはなりません。同志を妬んだり中傷したりすれば、福運を消してしまうからです。
 大聖人は、「軽善」「憎善」「嫉善」「恨善」を戒められています(御書1382㌻)。同志を軽んじたり、憎んだり、恨んだりしてはならない。それでは、広宣流布という大目的を忘れた悪心に食い破られてしまう。
 いわんや、我見や慢心に囚われて組織を撹乱したり、分断しようとすれば、厳しい仏罰を受けるだけです。
 戸田先生は、繰り返し戒められました。
 「広宣流布という至上の目的に生きることを忘れるな! この一点が狂えば、すべてが狂ってしまう」
 「創価学会の中で、最高の仏法を教えてもらいながら、その恩を忘れて、学会を裏切り、師敵対する。これほどの恩知らずの畜生はいない」
 学会の組織は、御本仏・日蓮大聖人の大生命そのものである。3代の師弟が全生命を注いで築き上げ、護り抜いてきた創価の大城を、未来永遠にわたって絶対に壊してはなりません。何者にも壊させてはならない。悪と戦わなければ、地涌の菩薩ではありません。
 学会を護り、発展させゆくため、「能忍」の心で戦う人こそが、真の地涌の勇者なのです。
 もちろん、凡夫の集まりですから、性格的に合わなかったり、感情的な行き違いをする場合もあるかもしれない。
 しかし、だからこそ自身の境涯を大きく開くことができる。広布のリーダーは、まず自分が「一人立ち」、誰よりも苦労し、経験を積んで、道を発見していくことです。それで初めて、“将の将”として大勢の友をリードしていけるのです。
 戸田先生は言われました。
 「組織の第一線を汗まみれになって駆け巡り、同志を励まし、友と語っていくことだ。その中でこそ、本当の信心、本当の学会を肌身で知ることができる」
 どうすれば、皆の力を生かせるか。皆を成長・幸福・勝利の方向へ向けられるか。実に崇高な悩みではありませんか。まさに「仏の悩み」と等しい。
 「責任は悟達に通ず」です。「上に立つ指導者が無責任であれば、一切が崩れてしまう」と、戸田先生も厳しかった。
 広布の大目的を担い立って、一つ一つ悩み、祈って乗り越えていく。その繰り返しの中で、わが生命に上行菩薩の力用が涌現します。そこに、金剛不壊の仏の智慧が輝き、無量無辺の福徳が広がっていくのです。

戸田先生
「地涌の菩薩の皆さん、やろうではないか!」

 大聖人は仰せです。
 「自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る」(生死一大事血脈抄、御書1337㌻)
 「自他彼此の心」とは、自分と他人を差別し、対立させる心です。
 その対極にある「水魚の思」とは、水と魚のように、一体となって仲良く進む同志愛です。『三国志』に綴られる諸葛亮孔明と劉備玄徳の絆(水魚の交わり)に由来するものであります。
 『三国志』は、志を同じくする英雄たちの団結の劇です。
 あの水滸会で学んだ折にも、戸田先生は、有名な桃園の契りで結ばれた劉備・関羽・張飛の団結について語ってくださいました。
 「三人が共によく互いの短所を知って、補いあっていけたから、団結できたのだ」
 「どれが短所か、また長所は何か、を知っていくことが、互いに相手の人物を理解する基本となるものだ」と。
 まして、師弟の魂を根幹とした私たちの「信心の団結」は、最強無敵であります。
 人類は、平和と幸福を開く共生の哲学を渇望している。その悲願を担い、地球文明の未来を照らしゆく太陽が、日蓮仏法です。我らSGIの大連帯です。
 アメリカの仏教研究家ストランド氏は、こう賞讃されております。
 「SGIは、強力な組織を持ちながら、そこに属する会員は、個人の高いレベルで自身の力を発揮しています。組織が人々を型にはめると、組織は発展しません。しかし、枠を取り払ってしまうと組織は分解してしまいます。その点、創価学会の組織は、絶妙なバランスをもって運営されていると思います」
 世界は正しく見ています。
 戸田先生は叫ばれました。
 「地涌の菩薩の皆さん、やろうではないか!」と。
 我らは地涌の菩薩なり!
 我らは人類の希望なり!
 この大いなる確信に燃え、「栄光の団結」で勝ちまくって、創価の道を切り開いていきましょう!

 君もまた
  永遠《とわ》の同志と
     仰がんや
  共に共にと
     和合の力で
2009-05-24 : 御書と師弟 :
Pagetop

あの日あの時 Ⅳ-8

あの日あの時 Ⅳ-8     (2009.5.22付 聖教新聞)

池田先生と東京・足立区

勝利を決する大東京の勇者

飾らない強さ
 「足立、よくやったね」
 「はい!」
 池田大作名誉会長が、広布の前進めざましい地域の名を挙げると、足立区の4人の男子部員が、勢いよく立ち上がった。
 2001年(平成13年)12月13日、本部幹部会(東京牧口記念会館)の席上である。
 「みんな、お仕事は?」
 名誉会長が前方の4人に声をかけると、次々と元気な声が返ってきた。
 「サラリーマンです!」
 「ラーメン屋です!」
 「建設会社です!」
 「ゴミ屋です!」
 産業廃棄物を処理する菊池浩幸が、ひときわ大きな声を張り上げた。
 すかさず名誉会長が「足立の人は飾らないね。かっこよく『高級中華料理店です』とか、言えばいいのに」とユーモアで包みかえしていく。
 その中の一人、舎人にあるラーメン屋「きらく」の2代目、中村洋一も頭をかいた。
 見栄も気取りもない。「率直だね。だから足立は強い!」と名誉会長は語る。
 足立への信頼は青年時代から抜群である。

師弟を貫け
 都心から走ってきた車が、荒川にかかる西新井橋をわたった。土手を回りこんだ車から戸田城聖第2代会長が降り立つ。
 道は、ぬかるんでいた。戸田会長は革靴が汚れるのも構わず、早足に歩き出した。
 1955年(昭和30年)の春4月である。
 河原の芦を刈った空き地で、野外集会が始まった。
 300人ほどを前に、戸田会長が用意された台にあがった。背後では千住火力発電所の通称「お化け煙突」が煙をモクモクと吐きだしている。
 戸田会長の、ややかん高い声が川風に乗って、聴衆の耳に届いた。
 シンプルな集会だが、よく準備がされていた。これには理由がある。
 戸田会長を足立に迎える先発隊として、青年部の池田室長が、1カ月前から奔走してきたのである。
        ◇
 ひと月前の3月1日のことだった。
 池田室長を王子駅から乗せたバスが、化学工場の脇を抜けていく。
 江北橋に出ると、視界がぱっと開けた。一面の田んぼに、小屋がぽつん、ぽつんと建っている。
 まだ、バス通りに荷車を引いた牛が、のっそり歩いている時代だった。
 足立の第1・第2ブロックを担当することになった池田室長が、高野町(現・江北4丁目)のバス停で降りた。
 溶接業「藤田工業所」の看板を見上げ、足立の支部長、藤田建吉の家に入った。
 足立区に住む会員が初めて集まった連合座談会だった。
 藤田の家は建て増しを繰り返した古い一軒家で、やけに柱が多かった。その陰で、身を隠すようにしている会員もいる。
 会場に、池田室長のからっとした声が響いた。「支部長の坊主頭は、ジャガイモ頭と呼ばれているそうですね」。笑い声があがった。参加者は、ぐいぐい室長の話に引き込まれていく。
 途中から質問会に変わった。場内の青年が「どう祈れば、功徳が出ますか」と手をあげた。
 室長は深くうなずきながら「皆さんのちっぽけな願いぐらい、今すぐにもかなう。その秘訣は……」と青年を力強く見つめた。
 柱の陰からも、別の青年が我がことのように身を乗り出している。
 室長は「それは、師弟を貫くことです!」と信心の奥底を分かりやすく語った。
 こうして戸田会長を迎える下地を、人知れず、つくっていったのである。

団地のビワの木

 第3代の会長を辞任してから、名誉会長は足立の地で語った。
 「大変に批判中傷をされてきましたけれど、本質は、庶民と仮面のエリートの戦いです。人類が千年、二千年と続けてきた戦いです」
 82年(昭和57年)12月、年の瀬の足立平和会館での指導だった。
 続けて、名誉会長は「足立は取りもなおさず、庶民の区です。学会は庶民です」と、明快に言いきった。
        ◇
 竹の塚の松本美津も、そうした庶民の一人である。
 夫は事業に失敗したあげくに死別した。その後、再婚したものの2間に6人暮らし。4人の子どもの病気や不登校、非行に悩んでいた。
 そんな松本に、思いがけない転機がやってきた。
 85年(昭和60年)6月21日。足立で名誉会長を迎えて懇談会があり、その役員になったのである。
 松本は会場の近くにある、竹の塚7丁目アパー卜の団地に暮らしていた。
 懇談会が終わると、出口に名誉会長が現れた。
 「ありがとう。陰で支えてくださった皆さんで分けてください」と、丸いオレンジ色の果実を配ってくれた。初夏に旬を迎え、甘くなるビワの実である。まだ手の温かさが残っていた。
 松本は、持ち帰ったビワを家族で6等分した。食べ終わると、その種を団地の庭に植えた。
 ビワと一緒に成長することを子どもたちと約束した。
 8年後──ビワが成木になった。白い花をつけ、まんまるの実が枝をしならせている。同じ団地の女性から、声をかけられた。
 「松本さん、ついに池田先生の木に花が咲いて、実がなりましたね」
 ビワに負けず、4人の子どもも立派に育った。
 竹の塚だけではない。綾瀬、宮城、江北などでも、同じように名誉会長の思いを大切にしている友がいる。あの日のビワの種から育ち、足立区内に、30本以上が成木となって根を張っている。
 本年1月11日、松本が投稿した一文が全国紙の朝刊に載った。
 「尊敬する人の言葉に『幸福は忍耐という大地に咲く花』とある。この言葉が大好きで、私は指針にしてきた」
 もう初夏である。
 今年も足立でビワの木が、丸い実をつけている。

一番先頭に立て
 名誉会長は、たとえ東京を離れた時でも、決して足立を忘れない。
 創立75周年の佳節へ学会が前進していた夏、名誉会長は長野県で最高幹部との協議を続けていた。協議会でのスピーチ、長編詩、随筆などの執筆を進めながら、さまざまな報告を受けていく。
 足立の地区婦人部長会の開催が報告された時だった。すぐさま「これは、誰が行っているんだい」と確認をとる。
 会場の足立文化講堂には、3人の婦人部幹部が入る予定になっていた。「そうか。たくさん幹部が行っているけれど、現場は『走っています!』という気持ちだよ」
 どれほど足立の現場の底力がたくましいか。名誉会長は、誰よりも知り、誰よりも信頼している。すでに足立の会合は始まっていたが、長野から伝言を託した。
 「今や、足立が東京の代表である」
 「一番先頭に立っていけ」
 「声は大事な武器だ。朗らかに撃っていくんだ」
 足立文化講堂につめかけた約1500人の婦人部員は、名誉会長の一言一言に、会場が揺れるほど沸きたった。

氷川の地で
 84年(昭和59年)の5月4日、奥多摩の氷川は厳しい冬を耐えた桜が満開だった。
 名誉会長が、2棟の研修道場の前で白い帽子を取り、深々とお辞儀した。
 足立区宮城の土田健一は、その姿が涙でかすんで、よく見えなかった。土田たちが中心になって、青年部の人材グループ「栄光会」が築きあげた研修施設だった。
        ◇
 ここは、30年前の54年(昭和29年)9月に、戸田会長が水滸会の野外研修を行った地である。
 名誉会長を迎え、後継の青年が集いたい。信仰を錬磨する施設も建てたい。それが、当時の青年部の願いだった。
 そうなれば、建設関係の仕事に従事する栄光会の出番である。もともと栄光会は、発足当時から、足立、大田、江戸川、荒川など下町の職人が主力だった。
 足立の土田も、二つ返事で現場に飛んできた。足立の志願者は、400人を超えた。
 しかし、奥多摩の自然は厳しい。
 台風や豪雨もある。氷点下10度を下回る日もあった。
 同じ足立の渡辺健司(舎人の塗装業)や木村弘美(皿沼の建築業)も、仕事を片づけ、東京の東から西へ車を走らせた。
        ◇
 道場内。木の香の芳しい栄光会館で、開館記念の勤行会が行われた。名誉会長が、恩師の思い出を語りはじめる。
 「戸田先生は、常に『一人立て』と教えられた。私も難あるごとに『そうだ、一人立てばいいのだ』と深く決意した。これが水滸会の精神だ」
 勤行会終了後、名誉会長が多摩川の河原へ続く162段の階段を下りた。
 「戸田先生を囲んだ時と同じだね」
 キャンプファイアが焚かれた。30年前と同じ、師を求める真っ赤な陣形がそこにあった。
 帰り際、名誉会長は、栄光会の奮闘に感謝して、足立の友に色紙を手渡した。
 「立」の一文字が、どっしりと躍っていた。
 「足立」は「足で立つ」と書く。
 名誉会長は、折々に語ってきた。
 「どこか一個所が勝てば、全部が勝ち続いていく要。それが足立だ」
 一人立つ足立。東京と全国をリードしゆく広布の勇者である。
2009-05-22 : あの日あの時 :
Pagetop

クイーンズ大学名誉博士号授与式

北アイルランド・クイーンズ大学「名誉博士号」授与式
                        (2009.5.18 創価大学本部棟)

 英国屈指の世界的な名門学府で、北アイルランドのクイーンズ大学ベルファストから、創価大学創立者の池田SGI(創価学会インタナショナル)会長に、民衆の福祉と精神の向上への業績を讃える、同大学の最高の栄誉として「名誉博士号」が授与された。学位授与式は18日、創大本部棟で行われ、ピーター・グレッグソン学長(副総長)、ケネス・ブラウン副総長補をはじめクイーンズ大学一行、また、アイルランドのブレンダン・スキャネル駐日大使らが出席。創大の山本英夫学長、創価女子短期大学の石井秀明学長ら教職員、学生の代表も同席し、創立者に対する世界の大学・学術機関からの「255」番目となった名誉学術称号を祝福した。

グレッグソン学長の授章の辞

自他共の幸福を説く戸田城聖会長に師事
師の「人間革命」の哲理を高らかに宣揚
世界192カ国地域に民衆の連帯を


 ご列席の皆様。アイルランドの偉大な劇作家バーナード・ショーの有名な言葉に「平和は、戦争より良いだけではなく、戦争より、はるかに至難の業なのである」とあります。
 これは本日の受章者・池田大作博士の人生を物語る言葉でもあります。博士は長年にわたり、人類の平和の探求を鼓舞するべく、作家、哲学者、教育者、そして指導者として、渾身の力を振るってこられました。
 池田大作博士は1928年1月2日、東京で、8人きようだいの5男として海苔製造業を営む一家に生まれました。少年の頃から病弱と闘い、10代には命にかかわるほどの結核に苦しみました。こうした経験や、医師に告げられた「若くして死ぬかもしれない」という暗澹たる言葉から、人間の命の尊さを心に刻みつけ、それは博士の人格を決定づける一端となったのです。
 しかし、博士の若き日に最も大きな影響を与えた出来事は、第2次世界大戦でありましょう。博士が育った時代、日本国民の生活は、家庭や工場から学校、宗教団体に至るまで、あらゆる場面で戦争へと駆り立てられていました。
 この経験が、博士の平和への情熱の淵源となったのです。日本が第2次世界大戦に突入した1940年代、博士はまだ10代の若さでした。4人の兄は皆、徴兵され、そのうち長兄は戦死しました。
 博士は、当時のことをこう述べています。
 「第2次世界大戦が終わったとき、私は17歳。青年を襲った精神的な空白は深刻であった。焼き尽くされたのは、国土だけではなかった。戦前から叩き込まれてきた狂った価値観も虚偽と暴かれ、悉く崩壊したのである」
 博士は、人生の意味を見出そうと、精神の拠り所となる師匠を求めていました。そして1947年、それは実現しました。
 戸田城聖は、自他共の幸福を説く哲理を掲げる、創価学会という仏教団体の指導者でありました。
 博士は後に、この哲理を、ご自身の代表作である小説『人間革命』の一節に、こう簡潔に綴っています。
 「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」と。
 やがて博士は、戸田会長が経営する会社に入社し、活躍を重ねていきました。自らを戸田大学の卒業生と称される通り、師匠から一対一の個人教授を受けられたのです。
 そして1960年5月、戸田会長の没後2年を経て、博士は創価学会第3代会長に就任。1975年には、創価学会インタナショナルの初代会長に就任しました。
 博士の指揮のもと、創価学会は革新と拡大の時代を迎え、文化、教育の推進に取り組み、その活動を世界へと広げました。また、平和や持続可能性、人権教育という理想を推進してきました。
 SGIは現在、192力国・地域に1200万人を超えるメンバーを擁する世界的なネットワークに発展しました。
 1968年、池田博士は、生徒一人一人の創造的可能性を育み、平和、社会貢献、そして地球的意識を目指す倫理観を養うという理念に基づき、創価教育機関を開校しました。今日、この教育機関には、香港、韓国、マレーシア、シンガポール、ブラジルの創価幼稚園をはじめ、本日、私たちが集い合ったこの素晴らしい創価大学も含まれています。
 創価教育の価値観は、クイーンズ大学の価値観と深く共鳴するものです(大拍手)。
 教育によってより良い世界が築ける、との博士の信念を裏付ける言葉があります。
 「教育は、人間のみが為し得られる特権であります」「知識というものを、すべて、人間の幸福のほうへ、平和のほうへもっていく本源が、実は、教育であらねばならないでしょう」「自分への不信感から解放された個人は、他者の潜在する可能性をも信じるにちがいありません」。さらに「大学は、時代を動かし、社会を変え、世界を結ぶ城である」と。
 この博士の言葉に呼応するがごとく、もう一人の世界的指導者であり、クイーンズ大学の(総合大学としての)100周年記念の名誉博士号受章者であるネルソン・マンデラ氏(南アフリカ大統領)が、本学での講演で次のように述べられたのも、決して偶然ではないと確信します。
 「教育こそ最大の解放者である」と。
 池田博士はまた、平和構築の基盤として、「対話」に徹してこられました。冷戦時代の最中にも、民間外交を通して、異なる国々や文化、また多様な哲学や信仰の伝統をもつ人々の間に理解の橋を懸けようと尽力してこられたのです。
 そして平和への道を探るべく、ネルソン・マンデラ、ミハイル・ゴルバチョフ(ソ連大統領)、ターボ・ムベキ(南アフリカ大統領)、ヘンリー・キッシンジャー(米国務長官)ラジブ・ガンジー(インド首相)、レフ・ワレサ(ポーランド大統領)、クルト・ワルトハイム(国連事務総長)、ジャック・シラク(フランス大統領)の各氏をはじめ、数多くの対話に取り組んでこられました。
 40年以上にわたる、このような指導者との対話に加え、博士は多数の著作も出版され、それらは、すべての主要な言語に翻訳されています。
 また、平和、文化、教育のさらなる推進を目指して、数々の社会に開かれた、独立した機関を設立しました。東洋哲学研究所、ボストン21世紀センター、戸田記念国際平和研究所、東京富士美術館、そして音楽文化を通して平和を推進する民主音楽協会などです。
 250を超える名誉学術称号をいただく博士が最初に受章されたのは、1975年5月、モスクワ大学からの名誉博士号でした。以来、世界中の大学や学術機関が、博士の平和と教育への多彩なご貢献を顕彰してきました。
 また、国連平和賞、ローザ・パークス人道賞、ブラジル連邦共和国の南十字国家勲章、アメリカ連邦議会の青年平和国際賞等を受章。さらに、オーストリア共和国学術・芸術最高勲位栄誉章、フランス共和国芸術・文学勲章、そしてプーシキン金メダルも受章されています。
 実を申しますと、クイーンズ大学が、博士の傑出した人生とご功績を祝賀するのは、今回の式典が初めてではありません。
 2005年、本学において、博士ともう二人の非凡な人物、マハトマ・ガンジーとマーチン・ルーサー・キングの社会への貢献を賞讃する国際展示“ガンジー・キング・イケダ展”を大々的に開催したのです。
 その際、光栄にも、博士は個人的な所蔵品の数々を快く本学に貸与してくださいました。日本以外の国でそれらの品々が展示されたのは初めてのことで、私どもは博士のご厚意に深く感謝した次第です。
 博士がどれほど世界に貢献してきたかを雄弁に物語る言葉として最近、ハーバード大学中国歴史哲学科のドウ・ウェイミン教授が、博士のことを「対話を通し、世界平和を促進する闘士」であると形容し、さらに「(対話の出会いを通して)知性の地平を大きく広げ、現代の幾多の思想家たちに、深く批判的自己省察をする機会を与えてこられました。世界の精神界への会長のご貢献は極めて大きいものがあります」と述べていました。
 博士が、世界中の数多くの人々から“先生”と呼ばれているの全く驚くには当たりません。“先生”とは、私たちの師匠という意味です。
 ご列席の皆様。池田博士の教育者、平和建設者、哲学者、作家としての人生とご業績が、より良い未来を開こうとする人類にとって教訓となっていることは間違いありません。
 よって、ここに池田大作博士に対し、本学の名と権威のもと、名誉博士の学位を授与いたします(大拍手)。

