御書と師弟 不惜身命と現代

池田名誉会長講義 御書と師弟  (2009.2.19付 聖教新聞)

第7回 不惜身命と現代

御聖訓

 「されば我が弟子等
 心みに法華経のごとく
 身命もおしまず修行して
 此の度 仏法を心みよ」
      (撰時抄、291㌻)

死身弘法が創価三代の魂
『不惜の喜悦』の大境涯を開け
大宇宙の根本法則に生き抜け


 「なぜ、不惜身命の信心が大切なのでしょうか」
 ある時、私は戸田先生にこう質問をしたことがあります。
 先生の答えは明快でした。
 「人間の業というか、社会は複雑で、矛盾だらけである。どこにも、万人の幸福への根本的な道はない。
 そのなかで、日蓮大聖人の仏法は、人間の根本的な宿命転換の方途を示されている。常楽我浄という、永遠の所願満足の生命の軌道を教えてくださっている。
 これ以上の究極の人生の道はない。だから、信心だけは命をかけてやって悔いがないのだ」
 戸田先生にお仕えして60年余──。本当に恩師のおっしゃる通りです。師の教えのままに、世界広宣流布に身命を捧げてきた私の胸中は、「不惜の喜悦」に満ちあふれています。この使命の無上道を、私は今、青年に伝えたい。
 仏法の真髄は、どこまでも不惜身命、死身弘法の精神にある。命を惜しまず、広宣流布に進みゆく行動にあります。
 ドイツの大詩人シラーは、「己の命をかけぬものは、何も勝ち取ることはできない」と断言しました。
 正法のため、人々のために、わが命を賭して戦い抜くことこそ、自分自身の生命を最高に輝かせる生き方なのです。
 この仏法の生き方は、実は現代社会にとって最も大切な指針となっています。今回は「撰時抄」を拝読し、この大精神を学んでいきましょう。

必ず勝利の現証が

 日蓮大聖人は「撰時抄」で、正しき哲理が隠れ没する末法という“時”をあえて撰んで、南無妙法蓮華経の大白法を日本一国に広宣流布し、一閻浮提に大興隆させゆくことを述べられています。
 さらに、日蓮大聖人御自身こそ、この大白法を弘める人であられることを高らかに宣言されました。そして如来の金言は絶対に間違いないと示され、「されば我が弟子等心みに法華経のごとく身命もおしまず修行して此の度仏法を心みよ」(御書291㌻)と呼びかけておられるのです。
 わが弟子たちよ、命も惜しまず修行して、仏法を実践せよ!
 末法の不惜身命の闘争とは、三類の強敵に打ち勝つことだ!
 これが大聖人の厳命です。
 「身命もおしまず」──不惜身命とは、法華経勧持品第13に説かれている金言です。菩薩たちが、身命を惜しまず妙法を弘通することを誓った言葉です。
 大聖人が「撰時抄」で示された「師弟不二の道」。「破邪顕正の道」。そして「一生成仏の道」。それは、まさしく「不惜身命の道」なのです。
 不惜身命に徹し抜けば、必ず勝利の現証が出ます。それが「心みよ」の大確信です。
 この御聖訓に寸分違わず、初代・牧口先生、二代・戸田先生は、軍部権力の弾圧にも屈することなく「死身弘法」を貫かれた。第三代の私も、この初代・二代の精神のままに三類の強敵と戦い抜いてきました。この三代の仏法勝負の現証が、今日の学会の大発展に他なりません。
 さらに、この不惜身命という思想は、人生観の上からも深く論ずることができます。
 歴史家のトインビー博士も慨嘆されていた通り、どんなに文明が進んでも、「生死」という根本の問題への解決にはつながらない。
 何のために生き、何のために死んでいくのか。生命は、いずこより来たり、いずこへ行こうとするのか──。この問いかけに答える道こそ、仏法の探究であり、実践であります。
 誰でも、自分の命は何よりも大事です。しかし、わが身を惜しむあまり、他人を傷つけたり、自分の命までも無駄にしてしまう場合が、あまりにも多い。戸田先生が言われた遣り、まさに「人間の業」です。

