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御書と師弟 御義口伝と青年

池田名誉会長講義 御書と師弟

第3回 御義口伝と青年    (2008.12.25付 聖教新聞)

御聖訓
 「一念に億劫の辛労を尽くせば
 本来無作の三身念々に起こるなり
 所謂南無妙法蓮華経は精進行なり」
            (御義口伝、790㌻)

永遠を一瞬に凝結しゆく唱題行
広宣流布は 師と青年の共同作業


 「大作、いいか。絶対に命に刻んでおけ。学会の闘士は、この御聖訓を忘るるな!」
 今回は、入信の直後、わが師・戸田城聖先生から、烈々たる気迫で魂に打ち込んでいただいた御金言を共々に拝したい。
 法華経の涌出品第15には「昼夜に常に精進す 仏道を求めんが為めの故に」(法華経466㌻)と説かれております。
 これは、大地より出現した無量千万億の地涌の菩薩が、無数劫という過去から、師匠である仏の智慧を習い修めてきた。その修行の姿を説いた経文です。
 地涌の菩薩は、無量の長い時間、昼夜を問わず一心に「師弟の道」を精進し、巍々堂々たる境涯を開いたのです。この法華経の一文を受けられて、日蓮大聖人は仰せになられました。
 「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり」(御書790㌻)
 すなわち、今、末法の我々は、この瞬間瞬間の生命の内に億劫の辛労を尽くしゆくのだ。それが南無妙法蓮華経の唱題行なのである、との御文です。
 それまでの仏道修行は、「無量劫」という想像を絶する長遠な時間をかけて行わねばならないとされてきました。そうではなく、南無妙法蓮華経と唱えることによって、わが「一念」に「本来無作の三身」、すなわち、もともと(本来)自分自身に具わっている、ありのまま(無作)の仏の生命を湧き上がらせることができる。
 いわば、永遠を一瞬に凝結して行ずる修行が、私たちの唱題行なのです。

胸中の仏の大生命
 「三身」とは、仏の生命の三つの側面であり、端的に言えば「法身(真理)」「報身(智慧)」「応身(慈悲)」です。この三身がそろった完全な大生命が、他のどこでもない、わが胸中から湧き起こってくるのです。
 どれほど素晴らしい妙法の功力であり、どれほど深遠な法理であり、どれほど荘厳な私たちの仏道修行でありましょうか。
 凡夫である私たち自身の内に尊極の仏の生命が厳然と具わっている──この仰せは、仏法の人間主義の精髄です。
 古今東西、権威の聖職者らが民衆を見下し、抑圧してきたのが、多くの宗教の悲劇の歴史です。「御義口伝」は、こうした人間蔑視、民衆蔑視の宗教に対する挑戦であり、高らかな勝利宣言とも拝察されます。
 「一念に億劫の辛労を尽せば」──私は若き日より、この「御義口伝」を身で拝し切る覚悟で、戸田先生の弟子としての戦闘を貫いてきました。
 広宣流布の大師匠であられる戸田先生をお護りし、その構想を一つ一つ実現するために、一念に億劫の辛労を尽くすのだ、と誓願していたのであります。

今の「一念」が勝負
 私が先生にお仕えしたのは10年間です。しかし、そこには百年、いな千年にも匹敵する師弟の歴史が刻まれました。
 「南無妙法蓮華経は精進行なり」──甚深の仰せであります。
 精進の「精」とは「無雑」。混じりけのない信心です。「進」とは「無間」。絶え間ない前進です。この純一にして不退の「行」に励みゆくことが、私たちの成仏への直道なのです。
 私たちにとって、広宣流布のために苦労しながら、前へ前へ進んでいくことは、すべて「億劫の辛労」に通じていきます。
 今の「一念」が勝利を決する。ロシアの大文豪トルストイも、「今に生きること、つまり、今、最高の行動をすることこそが賢明である」と語った。真剣の一念が未来を開きます。
 「一念」は見えない。しかし、それは行動となって現れる。「賢者はよろこび愚者は退く」(御書1091㌻)と仰せの如く、試練にも喜び勇んで挑む一念。これが「信心」です。その勇敢な前進の原動力が「題目」です。
 誰しも苦しみや悩みはある。経済苦や病苦もある。けれども、妙法を唱え、広宣流布へ進む人は、自分自身が仏の生命となる。いかなる苦難も乗り越え、勝ち越えゆく仏の智慧と力を、わが命から引き出すことができる。その戦いの中で、わが一念は、真金の如く強くなり、深まっていくのです。