SGI会長の謝辞

教育が人間を創る 人間が平和を創る
人道の勝利へ知性を結集


 一、本日の名誉ある式典には、創大生、女子短大生の代表も参加してくれました。皆さん、元気ですか!
 〈「ハイ」と勢いよく返事が〉
 学生ならば、徹して勉強するのです。
 わが頭脳を鍛えに鍛え、実力をつけ、偉くなるのです。必ず優等生になると決意するのです。
 そして、世界の平和のために戦うのです。
 また、お世話になった人に恩を返し、親孝行をするのです。
 それを教えていくことが本当の教育です。
 教員の皆様も、よろしくお願いします。
 他者に深く感謝できる人こそ、本当の人間らしい人間です。
 この美しき心の人間を創ることが、貴・クイーンズ大学の根本の精神であられると私は理解しております。
 また、きょう参加した学生の皆さんは、将来、クイーンズ大学を訪れてもらいたい。
 そして、“私が学生だった、あの日、あの時、あの場所で、私の創立者は、貴大学から名誉博士号をお受けしたのです”と、丁重に御礼を申し上げていただきたいのです。
 約束しよう! 皆さん頼むよ!〈「ハイ」と元気一杯の返事が〉

人間の尊厳の旗を高く!
 一、「教育こそ、最も誇り高き『人間の尊厳』の旗である」
 これは、貴大学の名誉ある同窓の友・ネルソン・マンデラ南アフリカ元大統領と私が深く一致した信念であります。
 この教育という尊極の「人間勝利の旗」を、どこよりも高らかに、堂々と、そして荘厳に掲げてこられた名門こそ、貴・クイーンズ大学なのであります(大拍手)。
 心より尊敬申し上げるピーター・グレッグソン学長。また、諸先生方。そして、貴校の若き英才の皆様方。
 本日、ここに、私は、最大の感謝と決意を込めて、栄光ある貴大学の一員とさせていただきました。誠に誠に、ありがとうございました(大拍手)。
 さらに、きょうは、ご多忙のなかご臨席くださった、ブレンダン・スキャネル駐日アイルランド大使をはじめ、ご来賓の先生方にも、厚く厚く御礼を申し上げます(大拍手)。

「これはどの恩にいかに報いるか」
 一、貴大学の立つベルファスト市は、そのモットーにごフテン語で、「これほどの恩に、何をもって報いるべきか」と掲げておられます。
 なんと崇高な「報恩」の心でありましょうか。
 私は感動しました。わが創価大学にも、こういうモットーをつくりたいと思いました。
 そして私自身、貴大学の大恩に対し、さらなる教育への貢献をもって、誠心誠意、お応えしてまいる決心であります(大拍手)。

困難を乗り越えてこそ喜びが

 一、貴大学の名誉博士である大詩人イェーツは、1926年、アイルランドの議会で厳然と叫びました。
 「子ども自身が教育の目的でなければならない」──と。
 そしてこの貴国の大詩人は、日本では、子どもたちが国家主義の犠牲にされていることに、深い憂慮を示しておりました。
 まさに、この同じ時代、日本の軍国主義の暴走に勇敢に立ち向かい、「子どもの幸福」と「人格価値の創造」を目的にして誕生したのが、わが創価教育なのであります。
 教育こそ、どんな圧迫にも屈することなく、断固として、幸福と平和の世界を拡大しゆく正義の「大道」「大河」であることを忘れてはなりません。
 貴大学は、大いなる平和創造の源流となってこられました。
 30年以上も続いた熾烈な北アイルランド紛争の終結と和平の前進のため、大きく貢献された足跡も、人類史に燦然と光る金字塔であります。
 私も、これまでの平和提言などで、「いかなる紛争にも、必ず解決への道は開ける。あの北アイルランドに学べ! 続け!」と一貫して訴えてまいりました。
 なかんずく、青年の皆さんにこそ、「平和の特使」「平和博士」になってもらいたい。大学で学びながら、平和のために何も貢献できない。たとえ偉くなったとしても、自分のことばかり考えて威張る──そんな人生では情けない。恥ずかしい生き方です。
 紛争の平和調停に尽力された、貴大学のミッチェル前総長は、“紛争は、人間によって起こされるものだ。だから、必ず人間によって終結させることができる”と断言されております。
 教育は人間を創る。その人間が平和を創る。ゆえに人間の力を信じ合う教育の結合がある限り、人類の前途に、断じて行き詰まりはありません。
 世界は、いやまして、幾多の難問に直面しております。
 しかし、貴大学ゆかりの大詩人イェーツは、「歓び──それは、苦労し、困難を乗り越えて、勝利を知る魂から生まれる」と、力強い励ましを贈ってくれております。

学び抜け!
「学」は常勝不敗の原理
「学」は社会の王者の道


「実力」をつけよ
 一、人間の内なる生命には、まだまだ、計り知れない智慧と力が秘められております。
 人類は、今こそ力を合わせ、衆知を結集して、グローバルな危機を、一つ、また一つ打開しながら、いよいよ強く賢く、自らを鍛え上げていく時代を迎えています。また、そうしていかねばならない。
 ここに「教育の世紀」の不屈の挑戦があることを、私たちは確信して進んでいきたいのであります。
 その主役は、いうまでもなく青年です。
 青年の方は、手をあげていただけますか。
 〈式典の参加者から多く手があがる〉
 あまり若くない方も手をあげてくださったようだが(笑い)、その心が尊い。
 「心こそ大切」──これが仏法の真髄であり、人間性の真髄であります。
 学長は、非暴力の闘士マハトマ・ガンジーの信条を、自身の信条としておられます。私も大好きな言葉であります。
 すなわち、「明日、死んでも悔いないように生き抜け」、そして「永遠に生きゆくごとく、学び続けよ」と。
 学ぶこと──「学」は人格の勝利を築く。「学」によって栄光の人格がつくりあげられる。そしてまた「学」は、常勝不敗の原理であり、社会の王者の道であります。
 学生の皆さん。
 学ぼう! 力をつけて、人のために尽くそう! 人生は、学歴を持つ人が偉いのではない。人生は実力で決まる。

大学出身の大詩人
「たとえ一歩が実らなくても再び前進せよ!」


新たな連帯を
 一、私たちは、貴大学の先生、そして若き学生の皆様方との新たな連帯を宝として、平和と人道の勝利へ、朗らかに学び、進みゆくことを、強く強く誓い合っていきたいと思うのであります。
 その決意を、貴大学の誉れの卒業生であり、ノーベル文学賞受賞者である大詩人ヒーニー博士の一節に、託させていただきます。
 「次の行動が、常に試金石となる。たとえ前の一歩が実らなくとも、内なる心は叫ぶ。再び前進せよ、と」
 私たちも、この気概で進もう! 仏法とも響き合う英知です。
 貴大学の紋章には、平和と文化の象徴である、書籍と竪琴(ハープ)が刻まれております。私はこの紋章を見て、“人類にとって、教育にとって、忘れてはならないことだ”と感じました。
 貴大学から、さらに英知と創造の光が放たれ、人類の共生と歓喜の調べが奏でられゆくことを祈りながら、以上をもって、私の御礼のあいさつとさせていただきます。
 サンキュー・ベリーマッチ!(大拍手)

学長と語らい

世界市民を育てたい
創大からの留学生を歓迎 奨学金も創設


 授与式に先立ち、SGI会長は、グレッグソン学長一行と創大本部棟で語らいのひとときを。学長は「池田博士がわが大学の名誉博士号をお受けくださることを快諾していただき、私どもの最高の名誉です!」と笑顔で。
 グレッグソン学長 私どもは、池田博士の教育と平和に対する熱意と決意を、深く共有しています。
 「教育とは世界市民を育てるものである」との博士の理念に、深く共鳴するものです。
 この理念こそ、本来の意味で、世界平和の基盤になるものと確信しています。
 池田SGI会長 深いご理解の言葉、ありがとうございます。
 学長 今回の喜ばしい式典を記念し、特別な贈り物を準備してまいりました。
 それは──わが大学に留学される創価大学の大学院生に、奨学金をお贈りします。わが大学の修士課程で、紛争解決、翻訳の分野で学んでいただければと願っています。
 会長 素晴らしい贈り物です。学生たちも、さぞかし喜ぶことでしょう!
 学長 教育は、学生あってこそです。このことを忘れないためにも、奨学金を創設させていただきました。
 両大学は、国際的なリーダーを育成する使命と責任があります。
 会長 その通りです。これが教育の絶対の法則です。
 わが創価大学は、長い歴史をもつ貴大学から見れば、いわば“弟の大学”です。“兄の大学”とともに、平和の大道を進みゆくことを固くお誓いします。
 ──学長の来日は、4度目。日本の象徴・富士山を見たいと願っていたが、あいにく機会に恵まれなかった。「きょう、創価大学を訪問させていただき、見事な晴天で、やっと富士山を見ることができました」と学長。
 また席上、一行の民主音楽協会の訪回(17日)も話題に。
 学長は、「文化・芸術は平和を建設する偉大な要素です」と共感を。その際、クイーンズ大学が、北アイルランド紛争中も、毎年、人々の心を結ぶ芸術祭(ベルファスト・フェスティバル)を開催してきたことを紹介。この芸術祭は、世界的にも高く評価されている舞台芸術、視覚芸術の発表会である。
 「北アイルランドの文化、わが大学の文化は、私たちの核心であり、私たちの心です。わが大学に将来、舞台芸術を発信するセンターを造りたい。民音を訪問し、たくさんのアイデアをいただきました」と喜びを語った。
 語らいには、創大、女子短大、創価学園の代表らが同席した。
2009-05-19 : スピーチ・メッセージ等 :
Pagetop

あの日あの時 Ⅳ-7

あの日あの時 Ⅳ-7     (2009.5.15付 聖教新聞)

池田先生と東京・世田谷区

最前線から波動を起こせ

金メダリスト
 世田谷区若林にある国士舘高校柔道部の卒業生・内柴正人と鈴木桂治が、創価大学に現れたのは、2005年(平成17年)10月29日である。
 二人とも、前年のアテネ五輪で表彰台の最も高いところに立った。
 一礼して道場に入り、周囲を見わたした。
 “おや? 神棚がない”
 剣道場と柔道場の壁には「色心」と「不二」の額が、それぞれ飾られている。力強い筆致だった。
 創大柔道部ヘッドコーチの石橋清二が部員を集め、内柴と鈴木を紹介した。
 世田谷は、日本の柔道界にとって“牙城”である。
 区内にある国士舘高校、世田谷学園の柔道部から、7人の五輪金メダリストが生まれた。町には道場も多く、つねに乱取りの音が聞こえる。
 石橋は二人にとって、国士舘の先輩だった。全国選手権で初制覇した時の主将である。稽古を見てほしいという先輩の頼みは断れない。
 石橋から「ちょっと、もんでやってくれ」と連絡を受け、軽い気持ちで創大柔道部員の襟をつかんだ。
 ところが二人は驚いた。何度、畳に打ち付けても、この柔道部員たちは立ち向かってくる。
 いい根性をしているな。いつしか内柴も鈴木も汗だくになり、肩で息をしていた。
 休憩時間になった。
 部員たちが屈託のない笑顔を浮かべ、口々に語る。
 「創立者である池田先生の恩に、勝ってお応えしたいんです!」
 道場に掲げられた額は、創立者のものだった。身体と心は一体不二であることを教える言葉だった。
 師弟。報恩。求道心。精神力──。
 柔道王国・世田谷の青畳の上でも、最近、薄らいでいる点だった。
 二人は心を打たれた。「素晴らしい。師弟の道がある。必ず強くなる」
 創大柔道部の女子チームが日本一になるのは、その3年後である。

牛田宅の部隊長会
 玉電(東急玉川線)の渋谷駅で切符を買って、青年部の池田大作室長は電車に乗りこんだ。
 チン、チン。車掌がひもを引き、発車オーライの合図を出す。路面電車が、ゆっくり動き出した。
 1954年(昭和29年)の夏である。当時の運賃は10円だった。電車は道玄坂から玉川通り(国道246号線)に入る。まだ頭上を覆う高速道路はない。道の幅も広々としていた。
 池田室長は三宿の停留所で下車した。
 太子堂の細い路地を抜け、10分ほどで病院裏にあるアパートに着いた。
 牛田寛の家である。ここで毎月、学会男子部の部隊長会が開かれていた。
 牛田は51年(昭和26年)に、学会の初代の男子部長になった。都立大学で量子力学を教える学究であった。
 入会は池田室長と同じころで、戸田門下の兄弟と言えるほど仲がよかった。
 牛田宅の部隊長会には、いつも室長は一番乗りだった。
 「お世話になります」と、家人にあいさつを済ませると、玄関前に立つ。仕事を終えて急ぎ足で駆けてくる一人一人に、ねぎらいの声を掛けていく。
 午後7時になった。
 4畳半の仏間には15人ほどが、ギュウギュウに詰めている。その中央に室長と牛田がいた。
 牛田は理論家である。成果の上がらない悩みに対し、理路整然と教える。「いいかい、わかったかい」と、さとすような口調が常たった。
 一方、室長は広布の情熱を打ち込んだ。
 「戸田先生は折伏の師匠です。戸田先生に呼吸を合わせれば、必ず達成できます!」
 世田谷のアパートの一室から、75万世帯達成へのエンジンが、大きくうなりを上げていった。
        ◇
 60年(昭和35年)5月3日、池田第三代会長が誕生する。300万世帯達成の目標が掲げられた。
 牛田は「新会長の一兵卒となって力の限り戦い抜きます」と誓う。
 池田会長は、会員数を掌握する統監部の部長に牛田を就けた。
 2年半後の62年(昭和37年)11月下旬の夜である。
 あの冷静沈着な牛田が、珍しく息を弾ませて聖教新聞社の一室に飛び込んできた。
 「池田先生、ついに達成しました。学会は300万世帯になりました!」
 打ち合わせ中の池田会長が顔を上げ、目を光らせた。
 「そうか!」
 戸田会長は75万世帯を達成した。
 池田会長は300万世帯を成し遂げた。
 創価の第二代、第三代会長の誓願達成に、世田谷の牛田は尽くしぬいた。

私なら10倍になる
 せいろで蒸した餅米が、臼の中から白い湯気を上げている。杵をもった男が丁寧に練り、ころ合いを見て、つき始めた。
 81年(昭和56年)12月27日、赤堤にある世田谷文化会館で「餅つき大会」が始まった。昼過ぎ、名誉会長が車で会館に現れると、歓声が上がった。
 「一緒に、写真を撮りましょう」
 名誉会長は、できたての餅をほおばる一人一人に声を掛けては、カメラに納まっていく。撮影後、3階の一室へ入った。そこには世田谷区の幹部が並んでいた。
 成城の文化人宅、下高井戸の日大グラウンド、奥沢の座談会、桜丘の東京農業大学での記念撮影会、砧にある東宝撮影所……。
 名誉会長は世田谷の地をくまなく駆け、会員の人情や気質を知悉していた。
 「私が指揮を執れば、世田谷を10倍にできる」
 こんな指導を残した。
 「釣り鐘を揺り動かそうとするとき、どうすればいいか知っているかい」
 指一本で釣り鐘を動かした寓話を示した。
 「みんなは、釣り鐘の上の根本を力任せに押そうとしている。だから動かない。広がった下の部分をポンと突く。粘り強く押し続ければいい。それで波動は起きる」
 急所を突け──最前線の会員を力づければ、10倍の勢いが出る。そのことを教えたのである。
        ◇
 会館2階の大広間では、役員が餅つき大会の後片づけを始めていた。
 坂巻一徳は、脚立の上に乗って、高く張り出されていた横断幕の撤去にかかった。
 ガラガラガラ……。横断幕の下の扉が開いた。坂巻には顔が見えない。
 「危ないですよ」と呼びかけようとすると、響くような声が返ってきた。「ありがとう! おかげさまで、大成功だったよ」
 横断幕をくぐって、名誉会長が顔を出した。あまりの緊張に坂巻は脚立の上で固まっている。名誉会長は見上げながら言った。
 「陰徳あれば陽報ありだ。陰で戦う人を守ってあげられる人になりなさい」

「玉川」の揮毫
 「これから、池田先生がいらっしゃいますので」
 先発の役員が息を切らして等々力の玉川会館に駆け込んできた。82年(昭和57年)11月8日の午前11時である。
 玉川地域は、第1次宗門事件で苦しみ、悔しい思いをしてきた。
 会館を清掃する「守る会」委員長の船橋京子は、大あわてで出迎えの態勢を整えた。名誉会長は会館に入るなり、次々と激励の手を打っていく。そばの人に「硯と墨を」と伝えた。
 船橋は、いつ来館してもいいようにと用意されていた一式を抱え、急ぎ足で持っていった。
 名誉会長は腕まくりをし、サッと揮毫を認めた。
 「玉川桜」「玉川山」「玉川光」……。あっという間に、揮毫は30枚におよんだ。
 終了後、役員の一人が、名誉会長が書き終えた筆を持ち上げると、筆の胴体から毛の部分がポロッと落ちた。
 「こんなにも、強く書いてくださっていたんだ。命を削るとは、こういうことなんだ」
 玉川の攻勢が始まったのである。

富士を仰いで
 「こうした記念室も、すべて戸田先生がおっしゃった構想なんだ」
 名誉会長は、改装された世田谷文化会館の恩師記念室で、牧口会長、戸田会長の写真を見つめていた。第三代会長を辞任して間もない79年(昭和54年)10月17日のことである。
 名誉会長は静かに語った。
 「太陽も沈む時があるんだよ。皆、さびしいだろうな」
 「行き詰まったら、歴代の会長の精神を思い、戦っていくんだ」
 2階には、婦人部の「新世紀合唱団」がいた。
 「今日も元気で」のメロディーが流れている。「先生、先生」と声を上げ、師匠と苦楽を共にしていく、朗らかな前進の歌である。
 名誉会長は、じっと耳を澄ます。「一番、婦人部の心を感じる。いい曲だ」
        ◇
 同日、世田谷文化会館を出た名誉会長は、国道246号線沿いの喫茶店に向かった。
 駒沢の会員が経営する店である。地元メンバーが詰めかけていた。
 溝口佳子は名誉会長に、また会館に訪問してもらえるように、お願いした。
 名誉会長は、何か忘れていないかというような口調になった。
 「歌があるじゃないか」
 溝口は、はっとした。前年に世田谷の歌「地涌の旗」が生まれている。
 名誉会長は、きっぱりと言った。「世田谷は、あの歌を歌っていきなさい!」
 「地涌の旗」は、東京各区の愛唱歌のなかでも、名誉会長自身が作詞した数少ない歌である。

 ♪おお共に見よ
    あの富士を
  悠久厳たり わが心
  世田谷山も 厳たりき
  嵐に勝利の この我は

 世田谷は師とともに!
 いざ、勝利の峰へ!
2009-05-15 : あの日あの時 :
Pagetop

5・3記念代表者会議 ⑤

5・3記念代表者会議 ⑤
         (2009.5.3 東京牧口記念会館)

民衆に力を! 民衆を強く賢く!

キング博士
今、必要なのは団結


不屈のユゴー
「歓喜は苦悩の大木の果実だ」


 一、正義の人には、嵐が起こる。しかし、心は晴れやかだ。
 フランスの文豪ユゴーは、権力者を糾弾し、亡命を余儀なくされた。信念の論陣を張った息子たちも、相次いで投獄された。
 追放された年の暮れ、ユゴーは妻への手紙に、こう記した。
 「私達にとって苦難の年であった今年も、今日で終わりだ。二人の息子は牢獄にいるし、私は流刑の身だ。
 辛かったけど、しかし、よかったよ。
 少し霜が降ったほうが収穫もよくなるものだ。なぜなら歓喜は、苦悩の大木に実る果実だよ」
 この気概!
 この確信!
 この不屈の心で、ユゴーは生き抜いた。
 亡命は19年にも及んだ。49歳から68歳までの間、一度も祖国に帰ることはなかった。
 振り返れば、創価の師弟も、権力の悪と戦い、正義を貫いた。私自身、無実の罪で牢に人れられ、法廷でも闘い抜いた。
 「勝負は裁判だ。裁判長は、必ずわかるはずだ」──戸田先生が遺言された通り、私は無罪を勝ち取った。
 歴史上、多くの正義の闘士が迫害されてきた。それを思えば、今は恵まれている。環境に甘えて、いい気になったら、とんでもないことだ。革命児の気概を、絶対に失ってはならない。
 亡命先でなお、創造の炎を燃え上がらせたユゴーのごとく、不屈の師弟の勝利の劇を、晴れ晴れと綴ってまいりたい(大拍手)。

真の人間になれ
 一、現在、私は、キング博士の盟友としてアメリカの公民権運動をともに闘った、著名な歴史学者のビンセント・ハーディング博士と対談を進めている。
 キング博士の思い出や秘話をはじめ、幅広いテーマで語り合っていく予定である。
 博士は、語らいのなかで、社会に貢献する人間のあり方について述べておられた。
 「私たちは、人間に生まれたというだけで、真の人間になれるわけではありません。人間となることを目指し続けてこそ、真の人間となれるのです。
 そのために大切なのは、人のために貢献し続けることなのです」と。まさに、その通りである。
 世界の中で生きる自分を見つめ、行動しながら思索し、思索しながら行動するのだ。
 スペインの哲学者オルテガは、「人間の運命は、まずもって行動である」と述べている(佐々木孝、A・マタイス訳『オルテガ著作集5』白水社)
 人々の幸福を願い、貢献しゆく創価の人生は、最も崇高な実像がある。人間として最高に満足で、充実した人生の正道なのである。