現代文明への指標

 「佐渡御書」には、いくら命を大事にしようとしても結局、「ゑ(=餌)にばかされて」釣り針を呑む魚や、網にかかる鳥の例が挙げられています。こうした動物と変わらない根源的な迷い、すなわち「無明」が人間生命の根底にあります。
 この人間の「無明」から起こる「貪り」「瞋り」「癡か」という生命の歪みが、飢餓、戦争、疫病、環境破壊など、多くの文明的な課題の元凶になっていることも事実です。
 ゆえに、この「無明」を打ち破らない限り、人類の宿命転換の道を開くことはできない。世界の心ある識者たちは、人間自身の生命の変革こそ現代世界の急務であるという点で、意見が一致する時代となりました。
 確かに、富や権力や名声、快楽などをいくら追い求めても、それは、所詮、「夢の中のさか(栄)へ・まぼろしの・たのしみ」(御書386㌻)に過ぎません。あまりにも儚い。永遠の幸福を得ることはできません。今、経済の激動のなかで多くの人々が、このことに気づき始めていると言えるでしょう。
 そもそも、なぜ現代は、こんなにも生命が軽んじられる社会になってしまったのでしょうか。一次元からいえば、それは人々が、自らの命を賭しても悔いないと思えるだけの大切な「理想」や「目的」を見失ってしまったからです。
 ロシアの大文豪トルストイは、明言しました。
 「真理のためには何物をも恐れず、常にわが生命を投げだす覚悟でいる人は、みんなが恐れる人や人々の生殺与奪の権を握っている人よりもはるかに強い」(北御門二郎訳)
 本来、自分の命を捧げて貫く“道”をもった人は、自分や他人の命の尊さを心から実感できるものです。逆に、自分を律し高める“道”をもたない人は、エゴや欲望や臆病などの激流に翻弄され、些細なことで虚しく命を落としてしまいかねない。
 大宇宙の原動力たる極理を説き明かした妙法を持つ私たちの信仰は、生命を最大に輝かせゆく価値創造の太陽です。
 妙法には、万人の生命の無明を打ち破り、本源的な智慧と勇気と慈悲を引き出し開花させゆく偉大な力用がある。そして、そのためには菩薩の実践が不可欠です。この菩薩道を万人に開く哲学と行動を、人類は求め続けてきたといってよい。

生命尊厳のゆえに
 要するに、わが命をかけて悔いのない、不惜身命にふさわしい、人類の境涯を高めゆく無上道──それが仏法です。宿縁深く、この仏法に巡り合えたのだから、弟子たちよ、不惜身命で、命がけで心みよ! こう御聖訓は訴えておられるのです。
 戸田先生は言われておりました。
 「私は広宣流布という尊い仕事に、自分の命をかけさせていただいた。どんな人間でも、崇高なる目的に生きることによって、強く、大きな力を得ることができるものだ」
 仏法では、この生命は全宇宙の中で一番尊い、生命よりも尊いものはない、と説かれております。
 ゆえに仏法は、徹底した「生命尊厳」「戦争反対」「非暴力」の平和思想であります。生命を慈しみ合い、大切にし合いながら、生き抜いていくことを教えているのです。
 三千大千世界という大宇宙に敷きつめた財宝よりも、大切な一日の生命である。だからこそ、「浅き事」のために浪費してはならない。「大事の仏法」のために、命を惜しまず生き抜くのです。
 妙法は、全人類を善の方向へ導く法則です。その妙法に全生命を捧げる生き方は、どれほど深遠で、偉大で、尊いものでありましょうか。

小我から大我へ
 不惜身命といっても、決して命を"粗末にする"ことではありません。
 仏法では「帰命」と説いています。「帰」とは、仏法の不変の真理に「帰する」こと。「命」とは、仏の随縁の智慧に「命《もとず》く」ことを意味します(御義口伝、御書708㌻)。
 「帰命」とは、いわば大宇宙の根本法に生命を捧げることです。妙法という絶対の真理に身を捧げると同時に、現実生活で生き生きと智慧を発揮させていく。この往復作業こそが「帰命」の真の意義なのです。
 一滴の水は、そのままではいずれ消え失せてしまう。しかし大海に融け込むならば、永遠性の命を得ることができます。
 妙法に命を捧げることで、“小我”を捨て、“大我”に立脚した、より素晴らしい根源的な命を輝かせることができる。新しく生まれ変わった生命で、生き切っていける。これが久遠元初の妙法を持つ信仰の極意であります。
 誰人も、死は避けられません。人間は誰しも、いつかは必ず死んでいく。しかし、その生命を妙法のために捧げていけば、その魂は、御本仏日蓮大聖人の大生命と一致します。大宇宙の仏界の大生命と一体化していくのです。
 妙法を弘めるために働き、妙法のために苦労して戦い、妙法のために人生を生き切る人は、最極の生命の次元に融合する。
 どんな大学者も、大富豪も絶対に敵わない、尊極の境涯を開いていけるのです。
 妙法に生き、妙法に戦い、妙法に死んでいく生命は、大宇宙に遍満して自由自在です。
 すべてを「歓喜の中の大歓喜」(同788㌻)に変えゆく妙法です。妙法に生き抜けば、「生も歓喜」「死も歓喜」という絶対的な幸福境涯を勝ち取れるのです。そのための今世の修行であり、今の労苦です。
 戸田先生は言われていた。
 「私は二年間の獄中闘争に勝った。それは己を捨てたからだよ。牧口先生にお供して、広布にわが身をなげうつことを決めたから勝ったのだ。そう決めた時から、何の迷いも恐れもなくなった」と。
 この牧口先生、戸田先生の「不惜身命」の戦いを思えば、私たちの苦難は九牛の一毛にすぎません。