「素晴らしい悩み」
 戸田先生は、よく言われました。「お金がなくて悩む。体が弱くて悩む。悩みは多次元にわたって時々刻々と起こってくる。その中にあって、法を弘めようとして悩む。人々を幸福にしようとして悩む。正しき信心に立って、法のため、人のため、広宣流布のために悩む、ということは、最大の素晴らしい悩みである」と。
 師弟の大願を掲げて行動する、その一瞬一瞬の生命に、仏と等しい生命が「念念に」溢れてくるのです。
 「月月・日日」に強く励みゆく学会活動こそ、現代の精進行にほかなりません。わが同志の皆様こそ、「本来無作の三身」の大生命を「念念に」躍動させて戦う尊貴な地涌の菩薩です。
 「我らは、21世紀の精進行の大英雄なり」と、胸を張って勇敢に今日も一歩前進していきましょう!
        ◇
日興上人
熾烈な攻防戦の中で 師弟不二の不滅の勝利劇


 「御義口伝」は、日蓮大聖人が法華経の要文を講義された御口授《ごこうじゅ》(口伝)の筆記です。日興上人が綴り残され、大聖人に御允可をいただいたと伝えられる、真髄の法門です。
 この法華経の御講義は、大聖人が身延に入られてからの数年間にわたり行われました。大聖人は、あらゆる大難に打ち勝たれ、悠然たる勝利の御境涯で、末法万年のため、後継の育成に全魂を注がれていたのです。

若師子の大法戦
 数多くの門下の中で、日興上人の闘争力は抜きん出ておられました。大聖人が御年53歳で身延に入山された時、日興上人は29歳であられた。日興上人は、駿河(現在の静岡県)を拠点として、大聖人のおられる甲斐(項在の山梨県)までの一帯──いわば師匠を厳讃する「本陣」で颯爽と指揮を執り、弘教を展開された。そして、後に教団の中核となる青年門下を続々と育てていかれたのです。
 権力者や邪法の悪僧らは、大聖人の厳然たる師子王の御姿に恐れおののいていた。ゆえに"弟子を狙え!"と矛先を変え、日興上人とその後進たちも"標的"とされた。謀略によって追放された弟子門下もいたのです。
 あの「熱原の法難」は、「御義口伝」を講義されている時代に起こりました。その熾烈な弾圧との戦いの矢面に、若師子・日興上人は立たれたのです。
 師であられる大聖人が、尽未来際に向けて法華経の極理を講義される中で、弟子の日興上人は、破邪顕正のために「億劫の辛労」を尽くしておられた。
 師匠も戦う。それにもまして弟子が戦う。この不二の熱闘の中で、永遠不滅の法門が脈動し、正義の血脈、勝利の血脈が流れ通っていくのです。
 師匠をお護りし、広布の地盤を広げる拡大戦。襲い来る魔軍との攻防戦。日興上人は、この闘争の状況を逐一、大聖人にご報告し、次の前進への御指南を仰がれました。戦いは、ひたぶるに師を求め、師と呼吸を合わせる電光石火の往来の中で勝ち開かれたのです。
 それは、弟子たちが勇んで師のもとに集い、団結を固め、再び戦場に赴くための会議でもあったに違いありません。いわば絶対勝利への"協議会"であり、"幹部会"であったといってよい。
 日興上人は、命を賭しての闘争に身を置かれながら、師の講義を完璧に後世に伝えようとされた。万年の民衆救済へ、遺言の思いで講義なされる師匠。その師の教えを一言一句も違えず心肝に染め、権力の魔性と戦い抜く覚悟の弟子。あまりにも厳粛でした。その志は、他の五老僧とは天地雲泥であった。
 だからこそ、師の正義と真実を余すところなく残すことができた。「御義口伝」は、まさに師弟不二の勝利劇の結晶なのです。
 歴史は、人間と人間が創る。その究極が師弟です。
 師とともに「精進行」に打ち込める人生は、最高に幸福です。それ自体が不滅の光を放つ栄光の一日一日なのです。