仏法の真髄は「人の振舞」

原点に立ち返れ
 一、ハーディング博士は、とりわけ、宗教の重要性を強調しておられた。
 宗教のあり方について、次のようにも述べられている。
 「私たちが、宗教を正しく実践するためには、常に、その原点に立ち返ることが不可欠です」と。そして、その原点とは、「始祖の振る舞い」にあるとおっしゃっていた。
 私たちにとって、根源の始祖とは、日蓮大聖人であり、師子王のその御姿こそ、永遠の原点である。
 また大聖人は「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(御書1174㌻)と仰せである。宗教の真の価値──それは、人間の行動によって輝きわたるのである。
 さらに博士は、こうも語っておられた。
 「信仰は、人と人の間、社会の中にこそ、伝えられていくものです。そして、その信仰が、果たして、人間の中で、また社会の中で、力を発揮しているかどうかを、私たちは常に問いかけていく勇気を持たなければなりません」
 全くその通りだ。
 宗教は、人間の幸福のためにある。
 ゆえに、その宗教をもつことが、人間を強くするのか、弱くするのか、善くするのか悪くするのか、さらには、賢くするのか愚かにするのかを、検証していかねばならないであろう。
 〈博士は、こうも述べている。
 「池田SGI会長は、私たちに、一切の差異を乗り越え、平和と共感は築けるのだ、ということを身をもって示してくださっております。そのSGI会長の指導力によって、創価学会は堅固な砦を築かれました。しかしその砦は、他を寄せつけない“孤塁”ではなく、世界へと平和を広げていく“跳躍台”なのだ、との感銘を深くしております」「SGIのような正義と真実のために戦う、世界の人々の善意を今こそ結集すべきです」〉
 ここで、キング博士の不滅の言葉を、わが友に贈りたい。
 「われわれはすべての行動において団結しなければならない」
 「いま最も必要なことは団結です。もしわれわれが団結するならば、われわれは単に望んでいるものだけでなく、正当に受けるべきものをも多く獲得することができます」(ともにクレイボーン・カーソン編、梶原寿訳『マーティン・ルーサー・キング自伝』日本基督教団出版局)

日興上人は師子吼 虚栄の五老僧は転落

勇者は、必ず敵に打ち勝つ」
 一、「師弟不二」の道は、あまりにも峻厳である。
 日蓮大聖人が御入滅された弘安5年(1282年)のその時、日興上人は数えで37歳。
 それから、実に50年以上にわたって、日興上人は、後継の広宣流布の指揮を執り続けていかれた。
 ただ一人、師匠の正義を、護って護って護り抜かれた生涯であられた。
 本来であれば、大聖人が「本弟子」として定められた「六老僧」の仲間が、日興上人を支え、お護りしなければならなかった。
 しかし、彼らは「本弟子」の座から転落していった。人間の心はわからない。
 彼らは、権力に屈して「天台沙門(天台の一門)」と名乗って、天台宗の祈祷を行ってしまったのである。
 そこには、「日蓮が如く」との魂は、全く感じられなかった。
 その重大な違背は、一つには、弘安8年(1285年)──大聖人の滅後、わずか4年目のことであった。
 日興上人は、そうした実態を、後にこう記されている。
 「日蓮大聖人の御弟子六人の中で、五人は一同に、大聖人の御名前を改めて天台の弟子と号し、自らの住坊を破却されようとする時、天台宗を行じて祈祷をするという申状を捧げることによって、破却の難を免れたのである」
 難を逃れるために、「日蓮大聖人の弟子」との誇りある名乗りを捨て去ったのである。
 その濁流に抗して、日興上人は、決然と、一人立たれた。
 ただただ、師匠の戦われた如くに戦う。それが日興上人の心情であられた。
 日興上人の諫暁の書である「申状」を開いても、大聖人の御諫暁と全く変わらない。
 例えば、大聖人滅後8年目にあたる正応2年(1289年)には、武家への申状を認められている。
 大聖人の滅後の世相は、3度目の蒙古襲来におびえ、国内は乱れ、世情も不安定であった。
 日興上人は、“今の状況は、全く師匠である日蓮大聖人が予言れた「立正安国論」の通りではないか。本来であれば、国を挙げて、わが師匠である日蓮大聖人を賞すべきではないか”と叫ばれたのである。〈「今国体を見るに併せて彼の勘文に符合す争か之を賞せられざらんや」〉
 この堂々たる師子吼こそが、弟子の実践の真髄である。
 どこまでも、どこまでも、命を賭して、師匠を宣揚せんとの魂が脈打っておられる。
 「日蓮聖人の弟子日興重ねて申す」──日興上人は、威風も堂々と、「私は日蓮大聖人の弟子である」との一点から諫暁を重ねておられた。
 “伝教大師が弘めた法華経は迹門であり、先師・大聖人の弘めた法華経は本門である”と、師匠の正法正義を、一点の曇りもなく、訴え抜いていかれたのである。
 「天台沙門」などと名乗る五老僧との相違は、あまりにも明らかであった。
 たとえ師が偉大であっても、その精神を継ぐ真正の弟子がいなけれは、結局、何も残らない。
 半世紀にわたって、大聖人と同じ心で戦い抜かれた日興上人の大闘争のゆえに、「師弟不二の大道」が万年の未来へ厳然と開かれたのである。
 この大聖人と日興上人に連なる、創価の三代の師弟もまた、師の偉大さ、師の正義を、叫んで叫んで叫び抜いてきた。
 ここに、創価の永遠の栄光があることを知らねばならない。
 中央アジア・カザフ民族の英知の格言に、こうあった。
 「勇者は、必ず敵に打ち勝つ」
 大聖人の烈々たる御確信にも通じる言葉だ。
 臆病は悪である。
 恐れなく、勇気をもって戦おう!〈「ハイ!」と返事が〉

勝利へ心を合わせよ
時を逃さず打って出よ 自分が太陽と輝け


人材の城を築け
 一、「関八州がしっかりしてあれば、日本国は安泰であろう」とは、山岡荘八氏の小説『徳川家康』(講談社)の一節である。
 氏は、私が戸田先生のもとで編集長を務めた少年誌『少年日本』にも原稿を執筆してくださった。世田谷区若林の自宅へうかがったことを思い出す。
 当時、同じ世田谷の詩人・西條八十氏の成城のお宅にも足を運んだことが懐かしい。
 ともあれ、本陣である東京、関東、東海道、信越──拡大首都圏が一体となって盤石であることこそ、広宣流布の前進の要だ。
 そしてまた、山岡荘八氏の小説には、「新しい時代は若者で創《はじ》めるがよい」とあった(『柳生宗矩』講談社)
 私も青年に、新しい創価の勝利の時代を託したい。
 さらに氏は、「隙を作るな、隙こそ破れの基《もとい》と知れ」「人と人との砦をしっかり固めてねかねばならぬ」(同)とも綴っている。
 人材こそ城である。同志の絆こそ大城である。わが地域をがっちりと固め、全国の同志のスクラムを一段と強めていくことだ。
 一、城といえば、江戸城は、「近世築城法の始祖」と仰がれた武将・太田道灌(資長《すけなが》)が中心となって築かれたとされる。
 地勢を生かした江戸城は、攻守ともに優れていたという。
 たとえ敵に攻められても、二重、三重の守りで防ぎ、反撃に転じられる備えがあったと推定されている。
 ただし道灌は、守城の戦いはしなかった。むしろ、打って出た。
 攻撃精神、反撃精神ありてこそ、城は難攻不落となる。
 戦野を駆ける道灌の騎馬像が、懐かしき東京・荒川区の日暮里駅前に立っている。
 関八州を舞台として走りに走り、戦って戦って戦い抜いた。30回以上の合戦に、勝って勝って勝ちまくった。
 その常勝の強さは、どこからきたのか。
 さまざまな点から研究されている。
 自らが先頭に立ち、各地の戦乱を治めた道灌は、名将中の名将と讃えられた。
 多くの場合、要の江戸城は信頼する者に託し、将たる自分は、最も困難な最前線に飛び込んで戦った。
 広宣流布の方程式も同じである。
 その通りに、三代の師弟が先頭に立って戦い抜いたからこそ、今日の勝利があることを、確信をもって申し上げておきたい。
 戸田先生は常々、中心者が大事であると言明されていた。
 そして、「三代で決まる。三代が大事だ」「第三代会長を守れば、広宣流布は必ずできる」と語られた。戸田先生の遺言である。
 その言葉のままに、私は、同志とともに、完璧なる世界広布の基盤を築き上げたのである(大拍手)。
 一、道灌の強さの秘訣は、電光石火のスピードにもあった。
 時を待ち、機が熟したと見るや、たたみかけるように攻めて攻め抜いた。鍛えに鍛えた精鋭の勢いある機動力が、戦を決した。
 そして道灌は「最前線の心を知る」名将でもあった。絶妙な言葉をもって、最前線の味方を激励し、勇気と力を引き出すことができたと伝えられている。
 いずれも、勝利に不可欠の要件といってよい。〈太田道灌については編集部でまとめる際、前島康彦著『太田道灌』太田道灌公事績顕彰会、勝守すみ著『太田道灌』人物往来社、小泉功著『太田道真と道灌』幹書房等を参照した〉

わが激戦の心に勝利の青空を!
 一、結びに、童話王アンデルセンの言葉を重ねて贈りたい。
 「自分の値打ちがわかっていれば、どんな嵐にもめげずに胸を張っていられるんだよ」(デンマーク王立国語国文学会編集・鈴木徹郎訳『アンデルセン小説・紀行文学全集1』東京書籍)
 わが同志は、偉大なる妙法のために行動する、世界第一の尊き方々である。その最高の誇りをもって、強気で戦い抜くことだ。
 さらに──
 「精神の富には祝福が宿っており、人に分かち与えることができればできるほど豊かなものに膨らんでゆく」(『同全集9』)
 喜びや感動を友に語れば語るほど、わが精神も豊かになる。生命が不滅の福運に包まれることは間違いない。
 そして──
 「信仰の清らかな光は太陽のようなものだ。暗黒の日々を経て、ついには暗闇を突き破って輝き、そのとき暗雲は消え去ってしまうんだ!」(同)
 太陽の仏法は、無敵の兵法である。
 苦難の闇、邪悪の暗黒を打ち破れないわけがない。
 敬愛する同志の皆様に、和歌を贈りたい。

 天も晴れ
  心も躍る
   創価の日
  元初の誓いは
   いやまし光りぬ


 わが友が
  嵐を越えて
   むかえたる
  五月三日の
    晴れの姿よ


 勝ちにけり
  断固と我らは
   勝ちにけり
  万歳 叫ばむ
    仏の生命で

 わが激戦の心に「5月の勝利の青空」を晴れ晴れと広げ、一段と全同志が健康の生命を輝かせてまいりたい。
 そして明年、創立80周年の「5月3日」へ向かって、朗らかに、勇気凛々と、異体同心の大前進を決意し合って、記念のスピーチとしたい。
 また、元気にお会いしよう!(大拍手)
2009-05-13 : スピーチ・メッセージ等 :
Pagetop

若き指導者は勝った

若き指導者は勝った 池田大作──その行動と軌跡
  聖教新聞社編集局編 聖教新聞社 2009.5.3刊 \500(税込)

日本正学館
昭和24年1月3日──ドラマは60年前、恩師の会社に初めて出勤した日から始まった
 池田青年の10年
 橋本忍のインタビュー
 神田の街角で
 名編集者の才能
日本の少年よ、世界の少年よ一人ももれなく明朗であれ、勇敢であれ 天使の如くあれ
 手塚治虫の回想
 悠然たる恩師
恩師を守るため あえて茨の道を選んだ 戸田大学の個人教授があって世界からの栄冠がある
 畑ちがいの仕事で
 激浪の日々
 
第2代会長
わかりました 戸田先生に 必ず会長になっていただきます
私が全力で戦い、守ります
 理事長を辞任する
 3点の闘争目標
「どこまでも 師弟の道をゆけ!」一人の青年が声をあげ 学会は救われた
 矢島周平という男
 百人町からの反転
恩師と二人で創価大学の構想を練った
「必ずつくります世界一の大学にします」
 学生街の食堂で
 恩師と大楠公
市ヶ谷の分室で恩師は面接指導した
一対一の対話があるから学会は強い
 第2代会長が誕生
 「信頼を売る」
 
水滸会
人材だ! 全ては人で決まる 青年を見つけ育てた分だけ広宣流布は進む
 ある日の学会本部
 宋江と黒旋風李逵
 青年たちに語られた戸田会長の構想は
世界的な事業となって花開いた
 戸田思想の源流
 公明選挙をやれ
「今に世界の指導者がやってくるぞ」
周恩来やネルーと語り合う時代を恩師は見つめた
 忙しくすれば人材が出る
 エリート主義の打破
 宗門は組織が老いている
学会が伸びたのは組織が若く新しいからだ
 全体観に立て
 君らは一流から学ベ
覚えておきなさい すべては三代目で決まる
第三代の会長は この中から出るのだ
 池田部隊長の一日
 檜舞台へ立つ
 
大阪の戦い
なぜ関西は強いのか──
池田室長と戦った昭和31年の金字塔にその原点がある
 常勝の源流へ
 初めての講義
私は戸田先生に代わって御書講義をしている
師が見ていると思って全力でのぞみなさい
 きれいに使われた御書
 心をつかむユーモア
関西で立ち上がれ! あらゆる企業・団体もしのぎを削った 学会が躍進する急所だった
 世界へ通じる大拠点
 夜行列車で大阪駅へ
団結あるところ勝利あり! 池田室長を先頭に関西の快進撃が始まった
 ジュース工場の拠点
 港区築港
 嵐に負けない水の信心
きょうは これで 24ヵ所目だ 関西の友がいるところどこまでも走った
 鬼神も泣かむ闘争
 戸田会長の応援
池田先生に育てられた大恩を永遠に忘れない これが常勝の原点となった
 仕事と生活に勝て
 まさかが実現
2009-05-12 : 池田大作理解のために :
Pagetop

5・3記念代表者会議 ④

5・3記念代表者会議 ④
         (2009.5.3 東京牧口記念会館)

最激戦地へ! 壁を破れ!

今日の一歩が常勝の礎に
共に「価値ある人生」を


 一、5月3日は、アメリカ創価大学の開学記念日でもある。
 〈2001年の5月3日に開学〉
 この5月2日には、地元のオレンジ郡、アリソビエホ市の名士の方々、近隣の方々も大勢、集われて、インターナショナル・フェスティバルが明るく、にぎやかに行われた。堂々たる「講堂」「新・教室棟」の建設も進んでいる。
 また、創価大学では、2011年の開学40周年を目指して、希望の建設の槌音が力強く響いている。創立の精神のもと、心一つに前進している。
 この春には、新たな玄関口として「創大門」「創大シルクロード」が、そして「総合体育館」が、壮麗に完成した。
 さらに「大教室棟」「タゴール広場」「新総合教育棟」と、人間教育の最高学府としての環境が、一段と整備されていく予定である(大拍手)。
 学生の進路、就職を応援するキャリアセンターも充実してきた。
 通信教育部の大発展にも注目が集まっている。
 創価同窓の友は、一人一人が私の宝の中の宝である。
 すべての関係者の皆様方に、深く感謝するとともに、今後も、ありとあらゆる機会を通して、心からの激励を贈っていくつもりである。

教育者ゲーテ
 一、思えば、ドイツの文豪ゲーテも、ワイマールにおける教育・文化の指導者として力を発揮している。
 自ら発展させてきたイェーナ大学に、充実した施設をつくるため、心を尽くしていった。とともに、教授の陣容にも心を砕いた。
 「たいせつなのは、主として、教師なのだ」(ビーダーマン編、菊池栄一訳『ゲーテ対話録Ⅱ』白水社)と彼は強調している。
 教育は、教育者で決まる。ゲーテ自身も、教育者として学生を激励していった。
 ある時、ゲーテは、体操着を着たまま体操場から出てきたイェーナ大学の学生に、こう語りかけている。
 「私は体操というものを重視している、それは若い身体を強壮新鮮にするだけでなく、たましいと特に勇気と力を与えて軟弱を防ぐ」(同)と。
 そしてその学生に、親のことや、何を学んでいるかについて語りかけ、握手を交わし、「ご勉強に最善の成功を!」と励ました。
 ゲーテは、大学に、もっと幅広い分野の活発な講座をつくるためにも奔走した。
 ある時、ゲーテは知人に「学問のなかには、なんというすばらしい世界がひらけていることだろう」(同)と語っている。
 学問の喜びを、真剣な探究が開く素晴らしい世界を、青年に伝えたい。思う存分、若い精神を耕し、学びの青春を謳歌してもらいたい。これがゲーテの願いであったにちがいない。私も同じである。

傲慢を許すな
 一、その一方で、ゲーテは述べた。
 「何か意味深いものがあらわれると、すぐそれに対立して、反対が起るのだ」(ビーダーマン編、国松孝二訳『ゲーテ対話録Ⅲ』白水社)
 彼が大学の発展のために努力すると、抵抗する教授も出てきた。
 ゲーテは、大学を改善するために知恵をしぼり、戦っている。
 教師が進歩しなければ、大学が頽廃する。そう見抜き、行動するゲーテであった。
 経済学の父アダム・スミスも、大学のために尽くした一人であった。私が名誉博士号を拝受した、英国の名門グラスゴー大学の総長を務めている。
 アダム・スミスは、大学を貶め、大学の腐敗の原因となる教員の悪を許さなかった。
 彼と親しかったある教授が、自分勝手に振る舞い、大学の決定を守らないことがあった。大学が傲慢なその教授を辞任させた時、アダム・スミスは大学の側に立っている。
 スミスは、“教授陣に自律する心がなければ、外部から不当な介入を招いてしまい、大学の自治を守れない”と考えていた。〈浜林正夫・鈴木亮著『アダム・スミス』清水書院を参照〉
 「貴大学の有益な一員になることを、私の一番の努力目標にいたします」(I・S・ロス著、篠原久・只腰親和・松原慶子訳『アダム・スミス伝』シュプリンガー・フェアラーク東京)──これが、母校グラスゴー大学の教員としての、アダム・スミスの誓いであった。

激しい変化=現代は「智慧の戦い」
モンテーニュ
目的なき精神は自分を失う


師弟の魂を胸に
 一、人間の世界には、感情もある。利害もある。厳しき宿命も襲いかかる。
 しかし、日々、突き当たる今の試練を乗り越えるなかにこそ、常勝の幸福のスクラムが堂々と築かれるのだ。
 わが使命を、誓いを、原点を、忘れない人は強い。屈しない。
 16世紀フランスの思想家モンテーニュは綴っている。
 「確固たる目的をもたない精神は自分を失う」(原二郎訳『エセー』岩波文庫)と。
 人間が、野蛮な動物としてではなく、人間らしく生きるためには、何らかの目的が必要である。
 一人一人が、わが人生の目的を見出すために、真の教育があるのだ。
 牧口先生も、戸田先生も、偉大な教育者だった。
 大いなる理想へ進む戸田先生に仕えた私には、いわゆる華やかな青春時代はなかった。しかし、苦境のなか、誉れの「戸田大学」に学んだ。きょうまで真っ直ぐに生きて、師弟の魂を護り、宣揚してきた。ゆえに、何の悔いもない。
 一、3月16日、私は創価学園で、南米の名門ボリビア・アキーノ大学から、名誉博士号を拝受した。
 同大学のサアベドラ総長は、学生に対してこう強調されている。
 「他者に貢献するという思想のもとに、自分自身の人生を展望していただきたい」
 「時代の変革がスピードアップした社会にあって、常に新たな知識を吸収すべきです」
 変化の激しい現代社会は、“智慧の戦いの場である。
 すばやく学び、価値を創造できる智慧のある者が勝つ。
 青年時代は、その基盤をつくる大切な時期である。
 私は、混迷する社会に大きく貢献する、英知の人材を育てたい。
 激動の社会で厳然と勝利していく、進取の気性を持つ、強いリーダーを送り出したい。

「心の宝」「知性の宝」を磨け

「心の中の宝は奪えない」
 一、総長は高名な地質学者でもあられる。ボリビアの大地に秘められた、豊かな「宝」の資源の開発に貢献されてきた。
 今から200年前の英国──「地質学の父」ウィリアム・スミスは、14年もの歳月をかけ、何万㌔もの距離を歩いて調査し、「イングランドとウェールズの完全な地質図」を、初めてつくりあげた。調べた土地の広さは、実に10万平方㌔を超える。まさに偉業であった。
 ところが、身分の高いエセ学者が、スミスの業績を乗っ取ったのである。
 スミスの人生は嫉妬の迫害、苦難の連続であった。しかし、歴史は、彼の研究の正しさを証明した。
 「地質学の父」は、ある時、毅然と綴っている。「コレクションは失われ、本や資料は散逸し、全財産は没収された。それでも、心の中にあるものは奪えない」(サイモン・ウィンチェスター著、野中邦子訳『世界を変えた地図 ウィリアム・スミスと地質学の誕生』早川書一房)
 尊き不滅の叫びである。いかなる迫害も、心の宝を奪うことはできない。
 わが教育本部の皆さんは、一生懸命、教え子に尽くすことだ。そして、一人一人を人生の勝利者へと育ててほしい。
 若き心に、一生涯、消えることのない「心の宝」「精神の宝」「知性の宝」を鍛え上げることが、人間教育の一つの真髄であるからだ。
 また、そうやって尽くした人自身の境涯が偉大になる。その人が人生で勝つ。策や要領の人は、最後は駄目になってしまうものだ。

「自ら学ぶ力」が人生勝利の土台
 一、ボリビア・アキーノ大学の名は、13世紀ヨーロッパ最大の哲学者として有名な、トマス・アクィナスに由来し、その哲学を大学の理念として掲げておられる。
 大学の紋章には、哲学書を読むトマスの肖像が描かれている。
 トマスは指摘する。
 「教えるものは既知の事柄から未知の事柄へと進むことによって、学ぶものが自分自身で見出して知識を獲得する仕方で知識へと導くのである」(水田英実訳「知性の単一性について」、上智大学中世思想研究所編訳・監修『中世思想原典集成14』所収、平凡社)
 創価教育の創始者・牧口先生も強調された。
 「(教育は)知識の切売や注入ではない。自分の力で知識する(=知識を得る)ことの出来る方法を会得させること、知識の宝庫を開く鍵を与えることだ」
 現代は、生涯学習の時代だ。青春時代に、自ら学ぶ力を養うことが、生涯学び続け、人生を勝利していく土台となる。