真面目な人が勝つ
 私は長年、大勢の人間を見てきました。人間というものは、本当に立派な人物は少ないものです。大聖人は「いとをしと申す人は千人に一人もありがたし」(御書1418㌻)と仰せになられています。
 御本仏の時代でさえ、五老僧をはじめ、心の底では師匠を見下し、“我偉し”と思う増上慢の輩が多かった。師匠を尊敬するどころか、提婆達多の如く師匠に嫉妬する者さえいた。
 学会でも、戸田先生の事業が苦境に陥るや、悪しぎまに先生を罵倒して去っていった者たちがいた。
 これが人間界の実相です。
 大恩ある学会に反逆した退転者たちは皆、勤行・唱題を怠け、学会活動を疎かにし、魔に食い破られて己の増上慢の生命の虜となってしまった。そして人生が狂い、無惨に滅んでしまったことは、皆様がよくご存じの通りです。
 仏道修行は、真面目に、誠実にやり抜いた人が勝つ。学会という最高の「善知識」の組織とともに歩み抜いた人が勝つのです。
 命を惜しまず、広宣流布のために戦い切るならば、どれほど偉大な境涯を開くことができるか。これを自らの生命で体験し、実証することです。
 革命とは死なり! 我ら戸田門下生の革命は、妙法への帰命なり! 私はこう思い定めて、一心不乱に恩師をお護りし、学会を護り、同志を励まし、正義の陣地を広げに広げてまいりました。
 役職の上下ではない。死に物狂いで戦った人が偉いのです。学会は仏そのものの団体です。師匠と、この学会を大事にすることが、日蓮大望人を大事にすることです。
 不惜身命とは、人に強いることではありません。自分が真剣かどうか、一人立つかどうかです。
 真剣でないところに、油断が生まれ、魔が入る。リーダーが真剣なところは魔がつけ入れない。皆が真剣であれば、邪悪との戦いにおいても、必ず明白な勝利の現証が出るのです。とくに、婦人部の一心不乱の祈りほど、強いものはありません。

永遠性の光を放て
 身命を惜しまず、法を護り、師を護り、同志を護る。それが一番、尊い人生です。宇宙で最も尊い人間性の真髄である。
 私は戸田先生を阿修羅の如くお護りする中で、こう日記に記しました。
 「毎日が、激戦! 若人は戦う、全生命力を、賭して。それが、尊く、それが美しい。疲労の中に、起ち上がる瞳、そこに、希望が湧く、未来が生まれる。そこにこそ、天の大聖曲が聞こえる」
 この尊極の大道を、わが門下の青年部に堂々と受け継いでもらいたいのです。
 「師弟不二」とは、言葉だけでは意味がない。弟子の心の根底が、師匠と合致しているかどうか。これが最も大切です。
 ドイツの音楽家クララ・シューマンは「人間は結局自分の使命に命をかけるのではなくって?」(高野茂訳)と語りました。
 いずこの分野でも、精魂を込めたものは永遠性の光を放っていくものです。芸術でも、学問・教育でも、スポーツでも、政治でも事業でも──一流の人物は皆、「命がけ」です。「不惜身命」です。血を吐くような思いで、自己の限界に挑む精進を重ねているものです。わが生命を注ぎ込み、努力に努力を重ねてこそ、後世に残る偉大な事業や作品が出来上がるのです。