戸田先生の講義
 戸田先生は、師・牧口先生にお供されて、命がけの獄中闘争で仏法の真髄を悟達なされた。学者でも、聖職者でもない。最極の法を生命で実践された行者でした。その先生が、時に厳として、時に闊達に、時にユーモアを交えながら、自在に発せられる指導や講義は、幾十万もの庶民の心に勇気と希望の炎を点火してくださいました。
 先生は、場所も時も問わず、あらゆる場面でご指導くださった。ご自宅や西神田の旧学会本部だけではありません。道を歩きながらでも、地方に向かう列車の中でも、突如として御書の講義が始まるのが常でした。
 「本当に私の講義を身をもって受けた人間は、根本的に力が違うよ。あとでわかる」と語られておりました。

門下よ戦い進め!
 学会は、戸田先生の願業である75万世帯の大折伏に向かって勇猛精進していた。私は師の構想を実現する大闘争の渦中で、深夜、妻とともに、先生の指導を必死に綴り残しました。師の教えを一言も漏らさず、未来永遠に残しゆかんとの祈りを込めてです。
 先生が逝去された後も、小説『人間革命』を不惜身命の激務の中で執筆してきました。さらに先生の全集をまとめ、講義のレコードを作り、先生の思想を語りに語り抜いてきました。
 恩師逝いて50年──。私は師の正義を社会に宣揚し、世界に広げる使命に、全生命を捧げてきたのです。
 「仏法は、すべて証拠主義である。証拠がなければ、観念論でしかない」とは、戸田先生の透徹した指針でした。
 今、私はこの師弟不二の使命と栄光の印綬を、わが青年部の諸君に託したい。
 明年は「青年・勝利の年」。創価の正義を未来へ広げゆくには、師と心を合わせて弟子が妙法を朗々と唱え抜き、「一念に億劫の辛労」を尽くす以外にない。広宣流布は、一閻浮提に開きゆく、師と青年との"勝利の共同作業"であることを宣言しておきます。
 先生は「大作を育てたから、もう安心だ」と語っておられました。弟子の誉れです。師匠にご安心していただけること以上の幸福はありません。
 先生はこうも言われました。「人間は戦うために生まれてきた。進みに進み、勝つために生まれた。これが幸福と平和につながる人生の意義である。人生は勝利のためにある」
 その勝利の力が題目です。
 今、私は直系の弟子である青年部に、万感の期待を込めて呼びかけたい。
 わが門下よ、一念に億劫の辛労を尽くせ! 徹して苦労せよ! 試練の炎の中で生命を鍛え、金剛不壊の大城の如き自分自身を創り上げよ!
 明年も、私とともに戦おう! 私とともに勝って勝って、勝ちまくろう! そして永遠不滅の歴史を築きゆこう!
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2008-12-25 : 御書と師弟 :
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随筆 師弟の光

随筆 師弟の光 
  聖教新聞社 2009.1.2刊 ¥1300(税込)

まえがき 

創価の世紀

 永遠の師弟の原点「3・16」 青年よ 広宣流布の「大願」に立て!(2008.3.16)
 桜花の「4・2」に恩師を想う(上) 学会は師弟不二の団結の城(2007.4.1)
 桜花の「4・2」に恩師を想う(中) 常勝の金の幕を「真実の弟子」が開いた!(2007.4.5)
 桜花の「4・2」に恩師を想う(下) 我は戦う! 永遠に師と共に(2007.4.6)
 永遠なれ 栄光の5月3日(上) わが「創価の出発」の記念日(2007.5.3)
 永遠なれ 栄光の5月3日(下) 創価の師弟は堂々勝ちたり(2007.5.4)
 師弟勝利の7月(上) 真実は勝て! 必ず勝つのが師子!(2007.7.27)
 師弟勝利の7月(下) 人生は生涯 闘争なり!(2007.7.28)

勇者の世紀

 青年の陣列の拡大(上) 一切の勝利は「人材」で決まる(2008.2.9)
 青年の陣列の拡大(下) 青年部 勝鬨あげて 青春飾れや(2008.2.10)
 尊き師弟の物語 わが使命ある弟子よ 不滅の歴史を創れ!(2008.6.25)
 「池田華陽会」の前進を喜ぶ 「青春の誓い」に生きる誇り(2008.5.1)
 新しき50年の明星・学生部 勝利を開く「戦う知性」たれ!(2007.7.2)