卑劣な嘘で社会は衰亡
 一、さらに、トマスは述べている。
 「人間は真実なしには社会において生きることができないように、そのようにまた悦びなしにも社会において生きることはできない」(稲垣良典訳『神学大全第20冊』創文社)
 「もし或る者が嘘言によって他者を害することを意図したならば、嘘言の罪過は重大化されるのであって、これが『邪悪な』嘘言と呼ばれる」(同)
 人を貶め、傷つける悪意の嘘を打ち破り、真実を打ち立てるのが真の知性である。
 卑劣な嘘が“毒”を撒き散らし、良心を麻痺させれば、社会は衰亡する。
 真実が勝利する社会は、信頼が広がり、平和となって栄える。
 わが創価学園、創価大学を訪問してくださったサアベドラ総長は、創価の人間主義に心からの共感を寄せ、語ってくださった。
 「平和構築における最も優れた道は、まさに教育の道です。
 大学は、幅広く教育を普及し、国内外において平和のための文化を伝播させる大きな使命があります」
 まったくその通りであると、私の胸に深く響いた。真の知性の闘士を薫陶することが、大学の責務である。学術部の使命である。

悪は絶対に放置するな さあ民衆の大行進を
キング博士
「一つの不正義はあらゆる場所の正義への脅威」


立つ時は今!
 一、このたび、アメリカのアラバマ州バーミングハム市より、SGI(創価学会インタナショナル)の、人権を護る正義の闘争を讃えて、意義深き顕彰が贈られた。
 バーミングハム市といえば、公民権運動の指導者キング博士が、青年とともに戦い、歴史的な勝利を勝ち取った人権闘争の象徴の地として、あまりにも有名である。
 そのバーミングハム市の市議会が、キング博士の非暴力闘争と、創価の三代にわたる人権闘争に敬意を表し、4月16日から24日までを、「全人類のための創価の正義」慶讃期間とする、と宣言してくださったのである(大拍手)。
 顕彰状には、キング博士が同市で逮捕され、牢獄から送った、名高い手紙の一節が紹介されている。
 それは「ある場所の不正義は、あらゆる場所の正義にとっての脅威である」(梶原寿著『マーティン・L・キング』清水書院)という、強い強い信念の叫びであった。
 悪は絶対に放置してはならないことを、キング博士は誰よりも知悉していた。一つの悪を、リーダーが真剣勝負で徹底して打ち破ることが、全軍の大きな勝利につながっていくのである。
 博士は、その断固たる信念をもって、人種差別の激しいバーミングハムの街に乗り込み、闘いを開始した。
 今から46年前のことである。

全米を動かした青年たちの闘争

 一、やがてキング博士は投獄された。しかし、博士の叫びに呼応した青年たちが先頭に立ち、敢然と闘いを続けていった。
 その闘争が熾烈を極めたのが、同年の5月3日から5日にかけて行われたデモ行進であったといわれる。
 しかし、青年たちは怯まなかった。あくまでも非暴力の信念を貫いた。
 苛酷な弾圧の模様が各種メディアによって報道されると、反響は全米に広がり、やがて大きな波動となって政府をも動かしていった。
 闘争が最も厳しい場所での、庶民の一歩、一歩の前進。そして勇気ある一声、一声の叫び。民衆の行動が、巨大な不正義の壁を、ついに乗り越えていったのである。
 キング博士は語っている。
 「正義というゴールヘのステップは、どれも犠牲や苦悩や闘争がつきものである。
 つまり、献身的な個人の、疲れをいとわぬ骨折りや熱意が不可欠である」(C・S・キング編、梶原寿・石井美恵子訳『キング牧師の言葉』日本基督教団出版局)
 今、このバーミングハムの天地でも、多くのSGIの友が、平和のために、そして価値
ある人生のために、生き生きと活躍しておられる。
 地域に大きな信頼と友情の光を広げるなかで、SGIへの深い理解と共感が寄せられ、今回の輝かしい顕彰となったのである。
 世界の各地から相次いで寄せられる顕彰は、すべて、世界広布の偉大な前進の象徴であり、それぞれの地域の目覚ましい発展の証しである。
 “良き市民として、良き国民として、地域に貢献し活躍される全世界の同志の皆様方、万歳!”と、大声で、私は叫びたい(大拍手)。
2009-05-12 : スピーチ・メッセージ等 :
Pagetop

5・3記念代表者会議 ③

5・3記念代表者会議 ③
         (2009.5.3 東京牧口記念会館)

苦労の大地に勝利と幸福の花よ咲け

婦人部の皆さん、いつも本当にありがとう!
母は偉大な平和の創造者
女性は戦争廃絶への力を持つ(トインビー博士)


 一、学会発展の大きな原動力は何か。
 それは、偉大なる婦人部の皆様の活躍である。婦人部の真剣で誠実な、地道な活動の積み重ねである。
 もちろん、男性も頑張っている(笑い)。
 しかし、女性に比べると、男性は、ややもすると要領や策に走ってしまう。見栄を張り、自分のことばかり考えて、エゴに陥ってしまいがちである──こうした厳しい指摘もある。
 婦人部の皆様が、学会の大発展を支えてくださっていることは厳然たる事実だ。
 どんな権威や権力も恐れない。強き祈りと師弟を根本に、堂々と真実を叫び切っていく。悩める友を救っていく。勇気の行動で勝利を開いていく──それが創価の婦人部だ。
 女性の時代である。男性の幹部に対しても、婦人部は正しい意見は、どんどん言つていくことだ。ともに、よりよい学会をつくっていくのだ。
 これからも、私たちは“創価の太陽”である婦人部の意見を最大に尊重し、その活躍を讃えながら、朗らかに前進してまいりたい(大拍手)。

生涯 感謝と報恩の道を

200を超える“恩人”を列挙
 一、前にも申し上げたが、5月といえば、トインビー博士との対談が懐かしく思い出される。〈対談は1972年と73年の5月に行われた〉
 対談を陰で支えてくださったイギリスの同志、応援に駆けつけてくださったアメリカなどの同志の皆様方に、今もって感謝は尽きない。
 博士と私は、実に多くの点て意見が一致した。
 人間にとって「感謝の心」が、いかに重要であるか。この人生観も、深く共鳴し合った一つである。
 トインビー博士は大著『歴史の研究』を結ぶに当たり、200を超える人や書籍などに対し、丁重な「感謝のことば」を記しておられる。
 博士は、誠に義理堅い方であられた。
 その「感謝のことば」の筆頭に掲げられた恩人は、いったい誰か。
 それは、若き博士に“報恩感謝の大切さ”を教えてくれた、古代ローマの哲人皇帝マルクス・アウレリウスであった。
 この哲人皇帝が、有名な『自省録(省察録)』の第1巻に、自らが受けた「精神的恩義」を列挙していたことに、博士は深い感銘を受け、ご自身の人生の範とされたのである(「歴史の研究」刊行会訳『歴史の研究 第20巻』経済往来社。以下『歴史の研究』の引用は同書から)

利己主義者には感謝も恩もない
 一、20世紀を代表する文豪トーマス・マンは語った。
 「感謝出来る、感受性の強い性質──普通は欠陥の多い人生から可能なものを創り出すために、これ以上よいものがあり得るでしょうか」(森川俊夫訳『トーマス・マン 日記 1937─1939』紀伊國屋書店)
 「感謝の心というのはしかしながら受動的なものではなく、創造的な特質であります」(同)
 真に創造的、建設的な人は、恩を知り、感謝を知る。一方、破壊的な卑劣な輩は、恩を知らず、感謝もできない。皆様方がご存じの通りだ。
 文豪ゲーテは『ファウスト』の中で綴っている。
 「ただわが身が可愛いというのが、いつでも利己主義者の信条だ。感謝も恩義も、義務も名誉もないのだ」(大山定一訳『ゲーテ全集 第2巻』人文書院)
 「畜生すら猶 恩をほうず 何に況や大聖をや」(御書204㌻)とは、「開目抄」の一節である。
 仏法は、人間にとって一番大事な「恩」を教えている。
 法華経の重恩に報いようとしない人間を、日蓮大聖人は「不知恩の畜生」(同㌻)と厳しく断じられた。
 知恩・報恩の道を最大に重んずる仏法の世界にあって、忘恩、背恩の悪行は、あまりにも罪が深い。

トインビー博士
母のお陰で「歴史の研究」は生まれた


幼き日に聞いた物語が出発点に
 一、このいわば「精神的な師匠」に続いて、トインビー博士が深く感謝を捧げたのは、誰であったか。
 それは、「お母さん」であられた。
 母君は博士が幼い子どもの時から、いつも枕元で、イギリス史の物語を話し聞かせてくれた。
 「記憶の遡り得る限り、幼い頃から、それまでに母が私のためにしてくれたことのお蔭で、すでに私は、それ以来決して私から去ったことのない歴史に対する愛にとりつかれていた。
 もし母が幼時に、私の頭に──そしてまた胸にも──この好みを与えてくれなかったら、私は決してこの本(『歴史の研究』)を書かなかっただろうと確信する」と、博士は母君から受けた恩恵を記されているのである。
 その意味において、今、ヤング・ミセスの方々が、地域に根を張って進めておられる「読み聞かせ運動」のことをトインビー博士が聞かれたら、さぞかし手を叩いて喜んでくださったに違いないと、私の胸は躍る。
 いずれにしても、トインビー博士が「母の恩」を最重視されていたことは、誠に味わい深い。
 御聖訓には、「母の恩の深き事 大海還って浅し」(御書1527㌻)とも記されている。
 「5月3日」は、「創価学会母の日」。5月10日は「母の日」である。ここでもう一度、広布の母の皆様方に最敬礼して、感謝を捧げたい(大拍手)。
 「母を悲しませない心」「母に喜んでもらう心」──それこそが、平和を創る出発点であることを、深く深く銘記していきたいのである。

「青春桜」よ薫れ
 一、さらにトインビー博士が、「感謝のことば」の結びに、印象深く感謝を表した方がいる。
 それは、博士の研究と人生を支え続けたベロニカ夫人であった。
 博士と私の対談を、ロンドンのご自宅で、私の妻と並んで、静かに微笑みながら、最後まで見守ってくださったことは、今も私の胸から離れない、尊き光景である。
 トインビー博士は、母君や夫人はもとより、女性の存在が社会においてどれだけ大切であるかを、強く訴えてきた指導者であられた。
 私との対談のなかで、“戦争の廃絶”という「人類が近い将来に到達しなければならない目標」の一つを達成するために、「最も重要な要素」とされていたのも、「女性の美徳」であった。
 今、崩れざる平和と幸福の世界を築きゆく、広宣流布という大目標の達成にあって、最も重要な、実質的な貢献をなされているのも、健気な婦人部、女子部の皆様方である。
 ちょうど(5月3日に)東京・信濃町の創価女子会館では、女子部歌「青春桜」の歌碑の除幕式が、清々しく行われた。
 今、世界に響き渡る「青春桜」の詩が、昭和53年、第2総東京の立川文化会館で指揮を執るなかで誕生したことも、思い出深き歴史である。
 世界中の「池田華陽会」の溌剌たる連帯を、私は妻と共に、何よりもうれしく見守っている。
 それは美しい、健気な乙女たちの平和への前進だ。文化と平和の使者である、美しき瞳の“華陽会”の方々が、深い愛情と信仰をもって進みゆく尊い姿を、いつの日か人類は、そして歴史は、心から讃嘆しゆくことであろう。
 一、さて、トインビー博士が語る「感謝」は、実に、こまやかであられた。
 その対象には、博士が乳母車に乗せられていた幼少のころから、博士の心を大陸や四足獣、また詩人や画家、彫刻家、哲学者、科学者への興味で満たしてくれた施設や博物館も含まれている。
 なお、先の「大三国志展」をはじめ、東京富士美術館にも、多くの青年や少年少女が訪れてくれている。こうした展示が、未来を担う若き友の心の宝となり、糧になれば、私にとってこれ以上の喜びはない。
 また、東京富士美術館の国際性豊かな、質の高い展示の数々に対しては、世界中の方々から、喜びと感銘の声が寄せられていることも報告しておきたい(大拍手)。

活字文化を復興
 一、トインビー博士は、「原文で読むことのできない」イスラム文学や中国文学の古典を教えてくれた翻訳者にも感謝されていた。
 私は、この機会に、あらためて、「創価の鳩摩羅什」と讃えるべき、日本をはじめ、世界各国の最優秀の翻訳陣・通訳陣に心から感謝を捧げたい。
 私が、皆様の大恩を忘れることは、絶対にありません。
 皆様方の心血を注ぐ戦いあればこそ、一閻浮提の広宣流布は、たゆみなく進み、光り輝いていくのだ。
 その大功徳は、計り知れません。その功績は、何ものにも、かえがたいものであります(大拍手)。
 一、さらにトインビー博士は、常に大切にし、自身の“伴侶”としてきた「歴史地図」や、「月光に照らされた瀬戸内海」「サンフランシスコの金門橋の彼方に沈む夕日」「中国の万里の長城」の光景を見たことなど、多種多様な物事から受けた恩恵についても記しておられる。
 そして、トルストイの『戦争と平和』や、ヴィクトル・ユゴーの『九十三年』など、優れた歴史小説については、その「恩恵に感謝の意を表さなかったら、私は恩知らずになるであろう」とまで綴っておられる。
 一、活字文化の力は、まことに大きい。
 私は、この活字文化を担い立たれる方々から、真心あふれる顕彰を授与していただいている。
 先日(4月28日)も、縁深き地の立川書籍商協同組合から「活字文化に対する貢献賞」を拝受した。この席をお借りして、重ねて御礼申し上げたい。
 とともに、世界的に活字文化の衰退が憂慮されるなかで、崇高な努力を懸命に続けておられるご関係の皆様方に、心からの尊敬の念を表したい(大拍手)。

創立者への思い
 一、トインビー博士は、学問上の恩人や、研究に建設的な批判を寄せた人々に対しても感謝を語られていた。
 さらに、自身が学んだ学園(名門のパブリックスクール〈私立学校〉であるウィンチェスター校)の創立者に対し、次のような深い感謝を記されている。
 「(創立者である)ウィッカムのウィリアムは私に教育を授けてくれた」
 「(創立者は、私が)奨学生に選ばれる五百七年前に、私のためにその準備をしてくれたのである」
 「彼の死の四百八十五年後に生まれたにもかかわらず、まるで生前の彼に接するかのような熱烈な直接の個人的な感謝と愛情を感じた」
 500年の歳月を経ても、創立者と学生の間には、かくも深く強い絆が生き生きと結ばれているのである。
 私も創立者として、500年先、そして1000年先の未来にあっても、誇りと希望をもって、学生が学び集える学園、大学を築き上げたい。
 そのための総仕上げに、いよいよ力を注いでいく決心である。
 なお、トインビー博士が私との対談集の発刊に際して、誠に丁重な、心温まる序文を寄せてくださったことは、今でも忘れられない。
 〈トインビー博士はこう綴っている。
 「いまここでアーノルド・トインビーは、池田大作に感謝の意を表したい。
 本対談を行うにあたり、池田大作がのイニシアチブ(主導権)をとってくれたこと、またその後 本書の発刊にさいして諸手配をしてくれたことに対してである。
 すなわち、アーノルド・トインビーがすでに旅行を困難と感ずる年齢に達していたとき、池田大作はすすんで訪英の労をとり、わざわざ日本から会いにきてくれた。
 本対談中の彼自身の発言部分についての英訳を手配したのも、本書の全内容を書物形式に編集すべく手を尽くしてくれたのも、すべて池田大作であった。これもまた、大変な仕事であった。
 アーノルド・トインビーは、これらの諸事をその若い双肩に担ってくれた池田大作に対し、心から感謝している」〉

真心は、必ず伝わる 真剣勝負で青年を鍛えよ
未来を開く人材の大城を


「一人」を大切に
 一、きょうは、教育本部や学術部の代表の皆様も出席されている。いつも、本当にご苦労さまです
 皆様は、どこまでも生徒や学生に尽くしゆく教育者であっていただきたい。
 生徒や学生が、どれほど鋭敏な心を持っているか。彼らは教師のことをよく見ている。
 先生が、自分たちのことを本当はどう考え、どう思ってくれているのか。若い心は、そのことを鋭く察知している。表面を繕ってみても、すぐに見破られてしまう。
 大事なのは、生徒や学生の成長と幸福を本気になって祈っていくことだ。苦労をいとわず、真剣勝負で行動し、実践していくことだ。
 トーマス・マンは「労苦を知らぬ精神は根なし草、実体なきものであります」(山崎章甫・高橋重臣訳『ゲーテとトルストイ』岩波文庫)と綴った。
 苦労していく中でこそ、自分自身鍛えられていく。また一歩、大きな人間へと成長することができる。
 苦労の大地に、幸福と勝利の花は、彩り豊かに咲き薫るのである。
 ともあれ、若き友に尽くした真心は、必ず伝わる。たとえ今は結果が出なくても、将来、必ず芽を出し、花開いていく。
 そのことを深く確信し、どこまでも「一人」を大切にする人間教育の模範として、輝いていただきたい(大拍手)。
2009-05-12 : スピーチ・メッセージ等 :
Pagetop

御書と師弟 女人成仏の宝冠

池田名誉会長講義 御書と師弟 (2009.5.10付聖教新聞)

第14回 女人成仏の宝冠

創価の母に永遠の感謝
気高き境涯の「幸福博士」万歳!


御聖訓
 法華経の師子王を持つ女人は
 一切の地獄・餓鬼・畜生等の
 百獣に恐るる事なし
       (千日尼御前御返事、御書1316㌻)

 母の日に
  功徳と勝利の
      母の顔

 「母の日」にあたり、尊敬する日本中、世界中のお母さん方に心から感謝申し上げます。
 私も妻も、尊き「創価の母」に最敬礼して、健康・幸福・勝利の道を歩んでいかれるよう、一日一日、真剣に、また深く、お題目を送っております。その意味では、毎日が「母の日」と思っております。
 母は温かい。母は賢い。そして母は強い。母ありてこそ、私たちがいる。
 フランスの詩人のミュッセは「母を愛する人で、意地の悪い人は決していない」と言いました。
 「母への感謝」は人類永遠の美心《びしん》であります。
 いわんや、友のため、地域・社会のため、広宣流布のため、誰よりも真剣に、大誠実で戦ってくださっているのが、わが婦人部の皆さんであられます。
 その皆様方を、日蓮大聖人が、釈迦仏・多宝仏が、そして三世十方の仏菩薩が御照覧です。断固として守りに護り抜かないわけがありません。

佐渡の婦人を激励
 恩師・戸田城聖先生は、婦人部、女子部に対して、よく言われておりました。
 「忙しくとも、日々、御書を開いて、日蓮大聖人の師子王の教えにふれ、学びとり、行動していく女性になっていきなさい」と──。
 この戸田先生の指導のままに、きょうも御書を拝していきましょう。
 今回は、“師子王の女人”を讃えた「千日尼御前御返事」の御聖訓を拝読します。
 「法華経の師子王を持つ女人は一切の地獄・餓鬼・畜生等の百獣に恐るる事なし」 (御書1316㌻)
 妙法を持った女性は、何も恐れるものがない師子王の境涯であると、御本仏が言い切られた一節です。
 本抄は弘安元年(1278年)の閏10月19日、日蓮大聖人が57歳の御時に、身延の地から遠く離れた佐渡の女性門下の千日尼に宛てて綴られた御手紙です。
 千日尼は、佐渡へ流罪の身となられた大聖人に、夫の阿仏房とともに真心を尽くしてお仕え申し上げた婦人です。
 弟子として師匠をお護りし、妻として夫を支え、母としてわが子に後継の信心を教えた、婦人部の鑑といえる女性でありました。
 本抄では、千日尼が御供養の品々をお届けしたことに感謝され、法華経を供養することは十方の仏菩薩を供養する功徳と同じであると述べられています。
 この御聖訓で仰せの「法華経の師子王」とは、一切衆生を仏の境涯に導く妙法のことです。
 なぜ法華経が、「師子王」の経典であるか。
 御手紙の冒頭で大聖人は、「法華経は十方三世の諸仏の御師なり」(同1315㌻)と記されております。
 「十方」(=全宇宙)、そして「三世」(=過去・現在・未来)のあらゆる仏や菩薩は、すべて「妙の一字」によって成仏することができたとも御断言です。
 それほど偉大な、最極の妙法を持つ女性は、必ず「師子王」すなわち仏に等しい境涯となる。ゆえに地獄・餓鬼・畜生等の「百獣」など、断じて恐れることはない。すべてを悠然と見下ろし、厳然と打ち破っていけるのだ!──大聖人は、こう力強く千日尼を励ましておられるのです。

「女性の勝利」の経典

 とくに、「法華経の師子王を持つ女人」と強調されている背景には、それまでの爾前権教で、女人は罪障が深く、絶対に成仏できない存在とされていたことが挙げられます。
 法華経には「女人成仏」の法理が厳然と説かれています。提婆達多品第12では、女性の代表として竜女の即身成仏の実証が示されています。女人が、その身のままで仏に成れる──これは、女性蔑視の思想を根底から覆した大宣言です。
 法華経こそ、人類を救う釈尊の精神を正しく伝えた師子王の経典です。まさに「女性の人権」「女性の尊厳」「女性の幸福」を燦然と打ち立てた「勝利の経典」なのであります。
 大聖人の御在世は、それまでの貴族による支配体制が崩れ、武士による政権に移行した時代です。大聖人は、朝廷が武家に敗北した「承久の乱」の翌年(1222年)に御聖誕になられました。
 いわば、既成の価値観が崩壊した“戦後の動乱期”に青年時代を送られたと拝されます。
 「立正安国論」に記されているように、当時は飢饉や疫病、そして大地震などの災害に相次いで襲われていた。
 どれほど多くの人々が、親を失い、夫を奪われ、子を亡くしたことでしょうか。
 いつの世も、社会の乱れに最も悩み、苦しみ、悲しむのは女性と子どもであります。大聖人御在世も、多くの女性たち、子どもたちの嘆きが巷にあふれていたに違いありません。
 大聖人は、「今の日本国の小児は魄《たましい》をうしな(失)ひ・女人は血をは(吐)く是なり」(御書1564㌻)とも記されております。
 御書からは、こうした現実を真正面から受け止められ、悲しみの淵に沈む母たち、女性たちを深く深く励まされた御心が拝されてならないのです。
 大聖人は仰せです。
 「ここに日蓮願って云く日蓮は全く悞《あやまり》なし・設い僻事なりとも日本国の一切の女人を扶けんと願《がん》せる志は・すてがたかるべし」(同1313㌻)
 一切の女性を救い、母の恩を報ずることを、大聖人は御自身の大願とされていたのです。何と深い、広大無辺な御心でしょうか。動乱や災害の絶えない末法濁世に生きる女性たちを、太陽の如く照らしゆかれる御本仏の大慈悲が胸に迫ってくるではありませんか。