わが同志こそ尊貴
 14世紀スペインの作家ドン・フアン・マヌエルは「命をかけるに値することであれば、身命を賭して誰よりも早く敢然とやりとげる人が、みずからを大事にする有徳の士である」(牛島信明・上田博人訳)との箴言を残しております。
 まして、仏法は三世永遠の宇宙の根本法則です。不惜身命で実践すれば、広大無辺の栄光と功徳に包まれゆくことは絶対に間違いありません。
 「石変じて玉と成る」(御書1423㌻)という力ある妙法です。妙法に生き抜く人生は、信念なき名聞名利の人生とは天地雲泥の差がある。
 戸田先生は言われました。
 「人間革命の運動は、世界的に広がっていくものだ。大作、吾が世界の広宣流布の道を、命を捨てて開いてくれ。これが私の心からの願いだ」
 私は、その通り戸田先生にお応えしました。
 そしてまた、この創価三代の精神を根幹として、現代社会で「不惜身命」の生き方をまっすぐに貫いておられるのが、わが学会の同志であります。
 皆様方は、この不況のなか、法のため、人のために懸命に戦ってくださっている。
 悩んでいる友がいれば、自分のことはさておいても飛んで行って励ます。夜更けまで、心から題目を送り続ける。勇気を出して「立正安国」という社会の正道を堂々と語る。民衆を愚弄する悪人に対しては、猛然と破邪顕正の論陣を張る──。この尊き皆様以外、一体、どこに「身命もおしまず修行」する闘士がいるでありましょうか。
 仏教流伝の三千年の歴史のなかで、一体、誰が「不惜身命」の法華経の行者なのか。「撰時抄」全体が、この一点をめぐって綴られた書であると言えます。この「撰時抄」を身読しているのが、創価学会です。
 日蓮大聖人直結の信心で広布に進む皆様方こそ、現代文明の最先端の哲学を体現する方々です。最高に尊貴な「不惜身命」の行者であります。その福徳は無量無辺であり、未来永遠に、子々孫々に、燦然と光り輝くことを、強く強く確信して進んでいってはしいのです。
 私と一緒に、不惜身命で進もう! 喜び勇んで、師子王の心で戦おう! 潔く、この仏法にわが人生をかけようではありませんか!

 堂々と
  創価の伝統
    受け継ぎて
  不惜の勝利は
    三世の勝利と
2009-02-19 : 御書と師弟 :
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文化と芸術の旅路

文化と芸術の旅路  饒宗頤対談 
  潮出版社 2009.2.11刊  ¥1600(税込)

第1章 求道の青春 友誼の歩み
 人類の永遠の財産──知性と芸術の対話
 師弟の美しい一幅の名画 中日友好の功績
 トインビー博士との対話が与えた多大な啓発
 学問の開拓と挑戦──崇高な父子の後継劇
 
第2章 学芸とは人間性の戦い
 優れた芸術は相互に感性を刺激する
 忘れ得ぬ出会いと友誼の喜び
 日本による侵略──戦争は非人間性の闇
 戦火が広がるなか教育と学問に打ち込む
 苦悩を叡知へと転換する偉大なる精神
 
第3章 民衆こそ友好の大海
 日中平和友好の焦点は青年にある
 蓮や書を通じての日中の心の絆
 日本の書道界と饒教授の交友
 幾重にもわたる両国の文化の交流
 
第4章 人生の勝利──「師弟」の道
 調和と共生 書・詩作が伝える人の心
 ゆかりの地のに開校した「選堂創価小学校」
 心の鍛えを通して魂を表現する
 第一級の作品は多くの人に感化を与える
 どこまでも師弟一体 師の恩、善友の恩こそ重要
 
第5章 「漢字」の力──東アジアを結ぶ智慧
 返還10周年──香港が中国の発展を牽引
 漢字文化圏における「文字学」の重要性
 漢字の構成と表される意味
 文字の起源と文字がもつ力
 漢字がもつ偉大な人間的豊かさ
 文字、文学、芸術が融合した中国文化の魅力

第6章 正義の言論──「良書」に光る不滅の英知
 学問を通じて結んだ世界の学識者との交流
 冷戦下、勇気の行動で平和と文化の道を開く
 文献に宿る人間の生命力の結晶
 豊饒な文化は交流から生まれる
 図書の寄贈──人間性を呼び覚ます良書
 報恩とは無限に成長すること
 
第7章 東洋美術の真髄──「美の交流」の喜び
 天地万物をかきあらわす「絵画の六法」
 中国美術の概念「書画同源」の英知
 「内なる宇宙」を描く「写意」を重視
 友情の表出──文人の優れた芸術作品
 「詩」と「絵画」は「双子の姉妹」の関係
 新たなる「世界と人間の発見」