勝利の世紀

 勝ちまくれ! この1年 誠実一路 創価の旗を高く掲げて!(2007.1.24)
 「希望の柱」は創価なり 我らは永遠に生気溌剌と前進!(2005.9.27)
 声仏事を為す 語れ! 広宣流布は「声の戦い」だ(2007.3.6)
 世界一の婦人部を讃う 幸福と正義の「灯」で世界を照らせ!(2008.1.25)
2008-12-21 : 随筆集 :
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御書と師弟 三変土田

池田名誉会長講義 御書と師弟

第1/2回 三変土田    (2008.12.11/12付 聖教新聞)

わが一念で仏の国土に!
世界を変えゆく生命の光


御聖訓
 「心の一法より国土世間も出来する事なり」
              (総勘文抄、563㌻)

 「大作、行ってこい! あの地に広宣流布の旗を堂々と打ち立ててくれ!」
 恩師・戸田城聖先生の命を受け、私は若き日、電光石火で転戦しました。蒲田へ、文京へ、大阪へ、山口へ、札幌へ、夕張へ。
 いずこでも、その地の「三変土田」すなわち国土の宿命転換を祈り戦った。戦い走った。行くところ向かうところ、私は大地に妙法をしみこませる一念で、唱題を重ねた。大地から地涌の菩薩を呼び出す誓願で、対話を続けた。そして厳然と師の構想を実現してきました。
 法華経に説かれる「三変土田」。その通りの実践が、我ら創価の同志の「人間革命」の行動です。「三変土田」の本質は、一人一人の生命を変えることに他ならないからです。
 「正義」が勝てば、「国土」は変わる。ゆえに「三変土田」とは、正と邪の熾烈な闘争なのです。
 創価学会の大興隆が大いなる力となって、日本は敗戦の焦土から発展を遂げた。この点に、大歴史家のトインビー博士も刮目されておりました。妙法流布こそ、この地上を平和の楽土に転換しゆく根本のエネルギーです。皆様は、私とともに、この誉れの大使命を担って日夜戦ってくださっている。それが、どれほどすごい人生であるか。大福徳の道であることか。
 「心の一法より国土世間も出来する事なり」(御書563㌻)との御聖訓は、仏法の奥義です。「一念」は即「三千」の次元に広がる。人間の「心の一法」の在り方しだいで、国土が善くも悪くもなる。
 人類の精神史は、この「心の一法」の探求の歩みでもあったといって過言ではない。戦争も、飢餓も、地球環境の問題も、煎じつめれば、すべて人間の「心の一法」に帰着するからです。

国土にも「境涯」が
 一念三千の法理に照らせば、国土にも「境涯」があります。「依正」──「依報(環境)」と「正報(主体)」は不二ですから、そこに住む人間の境涯が乱れれば、国土も荒んでしまう。人間の境涯が強く高く輝けば、国土も光を放っていくのです。
 この青き地球を、平和と繁栄と幸福の光で包むには、「心の一法」を究め、深め、磨いていくことが、絶対に不可欠です。科学技術や情報技術も、この根本を疎かにすれば、人間の幸福に生かすことはできない。国土をも栄えさせゆく「心の一法」──その究極が、妙法への信心です。
 戸田先生は「広宣流布への信心があるところが、仏の国土なのだ」と断言されました。
 わが尊き地域本部(団地部・地域部・離島部・農村部)や社会本部(社会部・専門部)の方々をはじめ、学会の同志の奮闘は、力強く地域を、社会を支え守っています。皆様方が、一人ももれなく幸福と健康に輝く人生を勝ち飾ることが、そのまま一国の宿命転換の道となる。
 庶民が立ち上がり、青年の熱と力を引き出すことが、国土全体の繁栄につながります。
 その意味において、私とともに「“まさか”が実現」の歴史を打ち立てた関西をはじめ、宿縁深き同志が、幸福・勝利の人生を歩んでおられることが、私の何よりの喜びであります。
 古くから、「天下の台所」と呼ばれてきた大阪。そして大関西。ある学者は、昭和20年代から30年代初頭の関西の庶民の熱気が、日本の高度経済成長の推進力になった、と着眼されていました。わが常勝関西が日本を動かしてきたのです。私がお会いした経済学者のサロー博士や、アメリカのシーファー大使など、多くの識者も異口同音に感嘆しているように、関西の力は、まだまだ無限です。
 ともあれ、必死の一人の力は、百万軍に勝る。
 「心の一法」を変革し、自分が変われば周囲が変わる。周囲が変われば世界が変わる。
 混迷の闇が深いほど、仏法の智慧が光ります。勇気が光ります。私たちの前進は、日本、そして世界の輝ける未来を開く前進です。ゆえに、断じて歩みを止めてはならない。
 戸田先生は叫ばれました。
 「『仏法は勝負』である。本当の仏法は社会での大闘争の中にある。仏法を現実社会の中で行じ、人間のため、国のため、世界のために戦ってこそ、真の大聖人門下であり、真の革命児ではないか。これが創価学会だ」