命がけで師を護る
 この大聖人を命がけでお護りしたのが千日尼です。千日尼は、大聖人のおられる塚原三昧堂へ、夜中、夫の阿仏房に櫃《ひつ》を背負わせて心尽くしの食事などをお届けしました。
 流人であり、念仏をはじめ諸宗を鋭く破折される大聖人に近づけば、自分たちの身も危うくなる。事実、夫妻は住んでいた所を追われるなどの迫害も受けます。しかし、正義の大師匠をお慕いし、夫婦して外護の赤誠を貫き通したのです。
 大難の渦中にある師匠を、断じてお護りするのだ! たとえわが身を危険に晒そうとも! この勇敢な夫妻の心こそ、弟子の魂の真髄であります。なかんずく、恐れなき女性の勇気に勝るものはありません。
 以前、南米で困難な逆境の中で戦う婦人部長に、私は申し上げたことがあります。
 「一番、大変な時が、一番、深く戦える。その時に、永遠の大福運を積めるのです。これが妙法の世界です」
 そこに、正義の大いなる拡大の道も開けていくのです。
 大聖人の威風堂々たる御振る舞いに接し、やがて正法に目覚めた佐渡の人々は、次々に念仏を捨て去りました。師匠であられる大聖人のもと、老若男女が励まし合い、朗々と妙法を唱え、大興隆しゆく一門。その旭日の威光勢力を見て、諸宗の僧らは怨嫉の炎を燃え上がらせました。
 「流罪にしても、まだ勢いが衰えないのか!」
 「一体、どれほど力を持っているのか!」
 当時、佐渡の念仏僧たちが集まって「このままでは我らのほうが餓死してしまう」と嘆き、大聖人を亡き者にしようと企んでいたことが御書に留められています(920㌻)。
 正義は、勝ってこそ正義です。どんな苦難に直面しても、そこから“反転攻勢”の波を起こしていくのです。断固として、勝って勝って勝ちまくってこそ、分厚い障魔の岩盤を突き破り、広宣流布の聖業を果たすことができるのです。

「夫を御使として」
 千日尼は、師弟の道を歩み抜きました。大聖人が赦免され、身延に入られた後も、御供養を携えた阿仏房を少なくとも三度にわたって送り出しています。
 「夫の阿仏房を使として」(御書1309㌻)、「夫を御使として」(同1316㌻)とも仰せです。
 千日尼は、大聖人に一つ一つ御指南をいただきながら、さまざまな状況にある佐渡の同志を抱きかかえ、励ましておりました。
 学会の支部や地区・ブロックで、壮年部をもり立て、青年を育て伸ばし、地域広布の一切を推進してくださっている婦人部長、白ゆり長、グループ長はじめ婦人部の皆さんと二重写しになる姿であります。
 大聖人は、千日尼の変わらざる信心を、最大に賞讃なされています。
 「私の悲母が、佐渡の国に生まれ変わっているのでしょうか」(同1313㌻、通解)
 「まことに、ありがたい女人であられます。(女人成仏の姿を示した)竜女にも劣りません」(同1308㌻、通解)
 「大地よりも厚く、大海よりも深き御志でありましょう」(同1314㌻、通解)
 いざという時、本当に強いのは女性です。戸田先生も「創価の婦人部を見よ! 勇気があって恐れがない。この真《まこと》の勇者を常に鑑としていくべきだ」と言われました。
 女性には命を育む「慈悲」がある。生活に根ざした「智慧」が光り、堅実に生きる「忍耐」があり、一歩も退かぬ「信念」が燃えています。
 「母の心は常に崇高なものである」とは、フランスの大文豪デュマの叫びでした。
 世界一、宇宙一の妙法を持ち弘めゆく女性は、この社会で最高に神々しい、尊貴なる宝の方々です。「法華経の師子王」を持った女性こそ、時代・社会の最先端をゆく一人一人なのであります。

後継を立派に育成
 千日尼は、息子の藤九郎守綱も、立派な信心の後継者に祈り育てています。
 信心強盛な父母《ちちはは》の背を見た藤九郎は両親をこよなく尊敬し、大聖人門下の正道を受け継ぎました。身延の大聖人のもとを訪ねるなど、求道の信心を貫き、「此の跡をつぎて一向法華経の行者となりて」(御書1322㌻)と賞讃されています。
 千日尼は、まさに勝利の母でした。
 仏法は、「最も苦しんだ人が最も幸福になる」「最も虐げられた人が最も強く立ち上がり、晴れ晴れと人生を勝ち誇る」ための教えです。この痛快なる大逆転の潮流が、我らの広宣流布であります。
 戸田先生は言われました。
 「真剣に御本尊に祈り切っていきなさい。この簡単な勝利の原理が、皆、なかなか、わからない。これが遠いように見えても、一番、確実な早道になっていくのです」
 さらに先生は語られました。
 「日蓮大聖人のこの教えは、万人が宇宙大の生命力を発揮する教えであり、この教えによって人類は真の幸福に歓喜できるのである」
 信心を貫く女性には、不幸などない。敗北などありません。どんな苦難にも、絶対に負けてはなりません。
 「百獣に恐るる事なし」です。断じて断じて、耐えて勝つのです。悲しみの涙を、所願満足の勝利の笑顔に変えゆくのです。わが生命の凱歌を、高らかに奏でゆけ! これが大聖人の大慈悲の御心であります。

わが胸に仏菩薩が
 人生の使命の劇は千差万別です。
 病気のお子さんを慈しむ母もおられる。
 毅然と単身で活躍する女性もおられる。
 お子さんがおられず、地域の未来部をわが子の如く励ましてくださるご家庭もある。
 夫やお子さんに先立たれ、その分まで気高き歴史を創りゆく婦人もおられる。
 何があっても負けない。一人になっても明るい。その強さを持つ女性が幸福です。
 たとえ、周りの全部が敵になったとしても、信心を貫き通していく。その人こそが妙法の師子王を持った幸福の女王です。
 究極は、一人立って南無妙法蓮華経と唱え抜くことです。御本尊に向かって題目を唱えることは、それ自体が大宇宙と交流し、大宇宙を見下ろしながら、悠々と常楽我浄の旅を楽しみ切っていく大境涯なのです。
 妙法とともに生きる自分自身の生命の中には、大聖人が御一緒におられる。ありとあらゆる仏菩薩も、全部、自分の中におられる。大日天も大月天も大明星天も、わが胸にある。だから、一人であっても、少しも寂しくありません。
 わが創価の婦人部は、全員が地域・社会を温かく照らす“太陽の母”であられます。皆様が元気に勝ち栄えていかれることが、創価の勝利です。
 「広宣流布の実現は、女性の力で決まる」とは、戸田先生の結論でした。
 どうか誇りも高く、私ども夫婦と一緒に、大勢の同志とともに、広宣流布の大道を溌剌と歩んでいってください。それが創価三代の祈りであります。

平和学者
「決意に輝く皆様は世界の希望」


生命の宝器を強く
 関西の婦人部に、戸田先生は語られています。
 「学会の世界で戦えば、みな必ず功徳がある。苦労しながら、自分の生命の宝器を大きく強く豊かにして、全員が偉大な功徳を受け切っていきなさい」
 また、こう明言されました。
 「どんなに苦しくとも、三世の生命からみれば、その苦しい年月は、瞬間のようなものだよ。信心は、自分自身と一家の根本的な永遠の幸福の道である。勇気をもって歩み抜いていきなさい」
 ともあれ仏法には、健気なる母たちへの励ましが満ちあふれております。
 この千日尼の如く! はるばる佐渡を訪ねた乙御前の母の如く! 青年門下・南条時光を育てた上野尼御前の如く!
 わが婦人部の皆様も、「女性の世紀の幸福博士」として、断じて所願満足の大境涯を満喫しきっていただきたい。
 平和学者のボールディング博士は、創価の母たちをこう讃えてくださいました。
 「創価の女性のように、粘り強く平和活動に取り組み、地域社会で活躍する女性たちの存在がとても重要です。決意に輝く皆さんこそ、世界の希望の存在です!」
 皆様が、平和と正義と幸福の大花をいよいよ爛漫と咲かせゆかれることを心から願ってやみません。

 偉大なる
   母に勝れる
     ものはなし
   妙法流布の
      仏と讃えむ
2009-05-10 : 御書と師弟 :
Pagetop

台湾SGI勝利大会へのメッセージ

台湾SGI新本部「至善文化会館」落成記念の台湾SGI勝利大会へのメッセージ(2009.5.3)

 「美麗島」に希望の大城! ──台湾SGI(創価学会インタナショナル)の新本部「至善《しぜん》文化会館」が台北市に完成。落成記念の台湾SGI勝利大会が3日、同会館で晴れやかに開催された。これには池田SGI会長がメッセージを寄せ、真心から慶祝。SGI台湾訪問団(団長=池田博正SGI副会長)が出席して同志を讃えた。訪問団は2日、国父記念館(同市)を表敬。台湾芸術大学からSGI会長へ感謝状が贈られた。また同日、故宮博物院(同)を訪問した。


冬は必ず春となる
逆境を勝ち越え築いた不滅の大城


 あまりにも晴れやかな、あまりにも誇り高い新宝城の誕生、誠に誠におめでとうございます。
 これほど嬉しく、これほど尊い大勝利の祝典が、いったい、どこにあるでしょうか。
 きょうの晴れの式典を、何より胸躍る5月3日の慶事として、世界192力国・地域の同志と万雷の大拍手を送りながら、見守っております。題目を送り続けております。
 台湾の皆さま方が、他のいずこにもまして、真剣に拝読してこられた「顕仏未来記」には、「月は西より出でて東を照し日は東より出でて西を照す仏法も又以て是くの如し正像には西より東に向い末法には東より西に往く」(御書508㌻)と明言なされております。
 かくも壮麗に、かくも堂々とそびえ立った、この妙法流布の大城こそ、まさに日蓮大聖人の「未来記」の一大証明であります。
 御本仏は、どれほど、お喜びであられるか。三世十方の仏菩薩も、こぞって「善哉《よきかな》。善哉」と喝采され、讃嘆されているに違いありません。

創価の三代会長と台湾
 1960年の春、第3代会長への就任を前に、私は日記に「一日も早く、アメリカ、インド、台湾に行かねば、と思い馳せるなり」と記しました。
 台湾への溢れる思い──それは、わが永遠の師である戸田城聖先生から受け継いだ強き祈りであります。
 「大作、一緒に台湾に行きたいな。阿里山《ありさん》も見てみたいな」と、戸田先生は幾たびとなく言われました。
 さらに、それは、殉教の父・牧口常三郎先生の深き願いでもあったのであります。
 独創の地理学者であられた牧口先生は、若き日より、台湾最高峰である玉山《ぎょくさん》の威容を讃え、台湾の人々の自然との共生の英知にも、注目されていました。
 この師弟不二の心から、そしてまた「仏法西還」の甚深の方軌の上から、戸田先生は私に「大事な建築物を造るときは、必ず要所に台湾の優れた資材を使うように」と厳然と遺言されたのであります。
 弟子の私は、その通りに実行してきました。
 そして今、「世界四大博物館」の一つである、故宮博物院の正面に、このように素晴らしき「平和」と「文化」と「教育」の創価の宮殿が完成しました。
 この皆さま方の晴れ姿を、牧口先生も、戸田先生も、さぞかし会心の笑顔で見守っておられることでありましょう。

北宋の大詩人
善きことは艱難より出ずる


万人が仰ぎ見る尊き勝利の殿堂
 この荘厳なる至善文化会館は、まさに皆さまが、幾多の試練を勝ち越えて築き上げられた、尊き「勝利の大城」であります。
 1962年の8月31日、台湾支部は、風雨の激しい嵐の夜に結成されました。
 支部結成の翌年の1月27日、台北の松山《ソンサン》空港に降り立った私は、待っていてくださった同志の方々に、万感の思いを込めて御聖訓の一節を贈りました。
 「冬は必ず春となる」(同1253㌻)
 この年の4月、台湾支部に「解散命令」が出され、厳寒の苦難の冬が始まりました。それは、法華経に「猶怨嫉多し。況や滅度の後をや」と留められた通りの法難でありました。
 活動は禁止であります。御本尊、また御書、さらに学会出版物も没収されました。
 信心ゆえに、職場で解雇や左遷などの難を受けた方も、大勢おられます。
 しかし皆さま方は、絶対に負けなかった。
 「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる事を、いまだきかず法華経を信ずる人の凡夫となる事を、経文には『若有聞法者無一不成仏』ととかれて候」(御書1253㌻)
 この御文を、心肝に染め、台湾の皆さまは、烈風に胸を張って立ち向かっていかれたのであります。
 まさに試練の冬に、皆さま方は金剛不壊の信行学を鍛え上げ、磨き抜かれたといってよい。
 それは、中国の名句に「雪 青松《せいしょう》を圧せば 松さらに翠《みどり》なりて、霜 梅花を打たば 花さらに艶やかなり」と謳われる気高き不屈の姿でありました。
 台湾の同志は、あの「熱原の三烈士」の如く、そしてまた、創価の師・牧口先生、戸田先生の如く、何ものにも屈しない「不惜身命」の信心の真髄を示してくださった。
 この至善文化会館の正面に立つ故宮博物院には、北宋の大詩人・蘇東坡《そとうは》の書も所蔵されております。蘇東坡は、力強く詠いました。
 「美好《びこう》、艱難に出づ」(善きことは艱難より出ずる)と。
 この上ない艱難を勝ち越えゆく中にこそ、この上ない善(至善)が生まれ出ずる。
 これが、生命の究極の法則であります。
 そして今、万人が仰ぎ見る、この至善文化会館が堂々と完成したのであります。

至善の道雄社会貢献の道
 「至善路」に面して立つこの文化会館は、社会に開かれた信頼の殿堂であります。
 「至善」という言葉は、ご存じの通り中国文化の偉大な思想体系の柱である四書の一つ『大学』の冒頭に掲げられた、有名な綱領に由来します。
 「大学の道は、明徳を明かにするに在り、民を親《あらた》にするに在り、至善に止まるに在り」(赤塚忠著『大学 中庸』明治書院)
 ──学問修養の道の目指すところは、天から授けられた聡明な徳を明らかにすることにある。広く民を進歩させるところにある。最高至上の善に身を保つことにある。
 「至善」とは、社会を繁栄に導きゆく規範として記された言葉なのであります。
 台湾SGIの皆さまは、妙法を根本として、「我らの『至善の道』は社会貢献の道なり」と定めて、誠心誠意の行動を展開されてきました。
 昨年より、台湾各地の大学などで開催されている。“人間精神の変革展”にも、大きな反響が広がっています。
 3月から160会場で行われてきた、伝統の「地域友好文化祭」も大盛況でありました。
 先日、一会場に2万人が集われた文化祭に参加した日本の青年も、驚嘆しておりました。いな、感涙しておりました。
 台湾全土に建設された28の会館や個人会場のお宅が、社会を照らしゆく文化と友情と安穏の灯台として光り輝いていることも、よく存じ上げております。
 災害の折に、台湾SGIの友が、即座に力強い救援活動に取り組んでこられたことも、世界的に感動を広げております。
 これまで、内政部より「社会優良団体賞」に15回連続、「社会教育功労団体賞」に7度、「優良宗教団体賞」に6回連続で輝いておられます。
 各界各地の指導者の方々から、賞讃の声は枚挙にいとまがありません。
 すべて、わが同志の皆さま方が真剣に、誠実に、忍耐強く取り組んでこられた、信心と社会貢献の健気なご努力の結晶であります。
 子々孫々に伝わる栄誉であり、台湾SGIが厳然と護られ、勝ち栄えてゆく象徴なのであります。
 深い御厚情を寄せてくださった名士の方々、友人の方々にも、何かの折に、改めて、尽きせぬ感謝の心を、お伝えいただければ、幸いであります。御恩は永遠に忘れません。
 一生涯、私と妻は、仏法者として、報恩の祈りを捧げ抜いてまいります。

師弟共戦の人材の宝城
 嬉しいことに、台湾には力ある人材が、陸続と育っております。
 わが男子部、女子部、そして学生部の活躍も、素晴らしい。未来部の育成は、世界が手本と学んでおります。
 この文化会館は、「従藍而青」の原理の如く、限りなく未来に開かれた「人材の宝城」であります。
 草創期の学会活動が制限されるなかで、朱萬里《しゅまんり》名誉理事長は「文化活動」を通して、仏法の人間主義を次の世代に伝えようとされた。
 そこで結成された「口琴《こうきん》(ハーモニカ)隊」の隊長を務めてこられた青年リーダーこそ、林《リンツァオ》理事長でありました。
 私は30年前のことを、思い起こします。それは、1979年。私が会長を辞任した年の8月でありました。
 台湾においても、ようやく海外旅行が自由化されたばかりという時に、若き林理事長が、日本の長野研修道場で指揮を執る私のもとへ、勇んで駆けつけてくれたのであります。
 嵐の讒言が吹き荒れる時に、万難を排して集い来てくれた、その心が、私は何より嬉しかった。
 そしてまた、誰よりも日本に駆けつけたかったであろう朱名誉理事長が、後継の青年を押し出しておられる心も、よくわかりました。
 この「青年を大切にする精神」もまた、台湾の発展の原動力であります。
 私は、若き林理事長に語りました。
 「最も苦難に満ちた場所で、最も苦しい思いをしながら戦い抜いた人こそ真の人材です」と。
 この師弟共戦の魂は、世代から世代へ、厳然と受け継がれている。
 だからこそ台湾には、師弟正義、そして師弟勝利の真実の後継の逸材が澎湃と育っているのであります。
 「宋学の祖」と仰がれる思想家の周敦頤《しゅうとんい》先生は叫びました。
 「人は生れて蒙《くら》く、長じて師友無きときは則ち愚なり。是《か》かれば道義は師友に由って之を有し、而して貴く且つ尊きことを得《え》るなり」(西晋一郎訳)と。
 すなわち、正しい師匠と同志を得て、初めて人は道義を知り、尊貴な存在になるというのであります。
 いわんや、仏法においては、師弟なくして、正しい信心を受け継ぐことはできません。
 師弟こそ、広宣流布を永遠たらしめていく、根本であることを、改めて確認しておきたい。

「戦う行学」の伝統輝く
 台湾の人材育成において、「行学の二道」の伝統は、美事であります。
 あの1963年の「解散命令」の後、朱名誉理事長が開始されたのが、「御書の翻訳」でありました。
 自らの研鑚と同志の激励はもとより、未来の広宣流布のために、毎夜、地道に翻訳を積み重ねて、遂に、34年後の1997年に全訳を完成されました。
 さらに3年後には、使用人口15億人ともいわれる中国語圏において、初めての「御書全集」の発刊となったのであります。
 永遠に輝きわたる壮挙であります。
 そして「戦う行学」の伝統を受け継ぐ教学部員は、実に3万5000人を超える陣容となったのであります。

青年 女性が発展の原動力

「女性の世紀」の希望と輝け
 台湾は、「女性の社会進出」においても、アジアを大きくリードしてきました。
 草創期より、「台湾の母」として尽力してこられた朱林秀鳳《しゅりんしゅうほう》さん(朱名誉理事長夫人)、そして聡明な世界の模範の陳蓁蓁《ちんしんしん》婦人部長をはじめ、幾多の尊き女性の方々が、どんなに苦労を重ねて、広宣流布の道なき道を開いてこられたか。
 私の妻は、いつも涙を浮かべながら、語っております。
 さらにいま、台湾青年部を朗らかにリードする楊智雯《ようちぶん》青年部長は、「アジア初の女性青年部長」であります。
 世界広宣流布において、いやまして婦人部、女子部の活躍が重要となります。
 「乙女は、いかなるところでも美しく平和であり、皆に温かな光を与える。絶対に乙女を大事にしなければ平和の永続はない」
 これが、戸田先生の教えでありました。
 今、その通り、台湾女子部の皆様も、はつらつと、華陽のスクラムを広げておられます。
 御義口伝には「南無妙法蓮華経と唱え奉るは自身の宮殿に入るなり」(同787㌻)と仰せであります。
 どうか、わが生命の幸福の大宮殿を、心も晴れ晴れと開いていってください。

文化が行き交う「黄金の十字路」
 台湾は古来、民族と民族、文化と文化が行き交う天地でありました。国際経済の上からも、「黄金の十字路」と呼ばれております。
 この要衝にあって、皆さま方には、末法万年尽未来際まで、黄金の平和と発展の航路を開きゆかれる、あまりにも重要な大使命があります。
 3000㍍を超える山々が200以上もそびえる台湾は、今なお、毎年、隆起しています。
 発展すればするほど、成長すればするほど、厳しき烈風との戦いであります。
 しかし唐の大詩人・劉禹錫《りゅううしゃく》は「息《とま》らざるを以って体と為し、日に新たなるを以って道と為す」と詠じました。
 まさしく「進まざるは退転」であります。
 戸田先生も、常々、最高峰の山々を見つめながら、「瞬時も戦いを止《や》めないから、神々しいまでに荘厳なのだ」と語られておりました。
 わが愛する台湾の同志の皆さま!
 どうか、いよいよ朗らかに、いよいよ負けじ魂を燃やしながら、新たな前進また前進をしていってください。
 愛する台湾のわが友よ! 世界最高峰の「勝利の人材山脈」を築きゆけ! 人類最初にして、永遠に崩れぬ「平和と幸福の美麗島(フォルモサ)」を創りゆけ! と祈り叫んで、私の記念のメッセージといたします。
2009-05-09 : スピーチ・メッセージ等 :
Pagetop