第8章 限りなき「創造」の精神
 無限の創造力──饒宗頤展に大きな反響
 生命に厳然と備わる「仏の大いなる境涯」
 人間の精神を陶冶する「美」の感化作用
 人間性の勝利の凱歌 芸術は平和の武器
 美術展は「人間」を育む文化と平和の広場

第9章 法華経──平和と共生のメッセージ
 人生最高の価値への目覚めを表現する「舞」
 中国に広がった「諸経の王」法華経
 人間生命に秘められた偉大な創造力
 仏法哲学の真髄──「生も歓喜」「死も歓喜」
 鳩摩羅什訳の法華経の優れた芸術性
 調和と繁栄の道を開く「共生」の思想
 最極の生命と個性の輝き 仏法の「中道主義」
 不軽菩薩とガンジー 仏法の智慧の光を世界へ

第10章 「開かれた文明」のダイナミズム
 健康勝利の人生哲学と若き世代への指針
 「開かれた文明」が創造された時代
 中国の美術発展史にみる文明融合の歴史
 芸術の魂を育成する宗教の役割
 「平和の文化」創造へ──21世紀の宗教の使命

第11章 不朽の事業──未来の人類のために
 平和と共生 皆が勝者となる社会へ
 『万葉集』に流れる民衆の生命の輝き
 東山魁夷画伯を育んだ自然と母の慈悲
 「漢画」と「大和絵」 日中の芸術交流史
 創造の源泉としての精神の浄化
 饒教授が実地調査をした敦煌
 絵画、音楽、舞踊──多種多様な敦煌芸術
 「創立の精神」の継承が成し遂げる不朽の事業

第12章 青年とともに「永遠の向上」を
 人間、社会、宇宙に寄せる深き関心と自愛
 慢心は敗北への道 常に実力を磨き上げよ
 諸葛亮孔明の勝利を開く智略 「報恩」の生涯
 人間の向上を志向する芸術と宗教と教育
 青年たちよ 新たな学芸の歴史を築け
 人類の未来への警鐘と日中友好への道
 



テーマ : art・芸術・美術
ジャンル : 学問・文化・芸術

2009-02-06 : 文明間対話 :
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栄光への指針  「大白蓮華」巻頭言集

栄光への指針  「大白蓮華」巻頭言集
  聖教新聞社 2009.2.11刊 ¥1000(税込)

2006年
 真実は宝剣なり(3月号)
 行動は勝利の光(4月号)
 「五月三日」は創価の元朝(5月号)
 賢明なる母 「婦人部の日」を祝して(6月号)
 人生は真剣勝負なり(7月号)
 人材は必勝の宝(8月号)
 行学の二道は人間の最極の光道(9月号)
 座談会こそ広布の源流(10月号)
 創立の魂よ 永遠なれ(11月号)
 「友情」は生命の名曲♪(12月号)

2007年
 祈りは前進勝利の力(1月号)
 「対話」は人間主義の春風(2月号)
 栄光の「3・16」 完勝の王者の舞を!(3月号)
 異体同心は永遠の勝利の法則(4月号)
 「立正安国」は人類の希望の旗(5月号)
 「声仏事を為す」――正義の誉れの大音声を!(6月号)
 断固たる破邪顕正の闘士たれ!(7月号)
 入信60周年に思う 勝利の誓願を晴れ晴れと!(8月号)
 平和の究極は広宣流布(9月号)
 「生涯青春」の多宝の友、万歳!(10月号)
 「題目」は幸福勝利の師子吼(11月号)
 創価の女性は元初の太陽なり(12月号)

2008年
 広宣の人材こそ国宝なり(1月号)
 「仏法即社会」の賢者たれ!(2月号)
 青年よ! 富士の如くに(3月号)
 「仏法は勝負」の巌窟王たれ!(4月号)
 「言論」は勇気の大城(5月号)
 「絶対勝利」の智慧を開け!(6月号)
 わが未来部は地球の宝なり(7月号)
 「信心」に勝る兵法なし(8月号)
 「常楽我浄」の喜びの歌を(9月号)
 「励まし」は常勝の行進曲(10月号)
 創価の魂は「勇猛精進」(11月号)
 民衆の力は無限なり(12月号)
2009-02-05 : 巻頭言 :
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御書と師弟 仏の未来記

池田名誉会長講義 御書と師弟  (2009.2.5付)