3回にわたる浄化
 さて「三変土田」とは何か。これは、今いる国土を仏国土に変えていくという変革の法理です。法華経の見宝塔品第11に説かれています。「三変」とは、三度にわたって変えること。「土田」とは、国土・土地・場所の意味があります。
 法華経には「虚空会の儀式」が説かれます。すなわち、輝きを放つ巨大な宝塔が大地から出現し、全宇宙から諸仏が集まって、虚空(空中)で釈尊の説法が行われます。
 ところが、最初は、宝塔の中にいる多宝如来は姿を現しませんでした。宝塔の扉は固く閉ざされたままです。この扉を開く条件として、諸仏が来集することが必要であった。そのためには、仏が集うにふさわしい国土(仏国土)に浄めることも必要となる。そこで釈尊が、3回にわたって国土を浄めたことを「三変土田」というのです。
 1回目──釈尊は眉間から光を放って、無数の国土にいる仏たちを見ました。それぞれの国土では、さまざまな仏と菩薩が妙音をもって法を説いていた。この仏たちが、それぞれに従う菩薩に「私は今、まさに娑婆世界の釈尊の所へ行く! そして多宝如来の宝塔を供養するつもりだ」と告げる。
 宝塔が涌現したことを知るや、釈尊と多宝如来にお会いするために、無数の仏たちが続々と結集してくるのです。
 無数の国土とは、現代的に言えば他の無数の星々といえるかも知れない。宇宙のすみずみで活躍してきた諸仏が、弟子たちを引き連れて、この地球上の霊鷲山に集ってくるのです。何と雄壮なスケールでしょうか。
 この仏菩薩を迎えるために、釈尊は大地を瑠璃で彩り、宝の樹で荘厳しました。
 芳しい香りが広がり、曼陀羅華で敷き満たされます。この浄土に大宇宙から集まった諸仏は、一人ずつ「師子の座」に座る。これが1回目の儀式です。
 2回目──最初の浄化が行われても、全宇宙からやってきた諸仏は膨大な数で収まりきれません。そこで釈尊は、さらに八方のおのおの二百万億那由他もの国土を浄めます。それら無数の国土は、すべてつながって、想像を絶する広大な一つの仏国土が出現します。
 しかし、それでも、全宇宙の仏が集まるには十分な広さではなかった。
 3回目──2回目と同様に、八方のおのおの二百万億那由他の国土を浄化し、すべての国土がひと続きとなった、さらに壮大な仏国土が出現します。
 3回の浄化の結果、この娑婆世界と、合わせて八方の四百万億那由他もの国土が全部一つの仏国土と化して、そこに十方の分身仏が満ちあふれるのです。
 これで条件が整い、ついに宝塔の扉が開かれます。多宝如来が見守る中、大衆が空中に導かれ、虚空会の説法が始まる。
 釈尊は大音声で告げました。
 「誰《たれ》か能く此の娑婆国土に於いて、広く妙法華経を説かん。今正しく是れ時なり」
 未来の弘教の呼びかけです。

未来を担う人材群
 「三変土田」の本質とは、宇宙大の広がりをもって、無数の弟子が勇んで師のもとに馳せ参じる荘厳な師弟のドラマといってよい。ここから、遠大な未来の広宣流布へ誓願の人材群が打って出るのです。
 師弟こそ、一切の原点です。
 師弟こそ、勝利の源流です。
 この虚空会の儀式の開幕は、法華経の「本門」への起点となっています。久遠の師弟が織りなす「本門の舞台」を開いたのが、この「三変土田」です。
 仏眼・法眼で見れば、今、日本そして世界のあらゆる所で、仏国土が築かれつつあります。絢爛たる民衆凱歌の「本門の舞台」が実現しているのです。
 いよいよ、「本門の弟子」が躍り出る時代が到来しました。