5・3記念代表者会議 ②

5・3記念代表者会議 ②
         (2009.5.3 東京牧口記念会館)

恐れるな! 戦って強くなれ

師子王の心で虚偽を攻め抜け

喜びを 感激を 勇気を
広布の同志に最敬礼 勝利の伝統を今つくれ
皆に尽くし抜くのが真の指導者


 一、激動の時代にあって、わが創価学会は5月3日を、上げ潮のなかで迎えた。本当にすごいことだ。
 広宣流布のために、世界中の同志が、喜び勇んで前進している。
 こんな団体はない。偶然にできたものでは決してない。どんな試練にあっても、師弟の道を貫き通したからこそ、築かれたのだ。
 「わが人生、師匠は戸田先生お一人だ。師の大恩を、永遠に忘れない」──これが私の決心であった。
 「難こそ誉れ」「難こそ喜び」──この覚悟で生きてきた。
 どんなに偉そうな格好をしていても、苦労は人に押しつける。そんな指導者は遊んでいるのと同じだ。
 同志に尽くし抜くのが、真の指導者だ。戸田先生は、身をもって教えてくださった。
 どうしたら、皆に勇気と希望を贈れるか。
 どうしたら、皆が感激を分かち合い、喜びにあふれて、前進していけるか。
 そのために祈り、智慧を出すのである。
 会合も、いつもと同じ、通り一遍ではいけない。尊き同志に最敬礼する思いで、皆の心を鼓舞していくのだ。
 未来にわたる勝利の伝統を、今、わが地域に築いていきたい。
 一つ一つが、真剣勝負である。

「大きな崩壊は小さな原因から」
 一、有名な御聖訓には、「師子王は前三後一といって、蟻を取ろうとする時にも、また、猛々しいものを取ろうとする時も、全力で飛びかかることは、まったく同じである」(御書1124㌻、通解)と仰せである。
 どんな小さなことにも手を抜かず、油断しない。全魂を込めて勝ち抜いていく。ここに、師子王の師子王たる所以があるのだ。
 戸田先生が、まさにそうであられた。
 その先生が逝去されると、最高幹部の多くが、茫然自失していた。そのなかにあって私は、一日一日、会員のため、学会のために、峻厳なまでに責任を果たしていった。
 会員の皆さんが一歩前進していけるように、迅速に手を打つことだ。それが広布のリーダーの責務である。
 「小さな原因から、しばしば大きな崩壊が生じる」とは、レオナルド・ダ・ヴィンチの戒めである(セルジュ・ブランリ著、五十嵐見鳥訳『レオナルド・ダ・ヴィンチ』平凡社)
 私の心の奥には、常に、この厳しい言葉が響いている。

渾身の「設営」
 一、戸田先生が霊山へ旅立たれて1カ月後の昭和33年(1958年)の5月3日。思い出深き墨田区両国の旧国技館(後の日大講堂)で、第18回の春季総会が開催された。
 その前日、私は準備のために、会場へ足を運んだ。真剣に設営に当たってくださる同志を、私は心からねぎらい、励ましていった。
 会場の外に掲げる「春季総会」との大看板も、用意されていた。一つの文字が、畳2畳分もあろうかという大看板である。
 しかし、残念ながら筆勢が弱々しかった。
 恩師亡き後、学会の未来を決しゆく最重要の総会である。同志の悲しみを吹き払い、前進の気迫あふれる会合とせねばならない。私は心を鬼にして、書き直しをお願いした。
 「文字が死んでいます。この看板の文字を見た人が皆、躍動し、吸い寄せられるような思いで、明日は集っていただきたいのです。歓喜の人々の集いにしたいのです」
 担当した同志の皆さんは、即座に私の心を理解してくださった。
 そして、祈りを込めて、勢いみなぎる見事な文字の大看板に作り替えてくださった。
 私が、7年ごとの前進を期す「七つの鐘」の未来構想を発表したのは、この総会であった。希望の大光を、わが同志の胸に注ぎ、勇気の炎を点火していったのである。
 今、私の心を心として、我らの広宣流布の歴史の舞台を、一回また一回、深き一念で荘厳してくれる友がいる。親友がいる。同志がいる。
 栄光会、創匠会、鉄人会、炎の会、韋駄天グループ、虹の会、達人会、暁会、鉄拳会、正義会、城将会、創城会、王城会、徹人会、砦会、巌会など、各地の設営グループの皆様!
 さらに、男子部の白鳳会、女子部のデザイングループ、婦人部の創峯会をはじめ各種行事のデザインに携わってくださる皆様!
 こうした気高き匠の友どちに、この席をお借りして、心より私は感謝の念を捧げたい。
 いつも本当にありがとう!(大拍手)
 仏法の因果の理法に照らして、皆様の生命が生々世々、荘厳されることは、絶対に間違いありません。

詩人シラー
人間に与えるべきもので真理より大きいものはない

若き友へ
悩みや悲しみを越えて創造の翼を広げよ


 一、私がフランスの学士院で講演を行ってから、今年で20年となる。テーマは「東西における芸術と精神性」であった。〈1989年6月〉
 今もって、当時、参加された知性の方々からうれしいお便りをいただく。
 フランスといえば、19世紀の詩人にボードレールがいる。青春時代、作品を手にしたことも懐かしい。
 彼の芸術批評も鋭い。フランスの美術史家ルネ・ユイグ氏が、私との対談で触れられた。ブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁も愛読されていた。
 ボードレールは謳った。「僕は知る、苦悩こそ唯一の高貴なもの」(福永武彦編集『ボードレール全集Ⅰ』人文書院)
 詩人ゆえの苦悩──そこに彼は高貴な光を見いだす。
 また、青春は、苦悩の連続であるかもしれない。しかし、苦悩こそ創造の泉だ。 彼は、こうも語りかける。
 「広漠とした悩みと悲しみを後にして/輝かしい清朗な境地へと飛翔する/たくましい翼をもつ者は しあわせだ」(エンツォ・オルランディ編、及川馥訳『ボードレール』評論社)
 精神こそ翼だ。勝利と栄光の人生へ飛翔する大いなる翼こそ、信心にほかならない。
 わが青年部よ! 嵐を突き抜けて飛翔しゆく、たくましき翼を鍛え上げよ!──こう声を大にして訴えたい。
 若き創価の友の青春に万感の期待を託し、「友情あれ! 希望あれ! 充実あれ!」と申し上げたい。
 一、ドイツの詩人シラーは、「人間が人間に与えるべきもので、何か、真理よりももっと大きいであろうか」と力説した。大学教授に就任した時の講演である。〈新関良三訳「世界史とは何か、また何のためにこれを学ぶか」、『世界文学大系18 シラー』所収、筑摩書房〉
 私どもにとって、究極の真理とは、妙法である。
 万人を幸福に導く大法であり、最も普遍的な、人間と大宇宙を貫く根本法則である。
 最高の真理を世界に広げる。これほど誇り高い人生はない。

「天が落ちても正義を貫け!」
 一、ロシアの文豪卜ルストイは喝破した。
 「最高の正義の前では、罰を受けない悪などというものはありません」(米川正夫訳「それはお前だ」、『トルストイ全集14』所収、岩波書店、現代表記に改めた)と。
 若き日に読みふけったトルストイのこの言葉は、仏法の方程式と同じであると実感したことが、今でも私の心に残っている。
 善のため、平和のため、民衆のため──そこに正義は輝く。
 戸田先生は、「学会に敵対するならば、いかなる者であれ、大聖人が許さない」との大確信であられた。
 また、私が忘れ得ぬ出会いを結んだ、インド最高裁判所の元判事であるモハン博士の信条がある。博士は詩人としても有名である。
 その信条とは、「天が落ちることがあっても、正義は貫かなければならない」。
 仮に「天が落ちるようなことがあっても」、正義の人間は戦い抜かねばならない。そして、断固として勝たねばならないのだ。
 ともあれ、正義は勝ってこそ正義である。

大学を守り抜く
 一、イギリスの科学の巨人ニュートンは、大学に不当な権力が介入してきた時、教員として敢然と立ち上がった。
 徹底的に調査し、法律に基づいて、大学側の“正義”を、大学の人々に訴えた。
 「勇気をもって法を固守してほしい」
 「法律をわが味方と奉じ、まことの勇気をもってあたれば、すべてが守れるはずである」と。
 その信念と勇気は、皆に広がり、迫害にも屈せず、大学の自治を守り抜いたのである。〈ジェイムズ・グリック著、大貫昌子訳『ニュートンの海 万物の真理を求めて』日本放送出版協会〉

「虚言」は罪悪
 一、同じイギリスの知性である、作家オーウェルも、断固として、正義の言論の矢を放った。
 社会に流布された虚偽の報道に対し、自分の目で見てきた事実に照らして、「この話は絶対に嘘です」と断言する。
 その際、自らの信念を、こう記した。
 「言論界では中傷されている人々のために正義を求めるのです」〈塩沢由典訳「レイモンド・モーティマヘの手紙」、『オーウェル著作集I』所収、平凡社〉
 さらに、ドイツの哲学者カントは指摘する。
 虚言は「他人の権利の毀損」となる。それは、虚言を弄する者自身の「人格に対して罪を犯すこと」であり、人間を軽蔑すべきものに貶める「恥ずべき行為」である、と(白井成允・小倉貞秀訳『道徳哲学』岩波文庫)
 嘘がはびこる社会では、人権が、人間の尊厳が踏みにじられる。
 だからこそ、正義は沈黙してはいけない。
 後世の人々の希望となり、鑑となる歴史を残すためにも、断じて正義を勝ち栄えさせていくことだ。
 いわんや、広宣流布は最高の正義の拡大である。
 「創価学会は、正義の中の正義の団体である。ゆえに、絶対に勝たねばならない」
 これが、戸田先生の厳命であった。

邪悪ヘこの攻撃精神をもて!
 一、あの熱原の法難の渦中、日蓮大聖人は、日興上人をはじめ門下に仰せになられた。
 「あなた方は、恐れてはならない。いよいよ強く進んでいくならば、必ず、正しい経緯が明らかになると思います」(御書1455㌻、通解)
 この法難は、幕府の強大な権力者・平左衛門尉による大聖人門下への、狂いに狂った迫害であった。日興上人等とともに熱原の農民の弟子たちは、讒言や謀略などに一歩も退かず立ち向かって、戦い抜いた。
 大聖人は、本抄だけでなく、常に、門下たちに「少しも恐れてはならない。強く強く戦い抜け! そうすれば必ず仏になる。正邪は明らかになる」と打ち込んでいかれたのである。
 この何ものをも恐れない「師子王の心」に、寸分違わず行動されたのが、創価の父・牧口先生であり、戸田先生であられた。
 牧口先生は言われた。「戦えば戦うほど、こちらが強くなればなるほど、仏法勝負の実証は早く出てくる」
 戸田先生も、繰り返し叫ばれた。
 「折伏精神以外に信心はないと、覚悟することだ」
 「折伏の『折る』というのは、悪い心を折る。そして折伏の『伏する』ということは、善い心に伏せしめるということだ」
 さらにまた、戸田先生は、次のように徹して教えていかれた。
 「悪に対する反撃の根性を持て!」
 「信心とは、邪悪への攻撃精神である」
 この攻撃精神で戦い抜いてきたゆえに、学会は、世法や国法においても、そして仏法の上でも、正義の勝利を燦然と刻んできたのである(大拍手)。
2009-05-08 : スピーチ・メッセージ等 :
Pagetop

5・3記念代表者会議

5・3記念代表者会議 ①
         (2009.5.3 東京牧口記念会館)

千万の 同志と共に 万歳を 五月三日の 広布を祝いて

生き生きと!万物が躍動する5月
青年の心で前へ前へ!
世界が讃嘆! 我らは平和 文化 教育に貢献


 一、大波に揺れるごとく、若葉、青葉に包まれた“牧口山”を見つめながら、晴れの5月3日の記念の会議、本当におめでとう!(大拍手)
 一千万の同志の幸福を願い、祈りつつ、さまざまな議論を交わしていきたいと思う。
 代表の方々ご苦労さま!
 はじめに、3首の和歌を記念に贈りたい。

 勝ちにけり
  広布の法戦
    晴ればれと
  一千万の
   同志《とも》を見つめて

 苦楽をも
  生死も共に
    決意せる
  世界で指揮 執る
   皆に幸福《さち》あれ

 千万の
  同志と共に
   万歳を
  五月三日の
   広布を祝いて

嵐に立ち向かえ
童話王の信念
苦難は私たちの船を進める風


正義を叫べ 真実を語れ
御聖訓
「声仏事を為す」「いよいよ声を上げて」
アンデルセン
鍛えた言葉は炎の剣となる


 一、本年3月、私は皆様方を代表して、北欧の名門デンマーク・南大学から「名誉博士号」を拝受した。
 〈世界の大学・学術機関から250番目となる名誉学術称号の栄誉。現在、池田名誉会長は、「254」の名誉学術称号を受章している〉
 そのメダルには、デンマークの誇る3偉人である、大教育者グルントヴィ、哲学者キルケゴール、そして童話王アンデルセンの肖像が刻まれていた。
 ここで、アンデルセンの箴言を、いくつかご紹介したい。
 「人生という学校は人を向上させるところ以外のなにものでもありえない」(鈴木徹郎訳『アンデルセン小説・紀行文学全集9』東京書籍)
 人間として向上しゆくために信心がある。
 そして、一生成仏という究極の向上の道こそが、学会活動である。仏道修行である。
 また、アンデルセンは「苦難は私たちの船を進める風」との諺を胸に刻んでいた(鈴木徹郎訳『アンデルセン小説・紀行文学全集4』東京書籍)
 仏法の「煩悩即菩提・生死即涅槃」の法理とも響き合う。
 御書に「難が来《く》ることをもって、安楽であると心得るべきである」(750㌻、通解)と仰せのように、広宣流布も、人生も、難と戦うからこそ、偉大な前進があるのだ。
 アンデルセンは確信していた。
 「ことばは鍛えぬかれて、風を切る矢ともなれば炎の剣にもなる」(鈴木徹郎訳『アンデルセン小説・紀行文学全集6』東京書籍)
 「声仏事を為す」(御書708㌻)である。
 ともあれ、しゃべることだ。語ることだ。叫びきることだ。
 その言論の力が、邪悪を破り、正義を宣揚する宝剣となる。
 そして、アンデルセンは綴った。
 「青春の心は未来そのものである」(鈴木徹郎訳『アンデルセン小説・紀行文学全集8』東京書籍)
 わが青年部よ、創価の未来を君たちが切り開いていくのだ!
 一、英国の桂冠詩人テニスンは晴れやかに謳った。
 「吹奏せよ、太陽は五月に強くなるから。
 吹奏せよ、太陽は日ごとに力を増大するから」(清水阿や訳『全訳 王の牧歌12巻』ドルフィンプレス)
 本当に、その通りである。「5月の太陽」は、一日また一日、光を増していく。勢いに満ち満ちている。

トインビー博士からの「招待状」
 一、思えば、20世紀最高峰の歴史学者であるトインビー博士と、ロンドンのご自宅で対話を開始したのも、5月であった。
 〈1972年5月と翌73年の5月に行われた語らいは、対談集『21世紀への対話』に結実した〉
 トインビー博士から40年前にいただいた招聘のお手紙には、「こちらでは麗らかな春を迎える5月が、お越しいただくには最もよい時期かと思っています」と記されていた。
 わが創価の師弟の太陽も、「5月3日」の朝が巡り来るたびに、元初の生命の旭光を放ちながら、いや増して強く明るく勝ち昇りゆくのだ。
 一、なお、懐かしきイギリスの「タプロー・コート総合文化センターでは、先日(4月29日)、伝統の地域友好の集いが盛大に行われた。
 タプロー・コートには、1897年にタイ王国のチュラロンコン大王が長期滞在されている。大王は、私が幾度も語らいを重ねたプーミポン国王の祖父君であられる。
 そのご縁から、友好の集いには、タイ王国のワシノン駐英大使ご夫妻も出席してくださった。
 さらに、近隣のスラウ市のザラット市長などの要人、そして近しい市民の方々も、多数、お見えになられたとうかがった。まさに千客万来である。
 学会の会館は、わが地域に、信頼と希望の光を広げている。
 ここ東京牧口記念会館のある第2総東京でも、昨年4月に堂々たる東村山文化会館、本年3月には素晴らしき三鷹平和会館が誕生した。そして、世界の模範である特区・町田にも、今秋、待望の町田平和会館がオープンする予定だ。
 地元の同志からの歓喜の報告も、すべてうかがっている。私は、学会員の皆様が喜び、満足していただけるように、いつも陰ながら手を打ってきた。
 わが誉れの広布の宝城から、友情を大拡大していただきたい。
 第2総東京の皆さん、頼むよ!(大拍手)
 一、創価の「平和」と「文化」と「教育」の前進を、全世界の友が祝賀してくださるなか、「5月3日」を飾ることができた。うれしい限りだ。
 全国の多くの尊き同志が、学会本部にもお越しくださっている。

 晴れ晴れと
  広宣流布の
   本陣は
  今日も賑やか
   英雄 来たりて

 同志の皆様方に題目を送りながら、深き感謝と敬意を込めて和歌を捧げたい(大拍手)。

今、躍り出る時!
 一、日本の暦で、童謡でも歌われ親しまれてきた「八十八夜」とは、立春から数えて88日目。毎年、5月の2日ごろに当たる。
 このころには、霜もなくなり、気候も安定し、茶摘みや田植えを始める節目とされる。
 わが農漁村部の友も、忙しさが増しゆく時期だ。ご健康、ご活躍を、そして豊作、大漁であられることを、私と妻は真剣に祈っている。
 ともあれ、5月の3日は、天然のリズムの上からも、生きとし生けるものが、いよいよ躍動していく不思議な時といってよい。
 躍動といえば、御聖訓には、「上行菩薩が大地から出現された時には、踊って出現されたのである」(御書1300㌻、通解)と仰せである。
 地涌の陣列の先頭に立つ大指導者の上行菩薩は、大地から喜び勇んで、躍り出たと説かれているのである。
 一、私は、わが永遠の師匠・戸田城聖先生が第2代会長として勇躍の指揮を執り始める時として、この5月3日こそがふさわしいと定めていた。
 それは、時代の不況の波浪を受けて、戸田先生の事業が暗礁に乗り上げた試練の渦中での誓願であった。
 先生が経営を担っておられた事業が、業務停止となった。債権者の浴びせる怒号と罵声が、事務所に響く日が続いた。
 先生は、この業務停止にともない、さらに厳しい責任を問われかねない状況にあった。
 あの豪毅な先生が、樵悴し切って、死さえ覚悟されていたのである。
 同志の心も、揺れに揺れていた。
 大恩ある先生を蔑み、悪口する者もいだ。窮地から逃げ去る、浅ましき恩知らずの姿もあった。
 スペインの作家ティルソ・デ・モリーナが、「卑怯者は臆病なればこそ卑怯者と知れ」と喝破した通りの人間模様であった(岩根圀和訳「セビーリャの色事師と石の招客」、『スペイン中世・黄金世紀文学選集7 バロック演劇名作集』所収、国書刊行会)
 先生は、事業の失敗の影響が学会に及ぶことを憂慮し、理事長も辞任された。いな、辞任させられた。
 先生の辞任を狙っていたかのように、自分が学会を牛耳り、わがものにしようとする野心家の蠢動が始まったのだ。
 四面に楚歌が響く中、私は、ただ一人、先生をお護りするため、師子奮迅の力で戦い抜いた。
 私は、心に誓っていた。
 「先生の負債は、私が働いて、すべて返してみせる。そして先生には、理事長に戻っていただくのでなく、空席になっていた会長に就任していただこう!
 初代会長であられた牧口先生の後を継いで、第2代の会長として、戸田先生に必ずや、広宣流布の指揮を晴れ晴れと執っていただくのだ」
 明日をも知れぬ、それはそれは、悪戦苦闘の連続であった。
 しかし、その厳寒の真冬のさなかにあって、私が一つの希望の目標として、祈りを定めていたのが、「5月の3日」であったのだ。

新たな師子吼を
 一、なぜ、5月の3日なのか。
 戦時中、創価教育学会としての最後の総会が行われたのが、昭和18年の5月の2日であった。〈東京・神田の教育会館に700人が集った〉
 この日この時、初代の牧口先生は、「宗教の研究法」と題した講演で、国家諌暁の精神を訴えていかれた。
 ほとんどの会合が特高刑事の監視下で行われ、国家権力の弾圧が激しくなっていた時期である。
 そのような嵐の中で、牧口先生は、わが学会は発迹顕本せねばならぬと烈々と叫ばれた。
 牧口先生と戸田先生が不当に捕らわれ、投獄されたのは、その2カ月後のことである。
 殉教のわが先師の正義の師子吼が刻まれた、最後の創価の総会の日が、5月2日であった。
 ならば、その次の日に当たる「5月3日」を、新生・創価学会の「発迹顕本」の出発とするのだ──。
 私は、戸田先生と同じ巌窟王の心で、誓い定めていたのだ。
 一、昭和26年の5月3日、晴れの第2代会長の就任式が一切、終了したあと、戸田先生は私に、そっと言われた。
 「すべて、おまえのおかげだよ。ありがとう!」
 先生の目には光るものがあった。
 そして先生は、その翌年の昭和27年、会長就任1周年に当たる記念の5月3日を、あえて、愛弟子の結婚の日に選んでくださったのである。
 この5月の3日には、三代の師弟の「報恩」、そして「後継」の深き意義が、幾重にも込められている。