第6回 仏の未来記

御聖訓
 「仏記に順じて之を勘うるに
 既に後《のちの》五百歳の始に相当れり
 仏法 必ず東土の日本より
 出づべきなり」
         (顕仏未来記、508㌻)

大聖人の未来記を学会が実現


 2月は、御本仏・日蓮大聖人の御聖誕(16日)の月です。そして、恩師・戸田城聖先生の生誕(11日)の月です。
 ですから私と妻にとって、この2月は弟子としての「報恩」の月です。
 あの昭和27年(1952年)の2月闘争の時、私は蒲田支部の同志に呼びかけました。「この2月、見事な勝利の結果をもって、戸田先生の誕生の月をお祝いしようではありませんか!」と。
 わが故郷である東京・大田区の天地から、私は“師のために戦う”弟子の陣列を広げました。2月闘争の原動力は「報恩」の魂です。大きく壁を破った201世帯の折伏は、直弟子の謝徳の結晶なのです。
 さらに、昭和36年(1961年)、第3代会長に就任して最初の2月。私は仏教発祥の地・インドを初訪問しました。

アジアの民に日《ひかり》を
 それは師恩に報いゆく旅でした。
 「アジアの民に 日《ひかり》をぞ送らん」──私の胸には、東洋広布を願ってやまなかった恩師の遺影がありました。
 戸田先生の不二の分身として、大聖人の「仏法西還」の御予言を実現しゆく道を、決然と踏み出したのです。
 仏の未来記を現実に証明し、成就するのは誰か。
 「顕仏未来記」は、この根本を明かされた御書です。
 大聖人は、本抄の冒頭に「我が滅度の後《のち》・後《のち》の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」(御書505㌻)という法華経の経文を掲げられました。
 これは、末法の広宣流布を予言した釈尊の「未来記」(未来を予見し記したもの)です。この経文を現実のものとされたのが、大聖人であられます。
 インドから西域へ、中国へ、韓・朝鮮半島へ、日本ヘ──西から東へと、月氏の仏法は流伝してきました。それは、壮大な仏法東漸の歴史です。
 ところが、末法の日本に至って、完全に形骸化し、民衆救済の力を失ってしまった。
 いくら多くの経典が持ち込まれ、儀式が盛んでも、仏閣が甍を連ねても、真に民衆のために正義と慈悲の闘争を貫く師弟は現れなかった。
 実際、鎌倉時代の日本では念仏の哀音が広まり、民衆は深い厭世感・絶望感に沈んでいた。

太陽の仏法は赫々
 その暗い闇の日本に、末法万年の民衆を照らしゆく日蓮仏法の太陽は赫々と昇ったのです。
 大聖人が、競い起こる三障四魔、三類の強敵と戦い抜かれ、大難の中で妙法を弘通されたからこそ、広宣流布を予言した釈尊の未来記は真実となりました。「顕仏未来記」では、この烈々たる御確信を述べられています。
 「日本国中に日蓮を除いては誰人を取り出して法華経の行者と為さん汝日蓮を謗らんとして仏記を虚妄にす豈大悪人に非ずや」(御書507㌻)──日本国中に、日蓮を除いては、誰人を取りあげて法華経の行者とするのであろうか。汝は日蓮を謗ろうとして、かえって、仏記を虚妄にするのである。まさに汝こそ大悪人ではないか──。
 大確信の師子吼です。
 誰が仏法の正義のために戦っているのか。自分一身のために言うのではない。仏の金言を何よりも大切にし、正しく実践し抜いているからこそ、何ものも恐れずに叫べる。いかなる圧迫にも断固と打ち勝つ力が出るのです。
 まっしぐらに師弟の道に徹する人生は強い。どこまでも正義の炎を燃え上がらせ、祈り抜き、戦い切ることである。そうすれば、破れない壁などない。勝てない戦いなどない。
 釈尊の未来記を実現したのは大聖人であられます。それを踏まえて、「では汝自身の未来記はどうなのか?」との問いを設けられ、答えられたのが、今回の御聖訓です。
 「答えて曰く仏記に順じて之を勘うるに既に後五百歳の始に相当れり仏法必ず東土の日本より出づべきなり」(同508㌻)
 「後五百歳の始」とは、末法濁世・闘諍言訟の時代です。その濁り切り、乱れ切った世に、末法万年の全世界の民衆を救う大白法が「東土の日本」から興隆するのだ! これが大聖人の厳然たる未来記なのです。