粘り強く現実変革に挑戦を!
信心の力で人生を勝ち開け


 わが師・戸田先生は、よく言われました。「私は、信心のこととなると、強情なまでに辛抱強いんだよ」と。
 広宣流布は、巌窟王の如き執念をもって、たゆみなく挑戦を続ける大闘争です。
 わが学会の闘士が、悪口罵詈の渦巻く中、どれほど忍耐強く勇気と誠実の行動を重ねて、わが国土を変えてきたか。それは、まさしく「三変土田」に通じます。
 三変土田──この娑婆世界の変革は、なぜ、3回にわたって行われたのか。
 この点について天台大師は、娑婆世界を浄め、「方便土」「実報土」そして「寂光土」にした、と意義づけています。
 「方便土」とは「二乗」などが住む世界、「実報土」は「菩薩」が住む世界、「寂光土」は「仏」が住む世界です。
 天台はまた、「三惑」という惑いを破ること、すなわち1回目は「見思惑」を破ること、2回目は「塵沙惑」を、さらに3回目は「無明惑」を破ることだ、とも論じています。
 この三惑に打ち勝って、仏の境涯を顕す象徴とするのです。
 ともあれ、大事な点は、釈尊が、間を空けずに、二度、三度と、連続して国土を変え続けたことにあります。第二波、第三波とうねりを起こし続けてこそ、偉大な変革は成し遂げられる。

人間革命のドラマ
 実は、もう一歩深く日蓮仏法から見れば、この挑戦を起こした瞬間、生命は大変革を遂げています。一念が深く定まれば、三惑は瞬時に打ち破られるからです。だから国土も変わらないわけがないのです。
 三変土田とは、狭い心のカラを決然と破る「人間革命」の挑戦そのものなのです。そのために、妙法を朗々と唱え、師の心をわが心として広宣流布の行動を勇敢に開始するのです。「いつか」ではない。「今この時」が勝負です。

人類を結ぶ大瑞相
 「文明論」の観点から言えば、三変土田は人類文明の共和の象徴です。十方世界のそれぞれにいた仏が集まり、一つの仏国土の中に遍満し、融合する。虚空会の舞台は、人種や民族、文化や国土の違いを超えて結び合う理想郷です。
 また「生命論」から言えば、妙法は大宇宙の法則です。私たちが妙法を弘めるところ、全宇宙の諸仏・諸菩薩が喜び来って、必ず、その人を讃え守護する。三変土田から始まる虚空会の説法は、この約束といってよい。
 この法理を、現実の荒れ狂う世界で展開しゆくのが広宣流布です。広布に生き抜くことは、貪・瞋・癡という三毒に満ちた社会を、仏国土に大転換しゆく三変土田の戦いなのです。
 さらに三変土田を「境涯論」から論ずれば、釈迦・多宝の二仏が、いかに無量無辺の徳を具えていたかを示しています。
 三変土田は、三世分身《ふんじん》の諸仏の統合の原理でもある。全宇宙の仏菩薩が、法を求め、師を求めて、はるばる娑婆世界に来下してきたのです。法華経を説く仏とは、それほどまでに広大無辺な慈悲と英知に満ちた偉大な境涯なのです。
 それは、根底にある妙法の偉大さです。そして、妙法に生き抜く創価の友も、この境涯を開いていけるのです。
 今、世界中から多くの指導者が続々と、創価の城に来訪されております。中国をはじめアジア各国、そしてキリスト教・イスラム教・ユダヤ教など諸文明を代表する賓客が、創価の哲学と運動に、心から共感されております。妙法を根幹とした我らの人間主義に深い共鳴を示され、連帯していかれるのです。
 世界中の都市からも、最高学府からも、名誉称号をお贈りいただいております。
 すごい学会になりました。この姿こそ、人類を結ぶ三変土田の大瑞相ではないでしょうか。