「75万世帯の大願を必ず成就してみせる」
わが心は師と共に
師弟不二こそ絶対勝利の力


5・3の大宣言
 一、第2代会長の就任式で、戸田先生は大宣言なされた。
 「75万世帯の折伏は私の手でいたします」
 「もし、私のこの願いが、生きている間に達成できなかったならば、私の葬式は出してくださるな」
 しかし、当時の弟子たちは、師匠が人生の大願を語られた、この重大発表を夢物語として聞き流した。
 これは、当時の聖教新聞にも、掲載されなかった。
 小才子の傲慢な幹部が、できもしない目標を後世に残せないと記事にさえしなかったのである。
 戸田先生が会長に就任された5月、A級支部でさえ、一カ月の折伏目標は、50世帯であった。
 しかし、何があろうとも、師の構想を実現するのが、弟子の道ではないか。
 戸田先生の願業は、そのまま弟子たる私の誓願となった。断じて成し遂げねばならぬ、わが使命となった。
 だが学会の弘教は、まったく進まなかった。いな、心の中では皆が諦めていた。
 古参の幹部は、低迷の分厚い壁を前に嘆息するばかりであった。
 しかし、その中にあって、私は満を持して、蒲田支部幹事として、広宣流布の主戦場に躍り出た。
 それは、昭和27年(1952年)の厳寒の2月、戸田先生が52歳となられるお誕生の月であった。

東京が大行進!
 一、御聖訓には、「師弟相違せば なに事も成《なす》べからず」(御書900㌻)と仰せであられる。
 私は、先生の心を叫び抜いた。師弟の道を訴え続けた。
 広宣流布の師匠の魂に心が融合する時、地涌の菩薩の智慧と勇気の生命が、わが胸中にも、わき起こるからだ。
 先生にお応えせんと、わが同志は私と共に、心を入れ替え、勇み走ってくれた。
 そこには、歓喜があった。希望があった。
 ロマンがあった。勢いがあった。
 誰もが、じっとしてなどいられなかった。
 そして、わが蒲田支部は一挙に「201世帯」という未聞の拡大を成し遂げた。
 「やれば、できる」──75万世帯への誓願実現の突破口は、ここに決然と開かれたのだ。
 蒲田は勝った!
 ふるさと東京の勝利の大行進が始まったのである。
 一、法華経には、仏の力用として、「知道」「開道」「説道」と記されている。妙法を持った我らは、「道を知り」「道を開き」「道を説く」力を発揮していけるのだ。
 戸田先生の直弟子として、私は、城東へ、文京へ、札幌へ、大阪へ、関西へ、山口へ、中国へ、荒川へ、葛飾へと走りに走った。
 行くところ、向かうところ、新たな光り輝く広宣流布の大道を開拓し、常に断固として師弟勝利の旗を打ち立てていった。
 すべてが、困難このうえない戦いの日々であった。容易な戦いなど一つもなかった。
 不可能を可能としゆく、「まさかが実現」の戦いであった。

最大の勝因は
 一、その最大の勝因は、いったい何であったか?
 それは、ひと言で言うならば、いついかなる時も、わが心が師と共にあったことだ。
 私は、一切を先生に報告し、指導を仰いだ。最寄りの目黒の駅で降りて、駆け足で先生のご自宅に向かったことも数知れない。
 また“先生ならば、どうされるか”を常に考えた。
 先生が今、私を見たら、何と言われるか?
 胸を張って、ご覧いただける自分であるかどうか。
 私はいつも、そう己に問うてきた。
 渾身の力で戦い抜く、わが心には、「よくやった!」と笑みを浮かべて頷いてくださる先生の顔が光っていた。
 とともに、「まだまだだ!」と厳しく叱咤される師の雷鳴が、いつも轟いていた。

祈りと行動こそ
 一、私は、来る日も来る日も、自分自身に強く言い聞かせていたのである。
 「仏法は勝負である。ゆえに、敗北は罪である。負ければ、先生の広宣流布の構想を頓挫させることになる。断じて負けてはならない。絶対に勝利の報告をするのだ」
 その一心不乱の「祈り」が、力となり、智慧となった。
 その勇猛精進の「行動」が、活路を開き、諸天善神を動かした。
 ただただ、先生に喜んでいただきたい!。
 その誓いの一念だけで、来る年も来る年も走りに走った。
 前進!
 前進!
 前進!
 勝利!
 勝利!
 勝利!
 永劫に悔いなさ弟子の赤誠を、私は貫き通した。
 師弟の共戦は、あらゆる試練を乗り越え、勝ち越えて、昭和32年の12月、遂に学会は、75万世帯を達成した。
 先生の大願は完璧に成就されたのである。
 師匠の挑戦は、弟子の挑戦である。
 弟子の勝利は、師匠の勝利である。
 そして「師弟」の栄光は、「永遠」の栄光である。
 病の床で、先生は、わが手を握り締めて言われた。
 「良き弟子を持って、わが人生は所願満足だ。牧口先生のもとへ、胸を張って還れるよ。ありがとう!
 大作、私の分まで生き抜いてくれ! そして、世界の広宣流布を頼む」
 そこには、熱い涙があった。

衝撃の言葉
 一、先ほども申し上げたが、戦時中、戸田先生は、師・牧口先生に獄中までも、お供された。
 当時の状況を考えれば、師匠のために命を捨てたも同然の行為であったといっていい。
 さらに出獄後、戸田先生は、獄死された牧口先生を偲ばれ、「あなたの慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れていってくださいました」と感謝を述べられたのである。
 ”仏法の師弟とは、これほどまでに厳粛なのか”──若き私には衝撃であった。
 そしてまた、私も真実の弟子になろうと決めて、戸田先生にお仕えしていった。
 それはそれは、壮絶な訓練であった。
 叱られてばかりであったが、偉大な師匠から厳しく訓練していただいたことは、今、振り返ると、最高の思い出となっている。私は本当に幸せであった。
 一、仏法の根幹は、「師弟」である。
 なかんずく、「師弟不二の祈り」である。
 大聖人は仰せだ。
 「弟子と師匠が心を同じくしない祈りは、水の上で火を焚くようなものであり、叶うわけがない」(御書1151㌻、通解)と。
 いくら祈っても、師弟が心を合わせていかなければ、祈りは叶わないとの御断言である。
 反対に、師弟の祈りが不二であれば、断じて祈りは叶う。絶対に不可能をも可能にしていくことができる。
 これが仏法の方程式である。

命を燃やせ!
 一、ともあれ、天台大師の「法華玄義」には、「法華折伏・破権門理」──法華の折伏は、権門の理を破す──と明言されている。
 大聖人も「日蓮は折伏を本とし」(御書867㌻)と断言なされている。
 この仰せの通りに、創価の師弟は「折伏精神」を燃え上がらせて、ありとあらゆる中傷批判の悪と戦い抜いてきたから、勝ったのである。
 広宣流布のいかなる戦いも、その勝利の要諦は「折伏精神」という決意が燃えているか、どうかだ。
 社会的な立場や学歴では人間は決まらない。“折伏の一兵卒”が偉大なのだ。
 真剣に学会活動に励む人こそが、三世に輝く生命の王者なのである。
 「これから後《のち》も、どのようなことがあっても、少しも信心が弛んではならない。いよい声を張り上げて責めていきなさい」(同1090㌻、通解)
 この大聖人の厳命のままに、正義の攻撃精神を燃えたぎらせていく限り、学会は負けない。永遠に負けない。
2009-05-06 : スピーチ・メッセージ等 :
Pagetop

5・3祝賀最高代表協議会

5・3祝賀最高代表協議会
        (2009.4.28 信濃文化センター)

天高く 五月三日を 皆様と 祝賀の集い なんと嬉しや

4・28立宗の日
今、太陽の仏法は192カ国地域に!
信心とは大宇宙の最極の秘宝
広布に戦えば無量無辺の大福運が


 一、きょうは、栄光の5月3日「創価学会の日」「創価学会母の日」を祝賀する最高代表協議会である。

 天高く
  五月三日を
   皆様と
  祝賀の集い
    なんと嬉しや

 本当に、おめでとう!(大拍手)
 本年も「5・3」を大勝利で、最高に晴れやかに迎えることができる。すべて、尊き全同志の奮闘のおかげである。
 日本をはじめ世界中から祝電が続々と届いている。「創価学会、万歳!」 「わが同志、万歳!」と、誇り高く叫びたい(大拍手)。

平和こそ使命
 一、4月28日は「立宗宣言」の日である。
 建長5年(1253年)のこの日。
 日蓮大聖人の太陽の大仏法が、全世界を照らし始めた。
 御聖訓には、妙法の題目の偉大な力について、譬えをとって、「太陽が東方の空に昇られたならば、南閻浮提(=世界)の空は皆、明るくなる。太陽が大光を備えておられるからである」(御書883㌻、通解)と仰せである。
 大聖人が、ただ御一人、唱え出された「南無妙法蓮華経」の題目は、750年余の時を超え、創価の三代の師弟によって192力国・地域へ弘まった。
 今や、全地球を包み、未来を照らしゆく大音声の広がりとなっている(大拍手)。
 わが創価学会は、立宗の御心のままに広宣流布を遂行し、創立80周年へ前進している。
 梵天・帝釈も来下して祝賀するかのごとき、その晴れ姿は、皆様が、よくご存じの通りである。

 あな嬉し
  創価の使命は
   広布なり
  全人類の
   平和なるかな

 この誉れの使命の道を、まっすぐに進んでまいりたい。
 一、学会は、すべてに勝ちました!(大拍手)
 今日の隆々たる大発展を、ともに築き上げてくださった全同志の皆様に最敬礼し、心から御礼申し上げたい。
 5月3日を祝し、大変に多くの方々が、学会本部にお越しくださっていることも感謝に堪えません。
 「皆が大勝利を! 皆が幸福に!」と祈りつつ、記念のスピーチをとどめさせていただきたい(大拍手)。

一歩前に出よ
 一、本年1月、私は全同志を代表して、中央アジアのウズベキスタン共和国の名門「ウズベキスタン国立芸術大学」から名誉教授の称号を拝受した。
 このウズベキスタンで敬愛されている、10世紀から11世紀に活躍した大学者イブン・シーナー(アヴィセンナ)は語っている。
 「はつらつとした人のもとでは、すべてが活気に溢れている。快活さこそ、心身を清らかにする」
 千年にわたって、人類融合のシルクロードの天地で語り継がれてきた“英知の言葉”である。
 リーダーは、いついかなる時も、はつらつと、明るく、生き生きと前進することだ。
 一歩前に出るのだ。張り切って! 胸を張って! そうすれば、新たな力がわく。
 リーダーの生命の勢いが、縁する人々にも希望を贈る。そこから勝利への活力が広がるのである。

音楽隊 鼓笛隊ありがとう

「太陽の心」で!
 一、今、結成55周年の音楽隊、また鼓笛隊の友も、全国各地のパレードなどで活躍してくれている。
 寒風の日も、炎熱の日も、ただ広宣流布のために、尊き使命に徹する若き友に感謝を込めて、音楽の大英雄ベートーベンが作曲した歌曲の一節を贈りたい。
 「太陽は昇り、輝き、彼方より笑いかけ/勇士のように、その軌道を歩みゆく」(高橋浩子訳「ゲレルトによる6つの歌」、『ベートーヴェン全集 第6巻 別冊』所収、講談社)
 ともあれ、私たちは宿福深厚なるがゆえに、太陽の大仏法に巡りあうことができた。
 題目をあげると、生命に“太陽の光”が差してくる。大きな前途が開かれていく。
 だからこそ、ともどもに、一日また一日。太陽の心で、妙法を朗々と唱えながら、生きて生きて生き抜いていきたい。
 昇りゆく朝日のごとく、勢いよく勇敢に、常楽我浄の生命の軌道を、前へ前へ進んでまいりたい。
 特に“太陽の乙女”の集いの意義を持った「広布第2幕 池田華陽会」の女子部の皆様は、健康で、朗らかな青春であっていただきたい。
 さわやかな歌声を響かせながら、幸福と友情のスクラムを広げゆくことを、私は妻とともに祈っている。

“創価の母”は人類の希望
国前連事務次長「SGIの女性の平和と人権への貢献は実に素晴らしい」


永遠の幸福の道
 一、わが人生を、思う存分、信心の力で生きていただきたい。
 何のために生きるのか。幸福になるためである。
 では、幸福とは何か。その答えは複雑であり、難しい。
 健康で長生きする人や、お金に不自由しない人もいる。それはそれで満足の人生のようであるが、今世一回限りのことである。
 しかし、生命は永遠である。信心を持った人は、無量百千万億回、生まれてくるたびに、絶対的幸福を味わえる。天地雲泥の違いなのである。
 南無妙法蓮華経は大宇宙の法則であり、久遠元初の秘法である。それを唱え広めゆく功徳は計りしれない。
 だからこそ、広布のために、晴れ晴れと戦い、堂々と勝とうと申し上げたいのだ。
 一、大聖人は、すべての女性の幸福を願う大慈大悲ゆえに、立宗を宣言された。
 千日尼への有名な御聖訓には仰せである。
 「ただ法華経だけが女人成仏の経であり、悲母の恩を報じる真実の『報恩の経』であると見きわめました。
 そこで(私は)悲母の恩を報じるために。この経の題目を一切の女人に唱えさせようと願ったのです」 (御書1311㌻、通解)
 わが創価の母たちの微笑み光る、世界一の「平和」と「歓喜」の大行進を、大聖人は、どれほどお喜びくださることか。

 偉大なる
  広布の学会
   築きたる
  東奔西走
   皆様 仏か

 ここで、尊き婦人部の新出発をあらためて祝福し、皆で大拍手を送りたい(大拍手)。
 一、非暴力の勇者マハトマーガンジーが、日々の祈りに仏教を取り入れ、「南無妙法蓮華経」と唱えていたことは有名である。
 そのガンジーが、現状の行き詰まりを打開し、新たな歴史の道を開く力として、深く信頼していたのも、女性であった。
 この点について、私は、ガンジー直系の大哲学者であるN・ラダクリシュナン博士と語り合った。〈インド国立ガンジー記念館前館長の博士と名誉会長は対談集『人道の世紀へ』(第三文明社)を刊行している〉
 博士は強調された。
 「ガンジーにとって国の豊かさとは、豪華な建物でもなく、兵器などでもなかった。
 生命を慈しみ育む女性こそ、大いなる宝でした。女性を大切にできない国家に、未来はありません。
 ガンジーは知っていました。女性を信じれば、未来が安泰であることを! 人々を差別から解放し、すべての人々の平等を実現するには、女性への尊敬が必要であることを!」
 全く同感である。
 学会も、これまで以上に、婦人部・女子部を尊敬していくべきである。
 創価の女性に存分に力を発揮してもらえるよう、男性は心を配り、厳然と支えていくことだ。そこに、リーダーの責任がある。
 威張るのは、力がない証拠だ。
 同志に対しては、どこまでも優しく接していく。それがリーダーの哲学でなければならない。

友の苦しみを取り除きたい!
 一、現在、私が進めている、国連の前事務次長のチョウドリ博士との対談でも、まさに女性の力が大きな焦点となっている。〈「新しき地球社会の創造へ」と題し、月刊誌「潮」で連載中〉
 博士は、国連での自身の経験を踏まえながら洞察されている。
 「男性より女性のほうが、社会のため、そして現在と未来の世代のために何が最善なのか、ずっと深く心を砕いています。その意味では、女性こそ『あらゆる社会の土台』なのです。女性こそが『社会を一つにまとめる要の存在』なのです」
 博士は、さらに、こう述べている。
 「女性には、人々の苦しみを取り除こうとする心があります。時には、社会の苦しみを取り除くために、それを一身に引き受けることさえあります」
 「その『自己犠牲』の精神と『奉仕』の心、そして本来の『慈愛』が相まって、女性は、よりよい社会を築くための最も理想的な存在となっているのです」
 まさに、その最良の模範こそ、創価の婦人部である(大拍手)。
 一、チョウドリ博士はユーモアを込めて、こうも語っている。
 「女性には、人生の苦しみや困難を、より賢明かつ冷静に受け止め、苦難を悠々と乗り越えていく力が備わっています。
 それは、男性にはなかなかできないことです。男性は、もともと動揺しやすい傾向がありますから」(笑い)
 とりわけ、博士は、わが婦人部・女子部の平和貢献の活動を高く評価されている。
 「SGI(創価学会インタナショナル)の婦人部や女子部の皆様が、『平和の文化』の推進、女性と子どもの権利の推進、社会における女性の地位の向上、人類の目標全般の推進のために重ねてこられた貢献には、実に素晴らしいものがあります。
 皆様との長年にわたる交流を通して思うのは、SGIの中でも、女性のメンバーの方々が、最も活動的で情熱的で、そして熱心であるということです。
 平和と人権への課題が、ますます山積する今日において、婦人部や女子部の皆様方が、なお一層のこと、その精神性と創造性を保ちながら、素晴らしい活動を続けていただきたいと願っております」
 平和の文化のパイオニア(先駆者)から寄せられた信頼と期待として、ありのままに紹介させていただいた。
 「創価の女性の世紀」は、いやまして、希望の光彩を放っている(大拍手)。

断じて勝て 断じて恐れるな
師弟の正義の旗を持て


神奈川の友ヘ
 ー、30年前の昭和54年(1979年)4月、私は、神奈川の同志に一首の和歌を詠み認めた。
 変わらざる不二の心で「共戦」の歴史を刻んできた神奈川の友への感謝を込めて、ここで紹介したい。

 美しき
  心と心で
   神奈川城
  守りし君らに
    幸は昇りぬ

 今、海外からの研修メンバーはもとより、多くの識者の方々も神奈川を訪問される。
 先日の4月24日も、世界華文文学連合会の先生方が、神奈川文化会館と鎌倉のSGI教学会館に来館された。
 そして30年前、神奈川から世界へ向けて、新たな創価の正義の波を起こしていった歴史に、深い感銘を語ってくださっている。

われ一人!
 一、第3代会長を辞任した私は、30年前の5月5日、神奈川文化会館で、「正義」そして「われ一人正義の旗持つ也」と認めた。
 あらゆる嵐を突き抜けて、勝利する原動力は「師弟」の精神しかない。
 その師弟の絆を断ち切ろうとする邪悪と、誰が戦うのか。
 誰が、師の魂を護るのか。誰が、師の哲学を、現実社会に打ち立てるのか。
 弟子と名乗るならば、ただそれだけを、わが胸に問うべきだ。
 いざという時に、卑怯な心であっては、永遠に悔いを残す。
 創価学会の世界は、信心の世界である。広宣流布の世界である。真に幸福になるための世界である。
 ゆえに、悪い人間をのさばらせて、正直な人間が苦しむような世界であっては断じてならない。
 虚偽や不正の人間と戦い抜いてこそ、本当の同志の和合僧ができるのだ。
 悪と戦えない、臆病な指導者であってはならない。幹部は心していくのだ。

波瀾万丈の日々
 一、私は波瀾万丈を生きてきた。
 私は勝った。戸田先生を護りきった。
 低迷する文京では、支部長代理として指揮を執り、懐かしき友と第一級の支部を築いた。あまりの躍進の姿に、他の支部は、唖然としていた。
 負けるに決まっていた大阪でも、“まさかが実現”と世間を驚愕させた偉大な勝利を関西の友と勝ち飾った。
 近代日本の揺藍であった山口に飛び込んで、実に10倍近い拡大を成し遂げたことも、誉れ高き青春の歴史である。
 私は不惜身命で戦ってきた。
 無実の罪で、牢獄に入れられたこともある。
 しかし、正義の信念を貫いて獄死された牧口先生、そして、2年間の獄中闘争を耐え抜かれた戸田先生の苦労を思えば、私の10日余りの投獄など、何でもなかった。
 “先生をお護りするのだ。先生にお仕えするのだ。先生にお応えするのだ”──ただただ、その心で、すべてを耐え抜いて、そして、すべてを勝ってきた。
 一切をなげうって、世界的な連帯を築き上げた。
 何もかもやって、私は戸田先生の言われる通りの学会にした。
 ゆえに私には何の後悔もない。

万年の未来へ「今」を勝て!
 一、亡くなる直前、戸田先生は、安心しきったお顔で、「俺は、いい弟子をもって幸せだよ」と言われ、ニッコリとされた。
 また戸田先生は、「お前以上に弟子が師匠を護った歴史は、これから永劫にないだろうな」とも、おっしゃってくださった。
 命をかけて戸田先生に仕え、命をかけて学会に仕えた私である。
 その精神があるかぎり、学会は盤石だ。
 反対に、幹部である諸君が、師弟を軽んじて傲慢になったり、何の苦労もしないで威張っていくならば、学会は滅びる。
 また、邪悪と戦えない臆病な幹部ばかりになってしまえば、学会の未来はない。
 信心の世界は、師弟不二である。
 私は、その通りに貫いてきた。
 それを護るのか。壊すのか。すべては後を継ぐ指導者で決まる。
 万年の未来へ、学会が永遠に勝ち栄えていくために、大事なのは「今」である。
 わが後継の諸君に、「今こそ正義の旗高く、師弟の勝利城を築け! 広布の大闘争のなかで、崇高な師弟の魂を受け継げ!」と私は叫びたい。
 皆様の栄光と勝利を祈りつつ、記念の一首を贈りたい。

 勝ちまくれ
  人生劇場
   汗流し
  勝利の万歳
   三世に響けと

報恩の人生は晴れやか!
御聖訓
“大恩ある父母・師匠を救いたい”