師匠の真実を弟子が残せ!
皆様は世界広宣流布の誉れの英雄


師弟不二の大闘争
 では大聖人の未来記である「一閻浮提広宣流布」を現実のものとしたのは誰か。
 それは、我ら創価学会です。SGI(創価学会インタナショナル)です。初代・牧口先生、2代・戸田先生、そして第3代である私と皆様方の「師弟不二」の大闘争によって、今日、大聖人の仏法は世界192カ国・地域に広がりました。
 何事も「一人」から始まる。真実の「最初の一人」が出現すれば、「後継の一人」の弟子が立ち上がる。そして時代創造のうねりは「二人・三人・百人と次第に」(御書1360㌻)伝わっていく。「法」といっても、この「師弟の継承」の中にのみ躍動し、広がりゆくのです。
 学会は、正しき師弟の団体であるからこそ、大聖人の未来記を壮大なスケールで実現できた、仏法史上、未曾有の教団なのであります。
 この学会とともに、一人一人と対話し、一人一人を励ましながら、広宣流布へ歩んでおられる同志の皆様こそ、最高に尊貴な方々に他ならない。皆様方をおいて、一体、誰が御本仏の未来記を現実のものとしてきたでありましょうか。この大福徳は、未来永遠にわたって無量無辺であります。
 ゆえに、広宣流布の闘士である皆様方を侮辱し迫害する者は「豈大悪人に非ずや」であり、仏罰もまた厳然である。御本仏が御断言です。その厳しき因果の現証は、皆様がご存じの通りであります。

必ず未来の経典に
 今や、学会の大前進に世界の多くの知性が目を見張っています。アメリカの著名な仏教研究者であるクラーク・ストランド氏は、こう述べておられた。
 「歴史的に見ても、新しい宗教革命が起きる時は、その宗教が伝わる勢いは大変なものがあります。理屈を超えて、人の心から心に伝わっていく。
 創価学会を研究してきて、おそらく500年、1000年に一度、誕生するかしないかの偉大な宗教であると確信します」と。
 深く、鋭く見てくださっています。
 あまりにも使命深き学会の存在について、戸田先生はこう語られたことがありました。
 ──法華経には、威音王仏という仏が登場する。2万億もの仏が、みな同じ威音王仏という名前で、長遠の歳月、衆生を救済してきたと説かれている。この威音王という名も、優れた仏の名であったかもしれないし、またそういう名の教団があったと考えることもできる。
 同じように、「創価学会」という教団は、必ず未来の経典に金文字で記される。「一閻浮提広宣流布」という未来記を実現した「創価学会仏」として、永劫に仰がれゆくのだ──

「団結の歓喜」で進め
 今、世界の同志と心を一つに胸を張って広布の道を進まれる皆様方は、何と不思議な福徳と、何と尊貴な栄光に包まれゆく方々でありましょうか。
 学会の同志一人一人の祈りは、個々人の祈りであるにとどまらず、世界広宣流布の仏意仏勅に連なる祈りです。だからこそ、仏の智慧が光り、仏の力が湧くのです。諸天善神が必ず動き、三世十方の仏菩薩が皆様を守りに護るのです。
 私の友人で、世界的な法華経研究家であられるインドのロケッシュ・チャンドラ博士(インド文化国際アカデミー理事長)が昨年春、日本で講演した際、参加していた一人の女性の質問に答えられながら、こう語つてくださいました。
 「あなたが創価学会を知ることができ、創価の師弟の偉大なる心に接することができたことは、非常に幸運な出来事であることに、気づかなければなりません」と。
 博士は常々、法華経のメッセージは創価の師弟によって人類全体への呼びかけとなったと洞察されています。それは「人間であることの喜びを実感し、精神を開花させ、世界が家族のように苦楽を分かち合おう」という呼びかけです。
 三世常住の大法を悟った仏の慈悲と智慧を現代に継承し、仏の未来記を堂々と実現しゆく「一閻浮提第一の教団」──これが創価学会です。生老病死の苦悩を打開しながら、永遠に連帯し、「団結の歓喜」に満ちて進む常楽我浄の大陣列です。
 その誉れ高き主役が、皆様方です。甚深の使命を自覚すれば、力はまだまだ出ます。
 私は、戸田先生との約束を実現しようと祈りに祈りました。“世界中に、地涌の同志よ、出でよ!”──この強い一念を込めて、走りに走り、大地に染み込ませるように題目を唱え抜いてきました。一人また一人と心を結び、仏の如く敬い、励まし続けてまいりました。