満々たる生命力で
 さらに、全国の津々浦々の学会の集いにも、地域の名士の方々が喜んで参加される時代になりました。我ら師弟の大城は、まさに千客万来です。皆様方のお力で、「妙法独り繁昌せん」(御書502㌻)の御金言は現実のものとなったのです。
 わが支部、わが地区、わがブロックで懸命に友を励まし、心を変えゆく対話。その真剣な戦いは、すべて三変土田の栄えある勝利の劇です。小さな地域であっても、大変な地域であっても、ここがわが今世の黄金の晴れ舞台である──この一念髄喜の心が一切を決めるのです。
 戸田先生は言われています。
 「日本国中に、さかんなる力士のごとき人々が充満するならば、生産に、復興に、文化に、芸術に、その最高度の能力を発揮するがゆえに、国土の再建は、うたがうべくもない」
 「さかんなる力士のごとき」とは、一人一人が満々たる生命力で躍動している様子です。「人間革命」に挑み、幸福の実証を勝ち示している姿です。
 こうした勝利の活力が充満すれば、社会を大きく変えていける。やがて世界の宿命をも大転換していけるのです。
 私は戸田先生の不二の分身となって、死に物狂いで戦った。正義の叫びで、一人一人の心を一変させていった。その地その地に、師匠の大生命を打ち込む決心で戦い抜きました。
 仏法の眼で見れば「娑婆即寂光」です。国土も「心の一法」から出来する。わが一念から起こり、わが一念に収まるのです。
 地震や台風や冷害などの災害に見舞われた地域の方々に、私はこの三変土田の法理を語り、共に祈ってきました。
 阪神・淡路大震災をはじめ、北海道、中越、東北、北陸などの大地震。長崎、三宅島などの噴火。また沖縄、九州、四国、中国、中部など豪雨による被害……。どの地でも、学会の同志の献身的な救援活動や復興の努力が希望と勇気を広げ、地域の結束を強めました。「わが町の復興は、学会があればこそ」などの感謝と感動の声が、私のもとにも数多く寄せられてきました。皆様は、見事に変毒為薬してこられたのです。
 中国の高名な歴史学者であられる章開沅先生(華中師範大学元学長)は、私との対談で、中国が雪害や大震災などの苦難を乗り越え、本年、北京オリンピックを大成功させたことにふれ、こう述べておられました。
 「温家宝総理が被災地の人民のために『多難興邦(難が多いほど奮起して国を興そう)』と揮毫したように、震災は全国人民、ひいては全世界の華人《かじん》(中国人)の心と力とを、祖国の復興という一点に向かわせました。全国の人民が奮起し、心を一つにして困難を乗り越えようとした結果、千年に一度あるかないかの巨大な災難に打ち勝つことができました」と。
 民衆の「心の力」は偉大です。それを無限に引き出す哲理が、一念三千の法理です。
 一人一人が地涌の底力を出せば、三世十方の仏菩薩にも勝る力が涌現する。断じて宿命を転換するのだ! この国土世間を三変土田し、安穏にして天人が充満する楽土を必ず建設するのだ!──これが大聖哲の御確信です。

必ず打開できる!
 今、日本も世界も、大変な経済不況の中にあります。しかし、仏法では「一心の妙用」(一念の不思議な力)を教えている。断じて負けない信心の一念があれば、必ず必ず打開できることを確信していただきたいのです。私も妻も、全同志の皆様方が厳然と守りに護られ、一人ももれなく勝ち栄えていかれるよう、一心不乱にお題目を送っております。
 仏国土を開く儀式は、二度、三度と繰り返されて成就しました。三変土田の挑戦は、粘り強く、繰り返すことが大切なのです。苦しいときこそ、「強盛の大信力」(御書1118㌻)で、祈りに祈り、何度でも挑戦し、断じて断じて未来を勝ち開こうではありませんか。
 詩聖タゴールは謳いました。
 「国は人間が創造したものです。国は土からできているのではなく、人々の心でできています。もし人間が輝いていれば、国は顕現されます」(我妻和男訳)
 今や妙法は世界192カ国・地域に広がりました。創価の運動は「人類模範の善の連帯」と期待されております。私たちの“地涌の三変土田”が、世界を大きく動かしつつあるのです。
 広宣流布の舞台は新段階に入りました。大聖人の仰せ通り「二陣三陣つづきて」(御書911㌻)、新しい人材が勇み立つ時です。これこそ「青年・勝利の年」です。
 全国、そして世界の各地で、創価の師弟の旗を掲げ、社会に貢献しゆくわが同志こそ、誉れも高き三変土田の仏の大行進なり! 私は心からこう賞讃したいのです。
2008-12-12 : 御書と師弟 :
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