 一、大聖人は、京都でもなく、また鎌倉でもなく、安房(現在の千葉県南部)の地で「立宗宣言」をなされた。御自身の故郷へ戻っての大宣言であられた。
 「報恩抄」では、大難を覚悟し、仏法を弘通される御心境について、次のように綴られている。
 「今度命をおしむならば・いつの世にか仏になるべき、又何《いか》なる世にか父母・師匠をも・すくひ奉るべきと・ひとへ(偏)に・をもひ切りて申し始め」(御書321㌻)と。
 不惜身命の行動、末法の一切衆生を救わんとの大願──その御心中には、父母と師匠への報恩の一念があられたのである。
 日蓮仏法には、その出発点から、赫々たる報恩の一念が脈打っている。このことを、私たちは心肝に染めてまいりたい。

君よ″生命の正道《せいどう》″を歩め
 一、今年の3月16日、私は、愛する創価学園生とともに、南米の名門ボリビア・アキーノ大学から名誉博士号を拝受した。
 この大学の名前は、日蓮大聖人と同時代を生きた、スコラ哲学の完成者トマス・アクィナス(スペイン語でトマス・デ・アキーノ)に由来する。大学の理念にも、彼の思想が高らかに掲げられている。
 トマス・アクィナスについて、かつて私は大学講演で論じたことがある。
 また、ブラジルの人権の闘士アタイデ博士や、イラン出身の平和学者テヘラニアン博士をはじめ、数多くの識者との対談でも触れてきた。
 ここでは、トマス・アクィナスによる「忘恩」についての考察を紹介しておきたい。〈稲垣良典訳『神学大全 第20冊』創文社を参照〉
 彼によれば、忘恩には次のような段階があるという。
 まず、「(自分が受けた)恩恵にたいしてお返しをしない」──この人は、恩返しするどころか、「善きものにたいして悪いものを返す」。
 次に、「自分が恩恵を受けたことを示さないで、それに注意を払おうとしない」──恩への感謝の念など、さらさらない。この人は、かえって「恩恵を非難する」。
 そして、「忘却あるいは他の何らかの仕方によって、恩恵を認知しない」──自分が受けた恩そのものを忘れ果ててしまうのだ。
 この人は、「恩恵があたかも加害であるかのように思いなす」というのである。
 まことに興味深い洞察であり、人間の心の闇を、鋭く突いている。
 いかにずる賢く、自身を正当化しようとも、恩知らずは恩知らずであり、この一点において、正しき人間の道を踏み外している。これは洋の東西を問わず一致した原則であるといえよう。
 私が出会いを結んできた世界の一流の人物は皆、「報恩」という ”生命の正道”を歩み通されている。
 一、仏法においては、「報恩謝徳」の真髄は、不惜身命の心で正義に生き抜くことである、と示されている(日寛上人の『報恩抄文段』)。
 すなわち、身命を惜しまず、人々を不幸にする邪法を破折し、人々を幸福にする正法を弘通すれば、一切の恩に対して報ずることができると説かれるのである。
 広布、折伏に生き抜けば、父母をはじめ、一切の恩人への報恩になっていくことを、晴れ晴れと確信していただきたい(大拍手)。
 ともあれ、わが創価学会は、ありとあらゆる三類の強敵と戦い抜き、打ち破りながら、世界192力国・地域まで、正法正義を弘めてきた。
 御本仏・日蓮大聖人に対して、最高無上の報恩を果たしゆく人生である。
 学会の恩。自分が広宣流布させていただいているという恩。師の存在があるからこそ広布ができるという恩。
 この三つの恩を、ともどもに心に刻みたい。

君も立て 我も立ちなむ 破邪顕正

広布のために祈れ! 叫べ! 勝て!
青年よ心の財宝を積みゆけ
苦労し抜いてこそ「信心の指導者」に
師弟直結で進め


 一、恩を知り、恩に感謝し、人生をかけて恩に報いていく──。
 「報恩」こそ、人間の証しである。
 報恩は、自分が受けた恩恵を、次の世代に贈ることによって完結する。要するに、後継の青年を大切にし、励まし、育てていくことである。
 私たちの宝の友人であった、アメリカの「人権の母」ローザ・パークスさんは、ロサンゼルスにあるアメリカSGI(創価学会インタナショナル)の本部を訪問してくださった際、こう語っておられた。
 「これからも青年のためにできる限りのことをしたい。青年こそ私たちの未来だからです」──と。
 青年を使おう、利用しようとするのは“権力の魔性”の心の働きである。
 青年を育てよう、青年を伸ばそう、青年に大いに活躍してもらおう。これが、真の指導者の心であり、人間教育者の心である。
 幹部が傲慢になり、新しい人材を育てなくなれば、学会の未来は暗い。幹部が勝手気ままに、無責任な行動を取るようになれば、大変なことになる。
 戸田先生も、繰り返し繰り返し、青年を育てることの大切さを訴えておられた。その指導を、あらためて確認しておきたい。
 先生は言われた。
 「私の最大の楽しみは、若い者を育てていくことだ」
 「私の後を継いで広宣流布を成し遂げるのは、青年しかいない」
 私も今、まったく同じ気持ちである。青年に、未来の一切を託す以外にない。
 戸田先生は、こうも断言しておられた。
 「仏界の生命を涌現し、現代の社会を救うのが、青年の責務である」
 「広宣流布を成しゆく主な力は、青年である。広宣流布は、青年の手によって行われるのである」
 その通りだ。
 青年部の時代である。青年が一切の責任を担い立つのだ。すべての勝利の決定打を放つのだ。すべての悪を打ち破っていくのだ。

 君も立て
  我も立ちなむ
   破邪顕正
  師子は叫ばむ
    剣《つるぎ》は光りて

 勇気の剣、言論の剣で、正義の大道を切り開いてまいりたい。

「力を発揮してもらうのだ」
 一、戸田先生は、こうも言われた。
 「信を起こし、御本尊を頂いた瞬間に、我々は“一切衆生を救わんがために、広宣流布せよ″との仏勅を蒙っているのである」
 妙法を持つ皆様は、全員が偉大な地涌の菩薩である。悩める友、不幸に喘ぐ人々を救うため、深き使命を持って、生まれてきた。その誇りを、絶対に忘れてはならない。
 また先生は、年配の幹部に対して厳しく言われていた。
 「青年を大切にしない幹部は、たいした人間ではない。
 青年の成長を祈っていけ! 人一倍、青年を育てるのだ」
 「組織において、青年の活躍の道を塞いでは、絶対にならない」
 青年を大切にし、師弟の精神を伝えていく。自分よりも立派な人材に育てていく。その人が真のリーダーである。
 また、そうしたリーダーのいる組織は、大きく発展していくことができる。
 さらに、戸田先生の指導を紹介したい。
 「人材を大事にするということは、そっとしておくこととは違う。うんと働いて、力を発揮してもらうのだ」
 「組織の発展の要諦は何か。それは、ともに広宣流布に戦うなかで、青年を育てることだ」
 大事なのは「ともに」戦うことだ。「やらせる」のではなく、一緒に苦労し、泥まみれになって戦う中で、新しい人材を育てていくのだ。
 いずれも、リーダーが心して実践していくべき指針である。
 恩師の教えを守るならば、学会の前進の力は倍加していく。

今こそ錬磨を
 一、皆さんには、私がこうして指揮を執っている間に、本物の広宣流布の指導者になってもらいたい。
 柔道には柔道の世界の師弟がある。柔道を極めようと思うなら、その道の師匠に教えを受けねばならない。
 創価学会は信心の団体だ。信心の魂を学び、生命に刻むためには、正しい信心の師匠につかねばならない。そうでなければ、仏法の真髄はわからない。
 「声仏事を為す」(御書708㌻)である。仏法を教える大きな力は「声」だ。
 どうすれば、皆が、成仏の直道を歩み、勝利と幸福の人生を飾ることができるのか。
 どうすれば、正義の学会を永遠に発展させていくことができるのか──。
 それを伝えるのは「声」である。
 だから私は、真剣に語るのである。時には厳しく、何度も繰り返し言うのである。
 一、御書には「心こそ大切」(1192㌻)と仰せだ。
 わが心に「財宝」を築けなければ、信心をしている意味がない。こうして会合を行う意味もない。
 どこまでも、「心」を磨き、幸福への道を歩みゆく──そのための学会の会合であり、活動なのである。

陰の労苦に感謝
 一、昭和35年(1960年)の晴れわたる5月3日、私の第3代会長就任の式典が行われた。会場は、懐かしき墨田区の両国・日大講堂であった。
 式典の終了後、私が直ちに行ったのは、陰で真剣に支えてくれた、さまざまな役員の友へ、御礼を伝えることであった。
 早朝から会場に続々と集われる方々の誘導のため、青年部の役員も凛々しく着任してくれていた。今でいえば、創価班、牙城会、白蓮グループなどの友である。
 私は伝言を託した。
 「きょうは早暁から本当にご苦労様でした。新しい学会を共につくっていこう」
 会場の設営を担当してくださったのは、縁深き草創の川崎支部の方々である。設営は、会場の清掃に使う雑巾を縫うことから始まる労作業であった。
 また、大変な苦心をして、墨痕鮮やかな戸田先生の和歌を会場前方の左右に設置し、演壇の真上に戸田先生の大きな遺影を掲げてくださった。私は、その遺影を仰いで入場したのである。
 この川崎支部の友にも、私は終了後、即座に、「川崎支部の皆さんが担当してくださって、私の会長就任式が行われたことは忘れません」と、伝言をお願いした。
 さらに、場内の生け花を担当してくださった同志もいた。会場を何十ヵ所と美しい花また花で荘厳してくださった。
 後日、私は感謝を込めて、「花の如く明るい大衆哉」との揮毫を贈らせていただいた。
 会長就任から半世紀──。
 私と妻の心からは、朝となく夜となく陰で学会を護り、支えてくださっている共戦の同志の姿が、瞬時として離れることはない。私たちは、尊き皆様の幸福と安穏を願い、題目を送り続けている。
 この「創価の心」を、これからのリーダーも、断じて受け継いでいただきたいのだ。

「大三国志展」が中国で大好評
 一、東京富士美術館が企画した「大三国志展」は、日本での累計鑑賞者数が100万人を突破し、大成功を収めた。現在、帰国報告展が中国の上海市で開催され、好評を博している。〈上海図書館で5月17日まで〉
 この後、北京や武漢などを巡回するとうかがった。『三国志』の英雄・劉備が興した「蜀」の都であり、昨年の四川大地震から雄々しく復興に立ち上がられた成都でも開催される予定である。
 一、戸田先生は、『三国志』がお好きであった。水滸会での薫陶のテキストにもなった。戸田先生と幾度も語り合ったことが懐かしい。
 立宗から満700年に当たる、昭和28年(1953年)の4月28日にも、戸田先生を囲んで、青年部の代表が『三国志』の人物評論を戦わせた。先生はまず、青年たちに自由に人物評を発表させ、最後に、ご自身が総括されるのである。
 “桃園の契り”で結ばれた三人──英雄・劉備と猛将・張飛、そして義に生き抜いた勇将・関羽。その関羽については、こう語られた。
 「豪傑にもいろいろある。張飛の荒削りに対して、(関羽は)整った人物である。関羽は好きだ。人に親しまれる豪傑である」「しかし、こうした豪傑であっても、死に方はどうにもならない宿命である」と。
 〈関羽は西暦219年、曹操の「魏」と孫権の「呉」の連合軍に敗れ、非業の死を遂げた〉
 「私は実業界で闘ってきたが、負け戦の時は、確かにどうにもならない。宿命のまま突き落とされてしまう悲劇が、世の中には、あまりにも多い。
 しかし、宿命打開の方法がある。そこで仏法が必要なのである」
 戦後、学会の再建を担う戸田先生の事業が、最悪の苦境に陥った時、私は先生とともに、死にものぐるいで戦った。
 妙法の宿命転換の法理を理解できず、師を嘲笑い、恩を仇で返して、離れていく者もいた。
 しかし、仏法の因果は峻厳である。仏の言葉に微塵も嘘はない。創価の師弟の正義は、今、燦然と輝いている。

三代で決まる
 一、「呉」の孫権がテーマになった時、戸田先生は、こう語られていた。
 「大事業は初代と三代が大事である。三代で決まる」
 父・孫堅、兄・孫策の後継者として、第3代の若き孫権は、見事に「呉」の国を治めた。「地の利」を生かし、長く繁栄の世を築いている。
 「一宗派のちっぽけな次元に留まっていては、いったい何かできるか。社会に、文化に大きな布陣をしなければならぬ」
 私は戸田先生の言葉を深く生命に刻んだ。
 第3代会長に就任した私は、青年と共に進み、青年と共に勝利の歴史を開いてきた。
 そして、戸田先生のご構想の通りに、創価学園、創価大学、アメリカ創価大学、東京富士美術館、民主音楽協会、公明党などを創立した。
 文化と教育の力で、世界平和への揺るぎない人間主義の大連帯を築き上げてきたのである(大拍手)。
 一、56年前の4月28日、戸田先生はしみじみと語られた。 
 「人生は、悔いのない戦いをしなければならない。牧口先生は、世界の人が知らない価値論と弟子を残してあるとおっしゃって亡くなったのである」
 牧口先生は、軍国主義と戦い、獄中で壮絶な殉教を遂げられた。しかし、「不滅の思想」と「不二の弟子」を残された。
 ゆえに、永遠の正義の勝利を飾ることができたのである。
 牧口先生の「殉教」は、法華経に説かれる「薬王の供養」そのままであると、戸田先生は、いつも言われていた。
 「(牧口)先生は、法華経のために身命をなげうったお方である、法華経に命を捧げた、ご難の見本である。先生の死こそ、薬王菩薩の供養でなくて、なんの供養でありましょう」と断言されていた。
 法華経の法理に照らして、牧口先生の生命が、生々世々、最も尊貴な境涯に光り輝いていかれることも、絶対に間違いない。これが戸田先生の大確信であった。

師への報恩の劇
 一、法華経の薬王菩薩本事品。それは、薬王菩薩の「師匠への報恩の劇」である。
 薬王菩薩は、過去世において、一切衆生喜見菩薩という菩薩であった。法華経を教えていただいた師匠・日月浄明徳仏への報恩の一念で、わが生命をなげうち、燃やし尽くしていった。
 そして、その大光は、実に1200年にわたって広大な世界を照らし続けたというのである。
 報恩に徹する一念こそが、世界を、そして未来を照らすのである。
 「師匠への報恩」の思いは、それでも尽きなかった。「死後もまた師匠のもとに生まれて、戦うのだ」と決め、再び師の国に生まれた。
 仏が入滅した後も、7万2000年にわたって、自分の臂(腕)を燃やして師匠に供養し続けたという。
 一、戸田先生は、この薬王菩薩のごとき「報恩の信心」を強く訴えておられた。
 清々しい報恩の信心に生きる時、己心の薬王菩薩も動きに動く。健康長寿の生命となる。その健やかな生命力を発揮して、人々に、社会に、希望と勇気の光を贈ることができる。
 「報恩の心」「戦う心」「勇気ある心」「苦労をいとわぬ心」──それが真に頑健な金剛不壊の生命を鍛え上げていくのである。

「創価の薬王」
 一、釈尊の時代には門下の良医・耆婆が、そして大聖人の御在世には名医の弟子・四条金吾がいた。まさしく「薬王菩薩」の生命を体現して、師匠への報恩と、勇気ある信心に徹していった。
 本日は、わがドクター部の代表も参加されている。どうか、未法万年尽未来際まで「創価の薬王」と仰がれ、謳われゆく師弟勝利の歴史を、堂々と残していっていただきたい。
 一、薬王菩薩のごとく、報恩の心を燃やす若き青年の陣列が陸続と現れた時、創価学会は、永遠に「不老不死の教団」として、いやまして、光り輝いていくのだ。
 大聖人は、四条金吾に対し、「法華経薬王品」の「諸余怨敵・皆悉摧滅」(あらゆる怨敵は、皆ことごとく滅びる)の一文を贈られた。そして、「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」(御書1192㌻)、
 「ふかく信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候」(同1193㌻)と教えられている。
 何ものも恐れぬ師子王の心で、すべてを勝ち切ることだ。正義の勝利を断固として打ち立てていくことだ。そこに初めて、健全な幸福と平和の社会が開かれていくことを忘れてはならない。

楽天主義たれ
 一、私が思い出深き語らいを結んだ一人にアメリカの著名な心臓専門医バーナード・ラウン博士がいる。〈核戦争防止国際医師会議の共同創設者でノーベル平和賞を受賞〉
 博士は、科学で得た知恵をよりよく医療に実践するには、「医師は人間を深く理解する力を身につけなければならない」と指摘しておられる(小泉直子訳『医師はなぜ治せないのか』築地書館)
 大仏法の生命哲学を持ち、慈愛の医学を実践しゆくドクター部の存在は、ますます社会の依怙依託と仰がれゆく時代に入っている。
 ラウン博士は、こうも語られていた。
 「病人を少しでも楽にしたいと、たゆまず努力してはじめて、医師は能力を最大限に発揮できる」「医師は楽天主義の化身でなければならない。暗闇の中でも一筋の光明を探すのが医師のつとめだと私は信じる」(小泉直子訳『治せる医師・治せない医師』築地書館)
 「医師と患者は互いに尊敬し合わなければならない」「尊敬がなければ、医師は患者の信頼を得られない」(前掲『医師はなぜ治せないのか』)
 大切な大切な、わがドクター部、尊き白樺会、白樺グループの皆様のご健康とご活躍を、私は妻とともに心から祈っています(大拍手)。

シドニー平和財団リース理事長
私は対話をあきらめない!
対話こそ平和と希望の道


母君の教え「人に尽くせ」
 一、先日(4月22日)の本部幹部会で、私は皆様方とご一緒に、オーストラリアのシドニー平和財団から、平和の「金メダル」を拝受した(大拍手)。
 はるばる来日してくださったリース理事長は、社会的に弱い立場にある人々、恵まれない人々のために、世界の各地で活動を続けてこられた、行動する平和学者である。
 理事長の「平和の闘士」としての原点は、どこにあったか。
 それは、第2次世界大戦で重傷を負われ、苦労を重ねられた父君の姿であった。
 そして父君を支え、苦難を朗らかに乗り越えていかれた、母君の人生哲学であった。
 リース理事長は、母君から「他者に対する奉仕は、自身に対する奉仕よりも尊い」ことを学ばれたという。
 その信念のままに、世界を駆けめぐり、多くの人々と対話を重ねてこられたのである。
 「人間のエネルギーというものは、異なる考えや、その考えを持つ人々が交流し、対話するときに生まれる」とは、理事長の不動の信念である。
 全くその通りだ。
 常に対話を続け、学び続ける人は、決して行き詰まらない。尽きることのないエネルギーがわいてくる。
 リース理事長は、わがオーストラリアSGIの同志に、強く語ってくださった。
 「対話以外の道は、あきらめの道です。私は、それを望みません。対話には多くの障害が伴います。しかし、SGIをはじめ多くの団体が、対話を基盤とした非暴力の運動を行っています。それは、音楽、詩などのように、人々の希望を鼓舞するものです」と。
 対話を成功させるのに必要な要素は何か。
 理事長は、“相手を包み込むユーモアや慈悲、そして相手のことを理解しようとする真の思いやりなどの人間性”等を挙げられた。
 まさに、私たちの一対一の対話こそ、人類の平和と希望の道なのである。
 〈さらにリース理事長は語っている。
 「私は、対話のもつあらゆる建設的な価値を活性化しておられる池田SGI会長に、きわめて深い敬意を抱いています。
 会長は、限られた範囲でなく、様々な分野にわたって幅広い知識をもっておられます」
 「池田会長は、対話によって文化的な境界や障壁を乗り越える、他に類を見ない才能をもつ方です」〉

オーストラリアの作家
勇気をもって戦い続ければ、今の苦しみを笑える時が必ず来る


「雲の上には太陽が輝いている」
 一、偏見や差別を乗り越え、オーストラリアの女性パイロットの先駆けとして活躍したナンシー・バードの有名な言葉がある。
 「雲の上には、いつも太陽が輝いている」
 いわんや、妙法を持った、わが生命には、どんな時にも、希望の太陽が晴れ晴れと輝きわたっている。
 オーストラリアの国民的作家ヘンリー・ローソンは述べている。
 「時代は厳しい。しかし、怯んではいけない。勇気をもって戦い続ければ、いつの日か、今の苦しみを笑える時が来るのだ」
 この言葉を、社会の荒波の中で敢然と戦う、わが同志に贈りたい(大拍手)。

戸田先生
「負けてなるものか!」
最後の勝利は粘りで決まる


根本は題目
 一、終わりに、私の永遠の師・戸田先生のご指導を、ともどもに生命に刻みたい。
 「負けてたまるものか! と、腹を決めるのだ。題目をあげにあげて戦うのだ。根本は題目だ。祈りである」
 「私も、何度も試練に遭った。しかし、つらいなどと考える暇もなかった。何としても奮い立たずにはいられなかったのだ。断じて負けるものか、必ず勝つ、と戦ったのだ」
 そして戸田先生は、厳然と叫ばれた。
 「ひとたび、戦いを開始したならば、魔の息の根を止めるまでやるのだ。闘争は、最後の勝利は粘りで決まる」
 「民衆が力を合わせれば、どんなに大きな力になることか。心を合わせて戦うのだ。力を合わせて、広宣流布を成し遂げていけ!」

 わが同志
  わが法友は
    三世まで
  喜び勇んで
   広布の勇者だ

 この一詩を贈り、私の記念のスピーチとしたい。
 勇んで戦おう!
 永遠に崩れぬ、師弟勝利の大城を、今こそ築こう!(大拍手)
2009-05-01 : スピーチ・メッセージ等 :
Pagetop
ホーム

プロフィール

fmiokun

Author:fmiokun
FC2ブログへようこそ!

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ブログ内検索