末法万年の基盤が
 そして今、世界同時に地涌の菩薩が涌出する時代を迎えました。48年前、メンバーが一人もいなかったインドは今、3万8千人の大行進となった。いよいよ、一閻浮提広宣流布の壮大な展開が始まりました。
 昨年、「192番目」を飾ってメンバーが誕生した国は、南太平洋の宝石の島「ソロモン諸島」と、ヨーロッパの文化の宝庫「モンテネグロ」(旧ユーゴ)です。
 どちらも、戦乱の悲劇を乗り越え、新時代を開いてきた天地です。この国々にも、広布のリーダーが涌出し、「三変土田」の道を開く、平和と幸福の妙法の大音声が響き始めたのです。
 21世紀の絢爛たる前進は、これからです。明年の学会創立80周年(2010年)から100周年(2030年)ヘ──爛漫たる世界広布の文化と教育の大花《たいか》が咲き誇る時代になります。
 末法万年尽未来際への尊き基盤を盤石に創り上げているのが、今の私たちの戦いなのです。大聖人は、日本は「邪智謗法の国」であると喝破されました。この日本で勝てば、世界の同志も威光勢力を増し、ますます歓喜踊躍して勝ち栄えていくことができる。
 偉大な業績は、逆境の中で生まれる──これは歴史の法則であります。
 本抄では「日来《ひごろ》の災《さい》・月来《つきごろ》の難・此の両三年の間の事既に死罪に及ばんとす今年・今月万が一も脱がれ難き身命なり」(御書509㌻)と仰せです。
 本抄を御執筆された文永10年(1273年)、大聖人は佐渡流罪の大難の中におられました。万が一にも死を逃れられない命である──。しかし、この最悪の状況の中で、大聖人は、はるか未来の世界広布を展望なされたのです。あまりにも雄大にして悠然たる御本仏の御境涯ではありませんか。
 今、さまざまな苦境と戦う同志もおられる。しかし最も大変な中でこそ、最も崇高な人生の金字塔が打ち立てられていくのです。これが、大聖人に連なる我らの「難来るを以て安楽」(同750㌻)の極意です。

永遠の勝利劇を!
 さらに大聖人は本抄で「世の人疑い有らば委細の事は弟子に之を問え」(御書509㌻)と呼びかけられました。師匠の正義を語り広げるのは、弟子の責任であります。
 未来を託す師の絶対の信頼に、命を賭して応えゆく弟子の誓願の闘争の中にのみ、広宣流布の命脈はある。
 思えば、聖教新聞の創刊も、会館の建設も、創価学園・創価大学の創立も、戸田先生の事業が最悪の逆境にあった時に、師弟で語り合った構想です。そのすべてを、私は不二の弟子として実現しました。そして、牧口先生、戸田先生を、全世界に大きく宣揚しました。
 師匠の正義を満天下に示す。あらゆる大難に打ち勝って永遠に伝える。これこそ、弟子の誓願であります。
 そして、いよいよ、わが分身である青年部の諸君の出番であると、私は声高く宣言しておきます。
 マハトマ・ガンジーの精神を継承されるラダクリシュナン博士が、私との対談集(『人道の世紀へ──ガンジーとインドの哲学を語る』)で、マハトマ・ガンジーの言葉を紹介されていました。
 「私が去った時には、(弟子の)ジャワハルラル(ネルー)が私の言葉を話すであろう」
 その予見通り、インド独立の父・ガンジーが世を去った後、高弟であったネル一首相がガンジーの遺志を継ぎ、新生インドは旭日の興隆を始めたのです。
 こうしたガンジーと弟子たちの姿を通し、ラダクリシュナン博士は「師匠は弟子の行動の中に生き続ける」「永遠性に向かって創造的に生きる時、師匠と弟子は不二になる。私はそう信じています」と断言されました。
 「仏の未来記」を、世界へ、万代へ伝え広げゆく私たち師弟の前進は、悠久のガンジスの如く、壮大な未来に続く地涌の人材の大河であります。
 “世界史は、不断の闘争が生む永遠の人間劇に他ならない”とは、フランスの歴史家ミシュレの感慨でした。我らは、人類史に未曾有の広宣流布という「永遠の人間勝利の劇」を演じているのです。
 創価の「師弟の未来記」が、不滅の大光を放ち始めました。人類の民衆史の勝利の黎明が、ここにあります。

 大仏法
  世界広布の
    使命かな
  創価の仏勅
    永遠に光りぬ
2009-02-05 : 御書と師弟 :
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